自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(31)

老鶏は若雌の如く

さきに「自分らがやりたいのは『夫婦の真字』なるものから出発して、ヤマギシズムや夫婦のあり方を引き出すことにある」とした。
たんに言葉の持つ常識的な意味にとどまらず、その言葉を構成している文字の始まりの字解まで遡ることで豊かにイメージされてくるものがあるからだ。

もちろんこれは個人研鑽では不可能だ。どうしても自分の立場というか先入観を通して考えてしまいがちだからだ。それこそ一字一句の字義・定義から暮らしの場を共にする皆で徹底的に研鑽しないと自分自身に反映してこない。
例えば「仲良し」とか「楽しい」といった簡単な言葉がある。ずっと「何だ、仲良しこよしの仲良しか」と小馬鹿にしていた自身が恥ずかしい。
そこに秘められてある奥深さが、今まで気づかなかったことの数々が、自分らの心境の高まりと正比例して反映してくることに気づかれることがある。

事実・実態そのものから、ふだんの暮らしそれ自体から本質を引き出してみようとする試みである。

そういえば山岸会養鶏法では、「老鶏は若雌(若々しく)のような、若雌は老鶏(牛のような)の如きタイプを常に保たすこと」をモットーとして飼育に当たることとしている。
ここでの老鶏を人間に当てはめれば、老人とか生物的年齢が重なりとか定着的、保守的な傾向になりやすい姿を指すのだろう。
自分らは当初から歳を重ねる中で精神的老化を象徴する「頑固」のない生き方を表す言葉として、老後の生き方を「老蘇(おいそ)」の生き方で暮らそうとしている。

この老蘇の「蘇(よみがえ)る」の字解は、草冠は野菜類を代表し、魚と禾つまり穀物を表して豊かさの象徴になぞらえる。
しかも老蘇というあまり聞き慣れない用語は、物心両面の豊かさを目指すヤマギシズムの提案者・山岸巳代蔵の生誕地、滋賀県蒲生郡老蘇村大字東老蘇(現在の安土町)の字名であり、近くには今も老蘇の森に囲まれた奥石(おいそ)神社が祀られている故事に由来するのもじつに興味深い。

そうだとしたら、「老鶏は若雌の如き」タイプとはどんな姿形なんだろうか?
すぐに思いつくのは、ことわざにいう自然界の「実るほど頭を垂れる稲穂かな」のイメージだ。
稲穂

ことわざでは人格者ほど謙虚であるというたとえだとされるが、いろんな観念を通さずにそのまま観ると何が映っているのだろうか? 
若さを、積極的・陽適・自由活動的・向上進歩的な心のあり方と考えると、「老鶏は若雌の如き」にたとえた人間の実際はどのように実現されてくるのだろうか。

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わが一体の家族考(30)

言葉という文字のかたち

「ヤマギシズム研鑚学校」では、何日目かに「親子のあり方」に続いて「夫婦のあり方」とはどういうものかを研鑽する機会がある。そしてそこで「夫婦の真字」なるものを知らされる。
夫婦の真字

何だコレ!? 妻という文字に夫という文字が合わさっているような……。ヘェー。ふーん。ナルホドそれにしてもうまく重なるものだなあ。じっと眺めているといろんな想いが湧いてきて尽きない。

この字は、「ふさい」と読み、夫婦が一つのものだということを示している。山岸巳代蔵の造字である。(写真の文字は山岸巳代蔵の直筆)

そして今、自分らがやりたいのは「夫婦の真字」なるものから出発して、ヤマギシズムや夫婦のあり方を引き出すことにある。
どうやって?

以前研鑚会で「一体」の姿を皆で研鑽したことがある。
一体というからには、一方だけが生き残り、片方が倒れるということは現実的にはあり得ないことだ! 共に繁栄するか、共に倒れるかのどちらかであろう。
ハッとした。「一体」という文字のかたちに生命が通いはじめた瞬間だった。

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わが一体の家族考(29)

吉本さんが伝えたかったこと

吉本さんはまた人類の歴史も個々人も「より良き」理想を求めて動いているという歴史観、人間観に立って、生涯にわたって一般社会に囲まれたユートピアが可能だとしたら何が欠かせない要素としてあるかを全心を傾倒して真剣に追求された。
かつて戦前戦中、天皇を頭に載く理想としての平等なる共同体を夢見た皇国青年は、敗戦直後軍の食料を背負えるだけ背負って我先にと故郷に帰っていく兵士の豹変ぶりに遭遇して現実認識のどんでん返しを食う。
そこでお互いが信じられなくなる相互不信に深く傷つけられる。そしてそこから自分の何がだめなんだ、どこがどう間違ったのかにこだわり、考えつづけた思想家だ。

そうした意味でも、ヤマギシ会の実践例は格好の自身の考えを追い詰めていく象徴的な素材であると同時に、かつての自分と同じ轍を踏んでいるように見えたのかも知れない。
晩年の代表作とされる書き下ろし『中学生のための社会科』(市井文学2005.3)の中の一章「国家と社会の寓話」に於いても、自分らヤマギシ会員との対話を通して「一般社会に囲まれたユートピア」志向が陥る盲点について、我がことのように論じられる。
吉本さんは当時運動の絶頂期にあった自分らヤマギシ会員に潜在する、「皆のためになる良いことをしている」と信じて疑わない思い上がりを見逃さなかった。

例えば、流行の服を着たいと言ったら係りが望み通りのものを買ってくる。しかもそれに対して余計に働けということは全然言わない。
ヤマギシ会では、お金と欲求や願望と労働とを結び付けずに分離しているからだ。
こうした個人の欲求と対価労働との分離の仕方にこそ、ヤマギシ会の疑似ユートピア性がある。なぜならそうした分離が成り立つと思っている根拠は、自分たちが一般社会の中にある永遠のユートピアだとして、社会に対して閉じているからだという。

開かれていることが大事なのだと?!
一般社会の価値観と気脈を通じるだけでは、刃先が磨耗するように、自分さえよければの個々人主義の醜悪社会の延長にすぎなくなるのではないだろうか?
だとしたら、いったい何をどう開くことなのか……?

そういえばこの書は、宮沢賢治の叙情詩「母」の掲載から始まっている。

雪袴黒くうがちし うなゐの子瓜食(は)みくれば
風澄めるよもの山はに うづまくや秋の白雲
その身こそ瓜も欲りせん 齢弱(としわか)き母にしあれば
手すさびに紅き萱穂を つみつどへ野をよぎるなり
岩手種山高原a

黒いもんぺをはいた幼いうない髪の子が、無心に瓜を食べながら歩いてくる。四方の山々には渦巻くように秋の白い雲がわきあがっている。まだ母親自身が瓜を食べたいと思っている年頃なのに、手慰みにススキの若い穂をつみ集めながら野原を通り過ぎていく、といった注釈になるだろうか。

吉本さんは自分らに何を伝えたかったのか?

「人間を個人としてみれば、詩を作る人も読む人も好みだからというほかない。少なくとも読む人、作る人の自己慰安(自分だけに通ずる慰め)にしかならない。別言すれば自己慰安を第一義としている。これはすべての芸術に共通したものだ。(略)
だが人間を集団として形成される『社会』にたいしては『芸』は無用であり、『芸』にたずさわる者は無用の長物である。(略)
人間は個人としては自己慰安を求める動物だが、『社会集団』の塊(かたまり)としては『有用さ』を求めるのを第一義とするからだ」(同前)

ヤマギシ会の外と内とはまるで質が違うという強固な管理方式―お金と個人の欲求や願望と労働とを結び付けずに分離されている―は、大なり小なり現在のあらゆる高度な管理社会、部分社会の行く末を象徴するモデルになっている。
そこまで先鋭化(=純粋化)していかないと必然資本主義社会での「自由」競争下では打ち勝てないからである。
当然そこでは、自分の中の「社会集団」に合った役割というか「有用さ」のみが求められる。しかも情報科学技術に根ざす管理システムの高度化は「閉社会の人間」化を押しとどめることはできない。
ではこうした疑似ユートピアを乗り越えるためにはどうあったらよいのか?
吉本さんは絶望感に襲われながらもぎりぎりのところまで考えたという。

そのことを自分らの事例に引きつけて自分らの言葉で言ってみる。
○社会倫理環境や運営・制度に関わってくる問題を、自分の倫理の問題として引き受けるところに、自分が重くなったり引き裂かれて悩んだりするのではないか。
○だから社会的な制度・役割を生きる自分と、個人としての自分を混同しないできちんと分けておくことが大事だ。
○つまり分けて考えるとは、例えば先の宮沢賢治の叙情詩「母」の情感にもっと想いをめぐらせ浸りきってみるとよい。するときっと他に対しての不平不満がなくなるだろう。
○一方また社会を構成する管理システムの高度化は今後も避けられない。しかし誰が廻しても猿が廻しても、正確さに於いて答えに狂いないギアーシステムこそは、また大きな利点であることに気づかされる。
そして疑似ではない本物のユートピアは、次のようなシステム原則の上に組み建てねばならない。
「管理される者の利益、自由度、志向性、意志をいつも最優先に置くこと。これに反する管理システムは破棄されるか、または修正されること」

例えばこんなことだろうか?
自分らの実顕地づくりの中で、それまでの別棟に分けられていた村人用の「生活窓口」と「法人窓口」を止めて、窓口を一箇所にしてみたことがある。窓口一箇所で実顕地に住む人の要望を受けて、窓口の側で用途別に仕分ける業務を受けもったのである。するとお役所のようなたらい回しがなくなった!
本稿「わが一体の家族考」は、こうした先達の心底からの助言を受けつつ、画餅・口頭禅に終わることなく未知で未経験な未踏の世界を切り拓いていかねばならない。

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わが一体の家族考(28)

ひそやかな感情が生かされる社会

ここで今少し大なり小なり共通の目的を掲げて社会集団を組むことで見落としがちになる盲点について記してみる。
さきの吉本隆明さんは、あの2000年前後のマスコミ等ヤマギシ会へのバッシングの最中に、
「ヤマギシ会は、脱会する人たちに財産を返す、さらに餞別も渡す、というくらいじやないとダメだと思います」(『超「20世紀論」』2000.9)
と発言された後に、太宰治の『走れメロス』について触れられている。
吉本さんは自分らに何を伝えたかったのだろうか?
走れメロス

純朴な羊飼いメロスは、妹の結婚のために必要な品々を買い求めに町を訪れたが、町の様子がひどく暗く落ち込んでいることを不審に思い、市民に何が起きているのかを問う。
そして、人間不信のために多くの人を処刑している王様の話を聞き、激怒する。
メロスは王の暗殺を決意して王城に侵入するが、あえなく衛兵に捕らえられ、王のもとに引き出された。
人間など私欲の塊だ、信じられぬ、と断言する王にメロスは、人を疑うのは恥ずべきだと真っ向から反論する。当然処刑される事になるが、メロスは親友を人質として王のもとにとどめおくのを条件に、妹の結婚式に出るために三日後の日没までの猶予を願う。
そこでメロスは、度重なる不運に出遭いながらも親友の友情を裏切るまいと、必至に駆けて、日没直前、今まさに親友が磔にされようとするところに到着し、約束を果たす友情と信頼をたたえる物語だ。

吉本さんはその物語の最後の場面に着目する。
「ひとりの少女が、緋ひのマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
『メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ』
 勇者は、ひどく赤面した」

吉本さんは次のようにいう。
「つまり、太宰はここで、俺は制度だけでユートピアを云々するのはイヤだ、少女の恥じらいに見られるような個人感情、それがユートピアを築く上でとても大切なんだよ、ということをいっているわけです。個人の密やかな感情が生かされない社会は、ユートピアたりえません」

思い当たる節があるなあ。1990年代前半の運動の高揚期、参画者など急膨張に備えての「一つ」のあり方に則った機構・制度の正備に迫られたことがある。
急速な運動拡大によって単位当たりのヤマギシズム度が希薄になり、そこからくる諸種の障害が予想されてきたからである。
するとなぜか目的達成のためには「個人の密やかな感情」なんかに耽っている場合じゃないといった空気につつまれてくる。
例えばその頃、「オールメンバーの誓い」を立てる行事が企画された。ヤマギシズムの「純度」なるものが自分らに問われ始めたのだ?!

たしかに自分らイズム運動の先達の役目を自覚したりふだんの立居振舞を正していくこと自体は良いことであるから賛同はするものの、でも何だか「嫌だなあ」といった気持ちも拭いきれず、とにかくその日(4月25日)が過ぎ去ることのみを内心願っていた。
あの時のどっちつかずの気分は、いったい何だったのだろうか? 優柔不断な人間にありがちなたんなる戸惑いにすぎないのだろうか。

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わが一体の家族考(27)

だからこそやりたいこと

さきに吉本隆明さんは「ヤマギシ会という共同体の理念」について“男女が圧迫される”という懸念(わが一体の家族考12)を表明されていた。
吉本隆明

「その『一体』というところでかんがえていちばん問題なのは、男女の結びつきの次元というのが共同体の次元と同一化してしまうことです。そこがものすごくきついんじゃないでしょうか。
かりにそういう男女がいるとすると、かれらは絶えず共同体の水準におかれようとする力を『一体』という観念から受けているから、男女のあいだに、ささやきとか、声にしなくてもわかるとか、そういう意味の微妙さがなくなっちゃうんじゃないでしょうか。
ふたりでいるんだけれども、絶えず脅かされているといいますか、全部公開されているみたいな、そういう心理状態に絶えずさらされていることになる。
もし人間の性愛のなかに、色とか、味とか、匂いとかの比喩でいうべき問題があるとすれば、それが全部、無味・無臭・無色というふうになってしまうような気がするんです。
ほんとにそうなることはたぶんありえないから、絶えず解体にさらされるか、または、もし男女の結びつきがひじょうに親密になってくれば、共同体から出ちゃうという衝動をいつでも感じざるをえないみたいな、なにかそういうところでいちばん矛盾にさらされるような気がするんです」(吉本隆明『対幻想 n個の性をめぐって』1985.1春秋社)

一般でも例えば気の合う仲間で同人誌を出そうとかして三人以上集まれば、そこに自ずと社会的な集団性のようなものが形成される。そして会費や部数などの一応の取り決めが整えられていく。
しかしそこでの集団性の繋がりは、あくまで同人誌を仲間内で出そうという限定された枠内の出来事だ。それでも仲間内の一人として会費が払えなくなったり共通の目的に同調できなくなったりするいろんな悩み・束縛・矛盾に直面したりする。もちろんそんな取り決めなど、個人の意志によっていくらでも変えられるのだが……。

それがヤマギシ会でいう「一体」の繋がりでは、頭だけの観念的な集団性というよりは夫婦・家族や個人の一生をも包み込んだ事実的世界での繋がりをも意味している。
それはいったいどんな繋がりなんだろうか?
当の自分らも曖昧模糊としてよく分かっていないのだ?!

あの2000年前後にふき出した「家族をやりたい」といった自分らの切実な衝動は、まさに吉本隆明さんの懸念そのものであった。
だからこそ自分らがやりたいのは、「男女の結びつきの次元」を基調にブレないで逆に徹することで、そこでの自己を生き活かされることにおいて、吉本さんが懸念された個と集団の矛盾や対立や背反を抱擁(つつ)み込んで解消、乗り越えていくような道筋の開拓なのだ。

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わが一体の家族考(26)

「二人でおる」世界

当時さきの山岸巳代蔵全集刊行へと盛りあがる中で、山岸巳代蔵を知る人が一堂に会して先生の思い出を語り合う研鑚会がもたれた。
なかでもとりわけ昨年2015年6月に100歳で亡くなられた奥村きみゑさんの情感溢れる話が印象に残っている。
というのもその頃、奥村きみゑさんから次のような話を伺っていたからである。
「先生とあちこち拡大で回っている時のこと。大阪かどこかのうどん屋に入って、そこを出た時、うどん屋の裏手に熱い湯が流れ出ていて、その溝に2匹のけったいな虫が熱い湯が流れているというのに生きていた。
それを見た先生が『ほれ見なさい。あんなやで、あんなやろ。あんな中にいても、二人でおる。そういうものや』といわはった」

他にも同じような話を聞いている人がいる。
「ゲジゲジみたいな虫を見た時、『何で、こんな虫が生きているのか?』
『成るべくして、そう成っているのだな』
『そこから全てが解けて、ショックのあまり倒れるほどだった』」(渡辺操談 山岸巳代蔵エピソード集より)

きっと山岸巳代蔵は生涯幾度となく、「そういうものや」と見える眼からおのずと立ち現れてくるものに琴線を揺るがしたにちがいない。
その何が「そういうものや」かの一端を文章にも記している。

「一日、或る人家の軒下を流れとどまる下水溝に、黒く細長い、蛭にも蚯蚓にも、八ツ目うなぎにさえも持たない、熾烈な悪寒を覚える醜体の、一匹の虫のうごめきを見ました。
青年時、庭先でこれによく似た、頭部が銀杏の葉のような形に拡がった、黒い虫を初めて見た時、慄然とした印象が今なお蘇りますが、こういうものを見ると逃げ出したくなり、目につかねばよかったのに、また何故あんな虫がこの世に置いてあるのか、そして何を楽しみに生きているのかと、時々思い出して暫し耽ることがあり、何時水気がなくなり干乾しになるか、どんな劇薬や苦いもの、酸いもの、辛いもの等が流れて来るか、熱湯をかけられるか、不安の日夜をのたうって、三日がかりで漸くにして遡上したものを、一夜の水にどこまで流されるやら、あなたまかせの生活史です。
今日はうどんの煮汁か米とぎ水か、魚の臓物の饗宴にありつけるかと、あわれうたかたに望みをつなぐ生涯でしょう。
しかし、また案外数少ないであろう彼等にも、配偶者に会う仕組みは、うまく与えられてあるのか、種の絶滅もなきまま、こうして産み付けられた吾が身の不運をかこっているかどうか、詮索したくなります。人間の誰かと引き較べて」
(『獣性より真の人間性へ 二』1954.8.5)

わが一体の家族へと繋がる道筋が、ここからひらけてこないだろうか。ここまで遡るというか降りて行かないと……。
というか、どうもこうした場所に降り立って始めて展開する世界があるようなのだ。

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 「と」に立つ実践哲叢(17)

自分がいる実顕地づくり(上)

実顕地とは「完全専門分業社会実顕地」のことで、その姿は少数の人では成り立たなく、多数の人が渾然一体となってやるところに偉大な運搬力を持った汽車を走らすことが出来る鉄道経営にも例えられてきた。
そしてこの間自分らの実顕地づくりのなかで、陥りやすい「分業」でない「専業」に固執する弊害についてふり返ってきた。
同じようなテーマに、「集団で生活しているのを実顕地と思っている」がゆえの取り違えがある。実顕地といっても、実は一人ひとりの寄り集まりであり、そうした個の充実によって成り立つはずのものが、実顕地という何か偉大な幻(まぼろし)に依存することで自分の生き方を見失う事例についてである。

なかでも一人がそうであるために、それを前提に全体がそうならないようにと「皆、実顕地のため」をお題目に自分を押し殺してきた苦い経験。要は「自分がやる」をしたくないだけなのに、つい「……のため」に依存することで結果サボる人を非難したくなる。

例えば、ふだん寝起きする部屋から貴重品が紛失した場合、画一的に「部屋の鍵の取付けや施錠を徹底する」方向に盛り上がりがちだ。もし一人の不届き者の存在を許したら、皆が勝手に侵入してくるではないか、といった相互不信の論理で正当化される?!
こうした一見正しく思える場面で、どう非難も弁解もせずに自分を取り戻せるのか?
ここに「食堂へ行ったら何でもタダの金の要らない」実顕地構想が発表された1960年代に、次のような山岸さんの発言がある。

「やってみたらこれが出来る。物が出来たらの人は出来んけど、そうでない人なら出来る。ここでもお母さんが柿をむいて出してる姿を見たらよく分かる。タダの魚屋出しても決して取り合いにならないもの。最もみな生かして使えるわね。
店出したら、どうなるか分かる。みな自分の店ですからな。ちっとも、あれしないものね。魚屋一つ考えても、鯛やらハモやら出してみて、あんたが毎日、鯛やエビを持って帰ってやろと思うか。最も残りそうなものを持って帰るやろと思うの。
『それは理想や』と言うけど、一体の中でやってきているし……。ちょっとの始めの一点ですけどね。あんたやったら、もう頭走ってると思う。『タダになったらどうするか』と」

刮目したいのは、「みな自分の店ですからな」の「の」の世界についてだ。曰く自分の店、自分の考え、自分の実顕地……。
この場合「の」は、「自分」が「店」「考え」「実顕地」に対して持つ関わりというか繋がりを示しているやに見える。どんな繋がりなんだろう? 自分は直接店の運営に関わっている覚えもないのに……。
「自分の店」だからこそ「タダの魚屋出しても決して取り合いにならない」。これこそ実顕地づくりの際に問題にされるべき「始めの一点」なのだという?!
実顕地という何か偉大な幻(まぼろし)に依存、隷属しない「自分の実顕地」とは……。

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わが一体の家族考(25)

革命は恋なのだ?!

きっかけは山岸会創設50周年を期して、2003年5月に開催された会の全国集会だった。何とか山岸巳代蔵の著作を世に発表し、広く研究材料として提供できないだろうか、という話がもちあがった。
そして翌年4月、「山岸巳代蔵全集」第一巻の発刊以来、2011年6月まで全集全七巻と資料編三巻を刊行することができた。
山岸巳代蔵全集

何しろ、生前の山岸巳代蔵を直接知る人も、年齢を重ねられている方が多く、今ふり返ればぎりぎりのタイミングだった。
幸いにも、うわさに聞く『正解ヤマギシズム全輯』など直筆の草稿が会員さんの倉の中から風呂敷包みのまま見つかったりするなど、多くの人の協力を得ることができた。
そしてその全貌が明らかになりつつある今、自分らが従来描いてきた山岸会運動のイメージを根底から書き換えなければならないのでは、と思えてきてしようがない。
「全集」発刊時に次のように書き記してみたことがある。

山岸巳代蔵の著作としてはさきに「特講」参加の時に手渡された研鑽資料『ヤマギシズム社会の実態―世界革命実践の書』がある。そして一週間参加者同士で資料の中の一句一節をああでもない、こうでもないと探り合ったことが懐かしく思い出される。
今にして思えば、あの書は「特講」の入門書というよりも幸福を願う人間の本当のあり方、人間社会の本来のあり方についての構想が凝縮されて画かれ、それに基づく様々な提案をほんとうにそうかと私たち一人一人が手探りで研鑽読みで検討し合う実践の時の始まりでもあった。
以後事ある時もない時もページを開くことで、望みもしなかった深い人生を探求できつつある。
ちなみに今世界中の耳目を集めるイラク問題も、「知的革命私案」の中の一節「アメリカに日本の心が掴めたら」の日本をイラクに置き換えてみたら案外簡単に事の真相と解決法が見えてくるものと確信する。
しかもここにきて山岸巳代蔵全集が刊行されるという。『ヤマギシズム社会の実態』の著作だけでも尽きせぬ宝が埋もれているのにまだまだ無尽蔵にあると想像するだけでその僥倖に目が眩む。
なかでも聞くところによれば、生前氏がこれこそ全人類への最大の贈り物として出版を急いだヤマギシズム恋愛、結婚観についての解明が含まれるという。
人生最大の幸福条件であり人生最大目標であると思われる恋愛、結婚について断定・断言のない研鑽文法で記述されたものだ。
論理的には成り立つようでも実証的には相一致するものがもっとも現れ難い男女の世界で、わざわざ研究するための実例を作ろうと思って作れるものではない世界で、真の結婚を求めて全人苦悩のない幸せに生きてもらいたいとする希いだけで、みずからその場に立たされて逃げ出さなかった実録研鑽資料でもあるという。
はたしてそこに込められた真意の一端をせめて逆解釈にならないように受けとめる資格が私にあるだろうか?
食べ物の場合だったら美味しく食べることで自ずと血となり肉になりするわけだが、本全集を完全に読み取り、そこに盛られた真意を会得するにはどうしたらよいのだろうか? 
つまり食物の消化の生理作用に見立てる要素さえきまれば、それこそどんな人にも通じ、分かり、どんな人をも溶かしていって、人間観念界も自然の理と同じようになるはずだ。そんな研鑽解読法の実証が世界中からまたれている。(「けんさん」2004年4月)

ここでも触れているが、どうも「男・女」の愛情問題をめぐっての解明を欠いては理想社会実現への道程はぜったいに辿れないのではなかろうか。そこからヤマギシズム運動を見直してみようとするものだ。
革命と愛情問題? いったいどんな関係があるというのだ? 
そういえば山岸巳代蔵も、革命提案の弁として「かなわぬ恋ではなかろうと、チョッピリ出した手がこの知的革命案です」と粋なことを言っている。革命は恋なのだ?!

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わが一体の家族考(24)

「わが一体の家族」へ

さきに山岸会が発足してすぐの山岸巳代蔵の著作『獣性より真の人間性へ』は「万象悉く流れ、移り行く」という一節から始まったと記した。この一節に込めた山岸巳代蔵の心情にくり返し思いめぐらしてみる。

自分の知る範囲内では、文豪ゲーテの戯曲『ファウスト』の最終場面にそれは重なるかのようだ。
ゲーテ

森鴎外始めいろんな人の訳があるが、在野の思想家・教育者富永半次郎(1883-1965)訳が実にいい。

【神秘の合唱】
ものみなのうつろふからに
さなからに色とりどりにうつるなる
かけてしも思はぬことの
ここに起き
ことばにも筆にも堪えぬこと
ここになる
とこおとめおとめさひすとなよよかに
われらひかれてをとこさひすも

とある。
なかでも「とこおとめおとめさひすとなよよかに、われらひかれてをとこさひすも」との七五調の訳がじつに味わい深い。
ちなみに森鴎外は「永遠に女性なるもの、我等を引きて往かしむ」と、高橋義孝は「永遠にして女性的なるもの、われらを引きて昇らしむ」と、池内紀は「くおんのおんなが、われらをみちびく」と訳している。

ゲーテの形態学に魅せられた解剖学者三木成夫(1925-1987)に、次のような一節がある。
「これら森羅万象の悉くを宇宙根原のかたち――まさに宇宙の原形そのもの――の色とりどりのMetamorphose(変容、変態、変身―引用者注)として眺める……と言う処に迄行きつく。原形体得のそれはひとつの究極の姿と言ったものであろう。
ひとびとはこの宇宙の原形を在る時は「kosmos」と呼び、また在る時は「天」と呼ぶ。ファウストを完結させる“Das Ewigweibliche(永遠の女性)”の表現は、まさしく、こうした万物生成の天然の姿を、いわゆる大地母Magna Materのそれに託して披露した、それは文字通り〝根原秘奥への賛歌〟と見られるものであろうか……」(『人間生命の誕生』)

「山岸会事件」で指名手配中、山岸巳代蔵の潜伏先での口述筆記録にある、互いに相手なくしては生きてゆけないという愛の作用、
「一つにしても陰陽がある。男、女、花、太陽(極同士の接触)(愛の表現、極致)」
といった一節とも重なり合い響き合うようでじつに興味深いのだ。

当てずっぽうな物言いになるかも知れないが、かのゲーテが生涯とらえて離すことのなかった世界、山岸巳代蔵の「万象悉く流れ、移り行く」の中でのみ求められる「ほんとのほんと」と呼べる世界、の解明のなかにこそ、自分らがこの間追い求めてきた「秘められた実態の把握」に繋がるものがあるのではなかろうか。
ふと、あの千石さんのコトバが浮かぶ。

「人間という存在の現実は男と女です」
「真の家族の原点は、男が女を一体として愛するという愛の行為にある」
「夫と妻の素晴らしさは、一体の人格を発見するところにある」
「男の伝えることを受けとめる人格が女。男は女を愛し、女はその愛を受けとめる」
「男にとって女は自分」
「他者の中に自己を見る」(わが一体の家族考15)

山岸巳代蔵を始めこれら先達諸氏の未だ自分には謎めいたコトバは、共通して人間の中の「男と女」に、「人間」であるという本質的なものと「異性」であるという本質的なものとの両方を見極めようとしているかのようだ。
どういうこと?
一言でいうと、未だ生きられていない「男女の性」の世界をベースにして本質的な人と人との繋がりの世界で生きようというのかなぁ……。
とまれ本題である「わが一体の家族」へと分け入っていこう。

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わが一体の家族考(23)

あおくんときいろちゃん

そういえば皇后・美智子さまの著書『橋をかける 子供時代の読書の思い出』のなかに、レオ・レオニの絵本『あおくんときいろちゃん』にも触れられている。
あおくんときいろちゃん

ただの青色と黄色のちぎり絵というかにじみ絵の抽象的な顔も手もない色のかたちが、ページをめくっていくうちに「あおくんときいろちゃん」の生き生きしたこころが浮かびあがってきて気持ちが温かくなる不思議な絵本だ。
ストーリーはいたってシンプルだ。

あおくんときいろちゃんは一番の仲良し。ある日、あおくんはきいろちゃんと遊びたくなって、あちこち探し回ってようやく出会う。二人は、「もう うれしくて うれしくて」抱き合って喜ぶうちに、とうとう緑色になってしまう!
でもそのままそれぞれの家に帰ると、パパとママに「うちの子じゃないよ」といわれてしまう。
二人は悲しくなって泣いて泣いて全部涙になってしまう。
すると青の涙はあおくんに、黄色の涙はきいろちゃんになる!
そこではじめて「ぱぱにも ままにも やっと わけが わかり」、「おやたちも うれしくて やっぱり みどりに なりました」

ヤマギシズムでいう「一体」のイメージがそのまま浮かびあがってくる絵本だ。
あおくんときいろちゃんの「もう うれしくて うれしくて」のこころに想いをはせていると、おのずと以前研鑽した「実顕地用養鶏法研鑽会資料」の一節

「その人の言う通りやろうとすることはその人になることでその人の心になることで方法のみを真似するわけではない。
一体になろうとするもので一体とは無我執である。その通りやれるかやれないかはわからないけれど、信じないで言う人の気持ちになってやってみようとするもので、……」(わが一体の家族考16)

とも重なってくるようなのだ。 
「みどり」の世界を知るもの、幸いなれ。

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わが一体の家族考(22)

両方に橋が架かる

あの始まりの、2000年前後のまったく先が見えず誰に頼る人もなく、悩み苦しんだ、もうどうにもならなくなった途端、ふと一瞬のうちによみがえり、こみ上げてくる心の琴線に触れるものがあった。
これって、いったい何なんだろう?
それも自分の思いや考えの先に立ちあらわれたのではなく、突然一方的に思いもかけず湧き上がってきたのだ。
しかもその世界に抱擁(つつ)まれては癒やされ、温まり、元気が出た。
この感触、この感じって、いったい何なんだろうか?
よく聞かれる言葉にスポーツなどで「ため」を作るというのがある。「腰のため」とか……。自分の場合は、あの琴線に触れたときのいわく言いがたい感じを「ため」を作るというイメージに重ねてみるのだった。
すると琴線に触れるものがよりリアルなものとしてイメージされてくるのだった。自分のものとして、自分の実感として確かな手触りをともなって琴線に触れるものが捉まえられてきたのだ。

「地獄の八丁目、即極楽の八丁目
窮まる所 必ず展(ひら)ける」

ともいう。
ここでの「即」とは、今あるままでの「即ち」とか「ただちに」「今直ぐ」「その場で」の急転直下、どんでん返しを意味する。底が抜けるというか……。あの「繋がりを知る精神」(わが一体の家族考17)にタッチしたような……。
そこに今までの自分が見えだすと共に、ここに於いて「我執のない自分」を発見するのだ! 
両方に橋が架かった瞬間だった。
しかもそこから今までの自分と我執のない自分の両方に橋が架けられると、思わず展(ひら)けてくるものがあった。
「何でも二つある」から「二つの事実」に、そして「二つの心」という概念に至るまでは指呼の間であった。
このあたりについては、以前にも紹介した一文を再度記してみる。

「『人間、腹立つのが当り前』と思ってる間は、怒りすら取れなんだ。本当に真なるものが見える立場から見たら、『絶対に腹立たん立場に立てる』というところからきての究明で、怒りは取れるし、我のあった人が我が取れて楽になれる。そういう目標に立って究明せんと」(山岸巳代蔵)

山岸会の体験は私の人生の出発点であったという宗教学者・島田裕巳さんは、何冊かの自著で一週間の『特講』とりわけ「怒り研鑚」会の醍醐味の一端に触れている。

「私はしだいに、答えることばを失っていった。(略)会場の空気は重苦しいものに変わり、沈黙が続くことが多くなった。(略)
私は自分がなぜこんな目にあわなければならないのか理解に苦しんでいた。(略)しかし脱出のための糸口は、なかなか見えてこなかったのである。(略)
ところが参加者のなかに、自力で脱出口を見い出した人間がいた。(略)
彼女の発言を聞いて、体の奥からなにか暖かいものがこみ上げてくるようにさえ感じられたのである。私は解放感を味わっていた」(『イニシエーションとしての宗教学』)

こうした解放感が一個人のマイナーな閾を超えて、誰にとっても普遍性の感覚にまで至らしめたい。こうした場でしか「真に分かり合う」ことはないのだし、そこはまた自分らの生きる場所でもあるのだ、と。

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わが一体の家族考(21)

何でも二つある!

ある日の研鑚会は、理想社会を組織する原則としての「自由・平等」での平等についての「希望があるから全部そうするでなく、資格が問題」のテーマに続いて次のようなテーマで研鑽した。

「食べたいから食べるのと、食べなくともよいが食べるのと、何でも二つある」(『山岸巳代蔵全集6』所収)

エッ!?、食べたいから食べるのでしょう、と驚愕した。いったい「食べなくともよいが食べる」ってどんな世界? “武士は食わねど高楊枝”のやせ我慢の世界? それとも「清貧」の世界?
食べる資格あるかなーと問われるテーマなのだという!?

世の多くの人は皆、「食べたいから食べる」世界の一つしか知らない。そうか、それで一つしか知らない人はしんどい思いをくり返すのだなぁと、何でも二つあることを知ることの大きさを諭された。
反対か賛成か、EU離脱か残留か、有罪か無罪かといった二律背反や二項対立・対抗から統一に向かう二つでない「二つある」についてのことだ。

それにしても「何でも二つある」って、面白い味わい深い表現だなぁとつくづく思う。
そういえば、ヤマギシでいう「二つの幸福での幸福感と真の幸福」も「思い考えと事実の異い」も「失敗型と成功型」も「共同と一体の異い」も「宗教と研鑽」も「暗く見る観方と事実その中で強い自分を見いだす二つの逆の考え方」も「理念からくる観念と理に反してもよいとする観念」も「頭で考えるとこころで感じる」も皆二つあるなぁと思いあたることばかりだ。
なかでも「二つの事実」の体験は自分自身の考え方・生き方を決定づけるものだ。
こういうことだ。

1980年代ヤマギシの有精卵の増産要請が一気に高まり、暑さや産み疲れや病気に負けない頑健な消化器の鶏体造りをねらって大量の青草やモミガラや焼酎粕のような食品副産物・廃物の活用もかねた給与を始めたことがあった。
ある日の鶏や豚や牛の飼料専門研鑽会で「ヤマギシズムでは餌代が安いほど鶏が健康に育つ」と聞いたのだ。
その時は、原因と結果を逆さまにしたような表現にオカシミを感じつつ、何はともあれ、軽率にそうか安ければよいのかと、ある時単価の安い粗飼料を一度に多く給餌してみたのだ。
すると案の定、鶏を痩せさせて皆の顰蹙(ひんしゅく)をかった。
まさに「粗飼料を与えて鶏の飼養出来ない技術者は、経済環境適性試験にパス出来ないでしょう」とか「粗飼料を用いるにはそれに合う飼養法によらねばなりません」との一節がそのまま自分に突き刺さってきて打ちのめされた。
いったい自分の何が間違っていたのか?

確かによくよく観れば、例えばモミガラ一つとっても、こんな栄養もなく消化しにくい硝子繊維の固まりが餌になるとはとても思えない。
もみがら

事実食べ残しの餌を捨てる餌箱掃除で忙しくなり、しかも下痢便の鶏が続出したりでモミガラは厄介者にしか見えなかった。反面またウイスキーを製造する際の液体粕とモミガラを組み合わせて給与してやると、なぜか鶏が喜んで食べつくす事実もあった。
モミガラは食べ残す、食べないという事実に対して、よく食べる、食べ残さない、という事実もある。
このモミガラを食べさすという小さな一事に、二つの事実がある? それって、どういうこと? とても不思議なことに思えた。人生上超難問題に取り憑かれた気分がつづいた。

ともあれこうした「何でも二つある」というか「二つの事実」を知る研鑽機会や実体験が通奏低音となって、この間脳裏によぎった
「琴線に触れるような体験の先に自分らの『ヤマギシズム』が立ちあらわれてくる」
「自分がヤマギシズムになる」
「理念と自分との間に橋を架ける」
など荒唐無稽にみえたテーマに向き合えてこれたのである。

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わが一体の家族考(20)

心の琴線に触れる

たしか「心の琴線」という言葉を最初に意識したのは、1985年4月26日付の「西日本新聞」のコラムであった。そこに毎年5月3日に開催されていたヤマギシの春まつりが紹介されていた。
散財まつり

「散財まつり」――春の風や花びらといっしょに、楽しい便りが郵便箱へ入ってくる。外国からの絵はがきや、仲間の詩集や、映画の案内状や、なかにヤマギシズム春まつりの案内がひときわ目をひいた。ことしのテーマは「散財」とある。三重県新堂駅周辺で大規模に開かれる春まつりでの店はすべてタダ、金もうけ、商売を忘れて参加されたいとうたっている。
「散財」とは奇抜なアピールだが、考えてみれば私たちはため込むことが生きがいのように働き続けてきた。お金ばかりか、土地、家、衣類、宝石、家具、本、これでもかこれでもかと取り込んで放さない。個人だけでなく、家族も、会社も、国家も血まなこで蓄え続けていく。
それを裏返せば、将来への不安や、人間社会への不信が少なからず根底にあることに気づく。
アピールは「ため込み、囲い合う生き方は自分以外のだれをも敵とし、周囲と対立する考え方から生じてくる。苦しみや不幸の芽は、すべてそこから伸び広がる」とする。だから「散財」することで、ため、囲う生き方を、放つ生き方に転換し、放つことの豊かさを味わおうと意気けん高である。
きっと、この大らかな「散財まつり」は人の心の琴線を揺するに違いない。ヤマギシズムへの賛否は別にして、個人も国家もこの提案に耳を傾けてよかろう。(T)

懐かしいなあ。毎年まつりの一ヶ月ぐらい前から会場設営などに没頭したことがよみがえってくる。
しかもこの10年は「心の琴線に触れる」とか「琴線に触れるものがある。それはどういうものか?」を問いつづけている。
自分のなかにこの辺りがより明確になると、世界は一変するのではないかという何か心当たりがあるからだ。
先日もネット『言葉のあしあと』で次のような一節に出会った。

『琴線』
「心の琴線に触れるメロディ」という表現をよく聞く。
この「琴線」、文字通り琴の糸、弦楽器の弦のことであるが、
「心の琴線」とは一体どういう意味だろうか?
「琴線」は"heartstrings"の訳であり、古代解剖学で心臓を包み支える腱(神経)と考えられたもの。
古くは「心弦」「心糸」と訳されていた。
人の心には、琴の糸のように共鳴するメカニズムが備わっていて、その糸に触れると感情を動かされると考えられていたことから、心の奥底にある、微妙で感じやすい心情を「琴線」というようになった。
また、「心の琴線に触れる」というのは、各自の心中にある弦楽器の弦・琴の糸に触れることから転じて、読者や聴き手に大きな感動や共鳴を与えるという意味で使われる。
「心の琴線」は目に見えるものではありません。
けれど「心の琴線」を感じたことはあるのではないでしょうか。
その瞬間、胸が苦しくなる、涙があふれる、言葉に詰まる…
何とも言葉で表せない感情でいっぱいになります。
それが「心の琴線に触れる」瞬間なのではないでしょうか。

なぜか自分の思いをそのまま代弁してくれているようで、嬉しくなった。
なかでも『「琴線」は"heartstrings"の訳であり、古代解剖学で心臓を包み支える腱(神経)と考えられたもの』との一節は、
さきのサケの「生の営みを全うしたそれはそれは穏やかな心境」と人の場合の『「前進一路・無停頓の律動(リズム)」に由来する「こころ」に突き動かされての滲み出る情感のようなもの』とが、同質のものであることを実証しているかのようだ!?
五感からの知覚や一般常識観念などで意識する喜怒哀楽の心とは別に、もう一つのサケなど自然全人一体に繋がる「こころ」とも呼べるものが実在するのではないか。
みずからのささやかな琴線に触れる体験に、さまざまな知見からひたすら接近を試みている日々である。

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 「と」に立つ実践哲叢(16)

脱皮をくり返すための生活

ことわざに朝決めた事を夕方には変えてしまう、不安定で当てにならないことを「朝令暮改」という。だから以前研鑽資料で「朝変暮改」の一節に出会ってビックリした。

「わたくしの過ごしてきた五十年余を振り返ってみる時、その観方、考え方が一貫して変わらないものも多いが、これとていつ変わるかもわからなく、また一面、見損いや、間違いや、未熟・不合理な観方をしていたこともずいぶん多い。
朝変暮改というよりなお甚だしく、今先考えたこと、云ったことでも、すぐアトで思い直し、考え方が変わり、自分の見解を自分で打ち破るようなことを繰り返しています」(正解ヤマギシズム刊行に当たりて)

先にも記した「まさに『サイロ破壊の日々』」であってこそ当たり前なのかも知れない。
実顕地とは、垣根や壁や囲いなど隔てるもののない理念に基づいて編み出された完全専門分業での生活様式の一つである。それはまた自分ら経験なり実績が上がっていく程たまってくる、この垢ともいうべき固定観念のトリコになっている自分からの脱皮をくり返すための生活様式にも見えてくる。
そのままにしておけば、人間生活は常に保守的傾向になりやすい。古今既成の人間社会集団につきものの支配欲・征服欲・各種権力などの発生もこの辺りに原因がありそうだ。

例えば数年前に、それまでの別棟に分けられていた村人用の「生活窓口」と「法人窓口」を止めて、窓口を一箇所にしてみたことがある。
窓口一箇所で実顕地に住む人の要望を受けて、窓口の側で用途別に仕分ける業務を受けもったのである。するとお役所のようなたらい回しがなくなった!
もちろんそれまでの窓口が別棟に分けられていたのには、それなりの深いワケがあった。

この間の実顕地づくりをふり返ってみても初期の頃は何もかもゴッチャ混ぜの日々で、作業服と長靴での食事も当たり前。ようやく一段落した頃に皆で取り組んだテーマの一つに、
「整理分類は研鑚生活の一つ」があった。
分類という視点から探っていこうというのだ。
分けて考えることによって、それまで他の観念などを混線・混入して複雑に考えすぎてよく観えなかったものが、はっきり観えてきた! 目からうろこだった。
自分の考え方や親と子、男と女の分類から始まり、実際的にも分けていくことで暮らし全般の純粋化をもはかろうとしたのだ。
ところがそこから「お役所のようなたらい回し」現象が生まれてきた!?

知らず知らずに分けてある立場からの「立場の人間」になってしまうのか、つい威張りたくなる!?
とりわけ窓口業務は、お金も扱い、情報が集約されたり、いろんな事情も見える位置にある。
病院に例えれば、患者はいつもお医者さんよりは弱い立場だ。そこを患者の側から、
つまり自分が窓口を使って実顕地づくりをすすめる一環として、「窓口業務」をひっくり返して元に戻してみたのであった。

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『もう親を捨てるしかない』 島田裕巳著

島田さんの新著『もう親を捨てるしかない 介護・葬式・遺産は、要らない』(幻冬舎新書)が衝撃的なタイトルとともに週刊誌などで話題になっている。
もう親を捨てるしかない

冒頭に、昨年末の「利根川心中」と名づけられた事件が紹介されている。
47歳の娘(三女)さんが両親を乗せた軽自動車を運転し、車ごと利根川に突っ込み、心中をはかっり、娘さんだけが生き残った。
娘さんは容疑を認め、「認知症の母の介護で疲れた。貯金も年金もなくなった。病気になり、働けなくなった父から『一緒に死のう』と言われ、一家心中しようとした」と供述した。

なんともやりきれない悲惨な出来事である。暗澹たる気持にもなってくる。
「親孝行が親殺しに結びついたことになる」と島田さんは言う。
では、どうすればよかったのか? 
「親を捨てればよかったのである」と。
そして子供が親を捨てるのなら、“捨てられる側の”親は、どうすべきなのか。
「とっとと死ぬしかない」と島田さんは言い放つ。

急速に高齢化社会に突入した今の世の中での、誰もが直面する親子間の介護については、「親を捨てることしか解決策はないのではないか」と島田さんはキッパリと言うのだ。
こうした島田さんの問題提起に対して、アマゾンに寄せられるカスタマーレビューが興味深い。幾つか紹介してみる。

○しかし、肝心の「親捨て」の方法が書かれていない。これは問題である。
○結局、合法的に世間体も良く親を「捨て」られるのは、経済的にかなり余裕のある家庭の高齢者が高級老人ホームに入居できるだけ、という、当たり前のオチなのでしょうか。
○この本の内容ではまだまだ親を「断捨離」できる境地にはたどり着けないと思います。
○あくまで自分は富裕層として安全地帯に身を置いての発言である。
捨てる方法を著者にご教授願いたいというレビューがあるが、蓋し名言。
○結局親捨て法は、楢山参り(姥捨)のように介護施設へ連れて行くことのようでしか解釈できない本音のみを述べただけで向き合うための術、具象的提示が残念ながら致命的に欠ける内容。
○素直に共感しました。惜しむらくはじゃあどうやって親を捨てるのか、と言う具体論が殆ど無い事ですが…。
○島田さんの主張するように、親、家、墓、故郷、等をすべて捨て去れば、同時に日本人としての特質、良心?も捨ててしまうのではないかと思うのです。
○当然のことながら、子から見た具体策となると、なかなか困難な問題であり、著者も、それらの解決を読者にゆだねている。
○今まさに「できるものなら親を捨てたい!」と思い悩んでいる方が藁にもすがる思いで本書を読んだら、おそらく拍子抜けされることと思います。

ここに共通するのは皆切実に、もっと具体的な方法を求めているところにある!
きっと島田さんは苦笑いしているのではないか? 週刊誌での島田さんの発言からもそれは覗える。

「『本当は介護しなくてもよい』『しなければならない絶対的な理由はない』と気づくだけでも、かなり精神的な負担から解放されるはずです」

正直なところここまでしか言えない。方法を聞いてからの人でなく……。
だって理想的な家族のかたちは、一技術や方法の末にあるものではないからである。
どういうこと?
やはりそれより先に「場づくり」が肝心なのだ。
例えば本書にも触れられている国が提言している介護の将来像
「住まい・医療・介護・生活支援が一体的に提供される地域包括システムの実現」もその一つであろう。
しかしそうした今誰もが切実に求めるシステムに命がかよいホントに活用されるには、どうしても質的な「飛躍と転換」が自分ら一人ひとりの基本になってくるのだ!?
それでこそ「我が田へ水を導き入れて増収しようとする人を、百里先の水源地工事に誘おうという」(山岸巳代蔵)皆と共にやる具体的な方法を実行できる人にまずなることでもあるからだ。

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わが一体の家族考(19)

無停頓の律動(リズム)

さきの「万象悉く流れ、移り行く」の一節を今少し吟味してみる。
ずっと、時間の流れとともに「今、ここ」は現象として次々と流れ消え去っていくものだと思いなしていた。
これって、先述の千石イエスのコトバ
「あなた方はね、生きてないんじゃがね、死んどるんじゃがね」(わが一体の家族考15)
の言わんとするところと重なってくる。
「今、ここ」を生きていないのだから……。
以前皆で「老いることは幸せ」というテーマで研鑽したことがある。何で年老いて先にあるものがだんだん古くなっていくのに幸せと呼べるのだろう? 今一つ釈然としない。
それが一転して、万象に滔々と流れているものがあり、それが現象として刻一刻その姿を変えながら色鮮やかに映し出されているのが「今、ここ」なんだと感受されてくる。
「今、ここ」に万象をつらぬく「こころ」を観た思いがしたのである。

「私は私達の周囲を眺め、これはまた耳かきで飯を盛る行いを随分、飽かずに、飽きながらも、毎日・毎月・毎年・時々刻々の分秒を、営々として、生命の燃焼に費し続けていることに気付きます。
私は今日まで、一九〇一年八月からの五〇年余の日々を、蚕が桑の葉を食むが如くに、悲喜交々のうちに何と多くを食い込んできたことよ。果してこれで繭が造れたか、心を休め得る立派さを重ねつつありや。否未だ蚕食の貪をなお多く求めて、野垂れ死にの日に、腐身の寸斤にても重からんことを希うや。
振り返って感ずるものは、その計画性の一小部面のみにも、蚕虫に愧ずるものがあります。彼等は、すくなくとも、彼等の多くは、節をハッキリ行っている。得たものを積み、規則正しく脱皮を、そして吸収成長の期と、整理と、後の世への生命の繁栄を、画然と区分けしています。そして絹とその他のものを残しますが、人間は何時の間に何を為したか、何時まで何を何しているのか、分からないうちにハートが休みます」(獣性より真の人間性へ2)

森羅万象は、その時その場で最高に活かされ、それ自体が歓びで、足跡を消して消え去っていくようだ。
しかしよくよく見ると、そうした流れ消え去っていくなかにくり返される「節をハッキリ行って」いく「前進一路・無停頓の律動(リズム)」こそが、現実(=事実)そのものの世界であることが知られてくる!

あの「サケの母川回帰」。
故郷の浅瀬の清い川で生まれたサケは、アラスカ湾の方まで回遊して「吸収成長の期」を過ごし、再び自分の生まれた故郷の川に帰って卵を産み、精子を恍惚と放精して「後の世への生命の繁栄」をたくす。そしてその瞬間から、死が始まり48時間ぐらいで白骨になってしまう。
サケの一生

「見事な生きざま、死にざまだなあ」。おのれの生の営みを全うしたそれはそれは穏やかな心境を観る思いがする。

いや、人間だって同じはず。
例えば子育て一つみても、忙しくとも、労れても、自分の生命を削ってでも育てるのは、契約や義務等でやれるような上ついたものでないからであろう。
そんな姿からサケの場合は「生の営みを全うしたそれはそれは穏やかな心境」が浮かび上がってくるように、人間ならではの「前進一路・無停頓の律動(リズム)」に由来する「こころ」に突き動かされての滲み出る情感のようなものが浮かび上がってくるようだ。

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わが一体の家族考(18)

「万象悉く流れ、移り行く」

それにしても彷彿と浮かぶあの恥ずかしそうな笑顔から一瞬のうちによみがえり、こみ上げてくる心の琴線に触れるものの正体は、いったい何なんだろうか?
そんなくり返しくり返し自ずと湧いてくる温かなものの心触りの感触を確かめていると、これだけはゆずれないといった確信めいたものがふくらんできた。

それは、もし心の琴線に触れ何かほのぼのとした温かいものに癒やされ、いいようのない感情がこみ上げてくる中で「ヤマギシズム」が立ちあらわれて来なかったら、自分は「ヤマギシズム」を見捨てる、といったのっぴきならぬ一つの考えだった。

するとそんなある日、さきの例えば「ヤマギシズム七不思議」の一つ
○「万象悉く流れ、移り行く」
に込められた“流れ”に例えられるものが、身近な自分の実感をともなって、一つの共鳴・共感する生命を感じさせるものとして目に映ってきたのだ! しかもそれが万象悉くに満ち溢れている!
流れているものの実態にじかに触れた感がしたのである!

それまではかの『平家物語』が説くように
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」
という一節から、諸行無常のうら寂しさ、はかなく消え去り流れ去っていく、ものの哀れを詠嘆しているとばかり思い込んでいた。

それがナント真逆に、温かい計り知れない豊かなものが滔々と流れる「今、ここ」として感受されてきたのだ。
そんな固定観念、観念のトリコから解放された歓びを以前次のように記したことがある。

しかし年表などに見られるように、鶏舎や簡易宿舎などが建設されて「さあ、これからだ」という矢先の山岸会事件、山岸巳代蔵の死、手元不如意、なかでも先の見通しが描けないことの不安な気持ちなど、謂わば理想と現実との矛盾に直面する日々のそれははじまりでもありました。
ある意味では、悪条件に耐え得る人生のあり方を身をもって体得してきたといえるかもしれません。
また一面、ヤマギシならではの提案と調正、部屋替え、半年に一度の自動解任、交流、子供楽園村や祭りなどを通して毎日の暮らしそのものから、お菓子や酒瓶を真ん中に置いて皆が喜んで子供に食べさして嬉しい、年寄りに飲まして嬉しいまるでおとぎの国のような状態を醸しだしてきました。
山岸会が発足してすぐの山岸巳代蔵の著作『獣性より真の人間性へ』は「万象悉く流れ、移り行く」という一節からはじまります。
これは栄枯盛衰のはかなさやむなしさを表現したものでしょうか。
いや、それは逆で自然界の風物はもちろん人間の身心、思い考え方もまたじつは前進一路・無停頓の律動に乗って変華・進華する自然全人一体の姿を言いあてた表現ではなかろうかと推察するものです。(『春日山50年の歩み』 平成二十(2008)年秋)

○琴線に触れるものがある
○今、ここの豊かさ
○誰の心にもある真実
○「その人の心になる」の心……
といったキーワードと自らの実感とが重なり合い呼応し合いしだいに醸成されていくものがあった。

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わが一体の家族考(17)

「ヤマギシズム七不思議」

その当時から自分勝手に「ヤマギシズム七不思議」と名づける気になることばの一節を呪文のように唱えていた。
それらはヤマギシズム理念の提案者、山岸巳代蔵の著書や発言にあるもので、強く心を惹きつけられながらも今ひとつ腑に落ちないでいることばだ。
ある意味謎のようなことばでもあり、自分自身を今日まで釘付けにしている不思議なことばだ。
その真意を一日も早く解り合いたい欲求が、実のところ自分自身の生きる源にもなっているかのようだ。
例えば、前後の文脈を切り離して並べてみると次のようなことばになるだろうか。

○「万象悉(ことごと)く流れ、移り行く」
○「死は生だ」
○「繋がりを知る精神」
○「真実は立て替え」
○「死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします」
○「男は男として生き、女は女に適した生き方こそ、幸福な人生です」
○「私はあなた、あなたは私」
○「無停頓の律動」
○「本物を本当にのせておかないと、本物にならない」
○その他

ことわざに現実的な意味や価値のない絵空事のことを「絵に描いた餅」という。また言うばかりで実行の伴わないことを「口頭禅」ともいう。
「云う人はあっても、行なう人は稀で、云う人が如何に多くても、行なえる人が多くならねば、画餅・口頭禅に終ります」
だとしたら、画餅・口頭禅に終らない「行なう人」とは誰のことか? 
自分らがやりたいのは、理念と自分との間に橋を架けることだ。
一つの理念を紋切り型に唱えているだけでは、すぐにメッキがはがれ、自己欺瞞に陥る。これこそ自分らがかつて2000年前後に内外からのバッシングにさらされた際に刻み込んだ教訓だ。

では理念と自分との間にどんな橋を架けるのか?
今までの自分と理念との間では自己欺瞞に陥るだけだ。しかし自分らがやりたいのは、理念と自分との間に橋を架けることだ。
「これが問題の条件である。ここがロドスだ、ここで跳べ!」(『資本論』)

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わが一体の家族考(16)

自分がヤマギシズムになる!?

またそんな頃、自分の琴線に触れるような名状しがたい温かいものに時に癒やされつつ、当時自分の心をとらえて離さない一つの想念があった。
それは今までのヤマギシ会の運動は消え去ったとう喪失感と共に、これからは何をどのように考えても勝手だという思いの中でふと浮かんだ「自分がヤマギシズムになる」という無謀な考えだった。
むろん「そんな馬鹿な」と即座に打ち消すのだが、なぜか何度もしつこく湧いてくる想念だった。
先が全く描けない失意の底にあって、「無所有」とか「無我執」とか「一体」といううかがい知ることのできない理念と今のみじめな自分とが融け合うなんて絶対にあり得ないことだった。

でも確か千石さんは、イエスを真似するというか生活することで実感されていくものがあると言っていたなあ。「イエスの生活を真似する」って、どんなことなんだろう?
ふと、以前研鑽した「実顕地用養鶏法研鑽会資料」の一節が浮かんできた。

「その人の言う通りやろうとすることはその人になることでその人の心になることで方法のみを真似するわけではない。
一体になろうとするもので一体とは無我執である。
その通りやれるかやれないかはわからないけれど、信じないで言う人の気持ちになってやってみようとするもので、そこに考える人とやる人の一体の成果が即ち本養鶏法が顕現される。
間違いなく完璧だからその成果を期待してやるものでなく、趣旨やあり方や仕組みに賛成して養鶏する目的や経営安定度の可能性にかけるもので間違いなからんとして間違い多い過渡期も責め合いなく一体で励み向上さしていくものである。
それはヤマギシズム社会のあり方であり、そこに住む人の心情でもある」

そうなのだ。「その人の心になること」なのだ!?
じゃあ、その人の心って何?、自分ではない他人の心になぜなれるのか?、と次々と疑問が深まるばかりなのだけれども、一方でなぜか難問を解いていく糸口が見出されていくような予感もした。

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「と」に立つ実践哲叢(15)

間違っているかもしれない

しかも本書『サイロ・エフェクト』の真骨頂は、サイロに陥らないための教訓を垂れるだけで終わらないところにある。
先に「私自身がこれまでの人生で経験してきた、さまざまな『サイロ破壊の旅』の産物」と語るように、かつて筆者自身がタジキスタンの小さな村に三年暮らし、そこで常識観念がひっくり返る世界を味わっているからだ。
それはフランスの人類学者兼社会学者であるピエール・ブルデューの研究成果を援用して「人類学はサイロをあぶり出す」という一章を割いているところにみられる。
こんな挿話が本書にも紹介されている。

農家の息子として生まれ育ち久しぶりに故郷のクリスマスのダンスホールで、学者になりたての頃ブルデューが見た光景があった。
ホールに集まった人たちは、どういうわけか自分たちを二つの陣営、踊る者と踊らない者に分類していた。なぜそんな区別が生じるのか、その手がかりをブルデューは数日前に、かつての級友から聞いていた。踊らない者を「結婚できないやつら」と呼んでいた。強制力のあるルールも踊りの輪に飛び込むことを禁じる法律もないのに、なぜさっさと踊りの輪に加わらなかったのか、また女性達は男性の半分を無視していることに気づかなかったのか。

そもそも人はなぜ、環境から受け継いだ分類法をそのまま受け入れるのか。村のダンスホールの踊らない者に象徴される「社会的沈黙」によって隠されていた部分に光が当てられていく。そして人は必ずしも自らが受け継いだメンタルマップに囚われる必要がないというのが、ブルデューの知的探究心の出発点でもあった。
自分が日々、無意識のうちに身のまわりの世界をどのように区切っているのか、思いをめぐらしてみる。これこそ「インサイダー兼アウトサイダー」の「自分の考えが間違っているかもしれない」とする視点なのだ。

そういえば自分らも「インサイダー兼アウトサイダー」の全体的視点に立つ独自の価値観に基づくヤマギシ文化を刻んできて半世紀を超える。しかしここ十年は、まさに「サイロ破壊の日々」である。たんに「囚われない」「キメつけない」といった主観を捨てての一言で済まされないものに日々直面するからだ。
サイロ・エフェクトは既成の価値観を固定して疑わない社会の人々はもちろん、理想社会を志向する自分らも等しく陥る罠ではないのか!? 衝撃だった。

そもそも「ヤマギシズム実顕地」とは、垣根や壁や囲いなど隔てるもののない理念に基づいて編み出された完全専門分業での生活様式の一つである。その意味では、サイロの引き起こす「愚行」あるいは視野の狭まりを防ぐ手立てはすでに用意されていて、解決済みの案件なのだ!
それが何時しか「これが良いこと・正しいからやる」ことに反転していく!? だったらやらない方がマシ。何で、何でそこでまたひっくり返さなければならないのだろうか。

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わが一体の家族考(15)

千石イエスのコトバ

そのようなある日、かつて1980年に世間から中傷と非難を浴びた、いわゆるイエスの方舟事件の当事者、千石イエスこと千石剛賢さんの発言に自分の心が鷲づかみにされた。
千石イエス

若き日、千石さんに聖書の指導をしてくれていた「聖書研究会」の主宰者がある時投げ出すように言うた言葉があった。
「あなた方はね、生きてないんじゃがね、死んどるんじゃがね」
「先生、それはむちゃくちゃや。死んどるんじゃがねって、そんなに気安く言われたら困る。わし、まだ仏さんになっとらへんがな、さっき飯食ってきたとこや」
と納得がいかないので食い下がった。
結局この言葉に引っかかって、どこぞで詳しい説明あるのかいな、と聖書に入り、
「その人の言うとおりや、俺、やっぱり死んでんだ」と五十年近くその一つだけでやってきたという。

例えば聖書に「汝の隣人を汝自身の如く愛すべし」とある。
だからその言葉だけを聞いてやりすごさないで、しっかり真意をつかもうとするなら生活の端々にまでそれをやらなあかんと、トイレも風呂も一つでいいとするような自分というのをぶっ壊すための生活様式を通して「他人のない生活」を仲間達とやってきたという。
なんだか自分らの過ぎし日の実顕地生活と重ねながら、次のような文言にも目がひらかれた。

「人間という存在の現実は男と女です」
「真の家族の原点は、男が女を一体として愛するという愛の行為にある」
「夫と妻の素晴らしさは、一体の人格を発見するところにある」
「男の伝えることを受けとめる人格が女。男は女を愛し、女はその愛を受けとめる」
「男にとって女は自分」
「他者の中に自己を見る」
「自分だけ幸せになろうとすると、絶対になれない仕掛けがしてある」
「信ずる、信じない、ゴチャゴチャ言ってないで、まずイエスの生活を真似するんです。そうすれば、古き自分というものがどんどんなくなっていきます」
「現実があって、それを人間が思い込むようになったんじゃないんです。思い込んでしもたばっかりにね、現実化してしもた」
「ほんとに実感せねばだめだ」
「楽して、ええめにあうこっちゃ」
「こういう生活を経験させられると、立て前的な人間関係、幻想的な親と子の関係、兄弟姉妹の関係、そういう家庭というか家族の交わりというか、そういうものが完全に二の次になっちゃうんですね」
「イエスを信じるということは、当然、これは観念的に受けとめるということではないはずです。イエスを当然、自己の存在の実感として受け入れないかんことになるんです。ということは、イエスを真似するというか生活せねばならないはずです。当然、行為がいるんです」

そうか、そうかもしれないなあと、我がことのように千石さんのものやわらかい関西弁のコトバが飛び込んできた。
今何に焦点を絞って考えたらよいかのヒントを得た思いがして、目の前が明るくなった。

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わが一体の家族考(14)

普遍に繋がる道筋へ

ふと気づくと、いつも自分はその光景の中にいた。
そこはあたかも例えば『白痴』(ドストエフスキー)での無垢の心の持ち主であるムイシュキン公爵に不意に現れでるなじみの場所であり、「そのまま千年だって過ごすことが」できる原風景ともいうべきものであった。

「時おり彼は、どこかへ行ってしまいたい、ここからすっかり姿を消してしまいたいという気持ちに駆られた。ただ自分の思いだけを抱いて一人きりになり、誰にも自分の居場所を知られたくないような場所に行けるなら、たとえそれが物寂しい、砂漠のような場所でも大歓迎という気持だった。(略)
時おり、彼の脳裏に山々の姿が浮かび、そしてその山中の、まさになじみのある地点のことが浮かんだ。それは彼がいつも好んで思い出す地点であり、まだスイスに住んでいた頃、好んでそこまで散歩に行っては、その地点から眼下の村を、下のほうにわずかにほの見える真っ白な滝の白糸を、白い雲を、打ち捨てられた古い城を、眺めたものであった。ああ、いま彼があの場所にいて、そしてひとつのことだけを考えていられたら、どんなにかいいことだろう。そう、一生そのことばかりを考え続けて、そのまま千年だって過ごすことができただろう!」(望月哲男 訳)

まるで自分の心境がそのまま映し出されているかのようでビックリした。
ある普遍に繋がる道筋へのかすかな明かりを見いだしたかった。いろんな書を読みながら、自分を奮い立たせる一節に遭遇しては快哉を叫んだ。
マイナーであまりにも個人的・主観的な実感や人生体験の一コマにすぎないものかも知れない。それをただの通りすがりの体験にしないで、他の人々にも響いていくような次元にまで煮詰めていきたかった。
そうした行きつ戻りつの試みの日々が続いた。

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わが一体の家族考(13)

『ある愛の詩』

先に紹介した宗教学者の島田裕巳さんのコラム記事にあるように、2000年前後自分らは内外からのバッシングにさらされた。

「ところが、急激な拡大はひずみも生む。ヤマギシ会の共同体のなかで、子どもに対する体罰が行われているなどとして日弁連などによる調査が行われ、その事実が明らかになることで、ヤマギシ会は社会から激しいバッシングを受けることとなった。それは、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こってから、それほど経っていない段階でのことで、ヤマギシ会はオウム真理教と同様に危険なカルトであると見なされたことも大きかった。
国税局による税務調査で申告漏れが指摘されたり、脱会者が次々と告発本を出したことも大きく影響した。それによって、ヤマギシ会は大打撃を受け、生産している食品が売れなくなるという事態に直面した」

これはまさしく吉本さんが以前から懸念されていた事態でもあった。
「おやっ、これはいかんぜ。ヤマギシ会は社会に対して閉じている。もっと開かないと……」

茫然自失とした状態が続いた。この先のイズム運動が全く描けなくなってほとほと困った。しかも誰に相談しようにも、見回したら誰もいないような状況に気づいて唖然とした。
そうした不安な気持ちが続く中で、ふと気づいたらいつもよみがえるひとつの光景があった。
それはヤマギシ会に参画して直後の出来事で、数年後に手記としても書きとめていた光景だった。

「朝寝坊の得意なぼくは、時として朝一番の水やりやエサ見を怠った。そんな時は必ず奥さんが代ってやってくれていた。
そして遅れてやってきたぼくの顔を見て恥しそうに、『フフフッ』と微笑むだけだ。ちっとも非難がましいことは言ってくれない。
これはかなりぼくの胸にひびいたことの一つだ。休憩時のおやつ作りの時もそうだ。どうしてあんなに素早く用意できるのか、ぼくたち若い飼育係にとっては毎日驚異のマトであった。自分が作って自分で食べるよりも、みんなが『おいしい、おいしい』と言って食べるのを眺めているさまが、その場での奥さんにとっては最も似つかわしかった。
山岸会とはアナキズムの流れを汲むものではないか、などと当時つまらぬことばかり考え、そうした複合観念に悩まされていたぼくの心に、Yさん夫妻のそうした笑顔や立居振舞はものすごく新鮮なものとして飛び込んできた」(『ある愛の詩』1977年1月)

自分は厳しい現実から逃げようとしているのだろうか? いや、そうではあるまい。
そこに触れた時の、何かほのぼのとした温かいものに癒やされ、ある温かい感情が流れ、何だか元気が湧いてくる中にこそ何か大切なものが秘められているように感じられたからだ。
だとしたら、こうした琴線に触れるような体験の先に自分らの「ヤマギシズム」が立ちあらわれてくるならばどんなにか素晴らしいことだろうか、とあまりに虫がよすぎることを空想し始めた。

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わが一体の家族考(12)

吉本隆明さんの本気

昨年7月、哲学者の鶴見俊輔(1922―2015)さんが亡くなられたが、ある雑誌(『すばる』2015年10月号)で社会学者の見田宗介さんが次のように語っておられた。

「鶴見俊輔と吉本隆明(引用者注:1924―2012)というのは、戦後日本のもっとも独創的な骨格の大きい二人の思想家であったと思っています。しかし、吉本隆明は『殺す』思想家であって、鶴見俊輔は『生かす』思想家であるという具合に、二人は非常に対照的です」

識者の中でも、鶴見俊輔、吉本隆明、そして見田宗介さんはもっともヤマギシ会の運動に深い関わりがある人だ。
たしかに鶴見俊輔さんからは、ヤマギシ会運動の可能性や良い面ばかりを一貫して引き出して貰った。反面吉本隆明さんは晩年に至るまで面白いほどボロッカスだった。
どちらも自分らには有り難かった。
あ-、「生かす」も「殺す」も一つからの一面のことなんだなあと、二人の言動から深く感得されたからだ。

吉本さんの舌鋒は鋭くいつだって、一切の手抜きがなく大真面目だった。例えば―

その「一体」というところでかんがえていちばん問題なのは、男女の結びつきの次元というのが共同体の次元と同一化してしまうことです。そこがものすごくきついんじゃないでしょうか。
かりにそういう男女がいるとすると、かれらは絶えず共同体の水準におかれようとする力を「一体」という観念から受けているから、男女のあいだに、ささやきとか、声にしなくてもわかるとか、そういう意味の微妙さがなくなっちゃうんじゃないでしょうか。ふたりでいるんだけれども、絶えず脅かされているといいますか、全部公開されているみたいな、そういう心理状態に絶えずさらされていることになる。
もし人間の性愛のなかに、色とか、味とか、匂いとかの比喩でいうべき問題があるとすれば、それが全部、無味・無臭・無色というふうになってしまうような気がするんです。ほんとにそうなることはたぶんありえないから、絶えず解体にさらされるか、または、もし男女の結びつきがひじょうに親密になってくれば、共同体から出ちゃうという衝動をいつでも感じざるをえないみたいな、なにかそういうところでいちばん矛盾にさらされるような気がするんです。(吉本隆明『対幻想 n個の性をめぐって』1985.1春秋社)

ヤマギシ会が「無所有一体」を掲げ、私有財産はないほうがいいみたいなことをいいたいのは、ヤマギシ会が宗教的だからです。(中略)
でも、この資本主義社会の中で、「無所有一体」のユートピアを築こうとすると、資本主義社会と接触する境界線で必ず矛盾が生じます。一つは経済問題です。(中略)
それと、もう一つ、解決できない問題は教育問題です。(中略)
子供たちの中には、「外の社会の大学にいってみたい」という異端児が必ずいるはずです。それなのに、「そんなことをいう子供はいない」といい切るというのは、大人達が自分たちのイデオロギーを子供たちに押しつけているということです。こうしたことを、どう調整していくのか。(中略)
これは、原理的、理論的に明らかです。つまり、わざわざ体験しなくても、最初からわかることなのです。(『超「20世紀論』下巻 2000.9株式会社アスキー)

「自由かつ平等な社会」を実現しようという試みの中で、世界史的規模の失敗例をあげるならば、僕の可視的範囲の中では、それはロシア革命であるということになります。
もっと小さい範囲での試みとしてはヤマギシ会などもありますが、こうした試みは失敗例に事欠きませんね。そして、なぜ失敗したかを検討・分析する中に、どうしたら「自由かつ平等な社会」が実現できるかというカギが隠されています。だからこそ、ユートピア社会を実現しようとしたこれまでの実践例は検討に値する、分析に値する、ということになるんです。(『超「戦争論』下巻 2002.11株式会社アスキー・コミュニケーションズ)

率直にいって現在の疑似ユートピア(引用者注:山岸会的な管理制度)を超える方法は皆無ではないかという絶望感に襲われる。しかしこの絶望感、言い換えれば科学のもつ中立性こそは、また大きな利点であることが見出される。
それは絶望の希望ともいうべきものだ。たった一つの希望とは、繰り返しになるが次のような原則だ。
「すべての管理システムをもっている国家、社会、部分社会は管理される者の利害、健康、自由を最優先すること。これに反する管理システムは破棄されるか、または修正されること」(『中学生のための社会科』2005.3市井文学)

目が覚める思いがした。そして自分らも真剣に真面目に「ヤマギシズム」をやってみることで、吉本さんの思想を超えていきたい思いに駆り立てられた。

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「九龍城砦」

かつて香港に「九龍城砦」と呼ばれる十階から十四、五階建ての約500棟にものぼるビルの集合体があった。
大小のビルは建物を建てる際に杭打ちをしないから、外壁をくっつき合い寄り合うことでバランスを保っていた。しかも廊下同士が空中でつながっているために、立体迷路を形づくっていた。1970年代後半には、最盛期五万人が約100×200メートルの敷地の中に暮らしていたという。
九龍城砦

歴史的には、そこはアヘン戦争後の清・英両政府の間に結ばれた南京条約によって香港島が英国に割譲されると、清朝は1847年、戦略拠点として対岸のこの地を本格的に城砦化した。
その後、イギリスの植民地だった香港の中で「九龍城砦」は中国の飛び地ながら清国の管轄権が及ぶとされて、名実ともに中国・英国両政府も手をつけられない治外法権の空間が生まれた。
1949年中華人民共和国が成立すると、香港には多くの難民が流入した。
以後そこは、税金、法律等々の行政権が及ばない「無法地帯」として「悪の巣窟」「伝説のスラム街」「東洋の魔窟」などの異名を持つようになった。そこはまた1990年代前半に取り壊されるまで、職場と住まいと地域が渾然一体となっての、子供が産まれ、育ち、家族が増えていく人々のリアルなまでの生活の場所でもあった。

なぜか妙にそんな高密度に凝縮された特異なコミュニティに惹かれる自分がいる。
夜眠れない時など、そこの一室に住む自分自身をさまざまに空想しては楽しんでいる。
だから何時かその地を訪れてみたいとひそかに願望していた。
それが今回なんと実現した!

今は「九龍寨城(きゅうりゅうさいじょう)公園」に生まれ変わり、一角に「九龍城砦」の暮らしぶりを紹介する展覧館や模型が設けられていた。
九龍寨城公園
九龍寨城模型


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わが一体の家族考(11)

個人と集団との関係

1960年代末の全共闘運動が高揚期にさしかかっていた頃、都内のある公民館で吉本隆明さんの講演会があり、その後の質疑応答で当時自分にとって一番切実に感じられていた課題を直接吉本さんにぶつけてみたことがあった。

自分 権力というものがあって、それに抵抗していく場合、それ以前にまず、自分自身の内面において、現実上の上昇志向とか出世欲とか金銭欲とかの気持ちを棄てることが第一に問われるのではないか。
吉本 そうではないだろう。それは内面律の問題として僕自身の中に、君自身の中に固有にあるもので、それだけのことだ。
そういうことを極限化すれば、必ず宗教的な幻想を生み出し自己矛盾を生むはずだ。
自分 そうでしょうか。つまり行動へ向かう動機は何でもいいということですか。
吉本 君は権力闘争の過程で実際に陰惨なことをくり返している人を、全く別人種のように考えているが、そんなことはない。一人の個人として会えば、きっと大変礼儀正しく理性的な感じを受けるにちがいない。
なぜなら、どんな組織でも集団でも、その集団がある一つの目的意識、それも厳しい原理としてもっていればいるほど、その中の個人というのは知識や理性を超えて思いがけなくちがった面を引き出されてしまうからだ。
自分 たしかに世間では鬼のようにいわれる冷血漢でも、家庭では良き夫であったり、やさしい父として心中に涙することもありますが……。
それでは、一個人が非常に自由に振る舞っても、全然他の人に迷惑をかけない集団(社会)は不可能だということですか。
吉本 人間は他の人を自分として感ずることができる、そうした人間の社会的存在の理想から、新しい人間社会は始まるだろうとは考えられる。
しかしそこへ一挙に行けるというのは短絡的だ。むしろ、個人と集団は逆な関係に何時もあるということを自覚することが先ではないかと思う。
そうすれば最低、現実上の関係から促されて形成された内面律でもって、他人を侵す行動をチェックできるのではないか。
俺はブルジョワ的でありたいと、それに対して、お前間違っているなんて言う必要がない、自分はそうしなけりゃいいんで。
自分 そうでしょうか。やっぱり、どんな過度期においても個人を制約・規律・規範ナシで、全社会のためにもなる個人の生き方、あり方があると思うし、必ず生み出せると確信するが……。

再構成してみると、以上のような問答になるだろうか。
とまれ一介の学生の問いかけを適当に軽く逸らすわけでもなく、真っ向から迫ってくるその迫力に圧倒される思いだった。
吉本さんが言われたのは、あらゆる現状を良くしようとする運動体や正しさにおいて誰もが認めるような理念を掲げて具体的に関わろうとする際に、本来社会や制度の問題に属する事柄も混同し間違って、自分の内面に「倫理」感情として受けとめてしまうが故に、他を責め裁く自己矛盾に必然陥ってしまう課題についてだった。
それから一年ぐらいして自分はヤマギシ会に参画するのだが、もう半世紀近くこの課題からはなれられないでいる。

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わが一体の家族考(10)

落とし穴にはまり込む

先述したように、今のうちに対照区を造ってそのあとを引受けようとしているこの種の運動に携わるものの宿命だろうか、予想だにしなかった落とし穴にはまってしまいがちなのだ。
どんな落とし穴なのか?

例えば先の「共同と一体の異い」研鑽を通して発見にも似た驚きの世界観から、真の人間性とそれに即した社会のあり方の縮図が描かれてくる。
そして自ずと現実の個々人主義の醜悪社会を超えようとする意欲が湧いてくる。
そこから実顕地づくりの第一歩が始まる。
すると同時にそこから「共同」でなく「一体」理念に合うとされる「立ち振る舞い」を良いとする価値観が発生してくる。当然だ!
なぜならそれこそが「一般社会に囲まれたユートピア=実顕地(理想社会づくり)」が成り立つ根拠と考えられるからである。
しかしその根拠の成り立つ
「自分たちは良いことをやっているんだ」
「自分たちは少しでも良い社会をつくりたいと心から願っているのだ」
と固く固執することで、そうした理念実態に即応しようとする熱い意欲が湧いてくる場所はなぜか一転していわゆる自分の内なる観念を信じる「盲信」が発生してくる場所にも転化するのだ?

自らをその場に置いてみると、他を責め裁き導こうとする自己欺瞞的な重苦しい体験がよみがえってくる。
「いったい彼(彼女)は全人幸福という革命運動の場を何と心得ているのか?」
「あそこの奥さんは何時もパーマかけている。美容院にいく金どこから入るのだろう?」
「あそこは何時も砂糖をもらいに来る。そんなにたくさん何するのかいな?」
「あの人は夕方五時にはもう風呂に入っている。仕事をサボっているようだ」
普通の一般家庭だったら、ありふれた隣近所の井戸端話ですむところが、同じ目標で集まった思想集団であるから始末が悪い。
まあボチボチと悠長に構えては居られない「ねばならない」「そうすべき」「そうあるべき」という切迫感にかられる。どうしても余分な力が入ってしまうのだ。そしてその果てに……。

この時自分らはどんな落とし穴にはまり込んでいるのだろうか?
現実社会を少しでもより良くしたいと願うがゆえに、革命的な理念を立てることで自ずとはまり込む落とし穴がある!?
だとしたらその落とし穴を今少し覗いてみようではないか。

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「と」に立つ実践哲叢(14)

『サイロ・エフェクト』の衝撃

先日新聞の広告欄で、英国の経済紙の記者・ジリアン・テッド著『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』(文藝春秋刊)を知った。サイロって、北海道の酪農地帯に点在するタワー型の穀物サイロのこと? エフェクトは効果とか結果という意味。これって、本稿で今連載中の「専業の人より分業の人へ」の内容と重なるなぁとピンときた。
一読して、まさに自分らのことだと思いあたることばかり!?

今の社会的欠陥の最大なる共通原因がうきぼりにされていく。世界中の個人や組織が直面しているこの難問解決に、この間自分らが取り組んできた実践例をもって即座に打つべき手を提案できることに気づかされる。

現代社会が高度情報化で単一のシステムとして結びつきを強める一方、高度に複雑に細分化、孤立化した社会に対応するためには、一人ひとりが精神的・肉体的に自分に向いた自力を他に依存しないでつけていかざるを得ない。すると誰でもそこだけちぐはぐに発達した専門力が自ずとついてくる。

養鶏に例えるならば、何十年も養鶏に専念していると、そこから影響されるもので体力・知力・実績もついてきて、しかもなぜか自信もついて威張りたくなる。自他共に認める「養鶏の人間」誕生である。いつしか養鶏の立場や実績からモノを考え判断するようになる。養鶏は人生の目的でなく手段だ。人間生活全体のほんの一部にすぎない。それなのに養鶏のみが目的となる縦割りされた小さな狭いサイロの生き方に染まってしまう。
その結果新しい変化に対応できない逆説が「サイロ・エフェクト」なのだ。

どのエピソードもみな身につまされる。
各部門の独立採算と責任制を強調するあまり、先ずその部門が成り立つことを優先して考えねばならず、その結果部門間の交流や協力が絶たれ、今やアップルのiPodが一世を風靡した「ウォークマン」に入れ替わった「ソニーのたこつぼ」の事例。
あの保守的な石橋を叩いて渡るスイスの巨大銀行USBが、2008年のサブプライム危機でゴミ屑同然となったサブプライムローンをごっそり抱えて破綻寸前に追い込まれた事例。リスク担当者も細分化されていてグループ間の交流もなく、情報交換もなかった。しかも肝心のリスクの高低の分類システムがまるで逆さまだった!

もはや会社全体の立場から又他部門の関連の立場から、ものを見る観方・考え方が通用しなくなっていた。
経営トップも経済学者たちも間違えた。専門家ですら、いやむしろ専門家ほど自らをとりまく世界を堅牢なサイロによって秩序づけるあまり、みな同じサイロの中にいた!

筆者は「本書は私自身がこれまでの人生で経験してきた、さまざまな『サイロ破壊の旅』の産物」だという。言い得て妙だ。筆者自身の生き方として、こうしたサイロの弊害や呪縛から逃れる具体案を探る姿勢に、他人事ではない親しみを感じた。     (続く)

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わが一体の家族考(9)

共同と一体の異い

実顕地発足以来今日まで綿々と続けられている研鑽に、「共同と一体の異い」研鑽がある。
ここでいう共同とは、作業手段としての協業体や、経営合理化目標の協同経営、生活手段としての協同生活など、自己の経営や生活を良くするための共同利用や協力などをいう。
そして研鑽が深まるにつれ自ずと、「共同」と「一体」とはハッキリ異うという発見にも似た驚きが自分らの世界観を一変させる!
どうも「共同」とは、従来からの常識観念の延長に生活の知恵とでもいうか、御都合主義でわれよからんことが基本に「そうならなかったら」との条件がどこまでもついてくる世界だ。
これでは必ずその中での利害関係で、あるいは人間関係で崩壊すること必至である。心のこもらない力の協力では協力にならず、成り立つはずがない。

自由・平等は、人間社会を組織する原則として間違いないとするものだ。
しかし従来の「共同」観からでは、個々別々の自由というか勝手なふるまいが重なり・侵し合うところでの矛盾が生じる似而非(えせ)自由や或る人々に得られ、他の人に同じ機会を得られない優劣といった差別が生じる不平等をどうしても解消できない。
お隣の豪邸を誰もオカシイと感じない。自由競争の当然の報いだと信じて疑わない。

ここに社会に生きる人間の生き方として、本当を追求する哲学をベースにした自分らの描く「実顕地生活」という理想社会づくりの存在意義が見いだせるだろうか。
かといって、誰もが同じ大きさの家に住み、同じ衣服をまとい、同じ物を同じ量食べて、同じ作業をし、又は同一の考え方を押し付けたりする悪平等を押しつけられる社会ではたまったもんじゃない。
だとしたら、何が「無味乾燥・器物の世界に等しく、潤いのない造花の社会」を超える基本となるのだろうか?
「共同と一体の異い」研鑽が今日も続けられているゆえんだ。
なんとなれば自分ら実顕地構成員自身に、形のみ作っても考え方や心のあり方が正されない限り、単なる共同体と何ら異なるところがないテーマとして迫ってくるからだ。

今の社会は逆方向へ猛進しているから、いつか、行詰まりは必至だ。その極限手前で自壊するから、今のうちに対照区を造ってそのあとを引受けようとしているのだが……。
ここでの対象区とは、現状を踏まえての部分的な改良にとどまらない、新しい社会形態を意味する。しかもそれは未知のものである!
理想社会づくりとは、人づくり、生活の物づくり、運営のための機構づくりをいう。しかも今すぐには役立たないような水田にも適さない場所、今の社会には役立たんような「変わり者」によって始まる。未利用資源開発からの前進無固定の文字通りの創造生活というわけだ。
自分には気づかれないもの、経験外の、知識外のものがある。他をアテにしないで、そこから見いだされた知恵から始まっていく。
今はっきりこれだといえない何かがある。そこに向かっていく。はっきりとわからないが明るい。こんな頼りない感じかなあ。

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わが一体の家族考(8)

理想のイメージの中身

ちなみに自分らの 「一般社会に囲まれたユートピア=実顕地(理想社会づくり)」は次のように描かれるだろうか。
実顕地は、その地域の中での小社会を形成して、ヤマギシズムの方向に任意、運営される。
今の社会と遊離するように思う人もあるかもしれないが、そこに囲いが生じるならば、それはイズムの実顕地ではない。
事業面は現法下での法人組織とし、現法制に即しながらヤマギシズム生活を営み、税金を含む社会義務にはそれぞれ協力し、親戚、近所つき合いや、官公庁、その他いずれとの交際や義務行為も心から行う。
現社会の恩恵を受けて生きている関連をよく知って協調しながら、理想社会に発展させていこうとするものだ。
要は「相手が間違っていても、正しく生きるということは自分にできることだ」として、それぞれの持ち場持ち場で自分を活かすことを楽しむ。
誰も傷つき侵されない。その人、その時の段階で無理なく、みんな深まって理想社会につながっていく。

とても口先の当たりがよく描かれている?

「今の社会と囲いがない? だとしたら、自分や自分らだけがよくなろうとする個々人主義の醜悪社会の延長にすぎないではないか? というか知らず知らずして今の社会に染まってしまうだけだ」
「そうなのだ。形のみつくっても考え方が正されない限り、たんなる共同生活体と何ら異なるところがないよ」
「いや、今の時代のレベルに合わして、一般に融け込んでいった方がかえって早い。研鑽と言わずに研究と言い、山岸会の名も使わない方がいい。
いつもいつも非常識で行き過ぎたり、踏み外して、人に迷惑ばっかりかける。自分らだけいい気になって、のぼせあがっていると、かえって世間の人は寄りつかなくなるからネ」
「趣旨はいいが、現実はなかなかそうはいきませんからネ」
こんなやり取りがくり返し続けられる。

ヤマギシズム実顕地は、現状そのままの状態で出発し、その後状勢の展開につれて、合理化し、内容を充実して、だんだんとイズムの実顕地らしい実顕地へ移行進化していくものだ。
とするならば、実顕地らしい実顕地へ移行進化していくいちばんの要素は何なのか?

そこそこの自由気ままに振る舞える一般社会の中で、なぜ理想を追い求めるような独自の道を進もうとするのか? 実顕地造成が始まった1960年代から今日まで綿々と続いている問いだ。
時流・大勢に逆らって、なぜ困難で徒労に終わるかも知れない試みに立ち向かうのだろうか。

自分らの 「一般社会に囲まれたユートピア=実顕地(理想社会づくり)」の理想形態のイメージの中身が問われてくるのだ。要はそこそこ気ままに振る舞える一般社会より魅力的でかつ人間ならではの欲望を満たす社会実態でなければならない。
「理念」と「現実」があって、そこでの自分らの実顕地づくりという「実践」はどのように位置づけられるものだろうか。

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わが一体の家族考(7)

わかりづらい箇所

ここで先述の、わが一体の家族考(3)での一節、
「こうした『愛和館』の暮らしを1980年代初めからやり始めたのだが、2000年代初頭に『週に一度ぐらいは各家庭でも食事ができるように、愛和館休館日を設けたい』といった提案が運営研鑚会で研鑽されたことがあった。
その当時、親がもっと子育てに係わった方が良いのではないかといった気運や『血縁での家族をもっとやりこみたい』という気持ちが台頭していた時期でもあった。(その背景については後述する) 」についてふれてみる。

このあたりの背景については、宗教学者の島田裕巳さんのコラム記事から一部を引用してみる。

ヤマギシ会は、日本で最大のコミューン、共同体であり、理想社会の実現をその組織の目的としてきた。創立は1953年のことで、ちょうど今年で60年になる。
私は、大学時代にヤマギシ会に関心をもち、宗教学のゼミでの調査をきっかけに、近づき、その運動に共鳴して、メンバーになったことがあった。今から40年近く前のことである。ヤマギシ会の共同体で生活していた期間は7カ月と短かったものの、その後も、ヤマギシ会を出てきた人間たちが中心になった、共同体つくりの運動に参加し、そのあいだはヤマギシ会ともかかわりをもった。
当時のヤマギシ会には、学生運動に参加した経験をもつ若い人間が多かった。ヤマギシ会は、1959年に「ヤマギシ会事件」を起こし、世間の注目を集めたが、それによって危険な団体とも見なされ、一時、運動は停滞した。ところが、学生運動崩れが多数参加することで、60年代の終わりから70年代のはじめにかけて、ユニークな運動体として注目を集めたのだった。
とくに、日本がバブル経済に突入した80年代半ばから、農業産業としてヤマギシ会は大きく発展し、その勢いはバブルが弾けても衰えなかった。もっとも拡大した1998年の時点では、全国に39箇所の「実顕地」と呼ばれる共同体をもち、メンバーの数は4400人にも達した。毎年5月には、生産した食品をただで来場者に食べさせる「春まつり(名称は年によって散財まつり、タダのまつりなどに変わった)」を行い、そこには10万人もの人が訪れた。
日本でも、農業の協同化の必要性が説かれ、それによって経済効率を高めていくことが不可欠だと言われてきたが、なかなかそれが実現しなかった。ヤマギシ会は、「無所有一体」という理念を掲げ、私的所有を否定して、メンバーに給与を与えない仕組みを作り上げることで、その課題に一つの答えを与えた。拡大の続いていた時代には、社会的に多くの注目を集め、マスメディアでもさかんに取り上げられた。
ところが、急激な拡大はひずみも生む。ヤマギシ会の共同体のなかで、子どもに対する体罰が行われているなどとして日弁連などによる調査が行われ、その事実が明らかになることで、ヤマギシ会は社会から激しいバッシングを受けることとなった。それは、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こってから、それほど経っていない段階でのことで、ヤマギシ会はオウム真理教と同様に危険なカルトであると見なされたことも大きかった。
国税局による税務調査で申告漏れが指摘されたり、脱会者が次々と告発本を出したことも大きく影響した。それによって、ヤマギシ会は大打撃を受け、生産している食品が売れなくなるという事態に直面した。こうしたヤマギシ会の盛衰について、私は『無欲のすすめ』(角川oneテーマ21)という本に書いたこともある。 (ヤマギシ会はまだやっていた 2013年2月17日アゴラ言論)

島田さんも指摘されるように、
「ヤマギシ会はユニークな運動体であり、時には危険な団体ともカルトであるとも見なされる。しかもその内実は口先でとどまらず『無所有一体』という理念を掲げ、私的所有を否定して、メンバーに給与を与えない仕組みを実際に作り上げている生活や生産の場でもある」

多分ここのところが、外から見ても内から見ても不透明なわかりづらい箇所なのだ。
「一般社会に囲まれたユートピア(理想社会づくり)」は本来どのような姿であるのが本質的なのだろうか? 

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わが一体の家族考(6)

一体食堂「愛和館」と「中雛寝枠」

「一体食堂『愛和館』」の暮らしとか存在価値を養鶏の「中雛寝枠」の設置にまで拡張してみるなんて、乱暴なこじつけだろうか。
はじめに「わが」と「一体の家族」や食生活の幸福との間には埋めがたい溝があると記した。そうなったらいいなぁと憧れはするのだが実感的に結びつかない。
そうした「埋めがたい溝」を自ずと埋めてくれるような仕組みとしての、「一体食堂『愛和館』」や「中雛寝枠」の設置をイメージしてしまうのだ。

当時の、他の養鶏法による人々の多くは、この中雛期の就寝時における密集による被害防除に窮して、小さい区画を設けて小群育とする「バタリー」に移したという。
しかしこの時期の盛んな運動などによる鶏体の鍛錬は、一生のはたらきを支配するものでバタリー飼育ではよい結果を望めない。
「中雛寝枠への追い込み方」の中の一節に、

「日没前に屑米をまいてやりますと、(略)やがて夕闇に米粒も見えずなり、拾い疲れてその場に寝付く様は丁度童子が遊びつかれて、無心に眠る様に似ています」(『山岸会養鶏法』)

とある。
今も雛の無心に眠るあざやかな情景がほのぼのと蘇ってくる。あの雛たちの全身を投げ出してバタンと死んだように眠る姿に、なぜか自分自身をも重ねてしまう共感を呼び起こされる。それはいったい何なんだろうと、くり返しやってくる問いだ。

山岸巳代蔵は自ら考案した「中雛寝枠」を、「一見粗野に見えるこの中雛寝枠の真価の偉大なのには、驚かずにはいられない」
と記しているが、これを人間社会相に当てはめてみたらどうだろうか?
何度もくり返す一節、

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり、……」(知的革命私案)

だとするならば、
「人」と「人と人との繋がり」の中間に位置する「人と人によって生れ」の場所にこそもっと想いをめぐらしてみたい。
「人と人によって生れ」た「人」と「人と人との繋がり」に理想社会に繋がる橋をかけたいのだ。
いわば「個人」と「社会」の中間にある本稿のテーマに繋がる「家族」という問題についてだ。
そこは

「『十人のテーブル』の方から無言の催促され、力づけをしてくれたのだ! 温かく抱擁(つつ)まれているような……」
「温もりの愛和館」でもある。

鶏は「中雛寝枠」で過ごす時期をもつことで、人は「温もりの愛和館」で暮らす時をもつことでこそ、「一体の社会性」とか「食事する資格」に合適する「人と人との繋がり」の正常健康な世界で生きられる!
手前味噌で身勝手な屁理屈だろうか?

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わが一体の家族考(5)

温もりの愛和館

そうした愛和館の暮らしでの、社会性とか資格を身につけるといった観念から受ける煩わしさや窮屈さの思いとは別に、救われたなぁと実感する体験もある。
ある時、孤独で鬱屈した気分のまま一体食堂「愛和館」へ普段よりも早めの時間帯に行ったことがある。
その時愛和館の光景が一斉に自分の心の中へ飛び込んできたのだ。子供たちから老蘇さんまでのみんなが耀いて見えた。
あれはいったい何だったのだろうかと何度も思い返してみる。すると、こんな所世界中にないぜ、世界遺産もんだなぁと興奮してくるのだ。
「十人のテーブル」の方から無言の催促され、力づけをしてくれたのだ! あたたかく抱擁(つつ)まれているような……。
こんな時だ。「十人のテーブル」の不思議で愉快な仕掛けに気づかされるのは。
ふと、山岸会養鶏法での「中雛寝枠」が思い浮かんでくる。勝手なこじつけだろうか。

種卵を孵卵器で孵化させた雛を、堆肥熱などの育雛設備で育てて、餌付後四十日前後で育雛枠を解放し、今度は「中雛寝枠」を備えつける。すると寝枠に寝ていても、そのうちの発育の早いものはやがて、既に設けてあった「棲架(止まり木)」に止まって寝るようになる。そして全部の鶏が止まって寝るようになった時に、寝枠を除去してやる。
ここでの「中雛寝枠」の特異性について山岸巳代蔵は次のように記している。

○山岸式中雛寝枠の評判
これは約三十年前から、私の鶏舎で専業用として使用し、改良もせずにそのまま続けてきましたもので、今日老練な養鶏専門家の人々が、これを見て、また実施して、その性能に今さらのように驚歎されていますが、私はまたそれ等を見て、今日まで一般にこれが知られなかったことに驚歎しているような次第です。何故これほどのものが行われなかったかについての一つとして、余りにも単純簡易な装置であるため、見ても気付かなかったことでしょう。
○中雛失敗の原因
三、四○日までは、どうにかうまく育ったが、中雛で失敗したという人が相当あります。夕暮時の二、三十分に、元気な中雛を二、三十羽も圧死させたという人もあります。夏になって痩鶏が続出する原因の一つは、ここにもあることに気付かぬ人もあります。
一定の時が来たら一斉に起し、また時間が来れば同床へ追い込むような悪平等は未だしの社会です。私達の雛には、乗降出入口で混み合う人間共を見習わせたくありません。
雛の中にはこんなのもいますし、中には早く寝て、真夜中に暗い、寒い所へ散歩かたがた水を呑みに行くものもおります。そして朝寝坊の雛は、朝仕事から帰ってくる雛の万年床を冷えないように体温で暖めておきます。
これが自由の世界です。雛の肉付き、顔色を見てやって下さい。不平の無い満足そうな顔を。
○中雛寝枠の作り方
先ず三寸角くらいの木片を、長さ五、六寸に四本揃えて、四隅の足として立て、二寸五分巾の五分板を横から方形に釘付けします。
その板の下部へ四方とものれんを地上五分まで下げます。
四〇日雛七十五羽に対し三尺平方一個、百五十羽には二個寄せれば充分で、その上へ堆肥熱育雛用に使ったモミガラ蓋を置き、雛はのれんを潜ってそのモミガラ蓋の下へ入ります。鶏舎の中央よりやや奥で、壁から離して周囲が廻れるように、雛の大きさによって四隅の足の下へ煉瓦等を置いて高さを調節します。
雛が頭を下げねば入れぬ、坐れば頭が上げられる高さが適当で、ここで昼寝をしますし、自由に入ってまた自由に出て行き、日暮れは一旦入っても暖まると殆ど外で寝ますし、その方が丈夫に育ちます。

じつは「中雛寝枠」の設置は、山岸巳代蔵の独創なのだ。育雛設備と止まり木の間に「中雛寝枠」を設置したことが、画期的なのだ!
そしてこの時期に鶏たちも、先述した自分らの愛和館での暮らしでの「一体の社会性」とか「食事する資格」を培うのだ!?

そんな心を解決するような仕掛け・仕組み・制度があることに、みなの知恵によって可能なのだということに驚愕する。
何も自らひたすら内面性を掘り下げることで心の解決を行なわんとしなくても、いやむしろそうしない方がよいのである。

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「と」に立つ実践哲叢(13)

そもそも「と」に立つとは

ここまで書きついできて、「と」に立つ実践哲学について軽くふり返ってみる。
そもそも「と」に立つとは、山岸会養鶏法が「農業養鶏」として広く世に受け入れられた経緯を説明した一文の題名「稲と鶏」(『山岸式養鶏会会報・創刊号』1954.4.1)からヒントを得たものだ。
その趣意は、今までも農家の米作りに鶏糞を施すことの良いことは知られてはいたが一般普遍化しなかった。そこで個々別々に相互関係としてあった稲作と養鶏を、一体に結びつけた形態に新しく改組したのが「農業養鶏」だった。
良いことがわかっていても、いろんなやれない理由を言って放置されていることが多々ある。なかでも稲作の立場に立っての副業養鶏の導入などは、長続きしない最たるものであろう。忙しくなって田畑に雑草が生え、かえって減収する始末だった。

そこで山岸巳代蔵が為したのは、そうした相互関係を一体に結びつけた形態に改組するという「実践」だった。
それは稲の立場や鶏の立場を通さずに、両方の立場を離れて、放した、未だ手つかずの「と」という場所に立つことで見えてくる観方からの実践だった。
それは鶏を飼って忙しくならない、しかも技術・経験のいらない方法に改めることを意味していた。それが一世を風靡した「鶏卵肉は田畑から」の画期的な一貫生産機構を整えた「農業養鶏」と名づけられた産物だった。
そんな「稲と鶏」に象徴される「と」という場所に立って、例えばそれまで田畑に肥料として施されていた魚粕や大豆粕など鶏の飼料となるものは鶏に給与し、鶏の腹中で配合された生産鶏糞を田畑に施して土壌の肥沃化を図った。購入肥料代が飼料代に化けたのだ!

ところがこの間「専業と分業」のテーマを進めているうちに、素人の対句としての専業の人より「分業の人」へといった意味あいに思い至った。当初の「稲と鶏」での相対する「と」の位置と異なることに気づいた。
昭和三一年一月第一回「特講」開催の前年三月に発行された研鑽資料『二つの幸福 真の幸福と幸福感』がある。そこでの「真の幸福と幸福感」と「専業と分業」での「と」の位置が重なってくる。

こういうことだろうか。
「ここに云う幸福の意味は、不幸に対しての対句ではなく、人生は快適であり、幸福一色であるべきを、真の人生のあり方とする、私共の人生観」
と研鑽資料にもあるように、幸福と云う言葉は二つの場合に使われ、その区別が解らないからか、幸福感のその延長上に真の幸福があると「感違い」している場合がすこぶる多いことに気づかされる。
「稲と鶏」での「と」に立つ実践から別次元の「農業養鶏」なる形態が生まれたように、不幸に対しての対句ではない別次元に真の幸福なる実態が生まれ出るのである!

高度専門化は時代の趨勢だ。そのことは必然各人をタコツボ化の「専業の人」に変えてしまう。
だとしたら別次元に立つ「分業の人」ってあらためてどんな人なんだろうか。

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書評『サイロ・エフェクト』

先日新聞の広告欄で、フィナンシャル・タイムズ紙アメリカ版編集長 ジリアン・テッド著『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』(文藝春秋刊)を知った。
0001ジリアン・テッド

サイロって、あの北海道の酪農地帯に点在するタワー型の穀物サイロのことか? エフェクトは効果とか結果という意味だ。ということは、自分らが今ヤマギシ会の機関紙に連載中の『「と」に立つ実践哲叢』での「専業の人より分業の人へ」の内容と符合するなぁと直感した。
一読して、まさに自分らのことだと思いあたることばかりだった! 

現代社会が高度情報化で単一のシステムとして結びつきを強める一方、高度に複雑に細分化、孤立化した社会に対応するためには一人ひとりが精神的・肉体的にその道の専門家として自力をつけていかざるを得ない。実際真面目に打ち込んでいくと誰もが自ずと自力がついてくるものである。
養鶏に例えるならば、何十年も養鶏に専念していると、そこから影響されるもので体力・知力・実績もついてきて自信や誇りたい自惚れ欲もなぜかついてくる。
自他共に認める「養鶏人間」の誕生である。いつしか養鶏の立場や実績からモノを考え、判断するようになる。
養鶏は人生の目的でなく、手段だ。人間生活全体の一部にすぎない。それなのに養鶏のみが目的となる縦割りされた小さな狭いサイロの生き方にひっくり返る。
その結果新しい変化に対応できないパラドックスが「サイロ・エフェクト」だ。

本書は「なぜ現代の組織で働く人々はときとして、愚かとしか言いようのない集団行動をとるのか」
「なぜ本来利口なはずの人たちが、あとになってみれば自明すぎるほどのリスクやチャンスを見落とすのか」
といった根本的な疑問に答えようとする試みだ。
しかも人類学者という特異な経歴を持つ英国の経済紙の筆者は、ジャーナリストならではの直接当事者に好奇心の赴くまま「なぜ」と質問できるなかで、サイロに支配されてしまった世界各地の個人と組織のエピソードから今の社会的欠陥の最大なる共通原因をうきぼりにしていく。
読者をして身につまされるリアル感を覚えるゆえんだ。

「ソニーのたこつぼ」の事例。
1999年一世を風靡した「ウォークマン」の次世代商品は、二つの部門がそれぞれ開発した二つの商品で、しかも互換性はなかった。その後アップルのiPodに独走を許すことになる瞬間だった。
誰も気づいていなかった。コンピュータを開発する部門が音楽を扱う部門と別であることは当然だと思い込んでいた。
独立採算制を強調することで責任の明確化が計れるという発想だった。もちろん他部門への移動も、身を守るために避けた。
部門同士が協力しなくなった。部門間の壁がますます強固になった。売り上げが浸食されることを恐れたからだ。

「スイスの巨大銀行USB」の事例。
あの保守的な石橋を叩いて渡る銀行が、2008年のサブプライム危機でゴミ屑同然となったサブプライムローンをごっそり抱えて破綻寸前に追い込まれた。
リスク担当者も細分化されていて、グループ間の交流はあまりなく、情報交換もしなかった。しかも何とリスクの高低の分類システムがまるで逆さまだった!
経営トップには全体像がまったく見えていなかった。

もちろん経済学者たちも、間違えた。専門家ですら、(むしろ専門家ほど)自らをとりまく世界を堅牢なサイロによって秩序づけるあまり、何も見えなくなる。みな同じサイロの中にいた。

こうしたサイロの弊害に苦しんでいる企業は多い。サイロに囚われない方法はあるのか? その呪縛から逃れる方法は?
そうしたサイロの悪弊を逃れようとした巨大医療機関の事例は興味深い。

「病院の専門を廃止する」の事例。
アメリカ有数の規模を誇る医療機関クリーブランド・クリニックでは、患者が自らの病気を語る内容に耳を傾けたところ、身体の部位や漠然とした病名を口にすることが多かった。
医者の見方と患者の見方は違う。医者ではなく患者の側から医療を定義してみたらどうなるだろう。
そこから外科と内科を廃止したり、垣根を越えて各専門をクロスオーバーさせる試みによって革新を生んだ。

これらの事例はみな、自分らにも身に覚えがあることばかりだ。
例えば数年前に、それまでの実顕地で別棟に分けられていた「生活窓口」と「法人窓口」を廃止して、窓口を一箇所にしてみた。窓口一箇所で実顕地に住む人の要望を受けて、窓口の側で生活と法人に仕分ける業務を受けもったのである。するとどこかのお役所のようなたらい回しがなくなった! 

そして筆者は、「なぜサイロが形成されるのか」「サイロにコントロールされるのではなく、われわれ自身がサイロをコントロールするすべはあるのか」に答えようとする。 

「終章 点と点をつなげる」
専門化は不可欠だ。サイロを専門家集団と定義すれば、その存在は必然である。
だからサイロをコントロールするという戦いに終わりはない。常に進行中の作業だという。
1 交わる機会を増やす 
2 協調重視の報酬制度
3 情報の翻訳家の必要性
4 分類法の定期的な見直し
等々とサイロに囚われないための幾つかの教訓を並べる。
しかし筆者の真骨頂は、教訓を垂れるだけでお茶を濁して終わらないところにある。

それはフランスの人類学者兼社会学者であるピエール・ブルデューの研究成果を援用して一章を割いているところにみられる。
「人類学はサイロをあぶり出す」
巻末の「謝辞」で筆者自身が、本書は
「私自身がこれまでの人生で経験してきた、さまざまな『サイロ破壊の旅』の産物」
だと語っているように、かつて彼女自身がタジキスタンの小さな村に三年暮らし、生活を共にしながら結婚慣習を観察している。そこは常識観念がひっくり返る世界だ。常に「なぜそうなのか?」と疑問が湧いてくる。それは人類学の研究手法であると共に筆者自身の生き方にもなっている。そこに親しみを感じた。

しかもピエール・ブルデューといえば、本ブログでこの間ふれてきたM・フーコーの盟友だった。
こんな挿話が本書にも紹介されている。
農家の息子として生まれ育ち久しぶりに故郷のクリスマスのダンスホールで、学者になりたての頃ブルデューが見た光景があった。
ホールに集まった人たちは、どういうわけか自分たちを二つの陣営、踊る者と踊らない者に分類していた。なぜそんな区別が生じるのか、その手がかりをブルデューは数日前に、かつての級友から聞いていた。踊らない者を「結婚できないやつら」と呼んでいた。
強制力のあるルールも踊りの輪に飛び込むことを禁じる法律もないのに、なぜさっさと踊りの輪に加わらなかったのか、また女性達は男性の半分を無視していることに気づかなかったのか。そんな痛ましい光景に愛おしさすら感じたという。
そもそも人はなぜ、環境から受け継いだ分類法をそのまま受け入れるのか。
村のダンスホールの踊らない者に象徴される「社会的沈黙」によって隠されていた部分に光を当てることにこだわっていく。
人は必ずしも自らが受け継いだメンタルマップにとらわれる必要がないというのが、彼の知的探究心の出発点でもあった。

自分が日々、無意識のうちに身のまわりの世界をどのように区切っているのか、思いをめぐらしてみる。
これこそ「インサイダー兼アウトサイダー」でどこまでもあり続けたいとする本書に深みを与えている視点なのだ。
そういえば自分らも、「インサイダー兼アウトサイダー」の全体的視点に立つ独自の価値観に基づく文化を刻んできて半世紀を超える。しかしここ十年は、まさに「サイロ破壊の日々」である。
たんに「囚われない」「キメつけない」といった主観を捨てての一言で済まされないものに日々直面するからである。

そもそも「ヤマギシズム実顕地」とは、自然と人為の調和を基調としたヤマギシズム理念を顕現する場を指す。
提案創設者山岸巳代蔵の
「今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり」(知的革命私案)
とする観方に同調共鳴した有志が数家族以上集まって、垣根や壁や囲いなど隔てるもののない理念に基づいて編み出された完全専門分業での生活様式の一つである。始まりは1961年だった。
その意味では、サイロの引き起こす「愚行」あるいは視野の狭まりを防ぐ手立ては、すでに用意されている。とっくに解決済みの案件なのだ!? 

先に筆者も記していた。
「サイロを専門家集団と定義すれば、その存在は必然である。
だからサイロをコントロールするという戦いに終わりはない。常に進行中の作業だ」

そうだと思う。しかもサイロを無くする根本は、断じて一技術や方法の末にあるものではないことを銘記しておきたい。
人間成人してからも、経験なり実績が上がっていく程たまってくる、この垢ともいうべき固定観念。こうした観念のトリコから解放されて、無心の子供心に還りたい。「万年素人の初々しさ」の世界へ。

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わが一体の家族考(4)

「十人のテーブル」

それにつけても「十人のテーブル」って不思議で愉快な仕掛けだなぁとつくづく感じる。
座る人の組み合わせや時間帯や座る場所によっても自ずとどこに座ろうかと毎回考えてしまうところだ。
唯漫然と腹空いたから食べたいから食べると、居直ってばかりは居られない仕掛けになっている。テーブルから醸しだされるものに強く影響されているなあと実感するのだ。
たしか研鑽資料にも、

◯食事時の行儀や礼儀作法のような型にはまったものはありませんが、食事する目的に最も適った立居振舞としてのあるべき姿があるはずです。
各自子どもの頃から、あるいは途中からでも、それを見出し身につけていきます。
それは一体の社会性を培うことにもなります。

とか

◯食事する資格
食事する権利もそのための義務もない、誰一人とがめる人もない社会での食生活として唯漫然と、腹さえふくれさしたらよいのだろうか。
自然全人一体社会の一員としての資格が、真理の世界から或いは米や野菜から問われているように思えてなりません。
その資格条件を揃えていこうとすることも、食生活の幸福条件として欠かすことの出来ない要素です。

ともある。
ここでの「一体の社会性」とか「食事する資格」という文言に突然出会うと、その結びつきがわからなくなる。
いったい「十人のテーブル」が醸しだされ問いかけるものって、何なんだ?
お前には、生きる資格があるか、飯食える資格があるか、それをやる資格があるかと問いただされているようなものだ。
これではままごと遊びというよりも、堅苦しい冷や汗が流れるテーブルではないのか?

そうだろうか。
どんなに素晴らしい理想や夢を描いても、それだけでは日常の雑事や規範・慣習にかき消され押し流されてしまうのがオチだ。なぜなら理想や夢からの感化よりも、普段の日常生活に深く織り込まれているものから来る感化の方に影響されるからだ。
自分らの描く実顕地という生活体を夢物語にしないためには、実はそれを今日とは遠くかけ離れた先のことや方向性としてのみ置かないで、日常化する必要があるのだ。

そんな願いが織り込まれた「十人のテーブル」のようにも見えてくる。

理想はその方法によって必ず実現できる。しかもその方法とは、一体食堂「愛和館」で普段どおりに食事するという何の変哲もない行為それ自体を指しているのだ?
当人は一向に気がつかないでやっているが、「十人のテーブル」から日々感化されるものがある。あたかもキリストの「十字架」のように……。

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わが一体の家族考(3)

「常夜灯」としての一体食堂

こうした「愛和館」の暮らしを1980年代初めからやり始めたのだが、2000年代初頭に「週に一度ぐらいは各家庭でも食事ができるように、愛和館休館日を設けたい」といった提案が運営研鑚会で研鑽されたことがあった。

その当時、親がもっと子育てに係わった方が良いのではないかといった気運や「血縁での家族をもっとやりこみたい」という気持ちが台頭していた時期でもあった。(その背景については後述する)
研鑚会ではもちろん各家庭での食事云々はとがめる何ものもないのだが、それと共に「常夜灯」としての一体食堂「愛和館」の存在価値について皆で研鑽できたことが今も心に焼き付いている。

というのも実顕地生活そのものが、あまりにも今の常識からかけ離れているために、常識観念そのままでは推し量れないという事態に、当の自分らが真っ先に直面してしまいがちなのだ。だとしたら、特定の人でしかできないのだろうか?
イズム生活へ入るための訓練として、ある一線を越えるように試されているのだろうか。その過程を経ないと実顕地に住めないのだろうか。

こうした過度期のとまどいの中で、いつも身近に感じられて自分らの歩む道を照らしてくれるような道しるべとしての「常夜灯」についてだ。
常に光を放っていて、そのためか普段はあたり前すぎてあんまり恩恵感じないけれど、無くなってはじめてその値打ちがわかるようなもの……。
皆と共に研鑽するなかで、そんな「常夜灯」のイメージがふくらんできて年中無休の「一体食堂愛和館」とがなぜか重なってきたのだった。
「共にやっていこう」とする灯種が互いのなかに燃えているのを確認しあったような、何かほのぼのとした温かいものに包まれた。

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わが一体の家族考(2)

一体食堂での暮らし

実顕地での研鑽資料「一体食堂『愛和館』での暮らし方」の中に次のような一節がある。

「愛和館では、十人一組一家族のテーブルになってあります。
その場に座る人で一家族を形成し一家団欒します。
その調和の美が一体食堂の華です。
毎日変華進華します」
愛和館

たまたま食卓のテーブルについた者同士で一家族を形成するという!? 
しかも「この食堂は食べる場所としてだけでは」なく、「食生活の幸福が得られるばかりでなく、幸福人に成りきることも出来る」のだという!?
ホントかね? たかが飯を食らうだけで、そのつど新しく家族が生まれたり、幸福が得られたり、幸福人にも成りきれるのだという!
こんな奇想天外な一般の逆を言うから、世間の噂も悪いのだろうか。
ただ自分の食べたいもの美味いものがいつでも食べられれば、文句なしではないのか。
そこを「その場に座る人で一家族を形成し一家団欒します」なんて、まるでままごと遊びのようだ。

「子供子供して遊ボーヨ。天真爛漫で遊ボーヨ。それだけが願い」(山岸巳代蔵)

いったい何を言おうとしているのだろう。どういうこと何だろう?
どうもヤマギシズムには一般社会通念では推し量れない、常識外れで意外なものが秘められてあるようなのだ。
それを見いだしていくのだ。

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わが一体の家族考(1)

はじまりの一節

一週間の第一回「特講」終了後に山岸巳代蔵がその参加者全員に送ったメッセージの冒頭に掲げられた一節がたまらなく好きだ。

「第一回特別講習研鑽を共にした、
わが一体の家族、なつかしの兄姉弟妹よ、
わが父・母・妻・子よ」

なぜか「わが」につづく「一体の家族」に惹かれるのだ。
「わが」と「一体の家族」の間に実感のこもらない溝を感じているからだろうか、なおさら憧れる。
実際に普段の自分らの「実顕地」という暮らしそのものが、何人何家族集まってもそれは「仲良し一家」の集まりとして仕組まれてはいる。
それにもかかわらず狭い範囲での夫婦・親子の血縁家族に、より心情のウエイトが傾きがちなのはなぜなのか? 
より自然だからか? それとも「仲良し一家」なんて空念仏以外の何ものでもないのか……。
はたして「仲良し一家」は不自然な形態なのだろうか。「わが」と「一体の家族」が溶けあい結びつく世界があるのだろうか。
そもそもわが父とは誰か、母とは誰か、妻とは誰か、子とは誰か。

まずは何からでも行きつ戻りつしながら、家族に象徴される〈性愛〉としての人の本質にまで辿りつけたらと願っている。
そしてその過程で、なぜ今〈性〉なのかが浮かび上がってきたら本望だ。

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イズム実顕地づくり考(67)

ちなみにM・フーコーの著作は、1976年に『知への意志 性の歴史Ⅰ』の刊行以来亡くなる直前1984年6月の『快楽の活用 性の歴史Ⅱ』ならびに『自己への配慮 性の歴史Ⅲ』の2巻の刊行との間に、八年の時間が過ぎていた。
口さがない人々はうわさする。彼はもうおしまいだ、もう何も言うことがないのだ、行きづまっている……と。(『ミシェル・フーコー伝』D・エリボン)
コレージュ・ド・フランス講義「主体の解釈学」はその間の1981-1982年度に位置する。
いったいフーコーのなかに何が起こったのだろうか? なぜギリシア・ローマの文献を読みながら、古代の性道徳とともに「自己への配慮」に関心を持つようになったのか?

あらためて「自己への配慮」とはそもそも何なのだと想いを馳せてみる。
「自己への配慮」とは、現代社会の社会通念や人生観を肯定のままでイメージされる自己閉塞やエゴイズムに繋がるものでなく、また世界から自己を切り離すことでもなかった。
むしろひとが自己陶冶という自己の実践を通して自己自身へと戻ることではじめて、「人と人との繋がり」の中での自己の場所が鮮やかに見いだされてくることにある。
それは自分が自分に出会う発見でもある!
配慮において発見される主体は、孤立した個人とはまったく反対のものである!?
この間の自分らの文脈でいう、

『知的革命 私案(一)』の一節
「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく」
にみる繋がりの、切ることの出来ない「と」のことである。
しかも「と」に立つとは「その関連を知るなれば」とあるように、知ることと実践とが結びつく「繋がりそのものの自己」に出会うことでもある。(「と」からの出発に際して)

そんな誰の心にもある「繋がりそのものの自己」に出会うことでもあるからだ。そのことは自分にとっての慰めとなり、勇気づけにもなるからだ!
心の手をさしのべれば、必ず心の手で固く握り返してくる、そんな心の豊かな人々に巡り会える実感がうれしいのだ。
目に見えるこの手は一歩の差で相離れるが、心の手は、この身が幾千里離れても、死んで幾百年経っても、決して相離れるものではないからである。

自分らの「個で充実し 個で安定する 依存のない生き方」が可能なのも「繋がりそのものの自己」が占めている結び目の一点に立ち得てこそであろう。
それは「人が自分自身にいだく快楽の体験でもある」(フーコー)との発言にも通底する。
また山岸巳代蔵に次のような一節があった。

「死んでからの極楽よりも、死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします」

そういえばフーコーの「講義要旨」の末尾も以下のような文章で閉じられている。

「死の省察という訓練の価値を高めているのは、臆見がこの上ない不幸だと思いがちなことを先取りするだけのことではないし、また、死が悪ではないことを納得させることだけでもない。
それは人生に対し、いわば先取り的に回顧的な視線を投げかける可能性を提供するのだ。自分自身を死につつあるものと見なすことで、おこないつつあるひとつひとつの行為を、その固有な価値において判断することができる。
エビクテトスは言う。死は耕している農夫や航海している船漕ぎを襲う。『では君はいったい何をしているときに襲われたいのか』
こうしてセネカは、死の瞬間とはいわば自分自身の裁判官となることができ、最後の日までに果たすだろう道徳的進歩を評定させてくれるような瞬間であると考えるのだ。
書簡第二六で彼は言う。『僕がどれほどの進歩を遂げたか、その決定を僕は死に任せることにしよう。(……)その日には僕は見栄も外聞も捨てて自分について判断することになるでしょう――つまり僕は勇気のあることを口先だけで言っているのか、それとも実際にそれを感じているのか』」

真の人間になる場として、またそうなった人間の思う存分の遊び場や働き場として、そして「一つの芸術作品としての人生」(フーコー)踊りの踊り場としてあるイズム実顕地の存在価値と活用するために、その観点からもっと見直してみたいものだ。  (この項終わり)

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「と」に立つ実践哲叢(12)

専業と分業(下)
 本質的に仲良う楽しく

先のお役所の人もそれぞれ専門分業の場についている自分らも、簡単なことができないでいる!?
どんなに高い目的(夢)を掲げていても、いざ何かせねばならない時や余力を尽くすべき場合に、もっと条件を整えて先ず足下を固めてからと尻込みをし消極的になりがちだ。目的を自己の生活に日常化しない限り、自分の「先ず自分が食えて、安定してから」の殻から抜け出さない限り、カタがつかない。
そんな場面に直面するにつけ何度も思い浮かべる一節がある。

「何やる場合にでも、百姓するのでも、商売するのでも、教育でも、子供を育てる場合でも、どんな場合にでも、寝る場合にも、また食べる場合にも、或いは映画を見る場合にでも、散歩する時でも、やはり、すべてが、みんなが一つになって仲良う楽しく繁栄していく、と、この目的のために、またそういうあり方で進むこと以外にないと思うの、道はね。
ところが、これは自分ひとりでない―みんなそれだと思うんですが―ややもすると、この目先のいろいろのものに拘泥して、案外、方向が違っていって、手段を目的のように取り違えるのが、ほとんどの、現在の、現在までの世界の人達の、どうにもそういう社会が出来なかった原因だと思う。また、そういう目的に気づきながらも、また方法を知らないために、いつまででも堂々めぐりで、おんなじようなことをして、ちょっともその目的の方へ行っていないと、まあ、こういうのが実状だったと思うんですが」(ヤマギシズム社会式養鶏法について1961.4)

省みてここでの「みんなが一つになって仲良う楽しく繁栄していく」みたいな発言をどこかで小馬鹿というか他人事にしている。それより他人の穴探しの方に目がいきがちだ。
理想社会にしようと願うならば、いったいどこから手をつけたらよいのだろうか。もちろん「みんなが一つになって仲良う楽しく繁栄していく」という気持ちになっての一歩の踏み出し(実践)からはじまる。ところがその次の、そうした気持ちの「深まり」といった過程が見落とされがちなのだ!?

例えばこんなことだろうか。
先日も新聞のコラム欄に、平行棒を掴んで行き帰りするなかで脚力を回復させようとする療法士に、リハビリ中の女性は「しつこい男じゃねえ」と言いながら「帰らすくらいならいかさにゃええじゃない」と口走ったと紹介されていた。

そうなのだ。別に療法士さんはいじわるで行ったり帰ったりの無意味な行為を押しつけているわけではない。先のお役所の人と同様、正しいとされている定められたマニュアルや職務に熱心に従っているだけだ。
正しいことをしていて、どこが問題なの?

「専業の人」では深まっていかないものがある。肝心要のその人らしい気持ちの「深まり」といった味が滲み出ないのだ。だとしたら「分業の人」ってどんな人なんだろうか。 

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イズム実顕地づくり考(66)

フーコーはいう。

「現在から出発して未来をシミュレートするのではなく、未来全体を自分に与えて、それを現在としてシミュレートするのです」

「やがての備え」を実践するとは、「未来全体を自分に与え」ることなんだと!?
思わずニヤリとしてしまう箇所だ。
ふだん自分らが災いの原因になるものを、徹底的に取り除く「抜本塞源方式」とか「未来を含んだ完了形」とか「養鶏が目的ではない」とか「根本を究めて、そこから究明していくと早い」とか「真実の人生を見届けたら、訳なく解明出来るのです」等々と禅問答のような逆手表現で語ってきた辺りに相通じるようだ。

出来事を不可避で必然的なものとして百パーセント受けとめ・現在化するということは、全部自分の思い通りに為していくという究極の自由の世界だ!

ヤマギシ養鶏法に引きつけると
自分の思い通りに鶏を飼うことは、同時に鶏の思い通りになる「産卵自由調整法」のことだろうか。
鶏が自分の手足のように動くことをいうのだろうが、「まあ、しゃもじを持ったくらいにはなった」との山岸巳代蔵の発言もある。
以前イズム養鶏法研鑽会で、山岸巳代蔵が秋に来る台風に備えて、夏頃から鶏舎の跳ね上げ戸を時折バタン、バタンと上げ下げして、鶏たちを少しづつ異音に慣れさせていたという話を聞いた。鶏は暴風の物音に驚いて産卵を止めてしまいがちだから、そうした細やかな気遣いに感じ入ったものだ。
以前次のように記したこともある。

「民俗学の柳田国男の著作『豆の葉と太陽』に次のようなことが書かれている。
村々を歩くと、火の見やぐらが一本の杉の木で作られており、いいぐあいに二股になっているところに鉄棒を通して足がかりとしていることに気づく。最初は、よくまあ都合のいい木が見つかるものだと感心していたが、そのうち、それはわざわざ初めから計画してそう作るのだということがわかった。そこで柳田は考察する。
〝村の長老等は木の未来とともに、村の未来を予測すること、我々が明日の米を支度するごとく、三十年後の隣村の火事を発見して半鐘を打ち、かつ見舞いに行くべく、今からこの杉の木を栽えるのである”
ここには不思議な時間が流れている。初めから未来を含んだ完了形になっている。未然完了体とでもいえようか。
普通一般には死児の齢を数えるように地位や学歴や今までの立場に固執する過去完了形とか現在形、つまり今日の姿を見て一喜一憂する時間を暮らしているからか、奇異にさえ感じるのだ。しかし、いつまでも心に残るのはなぜなのだろう。
ひとつは、村全体の未来の繁栄が初めに意図されていて、その実現のために今の暮らしを用意するという着眼点の新しさにある。単に観念的理想論にとどまらず、目先のものに拘泥して手段と目的を取り違えることのないあり方を、この一挿話が語る実践から触発されるのだ。
こうした観点に立つ時、三十年先の隣村の火事を発見するために今から用意することがかつてあったように、百年後、千年後のために、今ただちに着手しなければならぬことがあるとの考え方が一気に現実味を帯びてくる」(『贈り合いの経済』所収)

こうした様々な錬成・試練などを通して、真実の認識の主体ではない正しい行動の主体であるような、そんな配慮において発見される倫理的主体としての「自己自身」が立ち現れてくるのだ!

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イズム実顕地づくり考(65)

また先のセネカが『道徳書簡集』で説く「やがての備え」についてフーコーは解読する。
前述したストア派の「修練的なもの」、
1 節制
2 省察
3 死の省察の訓練
4 未来の最悪の予期の訓練
5 良心の吟味
での「死の省察の訓練」や「未来の最悪の予期の訓練」に当てはまるだろうか。
フーコーは語る。

「ある出来事に急に襲われた人は、驚きがあまりに強く、この出来事に対する備えができていないと、無力な状態に陥ってしまう恐れがある」と。だから
「起こりうることはすべて起こるはずだと考えなくてはならない」
「必然的に起きるはずのものとして、起こりうることを自分に与えることだ」という。

どういうこと?
そういえば自分らも二十歳代の頃、研鑚会で「若い時分にこそ老蘇(老いて蘇る)の生き方をはっきり描いておくように」と諭されたことを思い出す。
その時の「そんな先のことわかるかい」と他人事にして聞き流していたツケが、今になって回ってきているようで悔やまれる。
参考までに当時の研鑽資料を紹介してみる。

若雌は老鶏の如く
『老鶏は若雌のような、若雌は老鶏の如きタイプを常に保たすこと』。これは山岸会養鶏法の増補改訂版、農業養鶏編「鶏の外観による判定について」の中の一節である。
山岸養鶏が(技術20+経営30)×精神50と、精神面を強調している意味を理解納得して、養鶏を行なっている人には、前記の一節の理が解されるであろう。そしてまた、その現われとして優れた養鶏実績を上げ、かつ家庭生活・社会生活のすべてにわたり、快適な人生を送っているはずである。
このような見方は、飛躍または牽強附会ととられるかもしれない。だが、山岸養鶏法そのものが、理想社会の縮図であることを知り、また、全体経済面の一小部分に過ぎず、社会構成の上からも一般の関心が薄く、いわば顧みられない一隅とも言える養鶏を通じてでも、社会全体を動かす始動力となろうとして行なってこそ、山岸養鶏は成功する仕組みになっていることを理解されるなれば、さきに述べたことについて得心がいくはずである。
特別講習研鑽会を受講した人や、研鑽学校に入学した人には、前述したような事柄は周知のことであろう。
だが、知った・理解しただけにとどまって、それを自分の生き方として実践に移さなければ、理念の死蔵であり、その人の人生の意義も稀薄なものになってしまうだろう。これはヤマギシズムに触れられた人すべてが、厳しく省察しなければならない点である。
見える若さだけでは
養鶏法そのものが理想社会の縮図であるなれば、養鶏法として挙げられている一つ一つのことがらを、人間及び人間社会のあり方の研鑽資料として検べ究めることが至当と思われる。この観点から『老鶏は若雌のような、若雌は老鶏の如き……』の鶏を人に当てはめ、人間のあり方として検べると、どのようなことが言えるだろうか。
『今時の若い者は』ということは、いつの時代にも言われていたらしい。また『最近の青年には若さがない』というのも、しばしば耳にすることである。特に後の例の場合は、青年が無気力・沈滞の状態にあると見え、頼りなさを感じる人が口にする言葉である。
こういう人は、青年たちが集まって話し合ったり、レクリエーションを楽しんだり、あるいは一団となって額に汗して何かの労働をしている様子を見ると『若者らしい、頼もしい』と満悦しがちである。だが、若さというものを現象面だけで判定すると、大きな誤りを犯す場合が少なくない。
ほんとうの若さとは
若さそのものは、積極的・陽的であり、自由活動的で向上進歩に繋がるものであろう。
ただこれらは心のあり方であって、言動など現象面に現われたものが積極的・活動的に見えるからといって、それが即ち若さだとするのは早計のようである。つまり、言動のもとになっているのが自己顕示欲であったり、自分さえよければよいとするような心、即ち私心、あるいは反抗心であったりするなれば、その行為行動がいかに積極的であるように見えても、それを若さの現われと見ることはできないわけである。また、仮に自己顕示・私心・反抗心等がないとしても、特定個人や固定不動の条理に従っての行動も、盲信・盲従である点において、最も若さに欠けたものといわざるを得ない。
若さを、積極的・陽的・自由活動的・向上進歩的な心のあり方と考えると、『老鶏は若雌のような、若雌は老鶏の如く……』に例えた人間の実際のあり方は、次のようなものになってくるであろう。
即ち人は生物的年令が重なってくると、とかく定着的、保守的な傾向になりやすい。だから常にそれからの脱皮に心して、いつでも、どこへでも赴き、何でもできる人であること。また、若いうちは、とかく心が動きやすく、新しいところへ行き、新しいことをやってみたいという気持ちにかられがちである。その心を自ら制御し、現象的には鈍重、保守的と見られても、自分の意志を出さないだけでなく、無我意のあり方で実践にうちこみ、自らを練成していく。
ただし、こういったあり方は一体生活・公意行のあり方によらなければ、実現不可能であることもまた事実である」(1978.12)

それでは「やがての備え」を実践するとは、どんなことなんだろう。

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イズム実顕地づくり考(64)

ここでの「修練的なもの」の特徴を、フーコーはセネカのルキリウスに宛てた『道徳書簡集』から幾つか挙げて説明している。
例えば『道徳書簡集』第十八の貧乏さの訓練がある。

「静穏なときこそ、困難な状況に立ち向かえるように準備をしなければならない」
「粗末なベッド、そでなし衣服、悪質で硬いパン……これで三日か四日のあいだ耐えてみよう。ときにはもう少しふやすのも良いだろう。遊びではなく試練なのだ」
「過酷な運命の不意打ちに負けないように、貧しさと親しくなるようにしよう。貧しさは苦痛ではないと悟ると、いっそう大きな心の安らかさを感じることができるはずだ。そしてこれがほんとうの豊かさなのだ」(塚谷肇訳)

面白いなあ。自分らの皆で順繰りに参加しあって、ふだん当たり前にしていることも見直したり互いの心境を高めあったりする各種長期研鑽会等も、セネカのいうやがての備えに重なるようだ。
自らすすんでヤマギシズム用語でいう「ボロと水でタダ働き」の場に身を置き、そこで堅い床に寝ても楽しい夢を結べるような体験をもつことで、やがての事態に動揺しなくてもよいようにと、今から手をうっておくのだ……。

山岸会養鶏法になぞらえれば、たとえばヒヨコに乾燥屑米を無制限不断給餌するのも、消化器は第一回に送りこまれた飼料に対して適応構造になるからで、二年先の別れの日を予想して今日手をうって置くことで老鶏を売った総決算の日に現れるものが、いや「感じる」ものがあるからで……。

もちろん節制生活をすることが目的でなく、備えとして役に立つからである。
またこんなことも言っている。
「激しい運動をして、すっかり空腹になり、その後で豪華な食事が並べられたテーブルの前で、食事を眺め、奴隷にこの食事を与え、自分はごくつましい食事をしてみる」

確か自分らの「振り出し寮」構想にも同じようなプログラムが組まれていたなぁ。
「入れと言われたら門に立ち、上がれと言われたら庭に立つ」心境のことだと言われても、チンプンカンプンだった。

こうした一連の具体的な自己を試練にかけるという方法・実践を通して、寒夜に滝に打たれる荒修行というよりも、自己陶冶とか自己涵養とか心境調正・自己コントロールの自由自在さを味わってきたのだとふり返る。

フーコー流に言うならば、次のようになる。
「このような試練の開かれたゲームを通して、自分自身を見きわめること、どこまで自分が進んでいるかという到達点を見定めること、そして根本的には自分が何であるかを知ることが目指されているのです」

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イズム実顕地づくり考(63)

ちなみに自分らの「ヤマギシズム研鑽学校」は次のように案内されている。

「趣旨
真の人間となり、世界の公人として、自分の持ち味を検べ、試し、自分を含めた全人幸福のために活かして、みんなと仲良く、健康、正常、豊満で、楽しく生きる人となって、生涯を「研鑽生活」で暮らすことを趣旨とする。

科目
次の三科を以て構成する。
 予 科    公人完成科
 本 科    適性試験科
 専 科    適者専門就場科
◎専科―適者専門就場科は
本科―適性試験科の認定を経た者を、各人の持ち味を最も活かす場に配属して、完全専門分業の機構の一員として、全人類の繁栄に役立つ人となる科程である。自分の持ち味の場に就くと非常に楽で、しかも効率が上がる。
負担や任務を感じないで、適材が適所に就くということは、自分のすることを趣味として、楽しみとして生きられるものである。
勤めという感じでなく、それ自体がおもしろくやるから業績が上がり、なおさらまたおもしろいとなるものである。生活が芸術であり、歌であり、踊りである。

入学およびその後
1 入学資格は学歴、年令、職業、国籍等の制限なく、所定の手続を経て申し込んだ者は、研鑽学校の認定によって、随時入学することが出来る。
2 研鑽科目の決定は、定期または随時に資格検査を行い、研鑽学校の認定による。
例えば、本科より専科へ行くとは限らず、予科へ行く場合もあるし、専科の途中でも、適性試験や、公人であるかどうかを認定するために、本科や予科へ随時あるいは定期的に戻って検べるものである。
3 在学期間は、各科目ともに研鑽学校の認定に従い、人によって一定しない。
4 退学は原則として自由である。
5 学校の認定によって、在学取消しの場合もあるが、普通は終生卒業はなく、研鑽学生として、自分の持ち場に就いて、趣旨に沿って「研鑽生活」で暮らしていくものである。
6 入学待機のため、または退学者あるいは在学を取消された者が、再起するための憩いの場としては、ヤマギシズム振出寮がある。ここは振出しより奮起して出発するための施設である」

ここでの「ヤマギシズム振出寮」の性格がおもしろい。

「今度は振出寮では、現象面ではもっと乏しいとこからいったらよいと思うの。
芋蔓が美味しい、水が、空気が美味しい。ムシロの上が最も安眠のしとねになる。着る物でもそんなとこからやっていったらよいと思う。いろいろ方法はあるから。一日絶食すると大抵の物が美味しくなる。食の仕合せはそういうとこにある。孔子が言ったのおもしろい。『疏食を飯い、肘を枕にしても、楽しみその中にあり』と」(山岸巳代蔵)

自分らの合い言葉「ボロと水でタダ働きの出来る士は来たれ」に呼応するものだ。
その時は嫌々ぶつぶつと不満を隠しもってやっていた(やらされていた?)様々な経験が、みな一つに繋がってきてほのぼのとした内的な体験的イメージとして蘇ってくるようなのだ。

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イズム実顕地づくり考(62)

フーコーが二千年前のセネカの生きざまに見たものとは何だったのか。しかもそのことを、理解の範囲にとどまらず実践の場を通してこそ自己にもたらされるものとはいったい何だろうか。

自分らが「イズム実顕地づくり」と称して日々為そうとしていることと乱暴にも大詰めの三月十七日と最後の二十四日の講義録を、自分勝手な好奇心の赴くまま照合してみたい衝動にかられるのだ。
その一端はすでに『贈り合いの経済―私のなかのヤマギシ会』所収の“「怒り」と「研鑽」”の項目で触れているが、くり返し記していこう。
あの山岸巳代蔵の

「ここへ来る途中で花束を下げた中年の婦人とその娘らしい若い女の二人連れに出会ったが……人間は生まれて死ぬまで何をするのだろう。墓石になりにきたのだろうか……やがて地球上は墓石で埋まるだろう」

との特講開講式での発言と
晩年のフーコーの発言

「人間の人生は一個の芸術作品になりえないでしょうか。なぜひとつのランプとか一軒の家が芸術の対象であって、私たちの人生がそうでないのでしょうか」

とが一つに重なってしまうからだ。
いや、何にもましてこの自分自身の琴線に痛切に触れるものがあるからである。

かつて養鶏飼育係一年生の頃、テーマ
「一体養鶏へ自己を調正する」
に出会った。
なぜか「○○へ△△を調正する」というあるリズム感をともなったこのフレーズがとても心地よく感じられた。くり返しつぶやいていると自分が浄化されていくようなイメージがふくらんでくるのだった。もちろん意味はサッパリ解せないのだけれども、不思議と心落ち着くものがあったのだ。
たぶん講義録での「修練的なもの」を、自分は「調正する」という概念に重ねているはずだ。

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イズム実顕地づくり考(61)

じつは晩年の山岸巳代蔵にも
「ぼくは全人幸福への熱願とそれへの凡ての面での理論究明と進歩的合真理方法の考案や普及に急にして、自分自らヤマギシズムの人間性に到達することが疎かであった」

とふり返る発言がある。
イズムの人間性と全人幸福とが離れたものでなく、一つに結びつく個人即社会の〈場〉があるというのだ。フーコー流にいえば、自己への配慮に徹することが即ち社会への配慮ということに繋がるということになるのだろうか。

この辺りを、講義も佳境に入った三月十七日と最後の二十四日の講義から見てみよう。
フーコーが古代ローマのストア主義に発見するのは、真実の言説の自己固有化の実践である。真理を学ぶことでなく、消化吸収することなのだという箇所である。
つまり自己への配慮の主体は、真実の認識の主体ではなく、正しい行動の主体であるのだと。それは自己への配慮において発見される「主体」の出現を意味するはずなのだと。
しかもそれは「修練的なもの」を通して自分自身のある種の変容即ち自己陶冶を目指すことを意味する。
そうしてそれまでのプラトン主義的な認識の実践を中心としない、セネカなどのストア派でいう「修練的なもの」の特徴が次のように分類されて検討される。

1 節制
2 省察
3 死の省察の訓練
4 未来の最悪の予期の訓練
5 良心の吟味

これらはどんな修練なのだろうか?
フーコーが最後に辿りついた場所が、近代の主体からは見捨てられ古代の主体に生きている、自分の自我を変容させる所謂「自己革命」を必要とする所以の生き方だったところに身近な親しみを感じる。

なぜなら自分らも、ヤマギシズム実顕地に即応して住める「革命された人間」を造成する場として、「ヤマギシズム研鑽学校」をヤマギシズム社会機構のなかに仕組んでいるのだった。

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イズム実顕地づくり考(60)

フーコーがコレージュ・ド・フランス年報に記した最後の「講義要旨」は、「主体の解釈学」に当てられている。
そこからフーコー最後の関心事が覗える。それは

○自己への配慮は、実践と結びついた概念であり
○生の形式そのものであり、ひとは一生涯自分自身のために、自分自身の対象であるべきで
○このことから自己への回帰という考え方が生じ
○つまり、自己を享受する。自己自身から楽しみを得る。自己自身のうちにあらゆる快楽を見いだすという運動を意味し
○そこから自ずと自己を変えるという自己の陶冶(才能・性質などを練って作り上げる)という試練が必要不可欠になってくる
○それは真実の言説はいつでも使えるようになれる備えを意味し、たんなる記憶でなく、おのずから聞こえてくる内面の声として、それが自分自身の一部となるまで精神に定着させ、密着させる実践そのものである。
○そうした自分のものにするための方法として、つまり真理と主体を結合させることを目的とする様々な技法(聴く態度等々)の実践をみずからに課すのだという。
○しかもこうした自己の実践がその目指す自己へと届くためには他者の存在が不可欠である。自己の実践は社会的実践と結び合うようになったのだ。自己の自己への関係の構成が、自己の〈他者〉への関係に接続されたのだ!

どういうこと?
ふとヤマギシズム研鑽学校の案内文が思い浮かぶ。
「空転するコトバの世界から 体得、実践へ
有境の私から無境の公人へ―真理即応の研鑚生活人再生産の場、終世〈卒業〉のない学校である」

ここでの「有境の私から無境の公人へ」と考えてみて、或いはやってみる、やってみて、或いは考えてみるばかりの「終世〈卒業〉のない学校」というフレーズに今もすっかり魅了されている。 

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「と」に立つ実践哲叢(11)

専業と分業(中)
 簡単なことができない?

自分らは鶏舎建設などを一体作業と呼んで、そのどこが一体なんだろうかとたえず話題にしてきた。大勢でやるからかな?、と思えた時もあるがそれは一斉作業だという。スコップで穴を掘る者、柱を運ぶ者、釘を打つ者、各自各自の持ち場に専心没頭しつつ黙々とあるいは声かけ合って創りたいものがある。それこそ理想社会づくりという一幅の絵だ。
そうした一人ひとりが適材適所にかみ合い、当てはめ当てはまり、組み立てるピースなる一片に徹したジグゾーパズルの展開に胸おどらせてきた。
誰もが当惑する全体と個の二律背反も、個々人主義の個を総合して繋ぐというやり方から生じるのであって、そのひとつ手前の本来一つのものとして繋がっている事実から出発するならば、あとは繋がりの結び目に立つ「自個」や「もの」をより良い方向へと伸ばしていくだけで、すべてがより良い方向へと向いていく循環関連性の具現だった。
しかし心すべきは、その出発点に立つことが容易でないのだ。こんな単純な論理でも実践に移した場合、日常の中ではあべこべになってしまいがちだ。どういうこと?

こんな嘘のような話を聞いたことがある。
あの3.11東日本大震災での出来事。被災者が保証金を得るためにハンコを押さねばならない。そこでの役所の人との問答。
「ハンコを出して下さい」「ハンコは津波で流されました」「ハンコがないと保証金出せません」
そのおじいさんが本物であるかどうかを、ハンコで判断しているように見えるが、そうではない。ハンコを押してくれたならば、その書類は間違いのない書類ということで、その役人の作業の真っ当さを保証されるだけだ。役人には分かっている、この人は嘘をついていないと。
「おじいさんハンコ買ってきて下さい」「いや、ハンコ買うお金ない」
今度は役人が苦しみ始める。出したいんだけど、ハンコがないので出せない。

あの未曾有の惨事であるはずがない話だ。でもまあ「お役所仕事」なら仕方ないか。
ところがしばらくしてハッとした。これって、自分らの周囲で日常的に起きている事だ!
簡単なことで、自分が腹くくって、拇印でも何でもいいから押してあげて保証金を出したら良いだけの話。これができない。まさに自分らもできないでいる!?
保証金が被災者を助けるという本来の目的とそのための手続きとがすり替わってしまう逆転現象。(「と」に立つ実践哲叢(7)参照) 
「完全専門分業社会実顕地」づくりが、いつしか「分業の人」ではなく「専業の人」(=専門バカ)を生み出す場合がある。
その時その場で最高に活かされ、それ自体が歓びであるような自分の位置=「やること」があるはず。
なのにそれをやると、勝手なことをやったと責められるのを恐れ不安がる自分がいる!?  
そんな明暗二道への岐路にある課題だ。

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イズム実顕地づくり考(59)

こうしたフーコーの、
自己自身を対象とする知、しかもその自己の本来のあり方を尋ね求める「自己知」としての「汝自身を知れ」と、
自分の身体や他者、その他、外的な世界やそこに存在する様々な事物と関わりをもち関係を取り結ぶ自己に寄り添い、関係性においてその「自己」に配慮する「自己への配慮」
との根本的な異いから出発した講義は、たんなる内面性への沈潜ではない自己回帰の運動としての「自己への配慮」へと緻密に展開されていく。

しかも注目すべきは、古代ローマのストア派哲学者でローマ皇帝ネロの家庭教師としても知られたイエス・キリストとほぼ同年のセネカ(紀元前1年頃~紀元後65年)
セネカ

など後期ストア派(セネカやエピクテトスやマルクス・アウレリウス)を重視する文献からの分析・吟味に、講義録の大部が割かれているのが興味深い。

現在セネカの作品は、容易に岩波文庫などで読むことができる。なかでも『怒りについて 他一篇』(岩波文庫)を読んでいると、あの一週間の「特講」を彷彿とさせる。二千年も前から、人間の感情の動きはちっとも変わっていないことにビックリする。こんなことから改めて一週間のヤマギシズム「特講」の偉力を知らされる。

フーコーも講義録のなかで、「怒りとは何でしょう」と問い、
「つまり怒りとは我を忘れることであり、自分を統御できなくなることです」
「怒りというものが上のものが下のものに対しておこなう権力の濫用である」
と位置づけて、暗に自己への配慮の重要性をほのめかしている。

ここでフーコーが情熱的に語ろうとしているものは、たんなる古代哲学の紹介ではなかった。
それは講義とは別に、フーコーが記した「講義要旨」の末尾に引用されたセネカのルキリウスに宛てた『道徳書簡集』第二六の引用文で閉じられているところからも覗える。

「僕がどれほどの進歩を遂げたか、その決定を僕は死に任せることにしましょう。(……)その日には僕は見栄も外聞も捨てて自分について判断することになるでしょう――つまり僕は勇気のあることを口先だけで言っているのか、それとも実際にそれを感じているのか」

フーコーはこの書を心の支えとして晩年の日々を過ごした。そこまでフーコーに大転換(方向転換)を迫った「自己への配慮」に秘められてあるものとは何なんだろうか?

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