自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(65)

〝自己への配慮〟に遡る

本ブログのタイトル「自己への配慮」は、フランスの哲学者・ミシェル・フーコー(1926~1984)のコレージュ・ド・フランスでの1982年の自己への配慮について論じた講義『主体の解釈学』から取ったものだった。

そこでフーコーは近代からキリスト教を通り抜けて古代ギリシア・ローマ時代まで遡ることによって、プラトン、ソクラテス、ストア派のセネカなど古代哲学が取り組んだより良く生きるための〈生存の技法〉とも呼べるものを見直し再発見するのだった。
それは近・現代において教育など一般社会通念の中で利己主義、ナルシシズム、快楽主義として歪められ糾弾されるようになってしまった、本来は自由で生きた実践哲学としての〝自己への配慮〟という倫理的な主題であるとされる。
晩年のフーコーは自らがそうした実践哲学を〈生の様式〉として生きようとしたかのように、セネカの言葉を心の支えにして日々を過ごしたと伝えられる。

例えば〝自己への配慮〟という言葉でいわんとするところは、ただ単に揺るぎないアイデンティティを持つという意味でなく、各々が真実の自分を知ることでそれぞれが真実の生き方が出来たり楽しみや快楽を享受できるような〝生存の美学〟にまで繫がるところにある。
そのことはまた信じるとか自己主張するなど自分という確固たるものがあっての自我や主観や主体ではない、別次元の自由な真理即応の〝自己〟の可能性を探る試みともいえようか。
それは例えば次のようなセネカの発言からも窺い知れる。
セネカ

○誰ひとり自分自身を耕すものはない。
○いつ自分を自由に使うことができたか。
○いつ心が泰然自若としていたか。
○あなた自身のものが、いかに僅かしかご自身に残っていないか。
○心が雑事に追われている。
○ふと、自分は今まで墓碑銘のために苦労してきたのか、という惨めな思いに襲われた。
○自己にたいする不満、このような心は自己のうちに慰めをもつことが少ないのである。
○結局その心は自己嫌悪に陥り、不愉快になる。
○いつも自分自身から逃げようとする。
○第一に吟味すべきは自分自身である。
○とにかく、心はあらゆる外的なことから、再び自己に呼び戻されねばならない。
○たびたび自己のうちにも戻らねばならぬ。
○真剣な絶え間のない気遣いをもって動揺する心を包んでやらねばならぬ。

なかでもセネカの
“ふと、自分は今まで墓碑銘のために苦労してきたのか、という惨めな思いに襲われた”
との発言と、
山岸巳代蔵の
“ここへ来る途中で花束を下げた中年の婦人とその娘らしい若い女の二人連れに出会ったが……人間は生まれて死ぬまで何をするのだろう。墓石になりにきたのだろうか……やがて地球上は墓石で埋まるだろう”
との特講開講式での発言と
フーコーの
“すべての個人の生は一つの芸術作品であり得るのではないでしょうか。いったいなぜ、画布や家は芸術の対象であって、われわれの生はそうでないのでしょうか?”(『倫理の系譜学について』)
との発言が一つに重なり、
そこに共通して流れる真なるものを自分のこととして為すその熱い魂にふれた思いで心が奮い立つのだ。
ヤマギシズム恋愛・結婚観とか人間倫理のはじまりとかそうしたテーマの出発点にある〈性〉そのものにふれていこうとするとき、フーコーの考え方には大いに力づけられる。

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「と」に立つ実践哲叢(24)

繋がりの中でこそ

先の書『半世紀を超えてなお息吹くヤマギシの村―そこには何の心配もない暮らしがあった』にも紹介されていたが、北海道の別海実顕地、三重県の春日山実顕地、豊里実顕地で連鎖反応的に進められている酪農部門でのバイオガス発電や「自動搾乳ロボットシステム」の稼働は、著者・辻さんならずとも自分らにとっても実顕地の新しい息吹きを感じさせて余りあるものがある。そうした高度な技術とそれらを活かす循環経営環境との組み合わせに新しい芽をみるからである。
新牛舎

自分自身も毎日一定時間「自動搾乳ロボットシステム」が稼働する新牛舎の床管理というか床の端についた牛糞を自動式スクレーパの方に落としてやる作業についている。そうしてやると後はバイオガス発電プラントへと糞尿が自動的に送られて、発電や副産物のお湯がいちごハウスの熱源になっていく。

当初はオランダやドイツの高度な機械技術と自らの手足の四本との組み合わせにミスマッチのおかしみを感じていた。
ところがいつしかヤマギシ養鶏でいう「(技術20+経営30)×精神50=幸福」の方程式に照らしたら、さてこの事態はどのように映るのだろうかと自問している自分に気づいてきた。

またここでの精神とは、
「鶏を飼う場合の鶏や、社会との繋がりを知る精神であって、自分一人よくなろうとの精神では、養鶏も絶対に成功しないとの原理精神のことです」(山岸会養鶏法)

とある。このことから高度な機械技術と自らの手足の四本(資本)や牛等を共に活かしていく経営環境に×繋がりを知る精神50の相乗積で、はたしていったい何が産み出されてくるのだろうか。こんなことを頭に留めておきながらの毎日は飽きないのである。

そういえばこの間ずっと〝繋がりを知る精神〟って、〝活かす〟ってどんなことなんだろう? とよくぞ何度もくり返し皆で研鑽してきたものだ。
その中でしだいに空気・水・太陽・土・緑・各種物質の原料等地球資源を儲けを得るための〝資本〟と見るか、活用する〝価値〟と見るかで、現れる現象は丸っきり異なる事実を知らされてきた。
また自分といっても、今までの自分一人よくなろうとの自己からなっているだけでなく、繋がりの中の片割れとしての自個からもなっているのでは、といった皆と共にある「自分」にも出会った。

例えばこのところ大手電機メーカーの経営破綻が続いている。そこには儲けるためにと最先端の技術設備に巨額な資金を投じることだけが経営だとする偏狭な精神しか見当たらない。
それ故ここで強調しておきたいのは、そうした設備を全人幸福の方へと活かしていく一人ひとりの自発力の涵養にあるはずだ。しかもその自発力は繋がりの中でこそ培われ掛け算的に発揮されていく!

農業や貨幣交換経済の前にある〝農〟や〝タダ〟の世界。そこに立ってこそ観えてくる豊かな世界がたしかにある。

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わが一体の家族考(64)

他人事は何一つない?!

私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」については、いろんな例題で研鑽してきた。
なかでも次のような例題が心に残っている。
ナス

蔬菜部のAさんは、大きくなった学園の畑のナスを見て、早く採ったらよいと思った。そこでナスが収穫適期なので早く採って下さい、と学園にファックスした。
ところが翌日見るとまだ採ってない。またすぐファックスを入れ、次の日も採ってなかったので、もし採れなかったら連絡下さい、とまで言ったが連絡なく、もう仕方ないと思い、自分が収穫した。
しかしナスはもう成熟し過ぎて割れていた。その時Aさんは、「学園が採らなかったから割れてしまった」と思った。

日常どこにもあるありふれた話だ。ナスは「学園が採らなかったから割れてしまった」のではないか。ここのどこが問われるのだろう?
ところが研鑚会では「割れたナスは自分が採らなかったからそうなったのではないか?」と問われたのだ。

エッ? ナスを担当している学園じゃないの?! 学園のメンバーが採るべきナスじゃないの? ナスが割れてしまった責任は学園の側にあるんじゃないの? 

「でも、気づいたのは私ではないか。連絡しても採ってないナスを見た私が、採らなかったのではないか? 早くナスを採りたいという私の思いがあるにもかかわらず、ここは学園の担当している畑、だから学園が採るべきだという常識観念が入ってしまったから、ナスが割れてしまったのでは……」

何だか狐につままれたような気分がした。

「何かことが起こった時、『知らなかった』『気づかなかった』と普段何気なくいうが、それは理由でなく、自分から見た時それは原因ではないだろうか?」
「知らなくてやれていない、知らないから出来なかった、思い至らなかったのではないか? 自己より発していなかったから、還ることがなかったのではないか」

それはこじつけの屁理屈じゃないのか?
でもそういえば人に何かを委して、それがやれてなかったときに、自分がやらなかっただけなのに、半ば当然のように他人のせいにしているなぁ。

「世界中に起きる全てのことは、自己より発し、自己に還って来るという観方、地球上の全てのことは、自分から発しているという観方はどうだろうか?」 

そんなぁ、無茶苦茶や。

「いや、全てが自分に関係すること、他人事は何一つないのだ。全ては自分のやること、またはやったことなのだ。他を責めるということもない。事がなっていかないときも、自分がそうしていること。そのようにさせている自分に気づいて、後は自分がやるだけの世界が拡がるだけじゃないの」

といわれても、なかなか肚に落ちるところまではいかない。

ふとさきの「傘の例」と重なる瞬間があった。そういえば、はじまりの「早くナスを採りたいという私の思い」はどこへ行ってしまったのだろう?
きっと「ここは学園の担当している畑、だから学園が採るべきだという」〝何か観念づけたもの〟で見失ってしまったのだ!
他人事は何一つないのだ?!
私の倫理「親は飽くまで、子に資するもの」と私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」が一致する場所はこの辺りにあるのではなかろうか。
今少し踏みこんでみる。

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わが一体の家族考(63)

私の社会倫理とは?

さきに引用した「山岸会では母子系図を作成しています」(同行愛農会の諸兄姉に)からの一節から、
〝私の倫理「親は飽くまで、子に資するもの」〟
が導きだされた。そこから続く

“枯木となって朽ち果てるとも、子に尽くし、子孫の繁栄を希うものとしております。子は自己の延長である。この身は永久に絶えない。交代身が子で、しかも社会連鎖の形で子孫に自己が生きているのであり、子孫の繁栄・幸福は自己を全うすることであります。親は子に与えて、与えて、持てる限りのものをなお与え尽して、子から親に対する報恩は決して求めない。唯願うことは、それをその子に、子は孫に与え、自己の欣悦の日常は子孫の欣悦に共通する繋がりを明示しております”

という一文は、なんとなく自身の親のすねかじりの体験と重なって実感としても自分らの心情にしみ込んでくるにちがいない。ところが続く次の一節に出会うと、面食らってしまうのだ。唐突すぎはしないか?

“私の社会倫理 「自己より発し、自己に返る(還る」、これは心理学的に証明出来ますが、また物質に結び付いた物質面から説明するに、実在数理で割り切ることが出来るのであります”

いったい〝私の社会倫理〟って何なんだ?
この辺りに夫婦・親子の血縁家族を律する「私の倫理 〝親は飽くまで、子に資するもの〟」と同時に、契約や約束の要らない本当の仲良い仲、世の中の繋がりにまで連接されている実態が秘められているようなのだ。

私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」って、原因があって結果があるというところからいったら、そういう原因があって、そういう結果が還ってくるという、必ずそうなるという結び付き、播いた通りの種しか生えないという意味だろうか。
「親の因果が子に報いる」という諺のような意味だろうか。
また世界のどんな片隅に起きた小さな事件でもみな必ず自分と関係がある。それぞれ無関係に暮らしていくことはできないという世界観だろうか。
さきの「次の社会には屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝・報恩等は絶対にありませんし、そんな言葉も要らなくなりますから、他人のお蔭に甘えるわけには参りません」(ヤマギシズム社会の実態)との観点に立つと、一般常識的な蓄えや分け前や売り買いや報酬を考えないが、立替えの形で犠牲によく似た「自己より発する」行為が、必ず何かで終局的に「自己に返る(還る)」仕組みになってあります、というところだろうか。
どうも次元を異にする話なのだ。
そもそもここでいう「自己」とは?

ある日の研鑚会で、ここでも〝何か観念づけたもの〟に直面して次のような思いがふと湧いてきたことがある。
傘

“例えば雨の日、傘をさして歩いている時、向こうから傘なしで濡れてくる人がいたら、ふっと「この傘を使ったらいいよ」と差し出したい気持ちが浮かぶだろう。
でも普通はそんな一瞬の気持ちが湧き出すか否かに(でも自分の方が濡れて困るな)といった様々な理由など何か観念づけたもので打ち消してしまう場合が多い。もし実際に最初に浮かんだ気持ちで傘を差し出してみたらどうだろう。きっと相手も困っていた時だから、差し出されたものへの歓びもひとしお増すのが人の情ではないだろうか。
琴線に触れることで、自分も何かやりたくなる、贈りたくなる、次に繋げたくなるものが湧いてくる。それはいったい何の力に促されてのことなんだろうか?”

そんな自問を日々くり返していると、いつしか目に見えない感じないものへのなじみができてくるのか、何かほのぼのとした温かいものに抱擁(つつ)まれるのが不思議だ。

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わが一体の家族考(62)

親子の情愛と相愛社会

さきの〝母子系図〟の繋がりは別の箇所では次のように述べられている。

“ただ要するものは親が子を愛すると同じ親愛の情です。自分だけ覚えたら出席を止めて、後を教えて貰えぬと腹を立て、後かまわずに離れるでなく、後に続く人々に、自分の持てる凡てを、〝かつて自分が受けたように〟、与えて、与えて、与え尽す愛の心です。後れている人は吾が子です。吾が子に与える喜びに生きる、喜びの自分を発見するのです。私の持っているなけなしのものも、早く貰って欲しいです。貰って怪我や食傷せないよう、真の人間らしく早く成長して欲しいです。成長に応じて差し上げます。人と人とが、権利よ義務よの法律のみでは、円滑な、感じのよい社会生活は絶対出来ないもので、与えて喜び、受けて喜ぶ、相愛社会に永久の安定・繁栄があるのです。
組合や会を造っても、この精神が欠けていたならば、かえって物欲の突っ張り合いの場ともなるでしょう。
多くの会や団体が破綻するのは、寄る時の理屈・勘定はよいが、この団体を愛し、全員を愛し、真に自己を愛する相愛の精神が足りないためです”(『山岸会養鶏法』)

親子の情愛から突然〝与えて喜び、受けて喜ぶ、相愛社会〝へと飛躍しているようにもみえる。〝権利よ義務よの法律のみ〟を超えた社会生活が暗示されている。
こうした親子の情愛と相愛社会を結び付ける考えはかなり乱暴で牽強付会にもみえる。そんなことぐらいでこの現実社会が変わるはずがないとずっと小馬鹿にしてきたが、あながち自分一人ではあるまい。

ところがある日の研鑚会で、「報酬を省みない(タダ働きになる)事を無上の喜びと感ずる人」を研鑽したことがある。
タダ働きがなぜ無上の喜びとなるのだろうか、先ずもって実感が湧かない。次に
「次の社会には屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝・報恩等は絶対にありませんし、そんな言葉も要らなくなりますから、他人のお蔭に甘えるわけには参りません」
との一節があった。
そこで甘えるとは、人の心からの親切などに対して「ありがとう」と感謝したり、お礼の品を届けたり、お金などの見返りで、それで事足れりと平然とその行為を帳消しにしてしまうことだと研鑽した。ギクッとした。
それは普段の自分の考え方であり行動である。何と自分は迂闊にも今まで、甘い考えで人の心からの行為を無造作に取り切ってきたのではないか?!
本来理想社会には絶対あり得ない感謝など何か観念づけたもので、たくさんの人の行為を消して当然のように立ち振る舞い、結果としては一般社会と何ら変わらぬ無味乾燥な社会づくりの片棒をかついできたとしかいいようがない、といった発見にも似た気づきがあった。

〝何か観念づけたもの〟が、自分と理想社会とを隔てている牆壁になっている事実を思い知らされたことであった。
さきの「無契約結婚」の一文にもあるが、
いくら“頼んだようなおぼえがない”からといって、

“産んだ方に、育てる責任がある、義務があると責めても、育てただけくらいで、責任だ、義務だとて取り返しがつくわけでもなく、育てれば育てるほど、成長するにしたがいますます固まりが大きくなる一方で、もとの卵子と精子の結合以前に戻して貰わない限り、この事態解決とは云えまいし、絶対に出来そうもないこと。思い違いの多い親や誰かが、間違いの多い人間に育てあげて、責任を果たしたなどとは理屈が合わない”
卵子と精子

と、この一件卵子と精子の結合以前にまで遡らないと何の解決もならない訳だが、そんなこと“絶対に出来そうもない”。
あの〝何の思慮もなく、あてもなく、のめり出たらしい〟ものが、どうも人間の存在根拠の本義に等しいというのだ?!

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わが一体の家族考(61)

〝母子系図〟の繋がり

さきの「無契約結婚」にも記されているように、〝わたし〟とは

“わたしは父や母に約束したようにも、産んで下さいとも、育てて下さいとも、頼んだようなおぼえがない。契約なしに、しかも何の思慮もなく、あてもなく、のめり出たらしい、むろん何歳まで生きようとか、何をしようとか、何々をしなければならないとかの予定もなしに。”

〝契約なしに、しかも何の思慮もなく、あてもなく、のめり出たらしい〟ものだという。
あの

“一日、或る人家の軒下を流れとどまる下水溝に、黒く細長い、蛭(ひる)にも蚯蚓(みみず)にも、八ツ目うなぎにさえも持たない、熾烈な悪寒を覚える醜体の、一匹の虫のうごめき”(わが一体の家族考55))

となんら変わらない存在だ。
しかし彼らにも、

“配偶者に会う仕組みは、うまく与えられてあるのか、種の絶滅もなきまま、こうして産み付けられた吾が身の不運をかこっているかどうか、詮索したくなります。人間の誰かと引き較べて。”

そこまでさかのぼっても存在する〝うまく与えられてある〟ものとは?
さきの受け継がれていく〝強いやさしい母〟に喩えられるあの「頑として動かない、この揺るぎない感じ」の圧倒的な存在感に思わず重ねてみたくなる箇所だ。
こうした人間に限らず他の生物一般にも、〝生まれ、育ち、婚姻し、子を生み、育て、老いて死ぬ〟といった似たような生活環を営むものもあるようだ。
生活環

だとしたら人間もまた良く生きられるように、人間の持つ知能をどのように働かせればよいのだろうか?
そのことは、親と子の間を繋いでいる永久に動かない変わらない実態にふれることでもある。
その辺りに山岸巳代蔵はふれている。

“山岸会では母子系図を作成しています。親から受けたものをその子孫に与える。会への導きをされた人を親とし、その親の心になって子孫に伝える人を、その親の子としています。性別、年令、国籍、賢愚、学歴、地位、身分を問わず、親はいつまでもこの系図から消えず、子のまたない良き親となって頂いているのです。
私の倫理 〝親は飽くまで、子に資するもの〟、枯木となって朽ち果てるとも、子に尽くし、子孫の繁栄を希うものとしております。子は自己の延長である。この身は永久に絶えない。交代身が子で、しかも社会連鎖の形で子孫に自己が生きているのであり、子孫の繁栄・幸福は自己を全うすることであります。親は子に与えて、与えて、持てる限りのものをなお与え尽して、子から親に対する報恩は決して求めない。唯願うことは、それをその子に、子は孫に与え、自己の欣悦の日常は子孫の欣悦に共通する繋がりを明示しております”(同行愛農会の諸兄姉に)

ここでの〝母子系図〟の繋がりには、夫婦・親子の血縁家族を律する「私の倫理 〝親は飽くまで、子に資するもの〟」と同時に、契約や約束の要らない本当の仲良い仲、世の中の繋がりにまで連接されていく質のものが込められてあるようなのだ?!
ここで見出された〝親と子の間を繋いでいる永久に動かない変わらない実態〟は、夫婦・結婚生活に限らず、この源泉をくみとることでこそ展開される仲良い楽しい世の中へと結びついていくところがミソなのだ!

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わが一体の家族考(60)

自分のことを自分でソッと思い返す

山岸巳代蔵の草稿の中に「無契約結婚」と題した一文がある。

“ひとには辱かしくて云いそびれる人も、自分のことを自分でソッと思い返すことは出来るであろう。生まれながらに立てる子馬のように、スックと立ち上がって天上天下を指さしたと謂われるシャカ(釈迦)やシャカに類する人はそっとしておいて、お互い生まれ出た時の無想意だったであろう凡夫の自分から初めよう。人一人一人異うだろうから、自分自分で考察してみよう。
母が父と何月何日にこのわたしを産もうと約束したかどうだか、わたしにはわからない。わたしは父や母に約束したようにも、産んで下さいとも、育てて下さいとも、頼んだようなおぼえがない。契約なしに、しかも何の思慮もなく、あてもなく、のめり出たらしい、むろん何歳まで生きようとか、何をしようとか、何々をしなければならないとかの予定もなしに。
八卦見や神霊がかりの人には、一生の運命がわかるそうだし、透視術を心得ている宿命論者には、曰く因縁がつけられるかわからないが、僕の場合、物心がついてから両親に聞いたところによると、長兄、次兄と二つ違いで産まれているから、次は急いで欲しいとも願わなかったうちに、いつか知らない間に宿ってしまったらしく、「宿ったなれば仕方がない。上二人とも男だから、セメテこんどは女なればよいが」と、あまり邪魔にもされず、また胎内でも静かだったので、女だと思い込んでいたのに、産まれ出て見れば、また男を象徴しているので意外だったそう。
親の考えもアテにならないもの、この世の人は思い違いをよくやるもので、また願うようにもならず、願わぬ事が次々と実現する。
「親の言葉となすびの花は千に一つのアダもない」とよく訓示をした親にしてこの通り、意外、案外の固まりで、わけわからずに、シャバ(娑婆)の風にさらされることになった。
親の意に逆らうつもりもなかったと思うが、これも親不孝の一つになるのかも知らないが、約束もせない、頼み頼まれもせない、何も知らない、わからないのに出来てしまったもので、どうとも致し方なかったことだろう。今さらどちらも責任が果たせるものでもなかろう。産んだ方に、育てる責任がある、義務があると責めても、育てただけくらいで、責任だ、義務だとて取り返しがつくわけでもなく、育てれば育てるほど、成長するにしたがいますます固まりが大きくなる一方で、もとの卵子と精子の結合以前に戻して貰わない限り、この事態解決とは云えまいし、絶対に出来そうもないこと。思い違いの多い親や誰かが、間違いの多い人間に育てあげて、責任を果たしたなどとは理屈が合わない。
中には早々と子供と離れて他へ走ったり、他界へ急ぐ人もあり、自分だけの子供として盲愛を集中する人、自分の子をひとの子もなし、子は誰の持ちものでも、おもちゃでもない、次代をうけつぐ大切な子として世界中の人の子の仕合せのためには命をかけて尽くす人もある。
育てる約束もしていないから、責任も義務もない筈だろうが、頼まれもせないのに、子は育てられている。
受胎した時は仕方がなかったものが、産んでからは仕方なしに育てるのと違い、また責任・義務で、育てねばならぬから育てるでもなく、忙しくとも、労れても、自分の生命を削ってでも育てるのは、契約や義務等でやれるような上ついたものでないからこそ、強いやさしい母となれるので、約束だからとか、責任や義務や職業で仕方なしでは負担を感じ、本当の子には育つものでない。”

と人間観念の思い違いばかりのアテにならない中で人間本当に真面目で正直であるなれば、本当の契約は出来るものだろうか?
そもそも責任・義務を果たす果たさないとかの繋がりで本当の子に育つものだろうか?
また思い込み、予定のキメツケなどもみな約束の部類に入るのではないか?
等々と自分自分を実験資料と見なしてふり返る。

しかもそのふり返り方は、この間の文脈に沿えばあの禅問答式での、
○闇の夜に 鳴かぬ烏の声きけば 生まれぬ先の父(母)ぞ恋しき
○父母未生以前の本来の面目如何
といった文字や言葉で言いあらわせない人の本質的な部分にふれようとする試みである。

またなかには固い約束を自分で結んで信じ切って、外れた時に自分を苦しめ、他を苦しめることになる〝自分で自分を縛ることで不自由この上もない〟現象も多々見られる。
だとするなれば、約束等とは本当はどんなものかハッキリ知っておく必要があるのではないか、と一貫してラディカルなのだ。
約束は必ずしも果たせるとは限らないもの、アテにならないもの。信じ信じられないお互い同士。
ではどうしたらいいんだろうか?

そんな信じ信じられないお互いが本当だとするなれば、そんな思い込み、キメツケで縛った観念に囚われて自他を騙したり苦しんだりしない〝無契約〟の約束の要らない仲、信じ合おうと言わないのに間違いの起こらない仲が本当ではなかろうかとさらにたたみかけていく。

しかしこうした一文のくだりは、なかなかそのまま素直に受け取れない箇所だ。
だがしかし、

“忙しくとも、労れても、自分の生命を削ってでも育てるのは、契約や義務等でやれるような上ついたものでないからこそ、強いやさしい母となれる”
母と子 ピカソ

という一節に出会うと、一瞬にして本当なるものが立ち現れて来たような、なぜか思わずグッと熱くなるものがある。
〝強いやさしい母〟なのだ?! 
その〝強いやさしい母〟に成れるように連綿と親と子の間を繋いできたものがある!
その繋がりの源泉をくみとらねばならないとする切実な欲求が湧いてくるのだ。

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わが一体の家族考(59)

「自分が自分に出会う」手ごたえ

その頃の自分はぽつんと一人きりの、おぼろげながらも「自分が自分に出会う」手ごたえのような感受だけが唯一自分をリアルに確かめられるような心境にあった。
さきの山岸巳代蔵が安井さんに語りかけた、

“こうなったという事実を認めても自分で裁くのはどうもね。
本当は良いか悪いか分からんのやから、自分も責めない、人も責めないでその中で生きていく強い自分になることやね。そこから明るい豊かな世界が開けるのよ”

といった、
「事実その中で生きていく強い自分」
を見出す自らの体験について思いめぐらしていた時期と重なるだろうか。
「事実その中」に秘められているようにも感じられるリアルな自分に突然出会っては思わず〈やった!〉と独りごちて充たされていた。

テレビのミニ番組〝にっぽん巡礼―心に響く100の場所〟から
「そこで羽田さんは自分と向き合います」とのナレーションの声が飛び込んできたのは、そんな時だ。
女優・羽田美智子さんが幼少の頃から何度も訪れたことがある海岸の岩場にそびえ立つ鳥居を前にして次のように語るのだ。
大洗磯前神社_神磯鳥居

「鳥居の足元にも、波がかかったり、穏やかな波が来ようが、激しい波が来ようが、頑として動かない、この揺るぎない感じをずっと見ていると、自分は自分だと、あっこういうことなんだと、気づかされるんですね」

嬉しかったね。うまく言葉にならないところで同じような思念を何度もくり返していたからか、羽田美智子さんの「自分は自分だと」いう発言から瞬時に自分が心底納得する自分に出会えたような歓びに充たされたのだ!

あるときこの話を研鑚会で出したら、誰かが「私の場合は、“どうせ”がつくのよねぇ」と発言して皆で大笑いしたことがある。あまりに言い得て妙だったからである。
「どうせ自分は自分だと」仕方なく諦めがちな普段の自分らを言い当てていたからである。
だとしたら次のように問われるはずだ。

そこで見い出されたリアルな自分とは?
そんなリアルな自分を産み出すそこは、どんな場所なのか?

鳥居を前にして「頑として動かない、この揺るぎない感じをずっと見ていると」、自身のいわば〝原風景〟のようなものが迫り重なってくるのだろうか。羽田美智子さんも次のように語る。

「はじめて触れた海で、家族の笑い声とか…童心に還るというんじゃないけど、ふっーと力が抜けて、なんか休まる場所ですね」

そしてそんな〝休まる場所〟が跳躍点というか出発点となって「自分は自分だと」ふっとひらける瞬間が生まれたのだ!
自分が自分であることの、想像を絶するほどの驚きと喜び。
あらためて、そんな出発点に立ち戻った〝休まる場所〟とはどんな世界なんだろうか?

ともあれ「自分は自分だと」、そのように自分という存在を受けとめられるところから「私の倫理」なるものが呼び醒まされるのではないのか。

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 「と」に立つ実践哲叢(23)

 “奇跡の村”のときめき

先頃刊行された辻秀雄さんの『半世紀を超えてなお息吹くヤマギシの村―そこには何の心配もない暮らしがあった』(牧野出版)の本の帯のキャッチコピーに「ここは、本当に“奇跡の村”なのか」とあった。
奇跡の村

えっ!奇跡の村?、大げさだなぁ……と思いつつ、何かが突然呼び覚まされるような衝撃を感じた。
ひょっとしたら本当はそうなのかもしれない。“奇跡の村”ってまんざら根拠のない話ではないのではないか? 日々の暮らしのここにもあそこにも奇跡が顕在しているではないか。そんなふうに想いを馳せると胸がときめいてくる。
例えば以前「週に一度ぐらいは各家庭でも食事ができるように、村の一体食堂“愛和館”に休館日を設けたい」といった提案が研鑽されたことがあった。

研鑚会ではもちろん各家庭での食事云々はとがめる何ものもないのだが、それと共に「常夜灯」としての一体食堂“愛和館”の存在価値について皆で研鑽できたことが今も心に焼き付いている。いつも身近に感じられて自分らの歩む道を照らしてくれるような道しるべとしての「常夜灯」についてだ。そんな「常夜灯」の灯明と年中無休の一体食堂“愛和館”が重なってきたのだった。
常夜灯

その頃か、どうも皆となじめなく沈んだ気分のまま一体食堂“愛和館”へ普段よりも早めの時間帯に行ったことがある。すると“愛和館”の光景が一斉に自分の心の中へ飛び込んできたのだ。子供たちから老蘇さんまでみんなが耀いて見えた! 

こんな時だ。その時その場に座る人同士で一家族を形成する「十人のテーブル」の仕組みからの無言の催促や力づけに触れるのは。何かほのぼのとした温かいものに包み込まれる“奇跡”に気づかされるのは。

また例えば、自分の人生の大きな転機にかかわる人との出会いや結婚の経緯なども“奇跡”としか名づけられないものだ。
自分はそのことを臆面もなく“ある愛の詩”と勝手に名づけて機会あるごとにみんなの前でおおっぴらに言い続けてきた。
だってそれ以外に堂々と胸を張って自分の言葉で語れる何ものもないからだ。あのときめく恋に落ちたような琴線に触れる体験というか「私はあなた、あなたは私」の親愛の世界との出会いこそ“奇跡”ではないのか。他になにも要らない。もうそれで満喫謳歌。
そういえば自分らの全人幸福運動も、「かなわぬ恋ではなかろうと、チョッピリ出した手がこの知的革命案です」(『ヤマギシズム社会の実態』)だった。

そんな誰のなかにも眠っているその人なりの“奇跡”が日々新たに呼び覚まされ、ときめく最適な場として“奇跡の村”がある!
この書には、実顕地という共に働き、共に暮らす場からおのずと浮かび上がってきた、一人ひとりの“奇跡”が綴られている。何気なく、当たり前なこととして、それはある。
    

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わが一体の家族考(58)

次元の転換の〝一瞬〟

ヤマギシズム運動の先人、安井登一さんは八十歳をすぎて『山岸巳代蔵伝草稿』を書き綴けることに生き甲斐を感じておられた。
安井登一

後年自分らも山岸巳代蔵全集刊行の際、大いに参考にさせてもらったことがある。
その中に次のような逸話が記されている。
安井さんが会の本部事務局総務として活躍されていた1958(昭和33)年頃、〝百万羽構想〟が発表されて各地方の熱心な支部世話係が祖先伝来の土地家屋までも売り払って現在の三重県・春日山へ次々集結しだして、会の支部組織がメチャクチャになった。そんな会員達からの批判の矢面に立たされた安井さんは困り果て、集結場所の三重県四日市へ出かけて山岸巳代蔵に窮状を訴えた。

“山岸はニッコリ笑い乍らきいていたが、ややあって静に口を開き、
「安井さん、物事は暗く見るとそればかりが見えてますます暗くなる。やることなすことみなマイナスになっていく。あなたが『どうも分からん』という言葉さえ、あなた自身とあなたの周囲までも暗くしていくから慎重に発言して欲しいね。
こうなったという事実を認めても自分で裁くのはどうもね。
本当は良いか悪いか分からんのやから、自分も責めない、人も責めないでその中で生きていく強い自分になることやね。そこから明るい豊かな世界が開けるのよ」
聴いていた私のもやもやが一瞬からりとはれて「ああ成るほどなあ」とじっと山岸の目を見つめた。山岸はポンと私の肩を叩いて、
「あるものが見える人、見えない人。無いのに見える人、見えない人。いろいろあるわね」
私は即座に参画を決意し、直ちに家に帰り、家族会議の反対を押し切って山林を処分して資金を携えて百万羽に出資して参画した。”

よくぞ、即座に参画を決意する、その次元の転換の〝一瞬〟をあざやかに記録にとどめ置いてくれたものだ。貴重な研鑽資料ありがとう。
ところが、
翌昭和34年所謂「山岸会事件」で逮捕された安井さんの津拘置所からの次のような発言が残っている。

“私は最初に急革の方法の一部を知って不安を持っていたが、今回の事件を通じて、これが誇大妄想狂的な間違った方法であるとの確信を得ることができた。
あの方法では理想社会の実現は不可能と思われる。”(『快適新聞』昭和三十四年九月発行)

自分らの意志をもってやったことが「誇大妄想狂的」だったのだろうか? 理想を目指してのたぎる情熱からのあらわれが度を過ぎたからであろうか?
観念動物と称される人間特有の「観念習性」からの逆説なのだろうか。
あの当時「Xマン」「Z革命」などの流行語と共に日本列島を揺るがせた渦中にあって無理からぬ発言だったのだろうか。

だがしばらくして事件の余波も収まった翌昭和三十五年七月、安井さんは直接山岸巳代蔵に今一度さきの「山岸会事件」での真意を「どうも分からない、疑問だ」として問いただす。

安井 あの時、人を殺さねばならなかった、その理が分からぬ。
山岸 今度揃った時、ゆっくりやろうよ。あのこと一つ一つ採り上げんでも、他のことも含めて。自分の買ったマッチで家を焼くこともあるし、言い逃れでなしに、理も現象もゆっくり時間をかけて。
安井 あれが私の最もひっかかりの問題になってる。
山岸 あれ自身もやけど、その真相が違う。「あれをいけない、どうだ」と暗く見ないで。
安井 一時は決めてて苦しかったが、今は決めてないので、詳しく理を検べたい。他のことはずいぶん言われて出したが、あれだけは同志一人でも傷つけたくないので言わなかった。
山岸 真相、事実を零位に立って検べることだと思う。
安井 原因は分かるが、そうなったことに、私自身なぜもっと積極的努力をしなかったかと後悔してる。
山岸 焦点の真相を知らんと思う。
安井 そういうものもあれば、聴いてスッキリしたい。
山岸 聴ける法廷があれば出して、「なるほど、なるほど」となるのよ。永々と時間をかけて下手に解釈したら、無実の罪証が成り立つことになるかと思うが、それを徹底的に真相を洗ってみたら、僕はないものと思う。おそらくは各々の観方をしてると思う。洗ったら、「ああそうだったんか」というものが出ると思う。”(第一回ヤマギシズム理念徹底研鑽会)

動物の中の人間は本能以外にその特質として〝観念の動物〟と云ってよいくらい観念に左右され影響されて生きている。観念によって不幸にも幸にもなれる。そこから昔からの風俗、習慣、道徳その他、その他の観念による考え方の見直しや観念転換といった観念の特質を知った上での人間知能の用い方の是非が問われてくる所以であろう。
だとしたら観念面を正すとは具体的にどういうことだろうか?
ここでの安井さんと山岸巳代蔵の問答の中に、人間観念の取り得る二面性というか二通りの人間知能の用い方が象徴的によくあらわれているとふり返ってみて思う。
安井さんというか今も自分らにとってなじみがある「どうも分からない、疑問だ」とする〈問いの型〉と山岸巳代蔵の「真相、事実を零位に立って検べることだと思う」とする〈応えの型〉がかみ合わない二面性である。

この一致しない〝ズレ〟のなかに、今なお世界中でくり返される〝不幸の原因〟を見る思いがする。
この問答から心ならずも浮かび上がる秘められた〝ズレ〟こそ、もっともっと徹底的にひらき吟味すべき個所なのだ。ここの一番肝心な部分が未だイメージされないまま閉ざされ見すごされているのだ!
「平和のために戦争し、神に祈って爆弾を恵む」(知的革命私案)愚行・蛮行が世界的に容認され続け日常的にくり広げられている所以なのである。

“こうなったという事実を認めても自分で裁くのはどうもね。
本当は良いか悪いか分からんのやから、自分も責めない、人も責めないでその中で生きていく強い自分になることやね。そこから明るい豊かな世界が開けるのよ”

あらためて安井さんの「どうも分からない、疑問だ」といった一般社会常識観・価値観の次元から即断即決の参画への〈転換〉に思いをめぐらしてみた。

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わが一体の家族考(57)

「迷える羊の群れ」の行き末

当初自分らの多くは、無自覚のまま一般社会通念や価値観等を引きずって実顕地で暮らしていた。だからその外形や建物を実顕地と考えていたり、集団で生活しているのを実顕地と思ったりもしてきた。

すると例えばイズム運動の理念〝全人幸福親愛社会の実現〟を前にすると、自分の好みや身近に感じられる家族等の事柄を重要でない二義的な問題と見なしがちであるのだ?
要は我慢してしまうのだ。自分で自分のフトした思いまでも抑えてしまいがちなのだ。
つまり〝全人幸福親愛社会の実現〟という理念を前にして、運営の任にある者は全体のこととして、各自は自分自身のこととして事に当たるわけなのだが、各自の身の処し方がぼんやりしたままなのだ!
まさに「迷える羊の群れ」だった。
迷える羊の群れ

どうしても一般道徳価値観的な立ち振る舞いを引きずってしまうのだ。

例えば自分の場合、1970年代後半会の機関紙『けんさん』に〝ある愛の詩〟と題した長文の原稿を投稿したことがある。内容は、実顕地に参画してはじめて自分にとって素晴らしい女性に出会えたという、そんな「いい目にあった、いい思いをした」という体験を綴ったものだ。
するとある時、たまたま風呂への行き帰りのすれ違いざまに当時実顕地造成担当の杉本さんから「佐川節をきかせてもらったよ」とニッコリ声かけられたことがあった。
びくっとした。
というのも当時実顕地全体が有精卵の増産態勢の方へ力強く盛り上がりつつあった時期だったので、自分にはそんなマイナーで軟弱な私的な世界に入り込んでいる自分が否定されているように勝手に受けとったのだ。おかしな抑制作用が働いたのか、それ以降そんな自分の「ぬるま湯的」生き方を自己批判し意識して封印するようになった。
亡くなるまで吉本さんが懸念されていた「制度の問題を、倫理の問題に転嫁してしまう」矛盾にさらされる一例だ。

晩年の吉本さんは画一的な〝善意の押しつけ〟の体験例をヤマギシ会がいちばんの模範になっているとして語る。
“僕は入院していてもそういうことを感じました。宿直の女性看護師さんなんか、僕がトイレへ行ってちょっと音をさせると起きてきて、「大丈夫ですか」、「転ばなかったですか」と言いながら、カーテンを開けて声をかけてくれる。「大丈夫です、どうぞ寝てください」と言うと出ていくわけですが、それが僕にはだんだんうるさくなってくる。うるさいな、もっと空間を広げないといけないなと思うようになってくる。
そうしたらどうすればいいのか。それこそ、その配慮が難しい。向こうは職務に忠実であり善意であることは確かですから、「いいから寝ていてくれ」と言いつつ自分の自由空間を広げることができるかといったら、ちょっと難しい。やはりためらいがあって、きついことは言えないです。向こうは善意でやってくれているし、職務で忠実にやってくれているのだから、これ以上何か言ったら「ぜいたくだ、あいつは」となるから言えない。”(『時代病』2005年刊行)

病院の中ではお医者さんや看護師さんと患者とは、食い違いお互いが離れている。そこでは管理する方が楽になるために、被管理者(患者―引用者注)の人間力を殺してしまっているのだという。
そこで考え抜いた吉本さんなりの処方箋は、「人間の倫理性とは無関係に」被管理者の利害や事情を第一義的に考える管理制度に切り替える以外に方途はないというのだ。

これこそ現代社会が直面している医療や介護問題の核心なのだが、早とちりされてまるでヤマギシ会という〝カルト村〟(?)特有の問題なのだと誤解を招きがちだ。普通に人と人とが離れ、相反目している個々人主義の日常では却って目立たなくなっているにすぎない。

群れの中に山羊を混ぜておくと山羊が率先して川を渡るため、羊はそれにつられて川を渡るそうだ。
個像でなく群像としての羊の群れを描こうとするとき、そんな従来の倫理に囚われない山羊とめん羊のかくも徹底した役割分担のかつてない人間倫理を基調にした社会像が問われているのかもしれない。

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わが一体の家族考(56)

自分が切実に欲求するもの

思いかえせば、この間〈倫理〉について同じことを何度も繰り返し繰り返し書きつけてきた。
というか今なお人間倫理即ち倫理が生まれる始まりについて問うことは、もっとも本質的でリアルで切実なテーマとして自らに迫ってくるのだ。
手元の辞書には、〈倫理〉とは「人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。」とある。
道程

もっとも今の睨み合い・奪い合い・殺し合いのとどまるところを知らない時代の潮流のなかでは、
「いまさら倫理なんて意味ないし実感もないヨ」
「この世の悪の裏も表も露骨に現れ出る修羅葛藤の日々のどこに倫理なんて問える?」
と逆に言い返されそうだ。
例えば山岸会会旨「われ、ひとと共に繁栄せん」などはちゃんちゃらおかしい色あせた死語となっている!
自分らはそんな倫理なんて問わなくても良い刹那(せつな)の世界に住んでいるのかもしれない。
自分の場合〈倫理〉という言葉が最初に意識されたのは次のような場面であった。

1960年代後半の学生時代、
「権力を無くするとか抗するとかいうばあい、最低自らの中に対立感とか怒りなどの感情の払拭が条件になるのでは……?」
とその頃いちばん思い悩んでいた問いを、今は亡き吉本隆明さんにぶつけたことがある。
するとしばらく考え込まれていた氏は

「いや、それはあなた個人の内面を律する倫理であって、それと国家権力とか制度を無くすることとは一切関係ない」
とその件に関しては自分もとことん考えてきた末の結論だといった確信に満ちた口調で喝破された。

びっくりした。なぜ関係ないのだろう? 
自分が托する倫理的行為のさきに「理想社会」は描けないのだという?!

その後、自分は山岸会に参画したのだが、その時の驚きや疑問となぜ自身のヤマギシズム実顕地づくりなのかという問いとが、事あるごとに切実に降りかかってくる場面に遭遇してきた。これを解かずには自分は一歩も進めないのだという思いにも囚われた。
とまれ「個人の主観性の場所」から「私の倫理」「私の社会倫理」へと掘り下げる道程を今一度辿ってみることにする。
分からないことだらけの中でせめて人間が幸福に暮らせる根元的要素を探り当て、自らの心身の糧にしていきたいのだ。

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わが一体の家族考(55)

あなたまかせの生活史

また「獣性より真の人間性へ」では、次のような一文が続く。

“一日、或る人家の軒下を流れとどまる下水溝に、黒く細長い、蛭(ひる)にも蚯蚓(みみず)にも、八ツ目うなぎにさえも持たない、熾烈な悪寒を覚える醜体の、一匹の虫のうごめきを見ました。
青年時、庭先でこれによく似た、頭部が銀杏の葉のような形に拡がった、黒い虫(コウガイビル?―引用者注)
コウガイビル

を初めて見た時、慄然(りつぜん)とした印象が今なお蘇りますが、こういうものを見ると逃げ出したくなり、目につかねばよかったのに、また何故あんな虫がこの世に置いてあるのか、そして何を楽しみに生きているのかと、時々思い出して暫し耽ることがあり、何時水気がなくなり干乾しになるか、どんな劇薬や苦いもの、酸いもの、辛いもの等が流れて来るか、熱湯をかけられるか、不安の日夜をのたうって、三日がかりで漸くにして遡上したものを、一夜の水にどこまで流されるやら、あなたまかせの生活史です。今日はうどんの煮汁か米とぎ水か、魚の臓物の饗宴にありつけるかと、あわれうたかたに望みをつなぐ生涯でしょう。しかし、また案外数少ないであろう彼等にも、配偶者に会う仕組みは、うまく与えられてあるのか、種の絶滅もなきまま、こうして産み付けられた吾が身の不運をかこっているかどうか、詮索したくなります。人間の誰かと引き較べて。”

孤独死、介護殺人・介護心中、老齢の母親と寝たきりの息子の餓死といった痛ましいニュースが日常的に流れる昨今にあって、「あなたまかせの生活史」とか「あわれうたかたに望みをつなぐ生涯」といった語句に出会うと、何だかダイレクトに自分自身を指された気持になる。
しかも同時に、そうした絶望的なアテにならない状況のなかでも「配偶者に会う仕組みはうまく与えられてあるのか、種の絶滅もなきまま」今日に至っているといったくだりに辿りつくと、なぜかホッと救われるような一条の明るさのようなものを感じるのは自分だけだろうか。
よくよく見れば、いつも何か着て、何か食べて生きてきた。そんな物心共に受けるばかりの暮らしに気づかされる。「うまく与えられてある」恩恵にただ一方的に浴するばかりの存在だからだろうか。『山岸会養鶏法』の一節に、

“金も名も求めず、各自の身に合う仕事で世界中に踊り、天地に愧じない連中には、至る処家在り、食有り、友、吾が子ありです”

とあるが、なるほど受けるばかりなのに「天地に愧じない」とはこういう実態なのかと知らされる思いがする。
金を求めない実態はもちろんのこと、育ててから消えるといった名を求めない範疇にまで分け入らないと、あなたまかせの「うまく与えられてある」恩恵との帳尻が合わないというのだ?! 

すべて芝居であり、遊びであり、生きている間の慰みで、楽しい一つの踊りに過ぎないのだから……。
こうした文脈にそってあらためて
○私の倫理「親は飽くまで、子に資するもの」
○私の社会倫理「自己より発し、自己に還る」
を問うてみたいのだ。

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「と」に立つ実践哲叢(22)

ふとした心の転換から

今もスペインのサグラダ・ファミリア教会でガウディの遺志を継ぐ彫刻家・外尾悦郎さんのことが以前新聞で紹介されていた。石を彫りたい自分に気づいて、若き日偶然スペインで石の教会の工事現場に飛び込んで以来、今日までやってこれた理由に、ふとした心の転換があったからだという。
サグラダ・ファミリア教会

それはガウディに近づこうとするのではなく、ガウディと同じ視点で見ることこそ必要なんだ、と気づいたとき、ガウディが自分の中にいて、同時に、ガウディの中に自分がいるという感覚が芽生えたというのだ!
あ、これだ。こんな感じかなあ、と思わずうれしくなった。自分にも思いあたる節があったからだ。

久しぶりに入学したヤマギシズム研鑽学校でのことだ。
ボードに記されたある日のテーマ「無我執研鑽」についてのくだりの一言、「異い」の文字をじっと眺めていたとき、そうだ自分がヤマギシズムになったらいいんだ! という思いがふと湧いた。
でもその直後、そんなバカな! と即座に打ち消す自分がいた。だって我執の塊のような自分がヤマギシズムそのものになれるなんて金輪際あり得ないからだ。その慌てっぷりといったら、思い出すたびにおかしくてたまらない。

がしかしそれで話は終わらなかった。研鑽学校を終えてからも、なぜか我執っぽくない心の琴線に触れるような名状し難い温かいものが何度も湧いてきては、そのものに癒やされている自分がいた。

あれっ、この繰り返し湧いてくる温かいものって何なんだろう? 不思議と疑問が深まるばかりなのだけれども、一方で「自分がヤマギシズムになる」という突拍子もない思いを解いていく糸口がそこから見いだされていくような予感もあった。

たしかに「無所有」とか「無我執」とか「一体」といううかがい知ることのできない理念と今のみじめな自分とが一つに溶け合えるなんて絶対にあり得ない。でも何処かにきっとあるはずだ、と心が奮い立った。
糸口は先の外尾さんの「ガウディに近づこうとするのではなく、ガウディと同じ視点で見ることこそ必要なんだ」といった気づきにあった。
我執っぽい自分の思いや考えから近づこうとするのではなく、ガウディと同じ視点(=位置)に立つというか、ガウディが込めた思い(=心)になることにあった?

自分の思いや考えでは正しく相手の心情を推し量れないが、「その人の心と一つになる」ことはできるかもしれない。これまた目からうろこの大発見だった。するとあの「我執の塊のような自分」などを後生大事に持ち続けなくてもいいんだ、という突き上げるような歓びが実感されてきた。
個々別々に離れてお互い対立し合う自己のことを唯一の自分であるかのように固く思い込んできた。
でもこの間自分らは「と」に立つ実践を通して、一体観に立って見るとこんなにも仲良くなれることを実感するのだ。

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わが一体の家族考(54)

初心に込められてあるもの

ヤマギシ会の第一回「特講」開催にさかのぼる二年前の1954年1月の全国愛農会に向けての寄稿文やその頃『山岸式養鶏会会報』に掲載された「獣性より真の人間性へ」等での山岸巳代蔵の発言は、新しい社会づくりへと一歩踏み出した高揚感に包まれて〝本質的なものこそ本当のもの〟といった気迫みなぎる心のこもった言葉に満ちている。
例えば全国愛農会に向けての寄稿文では、

“私は当日も申しました如く、古今を通じて最大の欲張りを以て任ずるものであります。またかくあらんことを欲するもので、人生ある限り、百万年の生命、無限の存在を確信し、日常茶飯事にも永遠に大きく生きんことを心するものであります。
私は拙い私の養鶏寸話を、一億円のお土産と、自ら勿体付けました。しかし決して誇張する意味でなく、現実、当座の一億円であって、種子一億円を持参し、これを各地方地方へお持ち帰り下さって、皆様方の尊い御手によって地に下ろし、御愛育願い、同心の方々に広く御分讓下さって、一粒万倍に、地上に花を咲かせ、穫って、もって実を心身の糧にして頂くことを念願するものであります。”

と自らを「古今を通じて最大の欲張り」とか「永遠に大きく生きん」と位置づけ、自身編み出した養鶏法を「一億円のお土産」にも例える。何を言わんとしているのだろう?
こういうことだろうか。

ヤマギシ養鶏法を実施することで、1反歩6俵の実績の田で7俵収穫は立証済で、今日本の米不足一千万石を解決する。しかもこれは土地を広げたり労働力を加重せずに正味の増産で、一千億円浮かすことになる。そこから割り出された「一億円のお土産」なのだ!
かくして鶏卵肉と米麦などの増産で、全国民が飽食し、なお余りが生じてくる。
しかしよく産み、よく穫れ、よく儲かっても、それでよいとしない。本当の養鶏とは、永遠を希う大欲養鶏なのだ。増産・増収が目的でなく、よい社会を造る手段なのだと、底ついて底抜けるところまで行こうというのだ。

“働かずして卵肉が無限に生産され、空気や水に近い状態で用いられる仕掛けを唱導するのです。全国的に柿が豊作なれば、誰も隣の柿に目を付けない。播いた種が稔って、開いた口中へ落ちる、〝自己より発し、自己に返る(還る)〟仕組みを推奨致したいのです。”

あたかも織物の強さは縦の繋りのみではない、横も同じように強い連繋を持たねば役立たないように、お互いの終極の目的、幸いに満ちた世界の実現も「永遠に生きる私」という縦の繋がりと「社会」という横の繋がりによって織り上げられるべきものだと……。
これがなされなくては何の革命ぞ、とかけるものがあった。
また「獣性より真の人間性へ」では、養鶏法を通してのヤマギシ会会活動の実態を

“今や地軸を動かす事態が発生しつつあるのであります。”

と突拍子もない比喩表現から始める。
なかでも〝耳かきで飯を盛る〟という絶妙な例えでもって、題名の〝真の人間性〟を浮かび上がらせていく。
筆者は蚕の国を覗いて、

“食べて、子を次代に引き継ぐのみなれば、蚕の繭に、何を以て竝ぶべき。”

と省みる。

“彼等は、すくなくとも、彼等の多くは、節をハッキリ行っている。得たものを積み、規則正しく脱皮を、そして吸収成長の期と、整理と、後の世への生命の繁栄を、画然と区分けしています。そして絹とその他のものを残しますが、人間は何時の間に何を為したか、何時まで何を何しているのか、分からないうちにハートが休みます。”
カイコの一生

“蚕虫に愧ずるものがあります。”
“人間には虫魚禽獣の持っているものと、少しは異なったものを具えていることを認めています。が、それを用いることを成さず、また持っていることさえも知らずに唯、蚕にも及ばぬ行いに終るとは、愚かしき限りであると思うものです。”
“私は私達の周囲を眺め、これはまた耳かきで飯を盛る行いを随分、飽かずに、飽きながらも、毎日・毎月・毎年・時々刻々の分秒を、営々として、生命の燃焼に費し続けていることに”

気付かされる。
あらためて〝世紀の恥辱〟とか〝愧ずる〟とか〝愚かしき限り〟とか〝飽かずに、飽きながらも〟といった語句をたたみ込むように突きつけられると、とても他人事とは思えず暗然として言葉を失う。
その一方で平然と落ち着いておられない気がしてきて、では自分のどこが愚かでその原因・根拠がなへんにあるかを突きとめたい意欲も湧いてくる。
すると焚きつけられるように「よーしやるぞ!」といった気持がかき立てられてくるのが不思議だ。

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わが一体の家族考(53)

禅問答式に托されているもの

さきのいつも何かに脅かされているような倫理観に悩まされている作品『門』の主人公・宗介は、とうとう鎌倉の禅寺へ泊まり込んで座禅を試みる。
禅問答

そこで老師から公案が出る。

「父母未生以前の本来の面目如何」

父と母すらまだ生まれていない自分って、どこにいるんだ、自分って何なんだ? ということだろうか。
彼は考えに考えた。しかし自分の考えをもって老師の前に出るのだが、「もっと、ぎろりとしたところを持って来なければだめだ」と撥ね返される。「そのくらいのことは少し学問をしたものなら誰でも言える」と。

“宗助は喪家の犬のごとく室中を退いた。後ろに鈴を振る音が烈はげしく響いた。”

結局のところ宗介の心を乱している心配事は何一つ解決しないまま十日前にくぐった山門を出た。
家の敷居をまたいだ宗介は、髭は伸び顔は青く出る前よりも面やつれしていた。見かねたお米も、行かない前よりかえって健康が悪くなったらしいとは、気の毒で露骨に話しにくく、
「いくら保養でも、家へ帰ると、少しは気疲れが出るものよ。けれどもあなたはあんまりじじむさいわ。後生だから一休みしたらお湯に行って、頭を刈って髭を剃って来てちょうだい」と気づかう。
ところがナント留守中に宗介の心を乱していた心配事が解けていた?!

“彼の頭をかすめんとした雨雲は、かろうじて、頭に触れずに過ぎたらしかった。けれども、これに似た不安はこれから先何度でも、いろいろな程度において、繰り返さなければ済まないような虫の知らせがどこかにあった。それを繰り返させるのは天の事であった。それを逃げて回るのは宗助の事であった。”

とようやく春めいてきたにも関わらず
「うん、しかしまたじき冬になるよ」
と宗介の倫理観が言わしめるところで作品を終える。

こうしたいつまでも悩み続ける宗介の倫理観は、現代人にも生きつづける倫理でもあるにちがいない。
またヤマギシズムの「特講」でも、掴まえどころなく気持を表そうとして表せぬものに対し、禅問答式が使われている。そういうものでしか、それをひとに通じさすすべがないのだ。
その伝でいくと「父母未生以前の本来の面目如何」という公案はどのようにして解かれるのだろうか。
自然と人為の調和を基調とした思想ではどうなるのだろう。とても興味深い。

ちなみに山岸巳代蔵は次のような意味あいで「倫理」についても触れている。
○私の倫理「親は飽くまで、子に資するもの」
○私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」
ここでの「私の倫理」とか「私の社会倫理」という言葉で何を言い表そうとしているのだろうか?

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わが一体の家族考(52)

理想とする〈性〉のある暮らし

一対の男女・一対の夫婦について想うとき、いつも夏目漱石の作品『門』でのお米(およね)と宗助(そうすけ)の〈性〉が顕わになる暮らしが思い浮かぶ。
夏目漱石 門

こんな二人のほのぼのした仲睦まじい描き方がいいな、いいなとずっと惹かれてきた。
物語は、冒頭の宗助が秋に日向ぼっこをしているシーンから始まる。

“宗助はさっきから縁側へ坐ぶとんを持ち出して、日当りのよさそうな所へ気楽にあぐらをかいてみたが、やがて手に持っている雑誌をほうり出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来をゆく人の下駄げたの響きが、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。ひじ枕をして軒から上を見上げると、きれいな空が一面に青く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に比べて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうしてゆっくり空を見るだけでも、だいぶ違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、眩しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子のほうを向いた。障子の中では細君が裁縫をしている。
「おい、いい天気だな」と話しかけた。細君は、
「ええ」と言ったなりであった。宗助も別に話がしたいわけでもなかったと見えて、それなり黙ってしまった。しばらくすると今度は細君のほうから、
「ちっと散歩でもしていらっしゃい」と言った。しかしその時は宗助がただうんという生返事を返しただけであった。”

そしてひっそりと暮らしてきた夫婦の生活が大きく揺らいだ冬を経て、春の訪れを感じるところで物語は終わる。

“お米は障子のガラスに映るうららかな日影をすかして見て、
「ほんとうにありがたいわね。ようやくのこと春になって」と言って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を切りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。”

何の変哲もない日常の暮らしが、かくして季節の移り行きと共に誰の心にも染みいるように掴み出される。そこがたまらないところだ。
しかしいつ崩れるかわからない怖れがある崖下の借り家に住む二人には、「大きく揺らいだ冬」があった。
じつは宗助は、かつての親友である安井の妻であるお米を得たが、その罪悪感におびえ、ひっそりと暮らさざるをえなかった。いわば社会から逃れるように暮らす夫婦の苦悩や悲哀を描写しているようにも見える。

“夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪えかねて、抱き合って暖を取るような具合に、お互いどうしたよりとして暮らしていた。苦しい時には、お米がいつでも宗助に、
「でもしかたがないわ」と言った。宗助はお米に、
「まあ我慢するさ」と言った。
二人の間にはあきらめとか、忍耐とかいうものが、絶えず動いていたが、未来とか希望というものの影は、ほとんどささないように見えた。彼らはあまり多く過去を語らなかった。時としては申し合わせたように、それを回避するふうさえあった。お米が時として、
「そのうちにはまたきっと好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」と夫を慰さめるように言う事があった。すると、宗助にはそれが、真心ある妻の口をかりて、自分を翻弄する運命の毒舌のごとくに感ぜられた。宗助はそういう場合には、なんにも答えずにただ苦笑するだけであった。お米がそれでも気がつかずに、なにか言い続けると、
「われわれは、そんないい事を予期する権利のない人間じゃないか」と思い切って投げ出してしまう。細君はようやく気がついて口をつぐんでしまう。そうして二人が黙って向き合っていると、いつのまにか、自分たちは自分たちのこしらえた、過去という暗い大きな窖の中に落ちている。”

しかしずっと社会から逃れるような生き方ゆえ齎された平穏な暮らしという当然の帰結は、矛盾しているのではないか? 
そこに自らの理想を全面的に重ねることにいつも違和感をも感じてきた。
主人公のいつも何かに脅かされているような倫理観が重苦しいのだ。
負い目を感じる主人公の倫理観と平穏な一対の〈性〉を基盤とする暮らしは切り離せないものだろうか。
本当はむしろ、そんな社会から見捨てられ・離脱することではじめて浮き彫りになるものへと転回したいのだ。

“彼らは親を捨てた。親類を捨てた。友だちを捨てた。大きく言えば一般の社会を捨てた。もしくはそれらから捨てられた。”

そういえば当の自分らヤマギシストもまた、世界中の人がみんな仲よく仕合せになるようにと願って、家財産はおろか生命までもつぎ込んで「実顕地」づくりへと参画したのだった!

今なお既成の社会通念・倫理観、価値観に胡坐(あぐら)をかいたまま
「世にあるユートピア思想で家族の共同性を解決しようとした試みはすべて、かえって社会的な弱者、子どもや女性の不幸、つまり家族の解体に至るということに帰結したからです。それがヤマギシ会という悲劇の本質と言っても過言ではありません」(『わたしはこんな本を作ってきた』小川哲生 )
とふてぶてしく居直る迂闊者も見られるが……。

いずれが正か逆か? これはわかる人にはわかる。わからぬ人にはわからぬ。
ともあれかつてない新しい倫理がきっとあるはずなのだ。
私を生み、育み、注ぎ込まれたものが活かされんことを……。

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わが一体の家族考(51)

引いてしまう〈性〉の世界

またなぜ今、恋愛・結婚観なのかを問うことは、なぜ今〈性〉なのか? を問うことに繫がるはずだ。
噂に伝え聞く「血みどろの愛欲史」といった表現から退廃的な獣のしるしを連想したりして引いてしまう誤解・曲解を怖れる余り、男女の恋愛・結婚観や〈性〉にまつわる「愛情問題」に触れることを避けてきた経緯がある。
そうしてそのことが遠因となって、ヤマギシズム社会のもっとも重大要素は親愛の情によって全人類間の紐帯となすことを謳いつつ、そこから逸脱していく事態を招くことになった?!
ここに、理想社会実現への方向性を混乱させ〈性〉の世界探求への遅れをとったいちばんの要因があったのではなかろうか。

例えば1960年代アメリカで始まったとされる「フリーセックス」の風潮があった。
それまでの女性は貞淑で家に居るべきであるのような、厳格で古典的な「社会的性役割」の考え方を打破して、社会的性別(ジェンダー)に対する一般通念に囚われず、人それぞれの個性や資質に基づいて、自分の生き方を自己決定出来るようにしようという、「固定的な性役割の通念からの自由を目指す」考え方に基づいた運動だといわれる。
そうした旧来の因習に囚われず自由でありながら見ず知らずの人間同士が大きなトラブルもなく扶け合う象徴的なイベントが、1969年夏アメリカ・ニューヨーク州での40万人が集った野外ロックコンサート「ウッドストック・フェスティバル」だった。
ウッドストックコンサート

こうしたカウンターカルチャーの流れの中で1970年代の山岸会が、共同体コミューン運動として脚光を浴びたのは必然だったし、特定の相手に関係を限定しないフリーセックスという意味での短絡的な実践が集団の存立を危なくする懸念も少なからず見られた。
こうした時代文化背景なども加わって、本質的な意味での人と人との繋がりを顕現する一対の男女・夫婦というあり方への究明が遠ざけられていった。そうした自由な性愛の実現が研鑽できる環境・資格条件をその前に備えねばならないとして……。

並行してまた時代の潮流も、飛躍的な科学や技術のハイテク化・経済のグローバル化に拠る高度管理システム社会を促進していく。つまり諸個人を男女のない会社人間・仕事人間・ユニセックス人間化へと拍車をかけることにも繋がり、当の〈性〉の世界は性風俗として付属的に扱われるようになった。
今ほど理想社会づくりに現代社会紊乱(びんらん)の浄化・安定に、男女の恋愛・結婚観や〈性〉にまつわる「愛情問題」に眼をそむけずに近づきたいモチーフにかられるときはない。

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「と」に立つ実践哲叢(21)

ヤマギシズムの醍醐味

池に氷がうっすらと張る季節がくる頃、いつも思い浮かぶ一句がある。

「凍る池 藻は青鯉の泳ぎ居り(鬼面子)」
凍る池

この句は昭和三一年一月、第一回「特講」が開催された頃、会機関紙のコラム「立卵鑽」に山岸さんが記したものらしい。要旨は―
鶏を見ればそこの家の様子がすっかりわかるとは真実である。和やかなニコニコの家かトゲトゲしい争いの家か……。なぜなら鶏はそこの家の人によって育てられているからで、子を見れば親がわかるのと同じである。
しかしそれも「見る眼」が出来ていなければ見えないので、「見る眼」は正しく見られる心が出来たか出来ぬかによって定まる。
今回の「特講」参加者の第一の獲物は、この「正しく見る眼」の出来たことであった。そして結びの一節にこの句が置かれる。

ある日の研鑚会で皆で侃々諤々この句を鑑賞し合ったことがある。
「これは見えないとアカン。考えてワカラン」
「もし辞書引くこと知らないなら、どう考えるだろう?」
「青い鯉と書いてあるから青い鯉はあるものだと、そんな見方で見たら鯉も青く見えてくるかもしれない」
「しかし辞書引いても青鯉は出てこないから、これは他に意味がありそうだ、そんなことあり得ないと考えがち」
「そのままでええんよ、考えなくてそのまま」
「やっぱり赤いものは赤いし、白いものは白いかね?」
「この俳号の鬼面子って?」
「ほら、怒り狂った眼でいると人間の顔してても鬼に見えるというじゃない。だから形よりも実質を観て下さいと……」(ちなみに後年、山岸さんは自らを未熟未熟の鈍愚生とも名付けていた)
「特にヤマギシズムでは一般にないものがある。そこを発見していくところに醍醐味があるのではなかろうか」
ここでも目からうろこだった。パーッと世界が開けた。

その後有精卵の供給活動が始まった頃、卵の黄身が白っぽいとのクレームが活用者から多く寄せられたことがある。そこで自分らは困ったことになったとみっともなく動揺した。ふだん「一個の卵に心を托す」とか「込める」と口先だけで言っているのか、それとも真実なのかを試されているのであった。
またそうした場面に直面するにつけ、あの「やっぱり赤いものは赤いし、白いものは白いかね?」の問いが迫ってきた。自分らヤマギシストは、白でもない赤でもない「真っ白な赤」を発見する日々ではなかったのかと。
本稿のタイトル〝「と」に立つ実践哲叢〟には、そんな一致とか重なるとか合わすとかの表現でイメージされてくる「仲良し」の本当の実態が込められてあるようだ。
こうした「仲良し」とか「楽しい」といつた簡単な言葉に秘められてある奥深さのようなものをもっと味わい尽くしてみたいものだ。
 

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わが一体の家族考(50)

なぜ今、恋愛・結婚観なのか

なぜ今ヤマギシズム社会における真の恋愛・結婚観の探求なのだろうか?
具体的な心当たりがあるわけではないが、直覚されるものがある。それはヤマギシズム理念即ち
○自然全人一体観
○無所有 共用
○無我執 放す
○全人真の幸福
○絶対愛
○心物 正常 健康 豊満
○研鑽科学生活
その他等々を顕現する場としての「実顕地」なるものの実態をもっと明らかにしたいという欲求に根ざしている。

この間実顕地づくりと称して、ヤマギシならではの独自の生活様式や学育・産業形態、組織機構や政治形態を編み出しては形にも現してきた。しかし、その考え方や内容はあまりにも今の常識からかけ離れているために、今の常識観念そのままでは到底理解されないし、不思議がられたり、怖れられたりしている。また、特定の人でしかできないかのように誤解されてもきた。
いや、そうした誤解・曲解は他人事だと思いきや、じつは実顕地の中に住む当の自分自身がひょっとしたらとんだ茶番劇をやらかしているのでは……といった疑心暗鬼の思いにかられるのだ?!
ややもすると一般社会通念や価値観の牆壁の厚さに押し潰されそうになるのだ。
例えば吉本隆明さんは、次のようなヤマギシズム〈一体〉理念への疑念を抱かれていた。

その「一体」というところでかんがえていちばん問題なのは、男女の結びつきの次元というのが共同体の次元と同一化してしまうことです。そこがものすごくきついんじゃないでしょうか。かりにそういう男女がいるとすると、かれらは絶えず共同体の水準におかれようとする力を「一体」という観念から受けているから、男女のあいだに、ささやきとか、声にしなくてもわかるとか、そういう意味の微妙さがなくなっちゃうんじゃないでしょうか。ふたりでいるんだけれども、絶えず脅かされているといいますか、全部公開されているみたいな、そういう心理状態に絶えずさらされていることになる。
もし人間の性愛のなかに、色とか、味とか、匂いとかの比喩でいうべき問題があるとすれば、それが全部、無味・無臭・無色というふうになってしまうような気がするんです。ほんとにそうなることはたぶんありえないから、絶えず解体にさらされるか、または、もし男女の結びつきがひじょうに親密になってくれば、共同体から出ちゃうという衝動をいつでも感じざるをえないみたいな、なにかそういうところでいちばん矛盾にさらされるような気がするんです。(吉本隆明『対幻想 n個の性をめぐって』1985.1春秋社)(わが一体の家族考12)

そうなのだ。一般社会通念や価値観等を引きずったまま実顕地で暮らそうとしたら、たちまち吉本さんが懸念される「矛盾にさらされる」こと必至である。この間こうした修羅葛藤の渦に巻きこまれたこといかほどあったろうか。

自分ら実顕地生活者もそうした修羅葛藤の社会出身者であるだけに、ヤマギシズムの目標や理想がはっきりしている割にはヤマギシならではの「原点」については未だ究明や見直しが進んでいないことに気づかされる。
日常衣食住の豊かさや便利さについての喜びや満足はあるが、それは比較感や自己欲望からの満足感であったりして、原点からの歓びや充足感など絶対的な歓びとの異い・識別については案外見すごされているようなのだ。
怒濤のように進撃してくる科学や技術のハイテク化・経済のグローバル化に拠る高度管理システム社会の波に翻弄されながらも、その原因・根拠がなへんにあるかつきとめ得ないまま、人間社会はこんなものだと観念づけてしまいがちな昨今であるのだろう。
自由と見えて真の自由でない、自らの手で自らを縛り、他とも又縛り合う世界への行進に、もはや現実を拓いていく力は失われている。
事態は絶望的に見える。

ところがこの間自分らが体験したのは、あの「いちばん矛盾にさらされるような」自分自身どん詰まりの生活感情に陥ったまさにそのときに、ハッと世界が一変して開かれたのだ!
そんなものがヤマギシズム社会における真の恋愛・結婚観に秘められてあるように直覚されてきたのだ。

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