自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(74)

〝二つの私〟を知る

その頃山岸巳代蔵は、山岸会全國大会や「百万羽科学工業養鶏」構想の講演時に本名とは別の〝大村公才〟なる名を自称していた。その謂われを愛情研鑚会の中で次のように語っている。

“私は大村キミオっていう名をつけた、あれはね、ねえ、「全人に適当に使われたらいいんだ」っていう、そこから出た、あの夫(オット)っていう字を書いたんですわ。夫(オ)は、それではやはり一般を刺激するから、才(サイ)という字を書いてますけどね、夫(オット)という字、大村公夫って。
一旦あのねえ、瀬戸内海でねえ、ねえ、私はもう、ワタシは捨てたんですわ、ね。私を必要としやね、ねえ、相合う人あるなれば自由に使ったらいいじゃないかって、大村公才(キミオ)。そういう私の観念を象徴する意味で大村公才とつけたんです。
大村は世界っていう意味ですわ。ねえ、世界っていうことは、今の世界じゃない、永久の世界ですがね。世界の中で、ねえ、それで公才とつけたのはね、私のまあ才能って、そんなおこがましいもんじゃございませんよ、ねえ、能力そのものをやね、世界中の人のために役立つものがあるなればですよ、はっ、使われたらいいんだって、この気持なんですわ。で、いずれもこれは通じる「オ」なんですわ。”

ここで瀬戸内海に捨てたワタシの「私」、私心のワタシと「全人に適当に使われたらいいんだ」との気持から出たキミオ〝公才〟を二つに分けているところがじつに興味深い。
例えば幸福と云う言葉でも、一時的の満足感を幸福だと思い込んでいる〝幸福感〟と何時になっても変わらない〝真の幸福〟との二つの場合に使われるように……。
全てのことは〝何でも二つある〟ことを知るところから始まるのかも知れない。

長年認知症のケアに携わってこられた精神科医・小澤勲さんが辿りついた〝二つの私〟に分けての考察も興味深い。
「認知症体験の語り部」として知られるクリスティーン・ブライデンの著書(『私は私になっていく』等)に刺激を受け、かつ自身のがん告知を受けた体験を重ねつつ、そこから感じとられる人と人との繋がりの結び目としての〝自分〟という感覚に着目し、その繋がりにこそ自分を支え充実したものにしてくれる〝光明に至る道〟を見いだされていく。
小澤勲

“知的「私」、情動的「私」
知的な「私」の壊れに比して、情動領域の「私」(情動的自己)はあまり崩れないということについて、このようなことを書いたことがある。
私は、情動的「私」という言い方はあまりしてこなかった。それは、認知する「私」はどこまで行っても自分が認知している、という感覚から抜け出ることはないだろうが、情動を持つ私は確かに私なのだろうが、ともに喜び合い、いっしょに悲しんでいるうちに、それらは人と人とのつながりのなかにとけ込んでゆき、私たちの喜び、私たちの悲しみになり、「私の情動」という感覚を超えるのではなかろうか。
桜や紅葉を見て、最初は自分がうつくしいと感じているのだが、そのうちに対象と自分との境が消えて浮遊しているような、不思議な感覚にとらわれることがある。
私はかつて山登りをしていたが、ご来迎の瞬間、期せずして「おーっ」というどよめきが周囲に起こる。ところが、しばらくするとしーんと静まりかえって、恍惚としたというのだろうか、自分がご来迎を見ているという感覚を失い、自然に包まれ、自然と一体となって、自分がなくなってしまったような感覚に陥ったものである。性の世界を考えるともっとわかりやすいかもしれない。”(岩波新書『認知症とは何か』)

認知症とは悲しく恐ろしい自我の崩壊のようにいわれるが、一方では自分が自分であるといった執拗な〝自己同一性へのこだわりが解け〟て、〝世の規範、常識から少し自由で、世間体など気にする必要のない、暖かく豊かな人と人とのつながりがあふれている場〟にもなっているはずだというのだ?!

自分にも思いあたる節があったからか、我がことのように嬉しかった。しかもそうした情動的な世界が〝性の世界〟に通底している云々の個所はとても示唆的ですぐに納得できた。
この辺りを行きつ戻りつもっと丁寧に辿ってみることから、必ずやヤマギシズム恋愛・結婚観が開かれてくるような予感に心充たされる。

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わが一体の家族考(73)

私の自己弁明

それでは次に山岸巳代蔵からの自己弁明をテープの中から幾つか拾ってみる。

“私にしてみるとまた、生きるか死ぬかの問題やと思ってるの。ね、愛情問題ね。もう本当は、柔和子が言った如くね、ワタシの「私」やね、この、私心のワタシっていうものはね、もう、なんらこの世に未練がないと思うの。”
“やはりこの問題解決しなかったら、私はね、生きた仕事が出来ないと思うんです。”
“本当の自由の世界は、そこからでなかったら生まれてこないと思うんですね。”
“この間も三田さんが来て、「もう、ほんな愛情研みたいなもん、どうでもええ。『百万羽』が肝心や。『百万羽』を成功さすことに全部を賭けよ」と、えらいお叱りを受けたんや。そやけど私らにしてみたら、『百万羽』くらい、そんなん軽いもんや。これこそ絶対もう捨ておけん大事業や。”
“「現在の結婚観というものは、私はメチャメチャだ」と。
「結婚しておると思っておることは、メチャメチャだ」と、「危ない」。「だからこそ、いろんな、嫉妬とか、憎しみとか、ねえ、或いはあの、葛藤、ね、混乱、こういうものが起るんじゃないか」と。
「そういうものの起らない社会が本当の社会、それが、この恋愛・結婚問題、これの根本解決が大事じゃないか」と、私はこう言ったんですわ。”

いったい愛情問題即ち恋愛・結婚問題がなぜ根本解決されることが〝絶対もう捨ておけん大事業〟だと言い切れるのだろうか?
生きた仕事が出来ないからだろうか?
本当の自由の世界が生まれてこないからだろうか?
嫉妬・憎しみ・葛藤・混乱など起らない社会が本当だからだろうか?
しかしそうだとしても、さきの奥村和雄さんや岡本善衛さんに代表される一般世人から見たら、ひどく唐突・飛躍・短絡的な発言に聞こえるかもしれない。
いや、ヤマギシズム提案創設者・山岸巳代蔵の中には一貫して次のような〝ヤマギシズム社会の実態〟がしっかりと焼き付けてあった。

“ヤマギシズム社会構成の重大要素は、親愛の情によって、全人類間の紐帯となすことで、怒りや疑いが少しでも介在しては、不完全なものです。
誰とも喧嘩しない、仲よし一家の寄り集まりです。”

理想社会には、「親愛の情が絶対条件」だというのだ。しかし今迄も云い尽くされた言葉であるからか、

“これも既成社会観念から見ると美し過ぎて、婦人会の乗車風景の外麗のみを見た、歯の浮くような幼稚な考え方に見えましょうが”

と、予想される反応にも配慮しつつくり返し人情の滲み出る気風の大事さを強調する。

“又道を尋ねられても自分は自分、ひとはひとと、他に関せずの個人主義も、実は社会が自分一人限りのものでなく、必ず何かで他の人との関連があり、人間は相対的であって、吾一人行かんも程度の差こそあれ、帰結する処、他との保ち合いで人生が有意義になります。
本当に人間は一人になり切れるものでなく、そこに人の情が自ずと湧いて来るものです。
道連れ話相手があると、遠路も忘れて愉快に過ごし、汽車や船で長旅すると、未知の人とも何時か言葉を交わし親しくなり、路傍で見かけた丈の間柄でも、遠い他国で相会うと、近親感を覚え語り合うようになり、純な子供達が、特に早く馴染むのは自然の人の姿でしょう。
世の鬼のように云われる冷血漢でも、家庭ではよき夫であったり、やさしい父として心中に涙することもあります。“

しかしホント、かんで含めるように説明されるこうした〝美しすぎる言葉〟ゆえか逆に遠く他人事に感じられるのはなぜなんだろうか。〝自分の言葉〟にならないもどかしさを感じるのは、はたして自分だけだろうか。
何が邪魔しているのだろうか? なぜ今愛情研鑽なのだろうかというのが大方の見方であるにちがいない。

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わが一体の家族考(72)

愛情徹底研鑽会

昭和三十三(1958)年夏、三重県阿山郡春日村(現在の三重県伊賀市)の春日神社の裏山の松林を切り拓いて、「山岸会式百万羽科学工業養鶏」構想に参画した人々の理想顕現の場づくり(現在の春日山実顕地)が始まった。
百万羽杭打ち

当時としては他に類を見ない百万羽の養鶏工場を創り上げるのだということもあったが、やはり一番の魅力は心一つの人たちと共に考え行う一体生活なるものを一ヶ所に寄ってそれぞれ専門分業の一員としてやっていく、そんな生活がどんなにか素晴らしいことだろうかと夢膨らんだからに他ならない。
仕組みとしては、〝ヤマギシズム生活調正機関〟なる任意の組織を設けて、その機関に参集者一人一人の生活の総てを全委任して、同じ思いで何もかも委した人達全員の意志で調正運営していく方式である。
生活の総てを全委任するとは、身、財、命までを意味した。智恵も、考えも、能力も、体力も、総ての物も、お互いに持たないで自由に使い合う仕組みにすることで、皆と共に〝ゆりかごの前から墓場の後まで〟安心して仲良く暮らしていこうとするまさに〝自己より発し、自己に還る〟ヤマギシズムの実践であり、そうした社会のあり方を世に問うためにも参集したのだった。
こうして老人・幼児を含め二百名近い人たちの〝一体生活〟が始まった。
しかし個人生活から、慣れない〝一体生活〟に入るわけだけだから、最初のうちはとまどいの連続である。いや、今尚過度期のとまどいの連続かも知れないが……。
例えば経理部では、皆の財産整理からの出資金は数千万程度に上ったがすぐに底がつき始める。宿舎でも基礎がしていなく細い杭を打ち込んでその上に乗せる簡易な建て方だったが、鶏糞乾燥場、育雛舎、大雛舎、成鶏舎、研鑽会場建設が目白押しに続いた。
また人事部では、各部門の最低必要人員決定と現金収入を得るために一般労務員(土方仕事など)の捻出が急がれた。
日々の労務配置で、各部からは気づかぬまま自己本位的に「新人は困る。もっと慣れた人に来て欲しい」という気持が出てくるからだ。
一人ひとりが本当に楽しい場に就き、またそれを活かすことが楽しいという〝一体の妙味〟をいかに生み出すかが日々直面する切実な課題だった。

ではその頃、山岸巳代蔵は何をしていたのだろうか?
山岸巳代蔵全集所収の年譜には、

“1958(昭和三十三)年 57歳
八月十二日 起工式を挙行。この頃、春日村の元村長中林宅の離れに柔和子と共に移る。その一方で頼子のいる四日市のアパートへも通う。“

と記されている。
そしてそこから春日山に出向いては、養鶏の飼料設計や消毒方法や鶏どうしの尻つつきや羽食いなどを防ぐ手立てについての飼育係からの相談に乗ったりはしていたが、実際のところ愛情問題の解明にほとんど占められていた。

柔和子とは第三九回特講(京都、三鈷寺)で出会った福里柔和子(当時38歳)のことであり、頼子とは第四回特講(京都、三鈷寺)で出会った井上頼子(当時19歳)のことである。
その頃山岸巳代蔵は、京都向島に住む妻・志津子とは別居して、昭和三十一年秋頃から三重、四日市市の会員井上与男宅で井上頼子と住んでいて、昭和三十三年三月末には福里柔和子との婚約発表をすませている。
これには四日市支部の会員も動揺したらしい。そうした山岸巳代蔵の行動が四日市支部の研鑽会でも話題になったが、本人は一切弁解をしなかったので並みいる人々は二の句がつけなかったという。
かくして、三重県菰野の見性寺に関係者(頼子や柔和子らも参加)が一堂に集まって持たれたのが、暮れも間近い一一月の末から一二月の初めにかけての愛情徹底研鑽会だった。

山岸巳代蔵にとっては、愛情に関する問題は、非常に大きな課題であり、一体世界における、無固定の結婚はどうあったらよいのか、これの究明・解明・実証こそ、その本願とする全人幸福への最大不可欠の課題とみなしていたようである。
一方、『百万羽』構想や会活動を現に進めている当事者らにとってみたら、またとない山岸巳代蔵の真意を問いただす場でもあった。
その一部がテープに収められて保存されている。引用してみる。

“奥村和雄(『百万羽』参画者) まあしかし、この、愛情問題ちゅうか、これはもう、みなが非常に関心持ち、また、今の社会には受け入れられないと、二百年後の社会であればいざしらず、これが山岸会の進展に大きなマイナスになっておると、今としても『百万羽』の進展に非常に影響しているということも事実。また参画しておる人も、これがために非常に不安な気持になっている。本当の腹の底から力が入らないということ、これはまあ事実、私みたいなものでもそうなんですけどね。”

“岡本善衛(会員・三重県県会議員) またあの、おそらくねえ、そりゃあ、あなたのような心境になったらどうか知らんけどね、しかし現実社会に生きる人間がね、そういうことなんかあり得ない。わしゃあ一番困るのはね、東京で、
「山岸さんっていうのはそういう状態で、山岸会はそういう問題、非常にルーズらしい。どういう考え方だ?」
と、こう訊かれる、わしゃあ、当然困る。
でね、「そりゃね、恋愛の我々の旧道徳というものよりも、もう少し高い所でね、見てると。だから恋愛の問題だけはね、たまたま旧道徳を超える場合があると思うんだ」と。
「しかし、山岸さんの現実の問題は僕は知らんのや」と、こう言うて逃げとるんですがね、しかし、これは私は一ぺんはあなたに訊きたいと。”

“奥村和雄  エー、親父さんのその気持、よく分かっておるんですわ、それで根本的なものを解決せずして仕事が出来ないとね、これもごもっともなんですがね、それはもう別に言う必要ないんですし、春日や『百万羽』の事情を別に一応言う必要もないんだけれどもですね、やはり、この二七日からのこの研鑽会が非常に大きく響いておるということ、周囲に大きな反響を及ぼしておる、この解決を皆ですね、首を伸ばして嘆願しておるような形で待っておると、
「今にまだそれが解決せないのか」という、皆のですね、気持ですね、非常に混沌たるものが流れておるようです。
「それがあるから解決せよ」と言うんではないけれども、これをですね、最も効果的に焦点を絞ってね、一時も早く解決しなかったらね、まあそりゃ一歩一歩前進しておるとはいうものの、ね、堂々巡りばかりやっておっちゃね、これで、エー、に終始してしまってね、エー、ま、これも一つの仕事の内だと言えば、それは当然のことでもありますけどね、そこを銘々しっかり銘記して、真剣にこれを推し進めていってもらいたいと思いますな。”

『百万羽』という偉大な事業を進めるにあたって、それに先立って私的な個人的なプライベートに属しているはずの〝愛情問題〟の真の解決がなぜ求められるのか?
未だ誰も解いたことのない常識(良識)外れの世界をひらくのだ。そしてそこからの自分から、今日の自分を思い起こして見ようというのである。

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わが一体の家族考(71)

真に〝分かり合う〟の源泉

さき(わが一体の家族考66)でフーコー最後の講義の一節にふれたが、講義では〝しかしもう遅いので〟として取り上げられずに終わった草稿の最後は、次のように記されている。

“最後に私が強調しておきたいのは以下のことである。すなわち、真理が創設される際には必ず他性の本質的な措定があるということだ。真理、それは決して、同じものではない。真理は、他界および別の生の形式においてしかありえないのだ。”

すごく難解なことが云われているように感じる。なかでも〝真理が創設される際には必ず他性の本質的な措定があるということだ〟という一節などチンプンカンプン。
そもそも〝他性〟って何なんだ?

たぶんフーコーが〝他性の本質的な措定〟という表現で言いたかったのは、真なるものが現象化されるとは現実世界(既成)の常識価値観、例えば強者の論理・力の論理・支配者の論理等を肯定・固定してその枠内で幾ら改良を重ねても絶対到達し得ない質のものであり、本物を本当に乗せておく〝他性の本質的な措定〟なるものからしか真実は姿を顕さないという本筋的な異いについてのことだったのではないか?
ここを何とか自分らの文脈で解読していきたいのだ。

1959(昭和34)年七月、〝Xマン〟〝Z革命〟などの新流行語と共に一躍全国的に名をとどろかした「山岸会事件」で全国指名手配されていた山岸巳代蔵は、翌年四月逮捕という形で三重県の上野署へ自意出頭した。
そこでの上野留置場での看守とのやりとりの逸話が残されている。

“山岸 寝床が敷いてないから寝れない。
 看守 自分の床ぐらい自分で敷け。
 山岸 そうかね、そうかね、自分のことは皆自分でするのかね。
 看守 そらそうだ、自分のことぐらい自分でしたらよい。
 山岸 そうかね、それじゃ君のそのメガネは自分で作ったかね。
 看守 そら眼鏡屋が作ったに決まっているじゃないですか。
 山岸 君は何でも自分のことは自分で出来ると言ったじゃないか。
等々で看守がカンカンになったという。”

かのディオゲネスの再来といったところか。つい思わずふき出したくなるが、本人はいたって何時如何なる場においても真面目なのだ。
それにしても山岸巳代蔵と看守とのかみ合わない〝やりとり〟はじつに興味深い。
これこそ、何も甘やかされて付け上がっているものではなく、かのキュニコス主義的生を特徴づけるずけずけと包み隠さず勇気をもって〈真なることを語ること〉の実践にも似て、ある意味スキャンダラスなやり方で他の人の生き方や周囲社会を明るみに出して反転させていく逆説的な実践であり、まさに〝私が変われば世界が変わる〟目に見える振る舞いであったのではなかろうか。
そしてそこから始まる次のような山岸巳代蔵の発言が思い浮かぶ。

“真に分かり合うには、夜を徹して語り合うことである。万象眠る。ただ二人のみ、その中に覚めて語る。真に分からぬということはない。”
万象

万象眠る夜の沈黙の中で、私とあなたとの語り合いのうちにお互いの主張や考えを強行し合う誤解の急所が次々とほぐれ、談笑のうちに溶けていくものがあるというのだ。
ただ二人のみ共に向かい合い、それぞれの眼に相手が映るのみだ。あなたの目に映っている私、私の目に映っているあなた。そこに〝他性〟になることで〝他性〟の心になることではじめて〝一つ〟なるものが浮かび上がってくるとでもいうのだろうか?
こうした〝分かり合う〟とか〝一致〟とかの源泉について思いめぐらしていくと、

自分が生きているとは相手があるからで、相手は自分の中にある。自分だけでは自分はあり得ない。自分が生きているのはみんながあるという事実に思い至る。

そうした自分以外の他の個との関わり、結び付きの成り立ちを、男女とか夫婦として現れる「性」を基盤とする恋愛結婚観から訪ねてみようというのだ。「性」の琴線に触れてみようというのだ。そこからしか展開されない世界を指して〝理想社会〟と名づけているのだ?!
理想社会への道程は、「性」を基盤とする恋愛結婚観を抜きにしては語れないし成就しないという後先の話についてだ。
もちろんそのことの気づきは、自分にとっても青天の霹靂だった。

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 「と」に立つ実践哲叢(26)

仲良い楽しい大家族

今日は伊勢志摩の磯部農場へジャガイモ収穫に行ってきた。トラクターで畝に掘り起こされたジャガイモを大まかに大小二種類に分けてコンテナに入れていくごく簡単な作業。しかし中腰になってより分けているとすぐに腰が痛くなってくるし、さりとて腰を下ろして膝をつくと今度は立ち上がるのが億劫。そんなこんなで汗が噴き出してくる。
向こうの畝では幼年さん達がカラフルな砂遊び用のバケツ(?)にジャガイモを入れていたり、久しぶりに再会した者同士で写真を撮ったりしている。

こうした老若男女入り混じっての光景に、ふと先月の本紙「広場」欄にあった河合さをりさんの〝御浜の甘夏収穫に行ってきました〟の一文が重なった。そっくりそのまま再現されているさまにビックリ。
四月の下旬「地域の会員さんも一緒にどうですか」と声かけてもらって参加した大満足の南紀御浜での甘夏収穫体験記だ。

「手の届くところを採る人、とった甘夏をまずは食べ始める人、力のない人は二人でコンテナ運びを楽しんでます。木に登る人、そのうち私も、上から落としてもらった甘夏を受け取るのが面白くなり、いろんな人と組んでみると個性豊か!」

今日のジャガイモ収穫でも、韓国実顕地から研鑽学校に参加されている趙貞姫さん(80歳)がニコニコした表情で次のような感想をもらされていた。

「幼年さんから自分のようなお婆ちゃんまでまるで大家族のようでした!」

大家族? そんなのどこかの組織体の企画行事にすぎず嘘っぽいヨ、といった冷めた観方や考え方もある。そうだろうか。
 というのも最近事あるごとに
「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、……」(『実践の書』)という一節に思いを巡らしていると、資金があり、ジャガイモ畑があり、作る人が大勢居ても、それだけでは実現しないことがあるのではと気づかされるからだ。
そうしたことが普通に和気藹々のうちにやれているのは、そこの場所や人達そのものでなく、人の心の中にある「と」において繋がっているものに後押しされてのことではなかろうか、と。

例えていうなら、身体の病傷の時、意識あるなしに関わらず全身心が動員してそれを取り除き正常の方向へと合わせていこうとする力が働いているようなものだろうか。
しかも〝人と人によって生れ〟から親が子を愛する親愛の情が溢れ、〝人と人との繋がり〟によることで、人は自分以外の他の人と出会うことで、幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟・親子の間柄にある〝家族〟に象徴される繋がりを明示しているようだ。
そうした何だか身内ゆえのほのぼのとした温かいものが紐帯となることで、〝大家族〟もあながち嘘にはならないであろう。

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わが一体の家族考(70)

〝母子系図〟の繋がり

人の母子に限らず親鳥が雛に餌を与えている姿や動物の赤ちゃんが一心不乱におっぱいを飲む姿を見つめていると、衝動的にいつまでも眺めていたい気持ちにかられる。

赤ちゃんが生まれてすぐしたいのは、おっぱいを飲むことだ。おそらく匂いを頼りに乳首を探りあてる。そして満ち足りるとまたうとうととうたた寝をくり返す。それと同時に母親も赤ちゃんにおっぱいを吸われる喜びが齎される。
求める(受ける)ものと応える(与える)ものとが全面一致している喜びの姿であろう。
そんな喜びの姿に、母親も〝かつて自分が受けたように〟吾が子に与える喜びに生きる、喜びの自分を発見するのだ。
自分の持っているなけなしのものも、早く貰って欲しい。貰って怪我や食傷せないよう、真の人間らしく早く成長して欲しい、と。

そんな受けるばかりの自分らは、生涯母体に抱かれ母乳を飲んで暮らしているようなものだ。肉体を受け、生命を受け、豊富な物質や健康を受け、温かみと親しさが籠る親愛の情に充つる世界までが一方的に齎されている!
こうした齎す人は既に齎される恩恵に浴しているという〝与えて喜び受けて喜ぶ〟実態についてもっと想いを馳せてみたい。
あの母と子の間を繋いでいる、赤ちゃんが母親のおっぱいを吸う喜びと母親が赤ちゃんにおっぱいを吸われる喜びとの一致には、どんな実態が秘められているのだろうか、と。

例えば鹿など動物の授乳では、子鹿は前から首を入れて、母親の後ろ脚間にある乳首をくわえて乳を飲む。その間母親は子鹿の尻をなめてやったりする。
子鹿の授乳光景

赤ちゃんは唇と舌を使ってただひたすら匂いと温かさを頼りに乳首を探し求め乳を吸い取り乳房の肌触りの感触を味わいつくす。そして満ち足りると安らかな眠りや排便などがくり返される。一方母親は、おっぱいが足りない時、おしめが汚れた時、眠りが足りない時に、不快でむずからないようにと忙しくても、労れても、自分の生命を削ってでも〝与える喜びに生きる〟世話が連綿とくり返される。
というのも既に母親も〝かつて自分が受けたように〟与えて貰った恩恵に浴しているからに他ならない。
しかもこの食(授乳)を介しての母と子の繋がりの喜びは、自ずと性(対)を介しての母(女)と父(男)、夫婦の繋がりの喜び(快楽)を抜きにしては生まれようがない。

それゆえ次の、
「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、……」(『ヤマギシズム社会の実態』)
といった一節から、永遠に生きたいとする本能的欲求の現れでもある自己なる主体は、両親を親の親の親を辿っていけば……子孫の行く末の、末の結合を考えれば……幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟・親子の間柄にあり皆血の繫がる人類全体の繋がりの結び目の一つだと知らされる。

主体は自分にもひと(他人)にもないのだ!?
こうした〝母子系図〟の繋がりのことを、この間自分らは
○私の倫理「親は飽くまで子に資するもの」
○私の社会倫理「自己より発し、自己に還る」
と呼んできたのだと思う。また
“理想社会にはこの温かみと親しさが籠っていて、人情の滲み出る気風を添えてこそ、完全なものです。”
ともあるが、こうした倫理観の発露が主体となって始めて〝わが一体の家族〟が立ち現れてくるにちがいない。

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わが一体の家族考(69)

ヤマギシズム人間像

そんな古代のキュニコス的人間像にヤマギシズム人間像を重ねてみたい。

“ある時、ディオゲネスは、
「人の姿を見て犬と呼ぶ人がいる。では、人間はどこにいるのだろう?」
と言って、昼間にランプの火をつけて人間探しをした”
真っ昼間にランプを灯して人探しするディオゲネス

という。じつは山岸巳代蔵もそうだった。ヤマギシ会運動とは、物に乏しい人々を訪ね、心の豊かな人を探す旅の途上にも例えられるだろうか。
会が発足したのは1953(昭和28)年3月。以来「五五会」と称して、毎月五の付く日に京都市内の会員有志宅に養鶏支部会員の代表が寄っては、運営面等の研鑚会が開催されていた。なかでも毎月十五・十六日の研鑚会は夜明かしで〝幸福〟についての話し合いももたれていた。
その頃、京都府船井郡八木町諸畑部落の会員、明田正一が山岸巳代蔵宛に

“キチガイになれたのが嬉しい。キチガイが治らぬうちに来る気はないか”

との手紙を出したら、早速次のような葉書が届いた。

“前略 過日は五五会で忙しくしていましたので、お話も出来ず残念でした。
八木の支部にもそんな変り者がいたということは知らなかった。
変り者を探している。変り者を探し合って、変り者でない人を変り者にしようじゃありませんか。そして世界中の人みな変り者に変えましょう。
変り者を一六日に送って下さい。昼は向日町で養鶏。夜は当向島で変り者の変わった会をやります。”(一九五五年六月八日付)

そして七月から山岸巳代蔵自ら諸畑の地にヤマギシズム社会のモデルを造りたいと、
“掘立小屋を建てて、藁の上で筵(むしろ)をかぶってでもやっていく。私は諸畑の土になりたい”
といって、自分で育雛も始めたと伝えられる。
無口だが時々奇抜なことを云う明田正一さんの人となりに惹かれた山岸巳代蔵は次のような葉書も寄せている。

“あなたの業跡は全人に幸せを齎すものです。諸畑の革命は世界革命への第一発であり、これが決して誇張した言葉でなかったことを後日事実をもって証明するでしょう。
いかに叫んだところで、行う人がなかったならば、言わざるに如かず。
みんなで研鑽した理論が空論でなかったことにする手始めは、舞台一ぱいに踊るあなた方の、演出実技に俟ったもので、作者と役者と一体になって、出来るか出来ないか、世界の観衆の前で試演しましょう。熱演しましょう。あなたと私の繋がる全世界の人、その子孫永久の幸せのために、全力を傾けましょう。
(中略)
             山岸 巳
ほうけ者の親玉・子玉・孫玉各位
酒呑童子の世界相手の暴れ振りに期待しつつ
(一九五五年八月一四日付)

事実現在の春日山実顕地(三重県)の前身、「百万羽科学工業養鶏」創立への参画者第一号は明田正一さんだった。
そんな明田正一さんに限らず、たくさんの後光が射して見えるヤマギシズム人間像との出会いが思い浮かんでくる。

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「と」に立つ実践哲叢(25)

移りゆく季節の中で

春4月に入ってすぐ1日~4日まで毎年2回8年間続いている恒例のサッカーをしないで〝自主、自立。チームワーク。コミュニケーション。食事〟を目的とした地域のサッカーチーム110名ほどの子供達の合宿がはじまった。畑の堆肥まきや牛舎や豚舎での元気なかけ声や振る舞いを通じて村は一気に春の息吹に満ちる。

続いて桜がちょうど満開になった頃には、一年間親から離れ仲間たちと過ごす幼年さんの入学式があった。早速次の日からカモの親子が一列に並んで歩いている光景そっくりに、村のいたるところで幼年さんに出会うことになる!
そうしたいつの間にか見慣れた風景になっているけれど、ちょうど十年前久しぶりに村で幼年さんの受け入れを再開した頃が思い浮かぶ。村の空気が一変したのだ! 神出鬼没する幼年さんの無心の振る舞いにどれほど心が和み励まされたことか。加えて以前からの養護部の子らの日々の散歩や職場の行き帰りの姿とも重なり合って、どんなにか豊かな村づくり像が皆の心に刻まれたことだろう。

今年は遅咲きの桜並木の開花と共に、梅林や桃園やぶどう棚や木蓮や菜の花々がほぼ時を同じくして咲き揃う絶景の中を、地域の老人ホームのお年寄りを乗せた車がひっきりなしに行き交っている。
そんなある日ふと見上げると、青空に尾ひれを豊かに振るう鯉のぼりが踊っていた。そういえば今朝学育の子らが、以前5月の春まつりに向けて設置した高さ33メートルの鯉のぼりの支柱の下に集まっていたっけ? もうそんな木々の若葉の緑が一斉に目に飛び込んでくる季節に移っていたのだった。
柿の木の若芽

なかでも道端の柿の老木の新芽は若芽色が鮮やかで、それがひび割れ白茶けた木肌から出ているのが何とも不思議でならない。だって老木だから、多少は赤茶けた新芽であってもよいはずなのに、といった滑稽な思いに囚われる。
人為の如何に関わらず自然界では若木、老木を問わず若葉の芽生えは緑色なのだ!

年を重ねた今、今が一番新しく、新しさが若さであり、今の自分がそうである。そこには一切のキメツケは要らない! それなのに先にあるものをだんだん古くなっていくようにキメツケて考えがちな人の哀しさよ。
しかしもうそんな心配は要らない。じつは自分らの村づくりはそんな矛盾をも包み込んだ上で構想されているからだ。
つまり我執がなくなったら理想郷を造ろうでなしに、まず仮の理想郷を造って、本当に仲良く暮らして行くには自分の引っかかりを放す以外にどうにもならないという、方法を以てすれば解消されていく仕組みなのだ。

そんな理想を求める自分らが本当の仲良い姿になる場、方法が必要なのだ。豊かな村づくりの秘鍵もどうもその辺りにありそう。どんな人もどんな難問題もみな溶かしてしまう親しい温かい空気のような気風から……。

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わが一体の家族考(68)

ディオゲネスの身振り

フーコーによれば、キュニコス主義は生の様式と〈真なることを語ること〉とが互いに直接的に、無媒介に結びついた哲学の一形態であるという。
要は余り複雑に考えすぎない、むしろ常識や先入知識・経験にも無頓着な良い悪いを考えないで無批判的にまず〝やってみよう〟とするイズムだというのだ。
この一言からでも深く根本理論を追究し、自分の判断を織り込んでいく伝統的な堅実・賢人型の哲学のイメージと大きく異なる。
そんな雑念を介さない素直さは、書かれたものより可視的に顕れる〝振る舞い〟の中でこそ明るみに出され多くの人々の心に響いていく。
その思想よりも逸話によって知られるディオゲネスの身振りが今に伝わる。講義録の中などからさもありなん、とうなづける幾つかを並べてみる。
樽の中のディオゲネス

○衣服をほとんど身につけなかった。
○最後は眠っている物乞いのようにマントに包まれて死を迎えた。
○公の場で食事をし、おおっぴらに公衆の面前で自慰にふけった。
○クセニアデスによって奴隷として買い取られたとき、「何ができるか」と問われて「私は指図することができる」と応じた。それでクセニアデスの子供たちを教育することになったが、その内容は従僕や奴隷に頼らない非依存の習得を教えた。
○両替商の息子だったディオゲネスは貨幣変造の疑いで追放されたが、そこから「貨幣を変質させよ」というデルポイの神託を受けたとされる。つまりそこに規則、習慣、しきたり、法と共にある〝貨幣〟よりも、自分自身の存在こそ価値ある〝真の貨幣〟だとした。
○金に困ると友人達に「貸してくれ」と言わないで「返してくれ」と言った。なぜなら、すべては神々のものであり、自分こそ神々の友だからだ。
○アレクサンドロス大王が町に訪れたが、ディオゲネスは日向ぼっこをしていて挨拶に来なかったので、大王から会いに行った。
大王が「何か望みはないか?」と質問すると、ディオゲネスは、
「そこに立たれると日陰になるからどいてくれ」とだけ望んだ。
帰途、大王は「私がもしアレクサンドロスでなかったら、私はディオゲネスになりたい」と言った。するとディオゲネスは主張する。
「しかし真の王はこのわたしである」と。
○ある時まで小さなお椀で水を飲んでいたが、泉で子供が両手をコップのかたちにして水を飲んでいるのを目にして、自分のお椀を投げ捨てた。
○彼が奴隷として市に売りに出されているとき、座った方が楽なのでそうしていたら奴隷商人にとがめられた。そこで彼は言った。
「どうでもよいではないか、腹ばいで横になっている魚だってちゃんと売れるのだから」
○彼が広場で食事をしていると、それを見た人々が「まるで野良犬だ」と言う。そこでディオゲネスは「しかしお前たちもやはり犬だ、なぜなら食べている犬の周りに輪になって集まるのは犬だけだからだ」と切り返す。
○広場で真剣に大事なことを話していたとき誰も耳を傾けなかったが、鳥のように口笛を吹き始めたら人々が集まってきたという。
その他諸々。

こうした古代の人々の間で興味深く面白がられたであろう逸話にフーコーは、この間の〝自己への配慮〟に関する研究のいちだんの深まり・広がりを見てとったのではなかろうか。
粗野なこの生き方、貧窮し放浪する姿に、それゆえ却って〈真なるもの〉を観たのだ。
そこには私生活もなく、秘密もなく、公開されざるものもなかった。
こうした慎みを欠いた生、ある面横柄で不潔で挑発的で恥知らずの生。荒削りなやり方ながらも不純物の混じらないピュアで簡素で能動的な貧しさの顕現に、いわば〈真なるもの〉におのれの生の様式を即応させていくイズムなのだ。〝直接的に無媒介に〟世間体を省みずに。
そうした目に見えるかたちでの身振りは、古代の人々にも少なからず心当たりがあるのか、顰蹙を買いあざけり笑われる一方で身近な逸話としてくり返し語り継がれた。それは大方の一般社会通念や人生観を揺さぶることを意味した。それは必然スキャンダラスなやり方(名声を汚すような不祥事)で価値観を反転させ、転倒させるのだ。
それはまたラディカルに別の生の必要性の主張および肯定へと導くのだ。
まさに犬儒派(キュニコス派)よろしく番犬のように暴力的に既成の価値観に噛みつく。
ここに実践の中で誇大化し、反転させることによって、一気に世界を変えようとする〝戦闘性〟、いわば全人に差し向けられた開かれた場における戦闘性という考えが浮上してくる。普通の人々の生が、真の生とは全く別のものとして明るみに出されるからだ。
フーコーは自己への配慮から出発しながらも、自己に配慮すると称する生とは何なのかと問い、そこに倫理的主体としての配慮する生のかたち、それは別の世界への移行を誘い立ち返る謂わば全人に配慮することに繫がる一つの道筋をキュニコス主義に見てとるのだ。

自分らの文脈での「私が変われば世界が変わる」一粒万倍思想の始まりである。

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わが一体の家族考(67)

フーコーが問いかけるもの

ヤマギシ用語にさきの「ボロと水でタダ働きの出来る士は来たれ」と共に「私が変われば世界が変わる」というのもある。
言う人が百人出来ても効果がないが、一人の心からの行いが百人の心に響くものだという意味だろうか。
次のような逸話が語り継がれている。

“かつてA、B二つの養鶏家達のグループがあった。Aは物が平等に満ちたグループ。Bは物に於て不平等のグループであったが、
Aは絶えず猜疑し合い、争い合った。
Bは常に信じ合い、むつみ助け合った。
これは、
Aは普通の人々の集合に過ぎなんだが、
Bにはたった一人、謙虚で神の如き人があったからである。”

今ではこんな話何だか短絡的で宗教っぽい話に聞こえてくるのか小馬鹿にされるのがオチであろう。
しかしさきのフーコーが自分のこととして取り組んだテーマが、あえて平たく言えば「私が変われば世界が変わる」だったのではなかろうか。
もっともここでの「私が変わる」とは〈私〉というものの次元の〈転換〉を意味している。
最後の講義で〝こうした分析の一般的枠組みについて〟話さずに終わった草稿には、次のような趣旨のことが書きとめられている。もちろん自分寄りの文脈に引き寄せつつ、そこに次元の〈転換〉のイメージを重ね合わせてみる。
講義中のフーコー

○ソクラテスなど古代哲学にまで遡り、主体と真理との諸関係についてを「自己の実践」という観点から研究しようと試みた。
○それも自己との関係を「魂」との関係だけに単純化しないで
○つまり「自己への配慮」を〝実践〟のテーマとすることで、自分自身の振る舞いや行動の仕方を倫理的に構成することにあった。
○それは自己自身の変化を目指す修練・陶冶・訓練・点検を意味するだけにとどまらない。
○つまり次元の〈転換〉を意味する「私が変わる」の実態がここで明らかにされる。
ふとした機縁から私を考え、私を改め、私を深める実践を通して、「自己への配慮」と「自己の認識」とを同一視しない主体自身の移動というか心の〈転換〉がここで為されるのだ?
今までの自己とは次元を異にする、自分らの言葉でいうならば「われ、ひとと共に」の〈自己〉が構成されるのだ。
○そうした〈自己〉とは、真理を自分のものにする実践の数々を踏んだ倫理的な自己ともいえる。それは抽象的でなく真理を語る勇気を実際に持つということであり、必然自己も含めた〈全人〉と共に行い生きる関係に基づかなければならない。
○つまりそうした〝振る舞い〟のなかに、〈真なることを語ること〉と〈よく統治すること〉との一致像が見いだされてくる。
○ここにキュニコス派が現れる。自己への配慮と真理を語り表明する勇気の要請が結びつく数々の実践例である。
等々。

〝真理〟とは客観的で解釈すべきものというよりも、生きるものであり、自ら発するものであり、そこから齎される恩恵に浴する実動行為であるというのだ。 
たしか亡くなる直前に刊行された『快楽の活用』への序文の一節に

“私を駆りたてた動機はというと、(中略)それは好奇心だ。(中略)つまり、知るのが望ましい事柄を自分のものにしようと努めるていの好奇心ではなく、自分自身からの離脱を可能にしてくれる好奇心なのだ。”

とあった。
そう、自我という自己からの〝開放〟なのだ。〝真理を生きる〟ことで「自己への配慮」と「自己の認識」とを同一視しない主体自身の新しい次元の〈転換〉像がそこに現れ出たのだ、と。
もう少し踏みこんでみる。

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わが一体の家族考(66)

真実、それに自己を生かす

一九七〇年代の初め頃、〝ボロと水〟と書かれた車に乗って、ときには両手に風呂敷包みを提げながら、『ボロと水』という名のヤマギシズム運動誌を全国のミニコミ誌を扱う書店に行商して歩いていたことがある。
当時の時代背景もあったのか、自分なりにこの〝ボロと水〟という名が実に気に入っていた。天下に響く名だと確信していた。その第3号に、今は亡き亀井のおばあちゃんの第一回特別講習研鑽会(一九五六年)に参加したときの手記が載っている。
その中に講習期間中に危篤状態に陥った山岸巳代蔵が三センチ幅のザラ紙に二Bの鉛筆で「ボロと水でタダ働きの出来る士は来たれ」との遺言状を書き付けた経緯が記されている。

何を言わんとしているのだろう? こういうことだろうか、ああいうことだろうかとその真意を探ねて今日まで来たようなものだ。

さきのフーコー最後の講義(1984年2月~3月までで6月には亡くなる)は、ほとんど哲学史でも顧みられることの少ない古代キュニコス主義を新しく独創的に照らし出した『真理の勇気 自己と他者の統治Ⅱ』だった。

紀元前4世紀ストア学派の母体とする犬儒派(キュニコス派)の思想を体現して犬のような生活を送り、大樽を住処にするといった粗雑で粗野な哲学者・ディオゲネスなどを取り上げるのだ?!
その外見は、垢にまみれ、着古した上着を二重折りにして着用し、粗末な頭陀袋を持ち、家もなく、日々の糧を物乞いして放浪する。
それはまさに〝野良犬〟の生きざまであったという。
そんな〝変わり者〟のディオゲネスの身振りの数々の逸話だけがくり返し語られ今に残っている。

いったいフーコーは、ストア派からより遡るキュニコス派に何を見て何に心惹かれたのだろうか?
毎回フーコーの講義は、途中休憩を挟んで約二時間電気スタンドの明かりを灯し準備した原稿をトップスピードで読み上げるのだが、
この年体調はすぐれず最終回となる一週間前の講義(3月21日)では「ひどい風邪を引いてしまって、中断することになったらどうぞご容赦ください」と述べるところから始めている。
そんな状態のなかでキュニコス主義の実践について語るフーコーの心の眼前はいかばかりであったろうか。

もちろんどこまでも〝群盲象を撫でる〟憶測の域を出ないことは重々承知の上で、きっと希望と歓喜に燦やき、求めたものが得られた幸福に充満していたのではなかろうかと、つい勝手に思い込みたくなる。
群盲象を撫でる

自分自身を省みても、もし自分が曲がりなりにもヤマギシズムでいう「ボロと水でタダ働き」の一端に触れていなければキュニコス主義の〝持たない〟実践の豊かさについて興味を持つきっかけもなかっただろう。
フーコーは最後の講義を次のような言葉で締めくくる。

“この世において自己の真理を解読すること。自己および世界に対する不信、神に対する恐れとおののきのなかで、自己自身を解読すること。これが、そしてこれのみが、我々が真の生に到達することを可能にしてくれるものとなります。真の生以前の生の真理。この逆転のなかでこそ、真の生と真理本位の生とを同時に生きようと常に熱望していた古代の修練主義、そして少なくともキュニコス主義においてはそうした真理本位の真の生を生きる可能性を肯定していた古代の修練主義が、キリスト教的修徳主義によって根本的に変容させられたのです。
以上です。こうした分析の一般的な枠組みについてみなさんにお話しすべきことがあったのですが、しかしもう遅いのでここまでにしましょう。どうもありがとうございました。”

かつて今も真理を語ろうとすることで〝真理本位の真の生を生きる〟自己を本気に真面目に生きてみようとした時代があった、人々がいた、いることに驚かされると同時に親しみも感じ心底励まされる気がしてくるのだ。

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わが一体の家族考(65)

〝自己への配慮〟に遡る

本ブログのタイトル「自己への配慮」は、フランスの哲学者・ミシェル・フーコー(1926~1984)のコレージュ・ド・フランスでの1982年の自己への配慮について論じた講義『主体の解釈学』から取ったものだった。

そこでフーコーは近代からキリスト教を通り抜けて古代ギリシア・ローマ時代まで遡ることによって、プラトン、ソクラテス、ストア派のセネカなど古代哲学が取り組んだより良く生きるための〈生存の技法〉とも呼べるものを見直し再発見するのだった。
それは近・現代において教育など一般社会通念の中で利己主義、ナルシシズム、快楽主義として歪められ糾弾されるようになってしまった、本来は自由で生きた実践哲学としての〝自己への配慮〟という倫理的な主題であるとされる。
晩年のフーコーは自らがそうした実践哲学を〈生の様式〉として生きようとしたかのように、セネカの言葉を心の支えにして日々を過ごしたと伝えられる。

例えば〝自己への配慮〟という言葉でいわんとするところは、ただ単に揺るぎないアイデンティティを持つという意味でなく、各々が真実の自分を知ることでそれぞれが真実の生き方が出来たり楽しみや快楽を享受できるような〝生存の美学〟にまで繫がるところにある。
そのことはまた信じるとか自己主張するなど自分という確固たるものがあっての自我や主観や主体ではない、別次元の自由な真理即応の〝自己〟の可能性を探る試みともいえようか。
それは例えば次のようなセネカの発言からも窺い知れる。
セネカ

○誰ひとり自分自身を耕すものはない。
○いつ自分を自由に使うことができたか。
○いつ心が泰然自若としていたか。
○あなた自身のものが、いかに僅かしかご自身に残っていないか。
○心が雑事に追われている。
○ふと、自分は今まで墓碑銘のために苦労してきたのか、という惨めな思いに襲われた。
○自己にたいする不満、このような心は自己のうちに慰めをもつことが少ないのである。
○結局その心は自己嫌悪に陥り、不愉快になる。
○いつも自分自身から逃げようとする。
○第一に吟味すべきは自分自身である。
○とにかく、心はあらゆる外的なことから、再び自己に呼び戻されねばならない。
○たびたび自己のうちにも戻らねばならぬ。
○真剣な絶え間のない気遣いをもって動揺する心を包んでやらねばならぬ。

なかでもセネカの
“ふと、自分は今まで墓碑銘のために苦労してきたのか、という惨めな思いに襲われた”
との発言と、
山岸巳代蔵の
“ここへ来る途中で花束を下げた中年の婦人とその娘らしい若い女の二人連れに出会ったが……人間は生まれて死ぬまで何をするのだろう。墓石になりにきたのだろうか……やがて地球上は墓石で埋まるだろう”
との特講開講式での発言と
フーコーの
“すべての個人の生は一つの芸術作品であり得るのではないでしょうか。いったいなぜ、画布や家は芸術の対象であって、われわれの生はそうでないのでしょうか?”(『倫理の系譜学について』)
との発言が一つに重なり、
そこに共通して流れる真なるものを自分のこととして為すその熱い魂にふれた思いで心が奮い立つのだ。
ヤマギシズム恋愛・結婚観とか人間倫理のはじまりとかそうしたテーマの出発点にある〈性〉そのものにふれていこうとするとき、フーコーの考え方には大いに力づけられる。

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「と」に立つ実践哲叢(24)

繋がりの中でこそ

先の書『半世紀を超えてなお息吹くヤマギシの村―そこには何の心配もない暮らしがあった』にも紹介されていたが、北海道の別海実顕地、三重県の春日山実顕地、豊里実顕地で連鎖反応的に進められている酪農部門でのバイオガス発電や「自動搾乳ロボットシステム」の稼働は、著者・辻さんならずとも自分らにとっても実顕地の新しい息吹きを感じさせて余りあるものがある。そうした高度な技術とそれらを活かす循環経営環境との組み合わせに新しい芽をみるからである。
新牛舎

自分自身も毎日一定時間「自動搾乳ロボットシステム」が稼働する新牛舎の床管理というか床の端についた牛糞を自動式スクレーパの方に落としてやる作業についている。そうしてやると後はバイオガス発電プラントへと糞尿が自動的に送られて、発電や副産物のお湯がいちごハウスの熱源になっていく。

当初はオランダやドイツの高度な機械技術と自らの手足の四本との組み合わせにミスマッチのおかしみを感じていた。
ところがいつしかヤマギシ養鶏でいう「(技術20+経営30)×精神50=幸福」の方程式に照らしたら、さてこの事態はどのように映るのだろうかと自問している自分に気づいてきた。

またここでの精神とは、
「鶏を飼う場合の鶏や、社会との繋がりを知る精神であって、自分一人よくなろうとの精神では、養鶏も絶対に成功しないとの原理精神のことです」(山岸会養鶏法)

とある。このことから高度な機械技術と自らの手足の四本(資本)や牛等を共に活かしていく経営環境に×繋がりを知る精神50の相乗積で、はたしていったい何が産み出されてくるのだろうか。こんなことを頭に留めておきながらの毎日は飽きないのである。

そういえばこの間ずっと〝繋がりを知る精神〟って、〝活かす〟ってどんなことなんだろう? とよくぞ何度もくり返し皆で研鑽してきたものだ。
その中でしだいに空気・水・太陽・土・緑・各種物質の原料等地球資源を儲けを得るための〝資本〟と見るか、活用する〝価値〟と見るかで、現れる現象は丸っきり異なる事実を知らされてきた。
また自分といっても、今までの自分一人よくなろうとの自己からなっているだけでなく、繋がりの中の片割れとしての自個からもなっているのでは、といった皆と共にある「自分」にも出会った。

例えばこのところ大手電機メーカーの経営破綻が続いている。そこには儲けるためにと最先端の技術設備に巨額な資金を投じることだけが経営だとする偏狭な精神しか見当たらない。
それ故ここで強調しておきたいのは、そうした設備を全人幸福の方へと活かしていく一人ひとりの自発力の涵養にあるはずだ。しかもその自発力は繋がりの中でこそ培われ掛け算的に発揮されていく!

農業や貨幣交換経済の前にある〝農〟や〝タダ〟の世界。そこに立ってこそ観えてくる豊かな世界がたしかにある。

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わが一体の家族考(64)

他人事は何一つない?!

私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」については、いろんな例題で研鑽してきた。
なかでも次のような例題が心に残っている。
ナス

蔬菜部のAさんは、大きくなった学園の畑のナスを見て、早く採ったらよいと思った。そこでナスが収穫適期なので早く採って下さい、と学園にファックスした。
ところが翌日見るとまだ採ってない。またすぐファックスを入れ、次の日も採ってなかったので、もし採れなかったら連絡下さい、とまで言ったが連絡なく、もう仕方ないと思い、自分が収穫した。
しかしナスはもう成熟し過ぎて割れていた。その時Aさんは、「学園が採らなかったから割れてしまった」と思った。

日常どこにもあるありふれた話だ。ナスは「学園が採らなかったから割れてしまった」のではないか。ここのどこが問われるのだろう?
ところが研鑚会では「割れたナスは自分が採らなかったからそうなったのではないか?」と問われたのだ。

エッ? ナスを担当している学園じゃないの?! 学園のメンバーが採るべきナスじゃないの? ナスが割れてしまった責任は学園の側にあるんじゃないの? 

「でも、気づいたのは私ではないか。連絡しても採ってないナスを見た私が、採らなかったのではないか? 早くナスを採りたいという私の思いがあるにもかかわらず、ここは学園の担当している畑、だから学園が採るべきだという常識観念が入ってしまったから、ナスが割れてしまったのでは……」

何だか狐につままれたような気分がした。

「何かことが起こった時、『知らなかった』『気づかなかった』と普段何気なくいうが、それは理由でなく、自分から見た時それは原因ではないだろうか?」
「知らなくてやれていない、知らないから出来なかった、思い至らなかったのではないか? 自己より発していなかったから、還ることがなかったのではないか」

それはこじつけの屁理屈じゃないのか?
でもそういえば人に何かを委して、それがやれてなかったときに、自分がやらなかっただけなのに、半ば当然のように他人のせいにしているなぁ。

「世界中に起きる全てのことは、自己より発し、自己に還って来るという観方、地球上の全てのことは、自分から発しているという観方はどうだろうか?」 

そんなぁ、無茶苦茶や。

「いや、全てが自分に関係すること、他人事は何一つないのだ。全ては自分のやること、またはやったことなのだ。他を責めるということもない。事がなっていかないときも、自分がそうしていること。そのようにさせている自分に気づいて、後は自分がやるだけの世界が拡がるだけじゃないの」

といわれても、なかなか肚に落ちるところまではいかない。

ふとさきの「傘の例」と重なる瞬間があった。そういえば、はじまりの「早くナスを採りたいという私の思い」はどこへ行ってしまったのだろう?
きっと「ここは学園の担当している畑、だから学園が採るべきだという」〝何か観念づけたもの〟で見失ってしまったのだ!
他人事は何一つないのだ?!
私の倫理「親は飽くまで、子に資するもの」と私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」が一致する場所はこの辺りにあるのではなかろうか。
今少し踏みこんでみる。

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わが一体の家族考(63)

私の社会倫理とは?

さきに引用した「山岸会では母子系図を作成しています」(同行愛農会の諸兄姉に)からの一節から、
〝私の倫理「親は飽くまで、子に資するもの」〟
が導きだされた。そこから続く

“枯木となって朽ち果てるとも、子に尽くし、子孫の繁栄を希うものとしております。子は自己の延長である。この身は永久に絶えない。交代身が子で、しかも社会連鎖の形で子孫に自己が生きているのであり、子孫の繁栄・幸福は自己を全うすることであります。親は子に与えて、与えて、持てる限りのものをなお与え尽して、子から親に対する報恩は決して求めない。唯願うことは、それをその子に、子は孫に与え、自己の欣悦の日常は子孫の欣悦に共通する繋がりを明示しております”

という一文は、なんとなく自身の親のすねかじりの体験と重なって実感としても自分らの心情にしみ込んでくるにちがいない。ところが続く次の一節に出会うと、面食らってしまうのだ。唐突すぎはしないか?

“私の社会倫理 「自己より発し、自己に返る(還る」、これは心理学的に証明出来ますが、また物質に結び付いた物質面から説明するに、実在数理で割り切ることが出来るのであります”

いったい〝私の社会倫理〟って何なんだ?
この辺りに夫婦・親子の血縁家族を律する「私の倫理 〝親は飽くまで、子に資するもの〟」と同時に、契約や約束の要らない本当の仲良い仲、世の中の繋がりにまで連接されている実態が秘められているようなのだ。

私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」って、原因があって結果があるというところからいったら、そういう原因があって、そういう結果が還ってくるという、必ずそうなるという結び付き、播いた通りの種しか生えないという意味だろうか。
「親の因果が子に報いる」という諺のような意味だろうか。
また世界のどんな片隅に起きた小さな事件でもみな必ず自分と関係がある。それぞれ無関係に暮らしていくことはできないという世界観だろうか。
さきの「次の社会には屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝・報恩等は絶対にありませんし、そんな言葉も要らなくなりますから、他人のお蔭に甘えるわけには参りません」(ヤマギシズム社会の実態)との観点に立つと、一般常識的な蓄えや分け前や売り買いや報酬を考えないが、立替えの形で犠牲によく似た「自己より発する」行為が、必ず何かで終局的に「自己に返る(還る)」仕組みになってあります、というところだろうか。
どうも次元を異にする話なのだ。
そもそもここでいう「自己」とは?

ある日の研鑚会で、ここでも〝何か観念づけたもの〟に直面して次のような思いがふと湧いてきたことがある。
傘

“例えば雨の日、傘をさして歩いている時、向こうから傘なしで濡れてくる人がいたら、ふっと「この傘を使ったらいいよ」と差し出したい気持ちが浮かぶだろう。
でも普通はそんな一瞬の気持ちが湧き出すか否かに(でも自分の方が濡れて困るな)といった様々な理由など何か観念づけたもので打ち消してしまう場合が多い。もし実際に最初に浮かんだ気持ちで傘を差し出してみたらどうだろう。きっと相手も困っていた時だから、差し出されたものへの歓びもひとしお増すのが人の情ではないだろうか。
琴線に触れることで、自分も何かやりたくなる、贈りたくなる、次に繋げたくなるものが湧いてくる。それはいったい何の力に促されてのことなんだろうか?”

そんな自問を日々くり返していると、いつしか目に見えない感じないものへのなじみができてくるのか、何かほのぼのとした温かいものに抱擁(つつ)まれるのが不思議だ。

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わが一体の家族考(62)

親子の情愛と相愛社会

さきの〝母子系図〟の繋がりは別の箇所では次のように述べられている。

“ただ要するものは親が子を愛すると同じ親愛の情です。自分だけ覚えたら出席を止めて、後を教えて貰えぬと腹を立て、後かまわずに離れるでなく、後に続く人々に、自分の持てる凡てを、〝かつて自分が受けたように〟、与えて、与えて、与え尽す愛の心です。後れている人は吾が子です。吾が子に与える喜びに生きる、喜びの自分を発見するのです。私の持っているなけなしのものも、早く貰って欲しいです。貰って怪我や食傷せないよう、真の人間らしく早く成長して欲しいです。成長に応じて差し上げます。人と人とが、権利よ義務よの法律のみでは、円滑な、感じのよい社会生活は絶対出来ないもので、与えて喜び、受けて喜ぶ、相愛社会に永久の安定・繁栄があるのです。
組合や会を造っても、この精神が欠けていたならば、かえって物欲の突っ張り合いの場ともなるでしょう。
多くの会や団体が破綻するのは、寄る時の理屈・勘定はよいが、この団体を愛し、全員を愛し、真に自己を愛する相愛の精神が足りないためです”(『山岸会養鶏法』)

親子の情愛から突然〝与えて喜び、受けて喜ぶ、相愛社会〝へと飛躍しているようにもみえる。〝権利よ義務よの法律のみ〟を超えた社会生活が暗示されている。
こうした親子の情愛と相愛社会を結び付ける考えはかなり乱暴で牽強付会にもみえる。そんなことぐらいでこの現実社会が変わるはずがないとずっと小馬鹿にしてきたが、あながち自分一人ではあるまい。

ところがある日の研鑚会で、「報酬を省みない(タダ働きになる)事を無上の喜びと感ずる人」を研鑽したことがある。
タダ働きがなぜ無上の喜びとなるのだろうか、先ずもって実感が湧かない。次に
「次の社会には屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝・報恩等は絶対にありませんし、そんな言葉も要らなくなりますから、他人のお蔭に甘えるわけには参りません」
との一節があった。
そこで甘えるとは、人の心からの親切などに対して「ありがとう」と感謝したり、お礼の品を届けたり、お金などの見返りで、それで事足れりと平然とその行為を帳消しにしてしまうことだと研鑽した。ギクッとした。
それは普段の自分の考え方であり行動である。何と自分は迂闊にも今まで、甘い考えで人の心からの行為を無造作に取り切ってきたのではないか?!
本来理想社会には絶対あり得ない感謝など何か観念づけたもので、たくさんの人の行為を消して当然のように立ち振る舞い、結果としては一般社会と何ら変わらぬ無味乾燥な社会づくりの片棒をかついできたとしかいいようがない、といった発見にも似た気づきがあった。

〝何か観念づけたもの〟が、自分と理想社会とを隔てている牆壁になっている事実を思い知らされたことであった。
さきの「無契約結婚」の一文にもあるが、
いくら“頼んだようなおぼえがない”からといって、

“産んだ方に、育てる責任がある、義務があると責めても、育てただけくらいで、責任だ、義務だとて取り返しがつくわけでもなく、育てれば育てるほど、成長するにしたがいますます固まりが大きくなる一方で、もとの卵子と精子の結合以前に戻して貰わない限り、この事態解決とは云えまいし、絶対に出来そうもないこと。思い違いの多い親や誰かが、間違いの多い人間に育てあげて、責任を果たしたなどとは理屈が合わない”
卵子と精子

と、この一件卵子と精子の結合以前にまで遡らないと何の解決もならない訳だが、そんなこと“絶対に出来そうもない”。
あの〝何の思慮もなく、あてもなく、のめり出たらしい〟ものが、どうも人間の存在根拠の本義に等しいというのだ?!

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わが一体の家族考(61)

〝母子系図〟の繋がり

さきの「無契約結婚」にも記されているように、〝わたし〟とは

“わたしは父や母に約束したようにも、産んで下さいとも、育てて下さいとも、頼んだようなおぼえがない。契約なしに、しかも何の思慮もなく、あてもなく、のめり出たらしい、むろん何歳まで生きようとか、何をしようとか、何々をしなければならないとかの予定もなしに。”

〝契約なしに、しかも何の思慮もなく、あてもなく、のめり出たらしい〟ものだという。
あの

“一日、或る人家の軒下を流れとどまる下水溝に、黒く細長い、蛭(ひる)にも蚯蚓(みみず)にも、八ツ目うなぎにさえも持たない、熾烈な悪寒を覚える醜体の、一匹の虫のうごめき”(わが一体の家族考55))

となんら変わらない存在だ。
しかし彼らにも、

“配偶者に会う仕組みは、うまく与えられてあるのか、種の絶滅もなきまま、こうして産み付けられた吾が身の不運をかこっているかどうか、詮索したくなります。人間の誰かと引き較べて。”

そこまでさかのぼっても存在する〝うまく与えられてある〟ものとは?
さきの受け継がれていく〝強いやさしい母〟に喩えられるあの「頑として動かない、この揺るぎない感じ」の圧倒的な存在感に思わず重ねてみたくなる箇所だ。
こうした人間に限らず他の生物一般にも、〝生まれ、育ち、婚姻し、子を生み、育て、老いて死ぬ〟といった似たような生活環を営むものもあるようだ。
生活環

だとしたら人間もまた良く生きられるように、人間の持つ知能をどのように働かせればよいのだろうか?
そのことは、親と子の間を繋いでいる永久に動かない変わらない実態にふれることでもある。
その辺りに山岸巳代蔵はふれている。

“山岸会では母子系図を作成しています。親から受けたものをその子孫に与える。会への導きをされた人を親とし、その親の心になって子孫に伝える人を、その親の子としています。性別、年令、国籍、賢愚、学歴、地位、身分を問わず、親はいつまでもこの系図から消えず、子のまたない良き親となって頂いているのです。
私の倫理 〝親は飽くまで、子に資するもの〟、枯木となって朽ち果てるとも、子に尽くし、子孫の繁栄を希うものとしております。子は自己の延長である。この身は永久に絶えない。交代身が子で、しかも社会連鎖の形で子孫に自己が生きているのであり、子孫の繁栄・幸福は自己を全うすることであります。親は子に与えて、与えて、持てる限りのものをなお与え尽して、子から親に対する報恩は決して求めない。唯願うことは、それをその子に、子は孫に与え、自己の欣悦の日常は子孫の欣悦に共通する繋がりを明示しております”(同行愛農会の諸兄姉に)

ここでの〝母子系図〟の繋がりには、夫婦・親子の血縁家族を律する「私の倫理 〝親は飽くまで、子に資するもの〟」と同時に、契約や約束の要らない本当の仲良い仲、世の中の繋がりにまで連接されていく質のものが込められてあるようなのだ?!
ここで見出された〝親と子の間を繋いでいる永久に動かない変わらない実態〟は、夫婦・結婚生活に限らず、この源泉をくみとることでこそ展開される仲良い楽しい世の中へと結びついていくところがミソなのだ!

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わが一体の家族考(60)

自分のことを自分でソッと思い返す

山岸巳代蔵の草稿の中に「無契約結婚」と題した一文がある。

“ひとには辱かしくて云いそびれる人も、自分のことを自分でソッと思い返すことは出来るであろう。生まれながらに立てる子馬のように、スックと立ち上がって天上天下を指さしたと謂われるシャカ(釈迦)やシャカに類する人はそっとしておいて、お互い生まれ出た時の無想意だったであろう凡夫の自分から初めよう。人一人一人異うだろうから、自分自分で考察してみよう。
母が父と何月何日にこのわたしを産もうと約束したかどうだか、わたしにはわからない。わたしは父や母に約束したようにも、産んで下さいとも、育てて下さいとも、頼んだようなおぼえがない。契約なしに、しかも何の思慮もなく、あてもなく、のめり出たらしい、むろん何歳まで生きようとか、何をしようとか、何々をしなければならないとかの予定もなしに。
八卦見や神霊がかりの人には、一生の運命がわかるそうだし、透視術を心得ている宿命論者には、曰く因縁がつけられるかわからないが、僕の場合、物心がついてから両親に聞いたところによると、長兄、次兄と二つ違いで産まれているから、次は急いで欲しいとも願わなかったうちに、いつか知らない間に宿ってしまったらしく、「宿ったなれば仕方がない。上二人とも男だから、セメテこんどは女なればよいが」と、あまり邪魔にもされず、また胎内でも静かだったので、女だと思い込んでいたのに、産まれ出て見れば、また男を象徴しているので意外だったそう。
親の考えもアテにならないもの、この世の人は思い違いをよくやるもので、また願うようにもならず、願わぬ事が次々と実現する。
「親の言葉となすびの花は千に一つのアダもない」とよく訓示をした親にしてこの通り、意外、案外の固まりで、わけわからずに、シャバ(娑婆)の風にさらされることになった。
親の意に逆らうつもりもなかったと思うが、これも親不孝の一つになるのかも知らないが、約束もせない、頼み頼まれもせない、何も知らない、わからないのに出来てしまったもので、どうとも致し方なかったことだろう。今さらどちらも責任が果たせるものでもなかろう。産んだ方に、育てる責任がある、義務があると責めても、育てただけくらいで、責任だ、義務だとて取り返しがつくわけでもなく、育てれば育てるほど、成長するにしたがいますます固まりが大きくなる一方で、もとの卵子と精子の結合以前に戻して貰わない限り、この事態解決とは云えまいし、絶対に出来そうもないこと。思い違いの多い親や誰かが、間違いの多い人間に育てあげて、責任を果たしたなどとは理屈が合わない。
中には早々と子供と離れて他へ走ったり、他界へ急ぐ人もあり、自分だけの子供として盲愛を集中する人、自分の子をひとの子もなし、子は誰の持ちものでも、おもちゃでもない、次代をうけつぐ大切な子として世界中の人の子の仕合せのためには命をかけて尽くす人もある。
育てる約束もしていないから、責任も義務もない筈だろうが、頼まれもせないのに、子は育てられている。
受胎した時は仕方がなかったものが、産んでからは仕方なしに育てるのと違い、また責任・義務で、育てねばならぬから育てるでもなく、忙しくとも、労れても、自分の生命を削ってでも育てるのは、契約や義務等でやれるような上ついたものでないからこそ、強いやさしい母となれるので、約束だからとか、責任や義務や職業で仕方なしでは負担を感じ、本当の子には育つものでない。”

と人間観念の思い違いばかりのアテにならない中で人間本当に真面目で正直であるなれば、本当の契約は出来るものだろうか?
そもそも責任・義務を果たす果たさないとかの繋がりで本当の子に育つものだろうか?
また思い込み、予定のキメツケなどもみな約束の部類に入るのではないか?
等々と自分自分を実験資料と見なしてふり返る。

しかもそのふり返り方は、この間の文脈に沿えばあの禅問答式での、
○闇の夜に 鳴かぬ烏の声きけば 生まれぬ先の父(母)ぞ恋しき
○父母未生以前の本来の面目如何
といった文字や言葉で言いあらわせない人の本質的な部分にふれようとする試みである。

またなかには固い約束を自分で結んで信じ切って、外れた時に自分を苦しめ、他を苦しめることになる〝自分で自分を縛ることで不自由この上もない〟現象も多々見られる。
だとするなれば、約束等とは本当はどんなものかハッキリ知っておく必要があるのではないか、と一貫してラディカルなのだ。
約束は必ずしも果たせるとは限らないもの、アテにならないもの。信じ信じられないお互い同士。
ではどうしたらいいんだろうか?

そんな信じ信じられないお互いが本当だとするなれば、そんな思い込み、キメツケで縛った観念に囚われて自他を騙したり苦しんだりしない〝無契約〟の約束の要らない仲、信じ合おうと言わないのに間違いの起こらない仲が本当ではなかろうかとさらにたたみかけていく。

しかしこうした一文のくだりは、なかなかそのまま素直に受け取れない箇所だ。
だがしかし、

“忙しくとも、労れても、自分の生命を削ってでも育てるのは、契約や義務等でやれるような上ついたものでないからこそ、強いやさしい母となれる”
母と子 ピカソ

という一節に出会うと、一瞬にして本当なるものが立ち現れて来たような、なぜか思わずグッと熱くなるものがある。
〝強いやさしい母〟なのだ?! 
その〝強いやさしい母〟に成れるように連綿と親と子の間を繋いできたものがある!
その繋がりの源泉をくみとらねばならないとする切実な欲求が湧いてくるのだ。

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わが一体の家族考(59)

「自分が自分に出会う」手ごたえ

その頃の自分はぽつんと一人きりの、おぼろげながらも「自分が自分に出会う」手ごたえのような感受だけが唯一自分をリアルに確かめられるような心境にあった。
さきの山岸巳代蔵が安井さんに語りかけた、

“こうなったという事実を認めても自分で裁くのはどうもね。
本当は良いか悪いか分からんのやから、自分も責めない、人も責めないでその中で生きていく強い自分になることやね。そこから明るい豊かな世界が開けるのよ”

といった、
「事実その中で生きていく強い自分」
を見出す自らの体験について思いめぐらしていた時期と重なるだろうか。
「事実その中」に秘められているようにも感じられるリアルな自分に突然出会っては思わず〈やった!〉と独りごちて充たされていた。

テレビのミニ番組〝にっぽん巡礼―心に響く100の場所〟から
「そこで羽田さんは自分と向き合います」とのナレーションの声が飛び込んできたのは、そんな時だ。
女優・羽田美智子さんが幼少の頃から何度も訪れたことがある海岸の岩場にそびえ立つ鳥居を前にして次のように語るのだ。
大洗磯前神社_神磯鳥居

「鳥居の足元にも、波がかかったり、穏やかな波が来ようが、激しい波が来ようが、頑として動かない、この揺るぎない感じをずっと見ていると、自分は自分だと、あっこういうことなんだと、気づかされるんですね」

嬉しかったね。うまく言葉にならないところで同じような思念を何度もくり返していたからか、羽田美智子さんの「自分は自分だと」いう発言から瞬時に自分が心底納得する自分に出会えたような歓びに充たされたのだ!

あるときこの話を研鑚会で出したら、誰かが「私の場合は、“どうせ”がつくのよねぇ」と発言して皆で大笑いしたことがある。あまりに言い得て妙だったからである。
「どうせ自分は自分だと」仕方なく諦めがちな普段の自分らを言い当てていたからである。
だとしたら次のように問われるはずだ。

そこで見い出されたリアルな自分とは?
そんなリアルな自分を産み出すそこは、どんな場所なのか?

鳥居を前にして「頑として動かない、この揺るぎない感じをずっと見ていると」、自身のいわば〝原風景〟のようなものが迫り重なってくるのだろうか。羽田美智子さんも次のように語る。

「はじめて触れた海で、家族の笑い声とか…童心に還るというんじゃないけど、ふっーと力が抜けて、なんか休まる場所ですね」

そしてそんな〝休まる場所〟が跳躍点というか出発点となって「自分は自分だと」ふっとひらける瞬間が生まれたのだ!
自分が自分であることの、想像を絶するほどの驚きと喜び。
あらためて、そんな出発点に立ち戻った〝休まる場所〟とはどんな世界なんだろうか?

ともあれ「自分は自分だと」、そのように自分という存在を受けとめられるところから「私の倫理」なるものが呼び醒まされるのではないのか。

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 「と」に立つ実践哲叢(23)

 “奇跡の村”のときめき

先頃刊行された辻秀雄さんの『半世紀を超えてなお息吹くヤマギシの村―そこには何の心配もない暮らしがあった』(牧野出版)の本の帯のキャッチコピーに「ここは、本当に“奇跡の村”なのか」とあった。
奇跡の村

えっ!奇跡の村?、大げさだなぁ……と思いつつ、何かが突然呼び覚まされるような衝撃を感じた。
ひょっとしたら本当はそうなのかもしれない。“奇跡の村”ってまんざら根拠のない話ではないのではないか? 日々の暮らしのここにもあそこにも奇跡が顕在しているではないか。そんなふうに想いを馳せると胸がときめいてくる。
例えば以前「週に一度ぐらいは各家庭でも食事ができるように、村の一体食堂“愛和館”に休館日を設けたい」といった提案が研鑽されたことがあった。

研鑚会ではもちろん各家庭での食事云々はとがめる何ものもないのだが、それと共に「常夜灯」としての一体食堂“愛和館”の存在価値について皆で研鑽できたことが今も心に焼き付いている。いつも身近に感じられて自分らの歩む道を照らしてくれるような道しるべとしての「常夜灯」についてだ。そんな「常夜灯」の灯明と年中無休の一体食堂“愛和館”が重なってきたのだった。
常夜灯

その頃か、どうも皆となじめなく沈んだ気分のまま一体食堂“愛和館”へ普段よりも早めの時間帯に行ったことがある。すると“愛和館”の光景が一斉に自分の心の中へ飛び込んできたのだ。子供たちから老蘇さんまでみんなが耀いて見えた! 

こんな時だ。その時その場に座る人同士で一家族を形成する「十人のテーブル」の仕組みからの無言の催促や力づけに触れるのは。何かほのぼのとした温かいものに包み込まれる“奇跡”に気づかされるのは。

また例えば、自分の人生の大きな転機にかかわる人との出会いや結婚の経緯なども“奇跡”としか名づけられないものだ。
自分はそのことを臆面もなく“ある愛の詩”と勝手に名づけて機会あるごとにみんなの前でおおっぴらに言い続けてきた。
だってそれ以外に堂々と胸を張って自分の言葉で語れる何ものもないからだ。あのときめく恋に落ちたような琴線に触れる体験というか「私はあなた、あなたは私」の親愛の世界との出会いこそ“奇跡”ではないのか。他になにも要らない。もうそれで満喫謳歌。
そういえば自分らの全人幸福運動も、「かなわぬ恋ではなかろうと、チョッピリ出した手がこの知的革命案です」(『ヤマギシズム社会の実態』)だった。

そんな誰のなかにも眠っているその人なりの“奇跡”が日々新たに呼び覚まされ、ときめく最適な場として“奇跡の村”がある!
この書には、実顕地という共に働き、共に暮らす場からおのずと浮かび上がってきた、一人ひとりの“奇跡”が綴られている。何気なく、当たり前なこととして、それはある。
    

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