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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

鈍愚考(81)

失恋も面白いものやぜ
ポンと飛び込む

また「百万羽構想」の実現に柔和子の果たした役割が大きかったように、この運動の原動力になっている一週間の特別講習研鑽会(特講)にも大森敏ゑという女性の存在があったことに気づかされる。

この間の〝頼子の2〟の生きる力とか〝柔和子の2〟の実具現力に重なって思い出されてくるのが、1956年の1月に参加者一五〇余名で開催された第一回「特講」までのいきさつだ。
前日まで準備研などで風呂へも行けず散髪もする事が出来ないほど心身共に山岸巳代蔵は疲れていた。息子の後の日本画家・純(1930-2000)が書き上げた絵図も夜明けまでかかった。というのも、女の人の〝ポンと飛び込む〟姿体が思うように描けない。とうとうそこだけ自ら描いてやっと間に合わせた。
期間中も食事も喉を通らない山岸巳代蔵に、四国・松山から参加した大森敏ゑの昼夜を分かたぬ看護があったという。毎日が危篤状態の連続であった。
本人も死を覚悟したものか、ザラ紙に2Bの鉛筆で「ボロと水でタダ働きの出来る士は来たれ」との遺言状を書いたと伝えられる。この講習期間中命が絶えても屍はそのままに、この講習を続けて欲しいとのことだった。
愛情研鑽会の中でも回想している。

“私はもう本当にもう向島を出て、観月橋を越したらコトッていくんじゃなあと思って、もうハイヤーに乗って横にグターとなって、「もう、もうダメやな、家へ帰ろかな」と思っても帰る気力も無かった、「あぁ、観月橋を越したところで、コトッていくな、あぁそいでもまあいいわな」と思って出掛けた。まあそれが三鈷寺へ担ぎ上げられて、三鈷寺でなかった、光明寺へ担ぎ上げられて、そしてまあ神秘的ないろんな話あるんですけども、大森敏ゑのある力によってですな、肉体的というよりは、この指圧っていうかね、この、こういうものですね、手を通して感じるものね。こういうものからね、非常にこの、なんか蘇生したような思いを感じて、それからね、だんだん、だんだん、きたものね、ねえ。”(愛情研鑽会1958.10.21)

大森敏ゑによって生きる力が蘇ったのだという。続けて次のように語る。

“それから、いろいろのこう、段階があって、そして今度頼子と、あのまあ、私の言う結婚に入ったわけですね。それからっていうものはね、本当に、あの、まあ誰でも、「若くなった、若くなった」って、風体は私は飾らなかったと思うんですわ。別に若く散髪したわけでもなし、顔カミソリ当たったわけやない、ね、だがねえ、まあこれはゆっくりまた書いて、書きますから、書いたものから感じてもらったら結構ですけどね、まあ、そういうものがあったんですね。それから、ずいぶん若さを保ちやね、保つっていうことはねえ、これ私の若さでなかったと思うんですけどね、やはり、そりゃまあ、どっちに解釈されてもやむを得んですけどね。”(同上)

養鶏をやりたい思いから月刊誌〝みずほ日本〟で山岸式養鶏法を知り、この精神での養鶏なら大丈夫だと興味を持ち、1954年10月京都での定例研鑽会に二才と四才の子を連れてはるばる三日がけで参加したのが当時27歳の大森敏ゑだった。
彼女は自分の想像通りの山岸巳代蔵の人となりや会の研鑽会の空気に触れて、宗教家・暁烏敏の〝ある詩 にほいぐさ(梅の別称)〟を思い浮かべたと会報三号で紹介している。例えば次のような一節だ。
“あらそはず おかされず うらやまず かなしまず しとやかに もえいづる わがにはの にほいぐさ そのはなの たかきかに ひかるよを だきつつむ”

また山岸巳代蔵がどんな話をしても「ほう、そんな素晴らしいことが出来るのですか」と言って決して「そんなことしたら大変なことになるでしょう」とは言わない女性であったという。
二人の愛は本気だったらしく、敏ゑは山岸巳代蔵の娘、映(はゆる)宛の手紙で山岸巳代蔵への愛を告白して貴方や母上を苦しめていることを許して欲しい、と書かれてあったとの証言もある。
その後二人はずっと文通しあっていたが、結局この恋は親の反対などで実らなかった。
「子ども連れてきたらええのに。敏ゑが雲隠れすれば大仕事できたのになあ」(山岸巳代蔵伝草稿 安井登一)と口惜しがったという。
後年次のようにもふり返る。

“失恋も面白いものやぜ、執われから解放される。記憶あっても執われから解放されるということは、いくらもなし得ることやし、あり得ることやと思う。僕はそれで楽になったわ。実際は代りがあるからやなしに、好きな人があるから一方の執われから忘れたやないの。それがある間は、可哀相な、苦しい、さびしいようなものがずっとあったが、それを外したらなくなるね。そういうものは早う外した方がよいと思うな。向こうにあるのでなくて、こっちにあるのやから、それは。”(「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」第六回1960.10)

そして執われを外したら楽になる実例として、

“僕自身のこと言うとね、敏ゑさんがあった。誰と恋愛して暮らしていてもちっとも消えず、しかもほのぼのとしたもので、しかも二度と寄るか寄らんか分からんとしても、点滅でフツフツと浮かんでくるもので、執われてさっぱり仕事できんかというと、そうでないが、それもやっぱり取り去れた。それが同じ思い出でも、明るいものならよいが、暗い悲しいものならみじめやわね。また何回も出てきても、外していけると楽やね。また観念をパッと外すこともなし得ると思うわ。”

とふり返る。
すると続けて柔和子が

“だいぶのろけを聞かされましたよ。それが永いこと聞かんね”

と応じるのだが、果たして敏ゑへの〝のろけ〟話にすぎないのだろうか。
勝手な推測の域を超えないが、先の柿谷さんが解読されていたあの〝男も女も生かす、女にある持ち味その2〟を指し示したかったのではなかろうか? それも女にある持ち味その1実具現化〝5〟と言いたくなるほどの柔和子を前にして、〝柔和子にないもの持ち味その2〟のリアルを女にある持ち味1と2をバランスよく含み持つ大森敏ゑの存在を通して改めて実感させられたのではなかろうか?

さらに加えてあの失恋の可哀相な、苦しい、さびしいような執われを外したら、ほのぼのとしたものがフツフツと浮かんでくるのだという!?
ここでの可哀相な、苦しい、さびしいようなみじめな自分から、失恋の面白さへ転換した自身による体験談の箇所がとても興味深い。
たしかに執われから解放される観念転換の実例なのだが、それはさびしく感じるような自分から面白く感じる自分への観念の持ち替えをいうのだろうか。
そうだとしたらあの失恋の可哀相な、苦しい、さびしいような自分から、どうしたらほのぼのとしたものがフツフツと浮かんでくるのだろうか?
いちばん肝心な〝観念の持ち替え〟のところが自分らには未だ不分明なまま残されてあるように思えて仕方ない。
そもそも〝観念をパッと外す〟って、どんな感じなんだろうか? コロコロと変わる人間観念の取り扱い方についてのことだ。

それはとにかく大森敏ゑの存在から自ずと表れるものに、この間の柿谷さんの探究にある〝男も女も生かす、女にある持ち味三極〟とか〝心の状態が優しくなること〟とか〝本当の頼子を理解してほしい〟などといった文言の真意を暗示しているようにも感じられて重ねてみたのだった。

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「と」に立つ実践哲叢(64)

明日の楽しみに生きる
明日の楽しみに生きる

先頃ヤマギシの村ネットに掲載されていた〝題名のない研鑚会〟の記事ほど、今最もタイムリーな話題はないだろう。
ラインで「明日70歳以上で寄りましょう!」と呼びかけられた研鑽会の話題の中心は、〝これからの私達年代の実顕地の暮らし〟である。 何となく身近に迫りつつも今一歩踏み出せないでいたところを研鑽会の方から後押しされることとなった。
例えば記事の中に次のような一文がある。

“「みんなと共に、ゆりかごの前から墓場の後まで」
参画する時、その後もそんな言葉もありました。若い時はどこか他人事でもあったしそういう仕組みになっていて、安泰と受けとっていたように思います。
今思うにそれはお世話する側とお世話される側のことではなく、「形ではなくそこをお互いどう探り続けられるか?」という私達の真価が問われる挑戦のような、、、、ちょっとワクワクしませんか~!”

そうだなあと思う。「みんなと共に」なんだなあ。山岸会会旨に〝われ、ひとと共に繁栄せん〟とあるが、ここでの〝共に〟の言葉が一気に実感のともなった喜び、喜ばし合いの〝共に〟の繋がりそのものにも感じられてきた研鑽会であった。
寄せられたコメントを挙げてみる。

○題名のない研鑽会の感想で「昨日の研鑽会はみんなのパワーを感じたなぁー」と言うのがあった。私はその研鑽会には参加していないが、最近の研鑽会は一昔前とは随分、様変わりしパワーが増したと感じている。以前なら(困ったけどどうしよう)と言う発言が最近は(困ったけど、それが楽しかった)と言う発言に変化して来たように感じている。
○数日前東部から車で帰る時、梨園の横で軽バンが側溝にはまっていた。4~5人で上げようとしていたが、通りがかる車が次々と停まり男手が8人位集まり、人力であっという間に車は溝を出た。そして何事も無かったかのように皆散っていった。
○自分はどう生きるかって言う自分の問題を、自分以外の人の生き方をちゃんと聞いてまぜまぜにするんですね。
楽しそうだなぁ。
○「ゆりかごの前から墓場のあとまで」を、今まで、仕組みとか形のことと捉えていたなぁ、と。例えば、太陽の家、学園、介護部、養護部とか。言わんとするところは、こころの世界のようだと思った等々。

今までの社会構成を切りかえたい。自我とか自己主張とかで突っ張り合う個々の私を繋ぐ社会から、われでも、ひとでもない〝共に〟の繋がりによる社会へ、と!
オマエそんな偉そうなこと言うて、じゃあ具体的な案があるのかと聞かれたら、自分にもない。それでも研鑽会でのみんなのパワーを感じていると、「ないけれど、あるんだ」と〝ある〟と言い切ることで、ないものを産み出そうとする意欲が湧いてきたのは果たして自分だけだったんだろうか。 

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鈍愚考(80)

男になる女になる
ヤマギシズム社会の実態

この間の柿谷さんの愛情世界探求録は自分らの実践テーマとしてある
○男は剛 女はやさしさ
○男は貫徹 女は持続
○“男は男として生き、女は女に適した生き方こそ、幸福な人生です。”(『ヤマギシズム社会の実態』)
等々は改めてどんなことをいうのだろうかといった問いかけに貴重な一つのヒントを与えてくれる。

なかでもこの『ヤマギシズム社会の実態』という題名の冊子は、一週間の合宿研鑽会「特講」テキストとしても使われている。
内容は〝ヤマギシズム社会の実態〟〝知的革命私案〟〝知的革命の端緒 一卵革命を提唱す〟の三つに分けてあり、山岸巳代蔵が山岸会は単なる養鶏の会ではなく幸福一色の理想社会を目指す会であることを解説するために1954.11.22~1954.11.29の一週間で書き上げたとされる書である。
その中にある〝男は男として生き、女は女に適した生き方〟という一節が、何となく分かりそうで分からない言葉として長年心の片隅でくすぶり続けていた。
例えば次のような亡くなる二ヶ月前頃の発言もある。

“最後にお会いしたのはこの三月だった。八木の実践地へ行く時、「では行ってきます」とご挨拶したら、「ああ体を大事にね、みんなに会いたくてたまらないが、その時間も惜しいからみんなによろしくね。どこにいても心はいつも通っているね」と別れたのが最後であった。
またこんなことも言われた。
「女は女らしい女になればいいんだ。親は女に生んであるのだから女になればいいのだ。いつのまにか女が男になろうとするから社会はうまく行かないね。女は女らしく、男は男らしくね」”(『ヤマギシズム』紙昭和36年6月15日 土居タカエ)

先に柿谷さんは〝男の目で女を見、女の目で男を見る〟という常に二つのテーマを混線して語るところに社会秩序を混乱させている原因を見出されていた。
だとしたら人間の中の男と女はもっとも相合うお互いを生かし合うという、らしさ・持ち味の観点から見ていくとどのようになるのだろうか?
しかしこうした問いかけは、男らしさや女らしさというものは後天的に差別的につくられたもので、人間的平等や同権論で男女共通に律していこうとする今の社会風潮の中ではほとんど見過ごされてきた。
曰く、〝男女の向き・不向きなどは勝手な固定観念〟〝男だから女だからという枠にとらわれない人間としてのありよう〟〝男性主導 家父長制 男性中心主義 抑圧された女性〟〝男女共同参画社会基本法〟等々。
この辺りの人間の中の男と女という性の異いを、どちらも人間であるという本質的なものと異性であるという本質的なものに、単純に分けてみたらどうなるのだろう。

つまり〝人間〟であるというところからの視点と〝男と女〟の異いからの視点である。
今の社会風潮の中では〝男と女〟の異いといえば、せいぜいセックス談義か〝話を聞かない男、地図が読めない女という類〟の形だけの〝男と女〟の違いのイメージしか呼び起こさない。
だから男女がそれぞれのらしさを豊かに生き生きと合わすことによって、治まる場に治まっていく社会を描いてみようとするヤマギシズム結婚観などは、時代遅れの牧歌的な昔話の一つとして見なされがちだ。
またある日の研鑽会でたしか一般社会には無いものがヤマギシズムによって形になって表れるといった研鑽の流れで、柿谷さんも言われていたことが話題にのぼったことがある。

“男には女の要素が、女には男の要素が無い。無い要素をはっきり自覚したら、男女問題は大分スッキリするのではないだろうか。お互い立ち入らないことだ。”

女のことは女でないと分からへんという。女の仕事を男がやってもあかんのだという?
そもそも〝要素〟とか〝お互い立ち入らない〟とはどんなことなんだろう。まるで雲を掴むような話にも聞こえて未だに記憶に残っている。
男女問題というからには惚れたはれたのセックスの世界しか思い浮かばないその頃の自分には、〝男は男として生き、女は女に適した生き方〟の本質追究の先にひらかれる世界が秘められてあるなんて想像だにしなかった。
人間社会を本質的な男女の異いから掴んでいこうというのである! 
それも先ず夫婦の一体から始めてみようというのだ? まさに目からウロコだった。
人間であるという本質的なものと異性であるという本質的なものが、一つで出会う場所があるというのだ!?
夫婦の生き方が理想社会の縮図にも重なる!
あの〝理想社会が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時、感激だったであろうと想像できる〟(柿谷探求録2005.3.27)という深い感動を自分らもまた味わってみたい。
牧歌的な昔に帰るでなく本質的で未知で未体験なかつてない新しい世界を共に描いていこうというのだから。
そう言えば次のような昔話がある。

“鬼の褌を洗う女
仲の良い若い夫婦が野良仕事をしていたところ、突然、女房が鬼にさらわれた。
男は女房を助け出すために何年も何年も諦めず探し続け、ついに山奥の河原で、鬼の褌を洗わされている恋女房の姿を見つけた。
しかしよくよく見ると女房は、鎖で繋がれているふうでもなく、近くで鬼が見張っている様子もなく、簡単に逃げ出せる状況だった。
結局、男は女房に声を掛けることなく、一人で山を下りた。”

いったいここのどこに〝男は男として生き、女は女に適した生き方〟の一例が見られるというのだろうか。
ふと男の〝女房に声を掛けることなく、一人で山を下りた〟気持ちに想いを馳せてみたくなる。案外ほのぼのとするものに包まれていたのではなかろうか。

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鈍愚考(79)

複数形態に至った経緯(10)
男も女も生かす持ち味その2

山岸巳代蔵による鉛筆画 滋賀県比良の山々

柿谷さんは先の探求録にもあった〝男も女も生かす女にある持ち味三極〟とか、〝夫も妻も生かす接着剤同士の一体〟とか、〝生かし合うには一体以外にはない〟などといった表現をとおして、あたかも無いものが見えるところまで探究心を持ち続けることで〝頼子さんの2〟の実態に迫ろうとされている。
そしてそこから〝頼子さんの2〟は、〝男も女も生かす持ち味〟それは〝宇宙自然界そのものだといわんばかり〟の愛の繋がりの理にまで拡張されている。そうした質のものではなかろうかという。
それは宇宙自然界の底に息づく生命力だろうか、自然から贈られ、人から発せられる美しさ・豊かさ・温かさの源が、そこはかとなく広がっているのがこの世界のようなのだと。
きっとここまで男も女も生かす持ち味が闇の中から出現するためにも、山岸巳代蔵の次のような言葉が大きな後押しになっているに相違ない。

“真の夫婦は、夫婦そのものが接着剤同士の一体で、約束という接着剤なしで、一つになってしまっているから、考え方から行為からの凡てが一致し、夫の考えは妻の考えであり、妻の願いは夫の願いで、妻行なうところ夫の行ないであり、夫の行為は妻の一体によって成なるもの。”(真の自由結婚)

などという一節だ。
だとしたら、〝夫の行為は妻の一体によって成るもの〟の「妻の一体」とは?
例えば餅と餅を搗き合わすのと約束という強い接着剤で密着さした合板とは、いったいどこが異なるのだろうか。それは両者の間に糊の隔てがないのとあるのとの異いだと簡単に言えそうなのだが、果たしてそれだけだろうか。

そもそも〝一つになってしまっている〟とはどんなことなんだろうか。
どうしてもここでは〝自他一体観〟とか〝身替わり〟とか〝分身〟とか〝私はあなた、あなたは私〟などといった飛躍した(?)理念観念に立たないと先に進めないのではなかろうか。このあたりがいちばんの難所だ。今まで通りの路線からの乗り換え(=自己革命)を意味するからだ。
そこから現れてくるものが「先生も柔和子さんも生かす頼子さんの2」ではなかろうかと!

こうした自問自答を重ねるところからしか柿谷さんの大きな気づき・発見は生まれなかった。
そんな全てを生かすというほどのものが、女性に存在しているということはすごいことだとの感嘆の声を何度も漏らされている。
またこうした柿谷さんの探求過程で幾度となく引用されている資料の一つが、あの事件後の9月から10月頃にかけて潜伏先から自らの心情を延々と吐露する長文の柔和子宛の

“私はこの世に思い残すことがある。死んでも死に切れないものがある。”

から始まる書簡である。
そこでの終わり数十行のうちに〝なぜかを聞いてほしい〟を5回言っているという。くり返し同じことを言わなかった人が、5回も短い文面の中でくり返していることは注目すべきだという。是非ここを読み取りたいのだと。その部分を引用してみる。

“頼子を柔和子たちに理解ささずに、誤解さしたままでは、如何に苦しくとも、死にたくても、死に切れないのである。
柔和子を最も愛しているが故に、本当の頼子を理解してほしいのである。また誤解され、世人から、家族から、一人ぽっちにされている頼子のためにも、柔和子たちに正しく頼子を見てやってほしいのです。この世の中にこんな愚かなことがまたとあるだろうか。その原因の殆どを私がつくっただけに、私は死んでも死に切れないのである。”

“これについて私の云いたい事を、私になって聞いてほしいのである。本当の研鑽がしてほしいのです。批判者でなく、苦しみ悶え抜いている私は何を云わんと、くりかえしくりかえしするのか、なぜ、どういう点を苦しんでいるのか、一方的とり方できめつけないで、苦しんでいる私になって聞いてほしいのです。”

“先ず私の欠点であった、感情もあり、我もある相手に、相手の気持にもならず、云い度い本心を聞かないで、筋ばかり通そうと理責めを相手に感ぜさす理詰め、検事、裁判官態度でなく、私もその身になって聞くけいこをしますから、私の身にもなって、感情に走らないで聞いてほしいのです。この世で、私としての最大の念願は、柔和子や、自分では気がつかないが、頼子を誤解し、頼子を苦しめ、私を苦しめ、息の根を止めようとしている人達に、私が死ぬに死ねん、死よりもつらい思いで、何を苦しんでいるのか、云わんとしているのか、よい年して孫みたいな小娘に惚れてうつつをぬかして云っているのかどうか、私の身になって聞いて頂き、頼子を理解してほしいのです。”

“頼子も憐れですが、そうゆう心の世界に平然としている人、こういう世界が私に堪えられないのです。本当の研鑽が出来るお互いになり度いです。そうなれないために、苦しみ苦しめ合って下手ばかりしているのです。
間違いばかりで勝手に苦しんでいる私でしょうが、その間違いばかりで苦しんでいる私になって聞き考えて下さいね。”

あの〝もう愛のない状態には生きられない〟ワタシを捨てたそんなじぶんから沸きあがってきた切なる声に催促されてのことだろうか。しかもそんな愛の世界は、観念だけではないものがあるようだ。
男でないもの、女でないもの。男女寄って初めて闇の中から出現する〝男も女も生かす〟ほのぼのとするものを指してのことだろうか。
さらにそうした自問自答は宇宙自然界の愛の繋がりとの関わりにまで拡張されていく。
そんなどこまでも自問自答の火種を燃やし続けるような態度に強く惹かれる自分がいる。
そこから柿谷さんは次のように解読されていく。

“長い間の私の追跡も、納得できる所に着きました。内心歓喜しています。”
“先生達の数字の数は、私達とは違う数になると思いますが、男にあって女にない数、女にあって男にない数はあると思います。男にあって女にない数字と、女にあって男にない数字が、男の数よりも倍(2+2)、種類が二つあるように思います。
先生にない、柔和子さんにある 2 と、
頼子さんにあって、先生と柔和子さんと、自分も含んで生かす、 2 です。
この2種類の持ち味は、柔和子さんと頼子さんだけのことではなく、数の大小はあっても、女の人にある持ち味でしょう。決して男の持ち味と交錯しないのではないでしょうか。
男にあって女にないもの、女にあって男にないもの。くいちがい、このままでは生かし合わない。生かし合うには一体以外にない。……と私は腑に落ちました。接着剤同士の一体です。
結婚の資格に、男は資格を身につけるのが資格、女は20歳~23歳を過ぎたら資格を失わないようにするのが資格、といわれていることもヒントになると思う。男の私は、身につけるのが資格という資格をやはり生きている限り探究したい。”(2004.4.20)

自分らの用語にある〝ゴールインスタート〟の意味するものが直に伝わってくるようだ。
ゴール(目的)とスタート(出発点)は一つというか、本当を目指して今日只今も本当であろうとする前進段階の立ち居振舞がイメージされてくる。

またその後の頼子については、山岸巳代蔵からの〝昨日頼子のために一日中泣いた。〟で始まる手紙(1959.12月半ば頃)が残っているが、諸事情により本人の手に渡らなかった。
また頼子からは二人の仲を取り持っていた安井登一宛に、事件後山岸巳代蔵からの接触があるのではと時々来る刑事からの情報を得つつも、すべてから解放されてただ一人になりその上で来年(1960年)からの行くべき道を定めますといった手紙(1959.12月末)が残されている。

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鈍愚考(78)

複数形態に至った経緯(9)
数字に秘められた愛情世界

柿谷喜一郎

自らの複数形態の姿を自転車に例えて空気の抜けたタイヤが自分自身で、頼子という空気が入って、柔和子という車体ハンドルのついたものに組み込んでこそ本当の仕事が出来るのだとする山岸巳代蔵は、こうした〝頼子と僕とね、こう結び付いたものが、今度はまた柔和子と結び付くことによって〟の一体においてこそ実現していく世界を数字でもっても例えている。

“さっき言ったね、「これも五つのうちの、まあ、柔和子が五つ」と、それで、「頼子と僕で五つ」と、こういうことは。「三は柔和子と同じような、こう、能力、そのかわりに柔和子にない二つの能力が僕にはある」と、こう言ったわけですな。
まあこれも、数字で言うと非常にややこしいから、言い直しておかんといかんからね。そうするとやね、二つが頼子かというと、そうやないのよ。頼子に、いや、柔和子にない二つが僕にあると、そうして柔和子と同じ、柔和子の持っておるもので太刀打ちしたらやね、どっちがどうって言うたら、そりゃもう柔和子の方がガーンとやりますよ。ね、ある能力っていうかね、そういうもので、ね。そういうような意味のことね。
そりゃ、僕の3より柔和子の5の方がっていうかね――もう、ちょっと、数字で言わんと分かりにくいから、ちょっと例えて言うんですけどな――こういう非常に素晴しい能力持ってるっていうことやね。
そういうことでね、ところがこの、この僕には5、寄せての5がある、柔和子にないもの2寄せて頼子と同じもの3が、あの、柔和子に……ややこしいね、今の。
あの柔和子に3ね、柔和子と同じ3と、柔和子にない2寄せて5として、ここに頼子が入ることによって全部これが生きるということね、ね。
ここや、ここんとこね。頼子が2でないの、頼子が2でないわけよ、頼子は全部に生きるわけよ。この3だけも、この3の柔和子と同じ3もやね、頼子が入らなかったらやね、3も生かされない。むろんこの2もやね、働かないと、こういうものを僕は感じるの。そういうものを感じる。
ところがこれだけあってもやね、柔和子の、この5があってこそやね。”(1958.12.9での愛情研鑽会)

つまり柔和子は〝5〟ともいえるこの間の〝百万羽〟構想を実現していく力を備えている女性。一方頼子はただ愛一筋、愛だけでもう生きているような女性だと見なされてきた。
この間の文脈に沿えば、頼子と一緒にいることで生きる喜び・若い感覚・生きる力を与えられあたかもエンジンにガソリンが送られて頭が働く状態になった山岸巳代蔵がいる。
そしてその働きを生かす、実具現化していくものが柔和子だというのだ。
数字の例えでいったら〝頼子と僕〟の〝2+3〟が柔和子の〝5〟に結び付く複数形態での〝夫婦一体〟の姿をここで言いたいのだろうか?
それにしても続く〝頼子が2でないの、頼子が2でないわけよ、頼子は全部に生きるわけよ〟っていったい何のことだろうか?
ホンマ、ややこしい。
ここに至って、それ以上はよく分からなく投げ出したままにしてあった。
そんな折、この運動の先人の一人柿谷喜一郎さんのこうした数字に秘められた愛情世界の解読に出会った。
そのことの経緯に触れた以前の一文を貼り付けてみる。

【2007年の正月、和歌山県のヤマギシズム生活紀南実顕地の柿谷喜一郎(1929~2016)さんから突然大部の印刷物が送られてきた。数年前から正解ヤマギシズムの探求に取り組む思いが高まり、「遺言」と称してその都度気づいたり考えたことや自分ら夫婦の実践記録などが書き綴られていた。
当時自分はイズム探求以前の課題で悪戦苦闘していた時期で自らしっかり受けとめ吟味する余裕などなかった。
取りあえず一読して次のような感想を記してお礼の手紙としたことがある。

“拝啓 寒気ことのほか厳しい折、お変わりもなくお過ごしのことと存じます。 さて、このたびは「遺言」と称される大部のイズム究明の書を贈呈してもらい有り難うございました。ほんとは何度も読み返し吟味してからの読後感想をとも思いましたが、とりいそぎ一読しての、的はずれになるかもしれませんがざっと感じたままを順不同で記させていただきます。
 昨年の夏頃、やはり柿谷さんと同様のイズムの大先輩であられた、山本作治郞さんの『深奥を探ねて』の著書を読む機会がありました。それまでもお顔は以前から存じ上げていましたが、結局一度もお話しする機会はありませんでした。しかし書かれたものを通して、さすが山作さんだなぁとそのイズムへの究明心を知らされて驚きました。
 なかでも山岸先生の第3輯「恋愛と結婚」のまえがきに書かれてある「宇宙自然の愛護」についての山作さんの深い探求は生涯を通して続けられたようです。私も一生の課題にしたく、感銘を受けました。
 言葉というものは、受け取り方はそれぞれまちまちで全くの誤解に向かう場合もしばしばですが、そこのところを割り切った上で、心を通わせたいとする際には便利で有り難いものだと思ったしだいです。
 今回も柿谷さんの書を読ませてもらって、へぇー柿谷さんはこんなふうに考えているんだぁ、と蒙をひらかれる思いがしました。ふだんの立ち話程度では分からないものだなとつくづく感じたしだいです。(以下略)”

今度改めてその後も亡くなられる前まで不定期に送られてきた「遺言」集を読み直してみた。そして、そうか今自分が取り組んでいる課題は、山本作治郞(1912~2004)さんや柿谷喜一郎さんなど先人達の流れに位置するのだなあと思い知らされた。
ちなみに夫婦の真字に理想社会の縮図を見る柿谷さんの語録を幾つか並べてみる。
○夫婦はもちろん,男と女はお互いに無いものを持って生まれてきている。何があって、何が無いとハッキリしているか。
○今までは、男の目で女を見、女の目で男を見るという、常に二つのテーマで混線して語ることをしてきた。
(略)
○夫婦の一体は、理想社会の縮図として最小単位の理想実現の絶好の舞台であると思う。
○女性は宝物を持って生まれているにも関わらず、自らが宝物を捨てる方向になっている悲劇。越路吹雪が歌う「一寸おたずねします」の歌詞に〝19の時に落とした愛を探して…〟がある。
○当時(1958年)四日市の頼子さんのアパートで先生(山岸巳代蔵)と頼子さんが夜明けまで研鑽していた時、今夜は危険だからといって春日山から四日市まで八人で飛ぶようにして行ってアパートのまわりを寒空の下で夜明けまで夜番しました。心の芯まで凍るようでした。死んでも忘却し得ないほど寒い夜でした。

こうしたイズムの大先達に導かれて、さきの数字に秘められた愛情世界の解読を、〝「理想社会」が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時、感激だったであろうと想像できる〟世界を行きつ戻りつしながらも探求し続けていこうと思う。】

ここでは〝数字に秘められた愛情世界〟なかでも〝頼子さんの2〟についての考察を、柿谷さんの探究録から今少し詳しくたどってみる。

“○三人三様に他の二人に共通しない単独の持ち味がある。
○女の人にある持ち味は2種類ある。女の人は、2種類の持ち味が発揮されないと成り立たない。
○妻の2種類の持ち味が、夫の持ち味を生かす。女が女を生かす、そして男も生かす。
○男にあって女にないもの。女にあって男にないもの。生かし合うには一体以外にはない。
AにあってBにない 2―男
BにあってAにない 2―女
AもBも生かす   2―女
○それぞれにある2と女にあって男をも女をも生かす2とが、一体になると(接着剤同士)2+2=5になって、夫婦お互いが5になるという。
○ひらめきの男+実具現化の女+ひらめきの男と実具現化の女を生かす女の2を頼子さんの例で言っている。
○男も女も生かす持ち味が闇の中から出現するためにも、男と女が混線しないこと。
「角を生やすから男心は去りゆくのです」。男の目で女を見、女の目で男を見るという混線。
○〝夫の行為は妻の一体によってなるもの〟の「妻の一体」とは? 
○先生の論と言うより、宇宙自然界のことか……。
○実具現力の高い女性、いわば生活力、所帯持ちの良い女性(妻)は、女性本来の魅力、心の優しさからの2+2の5になりにくい。真の夫婦には成り得ないところからの、具現方式としての複数形態。
○三人で一体の場合も二人で一体の場合も、頼子さんの2は欠かせない。
○頼子さんは2以外の表現がない。
○柔和子さんが、頼子さんの2を生かすことが愛研のテーマではなかったのか……。
○頼子さんと離れて、柔和子さんと二人の中で、三つの要素の実現に向けて2の生かす力を柔和子さんに期待したのでは……。通じなかった?
○発明力、実具現力、生かす力=接着剤。
○夫の持ち味は発明創造にある、「柔和子さんにない、先生にある2」
妻の持ち味 その1(実具現力)「先生にない、柔和子さんにある2」
妻の持ち味 その2 「先生も柔和子さんも生かす頼子さんの2」
○頼子さんの2を、〈その2の持ち味〉と私は呼ぶ。夫も妻も生かす。接着剤同士の一体。
「心の状態が優しくなること」を失わないように。
「妻の一体によってなるもの」とは、
〝もの〟という字句は、宇宙自然界そのものだといわんばかり。
無我執も自然界(無感の世界)では、保ち合う理として存在する。感化力、零位に立つ、研鑽も無感無識界に存在する理だと思う。”

そしてそこから次のような世界像が浮かび上がってくるのだという。
○男にあって女にないもの。女にあって男にないもの。生かし合うには一体以外にはない。
AにあってBにない 2―男
BにあってAにない 2―女
AもBも生かす   2―女
から、男を一極、女を二極、三極と表現するなら、三極に当たる世界が女の人に存在する!?
一極と二極は男と女が無い者同士。お互いに無い者同士だと思うだけで謙虚になる。
だとしたら、男も女も生かす、女にある持ち味三極とは? 一極と二極とで生かし合えるのではなく、三極の存在によって一も二も三も生きることになる! では、三は……何?

もう事ここに至ると〝何をか云わん〟の気持ちで満たされる。何を付け足すことができるだろう。柿谷さんのヤッターと内心歓喜している姿が何度も思い浮かんでしかたない。
しかもここで着目すべきは、柿谷さんは山岸巳代蔵の〝頼子さんの2〟についての発言から、〝女の人にある持ち味は2種類ある〟という揺るぎない気づきにまで〝らしさ〟とか持ち味の世界を引き出されたところにあるのではなかろうか。
しかもそこから自らをも、
“今までは、男の目で女を見、女の目で男を見るという、常に二つのテーマで混線して語ることをしてきた。”
とふり返りつつ、愛情問題に始まる社会秩序を深刻に混乱させている原因を人間観念の〝混線(混同)〟に見出されたところにあったのではなかろうか。

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「と」に立つ実践哲叢(63)

繋がりを生きる
見田宗介

今春、〝どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることかできるか、他者やあらゆるものたちと歓びを共振して生きることができるか〟(『自我の起源』)といった単純な直接的な問いを根底に問い続けた社会学者の見田宗介さんが亡くなられた。

ふり返ると自分自身ずっと見田さんの言葉と対話を重ねてきたように思う。
最初の出会いはちょうど半世紀前の夏、ヤマギシズム出版社に配置されてはじめて手がけた運動誌『ボロと水』第4号の編集であった。巻頭は別海実顕地の寺田任さん春日山の逢沢利晃さん、「特講」を受講されたばかりの見田宗介さんとの鼎談「障壁なき世界に向けて」で、小見出しをいろいろ考えたことが思い起こされる。

今度改めてパラパラとページをめくっていたら次のような見田さんの発言が目にとまった。例えば生き甲斐だと自分で思い込んでいた社会科学の理論なりを創造していくということも、つながりの一つの形式というか、媒介であって、

“突きつめていくと、他の人とのつながりということ以外に、生きる意味っていうのは見出せないと思うんですよ。(略)
 やっぱり、何か他の人々にとって自分の存在というものが意味があるというところがなくなると、すべてが空しくなるんですね。”

そうだなあと思う。
後年、見田さんの著書『自我の起源』に所収されている〝インドのバナナの少年〟の話をもう十年以上二週間の研鑽学校3の研鑽資料として活用している。
それは、見田さんが南インドの鉄道の駅で列車の中から目撃した情景だ。

乗客が窓から投げ捨てるバナナの皮に、飢えた少年や少女が群がって奪い合っている。乗客のひとりがある少年にバナナを与えると、まん中のやわらかい部分はすべてたぶんまだ歯のそろっていない妹に食べさせている。その長い間、少年は法悦のような目つきで女の子を見つづけている。こんなに幸福な人間の顔をこれまでに何回かしか見たことがない、といった話だ。

毎回皆でこの話を研鑽していると不思議と胸の中が熱くなってくる。きっと見田さんも、いや当のインドの少年もそうだったにちがいない。お兄ちゃんが妹になっている!

この熱く充ちてくる不思議な感情というか〝琴線に触れるもの〟っていったい何なんだろうか。そこから人と人との繋がりによる生きる意味って、どのような現象として立ち現れてくるのだろうか。興味が尽きない。

また見田さんは著書『気流に鳴る音』の中でヤマギシ会の「一体」理念について、〝モチはあくまでも絵にかいたモチであることに、山岸会の活力はある。〟と述べられている。
しかし一方で自分らは、絵にかいたモチでない実感のともなった喜び、喜ばし合いの繋がりそのものに日々の活力を見出そうとしている。繋がりの中の自分を生きるのだ。

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鈍愚考(77)

複数形態に至った経緯(8)
〝二人で一つ〟の自分

子ども子どもして遊ぼーよ

ついに突っ張り合う間断のない苦しみにお互い責め苛まれる煉獄の試練から脱け出すキーが発見された。
それはもう一歩踏み込んで、涙を呑んで虎に食われるのではなく愉しい状態で共に食われる〝二人で一つ〟の世界に飛び込むことからひらけるいき方だった。
同じ二人が一つになれてから、仲良くほのぼのの気分で問題を解いていこうというのだ。
しかもこうした気づきは、あの〝本当の恋愛の実践の場〟での自分が自分でなくなる空っぽの〝愛に飢えた状態〟に放り出されたのが転機となった。
自分でなしに傍から受けるもので、どっちでもどこへ行くか分からへん理知を越えたじぶん。そんな〝もう成り行き任せの流れ雲のような私のないじぶん〟に直面してはじめてなぜか絶望のドン底から途がひらけ始めてきたのだった。
〝弱い弱い弱い弱さを発見した〟未熟幼稚なじぶんが触れた世界。
そこは僕になりきった柔和の心の声を僕が、柔和になりきった僕の心の声を柔和が、本当のお互いになりきって聞き合う二人で一つの世界だった。
そこへはもはや理屈抜きで〝ポンと夫婦の本質の中へ入る〟ことだとされる。なぜなら〝夫婦は一つのものやから、一つになって解決することやし、楽しい状態で解決するのが本当や〟だからと。

かつて「金の要らない仲良い楽しい村」づくりを始めた頃の〝出発点に立つ〟という実践テーマが思い浮かぶ。
仲良し一つでも、仲良くなったり仲悪くなったりしない、どんなことあっても仲が良い、そんな本当のといった理に適った仲良しから究明していくと容易で楽なのだと……。
もともと本来人間同士仲良しであるから仲良しの障害なる自分のがんとしたきめつけを取り除いていこうとするだけでよいのだと研鑽して、何だか肩すかしを食らった気分だった。ここでいう〝仲良し〟を小バカにしていた自分自身を恥じた。
実践テーマ〝出発点に立つ〟は、いつも身近に自分らの歩む道を照らしてくれる〝常夜灯〟にも感じられた。
一つからの出発、本当の仲良しからの出発。
そんな自分からの思い考え・知恵より前に、〝一つあるもの〟に思いをはせるのだ。ころころ変わる人間の考えの前の世界についてのことだ。
以前次のようにも記した。

【そんな意識や考えを通さないで通じる・分かるという〝情緒〟に基づいて数学的世界を創造してきた数学者・岡潔(1901-1978)も、人には心が二つあると提唱するに至った一人だ。
第一の心とは、心理学が対象にしている心だ。この心は、私というものを入れなければ動かない。私は愛する、私は憎む、私は嬉しい、私は悲しい、私は意欲する。この心のわかり方は必ず意識を通す。
第二の心とは、無私の心であって、そのわかり方は意識を通さない。そんな第二の心が自分である。この心は不死である。
そして人は第二の心の中に住むべきだという。それはどんな世界かを知るには赤ん坊を見るとよいのだという。一口に言えば懐かしさと喜びの世界であると。わかり方は、まだ殆ど意識を通さない。じかにわかって、それが直ぐに表情や動作に出る。見るもの聞くもの、皆懐かしい。此の懐かしさの基盤から喜びが湧き出るのだと。
この意識を通さないでわかるという基盤を、情緒と呼ぶのだという。
そんな他(ひと)のまごころを感受する心でなければならないのだという。これが無ければ人の世は砂漠のようなものである、と。(春雨村塾での講話「嬰児に学ぶ」1969年より)
ふと原風景の研鑽での、女優の羽田美智子さんの語りがよみがえる。
“はじめて触れた海で、家族の笑い声とか…童心に還るというんじゃないけど、ふっーと力が抜けて、なんか休まる場所ですね”
そうなのだ。岡潔はいち早く童心に還っているのだ!
そう言えば山岸巳代蔵も次のように言う。
“真理の前には、人間の知恵のきめつけ程無力のものはなさそうだ。知恵でも知識でも本当はわからない。本当の本当は分からない私になる。軽さ気楽さ子供の世界。子供子供して遊ボーヨ。天真爛漫で遊ボーヨ。それだけが願い。”(「会員への第二信」1959.10.10)
“レンゲ、スミレ、タンポポ咲き乱れる野原で、お花摘みして遊ぼうや”(1959.12頃の口述筆記から)
またこの頃岡潔は情緒の世界を拡張し、本当の自分とは情である、人の本体は情であるという自分らの表現で言う〝自然全人一体観〟をひらいていく。
年譜によると亡くなる寸前まで出版に至らなかった第二の心を基調とした『春雨の曲』の口述筆記が続いている。
岡潔の研究家であり自身数学者の高瀬正仁さんのサイト「日々のつれづれ」に、〝岡先生の晩年の日記に出ている言葉〟が紹介されている。
“自然は映像である
 眞知の奥に眞情がある
 心情のおくに時がある
 時の奥に眞の自分がある
 私と彼女とがある”(1974、1、6)
高瀬さんも〝これだけでは意味をつかみにくいのですが、この時期の岡先生は『春雨の曲』の執筆に心魂を傾けていたことを想起したいところです。『春雨の曲』は恋愛を歌う一巻の歌集とぼくは思います〟と記されている。
ふと自分らの二週間の長期合宿研鑽会での終了間近になって自身に問いかける、万象悉く流れ、移り行く中での〝心の琴線に触れるものがある。それはどういうものか?〟というテーマが浮かんでくる。
岡潔は、映像のように移り行く自然の深奥にある情に触れ、その奥に真の自分を、私と彼女つまり自分らの表現で言う〝二人の一人格〟の自分=〈性〉を見ているのだろうか。その性が本来の自分であるように感じられているのだろうか?
とまれ、先の〝産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力〟を〈性〉からの力だと見なす見田さんの知見と同じように岡潔の人間には二つの心とりわけ第二の心に〝私と彼女〟を見るという知見は、そもそも〈性〉とは何か、といった好奇心を大いに刺激してやまない。】(鈍愚考39)

ああ、それで〝子供子供して遊ボーヨ〟なのかとあらためて納得されてくる。そんな軽さ気楽さの童心に還る二人で一つの世界から湧き出るものが、あの「金の要らない仲良い楽しい村」づくりでの出発点〝仲良し〟のくめども尽きぬ源泉だった! そういうものが自分ら人間の深奥にあったのだ!

また自然界の急流を遡る鮭の母川回帰に見られる〝産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力〟を〈性〉からの力だと見なす見田さん(社会学者・見田宗介1937-2022―引用者注)の知見に対して、映画『おくりびと』の主人公は「何か切ないですね死ぬためにのぼるなんて。どうせ死ぬなら、何もあんなに苦労しなくても」とつぶやいていた。(鈍愚考36)

この辺りを行きつ戻りつしながら、一般世間でいう性のイメージを越えた童心に還る二人で一つの性の世界として捉えてみたいのだ。そこからのかつてない世界を生きてみたいのだ。

ともあれ一つの観念我が外れて、ふっと浮かび上がってくる何とも言えん〝ほのぼのとした〟気持ち。これぞヤマギシズム恋愛・結婚観に一貫して流れているものにちがいない。
我執を超えるものがたしかに誰の心にもあることを言いたくてしょうがなかった。観念我が外れて頑固が謙虚に転換した〝二人で一つ〟の自分の姿にかつてない地軸を動かす事態を見ていたのである。

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鈍愚考(76)

複数形態に至った経緯(7)
同じものやないやろか

連通管

先の〝ついに発見されたキー〟に関連してじつは興味深い研鑽記録(「編輯計画打合せ」)が残されていた。そばでテープの録音を起こされていた奥村通哉さんありがとう。
当時滋賀県堅田に指名手配中の身で住みながら自意出頭(1960.4.12)の機会をうかがっていた頃、時々柔和子が訪ねてきた際の記録である。
その頃山岸巳代蔵は、「正解ヤマギシズム全輯」の著述に専念していた。昨年の山岸会事件について様々な風評・意見・所感などある中で、正しい解釈をされたいものだとする強い願いがあった。
その時(1960.3.6)の二人のやりとりである。

話が物貰ってもその心が嬉しくてその人の心を汚す感じがして、返事も礼も出したことないなどお互いよく似た人間だと意気投合しながら、向島の志津子(山岸巳代蔵の最初の妻―引用者注)さんとは未練なくさらっと別れられたが……といった辺りから、この間何度も二人して「本当にあの時会わなきゃ良かったな」「俺は三鈷寺(柔和子と初めて出会った特講会場―引用者注)で会わなんだらなと思う」と関係を断ち切ろうとした愚痴めいた話題におよんでくる場面だ。この間の文脈に適うかたちで部分引用をやってみる。

柔和子 そんな話を聞いてると、フッと疲れが出て、それがビーンと反射してくる。どっちも同時に疲れが出て、どっちも落ち込む。そしてまあ、十回のうち七回まで、結局私が機嫌をとるの、「もうやめましょうね」と。ところが、「もうよしましょうね」と言っているのに、「もうこの苦しみが、この苦しみが」と、相手が、「この苦しみを、この苦しみを」と泣き出すと、「あああ、あなただけじゃないわ」、いたわるのがあほらしくなってくる。こっちの苦しみも察してくれ、とこうなる。いいかげんにしてくれ、とこういうものが出てくる。
山岸 だが、そこに機嫌をとり始めることについて、それまでにきてある状態よね。それを七回は私がとるということになると、それがちょっとね、非常に間違った方に自分自身が入っていくものやと思うの。二人の中に起きた出来事をどっちがどうであろうと、そやないと、お互いに相手を非難する場合に、相手を見やね、自分を分かろうとする時に自分を見ると、こういうものがそこから出るのやと思うの、そらもう同じものやと思うの。なだめる方、なだめられる方、同じものやと思うのよ。僕はそう思えるけど。”

ここで山岸巳代蔵はハッとするような言葉を発している。〝二人の中に起きた出来事〟は〝同じものや〟と。いったい何が〝同じもの〟? 先の柔和子宛の書簡にあった僕が柔和に、柔和が僕に代わりばんこになって〝二人の一体で追い出そうね〟(1959.9月頃)という一節が思い浮かぶ。

山岸 そこんとこ、双方から起ったもので、双方のものだと思う。そこに本当の夫婦の良さがあるんだと思うが。
「ここからよう言わない私や」とね、そういう考え方に入らずに、やはり二人のものや、二人一つのものや、どっちのと言うより、二つの入れ物に入れた水がつながっているように、「僕が至らぬ、あんたが出来てる」と言っても、それは、至らん、出来てる、二つで一つのものと思うの。
柔和子 そらそう言えると思うわね、そういう具合に言ったら。
山岸 それやと思うの。あっちやこっちと言ってるより、同じものをやね、ちょっとこっちに水が多いとか、そっちが少ないとか言うよりね。同じものやと思うの。”

ここで〝同じもの〟の例えに管の形や大きさに関係なく液面が同じ高さになる連通管がイメージされている。そして二人一つのもの、二つで一つのものに本当の夫婦の良さがあるのだという。

山岸 いや、これはホントやと思うの、それをかれこれとそういう観方をするところに、いろんなもんが出てくるのやなかろうかと。なかろうかやぜ。”

柔和子には今ひとつ納得がいかない。〝私の場合恐怖心が入ってくる〟という。だから

“そこで本当の恐怖心取り除けた私なら、あなたが「アーア」と言う時、私も「アーア」と言って、そらどっちがどっちとも言えへんやろと思うわ。”

そこを山岸巳代蔵は〝二人一つのもの〟から応える。

山岸 だから双方至らないのよ。誰か原因作ったとしても、恐怖心が起るのは、至らないのよ。だからといって、そこへ甘えが出たらおかしいやろ。恐怖心が出る私やと、そんならこっちにしてみたら、それにも匹敵する、もっと言いたいが、同じものやと言いたいが、そういうものを感じながら、大変なことになるぞと思いながら、溜息が出るということの中に、いくつもあるということよ。本当に苦しくて仕方ない時もあるし、そういうものを含めて溜息が出るわね。別の意味のも出るわね、そやろ。これも至らないのよ。言うたら、至らないのがこっちにある、どっちにあるとかでなしに、至らないのは二人のものやと思うの。”

至らないのも双方にあり〝二人のもの〟だと。
しかし柔和子にはそこが納得できない。

柔和子 そして今感じるのは、そういう場合どっちが出ても一緒よ。一つの癖が出る場合に、「俺がこんなに苦しんでいるのにお前は」と、こういうもの、「あなたは」と、こういうものでなしに、こういけたらいいんでないかとね。自分も苦しい、一緒に苦しいわね。その時にね、相手の苦しさを認めるもの。自分も苦しいのよ、自分の苦しみを相手が認め、一つだからね。一つの身体あって、両脇で同時に苦しんでいるとして、双方、「私が苦しいのに、私が苦しいのに」と、押されるものでなしに、「苦しいのに、苦しいのに」でなしに、と同時に、同じ苦しいのだから、いたわるものね。寄って行って、「苦しいな、苦しかった」と、「苦しいね、苦しいね」と、なぐさめ合うもの、いたわり合うもの。これは私の一つの案よ。そこに夫婦が一つのものに溶ける。「俺がこんなに苦しんでいる」でなしに、形の上で、習い性で、癖のことよ。「苦しいわ」、「苦しかったね」と愛撫する形の上から、先ず習い性を変えていってみたらどうかなと思う案よ。下手のよ。”

〝なぐさめ合うもの、いたわり合うもの〟に柔和子の〝一つ〟がイメージされている?

山岸 だからよ、だから、そやないわな。その段階でなしに、も一つあんたがどうしたらどうかとか、いたわり合うとか、自分で整理しようとか、そういうものの要らない段階へ飛び込んでしまいたいのよね。そうしたら割合楽なと思うの、これは。
柔和子 私もそうなりたいわ。
山岸 それが本当の夫婦のあり方やと思う。そやと思うのよ。私が整理せんならんとか、あんたがどやとか、そういうものの問答無用のね。問答無用やと思うわ、そういうものの起らない状態にね、本当の夫婦の状態に入り込んでしまえる、そのとこへきたように思うけどね。飛び込むだけのことやと思う。すると、もう問題ないわねー。”

山岸 起ってこないのよ。そうよ。自分が分かってもらえないからとか、通じないからとかいうものでなしにね。もう何と言うか、安定し切った世界ね。それへ、もういよいよ入れる段階へきたと思うの、そう思えるよ。僕が楽なわね。そういうものを持っている、これを言わない苦しみ、或いは反対にこれを持ってるから聞かなければどうしても納得できぬというものなしにやね。もうそういうものは超越した夫婦ね。相手が至らないなれば、至らないなりにね。それは自分と同じものやということね。また、自分も至らないからといって、自分を責めないものね。理屈やないと思う。”

そうなのだ。話しながらハッとしたのはじつは山岸巳代蔵本人だったのではないか。
この間の〝もう愛のない状態には生きられない〟じぶんからの切なる〝そこやなかったんや、ここやった、こっちやったんや〟という声に導かれての自己の盲信脱皮体験談にほかなかった。
自分が自分でなくなり、もう成り行き任せの流れ雲のような私のないじぶんに出会う体験を経てのことだった。

“それね、相手に求めてんのと違うのよ。そういうもんでないのよ。その世界でね、ウロウロしないでね。それより、ポンとね、もっと夫婦の本質よ、こんなもんやないなと、それが先やと思うの。”

“あのね、ちょっと聞いてほしいのよ。それがね、それを聞いて、自分が整理したり、修養したり、納得したりと、そういうもんでなしに、解明してでなしにね、その前にね、夫婦というものはこんな苦しいもんじゃないな、二人の中にあることで、或いは周囲に関係のあることならなおさらね。そうなれば、そんなもんに取り組んで苦しい状態でやらんならんのは、「こらあやしいぞ」と、「そんなもんやないな」、「楽しいはずやな」、夫婦は一つのものやから、一つになって解決することやし、楽しい状態で解決するのが本当や、「不愉快やな」、「苦しいな」と思ったら、サッと、ここだと思うの。それが先だと思うの。理屈はこれ抜きよ、本当の理屈やと思うの、それやと思うの”

柔和子 その通りやと思います。
山岸 それやろうやないか、そうしましょう。”

ところが柔和子には、〝相手に求めないで〟という言葉が出るのは、相手に〝ここに飛び込め〟と求め強要しているようにしか感じられない。もう一つそうなれない私の気持ちのところへやさしく寄り添ってほしいといった気持ちが捨てきれないのだった。

それはそれとして、この間の〝血みどろの愛慾史〟〝煉獄の試練〟〝絶望のドン底〟〝結婚受難史〟といった修羅葛藤の渦の中で〝もっとも一体の真の妻が虎に食われようとしている時、その真の夫と自負する者はいったいどうしたらよいのだろうか〟といった問いを突きつけられた山岸巳代蔵。
そこでのじぶんがじぶんでなくなる〝もう生きられない私〟〝役立たない私〟に立たされてはじめて、涙を呑んで虎に食われるのではなく愉しい状態で仲良くほのぼのの気分で食われる〝二人で一つ〟の世界をひらくのだった。

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鈍愚考(75)

複数形態に至った経緯(6)
ついに発見されたキー

玉虫厨子 捨身飼虎図(部分)

頼子と僕とが結び付くとエンジンがあってそこへガソリンが送られるように、生きる喜び生きる力をもらえる。そしてそんな若さの働きを実際に活かすものが柔和子なのだとする複数形態での愛情世界実践に踏み切った山岸巳代蔵。
それは俗にいう三角関係の修羅など一切生じない、ほどこうとして解けない難問題〝ゴルディアスの結び目〟に立ち向かうようなものだった。
しかし無軌道・不安定のように見える中にこそ、従来からの結婚道徳・習慣・法規などに囚われない結婚問題の革命がある。一体においてこそ実現していく〝無固定結婚〟なるものの先に本当の世の中が実現するという確信があった。
例えていえば空気の抜けたタイヤが山岸巳代蔵で、頼子という空気が入って、柔和子という車体、ハンドルのついたものに組み込んでこそ乗り回せる自ら〝考案した自転車〟でもって、自らに課せられた〝生きた(本当の)仕事〟を打ち込んでやれる自分になりたいと思うのだった。

しかしそんな複数形態でこそ本当の仕事が出来るなんて手前勝手な男の弁に過ぎないではないのか?
そうかもしれない。人間というものは、宇宙自然界に繋がる真理に人間もまた生きなかったらダメだということが分かりながら、どれが真理か、それさえも測り知ることができない愚かしいものだ。これが真理だと突き止めることは出来ない。そんなおこがましいことは言えない自分だということは重々自覚しているつもりだ。
でもやはり何度考え直してもこの愛情問題解決しなかったら、生きた仕事ができない。本当の全人幸福に繋がる世の中はできないと思えて仕方がない。ただこの上は、

“どうぞ世界中の人が幸せになるために、私を役立つ部分があるなれば、生かして役立てて下さい。役立たないものなれば、この場で死なして下さい。私は私心があるなれば、どんな制裁でも加えて頂きたい。”(1958.10.21)

といった真理の裁きを受ける覚悟もあった。
ところが〝本当の恋愛の実践の場〟では

“ヤマギシズムと現実との、どうも相一致しない矛盾に割り切れないものがあった。
真なるものには、悩み・苦しみはないのが本当だと思う。ヤマギシズムにこうした苦しみがあるということはなぜだろうか。”(『恋愛と結婚』の前書き1959.10~12 口述筆記)

等々と次々〝血みどろの愛慾史〟〝煉獄の試練〟〝絶望のドン底〟〝結婚受難史〟といった修羅葛藤の渦の中へと三人三様に放り出されてしまった。
〝世界の我を抜く〟と言っていて、女房の我が抜けんで、〝何が我抜きだ〟と揶揄されてもいたしかたのないことであった。
いったい何が欠けていたのだろうか? なぜなんだろうか?
この間の愛情の不安定の憔悴錯乱のまま、山岸会会員に向けて全国民を「特講」に送る拡大運動の提案、急進革命運動を進める中で山岸会事件にまで発展し全国指名手配になる。そして各地を転々とする身動きならん環境に追い立てられる中ではじめて、苦しみ悩み続ける自分自身と真底向き合うのだった。

幸いにも事件後の9月から10月頃にかけて、潜伏先から自らの心情を延々と吐露する長文の柔和子宛の書簡などが遺されている。
先の愛情研鑽などを通して、一貫して山岸巳代蔵の中で外せない確信があった。
それは簡単に言えば次のようになるだろうか。
あの心清い頼子が苦しむということは、たとえ理想社会が実現しても完全とはいえない。そのためにもまず柔和子に対して、あの自分が納得しなかったら〝ハイと言えない〟という頑固な我を何とか取ってやろうと常にその態度を〝剛我抜き研鑽〟などを通して指摘してきた。
そこには本当の仕事を為していくための自ら〝考案した自転車〟も、「なんで分からんやろな、ママ(柔和子のこと―引用者注)さんさえ分かったらな、仲良う」乗り回せていけるのにという強い願いがずっと底にあった。
柔和さえ、柔和さえを連発しつつ責めてきた。死線を越えての荒行の連続であった。
それが〝たった今の今〟気づくのだった。

“僕の苦しみは柔和子に原因があったのでなく、僕自身の心の世界にあった”(1959.9月頃)

“苦しいのも悲しいのも、他でなくて自分にあったね。自分でこうありたい、こうあらねばならんかのように決めつけて、そうならないに対し、苦しみ悶える我があったね。他人(ひと)ばかりを見ていたね。あの人がこうさえしてくれたら、あの人がこうだからなどと、自分さえそうはまいらないのに、人がそう着々とまいるものですか。あの人がわかってくれさえしたら楽になってもらえるのにと、その人が楽にならない事を苦しみ悶えている僕だった。併しここですね。本当に早く楽になってもらいたいなれば、何も自分が苦しみ悲しんでいる場合ではない。それよりも早く楽になってもらえる方法を考え実行する事だった。”(同上)

“我のない人を求め、我のない人を造るに急で、外に求め、内を探さなかった。他の間違いを間違いと裁いて、直そうと気づかさないで、イヤがるのに押しつけ責め立て、その人と溶けあわないで……
ついに発見されたキー。理で虎に食われるを説いて、虎を退治しようとして、虎に食われなかった自分……”(真の結婚を探ねて1959.10月頃)

そしてようやくにしてあの釈迦が前世に飢えた虎の親子と出会い、我が身を投げ出して食わせ、虎の母子(生後間もない子7頭)を救う捨身飼虎の話に重ねつつ、絶望のドン底から途がひらけ始めるこの間の難問を解く手がかり、キーを発見するのだ!

それは代わりばんこになって「僕も柔和になりきって聞くから、本当の僕になりきって得心のいくまで聞いて欲しい」といった〝もう愛のない状態には生きられない〟じぶんからの切なる声に催促されてのことだった。
この我のある僕になりきって聞いて欲しいのだという。その僕になりきるには、〝苦しいだろうなぁ〟といった同情者の立場ではダメで、苦しくて暴れる本人になって見、かつ聞いて欲しいのだと。
何であんなことをするのかと思う何故の立場でなく、それをやるに至った本人になりきって欲しいのだという。
本人になりきるって? 僕が柔和に、柔和が僕に代わりばんこになるって?
そう、同じ二人が一つになれてから、仲良くほのぼのの気分で問題を解いていこうというのだ。

こうした気づきが自ずと3D写真のように立体的に浮かび上がってきたことこそ今度の出来事での最大の収穫だった! しかもそこへはどうやっても一人では辿りつけなかった。
ついに発見されたキー。虎に食われる自分とは、例えば

“講演する者の心掛けとして、聴衆の中の一番理解力の低そうな人を対象として話せとは聞いているが、真に役立つ一体研鑽も又、優れた人は劣った人に、先輩は後輩に、正しい人は正しくない人に、我のない人は我のある人に、不平のない人は不平不満の人に、文句のない人は文句を並べている人に、先ずすっかりなりきって、一体になってから、その中の一番低い立場で、自分の言葉として、最後まで本人はこれ以上何も云う事はありませんと得心するまで聞いてから、その人と同列で研鑽することだったね。”(柔和子に寄せる1959.9月頃)

と気づかされてくる。そんなまさに我で苦しんでいる〝弱い弱い弱い弱さを発見した〟未熟幼稚なじぶん自身に辿りつくのだった。
そしてこの未熟幼稚な僕になりきってもらって、〝二人の一体で追い出そうね〟というのだ。
それも涙を呑んで虎に食われるのではなく、二人でどうしよう、こうしようかと仲良くほのぼのの気分で虎に食われる(問題を解く)のだという!?
そんなママゴト遊びのような幼稚な方法であの修羅葛藤に満ちた愛情問題が本当に解決されていくのだろうか。しかし本人はいたって真剣そのものだった。

“今度柔和子に会ったら何もしないで毎日遊ぶのや。わらび取りに行った時やら、柔和子があどけなく無性に子供子供して喜ぼうとしているのに、しんからそうなれない僕。それが又柔和子にすまなく思う為、尚しんからうきうきとしない僕。すまない、可哀相。すまないと思う僕にも可哀相だった。
今度はからっとして、ちりくも一つ残さぬ快活な僕と、それをそのまま明鏡に写る柔和ちゃんと、何もせんと、大人の仕事何もせんと、草花つんで、野原でねころんで遊びたい。云いたい事云い、何時までも大人になりたくない。”(1959.10月頃)

何故ここで唐突に(?)〝子供子供して〟の世界が浮かび上がってきたのだろう?

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鈍愚考(74)

複数形態に至った経緯(5)
絶望のドン底から途が…… 

ゴルディアスの結び目

こうした愛情の混乱で絶望状態になった山岸巳代蔵は見性寺の「愛情研鑽会」(1958.11.27~1958.12.9)に〝なんとかならないもんか〟と一縷の望みをつなぐのだが、〝まあその場は死ななくて済んだけど、一応それで持ち越しに〟となる。

翌年1月19日には、春日山『百万羽』のふもと中林宅の離れで、柔和子が四日市の頼子のアパートから帰った山岸巳代蔵の顔に熱湯をかける〝熱湯事件〟が起きる。
3月頃には退院後療養を兼ねて春日山近くの関西線・柘植駅前の旅館で静養しつつ頼子が看護に当たる。
この時点でも複数形態での結婚に望みを託する山岸巳代蔵は、かわいそうな頼子が離れていても死なないで欲しい、との願いから二人は「一年後(3月31日)に結婚します」という契約書を交わす。
6月頃、柔和子と共に中林宅の離れから『百万羽』の宿舎へ戻った山岸巳代蔵は、本人の弁を借りれば〝私の愛情の不安定から起こる狂態〟の中で会員に向けて「特講」に急速に全国民を送る拡大運動の提案をする。
そして7月にはこの春日山『百万羽』が〝Xマン〟〝Z革命〟などの新流行語と共に全国的に名をとどろかしめた世にいう〝山岸会事件〟の舞台になる。
7月24日、捜査本部は山岸巳代蔵を全国に共同謀議の疑いなどで指名手配する。
こうした〝山岸会事件〟を経て警察に出頭する直前の潜伏先(滋賀県堅田)での「徹夜研鑽会」(1960.3.27)の発言までの間に、愛情の複数形態つまり

“期せずしてよ、頼ちゃん一人と思ってたのに、こうなったとこからやね”

と、〝こうなったとこから〟始まる実際を通しての愛情世界劇をふり返る草稿や口述筆記録などが数多く遺されている。
なかでも「真の結婚を探ねて」とか「真の結婚を求めて」などと題する原稿で、この間愛情研鑽会などでふり返られた複数形態での一連の場面を、〝血みどろの愛慾史〟とか〝煉獄の試練〟とか〝絶望のドン底〟とか〝結婚受難史〟などおどろおどろしい表現で記されている。
それは俗にいう三角関係の修羅とどこがどうちがうのだろうか。
今度の出来事で時間だけはある環境下のなかでふり返る。真底考え続ける以外になかった。

“ヤマギシズムと現実との、どうも相一致しない矛盾に割り切れないものがあった。
真なるものには、悩み・苦しみはないのが本当だと思う。ヤマギシズムにこうした苦しみがあるということはなぜだろうか。”(『恋愛と結婚』の前書き1959.10~12 口述筆記)

“幸か不幸か、私をして実験材料の役割を負わされたものか、ここまで成長さすための試練であったか、私としては恋愛・結婚を予期し求めた場合もあるし、無意識的な、何ら予想もしないのにそういう状態へ進展していったものが多い。どの場合にも、一回として同じような状態のものではなかったが、恋愛や結婚について研究するための実験として進行したものはただの一回もない。
時には問題を起さないために極力避けようとして避け得なく、深みへ深みへと突き進み、自分で自分をどうすることも出来ない苦しみから逃れようとして、一層苦しみへずり込み、血みどろの愛欲史に塗り潰された期間が続いたこともある。そういう場合は、特に苦しみの分析・分離、及び原因究明が出来ない状態になり、なかなかその苦しみから脱却でき得なかった。”(同上)

“今から考えると、真の結婚の何たるかさえもわきまえず、しかも未成熟のままで、即ち結婚資格もない僕が、一般に結婚と謂われている、真の結婚でないものを、結婚かのように思い間違って、早まり過ぎたために、真の夫婦になれる相手や周囲を苦しめ、自分も苦しみ通してきた事であった。”(真の結婚を探ねて 1959.11月頃)

“僕は全人幸福への熱願と、それへの凡ての面での理論究明と、進歩的合真理方法の考案や普及に急にして、自分自らヤマギシズムの人間性に到達することが疎かであった。”(同上)

“ところで僕、怒りや憎しみや財産等はスッカリ解決したようだが、悩み苦しみの方で特別が残されてあった。
大抵の悩みや心の苦しみは起らないから問題でなかったが、恋愛・結婚問題で大変なことになった。”(同上)

いったいここで何がいわれているのだろうか。
ふり返れば、真の結婚を探ねての途上で第四回「特講」(1956年4月)で出会ったのが井上頼子だった。

“頼子と二人っきりだった当時を思うと、省みるとね、頼子によってね、この生きる力やね、生かされていたと思うの。やっぱり米とか空気とか水とかいろいろのものでこう、人間生かされているわね。周囲の愛情とかこういうもので生かされておるけどね、それはね、頼子によってね、生かされていると。”(「愛情研鑽会」1958.12.9)

しかも偶然か必然か第三十九回「特講」(1957年8月)で何の野心もなく出会ったのが柔和子という女性だった。

“これはまた、柔和子の場合には楽な楽な。こっちより先や、ほとんどの場合。こっちが言うたら、「もうちゃんと私考えてました、こうでしょ」って、こう……。これはなあー、本当に楽な。”

といった最も知性的で、納得しなかったら、分からないから〝ハイと言えない〟という女性だった。〝なんでもピチピチ、ピチッとこう、相呼応するもの〟があった。
頼子と一緒にいると、頼子と僕とが結び付くと自分が生かされる、ほのぼのとした生きる喜び生きる力をもらっているのだと感じる。またそこからもたらされる若い感覚で新しいものを考え出す働きを得て、その働きを活かす、つまり目前足下のかつてない百万羽構想事業を実、具現化していくものが柔和子の存在だと確信された。

“これは本当のものね……”

と自分勝手にそう感じるというより、どうもそうらしい、もうそれなくしては生きられない〝自分〟を見るのだった。そしてそこから

“頼子と僕とね、こう結び付いたものが、今度はまた柔和子と結び付くことによって”

の一体においてこそ実現していくものがあるのだと自ずと描かれてくるのだった。
ここにおいてこそ自分ら三人が最も活かされるのではなかろうか。この愛情の複数形態が全人のために役立つならば、生かされるであろうと。
それはまた自ら〝考案した自転車〟にも例えられた。ところが

“後から後から研鑽上手の人が現れるのに、考案した自転車に乗る方が未熟で、坂道やぬかるみ、人混み道路を、荷物積んで自分で走る日には、事故・故障の繰り返しです。
ひとの研鑽に急で、自分の研鑽態度は疎かで恥ずかしいかぎりです。”(『愛和 ― 山岸巳氏よりの第一信集 』1959.10〝後の鴉が先にたつ〟)

と自らの未熟さに直面してしまった。
というか三人三様に追いつめられていく〝血みどろの愛慾史〟〝煉獄の試練〟〝絶望のドン底〟〝結婚受難史〟といった言葉で表現される中ではじめて山岸巳代蔵は、空っぽの抜け殻の正常な考えがそこに働かない自分が自分でなくなるかぎりなく〝愛に飢えた状態〟そのものの中に放り出されたのだった。
しかもそこで〝もう愛のない状態には生きられない〟じぶんと出会う。
虚空をつかむような、そこに頼りたいような、私心とか人間の傲慢さに押しつぶされるような、もう成り行き任せの流れ雲のような私のないじぶん? 自分でなしに傍から受けるもので、どっちでもどこへ行くか分からへん理知を越えたじぶん。

じつはここが〝本当の恋愛の実践の場〟であった。と同時に〝悩み、苦しみのほとんど起らない〟真の結婚の出来る資格が身に付く場所でもあったのである!?
ともあれ〝ヤマギシズムと現実との、どうも相一致しない矛盾〟のまっただ中で、〝もう成り行き任せの流れ雲のような私のないじぶん〟に直面するのだった。
するとなぜか絶望のドン底から途がひらけ始めてきたのである。

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「と」に立つ実践哲叢(62)

 主観を捨てての一言で
       済まされないもの

まなざしの革命

毎日の村(実顕地)の連絡研鑽会が面白い。昼の11時からの30分、衣・食・住生活を始め老蘇介護・窓口・豚や牛や蔬菜など各生産職場から十数名が寄っての研鑽会だ。ホワイトボードを前にして〝食では明日のお肉の焼き手を募集しています〟〝牧草収穫が始まりました〟〝ぶどうの袋かけ、受け入れています〟〝Aさん、B実顕地へ一ヶ月の交流です〟といった発言から各職場で今話題になっていることなど盛り沢山。お互い顔の見える総勢200人前後の範囲だからか、その日の連絡研での話題は次の日までには多くの村人が知るところとなる。
たかが30分、されど30分の濃密な時間が流れる。

十数年前に始めた頃は毎期の始めには人が寄るのだが、すぐに「今日は誰も来てないね」「誰もとは言えないよ、ここに三人いるよ」といった日々が続いた。必要とされていないのだろうか。
ある年の始め、ある職場が連絡研に毎日出られるように日替わりで参加しますという。 エッ!? そんな前後の事情を知らないで急に出席したらトンチンカンな受け答えになるのではといった疑問がまっ先に湧いた。
ところがなんと、なぜかそんな当番参加が各職場に受けたのか研鑽会が一気に繁盛しだした。すると連絡研に誰かが参加していないとその職場の研鑽会も盛り上がらない響き合いの気風も生まれてきたのだ。
なかでも日替わりで職場の様子を語ってくれる皆の発言から、その人なりの思いや個性が感じられてくるのがじつに興味深い。

またそこに居合わせる自分にとってはまさに〝されど30分の濃密な時間〟と向き合う貴重な場だ。聞きながら心の中でなるほどなあと同調している時や、いやそれはちょっとなあと否定的だったりする自分がいる。
自分の聴き方が試されている。ほとんど自分の立場や体験の上に立って、それを通して聞いている。今自分の置かれている立場から、それはこうしたら良いということになりがちだ。立場から離れて聴いていくことの難しさを痛感する。いや、だからこそ純粋に本当はどういうものだろうかと立ち返る研鑽会が仕組まれてあるのかもしれない。

こんな感想を抱いたのも、東京案内所の松本さんから〝まさに僕たちが受講を薦めているヤマギシの1週間の合宿セミナー『特講』と通じるものではないか〟と、ハナムラチカヒロ著『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』を紹介されたからだ。

人間のものの見方、つまりまなざしをデザインするというユニークな研究家・ハナムラさんは、「私たちが最も見えていないのは自分の見方である。(……)そしてその盲点を生み出すのは、自分が間違っていないという思い込みである」として、そんな取り憑かれている自らのまなざしからの解放を提案する。
そうなのだ。他に求めるより自らの殻脱ぐ方が簡単で楽だ。私が変われば世界が変わる。

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鈍愚考(73)

複数形態に至った経緯(4)
私のない生き方

羅針盤

ここに至り、つまり愛に飢えた者の末路をたどることではじめて山岸巳代蔵は、〝もう愛のない状態には生きられない〟じぶんと出会う。

“私はね、今日ね、柔和子がなくなっても、頼子がなくなってもよ、その愛情ですよ、愛情に及ぶものやね、それがなくなっても、どっちがなくなっても、私はもう、これで生きるものがないね。役立たない人間やと思うな。そういうふうに感じてしまうね。感じるよりね、ウー、感じるより、どうもそうらしいて、もう生きられない私よ。”

“ウソでもかまへん、僕が愛情を感じておるっていうことで生きられる”

空っぽになったじぶん。自分の考えや力が入らない成り行き任せのじぶん。
愛に飢えた状態、狂乱状態かも分からない常軌を逸する、正常な考えがそこに働かない末路をたどるなかで、
婆や(柔和子の身辺の世話をしていた―引用者注)からも「もう身勝手すぎて見とれない」とあきれ果てられ、和雄さんからは〝ホンマじゃれ合い〟無邪気な子どもの口説き(頼子と研鑽する様子をそばで見て――引用者注)と変わらないと妙に感心されたりもしたが、

“これは本当のものね……”

と感得されるものがあった!?
そこであらためて研鑽の場で柔和子から複数結婚の難しさを投げかけられる。

“そこにこう、なんかそれが解けないと、複数ってこれ危ないもんやなと、こういうところに出てきやしないかと思いますね。一人が、例えば今の場合、私の愛情がなくなったと、まあ消えたと、こういうことになれば、先生が生きておれない。で、頼ちゃんは、また生きておれないってこれ、三人が死ぬことになってくるわけですから。ああ、これはややこしい。”

山岸巳代蔵は応える。

山岸 ここが大事なところなんだ。
柔和子 何かそこでね、そこをハッキリしないと。
山岸 ここが大事なんだ。そこが複数の……大事なとこや。
柔和子 それでなかったら複数はえらいことになってくる。
山岸 ああ、ここは大事なとこやね。”

そして急に奇妙なこと(?)を言い出す。
参加者の一人から向島の奥さんでも死ぬほど苦しい目をしとる。今度は直に自分が味わう良い体験ではないかと問われて、

“そりゃええわね、味わってますわね。
ところがね、苦しくないっていうことをね、発見しましたわ。本当明るいですわ。これは発見しましたわ。”

本当明るい?

“いや、それはそりゃ違うやね、向こう側はどっちでもええのやね、僕の心の世界によ、僕の心の世界によ、ね、愛のないやね、ね、それを感じた場合に生きられないと、これよ。いかに愛しておっても、事実愛して、愛情もありやね、愛していてもよ、僕にはそれ感じない場合には、僕は生きられないと、こうなる。そういうことやな。”

そういうこととは?
相手の心がどっち向いていてもかまわない。相手やないと言う?

“もうパンときたわね、ね、パンときたら、もうそれから快適よ、そこの割り切りやな。”

とも言う。
しばくして次のようにも言う。

“その通りでええやないかな。そんな無理せんでもええ、ちょっとも無理がないね。今後に於てもやね、ね、そんなものはね、もうちょうど、この雲のようなものでええと思うのよ。ね。雲のようなものでええと思うね。「ああ、行くか」、「ああ、来たか」、ね、夫婦だとかいうようなものにこだわる、執われる、何ものもないと思う。私はそう思うの。”

そしてそこから当人同士の発言が交わされる。

柔和子 この間からねえ、だいぶ楽になりましたわ、これで。楽になりましたけどねえ、まだその、こういう状態の時ばっかりになったら、そりゃもう、こんなんやったら、真の人間に近いなと思うけど、こんな状態ばっかりにはあり得ないという、まだ自信がありそうな気がしますわ。(笑)
山岸 ここで、ここで大事なものが出てくるのよ、ポンと出てくるものがあるわな。
柔和子 なにかねえ、まだ……
山岸 ここで、ここで本当に大事なものが出てくるのよ、ポカンと一つ。割り切りの き が出てくる。
美和子 ちょっと休憩してほしいな。
○○ もうちょっと、済んだらやろ。
山岸 ま、その間まだちょっと多少要るよ。要るけどね、その場合によ、もう愛情とかいうようなものを超えたもの、ね。愛情っていうようなものを超えたもの。私、あんなつまらん歌やけどね、「全人幸福のためなれば」やね、「何をか云わん、わが凡て」、あれに尽きると思ってるの。もう、愛情やとか、好きや嫌いやて、こんなもんやないと思ってるの、みんなそれでいけるのやと思う、みんな。”

として、なんや知らんけど「全人幸福のためなれば」が〝私の意志〟となる熱い思いがこみ上げてくるのだった。

“これが本当に、私のない生き方と違うかと思う”

言うべきことは言わねばならなかった。

“それから、それからね、そんなことと関連してね、恋愛とか、愛情なんかでもね、これもまあまあ、「これが絶対だ」というようなこと言えないと思うのよね。そうした場合に、そうした場合にです、ね、やっぱりどうあるべきかという。さっきのあのやっぱり、全人幸福っていうかね、自然……真理ちゅうかね、そういうもの。まあどれか分からんよ、分からんがやね、しかし全人幸福ということこそ、どうも、我々の生きていく上、もの考える上の、指針、ね、指針だと、ね、いわゆる羅針盤っていうかね。そういうようなものらしいと、思うと。
そうしてみると、そういう立場から、ものを見ていこうと、ね。私の考え以上のもの、ね、そういうものによって行動を採っていきたいと、こう思うのよね。それが何かと言われたら、分からんと。分からん、やっぱり、これがそうらしいなと思うものから、じゃあ実行して、それはやっぱりやっぱり繋がったものでね、一人の、自分を含めて、一人の人も死なしてはならないというものね、これやっぱりこういう繋がり考えてくるわけよね。ね、と、自殺行為ということは、むろん出来ない。もうこんなふうになってくるね。”

と私から離れた私の考え以上の繋がり考えて、そういう全人幸福というものによって行動を採っていきたいという。
また夫婦とかの男女のあり方についても、自分で意識しているものはうわべで真底のものはそんなものやないともいう。

“私はね、この、夫婦という言葉、夫婦愛情ってよく言うけど、ここにこの、また危ないものがあると思うの。「夫婦というものはこういうものだ」っていう、その一つ固定した考え方が入っていると思う。夫婦愛情。それからね、愛情がなくなったというとこね。つまりね、うわべのね、「嬉しい」とかね、フワフワしたものとかね、こういうものはまだ、本当の、まあ夫婦と言うたらいかんか分からん、この、男女のあり方としてやね、まだうわべのものやと思う。まだね、自分で意識しておるものはね、うわべやと思う。無意識のものね。好き合っておるとかね、「好きや」とか、「ああ夫婦や」とかね、愛情があるとかないとかいうのはまだうわべのものやと思う。真底のものはね、そんなものやないと思うの、前から。
それで、それはね、分からんの。分からんもの、自分でも、人にも、ね。で、その、「ああ好きや」、「ああ愛してる」っていうのはね、それの一端が現れた時の状態と思う。底なるものはね、一部現れた時の状態やと思う。私はそう思う。
で、夫婦っていうようなものはね、そりゃあんた、本当に思っておるという間柄のことでしょうな。もうこれは、もうちょっと理論的に、非常にこう時間かかると思うがね。時間かかると思いますから、これは別の機会でいいと思う、これはね。ね、意識している間はまだね、それはうわべのものを感じておるだけで、底なるものっていうものはね、そんなもん意識の外のものやと思う。底はね。”

ともあれ

“そうやけど、今でもこうしてね、明るく笑うとね、そうするとね、別に、「私は愛情が起りました」とも言うてないよ。まあ何も言うてへんわな。そうかといって、ああして笑われたらやね、ニコニコって、こうされて、ああいう声聞かされるとやね、なんや知らんが、ファーとまたこう。そんな研鑽で、理屈でグウグウやられてるのやったら、俺は死にたいと思うが、またフッと死にたい気持がね、緩和していくと、こういうものやね。”

となんや知らんけど嬉しくなる山岸巳代蔵だった。

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鈍愚考(72)

複数形態に至った経緯(3)
情けない、頼りないじぶん

春日神社

柔和子から自分への〝愛情がフッと消えた〟と言われたり、頼子の「先ず考えてから返事します」といった一言から愛情の消えた状態を感じてうろたえる山岸巳代蔵は、愛情の枯渇といった断崖の縁に立たされる。

“もう、ないっと思ったらね、もう、カタッといくね。理屈抜きやね。”

そして〝もう死にたい、死にたい衝動〟にかられる。〝もう愛のない状態には生きられない〟という気持ちがどんどん起こってくる。

“愛に飢えた状態のね、狂乱状態かも分からんけどね。常軌を逸するやね。正常な考えがそこに働かないね。そういうもの感じますな、うん。”

愛に飢えた者の末路というか、その場に直面して予期しないで起こるもの……。

“これはね、私心とかね、人間の傲慢さに押し潰されるっていうことね。ね、私の私心、及びこの社会の私心やね、或いは人間の傲慢さやね。人間があまりにもこう、自分の考え方をやね、信じてやね、行動とろうとする、融通のつかないものね。私がないと言いながら、私があるわね、自分の考えが入るわね。そういうもので行動する、その行動に対し、行動によってね、押し潰される、傲慢によって殺されるっていう”

そんな惨めな状態に立たされた最も卑小なじぶんを考えてみたりする。
それからはもう理屈抜きに知恵も働かない精神状態になってしまった。空っぽの自分、抜け殻の自分……。
今回の当事者同士が出席する愛情研鑽会実現のために〝悲惨な思いで嘆願して〟(山岸巳代蔵)二人を連れてきてもらう仲介の労をとった奥村和雄さんはふり返る。

“まあ、その夜は寝たんですが、そしたら先生が朝の四時頃にむくむくっと起きて、どうされるのかと見ておりましたら、「鶏が、一ぺん見てこんと、どうも心に残って仕方がない」と言って、すぐ霜柱を踏んで山へ上がられた。(……)飛び起きて、(……)ついていったんですが、そしたら夜の明きかけにがたがたと帰ってきて、エー、もう真っ青な顔して、そしてね、帰るなりパタンと倒れてしまって、”

もう死ぬことは決定した思いの山岸巳代蔵もふり返る。あの朝も単衣(ひとえ)一枚で肌着なしに、草稿紙一枚と鉛筆一本もって出かけた。

“でも、『百万羽』があるからな、『百万羽』の手前、どうしても義理っていう言葉使いますけどな、義理か責任かなんか知らんけど、そういう繋りから、『百万羽』のために、人達のために、どうにもこのままは死ねんというやつやね。まあ三月幾日があの初産式、これは賑々しいやりたいと思っておったが、楽しみにしておったが、いろいろ山へ上がって計画もしておったが、しかしもうそれも希望の緒が切れたというか、もう死ぬ、死ぬと決めたんやけど、初玉産むまでね、「初卵を一個産むまで、まあ生きておろう」と。”

それから近くの春日神社に出向いて一生懸命拝んだりもした。

“無神論者がやね、神様に五円お賽銭あげてやね、手たたいて拝んでいる気持よ。こんな藁をも掴むやね、ね。”

「神あるなれば、どうぞ世界中の人が幸せになるために、私を、役立つ部分があるなれば、生かして役立てて下さい。役立たないものなれば、この場で死なして下さい。私は私心があるなれば、どんな制裁でも加えていただきたい」と真剣に祈った。
それから、そしたら、みいちゃん(柔和子の娘美和子―引用注)が呼びに来る、和雄さんが引っ張りに来た。
もうその時には絶望状態の中でうどんやリンゴ勧められても食べる気力が起きない。そんなもの、死ぬ身になんにも要らん。もうここで、空気だけは吸っておる思いだった。もうなされるままにしていた。そしたら和雄さんが「一緒に寝よう」って言う。それも逃げる気持ちもないのに一緒に縄で腹くくっといて言う。「男同士寝たって何が面白いんや」。なされるままだった。
すると――

“リンゴのね、食べさしを、その時ね、やっぱり無性に嬉しかったな。あの、非常に嬉しかったな。ハッと、こう愛情感じたんやね、あれっと思ったんやね、思ったんでしょうやね。また二口もらった、「食べないぞ」って思っているとこやね、食べないって気持やったけどね、やっぱりそれはふと食べましたな。けども、「滓だけは、もう滓は食べんぞ」って、食べないっていう気持のあれやったんやね、それで食べない。
だけど、とうとう後からね、口移しでもらった時はね、私はね、うまかったやない、求めたね。それによってね、なんや知らんがね、生気が蘇ってきたんやね。湧いてきたんやね、ふわーと。それから朝まで研鑽できたね、”

と皆からまんまと喜ばされ支えられて、それでまあ生きられたんやなあとふり返る。
そんな柔和子がなくなっても、頼子がなくなっても、その愛情がなくなったらもう生きられない私を流れ雲のように漂っているうちに、〝ふわーと〟湧いてきたものがあった。
もう絶望になって、それで今度は嬉しいなぁって、人の心ってこんなに変わるもんやと思い知らされた。
愛情がないと思っていても、自分でなしに傍から受けるものでハッと触れるもの、見る感じ、息から呼吸からでも、ハアッと自分に意欲が湧いてきたり生気が湧いてきたりした。
そこに一縷の望みというよりも〝一縷のもの〟をリアルに感じるのだった。
和雄さんからは

“エー、親父さんも、この、まるきり子どものような状態なんで、”

と言われてしまう始末。
いやこれも、愛情に飢えておる人間のひねくれてるとこかも分からない。突き放されたら、「なーんや」となり、ゴチャゴチャ構われると「あーうるさい」となる。ものすごく面倒くさくなる。「もう俺は生きておれん」と。
頑是無い子どもと変わらなかった。

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「と」に立つ実践哲叢(61)

戦争のない社会
研鑽会

ずっと以前1980年代の初め、〝ヤマギシの村づくり〟といったテーマで次のような資料を皆で研鑽したことがある。

“その村づくりに、テキスト陽的社会の一節を一字一句指標としてみよう。
  そこには陽光燦やき、
  清澄・明朗の大気の裡に、
  花園が展開して馥郁と香り、
  美果が甘露を湛えて人を待ち、
  見るもの聞く声皆楽しく、美しく
  飽くるを知らず、
  和楽協調のうちに、
  各々が持てる特技を練り、
  知性は知性を培い育て、
  高きが上に高きを、良きが上に尚良きを希う、
  崇高本能の伸びるが儘にまかせ、
  深奥を深ねて真理を究め、
  全人類一人残らず、真の人生を満喫謳歌
  することができるのです。
この文章を絵にした村、詩にした村人で
どうだろうか。”

なんだこの美辞麗句は? 自分にはそれこそ一字一句が空々しく心に響かない絵空事の言葉に聞こえた。その頃は理想的理念と日々の現実における困難さとの矛盾に翻弄されて、どうしたら理想と現実は繋がるのだろうかとあれこれ思い悩んでいたからにちがいない。本当に自分が心底〝触れた!〟という実感が欲しいともがき、あがき続けていた。

その後も例えば、〝誰の心にもある真実〟とか〝真実は現実のもの〟とか〝理想は必ず実現する〟などといった文言を研鑽する機会があったがもう一つ腑に落ちた感がしない。
ところがある日の研鑽会はちがった。

“その人の言う通りやろうとすることはその人になることでその人の心になることで方法のみを真似するわけではない。一体になろうとするもので一体とは無我執である。その通りやれるかやれないかはわからないけれど、信じないで言う人の気持ちになってやってみようとするもので、(……)趣旨やあり方や仕組みに賛成して養鶏する目的や経営安定度の可能性にかけるもので間違いなからんとして間違い多い過渡期も責め合いなく一体で励み向上さしていくものである。
それはヤマギシズム社会のあり方であり、そこに住む人の心情でもある”(「実顕地用養鶏法研鑽会資料」)

エッ、〝その人の心になる〟って? それまでのとかく自分の気持ちをまず聞いて欲しいといった求める心をひとまず置いて、自分の方から〝なる〟という!? しかもその人の心になることは〝そこに住む人の心情でもある〟というのだ! 目からウロコだった。

ふしぎと研鑽会を終えてもなお何かほのぼのとした温かいものに包まれて次の研鑽会を待ちわびる気持ちで満たされた。自分と〝そこに住む人〟とが一つに繋がっている。そんな心情から発し、心情に還る社会に生きている喜びの自分がそこにいた。

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鈍愚考(71)

複数形態に至った経緯(2)
愛情の混乱状態

見性寺_(三重県菰野町)

1958年の春先のことだった。三重県議・岡本善衛の方から、「輸出用の卵粉工場をやらないか」という話が山岸会に持ち込まれた。卵を卵粉に加工して輸出すれば国内の鶏卵市場を圧迫しない上、輸出の見返りに飼料を豊富に輸入することで国内の畜産界にプラスをもたらすことが出来る。それならばと、会員の一体経営によって生活の不安の一切ない真の楽園工場を建設しようという話にどんどん発展していった。
すなわちこれが『百万羽科学工業養鶏(百万羽)』構想である。

その構想の発表から実際に「財産や命までも」と多くの参画者が三重県四日市市に参集してくるようになった原動力の一つに、柔和子の果たした役割は大きかった。呼びかけや資金づくりもあったが、何よりも『百万羽』構想実現への妙案が山岸巳代蔵と柔和子の二人の話し合いの中で次々と湧き出しては具現化していったのである。
そうした中、3月末には二人の婚約発表がなされ、二人の住む四日市市赤堀の家で有志による『百万羽』の計画書づくりが進められたりするなど『百万羽』計画は俄然活気づいていった。

二人は卵粉工場や農地転用などの件で農林省を訪ねる。ところがその足で東京での報告を持って京都の特講会場へ着いたとたん、柔和子は頼子の感情的に不安定な姿を目の当たりにしてあらためて頼子の存在を強く意識するようになった。
柔和子は当然頼子の存在は知っていた。だが結婚を申し込まれた時も、ハッキリと自分には複数婚の意志がないと伝えてあり山岸巳代蔵からも、「その通りでいいのです」という回答をもらっていた。にもかかわらずこうして現実に、頼子が「先生が離れた」と言って泣き騒いでいるのを知って、若い彼女が愛情の問題でそんなにも苦しんでいることがショックであった。
事態はその後も一向に変わらない。頼子が死を口走っては家を飛び出せば、その後を護衛役がついていくことがくり返される。
柔和子が、「そんなに頼子が頼子がと言わなくとも、彼女は大丈夫ですよ」と言うと、山岸巳代蔵は顔色変えて、「お前という奴は何という薄情な奴だ」と罵り、そこらの物を手当たり次第にぶつけて壊したりする。そして柔和子に対しての我抜き、剛研鑽やら奇異な振る舞いへと、まさに〝君子豹変〟するのだった。

1958年7月3日、『百万羽』の創立総会が四日市の赤堀で行われた。翌8月には、三重県阿山郡伊賀町春日山にて、地鎮祭・起工式がとり行われ、仮宿舎・育雛舎建設が始まるにともない二人は春日山の近くの会員宅の離れに移った。一方、相変わらず山岸巳代蔵は頼子のいる四日市のアパートへも通っていた。
かくして三重県菰野の見性寺に関係者が一堂に集まって持たれたのが、暮れも間近い11月末から12月の初めにかけての愛情徹底研鑽会であった。
ここまでにまで至る過程で、

山岸 こういう機会持たなかったら、もうどうにもならんとこまで来てたんやな。やらなあかんと思うてるのは、私達三人とも、三人ともがやね、もう危ない線まで来てるのよ、もうどうにしたってやね……”

といった三人三様に心理的に追いつめられた発言が赤裸々に語られるのだった。
例えば柔和子の弁による“息抜く間がない”といった緊迫した心の動きが、三人三様に逐一辿られていく。

柔和子 私といる間は、仕事、ね、仕事の明け暮れ、そうするとねえ、仕事の明け暮れで何日か経ちますわね。ね、二人の夫婦の時間というものを、心のゆとりのある時間というものを、優しい言葉をかけてもらう時間というもの、ないんですわ、その間。仕事の明け暮れでの毎日が、まあ、三日か四日か続きますわね。そうすると、もうその頃になると、「頼子がもう気になる、頼子が気になる」と。
私も、例え半日でも、こう、仕事にも頼ちゃんにも解放された、夫婦の時間が欲しいと、こういうものがあるから、ずうっと疲れている時に、もう頼子が気になってくる時分には、こちらの方もまたそれが気になるでしょ。そういう時に行かれる時に、そりゃ、フッとさびしく感じる時もありました。だけどもほとんど、あの、行ってもらう、喜んで送り出すっていう、ですかね、その、機嫌よく送り出してはいるんですけども、先生自体が自分にこう縛られる。
頼ちゃんは買い物に行ってる、言うて行ってる。それでも、「もう、頼子が危ない、どっかに死にに行ったんじゃないか」と、「引っかかったんやないか」と、こういうようなところが、先生に感じる。(略)
そうしてて、「俺を縛った、あいつは鬼や」(笑いながら)、自分で行けないでおって、「あいつは鬼や」と。「悪魔や」って。こんなことをねえ、浴びせられたんじゃあ、ついていって、そんな阿呆らしいもない。頼ちゃんはしょっちゅう気になる。仕事で一緒におるから、ねえ、仕事に一緒におる私は、まああの、頼ちゃんとこ行く時間は何とかして作っていくわね。私とおる間にも、その何とか作ってくれる時間があればいいけれど、私といる間はもう仕事ばっかりですわね。”

頼子もいう。
頼子 やっと来られたと思ったら、まあ今晩泊まっていかれるんだと思ったら、もうちょっとしたらサッと帰られる。まあそらもう、こっちはびっくり。それこそ、こっちこそが、鳶に油揚げさらわれたみたいな。(笑)
あっという間ですよ、本当に。それ、しばらく、やっとと思ったら、パンパンパンパアンと言うといて、もう半分押しつけみたいな、もう、そりゃ、完全に納得しないままにでも、そんな時もありましたね。あのあれ、割り切り、「なんや私のとこ、割り切らしに来る、私を割り切らしに来るの」言うたことあります。”

当の山岸巳代蔵もそんな二人のあいだで自縄自縛的に遠慮してしまいがちな率直な気持ちをふり返る。
“そうするとね、楽しいはずでありながら、柔和子の所にいると、いつもいつもいつもいるから、それほども楽しさが、もう常識になって感じられないと、有り難さが分からんと、ね。そこへこっちの方へその、そんな状態の時に行けないという、その、堪らないものね。それで、「なんとかして頼子のとこへ行きたいなあ」って、また会いたい会いたい、とっても会いたい時があるのよ。そういう危険を感じない時にでもやね、いつでもずうっと頼子に会いたいの。(……)そういう時にもね、またこの、さびしがる柔和子を感じると、またその、足がすくむっていうかね、足が結局、縛らないものに足が踏み出せないものやね、そういうことになってくるのよ。”

頼子の発言に対しても、
“いや、それは言う(帰る時間―引用者注)けどやね。それは言うのよ。言うけども、すぐにやね、帰った途端に、「いつ帰りますか」って、こうやられるとね、フッと言えない場合があるのよ。”

しかもそんな二人からこの間の愛情研鑽を通して
“フッとね、こう蝋燭の火を吹き消したような感じでね、先生への愛情がフッと消えた、そういうものを感じましたね。”(柔和子)
頼子からも
“「なんやママ(柔和子―引用者注)さんのことばっかり言うて、私のはなんか」っていうような、それ、「私はもう用がない」と、「ママさんさえあったら、それじゃやっていけるやないか」「私なんかどうでもいい、なくってもいけるでしょう、ママさんと仲良ういけるしね、結構いけますよ」”

と突き放されるような本音を聞かされて山岸巳代蔵は落ちこんでしまう。愛のない世界に放り出されたように感じて、まっ暗になる。

“さあ、これが、「なくなった」と言われたら、もう、そりゃ、立っても居てもいられんのよ、もう。それはその間際まで知らなんだんやで。ええ調子になって、ええ気になってたんや、「こりゃええなあ」と思ってたんや、……”
“頼子の場合もやね、同じこと。頼子の場合にも、頼子がないと思った時はもうまっ暗。頼子の一愍一笑でやね、ニコッと笑ってくれたらやね、それでやっぱり生きるものやね。”

ここにいたり山岸巳代蔵は二人の愛情を失えば、もうこれで生きていられない、役立たない人間だと感じて、もうすぐにでもその場で死にたい、死にたい衝動にかられる。
柔和子からも

“もう、この複数っていうのの、この、もう煩雑さ、もう複雑なね、もう得体の分からない複雑さの、その疲れがね、もうこれでまあ、「もう、この複数、イヤや」と、「もうとにかく、もうとにかく逃げ出したい」”

とさらに追い打ちをかけられる。
またそこに輪をかけて当事者を取りまく関係者同士で、あっちのことをこっちで悪く言う、こっちのことをあっちでは悪く言うからますます頼子と柔和子の溝を深く複雑にしていくのだった。案の定、〝それ見たことか〟とやゆされても致し方ないところか……。
さあ、こうした〝得体の分からない複雑さの、その疲れ〟から如何に脱却できるのだろうか。

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鈍愚考(70)

複数形態に至った経緯(1)
自ら〝考案した自転車〟?

流れ雲

良識ある世人が思い描く一般的な性の世界を含みつつ、もっと広いある意味人間にとっての〝自由〟のテーマや「私はあなた、あなたは私」の〝自他一体観〟にまで拡張できる性の世界を探っていこうとするモチーフが実際を通して展開する場面がある。
愛情の複数形態に至った経緯を振り返る山岸巳代蔵自らが当事者である柔和子や頼子と共に参加しての「愛情研鑽会」(1958.11.27 11.29 12.7 12.9)やその後〝山岸会事件〟(1959.7)を経て、警察に出頭する直前の潜伏先での「徹夜研鑽会」(1960.3.27)の発言に於いてである。
そこには先の「特講」会場でのそうしようと思わないのに柔和子と出会ってしまったように、そんな不可思議な人間の力の及ばないものの中に愛情の〝複数形態〟の萌芽を見てとろうとする山岸巳代蔵がいる。

“僕はね、本当に女性が救われるのはね、これは男性も共にやけど、救われるのは、固定のない結婚だと、こう思えるの。何人とか、誰々とか、こういうものはないのやと思うの。誰と誰とというような固定がないのやと思うの。それは未だにおんなじ、一貫してるんよ。キメつけのないのが本当だと、こう思っているからね。だからね、あのやはり、これも全人幸福の立場から、わざわざ作ろうたって、作れるもんやなしに、好んでそんなことして交際求めてやろうとしないのに、いろいろの機会があると。そしてそんなふうになっていく状態ね。”(「徹夜研鑽会」)

といった流れ雲のような成り行き任せで、ちょうど自分の考えや力が入らない状態での真の結婚を探ねての途上で偶然か必然か出会ったのが頼子という女性であり、一年後には何の野心もなく出会った柔和子という女性だったというのだ。
でもそれだったら一般世間でいう行き着く先は三角関係のもつれからの修羅場必至を連想してしまいがちなのだが……。 

“頼子と二人っきりだった当時を思うと、省みるとね、頼子によってね、この生きる力やね、生かされていたと思うの。やっぱり米とか空気とか水とかいろいろのものでこう、人間生かされているわね。周囲の愛情とかこういうもので生かされておるけどね、それはね、頼子によってね、生かされていると。”(「愛情研鑽会」1958.12.9)

頼子と一緒にいると、頼子と僕とが結び付くと自分が生かされる、生きる喜び生きる力をもらっているのだという?
そしてそんな自分の働きを実際に生かすものが柔和子なのだという?
“頼子と僕とね、こう結び付いたものが、今度はまた柔和子と結び付くことによって”の一体においてこそ実現していくものがあるのだという?

自転車の例えでいったら、空気の抜けたタイヤが山岸巳代蔵で、頼子という空気が入って、柔和子という車体、ハンドルのついたものに組み込んでこそ、そんな複数形態でこそ本当の仕事が出来ることを言いたかったのだろうか。
でもそれだけなら俗にいう手前勝手な男の弁に過ぎないではないか?
実際そんな〝自転車〟の例えにちなんでは次のような発言もある。

“後から後から研鑽上手の人が現れるのに、考案した自転車に乗る方が未熟で、坂道やぬかるみ、人混み道路を、荷物積んで自分で走る日には、事故・故障の繰り返しです。
ひとの研鑽に急で、自分の研鑽態度は疎かで恥ずかしいかぎりです。”(『愛和 ― 山岸巳氏よりの第一信集 』1959.10〝後の鴉が先にたつ〟)

と、この間の言語に絶する愛情世界実践を自ら〝考案した自転車〟という例えでチョッピリ反省している? いや、まるでやせ我慢をしている子供の言い分のようにさえ感じる。
しかし本人は真面目・本気なのだ。
ともあれ言い分を聞いてみよう。

“こんなのこじつけやないと思います。何回考えても、そういうふうに思われます”

という? そこからは一面、未知で未体験な愛情世界実践へと一歩踏み出そうとする山岸巳代蔵の死を賭した決意を聞く思いがするのだが……。修羅場の三角関係など起こりようのない地点まで射程距離に入っているはずだ。
つまりそこまで山岸巳代蔵をして〝複数形態でこそ本当の仕事〟へと突き動かす力のようなものとはいったい何なんだろうか? しかもそれは〝こじつけやない〟とさえいう?

確かに本人の立場からみたら、かつてない百万羽構想事業を具現化するためには本当に働けるような私に、やるからには打ち込んでやれる私になりたい思いがあった。そのためにも、だったらやったらいいやないかという訳のものでもなかった。小さなことではないという〝強い思い〟があった。
そんな本人の心の動きを警察へ出頭間近に迫った滋賀・堅田での「徹夜研鑽会」(参加者は柔和子と他五名)の発言記録から自分なりに辿ってみよう。

ずっと例えば一般常識結婚観での男女の三角関係に象徴される嫉妬・憎しみ・破綻に多くの人が泣いてきた。それはみな思い違いばかりの自分の考えに取り憑かれ、はまり込んでいる間違いに気が付かないからだと一貫して考えてきた。
本当に自由な楽しい恋愛・結婚観があるのではなかろうか。この結婚問題の革命がなされないで、なんの本当の社会やと思ってきた。
いろいろあったけど、頼子一人でこれでいけるという思いがあった。
そこへ柔和子と特講会場で出会った。むろん何の野心もなかった。
ところがまだなんでもないのに会えないとちょっと失恋状態になった。
頼子もなんだったら私が取り持ちしましょうかという意味のことを言う。
ところがしばらくすると、頼子にピッと顔にくるものがある。あれが嫉妬っていうのか……。
ここに来て頼子も柔和子も落とせないと。なんとかその、こういう場合の解決法として固定のない結婚観ということを考えた。

“期せずしてよ、頼ちゃん一人と思ってたのに、こうなったとこからやね”

もっともはたからの見方は違った。今回の当事者同士が出席する愛情研鑽会実現の仲介の労をとった奥村和雄さんは皆の気持ちを代弁する。

和雄 エー、親父さんのその気持、よく分かっておるんですわ、それで根本的なものを解決せずして仕事が出来ないとね、これもごもっともなんですがね、それはもう別に言う必要ないんですし、春日や『百万羽』の事情を別に一応言う必要もないんだけれどもですね、やはり、この二七日からのこの研鑽会が非常に大きく響いておるということ、周囲に大きな反響を及ぼしておる、この解決を皆ですね、首を伸ばして嘆願しておるような形で待っておると、
「今にまだそれが解決せないのか」という、皆のですね、気持ですね、非常に混沌たるものが流れておるようです。
「それがあるから解決せよ」と言うんではないけれども、これをですね、最も効果的に焦点を絞ってね、一時も早く解決しなかったらね、まあそりゃ一歩一歩前進しておるとはいうものの、ね、堂々巡りばかりやっておっちゃね、これで、エー、に終始してしまってね、エー、ま、これも一つの仕事の内だと言えば、それは当然のことでもありますけどね、そこを銘々しっかり銘記して、真剣にこれを推し進めていってもらいたいと思いますな。”

と苦言を呈するのだが……。
しかし当の本人はどこ吹く風で柔和子と結婚する前の気持ちにまでかえっていく。とうとう参加者の〝まだ続くんですか……〟の発言を受けて

山岸 ああ、続きますよ。(笑)これ、これも、大事なことやわな、かまへんやろ。
○○ 分かります。
山岸 まあ、和雄、和雄さん、寝ててもらって。
和雄 ……なことばっかり言うて。(笑)
山岸 いやいや、違うの、ここらから出てくるの。
和雄 (聞きとれない)
山岸 いやまあここらから出てくるのよ。
和雄 殴ったら……(聞きとれない)  
山岸 へへ。ここから出てくるのやな。
安井 和雄さん、忍耐……聞こう。
山岸 殴ってから後悔せんようにせんなんね、へへへ。”

いったい何が〝ここらから出てくる〟というのだろうか。

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鈍愚考(69)

〝心あらば〟
鮭の産卵

じつは先の実感に根ざした〝心と心が重なる〟自分への立ち返リで気づかされてくる、ふだんの自分の認知とは異なる〝琴線に触れる自分=情動的自己〟なるものの発見には続きがある。
例えば自分らの二週間の合宿研鑽会では毎回皆で〝鮭の母川回帰〟の生態を編集したDVDを鑑賞している。
鮭は淡水の清流で育ち、稚魚へ成長すると海に出る。そして、食を求めてベーリング海峡、アラスカ湾を回遊し、約四年後に産卵のため産まれた川へと戻り、そこで相方に出会い一組のペアをつくり、激流に逆らい川を遡上(そじょう)し産卵を終えて鮭はその一生を終える。

ここでのテーマは、一気に遡上して自己を次代に継ぎ、永遠に生きるそんな〝鮭の眼に映ったもの〟なのだ。
えっ、何で突然ここで鮭の眼なの? 人同士ならいざ知らず、鮭? 毎回そんな驚きから始まり、意外な展開に発展していくとても愉快で奥深い研鑽会だ。
先の映画『おくりびと』の主人公のつぶやき

“「何か切ないですね死ぬためにのぼるなんて。どうせ死ぬなら、何もあんなに苦労しなくても」”

といった主人公の意に反して、飲まず食わずで生まれ故郷の川底までさかのぼっていく。途中、新しいダムができていても、熊に襲われてもへいちゃらさ、ただ乗り越えるだけだ。そして川底のその地点にたどりつき、産卵・放精をすませ、やがて静かに死んでいく。
そこでは雌と雄は一つになって次代をつくる〝性〟の世界が演出されている。
次代をつくる、ただそれだけのためであろう。永遠に生きたいとする本能的欲求の現れであろうか。
たしか山岸会が発足した頃(1954.8.5)、カイコ(蚕)という虫を一例に次のように記した一文があった。

“振り返って感ずるものは、その計画性の一小部面のみにも、蚕虫に愧(は)ずるものがあります。彼等は、すくなくとも、彼等の多くは、節をハッキリ行っている。得たものを積み、規則正しく脱皮を、そして吸収成長の期と、整理と、後の世への生命の繁栄を、画然と区分けしています。そして絹とその他のものを残しますが、人間は何時の間に何を為したか、何時まで何を何しているのか、分からないうちにハートが休みます。”
そして
“食べて、子を次代に引き継ぐのみなれば、蚕の繭に、何を以て竝(くら) ぶべき。”(獣性より真の人間性へ 二)

と問う。
研鑽会では、テーマ〝鮭の眼に映ったもの〟をしらべるために、まず自分自身が鮭になりきるところから始まるのだが、川岸から鮭を眺めるのでなく鮭になりきるまでがひと難関だ。そんなこと実際可能なのか? 擬人化に過ぎないではないのか?
そんな疑いがちな発言が続くが、しだいに沈黙の時間が多く流れる。
ふと誰かが自信なさそうに小声で、〝それってココロ?〟とつぶやく。もちろん正解があるわけでもないのだが、その場でのみんなの実感にひびくような発言に一瞬どよめきが走る。
鮭に心があるということ? というか……。次々いろんな意見が飛び出す。研鑽の醍醐味の一つだ。

すると今の自分の心に流れているこのトキメキは、インドのバナナの少年や大正時代の蜜柑の小娘やただひたすら遡る鮭の姿にも時空を超えて誰の心にも響き合い流れる一つの情感のようなものに感じられてくるのだった。
この辺りのことを山岸巳代蔵は格調高い表現で次のように記しているのではなかろうか。

“自己の延長である愛児に、楽園を贈ることは、間違いのない真理であり、自分に尽す結果になり、今日自己一代の栄華や、自己の子孫のみの為に囲いの中に営み貯える、何時侵され崩れるか図られぬ不安全さを思えば、ひとと共に力を合わせて行ない、皆血の繋がる人間同族の児孫の幸福のために、致す事が真実です。私はこの真理を確信しますが故に、同じ考え方の人々と共に、明日の楽しみに生きて居るつもりですが、中にはその方面の事は、奇篤な奉仕者のものずき位に思って、自分のみを願い、他に迷惑・妨害になる行為を平然として続けている人が、確かにあります。”(「心あらば愛児に楽園を」)

そうか、それで〝心あらば〟なのか。自分には思っても見なかった目から鱗の新鮮な気づきだった。
その心とは、食べて、子を次代に引き継ぐのみだけに終わらない観念動物としての人間だからこそ為しえる〝楽園を贈る心〟を指しているのではなかろうかと。
それって、ひょっとしたらふだんの自分の認知とは異なる〝琴線に触れる自分=情動的自己〟なるものとも重なる心ではないのだろうか?
後の世への生命の繁栄を托する〝性〟の世界から〝心〟が現れる?
人と人とのつながりから生まれる情動の世界から、いわば立替えの形で犠牲によく似た行為としての〝性〟が現れる?
ただひたすら、おのれの交代身を求めようとする〝琴線に触れる自分=情動的自己〟に、永遠に生きる〝私〟を見るかのようだ。

そんな鮭の当たり前の自然な姿に想いを馳せると、自分ら人もまた何か温かい、〝ある得体の知れない朗らかな心持ち〟とか〝うっとりとした〟といったものに満たされる。
そうした自然から贈られ、人から発せられる美しさ・豊かさ・温かさの源が、両性に分かれてある〝性〟の世界から現れ出ることに興味が尽きない。

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 「と」に立つ実践哲叢(60)

 全てを放して心開け
全てを放して心開け

連日ロシアのウクライナ侵攻が報道されている折、知人のブログからBBCニュースが印象的だったと知らされた。多分2月25日付の街頭インタビューでの一女性の発言だ。
「ほとんどのロシア人はこれを支持していないと思います。ひどいです」
「私たちの戦争じゃないので プーチンとかバイデンとか そういう人たちの戦争で 私たち国民のじゃありません」
なるほど、うまいこと言うものだ。かつてのソ連社会主義帝国KGB出身のプーチンとアメリカ帝国主義の残影バイデンを、そういう過去の威光亡霊に取り憑かれている人たちの戦争だと一言で退けてしまっている!
ふと特講で使った研鑽資料『ヤマギシズム社会の実態』の中の〝知的革命私案(一)〟の一節が浮かぶ。さしづめ

“偉い代表者が出て、国政に、対外交渉に、平和と幸福のためにと云って、心血を注いで知恵を搾られているようですが、次の世界の明りが射したら、口が耳まで裂けているのや、シッポのやり場にこまるのがいないでしょうか。 (略) 私共の眼には賽の河原の童児の石積みにも劣る所作に見えます。”

といったところか。
しかしだからといって気楽に高みの見物を決め込むわけにもいかないだろう。戦争は絶対反対と云う人はあっても、そもそも〝戦争の無い世界〟を自分らは知っているだろうか? そんな世界に触れたことがあるだろうかと自らに問うてみる。
昨年秋にイズム運動の先人の一人Aさんが亡くなられた。Aさんはクリスチャンだった。ところが特講で、「聖書では汝の敵を愛せよ」というけれど資料研鑽の中では

“例えば、一般社会人の中には、軍人を牛殺しや犬捕りよりも軽蔑しますが、人を殺すのが真の軍人の役目ではなく、人を護る仕事が使命だと自覚するなれば、敵(この世に敵はないが)だから殺してもよいと云う道理は、なり立たなくなりましょう。”(同上)

とある!? 
ここでのことば(理念)、〝この世に敵はない〟に触れて驚愕。そのことが実顕地に参画する動機になったという。さもありなん、と深く共感したことだった。

さて先の一女性の小気味よい発言に勢いづいて、できれば〝私たちの戦争〟の方も簡単に片づけたいものだ。なにもプーチンやバイデンに限らず、枯れ尾花を幽霊と決めつけて省みない自分らがいるのもまた事実である。
弱い馬は平坦道路ではついてくるが難所になると馬脚をあらわす。人間も調子のよい時だけ仲良しで、ちょっと風向きが変わればアワテ出す。これはとても、と逃げ腰で見ると、みんな悲観的になる。同志・親友が、かたきに見える。コリャいったいなんやろう?

この季節、思い浮かぶことば「全てを放して心開け 桜花と共に咲く」がある。〝戦争の無い世界〟はここに!? 突飛すぎるだろうか。でも、この場所からしか何事も始まらないのではなかろうか。

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鈍愚考(68)

〝情動的自己〟なるものの発見
童心にかえる

これまでの文脈で手探り状態ながら明らかにしてきたように、ここでの〝性の世界〟は取り上げ方によっては先の奥村和雄さんや岡本善衛さんに代表される良識ある一般世人からは風紀紊乱を招くと危惧されがちだが、もっと広い意味での性の世界を探っていきたいモチーフから発している。
例えば山岸巳代蔵の複数形態での固定のない結婚観の現れは、一見遊冶郎(放蕩者)の世界であったり世間でいう三角関係のもつれからの修羅場を演じているかのようにも誤解されて映る。
反面自分らの表現で言う「私はあなた、あなたは私」の自他一体観から眺めると、〝性の世界〟の本質探求の中にこそ世界中の人々が切実に欲求するものが秘められているようにも感じられてくる。
先の小澤勲さんの言説にならえば、〝情動的自己〟なるものの発見。そこでは

〝世の規範、常識から少し自由で、世間体など気にする必要のない、暖かく豊かな人と人とのつながりがあふれている場〟

であり、知的な「私」の壊れに比して、情動領域の「私」(情動的自己)はあまり崩れない。それは〝性の世界〟ならではの特質ではないのかと。
しかもそうした〝暖かく豊かな人と人とのつながりがあふれている〟情動の世界は、この世で見失いがちな光明をもたらしてくれると記されている。
この伝でいうと、知的な「私」の手前に情動的な「私」があるということだろうか。

以前から自分らは、〝琴線に触れるものがある。それはどういうものか〟と自らに問いかける研鑽をやり続けている。
この間の文脈から、今一度幾つか拾ってみる。

例えば筆者の場合、思いがけない体験から溢れ出てくるものがあった。それも自分自身が触れた今までプライベートなこととして退けてきた光景からだった。
“朝寝坊の得意なぼくは、時として朝一番の水やりやエサ見を怠った。そんな時は必ず奥さんが代ってやってくれていた。そして遅れてやってきたぼくの顔を見て恥しそうに、『フフフッ』と微笑むだけだ。ちっとも非難がましいことは言ってくれない。これはかなりぼくの胸にひびいたことの一つだ。”

先の島田裕巳さんの一週間の「特講」で触れた世界、
“体の奥から何か暖かいものがこみ上げてくるようにさえ感じられたのである。私は解放感を味わっていた。”(『イニシエーションとしての宗教学』)

『納棺夫日記』の著者・青木新門さんの触れた世界では、
久しぶりに入った仕事先が元恋人の家だった。いつの間に座っていたのか、額を拭いてくれる女がいた。
“澄んだ大きな眼一杯に涙を溜めた彼女であった。作業が終わるまで横に座って、私の顔の汗を拭いていた。”
そこに軽蔑や哀れみや同情など微塵もない、男と女の関係をも超えた、己の全存在がありのまま認められた何かを感じたという。そう思うとうれしくなった。

芥川龍之介の作品『蜜柑』では
“ある曇った冬の日暮れ、疲労と倦怠を抱えた私は、汽車の発車まぎわに乗り込んできた13~4歳のいかにも田舎娘らしい、風呂敷包みを持った小娘を不快に思う。
しかも数分後、小娘がなぜか勝手に窓を開けようとしはじめ、開いた時には汽車がトンネルに入ったので私は煤煙を浴びて咳き込む。
だがやがてトンネルを抜けると、踏切りの柵の向こうに3人の男の子が並んで手を振って声を上げている。
その瞬間思わず、窓から半身を乗り出していた小娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったと思うと、たちまち心を躍らすばかり暖かな日の色に染まっている蜜柑が、およそ五つ六つ弟たちの上へばらばらと空から降ってきたのだ!”

また社会学者・真木悠介(見田宗介)さんの『自我の起源』の中の〝インドの少年の話〟では、
“筆者が南インドを鉄道で旅していた時、ある小さな駅に着くと乗客が窓から投げ捨てるバナナの皮に飢えた少年や少女が群がって奪い合う光景が見られた。
そこで乗客の一人が中身の詰まったバナナを差し出すと素早く奪い取った少年がいた。するとその少年はそのバナナを多分まだ歯のそろっていない妹に中身の部分を食べさせている。その間、少年は法悦のような目つきで、女の子を見つづけている。
そしておしまいの根元の部分を女の子の口に押し込むと、少年は皮だけを食べて、またあの争奪戦の中へと戻って行った。”

これら各人各様の琴線に触れた世界からは、ふだんの喜怒哀楽の感情とは次元を超えた〝自分〟がその都度立ち現れてくるような気がしてくるのだった。
すると何と大正時代やインドなど時空を超えて誰の心にも響き合い流れる一つの情感のようなものに抱擁(つつ)まれてくるのだった。
心と心が重なる瞬時の不思議。自分だけしか知らない・自分だけにしか通じないと思い込んでいた、いやわざわざ口にするのもはばかれるような原風景に象徴される心によぎる場面がある。そんな心でインドの少年や蜜柑の小娘の話を聞くだけで、ハッと心が揺さぶられるじぶん自身に出会う。その時の驚きといったら……。

ここが起点(出発点)なのだ! ここから始めると、なぜか〝ある得体の知れない朗らかな心持ちが〟(『蜜柑』)とか〝うっとりとした〟(インドの少年の話)ものが一気に出現し膨らんでくるようなのだ。
そこでの私とは、あなたとは、どんな私であり、あなたなのだろう? あなた(例えば妹や弟)の眼に映っている私ってどんな私なんだろう? 私の眼に映っているあなた(例えば妹や弟)はどんなあなたなんだろう? それはそれはとても愉しい心ふるえるひとときだ。
こうした実感に根ざした〝心と心が重なる〟自分へと立ち返ることが、それまで眠っていた閉ざされていた〝人と人の繋がり〟の切ることの出来ない真理性と結びつくことになっていくのでは、と気づかされてくる。
そんな人と人との繋がりの中に、あるいは自然の中に溶け込んでいる、ふだんの自分の認知とは異なる〝琴線に触れる自分=情動的自己〟を通して、ヤマギシズム恋愛・結婚観の中へと分け入ってみようというのだ。

もちろん今の自分にやれることといえば、その時々の自分なりの好奇心からの問いかけに応えてくれそうに思える山岸巳代蔵の言説を順不同・手前味噌的に並べてみることで精一杯だ。そこで自分が最初の理解者としてひとまずはホッと気持ちが和らぐならば良しとしよう。

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鈍愚考(67)

なぜ〝愛情研鑽〟なのか
春日山の桜

なぜ今〝愛情研鑽〟なのだろうか、とくり返し自問自答してみる。
始まりは、「百万羽」という一大事業を前にして、むしろそれに先立って一般常識では私的・個人的なプライベートに属していると見なされている〝愛情問題〟の真の解決がなぜ求められるのかといった疑問にあった。
いわゆる公(オオヤケ)的なことと私(ワタシ)的なこととのテーマである。公私混同という言葉がある。例えば、社会人が職場に私的な事情(家庭、恋愛、趣味など)を持ち込むことで業務に影響をきたすような場合のことをいい、業務に不必要な事情を持ち込むため、大抵の場合は否定的に捉えられているという。

先(鈍愚考65)の二週間の研鑽学校では〝私人私器より公人公器へ〟、〝公人公器として公意行生活〟といったテーマを研鑽する機会がある。
しかし省みて言葉では何となく理解できそうだが、その中身の把握になると正直おぼつかない。先に紹介した(鈍愚考59)ような、個人生活から慣れないどころか未知で未体験な実顕地(一体)生活に入る際のとまどい・混乱の気持ちに重ねてしまう自分がいる。
テーマを研鑽していくと旧来の思考慣性からか、〝私人私器〟は×バツの自分、〝公人公器〟は○マルの自分と即断して私人のままで公器のように使おう振る舞おうとして結果無理が生じしんどくなる自分の姿が映し出されてくる。結論だけ入ってしまい、「そうしなければならない」と思い込んでの自縄自縛の生き方にしかならない。
実顕地(一体)生活とは、〝公意行生活〟のことであると肚に入れることは至難のわざであるようにさえ思えてくる?
どうしたら自分のこととして〝私人私器より公人公器へ〟のテーマが深められていくのだろうか? 今も進行中の取り組み甲斐があるテーマの一つだ。

くり返し自問自答してみる。
ひょっとしたら〝私〟と〝公〟は対立・矛盾概念というよりも、〝私〟の世界をもう一つ底まで深めていくと必ず〝公〟の状態に包まれるというか現れてくることが決まっているような、そんな理念からの世界を指しているのではないか? 100人いたら100人の〝私〟が相互に尊重され共存している状態が〝公〟の世界であり暮らしであろう。これぞ自分らのいう機構と運営の原則〝私意尊重公意行〟の世界ではないのか。
しかしここでも何となく理屈では分かるような気がするが腑に落ちた感がしない。せいぜい私の私意を持ったままで、他の人の私意を自分の私意と引き比べることに終始してしまいがちだ。

その山岸巳代蔵が〝愛情研鑽〟の場で、〝私人私器より公人公器へ〟のテーマに触れているではないか!? 
不断に〝私心のワタシ〟を捨て「全人に適当に使われたらいいんだ」との気持から出たキミオ〝公才(夫)〟の世界だ。このことは愛情研鑽を通してしか研鑽・徹底究明できない質のテーマであるということだろうか?
自分にとって今ひとつ未知で未経験の世界が、〝私〟と〝公〟は一つに無理なく繋がるヒントが、この〝愛情研鑽〟のなかに秘められているのではなかろうか。
そんな気づきにまで考えを展開してきた。

そう言えばと一つのエピソードが浮かぶ。
ちょうど「百万羽」の建設地が現在の三重県伊賀市の春日山に決まり、そこでの生活が始まったばかりの頃だ。

“全研(=全員参加の研鑽会)の場で「あんた方ここに何しに来たんですか」と問われた時、全人幸福運動、戦争のない社会、不幸な人が一人もない、愛児に楽園を、理想社会を創りに、と応える人が多かった。その時「私が幸せになりたいからと違いますか。その幸せがひいては全人の幸福につながる」と言われた”(川口和子談)

そうなのだ。究明したいのは〝私が幸せになりたい〟という願いと〝理想社会創り〟との繋がり(結び付き)についてなのだ。
きっと山岸巳代蔵には「百万羽」への参画というかつてない生命・財産全てを打ち込んだ事実の重みに比べて、〝全人幸福運動、戦争のない社会、不幸な人が一人もない、愛児に楽園を、理想社会創り〟といったみんなの発言がただ言ってみただけの軽い言葉に聞こえたのではなかろうか。肝心の〝私が幸せになりたい〟という心底からの願いとして響いてこないのだと。そんなふうに自分に引きつけて聞いたことがある。
〝私が幸せになりたい〟の〝私〟がミソなのではないのか?

ふと長年認知症のケアに携わってこられた精神科医・小澤勲さんが辿りついた〝二つの私〟に分けての考察が興味深く思い出されてくる。
「認知症体験の語り部」として知られるクリスティーン・ブライデンの著書(『私は私になっていく』等)に刺激を受け、かつ自身のがん告知を受けた体験を重ねつつ、そこから感じとられる人と人との繋がりの結び目としての〝自分〟という感覚に着目し、その繋がりにこそ自分を支え充実したものにしてくれる〝光明に至る道〟を見いだされていく。

知的「私」、情動的「私」
知的な「私」の壊れに比して、情動領域の「私」(情動的自己)はあまり崩れないということについて、このようなことを書いたことがある。
私は、情動的「私」という言い方はあまりしてこなかった。それは、認知する「私」はどこまで行っても自分が認知している、という感覚から抜け出ることはないだろうが、情動を持つ私は確かに私なのだろうが、ともに喜び合い、いっしょに悲しんでいるうちに、それらは人と人とのつながりのなかにとけ込んでゆき、私たちの喜び、私たちの悲しみになり、「私の情動」という感覚を超えるのではなかろうか。
桜や紅葉を見て、最初は自分がうつくしいと感じているのだが、そのうちに対象と自分との境が消えて浮遊しているような、不思議な感覚にとらわれることがある。
私はかつて山登りをしていたが、ご来迎の瞬間、期せずして「おーっ」というどよめきが周囲に起こる。ところが、しばらくするとしーんと静まりかえって、恍惚としたというのだろうか、自分がご来迎を見ているという感覚を失い、自然に包まれ、自然と一体となって、自分がなくなってしまったような感覚に陥ったものである。性の世界を考えるともっとわかりやすいかもしれない。”(『認知症とは何か』岩波新書)

として、情動の世界は自分の情動世界というより、むしろ人と人との繋がりの中に、あるいは自然の中に溶け込んでいるものであり、自分の認知の世界とは違っているのではないだろうかという?
そして認知症とは悲しく恐ろしい自我の崩壊のようにいわれるが、一方では自分が自分であるといった執拗な〝自己同一性へのこだわりが解け〟て、〝世の規範、常識から少し自由で、世間体など気にする必要のない、暖かく豊かな人と人とのつながりがあふれている場〟にもなっているはずだというのだ!?
しかもここで小澤勲さんは〝性の世界を考えるともっとわかりやすいかもしれない〟ともらす。

山岸巳代蔵が愛情研鑽を通して究明したかった世界とここでの〝性の世界〟が重なってくるように感じられた。
ふだんの自分、自分という〝瀬戸内海に捨てた私心のワタシ〟は実体ではなく、愛情研鑽を通して〝性の世界〟からもたらされる「全人に適当に使われたらいいんだ」との気持から出たキミオ〝公才(夫)〟にこそ真の自分があるのだといった気づき!
人と人との繋がりの結び目としての〝自分〟という感覚に着目し、その繋がりから生まれる〝情動的「私」〟なるものの発見!
その辺りが愛情研鑽を通して明らかにされていくのではなかろうか。

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