自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

「と」に立つ実践哲叢(20)

自然界の歪みの良さ

最近の実顕地づくりのテーマに「先を見通し、実顕地の将来像を描く」がある。だとしたらその先が見えてくる描きの底辺となるものは何だろうかと思いをはせてみる。
ふだん研鑚会などで取り上げられるテーマは常に何か問題事が生じ、その問題をどう解決するかといったそこからの抜け道を見つけようとするような対応策にとどまる場合が多い。
当事者であるがゆえの自分らの置かれている立場からの利害・損得に走り、それはこうしたら良い、ああしたらといった狭い袋小路に入り込む意見のやりとりになっていく。
なかでも公意と私意、皆の考えと自分の考え、全体の意志と個人の意志との間で、提案する人と調正される人という相対関係や矛盾をどうしたら解消することができるかといった問題に日々迫られている感がする。
こうした当事者であるがゆえの先入観で変形された近視眼的な自分らであることを痛感し、そうした立場や問題から離れて物事を見ていく観方の難しさにぶつかる。

そしてふと気づく。相対関係や矛盾をどうしたら解消できるかといった考え方の中にこそ、間違いが潜んでいるのではないかと。あたかも金を儲けようという考え方からは、金の要る社会しか見えてこないように……。しかも問題は常に暗い否定的なイメージで問題化されがちだ。
まずは暗い人生観を転換せねばならない。このことは、すべてを放して考えてみるという次元の〈転換〉を意味している。「明日の幸福は、今日の歓びの中から生まれ出るもの」とする出発点に戻るべきだ。
かって詩人・谷川俊太郎は、第一詩集『二十億光年の孤独』でうたった。

「万有引力とは/ひき合う孤独の力である」
「宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う」
アインシュタイン

アインシュタインによれば、万有引力とは時空の歪みのことだそうだ。宇宙がひずんでいるからこそ、みんなが切実に心の手を差し延べ合う衝動にかられるのだろうか?
つられて次のような一節が浮かんでくる。

「私の性格は、実はそうではないのですが、事に当たると数理的に走り、自然界の歪みの良さを容れないために、殺風景で味がありません」(山岸会養鶏法)

そうか!「自然界の歪みの良さを容れる」って、当事者であるがゆえの様々な相対関係や矛盾を「歪みの良さ」へと転じるというか包み溶かし込んでしまうことなのだ?

心は宇宙自然の歪みから齎される! 歪んでいるからこそ、不調和状態の中で調和状態を保とうとする働きが生まれて世界を潤いで満たす。しかしその調和を満たした時、必然また矛盾が生まれ、次の調和を目指す。
そんな自然と人為の調和をはかるという生き方で、問題(=矛盾)がないのではなく、次々問題を問題と見做さない汲めども尽きぬ味わい潤いで溶かし込んでしまおう。
 

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わが一体の家族考(46)

〝母子系図〟の繋がり

こうした親子や生命の繋がりについて次のような山岸巳代蔵の発言が記録されている。

○餅の味、本当に言える人は一人もいない。「餅の味、どんなんや?」と言われても、「ああ、餅の味や」としか言えん。青い色でも何でも言えない。「団子のような味や」と言っても違う。
それで禅なども掴まえどころなく困るので、気持を表そうとして表せぬ。
○闇の夜に 鳴かぬ烏の声きけば 生まれぬ先の父ぞ恋しき(『山岸巳代蔵全集第五巻』)

夏目漱石の作品『門』が思い浮かぶ。親友であった安井を裏切って、その妻である御米(およね)と結婚した宗助(そうすけ)が、崖下の家でひっそり暮らす夫婦の物語だ。
しかし主人公・宗介は何時も何かに脅かされているような倫理観に悩まされている。そこで鎌倉の禅寺へ泊まり込んで座禅を試みる。そこで老師から公案が出る。
「父母未生以前の本来の面目如何」
母子系図

父と母すらまだ生まれていない自分って、どこにいるんだ、何なんだ?、ということだろうか。
彼は考えに考えた。しかし解答をもって老師の前に出るのだが、「もっと、ぎろりとしたところを持って来なければだめだ」と撥ね返される。「そのくらいのことは少し学問をしたものなら誰でも言える」と。

「特講」でも使われている禅問答式としてしか伝わらないものがあるらしい。
それにしても、闇の夜に黒い烏(カラス)が、鳴いてくれるならともかく鳴かない烏の声を聞いたらまだ生まれてくる前の父(母)が恋しく思われるとは……?
いったい「人は、人と人によって生れ」を繋いでいる繋がりの正体とは何だろうか。
そこでお互い生まれ出た時の無想意だったであろう凡夫の自分のことを自分でソッと思い直してみようというのだ。

「母が父と何月何日にこの私を産もうと約束したかどうか、私には判らない。私には父や母に約束したようにも、産んで下さいとも育てて下さいとも頼んだような覚えがない。契約なしに、しかも何の思慮もなく、あてもなく、のめり出たらしい、無論何才まで生きようとか、何をしようとか、何々をしなければならないとかの予定もなしに。
八卦見や神霊がかりの人には、人の一生の運命が判るそうだし、透視術を心得ている宿命論者には、曰く因縁が付けられるか判らないが、ボクの場合、物心ついてから両親に聞いたところによると、長兄、次兄と二つ違いで産まれているから、次は急いで欲しいとも願わなかったうちに、いつか知らない間に宿ってしまったらしく、宿ったなればしかたがない。上二人とも男だったから、せめて今度は女なればよいが、とあまり邪魔にもされず、また胎内でも静かだったので女だと思い込んでいたのに、産まれ出てみれば、また男の象徴をしているので意外だったそう。
親の考えもあてにならないもの、この世の人は思い違いをよくやるもので、また願うようにもならず、願わぬことが次々と実現する。
『親の言葉とナスビの花は千に一つのアダもない』とよく訓示をした親にしてこの通り、意外、案外の固りで、わけわからずに娑婆の風に晒されることになった。
親の意に逆らうつもりもなかったと思うが、これも親不孝の一つになるのかも知れないが、約束もせない、頼み頼まれもせない、何も知らない判らないのに、できてしまったもので、どうとも致し方がなかったことだろう。今更どちらも責任が果たせるものでもなかろう。産んだ方にも、育てる責任がある、義務があると責めても、育てただけ位で責任だ義務だとて、取り返しがつくわけでもなく、育てれば育てる程、成長するに従い益々固りが大きくなる一方で、もとの卵子と精子の結合以前に戻して貰わない限り、この事態解決とは言えまいし、絶対にできそうもないこと。
思い違いの多い親や誰かが間違いの多い人間に育てあげて責任を果たしたなどとは理屈が合わない。中には早々と子供と離れて他へ去ったり、他界へ急ぐ人もあり、自分だけの子供として盲愛を集中する人、自分の子を人の子もなし、子は誰の持ち物でも、オモチャでもない、次代を受け継ぐ大切な子として世界中の幸せのためには命かけて尽くす人もある。
育てる約束もしていないから責任も義務もない筈だろうが、頼まれもせないのに子は育てられている。受胎した時は仕方がなかったものが産んでからは仕方なしに育てるのと違い、また責任、義務で育てねばならぬ、育てるでもなく、忙しくとも、疲れても、自分の生命を削っても育てるのは、契約や義務などでやれるような上ついたものでないからこそ、強いやさしい母になれるので、約束だからとか、責任や義務や職務で仕方なしでは、負担を感じ本当の子には育つものではない」(正解ヤマギシズム全輯 第二輯 無契約結婚)

「頼まれもせないのに、子は育てられている」事実が有る!
しかも仕方なしとか育てねばならぬからでもなく、忙しくとも、労れても、自分の生命を削ってでも育てる「強いやさしい母」が事実居る!
生まれた子供が乳を口に入れられたら何かなしに吸っていくもの。生まれたものが何かなしに呼吸していくもの。そんな生きてる事実がある!
何はともあれこうした事実そのものに驚くべきなのだ。
もっと新鮮な驚きを。親と子の間を繋いでいるいわば親愛の情感に琴線をふるわすのだ。

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わが一体の家族考(45)

母子間のコミュニケーション

先の一文での「赤ん坊が乳首を求めるようなもの」とはどんな世界なんだろう。その姿態に無性に惹きつけられる。
興味深い観察実験が行われた。出産直後の母子を暖かい個室に入れ、赤ちゃんをお母さんのおなかの上に置く。すると2時間ぐらいのうちにじわじわ這い上がり、おっぱいを飲み始めたという。
赤ちゃんが産まれてすぐしたいのは、他の哺乳動物の赤ちゃんと同じくおっぱいを飲むこと。しかもおそらく匂いを頼りに、ちゃんと乳房に到達するのだ。

また鳥類などに見られるヒナと親鳥の〝鳴きかわし〟も心ひかれる一例だ。
ハイイロガンの卵を人工孵化して、ガチョウに育てさせようとした動物行動学者K・ローレンツ博士は、自分の目の前で孵化したヒナの黒い瞳でじっと見つめられ、不用意にヒナからの最初の挨拶の声に二言三言挨拶の声を返したばかりに、このガンの子マルティナは博士を母親だと見なしてしまった。
K・ローレンツとハイイロガン

「あわれなヒナは声もかれんばかりに泣きながら、けつまづいたりころんだりして私のあとを追って走ってくる。だがそのすばやさはおどろくほどであり、その決意たるや見まがうべくもない。彼女は私に、白いガチョウではなくてこの私に、自分の母親であってくれと懇願しているのだ。それは石さえ動かしたであろうほど感動的な光景であった」(『ソロモンの指輪』)

こうした母子間のコミュニケーションに内在するものが現れ出る愛らしい姿に心から魅了される。
なかでも
「母親は乳房を吸ってもらう喜び、子は吸う喜び、互いに生かし合っている姿」、
「求めるものと応じるものとの全面一致」
するこの時期をこそ刮目して見るべきだ。

子は母親の乳房をむさぼるように吸う。しかもまるで死にもの狂いの勢いでなめ廻す。目で乳房を見ながら、手で乳房を摑みながら、口で乳首を含み、口腔に挿入される乳首を感じて乳を吸う。吸われた乳は喉から胃へ入る。そして腸をくぐり抜けて肛門から排泄される。
しかもこの時の手のひらや顔や舌や唇や胃袋や排泄などの感覚が気持ちいい〈快〉感なのだ。反対におっぱいが足りない時やおしめが汚れた時や眠りが足りない時は〈不快〉感でむずかる。

そこには乳を吸うという「食」の行為と共に、乳房をなめ廻したり口腔に挿入される乳首を感じて乳を吸う行為はまさに男性器が女性器に挿入されたり性的な愛撫を行う「性」行為そのものと重なり合う。
この時期、身体を育む栄養素と共に母から子へとただ一方的に注ぎ込まれ、受け身で浴びるものがある。

「ただ要するものは親が子を愛すると同じ親愛の情です。
自分だけ覚えたら出席を止めて、後を教えて貰えぬと腹を立て、後かまわずに離れるでなく、後に続く人々に、自分の持てる凡てを、〝かつて自分が受けたように〟、与えて、与えて、与え尽す愛の心です。後れている人は吾が子です。吾が子に与える喜びに生きる、喜びの自分を発見するのです。
私の持っているなけなしのものも、早く貰って欲しいです。貰って怪我や食傷せないよう、真の人間らしく早く成長して欲しいです。成長に応じて差し上げます。人と人とが、権利よ義務よの法律のみでは、円滑な、感じのよい社会生活は絶対出来ないもので、与えて喜び、受けて喜ぶ、相愛社会に永久の安定・繁栄があるのです」(山岸会養鶏法)

こうした気持ちいい〈快〉感なるものこそ、「喜び」とか「生かし合い」とか「一致」の起源であり、誰の心にもある真実なのだ!
この眠っている、閉ざされている真実を開眼・解放することにこそ生きがいを感じる。

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わが一体の家族考(44)

〈女好き〉〈女ったらし〉〈多情者〉

「死の棘」を映像化した小栗康平さんについて以前次のように記した。

「小栗さんは、島尾敏雄を高校生の時から自分の支えとして読んできたという。
「自分が感じていることを一つひとつ整理していくことが、とりもなおさず自分を見つけていくことであり、それは気になる人を思うこととなんら変わらない、そんなふうにもいえるような、ひどく幼い発見があっただろうことを、私はいま思い出せる」(『言葉を呑む』)
ここでの「ひどく幼い発見」の箇所は、別の稿では、
「それは、ものを考えたり、感じたりすることそのものの中に、異性、異なる性の存在がしのびいっているという発見だった。好きな女の子ができ自分の心の中で何かが動く、そのことだけはよくわかった」(『近い家族・遠い家族』)
とも表現されている。まったく同感である。
そして小栗さんはそこに流れる「恥じらいというひそやかな感覚」とか「人間としての基本的な感覚」(『近い家族・遠い家族』)の欠如の回復を、二人の心の葛藤など無関心の故郷の原風景をときおりパートカラーのようにはめ込むことで図ろうとする。そこはかとなく広がっている自然の底に息づく美しさ・豊かさ・温かさを映像化に託して描いている」(イズム実顕地づくり考48)
死の棘・呑之浦

ここで小栗康平さんも指摘される「ひどく幼い発見」は、自分も思いあたる節があるからか心をほのぼのとするものが湧き出る源泉にも例えられるだろうか。
いわば「人と人によって生れ」た自分が、「人と人との繋がり」の世界ではじめて出会う他者が、〈異性〉だという「ひどく幼い発見」と驚き。
山岸巳代蔵の次のような発言にも重ねてみたくなる。

「休む時も、遊ぶ時も、何かを探求し、仕事をする時にも、食べる時にも、心に女性を感じ、ほのぼのとした気持であることによって、満たされた思いで生気が吹きこぼれているように思う。
講演会に出ても、戯曲を見る場合も、一点の女性がないということは、冷たく潤いのない無味さを感じる。おばあちゃんか子供でも、異性が入れば生花を感じ、心はにこやかになる。なごやかになる。生き生きと仕事が出来る。
これは僕一人でないと思う。また、男の場合に限らないと思う。男嫌いで定評の女丈夫などは、最も男好きだと思う。男嫌いなどと思っていることは、変態的観念から思い違いをしているのだろう。
そういう中にも本当に相合う人を、それは無意識であっても、探し求めているのは人間の本性であり、両性に別れてある生物の希求してやまぬところであろう。
赤ん坊が乳首を求めるようなものではないだろうか」(『恋愛と結婚』の前書き)

別段ここである青春の一時期の心ときめく恋愛感情について語りたいわけではない。また生前の山岸巳代蔵に浴びせられた〈女好き〉〈女ったらし〉〈多情者〉といった風評に対しての誤解を解きたいわけでもない。

むしろ「人と人によって生れ」た自分が、「人と人との繋がり」の世界ではじめて出会う他者が〈異性〉だという「ひどく幼い発見」と驚きの真なるものを、〈女好き〉〈女ったらし〉〈多情者〉と言いたくなるものから滲み出る情感を手がかりに探ねてみようというのだ。
「心に女性を感じ、ほのぼのとした気持であることによって満たされた思い」が「人と人との繋がり」の社会の中で伸展合適していく行程を記述したいのだ。

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わが一体の家族考(43)

「死の棘」のクライマックス

その「死の棘」を映像化したのが小栗康平さん(映画監督)だ。
「死の棘」のクライマックスは、映画でも原作通りに再現されているトシオと妻と女の三人が遭遇する場面である。原作では――

「トシオ、ほんとにあたしが好きか」
 と妻に出し抜けに言われたとき、悪い予感が光のように通り過ぎた。
「好きだ」
 と答えると、
「その女は、好きかきらいか」
 と追求してくる。女の目を見かえしながら、
「きらいだ」
 と低い声でやっと答えた。
「そんならあたしの目のまえで、そいつをぶんなぐれるでしょ。そうしてみせて」
 と妻は言った。試みは幾重もの罠。どう答えても、妻の感受はおなじだと思うと、のがれ口は段々せばまってくる。私はこころぎめして、女の頬を叩くと、女の皮膚の下で血の走るのが見えた。
「力が弱い。もういっぺん」
 と妻が言えば、さからえず、おおげさな身ぶりで、もう一度平手打ちをした。女はさげすんだ目つきで私を見ていた。
(中略)
 そのあいだ私はだまって突っ立ち腕を組みそれを見ていた。
「Sさん、助けてください。どうしてじっと見ているのです」
 と女が言ったが、私は返事ができない。
「Sさんがこうしたのよ。よく見てちょうだい。あなたはふたりの女を見殺しにするつもりなのね」
 とつづけて言ったとき、妻は狂ったように乱暴に、なん度も女の顔を地面に叩きつけた。
(中略)
「そうだ、こいつのスカートもパンティーもみんな脱がしてしまおう。トシオ、はやく、はやく」
 妻が本気で言っても、それは私の耳が勝手につくりあげた声のようだ。
「なにをぐずぐずしているの。こいつがそんなにかわいいの」
 とせかされ、そうする気になり、女の腰に手をのばしたとき、下ばきの下にかたいものが指先にふれたと思ったら、思いきり蹴とばされていた。なぜか女はされるままと思っていたから、私を蹴とばしたはずみに女が妻の手から脱けて立ちあがっても、事態の把握ができなかった。妻に叱咤されようやく女をもう一度地面にころがした。
映画「死の棘」

身の毛がよだつようなおぞましい修羅場だ。
先日刊行された梯久美子著『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』によると、この衝撃的な場面は観念を通した創作的なものではなく発せられた言葉も含めて実際に演じられた事実そのものだということが、島尾家に残された直筆資料などを整理する中で裏付けられたという。

山岸巳代蔵が「愛情研鑚会」という公開の場で鬼畜のような形相で自身をさらけ出したように、島尾敏雄も作品の場で飾らず匿さず余すところなく自身をさらけ出してみせた。
いや、さらけ出そうとしてさらけ出したのではない。罪と罰、善と悪を超えた事実その中で「私はだまって突っ立ち腕を組みそれを見ていた」自身の姿をただ見出しているにすぎないのかもしれない。

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わが一体の家族考(42)

母親に代わるもの
ミケランジェロ デッサン「聖母と子ども」

また作家・島尾敏雄には代表作『死の棘(とげ)』という私小説がある。夫の浮気を知って神経に異常をきたした妻が、どこまでもくり返し夫を責め続けどこにも抜け道のない夫婦の凄絶な危機を真正面から克明に描き出す。もちろん男の子と女の子がいる家庭の中はメチャクチャになる。
後年、娘の島尾マヤさんの「父島尾敏雄と母ミホ」と題する回想文に接して身につまされる思いがした。

「或る晩から母の様子が突然変になった。(中略)その時から父と母はそれ迄の関係の位置が反対になってしまったことは、幼い私にもわかった。それは父が母を自分を生んでくれた母親と同じように考え、何をしても許して貰えると思い込み、我がまま勝手をしたので母は疲れ果て、心の病になったのだと後から知った。
当時の家庭の事情を父は十八年間の歳月をかけて『死の棘』という小説に書いた」(『島尾敏雄事典』)

ここに「人と人によって生れ」から「人と人との繋がり」へと相渉(わた)る際に現れる親離れできないひと見知りの典型的な思い違えが見出されるからだ。
いつもここのところで厚い壁にはね返されているような気がする。今もきっと誰もが執着の度合の差はあれ思い悩んでいる個所だ。

「何をしても許して貰えると思い込み、我がまま勝手を」受け入れて抱擁(つつ)んでくれる母親こそ「人と人によって生れ」の象徴なら、いったい「人と人との繋がり」とはどんな世界なんだろうか?
ずっとそこは、赤の他人同士で構成される「社会」の別名だと見なしてきた。だから当然、特に人と人とが離れ、相反目していることもやむを得ないのだと。自分のひと見知りを無自覚に正当化してきた嫌いがあった。  
そんな「自己一人限りとの考え」を揺さぶり続けたのは、日々の暮らしであり研鑚会である。そこでは次のような問いに迫られた。

「その人の言う通りやろうとすることはその人になることでその人の心になることはできないのだろうか」

そんな無茶な。
でもある時、ふと「その関連を知るなれば」の一節がリアルに浮き上がってきたことがある。「その関連」っていったい何のことだと自問自答するにハメになった。
今までの「自分」を捨てなけねばならない!?
山岸巳代蔵は公言してはばからない。

「結婚観のね、定義から、これはやっていかんならんと思いますわ。
私はよく言いますがね、特講なんかへ出ても、よーく言いますがね、今のねえ、結婚した夫婦だと思っておるものはね、メチャクチャのがほとんどだと、こう言えると思うんですよ」(わが一体の家族考35)

どこがメチャクチャ何だろう?
言わんとするところは、きっとそこ、「人と人との繋がり」の世界にはホントのところ、未だ誰も住んだことも生きられたこともないまっさらな未知の領域ではないのか、と。
そこはあたかも旧約聖書の時代からの、
「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創世記2-24)ような世界なのだろうか。何の変哲もない事実にすぎないのだけれども……。

人と人との繋がりの中へ、あたかも母親の自己自身に対する愛護と同じように入り込んでいけないものだろうかと、我がままなことを夢想する。
始まりは、全現実社会を自己の感受を基点に同心円的に拡張していき「少年が少女に寄せる淡いほのぼのとした思慕」の世界のみで包み込みたいのだった。
ここの始まりの場所を離れないで、いわば「自分」と「親子の家族」と「人と人との繋がりの社会」が一つに重なる世界像に迫っていきたいのだ。

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わが一体の家族考(41)

自分を解き放つ自問自答

あの「夕飯の不味さ」(『原つぱ』)に象徴される自分生来の心の体験を解き放つきっかけも、さきのヤマギシズムの祭りや秋には文化祭のようなものを準備するある日の研鑚会にあった。
普段何気なく暮らしていることの数々が、ヤマギシズムという観点から照らし出されるまたとない機会だった。
次のような一節に出会ったのだ。

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり、政治・経済機構も大改革されますが、その何れにも相互関連があり、この条件を必ず重大要素として組織し、総親和社会への精神革命を必要とする所以です」(知的革命私案)

当たり前のことが記されていると見なしていた。ここの何が核心を衝いた表現なのだというのだろうか? その時はこの一節に込められてあるものを指摘してくれた人の真意を計りかねていた。
しかしその後も、この一節を頭の片隅で転がしながら、ふと今までの自分を、「人」は、「人と人によって生れ」、「人と人との繋がり」によらねばの一節にそのまま素直に当てはめてみようとしてみた。というか、そこまで自分自身が切羽詰まった状態に置かれていた。
自分は、父と母によって生まれ育ち、人と人との繋がりによって暮らしていく……。
つまりこの一節は、「自分」「家族」「社会」にも例えられる。
だとしたら、「夕飯もまづかった」ところまで過剰に背負い込んでしまう少年の感受の仕方のどこに思い違いがあるのだろうか。自分自身そんな感受の扱いにほとほと嫌気がさしていた。
きっと自分は、「人と人によって生れ」の延長線上にそのまま「人と人との繋がり」の世界を重ねて疑わないので、いつも傷つき「夕飯もまづかった」のではないか? 
ひょっとしたら「人と人によって生れ」の世界と「人と人との繋がり」の世界は全く次元を異にするのではないか?
きっと「人と人との繋がり」の世界へ入っていくには、それなりの「準備」というか「切り替え」というか「資格」が問われるのではないか?
かくしてひとまずは「分けてみよう」というか割り切った考え方に落ち着いた。そこで実際救われた思いがした。
多分ここまでは、誰もが無意識でやっている観念操作ではないだろうか。

でも始まりの、全現実社会を自己の感受を基点に同心円的に拡張していき「少年が少女に寄せる淡いほのぼのとした思慕」の世界のみで包み込みたいのなら、「分けてみよう」で済む話ではないのではないか?
たしかに長いものには巻かれろ式に一般社会通念を基盤とする「人と人との繋がり」に「人と人によって生れ」の自分をそのまま合わせることだってできる。皆そうして生きている! しかしそれでは、「今の社会的欠陥の最大なる原因」を除去する方向には絶対向かえないだろう。
本当に「人と人によって生れ」の延長線上から「人と人との繋がり」の世界に生きることはできないのだろうか? 

それにつけても先の「夕飯の不味さ」の比喩は、いったい何を告げ知らせようとしていたのだろう。唯一の手がかりはもっとていねいに「人と人によって生れ」の世界をたどってみるなかにあるはずだ。
ここに「人と人によって生れ」と「人と人との繋がり」との安易な妥協や野合でない理想社会に繋がる橋を架けたいのだが、そのためにももっとリアルに浮かび上がってくるまで「人と人によって生れ」の実態を明らかにしてみたい欲求が湧いてきた。

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わが一体の家族考(40)

普段着がじつはハレ着だった?!

1980年代中頃から90年代にかけて、春はヤマギシズムの祭りや秋には文化祭のようなものを毎年実施してきた。なかでも春のタダの祭りでは十万個の卵を富士山に見立てて積み上げた「卵富士」や
卵富士

紀州みかんで財を築いた紀伊国屋門左衛門のミカン船を模した梵天丸
梵天丸

などで多くの人々の心を魅了した。
先に触れた「月界への通路」の一コマにも次のように記されている。

「金が要らない楽しい世の中に世界中がなると聞いた時、複雑に考えれば、到底不可能だと頭ごなしに否定する人もあるかも知れない。これは何かの考え方を入れて、複雑に考え過ぎているのではなかろうか。
軒端のスズメや、菜の花に舞う胡蝶でさえも、金を持たないで、何らの境界も設けないで、自由に楽しく舞い、かつ囀っている。権利も主張しないし、義務も感じていないようだ。
能力の秀れた知能を持っている人間が、なぜ囲いを厳重にし、権利・義務に縛られねばならないだろうか。
金の要らない楽しい村では、衣食住すべてはタダである。無代償である。
この村にある米も衣服も、必要に応じて、必要なものが、欲しいだけ、タダで使える。魚も果物も自由に店先から取って、欲しいだけ食べられる。テキでもフライでも鰻丼もむろんのこと、酒は飲み放題、高級茶菓子も意のまま。住むのに都合の良い家、住みたい家へ、どの家ででも起居できる。
元来誰のものでもない、誰が使ってもよいのである。みなタダで自由に使うことが出来る。
当り前のことである。
誰一人として、権利・義務を言って眉をしかめたり、目に角立てる人はいない。泥棒扱い、呼ばわりする人もない。
労働を強制し、時間で束縛する法規もなく、監視する人もない。
寝たい時に眠り、起きたい時に起きる。
したい時に出来ることを、楽しく遊んで明け暮らす、本当の人生にふさわしい村であり、やがて世界中がそうなる」

軒端のスズメや蝶のように自由に楽しく舞い、かつ囀っている姿を、真面目に人間社会の中にも具体的に写し出してみようとするその心意気が何とも愉快だった。
あたかも山岸会養鶏法でヒヨコを産まれたらすぐに米山の上で飼い、生まれながらにして物欲しそうにこせつかない富貴の相を備えさせるようにと、祭り当日も目前に山と積まれた卵やミカンなどを前にして、やり方一つで奪い合い取り合いにならない人間性を引き出し合う社会実顕(実験)でもあった。
世の規範、常識、価値観から外れたところに、参加された人々がまるでお伽の国のようだと感動させる生きた安らぎの場が立ち現れたのだった。
しかも祭りの中で何が一番良かったかと子供たちに問うと、「タダが良かった!」と皆応える。
そうなのだ。そこはまた、自分らの普段着がじつはハレ着だった! と言えるところまでやっていこうとする活力源でもあった。

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わが一体の家族考(39)

始まりの場所

そもそも本稿「わが一体の家族考」を思い立ったのは次のような〝憧れ〟からだった。

「一週間の第一回『特講』終了後に山岸巳代蔵がその参加者全員に送ったメッセージの冒頭に掲げられた一節がたまらなく好きだ。
『第一回特別講習研鑽を共にした、
わが一体の家族、なつかしの兄姉弟妹よ、
わが父・母・妻・子よ』
なぜか『わが』につづく『一体の家族』に惹かれるのだ。
『わが』と『一体の家族』の間に実感のこもらない溝を感じているからだろうか、なおさら憧れる」(わが一体の家族考1)

そんな〝実感のこもらない溝を感じている〟一例を自身の体験からふり返ってみる。
二十歳前後だったろうか、当時愛読していた作家・島尾敏雄の初期作品などに自分の似姿を重ねては「自分と同じような感じ方をしているなあ」と同類意識からのうれしさを覚えた記憶がある。
島尾敏雄

例えば次のようなくだりだ。
夕飯前の黄昏の原っぱで日頃思慕を寄せている少女が縄飛びに興じている。ふと少女は櫛を落とす。
それを告げた少年は櫛を遊びが終るまで持っている光栄に預るのだけれど、よごれた手で綺麗な少女の櫛を持ちつづけるのは彼女を冒涜しているみたいで自分が卑屈にみえてしようがない。そこで戻ってくるまで遊びが続いていることを願いながら、一目散に手洗い場へ駆けこむ。
が、少年が見たのは少女等が帰り仕度にかかっている光景ではないか!

「何してたの、貫ちゃん、嫌よ人の物を持って何拠かへ行っちゃ」
貫太郎は黙っていた。万年房枝の前では何も言えやしない。
「御免なさいね、万年さん」
自分でも情ない様な声を出した。
夕飯もまづかった。もう万年房枝には可愛がってもらえる事はなかろう。(『原つぱ』)

少年にも少女にも何の非はない、一笑に付されるありきたりな場面にすぎない。それなのに「夕飯もまづかった」ところまで過剰に背負い込んでしまう少年の感受の仕方がある。
人間関係で齟齬をきたすのは、今の社会では当たり前。現実とはそういうものだから、めげずに言葉で対手と渉りあい、説得・納得させればよいだけのこと。またそうした関係社会に生きるため気やものを使い合ってその関係保持に人生の大部分が占められる。

しかし、だからといって少年が少女に寄せる淡いほのぼのとした思慕まで交換条件的や報酬期待的な関係社会からの観念で侵されるのはあまりにも理不尽すぎないか。

ふり返るとこうした「夕飯の不味さ」について、自身ずっと傷つき・囚われれてきたようにも思える。自分はどこでどう思い違いしているんだろう、と。
とうとう思い悩み昂じて、どんな職業に就いたら気やものを使わなくてもよいのかと、滑稽なことを真剣に思いつめたことさえある。

関係社会の観念とその混在から、スッキリ脱却したい。いったい自分は何を見落としていたのだろうか。
「人と人との繋がり」の世界は本当はどのように構成されるべきなのだろうか。
いや本当の本当は、全現実社会を自己の感受を基点に同心円的に拡張していき「少年が少女に寄せる淡いほのぼのとした思慕」の世界のみで包み込みたいのだ?!
そこが始まりだった。

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「と」に立つ実践哲叢(19)

自分がいる実顕地づくり(下)

かつて日本列島が石油ショック・パニックにおちいり、連日のように「地球上の資源には限りがあります。限りある資源を大切にしましょう」とテレビのCMが流れていた頃、限りある資源を大切にすると同時に限りない資源の開発にもっと力を注ぎたいといった研鑽をしたことがある。

限りない資源って何のことだろうと思ったら、それは誰の中にも無限大に潜在して、開発さえすればどんどん湧き出てくる「自発力」とでもいうべき強力なエネルギー源、それは生きる力のもと太陽エネルギーにまでさかのぼれることにビックリした。

人からいわれてやっと動き出す自分。仕組みや制度にそっているだけの自分。やらねばならんと思っているだけで手出し足出ししないでいる自分。生まれてきたから仕方なく生きているという無気力な惰性の毎日を送っている自分、等々があぶり出されてきた。
しかもこんな自分でも自発力はないのでなく、開発したりないだけのことだと思い知らされて、目からウロコ。そんな各自の自発的自由意志だけで成り立つ社会って、どんなにか素晴らしいだろうかと胸ふくらんだ。

例えば時々一体食堂愛和館での「食器洗浄」の話が持ちあがる。一応公平にという意味での当番制で運営されているが、都合で入れなくなる人も出て食器洗浄の担当者が負担に感じられてくる場合がある。メニューによっては、食器が山のようにたまってくるし、食器が欠けたり割れたりもする。
たしかに家事仕事といえどもやりたいからやるので、やりたくない時はやらなくてよいのではあるが、誰かがやらなくては進まない。その辺り各自の自発的自由意志だけで成り立つ社会ではどのようになるのだろうかと。

いろんな思いが湧いてくる。
○こんなことで頭を悩ませなくてもよいように、もっと機械化を推し進めてはどうか。
○サボる人には罰をと非難したくなる。
○一人ひとりが少しずつでも入れば、こんなふうにはならないのでは?
○このしんどい実状を、もっと全員が知るべきだ等々。

でもどこか変だなあと感じる。皆と共に暮らしをつくっていくことは本当は皆が望み・楽しいはずのことなのに……。
じつはここからが食器洗浄の例に限らず自分らの研鑽がはじまる出発点なのだ!

誰かがひょいという。「でも、今日まで遅れることはあったけど食器洗浄ができなかったという日はなかったなあ」「そういえばそうだねえ」「最後は自分がやるという人がきっといるんだろうねえ……」「そうか!」

するとそんな「ラストマン」の気配を感じてかふうっと心が温かくなる。それまで頭の片隅に隠し持つ「自分で飯食ったんだから、自分の茶碗ぐらい洗ったらよい」といった傲慢な自分に気づいて恥ずかしくなる。
そんな時だ。責め合いなく責任感も義務感も超えた世界に住む自分を発見するのは。 

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わが一体の家族考(38)

猫の首に鈴をつける
猫の首に鈴

さきの「月界への通路」とは、
「私は十九歳の時、或る壁にぶつかり、苦悩の内に一生かけての仕事を始めたのです。そして人生の理想について探求し、真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟という信念を固め、只今ではその方法を『月界への通路』と題しまして記述し続けております」(『山岸会式養鶏法・農業養鶏編』1954年)

ともあるように、月界への通路はその道を通る以外には到達できないという一本コースなのだ?! 
つまり理想を実現する最善の方法は一つであってこそ、理想はその方法によって必ず実現する。それゆえ理想(目標)を自己の生活に日常化する(織り込む)方法が重視される。
ヤマギシズム〈実践哲学〉では、最終目的の実現はじつは出発点にかかっており、出発点と目的とは直線コースでなければ成立しないとしているところだ。
目的のためには手段を選ばないとか、山頂への道は幾通りもあるという考え方がある。どんな作り方をしても米さえ採れたらよいではないかというが、なるほど米は採れても作り方によって米の内容・質が違うのだ。

だとしたら、その目的への出発点に立つとはどんなことなんだろうか?
この間どこでどう思い違いをして迷路に迷い込んだのだろう。目的に到達するのが難しいのでなく、その目的への出発点に立つことが容易ではないのだとふり返る。
そんないざ実行となると、引き受け手のない至難なことのたとえに「猫の首に鈴をつける」というのがあるが、そんな躊躇する気持がある。

この間の山岸巳代蔵が取り組んだ「愛情研鑽」の世界がまさにそれである。
きっと大切なことが盛られているに違いないのだが、そこへ分け入っていく糸口がつかめないでいる。
それは俗にいう「フリーセックス」「退廃的な獣性」「放蕩」「禁断」「不倫」「姦通」といった言葉から連想される次元を異にする
「愛」「性」「性意識」「対意識」「性愛」「セックス」「エロス」「男・女」「夫婦」「恋愛・結婚」「繋がり」「親子」「家族」「情愛」にまつわる世界についてのことだ。
そこはまた西欧的な個と個を基点にした恋愛・結婚観とも異なるはずだ。

「山岸会の目ざす理想社会は、一人の不幸もあってはならぬ社会でありますから、その根本に自他一体観の、きびしい原理が自得出来ていなければならぬ筈で、この会旨を別なもっときびしい言葉で表しますと、
〝私はあなた、あなたは私〟
の体認に出発せねばならぬとするのであります」( 『山岸会養鶏法』1955.6.16)

ここでの〝私はあなた、あなたは私〟の「性」にじかに触れてみようというのだ。
「性=対」を出発点とした理想社会像を描いてみようというのだ?!
ほんとは猫の首に鈴をつけたいのに、誤解されることを恐れためらって尻込みしている自身の姿が浮かび上がる。
そこをあえて「性=対」を出発点とすることで一歩踏み出し鈴をつけてみせるのだ。

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わが一体の家族考(37)

未熟々々の鈍愚生

世にいう山岸会事件で身を隠すことを余儀なくされた山岸巳代蔵はみずから出頭するまでの半年間ほど、滋賀県大津市堅田に潜伏していた。写真の山岸巳代蔵による鉛筆画は、琵琶湖西岸に連なる比良山地である。
比良の山々

この間の堅田時代を通して書かれたものであろうか、「正解ヤマギシズム全輯」の草稿としてB五版わら半紙に鉛筆で書いた直筆原稿が現在約四百枚近く遺されている。
山岸巳代蔵が描いていた出版計画についての青写真は、次のようにも描かれていた。

「著者は今、一身上の都合で著述には最好適と言えない不便な土地にいる。過去の覚書や草稿や参考書も、何一つ取り寄せることが出来ない。閑地に離れているようでも閑日がない。体力の方も回復してからと思うが、急を要することばかり。
かねてからの宿題『月界ヘの通路』の宿稿の一部を整理し、『正解ヤマギシズム』十輯として刊行するつもりだが、世界情勢から判断して、第三輯『愛・愛情・結婚・恋愛について』を先に纏めてきたが、読者に理解していただく順序として、やはり第一輯『けんさん・もうしん』によって、ヤマギシズム理解の行程として研鑽の解説と盲信の研鑽を論じ、第二輯では、〝真理と人間の考え・人間の考えと言葉・言葉と行い、及びその間のくい違い〟について詳述し、読者と共に一応ヤマギシズム理解の基礎的考察を加えて後に、第三輯『愛・愛情・結婚・恋愛』の何部かを通してヤマギシズム結婚観、恋愛等について、理念と実態及び数々の実録を俎上に載せて、男女老若、少年少女、胎児に及ぶすべての時代に、真に健康で、幸福な結婚への一貫した揺るぎない安定したあり方を詳述する。
第四輯以下に、政治と法制、社会、産業、経済、人間生長・成熟、健康、衣食住生活、闘争・戦争・暴力・刑罰等の解釈とその根絶法、趣味・芸術論、学問・宗教論等その他に分類して、物理科学と観念論理科学の分野に互つて、論理と具現方式と事実立証とを以て縦横に解剖してみたいと思う」(『山岸巳代蔵全集七巻』)

さて、それではいったい『百万羽』という理想社会建設の大事業と併行して始まった、山岸巳代蔵本人の弁を借りれば、「私の愛情の不安定から起こる狂態」はどのように受けとられるべき内実のものなのだろうか。
真意はいずこにあったのだろうか。
外形のみを見れば誤解されて受けとられる可能性が非常に高いのではないかという懸念が、この間「愛情研鑽」にあえて触れられてこなかった理由の一つに挙げられる。
もとより一連の出来事を断片的に触れてきた人達にも、その真意は掴めないまま消化不良の感があったことも否めない。確かに真意はもはや忖度するより他にない。
一般に理想社会づくりといえば、目に見える外形的な物質面の豊かさに向けての着手から始められがちだ。ところがそれに反して、無現象界に焦点を置いて、無辺の愛を基調とする一体社会の顕現に賭ける山岸巳代蔵にとって、愛情研鑽こそ絶対不可欠の課題であった。
自身、周囲からは常軌を逸する狂乱状態ととられがちなこれら一連の行動について、

「甘えているものではない。二人の女らにこだわっての問題と違う」
「愛に飢えた理性が働かない状態」
「男ってこんな弱い阿呆なものか、人間の及ばない世界というか人間の弱さに直面して、何ものかの力で支えられ、支えて欲しいという気持が起こってくる」

といった発言を残している。
そして男女間、夫婦間の愛情の不安定がいかに多くの社会問題を引き起こしているか、そこにいかに頑固なキメつけが内在しているか、そうした人間の傲慢さというか自分の考えという私心に押し潰されるような立場に立たされたみずからを省みて、

そういう場に立たされて、そう仕向けられたら、そう言わざるを得ないものがあり、
「そんなことさしたらアカン、誰か止めなイカンとこや」
と自己批判するのだった。

キメつけや情が入るとこんなにも愚鈍になるものかとみずから呆れ疲れ果て、
「未熟々々の鈍愚生」の恥ずかしいかぎりで、
「もう自分で苦しむのは最後にしたい」

ともフッと思ったりして、
これの解決が、命をかけて取り組むべき、最大の核心に見えていたのかもしれない。

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わが一体の家族考(36)

「愛情研鑽会」以降の展開

だがしかし、さきの『全集資料編Ⅰ』所収の「愛情研鑽会」を以てしても、愛情問題が解決の方向に向かったわけではなかった。
その後の経緯を簡単に要約してみる。

翌1959(昭和34)年1月には、山岸と柔和子が四日市の頼子のアパートに行き、そこでひと悶着があった。山岸が先に帰った後、柔和子が頼子に対して、「私とあなたと奥さんを交替しましょう」ともちかけたことがきっかけだった。翌日、春日の中林宅へ帰った柔和子がその話をし出すと、山岸が柔和子に無理難題をふっかけてきた。大声でどなったり、大変な血相で迫ってくる山岸の姿を見て、完全に気が狂っていると思った柔和子は、沸騰しているヤカンの湯を、オーバーのまま寝ている山岸の顔にかけたのである。
顔が真っ白に焼けただれた山岸は、すぐに病院へと運ばれた。幸いにして火傷は左耳の鼓膜が破れたぐらいですんだ。3月に入って、山岸は療養のため柘植のみどり莊へ移り、四日市から呼び寄せた頼子が看護に当った。

この後、山岸は、4月に山岸会に対して「急進拡大運動」を提案、春日山に山岸会機構の機能をすべて移し始める。
前年8月に現在のヤマギシズム春日山実顕地のある三重県阿山郡伊賀町で始まった通称「百万羽」の春日農場では老人・子供を含め三百人近い参画者が自活態勢に入りつつあった。
ねらいは、その春日農場へ当時京都・山崎にあった山岸会本部事務局を移し、農場内に特講会場も設けて、一丸となって急進的に特講拡大を呼びかけようというものであった。そうした急進拡大こそ真目的だとする高揚した空気が春日山全体を包んでいった。
6月には、山岸は柔和子と共に春日山に移り、「急革体制」に備えたが、そんな矢先の7月10日、山岸会は一週間の講習受講者を軟禁した疑いで上野署の捜索を受け、幹部らとみなされた七人が逮捕された。
山岸会事件

こうした世にいう山岸会事件の真っただ中にあった山岸巳代蔵は、13日午前卵の出荷車(オート三輪トラック)の荷台に乗って春日山を離れた。そして24日午後には捜査中の三重県警は、事件の背後関係を解明するために姿を消した山岸を全国に指名手配したのだった。
その後、あちこちを転々と移り、出頭の機会をうかがうことになるのだが、この年の12月、山岸は側近の人に頼子宛の手紙を託している。以後、頼子と山岸との連絡は途絶えることになった。
また12月の中頃からは、滞在先の山岸の元へ時々柔和子が訪ねてくるようになる。
その間も二人の間での愛情問答は何度となく繰り返された。それについては、現在テープで残されている「徹夜研鑽会」(1960年3月)記録などを通して知ることができる。

1960(昭和35)年4月、柔和子の段取りの元、山岸は大阪松坂屋デパートへ柔和子や弁護士と共に赴き、逮捕という形をとって出頭した(10月に起訴猶予の判決が出る)。
そして、逮捕後取調べが一段落した後、三重県津市の「三眺荘」という一軒家を借り、柔和子や婆やや側近の奥村通哉らと住み、
三眺荘で山岸と柔和子他

少数のメンバーで山岸巳代蔵が思い描く世界観をじっくりと聴く「理念研」の定期的な開催や理想社会の実態づくりを目指す「実顕地造成」という仕事に取り組むことになる。

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わが一体の家族考(35)

生きる喜び・生きる力

ここで少し背景にある山岸巳代蔵の女性関係の一例をあげてみる。
『山岸巳代蔵全集』資料編Ⅲ所収の「山岸巳代蔵年譜」によれば、

「第一回特講終了後、妻・志津子は娘の映と東北方面へ拡大へ出かけたその留守、大森敏恵は山岸宅で身辺の世話をした」
「第四回特講(京都、三鈷寺)で出会った井上頼子と同伴で向島の実感へ戻った時、志津子夫人が頼子を家へ入れることを頑強に拒んだので、鳥羽の中林正三宅の離れに滞在」
「しばらくして、三重、四日市市の会員井上与男宅で井上頼子と住むようになる」(妻・志津子とは別居)
「第三九回特講(京都、三鈷寺)で福里柔和子に出会う」

と記されて、翌1958(昭和三三)年3月末には

「柔和子との婚約発表」

とあり、4月15日には「百万羽科学工業養鶏」構想の発表、17日には「第一回愛情徹底研鑚会」が開かれている。
その春四日市の短大に進学した柔和子の娘、美和子も「学校を休め」と山岸巳代蔵に言われて4月17日からの研鑚会に参加したという。
こうした山岸巳代蔵の女性関係で会を離れた人も多くあった。たんなる女好きの遊冶郎(ゆうやろう)にすぎなかったのだろうか。
参画者の間からも、
「愛情問題が『百万羽』の進展に非常に影響している。これがために、みな不安な気持ちになっている」との声が上がっているのに対して、山岸巳代蔵は、
「これは生きるか死ぬかの問題であり、幸福への根本問題だ」と応えている。

幸いにもその後、11月末から12月のはじめと12月9日、三重県菰野町の見性寺で当事者の井上頼子や福里柔和子も参加しての愛情研鑚会の記録の一部がテープ録音されている。(『山岸巳代蔵全集』資料編Ⅰ所収)
そこで山岸巳代蔵の真情を求めて自分なりの関心に引き寄せた個所の幾つかをまずは拾ってみることにする。

「この忙しい『百万羽』,或いは『新聞社』がどうなるか、死活の断崖に立ちながらやね、彷徨しておるこの姿見ながら、何をしておるかと言われるか分からんですけどもね、やはりこの問題解決しなかったら、私はね、生きた仕事出来ないと思うんです」

「結婚観のね、定義から、これはやっていかんならんと思いますわ。
私はよく言いますがね、特講なんかへ出ても、よーく言いますがね、今のねえ、結婚した夫婦だと思っておるものはね、メチャクチャのがほとんどだと、こう言えると思うんですよ」

「第一回特講の時にねえ、松山の大森敏恵っていうのでねえ、あれで私はまあ生かされたっていうような気持がしたんですね、ね。あの時ね、もう既にまあ、コト切れる状態で家出掛けたんですがね、」

「それは、どうすることも出来ないと思う。或る場合には起り、濃厚になり、また場合によると薄れ、なくなっていく。それは自由でいいと思う。また自由以外にないと思う。自由に任した、任したものでいいと思う。任すより他ないと思う。『別れる』とか、『結婚する』とか、こういうものは、一つの言葉、またそういう観念。だが、そういうものに縛られる何ものもないと思う。本当に何ものにも縛られない自由。それでいいと思う」

「自然界の営みによって、ちょうど、拠り所のない月や星や地球が、どこにも紐帯を持たない、足場を持たない中に、間違いなしに律動しておる状態、(……)人間同士の結婚に於いても、そういうものがあると思う」

「頼子と二人っきりだった当時を思うと、省みるとね、頼子によってね、この生きる力やね、生かされていたと思うの。やっぱり米とか空気とか水とかいろいろのものでこう、人間生かされているわね。周囲の愛情とか(……)そして楽しい状態で生きてきた時間が多かった、(……)もう頼子を知ってからっていうものはね、もう他には要らないの」

「そんなんでね、私は頼子によってよ、そういう若い働きがあるので、その働きを生かすものが柔和子やったと、ね、実、具現化していくものね、実現していくものは柔和子やと思う」

「こういうふうに、そうしようと思わないのになってきたものの中にやね、ここまできたっていうことやね」
流れ雲

「もう成り行き任せやね。ちょうど自分のね、考えや力が入らないの、そこにね。ちょうどね、この流れ雲のような状態ね。湧いて、流れて、そしてまた消えていくっていうかね。私がどうしようってものがなくなるのよ」

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わが一体の家族考(34)

真目的への最短コース

そもそも「愛情研」でどんなことが研鑽されたのだろうかと、当時の「快適新聞」の紙面を追っていたら次のような一文が目にとまった。

「私先だって愛研を受けてきました。受講の資格は十分でないこと承知してはいましたが、はき違えた一体観や自由観から来た、放縦の男女の問題を見聞きしては、愛の名によって行われる美と汚れへの疑問に考え疲れ、イズムそのものの働きにさえふと不安を感じる念さえ起こり、愛の本質の把握への願いが『愛情徹底研』の魅力に取り憑かれて、どうしても見送ることができませず、地方会の承認を頂き、参加した次第です。
それはもう『素晴らしい』の一言。何と自然な美しい人間性に満ちた男女のあり方、驚きにも似た感動そのものでした。
快楽や偽装の愛に悩み疲れた人々に、いえ全世界の人々に知らせたいと思います。けれど少しの常識やキメがあっては、まったく考えられない厳しさであり、観念ではない、日々の現実の中で、実感として湧き上がってくるものでなくてはなりませんので、親愛の本質への追究に懸命で、ふと窓外に目をやっていつの間にか白んできた空に驚いたことも一度ではありませんでした。
私たちが今まで愛情だと信じ、大切にしていたものは果たして真実のものなのでしょうか、本当に調べなくてはなりません。
愛情――それは相手をまず理解することから始まるのではないでしょうか。理解しようとする心に「我」があっては相手の心を素直に見きわめ受け入れることはできません。
自分の思い通りにならないと、裏切られたと腹を立て苦しみました。でも、限られた自己の中へ相手を引き入れることがはたして愛と言えるでしょうか。キメがあるところから正しい愛が生まれ育つ道理はありません。
いかに、〝好きだ〟〝愛している〟といっても、それが盲愛であり、独占であるなら、真実のものとは遠いと思います。
愛もやはり、知恵を伴うものでなくては正しい働きはできますまい。与えるものも、与えられるものも幸福になる愛――それこそ本当の愛情の姿ではないでしょうか。
限りない不条理に満ちた現実の中でも、真の愛情に目覚めることによって、真実に生き抜かれ、この人生を温かで豊かなものとしてゆくことができる確信を、はっきりもつことができました。
もっとも自然な全きものは、知恵ある愛の働きなのではないでしょうか。それこそヤマギシイズムの源泉だと思います。この運動こそ私の人間としての生きがいだとの確信と感動に、おなかの底から意欲が湧いてまいります。今までの苦しみも悩みもすべては自分の作った小さいキメの枠の中で、あっちへ突き当たり、こっちへ突き当たりしていただけのものでした。
そのキメを外して、外へ外へと自己を広げていったら、何とのびのびと楽しいことでしょう。毎日が快適そのものです。すべてのものが活かされ合っているこの世の中につまらないものは何一つありません。
生命あるものすべてに限りない愛情を感じられるような気がします。今やっと得た一体の中の一人だとの実感を心から喜んでいます」
(1958年8月10日発行 見出しは「愛情」筆者名は小笹文子) 

この一文にも記されている「放縦の男女の問題」とは、おそらく山岸巳代蔵の女性関係を指してのことだろうか。
この時期山岸巳代蔵の「女好き」「多情者」ときには「無節操」といった非難めいた噂が、会活動の進展にともなって噴き出していた。
また会の組織自体も、「百万羽」構想の出現によって大きく動揺していた。意欲的な各支部の中心になって活動していた人物が「百万羽」へと参画していき、各支部は一種の虚脱状態に陥っていた。悪評、疑惑、衰退・崩壊説が飛び交った。
あまりにも先を急ぎすぎたのだろうか?

いや、今やイズム運動は大きく脱皮しようとしていた。謂わばそれまでの一体の考え方での養鶏から一つの生活共同体(一体生活)の中で行う一体養鶏へといった次元の〈転換〉をはかろうとしていたのだ! 
何か確かな理論があって、知って、それを実行するというよりは、今の動きを新しい運動の息吹を見ていこう、感じていこう、やっていこうといった熱意の高まりだった。
百万羽設立総会

当時「百万羽」へ参画したあるメンバーの発言は今も自分の中で響いている。
「やはり一番の魅力は心一つの人たちと共に考え共に行う一体生活を、一ヶ所に寄って各々専門分業の一員としてやっていく、そんな生活がどんなにか素晴らしいことだろうかと夢ふくらんだ」
というのだ。

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わが一体の家族考(33)

真実の愛の実践?!

ヤマギシズムが世に出たのは、養鶏を通してであった。山岸巳代蔵の思想に理解同調した少数の養鶏家によって山岸式養鶏普及会が結成され、会としての運動は始められた。その当時は、月に一度の徹夜研鑚会などを通して参加者にこの思想の理解を図っていた。しかしこれではどうしても思想の一端の理解にしか過ぎず、従ってどうしても活動が養鶏中心に進められていかざるを得なかった。
しかし「山岸会・山岸式養鶏会会報」三号に「ヤマギシズム社会の実態」が発表されて、山岸会の概略が明らかになるに及び、これを本当に理解するには、どうしても一定期間共に生活しながら徹底的に研鑽してゆかなければならないことがわかり、1956(昭和31)年1月、第一回特別講習研鑽会が開かれた。
これから山岸会の、社会変革の運動団体としての性格が明瞭になり、会員の対象も養鶏家からあらゆる職業の人達に拡がってゆくようになった。
二回三回と特講回数が重ねられ、同調者の数は増加し、しだいに純粋な社会変革運動団体としての性格を名実共に有するようになった。関西一円の各地方に村或は町単位にそれぞれ十名二十名と会員が出来てゆくうちにこれら会員の結集によって、支部結成が始められた。京都・大阪・和歌山・兵庫・岡山と支部結成の波は拡大され、徳島、香川から四国にも及んだ。
続いてそうした組織性を帯びた活動から、ヤマギシズムの一体の考え方での養鶏、「一体養鶏」を自分らの地域でやろうとの気運が盛りあがってきた。
当時和歌山県の金屋町下六川地区では、みかん作業を数家族で作業を一つにした「一体作業」の動きが「一体経営」のモデルとして大きな注目を浴び、各地に広がった。
一方1958(昭和33)年には、そうした情勢の高まりの中で「百万羽養鶏構想」の発表があり、多くの会員が家財産を売り払い、家族を連れて百万羽へと参集し、ヤマギシズム運動が本格的な実践運動に発展する大きな転機となった。現在の三重県伊賀市の春日山実顕地の前身である。
こうした刻一刻とめまぐるしく移り変わる運動展開の中に、イズム運動の未来に繫がる重要な基盤づくりの布石が打たれていた。
そのことは1957年に入り従来の「農工産業新聞」(山岸式養鶏会当時より継続)とは別に、純粋に社会活動体として発行された「快適新聞」紙上から、理想実現への意気込みの一端を今あらためて読みとることができる。
快適新聞

例えば1958(昭和33)年5月15日発行の会の研鑽部からのお知らせ記事広告に

「ヤマギシズム(社会愛主義)社会の革命実践はまず愛の徹底研鑽から」との見出しを掲げて、
今年に入って各地で一体経営実践の段階に入ると共に、百万羽科学工業養鶏実現への飛躍的な運動展開の時を迎えた。
しかもこの運動の成功するか否かは、会員各自の真実の愛の実践なくしては絶対達成されない。
先般(4月17日)から5日間にわたって第一回愛情徹底研鑚会がもたれ、今日まで解明されなかった、真実の愛情に充たされた社会の実態が打ち出された!
そこで次の日程で連続開催される予定であるから参加されたい云々……」

とある。
「真実の愛の実践」?!
全財産を整理して参画した百家族余の人たちが結集して、自分たちの考える理想郷建設に着手し始めたその矢先のことである。
よりによって画期的なストライキも社長もない「百万羽」事業経営にまさに集中しなければならない激務の最中に、なぜまた夫婦間の愛情徹底研鑚会の立ち上げなのか?
愛情問題というもっとも個人的なもので今までの慣習に従ってほとんど顧みることもせず、実のところ何故か触れたくない、腫れ物に触るように棚上げしていた感があるようなものに研鑽の光を当ててみようというのだ?!
そこにどんな山岸巳代蔵の意図があったのだろうか?

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 「と」に立つ実践哲叢(18)

自分がいる実顕地づくり(中)

毎日の「連絡研鑚会」(昼間30分)で時折80代のNさんのことが話題に上る。
「○○に帰る」と執拗に言って外を歩き回るのだという。ふだんは付き添って歩くのだが、気づかない時もあり、迷子になったり事故に遭遇しないように「知っておいて下さいね」とのお知らせだ。

ある時どうもNさんの○○とは、Nさんの生まれ故郷らしいと思い至った。すると「そうか、そういうことか!」と、それまでの困惑気味な気持が解けてしまった。

そしてふと映画「おくりびと」の、主人公らが橋の上から二匹の必死に川を遡(さかのぼ)る鮭や上流から命を使い果たした鮭が流れてくるのを見つめているシーンを思い出した。そこで次のような会話が交わされる。

「何か切ないですね死ぬために遡るなんて、どうせ死ぬなら、何もあんなに苦労しなくても」
「戻りたいんでしょう、生まれ故郷に……」

ふだんテーマに掲げている「老いて蘇(よみがえ)る」の一端に触れた感じがしたのだ。
たしかに老いゆえの身体的不調や自分が自分であることが崩れていくような不自由・不安・絶望感は、外からは窺い知れない。
でもこの間自分らは「と」に立つ実践を通して、「繋がりを知る精神」から出発した人と人との繋がりの中にいる自個で、もう一人の喜怒哀楽やいろんなことで動揺したり思い悩んだりする自己が、いつも温かいものに包まれているような実感をも味わってきた。
いうなれば、自分とは今までの自我や自己主張するなどの自己からなっているだけでなく、繋がりの結び目としての個としての自個からなっているのでは……。

そんな観方・考え方を次のような式でイメージしている。
自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)

以前このことを皆で研鑽していたら、K君が「こんなことかな」と話してくれたことがある。
村人総出での運動会があった。その時「運動会なんて出るの、一緒にやるのは嫌だなあ」とすごく思った。でも、皆参加するからと嫌な気持ちだったけれど参加してやっていたら「運動会を楽しんでいる自分を見た」という。

この感じっていうか、こんな誰でもがふだん体験していて、そんな事ありふれたことだと見なして顧みない、「嫌だと思っている自分がいて、それでも事実皆と一緒に楽しんでいる自分もいた」という気づき。これはすごい発見というか、人と人との繋がりの中で楽しくやれている自分を見出して、そんな自分をもしっかり掴んでいく。分かりやすい具体例だなあと今でも心に焼き付いている。

さきのNさんの振舞いもよくよく見れば、一般社会常識上の自己が消えていく中で故郷に帰りたいとする自個が蘇っているのだ?!
だとしたらそんなNさんの自個に合う心身の安らぐ場づくりから新しい自分に出会えるかもしれない。
「自分がいる実顕地づくり」の自分とは、そんな自分をも指している。

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わが一体の家族考(32)

象形文字が映し出すもの

以前にも江戸中期の思想家・安藤昌益(1703―1762)について触れてみたことがあった。
寺尾五郎(安藤昌益研究会)氏によれば、日本において対象的世界を「自然」と呼んだのは、安藤昌益が初めてであるという。それまでの「自然」の語は、すべて「自(おのずか)ラ然(しか)リ」の意であり、自然界のことではなかった。
昌益は「自然」の語を、「自(ひと)リ然(す)ル」と訓(よ)ませ、人も含んだ全自然は永遠の自己運動の過程にあるという哲学思想を独創的に編みだしたのだという。

そんな昌益が独自に編み出す概念には、ヤマギシズム理念「自然全人一体」に通底する前進一路・無停頓の律動のような営み・動きが内包されていて実に興味深いのだ。
例えば昌益の手造り漢和辞典『私制辞書』によれば「人」は、
「人は天地のあいだに生まれ、天地に通じる存在であるとして、天地に股がり足を張ったさまを字としたもの」とされる。
山岸会の趣旨での、
「自然と人為、即ち天・地・人の調和をはかり、……」に重なり合う個所だが、
「調和をはかり」のイメージが「天地に股がり足を張った」という常識外れのしかし動的で身近なイメージとして湧き上がるところが痛快だ。

しかも昌益は「男女」と書いてヒトと読ませる。
「転定(天地のこと―引用者注)一体、男女一人ニシテ、……」
男と女がいてはじめて一人の人間であり、互性の関係にあるという。
ここでの「互性」も、独創の『私制辞書』によれば、「互」という字を九十度倒して横から眺められた姿をイメージして、

「二人が左右に、仲良く一つになって横になるさまに象る。横になるとは寝ることであり、夫婦が睦み合って寝るさま。また二人が心一つに安んじて横に寝て、互いに信じ合うさま」だとされる。
天と地、男と女も、本質的には同一だが現れ方が違い、お互いがお互いを活かし合って存在している始めもなく終わりもない「自(ひと)リ然(す)ル」自然真営道が明らかにされる。

ナルホドナー、面白いな-、とても愉快な気分につつまれてくる。
あらためてここでの安藤昌益の互性のはたらきを内包した「男女(ヒト)」と
安藤昌益

山岸巳代蔵の「夫婦の真字」を並べてみる。
夫婦の真字

はたして何が見えてくるのだろうか? 
従来からの個々人主義の相離れた男(夫)や女(妻)の立場からでは、ぜったいに浮かび上がってこないにちがいない。だとしたらいったい何が現れ出てくるのだろうか?
それは男(夫)でもないし女(妻)でもないもの……。
そこを見出して、そんな場所からかつてない「仲良い楽しい」世界を創り上げていこうとするものだ。 

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わが一体の家族考(31)

老鶏は若雌の如く

さきに「自分らがやりたいのは『夫婦の真字』なるものから出発して、ヤマギシズムや夫婦のあり方を引き出すことにある」とした。
たんに言葉の持つ常識的な意味にとどまらず、その言葉を構成している文字の始まりの字解まで遡ることで豊かにイメージされてくるものがあるからだ。

もちろんこれは個人研鑽では不可能だ。どうしても自分の立場というか先入観を通して考えてしまいがちだからだ。それこそ一字一句の字義・定義から暮らしの場を共にする皆で徹底的に研鑽しないと自分自身に反映してこない。
例えば「仲良し」とか「楽しい」といった簡単な言葉がある。ずっと「何だ、仲良しこよしの仲良しか」と小馬鹿にしていた自身が恥ずかしい。
そこに秘められてある奥深さが、今まで気づかなかったことの数々が、自分らの心境の高まりと正比例して反映してくることに気づかれることがある。

事実・実態そのものから、ふだんの暮らしそれ自体から本質を引き出してみようとする試みである。

そういえば山岸会養鶏法では、「老鶏は若雌(若々しく)のような、若雌は老鶏(牛のような)の如きタイプを常に保たすこと」をモットーとして飼育に当たることとしている。
ここでの老鶏を人間に当てはめれば、老人とか生物的年齢が重なりとか定着的、保守的な傾向になりやすい姿を指すのだろう。
自分らは当初から歳を重ねる中で精神的老化を象徴する「頑固」のない生き方を表す言葉として、老後の生き方を「老蘇(おいそ)」の生き方で暮らそうとしている。

この老蘇の「蘇(よみがえ)る」の字解は、草冠は野菜類を代表し、魚と禾つまり穀物を表して豊かさの象徴になぞらえる。
しかも老蘇というあまり聞き慣れない用語は、物心両面の豊かさを目指すヤマギシズムの提案者・山岸巳代蔵の生誕地、滋賀県蒲生郡老蘇村大字東老蘇(現在の安土町)の字名であり、近くには今も老蘇の森に囲まれた奥石(おいそ)神社が祀られている故事に由来するのもじつに興味深い。

そうだとしたら、「老鶏は若雌の如き」タイプとはどんな姿形なんだろうか?
すぐに思いつくのは、ことわざにいう自然界の「実るほど頭を垂れる稲穂かな」のイメージだ。
稲穂

ことわざでは人格者ほど謙虚であるというたとえだとされるが、いろんな観念を通さずにそのまま観ると何が映っているのだろうか? 
若さを、積極的・陽適・自由活動的・向上進歩的な心のあり方と考えると、「老鶏は若雌の如き」にたとえた人間の実際はどのように実現されてくるのだろうか。

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わが一体の家族考(30)

言葉という文字のかたち

「ヤマギシズム研鑚学校」では、何日目かに「親子のあり方」に続いて「夫婦のあり方」とはどういうものかを研鑽する機会がある。そしてそこで「夫婦の真字」なるものを知らされる。
夫婦の真字

何だコレ!? 妻という文字に夫という文字が合わさっているような……。ヘェー。ふーん。ナルホドそれにしてもうまく重なるものだなあ。じっと眺めているといろんな想いが湧いてきて尽きない。

この字は、「ふさい」と読み、夫婦が一つのものだということを示している。山岸巳代蔵の造字である。(写真の文字は山岸巳代蔵の直筆)

そして今、自分らがやりたいのは「夫婦の真字」なるものから出発して、ヤマギシズムや夫婦のあり方を引き出すことにある。
どうやって?

以前研鑚会で「一体」の姿を皆で研鑽したことがある。
一体というからには、一方だけが生き残り、片方が倒れるということは現実的にはあり得ないことだ! 共に繁栄するか、共に倒れるかのどちらかであろう。
ハッとした。「一体」という文字のかたちに生命が通いはじめた瞬間だった。

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