自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(36)

「愛情研鑽会」以降の展開

だがしかし、さきの『全集資料編Ⅰ』所収の「愛情研鑽会」を以てしても、愛情問題が解決の方向に向かったわけではなかった。
その後の経緯を簡単に要約してみる。

翌1959(昭和34)年1月には、山岸と柔和子が四日市の頼子のアパートに行き、そこでひと悶着があった。山岸が先に帰った後、柔和子が頼子に対して、「私とあなたと奥さんを交替しましょう」ともちかけたことがきっかけだった。翌日、春日の中林宅へ帰った柔和子がその話をし出すと、山岸が柔和子に無理難題をふっかけてきた。大声でどなったり、大変な血相で迫ってくる山岸の姿を見て、完全に気が狂っていると思った柔和子は、沸騰しているヤカンの湯を、オーバーのまま寝ている山岸の顔にかけたのである。
顔が真っ白に焼けただれた山岸は、すぐに病院へと運ばれた。幸いにして火傷は左耳の鼓膜が破れたぐらいですんだ。3月に入って、山岸は療養のため柘植のみどり莊へ移り、四日市から呼び寄せた頼子が看護に当った。

この後、山岸は、4月に山岸会に対して「急進拡大運動」を提案、春日山に山岸会機構の機能をすべて移し始める。
前年8月に現在のヤマギシズム春日山実顕地のある三重県阿山郡伊賀町で始まった通称「百万羽」の春日農場では老人・子供を含め三百人近い参画者が自活態勢に入りつつあった。
ねらいは、その春日農場へ当時京都・山崎にあった山岸会本部事務局を移し、農場内に特講会場も設けて、一丸となって急進的に特講拡大を呼びかけようというものであった。そうした急進拡大こそ真目的だとする高揚した空気が春日山全体を包んでいった。
6月には、山岸は柔和子と共に春日山に移り、「急革体制」に備えたが、そんな矢先の7月10日、山岸会は一週間の講習受講者を軟禁した疑いで上野署の捜索を受け、幹部らとみなされた七人が逮捕された。
山岸会事件

こうした世にいう山岸会事件の真っただ中にあった山岸巳代蔵は、13日午前卵の出荷車(オート三輪トラック)の荷台に乗って春日山を離れた。そして24日午後には捜査中の三重県警は、事件の背後関係を解明するために姿を消した山岸を全国に指名手配したのだった。
その後、あちこちを転々と移り、出頭の機会をうかがうことになるのだが、この年の12月、山岸は側近の人に頼子宛の手紙を託している。以後、頼子と山岸との連絡は途絶えることになった。
また12月の中頃からは、滞在先の山岸の元へ時々柔和子が訪ねてくるようになる。
その間も二人の間での愛情問答は何度となく繰り返された。それについては、現在テープで残されている「徹夜研鑽会」(1960年3月)記録などを通して知ることができる。

1960(昭和35)年4月、柔和子の段取りの元、山岸は大阪松坂屋デパートへ柔和子や弁護士と共に赴き、逮捕という形をとって出頭した(10月に起訴猶予の判決が出る)。
そして、逮捕後取調べが一段落した後、三重県津市の「三眺荘」という一軒家を借り、柔和子や婆やや側近の奥村通哉らと住み、
三眺荘で山岸と柔和子他

少数のメンバーで山岸巳代蔵が思い描く世界観をじっくりと聴く「理念研」の定期的な開催や理想社会の実態づくりを目指す「実顕地造成」という仕事に取り組むことになる。

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わが一体の家族考(35)

生きる喜び・生きる力

ここで少し背景にある山岸巳代蔵の女性関係の一例をあげてみる。
『山岸巳代蔵全集』資料編Ⅲ所収の「山岸巳代蔵年譜」によれば、

「第一回特講終了後、妻・志津子は娘の映と東北方面へ拡大へ出かけたその留守、大森敏恵は山岸宅で身辺の世話をした」
「第四回特講(京都、三鈷寺)で出会った井上頼子と同伴で向島の実感へ戻った時、志津子夫人が頼子を家へ入れることを頑強に拒んだので、鳥羽の中林正三宅の離れに滞在」
「しばらくして、三重、四日市市の会員井上与男宅で井上頼子と住むようになる」(妻・志津子とは別居)
「第三九回特講(京都、三鈷寺)で福里柔和子に出会う」

と記されて、翌1958(昭和三三)年3月末には

「柔和子との婚約発表」

とあり、4月15日には「百万羽科学工業養鶏」構想の発表、17日には「第一回愛情徹底研鑚会」が開かれている。
その春四日市の短大に進学した柔和子の娘、美和子も「学校を休め」と山岸巳代蔵に言われて4月17日からの研鑚会に参加したという。
こうした山岸巳代蔵の女性関係で会を離れた人も多くあった。たんなる女好きの遊冶郎(ゆうやろう)にすぎなかったのだろうか。
参画者の間からも、
「愛情問題が『百万羽』の進展に非常に影響している。これがために、みな不安な気持ちになっている」との声が上がっているのに対して、山岸巳代蔵は、
「これは生きるか死ぬかの問題であり、幸福への根本問題だ」と応えている。

幸いにもその後、11月末から12月のはじめと12月9日、三重県菰野町の見性寺で当事者の井上頼子や福里柔和子も参加しての愛情研鑚会の記録の一部がテープ録音されている。(『山岸巳代蔵全集』資料編Ⅰ所収)
そこで山岸巳代蔵の真情を求めて自分なりの関心に引き寄せた個所の幾つかをまずは拾ってみることにする。

「この忙しい『百万羽』,或いは『新聞社』がどうなるか、死活の断崖に立ちながらやね、彷徨しておるこの姿見ながら、何をしておるかと言われるか分からんですけどもね、やはりこの問題解決しなかったら、私はね、生きた仕事出来ないと思うんです」

「結婚観のね、定義から、これはやっていかんならんと思いますわ。
私はよく言いますがね、特講なんかへ出ても、よーく言いますがね、今のねえ、結婚した夫婦だと思っておるものはね、メチャクチャのがほとんどだと、こう言えると思うんですよ」

「第一回特講の時にねえ、松山の大森敏恵っていうのでねえ、あれで私はまあ生かされたっていうような気持がしたんですね、ね。あの時ね、もう既にまあ、コト切れる状態で家出掛けたんですがね、」

「それは、どうすることも出来ないと思う。或る場合には起り、濃厚になり、また場合によると薄れ、なくなっていく。それは自由でいいと思う。また自由以外にないと思う。自由に任した、任したものでいいと思う。任すより他ないと思う。『別れる』とか、『結婚する』とか、こういうものは、一つの言葉、またそういう観念。だが、そういうものに縛られる何ものもないと思う。本当に何ものにも縛られない自由。それでいいと思う」

「自然界の営みによって、ちょうど、拠り所のない月や星や地球が、どこにも紐帯を持たない、足場を持たない中に、間違いなしに律動しておる状態、(……)人間同士の結婚に於いても、そういうものがあると思う」

「頼子と二人っきりだった当時を思うと、省みるとね、頼子によってね、この生きる力やね、生かされていたと思うの。やっぱり米とか空気とか水とかいろいろのものでこう、人間生かされているわね。周囲の愛情とか(……)そして楽しい状態で生きてきた時間が多かった、(……)もう頼子を知ってからっていうものはね、もう他には要らないの」

「そんなんでね、私は頼子によってよ、そういう若い働きがあるので、その働きを生かすものが柔和子やったと、ね、実、具現化していくものね、実現していくものは柔和子やと思う」

「こういうふうに、そうしようと思わないのになってきたものの中にやね、ここまできたっていうことやね」
流れ雲

「もう成り行き任せやね。ちょうど自分のね、考えや力が入らないの、そこにね。ちょうどね、この流れ雲のような状態ね。湧いて、流れて、そしてまた消えていくっていうかね。私がどうしようってものがなくなるのよ」

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わが一体の家族考(34)

真目的への最短コース

そもそも「愛情研」でどんなことが研鑽されたのだろうかと、当時の「快適新聞」の紙面を追っていたら次のような一文が目にとまった。

「私先だって愛研を受けてきました。受講の資格は十分でないこと承知してはいましたが、はき違えた一体観や自由観から来た、放縦の男女の問題を見聞きしては、愛の名によって行われる美と汚れへの疑問に考え疲れ、イズムそのものの働きにさえふと不安を感じる念さえ起こり、愛の本質の把握への願いが『愛情徹底研』の魅力に取り憑かれて、どうしても見送ることができませず、地方会の承認を頂き、参加した次第です。
それはもう『素晴らしい』の一言。何と自然な美しい人間性に満ちた男女のあり方、驚きにも似た感動そのものでした。
快楽や偽装の愛に悩み疲れた人々に、いえ全世界の人々に知らせたいと思います。けれど少しの常識やキメがあっては、まったく考えられない厳しさであり、観念ではない、日々の現実の中で、実感として湧き上がってくるものでなくてはなりませんので、親愛の本質への追究に懸命で、ふと窓外に目をやっていつの間にか白んできた空に驚いたことも一度ではありませんでした。
私たちが今まで愛情だと信じ、大切にしていたものは果たして真実のものなのでしょうか、本当に調べなくてはなりません。
愛情――それは相手をまず理解することから始まるのではないでしょうか。理解しようとする心に「我」があっては相手の心を素直に見きわめ受け入れることはできません。
自分の思い通りにならないと、裏切られたと腹を立て苦しみました。でも、限られた自己の中へ相手を引き入れることがはたして愛と言えるでしょうか。キメがあるところから正しい愛が生まれ育つ道理はありません。
いかに、〝好きだ〟〝愛している〟といっても、それが盲愛であり、独占であるなら、真実のものとは遠いと思います。
愛もやはり、知恵を伴うものでなくては正しい働きはできますまい。与えるものも、与えられるものも幸福になる愛――それこそ本当の愛情の姿ではないでしょうか。
限りない不条理に満ちた現実の中でも、真の愛情に目覚めることによって、真実に生き抜かれ、この人生を温かで豊かなものとしてゆくことができる確信を、はっきりもつことができました。
もっとも自然な全きものは、知恵ある愛の働きなのではないでしょうか。それこそヤマギシイズムの源泉だと思います。この運動こそ私の人間としての生きがいだとの確信と感動に、おなかの底から意欲が湧いてまいります。今までの苦しみも悩みもすべては自分の作った小さいキメの枠の中で、あっちへ突き当たり、こっちへ突き当たりしていただけのものでした。
そのキメを外して、外へ外へと自己を広げていったら、何とのびのびと楽しいことでしょう。毎日が快適そのものです。すべてのものが活かされ合っているこの世の中につまらないものは何一つありません。
生命あるものすべてに限りない愛情を感じられるような気がします。今やっと得た一体の中の一人だとの実感を心から喜んでいます」
(1958年8月10日発行 見出しは「愛情」筆者名は小笹文子) 

この一文にも記されている「放縦の男女の問題」とは、おそらく山岸巳代蔵の女性関係を指してのことだろうか。
この時期山岸巳代蔵の「女好き」「多情者」ときには「無節操」といった非難めいた噂が、会活動の進展にともなって噴き出していた。
また会の組織自体も、「百万羽」構想の出現によって大きく動揺していた。意欲的な各支部の中心になって活動していた人物が「百万羽」へと参画していき、各支部は一種の虚脱状態に陥っていた。悪評、疑惑、衰退・崩壊説が飛び交った。
あまりにも先を急ぎすぎたのだろうか?

いや、今やイズム運動は大きく脱皮しようとしていた。謂わばそれまでの一体の考え方での養鶏から一つの生活共同体(一体生活)の中で行う一体養鶏へといった次元の〈転換〉をはかろうとしていたのだ! 
何か確かな理論があって、知って、それを実行するというよりは、今の動きを新しい運動の息吹を見ていこう、感じていこう、やっていこうといった熱意の高まりだった。
百万羽設立総会

当時「百万羽」へ参画したあるメンバーの発言は今も自分の中で響いている。
「やはり一番の魅力は心一つの人たちと共に考え共に行う一体生活を、一ヶ所に寄って各々専門分業の一員としてやっていく、そんな生活がどんなにか素晴らしいことだろうかと夢ふくらんだ」
というのだ。

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わが一体の家族考(33)

真実の愛の実践?!

ヤマギシズムが世に出たのは、養鶏を通してであった。山岸巳代蔵の思想に理解同調した少数の養鶏家によって山岸式養鶏普及会が結成され、会としての運動は始められた。その当時は、月に一度の徹夜研鑚会などを通して参加者にこの思想の理解を図っていた。しかしこれではどうしても思想の一端の理解にしか過ぎず、従ってどうしても活動が養鶏中心に進められていかざるを得なかった。
しかし「山岸会・山岸式養鶏会会報」三号に「ヤマギシズム社会の実態」が発表されて、山岸会の概略が明らかになるに及び、これを本当に理解するには、どうしても一定期間共に生活しながら徹底的に研鑽してゆかなければならないことがわかり、1956(昭和31)年1月、第一回特別講習研鑽会が開かれた。
これから山岸会の、社会変革の運動団体としての性格が明瞭になり、会員の対象も養鶏家からあらゆる職業の人達に拡がってゆくようになった。
二回三回と特講回数が重ねられ、同調者の数は増加し、しだいに純粋な社会変革運動団体としての性格を名実共に有するようになった。関西一円の各地方に村或は町単位にそれぞれ十名二十名と会員が出来てゆくうちにこれら会員の結集によって、支部結成が始められた。京都・大阪・和歌山・兵庫・岡山と支部結成の波は拡大され、徳島、香川から四国にも及んだ。
続いてそうした組織性を帯びた活動から、ヤマギシズムの一体の考え方での養鶏、「一体養鶏」を自分らの地域でやろうとの気運が盛りあがってきた。
当時和歌山県の金屋町下六川地区では、みかん作業を数家族で作業を一つにした「一体作業」の動きが「一体経営」のモデルとして大きな注目を浴び、各地に広がった。
一方1958(昭和33)年には、そうした情勢の高まりの中で「百万羽養鶏構想」の発表があり、多くの会員が家財産を売り払い、家族を連れて百万羽へと参集し、ヤマギシズム運動が本格的な実践運動に発展する大きな転機となった。現在の三重県伊賀市の春日山実顕地の前身である。
こうした刻一刻とめまぐるしく移り変わる運動展開の中に、イズム運動の未来に繫がる重要な基盤づくりの布石が打たれていた。
そのことは1957年に入り従来の「農工産業新聞」(山岸式養鶏会当時より継続)とは別に、純粋に社会活動体として発行された「快適新聞」紙上から、理想実現への意気込みの一端を今あらためて読みとることができる。
快適新聞

例えば1958(昭和33)年5月15日発行の会の研鑽部からのお知らせ記事広告に

「ヤマギシズム(社会愛主義)社会の革命実践はまず愛の徹底研鑽から」との見出しを掲げて、
今年に入って各地で一体経営実践の段階に入ると共に、百万羽科学工業養鶏実現への飛躍的な運動展開の時を迎えた。
しかもこの運動の成功するか否かは、会員各自の真実の愛の実践なくしては絶対達成されない。
先般(4月17日)から5日間にわたって第一回愛情徹底研鑚会がもたれ、今日まで解明されなかった、真実の愛情に充たされた社会の実態が打ち出された!
そこで次の日程で連続開催される予定であるから参加されたい云々……」

とある。
「真実の愛の実践」?!
全財産を整理して参画した百家族余の人たちが結集して、自分たちの考える理想郷建設に着手し始めたその矢先のことである。
よりによって画期的なストライキも社長もない「百万羽」事業経営にまさに集中しなければならない激務の最中に、なぜまた夫婦間の愛情徹底研鑚会の立ち上げなのか?
愛情問題というもっとも個人的なもので今までの慣習に従ってほとんど顧みることもせず、実のところ何故か触れたくない、腫れ物に触るように棚上げしていた感があるようなものに研鑽の光を当ててみようというのだ?!
そこにどんな山岸巳代蔵の意図があったのだろうか?

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 「と」に立つ実践哲叢(18)

自分がいる実顕地づくり(中)

毎日の「連絡研鑚会」(昼間30分)で時折80代のNさんのことが話題に上る。
「○○に帰る」と執拗に言って外を歩き回るのだという。ふだんは付き添って歩くのだが、気づかない時もあり、迷子になったり事故に遭遇しないように「知っておいて下さいね」とのお知らせだ。

ある時どうもNさんの○○とは、Nさんの生まれ故郷らしいと思い至った。すると「そうか、そういうことか!」と、それまでの困惑気味な気持が解けてしまった。

そしてふと映画「おくりびと」の、主人公らが橋の上から二匹の必死に川を遡(さかのぼ)る鮭や上流から命を使い果たした鮭が流れてくるのを見つめているシーンを思い出した。そこで次のような会話が交わされる。

「何か切ないですね死ぬために遡るなんて、どうせ死ぬなら、何もあんなに苦労しなくても」
「戻りたいんでしょう、生まれ故郷に……」

ふだんテーマに掲げている「老いて蘇(よみがえ)る」の一端に触れた感じがしたのだ。
たしかに老いゆえの身体的不調や自分が自分であることが崩れていくような不自由・不安・絶望感は、外からは窺い知れない。
でもこの間自分らは「と」に立つ実践を通して、「繋がりを知る精神」から出発した人と人との繋がりの中にいる自個で、もう一人の喜怒哀楽やいろんなことで動揺したり思い悩んだりする自己が、いつも温かいものに包まれているような実感をも味わってきた。
いうなれば、自分とは今までの自我や自己主張するなどの自己からなっているだけでなく、繋がりの結び目としての個としての自個からなっているのでは……。

そんな観方・考え方を次のような式でイメージしている。
自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)

以前このことを皆で研鑽していたら、K君が「こんなことかな」と話してくれたことがある。
村人総出での運動会があった。その時「運動会なんて出るの、一緒にやるのは嫌だなあ」とすごく思った。でも、皆参加するからと嫌な気持ちだったけれど参加してやっていたら「運動会を楽しんでいる自分を見た」という。

この感じっていうか、こんな誰でもがふだん体験していて、そんな事ありふれたことだと見なして顧みない、「嫌だと思っている自分がいて、それでも事実皆と一緒に楽しんでいる自分もいた」という気づき。これはすごい発見というか、人と人との繋がりの中で楽しくやれている自分を見出して、そんな自分をもしっかり掴んでいく。分かりやすい具体例だなあと今でも心に焼き付いている。

さきのNさんの振舞いもよくよく見れば、一般社会常識上の自己が消えていく中で故郷に帰りたいとする自個が蘇っているのだ?!
だとしたらそんなNさんの自個に合う心身の安らぐ場づくりから新しい自分に出会えるかもしれない。
「自分がいる実顕地づくり」の自分とは、そんな自分をも指している。

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わが一体の家族考(32)

象形文字が映し出すもの

以前にも江戸中期の思想家・安藤昌益(1703―1762)について触れてみたことがあった。
寺尾五郎(安藤昌益研究会)氏によれば、日本において対象的世界を「自然」と呼んだのは、安藤昌益が初めてであるという。それまでの「自然」の語は、すべて「自(おのずか)ラ然(しか)リ」の意であり、自然界のことではなかった。
昌益は「自然」の語を、「自(ひと)リ然(す)ル」と訓(よ)ませ、人も含んだ全自然は永遠の自己運動の過程にあるという哲学思想を独創的に編みだしたのだという。

そんな昌益が独自に編み出す概念には、ヤマギシズム理念「自然全人一体」に通底する前進一路・無停頓の律動のような営み・動きが内包されていて実に興味深いのだ。
例えば昌益の手造り漢和辞典『私制辞書』によれば「人」は、
「人は天地のあいだに生まれ、天地に通じる存在であるとして、天地に股がり足を張ったさまを字としたもの」とされる。
山岸会の趣旨での、
「自然と人為、即ち天・地・人の調和をはかり、……」に重なり合う個所だが、
「調和をはかり」のイメージが「天地に股がり足を張った」という常識外れのしかし動的で身近なイメージとして湧き上がるところが痛快だ。

しかも昌益は「男女」と書いてヒトと読ませる。
「転定(天地のこと―引用者注)一体、男女一人ニシテ、……」
男と女がいてはじめて一人の人間であり、互性の関係にあるという。
ここでの「互性」も、独創の『私制辞書』によれば、「互」という字を九十度倒して横から眺められた姿をイメージして、

「二人が左右に、仲良く一つになって横になるさまに象る。横になるとは寝ることであり、夫婦が睦み合って寝るさま。また二人が心一つに安んじて横に寝て、互いに信じ合うさま」だとされる。
天と地、男と女も、本質的には同一だが現れ方が違い、お互いがお互いを活かし合って存在している始めもなく終わりもない「自(ひと)リ然(す)ル」自然真営道が明らかにされる。

ナルホドナー、面白いな-、とても愉快な気分につつまれてくる。
あらためてここでの安藤昌益の互性のはたらきを内包した「男女(ヒト)」と
安藤昌益

山岸巳代蔵の「夫婦の真字」を並べてみる。
夫婦の真字

はたして何が見えてくるのだろうか? 
従来からの個々人主義の相離れた男(夫)や女(妻)の立場からでは、ぜったいに浮かび上がってこないにちがいない。だとしたらいったい何が現れ出てくるのだろうか?
それは男(夫)でもないし女(妻)でもないもの……。
そこを見出して、そんな場所からかつてない「仲良い楽しい」世界を創り上げていこうとするものだ。 

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わが一体の家族考(31)

老鶏は若雌の如く

さきに「自分らがやりたいのは『夫婦の真字』なるものから出発して、ヤマギシズムや夫婦のあり方を引き出すことにある」とした。
たんに言葉の持つ常識的な意味にとどまらず、その言葉を構成している文字の始まりの字解まで遡ることで豊かにイメージされてくるものがあるからだ。

もちろんこれは個人研鑽では不可能だ。どうしても自分の立場というか先入観を通して考えてしまいがちだからだ。それこそ一字一句の字義・定義から暮らしの場を共にする皆で徹底的に研鑽しないと自分自身に反映してこない。
例えば「仲良し」とか「楽しい」といった簡単な言葉がある。ずっと「何だ、仲良しこよしの仲良しか」と小馬鹿にしていた自身が恥ずかしい。
そこに秘められてある奥深さが、今まで気づかなかったことの数々が、自分らの心境の高まりと正比例して反映してくることに気づかれることがある。

事実・実態そのものから、ふだんの暮らしそれ自体から本質を引き出してみようとする試みである。

そういえば山岸会養鶏法では、「老鶏は若雌(若々しく)のような、若雌は老鶏(牛のような)の如きタイプを常に保たすこと」をモットーとして飼育に当たることとしている。
ここでの老鶏を人間に当てはめれば、老人とか生物的年齢が重なりとか定着的、保守的な傾向になりやすい姿を指すのだろう。
自分らは当初から歳を重ねる中で精神的老化を象徴する「頑固」のない生き方を表す言葉として、老後の生き方を「老蘇(おいそ)」の生き方で暮らそうとしている。

この老蘇の「蘇(よみがえ)る」の字解は、草冠は野菜類を代表し、魚と禾つまり穀物を表して豊かさの象徴になぞらえる。
しかも老蘇というあまり聞き慣れない用語は、物心両面の豊かさを目指すヤマギシズムの提案者・山岸巳代蔵の生誕地、滋賀県蒲生郡老蘇村大字東老蘇(現在の安土町)の字名であり、近くには今も老蘇の森に囲まれた奥石(おいそ)神社が祀られている故事に由来するのもじつに興味深い。

そうだとしたら、「老鶏は若雌の如き」タイプとはどんな姿形なんだろうか?
すぐに思いつくのは、ことわざにいう自然界の「実るほど頭を垂れる稲穂かな」のイメージだ。
稲穂

ことわざでは人格者ほど謙虚であるというたとえだとされるが、いろんな観念を通さずにそのまま観ると何が映っているのだろうか? 
若さを、積極的・陽適・自由活動的・向上進歩的な心のあり方と考えると、「老鶏は若雌の如き」にたとえた人間の実際はどのように実現されてくるのだろうか。

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わが一体の家族考(30)

言葉という文字のかたち

「ヤマギシズム研鑚学校」では、何日目かに「親子のあり方」に続いて「夫婦のあり方」とはどういうものかを研鑽する機会がある。そしてそこで「夫婦の真字」なるものを知らされる。
夫婦の真字

何だコレ!? 妻という文字に夫という文字が合わさっているような……。ヘェー。ふーん。ナルホドそれにしてもうまく重なるものだなあ。じっと眺めているといろんな想いが湧いてきて尽きない。

この字は、「ふさい」と読み、夫婦が一つのものだということを示している。山岸巳代蔵の造字である。(写真の文字は山岸巳代蔵の直筆)

そして今、自分らがやりたいのは「夫婦の真字」なるものから出発して、ヤマギシズムや夫婦のあり方を引き出すことにある。
どうやって?

以前研鑚会で「一体」の姿を皆で研鑽したことがある。
一体というからには、一方だけが生き残り、片方が倒れるということは現実的にはあり得ないことだ! 共に繁栄するか、共に倒れるかのどちらかであろう。
ハッとした。「一体」という文字のかたちに生命が通いはじめた瞬間だった。

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わが一体の家族考(29)

吉本さんが伝えたかったこと

吉本さんはまた人類の歴史も個々人も「より良き」理想を求めて動いているという歴史観、人間観に立って、生涯にわたって一般社会に囲まれたユートピアが可能だとしたら何が欠かせない要素としてあるかを全心を傾倒して真剣に追求された。
かつて戦前戦中、天皇を頭に載く理想としての平等なる共同体を夢見た皇国青年は、敗戦直後軍の食料を背負えるだけ背負って我先にと故郷に帰っていく兵士の豹変ぶりに遭遇して現実認識のどんでん返しを食う。
そこでお互いが信じられなくなる相互不信に深く傷つけられる。そしてそこから自分の何がだめなんだ、どこがどう間違ったのかにこだわり、考えつづけた思想家だ。

そうした意味でも、ヤマギシ会の実践例は格好の自身の考えを追い詰めていく象徴的な素材であると同時に、かつての自分と同じ轍を踏んでいるように見えたのかも知れない。
晩年の代表作とされる書き下ろし『中学生のための社会科』(市井文学2005.3)の中の一章「国家と社会の寓話」に於いても、自分らヤマギシ会員との対話を通して「一般社会に囲まれたユートピア」志向が陥る盲点について、我がことのように論じられる。
吉本さんは当時運動の絶頂期にあった自分らヤマギシ会員に潜在する、「皆のためになる良いことをしている」と信じて疑わない思い上がりを見逃さなかった。

例えば、流行の服を着たいと言ったら係りが望み通りのものを買ってくる。しかもそれに対して余計に働けということは全然言わない。
ヤマギシ会では、お金と欲求や願望と労働とを結び付けずに分離しているからだ。
こうした個人の欲求と対価労働との分離の仕方にこそ、ヤマギシ会の疑似ユートピア性がある。なぜならそうした分離が成り立つと思っている根拠は、自分たちが一般社会の中にある永遠のユートピアだとして、社会に対して閉じているからだという。

開かれていることが大事なのだと?!
一般社会の価値観と気脈を通じるだけでは、刃先が磨耗するように、自分さえよければの個々人主義の醜悪社会の延長にすぎなくなるのではないだろうか?
だとしたら、いったい何をどう開くことなのか……?

そういえばこの書は、宮沢賢治の叙情詩「母」の掲載から始まっている。

雪袴黒くうがちし うなゐの子瓜食(は)みくれば
風澄めるよもの山はに うづまくや秋の白雲
その身こそ瓜も欲りせん 齢弱(としわか)き母にしあれば
手すさびに紅き萱穂を つみつどへ野をよぎるなり
岩手種山高原a

黒いもんぺをはいた幼いうない髪の子が、無心に瓜を食べながら歩いてくる。四方の山々には渦巻くように秋の白い雲がわきあがっている。まだ母親自身が瓜を食べたいと思っている年頃なのに、手慰みにススキの若い穂をつみ集めながら野原を通り過ぎていく、といった注釈になるだろうか。

吉本さんは自分らに何を伝えたかったのか?

「人間を個人としてみれば、詩を作る人も読む人も好みだからというほかない。少なくとも読む人、作る人の自己慰安(自分だけに通ずる慰め)にしかならない。別言すれば自己慰安を第一義としている。これはすべての芸術に共通したものだ。(略)
だが人間を集団として形成される『社会』にたいしては『芸』は無用であり、『芸』にたずさわる者は無用の長物である。(略)
人間は個人としては自己慰安を求める動物だが、『社会集団』の塊(かたまり)としては『有用さ』を求めるのを第一義とするからだ」(同前)

ヤマギシ会の外と内とはまるで質が違うという強固な管理方式―お金と個人の欲求や願望と労働とを結び付けずに分離されている―は、大なり小なり現在のあらゆる高度な管理社会、部分社会の行く末を象徴するモデルになっている。
そこまで先鋭化(=純粋化)していかないと必然資本主義社会での「自由」競争下では打ち勝てないからである。
当然そこでは、自分の中の「社会集団」に合った役割というか「有用さ」のみが求められる。しかも情報科学技術に根ざす管理システムの高度化は「閉社会の人間」化を押しとどめることはできない。
ではこうした疑似ユートピアを乗り越えるためにはどうあったらよいのか?
吉本さんは絶望感に襲われながらもぎりぎりのところまで考えたという。

そのことを自分らの事例に引きつけて自分らの言葉で言ってみる。
○社会倫理環境や運営・制度に関わってくる問題を、自分の倫理の問題として引き受けるところに、自分が重くなったり引き裂かれて悩んだりするのではないか。
○だから社会的な制度・役割を生きる自分と、個人としての自分を混同しないできちんと分けておくことが大事だ。
○つまり分けて考えるとは、例えば先の宮沢賢治の叙情詩「母」の情感にもっと想いをめぐらせ浸りきってみるとよい。するときっと他に対しての不平不満がなくなるだろう。
○一方また社会を構成する管理システムの高度化は今後も避けられない。しかし誰が廻しても猿が廻しても、正確さに於いて答えに狂いないギアーシステムこそは、また大きな利点であることに気づかされる。
そして疑似ではない本物のユートピアは、次のようなシステム原則の上に組み建てねばならない。
「管理される者の利益、自由度、志向性、意志をいつも最優先に置くこと。これに反する管理システムは破棄されるか、または修正されること」

例えばこんなことだろうか?
自分らの実顕地づくりの中で、それまでの別棟に分けられていた村人用の「生活窓口」と「法人窓口」を止めて、窓口を一箇所にしてみたことがある。窓口一箇所で実顕地に住む人の要望を受けて、窓口の側で用途別に仕分ける業務を受けもったのである。するとお役所のようなたらい回しがなくなった!
本稿「わが一体の家族考」は、こうした先達の心底からの助言を受けつつ、画餅・口頭禅に終わることなく未知で未経験な未踏の世界を切り拓いていかねばならない。

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わが一体の家族考(28)

ひそやかな感情が生かされる社会

ここで今少し大なり小なり共通の目的を掲げて社会集団を組むことで見落としがちになる盲点について記してみる。
さきの吉本隆明さんは、あの2000年前後のマスコミ等ヤマギシ会へのバッシングの最中に、
「ヤマギシ会は、脱会する人たちに財産を返す、さらに餞別も渡す、というくらいじやないとダメだと思います」(『超「20世紀論」』2000.9)
と発言された後に、太宰治の『走れメロス』について触れられている。
吉本さんは自分らに何を伝えたかったのだろうか?
走れメロス

純朴な羊飼いメロスは、妹の結婚のために必要な品々を買い求めに町を訪れたが、町の様子がひどく暗く落ち込んでいることを不審に思い、市民に何が起きているのかを問う。
そして、人間不信のために多くの人を処刑している王様の話を聞き、激怒する。
メロスは王の暗殺を決意して王城に侵入するが、あえなく衛兵に捕らえられ、王のもとに引き出された。
人間など私欲の塊だ、信じられぬ、と断言する王にメロスは、人を疑うのは恥ずべきだと真っ向から反論する。当然処刑される事になるが、メロスは親友を人質として王のもとにとどめおくのを条件に、妹の結婚式に出るために三日後の日没までの猶予を願う。
そこでメロスは、度重なる不運に出遭いながらも親友の友情を裏切るまいと、必至に駆けて、日没直前、今まさに親友が磔にされようとするところに到着し、約束を果たす友情と信頼をたたえる物語だ。

吉本さんはその物語の最後の場面に着目する。
「ひとりの少女が、緋ひのマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
『メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ』
 勇者は、ひどく赤面した」

吉本さんは次のようにいう。
「つまり、太宰はここで、俺は制度だけでユートピアを云々するのはイヤだ、少女の恥じらいに見られるような個人感情、それがユートピアを築く上でとても大切なんだよ、ということをいっているわけです。個人の密やかな感情が生かされない社会は、ユートピアたりえません」

思い当たる節があるなあ。1990年代前半の運動の高揚期、参画者など急膨張に備えての「一つ」のあり方に則った機構・制度の正備に迫られたことがある。
急速な運動拡大によって単位当たりのヤマギシズム度が希薄になり、そこからくる諸種の障害が予想されてきたからである。
するとなぜか目的達成のためには「個人の密やかな感情」なんかに耽っている場合じゃないといった空気につつまれてくる。
例えばその頃、「オールメンバーの誓い」を立てる行事が企画された。ヤマギシズムの「純度」なるものが自分らに問われ始めたのだ?!

たしかに自分らイズム運動の先達の役目を自覚したりふだんの立居振舞を正していくこと自体は良いことであるから賛同はするものの、でも何だか「嫌だなあ」といった気持ちも拭いきれず、とにかくその日(4月25日)が過ぎ去ることのみを内心願っていた。
あの時のどっちつかずの気分は、いったい何だったのだろうか? 優柔不断な人間にありがちなたんなる戸惑いにすぎないのだろうか。

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わが一体の家族考(27)

だからこそやりたいこと

さきに吉本隆明さんは「ヤマギシ会という共同体の理念」について“男女が圧迫される”という懸念(わが一体の家族考12)を表明されていた。
吉本隆明

「その『一体』というところでかんがえていちばん問題なのは、男女の結びつきの次元というのが共同体の次元と同一化してしまうことです。そこがものすごくきついんじゃないでしょうか。
かりにそういう男女がいるとすると、かれらは絶えず共同体の水準におかれようとする力を『一体』という観念から受けているから、男女のあいだに、ささやきとか、声にしなくてもわかるとか、そういう意味の微妙さがなくなっちゃうんじゃないでしょうか。
ふたりでいるんだけれども、絶えず脅かされているといいますか、全部公開されているみたいな、そういう心理状態に絶えずさらされていることになる。
もし人間の性愛のなかに、色とか、味とか、匂いとかの比喩でいうべき問題があるとすれば、それが全部、無味・無臭・無色というふうになってしまうような気がするんです。
ほんとにそうなることはたぶんありえないから、絶えず解体にさらされるか、または、もし男女の結びつきがひじょうに親密になってくれば、共同体から出ちゃうという衝動をいつでも感じざるをえないみたいな、なにかそういうところでいちばん矛盾にさらされるような気がするんです」(吉本隆明『対幻想 n個の性をめぐって』1985.1春秋社)

一般でも例えば気の合う仲間で同人誌を出そうとかして三人以上集まれば、そこに自ずと社会的な集団性のようなものが形成される。そして会費や部数などの一応の取り決めが整えられていく。
しかしそこでの集団性の繋がりは、あくまで同人誌を仲間内で出そうという限定された枠内の出来事だ。それでも仲間内の一人として会費が払えなくなったり共通の目的に同調できなくなったりするいろんな悩み・束縛・矛盾に直面したりする。もちろんそんな取り決めなど、個人の意志によっていくらでも変えられるのだが……。

それがヤマギシ会でいう「一体」の繋がりでは、頭だけの観念的な集団性というよりは夫婦・家族や個人の一生をも包み込んだ事実的世界での繋がりをも意味している。
それはいったいどんな繋がりなんだろうか?
当の自分らも曖昧模糊としてよく分かっていないのだ?!

あの2000年前後にふき出した「家族をやりたい」といった自分らの切実な衝動は、まさに吉本隆明さんの懸念そのものであった。
だからこそ自分らがやりたいのは、「男女の結びつきの次元」を基調にブレないで逆に徹することで、そこでの自己を生き活かされることにおいて、吉本さんが懸念された個と集団の矛盾や対立や背反を抱擁(つつ)み込んで解消、乗り越えていくような道筋の開拓なのだ。

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わが一体の家族考(26)

「二人でおる」世界

当時さきの山岸巳代蔵全集刊行へと盛りあがる中で、山岸巳代蔵を知る人が一堂に会して先生の思い出を語り合う研鑚会がもたれた。
なかでもとりわけ昨年2015年6月に100歳で亡くなられた奥村きみゑさんの情感溢れる話が印象に残っている。
というのもその頃、奥村きみゑさんから次のような話を伺っていたからである。
「先生とあちこち拡大で回っている時のこと。大阪かどこかのうどん屋に入って、そこを出た時、うどん屋の裏手に熱い湯が流れ出ていて、その溝に2匹のけったいな虫が熱い湯が流れているというのに生きていた。
それを見た先生が『ほれ見なさい。あんなやで、あんなやろ。あんな中にいても、二人でおる。そういうものや』といわはった」

他にも同じような話を聞いている人がいる。
「ゲジゲジみたいな虫を見た時、『何で、こんな虫が生きているのか?』
『成るべくして、そう成っているのだな』
『そこから全てが解けて、ショックのあまり倒れるほどだった』」(渡辺操談 山岸巳代蔵エピソード集より)

きっと山岸巳代蔵は生涯幾度となく、「そういうものや」と見える眼からおのずと立ち現れてくるものに琴線を揺るがしたにちがいない。
その何が「そういうものや」かの一端を文章にも記している。

「一日、或る人家の軒下を流れとどまる下水溝に、黒く細長い、蛭にも蚯蚓にも、八ツ目うなぎにさえも持たない、熾烈な悪寒を覚える醜体の、一匹の虫のうごめきを見ました。
青年時、庭先でこれによく似た、頭部が銀杏の葉のような形に拡がった、黒い虫を初めて見た時、慄然とした印象が今なお蘇りますが、こういうものを見ると逃げ出したくなり、目につかねばよかったのに、また何故あんな虫がこの世に置いてあるのか、そして何を楽しみに生きているのかと、時々思い出して暫し耽ることがあり、何時水気がなくなり干乾しになるか、どんな劇薬や苦いもの、酸いもの、辛いもの等が流れて来るか、熱湯をかけられるか、不安の日夜をのたうって、三日がかりで漸くにして遡上したものを、一夜の水にどこまで流されるやら、あなたまかせの生活史です。
今日はうどんの煮汁か米とぎ水か、魚の臓物の饗宴にありつけるかと、あわれうたかたに望みをつなぐ生涯でしょう。
しかし、また案外数少ないであろう彼等にも、配偶者に会う仕組みは、うまく与えられてあるのか、種の絶滅もなきまま、こうして産み付けられた吾が身の不運をかこっているかどうか、詮索したくなります。人間の誰かと引き較べて」
(『獣性より真の人間性へ 二』1954.8.5)

わが一体の家族へと繋がる道筋が、ここからひらけてこないだろうか。ここまで遡るというか降りて行かないと……。
というか、どうもこうした場所に降り立って始めて展開する世界があるようなのだ。

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 「と」に立つ実践哲叢(17)

自分がいる実顕地づくり(上)

実顕地とは「完全専門分業社会実顕地」のことで、その姿は少数の人では成り立たなく、多数の人が渾然一体となってやるところに偉大な運搬力を持った汽車を走らすことが出来る鉄道経営にも例えられてきた。
そしてこの間自分らの実顕地づくりのなかで、陥りやすい「分業」でない「専業」に固執する弊害についてふり返ってきた。
同じようなテーマに、「集団で生活しているのを実顕地と思っている」がゆえの取り違えがある。実顕地といっても、実は一人ひとりの寄り集まりであり、そうした個の充実によって成り立つはずのものが、実顕地という何か偉大な幻(まぼろし)に依存することで自分の生き方を見失う事例についてである。

なかでも一人がそうであるために、それを前提に全体がそうならないようにと「皆、実顕地のため」をお題目に自分を押し殺してきた苦い経験。要は「自分がやる」をしたくないだけなのに、つい「……のため」に依存することで結果サボる人を非難したくなる。

例えば、ふだん寝起きする部屋から貴重品が紛失した場合、画一的に「部屋の鍵の取付けや施錠を徹底する」方向に盛り上がりがちだ。もし一人の不届き者の存在を許したら、皆が勝手に侵入してくるではないか、といった相互不信の論理で正当化される?!
こうした一見正しく思える場面で、どう非難も弁解もせずに自分を取り戻せるのか?
ここに「食堂へ行ったら何でもタダの金の要らない」実顕地構想が発表された1960年代に、次のような山岸さんの発言がある。

「やってみたらこれが出来る。物が出来たらの人は出来んけど、そうでない人なら出来る。ここでもお母さんが柿をむいて出してる姿を見たらよく分かる。タダの魚屋出しても決して取り合いにならないもの。最もみな生かして使えるわね。
店出したら、どうなるか分かる。みな自分の店ですからな。ちっとも、あれしないものね。魚屋一つ考えても、鯛やらハモやら出してみて、あんたが毎日、鯛やエビを持って帰ってやろと思うか。最も残りそうなものを持って帰るやろと思うの。
『それは理想や』と言うけど、一体の中でやってきているし……。ちょっとの始めの一点ですけどね。あんたやったら、もう頭走ってると思う。『タダになったらどうするか』と」

刮目したいのは、「みな自分の店ですからな」の「の」の世界についてだ。曰く自分の店、自分の考え、自分の実顕地……。
この場合「の」は、「自分」が「店」「考え」「実顕地」に対して持つ関わりというか繋がりを示しているやに見える。どんな繋がりなんだろう? 自分は直接店の運営に関わっている覚えもないのに……。
「自分の店」だからこそ「タダの魚屋出しても決して取り合いにならない」。これこそ実顕地づくりの際に問題にされるべき「始めの一点」なのだという?!
実顕地という何か偉大な幻(まぼろし)に依存、隷属しない「自分の実顕地」とは……。

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わが一体の家族考(25)

革命は恋なのだ?!

きっかけは山岸会創設50周年を期して、2003年5月に開催された会の全国集会だった。何とか山岸巳代蔵の著作を世に発表し、広く研究材料として提供できないだろうか、という話がもちあがった。
そして翌年4月、「山岸巳代蔵全集」第一巻の発刊以来、2011年6月まで全集全七巻と資料編三巻を刊行することができた。
山岸巳代蔵全集

何しろ、生前の山岸巳代蔵を直接知る人も、年齢を重ねられている方が多く、今ふり返ればぎりぎりのタイミングだった。
幸いにも、うわさに聞く『正解ヤマギシズム全輯』など直筆の草稿が会員さんの倉の中から風呂敷包みのまま見つかったりするなど、多くの人の協力を得ることができた。
そしてその全貌が明らかになりつつある今、自分らが従来描いてきた山岸会運動のイメージを根底から書き換えなければならないのでは、と思えてきてしようがない。
「全集」発刊時に次のように書き記してみたことがある。

山岸巳代蔵の著作としてはさきに「特講」参加の時に手渡された研鑽資料『ヤマギシズム社会の実態―世界革命実践の書』がある。そして一週間参加者同士で資料の中の一句一節をああでもない、こうでもないと探り合ったことが懐かしく思い出される。
今にして思えば、あの書は「特講」の入門書というよりも幸福を願う人間の本当のあり方、人間社会の本来のあり方についての構想が凝縮されて画かれ、それに基づく様々な提案をほんとうにそうかと私たち一人一人が手探りで研鑽読みで検討し合う実践の時の始まりでもあった。
以後事ある時もない時もページを開くことで、望みもしなかった深い人生を探求できつつある。
ちなみに今世界中の耳目を集めるイラク問題も、「知的革命私案」の中の一節「アメリカに日本の心が掴めたら」の日本をイラクに置き換えてみたら案外簡単に事の真相と解決法が見えてくるものと確信する。
しかもここにきて山岸巳代蔵全集が刊行されるという。『ヤマギシズム社会の実態』の著作だけでも尽きせぬ宝が埋もれているのにまだまだ無尽蔵にあると想像するだけでその僥倖に目が眩む。
なかでも聞くところによれば、生前氏がこれこそ全人類への最大の贈り物として出版を急いだヤマギシズム恋愛、結婚観についての解明が含まれるという。
人生最大の幸福条件であり人生最大目標であると思われる恋愛、結婚について断定・断言のない研鑽文法で記述されたものだ。
論理的には成り立つようでも実証的には相一致するものがもっとも現れ難い男女の世界で、わざわざ研究するための実例を作ろうと思って作れるものではない世界で、真の結婚を求めて全人苦悩のない幸せに生きてもらいたいとする希いだけで、みずからその場に立たされて逃げ出さなかった実録研鑽資料でもあるという。
はたしてそこに込められた真意の一端をせめて逆解釈にならないように受けとめる資格が私にあるだろうか?
食べ物の場合だったら美味しく食べることで自ずと血となり肉になりするわけだが、本全集を完全に読み取り、そこに盛られた真意を会得するにはどうしたらよいのだろうか? 
つまり食物の消化の生理作用に見立てる要素さえきまれば、それこそどんな人にも通じ、分かり、どんな人をも溶かしていって、人間観念界も自然の理と同じようになるはずだ。そんな研鑽解読法の実証が世界中からまたれている。(「けんさん」2004年4月)

ここでも触れているが、どうも「男・女」の愛情問題をめぐっての解明を欠いては理想社会実現への道程はぜったいに辿れないのではなかろうか。そこからヤマギシズム運動を見直してみようとするものだ。
革命と愛情問題? いったいどんな関係があるというのだ? 
そういえば山岸巳代蔵も、革命提案の弁として「かなわぬ恋ではなかろうと、チョッピリ出した手がこの知的革命案です」と粋なことを言っている。革命は恋なのだ?!

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わが一体の家族考(24)

「わが一体の家族」へ

さきに山岸会が発足してすぐの山岸巳代蔵の著作『獣性より真の人間性へ』は「万象悉く流れ、移り行く」という一節から始まったと記した。この一節に込めた山岸巳代蔵の心情にくり返し思いめぐらしてみる。

自分の知る範囲内では、文豪ゲーテの戯曲『ファウスト』の最終場面にそれは重なるかのようだ。
ゲーテ

森鴎外始めいろんな人の訳があるが、在野の思想家・教育者富永半次郎(1883-1965)訳が実にいい。

【神秘の合唱】
ものみなのうつろふからに
さなからに色とりどりにうつるなる
かけてしも思はぬことの
ここに起き
ことばにも筆にも堪えぬこと
ここになる
とこおとめおとめさひすとなよよかに
われらひかれてをとこさひすも

とある。
なかでも「とこおとめおとめさひすとなよよかに、われらひかれてをとこさひすも」との七五調の訳がじつに味わい深い。
ちなみに森鴎外は「永遠に女性なるもの、我等を引きて往かしむ」と、高橋義孝は「永遠にして女性的なるもの、われらを引きて昇らしむ」と、池内紀は「くおんのおんなが、われらをみちびく」と訳している。

ゲーテの形態学に魅せられた解剖学者三木成夫(1925-1987)に、次のような一節がある。
「これら森羅万象の悉くを宇宙根原のかたち――まさに宇宙の原形そのもの――の色とりどりのMetamorphose(変容、変態、変身―引用者注)として眺める……と言う処に迄行きつく。原形体得のそれはひとつの究極の姿と言ったものであろう。
ひとびとはこの宇宙の原形を在る時は「kosmos」と呼び、また在る時は「天」と呼ぶ。ファウストを完結させる“Das Ewigweibliche(永遠の女性)”の表現は、まさしく、こうした万物生成の天然の姿を、いわゆる大地母Magna Materのそれに託して披露した、それは文字通り〝根原秘奥への賛歌〟と見られるものであろうか……」(『人間生命の誕生』)

「山岸会事件」で指名手配中、山岸巳代蔵の潜伏先での口述筆記録にある、互いに相手なくしては生きてゆけないという愛の作用、
「一つにしても陰陽がある。男、女、花、太陽(極同士の接触)(愛の表現、極致)」
といった一節とも重なり合い響き合うようでじつに興味深いのだ。

当てずっぽうな物言いになるかも知れないが、かのゲーテが生涯とらえて離すことのなかった世界、山岸巳代蔵の「万象悉く流れ、移り行く」の中でのみ求められる「ほんとのほんと」と呼べる世界、の解明のなかにこそ、自分らがこの間追い求めてきた「秘められた実態の把握」に繋がるものがあるのではなかろうか。
ふと、あの千石さんのコトバが浮かぶ。

「人間という存在の現実は男と女です」
「真の家族の原点は、男が女を一体として愛するという愛の行為にある」
「夫と妻の素晴らしさは、一体の人格を発見するところにある」
「男の伝えることを受けとめる人格が女。男は女を愛し、女はその愛を受けとめる」
「男にとって女は自分」
「他者の中に自己を見る」(わが一体の家族考15)

山岸巳代蔵を始めこれら先達諸氏の未だ自分には謎めいたコトバは、共通して人間の中の「男と女」に、「人間」であるという本質的なものと「異性」であるという本質的なものとの両方を見極めようとしているかのようだ。
どういうこと?
一言でいうと、未だ生きられていない「男女の性」の世界をベースにして本質的な人と人との繋がりの世界で生きようというのかなぁ……。
とまれ本題である「わが一体の家族」へと分け入っていこう。

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わが一体の家族考(23)

あおくんときいろちゃん

そういえば皇后・美智子さまの著書『橋をかける 子供時代の読書の思い出』のなかに、レオ・レオニの絵本『あおくんときいろちゃん』にも触れられている。
あおくんときいろちゃん

ただの青色と黄色のちぎり絵というかにじみ絵の抽象的な顔も手もない色のかたちが、ページをめくっていくうちに「あおくんときいろちゃん」の生き生きしたこころが浮かびあがってきて気持ちが温かくなる不思議な絵本だ。
ストーリーはいたってシンプルだ。

あおくんときいろちゃんは一番の仲良し。ある日、あおくんはきいろちゃんと遊びたくなって、あちこち探し回ってようやく出会う。二人は、「もう うれしくて うれしくて」抱き合って喜ぶうちに、とうとう緑色になってしまう!
でもそのままそれぞれの家に帰ると、パパとママに「うちの子じゃないよ」といわれてしまう。
二人は悲しくなって泣いて泣いて全部涙になってしまう。
すると青の涙はあおくんに、黄色の涙はきいろちゃんになる!
そこではじめて「ぱぱにも ままにも やっと わけが わかり」、「おやたちも うれしくて やっぱり みどりに なりました」

ヤマギシズムでいう「一体」のイメージがそのまま浮かびあがってくる絵本だ。
あおくんときいろちゃんの「もう うれしくて うれしくて」のこころに想いをはせていると、おのずと以前研鑽した「実顕地用養鶏法研鑽会資料」の一節

「その人の言う通りやろうとすることはその人になることでその人の心になることで方法のみを真似するわけではない。
一体になろうとするもので一体とは無我執である。その通りやれるかやれないかはわからないけれど、信じないで言う人の気持ちになってやってみようとするもので、……」(わが一体の家族考16)

とも重なってくるようなのだ。 
「みどり」の世界を知るもの、幸いなれ。

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わが一体の家族考(22)

両方に橋が架かる

あの始まりの、2000年前後のまったく先が見えず誰に頼る人もなく、悩み苦しんだ、もうどうにもならなくなった途端、ふと一瞬のうちによみがえり、こみ上げてくる心の琴線に触れるものがあった。
これって、いったい何なんだろう?
それも自分の思いや考えの先に立ちあらわれたのではなく、突然一方的に思いもかけず湧き上がってきたのだ。
しかもその世界に抱擁(つつ)まれては癒やされ、温まり、元気が出た。
この感触、この感じって、いったい何なんだろうか?
よく聞かれる言葉にスポーツなどで「ため」を作るというのがある。「腰のため」とか……。自分の場合は、あの琴線に触れたときのいわく言いがたい感じを「ため」を作るというイメージに重ねてみるのだった。
すると琴線に触れるものがよりリアルなものとしてイメージされてくるのだった。自分のものとして、自分の実感として確かな手触りをともなって琴線に触れるものが捉まえられてきたのだ。

「地獄の八丁目、即極楽の八丁目
窮まる所 必ず展(ひら)ける」

ともいう。
ここでの「即」とは、今あるままでの「即ち」とか「ただちに」「今直ぐ」「その場で」の急転直下、どんでん返しを意味する。底が抜けるというか……。あの「繋がりを知る精神」(わが一体の家族考17)にタッチしたような……。
そこに今までの自分が見えだすと共に、ここに於いて「我執のない自分」を発見するのだ! 
両方に橋が架かった瞬間だった。
しかもそこから今までの自分と我執のない自分の両方に橋が架けられると、思わず展(ひら)けてくるものがあった。
「何でも二つある」から「二つの事実」に、そして「二つの心」という概念に至るまでは指呼の間であった。
このあたりについては、以前にも紹介した一文を再度記してみる。

「『人間、腹立つのが当り前』と思ってる間は、怒りすら取れなんだ。本当に真なるものが見える立場から見たら、『絶対に腹立たん立場に立てる』というところからきての究明で、怒りは取れるし、我のあった人が我が取れて楽になれる。そういう目標に立って究明せんと」(山岸巳代蔵)

山岸会の体験は私の人生の出発点であったという宗教学者・島田裕巳さんは、何冊かの自著で一週間の『特講』とりわけ「怒り研鑚」会の醍醐味の一端に触れている。

「私はしだいに、答えることばを失っていった。(略)会場の空気は重苦しいものに変わり、沈黙が続くことが多くなった。(略)
私は自分がなぜこんな目にあわなければならないのか理解に苦しんでいた。(略)しかし脱出のための糸口は、なかなか見えてこなかったのである。(略)
ところが参加者のなかに、自力で脱出口を見い出した人間がいた。(略)
彼女の発言を聞いて、体の奥からなにか暖かいものがこみ上げてくるようにさえ感じられたのである。私は解放感を味わっていた」(『イニシエーションとしての宗教学』)

こうした解放感が一個人のマイナーな閾を超えて、誰にとっても普遍性の感覚にまで至らしめたい。こうした場でしか「真に分かり合う」ことはないのだし、そこはまた自分らの生きる場所でもあるのだ、と。

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わが一体の家族考(21)

何でも二つある!

ある日の研鑚会は、理想社会を組織する原則としての「自由・平等」での平等についての「希望があるから全部そうするでなく、資格が問題」のテーマに続いて次のようなテーマで研鑽した。

「食べたいから食べるのと、食べなくともよいが食べるのと、何でも二つある」(『山岸巳代蔵全集6』所収)

エッ!?、食べたいから食べるのでしょう、と驚愕した。いったい「食べなくともよいが食べる」ってどんな世界? “武士は食わねど高楊枝”のやせ我慢の世界? それとも「清貧」の世界?
食べる資格あるかなーと問われるテーマなのだという!?

世の多くの人は皆、「食べたいから食べる」世界の一つしか知らない。そうか、それで一つしか知らない人はしんどい思いをくり返すのだなぁと、何でも二つあることを知ることの大きさを諭された。
反対か賛成か、EU離脱か残留か、有罪か無罪かといった二律背反や二項対立・対抗から統一に向かう二つでない「二つある」についてのことだ。

それにしても「何でも二つある」って、面白い味わい深い表現だなぁとつくづく思う。
そういえば、ヤマギシでいう「二つの幸福での幸福感と真の幸福」も「思い考えと事実の異い」も「失敗型と成功型」も「共同と一体の異い」も「宗教と研鑽」も「暗く見る観方と事実その中で強い自分を見いだす二つの逆の考え方」も「理念からくる観念と理に反してもよいとする観念」も「頭で考えるとこころで感じる」も皆二つあるなぁと思いあたることばかりだ。
なかでも「二つの事実」の体験は自分自身の考え方・生き方を決定づけるものだ。
こういうことだ。

1980年代ヤマギシの有精卵の増産要請が一気に高まり、暑さや産み疲れや病気に負けない頑健な消化器の鶏体造りをねらって大量の青草やモミガラや焼酎粕のような食品副産物・廃物の活用もかねた給与を始めたことがあった。
ある日の鶏や豚や牛の飼料専門研鑽会で「ヤマギシズムでは餌代が安いほど鶏が健康に育つ」と聞いたのだ。
その時は、原因と結果を逆さまにしたような表現にオカシミを感じつつ、何はともあれ、軽率にそうか安ければよいのかと、ある時単価の安い粗飼料を一度に多く給餌してみたのだ。
すると案の定、鶏を痩せさせて皆の顰蹙(ひんしゅく)をかった。
まさに「粗飼料を与えて鶏の飼養出来ない技術者は、経済環境適性試験にパス出来ないでしょう」とか「粗飼料を用いるにはそれに合う飼養法によらねばなりません」との一節がそのまま自分に突き刺さってきて打ちのめされた。
いったい自分の何が間違っていたのか?

確かによくよく観れば、例えばモミガラ一つとっても、こんな栄養もなく消化しにくい硝子繊維の固まりが餌になるとはとても思えない。
もみがら

事実食べ残しの餌を捨てる餌箱掃除で忙しくなり、しかも下痢便の鶏が続出したりでモミガラは厄介者にしか見えなかった。反面またウイスキーを製造する際の液体粕とモミガラを組み合わせて給与してやると、なぜか鶏が喜んで食べつくす事実もあった。
モミガラは食べ残す、食べないという事実に対して、よく食べる、食べ残さない、という事実もある。
このモミガラを食べさすという小さな一事に、二つの事実がある? それって、どういうこと? とても不思議なことに思えた。人生上超難問題に取り憑かれた気分がつづいた。

ともあれこうした「何でも二つある」というか「二つの事実」を知る研鑽機会や実体験が通奏低音となって、この間脳裏によぎった
「琴線に触れるような体験の先に自分らの『ヤマギシズム』が立ちあらわれてくる」
「自分がヤマギシズムになる」
「理念と自分との間に橋を架ける」
など荒唐無稽にみえたテーマに向き合えてこれたのである。

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わが一体の家族考(20)

心の琴線に触れる

たしか「心の琴線」という言葉を最初に意識したのは、1985年4月26日付の「西日本新聞」のコラムであった。そこに毎年5月3日に開催されていたヤマギシの春まつりが紹介されていた。
散財まつり

「散財まつり」――春の風や花びらといっしょに、楽しい便りが郵便箱へ入ってくる。外国からの絵はがきや、仲間の詩集や、映画の案内状や、なかにヤマギシズム春まつりの案内がひときわ目をひいた。ことしのテーマは「散財」とある。三重県新堂駅周辺で大規模に開かれる春まつりでの店はすべてタダ、金もうけ、商売を忘れて参加されたいとうたっている。
「散財」とは奇抜なアピールだが、考えてみれば私たちはため込むことが生きがいのように働き続けてきた。お金ばかりか、土地、家、衣類、宝石、家具、本、これでもかこれでもかと取り込んで放さない。個人だけでなく、家族も、会社も、国家も血まなこで蓄え続けていく。
それを裏返せば、将来への不安や、人間社会への不信が少なからず根底にあることに気づく。
アピールは「ため込み、囲い合う生き方は自分以外のだれをも敵とし、周囲と対立する考え方から生じてくる。苦しみや不幸の芽は、すべてそこから伸び広がる」とする。だから「散財」することで、ため、囲う生き方を、放つ生き方に転換し、放つことの豊かさを味わおうと意気けん高である。
きっと、この大らかな「散財まつり」は人の心の琴線を揺するに違いない。ヤマギシズムへの賛否は別にして、個人も国家もこの提案に耳を傾けてよかろう。(T)

懐かしいなあ。毎年まつりの一ヶ月ぐらい前から会場設営などに没頭したことがよみがえってくる。
しかもこの10年は「心の琴線に触れる」とか「琴線に触れるものがある。それはどういうものか?」を問いつづけている。
自分のなかにこの辺りがより明確になると、世界は一変するのではないかという何か心当たりがあるからだ。
先日もネット『言葉のあしあと』で次のような一節に出会った。

『琴線』
「心の琴線に触れるメロディ」という表現をよく聞く。
この「琴線」、文字通り琴の糸、弦楽器の弦のことであるが、
「心の琴線」とは一体どういう意味だろうか?
「琴線」は"heartstrings"の訳であり、古代解剖学で心臓を包み支える腱(神経)と考えられたもの。
古くは「心弦」「心糸」と訳されていた。
人の心には、琴の糸のように共鳴するメカニズムが備わっていて、その糸に触れると感情を動かされると考えられていたことから、心の奥底にある、微妙で感じやすい心情を「琴線」というようになった。
また、「心の琴線に触れる」というのは、各自の心中にある弦楽器の弦・琴の糸に触れることから転じて、読者や聴き手に大きな感動や共鳴を与えるという意味で使われる。
「心の琴線」は目に見えるものではありません。
けれど「心の琴線」を感じたことはあるのではないでしょうか。
その瞬間、胸が苦しくなる、涙があふれる、言葉に詰まる…
何とも言葉で表せない感情でいっぱいになります。
それが「心の琴線に触れる」瞬間なのではないでしょうか。

なぜか自分の思いをそのまま代弁してくれているようで、嬉しくなった。
なかでも『「琴線」は"heartstrings"の訳であり、古代解剖学で心臓を包み支える腱(神経)と考えられたもの』との一節は、
さきのサケの「生の営みを全うしたそれはそれは穏やかな心境」と人の場合の『「前進一路・無停頓の律動(リズム)」に由来する「こころ」に突き動かされての滲み出る情感のようなもの』とが、同質のものであることを実証しているかのようだ!?
五感からの知覚や一般常識観念などで意識する喜怒哀楽の心とは別に、もう一つのサケなど自然全人一体に繋がる「こころ」とも呼べるものが実在するのではないか。
みずからのささやかな琴線に触れる体験に、さまざまな知見からひたすら接近を試みている日々である。

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 「と」に立つ実践哲叢(16)

脱皮をくり返すための生活

ことわざに朝決めた事を夕方には変えてしまう、不安定で当てにならないことを「朝令暮改」という。だから以前研鑽資料で「朝変暮改」の一節に出会ってビックリした。

「わたくしの過ごしてきた五十年余を振り返ってみる時、その観方、考え方が一貫して変わらないものも多いが、これとていつ変わるかもわからなく、また一面、見損いや、間違いや、未熟・不合理な観方をしていたこともずいぶん多い。
朝変暮改というよりなお甚だしく、今先考えたこと、云ったことでも、すぐアトで思い直し、考え方が変わり、自分の見解を自分で打ち破るようなことを繰り返しています」(正解ヤマギシズム刊行に当たりて)

先にも記した「まさに『サイロ破壊の日々』」であってこそ当たり前なのかも知れない。
実顕地とは、垣根や壁や囲いなど隔てるもののない理念に基づいて編み出された完全専門分業での生活様式の一つである。それはまた自分ら経験なり実績が上がっていく程たまってくる、この垢ともいうべき固定観念のトリコになっている自分からの脱皮をくり返すための生活様式にも見えてくる。
そのままにしておけば、人間生活は常に保守的傾向になりやすい。古今既成の人間社会集団につきものの支配欲・征服欲・各種権力などの発生もこの辺りに原因がありそうだ。

例えば数年前に、それまでの別棟に分けられていた村人用の「生活窓口」と「法人窓口」を止めて、窓口を一箇所にしてみたことがある。
窓口一箇所で実顕地に住む人の要望を受けて、窓口の側で用途別に仕分ける業務を受けもったのである。するとお役所のようなたらい回しがなくなった!
もちろんそれまでの窓口が別棟に分けられていたのには、それなりの深いワケがあった。

この間の実顕地づくりをふり返ってみても初期の頃は何もかもゴッチャ混ぜの日々で、作業服と長靴での食事も当たり前。ようやく一段落した頃に皆で取り組んだテーマの一つに、
「整理分類は研鑚生活の一つ」があった。
分類という視点から探っていこうというのだ。
分けて考えることによって、それまで他の観念などを混線・混入して複雑に考えすぎてよく観えなかったものが、はっきり観えてきた! 目からうろこだった。
自分の考え方や親と子、男と女の分類から始まり、実際的にも分けていくことで暮らし全般の純粋化をもはかろうとしたのだ。
ところがそこから「お役所のようなたらい回し」現象が生まれてきた!?

知らず知らずに分けてある立場からの「立場の人間」になってしまうのか、つい威張りたくなる!?
とりわけ窓口業務は、お金も扱い、情報が集約されたり、いろんな事情も見える位置にある。
病院に例えれば、患者はいつもお医者さんよりは弱い立場だ。そこを患者の側から、
つまり自分が窓口を使って実顕地づくりをすすめる一環として、「窓口業務」をひっくり返して元に戻してみたのであった。

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