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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(168)

呪縛からの開放

こういうことだろうか。
例えば一週間の「特講」の終わり頃に、〝絵図研鑽〟をやる。
特講絵図

この絵図は、第一回特講(1956.1.12)開催日の明け方までかかって山岸巳代蔵が息子の純(日本画家1930-2000年)に描かせたものだ。左側に理想社会を現し、右側に現実社会を現すような政治家や僧侶や学者や酒を酌み交わす人らが描かれている。当日までかかったのも女の人が全てを放して〝ポンと飛び込む〟姿が思うように描けない。とうとうそこだけ山岸巳代蔵が描いてやっと間に合わせたのだという。
いわゆる理想と現実の世界をありのままに対照的に描いたものなのだろうが、皆で一週間の研鑽を経ての〝絵図研鑽〟の段階では、左側の花園での男女の語らいの姿などが妙に生々しく感じられるのか今すぐにも裸身で飛び込んでいきたい気持ちの自分に気づかされる。きっと誰もがそう感じるにちがいない。
現実よりも理想の世界の方がリアルに感じられた不思議な体験だった。

自問自答の始まりだった。その後、しばしばヤマギシズム(理念)と現実との相一致しない様々な矛盾に直面するにつけ、理念と現実の世界とはどんな関係にあるのかと考え込まずにはいられなかった。

○そもそも理想を描き、その理想実現に生きがいを感じるとは? 
○心底面白いからやっているだろうか?
○理想を唱え、追い求めることはただの幻想やロマンにすぎないのではないのか。なぜならこれまでのすべての理想実現の試みは、愚劣な失敗例と挫折例しか生まなかったではないか。
○理想を追い求めることが、何時しか日常行動からくる環境に押し流されてか観念的理想論に終わるのはなぜなのか?
○ヤマギシズム(理念)に即応するというか直結する生き方(生活)はどうしたら可能なのだろうか?
○理想を自己の生活に日常化しない限り、押し流されるだけだ。つまりそこでの生活・経済・生産活動その他が理想と直結した生活体とすることだ。
○そんなことが現実的に可能なのか? 窮屈で息苦しいだけではないのか?
○では〝理想は方法に依って実現し得る〟ならば、その最善の方法とは何のことを指すのだろうか? 
○その理想への出発点に立つとは?
○センジつめると、ヤマギシズム(理念)を生きるということになるのだろうか。
○そこまで行かねばならないのか? 凡人の自分には絶対無理な話ではないのか。

ふと以前実施されていた「ヤマギシズム無期研鑽学校」のことが思い出される。
当然無期というからには、何時実顕地に帰れるか決まっていない。なかには数ヶ月にも及ぶ人もいる。そこでの上昇点となる目安は「もうだいぶ研鑽して深まったなあ」という自信めいた気持ちから「自分はもうちょいと賢いと思っていたが、まだまだ。容易でないなあ」という謙虚な気持ちに切り替わったその時にあった。なぜか不思議とそんな頃合いに実顕地に戻されるのだった。
その絶妙のタイミングに人智を越えたものを感じてしまうのだ。

そこからあの理念と現実とのズレ“理で虎に食われるを説いて、虎を退治しようとして、虎に食われなかった自分……”のそうもいかない不思議な謎を解明する手がかりが見つかりそうなのだ。そうした呪縛からの開放のヒントになるものが。
なぜあえて自分は、ヤマギシズム(理念)と現実を無理やり結びつけようと悪戦苦闘しているのだろうか? 本来良い悪いなどと比べられるものだろうか?

そうか、ふと自分が理想そのもの・〝ヤマギシズム〟になったらいい? との思いがわいた。自分が〝ヤマギシズム〟を勉強したり近づこうとしないで、理想・〝ヤマギシズム〟と同じ位置に立つというか、そこを生きることだ! 
するとあの絵図が、これまでとは違った生き生きとした姿で目に映り始めてきた。

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わが一体の家族考(167)

捨身飼虎(しゃしんしこ)
玉虫厨子 捨身飼虎図(部分)

先の山岸巳代蔵の〝我執の前の我〟の気づきから、〝理屈抜きで、ポンと夫婦の本質の中へ入る〟即断即決の次元の〈転換〉という出来事にもっともっと近づいてみよう。
このことは恋愛・結婚観にとどまらず、政治・経済・社会・人生問題及びその他凡てに相共通していく質のものにちがいない。あらゆる難問題を解く方程式がここにあると直覚するのだ。
今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目していることにある。それゆえ謂わば〝平和のために戦争し、神に祈って爆弾を恵む〟呪縛から逃れられないでいる。
この間山岸巳代蔵は自らをまな板に乗せて、血みどろになって本当の恋愛・結婚の実践の場で邪道へ落ち込みながらも、よく逃げ出さず、ヘトヘトになりながらも、理論と実際とのジレンマを脱け出す、すなわち誰でも容易く真の結婚の楽園へ入れる鍵を発見したのだった! 
理論と実際とのジレンマ、それは

“真なるものには、悩み・苦しみはないのが本当だと思う。ヤマギシズムにこうした苦しみがあるということはなぜだろうか。”

といった、ヤマギシズム(理念)と現実との相一致しない矛盾に宿る〝割り切れなさ〟の究明から始まった。
それが〝割り切れた〟のだった! 
その時の発見の歓びを、結婚資格のなかった自らに疎(おろそ)かであった反省の意味を込めて、あの釈迦が前世に飢えた虎の親子と出会い、我が身を投げ出して食わせ、虎の母子(生後間もない子7頭)を救う話に重ねる。

“ついに発見されたキー。理で虎に食われるを説いて、虎を退治しようとして、虎に食われなかった自分……”(「結婚を研鑽(真の科学)する」)

それがなんと〝理屈抜きで、ポンと夫婦の本質の中へ入る〟いや〝意識なくして入っているもの〟からもたらされる境地を如実に実感するのだった。そこへ、もういよいよ入れる段階にきたというのだ。
いったいここのどこに難問題を解く方程式が秘められてあるというのだろうか?
まず一つ言えることは、難問題を解く鍵を〝恋愛・結婚問題〟に見出したところにある。本人の弁を借りれば、怒りの発生しない方法を考案したりして大抵の悩みや心の苦しみは起こらないから問題にならなかったが、予期しないのに起こった本当の恋愛の実践の場では何の役にも立たなかったからである。
こうした〝煉獄の試練〟をくぐり抜けない限りホンモノは姿を現さないものらしい。
かつてマルクスは『経哲草稿』(1844年)で、〝人間の人間にたいする直接的な、自然的な、必然的な関係は、男性の女性にたいする関係である〟と書いている。本稿のメインテーマ「イェニーさん問題」(わが一体の家族考133)にも通底しているはずだ。
自分らの身替わりとなった山岸巳代蔵のぎりぎりの体験から見出された問答無用の次元の〈転換〉ともいうべき出来事にここまで心惹かれるゆえんである。

あの〝我執の前の我〟の段階での柔和子をなんとかしてやろうとする取り組みと、夫婦は一つのものやから、一つになって解決することやし、楽しい状態で解決するのが本当だとする世界は本来まったく別の世界の出来事であるらしい。
現実とヤマギシズムとの相一致しない矛盾に宿る〝割り切れなさ〟とは、そこを無理やり一足飛びに行こうとする自己盲信的な混線から来るものだった。
それが〝割り切れた〟とは、私が見た、私が聞いた、私がこう思ったなどの中に潜在する危ない我の段階のテーマと

“「私の考えは、これ盲信やないやろかな」、「いや、盲信やと決めておいてもいいくらいやけども、そこ決めるのがまた、盲信からくるのやろうかな」と思ったら、あまり突っ張らないわね。どっちもすると本当に検べてみようと、どちらも盲信かも分からない人同士がね。そうなってくるから楽になって、一体になって話が出来る。”

テーマとに截然と区別されるようになったからなのだ。ホンモノ・本質・本当のものというのは比較しようもないもの。目が覚める思いだった。パッと胸に灯が点った。見るもの聞く声皆快く飛び込んできた。

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わが一体の家族考(166)

その我執の前の我
ポンと飛び込む

いったい山岸巳代蔵の中での気づき〝夫婦は一つのものだから楽しい状態で一つになって解決するのが本当〟だとする、どんな心境の大転回があったのだろうか。いったい何によぎられることで〝どっちにあるとかでなしに、至らないのは二人のもの〟のままに、問答無用サッと飛び込むだけのことで、するともう問題ないのだといえるのだろうか?
ここでの飛躍・転換の機微こそまさにヤマギシズムの真骨頂だ。のちの〝現状そのまま、その場で一体生活に融合できる〟ヤマギシズム生活実見地構想の具現方式につながっていく。
幸いにも先の研鑚会記録「編輯計画打合せ」(1960.3.6)の直前に山岸巳代蔵の口述筆記とテープ起こしで構成された文章「喜びの感想」(1960.2.27)が遺されている。
そこでは、ここ二、三日来「盲信」のことについて書きかけていて、今朝も夜明け四、五枚書いた時も、深い深いどっしりとした大きな海のような喜びが湧いてきたから始まり、

“もう、盲信さえなくなったら、みんな盲信やないやろかと、こう思った途端にやね、パッと胸に灯が点ったんや。『えらいことや』、『こら、大発見やな』と言うてもよいの。盲信という言葉は昔からあるのよ。けども、こんなことに使われ、研鑽に盲信という言葉使った時に、こんなにも人を幸いにするもんかと思ったらね。もうそら、そんなん嬉しいというような程度のものでない。
全人世界のね、底なる、目に見えない、心の底なる、目に見えない、一番肝腎の部分のね、これは剔り出しやと思うの、閉め出し、盲信の。もう、みんな仕合せ、ここから来るのやと思うの。みんな仲良うなれる、ウン、そう思ってね”

と発見の喜びの感想が記されている。
いったいどこが大発見なのか?
この間の柔和子との際限ない〝通じ合えない〟やり取りが続いた。人間仲良く暮らすには、我執があったらアカンとして、あの強硬な我抜き研鑽で柔和子を苦しめた。もう命がなくなるほど苦しめた。なぜなら、最も近い、最も可愛い愛するからこそ、早くあの固い固い自信を拭いてもらおうと。そしたら柔和子は楽になると。柔和子さえ分かってくれたらとの強い願いからだった。こう言い続けてやってきた自分があった。

たしか昨年(1959年)9月末頃、ようやく潜伏先として滋賀県堅田の「引揚者」住宅四軒長屋の続きの二軒を購入して落ち着いたばかりのしかし何時逮捕されるか分からない不安な日々の中で、自らを省みるような手紙を柔和子に寄せている。要約してみる。

この間の随分むごい剛我抜き、私の愛情の混乱から起こる狂態等で、すまないことをしてきた。そんな今までの自分を恥じる・詫びたい・それらの償いをしなければ、死ぬに死ねない衝動にかり立てられている。
話せば分かる。僕も柔和子になりきって聞くから、本当の僕になりきって聞いて欲しい、知って欲しい。
これからは二人の一体で、同じ二人が一つになれてから、仲よくほのぼのの気分で問題を解いてゆきたい。僕の苦しみは柔和子に原因があったのでなく、僕自身の心の世界にあったわけで、自分は本当に我執が抜けていない証拠だった。そんな未熟な自分を痛感している……云々。

それが今、盲信を研鑽することで、我執抜きは一切せんでもよいこと分かったのだ!

“わあー、なんとねー。安心したんよ。もうこれでね、柔和子ともね、ピッタリいける。ウン、盲信研鑽さえやったらね。けんかも全部、笑いながら、「それ、盲信やないやろか」、「ああ、あんたの言うてんの、盲信違うやろか」、「ああなるほど、あんたこない言うてたけど、これ何やったやろ」、こうやれるわね。すると、「ほんなら検べてみよう」って、「ワシの方も盲信か分からん」、「あんたのも盲信か分からん」、「そんなら検べてみよう」と、こうなるからね。もう笑い話で溶けるということ。仲良う楽しいいけるということが分かってきたのよ。”

その我執の前の我、「自分の考えは」というその中に、柔和子の自信を拭いてもらおうとする固い固い自己信念が宿っていたことに気づいたのだ。

“「これは我でありませんよ」と、すぐ引っこめるものね、突っ張らないもの。「私はこう思う。だが、これをこうだと信じておりませんよ」と言いながらでも、発言する中に、何か人から受けたか、何かから受けた、自分の考えからね、考える中にね、盲信したものから来ているものが相当あるということ。”

この発見は、山岸巳代蔵一流の大げさに飛躍した発言に過ぎないものだろうか。
その〝我執の前の我〟というか、我執が抜けたすぐそこへ「分かった」とする自分の考えがふと入る、そんな盲信を研鑽することによって浮かび上がって来た観念の前の、

“えらい段階へポンと来た、入った。これならもう、本当に楽しい話し合いが出来る。”

とする、〝もう笑い話で溶ける〟世界からもたらされる境地を実感するのだった。
難問題を解く方程式を発見したのだ!

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「と」に立つ実践哲叢(44)

愉快の幾千万倍の気持ち
高倉健

ヤマギシ会の第一回〝特講〟(昭和31年1月)が開催された翌年9月、会の全国大会で山岸さんは講演している。要約してみる。

「二人の知的障害の子を持って悩みに悩んでいたお母さんが、一週間の〝特講〟で、この二人の子がいたがゆえに、こんな幸せな境地へ入れた。その日から、その時間から、その瞬間から愉快になってしまったと言う。
それもただの〝愉快〟ではない。愉快の幾千万倍、なんかしら愉快な状態、いつでもウキウキした状態になった。
そういうお母さん、この一人がそうなったら、たくさんの知的障害を持った子の親たちが続々そうなってくるということですネ。
その子ばっかりにとらわれていたのに、その子どもを放っといて駆け回る。その子を放したら、その子がすくすくと育つ。この子はダメだ、と思っていたのに、〝こりゃいけるぞ、落ち着いてきたナ、からだも伸びてきたナ、知恵が何やら無いと思っていたけど、チョイチョイ知恵が出てきたナ〟、こういう状態になるらしい。」

自分の心の内にキメつけている観念が抜けたハッと開ける一瞬。これこそ自分らがあの特講で味わった世界でもある。
それにしても〝愉快の幾千万倍の気持ち〟ってどんな気持ち? 山岸さん一流の大げさに飛躍した物言いなんだろうか?
そんな〝家も、子どもも放っておいて、自分さえ愉快だったら、そらいいわナ〟と引っかかる人の気持ちをも見越してか言う。

「大変なことが起きたようなことでも、大変なこととは思わない。〝アラ、いい調子だナ〟、〝ひと仕事できてきたナ〟、こういうふうになれた自分。このときに〝よい調子になってきたナ〟と思おうと思わないのに、ワザワザこんな面倒なこと思わないのに、〝ああ、これは面白いことだナ〟と思えたらよいの。思う思わんでなしに、そういう状態になって、それに飛び込んでゆける私になったらよいと思う。」

ここでの我が子を放したお母さんの眼には、きっと我が子を超えたものが映っているにちがいない。えーっ! それってなに?
今まで〝不幸だ、不幸だ〟と思っていたお母さんが、この二人の子がいたから、こんな幸せな境地へ入れた。そこから〝愉快の幾千万倍の気持ち〟が湧いてきたのだと言う。そのことはすくすく育つ子らと共に力強く生きている〝喜びの自分〟をそこに発見したからではないだろうか。
ふと題名に惹かれた俳優・高倉健の『あなたに褒められたくて』の一節が思い浮ぶ。

「お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青を描れて、返り血浴びて、(略)三十数年駆け続けてこれました。」

知的障害の子がいたがゆえに幸せな境地へ入れたお母さん。あの母(ひと)に褒められたい一心でやってきた健さん。そこに見出された〝喜びの自分〟の中の〝あなた〟を想う。 

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わが一体の家族考(165)

ポンと夫婦の本質の中へ

もちろん山岸巳代蔵をして〝最も知性的で、「何でも理智で割り切らねば承知せん」といった女性〟と言わしめる柔和子は、おとなしく納得しては引き下がらない。なにせ二人のレベルは最も相合うという観点からも拮抗しているのだ。
たしかに大乗的観方からすれば、そういう具合に言ったらそう言えるとして、

柔和子 違うの。「もういい」と、「アーア」と言われると同時に、こちらも言いたいのよ、同時に。(略)私の場合恐怖心が入ってくる。ここを違うと言いたいのよ。(略)
そこで本当の恐怖心取り除けた私なら、あなたが「アーア」と言う時、私も「アーア」と言って、そらどっちがどっちとも言えへんやろと思うわ。”

と、過去に山岸巳代蔵から受けた気違いじみた無理難題・剛我抜きの数々を〝恐怖心〟として浮かび上がらせる。
どこまでも、〝恐怖心〟が湧いた時の〝そうなれなかった場合〟を問題にする。
こうした硬直状態から脱け出すことが可能になる時の上昇点はどこに?

山岸 だからよ、だから、そやないわな。その段階でなしに、も一つあんたがどうしたらどうかとか、いたわり合うとか、自分で整理しようとか、そういうものの要らない段階へ飛び込んでしまいたいのよね。そうしたら割合楽なと思うの、これは。
柔和子 私もそうなりたいわ。
山岸 それが本当の夫婦のあり方やと思う。そやと思うのよ。私が整理せんならんとか、あんたがどやとか、そういうものの問答無用のね。問答無用やと思うわ、そういうものの起らない状態にね、本当の夫婦の状態に入り込んでしまえる、そのとこへきたように思うけどね。飛び込むだけのことやと思う。すると、もう問題ないわねー。”

一気に視界が広がる。
しかし柔和子にはそこのところが今なお納得いかない。

“そういう場合に、「ここになったらもうこれでいいんじゃないか」、「ここまできたらこんなにして飛び込んだらいいんじゃないか」、それを「まだこんなことして」と、こう言わないで、「ああそうか、あんなふうに努力していても、まだこんな段階にいるのかな、早く来たらいいと思うがな、だがそんなもんかな」と、こういう緩みというか、これが私は欲しいなと思うの。”

“和気藹々と進みたいの。その時に「飛び込んだらいいやないか」と、この言葉は、私はね、どこから出る言葉かと考える。「飛び込んだらいいやないか」と考える人よ、思う人が、どこを指して言ってるのかという気がする。「飛び込んだらいいのに、なぜ飛び込まんのか、飛び込まんのか」と、その人が苦しむものね。この人自体は自分を見て言っているのか、相手を見て言っているのか、そこに私が「相手に求めないで」という言葉が出るのはね、相手を見て言っている。相手に、「ここに飛び込め」と言うものよ。或いは求める、そういうものを感じるね、私は、その場合に……。”

今一つ噛み合わない。食い違っている。底なしの井戸を掘っているようなものだ。どこでこの堂々巡りが吹っ切れるのか?

山岸 あのね、ちょっと聞いてほしいのよ。それがね、それを聞いて、自分が整理したり、修養したり、納得したりと、そういうもんでなしに、解明してでなしにね、その前にね、夫婦というものはこんな苦しいもんじゃないな、二人の中にあることで、或いは周囲に関係のあることならなおさらね。そうなれば、そんなもんに取り組んで苦しい状態でやらんならんのは、「こらあやしいぞ」と、「そんなもんやないな」、「楽しいはずやな」、夫婦は一つのものやから、一つになって解決することやし、楽しい状態で解決するのが本当や、「不愉快やな」、「苦しいな」と思ったら、サッと、ここだと思うの。それが先だと思うの。理屈はこれ抜きよ、本当の理屈やと思うの、それやと思うの
柔和子 分かるよ、それだと。
山岸 これは夫婦の間が基本で、その次はね、誰とでもやと思うの。
柔和子 そらもう、それだと思う。
山岸 それが、そしてあの、やはり本当の研鑽の基本だと思う。本当の姿、それやと思う。話し合いが、そういうやりとりは後にして、ちょっとでも不愉快やったら、「あっ、こんなはずない、夫婦仲良いはずや」と、「楽しいはずや」と、和気藹々のうちに話が進められるようにもっていく、そこへポンと。お互いにどっちがどうあろうともよ、筋はどうあろうとも、相手が騙そうが悪かろうが、騙されようがどうあろうが、或いは人が騙したと言われようがどうあろうが、そこへポンと入るのが、それではじめからずっといくのが本当やと思うの。僕は本当の夫婦のあり方やと思う、入るというより、それでいくのが本当やと思う。
柔和子 その通りやと思います。
山岸 それやろうやないか、そうしましょう。”

ここでの山岸巳代蔵の発言、〝それを聞いて、自分が整理したり、修養したり、納得したり、解明したり〟する普段自分だと思っている自分の〝前に〟ある〝本当の姿〟へまず飛び込んで、そしてそこから楽しい状態で夫婦共に〝やろうやないか〟というのだ! 
そこをまず〝先に〟二人して生きようというのだ! 個人として、社会人としてはその次でよいのだと……。
いきなりヤマギシズム恋愛・結婚観の核心に触れた感がする。

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わが一体の家族考(164)

二つで一つのもの
陽光射し込む

この間何度も二人して、「本当にあの時会わなきゃ良かったな」「俺は三鈷寺(柔和子と初めて出会った特講会場―引用者注)で会わなんだらなと思う」と関係を断ち切ろうとした場面が思い起こされる。

柔和子 そんな話を聞いてると、フッと疲れが出て、それがビーンと反射してくる。どっちも同時に疲れが出て、どっちも落ち込む。そしてまあ、十回のうち七回まで、結局私が機嫌をとるの、「もうやめましょうね」と。(略)
ところが、「もうよしましょうね」と言っているのに、「もうこの苦しみが、この苦しみが」と、相手が、「この苦しみを、この苦しみを」と泣き出すと、「あああ、あなただけじゃないわ」、いたわるのがあほらしくなってくる。こっちの苦しみも察してくれ、とこうなる。いいかげんにしてくれ、とこういうものが出てくる。(略)
山岸 だが、そこに機嫌をとり始めることについて、それまでにきてある状態よね。それを七回は私がとるということになると、それがちょっとね、非常に間違った方に自分自身が入っていくものやと思うの。二人の中に起きた出来事をどっちがどうであろうと、そやないと、お互いに相手を非難する場合に、相手を見やね、自分を分かろうとする時に自分を見ると、こういうものがそこから出るのやと思うの、そらもう同じものやと思うの。なだめる方、なだめられる方、同じものやと思うのよ。僕はそう思えるけど。”

ここで山岸巳代蔵はハッとするような言葉を発している。例えば〝二人の中に起きた出来事〟は〝なだめる方、なだめられる方、同じものやと思う〟と。
この間の〝私があなたの立場だったら〟とか〝俺が柔和子の立場になったら〟と突っ張り合う、間断のない苦しみにお互い責め苛まれる無間地獄から脱け出す兆しがそこに見られるのである!?
この辺りの山岸巳代蔵の発言をもう少し追ってみよう。

山岸 そこんとこ、双方から起ったもので、双方のものだと思う。そこに本当の夫婦の良さがあるんだと思うが。
「ここからよう言わない私や」とね、そういう考え方に入らずに、やはり二人のものや、二人一つのものや、どっちのと言うより、二つの入れ物に入れた水がつながっているように、「僕が至らぬ、あんたが出来てる」と言っても、それは、至らん、出来てる、二つで一つのものと思うの。”

山岸 いや、これはホントやと思うの、それをかれこれとそういう観方をするところに、いろんなもんが出てくるのやなかろうかと。なかろうかやぜ。”

山岸 だから双方至らないのよ。誰か原因作ったとしても、恐怖心が起るのは、至らないのよ。だからといって、そこへ甘えが出たらおかしいやろ。恐怖心が出る私やと、そんならこっちにしてみたら、それにも匹敵する、もっと言いたいが、同じものやと言いたいが、そういうものを感じながら、大変なことになるぞと思いながら、溜息が出るということの中に、いくつもあるということよ。本当に苦しくて仕方ない時もあるし、そういうものを含めて溜息が出るわね。別の意味のも出るわね、そやろ。これも至らないのよ。言うたら、至らないのがこっちにある、どっちにあるとかでなしに、至らないのは二人のものやと思うの。”

ここでの〝二つで一つ〟とか〝どっちにあるとかでなしに、至らないのは二人のもの〟という発言になぜかふっと一条の光が射し込んでくるような心のときめきを覚えるのだ。

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わが一体の家族考(163)

信じない思想家・山岸巳代蔵
四大聖人

続いて山岸巳代蔵と柔和子による研鑚会記録「編輯計画打合せ」(1960.3.6)を読んでみよう。
この記録は最初『正解ヤマギシズム全輯』の「全輯を通しての前ことば(試案)」を前述の奥村通哉さんが作成し、その一文を検討するところから始まる。山岸巳代蔵の方からは例えば次のような興味深い意見が入る。

○高い立場からのキメつけを持たない言葉遣いで。例えば「私のこれがいいのだ」でなしに「私もこんなふうに考えてみたがどうだろうか」と。現在のこれがまずいという感じを持たさんようにしたいと思う。
○古い、非科学的、無知な、幼稚な感じを持たせたら読まないと思う。
月の世界に行けない時代から行ける時代になっている。人間の観念界においてさえ、怒りの問題でも腹立つものとしていたところから人間の知恵で腹立たなくなってきたと。
○対象が中学生程度と言ったのは、あの時代は抽象的ないい加減なところでは承知しない。追究っていうか、究明欲がとてもあるから、「そうか」、「そうやったんか」、「そんならこれも出来る」と、こういう取り組む究明意欲が湧いてくるような……。
○ここの〝釈迦やキリストやソクラテスや孔子といった人々が生まれ、優れた方法を説いた〟が気に入らん。優れているか優れてへんか、そんな分からへんでね。実際はあんなもん出してくれたおかげで、えらいことになったんやで。それぞれの考えやろ?
あれから宗教が出来、盲信が出来たんやでね。そのために人類がいつまででもこんな馬鹿なことやっているのやでね。

として、「多くの人に永く影響を及ぼすような説を唱えた」に変えて進みながら、ヤマギシも

“ヤマギシ大聖人が出来たらアカン、宗教にしたら大変”

と強調する。
続いて、「人間同士がお互い仲良くしあって楽しい生活をしていくことに、人々の目は大いに開かれた時代もあったでしょう」の一節が検討され、

“「仲良く楽しく」はまだ早いと思う。本当の生き方やね。「仲良く楽しく」を早く出すのは、なんや甘いように思う。本当の生き方を、あれは究明したものだから。始めから「仲良く楽しく」を出すと、宗教的に受け取られる。”

として、「ずいぶんと野蛮な(原始的と言われる)時代が永く続いてきた後に、釈迦やキリストやソクラテスや孔子といった人々が生まれ、すぐれた方法を説いたので(多くの人に永く影響を及ぼすような説を唱えたので)、人間同士がお互い仲良くしあって楽しい生活をしていくことに(の本当の生き方についてかなり究明し)、人々の目は大いに開かれた時代もあったでしょう(だろう)が、」
といった研鑽形態の表現、〝研鑽文法〟の記述に変えられていく。

ここで多分奥村通哉さんは、世界四大聖人を思い浮かべて釈迦・キリスト・ソクラテス・孔子の名前を挙げられたにちがいない。
ナルホドナーと感心する。さすが信じない思想家・山岸巳代蔵の面目躍如たるものがある。

なるほど「仲良く楽しく」と「本当の生き方」のどちらを〝先出し〟にするかによって丸っきりその後の展開が異なってくる! つい「仲良く楽しく」を強調することで手痛いしっぺ返しを食うこととなった自分らのかつてのイズム運動面での記憶がよみがえる。
そこまで考える焦点を一つに緻密に簡素化して考えるのかと驚かされる。何もかも一緒くたにする大雑把な観方で〝まあそれで良しとしている〟普段の自分の甘さを恥じる。
その後二人の話題は、あちらこちらに飛びながらも、

山岸 分かる私でなしに、どこまでいっても分からない私。その中でも、相手を最も聴こうとするもの、そこやね、分からないなりにも。そやね。”

と続き、

山岸 しかし、明るい春になった。
柔和子 今年は三五(みご―引用者注)とな年(昭和三五年)で、私も見事なくらい、今年は見事に整理せんならん。
山岸 本当に健康にね。パッパッと気分転換でいこうよ、ね、ね。  
柔和子 ハイ。
山岸 ね。
柔和子 ハイ。
山岸 苦しいても、苦しいても、それをどういうふうに打開していくか、これもだめ、あれもだめ、そんならこれやろと、気づいていく楽しみ。”

と大団円を迎えるはずだった。
しかしそうはならなかった。
柔和子の

“愚痴のなかった私が、今度は非常に愚痴っぽい私を感ずる。過去の話を出さなおれない。過去の話を出しながら、「何と愚痴っぽい自分になっているな」と自己嫌悪に陥る。相手があって、またこちらから吹き出てくる、愚痴がね。(略)”

との発言を受けた山岸巳代蔵の

“こんな女と出会ったばかりに、女の愚痴なら可愛らしいのに、男の愚痴やら嫉妬って(未練が断ち切れず、その愚痴に付き合う自分自身?―引用者注)、可愛らしいもんでないのに、男の体面もさっぱり丸つぶれや。”

といった辺りから雲行きが怪しくなっていく。
ここからまた二人のいつもの通じ合わない堂々巡りがくり返されるのかと思いきや、ナント意外な展開が……。

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 「と」に立つ実践哲叢(43)

〝二つの幸福〟問答

またその年1955(昭和30)八月に山岸さんの母・ちさが亡くなり、会葬者全員に小冊子『二つの幸福』を配ったとされる。
山岸巳代蔵一家とその親族

【写真は左から 四男・千代吉(23) 三男・巳代蔵(28) 二男・新五郎(31) 父・巳之助(58) 母・ちさ(56) 西村しづ 妻・志津子 なお長男・助一(33)は京城(朝鮮)に滞在か? この年[1929(昭和四)年]山岸巳代蔵は山根志津子と結婚】

生前母はよく〝水は冷たい、お湯は熱いから止めるでは何事も出来ないよ〟と独り言を言っては僕をつくってくれたという。そうした母の心を移し行うように、過去幾千年の人類史上「出来ない」と思われた理想社会はどうしたら実現するかを一言で簡明に著したものが『二つの幸福』なのだ。

二つの幸福がある。真の幸福と幸福感だ。どちらも同じ言葉をもつが、根本的に相異なる。何時になっても変らない真の幸福と、不幸に対しての対句としての幸福感である。喜怒哀楽に象徴される一時的の満足感を幸福だと思い込んでいるのは仮の幸福であり、ただ幸福だと思っているのみで、こんなはかないものを幸福感と呼んでいる。
それが今日まで実現しなかった理由としては、諦めと無関心と無知等々が挙げられるが、肝心の幸福の何物かさえも知らず、知ろうともしない、または間違った考え方をしている人が多いからであるとして、

“幸福感と真の幸福の区別が解らないからなのだろう。”
“幸福感を本当の幸福なりと勘違いをしている人が頗る多いのではないか。”

と記されている。
だとしたら永遠に変らぬ〝真の幸福〟っていったいなんだろうか? どうしたら幸福感でない真の幸福が得られるのだろうか? 

ある日の研鑚会のテーマは「何でも二つある」だった。何でも二つあることを知ることの大事さで話が盛りあがった。ほとんどの人生上の苦しみや悩みの原因は、皆一つしか知らないところに帰因するのではないかと。そう言えば幸福にも幸福感と真の幸福の二つあったなあと、ふむふむと頷いている自分がいた。
しかし今振り返ると冷や汗が出るような思いがする。例えばほとんど無自覚に自分の思い考えから見て、幸福感と真の幸福を観念的に区別していたのではないか。自分らの切実に欲求する、永遠に変らぬ真の幸福を掴み得ようとして、知らずして不幸に対しての対句としての幸福感を〝本当の幸福なりと勘違いをしている〟自分に気づかされる。

そもそも不幸とは何か? たしか研鑽資料『ヤマギシズム社会の実態―世界革命実践の書』には〝不幸と感じることが間違いで、幸福が本当だ〟と記されてはいるが、実際は不幸と思われる現象に出会って心の動揺を感じるばかりの不安定な自分がいたりする。
それでは二つあることを知り、もう一つの不幸と思われる現象が現れないようにするってどんなことなんだろうか。

そうなのだ。まず〝不幸と感じることが間違いで、幸福が本当だ〟とする、不幸と感じない心境になることが先で、そこから間違った姿をなくしていこうとする、そんな〝理念を生きる〟もう一つが見出されてくる!

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わが一体の家族考(162)

〝脱皮〟という飛躍・転換
脱皮

先の〝恋愛・結婚は楽しいことばかりで、歓びに充ち満つるのが本当〟なのに、そうも行かない〝不思議な謎も解け〟たとする「真の結婚を探ねて」の一文を記した1959年11月頃から翌年4月に自意出頭するまでの残された山岸巳代蔵の発言からは、コロンブスの卵の例えにも通じる〝真の結婚へ入れる鍵を見つけた〟発見の歓びが発言の端々に感じられるようになる。
何しろ

“一番難問題とされるこの課題の解決こそ、全人幸福運動の基本であり、仕上げでもある。しかも、最も難解だと思うこの問題さえ解決すれば、他は……。私は、これに取り組んで生きのびているともいえよう。”

として真の結婚を求めて、ようやくにしてヤマギシズムの結婚観に照らしてみた場合どうだろうかと研鑽できそうな域に来られたように思えるからだ。
その辺りの一連の心の動きを、水の中に飛び込んでこそ泳げるようになるといった自分の考えを入れない〝脱皮〟という実行・実践に託していう。

山岸 そうそう。なんとかして、なんとかしてと、こればっかり、この底にあるのよ、底にね。ママさえ分かったらっていうものが、これがその底にあったんや。そしたらこれは、こういう結婚観は成り立つし、そんなんでね、それがそこまでやった、まだここで最近まであったんや。最近までそこに。で、いずれは分かってくれるやろうと、いずれは分かってくれるやろと、こう思ったものね。
柔和子 その脱皮というのはなんということですか。
山岸 脱皮ということはね、あの、苦しまないと、苦しむよりも、どうしたら、あの、どうしたら、なんちゅうかね、苦しんだってダメやから、同情したってダメだから、ダメだから、それで、どうすれば仕合せにいけるかって、こっち考えるのやと思ったんや。それからもう、コソッと楽になった。”(「徹夜研鑚会の記録1960.3.27」)

ずっとなんとかして柔和子さえ分かってくれたらこの結婚観(固定のない結婚)は成り立つのにと苦しんできた。ところが柔和子は頑として三人でなら私が降りますので頼子さんとやってください。先生と二人でならやりたいとゆずらないで来た。頼子に対しても同情している自分の思いも吹っ切れないで来た。

自分はたしかに〝真の結婚は求めたが、苦難を求めはしなかった〟。なのに何故? だとしたらこの間の煉獄の試練は〝真を求める者に課せられた運命〟なのだろうか? “常識世界は冷たかった”(「真の結婚を探ねて」)
本当にそうなのだろうか? 〝苦しんだってダメやから、同情したってダメ〟なのだ。試煉は自ら苦しみ悩む間違いをこそ正し、改め、変化を促しているのではないだろうか?
すると間違いばかりで勝手に悩み苦しんでいる自分自身が浮かび上がってきた。
そんなもうどうにもならなくなった途端、フトどうしたら幸せにいけるかと考えるそんな自分も見え出したのだ。そんな自分に先ずなることだった!
自分自身からの脱皮こそ、真の結婚への絶対条件だったのだ。
ちなみに「ヤマギシズム結婚の五大条件」を挙げてみる。

“一致研鑽前進
○適合男女―適齢 性格 知能 系統
○心行全面一致―仲よし 考え方・行業 真の研鑽一致 無我執
○双方の永久恋愛―距離 時間 動 進 終点なし
○(真の)一致の上の自由―契約・束縛・固定・型・掟なし
○合真理指向―心身健康 快楽歓喜 たのし 自然全人一体観 前進発展”

ここで〝脱皮〟という言葉で表現されるものこそ、ヤマギシズム恋愛・結婚観への出発点にある実践であった。
こうした〝脱皮〟という飛躍・転換のなかに秘められてある実態への好奇心を念頭に置きながら山岸巳代蔵の発言を追ってみる。

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わが一体の家族考(161)

不思議な謎も解けた一部始終
煉獄山 ダンテ『神曲』

次に「真の結婚を探ねて」を読んでみよう。

①私も今から思いかえすと、結婚によく似たことを幾度かして来ましたが、いずれも不完全なものばかりで、真の結婚とは縁遠いものばかりであった。肝腎な条件が欠けていた。肝腎な条件が欠けているのに結婚は成り立たない筈、不安定なことは当然で、毎度不成立のまま今日に及んでいる。

②今から考えると、真の結婚の何たるかさえもわきまえず、しかも未成熟のままで、即ち結婚資格もない僕が、一般に結婚と謂われている、真の結婚でないものを、結婚かのように思い間違って、早まり過ぎたために、真の夫婦になれる相手や周囲を苦しめ、自分も苦しみ通してきた事であった。

③僕は全人幸福への熱願と、それへの凡ての面での理論究明と、進歩的合真理方法の考案や普及に急にして、自分自らヤマギシズムの人間性に到達することが疎かであった。
怒りの発生しない方法を考案した。熱心に三時間も理論研鑽一回だけすれば、以後一切ほとんどの人が腹の立たない人になれるし、心も広く、知恵もよく働くようになる。この方は今までのところ、どんな場合でも、一度も怒りが湧いてこなかったから、絶対に腹が立たないと云えそうだ。

④ところで僕、怒りや憎しみや財産等はスッカリ解決したようだが、悩み苦しみの方で特別が残されてあった。
大抵の悩みや心の苦しみは起らないから問題でなかったが、恋愛・結婚問題で大変なことになった。
恋愛や結婚は、試験・実験をしようとわざと仕組んでも、本当の実験・体験にはならないことで、科学実験や怒りなどのように材料を持って来たり、場を造ることも出来ない。模擬的にやった場合は理論通りに出るが、予期しないのに起った本当の恋愛の実践の場では何の役にも立たなかったことである。理論が先走って理責めになり、押しつけになり、成るものもかえって反対へ反対へと追い落し、理論と実際とのジレンマで、これまた一層苦しみ、苦しめ、お互いの命が絶たれた状態も、幾度となく体験した。

⑤しかし、悩み、苦しみ、もうどうにもならなくなった途端、絶望のドン底から途が開け始めた。悩み、苦しみのほとんど起らない境地にまで漕ぎつけたようだ。
結婚資格のなかった自分が見え出した。見えだすと早いもので、いよいよ真の結婚の出来る資格が、初めて、ようやくにして、ついたように思える。

⑥恋愛・結婚は楽しいことばかりで、歓びに充ち満つるのが本当で、悩ましかったり、切なく不安で苦しかったり、好ましからん問題を起したりすることが無い筈だのに、そうも行かない不思議な謎も解け、真の結婚のいかに大らかで、真に自由で、絶対安定で、広大無辺の愛の素晴しさを、受け売り論議でなく、身を以て体得したままを、飾らず匿さず余すところなく公開し、この世に生を受け、古今の万人万物から有形無形に受けて、返すことの出来ない僕の、最大の贈り物としたいと思う。

ここで山岸巳代蔵はこの間自らの〝偶然か、必然か、実践の場に立たされ通した結婚受難史〟を振り返えりつつ、人間幸福への条件である怒りや憎しみや財産を放す等の自己革命はスッカリ解放・解決されていたにもかかわらず、恋愛・結婚問題から来る悩み苦しみの方で大変なことになった経緯とその不思議な謎も解けた一部始終を記述している。
自己革命と恋愛・結婚革命を区別せざるを得なかった当事者ならではの追い込まれた場所がじつに興味深い。不可思議界の究明専攻の人達の参考に値する云々と云った記述もあながち大げさではないのではないか。ここの自己革命と恋愛・結婚革命を一緒くたにしてしまっているところにじつは悩み、苦しみの原因があったのだ!
ではどのようにして解けたのだろうか?
こういうことだろうか。
この一文の冒頭は次のような一節から始まっている。

“本当の結婚をしている人、幾人ありや。
命がけ、血みどろの今日まで。
生来の求真性格に煉獄の試練を。
真の結婚は求めたが、苦難を求めはしなかった。”

ここでの〝煉獄の試練〟とは、カトリック教会の教義で、この世のいのちの終わりと天国との間に多くの人が経ると教えられる清めの期間で、「永遠の救いは保証されているものの、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るように浄化(清め)の苦しみを受けると考えられていた場所」と説明しているところと重なるだろうか。それはまさに陣痛の苦しみ、脱皮の苦しみでもあったろうか。
こうした大試練で悩み、苦しみ、もうどうにもならなくなった途端、〝真の結婚の出来る資格〟や理論と実際とのジレンマが解けたのだ!
思う思わんの観念でなく、人間本来の姿として悩み苦しむ間違った姿が現れないように出来る〝真の結婚の出来る資格〟が体得された。
するとなんと

“真の結婚のいかに大らかで、真に自由で、絶対安定で、広大無辺の愛の素晴らしさ”

が歓びの中に展開していたのである。
あの死さえも赦されない苛酷な苦悩は私達のみで終止符を打ち、今を境として、以後楽しい筈の恋や結婚で苦しむ人の一人も出ないように出来る途が開け始めたのである。
ふっとこの途こそ、宇宙自然から注がれた愛護を受けて返すことの出来ない僕の、全人幸福のために役立つかもしれない最大の贈り物にも思えてくるのだった。
それはまさにコロンブスの卵だった。

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わが一体の家族考(160)

〝一軒の家でいくらでもやっていること〟
発見.

先の「『恋愛と結婚』の前書き」の中に次のような一節がある。

“いかに科学的究明を信条としている思想を以てしても、観念論的部分の多い人間生活を、やはり観念論でキメつけて、それを優れているかの如く観念づけられた人達で社会風潮が作られ、そういう固定した観念の壁に対して、これだという固定した形態を持たない、無固定を正しいだろうとする観念での論議は、その論理がいかに正しくとも、受け入れられることは難しいことだろう。
固定観念に対して無固定観念で論議することは理解が全く至難だと言ってもいいくらいのものである。こうした場合に、その無固定観念を理解せしめるには、無固定思想の実践による立証をする必要がある。ごく小さい部分からでも実践することであり、しかもその小さい部分で止めるなれば、これまた理解さすことが容易でない。この思想を実践し、拡大して、証明することにあると思う。”

そうなのだ。〝固定観念に対して無固定観念で論議〟しても勝ち負け感で、無固定観念が勝っても怒るし、負けては馬鹿にするし……。
ここでは〝固定した観念の壁〟に真正面から向き合っている当事者ならではの感慨が述べられている。
なぜ今ヤマギシズム恋愛・結婚観の探求なのかの理由が率直に述べられている。
自分らもこうした世界認識・現状把握から出発しているのだと思う。
グローバリゼーションが普遍化しつつある流れの中で、なぜ今自分らは〝仲良い楽しい〟をうたい文句に〝こんなのがあります。こうしています〟と独自の酔狂な(?)道を歩んでいるのだろうか。

一九七〇年代のはじめ、当時担当していたヤマギシズム運動誌『ボロと水』の企画として、先述の〝無固定思想の実践による立証〟の一つとして誕生したヤマギシズム生活実顕地がしばらくして分解し、看板を下ろした経緯を探るために、北から南まで訪ね歩いたことがある。
貴重な体験をさせてもらった。現政治経済体制下、しかも旧態依然の道徳・常識社会の中で理想を追い求めることの意味と共にきびしさを我がことのように思い知らされた。本ブログを書き継いでいる意欲もそこから出ているのかも知れない。
当時(今も変わらないが)盛んに研鑽されたのは、〝真目的への最短コース〟として現時点で何に力を入れるかということだった。
例えば実顕地造成の場合にも二通りあった。

一つは常識的に考えられる無理のない段階法としての―
○個人経営⇒協業経営⇒協同経営⇒共同経営⇒一体経営即ち実顕地化というコース。
もう一つは即断即決の出発点の大事さを考えた上での―
○個人経営⇒ヤマギシズム特講⇒実顕地化の直線コース。

もちろん実際は、自分や相手の現状を考慮するあまり無理なく段階的にやろうとしたことがその段階でとどまってしまう結果になって、次の段階へ入っていけないことが多々ある。
少しでも〝できない〟という観念が入ったら難しくなってできない。
そこで人間、動機が適当であれば廻り道しないで真目的へ直進出来るもので、その間あまり雑念がない方が良いとして〝直線コース〟で押し切るわけだが、そこでも様々な問題が生じてくる。
こうした二つの方向性の中で、実顕地運営での現実問題の巧みな運営法いかんが問われるわけである。人類史がくり返してきた理想と現実のジレンマがここでも日々再現されてくる。
いや、そもそも実顕地なるものが発足したのは、

“家族の中でできていることが、家族同士寄るとできない。それができるのが今度の革命である”

からだった。
一軒の家でいくらでもやっていることを、ちょっと世帯が違うと難しくなる。〝固定した観念の壁〟に遮られる。そこで〝無固定思想の実践による立証〟が求められるわけではあるが、その前の〝一軒の家でいくらでもやっていること〟っていったいなんだろう?
ここを根底的に考え尽くすことができないだろうか。それができるのが今度の革命であるのだというのだ。発見だった!

そう、理想と現実のジレンマ(二つの相反する事柄の板挟みになること)に先だってある〝一軒の家でいくらでもやっていること〟に光を当てること! 
それがヤマギシズム恋愛・結婚観の探求だったのだ!!

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わが一体の家族考(159)

〝一本化〟の猛威からの脱出
グローバリゼーション

まず手始めに「『恋愛と結婚』の前書き」に込められているものを浮かび上がらせてみよう。一応理解の助けにと、言わんとすることに番号をつけてみた。

①ここでは、本当の人生を生きる上に最も大切なことの中でも一番本元であり、人生のスタートであり、人生の最大目標であると思う恋愛・結婚について、ヤマギシズムによる真なるものの解釈、真理、実態等について、要点だけでもまとめて世に残しておきたいと思う。ヤマギシズム社会における真の恋愛・結婚観はどういうものであるか、私の見解と、実践と、推察する周囲の実例等を挙げて、今日までの経過報告的に表現してみようと思う。

②この恋愛・結婚問題については、最も大切なことで、また最も正しくありたいもので、この世界のことについてはいずれが正しいか判然としないものがあり、最も深刻な問題とされてきたものだと思う。しかも理解は、これだというきめ手が発見できなかっただけに、いずれも観念論的にキメつけて、ずいぶん不合真理的なものを結婚などと思い違い等をして、本当の結婚をしていない。正しい結婚をしている人はほとんど見当たらないようである。正しい結婚をする条件が揃ってないのに結婚していると思う間違いが、日常の生活面や、精神的な面に現れて、何か物足りないものや、不都合な事態を引き起している。

③恋愛や結婚は楽しいはずだと思うが、不安だったり、苦しかったり、悩ましい思いをしたりするのは、必ずどこかに結婚条件・資格が欠けているからだと思う。

④私の過去、多数の異性関係を検べてみると、結婚だと思い込んでいたものが、またそう言っていたものが、不完全な状態で、未だ本当に正しい完全な結婚がなされていなかったように思う。したがって、いろいろ不都合な面が生じて、ずいぶん苦しい、筆舌に尽せないほどの憂悶を重ねてきた。また、相手をずいぶん苦しめてきた。そこにヤマギシズムと現実との、どうも相一致しない矛盾に割り切れないものがあった。

⑤真なるものには、悩み・苦しみはないのが本当だと思う。ヤマギシズムにこうした苦しみがあるということはなぜだろうか。
自分で自分をどうすることも出来ない苦しみから逃れようとして、一層苦しみへずり込み、血みどろの愛欲史に塗り潰された期間が続いたこともある。
ヤマギシズム社会における正しい結婚観は理論的には成り立つようでも、実証的には相一致するものが一つも現れなかったと言って、こういう世界のことは立証するために実験できる性質のものでなく、実験のための形だけのものなれば、出来てもそれはホンマものではなく、わざわざ実例を作ろうと思って作れるものではない。

⑥幸か不幸か、私をして実験材料の役割を負わされたものか、ここまで成長さすための試練であったか。

⑦失恋に苦しむ、破鏡に泣く人達の一人も出来ないように、焦熱に耐え、生きていたくもないこの世に生きのびる面倒さに耐え、血みどろになって恋愛・結婚問題等で邪道へ落ち込み、苦悶する人の一人もなくなることを願って、自らその場に立たされて逃げ出さないのも、全人苦悩のない、仕合せに生きてもらいたいとする、私の多情がそうさせているものだと思う。 

また山岸巳代蔵には、次のような世界認識・現状把握があった。

“いずれ、近く世界は統合されて、思想・政治形態も一本化されることと思うが、そうした時に、間違いのキメつけの一本化に統一される公算が大きく見られ、現在の国際関係や軍備問題、学問・技術等で飛躍的に前進し、物資は豊満になり、人心はその枠内で安定したように見られ、「人間社会はこういう程度のもので、こうしたキメつけを必要とする」やに思い込み、それが大部分の人の観念になるおそれが十分にある。ところが、必ずそれでは不自由なものを感じるはずであるが、そうした枠内の不自由は、人間社会の権利・義務・責任・契約等を当然必要なものの如く常識観念化し、気づこうとしない。また、それに着眼した者が提案したところで、立証するものがなく、観念論は観念論で圧倒し葬られ去るであろう。何ものにも縛られない、キメつけのない、真の自由な人間生活の出来る社会は、いつの日実現するか分からなくなる。”

世に恋愛・結婚観について言及する論は山とある。しかしそのほとんどは、〝間違いのキメつけの一本化に統一され〟た〝枠内〟の中での所詮はコップの中の嵐(ある狭い範囲で大変なことでも、大局的には何の問題にもならないことの例え)の域を出ない。
しかもここでの一本化とは、まさに今世界で起きている〝グローバリゼーション〟(ヒト、モノ、カネ、企業などの移動が盛んになり、地球規模での一体化が進むこと)のことであろう。
たしかにAI技術によるグローバル・ネットワークを背景に人と人との繋がりが、仲良しがより一層深まったと見なしたいところだが、実際は国家個々人主義や自由競争経済という弱肉強食思想等、間違った価値観をそのままにした〝枠内〟からの「平和にために戦争し、神に祈って爆弾を恵む」(山岸巳代蔵)思想・政治形態は変わらない。物余り不景気と物不足貧困・餓死者が同じ地球上で共存し、宗教対立、民族紛争、小国独立、権力闘争、排他運動等、〝一本化〟の猛威が今地球上を吹き荒れている。

内なる心は知らぬ間に外なる科学技術の目覚ましい進展に侵されつつある。すでに自分の健康状態の把握や認知能力は人工知能にはかなわない。次は人間としての心の豊かさ、広さ、徳性も、心を持たないアルゴリズムに置き換えられようとしているのだ。!

肝心の人間問題が立ち後れているのだ。〝内なる心〟を自分の心と混線して〝人間社会はこういう程度のもの〟とキメつけている間違いから来る悩みや不安や苦しみの観念。国による風習や社会通念を当然のように思って育つ根強い観念がある。なかでも結婚観ぐらい、植えつけられたものが非常に抜けないかの如く思われている観念はないだろう。
それが今まさに世界で起きていることなのだ!
こうした世界認識・現状把握に立っての
――結婚、恋愛は楽しいのが本当――
になれる実行方法の開発即ち〝枠内〟からの脱皮・脱出に本当なるものを託するのだった。

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わが一体の家族考(158)

『正解ヤマギシズム全輯』の草稿
草稿

『百万羽』構想という理想社会建設の大事業と並行して始められた「愛情研鑚会」で、男女間、夫婦間の愛情の不安定がいかに多くの社会問題を惹き起しているか、我執の害毒がいかに大きいか、全人幸福のためにはこの問題の解決こそと命を懸けてきた山岸巳代蔵であった。

そんな矢先の1959年7月〝山岸会事件〟で脅迫の疑い(翌年10月起訴猶予処分)で全国指名手配されて以来1960年4月に自ら出頭するまでの約八ヶ月、主に滋賀県堅田の地にあって誤解・曲解されやすい言行によらず責任のとれる著書に依りたいと、『正解ヤマギシズム』の著述に専念する日々だった。
なかでも自分自らをまな板に乗せた〝血みどろの愛欲史〟を〝ヤマギシズム恋愛・結婚観〟にまで煮つめ社会一般化されていく一部始終ぐらい、せめて要点だけでもまとめて世に残しておきたいと願うのだった。
それは次のような言葉の端々に現れる。

“全人幸福への根本条件解決への一考察”
“世の人々の参考に役立つなれば”
“苦悶する人の一人もなくなることを願って”
“いずれが正しいか検討する正しい結婚への参考資料に”
“全人幸福への道標か何かの足しに”

等々どこまでも考えるための参考資料に過ぎないとしながらも、

“現在の世相では、本書の文字を読める人は多いだろうが、これを読み得ても意味を読みとれる人は少ないだろうと思う。
まして本書に盛られた具現方式を、即実行、具現できる人は、その境地に入った、よほど進歩的で、世界の先端をいく、革命意識に燃える、まれに見る人達に於てのみなされるであろう。だが、この空想とも一般に笑殺されるであろう、実は実現容易な理想境〝金の要らない楽しい村〟が、地上の一角に一点打ち立てられる時、それを見、聞き、伝えた世界科学者達の研究課題になり、人間の本質、社会のあり方等について、関心を寄せられる人々の注目が集まり、実行家の続出することは、火を見るよりも明らかである。”(研究家・実行家に贈る言葉1960.5)

と燎原の火のように世界中に燃え拡がり、急速に全世界が風靡される実態の普遍性については一点の曇りもないのだ!
確かに指名手配中の身でもあり、満足に著述に打ち込める環境ではなかった。しかもこれら遺された資料は、ほとんどが断片的な未完成草稿である。本人による添削が複雑に施されていたり、途中で別の主題に飛んだり、中断したり、ほぼ同内容のものが表現を変えて書かれていたりと、非常に読みとりにくい。
加えて出頭するに当たっては、『正解ヤマギシズム全輯』の草稿としてB五版わら半紙に鉛筆で書いた四百枚近くの未完成原稿もすべて「燃やしてほしい」と当時近くにいた人に託されたとの証言もある。
だとしたら結局のところ、『正解ヤマギシズム全輯』の出版は〝幻の著作〟に終わったのだろうか。山岸特有の大うそつきのはったりめいた発言だったのだろうか。
山岸会事件後、多くの会員が〝こんな筈でなかった〟と動揺していた頃、山岸巳代蔵から福里柔和子に宛てた書簡という形式で会員に向けて発信された第二信で、

“柔和子と僕の目には、今日の形でなく、カレンダーを数枚めくった日本晴の明るい世界が展開していますね。前進前進の現段階や、これからの見通しがついているわね。”(1959.10.10)

と書きとめている。
先回の〝即極楽の8丁目〟の文言もこの二信の文末から引用した。

“月界への通路、開設着工 地獄の八丁目、即極楽の八丁目 きわまる所 必ず展ける。霊人より”

必ずそう成ることを見て言っているのだ。まだ無いものが見えるから言っているのだ。
ある意味〝幻の著作〟どころか、四百枚近くの未完成原稿は汲めども尽きぬ理想実現への泉なのだ!

ここではある程度纏められた「『恋愛と結婚』の前書き」(1959.10~12)や「真の結婚を探ねて」(1959.11)と主に山岸巳代蔵と柔和子による研鑚会記録「編輯計画について」(1960.2~3)等の資料から山岸巳代蔵の心の動きを辿ってみたいと思う。

当時山岸巳代蔵は滋賀県堅田に住んでいた。柔和子もまた堅田に近い滋賀県の浜大津に住んで、そこから山岸の住む堅田に会いに行くようにしていた。「編輯計画について」等の研鑽会記録が残っているのは、同じく指名手配中で事件の広報担当だった奥村通哉(1923~2016)さんが堅田に呼ばれて口述筆記を自らの出頭の日まで担当していたからである。

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 「と」に立つ実践哲叢(42)

〝常識外れの変わり者〟

ヤマギシズム理念や一週間の特別講習研鑚会を考案した山岸巳代蔵ってどんな人だったのだろう? 遺された資料などから一言で言うならば、〝常識外れの変わり者〟とも呼べる人間像が浮び上ってくる。
山岸巳代蔵

実際に第一回の「特講」が開催される半年ほど前、養鶏の講習もかねた会の研鑚会に参加した明田正一(後の参画者)さんが、「キチガイになれたのが嬉しい。キチガイが治らぬうちに来る気はないか」と手紙を山岸さんに出したら次のような返信があった。

「変り者を探している。変り者を探し合って、変り者でない人を変り者にしようじゃありませんか。そして世界中の人みな変り者に変えましょう。」(1955年6月8日付)

そんなたった一夜の夜明かし研鑚会で〝キチガイ〟になった明田さんに呼応するかのように、7月には山岸さん自ら明田さんらの部落に出向き「掘立小屋を建てて藁の上で筵をかぶってでもやっていく、私はこの地の土になりたい」と言って山岸式鶏舎を建て育雛を始めてしまう。そして10月の山岸会全国大会では何と「地上の一郭に既に理想社会はできている」と公言するのだった。
このスピード感、〝常識外れの変わり者〟ならさもありなんといった感じである。心の豊かな人に巡り会って居ても立ってもいられなかったのであろうか。

こうしたエピソードからある意味で山岸さんという人は、自分の〝理念を生きた〟人ともいえるだろう。しかもその生き様がとても〝リアル〟なのだ。
理念(理想)と現実(実際)との間にスキマを作らないように、絶えず理念(理想)に即応しようとする意図を感じる。常識的には崇高な理念を掲げることは、即挫折や敗北や悔恨を意味するはずなのに……。
例えばこんな発言もある。

以前の自分は、自分の思い考えを皆に聞いて貰い「どう思う?」と尋ねると「分からん」と言われて、「なんや、こんなに喋っているのに頼りない」「なんや、つまらん」と思っていた。逆にまた「そうか」「なるほど」「そら苦しかったやろな」と言われると同調者ができて、味方ができて、理解者ができて、非常に力強く感じていた。
ところが最近になって「ははあ」「ああ」と、ホンマに頼りないと言うのか、あほらしいって言うか、煮え切らない本当に「分からん」とする相手と話すのが最も楽だと思うようになったという。

「理解者の数が要らんという、自分が理解者になったらええのやと思ってね。それからこそっと楽になったね。妙なもんやわ、そら。」

パッと陽光が射し込んだような開放感に包まれる。自分の思い考えを理解してほしい、認めてほしいという観念の夾雑物が外れた清々しさが感得されるようだ。

それにしても〝自分が理解者になる〟の、その自分ってどんなじぶん? 自分の心の内にキメつけている観念が外れた一瞬。これこそあの特講で出会ったじぶん?

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わが一体の家族考(157)

頼子とのわかれ
特講絵図

山岸巳代蔵には結婚観、男女関係については一貫した考え方があった。それは例えば、

“僕はね、本当に女性が救われるのはね、これは男性も共にやけど、救われるのは、固定のない結婚だと、こう思えるの。何人とか、誰々とか、こういうものはないのやと思うの。誰と誰とというような固定がないのやと思うの。それは未だにおんなじ、一貫してるんよ。キメつけのないのが本当だと、こう思っているからね。だからね、あのやはり、これも全人幸福の立場から、わざわざ作ろうたって、作れるもんやなしに、好んでそんなことして交際求めてやろうとしないのに、いろいろの機会があると。そしてそんなふうになっていく状態ね。”

といった流れ雲のような成り行き任せからの真の結婚を探ねての途上で偶然か必然か出会った頼子という女性であり、一年後には何の野心もなく出会ったのが柔和子という女性だった。
すると頼子には嫉妬っていうのか嫌気が感じ出してきて、だんだんと頼子との関係が悪化して悲惨な場面が出てくる。しかも1958年3月末には柔和子との婚約発表にいたる。
期せずして柔和子からは私と結婚したとなったら〝私は火の女〟ですよと覚悟を迫られるし、精神的肉体的純情をくれた頼子も絶対に落とせない立場に追い込まれる。一番難しい〝結婚の革命〟に直面する。この革命が成されないで、何の革命や、本当の社会やという思いに胸が張り裂けそうだった。
だんだん愛情の混乱状態が起こってきた。
そんな愛情の混乱で絶望状態になった山岸巳代蔵は、そこで話し合いをして〝なんとかならないもんか〟と見性寺の愛情研に一縷の望みをつなぐのだが一応それは持ち越しになり、翌1959(昭和34)年1月17日の〝熱湯事件〟になり、療養を兼ねて春日山近くの柘植の旅館で頼子と一緒に暮らしてみたりと、落ち着かない日々が続くのだった。

そんな愛情の不安定のさなか、山岸会の運動面では4月全国民を「特講」に送る急進拡大運動が提案され一気に盛りあがる。そしてそこから全国的に名をとどろかした〝山岸会事件〟へ。山岸巳代蔵もまた全国指名手配として追われる身となった。
その後山岸巳代蔵は、あちこちを転々と移り、出頭の機会をうかがう。頼子とは7月末に会っているが、この年の12月半ば結局は頼子の手には渡らなかった手紙を人に托して以後、連絡は途絶えることになった。
昨日頼子のために一日中泣いた……から始まるその手紙の一部を紹介してみる。

“二階で別れる時、私をどうしてくれるのと、ヨー(頼子のこと―引用者注)にしんけんに云われた言葉が毎日胸に痛い。ヨー、ビックリしないように。情死した方がよいと思うなら、直に明日にも来てくださいね。ホントによろこんで死ぬよ。ヨーと末永く楽しく暮らしたいのが第一の願い。その次は、三日間ヨーと充分たのしくくらして一と思いに死ぬよ。よほど思いきって、ヨーも考えて決心して、ヨーを不幸におとして、全人もくそもあったものか。”

昨夜は近くの浜大津に住む柔和子の病状急悪化と精神的に落ち込んでいる報告を受けて、のたうち回り、苦悶で夜を明かした。とうとう杉本利治さんに来てもらって話しているうちに力づけられて元気回復し、頭も働き始めたばかりだった。
「なんで分からんやろな、ママ(柔和子のこと―引用者注)さんさえ分かったらな、仲良ういけるのに」といった通じないもどかしい気持ちを何とか割り切って、〝全人幸福のためなれば何をか云わん我が凡て〟で行動しようと決意するのだった。

いや、それだけではないと思う。先に紹介したイズムの先人山本作治郞さんの「宇宙自然の愛護」や柿谷喜一郎さんの「夫の行為は妻の一体によってなるもの」等の真意に繋がる大森敏恵や井上頼子に共通して流れるものに〝凡てが納得解決するカギ〟を託しているようにも文面から見受けられる。この辺り宿題としておこう。

またこの年の暮れ頼子は、この間何かと相談に乗ってくれていた安井登一(1909~1993 山岸会事件で逮捕され、保釈後は郷里に帰っていた)さんに宛てた手紙で次のような頼み事をしている。

ずっと刑事に監視されて窮屈な思いをしている。今の自分は、ただ一日も早くすべてから解放されて行くべき道を定めたい。そこでお願いがある。あの〝熱湯事件〟の後、伊賀町柘植の旅館に静養を兼ねて暮らしていた時「山岸と頼子は必ず一年後に結婚します」と交わした誓約書を居合わせた貴方は証人として持っているはずだから私に返してほしい。そしてこの事件が早く解決して皆んなが楽しく暮らせる日の早からんことを祈っているといった内容であった。

この時点で山岸巳代蔵はひとりの女性に振られたのである。
そう言えばと、以前ずいぶん吉本隆明の言説に慰められた記憶がふと思い出される。例えば

“男性の方はそういう場合(つまり自分自身っていうのを、一人の異性なら異性っていうものに通ずる、自分を通じさせることができなかったっていう体験―引用者注)には、振られてがっくりするわけですけど、がっくりしたっていう体験を通じて、おそらく、人間は人間として、いかに、卑小な存在であるとか、つまり、自分を相対化する眼ができてくるわけです。
だから、たいへんきついことですけど、その時は、おそらく、振られる男性の方は、わりあいに、神に近い境地にいるわけで、それは、現象的には、表面上はそうは見えないですけど、ほんとうのところはそうなんです。”(講演 自己とは何か-キルケゴールに関連して 1971.5)

ナント〝神に近い境地〟なのだという!? どんな境地なんだろうとあれこれ思い巡らして気を紛らした日々が懐かしい。

そして今、自分らはそこから暗い悲しいみじめな失恋体験・境地が一転〝即極楽の8丁目〟の世界に触れていくのである!
ヤマギシズム恋愛・結婚観の探究を通してその肝心な機微に触れるのである。

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わが一体の家族考(156)

〝失恋も面白いものやぜ〟
失恋

また山岸巳代蔵は人間観念の変わりやすさと同時に反面〝こうだと思い込むとなかなか変えられない〟我執観念の様々な場面での現れを、いろいろな種類を一つひとつ並べているところがじつに興味深い。
一口に漠然と我執・頑固観念とは、自分を持って放さない、キメつけて執われることだと言ってみたところで「ああ、そうか」で終わってしまいがち。頑固観念の一つや二つ脱げても、また入れ替わり立ち替わり、変わった観念が入って根を下ろしてしまう。人間は観念動物と云いたいほどなのだが……。それではいったい何を信じて(拠り所)人間は行動し、生きるのか?

○この世に、どんな場合にも、悲しい、苦しいと思うことは、自分や人への同情等や、悲しいときめ、苦しいものときめつけて、そこから脱却することを拒む頑固我
○きめつけたことが実現しないときめつけるきめつけ我
○思いごと、願いごとを持ち続けねばならんとする固持我
○いま思ったこと、人に云ったことも、コロコロ変わるものを、思ったから、心できめたから、人に云ったから、約束したからと、考えや事態が変わってあるのに、前に考えた、云った、聞いたことを、終生大事と持ち続けて、頑として放そうとしない我
○病気になったら、それを苦にする我
○きめつけを持っていないと思っていても、ずいぶんたくさんのきめつけを持っている人が多い。これが無自覚頑固
○きめつけなしでは不安定だと錯覚し、きめつけを大切に持って、放すことを怖れ、嫌う人もある。臆病頑固。
○自分の考えや行為を、これでよし、間違いなし、ときめつける、自信頑固。
○私は至らない間違い多い人間だから、私の考えではダメ、ときめつけて、昔からの常識や、多数の人の意見や、学者か知識・経験の深い人や優れた人、世評の高い人、賢聖等の言行を崇拝・是認して、または神、仏の道、教え等と謂われる事を間違いないかのように、至らない、間違い多い人間の筈の私の判断できめつけて信じ込む、盲信頑固。
○自分はダメだときめつける、劣等感頑固。
○恥ずかしがりがとれないときめつける、逃避頑固、羞恥頑固。
○頑固でないときめつけ、頑張る、否定頑固。
○相手が間違いだときめつけ、筋を通そうとする、正義感頑固。
○知識・能力・経験・美貌の点で他の人より優れているとしての優越感頑固
○俗に云う養子根性や、貧乏や、身丈や何かで、ひけめを感じてなかなか脱けられない、頑固な劣等感頑固
○沈黙頑固、温厚型頑固、逃避型や遠吠え型、貞淑型、羞恥型頑固、怒り型、悩み型、恨み型を持ち続ける頑固等々。

先ずは小口からその都度コツコツ脱いでみることであろうか。
なかでも先の〝観念あるけどいつでも外せるもの、本来持ってないもの〟の象徴的な実例として山岸巳代蔵は、恋愛問題をあげているところがさすがである。
人類史誕生以来くり返して体験されてきたにちがいない〝あばたもえくぼ〟に映るといった恋愛感情の起伏の中に、観念動物ならではの可笑しさ・哀しさ・素晴らしさなどの悲喜劇が凝縮されているようにも思えるからだ。

“失恋も面白いものやぜ、執われから解放される。記憶あっても執われから解放されるということは、いくらもなし得ることやし、あり得ることやと思う。僕はそれで楽になったわ。実際は代りがあるからやなしに、好きな人があるから一方の執われから忘れたやないの。それがある間は、可哀相な、苦しい、さびしいようなものがずっとあったが、それを外したらなくなるね。そういうものは早う外した方がよいと思うな。向こうにあるのでなくて、こっちにあるのやから、それは。”(「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」第六回)

そして第一回特講期間中親身になって手当てしてくれた大森敏恵について語る。

“誰と恋愛して暮らしていてもちっとも消えず、しかもほのぼのとしたもので、しかも二度と寄るか寄らんか分からんとしても、点滅でフツフツと浮かんでくるもので、執われてさっぱり仕事できんかというと、そうでないが、それもやっぱり取り去れた。それが同じ思い出でも、明るいものならよいが、暗い悲しいものならみじめやわね。また何回も出てきても、外していけると楽やね。また観念をパッと外すこともなし得ると思うわ。”

一つの観念我が外れて、ふっと浮かび上がってくる〝ほのぼのとしたもの〟がある。
これぞ山岸巳代蔵がひそかに待ち焦がれている、ヤマギシズム恋愛・結婚観の底に一貫して流れているものにちがいない。
我執を超えるものがたしかに誰の心にもあるということを言いたくてしようがないのだ。観念我が外れて、頑固が謙虚に転換する姿にかつてない地軸を動かす事態を見ていたのである。

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わが一体の家族考(155)

脱げない着物はない
水鏡(みずかがみ)

“ みずかがみ
こころ ころころ みずかがみ。
かげがながれる、みずはなみうつ。
自分で自分の心を眺め視る。
つかの間も停まっていない。
自分で自分の心を信じられない。あてにならない。
秒後は何を思うだろう。
物のすがたは定規ではかる、
はかりかたないひとごころ。   鈍愚生”

また山岸巳代蔵は亡くなる少し前に、次のような言葉を残している。

“人間の観念というものは、頑固なもので、生まれた時はそうでもなかっただろうが、だんだんに観念が入り、その観念を物差しにして何回、何十回検べ直しても、答は同じように出る。「何回検べ直しても同じ結果になるから間違いない」と思い違いするもので、物事を検べる元になる自分の観念を、零位に立って検べ直してから、とりかかることではないだろうか。
人の頑固はよく見えやすいもので、頑固でないものまでも頑固に見えたりしやすいものであるが、自分の頑固は、自分の体臭に気がつかない如く気づかないもので、ちょっとした頑固観念があっても、損するのは自分で、その余波を人にまで及ぼすものである。
自分の我利・我欲・頑固観念を真っ先に無くし、それだけにとどまらず、全世界の頑固・我利・我執を絶対に抹殺することによってこそ、真の幸福は招来される。
頑固・我執を無くさない限り、最後の土壇場で自分が苦しむもの。
仲悪く、人と人とが同じ世界に住み得ないもの。
不幸の芽はそこから伸び広がっていくもの。
自分の我はむろん、世界の我を無くすることを、全てのものの始めとしよう。
早く、これを急速に拡めようではないか。―1961.3.15―”(―理想社会をめざして―一粒万倍に)

一般に〝我執〟と聞くと、先入観からか宗教臭味を感じて何となく避けがちになる。それでも意味的には〝自分中心の狭い考え。また、それにとらわれること。〟と知っている。そして「いや自分にもたくさん我執がありまして……」とへり下ってはみるが、それ以上〝自分のどこに〟我執があるかまでは検べようとはしない傲慢さを恥じる。
山岸巳代蔵は一貫して「我執があるというのは人間最大の不幸で、仲良く暮らすには我執があったらあかん」と言い続けた。
自分は幸せばかりを願っている〝我抜きの固まり〟だとした。そして我執のない自分を発見する喜びを生きる力の源泉とした。
しかもそこから希望、明るさ、豊かさを味わったものは、自分だけで止まらずに「世界中の我の根を絶ち切ろう」「生身の自分は死ぬかもしれんから、その理解者を一人でも多く作る」ことに情熱を燃やした。
そこから我のある人が我のない状態になれる方法、機構、場所について徹底的に究明し抜いた。現在自分らの住む場所のことを〝実顕地とか一体経営、一体生活〟とも呼んでいるが、そのベースは〝我執があったら一体とは言えない〟というハッキリした理念に支えられてのことだ。もちろんいちばんの素晴らしい真の結婚を希うなれば、無我執の自分になることが絶対条件だとした。
その一手段として各個人の頑固観念を抹殺焼却するために、常識ではとうてい出来難いこと、やってはならないこと、絶対やれないようなことを、やれと強弁する〝我抜き研鑽〟がある。次のような証言もある。

“どう考えても我と思えんことを、我やとキメつけてやるわけ。たまりかねて先生(山岸巳代蔵―引用者注)に言うたら、我抜きについては何も言わない。我抜きは否定しない。
我のない人に、いくら我抜きやっても無害だから、やはりいくらやってもよい、と。”

確かにコンクリートの川に網かけて、布みたいなもの流してみると、私の考えはいろいろあっても帯や着物があったら引っかかるが、水だったら引っかからない。
また何を話し合っても受け付けない頑固な人でも、死んでも行かないと言い切っている人でも、一通の急信によってどんな忙しい中でも遠隔の地からでも、取るものも取りあえず頑張っていた頑固さをサッと抜いて自分では意識しないで兄弟近親の元へ馳せつける。
またトゲが刺さった時のように、調子良い時は「良いな、良いな」で痛みを感じないが、ちょっと逆撫でされると痛い。とにかく抜かんことにはおさまらない。
こうした事実はいったい何を物語っているのだろうか? 
観念動物としての人間は、それにとらわれて外せなくなったり、しかしまたそうした観念あるけれどいつでも外せるもの、本来持ってないものでもあるのだ!
こうした観念の特質をよく知って上手に扱っていければよいのだが、その前に我執は〝いつでも外せるもの〟だという当たり前の事実を知るところからはじまるのだろうか。

そうした意味では愛情研鑚会はまた〝我抜き研鑽〟実演の場でもあった。いや〝我抜き研鑽〟も我執抜きなど必要のない〝我執を自分で発見する喜び〟の場へと移行進化していくための必要行程でもあったのだろうか。

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NHKスペシャル「サグラダ・ファミリア 天才ガウディの謎に挑む」 

先日テレビ番組『サグラダ・ファミリア 天才ガウディの謎に挑む』を観た。
イエスの塔

世界遺産スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリア教会。ついに去年10月、教会の最大のシンボル・イエスの塔の建設が始まった。完成すると、サグラダ・ファミリアは世界で一番高い教会(175メートル60階建ての高層ビルに相当)となるという。しかし、建築家ガウディが残した建築資料はスペイン内戦で焼失。イエスの塔の壮大な構想は長年、謎に包まれてきた。その謎に挑むのは、サグラダ・ファミリアの芸術工房監督として、40年前からガウディの残した手がかりを探し、教会を作り続けてきた彫刻家・外尾悦郎さんだ。
以前にも外尾さんについて触れたことがある。

“今もスペインのサグラダ・ファミリア教会でガウディの遺志を継ぐ彫刻家・外尾悦郎さんのことが以前新聞(2013.6.8朝日―引用者注)で紹介されていた。石を彫りたい自分に気づいて、若き日偶然スペインで石の教会の工事現場に飛び込んで以来、今日までやってこれた理由に、ふとした心の転換があったからだという。
 それはガウディに近づこうとするのではなく、ガウディと同じ視点で見ることこそ必要なんだ、と気づいたとき、ガウディが自分の中にいて、同時に、ガウディの中に自分がいるという感覚が芽生えたというのだ!
 あ、これだ。こんな感じかなあ、と思わずうれしくなった。自分にも思いあたる節があったからだ。”(「と」に立つ実践哲叢22)

糸口は外尾さんの「ガウディに近づこうとするのではなく、ガウディと同じ視点で見ること」、つまりガウディと同じ視点(=位置)に立つというか、ガウディが込めた思い(=心)になることにあった! 
すると「ガウディが自分の中にいて、同時に、ガウディの中に自分がいるという感覚が芽生えた」!?というのだ。
ホント、これこそ目から鱗が落ちる気づきなのだ。これは〝近づこうとする自分〟から自分が〝その人(ガウディ)が見ていたもの〟を共に見るといった次元の飛躍・転換を意味する。この点はいくら強調しても強調し足りないところだ。

風来坊のような一日本人を、石工たちがすんなり受け入れてくれた訳でもないだろう。ただただ一生懸命に石を彫るだけだったはずだ。
その外尾さんが今芸術工房監督として教会の最大のシンボル・イエスの塔の内部をデザインする。塔の中に何を込めたらよいのか? それをガウディが願った心になって探すのだ。
そうした企画案変更の様子が興味深い。

塔全体でイエスの存在を感じる空間にしたかったのでは……。だとしたらイエスそのものがいるという空間とはどんなもの?
イエスが出会った人や風景を形にしてみたらどうか。神と聖霊を象徴するオブジェとか、ガラスのオブジェで森羅万象を〝種〟として配置して、それらを神から人間への贈り物として表現できないものだろうか。
実際に試作品もつくってみるのだが、どれもしっくりいかない。ガウディならどうするか? ヒントは必ずある。
番組では近年失われたと思っていたガウディの資料が大量に発見され、そこでのガウディが境目なく混じり合う色のグラデーションの実験材料から、イエスの塔につながるヒントが明らかになる。 
外尾さんは40年間探し求めていたものを見つけた思いで語る。

“自然には境目がないんですよね。空の色も海の色も。色が無限にグラデーションがかかって変わっていく。ところが人間が作るものはすべて境目がある。それをガウディは悲しく思った。
貧富の格差や社会の分断が広がる中で苦しみが続く人間社会がつくる境目を、自然がつくる自然のグラデーションで乗り越えるといったガウディの願い”
色のグラデーション

を彫刻やオブジェでなく、水・光・時間・土・重力など森羅万象を色に託して色のグラデーションで神から人への贈り物として表現してみようと思い至るのだ。
そんなサグラダ・ファミリアに託されたものを追い求めて止まない外尾さんの発言に励まされる。

そういえば、自分にも思いあたる節がある。
ある秋の「ヤマギシズム展示博覧会」での出来事だ。自分はテーマ(自然と人為の調和)館の担当だった。ところが約一ヶ月前からの準備の中で最初に立てた企画案にNGが出た。何で? テーマの焦点が全くズレていたのだ。そこで関係者で再度寄って、例えば次のような一節

“人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり、政治・経済機構も大改革されますが、その何れにも相互関連があり、この条件を必ず重大要素として組織し、総親和社会への精神革命を必要とする所以です。”

を研鑚しながら、『ヤマギシズム社会の実態』の書は実態の書であって、書でなくて実態そのもの。この実態の書を、実顕地そのものにしていくことが実顕地の深まりなんだといったこと等を確認し合ったことがある。
今にして思えば自分自身大きくズレていたが故の、何と素晴らしい僥倖にめぐり逢えたことだろう! 
その後何度もやっかいな局面に立たされた時、きまってこの一節を一字一句研鑚して心に焼き付けたことが鮮やかに甦ってくる。
人間は言葉による観方・考え方に立つことでしか、現実を乗り越える実態は立ち現れては来ないことを思い知らされたことだった。

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わが一体の家族考(154)

私心と全人幸福を願う心

また先の愛情研での柔和子の発言にもあったように当時1958年頃山岸巳代蔵は大村公才(キミオ)と自称していた。愛情研鑚会の記録として残っている1958年10月21日の研鑚会の初め頃に次のように語る。
奥村土牛 「鳴門」

“私は大村キミオっていう名をつけた、あれはね、ねえ、「全人に適当に使われたらいいんだ」っていう、そこから出た、あの夫(オット)っていう字を書いたんですわ。夫(オ)は、それではやはり一般を刺激するから、才(サイ)という字を書いてますけどね、夫(オット)という字、大村公夫って。一旦あのねえ、瀬戸内海でねえ、ねえ、私はもう、ワタシは捨てたんですわ、ね。私を必要としやね、ねえ、相合う人あるなれば自由に使ったらいいじゃないかって、大村公才(キミオ)。そういう私の観念を象徴する意味で大村公才とつけたんです。大村は世界っていう意味ですわ。ねえ、世界っていうことは、今の世界じゃない、永久の世界ですがね。世界の中で、ねえ、それで公才とつけたのはね、私のまあ才能って、そんなおこがましいもんじゃございませんよ、ねえ、能力そのものをやね、世界中の人のために役立つものがあるなればですよ、はっ、使われたらいいんだって、この気持なんですわ。で、いずれもこれは通じる「オ」なんですわ。”

この、私心の〝ワタシ〟にはもう、なんらこの世に未練がないというのだ。生きていたくなかった。即座にこの場ででも消えてなくなりたかった。
そう言えば1957年9月、和歌山の高野山での山岸会全国大会で西辻誠二さんが次のようなエピソードを披露していた。

“こんな名刺を持って来て、小さい小さい字で端の方に〝山岸〟と書いてある。外に何も書いてない。〝なんで所を書いてはらへんのや〟、〝いや世界……日本地区くらいかナ〟と言うてはるんですナ。それから〝あの堤防も直しましょうね、あの堤防の三倍もあるのを〟ちゅうようなことを言って、〝モデル農村をこしらえましょうね〟と言われる。わしも〝ハアーン〟となって聞いていたんです」(笑声)”

あえて平たく言い直せば、ここで山岸巳代蔵は〝二つの山岸〟を表明しているのではないだろうか。一つは瀬戸内海に捨てた〝私心のワタシ〟であり、もう一つは〝私が真理だと思うもの〟というか〝全人幸福に役立つ私〟である。もう一刻も早く死にたい私心と全人幸福を願う心との二つがうず潮のように渦を巻いていたのだ、と。
このうず潮のイメージこそ、この間の文脈での〝二つの幸福〟〝何でも二つある〟〝二つの事実〟〝二つの心〟〝「と」に立つ〟といった文言に重なるのだが……。

この運動をはじめるにあたって山岸巳代蔵は、〝自然全人一体の産物としての自己(自分)〟から出発していた。山岸養鶏普及にあたっても、くり返し鶏を飼う場合の鶏や社会との〝繋がりを知る精神(心)〟がそれである。
自分が全体の関連の中のどこに位置しているか、一つ一つ辿っていくことによって、自分の立つ位置が分かるとした。確かに自分の働きによる間違いの及ぼす影響ということを考えれば自分の位置の大きさを感じ、またみんなとの一体によって成り立っている繋がりから知る自分の小ささを思い知らされる。
そうした繋がりの中の自己(自分)にとってのいちばんの牆壁は、じつは自己意識や自我や主観や主体といった自分を護る観念から生まれる〝剛我〟観念であった。

その〝剛我〟観念との格闘・脱却劇を、〝我抜き研鑽〟としてもっともリアルな愛情世界の場で演じてしまうのだった。
しかもそこでの〝無意識ですわ、無意識にねえ〟と予期もしないのに起こった本当の恋愛の実践の場では今日までの恋愛・結婚理論など何の役にも立たなかったことであった。
それはヒニクにも真を求める者に課せられた運命というか結婚受難史を予期させるものだった。
いやその前にそもそも〝剛我〟観念とは、〝我抜き研鑽〟とはなにか? 再度軽く振り返ってみる。

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「と」に立つ実践哲叢(41)

新しい時代についていく

昨年11月末の村の交流会で何か皆の前で話せというので、たまたま当日朝のニュース〝中国政府、「世界初のゲノム編集赤ちゃん」研究の中止命令〟から思いついて、今世界で起きている目覚ましい科学技術の進化と自分ら日々の暮らしとの繋がりについて話してみたことがある。
ゲノム編集技術

今まで自然(神)の領域でなされていた遺伝子の組み合わせが画期的な遺伝子編集技術(クリスパー・キャス・ナインの発見)によってまるでワープロで文章を編集するように人為的に簡単に書き換えられるのだという! そのゲノム編集技術の開発者の一人、ジェニファー・ダウドナ自身が自著で心配していた真当の使い方を知らない人にも使える技術ゆえの懸念がまさに現実になったといえる。

以前にもスマホや自販機などに象徴される文明の利器の有り難み、温もりを振り返ってみたことがある。その時までは外なる創造・物質進化と内なる人間自体の開発・創造面とを切り離して考えていた。だから外なる創造のより一層の進化と共に肝腎の人間問題が立ち遅れにならないよう、今ほど人間自らの開発・創造の方面こそむしろ先行して取り組む時はないとしてきた。

ところが今世界で起きていることは、内なる心は知らぬ間に外なる便利で快適な科学技術の一方的な勢いに侵されつつあるという驚きにある。外なる創造する積極的能動をそのまま内なる人間自体に持ち込み、内部が心を持たないAI(人工知能)のアルゴリズムに置き換えられようとしているのだ。外と内が離れたものでなく直にリンクする、はじめての事態に直面しているのだ。
先の中国政府の中止命令に見られる旧来の生命倫理観から見ての今日の重要施策と同時に、今一つ、今直ちに着手しなければならぬことがあるのではないか……。
そんな話す本人も未知ではじめての事態のことをたどたどしく語るものだから、聞く方はもっと見事なくらいチンプンカンプンだったらしい。

それはさておき、そうした事態が当然の帰結ともいえるなら、今世界で起きている目覚ましい科学技術の進化はどうしたら真の幸福目的のために利用されるのだろうか。また生来の人間としての豊かさ、広さ、徳性を果たしてどれほどより広く深く進化させていけるのだろうか。問われるのは、内なる人間自体の開発・創造面であろう。

そう言えば当の〝クリスパー〟も細菌がウィルス感染から身を守っているという自然現象の研究から生まれたという。内なる人間自体の開発・創造というと大層難しいように聞こえるが、ヤマギシ会趣旨の一節〝自然と人為の調和をはかり〟という意味での自らの能動的な〝働きかけ〟としてとらえたい。
そうすると、それは誰の中にも無限大に潜在して人間ある限り無くならない、開発さえすればどんどん湧き出てくるものではなかろうか。その辺り今少し思い巡らしてみる。

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