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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

鈍愚考(24)

真実は立替え?
ソクラテスの遺言

先の映画『ワンダフルライフ』でのスタッフ望月の

“「僕はあの時、幸せな思い出を、自分の中に必死になって捜していた。そして、五十年経って、昨日、初めて自分も人の幸せに参加していることがわかった。それは、とても素敵な発見だった」”

という発言に想いをめぐらしていると、きまってある日の研鑽会での〝とても素敵な発見〟にも似た気づきへと重なっていく。
次のような一節を皆で研鑽した時だ。

“次の社会には屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝・報恩等は絶対にありませんし、そんな言葉も要らなくなりますから、他人のお蔭に甘えるわけには参りません”(『ヤマギシズム社会の実態』)

そこで、甘えるとは人の心からの親切などに対して「ありがとう」と感謝したりお礼の品を届けたりお金などの見返りで、それでこと足れりと平然とその行為を帳消しにしてしまうことだと研鑽した。
ギクッとした。何と自分はうかつにも今まで、甘い考えで人の心からの行為を無造作に取り切ってきたことか! 
自分よりの何か観念づけたもので自分を護り振る舞う自分のすがたを見た。自分よりの慣れ親しんだ甘い考えの外に、人と人との繋がりの、切ることの出来ない事実その中で生きているもう一人の自分を見出した思いだった。

そして気持ちのある行為の一例として、傘の例を研鑽した。
雨の日、向こうから傘なしで濡れてくる人がいたら、ふっと「この傘を使ったらいいよ」と差し出したい気持ちが浮かぶだろう。でも普通はそんな一瞬の気持ちが浮かぶか否かに(でも自分の方が濡れて困るな)といった様々な理由など何か観念づけたもので打ち消してしまう場合が多い。
もし実際に最初に浮かんだ気持ちで傘を差し出してみたらどうだろう。きっと相手も困っていた時だから、差し出されたものへの歓びもひとしお増すのが人の情けではないだろうか。傘を差し出す方も嬉しいし、受ける方も嬉しい。そんな世界があるのだ! パッと目の前が開けた思いがした。

そしてこうした事例から今一歩その事実をすすめて、一般的な何かを与えたら代わりに何かを貰う、何かを貰ったら代わりに何かを与えるという貸し借りなしといった〝ギブアンドテイク〟の意味でなく、自覚・納得の上で報酬を省みない(タダ働きになる)むしろ当てにされない行為・立替えの形での犠牲によく似た行為について次の一節を通して想いをめぐらした。

“物心何れにしても、誰か人の餌食になり終るものを、犠牲と云うのですが、この社会には犠牲はなく、この社会を造るにも犠牲者は一人も出しませんから、当人は報いを考えないが、真実は立替えであるから、必ず何かで終局的に返る仕組みになってあります。”(同書)

今一歩その事実をセンジつめていくと、〝真実〟は立替えであるというのだ!?
ここがロドスだ、ここで跳べ!と言われても、飛躍しすぎてちんぷんかんぷんだ。
ふと本ブログのタイトル「自己への配慮」の名付け親、フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926-1984)の亡くなる前の最後の講義録の一節が思い浮かぶ。
例えば『講義集成13 真理の勇気― 自己と他者の統治Ⅱ』でフーコーはソクラテスの弟子にしてアリストテレスの師に当たる古代ギリシアの哲学者プラトンの著書『パイドン』の読解に大部の時間を割いている。(1984年2月15日休憩をはさんでの約三時間)
なかでも、ソクラテスの遺言ともいえる最後の言葉〝クリトン(ソクラテスの旧友)、我々はアスクレピオス(ギリシア神話に登場する治癒をもたらす神)に雄鶏一羽の借りがある。私の借りを返しておいてくれ、忘れないようにしてくれ〟というある意味謎めいた言葉の解読だ。
つまりここでの〝忘れないようにしてくれ〟〝なおざりにしないでくれ〟との托された言葉の真意についてだ。いったい私になんの〝借り〟があったというのだろうか。もたらすものは、もたらされる恩恵に浴すともいう。いったい神のどんな配慮があっての、自分自身が真理を語り表明する勇気が得られたと言うのだろうかと。
〝真理の勇気〟、つまりすべてに逆らって自分の考える真理のすべてを語るというリスクを冒す者の勇気であると同時に、自分が耳にする不愉快な真理を真であるとして受け取る勇気でもあるという。
山岸巳代蔵も呼応するかのように

“やはり今日まで天・地・人・宇宙から注がれた愛護を受けた物心に対しての、何かなすなく逃避でき難いもの。せめて数々の失敗の記録を留め、それらに対して浅いながらも反省・考慮を書き留めてでもおくことは、僕の宇宙・全人に対してのせめてもの所業の一端とも言えようか。それさえもなさないで、自分勝手に私心のおもむくままに消滅することは、人間の姿態を許されたものとして、成し得て恥じないものだろうか。
私は、言った言葉は、書いた文字は、世界に何かの形で影響し、後世・永遠に取り消すことが出来ないと思う覚悟の前に立って、声を大にして叫ぶ。全人幸福以外に何ら生きる望みを持たない、成そうとすることを持たない私であることを、全人に、私に、しかして宇宙・自然に宣言する。大言か、偽善か、悪魔の叫びか、後世、真なる人達によって、はたまた、宇宙自然の真理によって、正しい裁断の下されることを確信しての叫びである。
考えること、思うこと、言うことは、人間としての僕には間違いないと断言する自信はないが、全人幸福を願う心に、つゆ毛頭の偽りはない。今後、時と場と綴る生命力を許される限り書き綴って、真理に悖らない、正しい生き方に生きようとする私であろうことを念じてやまないものである。”(「『恋愛と結婚』の前書き」)

と〝天・地・人・宇宙から注がれた愛護〟に応えるべく、真理に即応しようとする思想を生きようとした。
こうした先人たちの〝私の借りを返しておいてくれ〟(ソクラテス)とか〝真理の勇気〟(フーコー)とか〝天・地・人・宇宙から注がれた愛護を受けた物心に対しての、何かなすなく逃避でき難いもの〟(山岸巳代蔵)といった心底からの叫びにも似た最後の言葉に触れていると、正直何が言いたいのかよく分からないながらも厳粛な気持ちになってくる。
ともあれ各人各様の一人ひとりが、借りを返すとか勇気とか全人幸福を願うとかの真情の生々しい発露から人間の考えよりも一つ前にある真理を体現しようとする生き様に深い感動を覚える。

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鈍愚考(23)

映画『ワンダフルライフ』
ワンダフルライフ

何年か前に映画『そして父になる』(是枝裕和監督)がカンヌ国際映画祭で賞を得て評判になった際に、ビデオ屋さんで是枝監督の幾つかの作品をレンタルした。その中に監督の第2作にあたる『ワンダフルライフ』(1999年4月公開)という作品があった。海外ではいろんな賞を受けた作品だが、日本では〝途中退屈でどうしようもなくとうとう寝てしまった〟といった感想もあったらしい。ストーリーを要約してみる。

死んでから死後の世界へと旅立つまでの一週間死者たちはある施設に入る。そこで施設のスタッフとの面談で次のように告げられる。
「あなたの人生の中から大切な思い出を一つだけ選んでください。」
しかもその思い出は施設のスタッフ達の手によって映像として再現される。そして最終日の上映会で、その思い出が死者たちの中に鮮明に甦ったまさにその瞬間、天国でその幸福な思い出と共にすごす、永遠の時間が約束されるのだという!?
スタッフはそれぞれが担当する死者たちから、例えば次のようなもっとも大切な思い出を引き出す。
「出産のあとかな」
「橋の上で、死んだと思っていた婚約者と偶然出会ったとき」
「都電の一番前で風に吹かれていたとき」
「二十歳の頃、自殺未遂に終わったときに思い出された恋人の顔と母親の顔」
「関東大震災のとき逃げた竹やぶでブランコしたり親とおにぎり食べたりして、すっごく嬉しかった」
「兄さんに踊れといわれ、買ってもらった洋服で童謡〝赤い靴〟を踊ったとき」
「四歳の頃、母親の膝枕で耳掃除をしてもらっていたとき」等々。

なかでも元会社員の渡辺さん(七十歳)の例はこの映画の背骨となって、作品価値を高めている。渡辺さんは何か〝生きた証〟が分かるような出来事を選びたいのだがなかなか見つからない。
そこでスタッフは参考にと、七十年間の生活記録が録画されたビデオテープを用意する。
ある時ずっとビデオに見入っている渡辺さんをスタッフの一人望月が様子伺いに訪ねる。画面では新婚時代の朝の食事風景が映し出されている。望月は奥さんの京子という女性に一瞬眼を奪われる。動揺してしまうが、あわてて次のような会話を交わす。

「幸せな?」
「えぇ、まぁ」
「そうですか」
「いやぁ、まぁ、ごくごく平凡な」

渡辺さんは自分から〝生きた証〟を口にした割には何もない自分の人生に悲観的になっている。
そこから問わず語りに自分の結婚に至る経緯を語るうちに、望月もこの施設で今日までスタッフをやってきた理由を明かしてしまう。じつは彼もまた渡辺さんと同じ世代であるのだが、彼は二十二歳で戦死しまって最後まで思い出を選ぶことがなかったのでこんな若い年格好のままスタッフでいるのだと……。

そして最後に渡辺さんが選んだ思い出は、妻と二人で映画を観に行った〝たあいのない休日の公園〟だった。
しかも渡辺さんはここに至って妻との思い出を選ぶに至るまでの感謝の気持ちをも含めた望月宛の手紙を書き残していた。
その手紙を読んで茫然自失する望月。渡辺さんは、京子さんは彼の許嫁(いいなずけ)であったことを暗に悟っていたのである。
そんな望月に日頃思いを寄せるスタッフのしおりは、望月への励ましの意味を込めて京子さんの思い出テープを資料庫から探し出す。するとなんと彼女の大切な思い出は、同じ公園でベンチに並んで座っている京子さんと出征前の望月だった!

望月ははじめて気づく。今まで自分の思い出は自分の中だけにあるものだとばかり思っていた。実はそうではなかった?
自分の中で、思い出というものが大きく変化していることに気づくのだ。そして今日まで出会ったたくさんの人や死者たちに加えて撮影のために使った物たちまでもが生き生きと彼の前に立ち現れてくるのだった。

なぜこの映画作品にこんなにも心惹かれるのだろう。
すでに死んだ人から当人にとって一番〝大切な思い出〟を聞き出すというあり得ない舞台設定ながら、そのことがなんら不自然なく観る側にも感じられてくるところだろうか。
しかも各人各様の〝大切な思い出〟の奥底に共通して流れるものが自分の中にも流れているという気づきにあるからだろうか。 
それは主人公・望月の次のようなしおりとの会話からもうかがい知ることができる。
この作品のクライマックスだ。その場のイメージがまるで自分のことのようにリアルに浮かび上がってくるようなのだ。

しおりは言う。
「いなくなっちゃうんでしょ」
「選ぶんでしょ。私わかるんだ。あの人との思い出を選ぶんでしょ」
「私なんでそんなこと手助けしちゃったんだろう、バカみたい」
長い沈黙のあと、彼は応える。
「僕はあの時、幸せな思い出を、自分の中に必死になって捜していた。そして、五十年経って、昨日、初めて自分も人の幸せに参加していることがわかった。それは、とても素敵な発見だった」

幸せな思い出は自分のみの中にはなく、ここでのあなた(=しおり)やいろんな人たちとの出会いと別れの関わりの中からもたらされるものだという大発見に価する気づきだった。それは〝五十年経って〟に込められた歳月の重みに凝縮されるとても〝素敵な〟ものなのだ!
そこから生のかけがえのなさが一気に押し寄せてくるようだ。
ちなみに昨日渡辺さんを見送るために作ったセットの公園のベンチに座りながら望月が選んだ一番大切な思い出とは、ここでのしおりをも含むスタッフたち仲間の姿だった。

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鈍愚考(22)

死の瞬間を最大の極楽境に
キリストの磔刑

また同書『神を待ちのぞむ』でヴェイユは次のようにも述べている。

“死の瞬間が人生の規範であり目的であるといつも信じてきました。人間としてふさわしい生き方をしている人々にとっては、死の瞬間は、時間の無限小の部分と交換に、純粋な、裸の、確実な、永遠の真理がたましいの中に入りこむ瞬間であると考えておりました。それ以外の幸福を、自分のために得たいと願ったことは一度もなかったと申しあげることができます。”

死の瞬間の時間と永遠の真理とが〝交わる〟ところに〝聖なるもの〟・〝真の幸福〟を見ている!? 
思わずイエス・キリストが磔刑に処されたときの十字架をイメージするのだが、ここでは贖罪的な意味をも超えたところでの〝真の幸福〟を顕すものとして捉えられている。ルカによる福音書23章43節でイエスは同じように十字架にかけられた犯罪者の一人に言う。

“「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」”

エッ、どこが楽園? その前の34節でもイエスと一緒に死刑にされるために十字架にかけられた左右の犯罪者に「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と興味深い一言をもらしている。この間の文脈から我田引水的に解釈すれば、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何でも二つあることを知らないのです。」といった内容になるのだろうか。

1953(昭和28)年3月に山岸会が発足以来山岸巳代蔵は、全国の篤農家が集まっていた「愛農会」や「愛善みずほ会」などの機関誌に求められるまま本音で〝山岸式養鶏法〟の目標・特質について寄稿していた。
その中に『愛農養鶏』(1954年7月号)に「自ら墓穴を掘る」と題された原稿は次のような一節から始まっている。

“――蚕は繭に収まりて生まれ更わり――
――人は棺に入りて命永し――
私達は分時を刻んで何事かを営み続けておりますが、私の如きは省みて抹消したくなることばかり、受けたのみで何の置き土産なきまま、墓場が目睫に迫りつつあるのを感じます。
アア、まあ、これだけ出来たらとニッコリ笑って逝きたいものです。
私は葬式も墓標も要らないです。本当に小さいケシ粒ほどの土産が残るとしても、それに名札も無用です。タダ後の世の人々に偽ものだったと嘲笑されないものを、と願っています。”
蚕の一生

ここでの〝蚕は繭に収まりて生まれ更わり〟とは、蚕の一生(生態)での卵から生まれた幼虫は〝クワ〟の葉を食べて脱皮しながら大きくなり、糸を吐いて繭をつくる。そして自らつくった繭の中でサナギになる(生まれ更わり)。そしてサナギは成虫(蛾)になって繭から出て交尾して卵を産んで後の世への生命の繁栄を託していく。少なくとも得たものを積み、規則正しく脱皮を、そして吸収成長の期と、整理と、次代への生命の繁栄を画然と区分けして、しかも絹やその他のものを残すことを指しているのだろうか。

ひるがえって人間の方の〝蚕の繭〟に引き比べられるものとはなんだろうか?
〝受けたのみで何の置き土産なきまま〟とか〝本当に小さいケシ粒ほどの土産〟といった言葉が胸に突き刺さって平然としていられなくなる。
それにしても〝人は棺に入りて命永し〟ってどんなことなんだろう。ずっと気になって仕方ない。人は棺に入って一巻の終わり、そこから先は無ではないのか? 宗教の扱うテーマなのではなかろうか? 
きっとここでの〝永遠〟とか〝死〟という言葉が自分の中の死生観を逆なでするのだ。うまく自分のこととして腑に落ちてこないのだ。どこかで思い違いしているのか。観念的な理解ではつかむことのできないものらしい。

しかもなんと山岸巳代蔵の言説は、〝永遠〟とか〝永久〟とか〝死〟という言葉に溢れていることに今頃になって気づかされる。曰く、
○永遠に生きる
○永遠の心の知友を得たことの悦び
○永久に一心同行たらんことを念願するもの
○永遠に変わらぬ
○永遠に揺るぎない真の幸福社会
○永遠の幸福
○永久に行き詰まらぬ
○永久に幸福を齎す
○永久に繁栄
○永遠のものたらしめんとするもの
○私は何時かは来るであろう人類終滅の日までの永遠説論者
○日常茶飯事にも永遠に大きく生きんことを心するもの
○死んでからの極楽よりも、死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします
○死は生だ
等々。

さてどうしたものか。
それにしてもヴェイユの死の瞬間の時間と永遠の真理とが交わるところに〝聖なるもの〟・〝真の幸福〟を見る観点には大いに刺激される。
山岸巳代蔵の言説では、
○死んでからの極楽よりも、死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします
に重なる辺りのことであろうか。
誰もが生きている現在と永遠性が〝交わる〟場所、〝永遠と今が一つ〟からいったい何が湧き出ているというのだろうか。

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鈍愚考(21)

理想実現の出発点
後光が射す

ヴェイユが亡くなる一年ぐらい前自身が〝精神的自叙伝〟(1942.5.15記)と呼んだペラン神父に宛てたとされる手紙(『神を待ちのぞむ』所収)に次のような一節がある。
まさに〝誰の心にもある真実〟とはこうした心の軌跡を経てはじめて見出されるものであるのだろうかと知らされる。

“十四歳の時、私は思春期の底なしの絶望の一つに落ちこみました。自分の生来の能力の凡庸さに苦しみ、真剣に死ぬことを考えました。パスカルの才能に比較されるほどの少年期、青年期を持ちました私の兄の異常な天賦の才能が、どうしても私に私の凡庸さを意識させずにはおかないのでした。
外的な成功を得られないことを残念に思っていたのではなく、本当に偉大な人間だけがはいることのできる、真理の住む超越的なこの王国に接近することがどうしてもできないということを口惜しく思っていたのでした。真理のない人生を生きるよりは死ぬ方がよいと思っておりました。
数ヶ月にわたる地獄のような心の苦しみを経たあとで、突然、しかも永遠に、いかなる人間であれ、たとえその天賦の才能がほとんど無に等しい者であっても、もしその人間が真理を欲し、真理に到達すべく絶えず注意をこめて努力するならば、天才にだけ予約されているあの真理の王国に入れるのだという確信を抱いたのです。”(『神を待ちのぞむ』)

とふり返る。
〝たとえその天賦の才能がほとんど無に等しい者であっても〟心から欲し、念願したり、そうなろうと心がける気持ちそれものから理想実現へと繋がる道筋が、自ずと浮き彫りにされてくるようなのだ。その理想実現に生きがいを感じると心の底から不思議とよろこびが沸きあがってくるようなのだ。これこそ世紀の大発見ではないのか! どこが? 
ヴェイユの抱いた〝確信〟の中身、そうした心の状態に秘められているその機微についてだ。
ここに理想実現の出発点を置かない全ての革命的な試みは、即挫折や敗北や悔恨に至るのは自明である気がしてならない。
なぜならそこに自分の考えや知恵、体験などに災いされていない知恵から放れた〝神心〟といったものが見られているからだ。そういうものが感じられるのだ。
そうなのだ、〝才能がほとんど無に等しい〟者であるからこそ、はじめて開ける、見えてくる光景があるのではなかろうかと。この事実の気づきを世紀の大発見だというのだ。 
山岸会の運動が始まってしばらくした頃(1954.8)山岸巳代蔵に「難解な私の言動」と題した一文がある。

“私の云うこと、書いたもの、行いの殆どが、殆どの人に、不可解に終ることを知っています。
御忠告も頂きますし、反省もし、また結果については特に注意深く神経を針にして感じ取っているつもりです。文章に、対話に、講習、講演会等に、対者の大部分が、否、全部の人が解らないとおっしゃいます。”

から始め、自分としては出来る限り誰にでも解っていただけるように努めてはいるつもりで、せめて

“999人が解らなくとも、一人の人に解ろうとする端緒を掴んで貰えば、それで大成功と思って初めからそれ以上を期待しません。”

と心情を吐露しつつ、その原因に

“我田へ水を導き入れて増収しようとする人を、百里先の水源地工事に誘おうと云うので、どうも御機嫌を損じてしまいます”

といった互いの通じ合わなさをあげている。
その後「特講」で出会った福里柔和子らと共に本人の弁で〝鬼畜のような形相でグングンやった〟愛情研鑽等を経て、1960.3.6頃の研鑽会記録の中で次のように発言している。

“ところが、「分からん」と言われるとね、「なんや、こんなに喋っているのに頼りない」と、こういうものやね。だいぶ分かってあるのかと思っているのにね、だいぶ理解してくれたなと思って、聞いてくれたなと思っているのにね、「どう思う?」と言うと、「分からん」。何やしらん、ふうっと抜けてしもてね。「なんや、つまらん」と、こう思ったものよ、過去において。”

“「そうか」、「なるほど」、「そら苦しかったやろな」、こうやられたらね、そうすると、まあ同調者が出来て、味方が出来てちゅうかね、理解者が出来て、非常にこう力強く感じたものよ。”

“そら煮え切らんのよ、まあ。そんなものやったがね。けども、そういう人達によって訓練されてね、「ははあ」、「ああ」、「ははあ」と、こうなってね、楽な。こんなら危なさがないし、楽なちゅうものが、だんだんだんだんにこう、そんな気持になってきたんや。”

“理解者欲しいというようなこと、自分の苦しさを聞いてもらわなんだらもうっていう、そういうものでなくなってきてね。理解者の数が要らんという、自分が理解者になったらええのやと思ってね。それからこそっと楽になったね。妙なもんやわ、そら。”

ここでは「分からん」にも二つあるのか、その言葉の出てくる真意、本当に言わんとする深みについての大きな気づきが記されているように思う。
この時期4月12日に予定される自身の自意出頭(全国指名手配中だった。その年の10月には起訴猶予になっている―引用者注)に備える切迫した日々の中で、柔和子を始めもっとも身近で自分を世話する人達からの率直な「分からん」に象徴される〝そら煮え切らん〟態度に直面して〝訓練〟されてか、〝「ははあ」と、こうなってね、楽な〟世界をむしろ逆に見出すのだった。
理想実現に繋がると確信する「難解な私の言動」を省みつつ、ふっと〝理解者の数が要らんという、自分が理解者になったらええのや〟といった気づきにたどり着くその心の軌跡・機微がじつに味わい深い。人と人との繋がりの間からなにかほのぼのとした温かいものが漂ってくるかのようだ。
ここには世界中の人がみんな仲よく幸せになるようにと願って、家財産はおろか生命までもつぎ込でこの運動に尽している人達の真意に通じていくものが感じとられる。

その一例を事件の最中、山岸巳代蔵を自宅の倉の中にかくまった会員のお母さんの証言からも見てとれる。
もちろん村の公民館には手配書が貼られてあるし、家にも捜査員がきて「嘘をつくと罪になるぞ」と脅かされた。しかしもうこの道を突き進むしかないと腹を決めて「そんな人預かっていません。罪になることは知っています」とはっきり言い切ったという。
あとで「あの時のお母さん、後光が射していた」と山岸巳代蔵もふり返っている。
ヴェイユもまた自ら希望して飛び込んだ柄にもない工場体験などで肉体的に打ちのめされつつ実は仲間たちからのちょっとした一言に癒され励まされる日々を通して、〝他人の不幸が私の肉体とたましいの中にはいってまいりました。〟(同書)という。
そうした気づき・発見は、

“分かる私でなしに、どこまでいっても分からない私。その中でも、相手を最も聴こうとするもの、そこやね、分からないなりにも。そやね。”

といった山岸巳代蔵の発言の真意とも響き合うようなのだ。
得てして理想を掲げ、真理を追い求める試みは、挫折や敗北や悔恨等に象徴される頭でっかちな袋小路に迷い込みやすいのか今や敬遠されて久しい。
そうした時の流れの中で、ここでのヴェイユの抱いた〝確信〟や山岸巳代蔵の〝こんなら危なさがないし、楽な〟世界に触れていると明るい展望が開かれてくるようだ。

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「と」に立つ実践哲叢(55)

面白いのでやっている
コロナと仲良し

第一回の「特講」が開催される半年ほど前、養鶏の講習もかねた会の研鑚会に参加した明田正一(後の参画者)さんが、「キチガイになれたのが嬉しい。キチガイが治らぬうちに来る気はないか」と手紙を山岸さんに出したら

「変り者を探している。変り者を探し合って、変り者でない人を変り者にしようじゃありませんか。そして世界中の人みな変り者に変えましょう。」(1955年6月8日付)

と返信があり、翌七月には明田さんらの部落に出向き「掘立小屋を建てて藁の上で筵をかぶってでもやっていく、私はこの地の土になりたい」と言って山岸式鶏舎を建て育雛を始めたというエピソードを以前紹介した。
その明田さんにまつわる次のような話もじつに興味深い。

1958(昭和33)年現在の春日山実顕地に各地から家・財産を処分して集まってしばらくした頃、だんだん資金繰りが苦しくなってきた。その時「まだ金あるのか、そんなんあるからやりにくいのや。わしは革命をやりにきたんが面白いのや」と発言して周囲の人をハッとさせたという。

明田さんは「面白いのでやっているのや」と言う。多分本人は普通に感じたままを言っているだけなのだろうが、自分らが今聞いてもそういえばそうだったなあと呼び覚まされるような心躍る思いが湧いてくる。〝面白い〟ってどんな心の状態なんだろうかともっと尋ねてみたくなるような。
先に世界的な新型コロナウイルス感染に触れて次のように記した。

“たしかに宇宙自然界に在るものは、害し合うのでなく適所を得ればバランスを保ちながら共に生きていける性質のものであるはず。
そうした〝万物万象は共生だ〟として眺めると、現状でやれることとしての徹底した隔離と消毒の予防法と同時に、一方的に人間の方から敵視・排他してウイルスをなくそうとするのではなく被害が起こってこないようにもっていくいちばん肝心な〝人間問題〟が未解決で残されていることに気づかされる。”(「と」に立つ実践哲叢52)

コロナ問題の一番の決め手は、〝人間問題〟つまり被害が起こった先でなくて、起こってこないようにもっていく元=心の世界の確立にあると思う。
〝万物万象は共生だ〟という一体観に立つことが先で、現状での一方的に人間の方から敵視・排除してウイルスをなくそうとする対立観や従来からの部分科学観からでは仮の解決しか得られないだろう。

幸い自分らには「真理は一つであり、理想は方法によって必ず実現する」という考え方がある。案外この真理を基準にしてやれば簡単にやれる、やれるのが当たり前だ。それを心一つの研鑽でやっていこうとするのだから。

明田さんのどこへ行っても引っかからない、何でも面白いといった心の状態に、たかが心一つの精神論でどうなるものでもないと小馬鹿にしがちな考えを一瞬にして溶かしてしまう汲めども尽きぬ源泉を見る思いがする。

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鈍愚考(20)

名を求めない範疇
シモーヌ・ヴェイユ

人は「食べたいから食べる」「腹が空いたから食べる」といった世界しか知らない。そんな一つの世界しか知らない人はそれゆえしんどい思いをくり返すのだなぁと思いあたることばかりだとわが来し方を振りかえってきた。いったいそのどこに原因があり、取り除くことができるのだろうか。
良い・悪い、反対・賛成、離脱・残留、有罪・無罪といった二律背反や二項対立・対抗の意味での二つでない〝二つある〟についての話だ。
買い物をする場合百円しかなかったとする。その時プラス五十円となれば豊かになるが、二百円当然要るのに百円しかない。あるいは百五十円しかない場合は不足感しか残らない。そんな人間心理に日々振り回されている。
ここでくり返し明らかにしたいのは、そんな二律背反や二項対立・対抗等の〝物象面・金より前に一つあるもの〟についてだ。そういうものの観方についてだ。
フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)も山岸巳代蔵と同じような精神、筆法で真なるものに迫っている希な女性思想家だ。

“名前は同じであるが、根本的に別々のものである、ふたつの善がある。悪の反対のものとしての善と、絶対的なものとしての善と。絶対的なものには、反対のものはない。相対的なものは、絶対的なものの反対ではない。それは、絶対的なものから出てきたのであるが、この関係は逆にはできない。わたしたちが望んでいるのは、絶対的な善である。わたしたちにたどりつくことができるのは、悪と相関関係にある善である。
主人である令嬢とまちがえて女中の方を愛することに決める王子のように、わたしたちもこの善の方へとまちがっておもむいてしまう。まちがいをおこす原因になるのは、着物である。相対性に絶対性の外観をまとわせるのは、社会的なものである。このまちがいを避けるには、関係づけに思いいたらねばならない。関係づけは、社会的なものをはげしくつき放してとび出す。”(『重力と恩寵』)

ここでの〝善〟を〝幸福〟の文字に置き換えて読むと、『ヤマギシズム社会の実態』山岸巳代蔵著の中の第一章概要「8 幸福一色 快適社会」での筆法と同じなのに驚く。
山岸巳代蔵が1955(昭和30)年八月に母・ちさが亡くなった時、会葬者全員に小冊子『二つの幸福』を配ったとされる。そこでも次のように記している。

“二つの幸福がある。真の幸福と幸福感だ。どちらも同じ言葉をもつが、根本的に相異なる。何時になっても変らない真の幸福と、不幸に対しての対句としての幸福感である。喜怒哀楽に象徴される一時的の満足感を幸福だと思い込んでいるのは仮の幸福であり、ただ幸福だと思っているのみで、こんなはかないものを幸福感と呼んでいる。”

ここでのヴェイユの〝わたしたちが望んでいるのは、絶対的な善である。わたしたちにたどりつくことができるのは、悪と相関関係にある善である〟といった含蓄のある一節から、この間自分らが直面してきた〝理想と現実の一致・一直線について〟の様々な取り組みがリアルに迫ってきて身につまされる思いが呼び起こされる。
かつてスターリンからはじき出されフランスに亡命していたロシア革命の指導者トロツキーと激論を交わしたとされるのも故無しとしない。
この辺りの洞察の機微に惹かれる。
絶対的な善とは? 真の幸福とは? 相対に立つか、絶対に立つか。絶対に立つとはどういうことか? そんな立ち処が観えるかどうか? 詰まるところ〝わたしたちにたどりつくことができるのは、悪と相関関係にある善である〟しかないのか? 
中国北宋の文人・蘇軾(1036-1101)もいう。
“脚力尽くる時 山更に好し”と。
それにしても西洋・東洋二人の期せずして真なるものについて同じ筆法を用いている辺り、じつに興味深い。
そんな第二次世界大戦中に英国で無名のまま若くして客死したヴェイユに贈りたい言葉がある。

“「それは結構な理想ではあるが、現実はどうですか、何も無くなったらどうします?」と云う人は、大分進んだ物判りのよい意見だと、自分では思っているらしいです。
しかし私は自殺せない限り、人里離れた処で行き倒れない限り、死なされないことを知っています。また自分のしたい放題のことをして楽しみ、遊び踊って(私の日常は踊り)悔いなき生き方で、この途でならニッコリ笑って死ねそうです。
私共のグループはこんな連中ばかりで、日々刻々に急速に大きな集いになりつつあります。
老若男女の同類がよくもこんなに早く、多く、寄って来ることよ、です。幼少の子供を何人も持つ夫や婦も。
金も名も求めず、各自の身に合う仕事で世界中に踊り、天地に愧じない連中には、至る処家在り、食有り、友、吾が子ありです。
1955.6.13 山岸 巳”(『山岸会養鶏法』)

ヴェイユもまた、誰の心にもある真実について自覚的だった。

“人間だれにでも、なんらかの聖なるものがある。”(『ロンドン論集とさいごの手紙』)

のだという。しかもそれは、〝人間の中の無人格的なもの〟だ。そう、二つの領域があるのだ!

“人格の表出のさまざまの形式であるにすぎない科学、芸術、文学、哲学は、華やかな、輝かしい結果が実を結び、それによっていくつかの名前が数千年にわたって生きのびる、というある領域を構成している。しかし、この領域を越えて、はるかかなたに、この領域とはひとつの深淵でもって距てられた、もうひとつ別の領域があり、そこには第一級のものがおかれている。それらのものは本質的に名をもたない。”(同書)

そうなのだ。

“真理と美は、この無人格的な名をもたぬものの領域に共存している。”(同書)

この領域こそ聖なるものだ。
だとしたら〝深淵でもって距てられた〟この二つの領域は、どのように〝関係づけ〟られるのだろうか?
山岸巳代蔵は〝金も名も求めず世界中に踊る〟のだという。金を求めない意味も実も分かる気がするが、名を求めない範疇とは? たんなる所有欲とか自己顕示欲・名利を超えてではないのだ!?

自分のやったことに名札をつけて、後世に残そうとしない。その時その場で最高に活かされ、それ自体が歓びで、足跡を消して消え去っていく……。全ての現象はみなそれぞれの立場での目立たないこうした無現象界からの心で成り立っているのだろうか。
そこはまたヴェイユが生きた匿名の領域に通じているかのようだ。

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鈍愚考(19)

〝何でも二つある〟
馬乗り

普段の考え方の観念慣性より山岸巳代蔵が言うところの理念観念が上回るような、そんな思考の慣性の転換をはかるきっかけとなったのはある日の研鑽会でのテーマ〝平等について〟だった。

“平等は機会均等が急所。
機会均等=資格=機会均等。
欲するものが自由に得られる機会が、均等に得られるのが、平等。
誰でもが、その資格を持てば、そこに住める機会を誰にでも与えられる。
資格が、機会均等についてくる。
希望があるから全部そうするでなく、資格が問題。
食べたいから食べるのと、食べなくともよいが食べるのと、何でも二つある。”

ここでも〝何でも二つある〟と、二つの事実のテーマが拡張されて登場している!?
しかも誰もが身近にやっている食べることについてが題材だ。
食べたいから、腹が空いたから、食べるのでしょ? それこそ勝手自由な面々のはからいでしょ。
だとしたら〝食べなくともよいが食べる〟ってなに? 諺でいう古武士の〝武士は食わねど高楊枝〟のやせ我慢の世界? 清貧の世界? やりたいからやる、寝たいから寝るのでしょ?
好きな物を美味しく食べるのに資格? なんでそんな肩ひじを張った物言いをするのかサッパリ分からない。

話はアフリカの子沢山の例におよんだ。なぜ資格を設けないのか? 命の大切さ人権を言うならなぜ簡単に乳児らは死んでいくのか?
また毎日車で送ってもらっていて、ある時歩いてくださいと言われた時の気持ちはどんなだろう? 生活レベルを落としにくいのはなぜなんだろうともふり返った。
住居でもそこに住みたい場合、子供の数とかの理由・条件を真っ先に考えがちだが、まず〝住めなくてもよいが〟があって次に資格とかふさわしさなどがあるのでは……。
人間病気したり年をとってくると、やれ腰が手が痛いからと正義の旗を振りかざすように要求が増えてきて、結局のところ不平不満がたまりがちになる。なぜなんだろう?

研鑽していくうちに、〝二つある〟を知らされるだけでふっと楽になる瞬間があった。よくは分からないけれど〝○○しなくてもよいが〟といったある意味受け身的な心持ちの中から何かしら責任や負担にならないというか温かさ潤いのようなものさえ感じられてくるのだった。人にものを頼む場合でも、忘れなかったら言うといてといった感じに似てるかもしれない。
なぜなんだろう?

たしかにここで言わんとする生きる資格があるか、飯食える資格があるか、それをやる資格(例えば運転免許を取る資格など)があるかといった〝資格〟条件のテーマは、個々別々に離れて暮らしている対立的な社会では絶対に浮上してこないかもしれない。
誰も隣の豪邸を見て本質的な問題に行き着くはずの素朴な疑問を覚えることはまずないだろう。弱肉強食のいやな世だが仕方がない、こんなものだよ、と諦めている。
しかし自由・平等は人間社会を組織する原則として間違いないとするものならば、理想と現実との一致・一直線の世界を構想するものにとっては絶対に避けて通ることができないだろう。ここを不分明なままにしておくと、皆そうである場合は得心いくが自分の思いがかなえられない場合や違う場合、必ず不平不満が湧き出る温床となって、それへの解決にいたずらに悩まされるにちがいない。
皆で仲良く楽しく暮らしたいという万人が願ってやまぬ心からの気持ちがかなうには、資格をつけるといったテーマは必須要素であろう。しかもそれを自分で決めないところがミソだ。

ここでもある意味〝○○しなくてもよいが〟といった受け身的な心持ちの中から〝もっと楽〟な状態が現れ出てくるようなのだ!
ふと、かつていつも吃音など劣等感を生きた自分が次のような山岸巳代蔵の発言に触れて〝あっ、そういうことか!〟と何か吹っ切れたような気がした衝撃がよみがえる。

“破産して立ち上がった人は強い、絶対線を持っている。まず心が出来てからは強い、安心。安心から出るものは軌道に乗っていく。よし失敗しても、それを体験として生かしていける。(略)
暗く見る人と、事実その中で生きていく強い自分を見出している人と、二つの逆の考え方がある。暗く見える人はそればかり見える。心の解決できた人は、やがてそれが明るい豊かな世界が来ることが見えている。”(「ヤマギシズム生活実顕地について―六川(むつがわ)での一体研鑽会記録から」)

その時の〝何か吹っ切れたような気がした〟のは、ここでの〝事実その中で生きていく強い自分を見出〟すといった一節からそれまでのじぶん自身のみじめさがひっくり返ったからだ。
そうか〝事実その中で生きていく強い自分〟に自ら成ろうとするのでなくある意味受け身的に見出すのだ! と思い定めると、何か力強いものが湧き上ってくるのだった。

二つの逆の考え方がある。
もちろん〝仲良し〟にも二つある。ライオンはシカを食い続ける。当たり前に食われ続ける共生共活の仲良し・実態を見る思いがする。ひるがえって人間側の視点から眺めるとそうした姿は弱肉強食の世界にも見える。時には縁の下の力持ちや遊びで馬乗りの馬になることもやったりはするが、やっぱり多少はそんな自分を認めてもらいたいとする気持ちも湧いてくる。
また例えば〝心配〟という言葉がある。本来は心を配り、過ちなからんとすることであるのに、普段は不安になる気持ちから「心配を掛けて」「そんなに心配してもらってはすまん」「心配していたが……安心した」といった安心の反対として使っていることに気づかされる。エッ、どういうこと?

つまり安心にも〝まず心が出来てからの安心〟と不安に対しての対句としての〝安心〟の二つあるというのだ。
そう言えば「腹空いたなあ」と腹の底から湧いてくるような空腹の味ってどんな味(だった)なんだろうか? 腹が空いたから即食べるに直結する日々しか生きていないからか、そのものの味を味わい、そのうえ食べる資格をつけるための今は役立たずでも、やがては役立つだろうと〝食べなくともよいが食べる〟といった世界が広がってくる生き方がとても新鮮に映ってきた。

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 「と」に立つ実践哲叢(54)

老いることは幸せ?
鶴は千年亀は万年

今回のコロナ禍で世界中の人々が不安と恐怖にかられているのは、自分ら団塊の世代以上の高齢者や持病持ちが感染するとあっという間に重篤化して死ぬこともある怖いウイルスだという事実にあるのだろうか。ひと言で言うならまだ死にたくないのだ。できれば千年でも、いや永遠に生きたいとする本能的欲求の現れからだろうか。

もう三十年ほど前になるが、秋の行事として〝ヤマギシズム顕示博覧会〟と称してヤマギシストが日々考え行っていることを写真や絵物語や模型で表現・展示してみたことがあった。
そのなかに〝老いることは幸せ〟と題されたパネルがあった。それを見て、ウソー!年を重ねて耄碌(もうろく)することのどこが幸せ?とビックリしたことがある。

そこでは老いて蘇(よみがえ)るという〝老蘇〟の生き方について触れられていた。例えば漢字〝蘇〟の草冠は野菜類を代表し、魚や禾の字形は魚や穀物を表している。即ち豊かさの象徴、老いて蘇る豊かな生き方の提言である。山岸会養鶏法でいう〝老鶏は若雌(若々しく)のような、若雌は老鶏(牛のような)の如き……〟にたとえた日々新た頑固のない老人の生き様を描いたものだろうか。
当時はまだ若かった?からか、今一つ釈然としないままどこか他人事のように聞き流してきた。今迄の社会通念から観ると、誇大妄想狂の食言(嘘をつく)にも思えた。
でも不思議とその言葉に引っかかりながらも妙に惹かれるのだ。いつも心の隅でなぜそんな常識外れなことが言えるのだろうかと問いかけてくるのだ。

だけど〝若さは今にある〟とは理屈では言えても、寿命が尽きるのが目のあたりに迫ってくるような感じが実感されてくると先にあるものがだんだん古くなっていき底なしの寂しさ・孤独に襲われてしまう。テレビの特集番組は、他人事ではない深刻な老後の現実を老人漂流社会と見なして〝歳をとることは罪なのか〟と生々しく迫ってくる。

ある時ここでの〝老いることは幸せ〟の幸せの中身って、不幸に対しての対句即ち今までの人間観念界の喜怒哀楽、幸福感のはかなさを指してはいないのだと気づかされた。ああそうか、と腑に落ちるものがあった。
ローソクが燃え尽きる時、自然になくなる。人間も使えばすり減ってきて肉体の自然はやがては消える。それって観念でなく事実そのままの姿ではないのだろうかと。

そう言えば世界革命実践の書に〝各々の立場において、真実、それに自己を生かす〟とあったが、一高齢者として、真実、それに自己を生かすってどんなことなんだろうか。それを自分の生き方として、老いて蘇るをそのままやってみようというのであろうか。
しかしこの期に及んで、日頃人やモノの最大限の活用をうたいながら、いざ自分自身を〝真実、それに自己を生かす〟となると急に難しく感じられてくるのが滑稽である。

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鈍愚考(18)

正しい眼を持つことこそ
自然と人為の調和思想

自分らはいったい今どんなテーマに直面しているのだろうか? 
この間〝山岸会養鶏法〟の特異性を縷々と述べてきた。なかでも一羽の鶏が生涯正常健康に暮らせるようにはかることで、人間にとっても良い状態がもたらされるという〝共生共活〟の事実を飼料栄養面の観点から見てきた。
それは一言で言えば、

“これを解決して好転せしめるものは、整正作用と観念習性の扶植による”(「獣性より真の人間性へ1」)

という〝自然の整正作用〟とか〝観念習性の扶植〟によるとはどんなことなんだろうかといった解読でもあった。そのことの解読を通して、理想と現実の一致・一直線についての課題にも繋がるように感じられたからでもある。
そしてこの間のウイルス禍の中でもそうした〝自然の整正作用〟と〝観念習性の扶植〟の課題がくり返しリアルに迫ってきた。
連日のメディアは、〝ちょっとした一点が欠けていたために全部が駄目になることがある。しかもその一点を究明しないで、他の条件をその原因であるかの如く決めつけてしまう〟政府・専門家・有識者会議等の一方的な施策を後ろ楯にして私たちの死への不安・恐怖を今も止まずにあおり続けている。
そうなのだ。ここでも二つの事実のテーマに直面しているのだ!?

ほんとうにモミガラなどの粗飼料を与えると〝風船鶏や飛行機鶏が続出で、冥土とやらへ毎日飛んでいく〟事実しか現れ出ないのだろうか? そんな暗く見る人が多いなかで今日も明日も生きる希望が湧いてくるような、人間の持つ可能性に賭けるような〝もう一つの事実〟がどこぞにないものだろうか?
そんな気持ちでネットのコロナ関係のサイトを見て回っていたら、やっぱりあるのである! それも現役の日々診療に携わっている何人かのお医者さん個人のブログ発信からである。これほど心強いことはない。心の豊かな人々に巡り合えるほど楽しいことはない。
今世界は新型コロナのパンデミックを終わらせるためにはワクチンの開発が必須の課題とされている。世界中が待ちのぞんでいる。
ところが例えばその中の一人神経内科医・田頭さんからは、「ワクチンでは根本治療に至らない」との発言があった。何で?

“私が思うワクチンとは、「人為的な獲得免疫強化方法だけれど、一定のキャパシティ(許容範囲)を超えると自然免疫を弱体化させうるもの」です。”

“ワクチンの起源は18世紀末、当時の天然痘(種痘)というウイルス感染症に対して、
一度罹患したら再び罹患しないという事実に注目したイギリスの医学者エドワード・ジェンナーが、
天然痘患者の膿疱から抽出した液を健康な人間に接種することで発症を防ぐことができることを発見したということに由来します。
この歴史的な事実を真とする限り、同一病原体及びそれに類似する構造物を人為的に触れさせる行為が、
少なくともその病原体に対する獲得免疫システムを賦活し、その病原体による感染症という現象の発生を防ぐというのはもっともらしい話に思えます。
この獲得免疫というシステムの意義について考えた時に、それは「環境適応」にあると私は思います。”

“生物がこの世に生を受けた時点では先祖から受け継がれた遺伝情報の影響もあってまずデフォルトの自然免疫システムが備わっていることになります。
(略)
その自然免疫システムで対応できないものに対応し、新しい環境へ適応させていくためのシステムが獲得免疫システムなのではないかと思います。”

“そしてその獲得免疫システムを賦活するイベントが感染症と呼ばれる現象であるわけです。
感染症というイベントを通じて生物はその困難な環境に適応するために自身の持っているシステムの再構築を余儀なくされることになります。
その時にエネルギーの再分配が行われるはずです。食欲が落ちるとか、身体がだるくなったりするのは、
消化や筋肉活動に必要なエネルギーを最小化して、免疫システムの再構築に最大限のエネルギーが費やすように仕向けられていると考えれば合理的です。”

“その目的は「今起こっている困難をもとの状態に戻すこと」と「同じような目に遭遇した際に二度と同じことを繰り返さなくて済むこと」にあり、要は「現状復帰」と「環境適応」です。
そして主に現状復帰のために働いているのが自然免疫システム、環境適応のために働いているのが「獲得免疫システム」、そのプロセスの結果として起こっている現象が「炎症反応」だと整理することもできそうです。”

“ところが何らかの原因でこの「現状復帰」+「環境適応」の仕組みを動かすのに十分なエネルギーが調達できない、あるいはこの仕組みを動かす部品が足りなかったり、部品の品質が低下し故障してしまったりする時に、
「現状復帰することができず、環境に適応しきれない」という状況が生み出されてしまうと思います。これがいわゆる「感染症が重症化した状態」です。”

“従って、自然免疫は外界物質に触れ合う頻度の強弱こそあれど、基本的には常に緩やかに刺激され、鍛え続けられているシステムだと考えられます。
そして自然免疫を鍛える刺激の中には、獲得免疫システムが強化される感染症イベントも当然含まれています。”

“さて、そうするとワクチンとは冒頭にも申し上げたように「人為的な獲得免疫強化手段」です。
BCGワクチンに限らず、ワクチンを打てば打つほどその度に自然免疫が強化されて、どんな外来物質に対しても対抗できる最強のシステムが構築されていくのでしょうか。
おそらく私はそうではないと考えます。なぜならば人間の中で扱うことのできるエネルギーには限りがあるからです。”

“もしもこの仮説が正しいと仮定すれば私達がすべきことは新型コロナウイルスのワクチン開発を待つことではないように思います。
自然免疫システムが壊れないように他のすべてのシステムをオーバーヒートさせないこと、オーバーヒートしそうになったら必ず休ませてメンテナンスすること、”(「たがしゅうブログ」 2020/ 06/ 03)

等を通して、具体的には食生活での糖質制限を心がけることや精神面でのストレスをため込まないゆとりを持った生き方を心がけることを提言される。
私たちの身体はもともとは正常に機能しさえすれば、難なくウイルスを排除できるシステムがデフォルトで備わっている。
そして「免疫力とは、発炎反応と終炎反応のバランス」だと定義するなれば、ワクチンというものは果たして「バランスを整える行為になるのか」? 「バランス」の観点から言うとむしろ「免疫力を低下させることにさえつながりうる行為になりやしないか」と世界感染医学界(現代医学)に向けて〝本当の本当〟とそう言いたくなるような考えを田頭さんはそのまま率直に日々語り続けるのだ!
新型コロナウイルスを人類の敵と見なして徹底した撲滅をはからんとされつつある大方の対立観に立つ見方考え方からは絶対に生まれ出てこない発想であろう。

ここにはまた〝もう一つの事実〟を根底から支える目に見えない自然免疫システムへの限りない信頼をも寄せられている。
この間の自分らの自然科学と心理学的分野の一つをはかる〝綜合哲学〟からの文脈では、「自然免疫システム」は〝自然の整正作用〟に、「獲得免疫システム」は〝観念習性の扶植〟に置き換えて読み取れるかもしれない。
ここで見逃せない急所は田頭さんも言われる「バランスを整える行為」にあると思う。

今世界が直面しているのは、あの〝空気や水や草や塵芥が、卵に変わる自然の根本妙手を知ろうとしませんか〟(『山岸会養鶏法』)に立ち帰る価値観の転換であろう。
「自然と人為の調和」をはかるといったこの一言に要約される豊かさの源泉の解明であろう。

“「正しく見る眼」はまた、狂った眼の見えぬものまではっきり見えるから面白い。鶏の飼料として餌屋の売り出すものと、我が田畑で出来たものと、臭い魚あらと近頃流行の雑草とやら以外に見えない眼のあわれさよ。餌はどこにでもいつでも無尽蔵にあって、それがありありと見えるではないか。そして人の世の至宝も、永遠の幸いも。
狂った眼の悲しさよ。怒った眼の怖ろしさよ。怒り狂いをヒックリ返して、暖かく、清く澄んだ、そして和やかな正しい眼を持つことこそ、生き甲斐あらんとする人の第一の仕事ではあるまいか。”(「立卵鑽」1955.12.1) 

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鈍愚考(17)

本ものと偽もの
道標

二つの事実が立ち現れた。
粗飼料を与えてやると、皆満腹し落ちついてよく肥り恥ずかしいのか真っ赤な顔して満足そうに卵を普通に産んでいる事実がある。
一方またエサがあり余っても不足に思うのか、ほとんど食べずに痩せていき卵を産まなくなり風船鶏や飛行機鶏が続出する事実もある。
いったいどこに成功と失敗の分かれ目があったのだろうかと、今一度ふり返ってみる。

先の資料にも〝組合員の多くはそれを鶏に与えて鶏を痩せさせました。卵を産まなくなったと不足を云って来ました。〟とあるように、ほとんどの組合員は〝一つの事実〟しか知らないのだ。それしか知らないのだ! 二つの事実があることを知らないのだ!?

じぶん自身がかつて鶏のエサのことでそうであったように、「こんな牛も好まぬものは食わない」「この鶏は駄目な鶏」「こういう飼い方はいけない」などとはじめから決めつけている。だから食べさし方以前の頑固に決めつけているじぶん自身に気づかない。元の心にある束縛には無頓着なのだ! もちろん考えたこともない! 一生気づかない!
もったいないなあ。そしてそのことが鶏の飼い方の問題にとどまらず身近な暮らしのテーマにおよんだ時、ハッと見晴らしが一気に広がるような開放感を覚えた。嬉しかった。
そうか、何でも二つあるのか……。
そしてここから先の

“これを解決して好転せしめるものは、整正作用と観念習性の扶植に依るもので”

といった一節の究明・吟味の世界が開けてくるのだ。
単純に言ってしまえば、ここでの〝整正作用〟とは先の鶏の〝環境適応性〟の働きなどをいうのだろうか。先回の神輿を担ぐの一文が〝環境適応性〟が働くという事実を人や雛の心の動きに託して表現したものだった。
そうした同じ事実を、

“雛を致死点近い寒冷に当てると、雛の環境適応性により、先ず皮下血液流量が急速に増し、内部貧血を起し、造血機能を刺激し、呼吸及び細胞酸化作用を促進して体温の上昇を計り、炭水化合物質の消耗を補給するため、消化酵素の分泌生成を旺盛にし、食物の栄養分解と吸収機能を助長し、食欲、消化力の高い消化器と細胞活力の賦与と相伴って、生産性の高い全体を丈夫な体質とします。と同時に、それ等によって造られた脂肪粒子を皮下に運んで蓄積し、皮下脂肪膜による耐寒体質に改造する。
即ち雛時代のみでなく、秋期、冷涼期、寒期にも換羽を遅延し、産卵休止を防ぎ、産卵しながら換羽し、消化機能の旺盛は粗悪飼料を有効化し、その鶏一生に影響頗る大きく、換羽負け、餌負け、暑さ負け、病気負け、産み労れ等の悪条件を突破するためです。”(「何故雛を寒さにさらして訓練するのか」)

といった目に見えない無現象の世界からも表現されているのがじつに興味深い。
また〝観念習性の扶植〟とは、牛も好まぬ粗飼料でも満腹・満足して美味しく食べられる粗食に馴れた鶏に育てることをいうのだろうか。
かくしておけば、

“大群社会生活にかかわらず、強弱差・脱腔・尻ツツキ・羽根食い等悲惨の姿は一羽もなく、長命・長期続産に、リズムも爽快な歌を奏で、一羽一羽の持てる個性一杯に働けるよう、楽しい生きがいを与えます。
心が豊かな鶏は豊かな稔りを積みます。鶏にも豊かな生活を。”(「真理追究から発した養鶏」)

自分らは二つの事実があるを前にして、自然科学と心理学的分野の一つをはかる〝綜合哲学〟から生まれたもので出発しようというゆえんをこうした事例から見てとれる。
二つの事実の分かれ目に位置するこの道標の示すところはあまりに大きく深い。ようやく始まりの緒に付いたというべきか。

先に“心が豊かな鶏は豊かな稔りを積みます。鶏にも豊かな生活を。”と記した一文は、1954(昭和29)年2月に『山岸式養鶏法』が発行された直後の3月に当時多くの篤農家が参加していた愛農会の『愛農養鶏』誌に依頼されて書かれたものだ。
そこでの「真理追究から発した養鶏」と表現された表題自体がじつに意味深だ。二つの事実のうち一つは、〝真理追究〟から発せられたものだというのだ!? 本ものと偽もの。次元(出発点)が異うのだ!
たしかに事実にもいろいろある。立場や人によってのとり方でいろいろな事実は言える。強い思い込みが事実化してしまうこともある。

しかしここでの二つの事実のうち一つは、心が豊かな生活から生まれ出る豊かな稔り(=事実)なのだというのだ。当たり前の姿なのだという。本当はどうか、本当はどうかとの〝真理追究〟から発したところから生まれ出た事実(=現象)だというのだ! 目に見えない無現象の世界からして、筋がまるっきり異う。
そりゃあ、人間とり方によっていろんな現象・事実に見えてくるはずだよ、といい加減にしておいた呑気で浅慮な自分の姿が露呈してきたのだった。

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鈍愚考(16)

疾患(コロナ感染)にも心の世界を
神輿を担ぐ

例えばまた先のもう一つのキーワード
○粗飼料を用いるにはそれに合う飼養法によらねばなりません
とあるが、具体的にはどんなことを指すのだろうか?
当時(1980年代初め)は〝発酵飼料〟と称して自家製の飼料も開発して使っていた。浄素(鶏糞)に米ぬかやアメ粕や赤土や水を加えて二日ぐらい60度で殺菌させて甘酸っぱい香りがするまで発酵させたものだ。ところが産卵が落ちるとすぐにその〝発酵飼料〟を配合設計から全量抜いてしまったことがある。

そのことが飼料に関する研鑽会で話題になり、そういう安易で大雑把な自分の体質が浮き彫りになった。自分の中に良いエサ・悪いエサの差別もあったし、「…それに合う…」といった心構えも食べさし方の見きわめなどもまるっきり考慮に入れていなかった。いったい自分は何に合わせていたのだろうか?
研鑽会では〝ちょっとした一点が欠けていたために全部が駄目になることがある。しかもその一点を究明しないで、他の条件をその原因であるかの如く決めつけてしまう〟そんな浅薄(せんぱく)軽率な自分を省みるまたとない機会となった。そう、すべて得体の知れない〝発酵飼料〟のせいに無意識にしていたのだった!

1954(昭和29)年2月に『山岸式養鶏法』が発行されている。これは養鶏専門誌の記者が得意先回り中に風変わりな養鶏家の話を聞きつけて、山岸巳代蔵を三日三晩旅館に缶詰にして書かせた小冊子だ。
その頃、川島農林省家畜衛生試験場中国支場長の「鶏病の予防と治療」と題する講演会を聴講した山岸巳代蔵は次のように回想している。

“……これら容易に解決している鶏病(コクシジウム・ジフテリー・目ずれ・鶏痘・蛔虫等の疾病、食羽、脱腔、肛門ツツキ、ワクモ・蚊・ユスリ蚊・鼠・犬・狐の害、抗菌性物質の問題等―引用者注)さえも、種々の薬剤・処作を加え、世界の医術を以てしても、決定的に治療出来ないとのことで、これに対し私達の治療法のあることを発言しましたが、「左様なことはあり得ない」との言葉を繰り返して反省の色なく、その狭量と識見の浅さに驚きましたと同時に、言われるが如く真に世界の医術の程度が左様なものであるなれば、これを取り上げられないことは斯界のために甚だ遺憾とするものであります。
寡聞にして識らないことは誰にもあることで、それを詰るものではありませんが、万国家禽会議に出席されたとか聞く権威者・専門学者・国の担当責任者として、遠くを探求されると同時に足下をも見究める謙虚さをも希望し、官民相協力してよき成果を収めたいと念願するものであります。……1954.3.20”

そうなのだ。〝これら容易に解決している〟のだ!?  だとしたらなぜ病気に罹る鶏と罹らない鶏の〝二つの事実〟に現象化・分かれるのだろうか。
かつて山岸巳代蔵はなぜ雛(ヒヨコ)を寒気にさらして3間先まで走らすことが絶対必要なのか? といった問いに次のような一文で応えている。

“私の郷里の暁祭に、小雪の散る未明に、裸で家を飛び出して神輿を担ぐのです。私も出たことがありますが、動いている間は寒さを感じないが、休むと寒くなります。着物を着ていても寝ると寒い。雛も餌を拾って動いている間は、血液がよく流れ、燃焼作用が活発で、その場所が寒いと、皮下の血液流量が多くなる。かような寒い所で働かねばならぬ、かような寒い所もある。それに対処して、生存していかねばならぬと、環境適応性が働いて、皮下に脂肪分を運んで来て、防寒幕を造る。飽食して憩いたくなると、寒くて辛抱出来ぬ、ちょっと蒸し風呂へ入って温まって来よう。疲れが治って熱くてたまらぬ、風に吹かれて来よう、ということになるようです。
羽毛の厚着をさすには、蛋白質を多量に消耗しますが、本法では皮下脂肪を貯えて、耐寒性体質に造る。体内に貯蓄して衣類に消耗されぬ、羽の短い体の長い雛になります。”(『山岸会養鶏法』)

ここでの〝環境適応性〟が働くという事実にしっかりと着目することの必要はないのだろうか。先の

“ガラス張りの育雛舎で弱い体を作っておいて、夏の強い日光で日射病にかからせたりして、イジめてはいけませんし、軟らかい餌で、チョウよ、花よ、と付きっ切りで育てておいて、医者よ、薬よ、とイジめてはなりませんよ”

とは、このことでもあった。
また先の〝川島農林省家畜衛生試験場中国支場長〟の頑固が謙虚になるといった考え方への転換の大きさ・可能性を想う。
こうした生活力の強い体質の鶏(人間)が育ってはじめてその鶏(人間)一生一羽一羽(一人ひとり)の持てる個性一杯に働けるよう、楽しい生きがいがもたらされるのだろう。
その部分のみを見て判断する浅い考え方を放すという観念作業たった一つだけで、トタンにヒックリかえる〝事実〟が見られる!
ふと昨今のコロナ禍での感染医学関係などの専門家会議の〝偏り〟や行政の一律的な〝休業要請〟等の社会経済悲喜劇ともダブってくるようだ。

自分らの理想と現実との一致・一直線を目指す日々のなかでも、みんなと共に暮らしているといつもみんなに合わせんならんとして窮屈に感じられてくる場合がある。〝心一つでやる〟と〝一律的にやる〟とが自分のなかで思い違い・混線するからであろうか。
そうした〝ちょっとした一点が欠けていたために全部が駄目になることがある。しかもその一点を究明しないで、他の条件をその原因であるかの如く決めつけてしま〟いがちだ。
疾患(コロナ感染)にも心の世界を。
一事が万事、目に見える事実だけに心を奪われることがいかに恐ろしい事態を招くかを思い知らされる。

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鈍愚考(15)

綜合哲学的にものを観る
最中

えさ箱にエサがあるのに食べない→食べないから産卵しない→産まないから食べない→体重が落ちる→病気がちになる……。
この循環は、粗食にすると食べない→栄養が足りない→栄養不足で健康を害する悪習慣にもっていく典型例である。
ところが逆によく食べるから出発すると、粗食であればそれを消化しそれから栄養を摂ろうとする消化機能が助長し、かつ量を多く摂って必要栄養量を摂るような消化機能に増加されていく。そこから良く食べる→良く産む→良く食べる循環が立ち現れてくる!
この成功と失敗の分かれ目に、二つの事実にいったい何が秘められてあるのだろうか? 

その鶏一生、粗食の中から栄養を充分に摂り、長期健康で長期生産性を高める、そんな生活力の強い鶏に育てておけば、粗飼料で感度を高めてあるからいざという時の回復力が違うのだという。
何かの事故のあった場合に、可消化濃厚飼料に切り替えることによって、健康が速やかに回復し、回復すればまた以前の状態に復元することが出来るし、安定率が高い。
ところが美食の常用はこうした悪条件の時に手がないわけで、栄養失調や換羽や病傷をますます促進するわけだ。たかが(?)エサ一つにしても、こういう操作を容易に行うことが出来るのだという。
こんなところにも養鶏に限らずすべてに相共通する理想と現実が一致・直結するヒントがあるのではないか。
ふと最近のコロナ禍の渦中の中で次のような発言も浮かんだ。

“軟らかい餌で、チョウよ、花よ、と付きっ切りで育てておいて、医者よ、薬よ、とイジめてはなりませんよ。”

先にも〝私は、明日に生きたいと念願する人間ですが、雛もまた二年先の別れの日を予想して、今日手を打っておくのです。〟(『山岸会養鶏法』)とあったが、今直ちに着手しなければならぬことの一つに、
○なった先でなくて、ならせない元のもの
の解明こそがいちばん待たれているのではなかろうか。

つまり卵を産まなくなった先でどうしたらよいのかと右往左往するのではなくて、最初から災いの原因になるものを徹底的に取り除くことで、この場合は〝よく食べる〟力の元は腹中の消化器にあるとして養鶏の出発への基点を〝よく食べる〟からに観方を定めたところであろうか。

こうした〝よく食べる〟から出発する養鶏の実際は、そのままじぶん自身の考え方や生き方の革命として迫って来たとも言えよう。
そのことは例えば〝この鶏はダメな鶏〟とか〝モミガラは栄養価値がない〟とか〝繊維は不消化だ〟とか〝こんなものは食わない〟とか〝こういう飼い方はいけない〟等といったその一部分・現象のみを見て決めつけてしまう考え方からの脱皮をも意味した。
しかし先に掲げた二つのキーワード、
○粗飼料を用いるにはそれに合う飼養法によらねばなりません
○美味しく食べさすなれば
を前にして、自然科学と精神(心理)科学の一つをはかる〝綜合哲学〟から生まれたもので出発しようとするならば具体的にどうすることなのだろうか。

そこに理想を実現する急所が秘められてあるように思えてきてわくわくしつつ次の一歩が踏み出せない自分がもどかしかった。
そもそも偏った観方でなく〝ありのまま観る〟ってどんな観方なんだろう。
例えば数十センチに伸びた牧草を電動式のカッターで裁断して配合攪拌機の中に混ぜてやったりもした。すると裁断された草に粉餌が付いてよく食べた。同じようにウイスキーを製造する際の液体粕とモミガラを組み合わせて給与してやるとなぜか鶏が喜んで食べつくした。よくよく見ればモミガラが和菓子のアンコがいっぱいつまった最中の皮に変身していた!? 
そうか、“真理は一つであり、〝理想は方法によって実現しうる〟”という〝方法をもってすれば〟とはこのことか! 抱き合わせとか組み合わせの大きさを知らされて目から鱗が落ちる思いだった。
いやいや、そんな一技術や方法の末に有るものでなく、その前に先だって有るものこそもっともっと問われるべきではないのか?
とまれ、何度も何度もある日の研鑽会での一言一句が甦ってくる。

「もって生まれた感応能力を磨け」
「知識や体験からは本質は見えてこない」
「豚や鶏の中に、素晴らしい事実があるのに見ようともしない。眼が外に向いている」
「事実そのものからもっと新鮮な驚きを。ただ感心するだけでなしに……」

一例をこの間の「山岸会養鶏法」にとれば、それまでは稲と鶏のあいだの〝繋がり〟が無かった。稲作農家にしたら養鶏で多忙になり却って稲作面で労力不足になり減収となるばかりだった。
そこで編みだされたのが、農耕があって養鶏が良くなり、養鶏を織り込んだために稲作面にもなお増収する良い循環にまで〝繋がり〟を拡張することだった!
すると今まで何の繋がりもないと思われていたことがそのじつ大元のところで切っても切れない環として繋がっているという事実が見え始めてくる。
この事実をしっかりと見ることが出発点であり、さらにその中の一点をより良い方向へと向ければ、すべてがより良い方向へ向いていくという因果循環が肉や卵の形として現れているといえるだろう。
しかも見落とせないのは、ここでの事実とは〝自然は良く出来ておりまして、〟という表現に代表される〝自然の根本妙手〟を指してのことであるのだ!
一方また、理想と現実の不一致・矛盾に直面しての、

“こうした事実は、その何処かに必ずその原因があり、これを取り除くことが出来るはずです。”

という一節での事実とは、人間の考え方を指しているようなのだ!
二つの事実がある。この区別を解ろうとしない限り、ぜったいに本当の世界へと入っていけない。
毎日が終生進んで止まぬ〝卒業〟のない学校なのだ。学ぶということは、〝自然の根本妙手〟に委せてむしろ自分の考えを外していく作業かもしれない。

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 「と」に立つ実践哲叢(53)

〝心を調える〟をやる
村の子供たち

高校生になったはじめての夏休み、当時『何でも見てやろう』のベストセラー作家・小田実の本を腹ばいになって読んでいたら次のような一節に出会った。

“「あんた、何をしたはるねん」オバチャンの一人が、草を刈っている男に呼びかけた。「『我』を刈ってますんや」彼はとっさにそう応じた……”(『日本を考える』)

ビックリした! 面白いこと言うなあ。もう居ても立っても居られず親に汽車賃ねだって本に記されてある三重県春日山に直行した。
その後何年かして春日山に住み始めた頃、自分にはとても興味深い話を聞いた。

“あるとき、鶏がコクシジウム(鶏の感染病)でバタバタ倒れるのでどうしたらいいか聞きにきた会員に、山岸さんが家族中揃って弁当持ちで遠足でもすることですなと言われた。余りにも暗い気持になったその人に対して、鶏の病気を治す前の、その人の病気治しが先行する点を言われたのでしょう。
鶏が飼う人の心を敏感に感じて反応するというよりも、その心や考え方が必ず現われて動作となり、技術の使い方に現われ、経営を狂わせたりするのでしょう。気分が安定しないとき、腹立たしいときなどの管理作業の動作がどうなるか、自己中心の考え方の人の行ないがどうなっていくか、鶏を経済動物とだけしか見ない観方で経営したらどうなるか等々、そうしたことの毎日の繰返し、積み重ねが鶏の育つ環境因子となってそのような鶏が育ってくるのです。自己より発して自己に還るとはよくいったものです。”

それ以来〝心を調えることだけやっていさえすれば、現象が調い、自然に物が豊富〟をテーマにというか、そうした考え方のもとに今日まで皆で取り組んできた。いろんな場面に直面しつつ〝心を調える〟ってどんなことなんだろうと探り合ってきた。

そこへ今回のコロナ禍である。パンデミック(感染症の世界的な大流行)、ロックダウン(都市封鎖)、緊急事態宣言、外出自粛、医療崩壊等々、人々の不安・恐怖をあおるおどろおどろしい言葉の情報パニックに誰も彼もが神経過敏になっている。まさに先の〝鶏の病気を治す前の、その人の病気治しが先行する〟事態が世界同時多発で起こっている。

ネットメディアでも誰かが「ウイルスより、怖いのは人間の思考だと思います」と発言していた。コロナ禍を恐れるあまり〝自粛警察〟の横行ぶりを憂えてのことだろうか。
いや、これを機に〝心を調える〟ことだけやっていさえすれば病気に罹らない、言わば医者の要らない心身になろうとする自己を創り出せないものだろうか。そんな思考する人間知ならではの可能性にかけるのだ。
ウイルスが問題なのではなく、〝人間の本当の生き方はどういうものか〟とどこまでも考えるところに進歩があるのではないか。

過日この間学校が休みの子ども達は朝から鯉のぼりを揚げたりクッキーを作ったりコンテナ絵で皆の心をホッコリさせていた。

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鈍愚考(14)

二つの事実
飼料配合基準表

何度もふり返る失敗談がある。もちろん失敗の責任を他にせいにしたがる軽率なじぶん自身に向けてだ。
ある日の飼料専門研鑽会で「エサ代が安いほど鶏が健康に育つ」と聞いたのだ。その時は、原因と結果を逆さまにしたような表現にオカシミを感じつつ、何はともあれ、単純にそうか安ければよいのかとソロバン勘定丸出しで、ある時単価の安い豆腐粕など粗飼料を一度に多く給餌してみたのだ。もちろん次のような粗飼料による飼養法についての説明も後押しになった。

“また、高い餌を多く与えたところで多産するものでなく、特別経済飼料に切り変えれば、安い餌代でかえってよく産むことも知らねばなりません。
人間でも、心に不満・不安があれば、いかに贅沢と思われる珍味も口に不味く、栄養が摂れない如く、鶏にも快適な管理と環境を与え、美味しく食べさすなれば、粗食でもよく食べ、健康でよく産むものです。”(「山岸養鶏の真髄」)

ところが案の定と言うべきか「獣性より真の人間性へ」に書かれてある逸話のように風船鶏や飛行機鶏の続出で、皆の顰蹙をかってしまった。まさに〝こんな主人に飼われた鶏も多分不足顔でハンストしたのでしょう。〟(「獣性より真の人間性へ1」)の再現だった。
その時いったんは打ちのめされたが、また本気になる人生上の一大転機にもなったとふり返って思う。
それにしても、〝エサ代を安くしたら、利益が上がる〟とそこまでしか考えていなかった自分が恥ずかしい。何のために粗飼料を多給するのだろう? いったい自分の何が間違っていたのか? しかしまたそんな体験を通して、〝安い餌代でかえってよく産むことも知らねばなりません〟の安い餌代だからこそ〝かえって〟といえるものの一端に触れたい、知りたい意欲をもかきたてられた。

寝ても覚めても考え続けた。そしてそこから二つのキーワードが浮かんできた。
○粗飼料を用いるにはそれに合う飼養法によらねばなりません
○美味しく食べさすなれば
何を言わんとしているのだろう?

例えばモミガラ一つとっても、こんな栄養もなく消化しにくい硝子繊維の固まりが餌になるとはとても思えない。事実食べ残しの餌を捨てる餌箱掃除で忙しくなり、しかも下痢便の鶏が続出したりでモミガラは厄介者にしか見えなかった。
反面また確かによくよく見れば、ウイスキーを製造する際の液体粕とモミガラを組み合わせて給与してやると、なぜか鶏が喜んで食べつくす事実も見られた。
モミガラは食べ残す、食べないという事実に対して、良く食べる、食べ残さないという事実もある。
こんなモミガラを食べさすというどっちでもよいのかもしれない小さな一事に、二つの事実がある? それって、どういうこと? とても不思議なことに思えた。人生上超難問題に取り憑かれた気分がつづいた。
そう言えば先の資料(獣性より真の人間性へ1)には次のようにも記されてあった。

“粗飼料を与えて鶏の飼養出来ない技術者は、経済環境適性試験にパス出来ないでしょう。”

そうかあ、モミガラがダメじゃないんだ。モミガラを食べ残すには、食べ残すようなやり方をこの自分がやっているからだ。食べ残さないという事実は、やはり食べ残さないようにするから食べ残さないのだ。
そこにどんな方法と理念が秘められてあるのだろう?
そして次のようなじぶん自身に言い聞かせるようにエサ給餌についての〈律〉を取りあえずはつくってみた。

“6月の梅雨時、7月8月の夏バテに耐え、秋の高産卵に備え、冬の高卵価を迎えるために、4月5月は緑餌、モミガラなど粗飼料を一気に食い込ませ胃腸を強くさせ、それに平行して増していく環境適応性の強い鶏にすなわち感度の高い与えられた栄養分を100%よく吸収して品質のよい卵を産む鶏の消化器づくりを目標とします。
そのためには前回のエサがえさ箱の隅に白くカビて残らないよう、よく食べるようにとエサの食べさし方与え方のさじ加減に気を配ります。
餌を短時間に食べ切らせば、餌も傷まないしえさ箱も乾き、普段からちょっと足りなめに与えて、エサをパクつく観念習性を植え付けるようにこの時期をねらいます。
エサを残す事実とエサをよく食べる事実を見て、残すには残すやり方でやっているからとみる観方を、エサ給餌の原則とします。”

……とまあ、ここまでは自覚的に言えた。で、その先は……?
いったい何を試されているのだろう。
たしか芭蕉の句に〝よく見ればなずな花咲く垣根かな〟とある。事実をありのままによく見ることの大切さと共に、二つの事実を目前にして自分は何を基準にして生きるのかを問われているようにも感じた。

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鈍愚考(13)

天然自然無限飼料モミガラ
モミガラ

餌屋さんの売り出す完全配合飼料を極力使わず粕の世界の中での自家配合でのエサづくりぐらい面白みに満ちた日々はない。そのことに心身共に打ち込んだ日々を今も追憶することがある。

エサの仕入れ交渉でも、必ず相見積もりをとって一口商いで気に入ったところから入れるように心がけた。「もう少し安くして」と値切るようなことはなるべく避けた。雛や産卵しはじめの一年鶏に与えたい輸入魚粕(フィッシュミール)や大豆粕は先物予約だから適切な相場観が求められた。
底値が何時か分からないから、ちょっと上がり目になった時買うように心がけた。とりわけ春の仕入れは梅雨時の変質、価値減を織り込んだ。もちろん倉庫の償却代もいつも頭にあった。
配合設計も、献立を決めてからスーパーへ買い物に行くよりも、スーパーでお値打ちのものを見つけて夕飯の料理をつくる主婦感覚で今在庫にあるものに設計を合わせるように心がけた。

とはいいながら実際は、醤油粕が目の前に山と積まれてあっても塩を入れた配合カードのままにしているうっかりミスは常だった。
そんな中でのいちばんのやり甲斐は、鶏が健康になり、その卵肉を食べる人間が健康になるといった関連するすべての正常健康を考えての養鶏にあった。それの具現化である。
次のような一節が指標となる。

“自然はよく出来ておりまして、堅いのを与えるとそれに対して、また養分の少ないものを与えると、量を多く摂って栄養の均衡を図り、丈夫な、容量の大きな消化器となります。
採卵鶏の経済的要素の一半は、夏負けしない、餌負けしない、病、換羽負けしない、産み労れを知らぬ消化器の鶏体を造るにあります。
粗悪飼料にも勝ち越す、バタリーに入れても、働きが違う消化器を造る第一歩は実に最初の餌付けにあり、雛に点灯したり、微粉末や、水浸、煮沸餌を与えるのは、今日の姿を見て喜ぶ、育雛競技会向きの仕事で、根の弱い倒伏型の稲を作るに等しいです。
私は、明日に生きたいと念願する人間ですが、雛もまた二年先の別れの日を予想して、今日手を打っておくのです。”(『山岸会養鶏法』)

そうした〝夏負けしない、餌負けしない、病、換羽負けしない、産み労れを知らぬ〟〝丈夫な、容量の大きな消化器〟の〝鶏体を造る〟ポイントは、各種粕に象徴される粗飼料にあったのだ。
なかでもその代表に秋の稲の収穫後に大量に発生するモミガラがあった。
収穫された米はモミ殻をかぶっており,モミ摺りして玄米を取り出した残りがモミガラ。その成分はケイ酸(ガラス質)や食物繊維が多いために発酵・分解されにくい。地域によっては焼却されたり水はけをよくする土壌改良材として多く活用されている。
今現在なおその処理に困って厄介もの扱いされがちなモミガラを積極的に活用してきたのが、じつは山岸巳代蔵が考案した独特の山岸養鶏法であった。

ということはつまり、ヤマギシズム理念を基本にして理想社会のあり方を養鶏の実際に応用したのが養鶏法だから、逆に例えばモミガラの活かし方から理想社会のあり方を引き出すことが出来るはずである!? 
毎年秋になるとモミガラの引き取りにタオルで頭と口を巻いてライスセンターと配合所をダンプ車で往復したり、日々中古の麻袋やクロス袋に詰め替えて配合機に投入したり、粗飼料で膨れたエサを抱きかかえて給餌したり、一度に出る糞の大きな固まりに驚いたり、フォークやスコップを使った鶏糞出しを黙々とくり返しながら、いったい理想社会の何が引き出せたと言えるのだろうか。
ここでも自分らは、理想と現実の一致・一直線についての課題に直面していたのだとも言えよう。
そのことの実証に山岸巳代蔵は寝食する間も惜しく取り組んだという。天職と趣味職業が一致し一事に没頭できる人は能率も上がり仕合わせだと思いますと後に自著『山岸会養鶏法』で回想している。
当時(1954)頃日本は1000万石の米不足にあった。そこで米の収量を上げるために魚粕や大豆粕類をそのまま田畑に施して田畑の土壌づくりをはかっていた。
山岸巳代蔵はそこに不合理単純農業を見て肥料問題は

“〝鶏卵肉は田畑から〟の一貫生産機構を備える”

ことによって解決すると提案した。
つまり、こういうことだ。家畜飼料として好適の魚粕や大豆粕類やモミガラなどは家禽畜類に給与して、鶏などの腹中で配合してやれば完全配合肥料も化成肥料も遠く及ばぬ〝有効肥料〟が加工費を加えずして生産されるではないのかというのだ!?
ということは、その分稲作の購入肥料代を養鶏のエサ代に転用することができる。つまりその分現金支出が減る。しかもモミガラを食い込ませたその鶏糞で、有機性肥料とすぐには消化しきらない腐植質で地力の貯蓄にも繋がる一挙両得の策であった。そこには
〝空気や水や草や塵芥が卵や肉や牛乳に変るという自然界の根本妙手〟を知って驚きかつそこに人の世の至宝も永遠の幸いも見てしまった山岸巳代蔵がいた。

鶏の消化器鍛錬の決め手、現在栄養学説でマイナスだと云われる繊維類を多く含むモミガラを食い込ませることで鶏の健康をはかり、かつ腐植の給源となる繊維質を多量に含むモミガラが耕地を肥沃化していく。ここにお金をかけないで米不足を解決する秘策があった!
しかもモミガラでかさ増ししたエサで腹一杯になるからか尻つつきなどの悪癖もなくなり、だからといって太りすぎず、モミガラに含まれるマンガンの成分が卵殻にケイ素が羽のツヤに影響していくという万事いいことずくめだった。
いったいこうした現象の元になにが秘められてあるというのだろうか?

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鈍愚考(12)

私の飼料栄養論
醤油粕

例えば醤油は、大豆と小麦と食塩を溶かし込んだ水を材料にして発酵・醸成されたものだ。その製造過程のうち、もろみを絞る際に生じる副産物が醤油粕(しょうゆかす)だ。約八十センチぐらいに板状に圧搾された四角形の板状の醤油粕を毎日小一時間ほど粉砕器に投入してはエサとして活用した。
食物繊維と塩分がほとんどの栄養価に見られがちだが、事実は大豆や小麦成分の発酵・醸成からの微量要素の働きも加わってか鶏の嗜好をそそった。

また毎日伊賀から伊勢志摩の港まで4トン車での魚のアラの引き取りがあった。引き取った魚のアラは乾燥機である程度まで水分を飛ばしてから粉砕、自家魚粉として高価な輸入魚粉の代替えとして活用した。
そのうちアラの中のカツオの部分だけ別の鉄コンテナに仕分けしてもらって、煮沸してから桜の木で燻煙・乾燥・粉砕・だしパックにした〝カツオだし〟の製造、供給を始めた。
これがまた上品な香りがすると好評で、社員として手伝ってもらう近所のおばさんたちの朝夕の送迎で忙しかった。

また養鶏では高水分の大麦残さを含むウイスキー粕を積極的に活用した。
濃厚飼料や完全配合飼料と違って自家配合での水分の多い重いエサ袋での給餌は労力もかさみ、加えてえさ箱に白いカビを生やす原因ともなった。たんにエサ代を安くしたいがためなのだろうか?
なぜ粕=粗飼料でかさ増しのエサを食べさすことにこんなにも力を入れるのだろうか? 毎日が終生〝卒業〟のない学校でもあった。
理想と現実の一致・一直線についての課題に直面していた。いや、そもそもヤマギシ会運動の始まり自体がこうした課題の解決・超越にあった。山岸巳代蔵は言う。

“私は飼料欠乏時代に京都専業養鶏組合の責任者としてその鶏を維持するために、麦糠・粟・稗糠・焼酎粕のような牛も好まぬ粗飼料を多量入荷して分配しました。
組合員の多くはそれを鶏に与えて鶏を痩せさせました。卵を産まなくなったと不足を云って来ました。人が鶏舎へ近づくと、餌を求めて一斉に鳩のように飛んで来るそうで、餌が足りないかと給餌器を見ると殆ど食べずに残ってあり、風船鶏や飛行機鶏が続出で、冥土とやらへ毎日飛んでいくそうで、散々迷惑を相掛けました。給飼係の先走りとして一人の従業員が給餌器の残餌を捨てて回り、無理して手に入れた餌を捨てるために人手が要り、忙しそうでした。
強硬派は私の鶏舎へ押しかけます。私の鶏舎へ案内しますと鶏は静かなものです。皆満腹し、落ちついてよく肥っています。恥ずかしいのか真っ赤な顔して、満足そうに卵を普通に産んでいるのです。秋には特に大卵を産んでいるのです。同一の鶏で卵量が変わるのです。産み細る傾向の時には先ず小卵となります。大卵を産むことは産卵数の上昇をも意味します。
そこで責任上粗飼料による飼養法について説明しますと、一応納得して帰ります。後に結果を聞くと自分の鶏はどうしても食わぬから餌は他へ譲って鶏も売ったとの報告で不足顔です。こんな主人に飼われた鶏も多分不足顔でハンストしたのでしょう。(略)
而して鶏や他の動物を通じて真の人間を発見してみましょう。人間社会のあり方に関しても。1954.3.16”(「獣性より真の人間性へ1」)

はじめから想定内の出来事であった。真の人間や人間社会のあり方を発見する方便であったのだという?
ヤマギシ会が発足して一年目(昭和29年)ばかりの、まだ海の物とも山の物ともつかぬ時期から山岸巳代蔵にははっきりした飼料栄養論が確立されてあった。
例えばここでの〝そこで責任上粗飼料による飼養法について説明しますと、一応納得して帰ります〟とあり、結果は主人と鶏双方に〝不足顔〟しか残さなかったとある。後年、これと同じ事態(後述)に当のじぶん自身が立たされるとは……。
しかしまた、そうした実際の経験を伴わずに〝鶏や他の動物を通じて真の人間を発見〟する機会はなかったとも言えよう。というのも、先の一文に続けて次のような謎めいた文言が続いているからだ。

〝粗飼料を用いるにはそれに合う飼養法によらねばなりません〟
そのためには従来からの栄養学・生物学や人間の欲望に際限なしと云う〝欲求本能学説〟からの経済学などの原則は通用しない。
むしろ
自然の整正作用に託したり“観念習性の扶植”に依るとか〝武士は食わねど高楊枝〟といった古武士の心理状態などから人間社会のあり方を引き出してみるべきだというのだ?
いったい何を言おうとしていたのだろうか。

そして今、世界同時多発的な新型コロナウイルスパニックに直面するに及んで今ひとつ腑に落ちなかった〝謎めいた文言〟の一端を解読するヒントを与えてくれる。
当時も現在も大いばりで科学科学と云っては、部分現象だけ切り取ってデータ、データとそれしか見ていない専門家・科学者きどりとまたこれに盲信し他にも伝えて波紋のごとく盲信患者を生み出している状況に自分らは陥っている。
たしかに科学という考え方は対象を何でも分けて限定することで、誰がやっても間違いのない方法・技術を次々編みだし目覚ましい物質文明をもたらした。しかしそれだけで人は心の底から落ち着いて本質的に楽しく暮らせているのだろうか? 
ここに見られる跛(びっこ)の世界にこそ山岸巳代蔵は警鐘を鳴らしていたのだった。

今日でも科学とは、人の心理状態や考え方を扱う哲学的分野を除いた自然(数理)科学を指すことが多い。そんな自然科学から見ると、そうでない分野は「観念だ、精神論だ」として科学でないように見なされがちだ。
そうした時の流れの中で、自然科学と心理学的分野の一つをはかる〝綜合哲学〟から生まれたもので出発しようというのだった。

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鈍愚考(11)

粕の世界
重慶大厦

同世代のノンフィクション作家・沢木耕太郎さんの作品をよく読んだ。数年前にはミーハーな気持ちから作品『深夜特急』の起点にもなった安宿〝重慶大厦〟を覗きに香港まで行ったこともある。
その彼の初期の作品に、新聞紙やダンボールや鉄くずなどを次に活かせるモノとそうでないモノに仕切る東京・江戸川区の集荷場で働かせてもらった体験記「屑の世界」がある。

初日、ぼくはいったい何をしたらいいのかサッパリ分からない。訊くと、親方からまるでぼくの「労働」に何も期待しない素っ気なさで〝ダンボールでも積みなよ〟と言われる。でもそのフォーク・リフトが使えない。〝しようがねえな、じゃ俺がやるから、ダンボールを梱包してくれよ〟。しかし、これが少しもやさしくないのだ。〝新聞の方がやさしいから〟。しかしどうしてもうまく結(ゆ)わけない。腹が立ってきた。もちろん何ひとつ満足に出来ない自分に、だ。
そんなこんなでこの日はなにひとつ満足にできたものはなかった。しかし、それは決して不快なことではなかった。
忙しかった。疲れ切った。しかし、そのうちに、いろんなことが出来る喜びのようなものを覚えてきた。

ある夜、やっと一段落、と思いきや、ダンプが二台やってきた。ガックリきた。真冬の寒い風の中を、親方とおかみさんとぼくの三人は口数も少なくなって、片付け出した。何時間かして、あれほど絶望的に散乱していた屑がきれいに片付いてしまった。
くたくたになって地ベタに座っていると、親方から〝一杯やるかい〟と声かけられて三人で呑みながら火にあたっていた時、親方がぼくに聞かせるというわけでもなく呟く。

“五年前、初めて此処に移ってきた日、やっぱり荷物が片付かなくて、いいや明日にと思ったが……翌朝までかかって片づけた。”
あの時、この仕事をやり抜く根性が座ったのだ、と。

今でもこの場面が一番好きだ。自分にも同じようなことあったなあ。いや、誰もが皆こうした過程をくぐり抜けてきているにちがいないと。
また仕切場に自転車やリアカーで屑を持ち込んでくる曳子(ひきこ)の生き様が個性豊かに描かれる。まるで自分らの住む実顕地の誰彼と比べたくなるほどそっくりなのだ。
例えばこの仕切場にはいつも口の開いた一升瓶が置いてある。出入りの商人や曳子が立寄るたびに、親方が一杯呑んでいかせるのだ。なかには用もないのにウロウロしたり、時には仕事を手伝ったりしながら親方からの〝誘い〟を待つ。〝どうだい、やってくかい、一杯?〟と。
値動きの激しいこの業界の中で相場には関係なく、なんとか一族郎党が生き延びれるようにと配慮する親方の心意気が痛いほど伝わってくる場面だ。ここでも自分らの実顕地づくりの心情と重なり合うところだ。

こうしたノンフィクション8編を所収した作品集『人の砂漠』(1977年)が刊行された以降の1980年代、ヤマギシ会の卵や肉や野菜など実顕地生産物供給は高度経済成長路線に合わせるかのように爆発的に増大した。
それまでの例えば卵一個は一個だという考えで一円でも安い方がという世相から、食品公害に対する認識から卵でも質にみんなが関心を持ち出したことが大きいのだろう。
その頃自分は主に増羽増頭する鶏や豚など家畜のエサの仕入れ、引き取り、自家配合、配合設計、自給飼料と未利用資源の活用、給餌にみんなして取り組んでいた。目の前の事柄の対処で精一杯で他を顧みる余裕などないほど没頭した。まさに沢木さんの〝屑の世界〟ならぬ〝粕の世界〟に生きていた。

農産加工や食品製造の廃棄物・副産物の再生利用・有効活用が大きな社会問題になりつつあった。
モミガラ・魚アラ・メイズ粕・デンプン粕・豆腐粕・焼酎粕・醤油粕・酒粕・ウイスキー粕・酵素粕・パン菓子屑・ラーメン屑・ビール粕・アメ粕・アン粕・馬鈴薯屑・残飯・保税倉庫の変質飼料・発酵飼料等々。
全て活かせるはずだとして、『飼料分析表』や『食品分析表』と首っ引きでその〝組み合わせと比率〟を試行錯誤する日々だった。

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 「と」に立つ実践哲叢(52)

〝連れもて行こら〟
つれもて いこら

和歌山県の方言で〝つれもていこら〟という言葉がある。〝つれもて〟は連れて・一緒に、〝いこら〟は行きましょう・行こうというような意味だろうか。
以前恒例のヤマギシズム春まつり(5月3日)が三重県の春日山で開催されていた頃、和歌山県有田郡の金屋町一帯から大型観光バス二十数台で春日山に登ってくる一団があった。その時強く印象づけられたのが〝連れもて行こら〟という言葉だった。
ヤマギシ会の歴史をふり返ると、第51回特講(昭和33年3月)には金屋町の町会議員全員が送り出され、出迎えには町長をはじめ多数の人が駅に集まったと会の機関紙『快適新聞』が報じている。こうした〝連れもて行こら〟と誰彼かまわず誘いかける気風は、この地方の精神風土に由来するのであろうか。
他にも和歌山の県道や国道に掲げられている交通標語に「つれもてしよらシートベルト」とあると聞くが、そのほのぼのとした紀州弁のヒビキに魅せられているのは筆者一人ではないだろう。いつしか〝つれもていこら〟と呟いていると不思議と勇気が湧いてくるお守り言葉になっている。
先日の研鑽会は新型コロナウイルス感染爆発によって世界中の人々が先行きが見えない不安な毎日を過ごすことを余儀なくされている話題で持ちきりだった。なかでも参加者の一人から、コロナウイルスも何か条件があって生まれるべくして活動しているはずだから〝コロナウイルスとも友達〟!? という観点から見たらどうなるのだろうかといった発言があったりして大いに刺激された。
たしかに宇宙自然界に在るものは、害し合うのでなく適所を得ればバランスを保ちながら共に生きていける性質のものであるはず。
そうした〝万物万象は共生だ〟として眺めると、現状でやれることとしての徹底した隔離と消毒の予防法と同時に、一方的に人間の方から敵視・排他してウイルスをなくそうとするのではなく被害が起こってこないようにもっていくいちばん肝心な〝人間問題〟が未解決で残されていることに気づかされる。
先日のニュースでも、ウイルスを撒き散らした人への中傷・非難に対して「悪いのはウイルスであって、人ではない」との反論がなされていた。
自分らの合い言葉は〝まず仲良し〟だ。何をさておいてもまず仲良くなることをすべての出発点としている。もちろん人間どうしは言うに及ばず、諸事・諸物ともの仲良しだ。
しかし〝仲良し〟といった簡単な言葉に秘められた実態を自分らははなから小バカにしているのか本気に知ろうとはしない。
このたびの出来事は自然からの人類に対する一つの大きな警告かもしれない。現象に現れてこないとなかなか気づけない。根本原因が問われる事態になってきた。今こそ大洋をたたえる大らかさとみんなの知恵と力を合わせて、むしろ正常健康な明日を画策・施行していく置くことの賢明さを想う。

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鈍愚考(10)

〝性としての人間〟像
レーニンの演説1920年5月5日

1960年頃、ソ連の社会主義革命の行き詰まりをみて山岸巳代蔵は言う。

“月の世界へ何ぼ行けても、やっぱり解決できないものがある。問題を解決していったらよいのに、自分達で手掛けているもので解決していこうとするので出来ない。”(「第1回理念研鑽会記録」1960.7)

未解決で残されている一番肝心な部分とは何か?
1960年4月ソ連大使館員が春日山を視察しているが、そこで「おかゆを食べていても楽しい」という実顕地メンバーの発言に、大使館員の「それは観念論だ」と応えた記録が残っている。何の根拠もないやせ我慢として聞いたのだろうか。やがて物心豊満な豊かな明るい世界が来ることが見えての発言だったのだが……。
いまふり返ると、こんな一挿話からでも失敗の原因の一つが覗かれるようでじつに興味ぶかい。唯物論(マルクス・レーニン主義)も「物が豊富になれば人間は礼節を知り、世の中がよくなり幸福になる」と考える一つの観念論的な考え方にすぎないのだから……。
しかし同じ考え方の一つならば、物に満足すれば心の糧を求め、それにも満ち足りた世界を指向するのが本来の人間の考え方ではないのか?
ここに人間革命を並行しない社会革命の限界を自分らはみている。
このあたりを指して森崎さんは

“『資本論』は商品の分析から始まっていますが、分析の対象である商品が貨幣という共同幻想に支えられていることをマルクスさんは考慮しませんでした。『資本論』の最大の誤算がここにあります。”
“最大の謎である貨幣の共同主観的現実には一切手をつけていません。”
“『資本論』は貨幣という共同幻想の分析を通じて商品が交換から贈与へと転換するしかけとしくみこそ書かれるべきだったのです。”(「歩く浄土200:親鸞・マルクスとの架空座談」)

とふり返りつつ自分らの進むべき新たな道しるべを創ろうとされている。
そう言えば吉本隆明(1924-2012)さんも最晩年になって次のように発言されていた。

“一人一人の男と女が好きあって家族ができることの重要さは大変なものだという考えを持ってきました。それをなんとか理論化できないかと思い、対幻想の領域とした。
家族がそのまま親族や集団、社会に拡張して発展すると考えることはせずに、むしろ閉じていきながら、逆に人間を支えるものであることをしきりに考えました。
自分の人生にそれをどこまで当てはめることができるのか、自分ではよく分かりませんが、そういう思想を支えにしてきたことは確かですね。”
“個人より狭い「固有の個人」を意識しなければうまく解けないことがあり、そこが問題だという気がします。(略)それはとても大事なものですが、僕には明瞭に分からないもので、絶えず悩まされるものです。”(「江藤さんについて」『江藤淳1960』2011.10)

そしてそこから〝固有値としての自分〟という言葉を編みだされる。
この間の自分らの文脈に引き寄せれば
人は、人と人によって生まれ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能だ。しかも遠い離れた人との結合ほど良縁で、優秀な子孫が産まれる事実は、幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟・親子の間柄あることを示している。つまり人と人との社会連繋の切ることの出来ない真理性は、そこに人の情が自ずと湧いてくる〝性としての人間〟像としてあらわれるところにあるのではなかろうか。
そこに「わが一体の家族」をみてきた。
吉本さんのいう〝固有値としての自分〟とは、〝性としての人間〟像と重ならないだろうか。生涯にわたって吉本さんが考えあぐんだ〝自己幻想と共同幻想の矛盾・対立・背反〟とその解き方は、〝性としての人間〟像を自らの出発点にすることで自ずと解消されるのではなかろうかと。
先の吉本さんの発言にあった

“家族がそのまま親族や集団、社会に拡張して発展すると考えることはせずに、むしろ閉じていきながら、逆に人間を支えるものであることをしきりに考えました。”

とされるその〝拡張〟の方向についてである。
今もっとも解明していきたい主題はかつての「天声人語」子の発言、
「▼”私はあなた、あなたは私”という怪しげな論法で、男女関係などにも不審な点があるようで」(鈍愚考1)
からの”私はあなた、あなたは私”という怪しげな論法の〝拡張〟についてである。

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鈍愚考(9)

自己欺瞞的な矛盾の解消
ある愛の詩

森崎さんの発言
“わたしが「イェニーさん問題」と呼んできたところのものをそれ自体としてつかみださずに、性の世界を社会への媒介とみなしたからです。”
にあった〝性の世界を社会への媒介とみなした〟の一節にもう少し踏み込んでみる。

人間社会を組織する原則としての自由・平等のテーマは、古くて新しい今現在も続く実践テーマである。例えば一体生活(ヤマギシズム生活実顕地)発足時(1961年)当初から「一体生活をやっていると窮屈、自由がない」といった意見がよく出るが、どのように研鑽していったらよいのかと話題にされてきた。
それくらいまず一番先に出てくるのが、財布一つの一体生活をやっていこうとするとどうしても遠慮せんならんものが出てくるといった〝自由〟のテーマがリアルに迫ってくるのだ。皆と〝共にやる〟ことの楽しみ願望が一転して不自由きわまりない苦しみ現実に反転してしまうのだ!? 
なんで?

〝一体の家族〟を目指すものの結局は従来からの格家族単位に舞い戻ってしまう。理念やあり方は分かっていても、それが生活習慣となって自分の身につくまでの段階で寄った人の我執がそれを崩してきたというのだろうか?
吉本隆明さんが以前体験的にこのあたりを解明してくれたことがある。

“その「一体」(ヤマギシ会の理念―佐川注)というところでかんがえていちばん問題なのは、男女の結びつきの次元というのが共同体の次元と同一化してしまうことです。そこがものすごくきついんじゃないでしょうか。かりにそういう男女がいるとすると、かれらは絶えず共同体の水準におかれようとする力を「一体」という観念から受けているから、男女のあいだに、ささやきとか、声にしなくてもわかるとか、そういう意味の微妙さがなくなっちゃうんじゃないでしょうか。ふたりでいるんだけれども、絶えず脅かされているといいますか、全部公開されているみたいな、そういう心理状態に絶えずさらされていることになる。
もし人間の性愛のなかに、色とか、味とか、匂いとかの比喩でいうべき問題があるとすれば、それが全部、無味・無臭・無色というふうになってしまうような気がするんです。ほんとにそうなることはたぶんありえないから、絶えず解体にさらされるか、または、もし男女の結びつきがひじょうに親密になってくれば、共同体から出ちゃうという衝動をいつでも感じざるをえないみたいな、なにかそういうところでいちばん矛盾にさらされるような気がするんです。”(吉本隆明『対幻想 n個の性をめぐって』1985.1春秋社)

さすが思想家・吉本隆明だなあ、的確に分析されているなあと感心していた時期が自分の中で長く続いた。たしかにそのように考えるとそのような現象が現れ出た。人間は単独では絶対に生きられない社会動物・人間なのだから、個別観的な観方でなく〝共同体の次元〟つまり社会人間からの観方こそ欠かせないとしっかり考えていたのだから。
ところが現象は多くの同志・相棒が血縁の〝家族をやりたい〟といったやむにやまれぬ切迫感にかられてこの間実顕地を去っていった。
今の常識からかけ離れた「一体」理念で日常生活を律すること自体が無謀で間違った行為なのだろうか? 社会人間から〝一体の家族〟へと拡張されていくには、未だ究明されていないどんな要素が自己革命が求められているというのだろう? 
こうした自己欺瞞的な矛盾を解消するにはどうあったらよいのか? 自己問答をくり返した。  
そんなこんなから先(鈍愚考7)で引用された「わが一体の家族考(88)」での一節、

“たしか吉本さんは、例えば「一体」とか「全人真の幸福」といった誰もがそうだと認める理念を前にして〝息苦しさ〟のようなものが伴ってくるとしたら、次元の違うものとしてある集団と個の観念世界をごちゃまぜにして個の〈倫理〉として受け取ってしまうからだと考察された。そしてそこから「個人としての個人」「家族の一員としての個人」「社会的な個人」と分けて考えることで、自己欺瞞に陥りがちな三つが混同される観念の矛盾から解放されるはずだという独自の見解を自分らに托された。こうした吉本さんからの贈り物にこの間ずいぶん救われ励まされてもきた。
しかしここで吉本さんは、〈性〉に関わる家族の次元の領域を人間の観念世界が生み出す三つの次元の一つと見なされている。ところが実際そう見なすだけでは、集団と個の問題が心底解消されたという実感が湧いてこないのだ。ある意味人間の〈性〉の世界を社会の共同性への媒介と見なすだけでは、“無味乾燥・器物の世界に等しく、潤いのない造花の社会”(『ヤマギシズム社会の実態』)が現れてくるだけだ。一般社会の共同性の中へ〈性〉の世界が取り込まれて位置づけられてしまうだけのことへの危惧というか異和だ。
〈性〉の世界という一番肝心な部分が、未解決で残されている。そんな未知で未経験な事柄にいどみ、そこに何か新しいものを刻んだという事実を発見しかつ味わいたいのだ。”

といった文節に続いていったのだ。
みずからの「個別観的な観方でなく〝共同体の次元〟つまり社会人間からの観方こそ欠かせない」とか「三つの次元に分けて考える」としているところに異和感を覚えてきたのだ。
幸いにも二つの心当たりがあった。
一つはこの間ずっと不可解だった〝山岸会事件〟前後の山岸巳代蔵の〝愛情研鑽会〟での言動を「ヤマギシズム恋愛・結婚観」として普遍的にたどってみる試みである。そこから自分なりの実感が伴う〝一体〟の世界が鮮明に現れてこないだろうか。
もう一つは、じぶん自身のヤマギシ会との出会いは本当のところ何であったのかを〝ある愛の詩〟の世界を通して確認していく試みだった。

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