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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

鈍愚考(6)

移動祝祭日(下) 
島田裕巳・青木新門

〝移動祝祭日〟とは、例えば若き日のそこでの様々な出会いや経験は、生涯にわたってその後の人生に消えることなく大きな影響を与え続けてやまない非日常性を意味するハレの要素を含み持つ日々を暗示しているはずだ。
そこが自分らにはヤマギシの〝特講〟であったり、その後の常識はずれの〝暮らし〟であった。
以前その証として、「自分はヤマギシ会の体験があったからこそ、宗教学者に成れた」とか「自分の人生の出発点は特講だった」と公言する宗教学者・島田裕巳さんの一週間の特別講習研鑽会(特講)体験記を会員集会の場で紹介したことがある。
こんな風に特講の〝怒り研〟でのじぶんの心の動きを言葉でうまく表現できるのかと思って我がことのように嬉しかったからである。

“私はしだいに、答えることばを失っていった。それは他の参加者の場合も同じだった。だれの答えも係を満足させず、即座に切り返された。参加者の発言が少なくなっていくにつれて、係の問い詰め方はきついものになっていった。会場の空気は重苦しいものに変わり、沈黙が続くことが多くなった。すでに時刻は真夜中になっていた。
おそらく他の参加者も同じように考えていたことだろうが、私は自分がなぜこんな目にあわなければならないのか理解に苦しんでいた。こんなことになるのなら、やはり参加しない方がよかったのではないか。一刻も早く、この状態から逃れたかった。しかし脱出のための糸口は、なかなか見えてこなかったのである。
ところが参加者のなかに、自力で脱出口を見い出した人間がいた。それは早稲田大学に通っている、私と同じ学生の女子学生だった。彼女は、「いま自分が腹を立てたときのことを考えてみると、腹が立たないような気がする。今度、そういうことがあっても腹は立たない」という発言をしたのだった。
この発言は意表をつくものであったが、私には納得することができた。彼女の発言を聞いて、体の奥から何か暖かいものがこみ上げてくるようにさえ感じられたのである。私は解放感を味わっていた。係の発する「なんで腹が立つのか」ということばも、怒りの原因を尋ねているのではなく、「腹を立てることなどないではないか」という反語的な表現として聞こえてくるようになった。その瞬間から、私にとって特講は苦しいものではなく、楽しいものに変わっていったのだった。”(『イニシエーションとしての宗教学』1993.1)

ここでの〝私には納得することができた。彼女の発言を聞いて、体の奥から何か暖かいものがこみ上げてくるようにさえ感じられたのである。私は解放感を味わっていた。〟といった心の動きに深く共感するものがあった。
二人で話す機会があった時、そのことを本人の前で話したら「自分にはあんな素直な文章はもう書けないよ」と喜んでくれた。

また映画「おくりびと」の原作になったとされる『納棺夫日記』の著者・青木新門さんの前で、あなたの書かれたここのところに自分も深く共感したと伝えられた時も読者冥利につきる思いがしたことがある。
納棺の仕事で行った先が元恋人の家で、意を決して中に入り作業に熱中していたらいつの間にか横に座って額の汗を拭いてくれる彼女がいた!

“澄んだ大きな眼一杯に涙を溜めた彼女であった。作業が終わるまで横に座って、私の顔の汗を拭いていた。”(『納棺夫日記』)

その時青木さんの眼に映ったものが行動を一変させる。翌日から白衣の服装に整え、言葉遣いも礼儀・礼節にも心がけ、真摯に堂々と納棺をするようになった。そんな一挿話が以来自分の心に鮮やかに焼き付いている。
妻や親戚や友人、そして地域社会からも白い目で見られていた自分にとって、丸ごと認めてくれたような恋人の瞳は救いだったという。
青木さんはそこに〝軽蔑や哀れみや同情など微塵もない、男と女の関係をも超えた、何かを感じた〟と言う。自分もそうした同じ経験もないのに同じように感じるのだ。この〝感じ〟っていったい何なんだろう? 

しかも興味深いことに、十年ぐらい前に話題になった島田さんの著書『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)に〝死の本質がわかっていない学者の本〟だとして真っ先に批判されたのが青木さんだ。
そうかもしれない。しかしそれでも私が変われば世界が変わる。島田さんの中にも青木さんの中にも、そして誰の中にも同じように流れ、響くものがあるのではなかろうか。

もちろんヤマギシの村に住み始めてから今日までのじぶんをたどってみた手記『ある愛の詩』(1977.1)とも重なってくるのだ。
そのことのみに的を絞って飽かずに日々確かめることがいつしか自分の天職にも感じられてきた。

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鈍愚考(5)

移動祝祭日(上)
移動祝祭日

〈もし君が幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、君が残りの人生をどこで過そうともパリは君についてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ〉(アーネスト・ヘミングウェイ1950年)

職場での日々の編集作業や「特講」写真の撮影・フィルム現像から焼き増し等の仕事はだいたい午前中に片付けて、午後はきまって夕方Oさんと二人で飲む焼酎のアテもかねての魚釣りや山菜採りに多くの時間を費やした。多分Oさんは自分の性格を見抜いてか何かと外へと連れ出してくれたのだ。人生における遊びの要素の大事さを身をもって伝えてくれていたのだと思う。
また意見があったらその場で言ったらよいのに後でウジウジ繰り言をくり返すそんなじぶんの性根を叩き直してくれた。

ヤマギシズム運動誌『ボロと水』の編集では、鶴見俊輔(哲学者、評論家)さんや「特講」に参加されたばかりの見田宗介(社会学者)さんに登場してもらっていた。そこで次回は、当時若者に人気があり自身もファンの一人だった詩人、評論家の吉本隆明さんに登場してもらおうと依頼の手紙をOさんにも推敲してもらって出したことがある。
その時は梨のつぶてであった。ところが3~4年してからご家族の方が実顕地にお見えになって一緒に伊賀島ヶ原の石仏探しに田んぼのあぜ道を歩いたり、お土産に採りたての栗を持ち帰ってもらったりした思い出がある。
晩年まで吉本さんには〝ヤマギシ会〟の試みが傍目にも危なっかしくて見ちゃいられなかったらしくよく話題にされていた。例えば、
山岸会式管理方式に象徴される〝疑似ユートピア〟を乗り越えるためのたった一つの指針となる原則として、

“すべての管理システムをもっている国家、社会、部分社会は管理される者の利害、健康、自由を最優先すること。これに反する管理システムは破棄されるか、または修正されること。”(『中学生のための社会科』2005.3)

だと人間が描きうる可能性の世界について言及されていたり、
また国税局による税務調査で申告漏れが指摘されたり、脱会者が次々と告発本を出したことも大きく影響したのか、生産している食品が売れなくなるという事態にも直面した時は、
「おやっ、これはいかんぜ。ヤマギシ会は社会に対して閉じている。もっと開かないと……」と最後まで心配をかけどおしだった。
そこには吉本さんからの熱いメッセージや励ましや温かい思い遣りが感じとれた。そうか、そうかもしれないと半分は同意し、半分はいや、ちがう。大事なものが未だ未然のまま残されているはずだと、その半分のところから催促してくるものが今も書き継ぐ源泉になっている。

またこの時期、『ボロと水』4号、5号で
○「前渉行程論(1)―〈養鶏法〉の位置と方向について」1972.9
○「前渉行程論(2)―ヤマギシズムの〈仕組み〉の特異な展開」1974.1
続けて会の機関紙『けんさん』で
○「インタビュー適正規模実顕地構想」1975.11
の三部作を編集した。
これは先述の実顕地造成機関の世話係だった杉本利治さんにその時のじぶん自身にとって一番の切実な問いかけを往復書簡の形でぶつけたものだ。
今ふり返ってみても、まさにぶつけたという表現がピッタシの感がする。そこには求めるものと応じるものとの全面一致の至福があった。よく真正面から受けとめてもらえたものだなあ、という感慨がどっとこみ上げてくる。

その頃(1975年の夏)現在宗教学者の島田裕巳さんは、大学四年生のゼミの潜り込み調査でコミューン(共同体)への関心から対象にヤマギシ会を選んだ。ところが一週間の特講で、本人の弁を借りれば回心してしまった。秋には関東の実顕地に参画してしまったのである。その彼も研鑽資料として当時熱心に読んだのが先の三部作だったと後で聞いた。
かくして1970年代は毎日が〝移動祝祭日〟のようにすぎていった。

そのことをもっとも象徴するのが会の機関紙に投稿した一文『ある愛の詩』(1977.1)だ。
何かやむにやまれぬ思いでヤマギシの村に住み始めてから今日までのじぶんをたどってみたものだ。書き終えて得も言われぬ解放感があった。しかし同時にいつまでこんなマイナーなことにかかずらっているのかと自己批判する自分もいた。
個と組織、自由のテーマが切実に迫ってくる前段階の日々でもあった。

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 「と」に立つ実践哲叢(50)

私が変われば世界が変わる
馬脚をあらわす

ヤマギシの村に住み始めてしばらくしたある日の研鑽会で、「なんでここにいるのと問われたらどう答える?」といった話になった。自分らは、全人幸福運動、戦争のない社会、不幸な人が一人もない、愛児に楽園を、理想社会を創りに等々と答えて、なぜ今さらそんな分かり切ったことを問うのかと怪しんだ。すると問うた人は、「そうかなあ、自分だったら他にやることがないからとしか答えようがないなあ」と発言して皆を煙に巻いた。

そうか、他にやることがないから〝この生き方〟をやっているだけで、もし他にそれ以上のものが見つかればそれをやるだけなのか……。なぜか拍子抜けするぐらい当たり前の理屈(?)に直面してかその後の研鑽会は沈黙気味で盛り上がらなかった。

今ふり返るとなぜあの時、だとしたら他にやることがないというその〝やること〟ってなんですかと率直に問わなかったのだろう?
その一方でいや、それはちがうだろう。自分らは〝他にやることがないからとしか答えようがないなあ〟という発言に、たんなる言葉のあやにとどまらない別次元の世界からのメッセージを無意識に感じ取っていたのだ。だからこそ、今日まで新しい世界を暗示させるとても大切な場面として甦ってくるのだと思ってきたフシがある。
というか、たんなる言葉のあやにとどまらない別次元の世界について想いを馳せるきっかけにもなったある出来事を経てからであった。オウム真理教が話題となり、マスコミなどからヤマギシ会もカルト集団とか洗脳集団だと二重写しにバッシングの逆風が吹き荒れた2000年前後の出来事だ。

弱い馬は平坦道路ではついてくるが、難所になると馬脚をあらわす。難所に直面した時に、こんな筈でなかった、偉いことになったと右往左往。これはとても、と逃げ腰で見ると、みんな悲観的になる。それまでの同志・相棒がにわかに悪く見えてくる。コリャいったいなんやろう?
あの全人幸福運動、戦争のない社会、不幸な人が一人もない、愛児に楽園を、理想社会を創り等々の言葉の空しさに襲われた。画餅・口頭禅、仏創って魂入れずとはこうした事態を想定してのことだった。

要はすっかり今まで通りの一般社会通念や人生観の道を歩いたことに尽きるだろう。
初めて自分らは〝他にやることがないからとしか答えようがないなあ〟という発言の真意の一端に触れるまたとない機会に遭遇したのだった!
だってそうではなかったのか。先の展望など描けず暗い思いの中で唯一やったことといえば、〝自分はどうしていくのか〟を自分に問うことだけだった。

そうか、他人ごとではなかったのだ! 自分の生き方として、つまり〝他にやることがない〟ところまでセンジ詰めて生きていくのだと。そんな未知で未経験の世界を前になぜか心が奮い立ってきた。

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鈍愚考(4)

〝もう一つある〟?
合奏

先の金鶴泳の小説『凍える口』の一節に

“ぼくは吃音に囚われているのだった。”

とあるが、囚われが高じてくるとホント真剣になって一生話さなくても暮らせる生き方はないものかといった妄想がふくらんでくる。社会から逃げるばかりの神経症的なほとんどビョーキの世界へと入っていく。
では囚われから脱け出すにはどうしたらよいのか? そんなことばかり思っていた。そんな自分の切実でマイナーな問題と研鑽資料にあった〝二つの逆の考え方〟という言葉が重なって、なぜかここに長年の悩みを解く鍵があると直覚したのだった。ふり返ってみてあの時の〝もう一つある〟という発見にも似た新鮮な驚きはいったい何だったんだろう。
一週間の「特講」体験は人間の本来の姿への復帰そのものを実証する場であるとして山岸巳代蔵はその一例に吃音を取り上げている。

“どもりは劣等感からくるもので、どんな強度のどもりの人でも、恥ずかしがりでも、一週間の特講で劣等感が無くなり、今まで以上にわざわざ意識しないのに、演壇に立ってしゃべれるようになる。どもりの人はぜひ参加されよ。
事実かどうか疑われる人は、どもりの人を連れて参加し、すでに四日、五日目頃にどもりが治って、人の中で自分も気づかずに話している事実を見られることであろう。”

以前よく町中の電柱なんかに〝どもり・赤面、治します〟などと貼ってあった広告を連想しがちだが、藁にもすがる思いだったからかここでの〝事実を見られる〟という表現に強く惹きつけられた。先の〝事実その中で生きていく強い自分を見出している〟という一節とも重なり、自分を今日まで支え続けてくれる言葉になっている。
ここでの〝事実〟とは何なんだろうか? しかも見られるとは?と自問自答をくり返しているとなぜか〝やってみよう〟とする勇気が湧いてくるのだ。
人と人との繋がり(あいだ)の病理を説いている精神医学者の木村敏さんはいう。

“この「あいだ」というのは、個人と個人が出会ってはじめて両者の間に開かれるような関係のことではない。むしろ、それがあってはじめて個人が個人として成立するような、個人の自己に構造的に先行しているような、だから一人ひとりの個人の存在の基底に深く根をはっているような、そんな「あいだ」のことである。あるいは西田幾多郎をもじってこう言ってよいかもしれない。―個人あって「あいだ」あるにあらず、「あいだ」あって個人あるのである。
「あいだ」を個人の生命活動の源泉にある生命的自発性が立ち現れる場として見定めたことによって、わたしはその後、そのような「あいだ」によって媒介された個別主体性と集団主体性との関係を、統合失調症という、個人と社会との関係の病理を理解するキーコンセプトとして常用するようになった”(『あいだ』ちくま学芸文庫)

かつて吃音という囚われから脱け出すことばかり思い詰め〝ほとんどビョーキ〟の世界を彷徨っていたからか、ここで何が言われているのかすぐにピンときた。次のような発言もある。

“「自分が自分であること」の根拠が「人と人とのあいだ」にあるという事実”

“音楽の場合にも、音と音との「あいだ」は単なる中断や休止ではなくて、そこにおいてはじめて、その両側にある音が全体のなかでの位置づけと意味とをあたえられ、音楽を構成する楽音として析出してくる場所であり、この析出のはたらきが「ま」とよばれることになる。”(『自分ということ』ちくま学芸文庫)

要は〝囚われから脱け出すにはどうしたらよいのか?〟などと思いわずらう考え方の延長線上にはもう一つある〝考え方〟は見出せないときっと言われているのだ。
言いかえれば〝もう一つある〟のもう一つの気づきとの出会いは、代替えとか二者択一を意味する〝オルタナティヴ〟や対抗文化を意味する〝カウンターカルチャー〟から大きく飛び出した世界を暗示しているようだった。

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鈍愚考(3)

スリリングな実践
自動券売機

ヤマギシの村に住み始めてしばらくして、職場配置が養鶏部からヤマギシズム出版社に変わった。後に出版社の先輩であるOさんから、その頃発行されたヤマギシズム運動誌『ボロと水』第二号に掲載された作家・島尾敏雄に触れた文章を読んで感じるところがあったのだと聞かされた。というのも、あんな昼行灯な人間に出版活動が勤まるのかという反対意見を押し退けての選出であったらしい。

仕事の一つに、薄暗い倉庫に積まれた山岸巳代蔵に関する資料の整理があった。その中に「ヤマギシズム生活実顕地について―六川(むつがわ)での一体研鑽会記録から」というほこりをかぶったガリ版刷りの冊子があった。
現在の六川実顕地(和歌山県)が誕生する直前の研鑽会記録だ。
何気なしにぱらぱらとページをめくっているうちに、次のような一節に釘付けとなった。

“投機やバクチまでやった人はちょっとおもしろい。肚が出来てるというか……。誰でも底にあるから、そういう体験――そこから気づいていけるものだが――それのある人は話が通じる。早い。破産して立ち上がった人は強い、絶対線を持っている。まず心が出来てからは強い、安心。安心から出るものは軌道に乗っていく。よし失敗しても、それを体験として生かしていける。(略)
暗く見る人と、事実その中で生きていく強い自分を見出している人と、二つの逆の考え方がある。暗く見える人はそればかり見える。心の解決できた人は、やがてそれが明るい豊かな世界が来ることが見えている。”

ここでの〝事実その中で生きていく強い自分を見出〟すといった表現に惹きつけられた。そう、そう、こんな感じ。ああ、こんな風にうまく言い当てることができるんだ、と飛び上がるほど嬉しかった。あたかも自分が自分に出会えたような喜びに包まれた。

というのも学生時代からの自分の一番の悩みは、吃音にあった。思うことを思うとおりに気楽に話すことができないくらい辛いことはなかった。自分の無力さに打ちのめされてきた。
そんな風に感じていたからか、ずっと自分の心を慰めてくれるものを求めていた。例えばその頃文芸誌で見つけた一編の小説を我がことのようにくり返し読んだ。

“切符を買うにも声が詰まり、レストランや喫茶店で注文するのにも声が詰まり、ちょっとした会話でも吃り吃りでなければ話せず、電話に恐怖し戦慄し、さようならを言うのにも難儀する人間にとって、吃音以外のことがどうして問題となりうるだろう?”(金鶴泳『凍える口』)

今でこそ自動券売機で気軽に切符が買えるが、当時は窓口で行き先を告げなければならなかった。これが難儀なのだ。とりわけ山手線の〝高田馬場(タカダノババ)〟という駅名が言いづらかった。そこでいつも十円高くても比較的発語しやすい一つ先の駅名(目白) を告げて切符を買っていた。
そんな馬鹿げたことをやっている自分にほとほと愛想が尽き果てていた。ふと気づいたことがあった。切符を買うには、やっぱり駅名をはっきりと告げなけねばならない。ルールに従ってタ・カ・ダ・ノ・バ・バと。
誰もがやっている当たり前のこと。やってみるしかないのだ!
前もってコントロールできないのだから、なおのこと上手くいくか吃ってしまうか実際やってみないと分からない。そのことが不安で不安でたまらない。でも畳の上の水練で、やってみないと分からない。
自分のなかでは〝あっ、そういうことか!〟と何か吹っ切れたような気がしたのだ。

それにしても自分という人間が〝事実の中〟にあり、そこでの〝強い自分〟をそのつど見出してはヤッターと快哉を叫ぶような、そんな観方・考え方は何ともこっけいでもあり不思議でならない。
最近になってフランスの哲学者エマニュエル・レヴィナス(1906-1995)の弟子を自称する内田樹さんが自身のブログで次のように語っていたのを知った。

“例えば、私は中学生の頃、とつぜん「た」行で始まる単語を言おうとすると吃音になるという時期があった。
「たかだのばば」と言おうとすると単語が出てこないのである。
駅の窓口で「う・・・」とうめいたきり立ち尽くすということが何度もあった(当時は自動販売機がなく、窓口で行く先を告げて切符を購入したのである・・・というようなことを説明しないといけない時代が来ようとは)。
しかたがなく、高田馬場へ行くときは「目白」とか「池袋」といって切符を購入した。
このような言語活動上の「偏り」は主体的決断でどうこうできるものではない。(略)
それについて「正しい」とか「間違っている」とかいう判断は誰にもできない。「あ、そう」という他ない。”(「エクリチュ―ルについて」2010.11.5)

ホント、〝このような言語活動上の「偏り」は主体的決断でどうこうできるものではない。〟のだ。つくづく同じような考えに至る人がいるものだなあと親しみを覚える。

二つの逆の考え方があるという。そのもう一つは〝事実と思いの分離〟といった自分よりの頭の理解とは異質の、いわば〝ポンと飛び込む〟スリリングな実践を迫ってくるような真逆の考え方であるらしい。

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鈍愚考(2)

思いがけなくも
自然の生態系

昨年秋のことだったか、かれこれ50年近くぶりに兵庫県の北条実顕地を訪れた。わずかに古びた二軒の家屋に当時の面影が残っているだけだった。
ところが思いがけないことに皆の歓待を受けた夜半ふと目覚めたとき、かつてこの地で開催された二週間の「ヤマギシズム実顕地用養鶏法研鑽会」での一場面が鮮明に思い出されてきたのだ。
それはたしか次のような一節、

“山岸養鶏では(技術20+ 経営30)× 精神50と、精神面を強調するのは、鶏を飼う場合の鶏や、社会との繋がりを知る精神であって、自分一人よくなろうとの精神では、養鶏も絶対に成功しないとの原理精神のことです。
何も修身や修養や道徳を云っているものでなく、寡欲高潔ないわゆる人格者でないと鶏が育たぬとか、卵を産まないというのではなく、また社会奉仕をせよと強いるものでもなく、この場合の精神とは、大いに儲けて、永久に養鶏を栄えさすために、必要で欠くことの出来ない、一番先に知らねばならぬ根本精神のことで、他の養鶏法はともかく、山岸養鶏はこの精神が欠けては、絶対に成功出来ない仕組みになってあります。”(『山岸会養鶏法』)

を読んで、ここでの〝繋がりを知る精神〟とは何だろうかと皆で意見を出し合った時だ。
参加者の一人で、その頃個人生活から慣れない実顕地生活に入るための産婆さんのような役を務めていた実顕地造成機関の杉本利治さんから、「人と人とのあいだが大事」なんだという意味の発言が何度かあった。
その場面が不意に甦ってきたのだ。
そしてそこから実顕地に住み始めて間もない自分らに向けて「なーんだ、最初から一番肝心なことを言っていたのだなあ」と杉本さんからの一言から何か新しい気づきを得たようなうれしい感慨が湧いてきたのだった。
もちろん研鑽会では、何を言わんとしていたのか自分の中で未消化のまま宿題として残ったのだが……。

多分ここでの〝あいだ〟とは、相互の間柄というかコミュニケーションの大事さを指しているわけではないはずだ。社交や取引や利害関係での関係面を有利な方向にもっていくために気やものを使い合うことを意味しているわけではないはずだ。親子・夫婦・人間間問題を良くするために努力し妥協しあるいは共通の目的の必要性を問うているわけでもないはずだ。
それぐらいは理解はできたし、〝繋がり〟も自然界の生態系としての教科書的な説明は理解できそうだ。
しかし次のような表現で〝繋がり〟が解説されるとどうだろうか。

“人には一人の敵もなく、みな身内です。そうではありませんか、両親を辿っていけば……子孫の行く末の、末の結合を考えれば……どうして一家一門の間で争ってなどいられましょう。
しかも遠く離れた人との結合ほど良縁で、優秀な子孫が産まれる事実は、幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟・親子の間柄にあるもので、その繋がりさえ分かれば、どんなことがあっても憎み合えたものではありません。”(「山岸養鶏の真髄―6求むれば得らる」1956.3)

ここでの〝その繋がりさえ分かれば、どんなことがあっても憎み合えたものではありません〟という箇所である。
繋がりさえ分かれば、家庭の不和はもちろん社会の紛争・戦争が無くなるのだという!? 論理が飛躍しすぎてはいないか? いや、ここで言われている考えをそのまま受け取ったらどんな世界が展開するのだろうか。

そしていつしか自分は、〝あいだ〟のことを〝繋がり〟の意味と解して、そこに大事なものが潜んでいるはずだとして自問自答する日々を重ねてきた。
なぜか〝繋がりを知る精神〟とか〝その繋がりさえ分かれば〟の真意の一端に触れることが日々の喜びに直結するそんな生き方を切実に欲求している自分をどこかで感じていたからである。

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鈍愚考(1)

怪しげな論法・説法?
1959年7月7日第86回特講受講生下山

1959(昭和34)年7月10日、三重県伊賀市春日山にある山岸会は一週間の特講受講者を軟禁した疑いで上野署の捜索を受け、幹部と見なされた七人が逮捕された。
12日付けの朝日新聞一面コラム『天声人語』は次のように記している。

「”百万羽養鶏法”と”世界急進Z革命”の二枚看板をかかげている山岸会が警察の手入れを受けて、幹部ら数人が不法監禁や脅迫の疑いで検挙または指名手配となった。荒木又右衛門や忍術の講談で名高い伊賀上野でのこと▼山岸会の農場には約百五十家族、五百人くらいの老若男女が住みこんで”別世界”を形作っている。その多くが郷里の家、田畑、山林などを売払って山岸会に献納し、中には一千万円もの財産をまき上げられそうになった人もいる▼それらの家族から保護願いが出て、ナゾの組織が社会の明るみにさらされた。受講者が帰宅しようとしても”Xマン”という青年行動隊につかまって監禁されたり、家を焼き払うと脅されたりしたと訴えている▼”百万羽養鶏”という多収穫農法のような看板につられて入ると”人鶏一体”とか”飼う人間を造り変えれば鶏も自然によくなる”などといって妙な思想教育をおしつけられる。その講習は”人間改造の大手術”だと一種の”洗脳”をやるらしい▼”私はあなた、あなたは私”という怪しげな論法で、男女関係などにも不審な点があるようで、我欲を捨て生命財産にも無関心になるように思想教育するのが山岸イズムだという。そんな説法に酔っている人が何百人もあるところが、何とも不思議である▼やはり”邪教”との印象はまぬがれない。山岸という人物の経歴も正体もまだ分からない。西日本を中心に数万人の会員があるそうだから、どこか人をひきつける教祖的なものはもっているのだろう。”百万羽養鶏法”などと初めに経済的利益で人をつり、次ぎに財産の献納をすすめて丸裸にするところなどは、まさにインチキ新興宗教の定石である▼なぜこんな怪しげな団体に、多くの人が家財を売り家を捨てて入るのかである。それは現代の不安であり、既成宗教が生ける悩みをしっかりと受けとめてくれないからでもある。お盆や葬式だけの宗教では現代人はあきたりない。その盲点に、怪しげな新興宗教がはびこる余地があるのだろう▼それにしても”一卵革命”だの”人鶏一体”だのとわけの分からぬニセ教義で、世界革命だなどとは、とんでもないキチガイざたである。」

この日の「天声人語」子の一言一句の影響力は大きくほぼ世論の動向を決定づけたのではなかろうか。巷間伝えられた山岸巳代蔵ならぬ〝山岸愛欲氏〟の火の元はこうしたゲスの勘ぐりからであった。
その中に次のような一節がある。

「▼”私はあなた、あなたは私”という怪しげな論法で、男女関係などにも不審な点があるようで、」

ここでの”私はあなた、あなたは私”という一節は、きっと当時バイブルのように会員間で読み込まれていた『山岸会養鶏法』の中の次のような文言と重なる。

“山岸会の目ざす理想社会は、一人の不幸もあってはならぬ社会でありますから、その根本に自他一体観の、きびしい原理が自得出来ていなければならぬ筈で、この会旨を別なもっときびしい言葉で表しますと、
「私はあなた、あなたは私」
の体認に出発せねばならぬとするのであります。
人を見れば、自分と思える境地に立つことを条件とした言葉で、例えば人の子を見て、私の子同様に思えるかということです。自分の子の優秀や、栄進や進学、結婚を喜ぶに止って、他の人の子の、劣悪、失職、落第、墮落、破鏡を平気で見過し、時には内心さげすみ、あざ笑い、これに比較して我が子を誇るといった心が、微塵でもあったとしたら、如何に口で〝われ、ひとと共に〟と叫んでも、空念仏以外の何ものでもないことになります。誰でも言うこの言葉に、高い理想性ときびしい自己反省と、行動の規制の含まれていることを知らねばならぬのであります。(1955.6.16)”

ここのどこが〝怪しげな論法〟なのだろう。男女間の月並みな〝口説き文句〟の一つにすぎないものだろうか?
この間のヤマギシズムの恋愛・結婚観の文脈を内包しつつ、もう一歩じぶん自身が納得できるような考察が進められたらと念いつつも、逍遙自在、何はともあれ気のむくまま行きつ戻りつしてみる。

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 新年に当たって

「われ、ひとと共に…」の精神
森の僧侶パイサーン師(スカトー寺住職).

先日タイ東北部の田舎を歩いてきた。昼下がりとある村の中を歩いていたら、常夏の国らしくハンモックに吊り下がって昼寝している人を見かけた。するとふとそんな姿に時間が止まったような深い安らぎをおぼえた。
たぶんその日の朝、日常の何気ない例えば歩くという行為も〝法に従う〟とか〝法と共に歩く〟とか〝法の中を歩く〟ことで〝心の中に法を育てていく〟ことになるといった、少しずつ表現を変えて語る「森の寺」の僧侶の言葉が心に残っていたからかもしれない。
というか、次のような経緯もあった。

昨年10月5日から12日までスイスでドイツ語特講が開催された。そこへ日本からスイスの特講はどんな感じでやられているのかと、特講の係スタッフに通訳一切無しで入ってみた松本哲さんの感想が先月号の「けんさん」紙に紹介されていた。言葉は分からないけどラジオ体操などでみんなの見本になってみたりして、一緒にやるみたいなのも少しは体感して結構面白かったという。
スイス特講

帰ってからの彼の感想に、会の会旨「われ、ひとと共に繁栄せん」の研鑽では〝ひとと共に〟の〝ひと〟は〝人〟とは書かなく、〝陽土〟にもかかっていることが強調されていたというのがあった。英訳では、I,a part of nature,do my best to prosper with all men,the sun and the soilとなっている箇所である。たしかに翻訳としては間違ってはいない。ひ=陽=太陽・と=土=大地、即ち父なる太陽と母なる大地、その父母によって生みだされた万物。なかでも万物の霊長といわれる〝われ〟という主体が、自然や環境と調和していこうとするエコロジカルな生き方こそ今切実に求められている。
しかしだからといって、遠慮してたら自分の立場が無くなるからと、止むなく自分で自分を護り主張する〝個々人主義〟を肯定したままに、自然全人が真に調和した健康正常な姿を思い描けるだろうか?
そんな〝人〟の革命が不問にされがちな懸念を彼の発言から感じとれたからである。

ヤマギシ会が発足して以来一貫して問い続けてきたのは、会旨「われ、ひとと共に繁栄せん」の主語、主体はどこにあるか? といった実践テーマではなかっただろうか。もちろん考えて答えを見つけることではない。
例えば有精卵の供給活動が始まった頃、卵の黄身が白っぽいとの苦情が活用者から多く寄せられたことがあった。困ったことになったなあと心が揺れた。黄身が濃いだの白いだのと一喜一憂している自分がいた。
そんな折、研鑽会で「やっぱり赤いものは赤いし、白いものは白いかね?」と問われた。いったい何を基準に比較しているのかと問われた思いがした。自分らヤマギシストの真骨頂は、白でもない赤でもない〝真っ白な赤〟!?を産み続けることではなかったのかと。
曲がりなりにもここまでやれてきた秘訣は「共にやってきたから」という感慨がひとしお湧いてくる。主体はわれにも、ひとにも無く、「共に」にあるのではなかろうか。

そんな「共に」に心を置いてみると、理想社会のあり方も今まで気づかなかったことの数々も、自分たちの心境の高まり深まりと正比例して反映してくることが実感される。
この線に副ってこそ家庭も社会も人生問題も自ずと解明されてくるのではなかろうか。





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わが一体の家族考(190)

探求をふり返って
壁穴から青空をのぞき見る

ふり返れば予期しないのに起こった本当の恋愛の実践の場では、特に苦しみの分析・分離、及び原因究明が出来ない状態になり、なかなかその苦しみから脱却でき得なかった。それまでの研究するための科学実験や怒りなどのように材料を持って来たり、場を造ることも出来ない事態に直面したのだった。
それは理論・理念を論じる前に在るもの、予期しないのに起こった事実それ自体からの、山岸巳代蔵に対してのある意味真なるものからの警鐘であったとも言える。

○鬼畜のような形相で〝即実行や〟とグングンやったもの。
○命がけ、血みどろの愛欲史。
○生来の求真性格に煉獄の試練を。
○死よりもつらい数々の責め手,受難史。
○常識世界は冷たく酷だった。
○課せられた運命か、あまりにもヒニク。
○「一回の私心(自殺)が欲しい」と何回思ったかしれない。自己愛とでもいうのかね、
○他の数々の探究と、あらゆる天災・人災・病苦等での身心の試練で打ちひしがれて、生来弱体で気弱の幼柔な重圧の僕を、なぜまたゆるさないで……。

これこそ旧約聖書ヨブ記でのヨブの叫びにも重なる〝理で虎に食われるを説いて、虎を退治しようとして、虎に食われなかった自分……〟の自画像だった。
こうした段階を経てはじめて〝理論・理念を論じる前に在るもの〟が、〝頼子さんの2の世界〟に想いを馳せることで〝死んでも死に切れないもの〟として迫ってきたのではなかろうか。
この間柿谷さんの探求課程を追いかけながら、よくぞここまで掘り下げられたものだと驚嘆する。
山岸巳代蔵の〝「理想社会」が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時の感激〟とそうした世界を綴られる柿谷さんの勇躍歓喜の心境とそうした文言を書き写しているだけの筆者自身の心持ちが重なるようにも感じてしまう。
例えば次のような一節など、大きな気づき・発見ではないだろうか。

○〝表すものでなく表れるもの〟から〝表れるもの〟が、〝頼子さんの2〟か……。もちろんここでの〝頼子さんの2〟は2でない、全部に生きる2なのだ。
○しかもこの〝頼子さんの2〟は、あらゆる問題に連動するように思う。
○今日までの長い歴史の中で、一人の個人として引き継がれて来ていて、真の夫婦、夫婦一体で一人格、夫婦一体で一業理想、夫婦二人で一人格の持ち味という視点は無かったのではないだろうか。
○妻の前に女性としての出発点から出発して妻になる順序ではないか。つまり、まずは女の持ち味があって妻になるのではないか、と少々踏み込んでみました。(2004.9.11)

ふと山岸巳代蔵の発言が浮かぶ。

“自分の一尺後ろにある宝を前向きに見ていて、ちょいとふり返ると……”(第1回ヤマギシズム理念徹底研鑽会)

あまりにも身近にありすぎて、ふだんは軽く聞き流してしまったり見過ごしているようなものがある!? その〝宝〟を〝前向きに見ていて、ちょいとふり返ると……〟いったいどんな世界が開けてくるのだろうか? 
その〝宝〟とは、柿谷さんがはっきりと見出された〝頼子さんの2〟ではないだろうか?
もちろん次のような山岸巳代蔵の発言とも重なってのことだ。

“本当の結婚を求めに求めて、仕事そのものもそうだったと言えるように思う。すべてに本当の結婚を求めている私だったと言えよう。休む時も、遊ぶ時も、何かを探求し、仕事をする時にも、食べる時にも、心に女性を感じ、ほのぼのとした気持であることによって、満たされた思いで生気が吹きこぼれているように思う。”(『恋愛と結婚』の前書き)

こうした〝頼子さんの2〟から始まる世界について書き綴ることこそ柿谷さんの意図を引き継ぐ自分らの一番の願いだ。
また同時にこうした世界と現状の実顕地を対比的に重ねての苦言も頂戴している。曰く

○研鑽学校開校と実顕地の出発は同時進行したが、真の夫婦が抜け落ちて進められてきた。
○夫婦で世話係をやることだ。
○ダシの抜けたダシガラにも似たように思う。
○無感無識界研は無くて、我執ばかりが推進されてきた。
○愛情研鑽後まわしを憂える。
○我々の頭には、生活を支える産業を優先して考え行う習性があって、多忙とか、失敗とか、競争とかに追い回されることが当たり前になっている。
○世間では欠陥車について大きな話題になるが、ヤマギシ欠陥車は放置されたままである。
○振り出しに戻して、出直すことが、成功の秘訣だと思います。などなど。

はたしてそうだろうか。見出されたあるべき姿とそこに至らない現状との〝すきまの部分〟はどうしたら埋められていくのだろうか。理想を描き実現しようと試みるとき、誰もが直面する切実な問いであろう。そしてそこからこんなはずではなかったと後悔する底知れない落とし穴にはまっていく例が後を絶たない。
いや、こうした二元論的に理想と現実を取り分けていく考え方じたいが却って躓きの石になっているのかもしれない。たしかに次元の異なる場合はそれをいくら進めても異いがはっきりしてくるだけで同質のものには発展しない。しかし同次元での未熟には成長という可能性がある。それゆえたえず問われるのは理想に直結する次元の転換がはたして為されているか否かであろう。もとの考え方にある束縛に気付いて理想に合う原点的考え方に立つことが容易ではないのだ。振り出しに戻って考えてみるしかない。
柿谷さんもそうした混線する観方にはまっているようにも見えて仕方ない。
この間のヤマギシズムの恋愛・結婚観の文脈に沿えば、山岸巳代蔵と柔和子との果てしない愛情劇問答からふと浮かび出た山岸巳代蔵の発言がヒントになるのではなかろうか。

山岸 そこんとこ、双方から起ったもので、双方のものだと思う。そこに本当の夫婦の良さがあるんだと思うが。
「ここからよう言わない私や」とね、そういう考え方に入らずに、やはり二人のものや、二人一つのものや、どっちのと言うより、二つの入れ物に入れた水がつながっているように、「僕が至らぬ、あんたが出来てる」と言っても、それは、至らん、出来てる、二つで一つのものと思うの。
柔和子 そらそう言えると思うわね、そういう具合に言ったら。
山岸 それやと思うの。あっちやこっちと言ってるより、同じものをやね、ちょっとこっちに水が多いとか、そっちが少ないとか言うよりね。同じものやと思うの。
柔和子 そりゃ大乗的観方からすれば、そう言えるわね。
山岸 いや、これはホントやと思うの、それをかれこれとそういう観方をするところに、いろんなもんが出てくるのやなかろうかと。なかろうかやぜ。”(「編輯計画について」)

ふと壁穴から青空をのぞき見たようなハッとする驚きがあった。〝そういう考え方に入らずに、やはり二人のものや、二人一つのものや〟というのだ! 
至らないのは二人のものやともいう。相手が至らないなれば、至らないなりにそれは自分と同じもの。また自分も至らないからといって自分を責めないもの。理屈ではない。そこから他が全部健康正常になってくる根本なのだという!
そこへポンと飛び込むのが先なのだという。そことは〝二人一つのもの〟であり、〝頼子さんの2〟から始まる世界のことであるにちがいない。ここから出発しようというのだ!

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わが一体の家族考(189)

探求7 理想実現の絶好の舞台
小倉百人一首

前記の「柔和子に寄せた書簡」〝私はこの世に思い残すことがある。死んでも死に切れないものがある。〟の全文掲載(2004.5.22頃)から〝頼子さんの2〟解明が始まり、その後亡くなるまで(2016年)〝死んでも死に切れない〟真意の探求と自らもそこを生きようとする日々が続く。そこから柿谷さんは次のような新しい気づき・発見を記している。

○例えば〝よい年して孫みたいな小娘に惚れてうつつをぬかして云っているのかどうか、私の身になって聞いて頂き、頼子を理解してほしいのです〟とは、〝頼子さんの2〟を理解してほしいと云っているのではないか。
○柔和子さんの2と頼子さんの2が、一人の女性に存在しにくくて片寄っていることが多く真の夫婦に成り得ないところから、山岸さんは具現方式として〝固定のない結婚〟を編み出し、探求して来たのでしょう。
○すべての調和の崩れる元は、女性の持ち味2の軽視から。
○頼子さんの2は全てを生かすという。
理想社会実現に向けた仕事。それには三つの要素、発明力・実具現力・生かす力の実現が不可欠。
○発明力(男)、実具現力(女)、頼子さんの2の力(女)=生かし合う世界
○また頼子さんの2は、〝妻の一体〟にあると思う。
○夫と妻の持ち味を生かす〝妻の一体〟によって〝成るもの〟とは、〝和らげる、下手に出る〟といった女の人の心の状態が優しくなることではないのか。
○無我執も自然界では、保ち合う理として存在。夫婦の持ち味を生かし合うということが、我執を無くしていくエネルギー源である。
としながら、真の夫婦つまり〝男と女の持ち味を生かし合う生き方〟のねばり強い探求を通して、〝頼子さんの2の世界〟の拡張がはかられていく。
○〝頼子さんの2の世界〟は、零位に立てば見えるのではないか。
○女の人は元々、身も心も優しい。優しい美。
〝美しさを美しきで隠されて漂う美しさ、素直さ〟
〝忍ぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思うと 人の問うまで〟(平兼盛・小倉百人一首)
〝表すものでなく表れるもの〟という。その〝表れるもの〟こそ、〝頼子さんの2の世界〟か……。
として、次のような山岸巳代蔵の発言に重ねられていく。

“日本キモノも衣装を見せるためだったら本末転倒。目に見える姿だけなれば惜しいもの。本当は衣装を通して、人間を隠して、人間が表現される面白さと調和美にあると思う。その人のさわやかで高尚な芸術的個性美、ゆかしさと温かい情緒、凡てと溶けあい生かしあう、あいの象徴、或いは内在する柔らかい曲線美、まかり出(い)でないしとやかさ、嗜み・趣味に楽しむ人柄のよさなど、みせようとせない、つつましい内からこぼれて匂う、心根の美しさ。”(「正解ヤマギシズム第二輯」刊行に当たりて)

全てを生かすというほどのものが、女性に存在している。
しかもそういうものが〝二人で一つ〟という真の夫婦の基本条件からいつでも、どこにいても、生き生きと発せられているのだという。
なぜなら人は〝自然全人一体〟の産物だからで、しかも一体の夫婦の資格条件を調えることで自ずから、もっとも直接的で本質的な〝自然全人一体〟の姿が現象として顕れ出るのだとしている。
そえゆえそこはまた理想社会の縮図として最小単位の理想実現の絶好の舞台・出発点であるとされる!?
そこに充満しているのが頼子さんの〝2〟であり、女性の持ち味その〝2〟であり、「女性の心の美」であり、「心の優しさ」であり、「つましい内からこぼれて匂うこころねの美しさ」であり、この美は「夫の行為は妻の一体によってなるもの」によって生まれるものであるとされる。
いったいここで何のことが言われているのだろうか。

一体の夫婦の資格条件を調えることで、自ずともたらされる豊かさのようなものが表現されているようだ。
受け身の奥ゆかしさ、滲み出る情愛の香りや潤い。
以前〝食べたいから食べるのと食べなくてもよいが食べるのと、何でも二つある〟を研鑽したことがあった。あの〝食べなくてもよいが〟と受け身的に〝食べたいから〟という自らの要求を放したときに湧いてくる豊かさのようなものと重なる思いがする。そこが一体に合適していく資格のベースになるのだろうか。
たしかに頼子さんの〝2〟のようなものが自然から贈られ、人から発せられる美しさ・豊かさ・温かさの源が、そこはかとなく広がっているのがこの世界のようなのだとイメージされてくる。

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わが一体の家族考(188)

探求6 死んでも死に切れないもの
宇宙自然界

例えば先の「頼子は全部に生きるわけよ」の真意について、あえて数字で表して言っている〝2〟についての探求を次のような山岸巳代蔵の発言をくり返し吟味するところから取り上げられる。
直筆での原稿は、

“私はこの世に思い残すことがある。死んでも死に切れないものがある。”

との一文から始まる。たしかに私は、

“どうしても全人幸福研鑽一体社会の峠を越すまでは、この世へ生まれ、養って頂いたお返しとしてでも死ねないのだが、時の流れと云うか、自我世界の流れに力及ばず、死んで行くのかも知れない。”

しかし、これも時代であり、別段私がやらなくても、いつかたれかがやるから、残念は残念だがニッコリ笑いながら死ねそうだ。
ただ、もし私心が許されるなれば、本心はどうかと尋ねられるなれば、この間少しも生への執着も残さなかった頼子と死にたい。
しかしまた、私をして死んでも死に切れない絶対のものがある。これを抱いたままでは、どうしても死に切れない一つのものが残されているのだという。それは、

“頼子を柔和子たちに理解ささずに、誤解さしたままでは、如何に苦しくとも、死にたくても、死に切れないのである。”

のだという? なぜなら、

“柔和子を最も愛しているが故に、本当の頼子を理解してほしいのである。また誤解され、世人から、家族から、一人ぽっちにされている頼子のためにも、柔和子たちに正しく頼子を見てやってほしいのです。この世の中にこんな愚かなことがまたとあるだろうか。その原因の殆どを私がつくっただけに、私は死んでも死に切れないのである。
これについて私の云いたい事を、私になって聞いてほしいのである。本当の研鑽がしてほしいのです。批判者でなく、苦しみ悶え抜いている私は何を云わんと、くりかえしくりかえしするのか、なぜ、どういう点を苦しんでいるのか、一方的とり方できめつけないで、苦しんでいる私になって聞いてほしいのです。
先ず私の欠点であった、感情もあり、我もある相手に、相手の気持にもならず、云い度い本心を聞かないで、筋ばかり通そうと理責めを相手に感ぜさす理詰め、検事、裁判官態度でなく、私もその身になって聞くけいこをしますから、私の身にもなって、感情に走らないで聞いてほしいのです。この世で、私としての最大の念願は、柔和子や、自分では気がつかないが、頼子を誤解し、頼子を苦しめ、私を苦しめ、息の根を止めようとしている人達に、私が死ぬに死ねん、死よりもつらい思いで、何を苦しんでいるのか、云わんとしているのか、よい年して孫みたいな小娘に惚れてうつつをぬかして云っているのかどうか、私の身になって聞いて頂き、頼子を理解してほしいのです。
頼子も憐れですが、そうゆう心の世界に平然としている人、こういう世界が私に堪えられないのです。本当の研鑽が出来るお互いになり度いです。そうなれないために、苦しみ苦しめ合って下手ばかりしているのです。
間違いばかりで勝手に苦しんでいる私でしょうが、その間違いばかりで苦しんでいる私になって聞き考えて下さいね。”(1959.9月頃か、柔和子に寄せた書簡より)

この一文は、この年の七月山岸会は一週間の特講受講者を軟禁した疑いで上野署の捜索を受け(世に謂う山岸会事件)、幹部と見なされた人々が逮捕され、山岸巳代蔵も全国指名手配中の潜伏先で記されたものだ。共同謀議の疑いも晴れていなく非常に逼迫した状況にあった。今度は死刑になるかも分からん、せめて息のある間になんとかこの結婚観を、といった焦りをも感じていた。
柿谷さんは、頼子さんの〝2〟という持ち味は「接着剤同士の一体」の妻の側から夫に対する接着剤に当たるという。妻の一体が、頼子さんの〝2〟の焦点だというのだ。
例えば約束と云う強い接着剤で密着さした合板は、両面別々で、両者の間に糊の隔てがある。雨や嵐や、割り込む金や何かの、他からの梃入れのヘラや鋸で引き割かれもする。 そんな約束と云う接着剤なしで一つになってしまっているものだ。男には女の要素が無い、女には男の要素が無い。そんな無いもの同士の一体なのだという? いわば餅と餅を搗き合わしたようなものだともいう? 
先の柿谷さんの推理(わが一体の家族考186)を再度記しておく。

“○男にあって女にないもの。女にあって男にないもの。生かし合うには一体以外にはない。
AにあってBにない 2―男
BにあってAにない 2―女
AもBも生かす   2―女
から、男を一極、女を二極、三極と表現するなら、三極に当たる世界が、女の人に存在する!?”

つまり山岸巳代蔵が叫んでいる〝死んでも死にきれない〟というのは、三極に当たる世界、〝AもBも生かす2―女〟があることを聞いて欲しい、本当の頼子を理解して欲しい、というのであると。
この間何度も〝男が男になり、女が女になる〟主題に触れてきた。例えば次のような発言もあった。

“「女は女らしい女になればいいんだ。親は女に生んであるのだから女になればいいのだ。いつのまにか女が男になろうとするから社会はうまく行かないね。女は女らしく、男は男らしくね」”(わが一体の家族考175)

しかし今の自我欲、自我観の染みこんだ世界の流れの中では、三極に当たる世界、〝AもBも生かす2―女〟そのものが無視・否定されている。その点を強調し続けても却って嫌われ、憎まれる。〝そうゆう心の世界に平然としている人、こういう世界が私に堪えられないのです。〟とも言っているのだ。人間の傲慢さが、宇宙自然界の現象に反する行為に及んでいるのだという緊迫感に満ちていた。他を侵すことの浅ましさ、愚かさを気付いてたった一人目覚めているじぶん自身がいた。

それにしても、〝全てを生かす〟というほどのものが女性に存在しているということは凄いことではなかろうか。
そういうものが〝二人で一つ〟という真の夫婦の基本条件からいつでも、どこにいても、生き生きと発せられているのだという。

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 「と」に立つ実践哲叢(49)

〝一つ〟からの偉力
リーチ・マイケル主将

先頃のラグビーワールドカップ日本大会での日本チームの活躍が日本中を歓喜に包んだ。今ひとつ政治も経済もパッとしない中に風穴を開けたような開放感があった。誰の心にもあり、それまで眠っていて閉ざされていたものが呼び覚まされるような衝撃をも感じた。
もちろんテレビでのラグビー観戦なんて初めてのこと。にわか仕込みの知識で、野性的な力と力の直接肉弾戦を突進しくぐり抜けたりパスで繋ぎながらボールと共に飛び込む〝トライ〟など、観る者を興奮させ感動させてやまない。

しかも日本チームは主将のリーチ・マイケルはじめ多くの海外出身者で占められ、合い言葉は「ONE TEAM」。テーマは〝一つ〟なのだ! いったいなにで多種・多様・異見を〝一つ〟にまとめられるのだろう? 単なるスポーツの関心を超えての興味がおのずと湧いてくる。
それにしても決勝トーナメントでの世界レベル・南アフリカは強かった。試合後の円陣を組んでのリーチの発言が共感を呼ぶ。
「このチームを誇りに思う。この一年間だけでも250日以上一緒に生活してきて、本当に家族のように思ってきた。そのチームが次に試合が出来なくなるのは寂しいけど、自分たちの今までやってきたことを誇りに思おう」
宋の文人・蘇軾(そしょく)の詩句“脚力尽くる時 山更に好し”とはこのことか。

各地にヤマギシの実顕地が続々誕生したての頃だったろうか。ある年の正月の研鑽会で、今年は〝一つ〟の研鑽をもっとやりたいといった提案があった。エッ、一つは一つでしょ。なにをさらにもっと研鑽するのかその時はさっぱり意味不明だった。今ふり返ってみて冷や汗が出る思いがする。
たしか当時の世界情勢は、ベルリンの壁撤去に象徴される社会主義国家の行き詰まりから共産主義国家と資本主義国家の共存態勢の動きが連日のように報道を賑わしていた。それ以来一人で持つかみんなで持つか、持つ者同士の世界が統合されて最近のグローバル時代に至っている。だとしたらヤマギシの〝持たない世界〟はどのように切り開かれていくのだろうか。

同じ〝一つ〟でも出所が異うと、現れる現象が真逆になってしまう。そのことを痛感させられる日々だ。というか、なにを差し置いてもそのことを真っ先に研鑽する考え方にまず立つことの大切さを感じている。
例えば実顕地の暮らしの中で、いつもみんなに合わせんならん思うと自分を押し殺しているようで窮屈に感じる場合がある。心一つでやることと全員一律でやるということが混線しているのだ。一見バラバラに見えても一体の一つ、一つからのものとは、断じて一技術や方法の末に有るものではないはずだ。

先のラグビーも「ONE TEAM」だから、個々の犠牲によく似た行為が全て生き、活かされる。そんな合わすことによって発揮される〝一つ〟からの偉力に触れての共感なのだ。  

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わが一体の家族考(187)

探求5 接着剤同士の一体
月界への通路

柿谷さんの探求は続く。しかもその道中での心境は以前(わが一体の家族考150)で柿谷さんに宛てた手紙で紹介した

“○「夫の行為は妻の一体によってなるもの」 先生の発見であろうが、自然界のことで、世の男、女の実態を数字で顕したもの。
○「理想社会」が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時、感激だったであろうと想像できる。
こうした世界を綴られる柿谷さんの世界も、勇躍歓喜の心境で満たされているであろうと推察されます。この世界はまた私自身の目指す世界だと知らされます。”

といった〝勇躍歓喜〟の日々でもあったにちがいない。
なかでも、山岸巳代蔵の発言
「頼子は全部に生きるわけよ」
「夫の行為は妻の一体によってなるもの」
という表現から、
○「もの」が付くと、宇宙自然界の現象といったものを感じる。
○先生が(山岸巳代蔵のこと―引用者注)勝手に云っているように受け取れない。
として、〝宇宙自然界そのものだといわんばかり〟へと探求のツルハシをがちりと掘り当てるところまで粘り強く考えを進めていく熱意には驚かされる。
○先生の論として片づけてしまうと、世の男、女は無いもの同士であの世に行くことになるのではないか、と私は思って、「妻の一体によってなるもの」という一節は、どういうことか、と先生の残した資料を読みあさり、はっきり決着しなくて〈どういうことか〉が、日々あって年月が経っている。(2004年5月22日)
ともふり返る。そしてついに、
○男も女も生かす持ち味が闇の中から出現するためにも、男と女が混線しないこと。
つまり、
「発明と実具現化の二極によって物事が進行して、二極を生かす三極は無視同然。闇の中にある。今日までは二極が最優先でした。そこから二極と一極の混線が、最優先は、三極です。」
と〝三極から出発する生き方〟即ち男も女も生かす、女にある持ち味の発見にたどり着く。
こうした宇宙自然界の「無感無識界」にまで拡張されてはじめて、次のような一節が解読されてくるのだろうか。

“真の夫婦は、夫婦そのものが接着剤同士の一体で、約束と云う接着剤なしで一つになってしまっているから、考え方から行為から凡てが一致し、夫の考えは妻の考えであり、妻の願いは夫の願いで、妻行うところ夫の行いであり、夫の行業は妻の一体によって成るもの。裏も表もなく、食い違い、波乱の起る隙もなく、他からどんなに手荒い邪魔だてされようと、水をさされ、火で炙られようとも、別れようのないもの。”(「真の自由結婚―真の結婚には契約がない」1959.12頃)

もうここまでくると、そんなに容易く分かってもらっては困るといった不思議な感慨が自戒の念を込めて沸き上がってくる。
そんな個人的な経験から普遍的な月界へと至る通路を辿ろうとしてついに、自分のツルハシをがちりと鉱脈に掘り当てたかつての夏目漱石の発見の喜びとも重ねてみたくなる。

“ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずることができるのでしょう。”(講演「私の個人主義」)

しかしそれにしても〝接着剤同士の一体〟とか〝無感無識界〟とか言われても、全くイメージが湧かない。いやなんとか空間的に掴もうとして、かえって無形・無感であるものをそのまま素直に受け取れないのかもしれない。
ここは柿谷さんも言われるように、早わかりしないでヤマギシズム研鑽学校の予科、本科、専科の指し示す真意に思いを致したい。

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わが一体の家族考(186)

探求4 数字に秘められた愛情世界
空気とタイヤとハンドル

そして第6信(2004.4.20)頃から、以前(わが一体の家族考149)で軽く触れた〝数字に秘められた愛情世界の解読〟が登場する。
愛情の複数形態に至った経緯を振り返る山岸巳代蔵自ら仁和子や頼子が参加しての〝愛情研鑽会〟(1958.12.9)での発言である。
本稿では次のように記した。抜き書きしてみる。

『さっき言ったね、「これも五つのうちの、まあ、柔和子が五つ」と、それで、「頼子と僕で五つ」と、こういうことは。「三は柔和子と同じような、こう、能力、そのかわりに柔和子にない二つの能力が僕にはある」と、こう言ったわけですな。
まあこれも、数字で言うと非常にややこしいから、言い直しておかんといかんからね。そうするとやね、二つが頼子かというと、そうやないのよ。頼子に、いや、柔和子にない二つが僕にあると、そうして柔和子と同じ、柔和子の持っておるもので太刀打ちしたらやね、どっちがどうって言うたら、そりゃもう柔和子の方がガーンとやりますよ。ね、ある能力っていうかね、そういうもので、ね。そういうような意味のことね。
そりゃ、僕の3より柔和子の5の方がっていうかね――もう、ちょっと、数字で言わんと分かりにくいから、ちょっと例えて言うんですけどな――こういう非常に素晴しい能力持ってるっていうことやね。
そういうことでね、ところがこの、この僕には5、寄せての5がある、柔和子にないもの2寄せて頼子と同じもの3が、あの、柔和子に……ややこしいね、今の。
あの柔和子に3ね、柔和子と同じ3と、柔和子にない2寄せて5として、ここに頼子が入ることによって全部これが生きるということね、ね。
ここや、ここんとこね。頼子が2でないの、頼子が2でないわけよ、頼子は全部に生きるわけよ。この3だけも、この3の柔和子と同じ3もやね、頼子が入らなかったらやね、3も生かされない。むろんこの2もやね、働かないと、こういうものを僕は感じるの。そういうものを感じる。
ところがこれだけあってもやね、柔和子の、この5があってこそやね。』

要するに柔和子は、〝5〟ともいえるこの間の〝百万羽〟構想を実現していく力を備えている女性。一方頼子は、ただ愛一筋、愛だけでもう生きているような女性。そうした皆それぞれの持ち味の異いが次のような発言からもうかがえる。

“頼子と二人っきりだった当時を思うと、省みるとね、頼子によってね、この生きる力やね、生かされていたと思うの。やっぱり米とか空気とか水とかいろいろのものでこう、人間生かされているわね。周囲の愛情とかこういうもので生かされておるけどね、それはね、頼子によってね、生かされていると。”
“あの、どんな場合にでもよ、僕が頼子に愛しておられると思っておるなればよ、そして愛しているという頼子を感じておる場合にやね、そういう場合にはこの、非常にこの、生きる喜びっていうかね、なんか知らんが、まあ生きる力もらっている。”
“もう頼子を知ってからっていうものはね、もう他には要らないの。ニコニコ、話がふわーっと明るい、こういう感じやね。そうすると、生き生きした仕事が出来るの。”
“私の考える働きを持つところへやね、ちょうどエンジンがあってやね、そこへこの、あれが送られるというかね、ガソリンが送られると、まあこう考えてもええと思うね、”
“頼子と一緒にいるっていうことは、自分が生かされるのやと、頼子と僕と結び付いて、そういうことになるのやと、こう思うね。これは、こんなのこじつけやないと思います。何回考えても、そういうふうに思われます。”
“私は頼子によってよ、そういう若い働き(19,20、21、22、23、24、25のその時分の考え―引用者注)があるので、その働きを生かすものが柔和子やったと、ね、実、具現化していくものね、実現していくものは柔和子やと思う。”
“柔和子一人では仕事にならないものがね。”
“頼子と僕と二人寄ってよ、ね、の力と、柔和子の一人の力とね、同じやと言えると思うの。頼子を取った僕はもう全然ダメやと。ね、頼子と僕とね、こう結び付いたものやね、それがもう今度はまた柔和子と結び付くことによってやけど、これ、こうやと思うわ。”

何となくヤマギシズムの恋愛・結婚観に於ける〝人生最大の意義は、結婚の華と、よりよき創造の実の歓びであろう。〟の世界がイメージされてくる。〝こんなのこじつけやないと思います。何回考えても、そういうふうに思われます〟という発言に、未知で未然な愛情世界実践へと一歩踏み出した山岸巳代蔵の肉声を聞くおもいがする。
自転車の例えで云ったら、空気の抜けたタイヤが山岸巳代蔵で、頼子という空気が入って、柔和子という車体、ハンドルのついたものに組み込んでこそ、そんな複数形態でこそ本当の仕事が出来ることを言いたかったのだろうと。

しかしそれ以上は柿谷さんの解読に出会うまでそのまま見過ごしていた。当時愛情研鑚会の周辺に居合わせ、その渦中にあった柿谷さんにしてみたら、そんな程度のものとして理解されるべきものではなかった。
“寒い寒い夜でした。今夜は危険だからといって8名で頼子さんのアパートのまわりを寒空の下で夜明けまで夜番をしました。心の芯まで凍るようでした。死んでも忘却し得ないほど寒い夜でした。春日山から四日市まで、8人で飛ぶようにして行きました。”(2004.5.22記)
そうした長い年月を重ねてようやくたどり着き、そこで内心歓喜している柿谷さんの探求過程を並べてみる。

○三人三様に他の二人に共通しない単独の持ち味がある。
○女の人にある持ち味は2種類ある。女の人は、2種類の持ち味が発揮されないと成り立たない。
○妻の2種類の持ち味が、夫の持ち味を生かす。女が女を生かす、そして男も生かす。
○男にあって女にないもの。女にあって男にないもの。生かし合うには一体以外にはない。
AにあってBにない 2―男
BにあってAにない 2―女
AもBも生かす   2―女
○男にあって、女にない持ち味
女にあって、男にない持ち味
女にあって、男も女も生かす持ち味
○それぞれにある2と女にあって男をも女をも生かす2とが、一体になると(接着剤同士)2+2=5になって、夫婦お互いが5になるという。
○ひらめきの男+実具現化の女+ひらめきの男と実具現化の女を生かす女の2を頼子さんの例で言っている。
○男も女も生かす持ち味が闇の中から出現するためにも、男と女が混線しないこと。「角を生やすから男心は去りゆくのです」。男の目で女を見、女の目で男を見るという混線。
○〝夫の行為は妻の一体によってなるもの〟の「妻の一体」とは? 
○先生の論と言うより、宇宙自然界のことか……。
○実具現力の高い女性、いわば生活力、所帯持ちの良い女性(妻)は、女性本来の魅力、心の優しさからの2+2の5になりにくい。真の夫婦には成り得ないところからの、具現方式としての複数形態。
○三人で一体の場合も二人で一体の場合も、頼子さんの2は欠かせない。
○頼子さんは2以外の表現がない。
○柔和子さんが、頼子さんの2を生かすことが愛研のテーマではなかったのか……。
○頼子さんと離れて、柔和子さんと二人の中で、三つの要素の実現に向けて2の生かす力を柔和子さんに期待したのでは……。通じなかった?
○発明力、実具現力、生かす力=接着剤。
○夫の持ち味は発明創造にある、「柔和子さんにない、先生にある2」
妻の持ち味 その1(実具現力)「先生にない、柔和子さんにある2」
妻の持ち味 その2 「先生も柔和子さんも生かす頼子さんの2」
○頼子さんの2を、〈その2の持ち味〉と私は呼ぶ。夫も妻も生かす。接着剤同士の一体。
「心の状態が優しくなること」を失わないように。
「妻の一体によってなるもの」とは、
〝もの〟という字句は、宇宙自然界そのものだといわんばかり。
無我執も自然界(無感の世界)では、保ち合う理として存在する。感化力、零位に立つ、研鑽も無感無識界に存在する理だと思う。

そして次のような真理像が柿谷さんの中から浮かび上がってくる。たとえば先に記した、
○男にあって女にないもの。女にあって男にないもの。生かし合うには一体以外にはない。
AにあってBにない 2―男
BにあってAにない 2―女
AもBも生かす   2―女
から、男を一極、女を二極、三極と表現するなら、三極に当たる世界が、女の人に存在する!?
一極と二極は男と女が無い者同士。お互いに無い者同士だと思うだけで、謙虚になる。
だとしたら、男も女も生かす、女にある持ち味三極とは? 一極と二極とで生かし合えるのではなく、三極の存在によって一も二も三も生きることになる!
では、三は……何? いよいよ佳境に入ってくる。

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わが一体の家族考(185)

探求3 夫婦一体単位からの〝私〟
天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん

第3信で展開される「持ち味を活かす」テーマの考察はじつに味わい深い。

○ヤマギシズム研鑽学校へは何回も行ったが、無我執人を目指して来たけれど、自分の持ち味について探求する研鑽はしてこなかった。今頃になって、こんなことに気づくとは愚かな人生よ、と痛切に感じる。
○テーマ表に、〝私意尊重公意行による運営と行動〟とか〝自発的自由意志〟とある。しかし自分で自分を尊重していたか、となると軽率の一文字です。他の人に対しても尊重できていないのでしょう。
○その原因の一つに、自発的自由意志による行動の不備。二つ目は、自発的自由意志による〝自分に最も適した、他に真似の出来ない生き方〟、持ち味の探求がある。
○持ち味は生きる力であり、原動力である。その探求の過程では、自発的自由意志は泉の如く湧いてくるようだ。
○持ち味を活かすということでは、〝夫婦の真字〟は、男と女の持ち味の異いを指しているように思えるが、では〝夫婦の真字〟での持ち味とは?
○それは夫婦一体単位、つまり〝夫婦の真字〟の単位に成る、人種がちがうほど変身した活かし合う夫婦(男女)に生まれ変わることを意味するのではないか! 例えば次のように書かれてある現象が起こり得るのでは……

“従って何時か其のいずれか(両方にありそう)にある我執が消えた場合、心も現象も完全無欠の完全夫婦と必ずなるであろう。
過渡期に如何なる波乱万丈の混乱事象が起ころうとも、末は必ず真なるものに落ちつくもの。”(「真の結婚について」)

○また〝私意尊重〟についても、「百万羽養鶏」発足時に〝一羽の鶏が完全に飼い得たら、百万羽の鶏も完全に飼い得て当然だ。ただ一羽の場合と十羽百羽百万羽の場合とで適当する様式を異にするだけ〟と云われていたが、一人の人間に置き換えることを指している。
○とすれば〝自分に最も適した、他に真似の出来ない生き方〟の探求は、私の中に存在する持ち味の探求ですから〝私意尊重〟そのものでなければならない道理。
この自分一人に任された、自分に最も適した生き方が、無我執体得に不可欠要素として組み込まれた探求をしてこなかったことを痛感している。
○研鑽学校に、〝真実、それに自己を生かす〟という具現方式が組み込まれていた!
〝生きる力〟も、これだけ切り離して存在していない。全人の幸念う者に湧いてくる力であろう。〝真実〟の究明。やりたい。死の直前まで。
第4信(2003.12.20)での〝真〟についての感慨も興味深い。

“真の夫婦等々、真のつくものには、ヤマギシズムを知ってからは随分接して来ているが何故かまた遠のいてしまう。
研鑽不足か、日常の暮らしの中にある常識観念が強く、それに押し流されてしまうからか、と思うが、この常識を根底から脱却して零位に立って考える研鑽になりにくい、研鑽不足から来る日々の考え、研鑽が、日々目の前の差し迫った事柄の引力に引き込まれて、それが当然と思っていないながらも、当然の様相に明け暮れて来たのだと振り返って見ています。”

として、〝真理実践のための真理探求こそが急所だ〟とする柿谷さんの覚悟のこもった思いが吐露される。人間にとって一番切実なテーマは、真の夫婦になることではないか、と。
まったく共感する。
そしていう。

“個人は個の主張を止めて、夫婦単位の個、つまり夫婦の真字が一人格で一人前だとする提案に対して取り組まないと、従来の個々に留まっていては、世界革命も自己革命も人間復帰も成らないと思う。”(2003.7.1)

そうだと思う。ここに柿谷さんの大発見というか本ブログのタイトル「自己への配慮」と重なるモチーフを見る思いがする。
そうなのだ! ここで云われている〝私意尊重〟、私が主役なのだ!? ここでの〝夫婦一体単位〟からの出発が迫られているのだ。
別段今から、私と全く別の私を生み出そうとかでなく、我を捨て白紙になる実践を通して本来の自己へと返るだけである。
即ちあの〝夫婦の真字〟の中から必然現れる〝私〟の持ち味がそれである。俗にいう私が、私がという個々人主義の世界とは次元を全く異にする〝私〟をそこに見いだすのだ。男は男になり、女は女になることは、誰でもが目指している理想である。この理想は、〝夫婦の真字〟の中から必然現れる〝気づかなくても多い方がよい〟無意識の世界状態の実践によって実現する理を、山岸巳代蔵の文言に重ねつつ述べられていく。
しかもここでの〝私意尊重〟の私とは夫婦一体単位からの〝私〟であるという柿谷さんの洞察は、本稿ヤマギシズム恋愛・結婚観の探求にしっかと引き継いでいきたい箇所だ。

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「と」に立つ実践哲叢(48)

そこに見出された世界
愛和館リニュアール

春日山食堂「愛和館」がリニューアルオープンしてもうすぐ一年近くになる。それまで枯山水の池だったところが埋められ、段差のないオープンテラス仕様になりずいぶんと開放的な広い空間に変わった。
この夏夕日が沈む頃まで「愛和館」の前の芝生でボール遊びに興じる娘たちや、いつまでも食堂の片隅のテーブルで話し込んでいる男の子らの姿を目にしていると、なぜか新しい発見をしたような気持ちのたかぶりを毎度のことながら覚えてしまう。
先日読んだある書の終章のはじめにあったエピグラフが浮かんできた。

「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ」(マルセル・プルースト)
なるほど〝新しい目〟なのだと胸にストンと落ちる。でもいったい〝新しい目〟って何? それに〝新しい目〟で見られるにはどうしたらよいの? 「一体食堂愛和館」もリニューアルなったその〝新しい景色〟に感じているだけにすぎないのでは? だんだん心許ない気分になってくる。

そんな先々の姿をお見通してか、第一回「特講」(1956.1)開催直後の山岸さんは、〝「見る眼」は正しく見られる心が出来たか出来ぬかによって定まる〟と歴史的快事を目の当たりにしてやや興奮気味に次のように語る。

▽今の世の人々の眼は、一部を除いてはすべて狂い怒った眼である。今にしてこの狂った眼をヒックリ返さねば、人類最大の悲惨と残虐が襲いかかってくることは必定である。
▽「正しく見る眼」はまた、狂った眼の見えぬものまではっきり見えるから面白い。鶏の飼料として餌屋の売り出すものと、我が田畑で出来たものと、臭い魚あらと近頃流行の雑草とやら以外に見えない眼のあわれさよ。餌はどこにでもいつでも無尽蔵にあって、それがありありと見えるではないか。そして人の世の至宝も、永遠の幸いも。
▽狂った眼の悲しさよ。怒った眼の怖ろしさよ。怒り狂いをヒックリ返して、暖かく、清く澄んだ、そして和やかな正しい眼を持つことこそ、生き甲斐あらんとする人の第一の仕事ではあるまいか。
そして怒り狂った今の世に、この眼を入れ換える所がたった一つある。たしかにたった一つ──それがどこにあるのか、「見る眼」に入れ換えようとする人々にはそれがはっきり見えるはずである、としている。

そう言えばエピグラフの出典はフランスの作家・プルーストの『失われた時を求めて』だった。ある日マドレーヌのひと切れを浸しておいた紅茶を口に運んだ、まさにその瞬間呼び覚まされた〝えもいわれぬ快感〟から始まる長大な物語だ。
そこに見出された世界は先回のお母さんの眼に、今のIさんの目に飛び込んできた〝何ともいえない嬉しい気持ち〟に、あの「特講」でのキメつけていた観念を放したその瞬間湧き出てきた〝愉快の幾千万倍の気持ち〟にも重なる気がする。  

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わが一体の家族考(184)

探求2 〝感化力〟と〝感応力〟
電磁石

柿谷さんの問題意識の始まりはたとえば次のような一節に集約されるだろうか。
○「金の要らない仲良い楽しい村」と云う名称が残されています。
お金を採るか、仲良しを採るか(原点は夫婦一体)と云うと、極論に思われるかも知れませんが、今日までは、仲良しが二の次に扱われているのではないでしょうか。つまり「金の要らない」と心からそう思うほどには。「仲が良ければ金は要らない」、というほど仲良しに重点を置いて来てはいないように思う、と。

そして夫婦のテーマから、男女問題や、人と人との対人的心の持ち方をも左右する、糸口のあることを見出されていく。
○家庭を軽視している。生活が保障されているので、大事なテーマが浮き彫りになりにくい。真の夫婦への欲求度が低い。
○夫婦一体は、家庭の仲良し、子育ての柱だと思う。家庭に焦点を当てて、夫婦父母のあり方から世界中へ仲良しを発信。夫婦父母のテーマは、人みな求めているもの。そこからの感化、感化力(観念の入らない感、崇高な本能の働く世界)が働きやすい。
○真なるもの、というのか、真実の働きには感化力が働き、感受性も働く。これを実証したい。
感化力は、国境を越え、海も渡り、空を飛ぶだろう。例えば、世界急進革命の〝急進〟は感化力ではなかろうか。
山岸先生に惹かれるのは、先生の感化力にあったのではないか。感は感でも感人種の感ではなく、私やあなたも持って生まれた感応、感化力に依るところにこの運動の成否があるのだとされる。
それも夫婦というものにおいてこそ、強力な感化力、感応力がある、と推理される。感化力と云うものは発信受信により起こる力だともいう。この間見てきたように、真の夫婦とはどんな場合でも発するものと応じるものとの全面一致して仲良く暮らしている実態をいうのだろうから。
こうした感化力、感応力に着目する柿谷さんに大きな気づきを見る思いがする。

また次のような一節
○“「こんな人さえ、なれた」という実証と方法と理念を打ち出せば、今まで分からないと言われていたことが早いと思う。”(「第一回ヤマギシズム理念研鑽会」1960.7.21)
から、〝こんな人〟とは柔和子さんのことで、なぜ柔和子さんと結婚したのかと云うことも、〝こんな人〟だから結婚したのか、と推理できる。
〝こんな人さえ、なれた〟という実証が、方法に依って成立した。これが理念だ、と理念が実証される方法。この方法こそ具現方式であり、具現方式の実証と、こんな人と云っている妻と自分が、目指している理想社会になった、という実証と方法に依り、実現した、ということだろうかと。
そして夫婦二人で一業に就く、これは真の夫婦になる具現方式、方法だと考察される。

またあの〝ポンと外す〟テーマ(わが一体の家族考168)についても柿谷さんは、
○〝オホホ……〟で外す、というのは零位に立つということか。「骨なしや」とは、夫も妻に一体になるということではないかという。
そして「相手がどうあろうとも門答無用で自分が外す」 パッと外す、このパッというところが具現方式では? と強調される。

また次のような発言
○“後から後から研鑽上手の人が現れるのに、考案した自転車に乗る方が未熟で、坂道やぬかるみ、人混み道路を、荷物積んで自分で走る日には、事故・故障の繰り返しです。
ひとの研鑽に急で、自分の研鑽態度は疎かで恥ずかしいかぎりです。”(『愛和 ― 山岸巳氏よりの第一信集 』1959.10〝後の鴉が先にたつ〟より)
からは、考案した自転車(ヤマギシズム)を乗り回せるようになったこととようやく60歳にして結婚資格ができた山岸巳代蔵を重ねている。
いや、考案した自転車は考案者でなくとも、自転車を知ったら乗り回せるように取り組むのが人生のようで、死ぬまでと云うか、死の前つまり死期を知ってからが深まるようになっているのだろうかと自分自身を重ねられていく。

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わが一体の家族考(183)

探求1 共通するモチーフ
ヤマギシ鶏舎

さて、この間のヤマギシズム恋愛・結婚観の今一歩踏みこんでの展開を試みていこうと思う。
参考資料としては、以前(わが一体の家族考150)で紹介した柿谷喜一郎さんの『遺言』を採り上げてみることにする。

時々思う。何も無いところから出発した柿谷さんをはじめ多くのヤマギシズム運動の先人達は、何を糧にこの実顕地なるものを築いてこられたのだろうかと。紙に書かれた文字からだろうか、人から発せられた熱い言葉からだろうか、何れにしても、形なきものにその真価を見出し、自らの幸福の糧にしてこられたにちがいない。
例えば次のような『遺言』からの一節を先に紹介してみたのだった。

○「夫の行為は妻の一体によってなるもの」 先生の発見であろうが、自然界のことで、世の男、女の実態を数字で顕したもの。
○「理想社会」が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時、感激だったであろうと想像できる。

こうした感慨を抱かれるまでになった柿谷さんの探求、『遺言』の第一信(2002.1.3)から第十六信(2006.12.5)頃までの経緯をふり返りながら見ていくことにする。
柿谷さんは記す。
七十歳を過ぎた2001年頃、普段の果樹作りを通して発想の転換を余儀なくさせられた新技術に出会った。その頃から〝大転換〟というテーマが自分の中に生まれた。
そこからまた残された資料の中にある「夫婦二人で一業に就く」「夫婦二人で一人前」「夫婦二人で一人格」という一節が気になり始めた。
つまりこの一節というか、そこに込められた〝理念〟と呼びたいものこそ、〝本当の仲良しの源泉ではないか〟と思われてきた。ここに「男は男として生き、女は女に適した生き方」の最短コースを見る思いがしてきた。

○山の木も草たちも、動物も、生きている姿を見ると、女に当たる者たちの意に反して、男に当たる者たちが一方的に幅ることは絶対にない。
○有精卵生産の鶏たちを見ても、オスとメスの生き様におけるオスの生き方は、メスを尊重することに尽きるようであることがクッキリと目に映るようになってきた。

また〝研鑽〟についても、「相手がどうあろうとも問答無用で自分が外す」 パッと外す、このパッというところが〝具現方式〟ではないのか?
○我執が男女いずれにもあることは、誰も異論はない。だからと云って男も女も同じ筆法で我執を無くしていこうということにはならないと気づいた。
○自分は女の人を女性として観ないで、男並みに扱ってきたのではなかろうか。私の人生の今日まで(70年間)を省みて、「しまった!」という思いを抱く。
そして「男は男として生き、女は女に適した生き方」が軌道に乗っていく時代になれば、このような夫婦が10組もできれば日本ぐらいはヒックリ返せるということではないかという。

かつて思想家・マルクスは『経済学・哲学草稿』で、男性の女性にたいする関係のなかに人間の人間にたいするもっとも直接的で本質的な関係があらわれると書いていた。そしてそのことを自分らはカール・マルクスの妻、イェニーさんになぞらえてこの間〝イェニーさん問題〟と呼んできた。(わが一体の家族考132) 
しかもその〝イェニーさん問題〟が指し示す未知で未体験のテーマに惹かれて始めたのが本ブログであった。
そうした同じようなモチーフを柿谷さんの『遺言』にも見いだして驚かされる。
それではいったい〝男性の女性にたいする関係のなかにもっとも本質的なことがある〟とする本質的なことって何だろうか? 

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わが一体の家族考(182)

人生踊りの踊り場
鶏舎の止まり木

それにつけても〝質の異う本当の仕事〟の内実に迫っていくならば、どこから入っていけばよいのだろうか。そもそもここでの〝本当〟とか〝生(活)かす〟とは何を指しているのだろう?

この間の今や一般から見て関心は薄く、顧みられない〝本来ある男らしさと女らしさ〟といった記述にどんな意義があるのだろう?
そうした自問自答をくり返していると、あの煉獄の苦しみに象徴される〝一人ぼっちのさびしいもの〟とあの通じ合わなさが溶けた時のなんとも言えん〝喜び〟の気持ちの二つの場面がありありと浮かんでくる。
なぜかそこに本当の幸せ・仕事というか宇宙自然に繋がっているものの中の人間で出来る、人間だけしか出来ない、またしなければならないものが浮かび上がってくるようなのだ。
振り返るとずっと、〝ヤマギシの村づくり〟と称しては、

○らしさ――村の男 村の女 村の子供 村の青年 村の娘 村の老人等、各位で村人らしさに治まる。
○我執が無くなれば、その人はその人なりに素晴らしくなれるもの。

等々といったテーマで研鑽してきた。
しかも普段の仕事・作業は養鶏が主だったからか、鶏が夜眠る場所である止まり木の例えで〝理想社会〟の仕組みをイメージすることが多かった。曰く

○中高・後高の止まり木には一羽一羽の適応・好みの場が得られるような環境で、一つの場を何羽かで争うことはない。
だから鶏が止まり木に上がり始めた時、蹴落としと見るか、それとも自分の場を見つけるまでの間と見るか。
○そんな観点で一人ひとりが無理をしない理想社会の一面を描くと、人間も一人ひとり治まる場に治まっていく・治めていく、そんな姿があるはず。相手の場に押し入らないような……。
だとしたら一人ひとりのどこに焦点を当てていくのか?
○鶏が100羽居れば100羽の空間が等しくある。偏っていない。鶏の居る空間を観れば、その鶏の正常健康な状態がわかる(配置がよい)等々。

どうも、〝調和(相合う)を図る〟とか〝組み合わせ〟とか〝配置(場所)〟とか〝らしさ(らしく)〟等々に込められてあるものの探求が理想実現への急所らしいのだ!?
そう言えばよくネズミの被害が話題にあがった。鶏の餌が原因で極端に異常繁殖したりして、日々その対応策に追われがちになる。
ネズミにしてみたら食物があるから繁殖して子を産んで、嫌われて毒なんか盛られて殺されるのはよい迷惑かもしれない。
だとしたらすでに産まれたものを殺すのでなく、前もって住めないように人為を講ずる事が求められる。
つまりは共生共活・調和・適材適所というか、それぞれの場に就いて、活かされる場所に生きたらよいだけなのだが、そんなネズミ退治(?)の話から理想社会づくりまでに即飛躍して繋げてしまえるところに日々の面白さを実感してきた。

ネズミにはネズミの住むところ、人間には人間の在り場所があり、宇宙自然に繋がっている自分に最適の位置があるはず。仕事でも自分に最も合うところがあるはず。そこには他のものを侵すこともないし、仕事がイヤだと思うこともない。
そうした相合うというか調和をどこまで図れるか、その組み合わせを研鑽でやっていこうとするところに〝ヤマギシの村づくり〟の醍醐味があるのだろう。

先の作家・村田沙耶香さんは本当の本当を求めて思考実験小説『消滅世界』(わが一体の家族考179)を表現されたように、ヤマギシズム理念実顕生活というか、
「共存共生の世界
 たれのものでもない
 たれが用いてもよい
 最も相合うお互いを生かし合う世界」(1960.1.13)
観に立って見ると、

○その人なりの範囲を尊重しつつ、
○その人らしく生きてもらうために他のものが替わってやることもあり、
○そんなお互いがらしく生きる世界には、機構・制度・法律や警察などは余り要らなくなってくる。むろん皆の目につく所に貼りつける張り紙も要らなくなる。

といった理念が生きてくる人生踊りの踊り場、即ち生きている間の慰みにもなるような場づくりが渇望されてくるようなのだ。

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「と」に立つ実践哲叢(47)

ポンとそれに飛び込む
雪の崖を登る熊の母子

以前、雪の崖を登る熊の母子の動画が話題になっていた。
斜面の上から母熊が心配そうに見守る中、子熊は必死によじ登ってくるがもう少しのところで滑り落ちてしまう。それも急斜面のかなり下の方まで滑り落ちるが、子熊はあきらめず再び斜面をよじ登り始める。そしてついに子熊が何とか母熊の元にたどり着くと、何事もなかったようにまた一緒に雪の道を跳ねながら去っていく。
その元気よく嬉しそうに走り去っていく後ろ姿に〝よかったね!〟と誰もの心をグッと掴むものがあったのではないだろうか。

わずか3分に満たない映像に、〝ガンバレ〟と滑り落ちる子熊を応援せずにはいられなかったり、無事お母さんと一緒に嬉しそうに走り去るしぐさに、なぜこんなにも胸の中が熱くなるのだろうか。
たんなる人間の側からの勝手な思い入れに過ぎないのだろうか。そして心温まる情景の一つとしていずれ忘れ去られていく。

しかし、それにつけても、熊の母子の姿におぼえるこの心のときめきの正体はいったい何だろうと想いを馳せていると、何か不思議な感情が充ちてくる。
自然と人は一体のもので、人は自然から産まれたもの。この事実はそのまま熊の母子にも当てはまるだろう。そうなのだ。自分らはあの熊の母子の姿に、きっと熊の〝こころ〟を見ているのだ!

そんな事実その中での新鮮な気づきを、本紙四月号に載っていた研鑽学校に参加してのIさんの手記からも感じとれた。
研鑽会でテーマ〝私の原風景〟を出し合った。要約してみる。 
 
父は私が五歳の時に病死。母は父の死後一年ぐらいで働きに出て、私は弟妹の母親代わりをしていた。
そういう日々の中で、夕暮れになると母が恋しくて、五歳、二歳の弟妹の手を引いて母の働いている所へ行くのだが、「帰りな!!」と言われる中で「今日は迎えに来てもいいよ!!」という日があって、その日はお菓子かりんごを買って貰える日で、朝から嬉しくて、早く暗くならないかなあとワクワクしながら暗くなるのを待ち、ようやく母の顔が見えた時の嬉しかったこと。
そのことが、悲しくて辛くて苦しいことと思っていたことが、その時の自分と向き合った時に、嬉しいことだったんだと思え、切なかったり苦しかったりばかりだと思っていた母の人生が、一瞬のうちに、明るい楽しいことのようにキラキラと光るものに見えたというのだ。

その時のお母さんの眼に映っていたものはそのまま今のIさんの目に映っているものだ。それは懐かしい思い出では決してなかった。何ともいえない嬉しい気持ちがとめどなく溢れてきて、今の私に会いにやってきたのだ!

前述(本稿44)の山岸さんの弁を借りれば、ポンと〝それに飛び込んでゆける私〟って、こんな感じなのだろうか。

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