自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(60)

自分のことを自分でソッと思い返す

山岸巳代蔵の草稿の中に「無契約結婚」と題した一文がある。

“ひとには辱かしくて云いそびれる人も、自分のことを自分でソッと思い返すことは出来るであろう。生まれながらに立てる子馬のように、スックと立ち上がって天上天下を指さしたと謂われるシャカ(釈迦)やシャカに類する人はそっとしておいて、お互い生まれ出た時の無想意だったであろう凡夫の自分から初めよう。人一人一人異うだろうから、自分自分で考察してみよう。
母が父と何月何日にこのわたしを産もうと約束したかどうだか、わたしにはわからない。わたしは父や母に約束したようにも、産んで下さいとも、育てて下さいとも、頼んだようなおぼえがない。契約なしに、しかも何の思慮もなく、あてもなく、のめり出たらしい、むろん何歳まで生きようとか、何をしようとか、何々をしなければならないとかの予定もなしに。
八卦見や神霊がかりの人には、一生の運命がわかるそうだし、透視術を心得ている宿命論者には、曰く因縁がつけられるかわからないが、僕の場合、物心がついてから両親に聞いたところによると、長兄、次兄と二つ違いで産まれているから、次は急いで欲しいとも願わなかったうちに、いつか知らない間に宿ってしまったらしく、「宿ったなれば仕方がない。上二人とも男だから、セメテこんどは女なればよいが」と、あまり邪魔にもされず、また胎内でも静かだったので、女だと思い込んでいたのに、産まれ出て見れば、また男を象徴しているので意外だったそう。
親の考えもアテにならないもの、この世の人は思い違いをよくやるもので、また願うようにもならず、願わぬ事が次々と実現する。
「親の言葉となすびの花は千に一つのアダもない」とよく訓示をした親にしてこの通り、意外、案外の固まりで、わけわからずに、シャバ(娑婆)の風にさらされることになった。
親の意に逆らうつもりもなかったと思うが、これも親不孝の一つになるのかも知らないが、約束もせない、頼み頼まれもせない、何も知らない、わからないのに出来てしまったもので、どうとも致し方なかったことだろう。今さらどちらも責任が果たせるものでもなかろう。産んだ方に、育てる責任がある、義務があると責めても、育てただけくらいで、責任だ、義務だとて取り返しがつくわけでもなく、育てれば育てるほど、成長するにしたがいますます固まりが大きくなる一方で、もとの卵子と精子の結合以前に戻して貰わない限り、この事態解決とは云えまいし、絶対に出来そうもないこと。思い違いの多い親や誰かが、間違いの多い人間に育てあげて、責任を果たしたなどとは理屈が合わない。
中には早々と子供と離れて他へ走ったり、他界へ急ぐ人もあり、自分だけの子供として盲愛を集中する人、自分の子をひとの子もなし、子は誰の持ちものでも、おもちゃでもない、次代をうけつぐ大切な子として世界中の人の子の仕合せのためには命をかけて尽くす人もある。
育てる約束もしていないから、責任も義務もない筈だろうが、頼まれもせないのに、子は育てられている。
受胎した時は仕方がなかったものが、産んでからは仕方なしに育てるのと違い、また責任・義務で、育てねばならぬから育てるでもなく、忙しくとも、労れても、自分の生命を削ってでも育てるのは、契約や義務等でやれるような上ついたものでないからこそ、強いやさしい母となれるので、約束だからとか、責任や義務や職業で仕方なしでは負担を感じ、本当の子には育つものでない。”

と人間観念の思い違いばかりのアテにならない中で人間本当に真面目で正直であるなれば、本当の契約は出来るものだろうか?
そもそも責任・義務を果たす果たさないとかの繋がりで本当の子に育つものだろうか?
また思い込み、予定のキメツケなどもみな約束の部類に入るのではないか?
等々と自分自分を実験資料と見なしてふり返る。

しかもそのふり返り方は、この間の文脈に沿えばあの禅問答式での、
○闇の夜に 鳴かぬ烏の声きけば 生まれぬ先の父(母)ぞ恋しき
○父母未生以前の本来の面目如何
といった文字や言葉で言いあらわせない人の本質的な部分にふれようとする試みである。

またなかには固い約束を自分で結んで信じ切って、外れた時に自分を苦しめ、他を苦しめることになる〝自分で自分を縛ることで不自由この上もない〟現象も多々見られる。
だとするなれば、約束等とは本当はどんなものかハッキリ知っておく必要があるのではないか、と一貫してラディカルなのだ。
約束は必ずしも果たせるとは限らないもの、アテにならないもの。信じ信じられないお互い同士。
ではどうしたらいいんだろうか?

そんな信じ信じられないお互いが本当だとするなれば、そんな思い込み、キメツケで縛った観念に囚われて自他を騙したり苦しんだりしない〝無契約〟の約束の要らない仲、信じ合おうと言わないのに間違いの起こらない仲が本当ではなかろうかとさらにたたみかけていく。

しかしこうした一文のくだりは、なかなかそのまま素直に受け取れない箇所だ。
だがしかし、

“忙しくとも、労れても、自分の生命を削ってでも育てるのは、契約や義務等でやれるような上ついたものでないからこそ、強いやさしい母となれる”
母と子 ピカソ

という一節に出会うと、一瞬にして本当なるものが立ち現れて来たような、なぜか思わずグッと熱くなるものがある。
〝強いやさしい母〟なのだ?! 
その〝強いやさしい母〟に成れるように連綿と親と子の間を繋いできたものがある!
その繋がりの源泉をくみとらねばならないとする切実な欲求が湧いてくるのだ。

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わが一体の家族考(59)

「自分が自分に出会う」手ごたえ

その頃の自分はぽつんと一人きりの、おぼろげながらも「自分が自分に出会う」手ごたえのような感受だけが唯一自分をリアルに確かめられるような心境にあった。
さきの山岸巳代蔵が安井さんに語りかけた、

“こうなったという事実を認めても自分で裁くのはどうもね。
本当は良いか悪いか分からんのやから、自分も責めない、人も責めないでその中で生きていく強い自分になることやね。そこから明るい豊かな世界が開けるのよ”

といった、
「事実その中で生きていく強い自分」
を見出す自らの体験について思いめぐらしていた時期と重なるだろうか。
「事実その中」に秘められているようにも感じられるリアルな自分に突然出会っては思わず〈やった!〉と独りごちて充たされていた。

テレビのミニ番組〝にっぽん巡礼―心に響く100の場所〟から
「そこで羽田さんは自分と向き合います」とのナレーションの声が飛び込んできたのは、そんな時だ。
女優・羽田美智子さんが幼少の頃から何度も訪れたことがある海岸の岩場にそびえ立つ鳥居を前にして次のように語るのだ。
大洗磯前神社_神磯鳥居

「鳥居の足元にも、波がかかったり、穏やかな波が来ようが、激しい波が来ようが、頑として動かない、この揺るぎない感じをずっと見ていると、自分は自分だと、あっこういうことなんだと、気づかされるんですね」

嬉しかったね。うまく言葉にならないところで同じような思念を何度もくり返していたからか、羽田美智子さんの「自分は自分だと」いう発言から瞬時に自分が心底納得する自分に出会えたような歓びに充たされたのだ!

あるときこの話を研鑚会で出したら、誰かが「私の場合は、“どうせ”がつくのよねぇ」と発言して皆で大笑いしたことがある。あまりに言い得て妙だったからである。
「どうせ自分は自分だと」仕方なく諦めがちな普段の自分らを言い当てていたからである。
だとしたら次のように問われるはずだ。

そこで見い出されたリアルな自分とは?
そんなリアルな自分を産み出すそこは、どんな場所なのか?

鳥居を前にして「頑として動かない、この揺るぎない感じをずっと見ていると」、自身のいわば〝原風景〟のようなものが迫り重なってくるのだろうか。羽田美智子さんも次のように語る。

「はじめて触れた海で、家族の笑い声とか…童心に還るというんじゃないけど、ふっーと力が抜けて、なんか休まる場所ですね」

そしてそんな〝休まる場所〟が跳躍点というか出発点となって「自分は自分だと」ふっとひらける瞬間が生まれたのだ!
自分が自分であることの、想像を絶するほどの驚きと喜び。
あらためて、そんな出発点に立ち戻った〝休まる場所〟とはどんな世界なんだろうか?

ともあれ「自分は自分だと」、そのように自分という存在を受けとめられるところから「私の倫理」なるものが呼び醒まされるのではないのか。

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 「と」に立つ実践哲叢(23)

 “奇跡の村”のときめき

先頃刊行された辻秀雄さんの『半世紀を超えてなお息吹くヤマギシの村―そこには何の心配もない暮らしがあった』(牧野出版)の本の帯のキャッチコピーに「ここは、本当に“奇跡の村”なのか」とあった。
奇跡の村

えっ!奇跡の村?、大げさだなぁ……と思いつつ、何かが突然呼び覚まされるような衝撃を感じた。
ひょっとしたら本当はそうなのかもしれない。“奇跡の村”ってまんざら根拠のない話ではないのではないか? 日々の暮らしのここにもあそこにも奇跡が顕在しているではないか。そんなふうに想いを馳せると胸がときめいてくる。
例えば以前「週に一度ぐらいは各家庭でも食事ができるように、村の一体食堂“愛和館”に休館日を設けたい」といった提案が研鑽されたことがあった。

研鑚会ではもちろん各家庭での食事云々はとがめる何ものもないのだが、それと共に「常夜灯」としての一体食堂“愛和館”の存在価値について皆で研鑽できたことが今も心に焼き付いている。いつも身近に感じられて自分らの歩む道を照らしてくれるような道しるべとしての「常夜灯」についてだ。そんな「常夜灯」の灯明と年中無休の一体食堂“愛和館”が重なってきたのだった。
常夜灯

その頃か、どうも皆となじめなく沈んだ気分のまま一体食堂“愛和館”へ普段よりも早めの時間帯に行ったことがある。すると“愛和館”の光景が一斉に自分の心の中へ飛び込んできたのだ。子供たちから老蘇さんまでみんなが耀いて見えた! 

こんな時だ。その時その場に座る人同士で一家族を形成する「十人のテーブル」の仕組みからの無言の催促や力づけに触れるのは。何かほのぼのとした温かいものに包み込まれる“奇跡”に気づかされるのは。

また例えば、自分の人生の大きな転機にかかわる人との出会いや結婚の経緯なども“奇跡”としか名づけられないものだ。
自分はそのことを臆面もなく“ある愛の詩”と勝手に名づけて機会あるごとにみんなの前でおおっぴらに言い続けてきた。
だってそれ以外に堂々と胸を張って自分の言葉で語れる何ものもないからだ。あのときめく恋に落ちたような琴線に触れる体験というか「私はあなた、あなたは私」の親愛の世界との出会いこそ“奇跡”ではないのか。他になにも要らない。もうそれで満喫謳歌。
そういえば自分らの全人幸福運動も、「かなわぬ恋ではなかろうと、チョッピリ出した手がこの知的革命案です」(『ヤマギシズム社会の実態』)だった。

そんな誰のなかにも眠っているその人なりの“奇跡”が日々新たに呼び覚まされ、ときめく最適な場として“奇跡の村”がある!
この書には、実顕地という共に働き、共に暮らす場からおのずと浮かび上がってきた、一人ひとりの“奇跡”が綴られている。何気なく、当たり前なこととして、それはある。
    

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わが一体の家族考(58)

次元の転換の〝一瞬〟

ヤマギシズム運動の先人、安井登一さんは八十歳をすぎて『山岸巳代蔵伝草稿』を書き綴けることに生き甲斐を感じておられた。
安井登一

後年自分らも山岸巳代蔵全集刊行の際、大いに参考にさせてもらったことがある。
その中に次のような逸話が記されている。
安井さんが会の本部事務局総務として活躍されていた1958(昭和33)年頃、〝百万羽構想〟が発表されて各地方の熱心な支部世話係が祖先伝来の土地家屋までも売り払って現在の三重県・春日山へ次々集結しだして、会の支部組織がメチャクチャになった。そんな会員達からの批判の矢面に立たされた安井さんは困り果て、集結場所の三重県四日市へ出かけて山岸巳代蔵に窮状を訴えた。

“山岸はニッコリ笑い乍らきいていたが、ややあって静に口を開き、
「安井さん、物事は暗く見るとそればかりが見えてますます暗くなる。やることなすことみなマイナスになっていく。あなたが『どうも分からん』という言葉さえ、あなた自身とあなたの周囲までも暗くしていくから慎重に発言して欲しいね。
こうなったという事実を認めても自分で裁くのはどうもね。
本当は良いか悪いか分からんのやから、自分も責めない、人も責めないでその中で生きていく強い自分になることやね。そこから明るい豊かな世界が開けるのよ」
聴いていた私のもやもやが一瞬からりとはれて「ああ成るほどなあ」とじっと山岸の目を見つめた。山岸はポンと私の肩を叩いて、
「あるものが見える人、見えない人。無いのに見える人、見えない人。いろいろあるわね」
私は即座に参画を決意し、直ちに家に帰り、家族会議の反対を押し切って山林を処分して資金を携えて百万羽に出資して参画した。”

よくぞ、即座に参画を決意する、その次元の転換の〝一瞬〟をあざやかに記録にとどめ置いてくれたものだ。貴重な研鑽資料ありがとう。
ところが、
翌昭和34年所謂「山岸会事件」で逮捕された安井さんの津拘置所からの次のような発言が残っている。

“私は最初に急革の方法の一部を知って不安を持っていたが、今回の事件を通じて、これが誇大妄想狂的な間違った方法であるとの確信を得ることができた。
あの方法では理想社会の実現は不可能と思われる。”(『快適新聞』昭和三十四年九月発行)

自分らの意志をもってやったことが「誇大妄想狂的」だったのだろうか? 理想を目指してのたぎる情熱からのあらわれが度を過ぎたからであろうか?
観念動物と称される人間特有の「観念習性」からの逆説なのだろうか。
あの当時「Xマン」「Z革命」などの流行語と共に日本列島を揺るがせた渦中にあって無理からぬ発言だったのだろうか。

だがしばらくして事件の余波も収まった翌昭和三十五年七月、安井さんは直接山岸巳代蔵に今一度さきの「山岸会事件」での真意を「どうも分からない、疑問だ」として問いただす。

安井 あの時、人を殺さねばならなかった、その理が分からぬ。
山岸 今度揃った時、ゆっくりやろうよ。あのこと一つ一つ採り上げんでも、他のことも含めて。自分の買ったマッチで家を焼くこともあるし、言い逃れでなしに、理も現象もゆっくり時間をかけて。
安井 あれが私の最もひっかかりの問題になってる。
山岸 あれ自身もやけど、その真相が違う。「あれをいけない、どうだ」と暗く見ないで。
安井 一時は決めてて苦しかったが、今は決めてないので、詳しく理を検べたい。他のことはずいぶん言われて出したが、あれだけは同志一人でも傷つけたくないので言わなかった。
山岸 真相、事実を零位に立って検べることだと思う。
安井 原因は分かるが、そうなったことに、私自身なぜもっと積極的努力をしなかったかと後悔してる。
山岸 焦点の真相を知らんと思う。
安井 そういうものもあれば、聴いてスッキリしたい。
山岸 聴ける法廷があれば出して、「なるほど、なるほど」となるのよ。永々と時間をかけて下手に解釈したら、無実の罪証が成り立つことになるかと思うが、それを徹底的に真相を洗ってみたら、僕はないものと思う。おそらくは各々の観方をしてると思う。洗ったら、「ああそうだったんか」というものが出ると思う。”(第一回ヤマギシズム理念徹底研鑽会)

動物の中の人間は本能以外にその特質として〝観念の動物〟と云ってよいくらい観念に左右され影響されて生きている。観念によって不幸にも幸にもなれる。そこから昔からの風俗、習慣、道徳その他、その他の観念による考え方の見直しや観念転換といった観念の特質を知った上での人間知能の用い方の是非が問われてくる所以であろう。
だとしたら観念面を正すとは具体的にどういうことだろうか?
ここでの安井さんと山岸巳代蔵の問答の中に、人間観念の取り得る二面性というか二通りの人間知能の用い方が象徴的によくあらわれているとふり返ってみて思う。
安井さんというか今も自分らにとってなじみがある「どうも分からない、疑問だ」とする〈問いの型〉と山岸巳代蔵の「真相、事実を零位に立って検べることだと思う」とする〈応えの型〉がかみ合わない二面性である。

この一致しない〝ズレ〟のなかに、今なお世界中でくり返される〝不幸の原因〟を見る思いがする。
この問答から心ならずも浮かび上がる秘められた〝ズレ〟こそ、もっともっと徹底的にひらき吟味すべき個所なのだ。ここの一番肝心な部分が未だイメージされないまま閉ざされ見すごされているのだ!
「平和のために戦争し、神に祈って爆弾を恵む」(知的革命私案)愚行・蛮行が世界的に容認され続け日常的にくり広げられている所以なのである。

“こうなったという事実を認めても自分で裁くのはどうもね。
本当は良いか悪いか分からんのやから、自分も責めない、人も責めないでその中で生きていく強い自分になることやね。そこから明るい豊かな世界が開けるのよ”

あらためて安井さんの「どうも分からない、疑問だ」といった一般社会常識観・価値観の次元から即断即決の参画への〈転換〉に思いをめぐらしてみた。

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わが一体の家族考(57)

「迷える羊の群れ」の行き末

当初自分らの多くは、無自覚のまま一般社会通念や価値観等を引きずって実顕地で暮らしていた。だからその外形や建物を実顕地と考えていたり、集団で生活しているのを実顕地と思ったりもしてきた。

すると例えばイズム運動の理念〝全人幸福親愛社会の実現〟を前にすると、自分の好みや身近に感じられる家族等の事柄を重要でない二義的な問題と見なしがちであるのだ?
要は我慢してしまうのだ。自分で自分のフトした思いまでも抑えてしまいがちなのだ。
つまり〝全人幸福親愛社会の実現〟という理念を前にして、運営の任にある者は全体のこととして、各自は自分自身のこととして事に当たるわけなのだが、各自の身の処し方がぼんやりしたままなのだ!
まさに「迷える羊の群れ」だった。
迷える羊の群れ

どうしても一般道徳価値観的な立ち振る舞いを引きずってしまうのだ。

例えば自分の場合、1970年代後半会の機関紙『けんさん』に〝ある愛の詩〟と題した長文の原稿を投稿したことがある。内容は、実顕地に参画してはじめて自分にとって素晴らしい女性に出会えたという、そんな「いい目にあった、いい思いをした」という体験を綴ったものだ。
するとある時、たまたま風呂への行き帰りのすれ違いざまに当時実顕地造成担当の杉本さんから「佐川節をきかせてもらったよ」とニッコリ声かけられたことがあった。
びくっとした。
というのも当時実顕地全体が有精卵の増産態勢の方へ力強く盛り上がりつつあった時期だったので、自分にはそんなマイナーで軟弱な私的な世界に入り込んでいる自分が否定されているように勝手に受けとったのだ。おかしな抑制作用が働いたのか、それ以降そんな自分の「ぬるま湯的」生き方を自己批判し意識して封印するようになった。
亡くなるまで吉本さんが懸念されていた「制度の問題を、倫理の問題に転嫁してしまう」矛盾にさらされる一例だ。

晩年の吉本さんは画一的な〝善意の押しつけ〟の体験例をヤマギシ会がいちばんの模範になっているとして語る。
“僕は入院していてもそういうことを感じました。宿直の女性看護師さんなんか、僕がトイレへ行ってちょっと音をさせると起きてきて、「大丈夫ですか」、「転ばなかったですか」と言いながら、カーテンを開けて声をかけてくれる。「大丈夫です、どうぞ寝てください」と言うと出ていくわけですが、それが僕にはだんだんうるさくなってくる。うるさいな、もっと空間を広げないといけないなと思うようになってくる。
そうしたらどうすればいいのか。それこそ、その配慮が難しい。向こうは職務に忠実であり善意であることは確かですから、「いいから寝ていてくれ」と言いつつ自分の自由空間を広げることができるかといったら、ちょっと難しい。やはりためらいがあって、きついことは言えないです。向こうは善意でやってくれているし、職務で忠実にやってくれているのだから、これ以上何か言ったら「ぜいたくだ、あいつは」となるから言えない。”(『時代病』2005年刊行)

病院の中ではお医者さんや看護師さんと患者とは、食い違いお互いが離れている。そこでは管理する方が楽になるために、被管理者(患者―引用者注)の人間力を殺してしまっているのだという。
そこで考え抜いた吉本さんなりの処方箋は、「人間の倫理性とは無関係に」被管理者の利害や事情を第一義的に考える管理制度に切り替える以外に方途はないというのだ。

これこそ現代社会が直面している医療や介護問題の核心なのだが、早とちりされてまるでヤマギシ会という〝カルト村〟(?)特有の問題なのだと誤解を招きがちだ。普通に人と人とが離れ、相反目している個々人主義の日常では却って目立たなくなっているにすぎない。

群れの中に山羊を混ぜておくと山羊が率先して川を渡るため、羊はそれにつられて川を渡るそうだ。
個像でなく群像としての羊の群れを描こうとするとき、そんな従来の倫理に囚われない山羊とめん羊のかくも徹底した役割分担のかつてない人間倫理を基調にした社会像が問われているのかもしれない。

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わが一体の家族考(56)

自分が切実に欲求するもの

思いかえせば、この間〈倫理〉について同じことを何度も繰り返し繰り返し書きつけてきた。
というか今なお人間倫理即ち倫理が生まれる始まりについて問うことは、もっとも本質的でリアルで切実なテーマとして自らに迫ってくるのだ。
手元の辞書には、〈倫理〉とは「人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。」とある。
道程

もっとも今の睨み合い・奪い合い・殺し合いのとどまるところを知らない時代の潮流のなかでは、
「いまさら倫理なんて意味ないし実感もないヨ」
「この世の悪の裏も表も露骨に現れ出る修羅葛藤の日々のどこに倫理なんて問える?」
と逆に言い返されそうだ。
例えば山岸会会旨「われ、ひとと共に繁栄せん」などはちゃんちゃらおかしい色あせた死語となっている!
自分らはそんな倫理なんて問わなくても良い刹那(せつな)の世界に住んでいるのかもしれない。
自分の場合〈倫理〉という言葉が最初に意識されたのは次のような場面であった。

1960年代後半の学生時代、
「権力を無くするとか抗するとかいうばあい、最低自らの中に対立感とか怒りなどの感情の払拭が条件になるのでは……?」
とその頃いちばん思い悩んでいた問いを、今は亡き吉本隆明さんにぶつけたことがある。
するとしばらく考え込まれていた氏は

「いや、それはあなた個人の内面を律する倫理であって、それと国家権力とか制度を無くすることとは一切関係ない」
とその件に関しては自分もとことん考えてきた末の結論だといった確信に満ちた口調で喝破された。

びっくりした。なぜ関係ないのだろう? 
自分が托する倫理的行為のさきに「理想社会」は描けないのだという?!

その後、自分は山岸会に参画したのだが、その時の驚きや疑問となぜ自身のヤマギシズム実顕地づくりなのかという問いとが、事あるごとに切実に降りかかってくる場面に遭遇してきた。これを解かずには自分は一歩も進めないのだという思いにも囚われた。
とまれ「個人の主観性の場所」から「私の倫理」「私の社会倫理」へと掘り下げる道程を今一度辿ってみることにする。
分からないことだらけの中でせめて人間が幸福に暮らせる根元的要素を探り当て、自らの心身の糧にしていきたいのだ。

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わが一体の家族考(55)

あなたまかせの生活史

また「獣性より真の人間性へ」では、次のような一文が続く。

“一日、或る人家の軒下を流れとどまる下水溝に、黒く細長い、蛭(ひる)にも蚯蚓(みみず)にも、八ツ目うなぎにさえも持たない、熾烈な悪寒を覚える醜体の、一匹の虫のうごめきを見ました。
青年時、庭先でこれによく似た、頭部が銀杏の葉のような形に拡がった、黒い虫(コウガイビル?―引用者注)
コウガイビル

を初めて見た時、慄然(りつぜん)とした印象が今なお蘇りますが、こういうものを見ると逃げ出したくなり、目につかねばよかったのに、また何故あんな虫がこの世に置いてあるのか、そして何を楽しみに生きているのかと、時々思い出して暫し耽ることがあり、何時水気がなくなり干乾しになるか、どんな劇薬や苦いもの、酸いもの、辛いもの等が流れて来るか、熱湯をかけられるか、不安の日夜をのたうって、三日がかりで漸くにして遡上したものを、一夜の水にどこまで流されるやら、あなたまかせの生活史です。今日はうどんの煮汁か米とぎ水か、魚の臓物の饗宴にありつけるかと、あわれうたかたに望みをつなぐ生涯でしょう。しかし、また案外数少ないであろう彼等にも、配偶者に会う仕組みは、うまく与えられてあるのか、種の絶滅もなきまま、こうして産み付けられた吾が身の不運をかこっているかどうか、詮索したくなります。人間の誰かと引き較べて。”

孤独死、介護殺人・介護心中、老齢の母親と寝たきりの息子の餓死といった痛ましいニュースが日常的に流れる昨今にあって、「あなたまかせの生活史」とか「あわれうたかたに望みをつなぐ生涯」といった語句に出会うと、何だかダイレクトに自分自身を指された気持になる。
しかも同時に、そうした絶望的なアテにならない状況のなかでも「配偶者に会う仕組みはうまく与えられてあるのか、種の絶滅もなきまま」今日に至っているといったくだりに辿りつくと、なぜかホッと救われるような一条の明るさのようなものを感じるのは自分だけだろうか。
よくよく見れば、いつも何か着て、何か食べて生きてきた。そんな物心共に受けるばかりの暮らしに気づかされる。「うまく与えられてある」恩恵にただ一方的に浴するばかりの存在だからだろうか。『山岸会養鶏法』の一節に、

“金も名も求めず、各自の身に合う仕事で世界中に踊り、天地に愧じない連中には、至る処家在り、食有り、友、吾が子ありです”

とあるが、なるほど受けるばかりなのに「天地に愧じない」とはこういう実態なのかと知らされる思いがする。
金を求めない実態はもちろんのこと、育ててから消えるといった名を求めない範疇にまで分け入らないと、あなたまかせの「うまく与えられてある」恩恵との帳尻が合わないというのだ?! 

すべて芝居であり、遊びであり、生きている間の慰みで、楽しい一つの踊りに過ぎないのだから……。
こうした文脈にそってあらためて
○私の倫理「親は飽くまで、子に資するもの」
○私の社会倫理「自己より発し、自己に還る」
を問うてみたいのだ。

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「と」に立つ実践哲叢(22)

ふとした心の転換から

今もスペインのサグラダ・ファミリア教会でガウディの遺志を継ぐ彫刻家・外尾悦郎さんのことが以前新聞で紹介されていた。石を彫りたい自分に気づいて、若き日偶然スペインで石の教会の工事現場に飛び込んで以来、今日までやってこれた理由に、ふとした心の転換があったからだという。
サグラダ・ファミリア教会

それはガウディに近づこうとするのではなく、ガウディと同じ視点で見ることこそ必要なんだ、と気づいたとき、ガウディが自分の中にいて、同時に、ガウディの中に自分がいるという感覚が芽生えたというのだ!
あ、これだ。こんな感じかなあ、と思わずうれしくなった。自分にも思いあたる節があったからだ。

久しぶりに入学したヤマギシズム研鑽学校でのことだ。
ボードに記されたある日のテーマ「無我執研鑽」についてのくだりの一言、「異い」の文字をじっと眺めていたとき、そうだ自分がヤマギシズムになったらいいんだ! という思いがふと湧いた。
でもその直後、そんなバカな! と即座に打ち消す自分がいた。だって我執の塊のような自分がヤマギシズムそのものになれるなんて金輪際あり得ないからだ。その慌てっぷりといったら、思い出すたびにおかしくてたまらない。

がしかしそれで話は終わらなかった。研鑽学校を終えてからも、なぜか我執っぽくない心の琴線に触れるような名状し難い温かいものが何度も湧いてきては、そのものに癒やされている自分がいた。

あれっ、この繰り返し湧いてくる温かいものって何なんだろう? 不思議と疑問が深まるばかりなのだけれども、一方で「自分がヤマギシズムになる」という突拍子もない思いを解いていく糸口がそこから見いだされていくような予感もあった。

たしかに「無所有」とか「無我執」とか「一体」といううかがい知ることのできない理念と今のみじめな自分とが一つに溶け合えるなんて絶対にあり得ない。でも何処かにきっとあるはずだ、と心が奮い立った。
糸口は先の外尾さんの「ガウディに近づこうとするのではなく、ガウディと同じ視点で見ることこそ必要なんだ」といった気づきにあった。
我執っぽい自分の思いや考えから近づこうとするのではなく、ガウディと同じ視点(=位置)に立つというか、ガウディが込めた思い(=心)になることにあった?

自分の思いや考えでは正しく相手の心情を推し量れないが、「その人の心と一つになる」ことはできるかもしれない。これまた目からうろこの大発見だった。するとあの「我執の塊のような自分」などを後生大事に持ち続けなくてもいいんだ、という突き上げるような歓びが実感されてきた。
個々別々に離れてお互い対立し合う自己のことを唯一の自分であるかのように固く思い込んできた。
でもこの間自分らは「と」に立つ実践を通して、一体観に立って見るとこんなにも仲良くなれることを実感するのだ。

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わが一体の家族考(54)

初心に込められてあるもの

ヤマギシ会の第一回「特講」開催にさかのぼる二年前の1954年1月の全国愛農会に向けての寄稿文やその頃『山岸式養鶏会会報』に掲載された「獣性より真の人間性へ」等での山岸巳代蔵の発言は、新しい社会づくりへと一歩踏み出した高揚感に包まれて〝本質的なものこそ本当のもの〟といった気迫みなぎる心のこもった言葉に満ちている。
例えば全国愛農会に向けての寄稿文では、

“私は当日も申しました如く、古今を通じて最大の欲張りを以て任ずるものであります。またかくあらんことを欲するもので、人生ある限り、百万年の生命、無限の存在を確信し、日常茶飯事にも永遠に大きく生きんことを心するものであります。
私は拙い私の養鶏寸話を、一億円のお土産と、自ら勿体付けました。しかし決して誇張する意味でなく、現実、当座の一億円であって、種子一億円を持参し、これを各地方地方へお持ち帰り下さって、皆様方の尊い御手によって地に下ろし、御愛育願い、同心の方々に広く御分讓下さって、一粒万倍に、地上に花を咲かせ、穫って、もって実を心身の糧にして頂くことを念願するものであります。”

と自らを「古今を通じて最大の欲張り」とか「永遠に大きく生きん」と位置づけ、自身編み出した養鶏法を「一億円のお土産」にも例える。何を言わんとしているのだろう?
こういうことだろうか。

ヤマギシ養鶏法を実施することで、1反歩6俵の実績の田で7俵収穫は立証済で、今日本の米不足一千万石を解決する。しかもこれは土地を広げたり労働力を加重せずに正味の増産で、一千億円浮かすことになる。そこから割り出された「一億円のお土産」なのだ!
かくして鶏卵肉と米麦などの増産で、全国民が飽食し、なお余りが生じてくる。
しかしよく産み、よく穫れ、よく儲かっても、それでよいとしない。本当の養鶏とは、永遠を希う大欲養鶏なのだ。増産・増収が目的でなく、よい社会を造る手段なのだと、底ついて底抜けるところまで行こうというのだ。

“働かずして卵肉が無限に生産され、空気や水に近い状態で用いられる仕掛けを唱導するのです。全国的に柿が豊作なれば、誰も隣の柿に目を付けない。播いた種が稔って、開いた口中へ落ちる、〝自己より発し、自己に返る(還る)〟仕組みを推奨致したいのです。”

あたかも織物の強さは縦の繋りのみではない、横も同じように強い連繋を持たねば役立たないように、お互いの終極の目的、幸いに満ちた世界の実現も「永遠に生きる私」という縦の繋がりと「社会」という横の繋がりによって織り上げられるべきものだと……。
これがなされなくては何の革命ぞ、とかけるものがあった。
また「獣性より真の人間性へ」では、養鶏法を通してのヤマギシ会会活動の実態を

“今や地軸を動かす事態が発生しつつあるのであります。”

と突拍子もない比喩表現から始める。
なかでも〝耳かきで飯を盛る〟という絶妙な例えでもって、題名の〝真の人間性〟を浮かび上がらせていく。
筆者は蚕の国を覗いて、

“食べて、子を次代に引き継ぐのみなれば、蚕の繭に、何を以て竝ぶべき。”

と省みる。

“彼等は、すくなくとも、彼等の多くは、節をハッキリ行っている。得たものを積み、規則正しく脱皮を、そして吸収成長の期と、整理と、後の世への生命の繁栄を、画然と区分けしています。そして絹とその他のものを残しますが、人間は何時の間に何を為したか、何時まで何を何しているのか、分からないうちにハートが休みます。”
カイコの一生

“蚕虫に愧ずるものがあります。”
“人間には虫魚禽獣の持っているものと、少しは異なったものを具えていることを認めています。が、それを用いることを成さず、また持っていることさえも知らずに唯、蚕にも及ばぬ行いに終るとは、愚かしき限りであると思うものです。”
“私は私達の周囲を眺め、これはまた耳かきで飯を盛る行いを随分、飽かずに、飽きながらも、毎日・毎月・毎年・時々刻々の分秒を、営々として、生命の燃焼に費し続けていることに”

気付かされる。
あらためて〝世紀の恥辱〟とか〝愧ずる〟とか〝愚かしき限り〟とか〝飽かずに、飽きながらも〟といった語句をたたみ込むように突きつけられると、とても他人事とは思えず暗然として言葉を失う。
その一方で平然と落ち着いておられない気がしてきて、では自分のどこが愚かでその原因・根拠がなへんにあるかを突きとめたい意欲も湧いてくる。
すると焚きつけられるように「よーしやるぞ!」といった気持がかき立てられてくるのが不思議だ。

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わが一体の家族考(53)

禅問答式に托されているもの

さきのいつも何かに脅かされているような倫理観に悩まされている作品『門』の主人公・宗介は、とうとう鎌倉の禅寺へ泊まり込んで座禅を試みる。
禅問答

そこで老師から公案が出る。

「父母未生以前の本来の面目如何」

父と母すらまだ生まれていない自分って、どこにいるんだ、自分って何なんだ? ということだろうか。
彼は考えに考えた。しかし自分の考えをもって老師の前に出るのだが、「もっと、ぎろりとしたところを持って来なければだめだ」と撥ね返される。「そのくらいのことは少し学問をしたものなら誰でも言える」と。

“宗助は喪家の犬のごとく室中を退いた。後ろに鈴を振る音が烈はげしく響いた。”

結局のところ宗介の心を乱している心配事は何一つ解決しないまま十日前にくぐった山門を出た。
家の敷居をまたいだ宗介は、髭は伸び顔は青く出る前よりも面やつれしていた。見かねたお米も、行かない前よりかえって健康が悪くなったらしいとは、気の毒で露骨に話しにくく、
「いくら保養でも、家へ帰ると、少しは気疲れが出るものよ。けれどもあなたはあんまりじじむさいわ。後生だから一休みしたらお湯に行って、頭を刈って髭を剃って来てちょうだい」と気づかう。
ところがナント留守中に宗介の心を乱していた心配事が解けていた?!

“彼の頭をかすめんとした雨雲は、かろうじて、頭に触れずに過ぎたらしかった。けれども、これに似た不安はこれから先何度でも、いろいろな程度において、繰り返さなければ済まないような虫の知らせがどこかにあった。それを繰り返させるのは天の事であった。それを逃げて回るのは宗助の事であった。”

とようやく春めいてきたにも関わらず
「うん、しかしまたじき冬になるよ」
と宗介の倫理観が言わしめるところで作品を終える。

こうしたいつまでも悩み続ける宗介の倫理観は、現代人にも生きつづける倫理でもあるにちがいない。
またヤマギシズムの「特講」でも、掴まえどころなく気持を表そうとして表せぬものに対し、禅問答式が使われている。そういうものでしか、それをひとに通じさすすべがないのだ。
その伝でいくと「父母未生以前の本来の面目如何」という公案はどのようにして解かれるのだろうか。
自然と人為の調和を基調とした思想ではどうなるのだろう。とても興味深い。

ちなみに山岸巳代蔵は次のような意味あいで「倫理」についても触れている。
○私の倫理「親は飽くまで、子に資するもの」
○私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」
ここでの「私の倫理」とか「私の社会倫理」という言葉で何を言い表そうとしているのだろうか?

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わが一体の家族考(52)

理想とする〈性〉のある暮らし

一対の男女・一対の夫婦について想うとき、いつも夏目漱石の作品『門』でのお米(およね)と宗助(そうすけ)の〈性〉が顕わになる暮らしが思い浮かぶ。
夏目漱石 門

こんな二人のほのぼのした仲睦まじい描き方がいいな、いいなとずっと惹かれてきた。
物語は、冒頭の宗助が秋に日向ぼっこをしているシーンから始まる。

“宗助はさっきから縁側へ坐ぶとんを持ち出して、日当りのよさそうな所へ気楽にあぐらをかいてみたが、やがて手に持っている雑誌をほうり出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来をゆく人の下駄げたの響きが、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。ひじ枕をして軒から上を見上げると、きれいな空が一面に青く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に比べて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうしてゆっくり空を見るだけでも、だいぶ違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、眩しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子のほうを向いた。障子の中では細君が裁縫をしている。
「おい、いい天気だな」と話しかけた。細君は、
「ええ」と言ったなりであった。宗助も別に話がしたいわけでもなかったと見えて、それなり黙ってしまった。しばらくすると今度は細君のほうから、
「ちっと散歩でもしていらっしゃい」と言った。しかしその時は宗助がただうんという生返事を返しただけであった。”

そしてひっそりと暮らしてきた夫婦の生活が大きく揺らいだ冬を経て、春の訪れを感じるところで物語は終わる。

“お米は障子のガラスに映るうららかな日影をすかして見て、
「ほんとうにありがたいわね。ようやくのこと春になって」と言って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を切りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。”

何の変哲もない日常の暮らしが、かくして季節の移り行きと共に誰の心にも染みいるように掴み出される。そこがたまらないところだ。
しかしいつ崩れるかわからない怖れがある崖下の借り家に住む二人には、「大きく揺らいだ冬」があった。
じつは宗助は、かつての親友である安井の妻であるお米を得たが、その罪悪感におびえ、ひっそりと暮らさざるをえなかった。いわば社会から逃れるように暮らす夫婦の苦悩や悲哀を描写しているようにも見える。

“夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪えかねて、抱き合って暖を取るような具合に、お互いどうしたよりとして暮らしていた。苦しい時には、お米がいつでも宗助に、
「でもしかたがないわ」と言った。宗助はお米に、
「まあ我慢するさ」と言った。
二人の間にはあきらめとか、忍耐とかいうものが、絶えず動いていたが、未来とか希望というものの影は、ほとんどささないように見えた。彼らはあまり多く過去を語らなかった。時としては申し合わせたように、それを回避するふうさえあった。お米が時として、
「そのうちにはまたきっと好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」と夫を慰さめるように言う事があった。すると、宗助にはそれが、真心ある妻の口をかりて、自分を翻弄する運命の毒舌のごとくに感ぜられた。宗助はそういう場合には、なんにも答えずにただ苦笑するだけであった。お米がそれでも気がつかずに、なにか言い続けると、
「われわれは、そんないい事を予期する権利のない人間じゃないか」と思い切って投げ出してしまう。細君はようやく気がついて口をつぐんでしまう。そうして二人が黙って向き合っていると、いつのまにか、自分たちは自分たちのこしらえた、過去という暗い大きな窖の中に落ちている。”

しかしずっと社会から逃れるような生き方ゆえ齎された平穏な暮らしという当然の帰結は、矛盾しているのではないか? 
そこに自らの理想を全面的に重ねることにいつも違和感をも感じてきた。
主人公のいつも何かに脅かされているような倫理観が重苦しいのだ。
負い目を感じる主人公の倫理観と平穏な一対の〈性〉を基盤とする暮らしは切り離せないものだろうか。
本当はむしろ、そんな社会から見捨てられ・離脱することではじめて浮き彫りになるものへと転回したいのだ。

“彼らは親を捨てた。親類を捨てた。友だちを捨てた。大きく言えば一般の社会を捨てた。もしくはそれらから捨てられた。”

そういえば当の自分らヤマギシストもまた、世界中の人がみんな仲よく仕合せになるようにと願って、家財産はおろか生命までもつぎ込んで「実顕地」づくりへと参画したのだった!

今なお既成の社会通念・倫理観、価値観に胡坐(あぐら)をかいたまま
「世にあるユートピア思想で家族の共同性を解決しようとした試みはすべて、かえって社会的な弱者、子どもや女性の不幸、つまり家族の解体に至るということに帰結したからです。それがヤマギシ会という悲劇の本質と言っても過言ではありません」(『わたしはこんな本を作ってきた』小川哲生 )
とふてぶてしく居直る迂闊者も見られるが……。

いずれが正か逆か? これはわかる人にはわかる。わからぬ人にはわからぬ。
ともあれかつてない新しい倫理がきっとあるはずなのだ。
私を生み、育み、注ぎ込まれたものが活かされんことを……。

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わが一体の家族考(51)

引いてしまう〈性〉の世界

またなぜ今、恋愛・結婚観なのかを問うことは、なぜ今〈性〉なのか? を問うことに繫がるはずだ。
噂に伝え聞く「血みどろの愛欲史」といった表現から退廃的な獣のしるしを連想したりして引いてしまう誤解・曲解を怖れる余り、男女の恋愛・結婚観や〈性〉にまつわる「愛情問題」に触れることを避けてきた経緯がある。
そうしてそのことが遠因となって、ヤマギシズム社会のもっとも重大要素は親愛の情によって全人類間の紐帯となすことを謳いつつ、そこから逸脱していく事態を招くことになった?!
ここに、理想社会実現への方向性を混乱させ〈性〉の世界探求への遅れをとったいちばんの要因があったのではなかろうか。

例えば1960年代アメリカで始まったとされる「フリーセックス」の風潮があった。
それまでの女性は貞淑で家に居るべきであるのような、厳格で古典的な「社会的性役割」の考え方を打破して、社会的性別(ジェンダー)に対する一般通念に囚われず、人それぞれの個性や資質に基づいて、自分の生き方を自己決定出来るようにしようという、「固定的な性役割の通念からの自由を目指す」考え方に基づいた運動だといわれる。
そうした旧来の因習に囚われず自由でありながら見ず知らずの人間同士が大きなトラブルもなく扶け合う象徴的なイベントが、1969年夏アメリカ・ニューヨーク州での40万人が集った野外ロックコンサート「ウッドストック・フェスティバル」だった。
ウッドストックコンサート

こうしたカウンターカルチャーの流れの中で1970年代の山岸会が、共同体コミューン運動として脚光を浴びたのは必然だったし、特定の相手に関係を限定しないフリーセックスという意味での短絡的な実践が集団の存立を危なくする懸念も少なからず見られた。
こうした時代文化背景なども加わって、本質的な意味での人と人との繋がりを顕現する一対の男女・夫婦というあり方への究明が遠ざけられていった。そうした自由な性愛の実現が研鑽できる環境・資格条件をその前に備えねばならないとして……。

並行してまた時代の潮流も、飛躍的な科学や技術のハイテク化・経済のグローバル化に拠る高度管理システム社会を促進していく。つまり諸個人を男女のない会社人間・仕事人間・ユニセックス人間化へと拍車をかけることにも繋がり、当の〈性〉の世界は性風俗として付属的に扱われるようになった。
今ほど理想社会づくりに現代社会紊乱(びんらん)の浄化・安定に、男女の恋愛・結婚観や〈性〉にまつわる「愛情問題」に眼をそむけずに近づきたいモチーフにかられるときはない。

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「と」に立つ実践哲叢(21)

ヤマギシズムの醍醐味

池に氷がうっすらと張る季節がくる頃、いつも思い浮かぶ一句がある。

「凍る池 藻は青鯉の泳ぎ居り(鬼面子)」
凍る池

この句は昭和三一年一月、第一回「特講」が開催された頃、会機関紙のコラム「立卵鑽」に山岸さんが記したものらしい。要旨は―
鶏を見ればそこの家の様子がすっかりわかるとは真実である。和やかなニコニコの家かトゲトゲしい争いの家か……。なぜなら鶏はそこの家の人によって育てられているからで、子を見れば親がわかるのと同じである。
しかしそれも「見る眼」が出来ていなければ見えないので、「見る眼」は正しく見られる心が出来たか出来ぬかによって定まる。
今回の「特講」参加者の第一の獲物は、この「正しく見る眼」の出来たことであった。そして結びの一節にこの句が置かれる。

ある日の研鑚会で皆で侃々諤々この句を鑑賞し合ったことがある。
「これは見えないとアカン。考えてワカラン」
「もし辞書引くこと知らないなら、どう考えるだろう?」
「青い鯉と書いてあるから青い鯉はあるものだと、そんな見方で見たら鯉も青く見えてくるかもしれない」
「しかし辞書引いても青鯉は出てこないから、これは他に意味がありそうだ、そんなことあり得ないと考えがち」
「そのままでええんよ、考えなくてそのまま」
「やっぱり赤いものは赤いし、白いものは白いかね?」
「この俳号の鬼面子って?」
「ほら、怒り狂った眼でいると人間の顔してても鬼に見えるというじゃない。だから形よりも実質を観て下さいと……」(ちなみに後年、山岸さんは自らを未熟未熟の鈍愚生とも名付けていた)
「特にヤマギシズムでは一般にないものがある。そこを発見していくところに醍醐味があるのではなかろうか」
ここでも目からうろこだった。パーッと世界が開けた。

その後有精卵の供給活動が始まった頃、卵の黄身が白っぽいとのクレームが活用者から多く寄せられたことがある。そこで自分らは困ったことになったとみっともなく動揺した。ふだん「一個の卵に心を托す」とか「込める」と口先だけで言っているのか、それとも真実なのかを試されているのであった。
またそうした場面に直面するにつけ、あの「やっぱり赤いものは赤いし、白いものは白いかね?」の問いが迫ってきた。自分らヤマギシストは、白でもない赤でもない「真っ白な赤」を発見する日々ではなかったのかと。
本稿のタイトル〝「と」に立つ実践哲叢〟には、そんな一致とか重なるとか合わすとかの表現でイメージされてくる「仲良し」の本当の実態が込められてあるようだ。
こうした「仲良し」とか「楽しい」といつた簡単な言葉に秘められてある奥深さのようなものをもっと味わい尽くしてみたいものだ。
 

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わが一体の家族考(50)

なぜ今、恋愛・結婚観なのか

なぜ今ヤマギシズム社会における真の恋愛・結婚観の探求なのだろうか?
具体的な心当たりがあるわけではないが、直覚されるものがある。それはヤマギシズム理念即ち
○自然全人一体観
○無所有 共用
○無我執 放す
○全人真の幸福
○絶対愛
○心物 正常 健康 豊満
○研鑽科学生活
その他等々を顕現する場としての「実顕地」なるものの実態をもっと明らかにしたいという欲求に根ざしている。

この間実顕地づくりと称して、ヤマギシならではの独自の生活様式や学育・産業形態、組織機構や政治形態を編み出しては形にも現してきた。しかし、その考え方や内容はあまりにも今の常識からかけ離れているために、今の常識観念そのままでは到底理解されないし、不思議がられたり、怖れられたりしている。また、特定の人でしかできないかのように誤解されてもきた。
いや、そうした誤解・曲解は他人事だと思いきや、じつは実顕地の中に住む当の自分自身がひょっとしたらとんだ茶番劇をやらかしているのでは……といった疑心暗鬼の思いにかられるのだ?!
ややもすると一般社会通念や価値観の牆壁の厚さに押し潰されそうになるのだ。
例えば吉本隆明さんは、次のようなヤマギシズム〈一体〉理念への疑念を抱かれていた。

その「一体」というところでかんがえていちばん問題なのは、男女の結びつきの次元というのが共同体の次元と同一化してしまうことです。そこがものすごくきついんじゃないでしょうか。かりにそういう男女がいるとすると、かれらは絶えず共同体の水準におかれようとする力を「一体」という観念から受けているから、男女のあいだに、ささやきとか、声にしなくてもわかるとか、そういう意味の微妙さがなくなっちゃうんじゃないでしょうか。ふたりでいるんだけれども、絶えず脅かされているといいますか、全部公開されているみたいな、そういう心理状態に絶えずさらされていることになる。
もし人間の性愛のなかに、色とか、味とか、匂いとかの比喩でいうべき問題があるとすれば、それが全部、無味・無臭・無色というふうになってしまうような気がするんです。ほんとにそうなることはたぶんありえないから、絶えず解体にさらされるか、または、もし男女の結びつきがひじょうに親密になってくれば、共同体から出ちゃうという衝動をいつでも感じざるをえないみたいな、なにかそういうところでいちばん矛盾にさらされるような気がするんです。(吉本隆明『対幻想 n個の性をめぐって』1985.1春秋社)(わが一体の家族考12)

そうなのだ。一般社会通念や価値観等を引きずったまま実顕地で暮らそうとしたら、たちまち吉本さんが懸念される「矛盾にさらされる」こと必至である。この間こうした修羅葛藤の渦に巻きこまれたこといかほどあったろうか。

自分ら実顕地生活者もそうした修羅葛藤の社会出身者であるだけに、ヤマギシズムの目標や理想がはっきりしている割にはヤマギシならではの「原点」については未だ究明や見直しが進んでいないことに気づかされる。
日常衣食住の豊かさや便利さについての喜びや満足はあるが、それは比較感や自己欲望からの満足感であったりして、原点からの歓びや充足感など絶対的な歓びとの異い・識別については案外見すごされているようなのだ。
怒濤のように進撃してくる科学や技術のハイテク化・経済のグローバル化に拠る高度管理システム社会の波に翻弄されながらも、その原因・根拠がなへんにあるかつきとめ得ないまま、人間社会はこんなものだと観念づけてしまいがちな昨今であるのだろう。
自由と見えて真の自由でない、自らの手で自らを縛り、他とも又縛り合う世界への行進に、もはや現実を拓いていく力は失われている。
事態は絶望的に見える。

ところがこの間自分らが体験したのは、あの「いちばん矛盾にさらされるような」自分自身どん詰まりの生活感情に陥ったまさにそのときに、ハッと世界が一変して開かれたのだ!
そんなものがヤマギシズム社会における真の恋愛・結婚観に秘められてあるように直覚されてきたのだ。

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新年にあたって

新年にあたって
元旦
 
過日もうすぐ満一歳の誕生日を迎える孫娘が部屋に遊びにきた。活発に腹ばいで後ずさりしたり畳を這い回りしながら、好奇心いっぱいの目を輝かしている。そのうちに子猫の写真が刷り込んである買い物バックに気づいたのか、ジーッと見つめ、その後も気にかかるのか何度も振り向いたり、ちっちゃな指を伸ばそうとするしぐさもする。
この時、彼女の中でいったい何が起こりつつあるのだろう。きっと子猫の姿形に心がさざ波立ちはじめているのだ。この間滞在していたお母さんの実家の猫と〝おなじ〟だというのだろうか。お母さんの胎内での記憶がよみがえってくるからであろうか。
きっと相合う一致のイメージが重なり合う新鮮な驚きでいっぱいにちがいない。周りの親たちももう嬉しくて「ニャンニャン」と赤ちゃん言葉で呼びかけてやる。
この時期の大洋を湛える子どもの心は、〝もの〟と〝なまえ〟の一致像の広がりにつれて、ヒトが人になる豊かさ、広さ、徳性のようなものが備わっていくのだろうか。
しかしこうした親から子へと一方的に与えて与え尽くす親愛の情は、その後の他を責めたり、憎んだり、苦しむ頑固な観念我に囚われることで見失い断ち切れることがある。

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり、政治・経済機構も大改革されますが、その何れにも相互関連があり、この条件を必ず重大要素として組織し、総親和社会への精神革命を必要とする所以です」(『ヤマギシズム社会の実態』)

特講を受けるまで「人と人との繋がり」の世界とは、我利・我欲・自分本位の「人と人とが離れ、相反目している」むき出しの生存競争社会のことだとしっかり思い込んでいた。だからずっと人見知りして生きてきた。
でもよくよく研鑽すると「人と人との繋がり」の世界でこそ、最も相合うお互いの一致像を求め惹かれ合って似合いの〈夫婦〉となれる場でもあるのだ!
しかも遠く離れた人との結合ほど良縁で、優秀な子孫が産まれる事実は、幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟・親子の間柄にあるのだ!
見ず知らずの赤の他人から身内にと瞬時にヒックリ変わるこの不思議。「その関連を知るなれば」、つまり繋がりそのものの自己を生きることで、みんなで「わが一体の家族」を現してみようではないか。

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わが一体の家族考(49)

繋がりの源に触れる

「人と人によって生れ」、「人と人との繋がり」の中で一つに重なり合い一致する、そんなかつてない世界に触れるためには何か〈次元〉の転換に迫られていた。
そのためにももっと自分の実感がともなう生き方や考え方があるはずで、そんな心の底から納得して本筋に至る道筋が切実に欲求されて来るのだ。
しかし自分の実感? そんな自分の思い込み、主観、実感ほどアテにならないものはない。
その間の考えの揺れを次のように記したこともある。

「そのアテにならない誤りうる実感を頼りに足場にして、例えばこれからの季節、山の木々に見る紅葉をあらためてきれいだなぁと心の奥底から湧きあがってくるものに『心の琴線に触れるものがある。それはどういうものか』と美しさの正体に想いをはせるなかで、自然の一部である人間にも流れているものに気づかされ、その心から自然・永遠・事実・普遍・真理に相渉ろうというのである。
宗教と科学を分ける『と』の垣根を取り払うことで、宗教も科学となる繋がりの場所を見出そうというのである。
自然と人間は一体のもので、人間は自然から産まれたものであることを、みずからの生きた事実実証で表してみようというのである。
たかだか百年にも満たない時間を生きる人間の主観でもって、自然・永遠・事実・普遍・真理を掴むことはできない。
しかしそうした『事実その中で生きている』繋がりそのものの自己を見出すという『自己への配慮』という知恵でもってしたならば、真理即応の人間性(心)にまでひょっとしたら到達できるかもしれない!
ハッとする心躍りがあった」(実顕地づくり考11)

この時の「ハッとする心躍り」は今も脈々と生きている。そんな歓びを行きつ戻りつ数え切れないほど心に反芻してきた。
以前も次のように記した。

「それにしても彷彿と浮かぶあの恥ずかしそうな笑顔から一瞬のうちによみがえり、こみ上げてくる心の琴線に触れるものの正体は、いったい何なんだろうか?
そんなくり返しくり返し自ずと湧いてくる温かなものの心触りの感触を確かめていると、これだけはゆずれないといった確信めいたものがふくらんできた。
それは、もし心の琴線に触れ何かほのぼのとした温かいものに癒やされ、いいようのない感情がこみ上げてくる中で『ヤマギシズム』が立ちあらわれて来なかったら、自分は『ヤマギシズム』を見捨てる、といったのっぴきならぬ一つの考えだった。
するとそんなある日、さきの例えば『ヤマギシズム七不思議』の一つ
○「万象悉く流れ、移り行く」
に込められた“流れ”に例えられるものが、身近な自分の実感をともなって、一つの共鳴・共感する生命を感じさせるものとして目に映ってきたのだ! しかもそれが万象悉くに満ち溢れている!
流れているものの実態にじかに触れた感がしたのである!」(わが一体の家族考18)

自然から贈られ、人から発せられる美しさ・豊かさ・温かさの源が、そこはかとなく広がっているのがこの世界のようなのだ!
しかも人は、親から生まれ育ち、親から離れて脱皮して一人の自立した個体として、「人と人との繋がり」の中で自分以外の他の個と出会い結びつく仕方で生きていく。だとしたら、その結びつく繋がりの正体とはいったい何だろうかと想いをはせる。
そのことはまたさきの「自然と人間は一体のもので、人間は自然から産まれたものである」自然全人一体観の一番底に流れる繋がりの源に触れることでもある。汲めども尽きぬ源泉をくみ取らねばならない。これこそ絶対に行き詰まらぬ、永久に幸福を齎す繁栄一筋の道の秘鍵だった!
例えばこの間記してきた―

「それは、ものを考えたり、感じたりすることそのものの中に、異性、異なる性の存在がしのびいっているという発見」
「『人と人によって生れ』た自分が、『人と人との繋がり』の世界ではじめて出会う他者が、〈異性〉だという『ひどく幼い発見』と驚き」
「『心に女性を感じ、ほのぼのとした気持であることによって満たされた思い』が『人と人との繋がり』の社会の中で伸展合適していく行程」
「こうした気持ちいい〈快〉感なるものこそ、「『喜び』とか『生かし合い』とか『一致』の起源であり、誰の心にもある真実なのだ!」
「親と子の間を繋いでいるいわば親愛の情感に琴線をふるわすのだ」

といった文脈において「わが一体の家族」の輪郭像を描こうとしてきた試みにも重なる。
それはまた、ヤマギシズムでいう〈一つ〉の中に『心に女性を感じ、ほのぼのとした気持であることによって満たされた思い』で分け入ってみようとする試みでもあるはずだ。
なぜなら〈一つ〉とは、「私はあなた、あなたは私」の体認から出発するものだからだ。
そこは「最も相合うお互いを生かし合う世界」であり、無意識に惹かれ合い・求め応え合い・心の手を差し延べ合う衝動にかられる〈一つ〉の世界の謂いでもある。
ヤマギシズム恋愛・結婚観を探ねて、ようやくここまできた。

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わが一体の家族考(48)

瓜の蔓に茄子は生らぬ

またある日の研鑚会で次の一節を研鑽した。

「食べたいから食べるのと、食べなくともよいが食べるのと、何でも二つある」

二つあることを知る?
こういうことだろうか。
幸福に真の幸福と幸福感という二つの幸福があるように、人間の考え方にも成功型と失敗型とにも分けられる二つの逆の考え方がある。
難所に直面した時に、こんなはずでなかった、えらいことになったと、暗く見る失敗型の人と、しかしまた難関にぶつかるほど情熱と知恵が湧き出てくる成功型の人に分けられるという。
先の「人と人によって生れ」の自分と「人と人との繋がり」での自分が対立的に矛盾するように感じられる分け方には、どこか無理があるように感じられた。
ではそれ以外にどのような分けて考える考え方があるのだろうか? ここがいちばんの難所だ。

「何でも二つある」とは、何と何が二つあるのだろうか?
ことわざに「平凡な親から非凡な子は生まれないこと」の意味や、「原因のないところに結果は生じないということ」の意味のたとえとして

「瓜の蔓に茄子は生らぬ」
瓜の蔓に茄子は生らぬ

とある。
以前にも記したが、このことわざの謂わんとする一端に触れたのは、養鶏のモミガラ給餌での大失態例・「二つの事実」の気づきからである。
ある時エサ代を安く上げようとモミガラなど単価の安い粗飼料を軽率にも一度に多く給餌してみたのだ。
確かにこんな栄養もなく消化しにくい硝子繊維の固まりが餌になるとはとても思えない。事実食べ残しの餌を捨てる餌箱掃除で忙しくなり、しかも下痢便の鶏が続出したりで皆の顰蹙(ひんしゅく)をかって打ちのめされた。
ところが反面またウイスキーを製造する際の液体粕とモミガラを組み合わせて給与してやると、なぜか鶏が喜んで食べつくす事実もあった。

モミガラは食べ残す、食べないという事実に対して、よく食べる、食べ残さない、という事実もある。このモミガラを食べさすという小さな一事に、二つの事実がある? それって、どういうこと? とても不思議なことに思えた。人生上超難問題に取り憑かれた気分が続いた。
そうかぁ、モミガラがダメじゃないんだ。モミガラを食べ残すようにするには、食べ残すようなやり方をこの自分がやっているからだ。食べ残さないという事実は、食べ残さないようにするからだ。

ひょっとしたら分からないまでも、本当に真なるものの見える立場からの観方があるのではないだろうか。
そういう現状肯定でなしにそうなる元まで掘り下げられる人というか観方に立つことだ、といった発見にも似た驚きが今も続いている。

例えば、対立とか警察とか戦争とか病気など本当の世界にはあり得ないものが現象に出てくるという事実は、そういう現象が発せられる元(底)が未だ究められないでいい加減だからではなかろうか。
本当の現象は、そうなる元(底)から正常・健康な姿ではなかろうか。
瓜と茄子は、仮の現象と本当の現象として分けられる本筋的に全く次元の異なる世界の現れなのだ。
現象に出てくる前の、そうなる元(底)をそのままにしておいて、いくら現象を調えても砂上の楼閣なのだ。

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わが一体の家族考(47)

「自個」即社会観への道のり

ずっと長い間、「人と人によって生れ」た自分が「人と人との繋がり」の世界へ相渉っていくことに異和感を覚えていた。怖かった。
そこを逃げないで立ち向かっていくには、何かとてつもなく大きな割り切りを迫られているようにも感じてきた。内と外はどうやったら親和的に結びつくのか、と。切実だった。

例えば今のようにスマホのような連絡方法がなかった学生時代、電話で在宅の有無を確認しないまま電車を乗り継ぎ友人の下宿先を訪ね、不在のためそのまま帰ったことが幾度もあった。電話が怖かったのだ? 笑い話のようだが、電話で自分の意志が相手に伝わるとはとても思えなかったのだ。〝ほとんどビョーキ〟な日々だった。

「人と人によって生れ」の自分で「人と人との繋がり」へと気楽に相渉(わた)ろうとすると手ひどく傷ついた思いに囚われていたから、「人と人との繋がり」の世界は見ず知らずの赤の他人同士のように冷たく感じられて、どうしても身構える心持にならざるを得なかったからだ。
そこで必至になって編み出した理屈は、「人と人によって生れ」た自分と「人と人との繋がり」での自分を分けてみることだった。
それは本来の自分と仮の自分という分け方だった。確かにそうしてみることで、それなりの安堵感を得ることができた。しかしそうした分け方は必然「人と人との繋がり」を避けがちな自分勝手な思いつきにすぎなかった。ちっとも楽しくはなかったからだ。それが大人になるということなんだろうか。

やりたいのは、先の〝母子系図〟の繋がりに見られた親と子の間を繋いでいるいわば親愛の情感そのまま親から離れて脱皮し、
蝉の脱皮

「個」体としての「自」分=「自個」=「人と人との繋がり」によって「自己を次代に継ぎ、永遠に生きる」ことだ!

ということは、「人と人によって生れ」の自分と「人と人との繋がり」での自分が対立的に矛盾するように感じられる分け方では、どこか無理があるというか尻すぼみに終わるにちがいない。
今の社会実態と本来と呼べる実態を混線・混同しないで分けて考えてみるには、今一つ決め手を探しあぐねていた。

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「と」に立つ実践哲叢(20)

自然界の歪みの良さ

最近の実顕地づくりのテーマに「先を見通し、実顕地の将来像を描く」がある。だとしたらその先が見えてくる描きの底辺となるものは何だろうかと思いをはせてみる。
ふだん研鑚会などで取り上げられるテーマは常に何か問題事が生じ、その問題をどう解決するかといったそこからの抜け道を見つけようとするような対応策にとどまる場合が多い。
当事者であるがゆえの自分らの置かれている立場からの利害・損得に走り、それはこうしたら良い、ああしたらといった狭い袋小路に入り込む意見のやりとりになっていく。
なかでも公意と私意、皆の考えと自分の考え、全体の意志と個人の意志との間で、提案する人と調正される人という相対関係や矛盾をどうしたら解消することができるかといった問題に日々迫られている感がする。
こうした当事者であるがゆえの先入観で変形された近視眼的な自分らであることを痛感し、そうした立場や問題から離れて物事を見ていく観方の難しさにぶつかる。

そしてふと気づく。相対関係や矛盾をどうしたら解消できるかといった考え方の中にこそ、間違いが潜んでいるのではないかと。あたかも金を儲けようという考え方からは、金の要る社会しか見えてこないように……。しかも問題は常に暗い否定的なイメージで問題化されがちだ。
まずは暗い人生観を転換せねばならない。このことは、すべてを放して考えてみるという次元の〈転換〉を意味している。「明日の幸福は、今日の歓びの中から生まれ出るもの」とする出発点に戻るべきだ。
かって詩人・谷川俊太郎は、第一詩集『二十億光年の孤独』でうたった。

「万有引力とは/ひき合う孤独の力である」
「宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う」
アインシュタイン

アインシュタインによれば、万有引力とは時空の歪みのことだそうだ。宇宙がひずんでいるからこそ、みんなが切実に心の手を差し延べ合う衝動にかられるのだろうか?
つられて次のような一節が浮かんでくる。

「私の性格は、実はそうではないのですが、事に当たると数理的に走り、自然界の歪みの良さを容れないために、殺風景で味がありません」(山岸会養鶏法)

そうか!「自然界の歪みの良さを容れる」って、当事者であるがゆえの様々な相対関係や矛盾を「歪みの良さ」へと転じるというか包み溶かし込んでしまうことなのだ?

心は宇宙自然の歪みから齎される! 歪んでいるからこそ、不調和状態の中で調和状態を保とうとする働きが生まれて世界を潤いで満たす。しかしその調和を満たした時、必然また矛盾が生まれ、次の調和を目指す。
そんな自然と人為の調和をはかるという生き方で、問題(=矛盾)がないのではなく、次々問題を問題と見做さない汲めども尽きぬ味わい潤いで溶かし込んでしまおう。
 

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わが一体の家族考(46)

〝母子系図〟の繋がり

こうした親子や生命の繋がりについて次のような山岸巳代蔵の発言が記録されている。

○餅の味、本当に言える人は一人もいない。「餅の味、どんなんや?」と言われても、「ああ、餅の味や」としか言えん。青い色でも何でも言えない。「団子のような味や」と言っても違う。
それで禅なども掴まえどころなく困るので、気持を表そうとして表せぬ。
○闇の夜に 鳴かぬ烏の声きけば 生まれぬ先の父ぞ恋しき(『山岸巳代蔵全集第五巻』)

夏目漱石の作品『門』が思い浮かぶ。親友であった安井を裏切って、その妻である御米(およね)と結婚した宗助(そうすけ)が、崖下の家でひっそり暮らす夫婦の物語だ。
しかし主人公・宗介は何時も何かに脅かされているような倫理観に悩まされている。そこで鎌倉の禅寺へ泊まり込んで座禅を試みる。そこで老師から公案が出る。
「父母未生以前の本来の面目如何」
母子系図

父と母すらまだ生まれていない自分って、どこにいるんだ、何なんだ?、ということだろうか。
彼は考えに考えた。しかし解答をもって老師の前に出るのだが、「もっと、ぎろりとしたところを持って来なければだめだ」と撥ね返される。「そのくらいのことは少し学問をしたものなら誰でも言える」と。

「特講」でも使われている禅問答式としてしか伝わらないものがあるらしい。
それにしても、闇の夜に黒い烏(カラス)が、鳴いてくれるならともかく鳴かない烏の声を聞いたらまだ生まれてくる前の父(母)が恋しく思われるとは……?
いったい「人は、人と人によって生れ」を繋いでいる繋がりの正体とは何だろうか。
そこでお互い生まれ出た時の無想意だったであろう凡夫の自分のことを自分でソッと思い直してみようというのだ。

「母が父と何月何日にこの私を産もうと約束したかどうか、私には判らない。私には父や母に約束したようにも、産んで下さいとも育てて下さいとも頼んだような覚えがない。契約なしに、しかも何の思慮もなく、あてもなく、のめり出たらしい、無論何才まで生きようとか、何をしようとか、何々をしなければならないとかの予定もなしに。
八卦見や神霊がかりの人には、人の一生の運命が判るそうだし、透視術を心得ている宿命論者には、曰く因縁が付けられるか判らないが、ボクの場合、物心ついてから両親に聞いたところによると、長兄、次兄と二つ違いで産まれているから、次は急いで欲しいとも願わなかったうちに、いつか知らない間に宿ってしまったらしく、宿ったなればしかたがない。上二人とも男だったから、せめて今度は女なればよいが、とあまり邪魔にもされず、また胎内でも静かだったので女だと思い込んでいたのに、産まれ出てみれば、また男の象徴をしているので意外だったそう。
親の考えもあてにならないもの、この世の人は思い違いをよくやるもので、また願うようにもならず、願わぬことが次々と実現する。
『親の言葉とナスビの花は千に一つのアダもない』とよく訓示をした親にしてこの通り、意外、案外の固りで、わけわからずに娑婆の風に晒されることになった。
親の意に逆らうつもりもなかったと思うが、これも親不孝の一つになるのかも知れないが、約束もせない、頼み頼まれもせない、何も知らない判らないのに、できてしまったもので、どうとも致し方がなかったことだろう。今更どちらも責任が果たせるものでもなかろう。産んだ方にも、育てる責任がある、義務があると責めても、育てただけ位で責任だ義務だとて、取り返しがつくわけでもなく、育てれば育てる程、成長するに従い益々固りが大きくなる一方で、もとの卵子と精子の結合以前に戻して貰わない限り、この事態解決とは言えまいし、絶対にできそうもないこと。
思い違いの多い親や誰かが間違いの多い人間に育てあげて責任を果たしたなどとは理屈が合わない。中には早々と子供と離れて他へ去ったり、他界へ急ぐ人もあり、自分だけの子供として盲愛を集中する人、自分の子を人の子もなし、子は誰の持ち物でも、オモチャでもない、次代を受け継ぐ大切な子として世界中の幸せのためには命かけて尽くす人もある。
育てる約束もしていないから責任も義務もない筈だろうが、頼まれもせないのに子は育てられている。受胎した時は仕方がなかったものが産んでからは仕方なしに育てるのと違い、また責任、義務で育てねばならぬ、育てるでもなく、忙しくとも、疲れても、自分の生命を削っても育てるのは、契約や義務などでやれるような上ついたものでないからこそ、強いやさしい母になれるので、約束だからとか、責任や義務や職務で仕方なしでは、負担を感じ本当の子には育つものではない」(正解ヤマギシズム全輯 第二輯 無契約結婚)

「頼まれもせないのに、子は育てられている」事実が有る!
しかも仕方なしとか育てねばならぬからでもなく、忙しくとも、労れても、自分の生命を削ってでも育てる「強いやさしい母」が事実居る!
生まれた子供が乳を口に入れられたら何かなしに吸っていくもの。生まれたものが何かなしに呼吸していくもの。そんな生きてる事実がある!
何はともあれこうした事実そのものに驚くべきなのだ。
もっと新鮮な驚きを。親と子の間を繋いでいるいわば親愛の情感に琴線をふるわすのだ。

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