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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

新年にあたって

新年にあたって
元旦
 
過日もうすぐ満一歳の誕生日を迎える孫娘が部屋に遊びにきた。活発に腹ばいで後ずさりしたり畳を這い回りしながら、好奇心いっぱいの目を輝かしている。そのうちに子猫の写真が刷り込んである買い物バックに気づいたのか、ジーッと見つめ、その後も気にかかるのか何度も振り向いたり、ちっちゃな指を伸ばそうとするしぐさもする。
この時、彼女の中でいったい何が起こりつつあるのだろう。きっと子猫の姿形に心がさざ波立ちはじめているのだ。この間滞在していたお母さんの実家の猫と〝おなじ〟だというのだろうか。お母さんの胎内での記憶がよみがえってくるからであろうか。
きっと相合う一致のイメージが重なり合う新鮮な驚きでいっぱいにちがいない。周りの親たちももう嬉しくて「ニャンニャン」と赤ちゃん言葉で呼びかけてやる。
この時期の大洋を湛える子どもの心は、〝もの〟と〝なまえ〟の一致像の広がりにつれて、ヒトが人になる豊かさ、広さ、徳性のようなものが備わっていくのだろうか。
しかしこうした親から子へと一方的に与えて与え尽くす親愛の情は、その後の他を責めたり、憎んだり、苦しむ頑固な観念我に囚われることで見失い断ち切れることがある。

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり、政治・経済機構も大改革されますが、その何れにも相互関連があり、この条件を必ず重大要素として組織し、総親和社会への精神革命を必要とする所以です」(『ヤマギシズム社会の実態』)

特講を受けるまで「人と人との繋がり」の世界とは、我利・我欲・自分本位の「人と人とが離れ、相反目している」むき出しの生存競争社会のことだとしっかり思い込んでいた。だからずっと人見知りして生きてきた。
でもよくよく研鑽すると「人と人との繋がり」の世界でこそ、最も相合うお互いの一致像を求め惹かれ合って似合いの〈夫婦〉となれる場でもあるのだ!
しかも遠く離れた人との結合ほど良縁で、優秀な子孫が産まれる事実は、幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟・親子の間柄にあるのだ!
見ず知らずの赤の他人から身内にと瞬時にヒックリ変わるこの不思議。「その関連を知るなれば」、つまり繋がりそのものの自己を生きることで、みんなで「わが一体の家族」を現してみようではないか。

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2015年の歳の瀬に

今日も実顕地の各職場に養護の子らが時間になるとやってきて、きまった作業を一定時間やって帰っていく。
彼らのあまり自分の考えを入れない「それならそれで」、とあたかも必然であるかのように受けとめる盲従的な姿になぜか触発される。そこには何が起きても困らない、いつまでも子どものような気楽さがただよい、つい引き込まれそうになる。
以前次のような感想をもったことがある。

「毎日一定時間一定方向に餌やりをやっていて、ふと鶏舎の金網こしに誰かがうずくまっている。どうしたのだろうと見ると、養護の子が鶏舎と鶏舎の間の草取りをしているのだ。この寒空にと心配になるが、本人はいっこうに平気なふうでむしろ根っ子ごとうまく草を引き抜いた時など手前に掲げたりして楽しんでいる様子にも見える。つられて古歌にある『この秋は雨か嵐かは知らねども今日のつとめに田草取るなり』といった心境がふとよみがえる。
そういえばヤマギシ養鶏法の飼育係としてふさわしい人として
・むつかしく考えない人
・人づきあいの嫌いな人
・鶏づきあいの好きな人
・自分の考えをあまり入れない人
・子供のような社会体験のない人
などがあげられていて、べつに鶏の世話係を希望しているわけでもないのに、なぜか直感的に愚鈍にみえて侮りがたい人間像として迫ってくるものがある」

「この村に住み始めた頃村のお爺ちゃんお婆ちゃんがいつも一心に草取りしていた姿が、なぜか今頃になって思い出されてくる。あれからもう三十年、あてずっぽうでもよいからその境地をおしはかってみたい欲求が日増しにつのってくる。
時々道で出会うと、『ご苦労さん』と挨拶された。当時はお役御免になった村の年寄りには草むしりぐらいしかすることがないのだろうと高をくくるような見方でいたから、なぜ挨拶されるのかその真意に気づくはずもなかった。
一役果たし村の各種係役を放しきった村の年寄りの目には、かつてあったかもしれない様々な観念意識も消えて、草取りなどしながら、その実自分が安定した社会をつくっているのだとたしかに実感する我が世界が果てしなく広がっていたのだ、と」(『贈り合いの経済―私のなかのヤマギシ会』所収)

かくして養護の子らや村の年寄りを見る見方が次々と反転して、じつは見守られていたのはこの自分の方だったのだ!、との気づきに驚愕するのだ。

ここに幸あり光り溢れる場あり。存在すること自体が価値であるといったものに日々自分らは出会っている。

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映画『FOUJITA』(小栗康平監督)を観る

七八年前の『おくりびと』以来久しぶりに映画館まで足を運んで小栗康平監督の映画『FOUJITA』(フジタ)を観た。
FOUJITA

この作品に、涙とか感動とか笑いとか、そういった日頃の息苦しさからのカタルシスを求めるならば、きっと幻滅を味あう。むしろ事の顛末の背景やつながりの「意味」を徹底的に抜くことで、却って画家・藤田嗣治(フジタ)が生きた1920年代のフランス・パリや40年代の日本での疎開の日々の映像美が浮き立つようにつくられている。

そうしたフジタが生きた二つの時代に絞り込んでくっきりと並置することで、小栗監督は「日本が受け入れた近代とは何だったのか」を問う。というか、デビュー作『泥の河』以来一貫して問いつづけ映像化をすすめてきた「近代日本の歪み」についての小栗さんなりの「答え」として、自分は受け取った。
そういう意味合いでの、「ああ、そういうことなのか」といったカタルシスが得られた。

例えばこういうことである。
1920年代のパリ、セーヌのほとりのカフェでの、フジタと日本の画学生との美術談義の場面。画学生のひとりが、何年か前にパリにいた詩人・彫刻家の高村光太郎の詩「雨にうたるるカテドラル」を朗読する。この詩は、留学中の高村光太郎がノートルダム大聖堂の前に佇んで、西洋文明の巨大さと自分自身の矮小さ・みじめさとの確執をうたったものだ。
白色人種と黄色人種、西欧と日本、先進国と後進国、憧憬と反発(劣等感)といったまさにそのあいだでうまく適応できずに苦しむ「近代社会の歪み」そのものを象徴するものだ。
しかしフジタは素知らぬ顔で聞き流し、むしろ離れたテーブルにいる二人のパリジェンヌをじっと見つめている。不審に思ったパリジェンヌの一人が近づくと、ポケットから彼女の顔を素描した紙を差し出して喜ばせる。
そしてあっけにとられた画学生たちに、如何にして西欧人女性の美しい生きた白い肌を表現するために、ルーブル美術館中をまわって手を動かし続けた自己陶冶の実践を語るのだ。
そして面相筆による日本画的な線描を生かした独自の技法による、独特の透きとおるような画風を確立して、エコール・ド・パリの寵児としてもてはやされる。
五人の裸婦

一方日本に帰った1940年代。戦意高揚のための絵画を集めた「国民総力決戦美術展」で自らが描いた「アッツ島玉砕」に人々は手を合わせ、画を拝んでいる姿にフジタは敬礼し、頭を下げる。
その画は、一転して茶褐色の暗い色調で西洋絵画の伝統的な歴史画の手法で描かれたものだという。
アッツ島玉砕

そうだったのか! フジタは「AとB」といった別々の立場での相互関係から生まれる「近代化の歪み」というものを、その時代の場所に即しつつ絵画表現を通して、この間の自分らの文脈に則していうなら『「と」に立つ実践』によって乗り越えかつ生き抜いたのだ!

私事になるが、もう25年ぐらい前パリで道に迷い突然ボンヌフ橋のたもとに出た時、セーヌ川越しにノートルダム大聖堂を遠望する光景が鮮明に飛び込んできたことがある。その中世の城のような稠密なつくりに圧倒された。そこに普遍性のようなものを感じ取ったのだろうか。勘違いしていたなあ。

その辺りを小栗さんも語る。
「しかし近代を無前提に受け入れろという呪縛は、欧州の行き詰まりと共に解けつつある」
「我々は言葉中心に生きているようで、実は事物と一緒に生きている。人と事物がある感情の中で出合う。それを発見したい」(日経新聞2015.10.31)

西欧近代の特徴でもある、人間寄りの「どこまでも突っ張ることで自分で自分を護り主張する」考え方も衰亡しつつある今、そうした観方・考え方もいったん放してみると、あらためて人は自然から産まれたもので、自然から離れて生きることはできず、自然に背いて栄えることもできない真実の姿が立ち上がってくる。山岸会の趣旨に「自然と人為の調和をはかり」とあるが、その「調和をはかり」の実践が切実に求められるゆえんである。

また今回この映画をぜひ観て欲しいとすすめてくれた、光の「深さ」を表現した照明担当の津嘉山さんに感謝したい。

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41「われ、ひとと共に」(下)

「山岸会の目ざす理想社会は、一人の不幸もあってはならぬ社会でありますから、その根本に自他一体観の、きびしい原理が自得出来ていなければならぬ筈で、この会旨を別なもっときびしい言葉で表しますと、
〝私はあなた、あなたは私〟
の体認に出発せねばならぬとするのであります。
人を見れば、自分と思える境地に立つことを条件とした言葉で、例えば人の子を見て、私の子同様に思えるかということです。自分の子の優秀や、栄進や進学、結婚を喜ぶに止って、他の人の子の、劣悪、失職、落第、墮落、破鏡を平気で見過し、時には内心さげすみ、あざ笑い、これに比較して我が子を誇るといった心が、微塵でもあったとしたら、如何に口で〝われ、ひとと共に〟と叫んでも、空念仏以外の何ものでもないことになります」(山岸巳代蔵)

さてここまできて改めて、さきのM・ブーバーの次の一節が思い浮かぶ。
「ひとは他者のもとに出てゆくことのできる出発点をもたねばならぬ」

そうなのだ。人は自分なりの実感にかなう自分の内部にとどまっているわけにはいかない。なぜなら、「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違な」(山岸巳代蔵)いからである。その出発点に於いてこそ対話がはじまる場所があるからなのだ。で、その出発点とは、自分なりの実感にかなう「心の琴線にふれるもの」に出遇うことであった。これぐらいだったら、今直ぐでも、資金も設備も資材も製品も、新しく造らなく共、今あるままで、踏み出せる場所なのだ。

しかしこの出発点に立つことが、この間見てきたように容易でないのであった。備忘録11でも引いた引用文、

「心を深く探るのは良いが、人間の考えであるとの自覚がない人が、心の奥に出会ったり、霊的な体験をすると、教祖か信者になってしまう。ヤマギシ・心の啓発系・他の新興宗教、だいたいそんな感じかなと思う。ヤマギシでは出会いや感動を〈研鑽〉と思っているみたいで、タチが悪い」(2009.10.01サイエンズ研究所 杉江優滋)

といったタチの悪いはなから感覚的・感情的なものを切り捨てる考え方が根深いからだ。
たしかに科学は、対象を限定することで誰がやっても間違いない方法を生みだしてきた。研鑚(=高度の科学的分析、総合徹底究明)というなら、自分なりの実感にかなう「心の琴線にふれるもの」をも切り捨てないで科学の対象に織り込んでみることで、どこまで誰がやっても間違いない方法を見いだせるか皆で試してみようというのだ。

この間の「―と―」という文脈にそっていえば、さきに「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能」だとするならば、「人」と「人と人との繋がり」の中間にある「人と人によって生れ」の場所こそ「と」の世界にあたるはずだ。だからか「と」に立つ生き方とは、いつでも親子の情感の源泉にふれられることを意味している。(備忘録38)

このことはなにを物語るのだろうか? こういうことである。
「人と人によって生れ」の場所こそ「と」の世界にあたるはずならば、「人と人によって生れ」の世界をそのまま同心円的に拡大していけば良いだけの話ではないか、と。ところが「人と人によって生れ」の観方の延長上には「人と人との繋がり」の世界はない。「人と人によって生れ」と「人と人との繋がり」とは、全く次元の異なる世界として存在しているからだ。

多くの「個と組織の対立・矛盾」は、そこを混同して個の善悪是非の倫理的内面律でもって組織上の問題を律しようとするところから自己欺瞞的に現象化する。互いの一挙手一投足まで監視しあう閉塞感に包まれていく。そこに理想実現を標榜する革命運動が悉く挫折してきた原因を見る。

だとしたらなおのこと感覚的・感情的なものに価値を見出していくなんてもってのほかである!? たとえばさきの備忘録11での引用文のように、

『自分の中でぐっと来るものに焦点をあてて、その奥のものを探る手法は宗教的。感覚的なものや実感を事実だとする進め方はまさに宗教。
現実感を事実にする根拠は、「係りが “事実ではないか” と言ったから・・・」では外のものに振り回されているだけ。
それでは宗教そのものからの感人種が出来るだけかな。
〈研鑽学校3〉の中に研鑽の実在が見当たらない。〈研鑽学校〉に研鑽が無い、そんな思いを強くした。研鑽が無い〈研鑽学校〉に参加希望が多いのは?
係りも参加者も、やっぱり本質・本来を知らない、理解の浅さなるが故なのかな!』

と鬼の首を取ったように早とちりしてちゃちゃを入れたくなるところではある。
そこで自分らが編みだした処方箋は、簡単にいえばむしろ「人と人との繋がり」の観方から「人と人によって生れ」の自分を温かく包んでやるという「実践」概念だった。繋がりを知る精神=繋がりそのものの自己から出発する生き方、「ひとと共に」の実態というものがこの間の避けて通ることのできない体験を通して得心されてきたからだ。
ここに「人と人によって生れ」と「人と人との繋がり」との関わりを従来の規則や規範や個人の倫理に求めるのではなく、「相反目する」関係を一体に結びつけた「ひとと共に」の形態に改組するという「実践」によって解消されていく道筋が見られるからである。

何度もくり返すが、「人と人によって生れ」から「人と人との繋がり」の世界へそのまま手ぶらで相わたることはかつての連合赤軍事件に象徴される悲劇や挫折しか生まない。そして同時に、自分らは自分なりの実感にかなう「心の琴線にふれるもの」は「人と人によって生れ」を源泉としている事実をも知らされるのだ! 「人と人によって生れ」と「人と人との繋がり」の世界は全く異質であり、そして繋がっている? しかも「人と人との繋がり」は「人と人によって生れ」の世界を織り込んでゆかないと親愛の情に充ちた理想社会には到達できない。

この相矛盾する二つの関係はいったいなんなのか? ここで今なお多くの人が躓き、もがき苦しんでいる。備忘録37では、次のようにも記した。
『こうした二つの世界をいったん明確に分けて、次に一つのものに創り上げていくという「研鑚力」を私たちのものにする実践とは……』

自分はこの筆法を、『山岸会養鶏法』の中の次の一節から示唆された。
「戦後、生活が年と共にきびしくなり、芋と水の生活さえも続かず、一九四九年心ならずも自活農業を始めてみましたところ、これは結構な職業で、反復作業が多く、体さえ動かしておれば、頭はかえって思考が纏まり、好都合なことを発見しました。なお経営を良くするために鶏の必要なことも解りました。
そこで過去専業時代の養鶏法を、農業に織り込んで、相互関係を一体に結びつけた形態に改組したものを、農業養鶏と名付けたのです」

またその書の結び近くにある一文
「〝私はあなた、あなたは私〟
の体認に出発せねばならぬとするのであります」

ここではもはや「私とあなた」ではなくなっている。どういうこと? よくわからないがとにも角にも「と」に立つ、へと跳ぶのだ!
〝私はあなた、あなたは私〟の体認は、いわゆる「新境地の味わい」という次元にとどまらない。体認とは「と」に立つ実践をいうからだ。それは研鑚を通して未知のことを知っていく楽しさに顕れる。「実顕地」なるものが生まれる必然がここに見られるだろう。

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40「われ、ひとと共に」(中)

「人でも、何物でも、無いと決めれば、いつでも、いつまでも無くて悲しまない、気にしない。死に切った道夫がいつか番田を訪れる日があるなれば、それは安子が死に切った後のことで、道夫がいついつまでも出ていて、アテにしない安子に成った時でしょう。妻子、眷族、故郷に、自分に、とらわれそうになる自分の殻から脱け出し、物心の貧乏から抜け出し合いましょう。愛児のために、自分のために。自分を幸せにするのは自分以外にない。しかも本当に自分が幸せになるには、全人の幸せを願う私から出たものでなかったら幸せにはなれない。(略)
頭でわかって口で言っている間はなんにもわかっていなかった。家を飛び出し、ゆくえ定めぬ旅路の宿で、もやが晴れつつある今の私。
地虫が地殻を破って地上にはい出し、せみは飛び立つ。〝死は生〟だ。実行! 実行! まず実行」(山岸巳代蔵)

さきのM・ブーバーの『我と汝』が発表されてから十年後の1932年、日本の哲学者西田幾多郎(1870~1945)は「私と汝」というじつに興味深い論文を発表している。自分の中では、M・ブーバーの『我と汝』と地続きのテーマとして読めた。というか、〈われ―なんじ〉が立ち現れてくる誰にとっても決定的な「出遇い」への道筋をいま一歩踏み込んで明らかにしていく、実践的行為をうながす論文として読んだ。例えば、次のような一節である。

「私と汝とは絶対に他なるものである。私と汝とを包摂する何らの一般者もない。しかし私は汝を認めることによって私であり、汝は私を認めることによって汝である、私の底に汝があり、汝の底に私がある、私は私の底を通じて汝へ、汝は汝の底を通じて私へ結合するのである、絶対に他なるが故に内的に結合するのである」(『西田幾多郎哲学論集Ⅰ』岩波文庫)

ずっと理念とか真目的とか理想とかいわれるものを身近な自分のこととして生きる生き方を切実に欲求してきた。しかしこの間借りもの受けもの知識を振りまわしては自他を縛り合う悲喜劇にも巻き込まれてきた。だからなおのこと外に求める理念や知識や体験の蓄積や高い能力や激しい荒修行等に依らないでも、こんな不器用な自分でも温もりに包まれた場所に居続けながらなせる、そんな良いこと尽くめの生き方を探し求めてきた。

つまりM・ブーバーのいう〈われ―それ〉といった外在的・対象化して見る認識行為よりも、自分なりのリアルな実感そのものとして内在的に理念観念を掴みたかった。しかしそんなものは主観的な思い込みにしかすぎない。これだっ!と深く感じる実感ぐらい、アテにならずその時代環境からそう感じさせられているにすぎないもの、といった考えも根強くある。そうかもしれない。迷妄かもしれない。

しかし事態は展望を見いだせず盲目状態に陥っていた。そこでの日々は自分にとってもせっぱ詰まる心持ちだった。そんな中で、なぜか「心の琴線にふれる」温かい実感像が幾度となく甦ってくるのだ。そんな癒やされるような温もりに包まれた場所でしばし自足している自分自身がいた。

フトこんなところで自足する自分とはどんな自分なんだろうと思い返してみた。現実から逃避しているだけだろうか? それにしてはこの心地よさはなんだろうか? 「心の琴線にふれる」この「触感」とはなんなのかと、そうした実感に思いを馳せてはくり返し浸りきった。そうするとそこの部分がしだいに底光りしてきて、いつしかそこに「じぶん」の姿が映し出されてきたのだ! 思いもよらない成り行きだった。

生きた存在はなによりもまず自分自身に配慮するといった「自己への配慮」(セネカ)からはじまるという。ひょつとしたら「心の琴線にふれるもの」の大海へ飛び込んでいくことで、自分なりの実感にかなうその先にあるものにたどりつけるかもしれない。いや、誰の心にもある真実にまで……、と次々と膨らんでくる予感に心が躍った。

ふりかえると こうした自分が自分(繋がりそのものの自己)に出遇う実践を通して、さきの西田幾多郎の「私の底に汝があり、汝の底に私がある、私は私の底を通じて汝へ、汝は汝の底を通じて私へ結合するのである」といった文言がリアルに響いてくるのだ。かの文豪夏目漱石の講演「私の個人主義」にあった、「自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたような」といった本質にふれた歓びにも通底するはずだ。

このような「底を通じて」(「私と汝」)、つまり底板を踏み抜く実践から立ち現れる世界があったのだ!
こう見てくると、山岸巳代蔵の「〝死は生〟だ。実行! 実行! まず実行」との叫びのような心底は、「私と汝」の「と」そのものに西田幾多郎が見た「絶対無の場所」とも深く通底しているようにみえてきて興味は尽きない。

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39「われ、ひとと共に」 (上)

「真に分かり合うには、夜を徹して語り合うことである。万象眠る。ただ二人のみ、その中に覚めて語る。真に分からぬということはない」(山岸巳代蔵)

学生時代イスラエルのキブツに関心があったから、多分その流れでユダヤ宗教哲学者マルティン・ブーバー(1878~1965)『孤独と愛―我と汝の問題』の書を手にしたことがある。その時はなにをいっているのかチンプンカンプン。でもなぜか心ひかれるものが残った。

後年ヤマギシズム実顕地に住み、様々な経験というより出遇いをとおしてM・ブーバーの世界が自分の心に入ってきたことがある。とりわけこの間の、「―と―」での「と」に立って見るテーマを考察するなかで容易に理解することができてきて自分でも驚いている。手元にある『我と汝・対話』(岩波文庫)から、はじめの数節を書き記してみよう。

「世界は人間のとる二つの態度によって二つとなる。
人間の態度は人間が語る根源語の二重性にもとづいて、二つとなる。根源語とは、単独語ではなく、対応語である。
根源語の一つは、〈われ―なんじ〉の対応語である。
他の根源語は、〈われ―それ〉の対応語である。この場合〈それ〉のかわりに〈彼〉と〈彼女〉のいずれかに置きかえても、根源語には変化はない。
したがって人間の〈われ〉も二つとなる。なぜならば、根源語〈われ―なんじ〉の〈われ〉は、根源語〈われ―それ〉の〈われ〉とは異なったものだからである。
                    *
根源語は、それをはなれて外にある何かを言い表わすのではなく、根源語が語られることによって、存在の存立がひき起こされる。
根源語は、存在者によって語られる。〈なんじ〉が語られるとき、〈われ―なんじ〉の〈われ〉がともに語られる。
〈それ〉が語られるとき、対応語〈われ―それ〉の〈われ〉がともに語られる。
根源語〈われ―なんじ〉は、全存在をもってのみ語ることができる。
根源語〈われ―それ〉は、けっして全存在をもって語ることができない。
                     *
〈なんじ〉を語るひとは、対象といったようなものをもたない。なぜならば、〈なにかあるもの〉が存在するところには、かならず他の〈なにかあるもの〉が存在するからである。それぞれの〈それ〉は、他の〈それ〉と境を接する。〈それ〉は、他の〈それ〉と境を接することによってのみ存在する。しかるに、〈なんじ〉が語られるところでは、〈なにかあるもの〉は存在しない。〈なんじ〉は限界をもたない。
〈なんじ〉を語るひとは、〈なにかあるもの〉をもたない、否、全然なにものをも、もたない。そうではなくて〈なんじ〉を語るひとは、関係の中に生きるのである」

そうなのだ! 何でも二つあるのだ!
ずっと、鶏や豚の飼料配合の仕事に携わってきた。なかでもガラス繊維質の固まりのようなモミガラ等粗飼料を美味しく大量に食べさして体質改造をはかることで、その個々のもてる能力一杯に営めるような境地を得せしめることこそ飼育者冥利に尽きるというもの。ところがそこで直面したのが、モミガラは「食べ残す」「食べない」という事実と「よく食べる」「食べ残さない」という二つの事実だった。そんな二つの事実に出逢って、「こんなものは食べない」「この鶏は駄目なトリ」「こういう飼い方はイケない」等早のみこみで軽率に判断してしまう自分を嫌という程思い知らされた。

またそうした日々の中で、「暗く見る人と、事実その中で生きていく強い自分を見出している人と、二つの逆の考え方がある」ことをも知らされてきた。自分も気づかずにそうしている事実の中の自分に出遇えた歓びは格別だった! 「見られる」ものがある。

またある日の研鑽会で、「食べたいから食べるのと、食べなくともよいが食べるのと、何でも二つある」がテーマになった。エッ、食べたいから食べるのじゃないの!? 他になにかあるの? 食べなくともよい「もの」? 驚愕した!
そうか、それで一つしか知らない人はしんどい思いをくり返すのだなぁと、目から鱗が落ちる出遇いだった。

そこからまた、自分らは二つの心(こころと心) という概念をあみ出しては自らの生き方の指針としてきた。
それは、自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)=二つの心(こころと心) として現れる、と。

ここまできたら、M・ブーバーの世界は指呼の間にある。
「愛は〈われとなんじ〉の〈間〉にある」
「すべての人間は、この二重の〈われ〉のなかに生きている」
「ひとは他者のもとに出てゆくことのできる出発点をもたねばならぬ」

そこに於いてこそ対話がはじまる場所がある。
〈われ―なんじ〉が立ち現れてくる誰にとっても決定的な「出遇い」があるはずだ。その「〈間の領域〉の中にかくれている王国」(M・ブーバー)である秘められた「出遇い」のヴェールこそ上げなければならない。

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38私の原風景と「軒遊び」

「真理の前には、人間の知恵のきめつけ程無力のものはなさそうだ。知恵でも知識でも本当はわからない。本当の本当は分からない私になる。軽さ気楽さ子供の世界。子供子供して遊ボーヨ」
「レンゲ、スミレ、タンポポ咲き乱れる野原で、お花摘みして遊ぼうや」(山岸巳代蔵)

八年前から始めた研鑽会で、毎回「私の原風景」を出し合う機会を設けている。「原風景って、何や?」から始まり、だんだんと童心に還るような笑いあり涙ありの各自の体験発表がくり広げられる。きっかけはたまたまそんな話になっただけなのだが、繰り返すうちに自らの原風景をいまに甦らすことができることの大切さに気づかされてきた。何はともあれいまを幸せに生きるカギがそこに秘められてあるように感じられるからだ。

そこでいつも浮かび上がるのは、原風景とはいったい何歳ぐらいの記憶やあざやかな情景のことなんだろうか、といった問いだ。うまく確定できないもどかしさが残っていた。

研鑽会中に皆で観賞する映画「ワンダフルライフ」の監督・是枝裕和さんは、映画でのモチーフをさらに深めた『小説ワンダフルライフ』で読む者の共感を誘うような記憶の一例をうまく掴みだしている。

「三歳ぐらいだと思うんだけど、夏で、お庭にヒマワリの花と、白い洗濯物が揺れてて、それでお母さんの膝まくらで耳掃除をしてもらってて。『じゃ反対』って言われて身体の向きを変えて、おなかのほうに顔を向けた時のお母さんの匂いとか、自分のほっぺがお母さんの腿のところに当たっている感じとか覚えてて。柔らかくって、あったかくって、幸せだなぁってその時思ったわけじゃないんだけど、なんだかすごく懐かしい感じがしたから」

多分このへんなんだろうなぁとイメージをダブらせて毎回皆の話を聴かせてもらいながら、ふと柳田国男の「軒遊び」の世界が浮かんできた。なぜあえて内でもないし外でもないとするたかが子供の遊びの時期にこれほど言及するのか? そうした柳田国男の心が今頃になって何となく自分のなかに映し出されてきたのだ。

「軒遊びという語は私の新たに設けた名称であるが、聞けば誰にもこの心持ちは呑み込めることと思う。一言でいえば、次の外遊びと対立し、また親の傍での生活と外の生活との、ちょうど中間にあるものともみられる。小児が次第に保育者の注意から外へ出て行く一つの順序として、おりおりは何をしているかを知らずにいる場合、すなわちそこいらにいるはずだというような際には、多くはこの遊びに携わっているので、家に手があり愛情が豊富なれば、たいていは誰かがそれとなく見ている。そうしてどんな綿密な家庭でも、これだけには行って参りますや、ただ今帰りましたを告げよとは教えない。眼に見えぬ長い紐のようなものが、まだ小児の腰のあたりには付いているのである。男の児と女の児との遊びが分岐するのもこの時期であって、女の児はやや大きくなっても遠くへ出て行くことが少ないから、後には軒遊びがただ女の児のもののようになってくるのだが、これは古くからの両性の育成法の差異から起こっている。男の児には環境によってこの期間の非常に短かいものもあるけれど、長かれ短かかれ、兄が多かろうと一人子であろうと、一ぺんはこの過程を通らぬものはないのである。農家の建築に改良が起こって、明り障子が立ち、縁側というものが広く長く、表口に付くようになってから、この軒遊びは著しく発達しまた複雑になった」(『改訂分類児童語彙』)

ここに家の中でおもちゃなどで遊ぶ内遊びでもないし鬼ごっこなどの外遊びでもない、小学校に入る手前までの「眼に見えぬ長い紐のようなものが、まだ小児の腰のあたりには付いている」ような親の目がそれとなく見守っている軒端で遊ぶ時期の世界がはっきりと掴みだされている。

これってこの間考察してきた「内と外」での「と」の世界のことではないのか!? そんな具合に重なってきたのだ。今迄見過ごされてきた「と」の世界に着目し、「と」に立つ生き方、「と」からの出発に人間社会の未来を託していきたいとする自分らの実践に力強い励ましをまた一つ得た思いがした。

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能」(山岸巳代蔵)だとするならば、「人」と「人と人との繋がり」の中間にある「人と人によって生れ」の場所こそ「と」の世界にあたるはずだ。つまり「と」に立つ生き方とは、いつでも親子の情感の源泉に触れられることを意味する。

「恐るべき転落の道をたどるのも、この源泉をくみとる事を忘れた一点にかかっているのであります」(『山岸会養鶏法』)

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37 安藤昌益の実践(下)

「人間はややもすると、無形・無感のものでも文字や言葉や形にして掴まえないと不安定のように錯覚しやすいものだが、それは出来ない相談で、文字や言葉や形を示し、これこれのようなものだ、と連想資料として云うと、形のあるものかのように、また文字や言葉で云い表せるものかのように思い過ごして、かえって無形・無感であるものをそのまま素直に受けとれない。形象知覚外のものは知覚できない、知覚外のものだと知覚した方がわかりやすいと思うのだが、形のないものを形のあるものかのように思い込んで、形を追い求めても、徒労に帰し、結局掴めないことになる。
そこに間違いの原因があり、いつまでたっても、物にならないのである」(山岸巳代蔵)

ここで自分らのいう実践概念について一言触れておきたい。つまり実行とは実際にからだを動かすというよりも、それだけではややもすると目先の「意味的な」ものに拘泥して手段と目的との取り違えてしまいがちなのだが、この世界はそうした勘違いの「やる」ことで満ち溢れているが、そうではなくて、目的と手段が一つに繋がるような概念をここでは指している。そのためには真目的を「知る」ことと「やる」ことが結びついていなければならない。「心的な」理念に裏打ちされた回路が見出されるべきなのだ。ここがミソなのだ! つまり「知る」機会が日常的に設営されていなければならない。私たちのいう「研鑚」がそれである。研鑚の「場」があることで、真目的実現へと「やる」ことが調正されていく。どんな「場」に創り上げるか。そこに自分らの言葉でいうところの「公意行」の実践の「場」が立ちあらわれてくるゆえんだ。

かくして安藤昌益は、当時の国内外の学、思想、宗教のほとんどを否定の対象とする。曰く――
「文字で書かれた書物のことごとくは、天真の妙道を盗むための私作だ」
「わが身を離れた遠くに思案工夫を求めるべきものではないのだ」
「すべて古聖人・釈迦・老荘・聖徳太子などの万巻の書にある言葉は、明徳・明心・明知ばかりを語って互性の備わりを知らない。だからみな横気(邪汚の気)の誤りであり、人が罪に落ちる根源である」
「鳥の世には、金銀の通用がないので、欲も迷いも盗みも乱兵も、たえてないのである」
「人間に病気があることはなかった。活真には病気というものがないからである」等々。(「自然真営道」野口武彦現代語訳 )

こうした一見荒唐無稽のような言説がえんえんと続く。ここまで徹底されると小気味よいくらいだ。その通り、その通りと借りものの受け売りの知識をふりまわしたくなるわが身を振りかえざるを得なくなってくる。

そして自分らの「金の要らない仲良い楽しい」実顕地づくりでの、医者の要る間は要る、金の要る間は要る、しかし要らんようになったら要らん。病気なければ病気治す医者は要らんように、真に科学究明して「要るものは要る、要らないものは要らない」世界の顕現へとおのずとみちびかれていく。

「軒端のスズメや、菜の花に舞う胡蝶でさえも、金を持たないで、何らの境界も設けないで、自由に楽しく舞い、かつ囀っている。権利も主張しないし、義務も感じていないようだ。
能力の秀れた知能を持っている人間が、なぜ囲いを厳重にし、権利・義務に縛られねばならないだろうか」(山岸巳代蔵)

安藤昌益のそこまでいえるモトは何だろうか? それは「直耕」概念だ。あるのは直耕のみ。ただ「直耕」それ自体を生きるべきだ、と。この「直耕」という概念は、「春には植え、夏には草を刈り、秋には収穫し、冬には蔵し、他人からむさぼらずに」みずから生産するといった生き方を意味するにとどまらず、宇宙自然の営み自体が万物(穀物)を生みだす直耕と、穀物の精である男女(ひと)の直耕が人間の身体や心を作るのだから、「天と人とが同じ一つの直耕をし、一つに和合」するところに「真人」のあるべき至上の道を見定める思想にまで煎じつめられている。

こうした「直耕」概念は、一つから発し一つになり合っていく実顕地づくりを実践する自分らの、「と」の世界の考察と重なってくるのが興味深い。

かつて山岸巳代蔵が稲でもないし鶏でもない稲も鶏も否定した「稲と鶏」の「と」から出発して、「農業養鶏」を生みだし、それがきっかけで「一体養鶏」が誕生し現在のヤマギシズム生活実顕地に至る経緯がある。あるのは「と」のみ。「真の人間は、全行為真言真行」なのだから。 というのも「真理」に即応するとは、どちらの立場も通さない「と」の位置に立つことを意味するからだ。

安藤昌益は繰り返す。「一切の書説、皆偏惑なり」「悉く偏惑なり」「偏偏・惑惑なり」「偏惑の甚だしきなり」と畳みかける。
歴代の聖人君子らの思想は皆バカで間違っている。なぜなら一つなる「直耕」に照らすと、みな惑わされて「偏り」「囚われ」「キメつけ」の観念づけが見られその分本当(「直」)からそれているからだという。明暗・善悪の本質を知り尽くさないで、明や善ばかりを偏って唱えつづけて「直耕の衆人」を惑わしている。つまり内と外の「互性」という観点、自分らのいう「活かし合い」の実態を見落としているからだという。

そこまで言い切っている!

この辺りさきの山岸巳代蔵の弁を借りれば、「形のないものを形のあるものかのように思い込」むところに、「間違いの原因があ」るという個所だろうか。この間の自分らの文脈でいえば、「稲と鶏」の「と」の世界にあるものを、「稲」だ「鶏」だと追い求めているから、いつまでたっても、物にならないのである、と。だとしたら「と」の世界の正体は何なのか?

ともあれ安藤昌益は熱心な弟子たちに囲まれながら、無形・無感の「無停頓の律動」(山岸巳代蔵)から湧きだしてくる汲めども尽きぬ源泉に触れようと、「直耕」・「互性」・「自然の世」・「法の世」・「転地」・「活真」・「無始無終」・「真人」・「進退」等々の独自の概念を造語しつつ踏み込んでいった、いまの自分らに繋がる研究家・実行家であった。
とりわけ、きっぱりと当時の徳川封建社会の「私法盗乱」的影響を受けた発想の一切の削除から出発する究明態度こそは、そのままいまに生きる自分らの「と」に立つ思想展開の要といえるであろう。真価をそこに見る。

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36 安藤昌益の実践(中)

「私に一回くらい私心(自殺)を許されてもよさそうなものだと思うことが、時々頭をかすめる。私心の生活なんか、どん底から、まあ贅沢の極致まで味わってきて、これ以上何を求めようというものはない。ただこの面倒くさいシャバから早く解放されて、安らかな極楽熟睡に入り込んでしまいたいのは、私心としてたった一つの残された願いだが、自分で勝手に全人の枠から追い落すことも出来ないし、やはり今日まで天・地・人・宇宙から注がれた愛護を受けた物心に対しての、何かなすなく逃避でき難いもの。せめて数々の失敗の記録を留め、それらに対して浅いながらも反省・考慮を書き留めてでもおくことは、僕の宇宙・全人に対してのせめてもの所業の一端とも言えようか。それさえもなさないで、自分勝手に私心のおもむくままに消滅することは、人間の姿態を許されたものとして、成し得て恥じないものだろうか」(山岸巳代蔵)

安藤昌益の存在は文豪・夏目漱石とも深い親交があった教育者・狩野亨吉が明治32年に稿本『自然真営道』を入手することで発見された。しかし当時の検閲制度を懸念する中で狩野亨吉による「安藤昌益」と題する一文が発表されたのは30年もたった後だった。

そこで安藤昌益の「自然」観を、狩野亨吉は次のように読み込んでいる。
「かうして何も彼も棄て去った安藤に、ただ一つ、どうしても棄てられないものが残った。曰く自然。
自然は最後の事実である。それは一切の思慮分別を離れてそのままに存在する。その一切を許容し包容し成立せしめて、さらに是非曲直美醜善悪を問わない所に測り知れぬ偉大さがある。かうした自然そのままを直観しようとした態度は実によく科学者に近かった。……
すなわち彼は自然を処理するコツを悟ったのである。一切の迷妄煩悩はそこで一瞬に消え失せる」(『狩野亨吉の生涯』より)

しかもここまで安藤昌益に深入りした狩野亨吉はみずから生き方を変えて、京大文科大学長を辞し野に下ってしまった。

そういえば以前ある研鑽会で、当たり前にすぐしてしまう自分らの当たり前観を見直す話題から
「もって生まれた感応能力を磨く」
「知識や体験からは本質は見えない」
「豚や鶏の中に、素晴らしい事実があるのに見ようともしない。眼が外に向いている」
「事実そのものからもっと新鮮な驚きを。ただ感心するだけでなしに……」などといった発言がつづき、ピンと張り詰めた空気の中でのそんな一言一言が心にしみたことが思い起こされる。

また戦後になって岩波新書で出版されたカナダ政府の外交官・E・H・ノーマンによる『忘れられた思想家―安藤昌益のこと―』も安藤昌益の「自然」観を的確に捉えている。例えば

「昌益の書いたものには、人間は自然に対して永遠無限の負い目があることを悟らねばならないという熱烈な関心がいたるところに現れている」といった個所だ。

この辺り次のような個所にあたるだろうか。
「天地が穀物や万物を生ずる。人がこれを取って食べるのは、天が人に与えるのか、それとも、人がこれを天からもらうのか。もし天が一方的にこれを人に与えるとすると、天は人に、(無償で)恩恵を受ける罪を負わせることになる。もし天が与えないのに、人がこれを勝手に天からもらうとすると、人は天のものを盗むことになる。(略)わたしはこの難問をとき明かすことができない。良中師はご存じかどうか」
わたしは答える。「天が万物を生じるのは、これを人に与えるのではない、また生じて捨てさるのでもない、ただ直耕して生じつづけるだけだ。人がこれを取って食に供するのは、これをもらうのではない、これを盗むのではない、ただ直耕し、自分で食べて着るだけである。だから、天と人とが同じように直耕することにより、和して一体となるのであり、そのことは、とりもなおさず、活真の始めなく終りのない自発・自生の運行にほかならない」(安藤昌益『自然真営道』安永寿延 現代語訳)

山岸巳代蔵もまた、
「私が今日まで受けた過去、現在の人達、及び大自然に応える日の遅れることに重荷を感じ、無為に生命の燃焼し終る時に近づきつつあることを惜しむ。(略)
私を生み、育み、注ぎ込まれたものが活かされるのは、これからだと思う。
もし世に何ほどか役立つなれば、私を活かし、使われた方がいいと思う」

などと、「天・地・人・宇宙から注がれた愛護」にとうてい釣り合わない自分じしんをどこまでも羞じた一人だった。それゆえ「せめて」に込めたいもの托したいものがあった。

安藤昌益のいう「天と人とが同じように直耕することにより」とはどんなことなんだろうか?

ヤマギシ会の趣旨、「自然と人為、即ち天・地・人の調和をはかる」、即ち一つから発し、一つになり合っていく「即応」概念やそうした世界に住める資格を身につけるという実践から照らし合わせると、「和して一体となる」という「直」の実践概念が一段とふくらんでくるようなのだ。

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35 安藤昌益の実践(上)

「現在の国境は夜の囲いであり、あまりにも厳めしく、やがては唯の地域名程度の昼の画線になり、今の経済機構も、政治及び社会組織も、人の心も皆、明るい昼の姿に変ります。政庁・官職にあるもの、手掛けている学問・芸術・職業も、法律・財産もそのままで、益々伸展合適する自由があり、自動的に少しも波乱なしに、理想社会に生長します」(山岸巳代蔵)

一昨年『農業が創る未来―ヤマギシズム農法から』(村岡到編 ロゴス)の書に「『自然と人為の調和』とは何か」と題した一文を寄せたことがある。その中で次のような一節などを書き記して結文とした。

「このようにヤマギシ会の農業――「自然と人為との調和」とは、貨幣経済の中の業態としての農業とは全く次元を異にする。
始まりは人間生存の源泉、衣食を、人為を尽くして自然にもとめるところにあった。そこに本来の農業を見ることができる。農業の前にある農の世界。そんな位置にある農の世界に立ち帰るところから出発している。そこに立って始めて観えてくる農の豊かさの世界がたしかにあるようなのだ」

ここでの「本来の農業」とか「農業の前にある農の世界」と表現されるものについてのイメージを、もっともっと鮮明にふくらませていきたいのだ。自分のものにしていきたいのだ。あの時点での「そこに立って始めて観えてくる農の豊かさの世界がたしかにあるようなのだ」ではなく、確かに「有る」といえるところまでいくのだ。

先の「『自然と人為の調和』とは何か」と題した一文を記した時点では、『「自然」概念の形成史』(寺尾五郎著)を通じて知らされた江戸中期の思想家・安藤昌益の「直耕」概念での「直」に興味をもったが、如何せんその先がふくらまなかった。
しかしこの間、「と」に立つという「実践」概念をあたためているとナント安藤昌益の「直耕」概念がぼんやりとだが浮かんできたのだ! 

寺尾五郎氏によれば、日本において対象的世界を「自然」と呼んだのは、安藤昌益が初めてであるという。それまでの「自然」の語は、すべて「自(おのずか)ラ然(しか)リ」の意であり、自然界のことではなかった。省益は「自然」の語を、「自(ひと)リ然(す)ル」と訓ませ、人も含んだ全自然は永遠の自己運動の過程にあるという哲学思想を独創的に編みだしたのだという。それゆえ「直耕」とは、自然も「ヒトリスル」し、もちろん認識者である私(人)も「ヒトリスル」のであるという謂わば「自然全人一体」理念に繋がる内実をともなっているのだ。何をもって「ヒトリスル」のか? このように問うてみるだけでも、「直」のイメージがふくらんでくるようなのだ!

こうした自然哲学を基盤に著されたのが主著『自然真営道』である。その中の第二五「良演哲論」巻に「私法盗乱の世に在りながら自然活真の世に契(かな)う論」という一章が設けられている。社会思想家としても面目約如たるところだ。しかもこれがまさに私たちが今直面している「資本制社会の中に理想的な社会を創る」課題とピッタシ重なるのだ!

だとするならば、安藤昌益のいう「契(かな)う」と先の山岸巳代蔵のいう「益々伸展合適する自由」の本意は何なのだろうか?
こうした「契(かな)う」も「伸展合適する自由」も同じく「直」に通じていく実践概念にちがいない。今少し「忘れられた」思想家・安藤昌益の世界に踏み込んでみよう。

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34 曖昧にしてきた「と」のテーマ

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり、……」(山岸巳代蔵)

たびたび述べてきたように、この一節を自己としてどのように読み解くか? それが何やる場合にも大きな分かれ目になるところだ。

二十歳前後だったろうか、当時愛読していた作家・島尾敏雄が学生時代にものした初期作品などに自分の似姿を見つけては嬉しがっていた記憶が今も甦ってくる。例えば次のようなくだりだ。

夕飯前の黄昏の原っぱで日頃思慕を寄せている少女が縄飛びに興じている。ふと少女は櫛を落とす。それを告げた少年は櫛を遊びが終るまで持っている光栄に預るのだけれど、よごれた手で綺麗な少女の櫛を持ちつづけるのは彼女を冒涜しているみたいで自分が卑屈にみえてしようがない。そこで戻ってくるまで遊びが続いていることを願いながら、一目散に手洗い場へ駆けこむ。が、少年が見たのは少女等が帰り仕度にかかっている光景ではないか。

「何してたの、貫ちゃん、嫌よ人の物を持つて何拠かへ行つちや」
 貫太郎は黙つていた。万年房枝の前では何も言へやしない。
「御免なさいね、万年さん」
自分でも情ないような声を出した。
夕飯もまづかつた。もう万年房枝には可愛がつてもらへる事はなかろう。(「原つぱ」)

こうした少年の意識に棲みついた関係の齟齬(そご)・曲解・思い違い・食い違いからくる「夕飯もまづかつた」心的な体験について、ずっと考えつづけてきた。自分の人生を貫く最大のモチーフであるかのように、ほんとうの他者との関わり合いを探し求めてきた。そして後年、ようやく納得できる理解に達した。それは、「人と人によって生れ」の延長線上に「人と人との繋がり」の世界はないのだ、と。そこを無自覚にただたんに同心円のように拡大していくところに、関係の齟齬から生じる葛藤・矛盾に思い悩みひいては自己欺瞞に晒されるのだ、と。

まさに「人と人によって生れ」と「人と人との繋がり」での、「と」のテーマに当面していたのだ!

そこで今まで採られてきた対応策は、長いものには巻かれろ式に一般社会通念を基盤とする「人と人との繋がり」に「人と人によって生れ」の「人は」(自分)をそのまま合わせることだった。しかしそれでは、「今の社会的欠陥の最大なる原因」を除去する方向には絶対向かえない。

ここに「人と人によって生れ」と「人と人との繋がり」との安易な妥協や和合でなく、「相反目する」関係を一体に結びつけた形態に改組するという「実践」が求められるゆえんがある。つまり、こうした文脈においてはじめて「と」に立つという「実践」概念が立ちあらわれてくるのだった。

「人と人によって生れ」と「人と人との繋がり」とは、全く次元の異なる世界として存在している! あの夏の「ヤマギシズム研鑚学校」でのこうした気づきに、自分は青ざめるほどの衝撃を受けた。しかもそこから「人と人によって生れ」と「人と人との繋がり」の双方が見渡せる、そんな「と」という場所に立つ自己が映し出されてくるのだった!

今までこの「と」という、超隙間のテーマを曖昧にしてきた、見過ごしてきた。こうした二つの世界をいったん明確に分けて、次に一つのものに創り上げていくという「研鑚力」を私たちのものにする実践とは……。

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33 見ずして行うなかれ!

そこで「見ずして行うなかれ、行わずして云うことなかれ」の中へと入っていこう。
この一節は1953(昭和二八)年「山岸養鶏会」が発足した年の暮れ、名古屋の養鶏専門誌『家禽界』の記者が京都地方の孵卵業者の得意先回り中に風変わりな養鶏の話から、その不思議な男、山岸さんに三日三晩旅館で書き上げてもらった『山岸式養鶏法』の巻末に記されたものだ。

「風袋が多くなり過ぎました〝見ずして行うなかれ! 行わずして云うことなかれ!〟の数語に尽きるものを。では又 (1953.12.)」

だからここでの「見る」とは、その後1955(昭和三〇)年7月に刊行された『山岸会養鶏法 増補改訂版』の中の以下の一節に対応するはずだ。

「この養鶏法は、人類一体を真のあり方とし、全人幸福親愛社会の実現を目指すもので、ヤマギシズム社会観に立って見ると、容易に理解し、その線に副ってこそ成功するのです。(略)
個々人主義を肯定して観察し、または行っても絶対に判らなく、批判も結果も誤ります」

ここでの「ヤマギシズム社会観に立って見る」の「見る」のことだと思う。この「見る」は、「個々人主義を肯定」する観方とは全く次元を異にするはずだ。

この間たとえば「あるとない」の間の「と」に着目して、「と」からの出発・「と」に立つ生き方・そこに立って見ると・ 「と」に立つ精神・繋がりを知る精神・「と」という場所等々の表現で、ヤマギシズムでいう「一体」についての考察を広げてきた。もちろんその真意は、「形に現れるものを見てでなく、形に現れないものを観てやるものでありたいね」といった発言に込められた世界の実顕にある。
それゆえ今頃になって次のような一節が納得されてくるのだ。

「ヤマギシズムの〈実践哲学〉では、最終目的の実現は。実は出発点にかかっております。出発点と目的とは直線コースでなければ成立しないのです。
目的のためには手段を選ばないとか、山頂への道は幾通りもあるという考え方には、賛成できないのです。どんな作り方をしても、米さえ採れたらよいではないかといいますが、なるほど米は採れても、作り方によって米の内容・質が違うのです。結果よりも過程を重んじるのも、高度の結果を期待するからで、その道を通る以外には到達できないという一本コースなのです。
目的に到達するのが難かしいのでなく、その目的への出発点に立つことが容易でないのです。この出発点に立ち一歩踏み出すことを、ヤマギシズム用語で"ゴールインスタート"と解し、また〈革命〉ともいうのです」(『前涉行程論Ⅰ』)

だとするならば、次に「一歩踏み出す」とは何なのかが問われてくる。何を「やる」ことが「一歩踏み出す」ことにあたるのだろうか? そもそも実践って何だろう?

さきの個々人主義からの我利行為を「やって」みせるよりも、無為徒食、天井を見詰めて寝ている方がマシな場合もあるからである。

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32 こころが踊る場所

「山岸式養鶏会も、そうした目的達成のための一環として、それを具現化する役割をなすもので、養鶏そのものは、全体経済面の一小部分に過ぎず、社会構成の上からも、一般から見て関心は薄いのですが、こうした省みられない一隅からでも、社会全体を動かす始動力となることが出来るのです」(山岸巳代蔵)

たとえば「AとB」があるとして、Aの立場やBの立場に立ってそれぞれの利害を主張し合うのが今の社会の構図だ。そこでそうした立場を通さずに、謂わば未だ手つかずだった「と」という場所に立つことで見えてくるものがあった。そのことを記述するのが私たちの一貫するテーマだ。

先日も本ブログ「青木新門さんとの出逢い」で、じぶん勝手に

「ところがある時から、死者の顔のほとんどが安らかな顔をしている事実に気づいた。よくできた仏像とそっくりだ。『これって一体何なのだろうか』
そんなことをくり返しくり返し考えていると、ふと生と死や善と悪を超えたところ、双方とも見えるそんなところがあるのではなかろうか。釈迦や親鸞も、そんなところから言葉を発しているのではないか! そんな気づきも生まれてきて心躍った」

と青木さんの心中をおもんぱかるような文言を記したことがある。ふと、映画「おくりびと」の中での、事務員さんが主人公にいうセリフと重なったからだ。

「納棺ってね、昔は家族でやっていたものなの。それが葬儀屋さんにまわされるようになって、そこからまた、うちみたいな会社が出来たの。言ってみれば、超隙間産業……」

そうなのだ。誰からも省みられない一隅、いわば超隙間、むしろ周囲から忌み嫌われるような領域、そんな未だ手つかずの「と」という場所にこそ、「生と死や善と悪を超えたところ、双方とも見えるそんなところ」が、じつは心躍るような世界が、あったのだ!といった発見の歓び。

「金の要らない仲良い楽しい村」づくり。
「私は一卵よく世界を転覆し得ると大言しています」等々。

今迄の社会通念から観ると、誇大妄想狂の食言屋の物言いに過ぎない。アホじゃなかろうか? もうでたらめもいいところ。

しかしはたから見たらあんな不自由で窮屈そうな暮らしと思える中に、案外ホントの自由があったりするのだから。そんなふうに考えると、ふと心が救われるような……。

AでもなければBでもない、「と」という場所がある。そこは真面目にやってみる以外にない「もの」からできている。
「見ずして行うなかれ、行わずして云うことなかれ」

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31 自分自身が面白い

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり、政治・経済機構も大改革されますが、その何れにも相互関連があり、この条件を必ず重大要素として組織し、総親和社会への精神革命を必要とする所以です」(山岸巳代蔵)

1992年秋の「ヤマギシズム展示博覧会」での出来事だ。自分はテーマ館の担当だった。ところが約一ヶ月前からの準備の中で最初に自分が立てた企画案にNGが出た。何で? テーマの焦点が全くズレていたのだ。そこで関係者で再度寄って、上記に掲げた一節を研鑚しながら、『ヤマギシズム社会の実態』の書は実態の書であって、書でなくて実態そのもの。この実態の書を、実顕地そのものにしていくことが実顕地の深まりなんだといったことを確認し合ったことがある。

今にして思えば自分自身大きくズレていたが故の、何と素晴らしい僥倖にめぐり逢えたことだろう! その後何度もやっかいな局面に立たされた時、きまってこの一節を一字一句研鑚して心に焼き付けた世界が鮮やかに甦ってきたことか。

なかでもいわゆる2000年前後のイズム運動史の局面で、社会(組織)の中に家族(親子・夫婦)をどう位置づけるかの切実な問題に直面したことがある。自分らほとんどは、ここで二者択一を迫られているかのように受けとめ、自ずと躓いた。

つまり「人は、人と人によって生れ」の世界の延長線上に省みることなく「人と人との繋がり」の世界を倫理的・我執的に捉えることで必然の自己矛盾に引き裂かれたのだ。親子で兄弟姉妹で夫婦で恋人同士で表面的な相反目・対立し合う事態を招いた。逆なのだ! 「人と人との繋がり」の事実に立って、「人は、人と人によって生れ」の世界を何はともあれ抱擁(つつ)み込んでやるべきだったのだ。いったん分けて、そして相互関係を一体に結びつけた形態に改組するといった「精神革命を必要とする所以」のものなのだから。

一般社会常識的に社会(組織)よりも家族(親子・夫婦)を優先することでなく、社会(組織)と家族(親子・夫婦)は本当は何で結びついているのか、といった人類の至高性に直面していたのだ。

人と人との社会連繋の、切ることの出来ない真理性に立つということが、じつは人間の真の恋愛・結婚に繋がり成り立つところまでいってはじめて、総親和社会が立ち現れてくるといった、かつてない未知で未経験の実践的・本質テーマにぶつかっていたのだ。それは次のように表現される世界とも重なる。

「わが一体の家族、なつかしの兄弟姉妹よ、わが父・母・妻・子よ」(第一回特別講習研鑚を共にした参加者に贈られたメッセージから)

こうした永遠性と社会連繋が一つの世界像をまずは見届けるだけで何かワクワクしてくるものが湧いてこないだろうか。

「まあ、尻ついていってやるより、西海の藻屑となるか分からんが、コロンブスの人跡未踏の開拓ぐらいで、ちょっと面白いから人生の生き甲斐としてやるといった具合で……」(1961年4月2日ヤマギシズム社会式養鶏法について―名古屋での座談会から)

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30 山本哲士さんの仕事から学ぶ

「それより医者の要らない身体になろうとするのはどうか。医者の要る間は要る、要らんようになったら要らんのよ。今でも金の要る間は要る、要らんようになったら要らん」
「要らなくてよいものがあるというのは、死んだもの、生かされないものと思うね。今の金が要らんようになったら、何でもタダになる。通貨が要らんようになるが、『それでも通貨を作らんならんか』と言うの」
「『必要なものは必要。要らんものは必要ない』とする考え方よ。そこに自分が狙ってるのは、必要がなくなるのに、それの究明がないために、いつまでも必要としてる無駄をなくしていこうとしているの。科学・究明して、要らないとこへもっていこうとするのを、真の科学とか、研鑽とか言ってるわけやね」(山岸巳代蔵)

昨年11月の豊里実顕地での「会員の集い」でタダ働きによる即ちタダの経済を基盤にした「実顕地資本主義」の可能性について触れた。ヤマギシズム実顕地という仕組み・場でこそ実現できる世界についてである。

「自力でやり出したらよい。助成金をもらってやるのは弱いものや。良い仕事が出来へん。金より手足の四本(資本)は大したものや」から展開する世界についてである。

さて、どこから手がけようかと思案していた矢先、YouTubeで山本哲士さんが「『資本論第三巻』を読む」でマルクスの『資本論』第三巻全五二章を毎回一章づつ読み込んでいく試みを始められているのを知った。

これがじつに面白いのだ。一人で読み始めると五、六行でもう投げ出してしまう書が、山本さんの手引きで読んでいくと何故か知的興奮に満たされるから不思議だ。
出だしから、たとえば医者がいないと病気が治らないといった転倒した今の社会での物象化の現実と全く次元を異にする世界とに分けていく方法的観点が示される。
本質的に「必要なものは必要。要らんものは必要ない」とする根底からの割り切りで、マルクスが生涯をかけて挑んだ「資本」実態を読み込んでいこうというのである。即ち自分のものにして映し行うのだ。
これは私たちの「実顕地資本主義」に通底する研鑚態度ではなかろうかとワクワクしてくるのだ。

私たちの実顕地の入り口に立つ標柱には「金の要らない仲良い楽しい村」と記されている。あまりにも簡単な言葉で表現されているためか、私たち自身が当たり前にしてふだん通りすぎている。そして外に何か青い鳥を求めようとする嫌いがある。そこに秘められてある奥深さ、実態にこそ本当の味わいがあるというのに……。

以前も山本さんから、現在研鑚資料として活用しているアンデルセン童話「みにくいアヒルの子」の読み方を学んだことがある。まだまだ山本さんの一連の仕事から学ぶことがたくさんある。 

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29 多田富雄の叡智(下)

著者の晩年の作品に、「ニコデモ新生」(『残務整理―昭和の青春』所収)がある。
大学の医学部に入って郷里の医者の家を継ぐつもりだった。しかしそのまま田舎の開業医になるのも何だからと、自分をモノトリアムな状態にしたいと思って大学院の病理学の教室に入った。そこで毎日岡林先生の指示で、二十羽の兎の鼻に開けた穴に卵の白身を1㏄ずつ注入していった。異物である卵白に対しての免疫反応の実験だった。実験といってもそれだけで、あとは暇だから昼寝したり小説を読んだりしていた。
そんな風変わりな実験を始めてから一年以上たって、一匹の兎に自己免疫疾患の典型が現れた。実験は成功に帰した。
先生は、こんな無謀な実験に没入することができたのも筆者がほんの腰掛けのつもりだからで、知恵がないからできたんだと褒めたような貶したような評価を下した。
ところが次の成功例が現れない。筆者は思い余って、先生にあの実験に再現性がないと告げると、先生から聖書のニコデモのキリストとの問答(ヨハネ福音書三章)を読むことを勧められた。
キリストがニコデモに向かっていう、
「肉から生れるものは肉であり、霊から生れるものは霊である」 
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」
そこでニコデモが「どうして、そんなことがあり得ましょうか」と疑いを抱くのに対して、
「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。
わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか」
と諭す場面だ。
先生がどうしてこれを言ったのか、そのときには分からなかった。それに気づいたのは、先生が亡くなってからのことであった。
その後筆者は、胸腺の細胞に免疫反応を抑える働きがあることを発見し、免疫学の世界的権威になっていく。
先生は私に何を伝えたかったのか?
「そうやすやすとわかってもらっては困る」
「いいか。何かを発見しようとするなら、文献なんか読むな。そんなものにはなにも書いてない。自分の目で見たことだけを信じろ。わしの言うことを、ゆめゆめ疑うことなかれ」
「科学論文だって、書いた者の個性が出るように、一言一句真剣に書かなければいけない」
こうした先生の一言が、ニコデモへのキリストの説教とダブって今でも私を鼓舞しているように感じられる。

あれは1970年代の末だったか、ヤマギシの有精卵など実顕地生産物の供給活動が始まった頃の研鑚テーマに次のような一節があった。
「実顕地生産物 肉より産れるものは肉 霊より産れるものは霊」

出典はニコデモの新生問答だったのだ! 当時はチンプンカンプンの思い出しかないが、はたして今はどうだろうか? 
ここでの「肉」を形ある物、「霊」を形のない心に分けるならば、ここから二つの考え方が引き出される。一つは、物が豊富になれば礼節を知り幸福になるといった物が先だとの考え方。もう一つは、心の方から解決すればやがて正しい物の考え方が出来て本当の現象となってくるという考え方。要は、形ある物からの出発か目に見えない心からの出発かのあとさきのテーマである。

ヤマギシズム理念からすべてをいとも簡単に「割り切る」実践を、次元の転換をじつは迫られていた!?

振り返れば、肉の観点に立ったまま、肉を現実、霊を抽象的観念と見なして、混線・混同しつつ自他を傷つけ合う自己欺瞞の渦中に追いこまれてきた。霊は肉の対句ではなく、異質なものだった!

それはさておき、多田さんは科学における創造性を、階層や境界を越えた真理の感動的な発見に見ておられる。
このことは専門分業化した社会についてもいえると思う。現代では高度に細分化専門分業化した各部門間の調整ぐらい難しいものはない。何よりもまず自分の権益を守り優先する考え方で社会が構成されているからである。
だとしたら、階層や境界間の臨界条件を越えた事実の実証は如何にして可能なのか?

免疫学の泰斗多田さんはいう。生物学の特質は、生命という全体にどこかで繋がっているという認識にある。小部分の研究が、小部分だけで完結しないのが生物学だからだ。すべての発見は全体の問題に「参照」される。
これこそかつて恩師・岡林先生の疾病観でもあった。「病変の局所だけ見るな。背後にある全体を見よ」

理想社会、ヤマギシズムでの多数のそれぞれの特徴のある専門の人たちで組み立てる完全分業一体社会で、私たちが今まさに取り組んでいるテーマ、「一体」から出発して「一体」の実態を創り上げていくという日々の実践に通じていくものがある。
そこでの「一体」と「分業」を越えた真理の感動的な発見こそ、私たちの「と」に立つ思想から産まれてくるものだ。このテーマの追究と顕現こそ、心と物、目的と手段等々に繋がるもっとも切実に欲求されている今日的課題として私たちの前にあり続ける。

というのも、多田さんは一貫して「生物の階層性」という概念で近代科学の方法を批判されている。たとえば人間は細胞からなっている。それ故人間やその病気を理解するためには、細胞の性質を知らなければならない。どのようにして知るのか? 細胞機能を受け持つ分子の構造を解明すること、そしてそれを操る遺伝子のしくみを理解することが必要とされる。こうして階層をより低いものに還元することによって、上の階層の現象を説明していくのが近代科学の方法だ。
しかし、下の階層に還元しただけでは、ものを科学的に理解したことにはならない。細胞をどんなに微細な分子に還元しても、細胞の意味は分からない。つまり細胞は分子の機能の単純な総和ではない。細胞になってはじめて現れる機能があるのだと。上の階層は、下の階層のルールに拘束されてはいるが、新しい固有のルールをもっている。還元主義では、この新しいルールは理解できない。

だとしたら、階層や境界を越えた全体を貫いているものとは何か?

さきに紹介した山岸巳代蔵のいう、
「人間とは、いわゆる個人を指すものか、結合夫妻を単位とするか、人間社会を指すものか、宇宙全体を指すものか、或いは基本単位の人間細胞を指すものか、それが結合した受精細胞か、それとも細胞を合成している元の物質及び機能を単位とするか」に重なる個所だ。そこを貫くものは、
「宇宙万事万物健康でない限り、人間も健康でない」とする「健康」概念である。

私たち「と」に立つ観点からは、
「人間も自然と一体のもので、個人とか、夫婦とか、社会とか、全人類とか、自然とかいうのは、みなその一体の中の一つの単位の呼称であり、個人をなすものに、物もまた身体各部それぞれのものが寄って個人単位の一体を形成し、その各部もまた各々の細胞や血液、或いは体液その他の一体で形成され、細胞そのものも、いろいろの要素によって細胞一体単位を形成している。生命・感覚・記憶・思考・各種機能等もそれぞれの要素として各単位を構成しているもので、絶えず要素は離合集散し、活動し、或いは停止したりする」
という正常・健康な状態についての観方だ。

そうした自然全人一体観からおのずと湧いてくる親愛の情によって全人類間の紐帯となすことで現れる個体としての自己を、理想社会とも呼んでいる。

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28 多田富雄の叡智(中)

まず多田富雄の代表作『免疫の意味論』から、赤線を引いたところを順番に並べてみる。

「伝染病から身を守るしくみという程度に考えられてきた免疫」
「免疫は、病原性の微生物のみならず、あらゆる『自己でないもの』から『自己』を区別し、個体のアイデンティティを決定する」
「個体の行動様式、いわば『自己』を支配している脳が、もうひとつの『自己』を規定する免疫系によって、いともやすやすと『非自己』として排除されてしまうことである。つまり、身体的に『自己』を規定しているのは免疫系であって、脳ではないのである」
「『胸腺』こそ、『自己』と『非自己』を識別する能力を決定する免疫の中枢臓器なのである」
「『胸腺』は文字通り胸の中にある軟らかい白っぽい臓器である。若い動物では心臓の全面を覆うようにかなり大きな面積を占めている。人間では十代前半で最大となり、約三十五グラムに達する。性成熟後は急速に小さくなるのも特徴である」
「この『胸腺』からサプライされる細胞が、Thymus(胸腺)のTをとったT細胞と呼ばれるリンパ球である。T細胞は、いろいろな免疫細胞に参加し、ことに『自己』と『非自己』を識別し、『非自己』を強力に排除するための免疫反応の主役となる」
「T細胞は、直接的には『非自己』なるものを発見し、それと反応することはできないのである。『非自己』そのものには見向きもしない。『非自己』はまず『自己』の中に入り込み、『自己』を『非自己』化するらしい。それがT細胞によって認識されるのである」
「T細胞の『非自己』の認識は、もともとは『自己』の認識の副産物であることが、こうして明らかになってきた。まず『自己』に対しては反応しないように認識の構造を設定し、それをそのまま利用して、『自己』が『非自己』化したことを認識させる」
「『非自己』の認識と排除のために発達したと考えられてきた免疫が、実は『自己』の認識をもとにして成立していたのである。免疫は、『非自己』に対する反応系として捉えるよりは、『自己』の全一性を保証するために存在するという考えが出てくる」

ここには細胞から始まり分子や遺伝子の解析をすすめながら、つまり物質の構造をどこまでも精緻に突きとめながらも、同時に絶えずそのことが意味するものへと綜合哲学的に物を観ていくというか、生命を全体として考えていこうと試みられる。それはあたかも天幕ばりのサーカス小屋でのブランコ乗りのひとつのブランコから他のブランコに飛び移るスリルと緊張感に満ちた冒険でもある。

「身体にばかり使う言葉ではなく、心も生命も、有無現象、能も、諸事万物凡てがそれぞれに、及び一連として、真理に即応した正しい状態を指し」(山岸巳代蔵)て、そこに向かって多田富雄の叡智は輝く。

「免疫学が金科玉条としてきた『特異性』を超えてしまったインターロイキンによる運営。これが1980年代に免疫学者に突きつけられた現実であった。伝染病の治療や予防という、目的にかなった免疫反応から想像されていた免疫系とは、なんとかけ離れていたことであろうか。そして、なんと不気味に、さまざまな危険を内包している不明確なシステムであったことか。『自己』と『非自己』を識別し、『自己』を『非自己』から守る、などという原則は本当は存在しない」
「免疫系における『自己』と『非自己』の識別能力は、環境に応じた可塑性を示すのである」
「私は、ここに見られるような、変容する『自己』に言及しながら自己組織化をしていくような動的システムを、超システムと呼びたいと思う」
「人間の免疫系を構成しているリンパ球系細胞の総数は約二兆個、その約70パーセントがT細胞、残りの30パーセントが、B細胞およびそのほかの細胞である。重量にすると約一キログラム」
「超システムとしての免疫系に、老化はどのように現れるのだろうか」
「免疫系の老化は、胸腺という臓器の,加齢による退縮に依存している」
「個体の老化には、まるで入れ子型のロシア人形のように、神経系や免疫系などの超システムの老化が入り込んでいる」
「『非自己』が侵入すれば、免疫系はいつでもアプリオリに反応するなどというのは幻想であったことがわかる。そのすきをついて、癌は免疫から限りなく逃走する」
「『自己』と『非自己』の境界にある癌」
「その曖昧な『自己』を保証するものは何だろうか」
「昨日まで『自己』であったものが、今日は『非自己』となり得る」
「そうすると、『自己』というのは、『自己』の行為そのものであって、『自己』という固定したものではないことになる」
「『自己』と『非自己』は先見的には区別されない」
「免疫系は、この危険なバランスの上に成立している」

無限小から無限大までの範囲での階層性、段階性、重層性、境界性とそれらを超えた全体性、一体性、そして相互関係を一体に結びつける創造性などを踏まえないと開けてこない世界についてあらためて想う。

「自己」と「非自己」の境界に立つとは?
「と」に立つ思想。生命にとっての「自己」は、たえず調和をはかりつつ身替わり(立替え)の形である時期生きて、消え去っていく。

さてここまでは、専門家・多田富雄による生命にとって「自己」とは何かの、移りゆくスリリングな考察史だ。ここで繰り広げられる人間叡智の輝きは、花粉症や各種アレルギーやエイズや老化や癌や自己免疫病やインフルエンザウイルスなどの免疫学の一分野に留まるものだろうか。著者は真底自覚的なのだ。何に対して? 科学(科学者)は今生命の細分化という問題に直面してドツボにはまっているかのようなのだ。生命を全体として考えることが如何に困難になりつつあるかを痛感するのだ。そこからの脱皮、飛躍、革命の瞬間を、そして「無いものが見える」世界を一貫して追い求めてやまない。どこかで専門ならではの目先の堅固な重箱の隅をつつくやり方を超えたいという解放された大胆かつ乱暴なやり方を心底に秘めているかのような……。

これこそ私たちの「と」に立つ思想、生き方そのものでないのか! 他人事ではなかったのだ! もう少し私たちの身近な例を通して多田富雄の叡智を人間知、私たちの叡智にまで引きよせてみよう。

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27 多田富雄の叡智(上)

「人間とは、いわゆる個人を指すものか、結合夫妻を単位とするか、人間社会を指すものか、宇宙全体を指すものか、或いは基本単位の人間細胞を指すものか、それが結合した受精細胞か、それとも細胞を合成している元の物質及び機能を単位とするか。
人間を構成している物質及びいろいろの機能をどう見るか。個々に生を営む細胞の代謝及び体組織のほか、体液、栄養分は何か。体外へ排した作品・行蹟は人間の一部ではないのか。生命、呼吸、消化行為、微生物共生等の生存行為、電気的・放射能的思意、エネルギー行為、それらの一つを欠如して人間の構成されるはないだろう。
とにかく、一単位だけ離れて単独には考えられない。人間の呼称も、無限小・一・十・百・千・万・億・無限大のいずれかの単位を、人とか、人間と云い、人間の細胞、或いは人間社会と呼んでいることだと思う。人間の酸素、水素、窒素、カルシウム段階の単位称はないだろうか。厳密・正確に云うなれば、無限小より無限大の無限小によってなる凡てに人間のある単位の人間があるが、これらは別に論ずるとして、ここでは人間細胞より人間社会までくらいの単位を簡単に検討しておこう。
だから、細胞を組み立てている条件の一つでも真正でない場合は、細胞は不健康であり、細胞群で構成されている身体は、不健康な細胞が一個でも部分を占めておれば、その体は健全でない。
身体が不健康と云うことは、細胞が不健康なことで、即ち不健康な細胞は不健康な体を成している。この健康と云うのは、身体にばかり使う言葉ではなく、心も生命も、有無現象、能も、諸事万物凡てがそれぞれに、及び一連として、真理に即応した正しい状態を指し、真の幸福とも云いかえてもよい。
皮膚そのものもそうであるが、その皮膚で囲まれた内も人間、外も人間、内外の有形・無形も人間の構成存在条件の段階的単位に過ぎない。
太陽も空気も水も皮膚の内外にある。皮膚の内側にあると思っていても、位置的ではそうでも、実質的には細胞膜の外にある物質・能等はどう見るか。
社会・宇宙の段階単位が不健康なと云うことは、人・人間段階が不健康で、人間や諸事・諸物が不健康では、人間が健康に存在している社会ではない、宇宙でもない。
要するに、宇宙万事万物健康でない限り、人間も健康でない」(山岸巳代蔵)

すでに私たちは、この間ここでいわんとされている含意を、「と」からの出発、「と」に立つ精神、自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)等々の概念を着想することで対比検討を試みてきた。そうした再検討の機会として、いま少し触手を伸ばしてみよう。

免疫学の世界的権威であり先年亡くなられた多田富雄の代表作『免疫の意味論』で展開された「自己」とは何か、「非自己」とは何かについての考察である。全くの門外漢の筆者でさえも、「繋がりそのものの自己」にこれからも触れていく以上、避けて通れない知恵の鉱脈道としてそびえ立っている。

無限小から無限大までの範囲での階層性、段階性、重層性、境界性とそれらを超えた全体性、一体性、そして相互関係を一体に結びつける創造性などを踏まえないと開けてこない世界についてだ。

たとえば多田さんが脳梗塞で倒れられてから後の考察に、「『自己』は生物の全体と部分をつなぐ結節点だと思う」とあった。どういうことなんだろうか。とても素人では手に負えない世界概念なのだが、なぜかとても大切なメッセージを私たちに残してくれているように感じるのだ。
 

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26 スタートの中にゴールを観る

「如何に物質が豊かに充たされても、それのみでは絶対に実現せず、精神面のみを説いても真の社会は生まれず、私は永遠不変の理想社会を実現さすための決定的方法を知っています。総てに具体的であらねばなりません。(略)私は今まで世界で主張されていない、或いは行われていない方法で、総てをいとも簡単に割り切り、争いのない理想社会を実現さす法のあることを重ねて断言するものです」(山岸巳代蔵) 

今年は念願だった研鑽会記録集をまとめた『贈り合いの経済』の書を、ロゴスの村岡到氏のご好意により刊行することができた。ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。そのうちにと思っているだけではいつ実現するかわからなかった。しかもそのことが区切りとなって、一気に実顕地一つからの新しいイズム運動の展開へと踏み出せそうだ。

「個人と組織との難しい関係について考察を進め、そのなかで、なぜ自分がヤマギシ会に参画することになったのか、そこに何を求めたのかを語っていく」(書評 『贈り合いの経済』島田裕巳)過程を経ることで、物も体験も世間体・メンツ・褒貶も放しきった中に、見出されてきたものがあった。そういうものが引き出され、磨きあげられ、光り輝く場所があった。

「金より手足の四本(資本)はたいしたものや」。「実顕地資本主義」からの出発となる所以だ。
そこはどこかホッとする気風に満ちた場所でもある。

そんな場所から先の、真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟というその方法について想いをはせている。自分の中では、今の実顕地一つからの前進一路の現段階と「方法によって」が一つに重なってくるからだ。『月界への通路』での「通路」の具体的な実感についてである。

ここでの決定的方法とは? 今まで世界で主張されていない、或いは行われていない方法とは? そこまで断言できるものとは?

つまりこういうことだ。以前この欄で、研鑚は研究・学問と異う。研鑽会は研究会・講習会と異うとして、その理由を真なるものを究明し、それに即応(立つ)しようとしているか否かにみた。方法についても、単なる方法・手段と今の実顕地一つからの具現方式の異いについて知らされるからだ。

要は真目的を実現するには、自分の中にある真目的から出発すべきなのだ! それが理論を現実に具体化し得る方法なのだと。方法それ自体を生きる(実践)ことで、真目的の実現と成すのだ! スタートの中にゴールを観る生きざまなのだ。

ヤマギシズム用語でいう、「合真理主義」即ち「真実、それに自己を生かす」即ち「なった先でなく、ならない先のもの」即ち「僕の目には今日の形でなく、カレンダーを数枚めくった日本晴れの明るい世界が展開していますね」云々の意味するところ、「日本晴れ」の今あるままでの幸せ、快適さ、容易さ等々に想いを巡らしている。

別の言葉でいえば、もっとも不自由・みじめに映る世界が即もっとも理想的に映る世界についてである。

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25 自分がよくなるためからの出発

「私は一九歳の時、或る壁にぶつかり、苦悩の内に一生かけての仕事を始めたのです。そして人生の理想について探究し、真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟という信念を固め、只今ではその方法を『月界への通路』と題しまして記述し続けております」(山岸巳代蔵)

かつて「理念」はいつも「現実」の前で虚しく裏切られた。理想を描き、その理想実現に生きがいを感じて明け暮れる高揚する日夜が、一転互いを傷つけ合う修羅葛藤の場に変わる。

そもそも理念とは、現実とは何か?
理念と現実との乖離はどうしたら埋められるのだろうか?

そんな時ふと、自分が「ヤマギシズム理念」そのものになったらよい、という思いがわいた。しかし、瞬間的にそんなバカな、とすぐに取り消した。だって自分は我執の固まりなのだ。でもそれだったら、お先真っ暗だなぁとなかばあきらめかけていた。

そういえば、山岸会の会旨は「われ、ひとと共に繁栄せん」であり、私の社会倫理は「自己より発し、自己に返る」として、「われ」とは「自己」とは、とずいぶん研鑽を重ねたことがある。ここでの「自己」とはどんな自分なのだろう?

「全研(※昭和三十三年頃)の場で『あんた方ここに何しに来たんですか』と問われた時、全人幸福運動、戦争のない社会、不幸な人が一人もない、愛児に楽園を、理想社会を創りに、と応える人が多かった。その時『私が幸せになりたいからとちがいますか。その幸せがひいては全人の幸福につながる』といわれた」(川口和子談)

「自己」の歓びや快楽などを追求することは「自己中心主義」に受けとられるという遠慮や自己規制に縛られ観念が、根こそぎにされたような衝撃をうけた。「ああ、そうか」と腹に落ちてくるものがあった。

結局自分がよくなるためからすべて出発している。屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝など一切無い。自己より発して自己に返るだけ。自己の楽しむ場を広めていくためで、決して人のためでないということ。そういう「自己」がやっていく副産物として理想社会ができていくというような……。

それは事実その中で生きているもう一人の自分の中の「自分」を知らされたきっかけだった。

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