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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

『もう親を捨てるしかない』 島田裕巳著

島田さんの新著『もう親を捨てるしかない 介護・葬式・遺産は、要らない』(幻冬舎新書)が衝撃的なタイトルとともに週刊誌などで話題になっている。
もう親を捨てるしかない

冒頭に、昨年末の「利根川心中」と名づけられた事件が紹介されている。
47歳の娘(三女)さんが両親を乗せた軽自動車を運転し、車ごと利根川に突っ込み、心中をはかっり、娘さんだけが生き残った。
娘さんは容疑を認め、「認知症の母の介護で疲れた。貯金も年金もなくなった。病気になり、働けなくなった父から『一緒に死のう』と言われ、一家心中しようとした」と供述した。

なんともやりきれない悲惨な出来事である。暗澹たる気持にもなってくる。
「親孝行が親殺しに結びついたことになる」と島田さんは言う。
では、どうすればよかったのか? 
「親を捨てればよかったのである」と。
そして子供が親を捨てるのなら、“捨てられる側の”親は、どうすべきなのか。
「とっとと死ぬしかない」と島田さんは言い放つ。

急速に高齢化社会に突入した今の世の中での、誰もが直面する親子間の介護については、「親を捨てることしか解決策はないのではないか」と島田さんはキッパリと言うのだ。
こうした島田さんの問題提起に対して、アマゾンに寄せられるカスタマーレビューが興味深い。幾つか紹介してみる。

○しかし、肝心の「親捨て」の方法が書かれていない。これは問題である。
○結局、合法的に世間体も良く親を「捨て」られるのは、経済的にかなり余裕のある家庭の高齢者が高級老人ホームに入居できるだけ、という、当たり前のオチなのでしょうか。
○この本の内容ではまだまだ親を「断捨離」できる境地にはたどり着けないと思います。
○あくまで自分は富裕層として安全地帯に身を置いての発言である。
捨てる方法を著者にご教授願いたいというレビューがあるが、蓋し名言。
○結局親捨て法は、楢山参り(姥捨)のように介護施設へ連れて行くことのようでしか解釈できない本音のみを述べただけで向き合うための術、具象的提示が残念ながら致命的に欠ける内容。
○素直に共感しました。惜しむらくはじゃあどうやって親を捨てるのか、と言う具体論が殆ど無い事ですが…。
○島田さんの主張するように、親、家、墓、故郷、等をすべて捨て去れば、同時に日本人としての特質、良心?も捨ててしまうのではないかと思うのです。
○当然のことながら、子から見た具体策となると、なかなか困難な問題であり、著者も、それらの解決を読者にゆだねている。
○今まさに「できるものなら親を捨てたい!」と思い悩んでいる方が藁にもすがる思いで本書を読んだら、おそらく拍子抜けされることと思います。

ここに共通するのは皆切実に、もっと具体的な方法を求めているところにある!
きっと島田さんは苦笑いしているのではないか? 週刊誌での島田さんの発言からもそれは覗える。

「『本当は介護しなくてもよい』『しなければならない絶対的な理由はない』と気づくだけでも、かなり精神的な負担から解放されるはずです」

正直なところここまでしか言えない。方法を聞いてからの人でなく……。
だって理想的な家族のかたちは、一技術や方法の末にあるものではないからである。
どういうこと?
やはりそれより先に「場づくり」が肝心なのだ。
例えば本書にも触れられている国が提言している介護の将来像
「住まい・医療・介護・生活支援が一体的に提供される地域包括システムの実現」もその一つであろう。
しかしそうした今誰もが切実に求めるシステムに命がかよいホントに活用されるには、どうしても質的な「飛躍と転換」が自分ら一人ひとりの基本になってくるのだ!?
それでこそ「我が田へ水を導き入れて増収しようとする人を、百里先の水源地工事に誘おうという」(山岸巳代蔵)皆と共にやる具体的な方法を実行できる人にまずなることでもあるからだ。

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書評『サイロ・エフェクト』

先日新聞の広告欄で、フィナンシャル・タイムズ紙アメリカ版編集長 ジリアン・テッド著『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』(文藝春秋刊)を知った。
0001ジリアン・テッド

サイロって、あの北海道の酪農地帯に点在するタワー型の穀物サイロのことか? エフェクトは効果とか結果という意味だ。ということは、自分らが今ヤマギシ会の機関紙に連載中の『「と」に立つ実践哲叢』での「専業の人より分業の人へ」の内容と符合するなぁと直感した。
一読して、まさに自分らのことだと思いあたることばかりだった! 

現代社会が高度情報化で単一のシステムとして結びつきを強める一方、高度に複雑に細分化、孤立化した社会に対応するためには一人ひとりが精神的・肉体的にその道の専門家として自力をつけていかざるを得ない。実際真面目に打ち込んでいくと誰もが自ずと自力がついてくるものである。
養鶏に例えるならば、何十年も養鶏に専念していると、そこから影響されるもので体力・知力・実績もついてきて自信や誇りたい自惚れ欲もなぜかついてくる。
自他共に認める「養鶏人間」の誕生である。いつしか養鶏の立場や実績からモノを考え、判断するようになる。
養鶏は人生の目的でなく、手段だ。人間生活全体の一部にすぎない。それなのに養鶏のみが目的となる縦割りされた小さな狭いサイロの生き方にひっくり返る。
その結果新しい変化に対応できないパラドックスが「サイロ・エフェクト」だ。

本書は「なぜ現代の組織で働く人々はときとして、愚かとしか言いようのない集団行動をとるのか」
「なぜ本来利口なはずの人たちが、あとになってみれば自明すぎるほどのリスクやチャンスを見落とすのか」
といった根本的な疑問に答えようとする試みだ。
しかも人類学者という特異な経歴を持つ英国の経済紙の筆者は、ジャーナリストならではの直接当事者に好奇心の赴くまま「なぜ」と質問できるなかで、サイロに支配されてしまった世界各地の個人と組織のエピソードから今の社会的欠陥の最大なる共通原因をうきぼりにしていく。
読者をして身につまされるリアル感を覚えるゆえんだ。

「ソニーのたこつぼ」の事例。
1999年一世を風靡した「ウォークマン」の次世代商品は、二つの部門がそれぞれ開発した二つの商品で、しかも互換性はなかった。その後アップルのiPodに独走を許すことになる瞬間だった。
誰も気づいていなかった。コンピュータを開発する部門が音楽を扱う部門と別であることは当然だと思い込んでいた。
独立採算制を強調することで責任の明確化が計れるという発想だった。もちろん他部門への移動も、身を守るために避けた。
部門同士が協力しなくなった。部門間の壁がますます強固になった。売り上げが浸食されることを恐れたからだ。

「スイスの巨大銀行USB」の事例。
あの保守的な石橋を叩いて渡る銀行が、2008年のサブプライム危機でゴミ屑同然となったサブプライムローンをごっそり抱えて破綻寸前に追い込まれた。
リスク担当者も細分化されていて、グループ間の交流はあまりなく、情報交換もしなかった。しかも何とリスクの高低の分類システムがまるで逆さまだった!
経営トップには全体像がまったく見えていなかった。

もちろん経済学者たちも、間違えた。専門家ですら、(むしろ専門家ほど)自らをとりまく世界を堅牢なサイロによって秩序づけるあまり、何も見えなくなる。みな同じサイロの中にいた。

こうしたサイロの弊害に苦しんでいる企業は多い。サイロに囚われない方法はあるのか? その呪縛から逃れる方法は?
そうしたサイロの悪弊を逃れようとした巨大医療機関の事例は興味深い。

「病院の専門を廃止する」の事例。
アメリカ有数の規模を誇る医療機関クリーブランド・クリニックでは、患者が自らの病気を語る内容に耳を傾けたところ、身体の部位や漠然とした病名を口にすることが多かった。
医者の見方と患者の見方は違う。医者ではなく患者の側から医療を定義してみたらどうなるだろう。
そこから外科と内科を廃止したり、垣根を越えて各専門をクロスオーバーさせる試みによって革新を生んだ。

これらの事例はみな、自分らにも身に覚えがあることばかりだ。
例えば数年前に、それまでの実顕地で別棟に分けられていた「生活窓口」と「法人窓口」を廃止して、窓口を一箇所にしてみた。窓口一箇所で実顕地に住む人の要望を受けて、窓口の側で生活と法人に仕分ける業務を受けもったのである。するとどこかのお役所のようなたらい回しがなくなった! 

そして筆者は、「なぜサイロが形成されるのか」「サイロにコントロールされるのではなく、われわれ自身がサイロをコントロールするすべはあるのか」に答えようとする。 

「終章 点と点をつなげる」
専門化は不可欠だ。サイロを専門家集団と定義すれば、その存在は必然である。
だからサイロをコントロールするという戦いに終わりはない。常に進行中の作業だという。
1 交わる機会を増やす 
2 協調重視の報酬制度
3 情報の翻訳家の必要性
4 分類法の定期的な見直し
等々とサイロに囚われないための幾つかの教訓を並べる。
しかし筆者の真骨頂は、教訓を垂れるだけでお茶を濁して終わらないところにある。

それはフランスの人類学者兼社会学者であるピエール・ブルデューの研究成果を援用して一章を割いているところにみられる。
「人類学はサイロをあぶり出す」
巻末の「謝辞」で筆者自身が、本書は
「私自身がこれまでの人生で経験してきた、さまざまな『サイロ破壊の旅』の産物」
だと語っているように、かつて彼女自身がタジキスタンの小さな村に三年暮らし、生活を共にしながら結婚慣習を観察している。そこは常識観念がひっくり返る世界だ。常に「なぜそうなのか?」と疑問が湧いてくる。それは人類学の研究手法であると共に筆者自身の生き方にもなっている。そこに親しみを感じた。

しかもピエール・ブルデューといえば、本ブログでこの間ふれてきたM・フーコーの盟友だった。
こんな挿話が本書にも紹介されている。
農家の息子として生まれ育ち久しぶりに故郷のクリスマスのダンスホールで、学者になりたての頃ブルデューが見た光景があった。
ホールに集まった人たちは、どういうわけか自分たちを二つの陣営、踊る者と踊らない者に分類していた。なぜそんな区別が生じるのか、その手がかりをブルデューは数日前に、かつての級友から聞いていた。踊らない者を「結婚できないやつら」と呼んでいた。
強制力のあるルールも踊りの輪に飛び込むことを禁じる法律もないのに、なぜさっさと踊りの輪に加わらなかったのか、また女性達は男性の半分を無視していることに気づかなかったのか。そんな痛ましい光景に愛おしさすら感じたという。
そもそも人はなぜ、環境から受け継いだ分類法をそのまま受け入れるのか。
村のダンスホールの踊らない者に象徴される「社会的沈黙」によって隠されていた部分に光を当てることにこだわっていく。
人は必ずしも自らが受け継いだメンタルマップにとらわれる必要がないというのが、彼の知的探究心の出発点でもあった。

自分が日々、無意識のうちに身のまわりの世界をどのように区切っているのか、思いをめぐらしてみる。
これこそ「インサイダー兼アウトサイダー」でどこまでもあり続けたいとする本書に深みを与えている視点なのだ。
そういえば自分らも、「インサイダー兼アウトサイダー」の全体的視点に立つ独自の価値観に基づく文化を刻んできて半世紀を超える。しかしここ十年は、まさに「サイロ破壊の日々」である。
たんに「囚われない」「キメつけない」といった主観を捨てての一言で済まされないものに日々直面するからである。

そもそも「ヤマギシズム実顕地」とは、自然と人為の調和を基調としたヤマギシズム理念を顕現する場を指す。
提案創設者山岸巳代蔵の
「今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり」(知的革命私案)
とする観方に同調共鳴した有志が数家族以上集まって、垣根や壁や囲いなど隔てるもののない理念に基づいて編み出された完全専門分業での生活様式の一つである。始まりは1961年だった。
その意味では、サイロの引き起こす「愚行」あるいは視野の狭まりを防ぐ手立ては、すでに用意されている。とっくに解決済みの案件なのだ!? 

先に筆者も記していた。
「サイロを専門家集団と定義すれば、その存在は必然である。
だからサイロをコントロールするという戦いに終わりはない。常に進行中の作業だ」

そうだと思う。しかもサイロを無くする根本は、断じて一技術や方法の末にあるものではないことを銘記しておきたい。
人間成人してからも、経験なり実績が上がっていく程たまってくる、この垢ともいうべき固定観念。こうした観念のトリコから解放されて、無心の子供心に還りたい。「万年素人の初々しさ」の世界へ。

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『それからの納棺夫日記』(青木新門著)を読む

文庫本の『納棺夫日記』を読んだのは15年ぐらい前だ。なぜこの書を手にしたのか忘れてしまったが、納棺の仕事で行った先が元恋人の家で、意を決して中に入り作業に熱中していたらいつの間にか横に座って額の汗を拭いてくれる彼女がいた! その時筆者の眼に映ったものが筆者の行動を一変させる。翌日から服装を整え、礼儀礼節にも心がけ、自信を持って堂々と納棺をするようになった。そんな一挿話が以来自分の心になぜか鮮やかに焼き付いている。

今度の新しい著書でも「恋人の瞳」という一節で、それまで周囲から白い目で見られていた自分にとって丸ごと認めてくれたような恋人の瞳は救いだったと、その嬉しさの源泉に再度触れられていた。

他にも「親族の恥」と罵られ憎しみだけがあった叔父さんが亡くなる時に柔和な顔で「ありがとう」といったこと。癌の転移を告知された井村医師のみんな耀いて見えたという不思議な光景について。自身の蛆が光って見えた体験等々の真意がくり返しくり返し尋ねられていく。この間二千回を超える講演や思索は、青木さんが見出された真理の、再検討のために、必至の試みでもあるのだろう。

そういえば自分らの二週間の合宿研鑽会で「私の原風景」を発表し合う機会があるが、原風景なるものの真意の一端を亡くなる数日前まで綴られたYさんの日記を通して知らされたことがある。その日記の最後の頁は「ありがとう」の言葉に続けて「塩のかおりや しおの風がきもちいい」で筆が置かれていた。

あっ、これって彼女の原風景だ! その一年ほど前に研鑽会で共に聞いた瀬戸内のミカンの花咲く小さな島で育った彼女の原風景が自分らの中にも甦ってきたのだった。

ふと「死んでからの極楽よりも、死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします」(山岸巳代蔵)ってこんな感じなのかなぁと、腑に落ちるものがあった。

青木さんはみずからの死者の柔和な顔に接しつづける体験を通して、現代の生と死を分けて考え、生にのみ価値を置いて死を忌み嫌う観方やそこからの社会に異を唱える。そして死の実相は生と死が交差する生死一如(しょうじいちにょ)の瞬間にしかその真実は顕れないのではと確信される。

そうした体験を踏まえた『納棺夫日記』が、映画「おくりびと」誕生のきっかけになった。しかし青木さんはきっぱりと、原作者であることを辞退される。映画は「石文」という寓話で終わり、そこには近代ヨーロッパ思想の人間愛しか描かれてないと否定される。いのちのバトンタッチにはならないのだという。

じつは先の二週間の合宿研鑽会では、六年前から毎回映画「おくりびと」を研鑚資料として活用している。

映画は脚本・小山薫堂さんの自作の小説「フィルム」での、母と僕を捨てた「あの人」の死を知り、偶然(=必然)が僕を「あの人」の過ごした地にみちびき、そこで「あの人」が「お父さん」に変わる物語をベースに展開する。青木さんはその場面を、石文を通して父も自分のことを思ってくれていたのだという親子の情愛のような次元で終わっていると、死の実相に向き合ってこだわり抜かれる。

たしかにどんな場面を見ても何やる場合にでも、見る眼が狂っていては、結局誤解、曲解、逆解に終ることは明らかであろう。

「ヤマギシズム実践哲学」では映画の一場面からでも、僕がお父さんになることでお父さんの心になることでそんな一体になろうとするものから、汲めども尽きぬ源泉をくみとる恩恵に浴している。一体とは無我執であるのだ。そこには正しく見られる心が出来た「見る眼」にさえ入れ換えれば、青木さんの真に意図されるものがそのまま映し出されてくるように思えて仕方ないのだ。

私たちは本来「繋がりを知る精神」、つまり「と」という場所に立って見られる世界を生きている。「生と死」も、生の延長線上に死があるように思い込まれているが、自分自身が「と」という繋がりそのものになることで、それまでの生に価値を置く思い込みの姿が手に取るように照らし出されてきて、全てが解けていく安心を得られるのではなかろうか。

また青木さんは自身のホームページに、ジョー・オダネルの「焼き場に立つ少年」と題した写真を掲載され、そこに「私が満州で終戦を迎えたのは八歳であった。母とはぐれ、死んだ妹の亡骸を難民収容所の仮の火葬場に置いてきた自分の体験と重なり、涙が止めどなく流れた」と添え書きされている。

自分にも心に焼き付いた写真がある。ずっと以前、新聞の日曜版だったかで見た段抜きの大きなカラー写真だ。東京・上野アメ横の雑踏の中で子供を抱いた夫を妻が寄り添うように見上げている家族の光景だ。なにかしら心の琴線に触れるものを押さえられない。なんでもないごくありふれたその光景を「見る眼」で見られるならば、誰の心にも繋がる真実の人生を見届けることを意味するはずなのだから。

「薔薇が咲き 日が差し それが見えてゐる そんなことさへ ただごとなのか」(明石海人) 
「よくみれば薺(なずな)花さく垣根かな」(松尾芭蕉)
「凍る池 藻は青鯉の泳ぎ居り」(鬼面子)

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書評 佐川清和『贈り合いの経済』 図書新聞

ヤマギシ会と一般社会との距離の昨今
島田裕巳 

 ヤマギシ会(山岸会)という名前を聞いて、人によって受ける印象はかなり違ったものになってくるだろう。
 1959年に起こった「山岸会事件」のことを思い出す人は、今では少ないかもしれない。学生運動の世代なら、「Z革命」を掲げて多くの若者を集めた時期のヤマギシ会のことに思い至る人は少なくないはずだ。1990年代後半には、ヤマギシ会が「カルト」の一種として社会から糾弾されたこともあった。
 最近では、村上春樹のベストセラー小説『1Q84』に、ヤマギシ会をモデルにしたとおぼしき宗教団体が登場し、改めてこの集団に対して注目が集まった。
 あるいは、ヤマギシ会はとっくに消滅してしまったのではないかと考える人もいるかもしれないが、「実顕地」と呼ばれる共同体で暮らすメンバーの数は、国内外で1300人にも達している。

 ヤマギシ会は、養鶏から出発し、現在では、鶏だけではなく牛や豚を飼い、米や野菜を育て、加工食品も生産する巨大な農業共同体に発展している。農事組合法人の形態をとるが、農事組合法人としては実質的に日本で一番規模が大きい。農業の共同化、大規模化の必要性が説かれながら、日本の農業界がなかなかその方向に向かわないなか、ヤマギシ会は貴重な成功例ともなっている。

 著者は、そのヤマギシ会に1970年に「参画」している。参画は、ヤマギシ会に特有のことばで、全財産をすべて供出して実顕地に参加することを意味する。参画すれば、衣食住はすべて保証されるものの、賃金は支払われず、休みも定まっていない。そもそも、ヤマギシ会には一般的な規則というものがなく、すべての事柄は「研鑽会」という話し合いの場で決められる。
 そのように説明すると、給料もなければ働かない人間も出てくるのではないかとか、欲しいものがあったときどうするのかといった疑問が出てくるかもしれない。だが、ヤマギシ会の実顕地を一つの家族として考えれば、それがどのように運用されているのか、推測も可能だろう。
 ヤマギシ会では、そうした実顕地のあり方を「金の要らない仲良い楽しい村」と表現する。しかも、自分たちの生活する場を、それに近づけようとするだけではなく、社会全体にその思想や組織原理を拡大しようとしている。その点で、ヤマギシ会は、理想社会、ユートピアの実現をめざす運動体なのである。

 著者は、ヤマギシ会での45年近い生活体験をもとに、経済がどうあるべきかからはじめて、個人と組織との難しい関係について考察を進め、そのなかで、なぜ自分がヤマギシ会に参画することになったのか、そこに何を求めたのかを語っていく。

 本のタイトルにもなった「贈り合いの経済」については、経済のグローバル化が進み、高度資本主義社会の矛盾がさまざまな形で露呈するなかで、同様の主張を展開する論者も増えている。だが、著者の強みは、机上の空論を展開するのではなく、ヤマギシ会が創立されてから60年の実績を踏まえて贈与経済について語っていることにある。
 かといって著者は、ヤマギシ会の実顕地を理想社会が実現された場所としてはとらえていない。むしろ、その途上にあって数々の試行錯誤がくり返されてきたことを認め、その過程で自らがどういった体験を経てきたかを説明していく。

 そのなかで興味深いのは、思想家の「吉本隆明氏との対話」の箇所である。晩年の吉本氏が、ヤマギシ会についてくり返し言及していた。著者は1989年に吉本氏の自宅を訪れて会話を交わし、その一部が吉本氏の著作『中学生のための社会科』の最後におさめられた「山岸会との対話」に採録されている。
 吉本氏は、ヤマギシ会のあり方を評価しているわけではなく、むしろそれを批判的に乗り越える必要性を説いている。著者は、それに対して反批判を展開するのではなく、吉本氏のヤマギシ会観を素材として、実顕地の外側、つまりは一般の社会に生活する人々に、いかにヤマギシ会の理念を伝えていくか、その方策を必死に見出そうとしている。

 評者も、1975年から76年にかけてヤマギシ会に参画していた。その期間はわずか7カ月で、その経験からだけでは、ヤマギシ会の実顕地のあり方に対して評価することも、批判することも難しい。

 ただ、一つ感じたのは、ヤマギシ会と一般の社会との距離が、私が参画していたときよりも、はるかに近づいているのではないかということである。ヤマギシ会の根本には、物資を豊富に生産することで、物心ともに豊かな社会を実現するという目標があった。現在の日本社会は、間違いなく物資を豊富に生産している。となれば、残るのは心の領域である。今私たちは、ヤマギシ会から学ぶべき時期に至っているのではないだろうか。(宗教学者) 図書新聞2014.11.1

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『虞美人草』(夏目漱石)読了

大学の哲学科を出てぶらぶらしている甲野さんには、腹違いの妹藤尾がいる。親友の外交官を目指す宗近君にも糸子という妹がいる。藤尾は父親の口約束では宗近君の許嫁になっている。その宗近君の友人に、大学卒業の時恩賜の銀時計を貰った秀才の小野さんがいる。その小野さんにも長年お世話になった恩師の娘小夜子との結婚が既定の事実とされている。
ところが小野さんは、古風で物静かな小夜子よりも傲慢で虚栄心の強い美人の藤尾の方を好いている。藤尾もまた、外交官試験に落ちてばかりしている宗近君よりも博士論文を書いている詩人の小野さんを結婚相手に見立てている。
こうした藤尾という女性を中心にした男女の話は、後半甲野さんが家も財産もすべて藤尾に譲って自分は無一物で家を出ると、小野さんを藤尾の養子にしたい継母に宣言した頃から一気にクライマックスを迎える。

宗近君が甲野さんを説得するシーン。
家を出るなら、うちへ来い。妹の糸子のために来てくれ。妹は学問も才気もないが君の値打ちをいちばん知り抜いている。
「宗近君は骨張った甲野さんの肩を椅子の上で揺り動かした」

映画『おくりびと』で音信不通だった父の死の連絡を受けた主人公が、事務員さんからの二回目の「行ってあげて」に心動かされて父のもとに向かうシーンが重なる。

続いて宗近君が小野さんを諭すくだり。
ここだよ、小野さん、真面目になるのは。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。真面目というのは、つまり実行の二文字に帰着するのだ。小夜子さんを連れて藤尾さんの前で関係を絶ってみせるがいい。

ふと山岸巳代蔵の発言が浮かんでくる。
「金の要らない楽しい村では、衣食住すべてはタダである。
この村にある米も衣服も、必要に応じて、必要なものが、欲しいだけ、タダで使える。魚も果物も自由に店先から取って、欲しいだけ食べられる。テキでもフライでも鰻丼もむろんのこと、酒は飲み放題、高級茶菓子も意のまま。住むのに都合の良い家、住みたい家へ、どの家ででも起居できる。
元来誰のものでもない、誰が使ってもよいのである。みなタダで自由に使うことが出来る。
当り前のことである。
誰一人として、権利・義務を言って眉をしかめたり、目に角立てる人はいない。泥棒扱い、呼ばわりする人もない。労働を強制し、時間で束縛する法規もなく、監視する人もない。
寝たい時に眠り、起きたい時に起きる。したい時に出来ることを、楽しく遊んで明け暮らす、本当の人生にふさわしい村であり、やがて世界中がそうなる。
もしこういう暮しがしたい人があるなれば、真面目にやってみられることだと思う」

そうか、真面目というのは、つまり実行の二文字に帰着するのだ。

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