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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

「と」に立つ実践哲叢(55)

面白いのでやっている
コロナと仲良し

第一回の「特講」が開催される半年ほど前、養鶏の講習もかねた会の研鑚会に参加した明田正一(後の参画者)さんが、「キチガイになれたのが嬉しい。キチガイが治らぬうちに来る気はないか」と手紙を山岸さんに出したら

「変り者を探している。変り者を探し合って、変り者でない人を変り者にしようじゃありませんか。そして世界中の人みな変り者に変えましょう。」(1955年6月8日付)

と返信があり、翌七月には明田さんらの部落に出向き「掘立小屋を建てて藁の上で筵をかぶってでもやっていく、私はこの地の土になりたい」と言って山岸式鶏舎を建て育雛を始めたというエピソードを以前紹介した。
その明田さんにまつわる次のような話もじつに興味深い。

1958(昭和33)年現在の春日山実顕地に各地から家・財産を処分して集まってしばらくした頃、だんだん資金繰りが苦しくなってきた。その時「まだ金あるのか、そんなんあるからやりにくいのや。わしは革命をやりにきたんが面白いのや」と発言して周囲の人をハッとさせたという。

明田さんは「面白いのでやっているのや」と言う。多分本人は普通に感じたままを言っているだけなのだろうが、自分らが今聞いてもそういえばそうだったなあと呼び覚まされるような心躍る思いが湧いてくる。〝面白い〟ってどんな心の状態なんだろうかともっと尋ねてみたくなるような。
先に世界的な新型コロナウイルス感染に触れて次のように記した。

“たしかに宇宙自然界に在るものは、害し合うのでなく適所を得ればバランスを保ちながら共に生きていける性質のものであるはず。
そうした〝万物万象は共生だ〟として眺めると、現状でやれることとしての徹底した隔離と消毒の予防法と同時に、一方的に人間の方から敵視・排他してウイルスをなくそうとするのではなく被害が起こってこないようにもっていくいちばん肝心な〝人間問題〟が未解決で残されていることに気づかされる。”(「と」に立つ実践哲叢52)

コロナ問題の一番の決め手は、〝人間問題〟つまり被害が起こった先でなくて、起こってこないようにもっていく元=心の世界の確立にあると思う。
〝万物万象は共生だ〟という一体観に立つことが先で、現状での一方的に人間の方から敵視・排除してウイルスをなくそうとする対立観や従来からの部分科学観からでは仮の解決しか得られないだろう。

幸い自分らには「真理は一つであり、理想は方法によって必ず実現する」という考え方がある。案外この真理を基準にしてやれば簡単にやれる、やれるのが当たり前だ。それを心一つの研鑽でやっていこうとするのだから。

明田さんのどこへ行っても引っかからない、何でも面白いといった心の状態に、たかが心一つの精神論でどうなるものでもないと小馬鹿にしがちな考えを一瞬にして溶かしてしまう汲めども尽きぬ源泉を見る思いがする。

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 「と」に立つ実践哲叢(54)

老いることは幸せ?
鶴は千年亀は万年

今回のコロナ禍で世界中の人々が不安と恐怖にかられているのは、自分ら団塊の世代以上の高齢者や持病持ちが感染するとあっという間に重篤化して死ぬこともある怖いウイルスだという事実にあるのだろうか。ひと言で言うならまだ死にたくないのだ。できれば千年でも、いや永遠に生きたいとする本能的欲求の現れからだろうか。

もう三十年ほど前になるが、秋の行事として〝ヤマギシズム顕示博覧会〟と称してヤマギシストが日々考え行っていることを写真や絵物語や模型で表現・展示してみたことがあった。
そのなかに〝老いることは幸せ〟と題されたパネルがあった。それを見て、ウソー!年を重ねて耄碌(もうろく)することのどこが幸せ?とビックリしたことがある。

そこでは老いて蘇(よみがえ)るという〝老蘇〟の生き方について触れられていた。例えば漢字〝蘇〟の草冠は野菜類を代表し、魚や禾の字形は魚や穀物を表している。即ち豊かさの象徴、老いて蘇る豊かな生き方の提言である。山岸会養鶏法でいう〝老鶏は若雌(若々しく)のような、若雌は老鶏(牛のような)の如き……〟にたとえた日々新た頑固のない老人の生き様を描いたものだろうか。
当時はまだ若かった?からか、今一つ釈然としないままどこか他人事のように聞き流してきた。今迄の社会通念から観ると、誇大妄想狂の食言(嘘をつく)にも思えた。
でも不思議とその言葉に引っかかりながらも妙に惹かれるのだ。いつも心の隅でなぜそんな常識外れなことが言えるのだろうかと問いかけてくるのだ。

だけど〝若さは今にある〟とは理屈では言えても、寿命が尽きるのが目のあたりに迫ってくるような感じが実感されてくると先にあるものがだんだん古くなっていき底なしの寂しさ・孤独に襲われてしまう。テレビの特集番組は、他人事ではない深刻な老後の現実を老人漂流社会と見なして〝歳をとることは罪なのか〟と生々しく迫ってくる。

ある時ここでの〝老いることは幸せ〟の幸せの中身って、不幸に対しての対句即ち今までの人間観念界の喜怒哀楽、幸福感のはかなさを指してはいないのだと気づかされた。ああそうか、と腑に落ちるものがあった。
ローソクが燃え尽きる時、自然になくなる。人間も使えばすり減ってきて肉体の自然はやがては消える。それって観念でなく事実そのままの姿ではないのだろうかと。

そう言えば世界革命実践の書に〝各々の立場において、真実、それに自己を生かす〟とあったが、一高齢者として、真実、それに自己を生かすってどんなことなんだろうか。それを自分の生き方として、老いて蘇るをそのままやってみようというのであろうか。
しかしこの期に及んで、日頃人やモノの最大限の活用をうたいながら、いざ自分自身を〝真実、それに自己を生かす〟となると急に難しく感じられてくるのが滑稽である。

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 「と」に立つ実践哲叢(53)

〝心を調える〟をやる
村の子供たち

高校生になったはじめての夏休み、当時『何でも見てやろう』のベストセラー作家・小田実の本を腹ばいになって読んでいたら次のような一節に出会った。

“「あんた、何をしたはるねん」オバチャンの一人が、草を刈っている男に呼びかけた。「『我』を刈ってますんや」彼はとっさにそう応じた……”(『日本を考える』)

ビックリした! 面白いこと言うなあ。もう居ても立っても居られず親に汽車賃ねだって本に記されてある三重県春日山に直行した。
その後何年かして春日山に住み始めた頃、自分にはとても興味深い話を聞いた。

“あるとき、鶏がコクシジウム(鶏の感染病)でバタバタ倒れるのでどうしたらいいか聞きにきた会員に、山岸さんが家族中揃って弁当持ちで遠足でもすることですなと言われた。余りにも暗い気持になったその人に対して、鶏の病気を治す前の、その人の病気治しが先行する点を言われたのでしょう。
鶏が飼う人の心を敏感に感じて反応するというよりも、その心や考え方が必ず現われて動作となり、技術の使い方に現われ、経営を狂わせたりするのでしょう。気分が安定しないとき、腹立たしいときなどの管理作業の動作がどうなるか、自己中心の考え方の人の行ないがどうなっていくか、鶏を経済動物とだけしか見ない観方で経営したらどうなるか等々、そうしたことの毎日の繰返し、積み重ねが鶏の育つ環境因子となってそのような鶏が育ってくるのです。自己より発して自己に還るとはよくいったものです。”

それ以来〝心を調えることだけやっていさえすれば、現象が調い、自然に物が豊富〟をテーマにというか、そうした考え方のもとに今日まで皆で取り組んできた。いろんな場面に直面しつつ〝心を調える〟ってどんなことなんだろうと探り合ってきた。

そこへ今回のコロナ禍である。パンデミック(感染症の世界的な大流行)、ロックダウン(都市封鎖)、緊急事態宣言、外出自粛、医療崩壊等々、人々の不安・恐怖をあおるおどろおどろしい言葉の情報パニックに誰も彼もが神経過敏になっている。まさに先の〝鶏の病気を治す前の、その人の病気治しが先行する〟事態が世界同時多発で起こっている。

ネットメディアでも誰かが「ウイルスより、怖いのは人間の思考だと思います」と発言していた。コロナ禍を恐れるあまり〝自粛警察〟の横行ぶりを憂えてのことだろうか。
いや、これを機に〝心を調える〟ことだけやっていさえすれば病気に罹らない、言わば医者の要らない心身になろうとする自己を創り出せないものだろうか。そんな思考する人間知ならではの可能性にかけるのだ。
ウイルスが問題なのではなく、〝人間の本当の生き方はどういうものか〟とどこまでも考えるところに進歩があるのではないか。

過日この間学校が休みの子ども達は朝から鯉のぼりを揚げたりクッキーを作ったりコンテナ絵で皆の心をホッコリさせていた。

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 「と」に立つ実践哲叢(52)

〝連れもて行こら〟
つれもて いこら

和歌山県の方言で〝つれもていこら〟という言葉がある。〝つれもて〟は連れて・一緒に、〝いこら〟は行きましょう・行こうというような意味だろうか。
以前恒例のヤマギシズム春まつり(5月3日)が三重県の春日山で開催されていた頃、和歌山県有田郡の金屋町一帯から大型観光バス二十数台で春日山に登ってくる一団があった。その時強く印象づけられたのが〝連れもて行こら〟という言葉だった。
ヤマギシ会の歴史をふり返ると、第51回特講(昭和33年3月)には金屋町の町会議員全員が送り出され、出迎えには町長をはじめ多数の人が駅に集まったと会の機関紙『快適新聞』が報じている。こうした〝連れもて行こら〟と誰彼かまわず誘いかける気風は、この地方の精神風土に由来するのであろうか。
他にも和歌山の県道や国道に掲げられている交通標語に「つれもてしよらシートベルト」とあると聞くが、そのほのぼのとした紀州弁のヒビキに魅せられているのは筆者一人ではないだろう。いつしか〝つれもていこら〟と呟いていると不思議と勇気が湧いてくるお守り言葉になっている。
先日の研鑽会は新型コロナウイルス感染爆発によって世界中の人々が先行きが見えない不安な毎日を過ごすことを余儀なくされている話題で持ちきりだった。なかでも参加者の一人から、コロナウイルスも何か条件があって生まれるべくして活動しているはずだから〝コロナウイルスとも友達〟!? という観点から見たらどうなるのだろうかといった発言があったりして大いに刺激された。
たしかに宇宙自然界に在るものは、害し合うのでなく適所を得ればバランスを保ちながら共に生きていける性質のものであるはず。
そうした〝万物万象は共生だ〟として眺めると、現状でやれることとしての徹底した隔離と消毒の予防法と同時に、一方的に人間の方から敵視・排他してウイルスをなくそうとするのではなく被害が起こってこないようにもっていくいちばん肝心な〝人間問題〟が未解決で残されていることに気づかされる。
先日のニュースでも、ウイルスを撒き散らした人への中傷・非難に対して「悪いのはウイルスであって、人ではない」との反論がなされていた。
自分らの合い言葉は〝まず仲良し〟だ。何をさておいてもまず仲良くなることをすべての出発点としている。もちろん人間どうしは言うに及ばず、諸事・諸物ともの仲良しだ。
しかし〝仲良し〟といった簡単な言葉に秘められた実態を自分らははなから小バカにしているのか本気に知ろうとはしない。
このたびの出来事は自然からの人類に対する一つの大きな警告かもしれない。現象に現れてこないとなかなか気づけない。根本原因が問われる事態になってきた。今こそ大洋をたたえる大らかさとみんなの知恵と力を合わせて、むしろ正常健康な明日を画策・施行していく置くことの賢明さを想う。

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 「と」に立つ実践哲叢(51)

普だん着が実はハレ着
ファーム町田店

先日の〝ヤマギシのむらnet〟(1/17)「もう、阪神淡路大震災から25年が経つ」の記事は生き生きした心持ちに溢れていた。
夕方ファーム町田店(東京都)で買い物かご2つに卵やら肉やら野菜をいっぱいにしたあまり見かけないお客さんが「間に合って良かった!」と微笑む。聞くと、阪神淡路大震災の時には三宮(神戸)に住んでいたという。

「私ね。ヤマギシさんには、本当に感謝しているのよ。あの地震のあと、自衛隊も登ってこなかった急な坂道を、牛乳とひよこ煎餅なんかを積んでヤマギシさんの車だけが登って来てくれたの。ほんと、嬉しかったわ…」
こんな25年前の話をしてくれて、
「それからよ。ヤマギシさんの農産物知ったのは……。こちらに引っ越してきて、先日、車で通ったら看板があって、嬉しかったわ…」

こんなファーム町田店でのお客さんとのやりとりに呼応してか、広島の三次実顕地から何とか混雑中の下道を通って神戸供給所に卵を運んだとか会員の友人と一緒に50ccのバイクで救援物資を運んだといったコメントが寄せられていた。
なかでも当時某電気会社に勤めていたFさんが洗濯をしたいという話から、勤務先に洗濯機を提案したところ八台が現地に届いて多くの会員さんと一緒にハレハレランドリーを学校のプール脇に設けたという話があった。
ハレハレランドリー

当時をふり返ってFさんは記している。
「神戸に続く道は車で溢れ信号は全て壊れ車はほとんど動きません。歩道は人と自転車とバイクもいます。でも怒号やクラクションは一切無くとても静かで声を掛けあったり情報交換をしたり、全ての人が他を思いやり譲りあっているように見えました。(略)
一番強く感じたのは人の心の温かさです。誰の心にも間違いなくそれは在り、きっかけさえ有ればそれは溢れ出て来る。そう感じました。幸福社会の実現を願い参画し25年やってきました。これからもそれをやって行くのだと今改めて思っています。これからも一緒にやらせて下さい。」
そうだなあと思う。人の心の温かさを見出し引き出し合うことが自分らの一番やりたいことなんだとあらためて知らされる。

レベッカ・ソルニット著『災害ユートピア』は、災害時に自然に理想的なコミュニティが形成される驚くべき社会実態を、サンフランシスコ大地震やハリケーン・カトリーナなどを例にして社会や人間心理の本質に迫る。

「祭りの三日間という言い方がある。たしかに一過性のものには違いない。だが、いざというとき瞬時につながり合う力、本能のようなものが、人間にはあるのかもしれない。自然災害のあとに、一瞬だけあらわれる人間の本性。みんなが助け合い、そのことに喜びを感じるという、もう一つの人間的自然。」

人の心の温かさは〝一過性のもの〟にすぎないものだろうか。そこには諦めと無関心と無知が……。普だん着が実は祭りに着るハレ着だったと言えるところまで行くのだ。

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 「と」に立つ実践哲叢(50)

私が変われば世界が変わる
馬脚をあらわす

ヤマギシの村に住み始めてしばらくしたある日の研鑽会で、「なんでここにいるのと問われたらどう答える?」といった話になった。自分らは、全人幸福運動、戦争のない社会、不幸な人が一人もない、愛児に楽園を、理想社会を創りに等々と答えて、なぜ今さらそんな分かり切ったことを問うのかと怪しんだ。すると問うた人は、「そうかなあ、自分だったら他にやることがないからとしか答えようがないなあ」と発言して皆を煙に巻いた。

そうか、他にやることがないから〝この生き方〟をやっているだけで、もし他にそれ以上のものが見つかればそれをやるだけなのか……。なぜか拍子抜けするぐらい当たり前の理屈(?)に直面してかその後の研鑽会は沈黙気味で盛り上がらなかった。

今ふり返るとなぜあの時、だとしたら他にやることがないというその〝やること〟ってなんですかと率直に問わなかったのだろう?
その一方でいや、それはちがうだろう。自分らは〝他にやることがないからとしか答えようがないなあ〟という発言に、たんなる言葉のあやにとどまらない別次元の世界からのメッセージを無意識に感じ取っていたのだ。だからこそ、今日まで新しい世界を暗示させるとても大切な場面として甦ってくるのだと思ってきたフシがある。
というか、たんなる言葉のあやにとどまらない別次元の世界について想いを馳せるきっかけにもなったある出来事を経てからであった。オウム真理教が話題となり、マスコミなどからヤマギシ会もカルト集団とか洗脳集団だと二重写しにバッシングの逆風が吹き荒れた2000年前後の出来事だ。

弱い馬は平坦道路ではついてくるが、難所になると馬脚をあらわす。難所に直面した時に、こんな筈でなかった、偉いことになったと右往左往。これはとても、と逃げ腰で見ると、みんな悲観的になる。それまでの同志・相棒がにわかに悪く見えてくる。コリャいったいなんやろう?
あの全人幸福運動、戦争のない社会、不幸な人が一人もない、愛児に楽園を、理想社会を創り等々の言葉の空しさに襲われた。画餅・口頭禅、仏創って魂入れずとはこうした事態を想定してのことだった。

要はすっかり今まで通りの一般社会通念や人生観の道を歩いたことに尽きるだろう。
初めて自分らは〝他にやることがないからとしか答えようがないなあ〟という発言の真意の一端に触れるまたとない機会に遭遇したのだった!
だってそうではなかったのか。先の展望など描けず暗い思いの中で唯一やったことといえば、〝自分はどうしていくのか〟を自分に問うことだけだった。

そうか、他人ごとではなかったのだ! 自分の生き方として、つまり〝他にやることがない〟ところまでセンジ詰めて生きていくのだと。そんな未知で未経験の世界を前になぜか心が奮い立ってきた。

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 「と」に立つ実践哲叢(49)

〝一つ〟からの偉力
リーチ・マイケル主将

先頃のラグビーワールドカップ日本大会での日本チームの活躍が日本中を歓喜に包んだ。今ひとつ政治も経済もパッとしない中に風穴を開けたような開放感があった。誰の心にもあり、それまで眠っていて閉ざされていたものが呼び覚まされるような衝撃をも感じた。
もちろんテレビでのラグビー観戦なんて初めてのこと。にわか仕込みの知識で、野性的な力と力の直接肉弾戦を突進しくぐり抜けたりパスで繋ぎながらボールと共に飛び込む〝トライ〟など、観る者を興奮させ感動させてやまない。

しかも日本チームは主将のリーチ・マイケルはじめ多くの海外出身者で占められ、合い言葉は「ONE TEAM」。テーマは〝一つ〟なのだ! いったいなにで多種・多様・異見を〝一つ〟にまとめられるのだろう? 単なるスポーツの関心を超えての興味がおのずと湧いてくる。
それにしても決勝トーナメントでの世界レベル・南アフリカは強かった。試合後の円陣を組んでのリーチの発言が共感を呼ぶ。
「このチームを誇りに思う。この一年間だけでも250日以上一緒に生活してきて、本当に家族のように思ってきた。そのチームが次に試合が出来なくなるのは寂しいけど、自分たちの今までやってきたことを誇りに思おう」
宋の文人・蘇軾(そしょく)の詩句“脚力尽くる時 山更に好し”とはこのことか。

各地にヤマギシの実顕地が続々誕生したての頃だったろうか。ある年の正月の研鑽会で、今年は〝一つ〟の研鑽をもっとやりたいといった提案があった。エッ、一つは一つでしょ。なにをさらにもっと研鑽するのかその時はさっぱり意味不明だった。今ふり返ってみて冷や汗が出る思いがする。
たしか当時の世界情勢は、ベルリンの壁撤去に象徴される社会主義国家の行き詰まりから共産主義国家と資本主義国家の共存態勢の動きが連日のように報道を賑わしていた。それ以来一人で持つかみんなで持つか、持つ者同士の世界が統合されて最近のグローバル時代に至っている。だとしたらヤマギシの〝持たない世界〟はどのように切り開かれていくのだろうか。

同じ〝一つ〟でも出所が異うと、現れる現象が真逆になってしまう。そのことを痛感させられる日々だ。というか、なにを差し置いてもそのことを真っ先に研鑽する考え方にまず立つことの大切さを感じている。
例えば実顕地の暮らしの中で、いつもみんなに合わせんならん思うと自分を押し殺しているようで窮屈に感じる場合がある。心一つでやることと全員一律でやるということが混線しているのだ。一見バラバラに見えても一体の一つ、一つからのものとは、断じて一技術や方法の末に有るものではないはずだ。

先のラグビーも「ONE TEAM」だから、個々の犠牲によく似た行為が全て生き、活かされる。そんな合わすことによって発揮される〝一つ〟からの偉力に触れての共感なのだ。  

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「と」に立つ実践哲叢(48)

そこに見出された世界
愛和館リニュアール

春日山食堂「愛和館」がリニューアルオープンしてもうすぐ一年近くになる。それまで枯山水の池だったところが埋められ、段差のないオープンテラス仕様になりずいぶんと開放的な広い空間に変わった。
この夏夕日が沈む頃まで「愛和館」の前の芝生でボール遊びに興じる娘たちや、いつまでも食堂の片隅のテーブルで話し込んでいる男の子らの姿を目にしていると、なぜか新しい発見をしたような気持ちのたかぶりを毎度のことながら覚えてしまう。
先日読んだある書の終章のはじめにあったエピグラフが浮かんできた。

「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ」(マルセル・プルースト)
なるほど〝新しい目〟なのだと胸にストンと落ちる。でもいったい〝新しい目〟って何? それに〝新しい目〟で見られるにはどうしたらよいの? 「一体食堂愛和館」もリニューアルなったその〝新しい景色〟に感じているだけにすぎないのでは? だんだん心許ない気分になってくる。

そんな先々の姿をお見通してか、第一回「特講」(1956.1)開催直後の山岸さんは、〝「見る眼」は正しく見られる心が出来たか出来ぬかによって定まる〟と歴史的快事を目の当たりにしてやや興奮気味に次のように語る。

▽今の世の人々の眼は、一部を除いてはすべて狂い怒った眼である。今にしてこの狂った眼をヒックリ返さねば、人類最大の悲惨と残虐が襲いかかってくることは必定である。
▽「正しく見る眼」はまた、狂った眼の見えぬものまではっきり見えるから面白い。鶏の飼料として餌屋の売り出すものと、我が田畑で出来たものと、臭い魚あらと近頃流行の雑草とやら以外に見えない眼のあわれさよ。餌はどこにでもいつでも無尽蔵にあって、それがありありと見えるではないか。そして人の世の至宝も、永遠の幸いも。
▽狂った眼の悲しさよ。怒った眼の怖ろしさよ。怒り狂いをヒックリ返して、暖かく、清く澄んだ、そして和やかな正しい眼を持つことこそ、生き甲斐あらんとする人の第一の仕事ではあるまいか。
そして怒り狂った今の世に、この眼を入れ換える所がたった一つある。たしかにたった一つ──それがどこにあるのか、「見る眼」に入れ換えようとする人々にはそれがはっきり見えるはずである、としている。

そう言えばエピグラフの出典はフランスの作家・プルーストの『失われた時を求めて』だった。ある日マドレーヌのひと切れを浸しておいた紅茶を口に運んだ、まさにその瞬間呼び覚まされた〝えもいわれぬ快感〟から始まる長大な物語だ。
そこに見出された世界は先回のお母さんの眼に、今のIさんの目に飛び込んできた〝何ともいえない嬉しい気持ち〟に、あの「特講」でのキメつけていた観念を放したその瞬間湧き出てきた〝愉快の幾千万倍の気持ち〟にも重なる気がする。  

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「と」に立つ実践哲叢(47)

ポンとそれに飛び込む
雪の崖を登る熊の母子

以前、雪の崖を登る熊の母子の動画が話題になっていた。
斜面の上から母熊が心配そうに見守る中、子熊は必死によじ登ってくるがもう少しのところで滑り落ちてしまう。それも急斜面のかなり下の方まで滑り落ちるが、子熊はあきらめず再び斜面をよじ登り始める。そしてついに子熊が何とか母熊の元にたどり着くと、何事もなかったようにまた一緒に雪の道を跳ねながら去っていく。
その元気よく嬉しそうに走り去っていく後ろ姿に〝よかったね!〟と誰もの心をグッと掴むものがあったのではないだろうか。

わずか3分に満たない映像に、〝ガンバレ〟と滑り落ちる子熊を応援せずにはいられなかったり、無事お母さんと一緒に嬉しそうに走り去るしぐさに、なぜこんなにも胸の中が熱くなるのだろうか。
たんなる人間の側からの勝手な思い入れに過ぎないのだろうか。そして心温まる情景の一つとしていずれ忘れ去られていく。

しかし、それにつけても、熊の母子の姿におぼえるこの心のときめきの正体はいったい何だろうと想いを馳せていると、何か不思議な感情が充ちてくる。
自然と人は一体のもので、人は自然から産まれたもの。この事実はそのまま熊の母子にも当てはまるだろう。そうなのだ。自分らはあの熊の母子の姿に、きっと熊の〝こころ〟を見ているのだ!

そんな事実その中での新鮮な気づきを、本紙四月号に載っていた研鑽学校に参加してのIさんの手記からも感じとれた。
研鑽会でテーマ〝私の原風景〟を出し合った。要約してみる。 
 
父は私が五歳の時に病死。母は父の死後一年ぐらいで働きに出て、私は弟妹の母親代わりをしていた。
そういう日々の中で、夕暮れになると母が恋しくて、五歳、二歳の弟妹の手を引いて母の働いている所へ行くのだが、「帰りな!!」と言われる中で「今日は迎えに来てもいいよ!!」という日があって、その日はお菓子かりんごを買って貰える日で、朝から嬉しくて、早く暗くならないかなあとワクワクしながら暗くなるのを待ち、ようやく母の顔が見えた時の嬉しかったこと。
そのことが、悲しくて辛くて苦しいことと思っていたことが、その時の自分と向き合った時に、嬉しいことだったんだと思え、切なかったり苦しかったりばかりだと思っていた母の人生が、一瞬のうちに、明るい楽しいことのようにキラキラと光るものに見えたというのだ。

その時のお母さんの眼に映っていたものはそのまま今のIさんの目に映っているものだ。それは懐かしい思い出では決してなかった。何ともいえない嬉しい気持ちがとめどなく溢れてきて、今の私に会いにやってきたのだ!

前述(本稿44)の山岸さんの弁を借りれば、ポンと〝それに飛び込んでゆける私〟って、こんな感じなのだろうか。

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 「と」に立つ実践哲叢(46)

喜び、喜ばし合いの世界
伊勢エビ

実顕地というとき、その外形や建物を実顕地と考えたり、集団で生活しているのを実顕地と思ったりしがちだ。いやそうではなく、一人ひとりがイズム生活をしている実態が実顕地といえるはずだといわれて久しい。
もう十年以上も前のこと、〝伊勢エビ〟の話題で盛りあがったことがある。

ある日伊勢エビ五匹が頂き物で食生活部に届いた。困ってしまった。皆で200人いるのだから、どうやって分けたらよいのか?
研鑚会に出してみたら、「なんで困るの? この人にどうぞと丸ごと一匹出してみたら」「えっ、食べれない人が多くなる」「それでいいんじゃないの」
そこでやってみることにした。夕食に色鮮やかに焼き上がった伊勢エビが四匹並び、そこに四組の名前が書かれていた。

その日食卓で食べた人は、抽選に当たったのかなあと気楽に食べた人、私は70歳以上だから貰えたと思った人、皆の目が気になってさっさと食べて片づけよう、殻なんか付いてなかったらよいのにと思った人、とても美味しく食べさせて貰えたという人等々。
食べなかった人は、どうして俺にはないんだ? どういう人が選ばれたのかな? 誰が四組を選んだのか? 食べている人を見て嬉しく思えた等々。 
残りの一匹は、やっぱり出すからには味見をしなきゃね、と食生活の人で美味しく食べたとのこと。

この〝伊勢エビ〟の話がいろんな場で話題になった。各実顕地から寄ってくる研鑚会では、「うちは考えている中に腐っちゃう」「うちはえびせんにして皆に出すかなあ」「うちは老蘇さんにあげる」「この前、和菓子を四個貰ったんだけど、20人でどう分けたらいいの? 一つを五等分に切るか?」等々と大笑いしたことがある。

今から振り返ると、この頃から実顕地の日々の暮らしが研鑽に軽く出されるようになってきたのではないだろうか。
もちろんヤマギシズムでの研鑽はそれをいくら上手に解説できても何の効果も出ないことぐらいは誰もが知っている。ではどうしたらけんさん理念が暮らしの端々にまで浸透していけるのだろうか。ずっと普段着としてのけんさんを着こなしたいと夢見てきた。
そういえば実顕地構想の中身を実践する研鑽資料に次のような一節があった。

「今度提案しようと思ったが、酒瓶を中央に置いて、みんなが喜んで、飲む人で飲んで、喜べるようにやってみたらと思ってる。菓子でもよいし。子供に食べさして嬉しい、おじいさん、おばあさんに飲まして嬉しい状態。みんなが喜びの中で、こんなもんいけると思うの」

あれっ〝あなたを喜ばして私も嬉しい〟って、普段の暮らしそのものでは!? 
そうか、〝ヤマギシズム理念を生きる〟ってこんな感じなのだろうか。〝美味しい〟〝嬉しい〟という感覚が湧き出る源泉に触れた思いがした。

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「と」に立つ実践哲叢(45)

「理想社会はここにある」

呼び水(よびみず)という言葉がある。ポンプから水が出ない時に、水を引き出すために新たに外から入れる水のことで、誘い水とも迎え水ともいう。またよく〝呼び水になる〟といって、ある物事を引き起こすきっかけとなる意味にも用いられる。
本紙(『けんさん』)の前身『ヤマギシズム』(1962.6.5発行)の〝山岸先生一周紀によせて〟に、先に紹介した明田正一(1913-1964)さん
明田正一

(写真右から3人目、山岸巳代蔵の隣、第一回特別講習研鑚会会場1956.1にて)の手記「無駄にはしないむかえ水」が載っている。
筆者の明田さんは「百万羽養鶏」(現在の春日山実顕地)への参画者第一号といわれているが、その参画前後の背景がじつに興味深い。

1958(昭和33)年の「百万羽養鶏」構想が発表される前、当時四日市に住む山岸さんに呼ばれて行くと、
「むかえ水があれば水はいくらでもあがってくる。水は無尽蔵にあるが……そのむかえ水がない」と山岸さんは言う。なるほどそのとおりなので、自分はむかえ水になりたいと思いながら聞いていると、
「正一さんがむかえ水になっても水があがってこず、世のすべての人に見捨てられたら、どうするかネ」と言われた。「その時は死にます。死ねばよいでしよう」と言った。ごく簡単に言った。実際そのつもりであったから気軽に言えた。すると、「そうだ。それだ……そこだ……」と言われた。
しばらくして、「あんた一人は死なしはせん」と一言。胸に込み上げてくるものがあった。それと同時に先生の瞳が光っていた。この一言は終生忘れることのできないものとなった。実顕地も皆この一言からの出発でなければなるまいと記されている。

そしてその年の四月「百万羽養鶏」構想が発表され、そこでの研鑚会で明田さんが一番に参画すると言い出した。
そしたら参加者の一人が、「まだ決まったものでもないのに、それに海のものとも山のものとも分からないのに、全財産をつぎ込むのはどうか。半分残しておいて失敗した時に備えておいたら」と言った。
すると山岸さんがすかさず、「それはとんでもないことで、全人幸福運動への反逆である。常識観念はすべて反逆である」と言ったとされる。

その時に出た話が伝え聞く〝肥柄杓(こえひしゃく)一本に至るまで処分して持って来い〟とか〝かまどの灰までも〟とか〝墓石一つ残すな〟といった発言だった。
そして明田さんは二日目か三日目にもう荷物を積み出した。もちろん近親知人の猛反対を押し切っての財産整理だった。

一人の心からの行いが万人の心に響くものだなあと、今頃になってつくづくそんな感慨に打たれる。以前は〝かまどの灰までも〟とかの話を聞き及んだ時、〝そこまで言うか〟とその過激(?)な発言に驚いたものだ。
明田さんに代表される人に〝神心〟を感じてか思わず「後光が射している」と手を合わしたり、「理想社会はここにある」と公言してはばからない山岸さんの真意はどこに? 

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「と」に立つ実践哲叢(44)

愉快の幾千万倍の気持ち
高倉健

ヤマギシ会の第一回〝特講〟(昭和31年1月)が開催された翌年9月、会の全国大会で山岸さんは講演している。要約してみる。

「二人の知的障害の子を持って悩みに悩んでいたお母さんが、一週間の〝特講〟で、この二人の子がいたがゆえに、こんな幸せな境地へ入れた。その日から、その時間から、その瞬間から愉快になってしまったと言う。
それもただの〝愉快〟ではない。愉快の幾千万倍、なんかしら愉快な状態、いつでもウキウキした状態になった。
そういうお母さん、この一人がそうなったら、たくさんの知的障害を持った子の親たちが続々そうなってくるということですネ。
その子ばっかりにとらわれていたのに、その子どもを放っといて駆け回る。その子を放したら、その子がすくすくと育つ。この子はダメだ、と思っていたのに、〝こりゃいけるぞ、落ち着いてきたナ、からだも伸びてきたナ、知恵が何やら無いと思っていたけど、チョイチョイ知恵が出てきたナ〟、こういう状態になるらしい。」

自分の心の内にキメつけている観念が抜けたハッと開ける一瞬。これこそ自分らがあの特講で味わった世界でもある。
それにしても〝愉快の幾千万倍の気持ち〟ってどんな気持ち? 山岸さん一流の大げさに飛躍した物言いなんだろうか?
そんな〝家も、子どもも放っておいて、自分さえ愉快だったら、そらいいわナ〟と引っかかる人の気持ちをも見越してか言う。

「大変なことが起きたようなことでも、大変なこととは思わない。〝アラ、いい調子だナ〟、〝ひと仕事できてきたナ〟、こういうふうになれた自分。このときに〝よい調子になってきたナ〟と思おうと思わないのに、ワザワザこんな面倒なこと思わないのに、〝ああ、これは面白いことだナ〟と思えたらよいの。思う思わんでなしに、そういう状態になって、それに飛び込んでゆける私になったらよいと思う。」

ここでの我が子を放したお母さんの眼には、きっと我が子を超えたものが映っているにちがいない。えーっ! それってなに?
今まで〝不幸だ、不幸だ〟と思っていたお母さんが、この二人の子がいたから、こんな幸せな境地へ入れた。そこから〝愉快の幾千万倍の気持ち〟が湧いてきたのだと言う。そのことはすくすく育つ子らと共に力強く生きている〝喜びの自分〟をそこに発見したからではないだろうか。
ふと題名に惹かれた俳優・高倉健の『あなたに褒められたくて』の一節が思い浮ぶ。

「お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青を描れて、返り血浴びて、(略)三十数年駆け続けてこれました。」

知的障害の子がいたがゆえに幸せな境地へ入れたお母さん。あの母(ひと)に褒められたい一心でやってきた健さん。そこに見出された〝喜びの自分〟の中の〝あなた〟を想う。 

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 「と」に立つ実践哲叢(43)

〝二つの幸福〟問答

またその年1955(昭和30)八月に山岸さんの母・ちさが亡くなり、会葬者全員に小冊子『二つの幸福』を配ったとされる。
山岸巳代蔵一家とその親族

【写真は左から 四男・千代吉(23) 三男・巳代蔵(28) 二男・新五郎(31) 父・巳之助(58) 母・ちさ(56) 西村しづ 妻・志津子 なお長男・助一(33)は京城(朝鮮)に滞在か? この年[1929(昭和四)年]山岸巳代蔵は山根志津子と結婚】

生前母はよく〝水は冷たい、お湯は熱いから止めるでは何事も出来ないよ〟と独り言を言っては僕をつくってくれたという。そうした母の心を移し行うように、過去幾千年の人類史上「出来ない」と思われた理想社会はどうしたら実現するかを一言で簡明に著したものが『二つの幸福』なのだ。

二つの幸福がある。真の幸福と幸福感だ。どちらも同じ言葉をもつが、根本的に相異なる。何時になっても変らない真の幸福と、不幸に対しての対句としての幸福感である。喜怒哀楽に象徴される一時的の満足感を幸福だと思い込んでいるのは仮の幸福であり、ただ幸福だと思っているのみで、こんなはかないものを幸福感と呼んでいる。
それが今日まで実現しなかった理由としては、諦めと無関心と無知等々が挙げられるが、肝心の幸福の何物かさえも知らず、知ろうともしない、または間違った考え方をしている人が多いからであるとして、

“幸福感と真の幸福の区別が解らないからなのだろう。”
“幸福感を本当の幸福なりと勘違いをしている人が頗る多いのではないか。”

と記されている。
だとしたら永遠に変らぬ〝真の幸福〟っていったいなんだろうか? どうしたら幸福感でない真の幸福が得られるのだろうか? 

ある日の研鑚会のテーマは「何でも二つある」だった。何でも二つあることを知ることの大事さで話が盛りあがった。ほとんどの人生上の苦しみや悩みの原因は、皆一つしか知らないところに帰因するのではないかと。そう言えば幸福にも幸福感と真の幸福の二つあったなあと、ふむふむと頷いている自分がいた。
しかし今振り返ると冷や汗が出るような思いがする。例えばほとんど無自覚に自分の思い考えから見て、幸福感と真の幸福を観念的に区別していたのではないか。自分らの切実に欲求する、永遠に変らぬ真の幸福を掴み得ようとして、知らずして不幸に対しての対句としての幸福感を〝本当の幸福なりと勘違いをしている〟自分に気づかされる。

そもそも不幸とは何か? たしか研鑽資料『ヤマギシズム社会の実態―世界革命実践の書』には〝不幸と感じることが間違いで、幸福が本当だ〟と記されてはいるが、実際は不幸と思われる現象に出会って心の動揺を感じるばかりの不安定な自分がいたりする。
それでは二つあることを知り、もう一つの不幸と思われる現象が現れないようにするってどんなことなんだろうか。

そうなのだ。まず〝不幸と感じることが間違いで、幸福が本当だ〟とする、不幸と感じない心境になることが先で、そこから間違った姿をなくしていこうとする、そんな〝理念を生きる〟もう一つが見出されてくる!

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 「と」に立つ実践哲叢(42)

〝常識外れの変わり者〟

ヤマギシズム理念や一週間の特別講習研鑚会を考案した山岸巳代蔵ってどんな人だったのだろう? 遺された資料などから一言で言うならば、〝常識外れの変わり者〟とも呼べる人間像が浮び上ってくる。
山岸巳代蔵

実際に第一回の「特講」が開催される半年ほど前、養鶏の講習もかねた会の研鑚会に参加した明田正一(後の参画者)さんが、「キチガイになれたのが嬉しい。キチガイが治らぬうちに来る気はないか」と手紙を山岸さんに出したら次のような返信があった。

「変り者を探している。変り者を探し合って、変り者でない人を変り者にしようじゃありませんか。そして世界中の人みな変り者に変えましょう。」(1955年6月8日付)

そんなたった一夜の夜明かし研鑚会で〝キチガイ〟になった明田さんに呼応するかのように、7月には山岸さん自ら明田さんらの部落に出向き「掘立小屋を建てて藁の上で筵をかぶってでもやっていく、私はこの地の土になりたい」と言って山岸式鶏舎を建て育雛を始めてしまう。そして10月の山岸会全国大会では何と「地上の一郭に既に理想社会はできている」と公言するのだった。
このスピード感、〝常識外れの変わり者〟ならさもありなんといった感じである。心の豊かな人に巡り会って居ても立ってもいられなかったのであろうか。

こうしたエピソードからある意味で山岸さんという人は、自分の〝理念を生きた〟人ともいえるだろう。しかもその生き様がとても〝リアル〟なのだ。
理念(理想)と現実(実際)との間にスキマを作らないように、絶えず理念(理想)に即応しようとする意図を感じる。常識的には崇高な理念を掲げることは、即挫折や敗北や悔恨を意味するはずなのに……。
例えばこんな発言もある。

以前の自分は、自分の思い考えを皆に聞いて貰い「どう思う?」と尋ねると「分からん」と言われて、「なんや、こんなに喋っているのに頼りない」「なんや、つまらん」と思っていた。逆にまた「そうか」「なるほど」「そら苦しかったやろな」と言われると同調者ができて、味方ができて、理解者ができて、非常に力強く感じていた。
ところが最近になって「ははあ」「ああ」と、ホンマに頼りないと言うのか、あほらしいって言うか、煮え切らない本当に「分からん」とする相手と話すのが最も楽だと思うようになったという。

「理解者の数が要らんという、自分が理解者になったらええのやと思ってね。それからこそっと楽になったね。妙なもんやわ、そら。」

パッと陽光が射し込んだような開放感に包まれる。自分の思い考えを理解してほしい、認めてほしいという観念の夾雑物が外れた清々しさが感得されるようだ。

それにしても〝自分が理解者になる〟の、その自分ってどんなじぶん? 自分の心の内にキメつけている観念が外れた一瞬。これこそあの特講で出会ったじぶん?

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「と」に立つ実践哲叢(41)

新しい時代についていく

昨年11月末の村の交流会で何か皆の前で話せというので、たまたま当日朝のニュース〝中国政府、「世界初のゲノム編集赤ちゃん」研究の中止命令〟から思いついて、今世界で起きている目覚ましい科学技術の進化と自分ら日々の暮らしとの繋がりについて話してみたことがある。
ゲノム編集技術

今まで自然(神)の領域でなされていた遺伝子の組み合わせが画期的な遺伝子編集技術(クリスパー・キャス・ナインの発見)によってまるでワープロで文章を編集するように人為的に簡単に書き換えられるのだという! そのゲノム編集技術の開発者の一人、ジェニファー・ダウドナ自身が自著で心配していた真当の使い方を知らない人にも使える技術ゆえの懸念がまさに現実になったといえる。

以前にもスマホや自販機などに象徴される文明の利器の有り難み、温もりを振り返ってみたことがある。その時までは外なる創造・物質進化と内なる人間自体の開発・創造面とを切り離して考えていた。だから外なる創造のより一層の進化と共に肝腎の人間問題が立ち遅れにならないよう、今ほど人間自らの開発・創造の方面こそむしろ先行して取り組む時はないとしてきた。

ところが今世界で起きていることは、内なる心は知らぬ間に外なる便利で快適な科学技術の一方的な勢いに侵されつつあるという驚きにある。外なる創造する積極的能動をそのまま内なる人間自体に持ち込み、内部が心を持たないAI(人工知能)のアルゴリズムに置き換えられようとしているのだ。外と内が離れたものでなく直にリンクする、はじめての事態に直面しているのだ。
先の中国政府の中止命令に見られる旧来の生命倫理観から見ての今日の重要施策と同時に、今一つ、今直ちに着手しなければならぬことがあるのではないか……。
そんな話す本人も未知ではじめての事態のことをたどたどしく語るものだから、聞く方はもっと見事なくらいチンプンカンプンだったらしい。

それはさておき、そうした事態が当然の帰結ともいえるなら、今世界で起きている目覚ましい科学技術の進化はどうしたら真の幸福目的のために利用されるのだろうか。また生来の人間としての豊かさ、広さ、徳性を果たしてどれほどより広く深く進化させていけるのだろうか。問われるのは、内なる人間自体の開発・創造面であろう。

そう言えば当の〝クリスパー〟も細菌がウィルス感染から身を守っているという自然現象の研究から生まれたという。内なる人間自体の開発・創造というと大層難しいように聞こえるが、ヤマギシ会趣旨の一節〝自然と人為の調和をはかり〟という意味での自らの能動的な〝働きかけ〟としてとらえたい。
そうすると、それは誰の中にも無限大に潜在して人間ある限り無くならない、開発さえすればどんどん湧き出てくるものではなかろうか。その辺り今少し思い巡らしてみる。

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 「と」に立つ実践哲叢(40)

万年素人の初々しさ

さきの「あの崇高な〝人生踊り〟が特別人間のことでなく、自分のこととして実感されてきた」のなら、実際のところどんな状態を指して〝人生踊り〟というのだろう? 
じつは『養鶏書』(山岸巳代蔵著)には他に次のような一文もあった。

“人間の生活は一生を通じて、遊戯であり、私は自分を自分から離して、例えば芝居の登場人物を、客席から観る態度で、眺め、楽しんでいますから、喜怒・哀楽・不遇・得意の感情に冷淡な訳で、儲かってもそれほど嬉しくないし、損しても他所事のようです。”

“養鶏を職業とした時代でも、弄び的で、飼養法にしても、鶏種にしても、いろいろ建てては壊し、積んでは崩し、組み変えて試る癖が抜けなかったのです。”

人間の生活は一生を通じて、〝遊び戯(たわむ)れる〟ことであり〝弄(もてあそ)び的〟であり〝なぐさ(慰)み〟であり、それじたいが楽しい一つの踊りなのだという!?
そう言えばたった一人で〝おつかい〟に挑戦する子供たちの奮闘ぶりを、ドキュメントタッチで描くテレビ番組『はじめてのおつかい』がある。
はじめてのおつかい

親から買い物や用事などのおつかいを頼まれた3~5歳くらいの子供が、道を間違えたり、言い間違えたり、お金が足りなかったりしながらも必死に実行しようとする姿に毎回ハラハラドキドキ。そんな子供たちのけなげな姿にグッとくる。

あの、子が親からものを言いつけられた時の聴き方って、どんな聴き方なんだろうかと思いめぐらしてみる。きっと抗弁する態度でなく、ただ、じっくり聴いている。
その昔〝万年素人の初々しさ〟といったテーマで研鑽したことがある。それまでは経験や知識を豊富に積んだプロフェッショナルな生き方にどこか憧れていた。ところが〝玄人・完熟・固定〟になぞらえる自信人間ほど「来世に望みを持ち越すしかないなあ」と研鑽されて、みんなで大笑いした。
では〝プロであって素人〟であるってどんな世界?
生まれることも素人、死ぬこともはじめてのこと。恋愛も結婚も子供を産むことも育てることも仕事も、凡て経験のないことをはじめてやっていること。幾百回経験したといっても同じ経験は一度もない。

番組では、はじめてのおつかいを両親やお店の人はもちろん街中の人までがその子の一挙手一投足を我が子のように見守っている!
そんな姿を客席から観る態度で眺めると、凡てが楽しい一つの遊びにも慰みにも映り、客席の自分の心までほのぼのとしてくる。
人間は、人間の心の上には、その人なりの子供子供して遊んだはじめての光景が切ないほどはっきりと焼きつけられている。そうしてそこから、ある得体の知れない朗らかな気持ちが湧き上がってくるのを意識する。

だとしたら自分の鶴嘴(ツルハシ)をがちりと〝遊戯や弄びや慰みの状態が汲めども尽きぬ源泉〟に掘り当てることだ。そしてこの源泉を四六時中くみとるのだ。

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「と」に立つ実践哲叢(39)

〝人生踊り〟を踊る

先回は次のような一文で締めた。
“戦う前から〝のぼう様〟は、「北条家にも関白にもつかず、皆で今までと同じように暮らせないかなあ~」と呑気なことを言っては皆を唖然とさせていた。この次元ですでにボールはゴールネットを揺らしていたのだ!
 これが奇策と見えて実は理にかなった〝正攻法〟だった。その顕れが田楽踊りである。自分らの〝人生踊り〟とも重なってくる。”

そして今、自分らの〝人生踊り〟ってどんなこと? とあらためて問うてみる。たしか〝人生踊り〟の出所は『養鶏書』(山岸巳代蔵著)の一節からのものだ。

“養鶏も、農業も、本来の仕事の方も、凡て芝居であり、遊びであり、生きている間のなぐさみで、楽しい一つの踊りに過ぎないのです。”
“自分のしたい放題のことをして楽しみ、遊び踊って(私の日常は踊り)悔いなき生き方で、この途でならニッコリ笑って死ねそうです。” 
“金も名も求めず、各自の身に合う仕事で世界中に踊り、天地に愧じない連中には、至る処家在り、食有り、友、吾が子ありです。”

だんだんと心許なくなってきた。つい〝のぼう様〟の意表を突く田楽踊りに心が高ぶってか、その勢いで自分らの〝人生踊り〟に重なると口走ってしまった?
絵に描いた餅

だって『養鶏書』で描かれる〝人生踊り〟はあまりにも崇高な立振舞いではないのか。それに比べて普段の、やれ足腰が痛いの首筋が凝るのとぶつぶつとぼやきつつ時には惨めな気持に落ち込む今までの自分が頭を持ち上げてくる。だとしたら自分らの〝人生踊り〟って、ただ言ってみただけの絵に描いた餅でしかないのだろうか。
こんな自己問答をずっとくり返している。

思えば崇高な〝人生踊り〟って、我執まみれの自分には絶対ムリムリ。でも自分は実顕地、通称「金の要らない仲良い楽しい村」という舞台で、曲がりなりにも〝研鑽生活〟という踊り場で暮らしている!? そんな聖と俗のはざまにいつも戸惑ってきた。
嫌ならおさらばをしてはと自分に問えば、なぜか〝仲良し〟とか〝楽しい〟といった簡単な言葉に秘められている奥深さに、何かほのぼのとした温かいものに包まれる〝研鑚会〟の魅力に惹きつけられる自分もいた。

ある時ふと気がついた。〝何かほのぼのとした温かいもの〟に惹きつけられる自分って、ひょっとしたら自分? 我執のない自分の姿ではないのか! 同じ〝仲良し〟とか〝楽しい〟でも、〝本当〟と言いたくなる〝仲良し〟とか〝楽しい〟実態に触れている自分が浮かび上がってきたのだ。
崇高な〝人生踊り〟は絶対に出来ないかの如く思っていた。その出来るか出来ないの前に、どちらを本当に願っているのだろう?
心にパッと明るい灯が点った。崇高な〝人生踊り〟が特別人間のことでなく、まさに自分のこととして実感されてきた。

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 「と」に立つ実践哲叢(38)

ゴールインスタート考

今年の夏は記録的な猛暑が続き、連日テレビ等で「熱中症に警戒」「命にかかわる暑さ」「エアコンを我慢しないで使うように」等々とくり返し呼びかけていた。なんだか急かされているようでどうも落ち着かない。
そんな折、ネットで観た映画『のぼうの城』で暑さも吹き飛ぶ爽快感を味わった。

戦国末期、天下統一を目前に控えた豊臣秀吉の大軍二万人を前に、周囲を湖で囲まれた「浮き城」の異名をもつ小さな城・忍城(おしじょう)軍はたった五百人。勝ち目のないことは誰の目にも明らか。
しかも「でくのぼう」を略して〝のぼう様〟と皆から好かれる忍城の城代は、戦には最も不向きな臆病者。頼りなく、「俺たちがついてなきゃ、あののぼう様はなにもできゃしねえ」という気持ちにかき立てられる。何もできないことが、却って皆の心を一致団結させる。

そんな難攻不落な忍城は、とうとう城の周辺に巨大な人工の堤を築き、それを決壊させる豊臣軍の“水攻め”にあう。
そうした絶体絶命のさなか、〝のぼう様〟はなぜか「水攻めを破る」と公言する。
そして一人で武器も持たずに小舟で豊臣軍が築いた堤へと向って大好きな田楽踊りを披露する!? 
のぼうの城

するとこの〝とんでもない奇策〟に、敵も味方も驚いて一斉に喝采の声を上げる。彼らの心を大いに揺さぶるのだ。
なんとその田楽踊りをきっかけに、城に籠もるのを拒んだ百姓達が人工堤の土俵を引き抜くことで大量の湖水が逆に豊臣軍を襲う!

そんなことは〝のぼう様〟には先刻お見通しだった。城外の百姓たちも我らの味方であるとの確信があったからだ。
これが起死回生の妙手だった。思わずハッとした。これこそ、その道を通る以外には到達できない唯一最善の方法なのだ。

ふと一週間の「特講」を終えた皆に寄せた山岸巳代蔵のメッセージ(「一粒万倍に」1961.3.15)の中の〝ゴールインスタート〟という言葉が思い浮かぶ。
ゴールインとは、スポーツでボールを相手のゴールに入れて得点したり、男女交際を終えて結婚というゴールに到達したというニュアンスで使われる。
だとしたら映画での〝のぼう様〟が皆の前で披露する田楽踊りこそ、〝ゴールイン〟と〝スタート〟が一直線の立ち居振舞だったのではなかろうか?

豊臣軍の狙撃兵の的になり殺されるかもしれない。実際肩を撃ち砕かれるのだが、そうした〝結果〟は〝ゴールイン〟ではない。
戦う前から〝のぼう様〟は、「北条家にも関白にもつかず、皆で今までと同じように暮らせないかなあ~」と呑気なことを言っては皆を唖然とさせていた。この次元ですでにボールはゴールネットを揺らしていたのだ!
これが奇策と見えて実は理にかなった〝正攻法〟だった。その顕れが田楽踊りである。
自分らの〝人生踊り〟とも重なってくる。

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「と」に立つ実践哲叢(37)

 〝わが一体の家族〟を思う

是枝裕和監督の映画「万引き家族」を観た。
万引き家族

万引きを生活の足しにして仲良く暮らすとある家族の姿を描いたものだ。しかも老女と中年夫婦と若い女、二人の子どもで形成されるこの家族には、血の繋がりがない!?
血縁のない家族、血縁に閉じていかない絆、そんな血縁を超えた支え合いの形がどう実現できるのか、そんな人と人との繋がりの可能性をテーマにしてみたのだという。

そう言えば映画の中で、絵本作家レオ・レオニの『スイミー』を男の子が朗読しているシーンが印象的だった。是枝監督の込めたものがそこに感じとられた。
というのもカンヌ映画祭で最高賞パルム・ドールを獲得した記者会見で、取材で行った親の虐待を受けていた子たちが暮らす施設で、女の子が国語の教科書を取り出して『スイミー』を読んでくれた。その朗読している女の子の嬉しそうな顔が頭から離れなくて、そうか自分は『スイミー』を読んでくれた女の子に向かってこの映画を作っているんだと、あらためて気づかせてくれたと監督自身が語っていたからだ。

あらすじはこうだ。
小さな赤い魚の兄弟たちの中で、一匹だけ真っ黒な魚の〝スイミー〟。大きなマグロがやって来て、兄弟の魚たちを飲み込んでしまう。逃げられたのはスイミーだけ。
そんな怖くて淋しくて悲しい失意のうちに暗い海の底をスイミーは泳ぎ続ける。
けれども、海の中のクラゲやイセエビやコンブやワカメ、うなぎやイソギンチャクなど面白いものに出会うたびに元気を取り戻す。
そんな中で見つけた、スイミーそっくりの小さな赤い魚たちに「遊ぼう」って誘っても「大きな魚に食べられるから」と岩陰から出て来ない。そこでスイミーは考えた。皆で大きな魚のふりをして泳ごう、と。そして皆が離ればなれにならず一匹の大きな魚になって、スイミーは目の役に就いて皆は泳ぎ、とうとう大きな魚を追い出した。
スイミー

映画では後半、老女の死や少年のとっさにあえてとった万引きから一気にそれまでの家族の時間が暴かれ、奪い去られる。だって血の繋がらない女の子を〝拾って〟形成された家族は、世間的に見ればその行為は〝誘拐〟にほかならない。家族は外からのバッシングと内からの疑心暗鬼で壊れていく……。

にもかかわらず、この家族に流れている〝共に過ごす〟時間や情に触れてか、今多くの人の心を揺さぶり続けているようなのだ。
じつは自分らもまた、ここ数年来是枝監督の初期作品、生のかけがえのなさを描いた『ワンダフルライフ』やレオ・レオニの『あおくんときいろちゃん』等を研鑚資料にして、見も知らぬ〝わが一体の家族〟を研鑚会で思い描いてきた。

それは〝あおくん〟や〝きいろちゃん〟に先だって誰の心にもある見えない〝みどり〟の世界の発見から始まる。誰もが家族同然の繋がりを既に生きているという驚きだった。

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「と」に立つ実践哲叢(36)

 お金より前にあるもの

テクノロジーが自分らの暮らしを劇的に変えつつある実感が確かにある。
小学生の頃視力も良かったのか、日がな一日寝転んで天井板の木目を飽きずに眺めつつ木目の代わりに観たい映画が映し出されたら良いなあと夢見ていた記憶がある。それが今や当りまえに実現している! 

最近〝資本主義〟の先の世界を選ぶ時代がやってくるという驚きの書、『お金2・0 新しい経済のルールと生き方』(佐藤航陽 著) が若い世代に評判だという。
お金20

じつは自分らヤマギシストも、半世紀以上前から「金の要らない仲良い楽しい」をうたい文句に、〝働かなければ食べられない、食べるために働く〟という交換価値や所有欲から来る観念を放すテーマにこの間取り組んできた。そんなどこか肩に力が入りがちな試みに比べて、この書の筆者ら後の世代の人たちの、難なく自然に〝そんなことは当りまえ〟といった語調にすがすがしさを感じた。
例えばお金に対する見方もとても軽いのだ! 現状はお金がないことによって起きる困窮や不安からお金に感情をくっつけてしまい、道具以上の意味を感じてしまいがちだ。そこを〝お金は価値を資本主義経済の中で使える形に変換したものに過ぎず、価値を媒介する一つの選択肢に過ぎません〟として、お金と感情を分けて考えられる新しい「価値主義」を提唱する。

お金2・0とは、従来の資本主義の枠組みでは当てはまらない〝更新〟を意味する。例えば今や仮想通貨(ビットコイン)は既存の国がコントロールする法定通貨とは全く違う仕組みで動いている。あたかも自然界の生態系のように、それぞれが分散して自律的に価値がコントロールされるシステムとして捉えてみるべきだという。
しかもそこでは〝信頼や時間や個性のようなお金では買えないものの価値〟が台頭して、〝儲かることから情熱を傾けられること〟へと〝お金〟や〝経済〟のあり方や価値観が変わろうとしているのだ、と。

そう言えば「物の豊かさから心の豊かさへ」といわれて久しい。なるほどそれがテクノロジーの進化に伴って、共感や感謝などの内面的な価値が基準となる「価値主義」に移ることだったのかと思い知らされる。
また以前アジアの新興国でスマホなどの新サービスが一気に浸透している光景に驚いたことがある。実はこれこそ法規制などの社会基盤整備が進んでいないからこそ実現可能な、途中の発展段階を飛び越す〝蛙飛び現象〟なのだという。謎が解けたような気がした。
カエル跳び

筆者は人間の内面的な価値は現在の資本主義の枠組みでは認識しにくく、ここに新しい時代を創っていくチャンス・生き甲斐・面白みが見いだせるというのだ!
なるほどなあ。心あらばその心意気で「金の要らない仲良い楽しい」を基調にした、既存のしがらみに一切とらわれない〝贈り合いの経済〟まで見通せないものだろうか。

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