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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

イズム実顕地づくり考(67)

ちなみにM・フーコーの著作は、1976年に『知への意志 性の歴史Ⅰ』の刊行以来亡くなる直前1984年6月の『快楽の活用 性の歴史Ⅱ』ならびに『自己への配慮 性の歴史Ⅲ』の2巻の刊行との間に、八年の時間が過ぎていた。
口さがない人々はうわさする。彼はもうおしまいだ、もう何も言うことがないのだ、行きづまっている……と。(『ミシェル・フーコー伝』D・エリボン)
コレージュ・ド・フランス講義「主体の解釈学」はその間の1981-1982年度に位置する。
いったいフーコーのなかに何が起こったのだろうか? なぜギリシア・ローマの文献を読みながら、古代の性道徳とともに「自己への配慮」に関心を持つようになったのか?

あらためて「自己への配慮」とはそもそも何なのだと想いを馳せてみる。
「自己への配慮」とは、現代社会の社会通念や人生観を肯定のままでイメージされる自己閉塞やエゴイズムに繋がるものでなく、また世界から自己を切り離すことでもなかった。
むしろひとが自己陶冶という自己の実践を通して自己自身へと戻ることではじめて、「人と人との繋がり」の中での自己の場所が鮮やかに見いだされてくることにある。
それは自分が自分に出会う発見でもある!
配慮において発見される主体は、孤立した個人とはまったく反対のものである!?
この間の自分らの文脈でいう、

『知的革命 私案(一)』の一節
「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく」
にみる繋がりの、切ることの出来ない「と」のことである。
しかも「と」に立つとは「その関連を知るなれば」とあるように、知ることと実践とが結びつく「繋がりそのものの自己」に出会うことでもある。(「と」からの出発に際して)

そんな誰の心にもある「繋がりそのものの自己」に出会うことでもあるからだ。そのことは自分にとっての慰めとなり、勇気づけにもなるからだ!
心の手をさしのべれば、必ず心の手で固く握り返してくる、そんな心の豊かな人々に巡り会える実感がうれしいのだ。
目に見えるこの手は一歩の差で相離れるが、心の手は、この身が幾千里離れても、死んで幾百年経っても、決して相離れるものではないからである。

自分らの「個で充実し 個で安定する 依存のない生き方」が可能なのも「繋がりそのものの自己」が占めている結び目の一点に立ち得てこそであろう。
それは「人が自分自身にいだく快楽の体験でもある」(フーコー)との発言にも通底する。
また山岸巳代蔵に次のような一節があった。

「死んでからの極楽よりも、死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします」

そういえばフーコーの「講義要旨」の末尾も以下のような文章で閉じられている。

「死の省察という訓練の価値を高めているのは、臆見がこの上ない不幸だと思いがちなことを先取りするだけのことではないし、また、死が悪ではないことを納得させることだけでもない。
それは人生に対し、いわば先取り的に回顧的な視線を投げかける可能性を提供するのだ。自分自身を死につつあるものと見なすことで、おこないつつあるひとつひとつの行為を、その固有な価値において判断することができる。
エビクテトスは言う。死は耕している農夫や航海している船漕ぎを襲う。『では君はいったい何をしているときに襲われたいのか』
こうしてセネカは、死の瞬間とはいわば自分自身の裁判官となることができ、最後の日までに果たすだろう道徳的進歩を評定させてくれるような瞬間であると考えるのだ。
書簡第二六で彼は言う。『僕がどれほどの進歩を遂げたか、その決定を僕は死に任せることにしよう。(……)その日には僕は見栄も外聞も捨てて自分について判断することになるでしょう――つまり僕は勇気のあることを口先だけで言っているのか、それとも実際にそれを感じているのか』」

真の人間になる場として、またそうなった人間の思う存分の遊び場や働き場として、そして「一つの芸術作品としての人生」(フーコー)踊りの踊り場としてあるイズム実顕地の存在価値と活用するために、その観点からもっと見直してみたいものだ。  (この項終わり)

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イズム実顕地づくり考(66)

フーコーはいう。

「現在から出発して未来をシミュレートするのではなく、未来全体を自分に与えて、それを現在としてシミュレートするのです」

「やがての備え」を実践するとは、「未来全体を自分に与え」ることなんだと!?
思わずニヤリとしてしまう箇所だ。
ふだん自分らが災いの原因になるものを、徹底的に取り除く「抜本塞源方式」とか「未来を含んだ完了形」とか「養鶏が目的ではない」とか「根本を究めて、そこから究明していくと早い」とか「真実の人生を見届けたら、訳なく解明出来るのです」等々と禅問答のような逆手表現で語ってきた辺りに相通じるようだ。

出来事を不可避で必然的なものとして百パーセント受けとめ・現在化するということは、全部自分の思い通りに為していくという究極の自由の世界だ!

ヤマギシ養鶏法に引きつけると
自分の思い通りに鶏を飼うことは、同時に鶏の思い通りになる「産卵自由調整法」のことだろうか。
鶏が自分の手足のように動くことをいうのだろうが、「まあ、しゃもじを持ったくらいにはなった」との山岸巳代蔵の発言もある。
以前イズム養鶏法研鑽会で、山岸巳代蔵が秋に来る台風に備えて、夏頃から鶏舎の跳ね上げ戸を時折バタン、バタンと上げ下げして、鶏たちを少しづつ異音に慣れさせていたという話を聞いた。鶏は暴風の物音に驚いて産卵を止めてしまいがちだから、そうした細やかな気遣いに感じ入ったものだ。
以前次のように記したこともある。

「民俗学の柳田国男の著作『豆の葉と太陽』に次のようなことが書かれている。
村々を歩くと、火の見やぐらが一本の杉の木で作られており、いいぐあいに二股になっているところに鉄棒を通して足がかりとしていることに気づく。最初は、よくまあ都合のいい木が見つかるものだと感心していたが、そのうち、それはわざわざ初めから計画してそう作るのだということがわかった。そこで柳田は考察する。
〝村の長老等は木の未来とともに、村の未来を予測すること、我々が明日の米を支度するごとく、三十年後の隣村の火事を発見して半鐘を打ち、かつ見舞いに行くべく、今からこの杉の木を栽えるのである”
ここには不思議な時間が流れている。初めから未来を含んだ完了形になっている。未然完了体とでもいえようか。
普通一般には死児の齢を数えるように地位や学歴や今までの立場に固執する過去完了形とか現在形、つまり今日の姿を見て一喜一憂する時間を暮らしているからか、奇異にさえ感じるのだ。しかし、いつまでも心に残るのはなぜなのだろう。
ひとつは、村全体の未来の繁栄が初めに意図されていて、その実現のために今の暮らしを用意するという着眼点の新しさにある。単に観念的理想論にとどまらず、目先のものに拘泥して手段と目的を取り違えることのないあり方を、この一挿話が語る実践から触発されるのだ。
こうした観点に立つ時、三十年先の隣村の火事を発見するために今から用意することがかつてあったように、百年後、千年後のために、今ただちに着手しなければならぬことがあるとの考え方が一気に現実味を帯びてくる」(『贈り合いの経済』所収)

こうした様々な錬成・試練などを通して、真実の認識の主体ではない正しい行動の主体であるような、そんな配慮において発見される倫理的主体としての「自己自身」が立ち現れてくるのだ!

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イズム実顕地づくり考(65)

また先のセネカが『道徳書簡集』で説く「やがての備え」についてフーコーは解読する。
前述したストア派の「修練的なもの」、
1 節制
2 省察
3 死の省察の訓練
4 未来の最悪の予期の訓練
5 良心の吟味
での「死の省察の訓練」や「未来の最悪の予期の訓練」に当てはまるだろうか。
フーコーは語る。

「ある出来事に急に襲われた人は、驚きがあまりに強く、この出来事に対する備えができていないと、無力な状態に陥ってしまう恐れがある」と。だから
「起こりうることはすべて起こるはずだと考えなくてはならない」
「必然的に起きるはずのものとして、起こりうることを自分に与えることだ」という。

どういうこと?
そういえば自分らも二十歳代の頃、研鑚会で「若い時分にこそ老蘇(老いて蘇る)の生き方をはっきり描いておくように」と諭されたことを思い出す。
その時の「そんな先のことわかるかい」と他人事にして聞き流していたツケが、今になって回ってきているようで悔やまれる。
参考までに当時の研鑽資料を紹介してみる。

若雌は老鶏の如く
『老鶏は若雌のような、若雌は老鶏の如きタイプを常に保たすこと』。これは山岸会養鶏法の増補改訂版、農業養鶏編「鶏の外観による判定について」の中の一節である。
山岸養鶏が(技術20+経営30)×精神50と、精神面を強調している意味を理解納得して、養鶏を行なっている人には、前記の一節の理が解されるであろう。そしてまた、その現われとして優れた養鶏実績を上げ、かつ家庭生活・社会生活のすべてにわたり、快適な人生を送っているはずである。
このような見方は、飛躍または牽強附会ととられるかもしれない。だが、山岸養鶏法そのものが、理想社会の縮図であることを知り、また、全体経済面の一小部分に過ぎず、社会構成の上からも一般の関心が薄く、いわば顧みられない一隅とも言える養鶏を通じてでも、社会全体を動かす始動力となろうとして行なってこそ、山岸養鶏は成功する仕組みになっていることを理解されるなれば、さきに述べたことについて得心がいくはずである。
特別講習研鑽会を受講した人や、研鑽学校に入学した人には、前述したような事柄は周知のことであろう。
だが、知った・理解しただけにとどまって、それを自分の生き方として実践に移さなければ、理念の死蔵であり、その人の人生の意義も稀薄なものになってしまうだろう。これはヤマギシズムに触れられた人すべてが、厳しく省察しなければならない点である。
見える若さだけでは
養鶏法そのものが理想社会の縮図であるなれば、養鶏法として挙げられている一つ一つのことがらを、人間及び人間社会のあり方の研鑽資料として検べ究めることが至当と思われる。この観点から『老鶏は若雌のような、若雌は老鶏の如き……』の鶏を人に当てはめ、人間のあり方として検べると、どのようなことが言えるだろうか。
『今時の若い者は』ということは、いつの時代にも言われていたらしい。また『最近の青年には若さがない』というのも、しばしば耳にすることである。特に後の例の場合は、青年が無気力・沈滞の状態にあると見え、頼りなさを感じる人が口にする言葉である。
こういう人は、青年たちが集まって話し合ったり、レクリエーションを楽しんだり、あるいは一団となって額に汗して何かの労働をしている様子を見ると『若者らしい、頼もしい』と満悦しがちである。だが、若さというものを現象面だけで判定すると、大きな誤りを犯す場合が少なくない。
ほんとうの若さとは
若さそのものは、積極的・陽的であり、自由活動的で向上進歩に繋がるものであろう。
ただこれらは心のあり方であって、言動など現象面に現われたものが積極的・活動的に見えるからといって、それが即ち若さだとするのは早計のようである。つまり、言動のもとになっているのが自己顕示欲であったり、自分さえよければよいとするような心、即ち私心、あるいは反抗心であったりするなれば、その行為行動がいかに積極的であるように見えても、それを若さの現われと見ることはできないわけである。また、仮に自己顕示・私心・反抗心等がないとしても、特定個人や固定不動の条理に従っての行動も、盲信・盲従である点において、最も若さに欠けたものといわざるを得ない。
若さを、積極的・陽的・自由活動的・向上進歩的な心のあり方と考えると、『老鶏は若雌のような、若雌は老鶏の如く……』に例えた人間の実際のあり方は、次のようなものになってくるであろう。
即ち人は生物的年令が重なってくると、とかく定着的、保守的な傾向になりやすい。だから常にそれからの脱皮に心して、いつでも、どこへでも赴き、何でもできる人であること。また、若いうちは、とかく心が動きやすく、新しいところへ行き、新しいことをやってみたいという気持ちにかられがちである。その心を自ら制御し、現象的には鈍重、保守的と見られても、自分の意志を出さないだけでなく、無我意のあり方で実践にうちこみ、自らを練成していく。
ただし、こういったあり方は一体生活・公意行のあり方によらなければ、実現不可能であることもまた事実である」(1978.12)

それでは「やがての備え」を実践するとは、どんなことなんだろう。

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イズム実顕地づくり考(64)

ここでの「修練的なもの」の特徴を、フーコーはセネカのルキリウスに宛てた『道徳書簡集』から幾つか挙げて説明している。
例えば『道徳書簡集』第十八の貧乏さの訓練がある。

「静穏なときこそ、困難な状況に立ち向かえるように準備をしなければならない」
「粗末なベッド、そでなし衣服、悪質で硬いパン……これで三日か四日のあいだ耐えてみよう。ときにはもう少しふやすのも良いだろう。遊びではなく試練なのだ」
「過酷な運命の不意打ちに負けないように、貧しさと親しくなるようにしよう。貧しさは苦痛ではないと悟ると、いっそう大きな心の安らかさを感じることができるはずだ。そしてこれがほんとうの豊かさなのだ」(塚谷肇訳)

面白いなあ。自分らの皆で順繰りに参加しあって、ふだん当たり前にしていることも見直したり互いの心境を高めあったりする各種長期研鑽会等も、セネカのいうやがての備えに重なるようだ。
自らすすんでヤマギシズム用語でいう「ボロと水でタダ働き」の場に身を置き、そこで堅い床に寝ても楽しい夢を結べるような体験をもつことで、やがての事態に動揺しなくてもよいようにと、今から手をうっておくのだ……。

山岸会養鶏法になぞらえれば、たとえばヒヨコに乾燥屑米を無制限不断給餌するのも、消化器は第一回に送りこまれた飼料に対して適応構造になるからで、二年先の別れの日を予想して今日手をうって置くことで老鶏を売った総決算の日に現れるものが、いや「感じる」ものがあるからで……。

もちろん節制生活をすることが目的でなく、備えとして役に立つからである。
またこんなことも言っている。
「激しい運動をして、すっかり空腹になり、その後で豪華な食事が並べられたテーブルの前で、食事を眺め、奴隷にこの食事を与え、自分はごくつましい食事をしてみる」

確か自分らの「振り出し寮」構想にも同じようなプログラムが組まれていたなぁ。
「入れと言われたら門に立ち、上がれと言われたら庭に立つ」心境のことだと言われても、チンプンカンプンだった。

こうした一連の具体的な自己を試練にかけるという方法・実践を通して、寒夜に滝に打たれる荒修行というよりも、自己陶冶とか自己涵養とか心境調正・自己コントロールの自由自在さを味わってきたのだとふり返る。

フーコー流に言うならば、次のようになる。
「このような試練の開かれたゲームを通して、自分自身を見きわめること、どこまで自分が進んでいるかという到達点を見定めること、そして根本的には自分が何であるかを知ることが目指されているのです」

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イズム実顕地づくり考(63)

ちなみに自分らの「ヤマギシズム研鑽学校」は次のように案内されている。

「趣旨
真の人間となり、世界の公人として、自分の持ち味を検べ、試し、自分を含めた全人幸福のために活かして、みんなと仲良く、健康、正常、豊満で、楽しく生きる人となって、生涯を「研鑽生活」で暮らすことを趣旨とする。

科目
次の三科を以て構成する。
 予 科    公人完成科
 本 科    適性試験科
 専 科    適者専門就場科
◎専科―適者専門就場科は
本科―適性試験科の認定を経た者を、各人の持ち味を最も活かす場に配属して、完全専門分業の機構の一員として、全人類の繁栄に役立つ人となる科程である。自分の持ち味の場に就くと非常に楽で、しかも効率が上がる。
負担や任務を感じないで、適材が適所に就くということは、自分のすることを趣味として、楽しみとして生きられるものである。
勤めという感じでなく、それ自体がおもしろくやるから業績が上がり、なおさらまたおもしろいとなるものである。生活が芸術であり、歌であり、踊りである。

入学およびその後
1 入学資格は学歴、年令、職業、国籍等の制限なく、所定の手続を経て申し込んだ者は、研鑽学校の認定によって、随時入学することが出来る。
2 研鑽科目の決定は、定期または随時に資格検査を行い、研鑽学校の認定による。
例えば、本科より専科へ行くとは限らず、予科へ行く場合もあるし、専科の途中でも、適性試験や、公人であるかどうかを認定するために、本科や予科へ随時あるいは定期的に戻って検べるものである。
3 在学期間は、各科目ともに研鑽学校の認定に従い、人によって一定しない。
4 退学は原則として自由である。
5 学校の認定によって、在学取消しの場合もあるが、普通は終生卒業はなく、研鑽学生として、自分の持ち場に就いて、趣旨に沿って「研鑽生活」で暮らしていくものである。
6 入学待機のため、または退学者あるいは在学を取消された者が、再起するための憩いの場としては、ヤマギシズム振出寮がある。ここは振出しより奮起して出発するための施設である」

ここでの「ヤマギシズム振出寮」の性格がおもしろい。

「今度は振出寮では、現象面ではもっと乏しいとこからいったらよいと思うの。
芋蔓が美味しい、水が、空気が美味しい。ムシロの上が最も安眠のしとねになる。着る物でもそんなとこからやっていったらよいと思う。いろいろ方法はあるから。一日絶食すると大抵の物が美味しくなる。食の仕合せはそういうとこにある。孔子が言ったのおもしろい。『疏食を飯い、肘を枕にしても、楽しみその中にあり』と」(山岸巳代蔵)

自分らの合い言葉「ボロと水でタダ働きの出来る士は来たれ」に呼応するものだ。
その時は嫌々ぶつぶつと不満を隠しもってやっていた(やらされていた?)様々な経験が、みな一つに繋がってきてほのぼのとした内的な体験的イメージとして蘇ってくるようなのだ。

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イズム実顕地づくり考(62)

フーコーが二千年前のセネカの生きざまに見たものとは何だったのか。しかもそのことを、理解の範囲にとどまらず実践の場を通してこそ自己にもたらされるものとはいったい何だろうか。

自分らが「イズム実顕地づくり」と称して日々為そうとしていることと乱暴にも大詰めの三月十七日と最後の二十四日の講義録を、自分勝手な好奇心の赴くまま照合してみたい衝動にかられるのだ。
その一端はすでに『贈り合いの経済―私のなかのヤマギシ会』所収の“「怒り」と「研鑽」”の項目で触れているが、くり返し記していこう。
あの山岸巳代蔵の

「ここへ来る途中で花束を下げた中年の婦人とその娘らしい若い女の二人連れに出会ったが……人間は生まれて死ぬまで何をするのだろう。墓石になりにきたのだろうか……やがて地球上は墓石で埋まるだろう」

との特講開講式での発言と
晩年のフーコーの発言

「人間の人生は一個の芸術作品になりえないでしょうか。なぜひとつのランプとか一軒の家が芸術の対象であって、私たちの人生がそうでないのでしょうか」

とが一つに重なってしまうからだ。
いや、何にもましてこの自分自身の琴線に痛切に触れるものがあるからである。

かつて養鶏飼育係一年生の頃、テーマ
「一体養鶏へ自己を調正する」
に出会った。
なぜか「○○へ△△を調正する」というあるリズム感をともなったこのフレーズがとても心地よく感じられた。くり返しつぶやいていると自分が浄化されていくようなイメージがふくらんでくるのだった。もちろん意味はサッパリ解せないのだけれども、不思議と心落ち着くものがあったのだ。
たぶん講義録での「修練的なもの」を、自分は「調正する」という概念に重ねているはずだ。

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イズム実顕地づくり考(61)

じつは晩年の山岸巳代蔵にも
「ぼくは全人幸福への熱願とそれへの凡ての面での理論究明と進歩的合真理方法の考案や普及に急にして、自分自らヤマギシズムの人間性に到達することが疎かであった」

とふり返る発言がある。
イズムの人間性と全人幸福とが離れたものでなく、一つに結びつく個人即社会の〈場〉があるというのだ。フーコー流にいえば、自己への配慮に徹することが即ち社会への配慮ということに繋がるということになるのだろうか。

この辺りを、講義も佳境に入った三月十七日と最後の二十四日の講義から見てみよう。
フーコーが古代ローマのストア主義に発見するのは、真実の言説の自己固有化の実践である。真理を学ぶことでなく、消化吸収することなのだという箇所である。
つまり自己への配慮の主体は、真実の認識の主体ではなく、正しい行動の主体であるのだと。それは自己への配慮において発見される「主体」の出現を意味するはずなのだと。
しかもそれは「修練的なもの」を通して自分自身のある種の変容即ち自己陶冶を目指すことを意味する。
そうしてそれまでのプラトン主義的な認識の実践を中心としない、セネカなどのストア派でいう「修練的なもの」の特徴が次のように分類されて検討される。

1 節制
2 省察
3 死の省察の訓練
4 未来の最悪の予期の訓練
5 良心の吟味

これらはどんな修練なのだろうか?
フーコーが最後に辿りついた場所が、近代の主体からは見捨てられ古代の主体に生きている、自分の自我を変容させる所謂「自己革命」を必要とする所以の生き方だったところに身近な親しみを感じる。

なぜなら自分らも、ヤマギシズム実顕地に即応して住める「革命された人間」を造成する場として、「ヤマギシズム研鑽学校」をヤマギシズム社会機構のなかに仕組んでいるのだった。

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イズム実顕地づくり考(60)

フーコーがコレージュ・ド・フランス年報に記した最後の「講義要旨」は、「主体の解釈学」に当てられている。
そこからフーコー最後の関心事が覗える。それは

○自己への配慮は、実践と結びついた概念であり
○生の形式そのものであり、ひとは一生涯自分自身のために、自分自身の対象であるべきで
○このことから自己への回帰という考え方が生じ
○つまり、自己を享受する。自己自身から楽しみを得る。自己自身のうちにあらゆる快楽を見いだすという運動を意味し
○そこから自ずと自己を変えるという自己の陶冶(才能・性質などを練って作り上げる)という試練が必要不可欠になってくる
○それは真実の言説はいつでも使えるようになれる備えを意味し、たんなる記憶でなく、おのずから聞こえてくる内面の声として、それが自分自身の一部となるまで精神に定着させ、密着させる実践そのものである。
○そうした自分のものにするための方法として、つまり真理と主体を結合させることを目的とする様々な技法(聴く態度等々)の実践をみずからに課すのだという。
○しかもこうした自己の実践がその目指す自己へと届くためには他者の存在が不可欠である。自己の実践は社会的実践と結び合うようになったのだ。自己の自己への関係の構成が、自己の〈他者〉への関係に接続されたのだ!

どういうこと?
ふとヤマギシズム研鑽学校の案内文が思い浮かぶ。
「空転するコトバの世界から 体得、実践へ
有境の私から無境の公人へ―真理即応の研鑚生活人再生産の場、終世〈卒業〉のない学校である」

ここでの「有境の私から無境の公人へ」と考えてみて、或いはやってみる、やってみて、或いは考えてみるばかりの「終世〈卒業〉のない学校」というフレーズに今もすっかり魅了されている。 

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イズム実顕地づくり考(59)

こうしたフーコーの、
自己自身を対象とする知、しかもその自己の本来のあり方を尋ね求める「自己知」としての「汝自身を知れ」と、
自分の身体や他者、その他、外的な世界やそこに存在する様々な事物と関わりをもち関係を取り結ぶ自己に寄り添い、関係性においてその「自己」に配慮する「自己への配慮」
との根本的な異いから出発した講義は、たんなる内面性への沈潜ではない自己回帰の運動としての「自己への配慮」へと緻密に展開されていく。

しかも注目すべきは、古代ローマのストア派哲学者でローマ皇帝ネロの家庭教師としても知られたイエス・キリストとほぼ同年のセネカ(紀元前1年頃~紀元後65年)
セネカ

など後期ストア派(セネカやエピクテトスやマルクス・アウレリウス)を重視する文献からの分析・吟味に、講義録の大部が割かれているのが興味深い。

現在セネカの作品は、容易に岩波文庫などで読むことができる。なかでも『怒りについて 他一篇』(岩波文庫)を読んでいると、あの一週間の「特講」を彷彿とさせる。二千年も前から、人間の感情の動きはちっとも変わっていないことにビックリする。こんなことから改めて一週間のヤマギシズム「特講」の偉力を知らされる。

フーコーも講義録のなかで、「怒りとは何でしょう」と問い、
「つまり怒りとは我を忘れることであり、自分を統御できなくなることです」
「怒りというものが上のものが下のものに対しておこなう権力の濫用である」
と位置づけて、暗に自己への配慮の重要性をほのめかしている。

ここでフーコーが情熱的に語ろうとしているものは、たんなる古代哲学の紹介ではなかった。
それは講義とは別に、フーコーが記した「講義要旨」の末尾に引用されたセネカのルキリウスに宛てた『道徳書簡集』第二六の引用文で閉じられているところからも覗える。

「僕がどれほどの進歩を遂げたか、その決定を僕は死に任せることにしましょう。(……)その日には僕は見栄も外聞も捨てて自分について判断することになるでしょう――つまり僕は勇気のあることを口先だけで言っているのか、それとも実際にそれを感じているのか」

フーコーはこの書を心の支えとして晩年の日々を過ごした。そこまでフーコーに大転換(方向転換)を迫った「自己への配慮」に秘められてあるものとは何なんだろうか?

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イズム実顕地づくり考(58)

この「自己への配慮」という観方・考え方は、自己や他人、世界に対する態度であり、視線の方向が他者や世界や事物から自己自身へと向かうことにとどまらず、自己を浄化し、自己を変身させる自己への陶冶(自己を試練にかけるという方法)といった実践行動にまで繋がっていくところがミソなのだ。
フーコーがこうした古代の自己の技術に注目したのは、キリスト教と近代世界にはない、見失われた「主体が自己を享受できる幸福な関係」が築かれているところだった。
ここにフーコーの人生観の一端が窺える。

「人間の人生は一個の芸術作品になりえないでしょうか。なぜひとつのランプとか一軒の家が芸術の対象であって、私たちの人生がそうでないのでしょうか」

そしてここから二つの問いが必然生まれる。

配慮するべきこの自己とは何だろうか?
この配慮とは何をすることなのか?


例えば先の靴の手入れをする靴屋さんの、自己への配慮とは何だろうか、何が靴屋としての職務をなすのだろか。
こうした二十世紀を代表する知性が投げかける問いは、じつは自分らにとってもなれ親しむ問いでもあることに気づかされる。

「農業者が真の農人でなかったり、商人が真の商人でなかったり、政治・教育・宗教家が真のそれでない事もよくある事です。工場等でも、組織そのものにも、間違ったものがありますが、各々の立場において、真実、それに自己を生かすことによって、闘争等絶対に起るものではなく、却って工場は繁栄し、自己を豊かにします。妻は妻、夫は夫、子に対しての親は親として、間違いない真の生き方があります。
各々真実の自分を知り、それぞれが真実の生き方の出来る社会を、ヤマギシズム社会としているのです」(『ヤマギシズム社会の実態』)

来る日も来る日も「各々の立場において、真実、それに自己を生かす」ってどんなことなんだろうかとこの間皆で研鑽してきた。
すると妙なもので「真」という言葉にもなじんできたのか、先(イズム実顕地づくり考56))に紹介した一節

「ヤマギシズムとは一口に言うと、すべてに本当、即ち真なる理は正しいと思う考え方で、何事を考えるにも行うにも、真理に即応しようとする思想である」(『正解ヤマギシズム全輯』 )

での、「真なる理は正しいと思う考え方」が四六時中付いて回ってきて、そんな考え方からの考えが浮かんできたり、その考え方でやっていこうとすることで自ずと心が正されるような琴線に触れる事実が見いだされてくるのが面白い。 

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イズム実顕地づくり考(57)

確かに現代社会では、自己への配慮はなにやら疑わしいものになってしまった。自己に気を配るということは、ある時期から、自己愛の一形式、エゴイズムや個人的な関心の一形式として、糾弾されるようになってしまった。

「自分自身に専念する」「自分の世話をする」「自分の中に引きこもる」「自分の中に退却する」「自己の中に歓びを見いだす」「自分の内以外のところに享楽をもとめない」「自分自身に付き添う」「自分自身と友誼をむすぶ」「要塞に立てこもるように自分自身に立てこもる」「自分をいたわる」「自分自身を礼拝する」「自分自身を尊敬する」等々。

あたかももはや自分自身のことに専心するよりほかない個人の隠退の、いくぶん憂鬱でもの悲しい表現のように聞こえる。
しかし反面自己への配慮は、たんなる内面性への沈潜ではないような、自己回帰の運動を伴う。それも自己は分裂するのではなくその場に留まる回帰である。自己自身へ向かう方向転換であり、自己自身の中心に立ち戻って、そこで不動化する。

人間復帰へのスタート。
さしずめ自分らだったら、我のない人間即ち人間本然の姿に立ち還る一週間の「特講」体験をイメージする箇所だ。

自己への配慮、主体への配慮、在ること自体への配慮、ここには自己への配慮を通して憂慮を配慮の方に転じていく前向きさを見る思いさえする。
そういえば山岸巳代蔵も、憂慮と配慮の明暗二道への岐路に立つ機微にふれている。

例えば〝心配する〟という言葉を採り上げてみると、〝子供の病気を心配する〟とか、〝入学を心配する〟とかといった〝気にする〟場合に使われたり〝人に心配してもらって〟というように、〝気を配って世話をする〟場合や、両方の混じった意味にとれることもある。子供の病気を心配する場合に、〝どうなるだろう〟、〝ひょっとしたら助からないかも〟とか、〝死ぬようなことになったら〟といった憂慮することが多いが、一方積極的に対策を考え、手当を講じるように配慮することこそ、本当に心配することではなかろうか。
案ずるということも、気にするばかりでなく、それこそ名案を考えるのが本当の案じ方ではなかろうか。
こうしたちょっとしたことに気づくだけでも、観方・考え方がコロッと変わることも多い。観方・考え方が変われば、することなすことも大いに変わってくる。(正解ヤマギシズム全輯を通じての前ことば)

ある日の研鑚会で、普段やっていることをすぐ当たり前のこととしてしまう当たり前観の再考がテーマに上がった。
「普段接している豚や鶏の中に素晴らしい事実があるのに見ようともしない。目が外に向いている」
「事実そのものから、もっと新鮮な驚きを。ただ感心するだけでなしに、持って生まれた感応能力を磨かないと……」
外の評価や評判や知識やうわさ話などに合わせてばかりいる自分が見えて、恥ずかしくなった。

「目が外に向いている」!?
普段の「仲良し」とか「楽しい」といったありふれた簡単な言葉に秘められている奥深さへと向かう方向転換を迫られた。

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イズム実顕地づくり考(56)

この間自分らがイメージする「主体」と「真理」との関係とは、

「ヤマギシズムとは一口に言うと、すべてに本当、即ち真なる理は正しいと思う考え方で、何事を考えるにも行うにも、真理に即応しようとする思想である」(『正解ヤマギシズム全輯』 )
であり、
「真の人間は、全行為真言真行」といわれているように、イズムを食べて、着て、住まうような生きることそれ自体であり、齎される恩恵に浴することをいう。

こうした観点から、真理に到達する根本的な手段としての「自己への配慮」についてのフーコーの考察を聴いてみよう。

まずは紀元前五世紀に登場し、紀元後の五世紀までの古代の哲学的および道徳的な生の掟としての自己への配慮という概念や実践の変遷の過程が大まかに再検討されていく。
それは哲学的思索としてソクラテス=プラトンという契機で登場し、次にストア派思想に代表される自己の陶冶、自己自身への配慮の黄金時代を迎え、紀元後の初期キリスト教的禁欲(=修練)主義への移行である。
古代の哲学においては、主体が「真理にどう到達するかという哲学の問題」と「真理に到達するためには、主体にどのような変身が必要かという霊性の問題」が重層して存在していた。それが近代になると、主体が真理に到達する条件は認識だけになるのだが……。
そこで問われるのは、

自己へ配慮しなくてはならないとすれば、配慮するべきこの自己とは何だろうか。この配慮とは何をすることなのか。

こうした個人から発して自己にめぐり来たる円環の中に、きっとフーコーは近代以降見失われた「主体と自己との肯定的な関係」を一縷の希望の光を見いだしているのだ。
靴屋さんは、靴の配慮する(=靴の手入れをする)そのすべをよく心得ている。それが靴屋の技法だ。彼らはそれの専門家なのだ。
しかし「自己へ配慮する」ということ、これがどういうことかを正確に知っているもの者がいるだろうか。

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イズム実顕地づくり考(55)

講義の初日にフーコーは、「主体の解釈学」の全般的な俯瞰図を提示する。
テーマは、「主体」と「真理」だという。この間の自分らの文脈での、あの「山岸会養鶏法」の「稲」と「鶏」での「と」に立つ実践思想に当てはまるではないか! ここは自分らの勝手な思い込みに引き寄せることで、自分のこととして読解していくのだ。

そして主体と真理の関係を研究するにあたって、全ギリシア文化を通じて大変長い生命を保ってきた、それは紀元前五世紀に登場し、紀元後の五世紀まで、ギリシア、ヘレニズム、ローマ、そしてキリスト教の霊性の哲学の全体を貫く「自己への配慮」という観念を選ぶところから出発したいという。

しかし主体の問題を考察するのなら、有名なデルフォイの神託において提起された「汝自身を知れ」こそが定式であるのに、いったいどうしてこんな逆説的で手の込んだやり方をするのかと自問自答していく。
いや、この格言が命じているのは、自己認識の原則ではなかった。むしろ「自己への配慮」の枠内で現れていることを、プラトンの『ソクラテスの弁明』などを引用しながら、自己について配慮する主体のあり方こそ重要であり、アテナイの人々も自己に配慮する必要性を痛感していたのだと検証していく。

それなのに何が原因で、「自己への配慮」という考え方がないがしろにされてしまったのか?

一つは、自己中心主義とか引きこもりを意味するものが、キリスト教と近代世界は非・自己中心主義の道徳のなかに基礎づけられたので、関心が消えてしまったという逆説が挙げられる。
しかしいちばんの理由は、「真理と真理の歴史に由来するもの」だという。
それをフーコーは、「デカルト的契機」と名付ける。確かにデカルトの方法には「明証性」がある。たとえば「真理を認識するためには、狂っていてはならない」といった条件を調えることで、認識の内部から主体の真理への到達は定義されるからである。

かくして十七世紀以降「汝自身を知れ」は、真理に到達する根本的な手段となった。そして自己への配慮の原則を格下げし、近代の哲学的思考の領野から排除するに至ったというのだ。
西欧近代では主体は自己を「解釈するもの」になり、古代のように主体が自己を生きるとか享受できる幸福な関係ではなくなったという!?

フーコー自身が自分の生き方そのものに関わる、西欧近代や近代哲学の概念を真なるものに照らして相対化していく。
現在もなお「歪み」として西欧近代を普遍的なものとして受け入れている自分ら日本人にとっても、フーコーがやろうとしている真理の歴史についての問い直しがとても他人事のようには思えない。
まるで切実でとびっきり上質の推理小説を読んでいるような感慨にとらわれる。

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イズム実顕地づくり考(54)

フランスの哲学者・ミシェル・フーコー(1926~1984)のコレージュ・ド・フランスでの1982年の講義は「主体の解釈学」という主題だった。一月初めから三月末にかけて毎週水曜日に、途中数分間の休憩を挟んだ2時間以上に及ぶ講義で、学生、研究者をはじめ数多くのパリ市民が大講堂で聴講したという。フーコーは、教壇にたどり着き、原稿を置き、灯りをつけて、トップ・スピードで可能なかぎり間を開けず講義を開始する。
ミシェル・フーコー

1971年から1984年に他界するまで、コレージュ・ド・フランスでの彼の担当講座は「思考諸体系の歴史」であった。当初から一貫して、西欧近代を、近代的な個を、近代的な自我を形づくってきた「唯物論と唯心論の葛藤」といった二元論に裂かれて苦悩する人間性を超えて包括する、いわばデカルト的でない「真理への到達」にたどりつくモチーフにあったのではなかろうか。

そうした意味で1982年の「主体の解釈学」の講義は、デカルトに象徴される「主体が真理へと到達できるための諸条件が認識である」とする切り口から、真理の歴史の近代は始まったと位置づける彼自身の多年の研究の集大成と呼べるものだった。
それ以降、真理は認識の対象になってしまった。それが近代的な考え方として見なされているに過ぎない、と。

だとしたら「哲学とは、主体が真理に到達できる条件について考察するものである」(フーコー)のだから、どのような過程を経て「近代的なもの」が主流になってきたかを歴史をさかのぼることで究明されていかねばならない。
そのことは同時に、主体が真実であるためのかつて存在していて近代においては見失われている「生の技法」を明るみに出すことを意味していた。
ちょっと視点をずらすことによって浮かび上がってくる3D写真のように、「見えているものを見えるようにする」ことにあった。

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イズム実顕地づくり考(53)

1960年8月1日~3日に、第二回ヤマギシズム理念徹底研鑚会がもたれた。当時はまだ社会主義思想がそれなりにリアリティを帯びていた頃で、学界や思想界では「唯物論だ」 「いや、唯心論だ」といった議論で賑やかだった。

そんな時代背景での山岸巳代蔵の発言である。
「議論に立脚せんでも、人間に立脚すればよいので、簡単すぎるくらい簡単なの」という発言に続いて、

英清 どうもしかし、スッキリいかんな。
山岸 そらいかん。にわか焼けにならんように。こういうふうに簡単に考えてみたらどうやろ。人間を考えてみると、そういう身体を持ち、生命を持ち、いろいろの考えを持っているものをね。
英清 「われ思う、故にわれあり」と古人は言ったが。
山岸 そういうふうに飛躍せんと、ただもう、「こういう、人間というものがある」ということ。そして「本能もあり、精神的なものもあるものだ」という、そういう認め方ね。「陶土を固めて、土瓶がある」と、ありのままに観る観方ね。何もないものから出来て、また何もなく消えていく、一代限りのもの見たって。難しいもの考えないで、〝ある〟ということだけ素直に認めたら。

ここでの英清(山本英清)さんの発言『「われ思う、故にわれあり」と古人は言ったが』を、山岸さんが「そういうふうに飛躍せんと」とやんわり退けている箇所がとても興味深い。

「われ思う、故にわれあり」と言った古人こそ、フランスの哲学者デカルト(1596~1650)の弁であり、デカルト二元論として西洋近代哲学の出発点を象徴するものであり「近代なるもの」の始まりと見なされている。

それに対して山岸さんは、
「唯物論、観念論をどちらも振りかざしている間はね。両方身の内で、一つのもの」
「そんなもの二つに分けて考えるからピタッといかない」
「両方とも内のものにしたらよいのや。よそのものにする、排斥するからピタッとせぬ。いつまででもどっちもどっちや」
とはっきり退けていたのである。

それから20年経て、当の西洋近代なるものの真っ直中から、いわゆる「デカルト的契機」にはっきりと異議を唱えたフランスの哲学者が輩出した。

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イズム実顕地づくり考(52)

津嘉山 誠 様
小栗康平さんの新刊書『じっとしている唄』(白水社刊)をお贈りいただき、有り難うございます。恐縮です。
松本直次さんのブログで、小栗さんの十年ぶりの新作映画「FOUJITA」に津嘉山さんもスタッフとして参加!? にビックリして以来、小栗さんの発言「藤田嗣治が引き受けた近代日本の歪み。その問題は今も解決していない」(日経新聞2015.10.31)について、ずいぶんこの間触発されぱっ放しです。

「近代日本の歪み」なんて、明治の文明開化で当時の時代の感性を代表する夏目漱石等が真面目に受けとめ、作品を通して解き放った日本近代化への矛盾ぐらいにしか見なしていませんでした。それがナント今現在の普段の自分らの「実顕地づくり」そのものが抱えるテーマでもあると気づかされてきました。

よく「自分らはすでに出来上がった実顕地に参画したから、そこでの決まり事など一方的に従い受け入れるだけで、自分で切り開いていくといったやり甲斐が今一つ感じられない」という声を聞くことがあります。その時は「いや、それはお決まりの逃げ口上に過ぎない。いつの時代に参画しても変わらないはず」と反発していました。
でもこれって、いわば明治時代に日本人が文明開化に直面した「とまどい」と同じだと思えてきました。確かにいつ参画しても変わりはないのですが、ここでは未だ「自分のことになっていない外からのもの」と「自分が心からそうであるからそうしている内からのもの」とのギャップの問題でもあったのです。
「ヤマギシズム」文化が自分のものに、自分のこととして受け入れられる過程が大切なのですね。そしてそこの住人になりきることです。その意味では、「その問題は今も解決していない」進行中の出来事です。
うかつでした。でも内心大発見の歓びも伴います。

今度の『じっとしている唄』で自分のテーマと重なる箇所をいくつか並べてみます。
○「見るだけではなく、おばあちゃんをいいなあと思うその内側に入る、ということはどういうことだろうか」(場を共有する)
○「私たちは日本語で『鐘の音が聞こえる』と普通に言う。これが英語やドイツ語 になると『私は聞く、鐘の音を』となる。私は(私が)、鐘の音を聞きます、聞いています、という言い方になる」(述語が主語を包摂する)
○「私たちが暮らしの中で生きる『場』を実感できなくなっている(……)『もの』『人』は『場』と共にしかない」
「受動として世界に向き合い、その世界が新たに立ちあがって見えてくるまで、まだ私たちは見ていない」(じっとしている唄)

それにしても、撮影での光の性質に、いかにも近代的なそれと、それでない光があるのですね?(『FOUJITA』を撮る)
一度津嘉山さんからのご高説を伺いたいものです。
どうか、今後も素晴らしい仕事を続けて下さい。一段と寒くなりましたが、お体も大切に。まずは取り急ぎお礼まで。
2015.12.3      佐川清和 拝

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イズム実顕地づくり考(51)

先の「近代日本の歪みの問題」への小栗さんの問いかけ(イズム実顕地づくり考48)を、今少し追ってみる。
小栗さんはまた、島尾敏雄について次のようにも記している。

島尾文学の、低い姿勢に引きつけられていたのかもしれない。島尾さんの「私」は、どの作品においても強くないし、主語が突出することもない。述語に書き手の思いが綴られるばかりだ。それを私は、自らの気持ちの見つめと、読んでいた。あるいはもっと身勝手に、自分の自信のなさを、作中の弱い「私」に重ねてもいただろう。(『時間をほどく』)

多分ここで小栗さんは、「主語が突出する」ところに、どこまでも自己主張することで個を確立してきた西洋近代の考え方とその限界を見ているのだ。
だとしたら、「述語に書き手の思いが綴られるばかり」の場所とはいったいどんな場所なんだろうか? その場所の発見にこそ、そこから立ち上がってくるもうひとりの自分に託していきたいものがあるのだ、と。
ふと、『知的革命私案(一)』の次のような一節が浮かんできた。

「今までに言い尽され、教えられて陳腐なことですが、ややもすると、自分のみの近道を行なおうとする間違いが、混雑の根本的原因です。
これは、一見最も楽な、確かな方法のように思い違いをしやすいもので、殆どの紛争は、ここから発しています。
なる程、今の世の中ではこんな考え方の人が多く、そんな人は、一人で何倍かの幅を取り、その限界を知らないために、幾らでも拡大しようとします。こうした行為は、少数の人でも、多数の人に影響しますのに、周囲からこんな人に寄って来られて、遠慮していたなれば、自分の立場が無くなりますから、止むなく自分で自分を護り主張するのは、誰もの考え方でしょう。周囲がやって来るからで、自分としては、突っ張りたくないが、突っ張ることは間違いと知りつつも遂い、生きて行けないから突っ張ることになるのだと云うのです。
ここに三つの方法がある。
その一つは、その限界を定めて、お互いにその線を越えないこと。
今一つは、他を侵すことの浅ましさ、愚かさを気付くこと。
他の一つの方法は、有り余って保有していることの、無駄であり、荷厄介になる程、広く豊富にすることです。
私はこの三案を併用すべしとしますが、そのうちで一番重点を置き、他の二案を欠いても、この一法だけは外すことは出来ないと思う案は第二案で、即ち幅る辱しさ(太字―引用者)に気付いて、他に譲り度くなる、独占に耐えられない人間になり合うことだと決定しています」

ここでの「幅る辱しさ」に思いをめぐらすのだ。
何度もくり返すが、この間の文脈に沿えば、

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく」(知的革命私案一)

とある、「人は」「人と人によって生れ」かつ「人と人との繋がり」によらねば、の一節に込められた含意が、人類発展史のアジア的心情に包まれた一隅に生を受けた自分ら日本人が、西洋近代を受け入れ関わってきた時に味わってきたためらい・とまどい・矛盾・歪みの感覚にも重なってくるようなのだ。いや、もはや行き詰まりの近代に直面しているのだが……。

たしかに「幅る辱しさ」といっても、人見知りが激しいなど個人の資質に帰するところもあるのだが、社会環境的な「人と人との繋がり」の場所によっても大きく影響される一面も見逃せない。
現在今なお未解決の切実な課題は、幅る辱しさに気付くところから、どのような「人と人との繋がり」が真の人間に合うかどうかが問われているのだ。

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イズム実顕地づくり考(50)

以前私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」について、次のような具体例で研鑽したことがある。

蔬菜部のAさんは、大きくなった学園の畑のナスを見てよ、早く採ったらよいと思いました。ナスが収穫適期なので早く採って下さい、と学園にファックスしました。翌日見るとまだ採ってありません。またすぐファックスを入れ、次の日も採ってなかったので、もし採れなかったら連絡下さい、とまで言ったが連絡なく、もう仕方ないと思い、自分が収穫しました。しかしナスはもう成熟しすぎて割れていました。そのときAさんは、「学園が採らなかったから割れてしまった」と思いました。

さてここで「割れたナスは自分が採らなかったからそうなったのではないか?」と問われたのだ。

エッ? ナスを担当している学園じゃないの?! 学園のメンバーが採るべきナスじゃないの? ナスが割れてしまった責任は学園の側にあるんじゃないの? 

「でも、気づいたのは私ではないか。連絡しても採ってないナスを見た私が、採らなかったのではないか? 早くナスを採りたいという私の思いがあるにもかかわらず、ここは学園の担当している畑、だから学園が採るべきだという常識観念が入ってしまったから、ナスが割れてしまったのでは……」

何だか狐につままれたような気分がした。

「何かことが起こった時、『知らなかった』『気づかなかった』と普段何気なくいうが、それは理由でなく、自分から見た時それは原因ではないだろうか?」
「知らなくてやれていない、知らないから出来なかった、思い至らなかったのではないか? 自己より発していなかったから、還ることがなかったのではないか」

そういえば人に何かを委して、それがやれてなかったときに、自分がやらなかっただけなのに、半ば当然のように他人のせいにしているなぁ。

「世界中に起きる全てのことは、自己より発し、自己に還って来るという観方、地球上の全てのことは、自分から発しているという観方はどうだろうか?」 

そんなぁ、無茶苦茶や。

「いや、全てが自分に関係すること、他人事は何一つないのだ。全ては自分のやること、またはやったことなのだ。他を責めるということもない。事が成っていかないときも、自分がそうしていること。そのようにさせている自分に気づいて、後は自分がやるだけの世界が拡がるだけじゃないの?」

恐るべし、私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」。

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イズム実顕地づくり考(49)

五六年前になるだろうか、正月蒲団の中でうとうとしながらテレビからの音声を聞き流していた。それが5分間のミニ番組「にっぽん巡礼―心に響く100の場所」が流れた時、「あれっ、自分と同じこと言っている!」とビックリして目が覚めた。
番組は、女優の羽田美智子さんが荒々しい波が打ち寄せる茨城県大洗海岸に立つ大洗磯前神社を訪れての語りで構成されていた。
大洗磯前神社

例えば―
「はじめて触れた海で、家族の笑い声とか…童心に還るというんじゃないけど、ふっーと力が抜けて、なんか休まる場所ですね」
「対人関係に不安を感じた。人が怖かった」
「引いては満ちて、引いては満ちて、それを見ているだけで、自分の中の柔軟性が戻ってきて、なんか波が心を洗ってくれる」
「鳥居の足下にも、波がかかったり、穏やかな波が来ようが、激しい波が来ようが、頑として動かない、この揺るぎない感じをずっと見ていると、自分は自分だと、あっ、こういうことなんだと、気づかされるんですね」

その頃いつも、うまく言葉にならないところで同じような思念を何度もくり返していたからか、羽田美智子さんの「自分は自分だと」という発言から瞬時に「自分が自分に出会う」テーマの大事さを納得したからだ。
その頃の自分は、そうした「自分が自分に出会う」手ごたえのような感受だけが、唯一自分をリアルに確かめられるような心境にあった。

この間の文脈に沿えば、必死に「事実その中で生きていく強い自分」を見出す体験について思いめぐらしていた時期と重なるだろうか。「事実その中」に溶け込んでいるそんな自分を見出しては、〈やった〉とひとりで叫んでは充たされていた。
そこは羽田美智子さんのいう「はじめて触れた海で、家族の笑い声とか…童心に還るというんじゃないけど、ふっーと力が抜けて、なんか休まる場所」にも重なる部分があるように感じられたのだ。

早速再放送の日時をチェックしてビデオに再録したことはいうまでもない。以後研鑽資料として使っている。
するとある時誰かが「私の場合は、“どうせ”がつくのよねぇ」と発言して皆で大笑いしたことがある。「どうせ自分は自分だと」諦めがちな自分らの実状をうまく言い当てられたからだろうか。けだし至言である。

羽田美智子さんは大洗の海岸で、自分が納得する自分に出会う。そこはどんな場所なのか? しかも、そこで見い出された自分らしさと繋がる自分とは?

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イズム実顕地づくり考(48)

小栗康平監督の十年ぶりとなる最新作映画『FOUJITA』が近々公開されると聞いた。フランスを中心に活躍した日本人画家・藤田嗣治の半生を描いたものだという。早速ネットを検索してみたら、制作スタッフの照明担当に旧知の津嘉山さんの名が記されてあった。ヘェーあの小栗さんと一緒に仕事したんだ、と自分のことのようにうれしくなった。

というのも、じつは自分にはとても大事にしているビデオテープがある。それが作家・島尾敏雄の原作『死の棘』を映像化した小栗康平監督の『死の棘』だ。
死の棘

どこにも抜け道のない夫婦の凄絶な危機をどこまでもくり返し描いたこの重苦しい映画は、海外では高い評価を得ながらも多分商業ベース的にはのらなかったに違いない。
しかしこの作品には、自分とは、夫婦とは、家族の本当の姿とは、と本当の本当を求め求めていく純粋なものが込められているように感じられて、自分の今を励まし支える羅針盤にもなっている。

小栗さんは、島尾敏雄を高校生の時から自分の支えとして読んできたという。
「自分が感じていることを一つひとつ整理していくことが、とりもなおさず自分を見つけていくことであり、それは気になる人を思うこととなんら変わらない、そんなふうにもいえるような、ひどく幼い発見があっただろうことを、私はいま思い出せる」『言葉を呑む』
ここでの「ひどく幼い発見」の箇所は、別の稿では、
「それは、ものを考えたり、感じたりすることそのものの中に、異性、異なる性の存在がしのびいっているという発見だった。好きな女の子ができ自分の心の中で何かが動く、そのことだけはよくわかった」(『近い家族・遠い家族』)
とも表現されている。まったく同感である。

そして小栗さんはそこに流れる「恥じらいというひそやかな感覚」とか「人間としての基本的な感覚」(『近い家族・遠い家族』)の欠如の回復を、二人の心の葛藤など無関心の故郷の原風景をときおりパートカラーのようにはめ込むことで図ろうとする。そこはかとなく広がっている自然の底に息づく美しさ・豊かさ・温かさを映像化に託して描いている。
またこの作品を際立たせる一連の家族の修羅場は、そうした「本当の本当を求め求めていく純粋なもの」を真面目に曲げないで貫き通そうとするなれば、その部分は必ず今の互いに離れ、相反目している社会では「歪み」や「心の葛藤」としてしか現れざるを得ない「世はまさに逆手なり」(知的革命私案一)を暗示しているようなのだ。

ふり返って自分らにも身に覚えがある。
ヤマギシズム運動の高揚期、「実顕地は一体の大きな家族である」として従来の家族観を実際的にも見直してみたことがあった。その結果、純粋な理念と現状段階とのはざまで「家族をやりたい!」、といった悲鳴にも似た衝動にかられたことがある。
こういうことだろうか。先回次のように記した。

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく」(知的革命私案一)
とあるが、ここでの「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば」のくだりこそ、じつは自分らにとってももっとも混同しがちな「解りかねる」難関の箇所なのだ。

個人の主観性や家族(男女)の場所は、実顕地という場所の中で本来どのように位置づけられてくるのかといった課題である。個人の主観性や家族(男女)が主に「人と人によって生れ」の次元で育まれるとするならば、その個人の主観性や家族(男女)が除外されることなく「人と人との繋がり」の次元へどのように入っていけばよいのだろうか? いや、はたして入っていくことなのだろうか? そこが最大の難問なのだ。

つまりそこを理念研鑽としても曖昧にしたまま、ただ漫然と個々人主義の時代の流れの中で「他よりも優れたい、儲けたい」だけの醜い個が浮き立つ人間社会を助長するだけにとどまるか、
さりとてそうした現実社会を少しでも良くしようと純粋に考えて、「実顕地は一体の大きな家族である」とする理念を現実に映し行おうとして家族(男女)の次元と実顕地の次元を一気に結びつけようとしたら、必然「息苦しさ」といった矛盾にさらされるのである。

西洋近代を無前提に受け入れて一気に高度成長を成し遂げた現代社会と、その過程で捨て去ってしまった人間の基本的な感情との「近代日本の歪みの問題」への小栗さんの問いかけは今も解決していないように、ヤマギシズムという理念思想を生きるという命題も、研鑽・実践、実践・研鑽の日々連続である。

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