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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(151)

生きる喜び、力の源泉

1956年1月一週間の第一回「山岸会特別講習研鑽会」が参加者一五〇余名で開催された。前日まで準備研などで風呂へも行けず散髪もする事が出来ないほど心身共に山岸巳代蔵は疲れていた。息子の純が書き上げた絵図も夜明けまでかかった。というのも、女の人が浮かんでいる絵が思うように描けなし、とうとうそこだけ自ら描いてやっと間に合ったという。
特講絵図一部

当日特講会場へ向かう際の状態を研鑚会で振り返っている。

“私はもう本当にもう、向島を出て、観月橋を越したらコトッていくんじゃなと思って、もうハイヤーに乗って横にグターとなって、「もう、もうダメやな、家へ帰ろかな」と思っても帰る気力もなかった。「ああ、観月橋を越したところで、コトッていくわな、ああ、そいでもまあいいわな」と思って出掛けた。 ”

講習期間中も、食事も喉を通らない山岸巳代蔵に、四国・松山から参加した大森敏恵の昼夜を分かたぬ看護があった。本人も死を覚悟したものか、ザラ紙に2Bの鉛筆で「ボロと水でタダ働きの出来る士は来たれ」との遺言状を書いた。それが大森敏恵の手当(指圧のようなもの―引用者注)を通して生気を取り戻した。生き返ったのである!

第一回特講終了後、妻・志津子は娘の映と東北方面へ拡大へ出かけたその留守、大森敏恵は山岸宅で身辺の世話をしている。
大森敏恵とは1955年4月松山市で開催された山岸会四国大会で出会った。彼女には子どもが二人あったが、当時夫とは離婚していた。山岸巳代蔵がどんな話をしても「ほう、そんな素晴らしいことが出来るのですか」と言って決して「そんなことしたら大変なことになるでしょう」とは言わない女性であったという。結局この恋は親の反対などで結ばれなかった。

そんな矢先である。
山岸巳代蔵(当時55歳)が井上頼子(当時19歳)に出会ったのは、1956年7月第4回の特講(京都、三鈷寺)であった。両親が特講を受講している山岸会員であったこともあり、同年9月頃から頼子の実家である三重県四日市市の井上与男宅で暮らすことになった。その頃を次のように振り返る。

“まあ頼ちゃんとこれでいけるな、いけるなって、こう思ってたんよ。そして、あっこれでもなんとかなるもんやな、年が違うということは、割合にないもんやなと、こう思ってたし。まあその当時の、あの観方、考え方、感じ、こういうもの出来たね。まあ、与男さんも、そしてあの、親としては何もその、言わないと。「あの娘さえ承知やったら自由や」と。「うちは自由や」と。こういうこと言っておられるし、それをまあ認めてもらっていたわけで。”

その頃の『快適新聞(山岸会機関紙)』に、三重県菰野町の見性寺で開催された高度研鑽会に四日市支部の会員が裏方で活躍する様子が報じられ、山岸巳代蔵も頼子と一緒に六十余人分の食事の献立や材料の買い出しを手伝っている様子が記されている。
きっと山岸巳代蔵にとって頼子という女性は、後にアンケートに自ら答えているような女性像として映っていたのかもしれない。それは女性から見たら一方的な世の男どもの身勝手なキメつけだと断じられるにちがいないのだが……。

“妻の条件として、ボサーと抜けているくらいの人がいい。何事も「どうでしょう」とやられると、かなわない。ハイハイと言われると、わが家に帰ったようでうれしい。明るく、ほがらかで、無邪気で。”(『快適新聞』〝ひとことずつ〟より1959.3.10)

愛情研の中でも山岸巳代蔵は頼子について次のように語る。

“そういう頭の働きを、或いはこの、若さを保つためにかね、そういう功利的な意味で頼子と結び付いておるわけでなしに、もう頼子なしって、もうどうにも生きる気力がないね、今でも。(略)例えばよ、あの、どんな場合にでもよ、僕が頼子に愛しておられると思っておるなればよ、そして愛しているという頼子を感じておる場合にやね、そういう場合にはこの、非常にこの、生きる喜びっていうかね、なんか知らんが、まあ生きる力もらっている。”

と〝頼子によって生かされている〟自分自身を、自転車でいったらタイヤの空気の例えに、先の大森敏恵にみられる女性像にも重ねているように思える。
それは妻・志津子にも後に出会う柔和子にもないものだったという。
こうした、そうしようと思わないのになってきたものの中に愛情の〝複数形態〟の萌芽を見てとれるかもしれない。

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わが一体の家族考(150)

愛情世界の解読

そんな折ふと柿谷さんの「遺言」が思い浮かんだ。たしかヤマギシズム恋愛・結婚観に触れられていたなあと思い出したのである。
柿谷喜一郎

2007年の正月、和歌山県のヤマギシズム生活紀南実顕地の柿谷喜一郎(1929~2016)さんから突然大部の印刷物が送られてきた。数年前から正解ヤマギシズムの探求に取り組む思いが高まり、「遺言」と称してその都度気づいたり考えたことや自分ら夫婦の実践記録などが書き綴られていた。
当時自分はイズム探求以前の課題で悪戦苦闘していた時期で自らしっかり受けとめ吟味する余裕などなかった。
取りあえず一読して次のような感想を記してお礼の手紙としたことがある。

“拝啓 寒気ことのほか厳しい折、お変わりもなくお過ごしのことと存じます。 さて、このたびは「遺言」と称される大部のイズム究明の書を贈呈してもらい有り難うございました。ほんとは何度も読み返し吟味してからの読後感想をとも思いましたが、とりいそぎ一読しての、的はずれになるかもしれませんがざっと感じたままを順不同で記させていただきます。
 昨年の夏頃、やはり柿谷さんと同様のイズムの大先輩であられた、山本作治郞さんの『深奥を探ねて』の著書を読む機会がありました。それまでもお顔は以前から存じ上げていましたが、結局一度もお話しする機会はありませんでした。しかし書かれたものを通して、さすが山作さんだなぁとそのイズムへの究明心を知らされて驚きました。
 なかでも山岸先生の第3輯「恋愛と結婚」のまえがきに書かれてある「宇宙自然の愛護」についての山作さんの深い探求は生涯を通して続けられたようです。私も一生の課題にしたく、感銘を受けました。
 言葉というものは、受け取り方はそれぞれまちまちで全くの誤解に向かう場合もしばしばですが、そこのところを割り切った上で、心を通わせたいとする際には便利で有り難いものだと思ったしだいです。
 今回も柿谷さんの書を読ませてもらって、へぇー柿谷さんはこんなふうに考えているんだぁ、と蒙をひらかれる思いがしました。ふだんの立ち話程度では分からないものだなとつくづく感じたしだいです。

 ○「私意尊重」の究明を軽視してきたことを反省します。
 ○生かし合うには一体以外にない。
 ○無を有にするボロと水の心
 ○何があって、何が無いとはっきりしているか。これが大問題だ、と数字を示して語っているのが愛研。
 ○「夫の行為は妻の一体によってなるもの」 先生の発見であろうが、自然界のことで、世の男、女の実態を数字で顕したもの。
 ○「理想社会」が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時、感激だったであろうと想像できる。

 こうした世界を綴られる柿谷さんの世界も、勇躍歓喜の心境で満たされているであろうと推察されます。この世界はまた私自身の目指す世界だと知らされます。
 ただこうした世界と現状の実顕地を直に重ね合わせて、そこから柿谷さんの老婆心のようなものが時々文面から感じられてくる個所があります。お叱りを受けるかもしれませんが、もう少し距離を置いて眺められた方がよいのではないか、と私自身は私なりに自戒しています。さきに「私意尊重」の究明といった文言がありましたが、私自身もこの間の実顕地づくりの中で一番遅れていたのは、私意尊重というか自分で自分を尊重する、配慮するというもっとも人間にとって大切なことの研鑽が軽視されていたところにあったのではないかと反省しています。
「自己より発し自己に還る」といいながら、「真実、それに自己を生かす」とも唱えながら肝心の「自己への配慮 尊重」についての究明は未だしの感があります。現在の私の最大の取り組みどころ、課題です。そうした意味からでも、どうか柿谷さんにももっともっと真の意味でのご自愛を願うものです。
 以上思いつきを二三並べましたが、柿谷さんの力強いイズム究明に賭ける熱意に同調、励まされて勝手なことを言ったかもしれませんが、お許し下さい。
 まずはお礼まで申し上げます。
平成19年1月21日 ”

今度改めてその後も亡くなられる前まで不定期に送られてきた「遺言」集を読み直してみた。そして、そうか今自分が取り組んでいる課題は、山本作治郞(1912~2004)さんや柿谷喜一郎さんなど先人達の流れに位置するのだなあと思い知らされた。
ちなみに夫婦の真字に理想社会の縮図を見る柿谷さんの語録を幾つか並べてみる。
夫婦の真字・ふさい

○夫婦はもちろん,男と女はお互いに無いものを持って生まれてきている。何があって、何が無いとハッキリしているか。
○今までは、男の目で女を見、女の目で男を見るという、常に二つのテーマで混線して語ることをしてきた。
○〝全てを生かす〟というほどのものが、女性に存在しているということはすごいことだ。
○〝美しきもの〟を、ヤマギシでは「生かす」というのかと思う。
○夫婦の一体は、理想社会の縮図として最小単位の理想実現の絶好の舞台であると思う。
○女性は宝物を持って生まれているにも関わらず、自らが宝物を捨てる方向になっている悲劇。越路吹雪が歌う「一寸おたずねします」の歌詞に〝19の時に落とした愛を探して…〟がある。
○当時(1958年)四日市の頼子さんのアパートで先生(山岸巳代蔵)と頼子さんが夜明けまで研鑽していた時、今夜は危険だからといって春日山から四日市まで八人で飛ぶようにして行ってアパートのまわりを寒空の下で夜明けまで夜番しました。心の芯まで凍るようでした。死んでも忘却し得ないほど寒い夜でした。

こうしたイズムの大先達に導かれて、さきの数字に秘められた愛情世界の解読を、〝「理想社会」が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時、感激だったであろうと想像できる〟世界を行きつ戻りつしながらも探求し続けていこうと思う。

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わが一体の家族考(149)

空気とタイヤと自転車?

山岸巳代蔵は自分にとって柔和子の、頼子の存在を11月29日の愛情研では次のように語っている。
空気とタイヤと自転車

山岸 ……私はね、ようなんかに例えるけど、例えって、まあそんなに的確に言えない、またとる人によって違うけどね、私はまあ、自転車で言うたらタイヤみたいものやて、ゴムのね。ね、タイヤチューブっていうかね、完全か不完全か、まあそりゃ知らんけど、まあそんなもの。頼子はまあ空気みたいなもんや、ね。それでタイヤっていうものは使えるわけやね。空気の抜けたタイヤっていうものは、そりゃあ、おおよそもう、自転車に取り付けたところで荷厄介になる。それを無理に押したら、バラバラになってタイヤも破れてしまう、こういうこと。私はそういう、まあ、考え方やね、何かしらん、ここが言えるような気がするから、そういうタイヤがやね、柔和子という車体なりね、ハンドルのついたものにやね、組み込んでこそ、こういう仕事が出来る”

そしてまた12月7日の愛情研では柔和子に次のように語りかける。

山岸 俺を生かした方がいいだろう。お前と頼子の放射能によって、この、まさに消えんとする命を、生気を、取り戻すことと思う。
(略)
山岸 全人幸福への分かれ道だ。
(略)
山岸 うん。ウソでもええのよ。ウソでもええのよ。俺に放射能をくれ。生きる力をくれ。”

続けて12月9日の愛情研では、山岸巳代蔵にとって柔和子の、頼子の存在を〝数字〟の例えであらわす発言が見られる。

“柔和子はこれだけで五なら五のものがある”
“それで、三は、三は柔和子と同じもので、二は柔和子にないものやね。”
“そういうものによって五になって、伯仲した力とも言える。これの(パンと手をたたく)きつい結び付きによってね、この愛情実践の世界に及ぶですよ”
“さっき言ったね、「これも五つのうちの、まあ、柔和子が五つ」と、それで、「頼子と僕で五つ」と、こういうことは。「三は柔和子と同じような、こう、能力、そのかわりに柔和子にない二つの能力が僕にはある」と、”
“この僕には五、寄せての五がある、柔和子にないもの二寄せて頼子と同じもの三が、あの、柔和子に……ややこしいね、今の。あの柔和子に三ね、柔和子と同じ三と、柔和子にない二寄せて五として、ここに頼子が入ることによって全部これが生きるということね、ね。ここや、ここんとこね。頼子が二でないの、頼子が二でないわけよ、頼子は全部に生きるわけよ。この三だけも、この三の柔和子と同じ三もやね、頼子が入らなかったらやね、三も生かされない。むろんこの二もやね、働かないと、こういうものを僕は感じるの。そういうものを感じる。”

こうした数字に例えて分かりやすく言おうとするのだけれど、聞いている方はますますややこしくなってくる? 前後の山岸巳代蔵の発言を拾いながら自分なりに整理してみる。
要するに柔和子は、〝五〟ともいえるこの間の〝百万羽〟構想を実現していく力を備えている女性。一方頼子は、ただ愛一筋、愛だけでもう生きているような女性。そうした異いが次のような発言からもうかがえる

“頼子と二人っきりだった当時を思うと、省みるとね、頼子によってね、この生きる力やね、生かされていたと思うの。やっぱり米とか空気とか水とかいろいろのものでこう、人間生かされているわね。周囲の愛情とかこういうもので生かされておるけどね、それはね、頼子によってね、生かされていると。”
“あの、どんな場合にでもよ、僕が頼子に愛しておられると思っておるなればよ、そして愛しているという頼子を感じておる場合にやね、そういう場合にはこの、非常にこの、生きる喜びっていうかね、なんか知らんが、まあ生きる力もらっている。”
“もう頼子を知ってからっていうものはね、もう他には要らないの。ニコニコ、話がふわーっと明るい、こういう感じやね。そうすると、生き生きした仕事が出来るの。”
“私の考える働きを持つところへやね、ちょうどエンジンがあってやね、そこへこの、あれが送られるというかね、ガソリンが送られると、まあこう考えてもええと思うね、”
“頼子と一緒にいるっていうことは、自分が生かされるのやと、頼子と僕と結び付いて、そういうことになるのやと、こう思うね。これは、こんなのこじつけやないと思います。何回考えても、そういうふうに思われます。”
“私は頼子によってよ、そういう若い働き(19,20、21、22、23、24、25のその時分の考え―引用者注)があるので、その働きを生かすものが柔和子やったと、ね、実、具現化していくものね、実現していくものは柔和子やと思う。”
“柔和子一人では仕事にならないものがね。”
“頼子と僕と二人寄ってよ、ね、の力と、柔和子の一人の力とね、同じやと言えると思うの。頼子を取った僕はもう全然ダメやと。ね、頼子と僕とね、こう結び付いたものやね、それがもう今度はまた柔和子と結び付くことによってやけど、これ、こうやと思うわ。”

うーん、〝ここや、ここんとこね〟とか〝これ、こうやと思うわ〟と納得できる〝ここ〟とか〝これ〟がピンと来ない。しかも二とか三とか五という数字で例えられるとますますこんがらかってくる。やはりたんなる遊冶郎(放蕩者)のその場しのぎの屁理屈にすぎないのだろうか。
否むしろここを避けてはヤマギシズム恋愛・結婚観が立ち現れてこないのではないかという気がしてならないのだ。

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わが一体の家族考(148)

無神論者が神を拝む?

さきの愛情研鑚会で、柔和子から〝先生に対する愛情が消えた〟と言われてすっかり落ち込んでしまった山岸巳代蔵は、
“この危機を救ってくれ。ウソでもいい、同情でもいい、何でもいい。”
と哀願するのだった。
それが関係者の必死の働きかけで、12月9日に引き続き研鑚会を持つことができた。その間の山岸巳代蔵の心の動きを研鑚会記録からたどってみることにする。

“そのね、まあ、――「愛情がもう、フッと消えた」って、「なくなった」って言われたらね、それまではたくさんに思っていたんよ。たくさんに思うてましたわ、柔和子を。もう絶対大丈夫と思うてたんやね。「そんなもん、二人の仲崩れるか」と思ってね、思って安心して、たくさんにしてたんやけどね。「たくさんに」っていう言葉、粗末に扱うかね、そんな有り難さ知らなんだや。さあ、これが、「なくなった」と言われたら、もう、そりゃ、立っても居てもいられんのよ、もう。それはその間際まで知らなんだんやで。ええ調子になって、ええ気になってたんや、「こりゃええなあ」と思ってたんや。
側にいると、それほど有り難さが分からんと。
「愛情がフッと消えた」って言うの。そーりゃ、そうしたらもうまっ暗よ。
死にたい衝動やったんや。もうこの汽車の窓から飛び出したろかと思ったんや。”

そんな〝もう生きていたいことない〟気持ちにかられていた時、周りから〝脈がまだちょっとある〟(実際はウソ話―引用者注)と聞かされたけで〝ホンマかいな〟と嬉しくなる山岸巳代蔵がいた。〝春日山〟の裏手に位置する春日神社へ五円お賽銭あげて一生懸命拝んだ。そんな藁をも掴む気持ちだった。
春日神社

“本当にこんなに変わるもんやね、人の心って、ね。悲惨の思いで和雄さん頼んで、嘆願して連れてきてもろうて、それでそこで、もう絶望になって、それで今度は嬉しいなって、そしてあの、あれどこやら、春日へ行って、ね、それで夕べ遅う来てから、ね、あの、ようやくにして頼子ここへ来てくれるようになったんやね。それでここで喜んだけども、そりゃ喜んだり、もう気が抜けたりね、こんなに変わるもんやね、人の心っていうのはこんなもんやね。で、愛情があるの、ないのっていうようなことはね、「あったなあ」と、「あの時こうだったなあ」ということは言えるけど、これから先のことは分からへん。”

と振りかえる。研鑚会でも次のようなやりとりが興味深い。

戎井 僕は今、愛情がね、「本当の愛情がぶっつり切れた」ということに対して、「いや、切れたと思わない」という観方と、二つに別れておるわけですな。「そりゃ、本人が一番よく分かるんじゃないか」というような発言したんですけども、よく考えてみると、本人が、「ない」と、「もうぶっつりと切れた」と思い込んでいる場合もなきにしもあらずだから、問題がこの、少し僕の考え方が単純すぎるかも分からんですけども、福里柔和さんに、愛情が本当にないのか、ないと思い込んでおるのか、全然……、そこを検べるのが、一番の眼目じゃないですか。
山岸 それをね、検べてもね、検べられないと僕は思うのよ。検べられないと思うの。だいたいね、この絶対愛というものは、もうこれは不動のものやと思うがね、夫婦愛情というものはね、起ったり消えたりするものやと思う。(中略)
で、本人が、「ああ、今、なんか知らんが夫婦愛情がない」と、これは思っているのよ、そやけど自分で検べてもそれは分からん。後から、「あっ、あの時はないと思っておったが、やっぱりなんか残っていたんだな」とか、「あの時は本当に消えたけど、また起ったんだな」とか、こういうことは後になって、まあそういう判断するだけで、それも本当のことをキャッチ出来るかどうか、僕は、これさえも分からんと思うの。「あの時消えてしまったんだと思っておるのが、消えておらなかったんだ」ということも、言えるか言えないか分からん。
まあ、後になって振り返ってみて、ずうっと終生続いたら、これがまあ終生の夫婦愛情で、そして一時的のものであれば、一時的の夫婦愛情と。それから濃淡もあると思う。濃いものもあれば薄いものもある、いろいろやと思うね。”

そしてそこから柔和子と結婚に踏み切った時の心境を振り返る。

“何でもない時よ。ただもう、「好きや、好きや」で、まさか結婚するとは思ってませんわね、その当時。ところがね、「川瀬さん(山岸会員、警察官―引用者注)によろめこうか」っていうような言葉が出るには、その元があるのよ、ね、何かあったんや。そんなこと聞いた時にね、川瀬さんに対しての嫉妬ではなかった、「川瀬さん、むしろ、あ、そらいいことやな」って言うたんや、。「それもよかろう」と、こう言ったんです、。本当にそう思っていたけどね、非常にさびしいもの感じたんかね、もう自分の気持がイライラして慌て出すのやね、騒ぎ立つのやね。”

と、もうたまらなく気分が落ち着かない失恋状態になって始めて無意識のうちに柔和子を愛していることを発見したという。ところが、

“そうするとね、楽しいはずでありながら、柔和子の所にいると、いつもいつもいつもいるから、それほども楽しさが、もう常識になって感じられないと、有り難さが分からんと、ね。そこへこっちの方へその、そんな状態の時に行けないという、その、堪らないものね。それで、「なんとかして頼子のとこへ行きたいなあ」って、また会いたい会いたい、とっても会いたい時があるのよ。”

といった発言から、しだいに研鑽は柔和子のところにいつもいると有り難みが分からなくなるし、愛情一筋で生きている、それだけを頼りに生きている頼子がさびしいがゆえにか〝もう私は要らないものだ〟とする危ない場面を実演するし、一方自分には柔和子に対してなんか縛られるような気がして堪らないといったアンビバレンツな心境を洗いざらいぶちまける。
いったいここで山岸巳代蔵は何を言いたいのだろうか。遊冶郎(放蕩者)の身勝手な言い分にすぎないのだろうか。
11月29日の愛情研では、宇宙自然界の保ち合いの理に合う人間同士の結婚形態について言及している。そこでは〝間違いない性生活〟のあらわれを、

“それは自由でいいと思う。また自由以外にないと思う。自由に任した、任したものでいいと思う。任すより他ないと思う。”

として本当の自由の世界を、一体の生き方を、愛情世界の〝自由〟に重ねているのだ。
ムチャクチャ飛躍している!?
ともあれ山岸巳代蔵にとって柔和子の、頼子の存在とは何なのか、愛情の複数形態とは……、と研鑽は佳境にさしかかってくる。

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わが一体の家族考(147)

ウソの定義?

1958年11月27日の三重県菰野町見性寺の研鑚会では自然に、それでは〝ウソ偽りのない〟の〝ウソ〟って何だろうといった話題に入っていく。
見性寺・本堂

先日の三重県伊勢市で開催された山岸会の全国大会でも、今度の山岸巳代蔵の〝百万羽構想〟など詭弁でハッタリの固まりだと多くの会員達からの非難が集中したばかりだった。
そもそも何をウソと言うのだろう? ウソの定義とは?
いろんなウソの形が出される。こういうものもウソと言うかと、ウソの部類に入るのだろうかと…。

“法律ではあの、ウソは認められているね、道徳でも認められていますな。例えば、「貧ゆえの盗みは盗みにあらず」とかね。「花盗人は盗人にあらず」とかね。”

“事実ないものを「ある」って言うのやから、ね、ウソや。ウソやけどもやね、しかしそう言うてるうちに、本当になる。
栃木で人を送る時(一週間の特別講習研鑚会へ―引用者注)に、こっちの方へ行っては、「この人とこの人と行きますから、あんたも行きませんか」と言う。こっちの人には、「この人、この人行く、こんな絶好の機会ないから行きませんか」と、こっちはまた同じ。三人ともそいでパッと、三人とも特講へ送ったわね。こりゃあウソや、こりゃウソよ、ウソで固めたっていうようなウソよ。”

だったら相手のことを考えて言ったことはウソではないのだろうか?
ここから俄然、井上頼子の発言が増えてくる。

“私の場合は、またそれがまあ、それの連続と言ってええほどっていうんか。またか、もうそれで堪らん、堪らない、堪らないの連続で今まで来たんです、
例えば、「何日に来ます」という、もうそれより一週間くらい割引して聞いてて、それででも、まだウソになるっていうんか、そんなことの連続と言うていいくらい。”

と、もう追求したってしようがないと愛想を尽かしている。そしてこんな生活たまらない、死んだ方が楽、と切実なのだ。
これに対して山岸巳代蔵の弁明(?)が興味深い。

“一八日に行けるのを一九日と言うた、これはウソやわね、「行けるんやけども、まあ、ヤマかけて一九日と言うとこ」というのは、これはまあ一つのウソやわね。”

と、言う方ではウソつくつもりでないのだけれどもと、一九日と言う時の気持ちをもっと忖度してほしいといった口ぶりなのだ。
こういうものもウソというのだろうか? そうだとしたら、

“ウソの連続や。ウソの累積と言うていい。(……)みんなウソつきや、みんなちゅうたらいかんか、まあ、ウソはたくさん……”

その後研鑽は〝ウソ〟続きで愛情問題の核心にふれていく。当時話題になっていた井上頼子の発言、「私は、その、ママさん(福里柔和子)が先生(山岸巳代蔵)と結婚なさるのなら、私は交替します」について、言った言わん、どう言うたということまでの研鑽に発展していく。
ウソから愛情問題へ入っていき、そしてやっぱりそれがウソに戻ってくるという、三人の複数結婚の〝もつれ〟の様相を見せてくるのだ。ここでハッとする興味深い問答が交わされる。

安井 根本やらんとすぐ事実に入っていくから、混乱が起っているのや、僕に言わしたらな。根本理論から入っていかなかったら、この問題は解決せんやろう。事実、いろいろの方法が慌てて出だしたやろう。
山岸 研鑽してから愛情が起るもんと違うやろ。”

つまり混乱状態が起きるからには、言うた方の気持ちと聞いた方の気持ちとに明らかな食い違いが事実あるということだ。
ウソと聞いたと。ウソやと思うと。だが本当にウソだったかどうか、そうでなかったからウソだったとキメつけられるか?
この間の経緯を一言で言えば、山岸巳代蔵と井上頼子、山岸巳代蔵と福里柔和子との間には切っても切れない深い愛情が流れているにも関わらず、福里柔和子は自分は器が小さいのでそんな世界には絶対住めないとハッキリ言う。そしてしばらくここから離れて静養したいとさえ言うのだ。先生への愛情がフツッと消えたというのだ。三人でやるのなら、私は下ります、頼子さんと二人でやってくださいと暗に突き放したのだ。
それに対して山岸巳代蔵は、

“この危機を救ってくれ。ウソでもいい、同情でもいい、何でもいい。”

と哀願する。

柔和子 私がどうあればよろしいのか。
山岸 俺を生かした方がいいだろう。お前と頼子の放射能によって、この、まさに消えんとする命を、生気を、取り戻すことと思う。死なしてもええよ、俺を。それはええよ。俺はええのよ。俺はええのよ、それでいいのであればね。命乞いなんかしてないのよ。”

ここでの〝お前と頼子の放射能〟って何のことだろうか? 
1958年の十一月末から十二月初めにかけての見性寺での愛情研鑚会を今少したどってみることで、〝お前と頼子の放射能〟なるものの内実を明らかにしていければと思う。

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わが一体の家族考(146)

妥協がなかった頑是無い子どもの頃

「愛情徹底研鑚会」では、思いが言葉や何かで通じない時の立っても居てもいられん状態の「何とも言えんもどかしいもの」から来る〝発作状態〟を、〝だがあの時は、こうやったんや〟とていねいに辿っていく。
研鑚会で井上頼子が、こんなことは自分と福里柔和子との複数の愛情問題になるまでもあったのかと尋ねると、山岸巳代蔵は次のように語る。

“もっと子どもの時にね、自分のね、自分の正しいと思っていることがね、通じないとね、もう、居てもいられんもんやね。子どもの時からやっぱり何かちょっとあるね。性格かもと思い、困ったで。”

と親から受けたものとも言えんやろな、何でやろと、子どもの頃の妥協のなかった自身の姿と重ねる。それは自分の正しいと思っていることを通そうとする自我の現れというよりは、自分に対していい加減に済ましておけない、通じさせない自分がもどかしく耐えられないのだ。自分が自分に対して〝もどかしい〟のだ。
ことわざに〝泣く子と地頭には勝てぬ〟とあるが、頑是無い(幼くてまだ物事の是非・善悪がわからない)子ども、聞き分けのない子どもの姿に、簡単にごまかさない成長段階の一つとして見ているのだろうか。
この研鑚会から一ヶ月余りすぎた11月29日の見性寺での愛情研鑚会の記録には、自分らのこうした結婚形態へ向けての煉獄の試練をおたまじゃくしが蛙に変態する〝成長への脱皮〟の例えで振り返る。
おたまじゃくしからカエル

そして頑是無い、聞き分けのない振舞いを、

“手足がない時にはやはり泳ぐ水が要った、その水だったと言ってもええと思う。ウソのものでないと思う。頑是無い幼少の頃には、そういうものも必要だつたと思う。”

とも見なしている。
たしかにそういう心境、環境が生じない場合には、そんな発作は起こらない。いや、あの時にこういう環境であり、心境であれば、やらんで済んだであろうことは分かる。だがあの時は、こうやったんや、と自分を別の立場で批判していく研鑽が眠たい顔している参加者もいる中で続いていく。

“通じないものに対してやね、妥協ででもその場を糊塗しておこうと、糊塗しておけば、それでいいわけや、自分にな、ね。”
“修養が足らんのかいな、性格かなあ、こういうものが人間の本質であるのか、どっちでもええわ”
“まあ、何回でも出る現状ですわ。まだほんで、出ないということは、よう保証しません。”
“その焦点をそらして、ね、「もういい」と、発作状態になる前にそらしていくと、まあそういうようなこと穏やかに見えてるわけやね。そやけど、実はその、発作状態にならないから、ね、発作が起らないから、それでその、もう発作が起らない人間になったかと言うと、そうやないの。”
“発作する状態が起って、それをその、いわゆる妥協でよ、そらしておくというのが、これは一応自分にも、ね、まあ何とか膏薬張りか、ごまかしかしらんけど、それで収まったもんではないわね。”

というように、〝発作状態〟の意義づけ、勿体つけているのと違うと断りながら、このことは複数の愛情問題にかぎらず、〝真の人間性〟につながるテーマであると山岸巳代蔵は言いたげな様子なのだ。

“本当にね、もう、ちょっとでもウソ偽りはない、もう真理、本当の純の極致やね、そういう時の、なんにもない……、誠意の誠意の通じない時やね、それでこれはね、誠意の通じないということは、通じない……、だいたい通じないのが当然やと思う場合あったし、通じるはずのものが通じない時やね、こういう時にもう、もうもう、こんなこんな妥協や偽りで生きておられない、何も出来ない状態やね、純粋の純っていうか、本当の純粋っていうか、そういう状態……”
“妥協できないと思います。純粋に生きようと、純粋に生きようということは、もう、それはもう妥協の世界に生きておらないということ。おらない、おられないということになる。”

とも言うのだ。何となくウソ、偽りや瞞着(ごまかすこと。だますこと。)のない世界に生きる肌触りのようなものが感じられてくる。

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わが一体の家族考(145)

だがあの時は、こうやったんや、と振り返る

1958(昭和33)年夏、『百万羽』の建設地「ヤマギシズム生活実践場春日実験地」が発足した年に並行して「愛情徹底研鑚会」も開かれていた。その研鑽に懸ける並々ならぬ山岸巳代蔵の意気込みがうかがえる。

“私にしてみるとまた、生きるか死ぬかの問題やと思っているの。愛情問題ね。”
“やはりこの問題解決しなかったら、私はね、生きた仕事が出来ないと思うんです。”
“本当の自由の世界は、そこからでなかったら生まれてこないと思うんですね。”
“ひとつの観念が入るとね、それが入っている間は絶対に本当の答が出ない。
その観念を外してやね、数理究明的に究明してこそ、本当のものが出てくると思う。”
“今日はもう本当に土壇場まできて、本当に全生命懸けてやるつもり”

といったように、恋愛結婚問題の根本解決によって嫉妬・憎しみ・葛藤・混乱など起こらない本当の社会を山岸巳代蔵が観ているからだ。
すでにこの時点ではっきりと、この間〝検べに検べ続けて変わらないヤマギシズム結婚論理と社会紊乱の浄化・安定とが相一致するようだ〟という確信があった。
そのことは「愛情徹底研鑚会」での次のような発言からでも明らかである。
アンドロメダ銀河

“必ず、正しい、間違いのない、この、この世の営み、自然界の営みによって、ちょうど、拠り所のない月や星や地球が、どこにも紐帯を持たない、足場を持たない中に、間違いなしに律動しておる状態、どこへ飛んで行ってもいいこの宇宙界を、やはり一つの目に見えない軌条に乗って、間違いなしに動いておる状態。人間同士の結婚に於ても、そういうものがあると思う。
道徳学者達が非常に不安に思われるような、こういう混乱状態の、その場その場、その時限りのような、行きずりの結合でなしに、やはり本当の異性間の愛情を基盤として、間違いない性生活が行なわれていくのが本当だと思う。そうなると思う。
自分の過去の幾多の体験から、いよいよそういうことが、だんだんと明るくなって、解明していくような気がする、自信がますます持てるような気がする、本当に。無軌道・不安定のように見える中にこそ、本当の安定があると思う。”(1958.11.29三重県三重郡菰野町見性寺に於いて)

宇宙自然に繋がっている〝人間同士の結婚に於ても〟自然の真理だといえるような、相合うというか調和した姿に本当のものを見ようとしていたのだった。
そうした真理を基準にした〝愛情研鑚会〟にしていくために覚悟のようなものを自身はもちろん参加者にも呼びかけている。
それは〝本当のものが出てくる〟ためにも、いい加減なところで妥協しない。妥協で焦点を逸らさない。うそ偽りはないといった極致を目指した。
そして自身のこの間の理性の働かない状態、思いが通じない時の「何とも言えんもどかしいもの」からの発作状態についての体験を振り返る。
例えばビール瓶を投げたり、扇風機を鏡に投げつけたり、火鉢をひっくり返したり、東荘(四日市)の二階から飛び降りようとしたり、頼子の住むアパートの石油の臭いがする台所で何度もマッチを擦って投げたり……。 
フッともう一時の感情でもう立っても居てもいられなくなって〝やらんでもええことをやって〟しまうから、力尽くでもいいから止めてください。研鑽の余裕ないからね。みんなでね、縛りつけてもかまへんわ。そこらの縄で。と、そのくらいの気力でかかってくださいと、自分自身に参加者にも願うのだった。

ある日の研鑚会でどんな話の流れでか忘れてしまったが、Sさんが次のように語ってくれた今も心に残る話は、こうした愛情研鑚会にまつわる内容からだったのだ。

“自分を批判するということ山岸さんはよくやった。だからこういうことを僕に言わしたらいかんとか、僕にこういうことさしたらいかんやないかと言うわけ。
普通なら、僕らのその時点での考え方ではそういうことは、そう思ったら、自分が言うたらいかんと思ったら、やめたらいいし、やらん方がええと思ったらやらなんだらええのやろと思っていた。
そやけど、そういう場に立たされて、そう仕向けられたら、そう言わざるを、せざるを得んというかな、別の立場で批判しているわけ。
そんなことさしたらアカン言うて、誰か止めないかんとこや言うて。”

人間の持つ奥深い一面がしみじみと迫ってきたその夜の研鑚会だった。
それにしても思いが言葉や何かで通じない時の立っても居てもいられん状態の「何とも言えんもどかしいもの」とはなんだろうか? いや、すでにそこに生きる山岸巳代蔵がいた。

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わが一体の家族考(144)

「恋愛・結婚観」を輸出?

先の書『エロスとの対話 女は男を知らず、男は女を知らない』
『エロスとの対話』

のなかで、田中喜美子さんは〝本当のフェミニズムは日本から生まれるのではないか〟と発言され、その理由がこの往復書簡を通してはっきり見えてきたという。それは先進国のうち、日本人だけが天真爛漫に、

“エロスの力、世界に偏在している生命の力、自然の力を無意識に肯定している人々”

なのだという。欧米人にはほとんど理解しがたい心情、謂わば「もののあわれ」の感覚が日本的伝統として流れているのではないかという。自分をどこまで主張する「個」でなく、大きな自然と繋がっているという〝自己〟放棄的な感覚だ。
とても興味深い見逃せない発言として印象づけられた。
山岸巳代蔵の発言(「知的革命私案 二先ず日本から」)の中に、世界の一地域名である日本という場に揃っている〝日本人の物質欲求、及び心理的傾向〟等の諸条件が、理想社会への知的革命を遂行するに絶好の状態にあると見なして、〝先ず日本から〟と提唱する真意とも重なってくるようだ。

“私は日本とか、日本人とか、国と云う言葉を用いますが、日本とは、私共の考えている社会では、世界の一地域名であり、国と云うのは、個々に離れて独立したものでなく、便宜上の地方区割段階の一つであり、日本人とは、現在呼び習わしの民族の名称であって、永久に日本地域に居住しなければならぬものではありません。日本人の将来についての私の考え方は、そのうちに発表したいと思いますが、ここでは、理想社会は、今の日本地区のみに止まるものでなく、全社会が、正しい真のあり方に変ることを予想して、それの第一歩として、先ず私共は所謂日本人であり、日本に住んでいる関係と、地域が狭くて手頃であり、諸種の条件が揃ってありますから、ここから着手して、日本で実現させ乍ら、他の国の人々にも呼びかける心算です。
 今の世界状勢、特に日本人の物質欲求、及び心理的傾向は、この知的革命を遂行するに絶好の状態にあり、理論・目標のみを並べるのみでなく、具現方式により、混乱なくして、明るく、正しく、新しい、世界から関心と協賛されるに足るような、モデル社会と致し度いものです。”(『ヤマギシズム社会の実態』)

そのためにも肝心の人間問題の解決。
人間として最も大切な人格上の点での反省として、日本ならでは培われてきた〝大洋をたたえるおおらかさ〟を身に備える事に専心する方が先決だとする。
そうしてまた最も深刻な問題とされてきた男女夫婦のあり方なども、この人間革命を通して日本から「恋愛・結婚観」をソ連・米国へ輸出出来るようにしようともいう。
こうした山岸巳代蔵の敗戦国の日本?からとか、「恋愛・結婚観」をソ連・米国へ輸出?とか誇大妄想的な言説の意図するものが少しづつ見えてくるようにも感じられる。
また田中喜美子さんは、自らの結婚の動機を振り返り、

“あのとき私が夫に感じた「男らしさ」はなんだったのかと考えます。それはやはり私の依存性の現れに過ぎなかったのでしょうか。それとも男というものの奥底に潜む女にはない何ものかが、私をひきつけたのでしょうか。”

と語りながら、〝らしさ〟そのものに触れるよりも、〝一人の学者の妻であるという満足感〟に侵された〝私の依存性の現れ〟からの脱出の方へと話が展開されていく。
どうしても反省的通俗的な方へと向かいやすい。〝らしさ〟そのものに触れるなんて雲を掴むようで、まことに無理もないことである。
しかし山岸巳代蔵には最も差し迫る課題に見えていたのである。

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わが一体の家族考(143)

『エロスとの対話』

以前次のように記したことがある。

“「男には女の要素が、女には男の要素がない。無い要素をはっきり自覚したら、男女問題は大部スッキリすると思う。要は、お互いに立ち入らないことだ。」(わが一体の家族考76)

エッ、どんなこと? とずっと頭の片隅にあったのか、先頃『エロスとの対話 女は男を知らず、男は女を知らない』( 田中喜美子・木内信胤共著. 新潮社1992.7)という書を、題名に引かれて読んでみた。
そもそも人間の中の男と女は、どちらも人間であるという本質的なものと、異性であるという本質的なものとがある。
今の社会では、人間的平等や同権論で男女共通に律していこうとする風潮からか男女が〝社会人間〟に化けてしまっている。社会人間とは、男でも女でもない今の消費社会に適応する〝商品化人間〟のことだ。もう一方の異性であるという本質的なものが消滅寸前の運命にある。
本の帯のキャッチコピーは次のようにあった。

“画期的な往復書簡 九十歳の男性の叡智と六十歳の女性の情熱をかけ赤裸に語る愛、性、結婚”

著者・田中喜美子さんは主婦向け投稿誌『わいふ』の元編集長。
田中喜美子

木内信胤さんは吉田茂のブレーンであり歴代内閣の経済指南番と呼ばれた人。
木内信胤

気骨ある男と女によって、男らしさ女らしさを論じた互いに真剣勝負を挑んだ書である。
さすが投稿誌『わいふ』を通して長年主婦たちの生の声を聞いてきた田中さんだけに、天下国家を論じ家庭では理想的な夫婦関係を築いてきた申し分のない男、木内さんへ生身でぶつかる真摯な問いかけには正直圧倒された。
終始本来の愛の力を取り戻すために〝戦いたい気分〟を秘めた田中さんの世の男達の脳天気ぶりを暴く押し気味の論調に、木内さんはタジタジである。率直に木内さんは語る。

“女性とは、いい関係を持ちたい、とは終始考えてきた。しかしそのためには、男がもっとよく女を知る必要があるとは考へなかった。いかに況や女がもっと男を知る必要があるとは、考へたこともなかったのである。”

田中さんはいう。

“男には男女の問題を考えるより、もっと大きな仕事があった。彼らにとっては、いつも「愛」だの、「家庭」だのといっている女というものは、正直いって煩わしかっただろう。”

そして女性に対する男の視点はつねに欲望(射精欲)を軸として回転していて、そこには

“女の真の姿は映っていません。”

と断じる。そこに現在男と女のあいだの最大のギャツプを見てとるのだ。

“欲望の問題として捉えている男とよりふかい人間的な愛の実現を夢みる女”

それは〝性の快楽〟の質に顕著に表れるという。
すべてを解く鍵は、女の「受動性」の解釈に潜んでいるのだという。

“「抱き締められたい」という女の欲望は、相手に屈従したいという望みをあらわすものではなく、相手のすべてを受容したいという望み、自らを与えたいという深い欲求の表われなのだ。”

として、心から安らぎを感じる世界、自分というものが溶解し、他者と分かちがたく溶け合ってしまう感じに、愛する男との肉体的一致にもまして精神的な一致の、そんな受容する愛を見てとる。
そうなのだ。田中さんの中には一貫して

“女が解放され、生活のために結婚しないでもいい時代がきたとき、男女の仲はどうなるのだろう。女と男のあいだから、性的欲望と現実的利害をとりさったとき、「愛」は本当に可能なのだろうか。”

という問いが流れている。
急に先の下重暁子さんの「夫婦という他人」や上野千鶴子さんの「おひとりさま」の主張がリアリティを帯びてくる。
田中さんは論を進める。しかもその解放度の高いアメリカを見ても、結婚した男女の約半分は離婚するという。そして離婚と再婚の繰り返し。結婚しても幸福を発見できないという事実。そこには一番大切な、「人間とは何か」人間にとって「愛」とは何なのかの問いが、すっぽり抜け落ちているのだ、と。
ここから本書の題名にもある〝エロス〟のテーマが浮かび上がる。
ここでも「産む性」である女・田中さんは、木内さんが考える〝男と女の理想的な関係〟例えば、

“この人と一緒になって、いい家庭、いい子どもがつくれる、と思ふような相手であって、初めて男は、真に強烈な愛情を感じることが出来るのであり、その結果として成立する性の交りに伴ふ満足感は、”

といった体験に基づいた感慨を蹴散らしてしまう。
そこに、自分のために自分の子どもを女に産んでもらいたい、産ませたがっている旧態依然とした「家父長制」に縛られている〝女性観〟を見抜く。相手に対する愛より先に子どもの存在が意識されているところに、何か不自然なものを感じるのだという。そして

“女というものは、自分の産むかも知れない子どものために愛されるよりは、どんなにつまらない理由からであろうとも、自分自身のために愛されるほうを選ぶ”

のだと言い切ってしまう。欲望のために女を追っかけるドン・ファンのほうを……。
〝エロス〟、それは理性を超える力、一つの狂気であり、女たちの心の奥の、そのまた奥底で人間を動かしている力であり、「愛」なのだと。
そして今、欧米流の「個」の自己主張と互いの権利のぶつかり合い、自我と欲望の固まりとは異質の、自分を自然の一部と感じる日本人の心の深層を流れる自分が「個」でなく、大きな自然と繋がっているという感覚の中に人間の真の幸福を見出そうとされている。
この間の自分らの文脈に沿うならば、男らしさや女らしさというものはすべて後天的につくられたものではなく、本来ある男らしさと女らしさでこそ構成される社会の可能性について本当は語りたいのだと受けとった。

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わが一体の家族考(142)

〝そこ〟に触れた時

例えば「ある愛の詩」の世界での〝そこ〟に触れた時、一瞬にして「叱られるかなぁ」といった憂鬱な気分が氷解し、何かほのぼのとした温かいものに包まれている〝自分〟を見たのだ。ただただうっとりと癒やされている自分がいた。
とても不思議な奇跡のような体験だった。

“無いものが、見えないものが見える人になるために、〝ふとした機縁から気づい〟た世界を通り過ぎないために、そこに立ち止まり、踏み留まって、行きつ戻りつを何度も何度もくり返し膨らませていくのだ。
何とも言葉で表せない感情でいっぱいになり胸が熱くなる〝この感じ〟って、いったい何なのだろうかと。
しかも〝この感じ〟に抱擁(つつ)まれて自足している自分とはどんな自分なんだろうか? それにしても彷彿と浮かぶあの恥ずかしそうな笑顔から一瞬のうちに蘇り、こみ上げてくる心の琴線に触れるものの正体は、いったい何なんだろうか? 
そうやって四六時中自分自身の実感に思いをめぐらせていると、ふと〝琴線〟の鉱脈を探り当てたような瞬間があった。底が抜けたような感触があった。実感をともなった体験の場に立ちあがった。”(わが一体の家族考116)

“心の琴線に触れるとは、ひょっとしたら〈性〉の琴線に触れるということだろうか!?”(わが一体の家族考87)

そうか、ここが自分で自分を尊重できて自分らしさに出会える場所だったのだ。何遍もくり返しくり返しひとりで立ち還っては勇気づけられた。自分の足でようやく一歩踏み出せたような嬉しさもあった。
漫画『ドラえもん』に登場するひみつ道具〝どこでもドア〟のように、
〝どこでもドア〟

何やる場合にでも、どんな場合にでも、あの時の心充たされた〝自分〟がいつもぴったり寄り添っていた。
はじまりの主観的な何か不思議な感情にすぎなかったものが、何時しか宇宙自然界の底に熱く息づくものにまで膨らんでイメージされてくるのだった。
以前研鑽した「実顕地用養鶏法研鑽会資料」の一節が浮かんでくる。

“その人の言う通りやろうとすることはその人になることで、その人の心になることで、方法のみを真似するわけではない。
一体になろうとするもので、一体とは無我執である。
その通りやれるかやれないかはわからないけれど、信じないで言う人の気持ちになってやってみようとするもので、そこに考える人とやる人の一体の成果が即ち本養鶏法が顕現される。
間違いなく完璧だからその成果を期待してやるものでなく、趣旨やあり方や仕組みに賛成して養鶏する目的や経営安定度の可能性にかけるもので、間違いなからんとして間違い多い過渡期も責め合いなく一体で励み向上さしていくものである。
それはヤマギシズム社会のあり方であり、そこに住む人の心情でもある”

じゃあ、その人の心って何?、自分ではない他人の心になぜなれるのか? しかも自分は大の人見知りで人が怖かった。そんな自分でもどうしたらなれるのだろうかと、いちばん思い悩んできた箇所だ。
それが一転して、そうか、そうだったんだ! 〝そこ〟に触れている〝自分〟が〝その人の心〟なんだ!?
ああそういうことか、とようやく肩の荷が下りたような深い安堵感に包まれるのだった。

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わが一体の家族考(141)

コロンブスの立卵鑽 
コロンブスの立卵鑽

ところが折悪しくというべきか、ある時たまたま風呂への行き帰りのすれ違いざまに実顕地造成の世話係だったSさんから「佐川節(『ある愛の詩』―引用者注)をきかせてもらったよ」とニッコリ声かけられたことがあった。
ショックだった。
というのも当時実顕地全体が有精卵の増産態勢の方へ力強く盛り上がりつつあった時期だったので、自分にはそんなマイナーで軟弱な私的な世界に入り込んでいる自分が否定されているように勝手に受けとったのだ。
さらに自分にとってその頃の一番の関心事は、〝そこの住人になりきる〟だった。そのためにも今までの頭でっかちな自分を解体したかったのだ。
それ以降、そうした実顕地に参画してはじめて自分にとって素晴らしい女性に出会えたという〝ぬるま湯〟的な感じ方・生き方を自己批判し意識して封印するようになった。
拡大発展の年だった。

“○会員拡大――特講拡大・旧会員の復活
○地元・同業者・関連業者との関係
○参画者の親子兄弟親戚の参画拡大推進
○実顕地生産物の増産拡大
○供給所 活用者の大幅拡張
○単位実顕地は夫々適正規模を目指して規模拡大
○単位実顕地は夫々一つ以上の実顕地を分家する
○実顕地が持たなくても実顕地で使える状態の土地や資金を拡大する”(正月経営研鑽会 研鑽課題より 1977.1)

しかもその頃社会を震撼させた〝連合赤軍事件〟も背景にあった。とても他人事には思えなかった。自分ら実顕地生活の中での組織や個人の生き方にも未解決で残されている重要なテーマのように漠然とながら感じていたからだ。
そもそも「〝ぬるま湯〟的な生き方を自己批判し意識して封印するようになった」こと自体の中に、今にして思えば連合赤軍事件と同質の芽が潜んでいたのではなかったのか?

組織によって個が安定するような依存型の人間によって構成された集団は、自ずと集団の安定が第一義の目的となり、どうしても固定化・閉鎖化していく体質となる。
そうだとしたら、すべてのことを自分のこととして為し、自分の生き方として生きるようになり、報酬の求めがなく、他に対して不平不満が一切なくなる〈個で充実し 個で安定する 依存のない生き方〉はどうしたら可能になるのだろうか?
長い間、個と組織の間でのジレンマを抱えてきた。個として何か〝してはならぬ〟ことをしているという、あの落ち着かない気分をどうしても払拭できないでいた。

後のあの2000年前後一人ひとりの本心からの〝今までやってきたことの根底からの見直し〟気運をとおして、歪みが一挙に噴き出した会組織全体の驚天動地の出来事は当然の帰結だった。
昨日までの同志相棒が、一転して心の底で軽蔑の眼差しを互いに向けながらわかれた。

はじめて自分はどうするんだと、イズム運動に真正面から直面せざるを得ない状況に追い込まれたのだった。
理想を追い求めるとは? 革命とは? 私が変われば世界が変わるとは? 反復して自分に問う以外に為す術がなかった。
その頃だった。なぜかあの封印していた〝佐川節〟の世界がよみがえってきたのだ!?

そしてふと妄想してみた。自分にとって〝ぬるま湯〟的な心地よくてずっといたい場所からヤマギシズムなるものにもし橋が架けられたらどんなにか素晴らしいことだろうなあと。本当に虫のいい話を思いついたのだ。自分が本当にやりたいことばかり追い求めていたら、ひいては全人幸福に繋がる? 

そんなバカな、と何度も何度も打ち消しているうちに、もうやぶれかぶれの捨て身の覚悟からの〝コロンブスの立卵鑽〟だった。
だから橋が架かったような感触が得られた時、ヤッターと思わず心の中で叫んだものだ。自分の中で閉ざされ眠っていたものが呼び覚まされた解放感とでも言えようか。
それが前述の自分自身の〝〈性〉の琴線に触れた〟実感がともなう体験だ。

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わが一体の家族考(140)

まるで自分のことのように

たしか〝ぼくが衣類と書物をいっぱい詰め込んだ重いリュックを背負って国鉄関西線・新堂駅に降り立った〟参画時(1970年9月)に、詩人・清岡卓行の当時の芥川賞受賞作品『アカシヤの大連』もリュックに入っていた。とても大事にしていた記憶がある。
アカシアの大連

あらすじはこうだ。
大連に生まれ育ち、東京の大学の一年生だった彼は、第二次世界大戦が終わる5か月前(1945年3月)に大連へ里帰りする。内向的な文学青年であった彼は、戦争下の生活に矛盾を感じ、生きる望みもあまりなく、自殺まで考える。戦争は終りロシア統治下の大連には、日本の内地に比べれば飢えの雰囲気もなく平和な面影がまだ残っていた。
彼は帰還船を待つ間に、知り合いの化学技術者の娘さんがデパートで働くのを手伝うことになり、……。
といった具合に日本統治下の大連の描写が続き、ただ往時を懐かしむ謂わば淡い郷愁を感じさせるだけの作品のようにも見える。
当時の選考委員の一人、作家・石川達三のむしろ受賞に否定的な選評は今読み返しても適切だ。

“私は躊躇した。ほとんど全篇が個人的な思考を追う(哲学的随想)のようなかたちで、どこまで行っても平板な叙述であって、立体化されて来ない。最後の短い一節だけでようやく小説になっている。”

その通りだ。うまく言い当ててるなあと感心した。
しかしその〝最後の短い一節〟から、不思議にも心底求めるものと応じるものが出会い全面一致する、そんなかけがえのないものに触れ得たような喜びが湧き上がってくるのだ!
そこで『アカシヤの大連』から〝最後の短い一節〟と思える中から心に響いたフレーズを抜き書きしてみる。
先のあらすじ、〝彼は帰還船を待つ間に、知り合いの化学技術者の娘さんがデパートで働くのを手伝うことになり、……。〟の次の場面からである。

“彼女はよく笑った。それは、彼に、洗ったばかりの葡萄の房の綺麗な粒がいくつも転っていくような印象を与えた。”

“ああ、きみに肉体があるとはふしぎだ!
彼は自分の胸から不意に湧いてきたその言葉に、たじろいだ。”

“彼女の出現は、急激に、彼の心の奥底に眠っている何かを揺さぶり起こしたようであった。”

“彼は、アカシアの花が、彼の予感の世界においてずっと以前から象徴してきたものは、彼女という存在であったのだと思うようになっていた。”

“彼は、いつのまにか、彼女と結婚することを夢みるようになっていた。”

“「彼女と一緒なら生きて行ける」という思いが、彼の胸をふくらませ、”

等々。なかでも圧巻は、デパートからの一緒の帰り道で、彼は彼女のとても風変わりな立振舞いに接した時であろう。
いつも同じ顔ぶれの数人の中国人の子供たちが駆け寄ってくると、彼らはにこにこしながら彼女に向かって小さな手の平を差し出す。すると彼女は十円紙幣を一枚づつ、彼らの小さな手の平の上に嬉しそうに載せる。
彼にははじめ、その光景が苦痛であった。

“しかし、同じ光景を何べんも見ているうちに、そこにある人間関係は、かつてのものとは全然ちがうものであるということを彼は知った。そこには、恵むものの傲慢も、乞うものの卑屈も、まったくないのであった。まるで、親しい姉と幼い弟たちの間におけるような、自然なやりとりの温かさだけが流れているのであった。”

そうだったんだ! 自分もまた作品『アカシヤの大連』に流れているものにずっと無意識に惹かれ、ヤマギシ会に出会ってそのことをついに〝ある愛の詩〟として確かめられたのだ、と。
今読み返してみても時代や背景はちがうけれど、まるで自分自身の結婚の経緯までの心の動きがそのまま再現されてあることに驚愕した。

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わが一体の家族考(139)

出会いは〈性〉であった?

この間の文脈に沿えば、かつてマルクスは「イェニーさん問題」から〝資本論〟の世界へと大きく逸れていくことで、たくさんの人に永く影響を及ぼすような盲信的な〝災い〟を残した。
先の見田宗介さんも〝高原の見晴らしを切り開く〟という本質的・根源的な問いから〝この共同体それ自体は、別に問題があってあまりうまくいかなかったという話も聞いている〟といった通俗的な〝にぎり飯談義〟へと大きく逸れていく。
自ら省みても一番肝心なところから気づかないまま脇道に逸れてしまうことはしょっちゅうなのだ。

それほど本質的・根源的な問いから出発して、ただ聴き・そのまま受け取り・逸らさないで踏み留まって〝あらかじめ個をこえたものの力〟(見田宗介)を内包している実態を〝透明に〟〝それ自体として〟浮かび上がらせることは未然で未知で未体験の出来事なのだ。
なにせ〝自分の一尺後ろにある宝〟はあまりに近すぎて可視化することも分離することもできないものらしい。
もう破れかぶれの気持で〝自分の一尺後ろにある宝〟とは、〝性を基盤とする恋愛・結婚観〟(わが一体の家族考87〈性〉の琴線に触れる)を指すのではないだろうか、とまで言い切ってみたのだった。
そこでそもそも自分自身にとって、山岸会(ヤマギシズム)との出会いは〈性〉であったのではなかろうか? といった問いから出発してみる。
そうかあ、あの時自分は〈性〉の琴線に触れたのだと今頃になって思い至る。
それはヤマギシ会に参画して直後の出来事で、数年後に手記としても書きとめていた光景だった。

“ぼくが衣類と書物をいっぱい詰め込んだ重いリュックを背負って国鉄関西線・新堂駅に降り立ったのは、たしか8月の暑い盛りであった。
関西線 新堂駅

そこから20分ほど歩けば、山岸会の一体生活体があるはずだった。これからの行方にどんな生活がまっているのか、それは未知であり不安でもあった。でも、すでにぼくは都会での生活に見切りをつけていた。
 翌日からぼくは養鶏の仕事の配置についた。今にして思えば、後にぼくの人生上の大きな転機に係わり、これからもぼくの生き方をたえず触発してやまないであろうYさん夫妻に出会ったのは、その日だった。一体生活体の中では格別珍しくもない、そのYさん夫妻について書いてみたい。
 その頃のYさんはまだ40代半ばであったが、すでに額はツルツルに禿げ上り、いつも健康そうな笑顔を絶やさず、外見は無類のお人好しの典型といえる人だった。奥さんもこまめに動き、世話好きで、田舎気質で、この人の担当するヒヨコ達は健康正常に育つ以外にありようがないとさえ思えた。この夫妻の言動から醸し出される雰囲気は、たんに鶏達に及ぼす影響にとどまらず職場の人間関係をもやわらかく包み込んだ。ほんとうの「仲良し」ってどんな状態かなどと考える必要はなく、Yさん夫妻のふだんの間柄を思い浮かべればそれで足りた。
 そうした他を思いやるYさん夫妻のさりげなく差し伸べられる心の手の恩恵を一番たくさん被ったのは実際ぼく自身ではなかったのか。 朝寝坊の得意なぼくは、時として朝一番の水やりやエサ見を怠った。そんな時は必ず奥さんが代ってやってくれていた。そして遅れてやってきたぼくの顔を見て恥しそうに、「フフフッ」と微笑むだけだ。ちっとも批難がましいことは言ってくれない。これはかなりぼくの胸にひびいたことの一つだ。休憩時のおやつ作りの時もそうだ。どうしてあんなに素早く用意できるのか、ぼくたち若い飼育係にとっては毎日驚異のマトであった。自分が作って自分で食べるよりも、みんなが「おいしい、おいしい」と言って食べるのを眺めているさまが、その場での奥さんにとっては最も似つかわしかった。山岸会とはアナキズムの流れを汲むものではないか、などと当時つまらぬことばかり考え、そうした複合観念に悩まされていたぼくの心に、Yさん夫妻のそうした笑顔や立居振舞はものすごく新鮮なものとして飛び込んできた。
 その後さまざまな時の経過を経て、Yさん夫妻の口から問わず語りに聞いたその来歴はざっと次のようになるだろうか。
 山々を水田が縫い込む山間の小さな部落で育ったYさん夫妻は、我が家のためにと一生懸命働いていた。そうしてもっと新しい農業のやり方はないものかと、近くに本部があった農業団体「愛善みずほ会」の熱心な会員でもあった。その頃すごく儲かって、それでいて手間のかからない養鶏の会があることを知った。早速庭先に200羽ほどの鶏が飼える鶏舎を建ててみた。それが山岸会との出会いのはじまりだ。ところが会発行の新聞でほんとうに鶏を飼うにはまず腹の立たない人間になるのが先決で、そうなるための講習会が毎月開催されているのを知る。「これはただ事じゃない」。
 その講習会に参加してからというものYさんの言動は一変してしまった。家の仕事に手が着かず、一人でも同志をつくろうと近所・友人・親戚、人を見るごとに講習会を勧めて歩いた。自分だけどれほど儲かって幸せになったと感じても、みんなが幸福にならない限り自分のほんとうの幸せはないと思ったからだ。仲間も次々と増える。ところがみんな自分の家の仕事はうちすてて他村へ拡大に、本部の研讃会にと出かけてばかりいる始末。どうしたらいいものか? そこでみんなで考えついたのは、お互いの家の仕事(田植・除草・稲刈り・脱穀に至るまで)を部落全体の共同作業としてやることだった。早速実施。 しかし、しばらくすると何か物足りない気持が湧いてきた。「ほんとうの一体って何だろう? 作業がいくら合理化されてもそれだけではたんに高い処へ土もちをするようなもんや」
 そうこうしている矢先、山岸会の方で「一体経営専門研鑽会」が開かれる。昭和33年の春頃だ。全国から集まった同志はほとんどみな自分の部落で共同作業をやってみて、なおかつ何か物足りないものを感じていた人達ばかりであった。そこで「百万羽構想」が山岸さんの録音テープで発表された。ストライキも社長もない、そんな養鶏の会社をみんなの財産を投げ出してつくろうといった趣旨の提案である。さあ、その場は一時騒然とした。自分はどうする? あんたはどう考える? 「そうやなあ、家庭はむろん支部でも何かがつまって出口を塞ぎ止めている感じがしてたし、ここらでひとつ踏み切ろう。同じやるからには大きくやろう、自分を最大に活かしてみよう」 Yさんはその場で参画の意志を表明した。
 それからが大変だ。財産整理に取りかかる。「ほんとにビックリしたわ。お父さんはあれ以来三重の四日市の創立事務所に出たきりで、時折お金が必要だから取りにきたと言うて帰ってくるだけ。ちょうど5月の田植の忙しい時期で、お母さんと私と近所の人にも手伝ってもらって泥まみれで働いているのに、お父さんからは毎日楽しみの連続ですと、人をバカにしたような便りが届いたり……」と奥さんは述懐するのだ。息子が出ていくのを止めてくれ、と見る人毎に頼み続けていたYさんの母親も終いには田圃か道中だかに倒れてしまう。もうあれだけ信じきってしもたらなんぼ止めてもあかん、部落の人達が話している。「でもなんやなあ、家財道具一切を処分するから帰れという電報が届いて四日市から我が村のバス停に降りたとたん、 "Y宅の家財道具一切を処分する 何時より せり市に出す"と書いた立札を見たときは、さすが我ながらやったなあと思ったわ」親戚中からは泣きつかれる。でも何も言うことなかったから黙り通した。「でも、やってみれば何でもないことやな」。
 こうして四日市に集結した大勢の仲間達と共に、理想社会実現の第一歩を踏み出す。それからのYさん夫妻の足跡を辿れば、現在の春日山への移転、入雛準備、山岸会事件、一年近くの行商、北海道での分場作り、各地の実顕地造成……と、白分がどうするかではなく、むしろどうしたらみんなのためになるかだけを考え行動していく〈旅〉が続く。「もう無我夢中でやってきたわ」。 ちょうどぼくが始めてYさん夫婦に出合ったのは、彼等が回り巡って久し振りに春日山に生活の場を置いてまもなくのことだったのだ。
 それからしばらくして、ぼくはYさん夫妻の娘さんと結婚することになった。ある日その旨を報告しに部屋へ行くと奥さんが居て少し顔を赤らめて「そうけえ」と一言いったきりだった。それ以降ぼくたち夫妻は何かに促されるように毎晩Yさん夫妻の部屋を訪ねた。別段かしこまった話をするでもなく、ただとりとめもなくテレビを見て帰ってくるだけの日が多かった。そんな中でこの夫婦の間柄から発散してくるものが、生活のすみずみにまで及んでいるのを知って、かつて思ってもみなかった無形の大きさにはじめて触れた思いであった。
 それからまたしばらくして奥さんが病気になった。ガンであった。Yさんは居を東京に移して毎日看護に通った。しかしまもなくYさんに見守られて奥さんは亡くなった。その時ぼくはある研鑽会に出席していた。そこへ人事係から電話が入ってぼくの家族が動揺するかもしれないから早く部屋に帰るようにと言ってきた。ところが意外と妻は冷静で、それよりそのことをどうおばあちゃんに伝えたらいいかと心配していた。でも、それはまた明日考えようと、その夜はひとまず親子四人一つの蒲団にみんな小さくなって寝た。
 正直なところYさんの奥さんの死はあっけらかんとして、実はちっとも悲しくはなかった。短い生涯ではあったけれど、その間誰が見ても頷く最も相合う夫婦として生き、かつ山岸会の基礎造りの仕事に精魂込めることができた事実からは、この世での至上の価値を生き切ったさわやかさが残った。そうぼくは見た。もっともその際にYさんの内面で起きたさまざまなドラマについては知るよしもないのだが……。
 こうしたYさん夫妻の間柄と生き方をそのまま、ぼくたち夫妻の間柄に、その生き方に重ねて行きたい、引き継いで行きたい願いが強くいま蘇ってくるのだ。
 以上がぼく白身の現在進行中の"ある愛の詩"の一節だ。(『ある愛の詩』1977.1) ”

今にして思えば、いい目にあったのだなあ、じつにいい思いをしたのだなあと、つくづく実感するのだけれども、当時はそれ程価値ある世界との出会いだとは想像だにしなかった。偶々Yさんの奥さんの死をきっかけに一つの懐かしい思い出として沸きあがった気持をそのまま言葉にしてみたのだった。

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わが一体の家族考(138)

未知で未然の〈性〉

先に見田宗介=真木悠介著の『自我の起原』から、次のような知見に触れての感想を記した。(わが一体の家族考128)) 要約すると
○性とは、個という存在の核の部分にはじめから仕掛けられている自己解体の爆薬である。
○自我がじぶんの欲望を透明に追い求めてゆくと、その極限のところで必ず、自己を裂開してしまうという背理を内包している。
○そのことはまた、“産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力”が人間にも貫通しているからだ。
鮭の産卵

“産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力のようなものが、自分の中にも流れているのではないかというのだ。そんな〝あらかじめ個をこえたものの力〟を内包している実態を、〝透明に〟〝それ自体として〟求め取りだすことができると、そこにはじめて〈性〉があらわれるというのだ!?”

個体は個体自身ではない何かのためにあるように作られている。
個体は不可解な力に動かされるように性を求める。
とても刺激的で優れた知見だ。
最新刊の著書『現代社会はどこに向かうか』(岩波新書2018.6)に於いても、その知見は変わらない。

“依拠されるべき核心は、解き放たれるべき本質は、人間という存在の核に充填されている、〈欲望の相乗性〉である。人によろこばれることが人のよろこびであるという、人間の欲望の構造である。”(6章高原の見晴らしを切り開くこと)

そして同じ章の中で、次のようなエピソードが紹介されている。

“最初にわたしが連想したのは、1970年代に若い人たちをひきつけていたユートピア的な共同体たちの一つの実験だった。この共同体では、労働が全然強制されない。仕事はやりたい人が好きな仕事をやればよく、もちろん生活は保障される。というものだった。そんなことで社会というものが成り立つものか、そんなまちがった甘い幻想はおれが行って粉砕してやる、という固い決意をもってこの共同体にのりこんだ人がいた。その人は釣りが好きだったので、毎朝ご飯を食べると、共同体の仕事をしている人たちの中をこれ見よがしに釣り竿をかついで、近くの川か池に通った。帰ると夕ごはんをおいしく食べて、ゆっくりねる。五七日目かに、だんだん遊んでいることが退屈になって、ついにニワトリの世話などをしはじめたという。もちろんがんばって、何十年もあそびつづけるということも考えることはできるが、そういう人は少ないと思う。仕事というのは、強制されたものでない、好きな仕事ならば、あそぶこと以上にさえも楽しいものである。
 この共同体それ自体は、別に問題があってあまりうまくいかなかったという話も聞いているのだけれども、仕事というものが、経済的にさえも強制されることがなくても、仕事をやりたいという動機づけだけで、社会は回ってゆくはずだという発想と、そのための果敢な試行自体は、さまざまなことを根本から考え直してみるきっかけとなった。”

多分Tさんのことだ。昼間から湯飲み茶碗に焼酎をなみなみつがれ「若いもんはもっとしっかりしろ。飲めっ」と差し出された懐かしい日々が蘇る。
ただここでの〝この共同体それ自体は、別に問題があってあまりうまくいかなかったという話も聞いている〟云々の箇所はあまりにも唐突な表現だ。〝高原の見晴らしを切り開く〟という根源的な問いから大きく逸れる〝にぎり飯談義〟(わが一体の家族考114)の部類だ。

ここでの〝問題〟とは、察するに以前マスコミが報じた「ヤマギシ会二百億円の申告漏れ」(1998.4.16)や「日弁連が学園に対し改善勧告」(1999.5.11)や「財産返還訴訟での最高裁判所判決」(2004.11.5)等のことを指すのだろうか。
それともこの間の文脈に沿って言えば、今自分が置かれている立場からの見方が邪魔して理想実現への出発点に立たなかった、またそこから踏み出さなかったところに帰因する〝問題〟なるものだろうか。
どちらにせよ、社会との関わり、自分自身との関わりで日々試され問われる他人事ではないテーマではある。

今求められているのは、自分らにとって未知で未然の〈性〉があらわれるまで、〝あらかじめ個をこえたものの力〟を内包している実態を〝透明に〟〝それ自体として〟浮かび上がらせることにつきるのではなかろうか。

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わが一体の家族考(137)

自分の一尺後ろにある宝

先述の〝自分の一尺後ろにある宝〟を「ヤマギシズム恋愛・結婚観」として見なすこともできるのでは、といった気づきから切れ切れの思いがくり返し溢れてくる。取りあえずメモしておく。

自分に先立ってあるもの。
自分の背後にあるもの。

あのメーテルリンクの『青い鳥』が思い浮かぶ。兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語だ。
真理は簡単なことにあり、それを軽く見過ごしたり聞き流してしまいがちだ。
青い鳥

“山岸養鶏では(技術20+ 経営30)× 精神50と、精神面を強調するのは、鶏を飼う場合の鶏や、社会との繋りを知る精神であって、自分一人よくなろうとの精神では、養鶏も絶対に成功しないとの原理精神のことです。”(『山岸会養鶏法』4頭の悪い人のために)

ここでの〝繋りを知る精神〟とは?
“人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、……”(『実践の書』)での、切ることの出来ない「と」において繋がっているものとは?
この繋がりさえ分かれば……。
自分とは今までの自我や自己主張するなどの自己からなっているだけでなく、繋がりの結び目としての自個からなっていると見なせるのでは……。
自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)。

以前このことを皆で研鑽していたら、若いK君が「こんなことかな」と話してくれたことがある。
村人総出での運動会があった。その時「運動会なんて出るの、一緒にやるのは嫌だなあ」とすごく思った。でも、皆参加するからと嫌な気持ちだったけれど参加してやっていたら「運動会を楽しんでいる自分を見た」という。
村の運動会

この感じっていうか、こんな誰でもがふだん体験していて、そんな事ありふれたことだと見なして顧みない、「嫌だと思っている自分がいて、それでも事実皆と一緒に楽しんでいる自分もいた」という気づき。
やりたくない自分とその隣にもう一人の自分がいる。その自分は、みんなと繋がってやっていきたいと思っている自分!
これはすごい発見というか、人と人との繋がりの中で楽しくやれている自分を見出して、そんな自分をもしっかり掴んでいく。分かりやすい具体例だなあと今でも心に焼き付いている。

ヤマギシ会会旨に〝われ、ひとと共に繁栄せん〟とある。
主体はわれにも、ひとにもなく、〝共に〟にあるとするなれば、〝われ〟とは先の
自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)
でいう自個(繋がりそのものの自己)を指すのではないか。自己からは〝共に〟の世界は絶対にあらわれない。
切ることの出来ない「と」において繋がっているものが主体である!?
そんな繋がりのあらわれが自分でもあるのだ。
「自分の一尺後ろにある宝」とは自個(繋がりそのものの自己)のことであろうか。
つまり「自分の一尺後ろにある宝」とは、ひょっとしたら〝性を基盤とする恋愛・結婚観〟から溢れ出る世界ではないだろうか。
なぜなら“人は、人と人によって生れ、人と人との繋がり”のうちに生きるからだ。
いわば〝人と人によって生れ〟の〈性〉として〝自分〟という主体がはじめに構成されているからだ。
自分より前に一つある実態のことを、〈性〉と呼んでいるのでは?
そんな「自分の一尺後ろにある宝」を、
〝何やる場合にでも、百姓するのでも、商売するのでも、教育でも、子供を育てる場合でも、どんな場合にでも、寝る場合にも、また食べる場合にも、或いは映画を見る場合にでも、散歩する時でも〟
「前向きに見ていて、ちょいと振り返ると……」
みんなの心をほのぼのと温かくするものがなぜか一気に湧き上がってくるようなのだ!

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わが一体の家族考(136)

先ず心の世界の解決から

ちなみに先(わが一体の家族考134)の山岸巳代蔵の、

“たいそうやね。自分の一尺後ろにある宝を前向きに見ていて、ちょいと振り返ると……。”

という発言からヒントを得て、〝自分の一尺後ろにある宝〟をあまりに近すぎて可視化することも分離することもできない「イェニーさん問題」というか自分らの文脈に沿うならば、長い間不問に付されてきた「ヤマギシズム恋愛・結婚観」と見なしてみたらどうなるのだろうか?
また20世紀最大の〝社会主義革命〟の社会実験の悲劇も、あの偉大なマルクスが「イェニーさん問題」から大きく逸れていったところにその真因を直接・間接的に見て取ることが出来るかも知れない。
あえて〝「イェニーさん問題」に踏み留まる〟ところから展開するものが必ずあるはずなのだ。

例えば一番肝心なところから気づかぬうちに逸れてしまうことはしょっちゅうである。 
養鶏の餌配合設計をやっていた時、「米ぬか(玄米を精米する際にとれる末粉)の在庫が無くなった、どうする」「取りあえず繊維質の多いフスマ(小麦を粉にする時にできる、皮のくず)で代替えしておこうか」といったやり取りを繰り返している中に、フスマの代替えに立って次を考えてしまい、いつしか当初の餌配合設計と大きくかけ離れた餌配合に驚いたことがある。
あの駅の車掌さん等の〝指差し呼唱〟の日々元に戻り毎回確認することの大切さに気づかされたことだった。
指差し呼唱

また日頃の実顕地生活を振り返ってみても、具体的な様々なことがテーマとして研鑚会で取り上げられるが、ややもすると常に何か問題があって、その問題(事柄)の処理・対応策になりがちである。たしかにそうした問題解決法は、常識的に考えられる無理のない策であろう。
しかしそうした日々の研鑽は、今自分が置かれている立場からの「それはこうしたらよい」という見解にすぎず、〝本当はどうか〟という研鑽には繋がっていかない。
根本のものを究めていかないで「こうやないやろか」「ああやないやろか」と積み重ねていくだけでは、だんだん変形されたものになって純粋なものが見失われて行きがちだ。
1960年頃、ソ連の社会主義革命の行き詰まりをみて山岸巳代蔵は言う。

“月の世界へ何ぼ行けても、やっぱり解決できないものがある。問題を解決していったらよいのに、自分達で手掛けているもので解決していこうとするので出来ない。”

ここに人間革命を並行しない社会革命の限界を自分らは見る。
1960年4月ソ連大使館員が春日山を視察しているが、そこで「おかゆを食べていても楽しい」という実顕地メンバーの発言に、大使館員の「それは観念論だ」と応えた記録が残っている。
いまふり返ると、こんな一挿話からでも失敗の原因のひとつが覗かれるようでじつに興味ぶかい。唯物論(マルクス・レーニン主義)も「物が豊富になれば人間は礼節を知り、世の中がよくなり幸福になる」と考えるひとつの観念思想にすぎないのだから……。
残されてきた一番肝心な部分とは何か。

“ちょっと心掛け変えたら、自分も子供も本当の仕合せになるのに、「私は私」でやる独走や。「ああいうことは嫌やから」、「いけないから」と自分で自分を裁く大間違いで、いつまで経っても気づかん。
そんなら段階を追ってなるかというと非常に迂遠で、かえって大きな躓きをした方が早い。あの人の、ある部分を採り入れてやるのはよいが、肝腎なとこを間違えてとって、その通りやったら大変なことになる。
なかなか良い人だが、自分の信ずることをやってるという独走的なものが問題だ。みんなの知恵と、肉体を含む力とか能力を寄せて、みんなの仕合せのために、より良く、より正しくを究明して実行できていく人が大事。これは、先ず心の世界かと思う。その転換というか、悟りが先やと思う。
自分の考えでやっていく、そこにどうしても一体になれないものがある。”(1960.9.9)

ここでの〝心の世界〟の内実を、〝自分の一尺後ろにある宝〟として「ヤマギシズム恋愛・結婚観」として見なすこともできるのではなかろうか?

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わが一体の家族考(135)

「イェニーさん問題」に踏み留まる

少しづつ「イェニーさん問題」の内実へと分け入っていこう。どこかでヤマギシズム恋愛・結婚観に出会えることを楽しみに……。
森崎さんが〝イェニーさんのことを思い浮かべながらマルクスさんはこの箇所を書かれています。〟という箇所は次のような一節である。
経済学・哲学草稿

“人間の人間にたいする直接的な、自然的な、必然的な関係は、男性の女性にたいする関係である。
この自然的な類関係のなかでは、人間の自然にたいする関係は、直接に人間の人間にたいする関係であり、同様に、人間に対する〔人間の〕関係は、直接に人間の自然にたいする関係、すなわち人間自身の自然的規定である。したがってこの関係のなかには、人間にとってどの程度まで人間的本質が自然となったか、あるいは自然が人間の人間的本質となったかが、感性的に、すなわち直観的な事実にまで還元されて、現われる。
それゆえ、この関係から、人間の全文化的段階を判断することができる。この関係の性質から、どの程度まで人間が類的存在として、人間として自分となり、また自分を理解したかが結論されるのである。
男性の女性にたいする関係は、人間の人間にたいするもっとも自然的な関係である。だから、どの程度まで人間の自然的態度が人間的となったか、あるいはどの程度まで人間的本質が人間にとって自然的本質となったか、どの程度まで人間の人間的自然が人間にとって自然となったかは、男性の女性にたいする関係のなかに示されている。
また、どの程度まで人間の欲求が人間的欲求となったか、したがってどの程度まで他の人間が人間として欲求されるようになったか、どの程度まで人間がそのもっとも個別的な現存において同時に共同的存在であるか、ということも、この関係のなかに示されているのである”(『経済学・哲学草稿』岩波文庫版)

ここで二十代の若きマルクスは、女性を肉欲の餌食や下女と見なす〝征服欲・支配欲・所有欲〟の感覚で構成されている170年以上前の19世紀中頃の社会背景を念頭に、そこに男性の女性にたいする関係がどの程度まで人間的本質になったかの現れを文化的段階として見ようとしている。
もっとも先の「イエスの方舟」の千石剛賢さんが、

“結婚ってなんだ、良心を麻痺させる淫行の場ではないのか。”

とか、「おひとりさま」の社会学者・上野千鶴子さんが、

“結婚は社会契約。「つがい」は繁殖期の行動。夫婦は子育ての戦友だ。”

と言い当てていたように、21世紀の現実とそんなに変わっていないことに気づかされる。
それよりも刮目すべきは、次の一節である。
〝男性の女性にたいする関係は、人間の人間にたいするもっとも自然的な関係である。〟
ここに「一対の男女の自然関係としての性」が直感的に捉まえられている!

この間の自分らの表現では、〝夫婦の繋がり、人と人との繋がり〟を知る精神、その繋がりさえ分かれば……、といった次元の〈転換〉を促す〝自己革命〟の出発点に立つことを意味している。
何度も繰り返すが、じつはここでの〝その繋がりさえ分かれば〟の理解が難しいのでなく、その繋がりへの〝出発点に立つ〟ことが容易ではないのだ!?
その後マルクスは森崎さんも指摘されるように、「イェニーさん問題」から大きく逸れ、人間疎外を基調とした貨幣の謎を解明しようと『資本論』の著述に向かっていく。
そのことはまたマルクス主義として20世紀最大の〝社会主義革命〟の社会実験の悲劇へと直接・間接的につながっていく。
だとしたらあえて逸らさないで「イェニーさん問題」に踏み留まるとはどんなことなんだろうか?

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わが一体の家族考(134)

水を問題にしないで城を救う法

ヤマギシ会に参画したての頃、次のようなことを研鑽したことがある。

“目標を実現する最善の方法は一つであり、理想はその方法に依って必ず実現できる。如何なる場合でも、その方法を重視していきたい。”

エッ!? 方法はたった一つしかないの? そんなバカな……とビックリしたことがある。
こうした日々のいったい何を言わんとしているのだろうか?といった驚きが、飽くなき好奇心となって今日まで続いている。

例えば次のような話も事あるごとに思い浮かんでくる。自分らの進むべき道を指し示してくれているようにも感じるからだ。
九州の方で、ヤマギシ会会員の有志で〝青い鳥農場〟が発足したが、すぐに行き詰まってしまった。そこでAさんが「何か立て直す方法ないか」「解体せずに、何か良い考えないか」と研鑚会に出した時のことである。(ヤマギシズム理念徹底研鑚会1960.7)
そこで山岸巳代蔵は軍記物や戦略史にある「白米城」の伝説を引き出して、〝起死回生の妙手〟とか〝奇策と見える正攻法〟と自ら名づける案を披露してみせる。
白米城伝説

「白米城」とは山城の落城を語る伝説で、籠城戦で敵に包囲されて水を断たれた時に、城にはまだ水が豊富にあると攻め手に信じこませるために、兵糧の白米を水に見立てたというもの。
攻撃側から見えるように白米を流し落として滝に見せたり、馬を白米で洗う光景を見せたりしたという。すると敵はこれを見て水では弱らんぜと、長期戦やなとつい気がゆるんだとき打って出て切り抜けたという話。

この案を、零位に立って聴いて欲しいという。簡単に素直に言おうとする焦点を聴いて欲しいのだと。
というのも、関係者の誰もが「水が問題や、水が問題や」と固く信じ込んでいる中で、〝この案〟の実行くらい荒唐無稽で軽く聞き流されてしまうことが多い象徴的な例なのだ!
水が足らないから、水が問題やと。その水水と言っているから、解決できないのだ、と!?

先(「と」に立つ実践哲叢38)で触れたあの〝のぼう様〟の〝田楽踊り〟の姿が思い浮かぶ。
山岸巳代蔵もAさんらのいつまで立っても一向に結論の出ない〝くよくよ小田原評定〟にしびれを切らしてか次のように発言する。

“たいそうやね。自分の一尺後ろにある宝を前向きに見ていて、ちょいと振り返ると……。”
“自分から殻脱ぐだけ、これ出来んかね。”
“財産なければ、知恵がなければ出来んでなしに、知恵が邪魔することがある。財産が邪魔することもある。青い鳥は九州の人達の内にあるということを気づいてもらえたら結構やと思うの。”

「イェニーさん問題」もまたしかり。
イェニーさんはマルクスよりマルクスの近くにいる。あまりに近すぎて可視化することも分離することもできないという先の森崎さんの発言と重なって尽きせぬ興味をかきたててくれる。

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わが一体の家族考(133)

「イェニーさん問題」

ここでの「イェニーさん問題」とは、カール・マルクスの妻、イェニーのことだ。森崎さんは語る。
イェニーとマルクス

“マルクスさんの思想のなかでもっとも可能性があるのは、男性の女性に対する関係のなかに人間の人間にたいするもっとも直接的で本質的な関係があらわられると言っておられるところです。マルクスさんのこの直感のことを「イェニーさん」問題と呼んできました。『経済学・哲学手稿』のなかでもっとも音色のいい言葉はここです。イェニーさんのことを思い浮かべながらマルクスさんはこの箇所を書かれています。”(歩く浄土200)

そう言えば学生時代、岩波文庫版の『経済学・哲学草稿』を読んでは一杯の赤線を引いた記憶がよみがえる。よほど心に響いたのだろう。例えば次のような一節、

“人間を人間として、また世界にたいする人間の関係を人間的な関係として前提してみたまえ。そうすると、君は愛をただ愛とだけ、信頼をただ信頼とだけ、その他同様に交換できるのだ。(略)
もし君が相手の愛を呼びおこすことなく愛するなら、すなわち、もし君の愛が愛として相手の愛を生みださなければ、もし君が愛しつつある人間としての君の生命発現を通じて、自分を愛されている人間としないならば、そのとき君の愛は無力であり、一つの不幸である。”

たしかにここで新婚ほやほやのマルクスは、イェニーさんのことを思い浮かべながら書いている。
しかもこの文章は〝貨幣〟と題して、貨幣は互いに矛盾しているものを無理やり結び付け、例えば愛を憎しみに変えてしまうものだと論じた後の締めくくりの一文である。
自分らはここから出発しようというのである?
森崎さんもいう。

“マルクスにとってのイェニーさんの関係をひとつの喩とすれば、イェニーさんはマルクスよりマルクスの近くにいる。あまりに近すぎて可視化することも分離することもできない。この性をそれ自体として取りだして対象化することは自己意識によってはできない。性はいつも自己に先立ち自己の手前にある。”

どういうこと?
この間の自分らの文脈に沿えば、先(わが一体の家族考116)で〝心の琴線に触れる場所〟と題した一節、

「“神がそばを通られてもわたしは気づかず
 過ぎ行かれてもそれと悟らない”(ヨブ記)
無いものが、見えないものが見える人になるために、〝ふとした機縁から気づい〟た世界を通り過ぎないために、そこに立ち止まり、踏み留まって、行きつ戻りつを何度も何度も繰り返し表現していくのだ。」

に当たるのだろうか。
軽く見過ごしたり聞き流さないで、そこに立ち止まり、踏み留まって、行きつ戻りつを繰り返していくのだ。

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わが一体の家族考(132)

森﨑茂さんからの励まし

自分らはいまどの辺りにいるのだろうか。
以前〝ヤマギシズム恋愛結婚観への足がかり〟と題して書いた文章を九州の方に住む森崎茂さんが思いがけず拾い上げてくれて、次へと向かう道標を示してもらったことがある。有り難い! 貼り付けてみる。

『贈り合いの経済』を書いた佐川清和さんの「自己への配慮」というブログをいつもどきどきしながら読んでいる。まだ一度もお会いしたことはない。昨年8月に公式サイトを開設したとき佐川さんから励ましのメールをいただいた。偶然に見つけて読んでいますと書かれていて、とてもうれしかった。読みにくい文章なので読んでくれる人がいるとは思っていなかった。なにかやむにやまれぬものを抱え、半世紀のあいだ同一の主題を追いかけている表現者だと思う。その佐川さんが「自己への配慮」の「わが一体の家族考(88)」で次のように書いている。

“たしか吉本さんは、例えば「一体」とか「全人真の幸福」といった誰もがそうだと認める理念を前にして〝息苦しさ〟のようなものが伴ってくるとしたら、次元の違うものとしてある集団と個の観念世界をごちゃまぜにして個の〈倫理〉として受け取ってしまうからだと考察された。そしてそこから「個人としての個人」「家族の一員としての個人」「社会的な個人」と分けて考えることで、自己欺瞞に陥りがちな三つが混同される観念の矛盾から解放されるはずだという独自の見解を自分らに托された。こうした吉本さんからの贈り物にこの間ずいぶん救われ励まされてもきた。
しかしここで吉本さんは、〈性〉に関わる家族の次元の領域を人間の観念世界が生み出す三つの次元の一つと見なされている。ところが実際そう見なすだけでは、集団と個の問題が心底解消されたという実感が湧いてこないのだ。ある意味人間の〈性〉の世界を社会の共同性への媒介と見なすだけでは、“無味乾燥・器物の世界に等しく、潤いのない造花の社会”(『ヤマギシズム社会の実態』)が現れてくるだけだ。一般社会の共同性の中へ〈性〉の世界が取り込まれて位置づけられてしまうだけのことへの危惧というか異和だ。
〈性〉の世界という一番肝心な部分が、未解決で残されている。そんな未知で未経験な事柄にいどみ、そこに何か新しいものを刻んだという事実を発見しかつ味わいたいのだ。”

引用のブログに先立って佐川さんは「わが一体の家族考(84)」で、ある気づきを述べている。

“社会学者・真木悠介(見田宗介)さんの著書『自我の起源』の中の「補論2 性現象と宗教現象」で次のような事例が紹介されている。
見田宗介

1980年代後半ヴェトナムからの難民船の幾つかが日本にも漂着したことがあり、偶然そのうちの一つを見たことがある。小さな木の船に、考えられないくらい大勢の人が乗っている。しかも漂流の月日の中で、いちばんはじめに死んでいったのは、小さい子供をもつ若い母親たちだったという。
つまり母親たちは乏しい食料を幼い子供たちに与え、自分たちは飢えて死んでいったのだと想像することができる。こうした難民船での出来事に心を動かされた真木悠介さんは次のように考察する。

“人間の個が、じぶんに固有の衝動に動かされながら、じぶんじしんを亡ぼしてゆき,類を再生産してしまう”
つまりこういうことだ。“わたしたちの欲望の中心に性の欲望があるということは、個としてのわたしたちの欲望の中心部分が、あらかじめ個をこえたものの力によって先取りされてしまっているということだ。性とは、個という存在の核の部分にはじめから仕掛けられている自己解体の爆薬である。個体は個体の固有の〈欲望〉の導火線にみちびかれながら自分を否定する”

性とは、自己解体の爆薬? どういうこと?
“自我がじぶんの欲望を透明に追い求めてゆくと、その極限のところで必ず、自己を裂開してしまうという背理を内包している”からだ。そのことはまた、“産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力”が人間にも貫通しているからだともいう。

以上のような難破船の話を知ったのは、森崎茂さんのブログ『日々愚案』の中の「歩く浄土182」からであった。そこで森崎さんは次のようにコメントされている。

“真木悠介はとてもいいことに気づいていながら、自己を裂開する背理をそれ自体として取りだすことができていないから、鋭利な気づきは外延論の背理として記述されるほかなかった。”

たしかに真木悠介さんはこの書の〝あとがき〟で、この仕事の中で問おうとしたことは、“どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることができるか、他者やあらゆるものたちと歓びを共振して生きることができるか”というとても単純な問題だと記されていた。だとしたら、先の真木悠介さんの〝じぶんの欲望を透明に追い求めてゆく〟とか森崎さんのいう〝自己を裂開する背理をそれ自体として取りだす〟とは、どんな内実を伴うことなんだろうか?

何かすごく大切なことがいわれている気がするのだ。
“産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力”のようなものが、自分の中にも流れているのではないかというのだ。そんな〝あらかじめ個をこえたものの力〟を内包している実態を、〝透明に〟〝それ自体として〟求め取りだすことができると、そこにはじめて〈性〉があらわれるというのだ!?
〈性〉は自我を裂開する力を内包している!”

佐川さんの気づきを「イェニーさん問題」(「歩く浄土200」)と呼んでみる。(「歩く浄土201」2017.10.8)


そうか、自分がこの間やみくもにかかずらわってきたテーマって、「イェニーさん問題」(?)だったのか!という驚きだった。

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