自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(126)

吉本幻想論の拡張

こうした古代ギリシアまで遡るフーコーの性の探求に対して、『対話 都市とエロス』(吉本隆明+出口裕弘 1986.11深夜叢書社)の中で出口裕弘は、フーコーはホモセクシャルな思想家、文学者で古代ギリシアでは少年愛が公認されていたから仕事の場をそちらへ移したのではないかといったうがちすぎた解釈をしている。

対して吉本さんの方は、「そこは全部翻訳されて、きちっと読まないと何とも言えないと思いますが、われわれの考え方からすると、たいへん珍しい、興味深いことになっているんじゃないでしょうか」といたって慎重だ。
そして、なぜ性がここで問題になるのか〝よくわからない〟として次のように語る。
吉本隆明

“フーコーがいうセクシュアリティの歴史みたいなものには、真理の問題、メタフィジィカルな意味の権力の問題など全部入ってしまうと思うんです。性あるいは性の歴史の問題のなかにそれを全部入れてしまう、そんな着想をしたのは、どうしてでしょうか。
われわれの感覚で言えば、性の問題は性の風俗、習慣の問題で、それ以上のことはない。その次元ではさまざまな問題があるけれども、それは社会制度の問題にもならないし、政治の問題にもならないし、権力の問題にもならないということになっていくんですが、全部そこに入れ込めるのはどういうことなんでしょうか。”

ここで吉本さんは、
“性の問題は性の風俗、習慣の問題で、それ以上のことはない。”

と〝性の問題〟は人間にとって部分的なものだと一貫して見なす自身の吉本幻想論に立って〝よくわからない〟と疑問を投げかけている。
そうか、そうだったんだ!
こうした観点から、この間何度か紹介してきたように思想家・吉本隆明さんの「ヤマギシ会という共同体の一体理念」が深まれば深まるほど、却って〝男女の結びつきが圧迫される〟という懸念を抱かれていたのだ! 引用してみる。

“「その『一体』というところでかんがえていちばん問題なのは、男女の結びつきの次元というのが共同体の次元と同一化してしまうことです。そこがものすごくきついんじゃないでしょうか。
かりにそういう男女がいるとすると、かれらは絶えず共同体の水準におかれようとする力を『一体』という観念から受けているから、男女のあいだに、ささやきとか、声にしなくてもわかるとか、そういう意味の微妙さがなくなっちゃうんじゃないでしょうか。ふたりでいるんだけれども、絶えず脅かされているといいますか、全部公開されているみたいな、そういう心理状態に絶えずさらされていることになる。
もし人間の性愛のなかに、色とか、味とか、匂いとかの比喩でいうべき問題があるとすれば、それが全部、無味・無臭・無色というふうになってしまうような気がするんです。
ほんとにそうなることはたぶんありえないから、絶えず解体にさらされるか、または、もし男女の結びつきがひじょうに親密になってくれば、共同体から出ちゃうという衝動をいつでも感じざるをえないみたいな、なにかそういうところでいちばん矛盾にさらされるような気がするんです」”(吉本隆明『対幻想 n個の性をめぐって』1985.1春秋社)

いったい〝われわれ〟って誰のこと?
こうした〝われわれの感覚〟こそ今本当にそうかどうかが問われているのだ。自分らがやりたいのは、個と集団の矛盾や対立や背反を抱擁(つつ)み込んで解消、乗り越えていくような道筋の開拓なのだ。

それはむしろ〈性〉を媒介にした〈一体理念〉を基盤というか〝主体〟に、自己の生き方そのものを配慮し陶冶(怒りを取り去る実践等々―引用者注)していくことで、真理に即応しようとする思想でもあるのだ! 

“真理主義、真理即応主義、合真理主義”(「ヤマギシズムについて」山岸巳代蔵)

“現代社会では、技芸(アート)はもっぱら物体(オブジェ)にしか関与しない何かになってしまい、個人にも人生にも関係しないという事実に私は驚いています。技芸が芸術家という専門家だけがつくる一つの専門領域になっているということにも驚きます。しかし個人の人生は一個の芸術作品になりえないのでしょうか。なぜ一つのランプとか一軒の家が芸術の対象であって、私たちの人生がそうではないのでしょうか。”(『倫理の系譜学について』フーコー)

それは吉本幻想論の拡張、即ち幻想論に先だってある〈性〉=〈ヤマギシズム恋愛結婚観〉から出発することを意味するはずだ。
これで少しは恩返しができるかもしれない。

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わが一体の家族考(125)

フーコーの中での〝転換〟

否、世界は広い。もう一人あのフランスの思想家ミシェル・フーコー(1926-1984)がいた。
ミシェル・フーコー

そう言えば本稿のタイトル「自己への配慮」も、近・現代では自己中心主義とか引きこもりを意味するものになっている〝自己への配慮〟という概念をヒックリ返して、むしろ肯定的な価値を持つものとして新たな命を吹きこんだフーコーの講義録から採ったものだった。
晩年の山岸巳代蔵が無固定の〝愛情問題〟に没入したように、かのフーコーも真理に即応する自己は、自己主張するなど自分という己にはなく、〝自己自身への配慮という愛情〟(「倫理の系譜学について」)それ自体にあるのではないかとキリスト教以前の古代ギリシア・ローマまでさかのぼっていく。
亡くなる三ヶ月前の最後の講義のための草稿の締め括りに次のような言葉を遺している。

“最後に私が強調しておきたいのは以下のことである。すなわち、真理が創設される際には必ず他性の本質的な措定があるということだ。真理、それは決して、同じものではない。真理は、他界および別の生の形式においてしかありえないのだ。”(『真理の勇気』)

ここでの〝措定〟の意味を、欠かせないものとして定めること、それ無しではあり得ないと定めることをいうなら、〝必ず他性の本質的な措定〟とは、山岸会会旨=「われ、ひとと共に繁栄せん」の精神に重なるにちがいない。主体はわれにも、ひとにもなく、「共に」にあるのだから……。
山岸養鶏でいう〝鶏を飼う場合の鶏や、社会との繋がりを知る精神であって、自分一人よくなろうとの精神では、養鶏も絶対に成功しないとの原理精神のことです。〟
の〝繋がりを知る精神〟にも重なるにちがいない。

第一巻『知への意志』の刊行から八年が過ぎ去っていた。こうしたフーコーの沈黙に、「彼はもうおしまいだ」「行き詰まっている」といった数々の噂が流れたという。
それが死の直前に刊行された第二巻『快楽の活用』、第三巻『自己への配慮』の中で、真っ向から〝性〟と〝倫理〟と〝真理〟の問題に向かい合うのだ。
いったいフーコーの中でどんな〝転換〟があったのだろうか。
晩年のインタビューで次のように語る。

“うまくいかないと気づいたのは、その仕事(『知への意志』)をしながらでした。重要な問題が残っていたのです。
すなわちなぜわれわれが性から道徳的な経験を作り上げたかということです。そこでわたしは十七世紀についての仕事ここからを放棄し、閉じこもって時を遡り始めました。
キリスト教の初期の経験を調べるためにまず五世紀に、それからその直前の古代の末期に。最後に三年間に、紀元前四世紀と五世紀の性についての研究で締めくくりました。”

そこから近代のキリスト教の道徳とは対照的なギリシャ・ローマにおける性道徳の形成を見出す。それは、

“性行動はギリシア人の思索のなかでは、愛欲の営みという形式、つまり統御しがたい力の闘争の場に属する快楽行為という形式のもと、道徳的な実践の領域として組立てられている。”

そしてそこからさらに、近代的な主体概念とは全く異質な主体概念を発掘する。
それは自己との関係はまさに性において創出され、実現されるという新しい生き方、新しい道徳がそこに展開されているのを見たのだ!
この性の道徳では、文字通りの〝快楽〟の活用やコントロールなどの様々な実践と鍛錬を通して、自分が道徳的な主体であることを確認し、自分の生き方そのものを〝生の一つの美学〟として顕現することにあった!
ここから欲望をもつ人間が〝性〟を通して真理にまで結び付く道筋を辿っていくのだ。
要は真理とか自己は認識したり描いたり解釈するものに留まらず、実践する・生きるべき・顕す・もたらされるものへと転回させたのだ。

それは人間の恋愛・結婚観の底に流れる〈性〉の問題は、快感、快楽、習慣、家族制度、風俗、禁忌と侵犯の問題にとどまらず〝真理の問題〟に入っていくものだという発見だった。

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わが一体の家族考(124)

他はもう枝葉末端の問題

またこんなこともあった。
昭和三三(1958)年夏、三重県阿山郡春日村(現在の三重県伊賀市)の春日神社の裏山の松林を切りひらき、「山岸会式百万羽科学工業養鶏」構想に命ぐるみ、財産ぐるみ投げ出して理想顕現に賭ける熱願行為湧き上がる中で、同時に〝愛情研鑚会〟なるものが開催されたのであった。
当時そうした事態の推移を見守る参画者や会員の〝混沌たる動揺〟の気持ちに以前触れたことがあった。

“山岸巳代蔵全集所収の年譜には、1958(昭和三十三)年 57歳
八月十二日 起工式を挙行。この頃、春日村の元村長中林宅の離れに柔和子と共に移る。その一方で頼子のいる四日市のアパートへも通う。
と記されている。
そしてそこから春日山に出向いては、養鶏の飼料設計や消毒方法や鶏どうしの尻つつきや羽食いなどを防ぐ手立てについての飼育係からの相談に乗ったりはしていたが、実際のところ愛情問題の解明にほとんど占められていた。
柔和子とは第三九回特講(京都、三鈷寺)で出会った福里柔和子(当時38歳)のことであり、頼子とは第四回特講(京都、三鈷寺)で出会った井上頼子(当時19歳)のことである。
その頃山岸巳代蔵は、京都向島に住む妻・志津子とは別居して、昭和三十一年秋頃から三重、四日市市の会員井上与男宅で井上頼子と住んでいて、昭和三十三年三月末には福里柔和子との婚約発表をすませている。
これには四日市支部の会員も動揺したらしい。そうした山岸巳代蔵の行動が四日市支部の研鑽会でも話題になったが、本人は一切弁解をしなかったので並みいる人々は二の句がつけなかったという。
かくして、三重県菰野の見性寺に関係者(頼子や柔和子らも参加)が一堂に集まって持たれたのが、暮れも間近い十一月の末から十二月の初めにかけての愛情徹底研鑽会だった。
菰野の見性寺

山岸巳代蔵にとっては、愛情に関する問題は、非常に大きな課題であり、一体世界における、無固定の結婚はどうあったらよいのか、これの究明・解明・実証こそ、その本願とする全人幸福への最大不可欠の課題とみなしていたようである。
一方、『百万羽』構想や会活動を現に進めている当事者らにとってみたら、またとない山岸巳代蔵の真意を問いただす場でもあった。
その一部がテープに収められて保存されている。引用してみる。

奥村和雄(『百万羽』参画者) まあしかし、この、愛情問題ちゅうか、これはもう、みなが非常に関心持ち、また、今の社会には受け入れられないと、二百年後の社会であればいざしらず、これが山岸会の進展に大きなマイナスになっておると、今としても『百万羽』の進展に非常に影響しているということも事実。また参画しておる人も、これがために非常に不安な気持になっている。本当の腹の底から力が入らないということ、これはまあ事実、私みたいなものでもそうなんですけどね。”

岡本善衛(会員・三重県県会議員) またあの、おそらくねえ、そりゃあ、あなたのような心境になったらどうか知らんけどね、しかし現実社会に生きる人間がね、そういうことなんかあり得ない。わしゃあ一番困るのはね、東京で、
「山岸さんっていうのはそういう状態で、山岸会はそういう問題、非常にルーズらしい。どういう考え方だ?」
と、こう訊かれる、わしゃあ、当然困る。
でね、「そりゃね、恋愛の我々の旧道徳というものよりも、もう少し高い所でね、見てると。だから恋愛の問題だけはね、たまたま旧道徳を超える場合があると思うんだ」と。
「しかし、山岸さんの現実の問題は僕は知らんのや」と、こう言うて逃げとるんですがね、しかし、これは私は一ぺんはあなたに訊きたいと。”

奥村和雄  エー、親父さんのその気持、よく分かっておるんですわ、それで根本的なものを解決せずして仕事が出来ないとね、これもごもっともなんですがね、それはもう別に言う必要ないんですし、春日や『百万羽』の事情を別に一応言う必要もないんだけれどもですね、やはり、この二七日からのこの研鑽会が非常に大きく響いておるということ、周囲に大きな反響を及ぼしておる、この解決を皆ですね、首を伸ばして嘆願しておるような形で待っておると、
「今にまだそれが解決せないのか」という、皆のですね、気持ですね、非常に混沌たるものが流れておるようです。
「それがあるから解決せよ」と言うんではないけれども、これをですね、最も効果的に焦点を絞ってね、一時も早く解決しなかったらね、まあそりゃ一歩一歩前進しておるとはいうものの、ね、堂々巡りばかりやっておっちゃね、これで、エー、に終始してしまってね、エー、ま、これも一つの仕事の内だと言えば、それは当然のことでもありますけどね、そこを銘々しっかり銘記して、真剣にこれを推し進めていってもらいたいと思いますな。”

『百万羽』という偉大な事業を進めるにあたって、それに先立って私的な個人的なプライベートに属しているはずの〝愛情問題〟の真の解決がなぜ求められるのか?”(わが一体の家族考72)

関係者は皆、戦々恐々として研鑚会の行方を見守っていたにちがいない。
本稿「わが一体の家族考」を始めた動機の一つに、じつはこうしたある意味狂ったような山岸巳代蔵の〝愛情問題〟への取り組みの真意を探るためでもあった。
この〝愛情問題〟こそ、幸福への根本問題で、他はもう枝葉末端の問題だという。
こんなこと公言する人は、自分の知る限り山岸巳代蔵と千石剛賢さんの二人だけだ。
ここで自分らがやりたいのは、「なぜ〝愛情問題〟こそ幸福への根本問題で、他はもう枝葉末端の問題にすぎない」とハッキリ言い切れるその糸口をしっかりと掴むことにある。
ここが〝なかなか容易ではない〟などとつい弱音を吐きそうになると、それは〝自己革命が為されていない〟からだといった笑い声がどこからか聞こえてくる。

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わが一体の家族考(123)

何しにこの世へ出て来たものか

それにしても〝二人一人格〟のイメージが今一つリアルに膨らんでこない。
そこには根強い頑固観念の中にどっぷり浸かって暮らしてきた自分らがいる。
〝恋愛〟といい〝結婚〟といい〝夫婦〟という世界は、人生のある一時期直面する人間社会生活のホンの一部にすぎないという頑固観念だ。何しろ他に社会、政治、法律、産業、経済、教育、宗教等々の分野で取り組むことはたくさんあるのだから、いつまでもたわいもない〝真の幸福結婚〟などにかかずらっているわけにはいかないのであると。
以前にも紹介した「イエスの方舟」の千石剛賢さんは、そんな現状の結婚を

“結婚ってなんだ、良心を麻痺させる淫行の場ではないのか。”

と言い切って、

“男は女を愛することを、大げさでなく、人生最大の意義、ただ一つの価値というふうに分かっとらないかん。”
“夫と妻の素晴らしさは、一体の人格を発見するところにある”(『隠されていた聖書』)
千石剛賢

と強調する。随分こうした飾らない千石剛賢さんの語りに刺激された。
山岸巳代蔵もいう。

“人生最大の意義は「結婚の華」と「よりよき創造の実」の歓びであろう。”
“一体でない結婚など、
夫婦の真字・ふさい

(ふさい)などあり得るものだろうか。
何も出来なくとも、先ず我執をなくして一体に。
知恵、知識、能力、容姿に先んずるもの。”

他はみな真の結婚の何たるかさえもわきまえないニセモノなのだという。だから、

“五十歳、七十歳になった人も、今からでもやり直して、決して遅くはないと思う。
他を責め、批難している自分自らの結婚が偽物だったり、不徹底・不完全なものだったでは、ひと事をかまってるヒマもなかろうし、ただ一日でも真の結婚の妙境に浸ってから逝かないと、何しにこの世へ出て来たものか、人生の意義も覚らず、うとましい限りではある。”

として、諦めないで、

“人間社会を幸福の花園に飾る一番大切なことだけに、五十、六十、七十歳に歳をとろうとも、資格の揃うまでは結婚を焦らないことだと思う。”

と、〝真の結婚の妙境に浸って〟から逝けという!?
自分らは根本的な大思い違いをしているのかもしれない。ヤマギシズムの出発点に未だ立っていないのかもしれない。
共に真面目に考えてみよう。

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わが一体の家族考(122)

二人一人格

毎朝見上げるメタセコイヤの大きな樹がある。最近はもう初夏の若葉から深緑へと移りゆく一本の円錐形の樹形としか見えない。が、しかしそれまでの冬枯れのメタセコイヤはさまざまな想念が去来する実に味わい深い一本の木だ。
というのも写真を見てもらえば分かるように、上部できれいに幹が〝二股〟に分かれているのだ。一本の木が二本に、二本の木が一本に……。
メタセコイアの樹

先の〝二人の一人格〟がイメージされてきて、なにか飽きることのない姿とでもいうか秘められた実態を垣間見たようなドキドキ感を毎度覚えるのだ。
晩年の山岸巳代蔵がいっていた、

“〝同じ二人が一つになれてから〟、そんな〝二人の一体〟から始まるものがある”

これってどんなこと何だろうと思いをめぐらす。たしか〝一つが二つ〟にも二つあったはずだ。ここでは〝不幸との対句ではない〟本来の姿からの一つから発する二つのことだ!
あの旧約聖書の中の一節

“そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。そのとき、人は言った。
「これこそ、ついにわたしの骨の骨、
わたしの肉の肉。
男から取ったものだから、
これを女と名づけよう」。
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。”(創世記2:21~2:25)

に重なるのだろうか。
一体の夫婦から始まる本当の仕事があるのだという!?

“そこで、「夫婦とは」、「人間とは」と検べてみて、先ず夫婦一つだとの観方に立って、男と男と寄ってするより、夫婦が一つになってする仕事の方には、本当のものという意味で質の異うものが出てくるので、半分でやったのでは、本当の仕事になってないというのも出てくる。
〝一つ〟というのは、離れていようが〝一つ〟が先ず根本になるが、肉体も言葉のやりとりもあるから、出来れば、現象界でも、心の世界でも、〝一つ〟がなおよいのだろう。心が〝一つ〟なれば、離れていても相当良い仕事が出来ようが、もう一つ、〝一つ〟に仕事すればなお良い仕事が出来るだろう。そういう状態にもっていく今の段階。〝一つ〟になって仕事した方が、二人がこっちの持ち味、こっちの持ち味といってやるより、質の異う本当の仕事が出来ると思う。”(第四回ヤマギシズム理念徹底研鑚会)

〝質の異う本当の仕事〟って、どんなこと何だろうと興味は尽きない。
そう言えば次のようなやり取りも興味深い。

山岸 山のあり方なんかだいぶ変わってきて、炊事へ夫婦で行き、人事も夫婦で、と何でも夫婦でいくと、今までゴテてたことが具合よくいくらしい。そういうふうにだんだん変わってきて、やってみると、だんだん能率が上がってきた。また楽しいという。研鑽会も夫婦で出る。総務も夫婦で一役だから、奥さんも一緒に出てるから話もみな通ずる。主人が留守の時も代理でなく、総務として来ているとなっている。総務も十人で十夫婦で二十人。
雄治 船頭が多すぎるのと違うか。
山岸 それが育児、文書、教育となっているので、出てくるとみんな関連があって出来る、といった便利。
雄治 「その人でなければ」と、まごつくことないしな。
山岸 寝てる間でも、夫婦で相談できるらしい。なかなか賑やかになってきたし、物事が簡単に済んでいくらしい。子どもの係でも、最も適当な人が、大事なことやから、しかも夫婦でいく。”(ヤマギシズム生活実顕地について1960.10.6)

そこまで行くの?
二人、即ち〈と共に〉からひらけてくる世界があるというのだ?

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わが一体の家族考(121)

〝にわにおさまるみよ〟

それでは〝「永遠の母性」への回帰〟の辺りを、山岸巳代蔵はどのように語っているのだろうか。たんにゲーテ一人の人間の特殊な創作として見過ごすべき性質のものではないとしたら……。
例えば次のような箇所だろうか。

“夫だけでも、妻だけでも、何もなし得ない。夫は夫として生きない、妻は妻として生きない。男でないもの、女でないもの。男女寄って初めて、男の、女の、持ち味が本当に生かされるもの。”(柔和子に宛て 1960・2・29)

“僕はママとの、もう一対一で、一対一というより、二人の一人格。これでこそね、生きた仕事も出来るし、もうご飯もおいしいし、生活そのものもいきいきしてくるし、文章も生き生きしてくるし、著書もね。こういうね、こういうあの、結婚様式を、ね、こういうものがあると。相合うもの、最も相合うもの、こういうものがね、結婚できると、で、それでこうなるんだと。”(山岸夫妻を囲む徹夜研鑽会の記録 1960・3・27)
山岸巳代蔵と柔和子

これらの発言は、山岸会事件後指名手配された山岸巳代蔵が滋賀県大津市堅田での潜伏期間中に福里柔和子に宛てた手紙や研鑚会の発言である。なかでも4月12日に警察に出頭する前のこの時期、結婚観についての二人の不一致を解消して愛情の不安定に区切りを付けたいと、山岸巳代蔵は夫婦、真の一致一体により、真の世界へ脱皮することができた実態を次のようにも表現するのだった。

“○にわの、おさまる、みよ(1960.2.26)
○みよは、にわに完全に納まった。(1960.2.26)
○にわにおさまるみよ、オメデトー。(1960.2.27)
○柔らかく和やかな、夫を思い、全人を思う真の愛の女神に温かく抱擁されて、さすがのみよも、にわにおさまる。(1960.2.29)
○にわおさまるみよの初春(1960.3.11)”

これぞゲーテの「神秘の合唱」の詩句

〝とこおとめおとめさひすとなよよかに
われらひかれてをとこそひすも〟

そのものではなかろうか?
あえてヤマギシズム恋愛・結婚観の姿を〝「永遠の母性」への回帰〟に重ねてみた。
それにしても〝二人の一人格〟とは面白い表現だなあと次々と興味をそそられる。

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わが一体の家族考(120)

「永遠の母性」への回帰

いったいどんな意図があってゲーテ(1749-1832)は、『ファウスト』の結末「神秘の合唱」で「永遠の女性」への回帰で締めくくったのだろう。
ファウスト・山本容子画

まるで〝鮭の母川回帰〟と同じではないのか? 鮭の一生は、初期には淡水の清流にすみ、中期は大海に出て大きくたくましく成長する。時がくれば、あらゆる危険を乗り越えて川をさかのぼり、自分が卵からかえった場所にもどる。
しかしものの本によれば、〝サケはなぜ生まれ故郷の河川に戻ることができるのでしょうか?〟といった驚くべき〝母川回帰〟のメカニズムの方に関心が向けられている。
問いたいのは、なぜ〝母〟なのか、なのだが……。

幸いゲーテ晩年の10年間秘書をつとめたエッカーマンにゲーテの談話を記録した『ゲーテとの対話』がある。
その中の1980年1月10日付に、
ゲーテが食事の後、ファウストが母たちのもとへ赴く場面を読んで聞かせてくれて、ゲーテから「これ以上君に明かすわけはいかない。ただギリシャの古代では、母たちが神として語られていたということを見つけた。後は自分で工夫して創った。どこまで掴めるものか、ひとつやってみたまえ」と励まされる箇所が出てくる。
そこでエッカーマンは次のような見解に達している。
○母たちは時空の外に生きている。
○地表に形態と生命をもつものはすべて、創造する存在である母たちから発生する。
○この地上の存在の、発生、成長、破滅、再生という永遠の変態は、母たちの片時も絶えることのない営みなのだ。
○この地上で止むことのない生殖によって新しい生命を得るすべてのものに、女性的なものが主として働いているのであるから、あの創造する神々は当然女性的なものと考えられるであろう。
○もちろん、これはすべて詩的な創作にすぎない。しかも限りある人間の知恵を以てしては、これから先へは進めない。推測はするが、分からない、としている。
ここでエッカーマンは、断定・断言を避けているところが興味深い。きっとそれに先立つ1829年2月18日の次のようなゲーテの発言を受けての見解にちがいない。

“人間の到達できる最高のものは、脅威を感じるということだよ。根源現象に出会って驚いたら、そのことに満足すべきだね。それ以上高望みをしても、人間に叶えられることではないから、それより奥深く探求してみたところで、なんにもならない。そこに限界があるのさ。
しかし、人間はある根源現象を見ただけではなかなか満足しないもので、まだもっと奥へ進めるにちがいない、と考える。”

そう言えば自分らもいつも研鑚会で、
「すぐに当たり前のことにしてしまう」
「持って生まれた感応能力を磨かないと」
「知識や体験からは本質は見えない」
「目の前の事実そのものから、もっと新鮮な驚きを」
「ただ感心するだけでなしに……」
「知者の振る舞いをせずして、唯一向に念仏すべしと。ただそれだけ」
と諭されたものだ。

ともあれエッカーマンは、この不思議な場面を何度も繰り返し静かに味わいながら読んでみて、喜びをおぼえたと記している。同感だ。〝温かく包み込む母性〟にひかれる自分らがたしかにいる。

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わが一体の家族考(119)

『ファウスト』〝神秘の合唱〟

また三木成夫は学生時代から在野の哲学者・冨永半次郎(1883―1965年)に師事していた。そして文豪ゲーテが生涯を賭けて完成させた戯曲『ファウスト』の結末「神秘の合唱」の富永半次郎自筆の七五調の訳を研究室に掲げていたという。
富永半次郎自筆

“神秘の合唱
ものみなのうつろふからに
さながらに色とりとりにうつるなり
かけてしも思はぬことの
こゝに起き
ことはにも筆にも堪へぬこと
こゝになる
とこおとめおとめさひすとなよよかに
われらひかれてをとこそひすも”

1行目の〝うつろふ〟は移ろふか。2行目の〝うつる〟は映るか。〝とこおとめ〟は永遠の女性か。
なかでも最後の〝とこおとめおとめさひすとなよよかに われらひかれてをとこさひすも〟との訳がじつに味わい深い。ちなみに森鴎外は「永遠に女性なるもの、我等を引きて往かしむ」と、高橋義孝は「永遠にして女性的なるもの、われらを引きて昇らしむ」と、池内紀は「くおんのおんなが、われらをみちびく」と訳している。
三木成夫は次のように記している。

“ひとびとはこの宇宙の原形を在る時は「kosmos」と呼び、また在る時は「天」と呼ぶ。ファウストを完結させる〝Das Ewigweibliche(永遠の女性)〟の表現は、まさしく、こうした万物生成の天然の姿を、いわゆる大地母Magna Materのそれに託して披露した、それは文字通り〝根原秘奥への賛歌〟と見られるものであろうか……”(『人間生命の誕生』)

いったいなにをゲーテは、三木茂夫は言おうとしているのだろう? 当てずっぽうな物言いになるかも知れないが、かのゲーテが〝永遠の女性〟という表現に託した生涯とらえて離すことのなかった世界、山岸巳代蔵の「万象悉く流れ、移り行く」と呼べる世界、の解明にこそ、自分らがこの間追い求めてきた「秘められた実態の把握」に繋がるものがあるのではなかろうかと、ひどく好奇心をそそられるのだ。
山岸巳代蔵を始めこれら先達諸氏の未だ自分には謎めいたコトバは、共通して人間の中の「男と女」に、「人間」であるという本質的なものと「異性」であるという本質的なものとの両方を見極めようとしているかのようだ。
どういうこと?
一言でいうと、未だ生きられていない「男女の性」の世界を基調とした本質的な人と人との繋がりの世界で生きようというのだろうか……。
こんな自問自答が繰り返し脳裏に浮かんでくる。

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わが一体の家族考(118)

見ずして行うなかれ!

その解剖学者三木成夫の記述にあったゲーテの〝不可思議な転換〟についてあくまで自分勝手な推測にすぎないが今少し続けてみる。
1953(昭和二八)年「山岸会」が発足した年の暮れ、名古屋の養鶏専門誌『家禽界』の記者が京都地方の孵卵業者の得意先回り中に風変わりな養鶏の話から、その不思議な男、山岸巳代蔵に三日三晩旅館で書き上げさしたのが『山岸式養鶏法』だった。
山岸式養鶏法

その巻末は次のように記されている。

“今までに発表した断片的なものを見聞して、各地から、何か参考書をと所望され、また出版の呼びかけがよくありましたが、今これを書こうという意志はなかったところ、これは水害後の出来心で、用意もなく取り急いだため、纏まらない事甚だしいです。若い時に作成した自分用のデータ等少々残ってあったものまで逸失して、今になるとちょっと惜しい気がします。私には記憶力がなく、何か読んでも、頭に入れておくことが煩雑なので、そのエキスだけ吸収することにしています。人の名・年代・地名或いは文章までも努めて忘れる。ことに数字はなおさら覚えないことにして、それがどこを指しているかという程度で充分で、資料はなくしても私としては不自由はないのですが……こんなことで果たしてどうか……整理が出来ていないので重複した部分があります。
機を得て何れ削除・補綴を加えたいと思います。風袋が多くなり過ぎました。〝見ずして行うなかれ!行わずして云うことなかれ!〟の数語に尽きるものを。ではまた。(1953.12.)”

ここでの〝見ずして〟とは、何を〝見る〟ことなのだろう?
これこそ先述の「万象悉く流れ、移り行く」の一節に、心境の変化に伴って栄枯盛衰のはかなさやむなしさを見ていたものから宇宙自然界の底に息づく生命力というか美しさ・豊かさ・温かさの源がそこはかとなく広がっている自然全人一体の姿を見るということではなかろうか。
三木成夫はそのことを〝人間進化の究極の出来事〟と見なすのだ。
それはまたゲーテの眼に映じた大宇宙の森羅万象の〝ひとつのものが色とりどりに容姿を変えて見せる、そのような動き〟として眺める……というところと重なっていく。
宇宙自然も、人間そのものも、人為的な業績も、一日として〝後返り〟しない。常にとどまることなく流れ続けてゆく姿ではないのかと。
山岸巳代蔵もまたそうした秘められた実態の中の、

“人間の考えよりのものの中には、正しさに於て、方向を誤り、正しいと思っていること自体が思い違いで、大変な逆方向へいっていることがずいぶんある。”

と見なして、本来の姿・人間復帰へのスタート、考え方への切り変えを第一義としたのだった。
そして先述の、
〝稲は一生元気で暮らして良い子孫を残したいと稲穂を実らせ、美果が甘露を湛えて人を待ち、太古の昔から鮭が故郷の川へ産卵のためにさかのぼっていく〟姿に、万象悉く流れてゆくものを見たように、
自分らもまた〝生まれ、育ち、子を生み、生活し、老いて死ぬ〟世代交替の〝後返り〟しない繰り返しに、とどまることなく流れ続けてゆくものの本心を見る思いがする。
これこそ理念と自分との間を結びつけるものの正体ではなかろうかと実感されてくるのだ。

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わが一体の家族考(117)

〝次元の〈転換〉〟を促すもの

先の「万象悉く流れ、移り行く」という森羅万象に満ち溢れているものにしょっちゅう想いを馳せていると、3D写真のように思いがけないものが浮かび上がってきて感動的だ。以前書いた文章の一部を再掲してみる。

“観光道路・レインボーラインの山頂公園からは、日本海・若狭湾の入り組んだリアス式海岸に面した若狭湾国定公園を代表する景勝地、三方五湖(みかたごこ)が一望できた。しかも正面の水月湖には何度目かのボーリング調査やぐらも遠望できた。
三方五湖

この水月湖から1991年七万年間におよぶ年縞(ねんこう)が発見された。年縞とは、木の年輪にも似て春先に大発生するプランクトンの死骸(白い縞)と秋から冬にかけて積もる粘土(黒い縞)とが織りなす縞模様で、過去の気候変動や植生変化などに関わる重要な情報が含まれているという。何万年にもおよぶ泥の堆積が奇跡的に維持されていたのだ!
麓の若狭三方縄文博物館には、湖底から採取されたボーリングコア試料の一部が展示されている。年縞の一年あたりの厚さは約0、7ミリ。その中に中国大陸からの黄砂,火山灰、珪藻、花粉、葉っぱの化石等々が分析解明されて、地震や大洪水の年も正確に復元されているという。
1年分の「年縞」

驚きだった。それまでわたしの中では地・水・火・風など無生物界の現象は、時の流れとともに跡をとどめないものという先入観があった。しかし泥の堆積物が語る事実に触れて、人間を含む動植物の生き様と変わらないのではという思いに打たれたのだ。数万年前までさかのぼれる黒っぽい縞と白っぽい縞の交替のくり返しに、無生物界の意志というか「こころ」を見たかのような……。
稲は一生元気で暮らして良い子孫を残したいと稲穂を実らせ、美果が甘露を湛えて人を待ち、太古の昔から鮭が故郷の川へ産卵のためにさかのぼっていく。そして吸収生長の期と後の世への生命の繁栄を、劃然と区分する。
わたしたち人間もまた、生まれ、育ち、子を生み、生活し、老いて死ぬ世代交替を代々くり返している。そんな不断の前進一路・無停頓の律動(リズム)を生きるわたしたちがいる! そうした交替の律動(リズム)現象に、なぜか名状し難い興奮を覚え、体の奥からなにか心温まるものがこみ上げてくるのだ。”(2015.1.1本旨 心あらば愛児に楽園を)

この間、解剖学者・三木成夫の『胎児の世界』等の著作に感化されてきた。なかでも『人間生命の誕生』所収の「ゲーテと私の解剖学」と題した一文に触れた時、今後自分が何に向かって考えていけばよいかの力強いヒントが得られたような気がした。
まるで自分に向かって語りかけられているように……。
その一文で三木成夫は、晩年の文豪ゲーテが生涯を賭けた労作『ファウスト』全篇を封印してしまった、その真意を探り続けることが自分の専門・解剖学はおろか生き方にまで大きな影響を受けた経緯について記している。

“十九世紀前半の一ドイツ人の内面に起こった、それも人に知られない不可思議な転換という出来事を、畑ちがいの私が、これ程までに問題にしようとする、そのこと自体、はなはだ奇妙に思われる方があるかも知れない。しかし十年一日というたとえがあるが、このゲーテのぎりぎりの体験に、様々な角度からひたすら近接を試みているうちに、何時からとはなく、一体このWendung(転機―引用者注)なる出来事は、一人の人間の特殊な経験として看過すべき性質のものではない、それどころか、これこそ人間進化の究極の出来事ではないかとすら思われて来だしたからなのである。
すなわち、このような体験の保証がない限り、徒に、ありのままにものを見るという事自体、実は不可能な要請ではないかと思われてき出したからなのである。”

として、三木成夫はここ二、三年、一番身近な生物の現象がこれまでとはおよそ違った生き生きとした姿で目に映り始めた自分自身の内部に起こったある微妙な変化をゲーテのぎりぎりの体験に重ねるのだ。
なかでも〝次元の〈転換〉〟を促すぎりぎりの体験が、〝一人の人間の特殊な経験として看過すべき性質のものではない、それどころか、これこそ人間進化の究極の出来事ではないかとすら思われて来だした〟という一節から、三木成夫と同じような心当たりが自分にもあるかのように迫ってきたのである。
すなわち、

“この自分がもっとも心安まるこの場所から〝真理、真実、真意、真相、事実、実態〟への通路というか「理念と自分との間に橋を架ける」とは、こういうことではなかろうかという驚き”
とも重なるようにも思えてきたのだ。

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わが一体の家族考(116)

心の琴線に触れる場所

“神がそばを通られてもわたしは気づかず
 過ぎ行かれてもそれと悟らない”(ヨブ記)

無いものが、見えないものが見える人になるために、〝ふとした機縁から気づい〟た世界を通り過ぎないために、そこに立ち止まり、踏み留まって、行きつ戻りつを何度も何度も繰り返し表現していくのだ。
何とも言葉で表せない感情でいっぱいになり胸が熱くなる〝この感じ〟って、いったい何なのだろうかと。
しかも〝この感じ〟に抱擁(つつ)まれて自足している自分とはどんな自分なんだろうか?
そう言えば〝心の琴線〟という言葉があったなあ。〝琴線〟という言葉が強く印象づけられたのは、たしか某新聞のコラム記事(1985年)によってであった。

“春の風や花びらといっしょに、楽しい便りが郵便箱へ入ってくる。外国からの絵はがきや、仲間の詩集や、映画の案内状や、なかにヤマギシズム春まつりの案内がひときわ目をひいた。ことしのテーマは「散財」とある。(……) きっとこの大らかな「散財まつり」は人の心の琴線を揺するに違いない”

〝琴線〟とは"heartstrings"の訳であり、古代解剖学で心臓を包み支える腱(神経)と考えられた。古くは「心弦」「心糸」と訳されていた。人の心には、琴の糸のように共鳴するメカニズムが備わっていて、その糸に触れると感情を動かされると考えられていたことから、心の奥底にある、微妙で感じやすい心情を〝琴線〟というようになった。こんな説明が一番しっくりする。
それにしても彷彿と浮かぶあの恥ずかしそうな笑顔から一瞬のうちに蘇り、こみ上げてくる心の琴線に触れるものの正体は、いったい何なんだろうか? 

そうやって四六時中自分自身の実感に思いをめぐらせていると、ふと〝琴線〟の鉱脈を探り当てたような瞬間があった。底が抜けたような感触があった。実感をともなった体験の場に立ちあがった。

例えば山岸会が発足してすぐの山岸巳代蔵の著作『獣性より真の人間性へ』は「万象悉く流れ、移り行く」という一節からはじまる。これは栄枯盛衰のはかなさやむなしさを表現したものだろうか。いや、それは逆で事実は宇宙自然界の底に息づく生命力というか美しさ・豊かさ・温かさの源がそこはかとなく広がっている自然全人一体の姿を言いあてた表現ではなかろうかと見えてきたのだ。
だとしたらこの自分がもっとも心安まるこの場所から〝真理、真実、真意、真相、事実、実態〟への通路というか「理念と自分との間に橋を架ける」とは、こういうことではなかろうかという驚きがあった。
琴線に触れるような体験の先に、人間本来の姿としての自分らの「ヤマギシズム」が立ち現れてきた! それって〝自分がヤマギシズムになる〟ということ?

例えば作家ドストエフスキーは、ムイシュキン公爵の心安まる場所を次のように表している。

“それは彼がいつも好んで思い出す地点であり、まだスイスに住んでいた頃、好んでそこまで散歩に行っては、その地点から眼下の村を、下のほうにわずかにほの見える真っ白な滝の白糸を、白い雲を、打ち捨てられた古い城を、眺めたものであった。ああ、いま彼があの場所にいて、そしてひとつのことだけを考えていられたら、どんなにかいいことだろう。そう、一生そのことばかりを考え続けて、そのまま千年だって過ごすことができただろう!”(『白痴』)
スイスの片田舎

そこは〝ただ自分の思いだけを抱いて一人きりになり、誰にも自分の居場所を知られないような場所〟なのだ。自分だけにしか通じないそんな心の琴線に触れる場所がある。しかもそこから、〝メビウスの輪〟のように誰の心にもある同質の〝琴線〟に触れられる・共感するという不思議さに出会うのだ!

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わが一体の家族考(115)

思い浮かんだ虫のいい考え

ある日の研鑚会では、ボードに次のように画かれてあるテーマを終日眺めつつ研鑽した。
“無我執研鑽
1 人間の判断能力
(五感、六感、記憶力、知能、知識、経験、その他)
2 真理、真実、真意、真相、事実、実態と
人間の考えや観察による判断との異い
3 無我執(我当然、執抹殺)”
横山大観『無我』

なかでもとりわけ〝2〟の項目の、真理、真実……と続く上の段と人間の考え……と続く下の段との〝異い〟を自らの実例を出し合って研鑽した。
ここでの研鑽の急所は、自分よりの観方の延長で上の段と下の段を〝分離〟することにあるのではなくて、〝異い〟を肚に落とすことにあった!?
フッと〝自分がヤマギシズムになればよい〟という気持ちが思い浮かんだ。
でも瞬時に〝そんな馬鹿な〟と打ち消した。だって

“ヤマギシズムとは一口で言うと、すべてに本当、即ち真なる理は正しいと思う考え方で、何事を考えるにも行うにも、真理に即応しようとする思想である”

から、こんな我執まみれの自分が絶対にヤマギシズムになれるはずがないではないか。
でも、このままでは〝異い〟をスッキリ肚に落とすことはできない。そんな不完全燃焼感がくすぶり続けていた。
実はここでも〝次元の〈転換〉〟が意味するものにそれこそまさに直面していたのだ。
その当時は思いもしなかった事柄にぶつかって先の見通しが全く描けなく不安な日々を過ごしていた。心境的にも追いつめられていたからか、いつしかなじみの自分がいちばん安堵して心安まる自分だけにしか通じない場所へと引きこもりがちになっていた。現実から目を背ける心理状態にあったのだろうか。

ところが、そんな〝なじみの自分がいちばん安堵して心安まる自分だけにしか通じない場所〟から醸しだされる何かほのぼのとした温かさに何度もくり返し出会っているうちに、この不思議な感じの正体はいったい何だろうと想いを馳せるようになった。むしろ前向きにそうした想いに会いに行くようになっていた。心地よかったからだ。癒やされた。

でもその場所は自分しか知らなく、とても他の人々に通じていくはずがないマイナーな世界だった。
そんな世界が二十数年ぶりに蘇ったのだ!
というのも、いったんは自分よりの観方から来る極私的な体験世界でありヤマギシズム運動には不必要なものとして自ら封印・棄てたものだった。そんな世界がくり返し蘇ってきたのだ!?
以前にも紹介したその部分を引用してみる。

“朝寝坊の得意なぼくは、時として朝一番の水やりやエサ見を怠った。そんな時は必ず奥さんが代ってやってくれていた。そして遅れてやってきたぼくの顔を見て恥しそうに、「フフフッ」と微笑むだけだ。ちっとも批難がましいことは言ってくれない。これはかなりぼくの胸にひびいたことの一つだ。”(ある愛の詩)

自分の心に響く極私的な体験世界。きっと他の人に伝えようとしたら、〝通じないもどかしさ〟に身もだえするような……。
この何とも言いようがない自分自身の中から湧き出してくる〝この熱い感じ〟に思いを集中させていると、そうか〝いい思いをする〟ってこんな感じなのだなあと改めて実感させられた。

以前Sさんから「ヤマギシズム社会は徹底した個人主義ともいえる」と聞かされて驚いたことがあった。それまで漠然としたみんなで仲良く助け合って生活する社会像の印象しかなかったので、エッととまどったのだ。Sさんはいう。

“結局自分がよくなるためからすべて出発している。
屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝など一切ない。何ごとも自己より出発して自己に返る、という徹底したものだという意味からいったもので、工夫して人をよくするとか社会をよくするのでなく、自己の楽しむ場を広めていくためで、決して人のためでないということをいったもの。
そういう個人がやっていく上に副産物で理想社会ができていくというような意味なのだけれど……”

だとしたら、自分にとって一番心安まる場所から〝自分がヤマギシズムになる〟への通路が〝自分がよくなるため〟から拓かれないだろうかと、そんな虫のいい考えが思い浮かんだのだ。

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わが一体の家族考(114)

〝握り飯と餅〟の譬え

なかでも〝観念にも二つある〟と知らされて驚いたことがある。

“観念も二手ある。理念からくる観念と、理に反しててもよいとする観念よ。何か分からんものがあるとする、それ研鑽態度よ。明田さんも「何か分からん、それを知りたい」と言う。それ研鑽態度よ。だが分からんままに放っておいて、理念の検討やらないで、現象を言って信者を作る危なさよ。(略)
理念を軽く見るのと、これほど大事かと。「卵の価値は〝生きる力〟だ」と聴いた場合、「ああそうかな」となるのと、「何も形してたら、売れたらよいやないか」と。これは握り飯談義かと思うの。たくさんの人達に影響のあることは、なおさら考えてほしい。
観念と理念を分けて下さいね。”

観念にも〝理念〟、理に立った観念と〝非理念観念〟、ただ無智な理を忘れた観念と二つあるのだという?!
確かに当時(1960年)ソ連・中共・北朝鮮の一糸乱れず明るく楽しく仲良くやっている共産主義の全盛期の姿を見て、あれは初期の希望に満ちている段階に過ぎないと山岸巳代蔵はその正体を見抜いていた。
唯物論も一つの観念に過ぎず、何故そうなったかの過程を検べないで、現象界で仲良くいけたら良いとする危なさ、〝握り飯談義〟に警告を発していた。
月の世界へ何ぼ行けても、やはり解決できないものがある。今の姿は、人間社会はこんなものだと観念づける〝非理念観念〟からの〝仮の現象〟にすぎず、真理に即応する〝理念〟に立つ信じ込まない研鑽態度からの現象化される実態とにハッキリ区別される。

そうした〝出どころが全く異う〟にもう一歩踏みこんでみる。
〝二つの幸福〟についても、〝幸福感〟の延長線上に〝真の幸福〟が現れる訳では絶対にない?! タダそう思っているのみの〝感〟から出発しては、世界中からひとりも不幸な人が無くなるようにはならないのだと。
以前ヤマギシの実顕地造成の過程で、まずは無理ないところで共同経営等で段階的に試しつつ、良かったら実顕地化つまり〝共同から入って一体へ〟を目指したらどうかという意見もあったと聞く。
そこでよく〝共同と一体〟の異いを、〝握り飯と餅〟の譬えで論じられてきた。

山岸 〝一体〟を言っていた。僕が言ってるのは、餅の譬えを出したのは、「人間はみな餅だ」と、心の中に思ってるのよ、そういう心で言ってるのよ。皮をむき、蒸して、搗いたら餅になると。
現在、「一体、一体」と言ってて、一体になってないのは、「我の皮をかぶっていて、それをむかんことには一体になれない」と、これを言わんとするのよ。餅でも皮をかぶってる間はどっちに搗いても餅にならない。
やはり一体を出すのが先や。またばらばらになるものを先に作って出すより、一体を先に出してと、これを言うのやけど、これを聴かないで、ちゃんと自分の考えで早分かりする危なさよ。”(第一回ヤマギシズム理念徹底研鑚会記録より)

ここまで〝共同と一体〟の異いについてハッキリ解説されているにも関わらず、どうしても〝自分の考えで早分かりする〟のかバラバラの〝握り飯談義〟にはまり込んでしまいがちだ。
おはぎ

なまじ中途半端な〝ぼた餅(おはぎ)〟のように表面上は固まっているために何ぼ搗き上げても餅になれないでいるのかも知れない。
それぐらい「人間はみな餅だ」から出発するという次元の〈転換〉を意味するものの大きさをしみじみと感じる。しかしここの個所が、いっとう分かりにくいのだ。
本質的な異いをかれこれ口で言い、文字で書いてもどうしても〝共同から入って一体へ〟の文脈としてしか受けとめられない。それは普段の自分らの使い慣れた慣性観念からの考え方でもあるのだろう。
ただもう〝仲良かったら良い〟〝健康だったら良い〟とする社会通念に盲信し続けるのか、やはり自分から殻脱いでもっと底の本質的なものから検べていこうとするのか。

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わが一体の家族考(113)

〝何でも二つある〟

振り返ると日々の生活の中で繰り返し呪文のように、〝何でも二つある〟というフレーズを自分に言い聞かせつつ現実に立ち向かおうと心してきた。
ここでの〝何でも二つある〟というフレーズは、例えば次のような文脈が出どころであるに違いない。

“幸福といっても二つあり、一時的の喜びは本当の幸福ではなく、仮の幸福感に過ぎないものです。”

つまり自分らは普段何気なしに幸福の意味を喜怒哀楽を伴う不幸に対しての対句で捉えていて、幸福だとタダそう思っているのみの、〝感〟だというのだ!?
その昔『二つの幸福 真の幸福と幸福感』(山岸巳著)という小冊子を資料に研鑽したことがある。そこでの小見出しをあげてみる。
二つの幸福

○仮の幸福(幸福感)に生きる愚かしさ
○感(幸福感)人種の如何に多き事よ
○真の幸福はいずこに……方法あり、具現方式で
○山岸会の結合とその活動
○ヤマギシズム社会は 幸福研鑚会から

つまり幸福研鑚会から、宗教・神仏に依らなくして、幸福感でない、真の幸福が得られるのだという!?
その頃は(否、今も?)幸福と感じる〝感人種〟そのものの自分しか知らないからか、〝真の幸福〟のイメージをリアルに思い描くことが出来なかった。逆になぜもっと詳しく〝真の幸福〟についての解説がないことが不思議というか不満でならなかった。
まあ、〝真の幸福はいずこに〟と問われてもねぇといった心許なさを感じながらも、この幸福感と真の幸福を区別する〝何でも二つある〟は研鑚会でどんどん拡張されていった。曰く

○人間の思い考えと真理、真実、事実、実態
○暗く見る観方と事実その中で強い自分を見いだす二つの逆の考え方
○二つの事実
○食べたいから食べるのと、食べなくてもよいが食べる
○失敗型と成功型
○共同と一体
○宗教と研鑽 等々

例えば今もって心に焼き付いている〝二つの事実〟談がある。
戦時中の飼料欠乏時代に養鶏組合の責任者だった山岸巳代蔵が牛も好まぬ粗飼料を調達して組合員に分配したところ、多くは食べさせずに鶏を痩せさせて皆の不評をかった。ところが山岸巳代蔵の鶏舎ではどの鶏も皆満腹し落ちついてよく肥り満足そうに卵を産んでいたという逸話がある。
この養鶏の達人談のようなことが八〇年代ヤマギシの有精卵の増産要請が一気に高まり、暑さや産み疲れや病気に負けない頑健な消化器の鶏体造りをねらって大量の青草やモミガラや焼酎粕のような食品副産物・廃物の活用もかねた給与を始めた頃、他人事ではなく同じ現象に直面したことがあった。 
というのも、ある日の鶏や豚や牛の飼料専門研鑽会で「ヤマギシズムでは餌代が安いほど鶏が健康に育つ」と聞いたのだ。その時は、原因と結果を逆さまにしたような表現にオカシミを感じつつ、何はともあれ、軽率にそうか安ければよいのかと、ある時単価の安い粗飼料を一度に多く給餌してみたのだ。
すると案の定、鶏を痩せさせて皆の顰蹙(ひんしゅく)をかった。打ちひしがれた。いったい自分の何が間違っていたのか?

確かによくよく観れば、例えばモミガラ一つとっても、こんな栄養もなく消化しにくい硝子繊維の固まりが餌になるとはとても思えない。事実食べ残しの餌を捨てる餌箱掃除で忙しくなり、しかも下痢便の鶏が続出したりでモミガラは厄介者にしか見えなかった。
反面またウイスキーを製造する際の液体粕とモミガラを組み合わせて給与してやると、なぜか鶏が喜んで食べつくす事実もあった。
モミガラは食べ残す、食べないという事実に対して、よく食べる、食べ残さない、という事実もある。
このモミガラを食べさすという小さな一事に、二つの事実がある? それって、どういうこと? とても不思議なことに思えた。人生上超難問題に取り憑かれた気分が続いた。

そうかあ、モミガラがダメじゃないんだ。モミガラを食べ残すようにするには、食べ残すようなやり方をこの自分がやっているからだ。食べ残さないという事実は、食べ残さないようにするからだ。そんな発見にも似た驚きが今も続いている。
〝出どころが全く異う〟のだった!
〝真の幸福〟を幸福と感じる〈私〉が確かに実在する!

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わが一体の家族考(112)

心の〝転換〟の機微

先の映画『おくりびと』で主人公・大悟は、突然くるりと踵を返して、〝とっくに戸籍から外れている〟父親の元へと駆け出した。
また映画『エロデ大王』のエロデ大王と王妃マリアムに自分と柔和子を重ねた、

“柔和子を苛め殺した(エロデ王)悔恨の涙と、うつろな孤独な僕、盲信のままで一度も溶け合わない、愛して愛して、真に愛し合っているが故に、愛し合ってい乍ら、ピタリと寄り添えない感じ、通じ合わないもどかしさ、夫婦であり乍ら直接話し合えない、悲しい、哀れなお互いを感じ乍ら、永遠に死境をさまよおうとしているアブナイ瀬戸際”

が一転、

“柔らかく和やかな、夫を思い、全人を思う真の愛の女神に温かく抱擁されて、さすがのみよも、にわにおさまる。”

に好転していく、こうした心の〝転換〟の機微に迫りたいと思う。
次のような一節がヒントになるかも知れない。

“僕と柔和との恋愛結婚は真なるもので、心・情・感等の世界では、我執の出没によって波立ち、言動・現象は結婚したり、解消したりしているように見誤られるが、感の世界の基なる無感の真の世界では、恐らく絶対動かない、離れようのない真の結婚だと思う。
従って何時か其のいずれか(両方にありそう)にある我執が消えた場合、心も現象も完全無欠の完全夫婦と必ずなるであろう。
過渡期に如何なる波乱万丈の混乱事象が起ころうとも、末は必ず真なるものに落ちつくもの。
人間であるから思い違いはいくらでもある。それは赦されるが、それを持ち続け放そうとしない我執は、いつでも赦されない。自分が苦しみ悩むものである。”(我執の害毒は殺人狂よりも悪質なり)

ここでの〝感の世界の基なる無感の真の世界〟について想いを巡らしてみようというのだ。いったいどういうことなんだろうかと。
たしか宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(岩波文庫版)に、黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせた大人がジョバンニに語りかける個所がある。
銀河鉄道の夜

“みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう。けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれどももし、おまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる。”(九ジョバンニの切符)

人と人とが離れ、相反目、敵対しないで〝ほんとうの考え〟と〝うその考え〟を分けることが出来たら、どんなにか素晴らしいことだろうか。今なお心ある人々にとっての切実な課題であろう。
それにもかかわらず〝めいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだという〟自分の立場を全部放したところから、本当はどういうものかというところからの観方・考え方の実行に踏み込んでいる・いく人は皆無に近い。
自分の立場から発して〝ほんとうの考え〟と〝うその考え〟を〝分ける〟ことはぜったいに出来ない!? むしろ〝分ける〟のではなく、〝出どころが全く異う〟ことを知ることが先なのだ。肚に落とすことが肝要なのだ。
ここでの〈次元〉の転換の機微をハッキリ掴むことが容易ではない。せいぜい自分の立場から発しての〝ほんとうの考え〟と〝うその考え〟の分離にとどまっている。
謂わばよくいう〝お金儲けのための鶏飼い〟から〝みんなの幸せを願っての、先ず自分がそういう人になって鶏を飼う(飼わなくても)〟気持ちへの転換・現れなのだ。

先の映画『おくりびと』での事務員・上村さんの発言、最初の「行ってあげて」と二番目の発言内容「行ってあげて」との異いについても当てはまる。事務員さんの二番目の「行ってあげて」の発言は大悟から「だとしたら、無責任すぎるよ」と大声で怒鳴られながらも、〝何かに突き動かされるように〟立ち上がり大悟のそばまで詰め寄っての「行ってあげて」なのだ。
そこにはどうしても〝放す〟行為が、それが出来る人になるという次元の転換が絶対要素として浮上してくるようなのだ。

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わが一体の家族考(111)

琴線に触れる発言

ひょんなことから遺体を棺に納める〝納棺師〟となった主人公・大悟(本木雅弘)の葛藤や成長を描いた映画『おくりびと』(2008年公開 米国アカデミー賞外国語映画賞受賞作品)に次のようなシーンがある。
おくりびと

ある日事務所(NKエージェント)に戻ると、妻・美香(広末涼子)からの伝言が入っていた。それは大悟が子供の時に家庭を捨て出て行った父の死を伝えるものであった。
そこでの事務員・上村さん(余貴美子)とのやり取りである。『おくりびと』の台本からそのまま抜き出してみる。

“NKエージェント・内
大悟「とっくに戸籍から外れているし……。書類にサインも出来ない、って電話しといて」
大悟、電話を切る。
上村、心配そうに見ている。
上村「行ってあげて」
大悟「ホント、大丈夫ですから」
上村「お願い。お願いします」
上村、目に涙を浮かべて訴える。
大悟「……」
佐々木(社長・山崎努―引用者注)「……」
ストーブの上の薬缶から湯気が出ている。
遠い目をして上村が語る。
上村「私もね、帯広に捨てて来たの。息子を。6歳だった」
大悟「……」
上村「目先の愛が……大切だった。ママ、ママ、って泣き叫ぶ息子の小さな手を振り払って家を飛び出した」
大悟「息子さんとは?」
上村「会いたいに決まってるけど、会えない」
大悟「どうして? 会いたいなら、会いに行けばいいじゃないですか」
上村「……(首を横に振る)」
大悟「子どもを捨てた親って、みんなそうなんですか?」
上村「……」
大悟「だとしたら、無責任過ぎるよ」
上村「……。お願い、行ってあげて。最後の姿、見てあげて」
大悟、何も言わずに、出ていく。
同・外
大悟、事務所を飛び出すと……美香が立っている。
美香「……」
しかし大悟は、美香を振り切り、そのまま進む。
美香は大悟を追いかける。
美香「大ちゃん……」
それでも大悟は立ち止まらない。
何かを吹っ切ろうとしながら、ただ足を進める。
父親の影を完全に消し去りたくて、ただ足を進める。
が、けれども。
突然、大悟の足が止まる。そして……
目を閉じて自分への苛立ちを他のもので押さえつけながら振り返る。
美香「……!」
大悟は事務所に向かって、一気に駆け出す。”

そして社長に車を借りて遺体の安置場所に向かった大悟は、30年ぶりに対面した父親の納棺を自ら手掛けつつはじめて父に出会うのだ。
このNKエージェントのシーンをみなで何度も研鑽している。
なかでも事務員・上村さんの発言、最初の「行ってあげて」と二番目の発言内容「行ってあげて」との異いについてだ。
実際の映画の場面では、事務員さんの二番目の「行ってあげて」の発言は大悟から「だとしたら、無責任すぎるよ」と大声で怒鳴られながらも、ひるむことなく何かに突き動かされるように立ち上がり大悟のそばに詰め寄っての「行ってあげて」なのだ。
ここが映画『おくりびと』のクライマックスだ。
最初の「行ってあげて」では通じなかったので、めげないで再度強く「行ってあげて」をプッシュしたから大悟の心を変えたのだろうか? そんな自分よりの観方・思い・考えの同心円・延長線上だけから、はたしてこの場面は生き生きと立ち現れてくるものだろうか? 
この間の文脈で言えば、

“ふとした機縁から気付いて、心が転換して、あの我が抜けた時の何とも言えん気持ちに立ち返って、そこから出発することで、”

に重なってくるものがあるようなのだ。
じつはこの二つの発言の出どころが全く異うことが肚に落ちるというか異いを知ることで、なぜか本当にスカッとするのだった。視野が急に広く明るくなったように感じるのである。
ところがここでの〝異うことが肚に落〟ちる勘どころを掴むことがじつに難しい。〝知的革命〟といわれている所以である。
それにしても〝出どころが全く異う〟ってどんなことなんだろうか?

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わが一体の家族考(110)

映画『エロデ大王』

先述したように1959(昭和34)年7月24日三重県警から全国指名手配された山岸巳代蔵は、各地の会員宅などを転々としながらも、9月中旬から自意出頭する翌年四月十二日まで滋賀県堅田の地に住んだ。この間疲れ切った身体の回復に努めると共に情勢がある程度進展するまで出頭を見送りたいとの心境行動からであった。
またこの時期こそ、かねてからの久しい宿願『月界への通路』の宿稿、なかでも〝ヤマギシズム社会における真の恋愛・結婚観〟はどういうものであるかをまとめるまたとない機会でもあった。
そのことは必然〝熱湯事件〟(昭和34年1月17日)等に象徴される〝随分むごい我抜き、剛研鑽実践やら、私の愛情の混乱から起こる狂態等〟に対しての悔恨や猛省を促した。
たしかに恋愛や結婚は楽しいはずだと思うが、不安だったり、苦しかったり、悩ましい思いをしたりするのは、必ずどこかに結婚条件・資格が欠けているからだ。
そこから我のない人を求め、我のない人を造るに急にして、自分を救うことにウカツだった。
山岸巳代蔵には、目の前の福里柔和子は世界一の我執の固まりに見えていたのである!?
しかしヤマギシズムと現実との、どうも相一致しない矛盾に割り切れないものがあった。本当にそれだけだろうか?
この間の〝血みどろの愛欲史〟に塗り潰された期間をどうにかくぐり抜ける中で見出されたものがあった! 大発見があったのだ!
まずは自らの悔恨や猛省ぶりを山岸巳代蔵と福里柔和子間で交わされた書簡などから今一度振り返ってみよう。

“柔和さえ、それきめつけとちがうかねと云わしてくれて、エッそうかしらと素直に聞いて、共に我執の正体、みんながあれだけの人がなぜあれに気づこうとしないのだろうかと不思議がっている、簡単に判る筈の我執について調べてくれたら、判れば持ち続けられない柔和でもあるし、柔和さえ、柔和さえを連発して来た。”

“今の今まで柔和さえ、柔和さえ、柔和を楽になってもらうためだと云い、実は苦しめ続けて来たことに気がついたよ。”

“苦しいのも悲しいのも、他でなくて自分にあったね。自分でこうありたい、こうあらねばならんかのように決めつけて、そうならないに対し、苦しみ悶える我があったね。他人ばかりを見ていたね。あの人がこうさえしてくれたら、あの人がこうだからなどと、自分さえそうはまいらないのに、人がそう着々とまいるものですか。あの人がわかってくれさえしたら楽になってもらえるのにと、その人が楽にならない事を苦しみ悶えている僕だった。”

その頃、キリスト生誕にまつわる伝説に登場する暴虐な王、ヘロデ大王の半生を描いた映画『エロデ大王』(1959年12月1日公開)見た柔和子は手紙に映画の感想をしたためた。
次のようなストーリーだった。
映画・エロデ大王

“約二千年前のパレスチナは、エロデ大王の暴政の下にあった。勇壮な戦士であり、神殿や都市の建設に力を注ぐ彼も、人民に対しては暴君であった。彼はローマのアントニオと同盟することで勢力を保持していた。ところが、アントニオの軍が、シーザーの養子オクタヴィアヌスに敗れたことから形勢は逆転した。王宮内には謀反の機運が高まり、エロデ大王の地位は危うくなった。彼は自身でオクタヴィアヌスのもとに出かける決心をした。
出発に先だち、彼は腹心の部下アロンを呼んで、残酷な命令を下した。自分が狂気のように熱愛する王妃マリアムを、もし自分が帰らぬ時は殺害せよというのである。
王が出発してしまうと、マリアムの母アレッサンドラが陰謀の口火を切った。息子のアリストブロを王位につけようと計ったのである。折から王はオクタヴィアヌスにより獄につながれているとの報が入った。叛乱は爆発した。アロンは命令どおり王妃殺害を計った。だが、妃と王子アレッサンドロの姿をみると、彼の手はにぶった。暴徒から二人を守ってアロンは脱出した。
その時、エロデ大王が突如帰国した。彼はオクタヴィアヌスを言いくるめるのに成功したのである。復讐がはじまり、妃の母や、その子で妃の弟アリストブロは殺された。その上、王は妃のマリアムとアロンの仲をさえ疑った。アロンは捕えられて拷問され、妃も、狂った王に殺されてしまった。
死後、妃の潔白を証明する事実が現われたが時すでに遅かった。ますます狂気をつのらせた王は、三人の東方の王が、彗星に導かれ新しいユダヤの王の生誕を祝いにきたのを耳にした。
彼は、その年にベツレヘムで生れたすべての赤児を殺害した。無人の王宮の中で、マリアムの名をよびながら、エロデ大王は彷徨った。キリスト文明到来の前夜の物語である。”

山岸巳代蔵はこの手紙の一言一行に、鉛筆で○や×や下線等で強調したり、〈同感感激〉〈一緒に見たかった〉等と書き込んでいる。
二人とも、エロデ大王と王妃マリアムに自分自身を重ねていた。
そして〝最愛の妻さえも責め殺すような、前世紀の遺物(剛研鑽での我抜き)に死守して〟いた自身を振り返り、

“どうかどうかエロデ大王に成らさないでね。アレを教訓に僕も好んで成らないよう努力するから、”

と誓うのだった。

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わが一体の家族考(109)

メビウスの輪・二人の一体
メビウスの輪

山岸巳代蔵のこうした複数の女性との〝愛情研鑽現場〟での狂態、本人はそこから真なるものへと打ち続く本質的な世界への入口を見出したとも言うが、あまりに理解をはるかに超えたものだった。

“甘えているものではない
 二人の女等にこだわっての問題と違う”

と自己弁明しつつ、

“理念と現象と、一貫して見ないと。”

ともいう。
もちろん自分らも所謂複数婚の修羅等に眩惑されてはならない。ヤマギシズム結婚観の核心部分へと分け入っていきたいと思う。
手がかりとして、例えば先の〝柔和子に寄せる〟に次のような一節がある。

“本当の僕になりきって聞いて欲しい、知って欲しい。”

という。例えば乱暴している姿を見て、非難しないで、苦しいのだろうなぁと共に苦しむ〝同情者の立場〟でもなく、何であんな事するのかと〝何故の立場〟でもなく、検事、裁判官や教師の立場でもなく、

“顔も姿も心も体も、年令、性別も凡て、全く愚かさも、幼稚さも、僕そのままになって聞いて欲しいよ。淋しがりやで、自制心のない僕になりきってね。”

と、判断等、後の後の回しで、寸分違わぬ同じ僕になりきってね、と呼びかけているのだ?
どういうこと? 〝本当のお互いになりきる〟なんて、そんなこと実際可能なのか?
あの表側がいつのまにか裏側に繋がっているという不思議な〝メビウスの輪〟のようなものか?
次のようにもいう。

“僕と柔和との恋愛結婚は真なるもので、心・情・感等の世界では、我執の出没によって波立ち、言動・現象は結婚したり、解消したりしているように見誤られるが、感の世界の基なる無感の真の世界では、恐らく絶対動かない、離れようのない真の結婚だと思う。
従って何時か其のいずれか(両方にありそう)にある我執が消えた場合、心も現象も完全無欠の完全夫婦と必ずなるであろう。
過渡期に如何なる波乱万丈の混乱事象が起ころうとも、末は必ず真なるものに落ちつくもの。
人間であるから思い違いはいくらでもある。それは赦されるが、それを持ち続け放そうとしない我執は、いつでも赦されない。自分が苦しみ悩むものである。”(我執の害毒は殺人狂よりも悪質なり)

いったい何を言わんとしているのだろうか。
ここでは我執の有る無いは問われていない。これほど〝我執の害毒は殺人狂よりも悪質なり〟と断言しているわりには、〝我執の出没によって波立ち、言動・現象は結婚したり、解消したりしているように見誤られる〟と我執が有ることに案外寛容なのだ!? たんなる修辞的な逆説表現だろうか?

否、それが〝我のある世界での研鑽態度〟なのだ。自分が気狂い、乱暴者、ひねくれ者、我で苦しんでいる幼稚な人になりきって、〝同じ二人が一つになれてから〟、そんな〝二人の一体〟から仲良くほのぼのの気分で問題を解いていこうというのだ!
この間の愛情研鑽現場で、ヤマギシズムと現実との、どうも相一致しない矛盾に翻弄され続けてきた。真なるものには、悩み・苦しみはないのが本当なのに、いったいこの苦しみはどこからやってくるのか?
理屈ではその通りだと思うが、そうなれませんと言っている相手を、これでもかこれでもかと責め苦しめ、自らも自分で自分をどうすることも出来ない苦しみから脱却できい責め手、受難史の数々。
それが今や、そうも行かない不思議な謎が解けたのだ!
それが〝我のある世界での研鑽態度〟、〝本当のお互いになりきる〟ことだった。一体になることが先だった!?

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わが一体の家族考(108)

〝仲良くほのぼのの気分〟で

先述の、ふとした機縁から気付いて、心が転換して、あの我が抜けた時の何とも言えん気持ちに立ち返って、そこから出発することで

“こんなにも仲良く、親しく、溶け合えるもの、好き合えるもの”

の歓びが展開する、そんな我を超えた〝Ecstasy〟の世界に住みたいと思う。それは自分らの切実に欲求する〝真の幸福〟それ自体を体現することでもある。
人生のスタートであり、人生の最大目標であると思える〝恋愛・結婚〟は、現在最も深刻な問題とされ、ほとんどの人を修羅地獄に落としてきた。ずいぶん不合理的なものを結婚などと思い違い等をして、正しい結婚をする条件が揃ってないのに結婚していると思う間違いが、日常の生活面や、精神的な面に現れて、何か物足りないものや不都合な事態を引き起こしている現今世情である。
決め手が発見出来ないでいた。
山岸巳代蔵もまたこの間、自分自らをまな板に乗せる〝血みどろ〟の愛情結婚劇の渦中に立たされて逃げ出さずよく演じてみせた。それはひとえに全人苦悩する人の一人もなくなることを願ってのことだった。
そしてついにそこから〝だれでもたやすく真の結婚の楽園へ入れる〟鍵を見つけた発見の歓びがもたらされた。
それでは、真の結婚とはどんなものか?
それは至極簡単である。

――結婚、恋愛は楽しいのが本当――
――頑固者は真の幸福結婚が出来ない――

それがそうも行かないのは、
○固い殻着てては、一体になれないから。
○夫婦は先ず心の一致から…
といった以上の数行ですべてが言い尽くされる。

三重県警から全国指名手配された山岸巳代蔵は各地の会員宅などを転々としつつあった頃、福里柔和子宛てに次のように書いた。はじめにこの間の

“随分むごい我抜き、剛研鑽実践やら、私の愛情の混乱から起こる狂態等で、柔和が繰り返して云う如く、夫婦として楽しかったのは東京帰りの数時間だけだったのは本当ね。次から次と責めせっかんで、一日たりとも心から楽しい日が恵まれなかったね。すまないことをしたね。”

と詫びつつ、

“本当の僕になりきって聞いて欲しい、知って欲しい。特に今の僕を知って欲しい。傍らから見ていると、何とはがゆく、解りの悪い、勝手な、信用の出来ぬ、くだらん男に見えるだろうが、その解りの悪い、くだらん男になりきって、最後まで、こんなに云うのには、何かがあるのじゃなかろうか、聞いてやろうじゃなくて、僕になりきった自分の心の声を、僕が得心のゆくまで、一度だけでも聞いて欲しいのです。そうでなかったら、研鑽を基調とするヤマギシズムもなく、柔和の絶叫した真の一体研鑽もないと思う。僕も柔和になりきって聞くから、もうこれで云う事ないと得心のいくまで聞くからね。顔も姿も心も体も、年令、性別も凡て、全く愚かさも、幼稚さも、僕そのままになって聞いて欲しいよ。淋しがりやで、自制心のない僕になりきってね。
私の性格など、きめつけないで、一日も早くお互いになり変わって、そしてどちらかの一体になり合って、話しかつ聞きたい。代わり番こになってね。”(柔和子に寄せる)

と、同じ二人が一つになれてはじめて醸しだされる〝仲良くほのぼのの気分〟で、〝何とはがゆく、解りの悪い、勝手な、信用の出来ぬ、くだらん男〟をそのまま包み込み溶かしてしまおうと呼びかけている。
どういうこと?

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わが一体の家族考(107)

〝地獄の八丁目、即極楽の八丁目〟

1959(昭和34)年7月24日三重県警から全国指名手配された山岸巳代蔵は、各地の会員宅などを転々としながらも、9月中旬から自意出頭する翌年四月十二日まで滋賀県堅田の地に住んだ。この間疲れ切った身体の回復に努めると共に情勢がある程度進展するまで出頭を見送りたいとの心境行動からであった。
そして書簡という形式をとって、この間の経緯を振り返りつつ近況を会員に向けて伝えていた。
なかでも第二信は、山岸巳代蔵から福里柔和子に宛てた書簡という形式で寄せられた。その文末は、次のように記されている。
特講絵図

“月界への通路、開設着工”
地獄の八丁目、即極楽の八丁目
 きわまる所 必ず展ける。
 霊人より”

ここでの〝月界への通路〟とは、次のような意味であろう。

“私は一九歳の時、或る壁にぶつかり、苦悩の内に一生かけての仕事を始めたのです。そして人生の理想について探究し、真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟という信念を固め、只今ではその方法を「月界への通路」と題しまして記述し続けております。”(山岸会養鶏法)

結婚資格のなかった自分が、絶望のドン底におちいり数々の煉獄の試練・死よりもつらい数々の責め手、受難史をくぐり抜け、ようやくにして真の結婚の出来る資格がついて、誰でも容易く真の結婚の楽園へ入れる鍵を見つけた発見の歓びに満たされている、といったことだろうか。
あの『ヨブ記』からの一節――
「神は兄弟をわたしから遠ざけ
 知人を引き離した。
 親族もわたしを見捨て
 友だちもわたしを忘れた。
 わたしの家に身を寄せている男や女すら
 わたしをよそ者と見なし、敵視する。
 僕を呼んでも答えず
 わたしが彼に憐れみを乞わなければならない。
 息は妻に嫌われ
 子供にも憎まれる。
 幼子もわたしを拒み
 わたしが立ち上がると背を向ける。
 親友のすべてに忌み嫌われ
 愛していた人々にも背かれてしまった。」
 (ヨブ記19章13-19節)
のように、

“常識世界は冷たく酷だった。”

という実践の場に立たされてはじめてヒニクにも、
窮まる所、開ける救いの手。宇宙・自然界の愛護を受けて、ようやくにして解放されようとしている! 途が開け始めたのだ!
〝地獄の八丁目、即極楽の八丁目〟なのだという!?
なぜ地獄=極楽の〝即〟なのだろう? 〝即〟の中身がサッパリ分からない。地獄の八丁目から極楽の八丁目へ至る、そんな通路があるというのだろうか? いったい何処でどんな機縁で地獄から極楽へとヒックリ変わるのだろうか。
こうした自己問答を日々くり返す中でフト思い至る。
あれっ、たしかに地獄から極楽の世界を目指している訳だけれども、地獄の世界に住んでいて果たして極楽の世界へ辿り着けるものだろうか? すると次のような一節が浮かんだ。

“明日の幸福は、今日の歓びの中から生まれ出るもの。
もし、今日只今が正常・健康でないなれば、速やかにそれの原因を検究して、その間違いの部分を発見し、即刻それの解消を図ることである。
悲しい今日の中から楽しい明日は生まれない。”(研究家・実行家に贈る言葉)

早とちりしがちな軽率な自分を恥じる。地獄から極楽への通路は、〝それには出発に先だって〟解明しておくところから開設着工されるのだ。肝腎の〝先立ってあるもの〟をまるで他人事のように見過ごされている!
要は極楽の世界へは極楽の境地からしか辿り着け得ないのだから。

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