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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(142)

〝そこ〟に触れた時

例えば「ある愛の詩」の世界での〝そこ〟に触れた時、一瞬にして「叱られるかなぁ」といった憂鬱な気分が氷解し、何かほのぼのとした温かいものに包まれている〝自分〟を見たのだ。ただただうっとりと癒やされている自分がいた。
とても不思議な奇跡のような体験だった。

“無いものが、見えないものが見える人になるために、〝ふとした機縁から気づい〟た世界を通り過ぎないために、そこに立ち止まり、踏み留まって、行きつ戻りつを何度も何度もくり返し膨らませていくのだ。
何とも言葉で表せない感情でいっぱいになり胸が熱くなる〝この感じ〟って、いったい何なのだろうかと。
しかも〝この感じ〟に抱擁(つつ)まれて自足している自分とはどんな自分なんだろうか? それにしても彷彿と浮かぶあの恥ずかしそうな笑顔から一瞬のうちに蘇り、こみ上げてくる心の琴線に触れるものの正体は、いったい何なんだろうか? 
そうやって四六時中自分自身の実感に思いをめぐらせていると、ふと〝琴線〟の鉱脈を探り当てたような瞬間があった。底が抜けたような感触があった。実感をともなった体験の場に立ちあがった。”(わが一体の家族考116)

“心の琴線に触れるとは、ひょっとしたら〈性〉の琴線に触れるということだろうか!?”(わが一体の家族考87)

そうか、ここが自分で自分を尊重できて自分らしさに出会える場所だったのだ。何遍もくり返しくり返しひとりで立ち還っては勇気づけられた。自分の足でようやく一歩踏み出せたような嬉しさもあった。
漫画『ドラえもん』に登場するひみつ道具〝どこでもドア〟のように、
〝どこでもドア〟

何やる場合にでも、どんな場合にでも、あの時の心充たされた〝自分〟がいつもぴったり寄り添っていた。
はじまりの主観的な何か不思議な感情にすぎなかったものが、何時しか宇宙自然界の底に熱く息づくものにまで膨らんでイメージされてくるのだった。
以前研鑽した「実顕地用養鶏法研鑽会資料」の一節が浮かんでくる。

“その人の言う通りやろうとすることはその人になることで、その人の心になることで、方法のみを真似するわけではない。
一体になろうとするもので、一体とは無我執である。
その通りやれるかやれないかはわからないけれど、信じないで言う人の気持ちになってやってみようとするもので、そこに考える人とやる人の一体の成果が即ち本養鶏法が顕現される。
間違いなく完璧だからその成果を期待してやるものでなく、趣旨やあり方や仕組みに賛成して養鶏する目的や経営安定度の可能性にかけるもので、間違いなからんとして間違い多い過渡期も責め合いなく一体で励み向上さしていくものである。
それはヤマギシズム社会のあり方であり、そこに住む人の心情でもある”

じゃあ、その人の心って何?、自分ではない他人の心になぜなれるのか? しかも自分は大の人見知りで人が怖かった。そんな自分でもどうしたらなれるのだろうかと、いちばん思い悩んできた箇所だ。
それが一転して、そうか、そうだったんだ! 〝そこ〟に触れている〝自分〟が〝その人の心〟なんだ!?
ああそういうことか、とようやく肩の荷が下りたような深い安堵感に包まれるのだった。

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わが一体の家族考(141)

コロンブスの立卵鑽 
コロンブスの立卵鑽

ところが折悪しくというべきか、ある時たまたま風呂への行き帰りのすれ違いざまに実顕地造成の世話係だったSさんから「佐川節(『ある愛の詩』―引用者注)をきかせてもらったよ」とニッコリ声かけられたことがあった。
ショックだった。
というのも当時実顕地全体が有精卵の増産態勢の方へ力強く盛り上がりつつあった時期だったので、自分にはそんなマイナーで軟弱な私的な世界に入り込んでいる自分が否定されているように勝手に受けとったのだ。
さらに自分にとってその頃の一番の関心事は、〝そこの住人になりきる〟だった。そのためにも今までの頭でっかちな自分を解体したかったのだ。
それ以降、そうした実顕地に参画してはじめて自分にとって素晴らしい女性に出会えたという〝ぬるま湯〟的な感じ方・生き方を自己批判し意識して封印するようになった。
拡大発展の年だった。

“○会員拡大――特講拡大・旧会員の復活
○地元・同業者・関連業者との関係
○参画者の親子兄弟親戚の参画拡大推進
○実顕地生産物の増産拡大
○供給所 活用者の大幅拡張
○単位実顕地は夫々適正規模を目指して規模拡大
○単位実顕地は夫々一つ以上の実顕地を分家する
○実顕地が持たなくても実顕地で使える状態の土地や資金を拡大する”(正月経営研鑽会 研鑽課題より 1977.1)

しかもその頃社会を震撼させた〝連合赤軍事件〟も背景にあった。とても他人事には思えなかった。自分ら実顕地生活の中での組織や個人の生き方にも未解決で残されている重要なテーマのように漠然とながら感じていたからだ。
そもそも「〝ぬるま湯〟的な生き方を自己批判し意識して封印するようになった」こと自体の中に、今にして思えば連合赤軍事件と同質の芽が潜んでいたのではなかったのか?

組織によって個が安定するような依存型の人間によって構成された集団は、自ずと集団の安定が第一義の目的となり、どうしても固定化・閉鎖化していく体質となる。
そうだとしたら、すべてのことを自分のこととして為し、自分の生き方として生きるようになり、報酬の求めがなく、他に対して不平不満が一切なくなる〈個で充実し 個で安定する 依存のない生き方〉はどうしたら可能になるのだろうか?
長い間、個と組織の間でのジレンマを抱えてきた。個として何か〝してはならぬ〟ことをしているという、あの落ち着かない気分をどうしても払拭できないでいた。

後のあの2000年前後一人ひとりの本心からの〝今までやってきたことの根底からの見直し〟気運をとおして、歪みが一挙に噴き出した会組織全体の驚天動地の出来事は当然の帰結だった。
昨日までの同志相棒が、一転して心の底で軽蔑の眼差しを互いに向けながらわかれた。

はじめて自分はどうするんだと、イズム運動に真正面から直面せざるを得ない状況に追い込まれたのだった。
理想を追い求めるとは? 革命とは? 私が変われば世界が変わるとは? 反復して自分に問う以外に為す術がなかった。
その頃だった。なぜかあの封印していた〝佐川節〟の世界がよみがえってきたのだ!?

そしてふと妄想してみた。自分にとって〝ぬるま湯〟的な心地よくてずっといたい場所からヤマギシズムなるものにもし橋が架けられたらどんなにか素晴らしいことだろうなあと。本当に虫のいい話を思いついたのだ。自分が本当にやりたいことばかり追い求めていたら、ひいては全人幸福に繋がる? 

そんなバカな、と何度も何度も打ち消しているうちに、もうやぶれかぶれの捨て身の覚悟からの〝コロンブスの立卵鑽〟だった。
だから橋が架かったような感触が得られた時、ヤッターと思わず心の中で叫んだものだ。自分の中で閉ざされ眠っていたものが呼び覚まされた解放感とでも言えようか。
それが前述の自分自身の〝〈性〉の琴線に触れた〟実感がともなう体験だ。

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わが一体の家族考(140)

まるで自分のことのように

たしか〝ぼくが衣類と書物をいっぱい詰め込んだ重いリュックを背負って国鉄関西線・新堂駅に降り立った〟参画時(1970年9月)に、詩人・清岡卓行の当時の芥川賞受賞作品『アカシヤの大連』もリュックに入っていた。とても大事にしていた記憶がある。
アカシアの大連

あらすじはこうだ。
大連に生まれ育ち、東京の大学の一年生だった彼は、第二次世界大戦が終わる5か月前(1945年3月)に大連へ里帰りする。内向的な文学青年であった彼は、戦争下の生活に矛盾を感じ、生きる望みもあまりなく、自殺まで考える。戦争は終りロシア統治下の大連には、日本の内地に比べれば飢えの雰囲気もなく平和な面影がまだ残っていた。
彼は帰還船を待つ間に、知り合いの化学技術者の娘さんがデパートで働くのを手伝うことになり、……。
といった具合に日本統治下の大連の描写が続き、ただ往時を懐かしむ謂わば淡い郷愁を感じさせるだけの作品のようにも見える。
当時の選考委員の一人、作家・石川達三のむしろ受賞に否定的な選評は今読み返しても適切だ。

“私は躊躇した。ほとんど全篇が個人的な思考を追う(哲学的随想)のようなかたちで、どこまで行っても平板な叙述であって、立体化されて来ない。最後の短い一節だけでようやく小説になっている。”

その通りだ。うまく言い当ててるなあと感心した。
しかしその〝最後の短い一節〟から、不思議にも心底求めるものと応じるものが出会い全面一致する、そんなかけがえのないものに触れ得たような喜びが湧き上がってくるのだ!
そこで『アカシヤの大連』から〝最後の短い一節〟と思える中から心に響いたフレーズを抜き書きしてみる。
先のあらすじ、〝彼は帰還船を待つ間に、知り合いの化学技術者の娘さんがデパートで働くのを手伝うことになり、……。〟の次の場面からである。

“彼女はよく笑った。それは、彼に、洗ったばかりの葡萄の房の綺麗な粒がいくつも転っていくような印象を与えた。”

“ああ、きみに肉体があるとはふしぎだ!
彼は自分の胸から不意に湧いてきたその言葉に、たじろいだ。”

“彼女の出現は、急激に、彼の心の奥底に眠っている何かを揺さぶり起こしたようであった。”

“彼は、アカシアの花が、彼の予感の世界においてずっと以前から象徴してきたものは、彼女という存在であったのだと思うようになっていた。”

“彼は、いつのまにか、彼女と結婚することを夢みるようになっていた。”

“「彼女と一緒なら生きて行ける」という思いが、彼の胸をふくらませ、”

等々。なかでも圧巻は、デパートからの一緒の帰り道で、彼は彼女のとても風変わりな立振舞いに接した時であろう。
いつも同じ顔ぶれの数人の中国人の子供たちが駆け寄ってくると、彼らはにこにこしながら彼女に向かって小さな手の平を差し出す。すると彼女は十円紙幣を一枚づつ、彼らの小さな手の平の上に嬉しそうに載せる。
彼にははじめ、その光景が苦痛であった。

“しかし、同じ光景を何べんも見ているうちに、そこにある人間関係は、かつてのものとは全然ちがうものであるということを彼は知った。そこには、恵むものの傲慢も、乞うものの卑屈も、まったくないのであった。まるで、親しい姉と幼い弟たちの間におけるような、自然なやりとりの温かさだけが流れているのであった。”

そうだったんだ! 自分もまた作品『アカシヤの大連』に流れているものにずっと無意識に惹かれ、ヤマギシ会に出会ってそのことをついに〝ある愛の詩〟として確かめられたのだ、と。
今読み返してみても時代や背景はちがうけれど、まるで自分自身の結婚の経緯までの心の動きがそのまま再現されてあることに驚愕した。

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わが一体の家族考(139)

出会いは〈性〉であった?

この間の文脈に沿えば、かつてマルクスは「イェニーさん問題」から〝資本論〟の世界へと大きく逸れていくことで、たくさんの人に永く影響を及ぼすような盲信的な〝災い〟を残した。
先の見田宗介さんも〝高原の見晴らしを切り開く〟という本質的・根源的な問いから〝この共同体それ自体は、別に問題があってあまりうまくいかなかったという話も聞いている〟といった通俗的な〝にぎり飯談義〟へと大きく逸れていく。
自ら省みても一番肝心なところから気づかないまま脇道に逸れてしまうことはしょっちゅうなのだ。

それほど本質的・根源的な問いから出発して、ただ聴き・そのまま受け取り・逸らさないで踏み留まって〝あらかじめ個をこえたものの力〟(見田宗介)を内包している実態を〝透明に〟〝それ自体として〟浮かび上がらせることは未然で未知で未体験の出来事なのだ。
なにせ〝自分の一尺後ろにある宝〟はあまりに近すぎて可視化することも分離することもできないものらしい。
もう破れかぶれの気持で〝自分の一尺後ろにある宝〟とは、〝性を基盤とする恋愛・結婚観〟(わが一体の家族考87〈性〉の琴線に触れる)を指すのではないだろうか、とまで言い切ってみたのだった。
そこでそもそも自分自身にとって、山岸会(ヤマギシズム)との出会いは〈性〉であったのではなかろうか? といった問いから出発してみる。
そうかあ、あの時自分は〈性〉の琴線に触れたのだと今頃になって思い至る。
それはヤマギシ会に参画して直後の出来事で、数年後に手記としても書きとめていた光景だった。

“ぼくが衣類と書物をいっぱい詰め込んだ重いリュックを背負って国鉄関西線・新堂駅に降り立ったのは、たしか8月の暑い盛りであった。
関西線 新堂駅

そこから20分ほど歩けば、山岸会の一体生活体があるはずだった。これからの行方にどんな生活がまっているのか、それは未知であり不安でもあった。でも、すでにぼくは都会での生活に見切りをつけていた。
 翌日からぼくは養鶏の仕事の配置についた。今にして思えば、後にぼくの人生上の大きな転機に係わり、これからもぼくの生き方をたえず触発してやまないであろうYさん夫妻に出会ったのは、その日だった。一体生活体の中では格別珍しくもない、そのYさん夫妻について書いてみたい。
 その頃のYさんはまだ40代半ばであったが、すでに額はツルツルに禿げ上り、いつも健康そうな笑顔を絶やさず、外見は無類のお人好しの典型といえる人だった。奥さんもこまめに動き、世話好きで、田舎気質で、この人の担当するヒヨコ達は健康正常に育つ以外にありようがないとさえ思えた。この夫妻の言動から醸し出される雰囲気は、たんに鶏達に及ぼす影響にとどまらず職場の人間関係をもやわらかく包み込んだ。ほんとうの「仲良し」ってどんな状態かなどと考える必要はなく、Yさん夫妻のふだんの間柄を思い浮かべればそれで足りた。
 そうした他を思いやるYさん夫妻のさりげなく差し伸べられる心の手の恩恵を一番たくさん被ったのは実際ぼく自身ではなかったのか。 朝寝坊の得意なぼくは、時として朝一番の水やりやエサ見を怠った。そんな時は必ず奥さんが代ってやってくれていた。そして遅れてやってきたぼくの顔を見て恥しそうに、「フフフッ」と微笑むだけだ。ちっとも批難がましいことは言ってくれない。これはかなりぼくの胸にひびいたことの一つだ。休憩時のおやつ作りの時もそうだ。どうしてあんなに素早く用意できるのか、ぼくたち若い飼育係にとっては毎日驚異のマトであった。自分が作って自分で食べるよりも、みんなが「おいしい、おいしい」と言って食べるのを眺めているさまが、その場での奥さんにとっては最も似つかわしかった。山岸会とはアナキズムの流れを汲むものではないか、などと当時つまらぬことばかり考え、そうした複合観念に悩まされていたぼくの心に、Yさん夫妻のそうした笑顔や立居振舞はものすごく新鮮なものとして飛び込んできた。
 その後さまざまな時の経過を経て、Yさん夫妻の口から問わず語りに聞いたその来歴はざっと次のようになるだろうか。
 山々を水田が縫い込む山間の小さな部落で育ったYさん夫妻は、我が家のためにと一生懸命働いていた。そうしてもっと新しい農業のやり方はないものかと、近くに本部があった農業団体「愛善みずほ会」の熱心な会員でもあった。その頃すごく儲かって、それでいて手間のかからない養鶏の会があることを知った。早速庭先に200羽ほどの鶏が飼える鶏舎を建ててみた。それが山岸会との出会いのはじまりだ。ところが会発行の新聞でほんとうに鶏を飼うにはまず腹の立たない人間になるのが先決で、そうなるための講習会が毎月開催されているのを知る。「これはただ事じゃない」。
 その講習会に参加してからというものYさんの言動は一変してしまった。家の仕事に手が着かず、一人でも同志をつくろうと近所・友人・親戚、人を見るごとに講習会を勧めて歩いた。自分だけどれほど儲かって幸せになったと感じても、みんなが幸福にならない限り自分のほんとうの幸せはないと思ったからだ。仲間も次々と増える。ところがみんな自分の家の仕事はうちすてて他村へ拡大に、本部の研讃会にと出かけてばかりいる始末。どうしたらいいものか? そこでみんなで考えついたのは、お互いの家の仕事(田植・除草・稲刈り・脱穀に至るまで)を部落全体の共同作業としてやることだった。早速実施。 しかし、しばらくすると何か物足りない気持が湧いてきた。「ほんとうの一体って何だろう? 作業がいくら合理化されてもそれだけではたんに高い処へ土もちをするようなもんや」
 そうこうしている矢先、山岸会の方で「一体経営専門研鑽会」が開かれる。昭和33年の春頃だ。全国から集まった同志はほとんどみな自分の部落で共同作業をやってみて、なおかつ何か物足りないものを感じていた人達ばかりであった。そこで「百万羽構想」が山岸さんの録音テープで発表された。ストライキも社長もない、そんな養鶏の会社をみんなの財産を投げ出してつくろうといった趣旨の提案である。さあ、その場は一時騒然とした。自分はどうする? あんたはどう考える? 「そうやなあ、家庭はむろん支部でも何かがつまって出口を塞ぎ止めている感じがしてたし、ここらでひとつ踏み切ろう。同じやるからには大きくやろう、自分を最大に活かしてみよう」 Yさんはその場で参画の意志を表明した。
 それからが大変だ。財産整理に取りかかる。「ほんとにビックリしたわ。お父さんはあれ以来三重の四日市の創立事務所に出たきりで、時折お金が必要だから取りにきたと言うて帰ってくるだけ。ちょうど5月の田植の忙しい時期で、お母さんと私と近所の人にも手伝ってもらって泥まみれで働いているのに、お父さんからは毎日楽しみの連続ですと、人をバカにしたような便りが届いたり……」と奥さんは述懐するのだ。息子が出ていくのを止めてくれ、と見る人毎に頼み続けていたYさんの母親も終いには田圃か道中だかに倒れてしまう。もうあれだけ信じきってしもたらなんぼ止めてもあかん、部落の人達が話している。「でもなんやなあ、家財道具一切を処分するから帰れという電報が届いて四日市から我が村のバス停に降りたとたん、 "Y宅の家財道具一切を処分する 何時より せり市に出す"と書いた立札を見たときは、さすが我ながらやったなあと思ったわ」親戚中からは泣きつかれる。でも何も言うことなかったから黙り通した。「でも、やってみれば何でもないことやな」。
 こうして四日市に集結した大勢の仲間達と共に、理想社会実現の第一歩を踏み出す。それからのYさん夫妻の足跡を辿れば、現在の春日山への移転、入雛準備、山岸会事件、一年近くの行商、北海道での分場作り、各地の実顕地造成……と、白分がどうするかではなく、むしろどうしたらみんなのためになるかだけを考え行動していく〈旅〉が続く。「もう無我夢中でやってきたわ」。 ちょうどぼくが始めてYさん夫婦に出合ったのは、彼等が回り巡って久し振りに春日山に生活の場を置いてまもなくのことだったのだ。
 それからしばらくして、ぼくはYさん夫妻の娘さんと結婚することになった。ある日その旨を報告しに部屋へ行くと奥さんが居て少し顔を赤らめて「そうけえ」と一言いったきりだった。それ以降ぼくたち夫妻は何かに促されるように毎晩Yさん夫妻の部屋を訪ねた。別段かしこまった話をするでもなく、ただとりとめもなくテレビを見て帰ってくるだけの日が多かった。そんな中でこの夫婦の間柄から発散してくるものが、生活のすみずみにまで及んでいるのを知って、かつて思ってもみなかった無形の大きさにはじめて触れた思いであった。
 それからまたしばらくして奥さんが病気になった。ガンであった。Yさんは居を東京に移して毎日看護に通った。しかしまもなくYさんに見守られて奥さんは亡くなった。その時ぼくはある研鑽会に出席していた。そこへ人事係から電話が入ってぼくの家族が動揺するかもしれないから早く部屋に帰るようにと言ってきた。ところが意外と妻は冷静で、それよりそのことをどうおばあちゃんに伝えたらいいかと心配していた。でも、それはまた明日考えようと、その夜はひとまず親子四人一つの蒲団にみんな小さくなって寝た。
 正直なところYさんの奥さんの死はあっけらかんとして、実はちっとも悲しくはなかった。短い生涯ではあったけれど、その間誰が見ても頷く最も相合う夫婦として生き、かつ山岸会の基礎造りの仕事に精魂込めることができた事実からは、この世での至上の価値を生き切ったさわやかさが残った。そうぼくは見た。もっともその際にYさんの内面で起きたさまざまなドラマについては知るよしもないのだが……。
 こうしたYさん夫妻の間柄と生き方をそのまま、ぼくたち夫妻の間柄に、その生き方に重ねて行きたい、引き継いで行きたい願いが強くいま蘇ってくるのだ。
 以上がぼく白身の現在進行中の"ある愛の詩"の一節だ。(『ある愛の詩』1977.1) ”

今にして思えば、いい目にあったのだなあ、じつにいい思いをしたのだなあと、つくづく実感するのだけれども、当時はそれ程価値ある世界との出会いだとは想像だにしなかった。偶々Yさんの奥さんの死をきっかけに一つの懐かしい思い出として沸きあがった気持をそのまま言葉にしてみたのだった。

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わが一体の家族考(138)

未知で未然の〈性〉

先に見田宗介=真木悠介著の『自我の起原』から、次のような知見に触れての感想を記した。(わが一体の家族考128)) 要約すると
○性とは、個という存在の核の部分にはじめから仕掛けられている自己解体の爆薬である。
○自我がじぶんの欲望を透明に追い求めてゆくと、その極限のところで必ず、自己を裂開してしまうという背理を内包している。
○そのことはまた、“産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力”が人間にも貫通しているからだ。
鮭の産卵

“産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力のようなものが、自分の中にも流れているのではないかというのだ。そんな〝あらかじめ個をこえたものの力〟を内包している実態を、〝透明に〟〝それ自体として〟求め取りだすことができると、そこにはじめて〈性〉があらわれるというのだ!?”

個体は個体自身ではない何かのためにあるように作られている。
個体は不可解な力に動かされるように性を求める。
とても刺激的で優れた知見だ。
最新刊の著書『現代社会はどこに向かうか』(岩波新書2018.6)に於いても、その知見は変わらない。

“依拠されるべき核心は、解き放たれるべき本質は、人間という存在の核に充填されている、〈欲望の相乗性〉である。人によろこばれることが人のよろこびであるという、人間の欲望の構造である。”(6章高原の見晴らしを切り開くこと)

そして同じ章の中で、次のようなエピソードが紹介されている。

“最初にわたしが連想したのは、1970年代に若い人たちをひきつけていたユートピア的な共同体たちの一つの実験だった。この共同体では、労働が全然強制されない。仕事はやりたい人が好きな仕事をやればよく、もちろん生活は保障される。というものだった。そんなことで社会というものが成り立つものか、そんなまちがった甘い幻想はおれが行って粉砕してやる、という固い決意をもってこの共同体にのりこんだ人がいた。その人は釣りが好きだったので、毎朝ご飯を食べると、共同体の仕事をしている人たちの中をこれ見よがしに釣り竿をかついで、近くの川か池に通った。帰ると夕ごはんをおいしく食べて、ゆっくりねる。五七日目かに、だんだん遊んでいることが退屈になって、ついにニワトリの世話などをしはじめたという。もちろんがんばって、何十年もあそびつづけるということも考えることはできるが、そういう人は少ないと思う。仕事というのは、強制されたものでない、好きな仕事ならば、あそぶこと以上にさえも楽しいものである。
 この共同体それ自体は、別に問題があってあまりうまくいかなかったという話も聞いているのだけれども、仕事というものが、経済的にさえも強制されることがなくても、仕事をやりたいという動機づけだけで、社会は回ってゆくはずだという発想と、そのための果敢な試行自体は、さまざまなことを根本から考え直してみるきっかけとなった。”

多分Tさんのことだ。昼間から湯飲み茶碗に焼酎をなみなみつがれ「若いもんはもっとしっかりしろ。飲めっ」と差し出された懐かしい日々が蘇る。
ただここでの〝この共同体それ自体は、別に問題があってあまりうまくいかなかったという話も聞いている〟云々の箇所はあまりにも唐突な表現だ。〝高原の見晴らしを切り開く〟という根源的な問いから大きく逸れる〝にぎり飯談義〟(わが一体の家族考114)の部類だ。

ここでの〝問題〟とは、察するに以前マスコミが報じた「ヤマギシ会二百億円の申告漏れ」(1998.4.16)や「日弁連が学園に対し改善勧告」(1999.5.11)や「財産返還訴訟での最高裁判所判決」(2004.11.5)等のことを指すのだろうか。
それともこの間の文脈に沿って言えば、今自分が置かれている立場からの見方が邪魔して理想実現への出発点に立たなかった、またそこから踏み出さなかったところに帰因する〝問題〟なるものだろうか。
どちらにせよ、社会との関わり、自分自身との関わりで日々試され問われる他人事ではないテーマではある。

今求められているのは、自分らにとって未知で未然の〈性〉があらわれるまで、〝あらかじめ個をこえたものの力〟を内包している実態を〝透明に〟〝それ自体として〟浮かび上がらせることにつきるのではなかろうか。

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わが一体の家族考(137)

自分の一尺後ろにある宝

先述の〝自分の一尺後ろにある宝〟を「ヤマギシズム恋愛・結婚観」として見なすこともできるのでは、といった気づきから切れ切れの思いがくり返し溢れてくる。取りあえずメモしておく。

自分に先立ってあるもの。
自分の背後にあるもの。

あのメーテルリンクの『青い鳥』が思い浮かぶ。兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語だ。
真理は簡単なことにあり、それを軽く見過ごしたり聞き流してしまいがちだ。
青い鳥

“山岸養鶏では(技術20+ 経営30)× 精神50と、精神面を強調するのは、鶏を飼う場合の鶏や、社会との繋りを知る精神であって、自分一人よくなろうとの精神では、養鶏も絶対に成功しないとの原理精神のことです。”(『山岸会養鶏法』4頭の悪い人のために)

ここでの〝繋りを知る精神〟とは?
“人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、……”(『実践の書』)での、切ることの出来ない「と」において繋がっているものとは?
この繋がりさえ分かれば……。
自分とは今までの自我や自己主張するなどの自己からなっているだけでなく、繋がりの結び目としての自個からなっていると見なせるのでは……。
自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)。

以前このことを皆で研鑽していたら、若いK君が「こんなことかな」と話してくれたことがある。
村人総出での運動会があった。その時「運動会なんて出るの、一緒にやるのは嫌だなあ」とすごく思った。でも、皆参加するからと嫌な気持ちだったけれど参加してやっていたら「運動会を楽しんでいる自分を見た」という。
村の運動会

この感じっていうか、こんな誰でもがふだん体験していて、そんな事ありふれたことだと見なして顧みない、「嫌だと思っている自分がいて、それでも事実皆と一緒に楽しんでいる自分もいた」という気づき。
やりたくない自分とその隣にもう一人の自分がいる。その自分は、みんなと繋がってやっていきたいと思っている自分!
これはすごい発見というか、人と人との繋がりの中で楽しくやれている自分を見出して、そんな自分をもしっかり掴んでいく。分かりやすい具体例だなあと今でも心に焼き付いている。

ヤマギシ会会旨に〝われ、ひとと共に繁栄せん〟とある。
主体はわれにも、ひとにもなく、〝共に〟にあるとするなれば、〝われ〟とは先の
自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)
でいう自個(繋がりそのものの自己)を指すのではないか。自己からは〝共に〟の世界は絶対にあらわれない。
切ることの出来ない「と」において繋がっているものが主体である!?
そんな繋がりのあらわれが自分でもあるのだ。
「自分の一尺後ろにある宝」とは自個(繋がりそのものの自己)のことであろうか。
つまり「自分の一尺後ろにある宝」とは、ひょっとしたら〝性を基盤とする恋愛・結婚観〟から溢れ出る世界ではないだろうか。
なぜなら“人は、人と人によって生れ、人と人との繋がり”のうちに生きるからだ。
いわば〝人と人によって生れ〟の〈性〉として〝自分〟という主体がはじめに構成されているからだ。
自分より前に一つある実態のことを、〈性〉と呼んでいるのでは?
そんな「自分の一尺後ろにある宝」を、
〝何やる場合にでも、百姓するのでも、商売するのでも、教育でも、子供を育てる場合でも、どんな場合にでも、寝る場合にも、また食べる場合にも、或いは映画を見る場合にでも、散歩する時でも〟
「前向きに見ていて、ちょいと振り返ると……」
みんなの心をほのぼのと温かくするものがなぜか一気に湧き上がってくるようなのだ!

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わが一体の家族考(136)

先ず心の世界の解決から

ちなみに先(わが一体の家族考134)の山岸巳代蔵の、

“たいそうやね。自分の一尺後ろにある宝を前向きに見ていて、ちょいと振り返ると……。”

という発言からヒントを得て、〝自分の一尺後ろにある宝〟をあまりに近すぎて可視化することも分離することもできない「イェニーさん問題」というか自分らの文脈に沿うならば、長い間不問に付されてきた「ヤマギシズム恋愛・結婚観」と見なしてみたらどうなるのだろうか?
また20世紀最大の〝社会主義革命〟の社会実験の悲劇も、あの偉大なマルクスが「イェニーさん問題」から大きく逸れていったところにその真因を直接・間接的に見て取ることが出来るかも知れない。
あえて〝「イェニーさん問題」に踏み留まる〟ところから展開するものが必ずあるはずなのだ。

例えば一番肝心なところから気づかぬうちに逸れてしまうことはしょっちゅうである。 
養鶏の餌配合設計をやっていた時、「米ぬか(玄米を精米する際にとれる末粉)の在庫が無くなった、どうする」「取りあえず繊維質の多いフスマ(小麦を粉にする時にできる、皮のくず)で代替えしておこうか」といったやり取りを繰り返している中に、フスマの代替えに立って次を考えてしまい、いつしか当初の餌配合設計と大きくかけ離れた餌配合に驚いたことがある。
あの駅の車掌さん等の〝指差し呼唱〟の日々元に戻り毎回確認することの大切さに気づかされたことだった。
指差し呼唱

また日頃の実顕地生活を振り返ってみても、具体的な様々なことがテーマとして研鑚会で取り上げられるが、ややもすると常に何か問題があって、その問題(事柄)の処理・対応策になりがちである。たしかにそうした問題解決法は、常識的に考えられる無理のない策であろう。
しかしそうした日々の研鑽は、今自分が置かれている立場からの「それはこうしたらよい」という見解にすぎず、〝本当はどうか〟という研鑽には繋がっていかない。
根本のものを究めていかないで「こうやないやろか」「ああやないやろか」と積み重ねていくだけでは、だんだん変形されたものになって純粋なものが見失われて行きがちだ。
1960年頃、ソ連の社会主義革命の行き詰まりをみて山岸巳代蔵は言う。

“月の世界へ何ぼ行けても、やっぱり解決できないものがある。問題を解決していったらよいのに、自分達で手掛けているもので解決していこうとするので出来ない。”

ここに人間革命を並行しない社会革命の限界を自分らは見る。
1960年4月ソ連大使館員が春日山を視察しているが、そこで「おかゆを食べていても楽しい」という実顕地メンバーの発言に、大使館員の「それは観念論だ」と応えた記録が残っている。
いまふり返ると、こんな一挿話からでも失敗の原因のひとつが覗かれるようでじつに興味ぶかい。唯物論(マルクス・レーニン主義)も「物が豊富になれば人間は礼節を知り、世の中がよくなり幸福になる」と考えるひとつの観念思想にすぎないのだから……。
残されてきた一番肝心な部分とは何か。

“ちょっと心掛け変えたら、自分も子供も本当の仕合せになるのに、「私は私」でやる独走や。「ああいうことは嫌やから」、「いけないから」と自分で自分を裁く大間違いで、いつまで経っても気づかん。
そんなら段階を追ってなるかというと非常に迂遠で、かえって大きな躓きをした方が早い。あの人の、ある部分を採り入れてやるのはよいが、肝腎なとこを間違えてとって、その通りやったら大変なことになる。
なかなか良い人だが、自分の信ずることをやってるという独走的なものが問題だ。みんなの知恵と、肉体を含む力とか能力を寄せて、みんなの仕合せのために、より良く、より正しくを究明して実行できていく人が大事。これは、先ず心の世界かと思う。その転換というか、悟りが先やと思う。
自分の考えでやっていく、そこにどうしても一体になれないものがある。”(1960.9.9)

ここでの〝心の世界〟の内実を、〝自分の一尺後ろにある宝〟として「ヤマギシズム恋愛・結婚観」として見なすこともできるのではなかろうか?

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わが一体の家族考(135)

「イェニーさん問題」に踏み留まる

少しづつ「イェニーさん問題」の内実へと分け入っていこう。どこかでヤマギシズム恋愛・結婚観に出会えることを楽しみに……。
森崎さんが〝イェニーさんのことを思い浮かべながらマルクスさんはこの箇所を書かれています。〟という箇所は次のような一節である。
経済学・哲学草稿

“人間の人間にたいする直接的な、自然的な、必然的な関係は、男性の女性にたいする関係である。
この自然的な類関係のなかでは、人間の自然にたいする関係は、直接に人間の人間にたいする関係であり、同様に、人間に対する〔人間の〕関係は、直接に人間の自然にたいする関係、すなわち人間自身の自然的規定である。したがってこの関係のなかには、人間にとってどの程度まで人間的本質が自然となったか、あるいは自然が人間の人間的本質となったかが、感性的に、すなわち直観的な事実にまで還元されて、現われる。
それゆえ、この関係から、人間の全文化的段階を判断することができる。この関係の性質から、どの程度まで人間が類的存在として、人間として自分となり、また自分を理解したかが結論されるのである。
男性の女性にたいする関係は、人間の人間にたいするもっとも自然的な関係である。だから、どの程度まで人間の自然的態度が人間的となったか、あるいはどの程度まで人間的本質が人間にとって自然的本質となったか、どの程度まで人間の人間的自然が人間にとって自然となったかは、男性の女性にたいする関係のなかに示されている。
また、どの程度まで人間の欲求が人間的欲求となったか、したがってどの程度まで他の人間が人間として欲求されるようになったか、どの程度まで人間がそのもっとも個別的な現存において同時に共同的存在であるか、ということも、この関係のなかに示されているのである”(『経済学・哲学草稿』岩波文庫版)

ここで二十代の若きマルクスは、女性を肉欲の餌食や下女と見なす〝征服欲・支配欲・所有欲〟の感覚で構成されている170年以上前の19世紀中頃の社会背景を念頭に、そこに男性の女性にたいする関係がどの程度まで人間的本質になったかの現れを文化的段階として見ようとしている。
もっとも先の「イエスの方舟」の千石剛賢さんが、

“結婚ってなんだ、良心を麻痺させる淫行の場ではないのか。”

とか、「おひとりさま」の社会学者・上野千鶴子さんが、

“結婚は社会契約。「つがい」は繁殖期の行動。夫婦は子育ての戦友だ。”

と言い当てていたように、21世紀の現実とそんなに変わっていないことに気づかされる。
それよりも刮目すべきは、次の一節である。
〝男性の女性にたいする関係は、人間の人間にたいするもっとも自然的な関係である。〟
ここに「一対の男女の自然関係としての性」が直感的に捉まえられている!

この間の自分らの表現では、〝夫婦の繋がり、人と人との繋がり〟を知る精神、その繋がりさえ分かれば……、といった次元の〈転換〉を促す〝自己革命〟の出発点に立つことを意味している。
何度も繰り返すが、じつはここでの〝その繋がりさえ分かれば〟の理解が難しいのでなく、その繋がりへの〝出発点に立つ〟ことが容易ではないのだ!?
その後マルクスは森崎さんも指摘されるように、「イェニーさん問題」から大きく逸れ、人間疎外を基調とした貨幣の謎を解明しようと『資本論』の著述に向かっていく。
そのことはまたマルクス主義として20世紀最大の〝社会主義革命〟の社会実験の悲劇へと直接・間接的につながっていく。
だとしたらあえて逸らさないで「イェニーさん問題」に踏み留まるとはどんなことなんだろうか?

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わが一体の家族考(134)

水を問題にしないで城を救う法

ヤマギシ会に参画したての頃、次のようなことを研鑽したことがある。

“目標を実現する最善の方法は一つであり、理想はその方法に依って必ず実現できる。如何なる場合でも、その方法を重視していきたい。”

エッ!? 方法はたった一つしかないの? そんなバカな……とビックリしたことがある。
こうした日々のいったい何を言わんとしているのだろうか?といった驚きが、飽くなき好奇心となって今日まで続いている。

例えば次のような話も事あるごとに思い浮かんでくる。自分らの進むべき道を指し示してくれているようにも感じるからだ。
九州の方で、ヤマギシ会会員の有志で〝青い鳥農場〟が発足したが、すぐに行き詰まってしまった。そこでAさんが「何か立て直す方法ないか」「解体せずに、何か良い考えないか」と研鑚会に出した時のことである。(ヤマギシズム理念徹底研鑚会1960.7)
そこで山岸巳代蔵は軍記物や戦略史にある「白米城」の伝説を引き出して、〝起死回生の妙手〟とか〝奇策と見える正攻法〟と自ら名づける案を披露してみせる。
白米城伝説

「白米城」とは山城の落城を語る伝説で、籠城戦で敵に包囲されて水を断たれた時に、城にはまだ水が豊富にあると攻め手に信じこませるために、兵糧の白米を水に見立てたというもの。
攻撃側から見えるように白米を流し落として滝に見せたり、馬を白米で洗う光景を見せたりしたという。すると敵はこれを見て水では弱らんぜと、長期戦やなとつい気がゆるんだとき打って出て切り抜けたという話。

この案を、零位に立って聴いて欲しいという。簡単に素直に言おうとする焦点を聴いて欲しいのだと。
というのも、関係者の誰もが「水が問題や、水が問題や」と固く信じ込んでいる中で、〝この案〟の実行くらい荒唐無稽で軽く聞き流されてしまうことが多い象徴的な例なのだ!
水が足らないから、水が問題やと。その水水と言っているから、解決できないのだ、と!?

先(「と」に立つ実践哲叢38)で触れたあの〝のぼう様〟の〝田楽踊り〟の姿が思い浮かぶ。
山岸巳代蔵もAさんらのいつまで立っても一向に結論の出ない〝くよくよ小田原評定〟にしびれを切らしてか次のように発言する。

“たいそうやね。自分の一尺後ろにある宝を前向きに見ていて、ちょいと振り返ると……。”
“自分から殻脱ぐだけ、これ出来んかね。”
“財産なければ、知恵がなければ出来んでなしに、知恵が邪魔することがある。財産が邪魔することもある。青い鳥は九州の人達の内にあるということを気づいてもらえたら結構やと思うの。”

「イェニーさん問題」もまたしかり。
イェニーさんはマルクスよりマルクスの近くにいる。あまりに近すぎて可視化することも分離することもできないという先の森崎さんの発言と重なって尽きせぬ興味をかきたててくれる。

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わが一体の家族考(133)

「イェニーさん問題」

ここでの「イェニーさん問題」とは、カール・マルクスの妻、イェニーのことだ。森崎さんは語る。
イェニーとマルクス

“マルクスさんの思想のなかでもっとも可能性があるのは、男性の女性に対する関係のなかに人間の人間にたいするもっとも直接的で本質的な関係があらわられると言っておられるところです。マルクスさんのこの直感のことを「イェニーさん」問題と呼んできました。『経済学・哲学手稿』のなかでもっとも音色のいい言葉はここです。イェニーさんのことを思い浮かべながらマルクスさんはこの箇所を書かれています。”(歩く浄土200)

そう言えば学生時代、岩波文庫版の『経済学・哲学草稿』を読んでは一杯の赤線を引いた記憶がよみがえる。よほど心に響いたのだろう。例えば次のような一節、

“人間を人間として、また世界にたいする人間の関係を人間的な関係として前提してみたまえ。そうすると、君は愛をただ愛とだけ、信頼をただ信頼とだけ、その他同様に交換できるのだ。(略)
もし君が相手の愛を呼びおこすことなく愛するなら、すなわち、もし君の愛が愛として相手の愛を生みださなければ、もし君が愛しつつある人間としての君の生命発現を通じて、自分を愛されている人間としないならば、そのとき君の愛は無力であり、一つの不幸である。”

たしかにここで新婚ほやほやのマルクスは、イェニーさんのことを思い浮かべながら書いている。
しかもこの文章は〝貨幣〟と題して、貨幣は互いに矛盾しているものを無理やり結び付け、例えば愛を憎しみに変えてしまうものだと論じた後の締めくくりの一文である。
自分らはここから出発しようというのである?
森崎さんもいう。

“マルクスにとってのイェニーさんの関係をひとつの喩とすれば、イェニーさんはマルクスよりマルクスの近くにいる。あまりに近すぎて可視化することも分離することもできない。この性をそれ自体として取りだして対象化することは自己意識によってはできない。性はいつも自己に先立ち自己の手前にある。”

どういうこと?
この間の自分らの文脈に沿えば、先(わが一体の家族考116)で〝心の琴線に触れる場所〟と題した一節、

「“神がそばを通られてもわたしは気づかず
 過ぎ行かれてもそれと悟らない”(ヨブ記)
無いものが、見えないものが見える人になるために、〝ふとした機縁から気づい〟た世界を通り過ぎないために、そこに立ち止まり、踏み留まって、行きつ戻りつを何度も何度も繰り返し表現していくのだ。」

に当たるのだろうか。
軽く見過ごしたり聞き流さないで、そこに立ち止まり、踏み留まって、行きつ戻りつを繰り返していくのだ。

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わが一体の家族考(132)

森﨑茂さんからの励まし

自分らはいまどの辺りにいるのだろうか。
以前〝ヤマギシズム恋愛結婚観への足がかり〟と題して書いた文章を九州の方に住む森崎茂さんが思いがけず拾い上げてくれて、次へと向かう道標を示してもらったことがある。有り難い! 貼り付けてみる。

『贈り合いの経済』を書いた佐川清和さんの「自己への配慮」というブログをいつもどきどきしながら読んでいる。まだ一度もお会いしたことはない。昨年8月に公式サイトを開設したとき佐川さんから励ましのメールをいただいた。偶然に見つけて読んでいますと書かれていて、とてもうれしかった。読みにくい文章なので読んでくれる人がいるとは思っていなかった。なにかやむにやまれぬものを抱え、半世紀のあいだ同一の主題を追いかけている表現者だと思う。その佐川さんが「自己への配慮」の「わが一体の家族考(88)」で次のように書いている。

“たしか吉本さんは、例えば「一体」とか「全人真の幸福」といった誰もがそうだと認める理念を前にして〝息苦しさ〟のようなものが伴ってくるとしたら、次元の違うものとしてある集団と個の観念世界をごちゃまぜにして個の〈倫理〉として受け取ってしまうからだと考察された。そしてそこから「個人としての個人」「家族の一員としての個人」「社会的な個人」と分けて考えることで、自己欺瞞に陥りがちな三つが混同される観念の矛盾から解放されるはずだという独自の見解を自分らに托された。こうした吉本さんからの贈り物にこの間ずいぶん救われ励まされてもきた。
しかしここで吉本さんは、〈性〉に関わる家族の次元の領域を人間の観念世界が生み出す三つの次元の一つと見なされている。ところが実際そう見なすだけでは、集団と個の問題が心底解消されたという実感が湧いてこないのだ。ある意味人間の〈性〉の世界を社会の共同性への媒介と見なすだけでは、“無味乾燥・器物の世界に等しく、潤いのない造花の社会”(『ヤマギシズム社会の実態』)が現れてくるだけだ。一般社会の共同性の中へ〈性〉の世界が取り込まれて位置づけられてしまうだけのことへの危惧というか異和だ。
〈性〉の世界という一番肝心な部分が、未解決で残されている。そんな未知で未経験な事柄にいどみ、そこに何か新しいものを刻んだという事実を発見しかつ味わいたいのだ。”

引用のブログに先立って佐川さんは「わが一体の家族考(84)」で、ある気づきを述べている。

“社会学者・真木悠介(見田宗介)さんの著書『自我の起源』の中の「補論2 性現象と宗教現象」で次のような事例が紹介されている。
見田宗介

1980年代後半ヴェトナムからの難民船の幾つかが日本にも漂着したことがあり、偶然そのうちの一つを見たことがある。小さな木の船に、考えられないくらい大勢の人が乗っている。しかも漂流の月日の中で、いちばんはじめに死んでいったのは、小さい子供をもつ若い母親たちだったという。
つまり母親たちは乏しい食料を幼い子供たちに与え、自分たちは飢えて死んでいったのだと想像することができる。こうした難民船での出来事に心を動かされた真木悠介さんは次のように考察する。

“人間の個が、じぶんに固有の衝動に動かされながら、じぶんじしんを亡ぼしてゆき,類を再生産してしまう”
つまりこういうことだ。“わたしたちの欲望の中心に性の欲望があるということは、個としてのわたしたちの欲望の中心部分が、あらかじめ個をこえたものの力によって先取りされてしまっているということだ。性とは、個という存在の核の部分にはじめから仕掛けられている自己解体の爆薬である。個体は個体の固有の〈欲望〉の導火線にみちびかれながら自分を否定する”

性とは、自己解体の爆薬? どういうこと?
“自我がじぶんの欲望を透明に追い求めてゆくと、その極限のところで必ず、自己を裂開してしまうという背理を内包している”からだ。そのことはまた、“産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力”が人間にも貫通しているからだともいう。

以上のような難破船の話を知ったのは、森崎茂さんのブログ『日々愚案』の中の「歩く浄土182」からであった。そこで森崎さんは次のようにコメントされている。

“真木悠介はとてもいいことに気づいていながら、自己を裂開する背理をそれ自体として取りだすことができていないから、鋭利な気づきは外延論の背理として記述されるほかなかった。”

たしかに真木悠介さんはこの書の〝あとがき〟で、この仕事の中で問おうとしたことは、“どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることができるか、他者やあらゆるものたちと歓びを共振して生きることができるか”というとても単純な問題だと記されていた。だとしたら、先の真木悠介さんの〝じぶんの欲望を透明に追い求めてゆく〟とか森崎さんのいう〝自己を裂開する背理をそれ自体として取りだす〟とは、どんな内実を伴うことなんだろうか?

何かすごく大切なことがいわれている気がするのだ。
“産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力”のようなものが、自分の中にも流れているのではないかというのだ。そんな〝あらかじめ個をこえたものの力〟を内包している実態を、〝透明に〟〝それ自体として〟求め取りだすことができると、そこにはじめて〈性〉があらわれるというのだ!?
〈性〉は自我を裂開する力を内包している!”

佐川さんの気づきを「イェニーさん問題」(「歩く浄土200」)と呼んでみる。(「歩く浄土201」2017.10.8)


そうか、自分がこの間やみくもにかかずらわってきたテーマって、「イェニーさん問題」(?)だったのか!という驚きだった。

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わが一体の家族考(131)

皆が欲求する源泉の涵養

またかつて昭和30年代一世を風靡したヤマギシ養鶏について書かれた『山岸会養鶏法』の末尾に次のような一文が記されている。

“対立社会(現代社会)と総親和社会(理想社会)との根本的な原理の相違を、はっきりと把握するなれば、凡ての事柄が簡単に解決し、不平不満も、危惧不安も、世の中の紛糾も闘争も一切を無くして、万人がねがってやまぬ真実の幸福社会が実現するのです。”

ここでの〝根本的な原理の相違を、はっきりと把握するなれば〟の一節にずっと惹き付けられてきた。何しろ、ちがいを把握するだけで万事を解決することもできるというのだ!?
そんな魔法のような〝知的なるもの〟があるのだ! 
いったい〝根本的なもの・核心・真髄〟をつかむってどんなこと何だろう? こう問いかけるだけで心がワクワクするのだった。

今日まで理想社会が実現されなかった原因に、現在までの世界の人たちのほとんどが〝手段を目的のように取り違えている〟ところにあると山岸巳代蔵はいう。
例えば鶏で寄って来た人たちの本音は始め、「お金儲けたら幸せになれる」として「鶏飼うのもやはりお金儲けが目的」であった。そしていったんお金が儲かっても、「あっ、これでなかったな」と気づく人は少なかった。目的のための、お金儲けのための鶏を飼うについても、着眼点が違っているが故に〝鶏飼うのはお金儲けが目的〟だとする一つの観念から抜け出せない人が多かったという。

戦後日本の農業者が歩んできた道と重なる。
農業のみでは生活が成り立たないということから、本業としての農業の薄利を補う意味で、何かの副業なり出稼ぎなりを始めることがある。この副業なり出稼ぎなりは、出発においてはあくまで本業を維持する一手段であったはずなのだが、興味が出て面白くなってきたりすると、本業たる農業の使命を忘れてしまったり目前の経済面のみを比較して農業を低く評価したりして、つまるところ本業としての農業そのものを放棄してしまうようなことになる。

知らず知らずのうちに、手段が目的にすり替わってしまう逆転現象を起こしている。真目的ならではの〝みんなが一つになって仲良く楽しく繁栄していく〟といった中身からの感化よりも、心ならずも便宜的手段としての日常行動から来る感化の方が影響が大きいからである。
その人が目的を頭で分かるだけでは、目的そのものが観念的理想論に終わってしまい、その理想論すらいつの間にか忘れ去られていく。

ではどうあったらよいのか?
目的そのものを研鑽することだ。養鶏の場合だったら、〝養鶏する人が目的をはっきり知る〟ことだ。つまり目的の日常化である。目的を今日とは遠くかけ離れた先のことや方向性としてのみ置かないで、日常化する必要がある。自分自身のものというか自分の目的=心にすべきなのだ!
これこそ自分らにとっての〝ヒックリ返す〟革命だった!

先の下重暁子さんの発言に、

“一人暮らしなら自立せざるを得ないが、二人暮らしだと、つい甘えそうになったり、よりかかって楽な方法を選んでしまう。結婚のワナはそこにある。”
仮面夫婦

とあった。しかしだからといって、〝妻が夫に依存〟しない方向に〝かたち〟(方法)を整えることで、対等で自由な人間同士の夫婦の関係が実現するだろうか? 
目的そのものを研鑽するという過程を億劫がるならば、便宜的手段としての日常行動から来る感化に押し潰されること必定である。
むしろ皆が切実に欲求する願いから出発するなれば、互いに〝頼らない〟よりは〝頼りきる〟中に、むしろ必要に迫られて他の人の力を借りなければならない場面で、自ずと湧いてくる謙虚さなど心の状態をまずは涵養することだ。その次に頼りきれない部分を自分で力を付ける後先にあるのでは……。

いろいろの観念で目隠しされていて「本当に自分を気づかなかった」。それがたかが(?)こんな必要性の小さい産業としての養鶏や日々の暮らしを通してその一端を知らされる豊かさを今噛みしめている。

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わが一体の家族考(130)

正しきに戻す知的革命案

先のベストセラー作家・下重暁子著『夫婦という他人』のAmazonカスタマーレビューでの、〝それぞれの個を尊重して、共に水臭い関係にある〟生き方についての賛否両論が興味深い。
大方は、〝後味が悪い・寂しい・読んでいて心が暗くなりました〟との意見に代表されるのだが、下重暁子さんの本音での語り口の方にも現実味が感じられるのだ。 
どうしてなんだろう?
人間愛が人間社会には不可欠であるということぐらいは、既に過去幾多の宗教家、哲学者、思想家によって度々主張されてきた。それなのになぜ人間愛が、現実社会全体を流れるものにならなかったのだろう? 愛だけではすべてが片付かない現実社会においてはあまりにも無力な抽象的空想的な唱い文句にすぎなく感じられるからだ。人間愛を裏付ける何物かが欠けているからであろうか。ここに理想と現実との相一致しない矛盾に割り切れないものを感じる。
ある意味〝世はまさに逆手なり〟で、

“売ろうとすすめると、手を引っ込める。
取ろうとするから、やらぬと来る。
平和のために戦争し、神に祈って爆弾を恵む。”(「知的革命私案」山岸巳代蔵)

といった交換条件的や報酬期待的な上下感・勝ち負け感・損得金銭計算・所有欲、力の論理・支配者の論理・欲望の論理等々の逆手社会(既成)の常識観を永年通用させてきたからであろうか。
そしてその具体例として

“アメリカに日本の心が掴めたら”、“余剰小麦に剣を包まずに、サンタ爺さんに托し”て、“「日本は狭い、常夏のハワイを自由にお使いなさい」と来たら”、戦後史は塗り替わったかも知れないと、奇想天外な〝知的革命案〟を提案するのだ!? 
確かに逆手社会(既成)の常識観から見たら、付け上がった荒唐無稽な絵空事と一蹴されるのがオチであろう。
しかも当の逆手の世界に住んできた自分ら日本人にとっても、戦争に負けてすごすごと引き下がる〝負け犬根性〟にどっぷり囚われている。ここに今の対立社会の病根の深さ・複雑さを見る思いがする。
だとしたらこうした社会通念の旧い殻を破るのにはどうしたらよいのだろうか。

ヤマギシ会では当初〝鶏〟で「特別講習会」へ人を寄せた。〝鶏〟で変わった鶏舎建てたら目につくし、自分も気づいて、利益も目に見えて、「講習を受けようか」となっていった。
農業養鶏の鶏舎

実は〝稲作〟でもよかったのだが、講習を受けてやった効果がハッキリしないし、変わったことをやる方がどうも失敗したらしい。
だからあんな農業養鶏の鶏舎が日本中に建ったところで、どっちでもよかった。
ねらいは「鶏こそ」「金こそ」と思って飼ったところで労多くして功少なしと気づいてもらうことにあった。誰の心にもある本能的に欲求するものを呼び醒ます呼び水であった。
まずは当面の農家経済を潤す中で「なるほどなぁ」と気がついて、結局は我を張ってたら皆と共にやっていけないことが分かってくる。
方便と言えばいえるだろうが、鶏で寄ってホンモノになる近道ともいえた。
研鑚会では「他よりも優れたい、儲けたい」と思っている参加者を前に、何のために鶏を飼うのかとしつこく尋ねたり、鶏が病気になっても直ぐには治さなかったり、「卵を産まぬのが幸福ですわ」と公言してはばからなかった。現象によって一喜一憂しない人になる方便だった。
こうした常識では分からないことだらけの不可解さに、会を離れた人も多かった。
しかしそうなってからの「鶏も卵も、無いよりあった方が良いなぁ」というくらいの気持ちの中に、〝養鶏する目的〟とか〝人間生きる道の原理〟が秘められていたのである。

それでは「個」であることが価値や権利であり、男女の関係も個人と個人の夫婦関係になっている逆手社会(既成)の常識観を、〝ヒックリ返し〟て正しきに戻すとはどんなことなんだろうか。

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わが一体の家族考(129)

『夫婦という他人』!?

吉本さんが定義される〝対幻想〟の概念を今少し挙げてみる。

○人間が男ないし女としてしか存在し得ない世界。
○対幻想の具体的な、現実的な現れとして家族という形態がある。
○一人の人間として他の一人の人間と関係するとか、出会うという場にできる、その精神性は全部「対幻想」と呼べる。
○そういう一人の個人対自分以外の他の一人の個人との結びつきとか関係というのは、社会に対しても、あるいは自分一人に対しても違う精神性として区別される。
○自己と共同性を繋ぐものが対幻想という特殊な共同幻想となる。

こうした吉本幻想論はどのように拡張されるべきなのだろうか?
しかしいきなり〝幻想論〟を振りかざしても何なので、まずは身近な題材から…。
元NHKアナウンサー下重暁子さんの最新刊に『夫婦という他人』という著書がある。早速一読してみて、その率直な語りに好感をもった。紹介してみる。
下重暁子

“一人暮らしなら自立せざるを得ないが、二人暮らしだと、つい甘えそうになったり、よりかかって楽な方法を選んでしまう。結婚のワナはそこにある。”

として、互いにもたれ合わない謂わば他を侵す必要のない〈個で充実し 個で安定する 依存のない生き方〉の実例を自身の体験を通して語られる。曰く

“妻や母という役割が先にあって、夫や子供との関係も、個人と個人のつき合いではなく、役割としてのコミュニケーションなので、お互いに相手を理解することができない。”
“価値観も違えば、作法だって違う。いちいち目くじら立てて気にしていたら暮らしていけない。寛容の精神がなければ、他人となぞ暮らせはしない。結婚は、心の寛容さを養う良き修業の場と言わざるを得ない。”
“自分という個があっての結婚。”
“独立採算制なので、自分で稼いで自分で使う。何も遠慮はいらない。”
“一人づつの生活が二つあるわけで、”
“病気の時以外は、私はつれあいの面倒は見ない。”
“危なくなるとさらりとかわす私達夫婦の間の愛情とは何か。実は愛もその瞬間にすりぬけていっているのかもしれない。”(作家・島尾敏雄の『死の棘』を紹介しつつ―引用者注)
“なぜ結婚なのか。こんなに面倒で束縛されるものはないのに……。”
“一緒に生活するということは情が出てくるはずで、
情とは何か。それは思いやりである。四十年も一緒に暮らしていると、何が嫌で何が好きかもよく分かっている。
思いやりとは、その人の立場や性格や考え方を認めることである。”
“夫婦とは何なのか。二人で一対と考えていたら、どこかでくい違いは大きくなる。私達のように個としてそれぞれ邪魔をせぬように生きていても、時に驚くような出来事に出会う。まったく違う感覚や意見に、改めて違う人なのだという認識を深め、当然なのだという結論に至る。”

なるほど、〈個〉から出発するとこんなふうに結婚・夫婦生活が展開するのかとビックリした。この間、ヤマギシズム恋愛結婚観即ち〈性〉とか〈二人〉から出発する世界の可能性を探ってきた自分らにとって、改めてヤマギシズム結婚観でいう、

“真の夫婦はどこまでも夫婦一致で、二個別々に分けようのないもの、夫婦を切るなれば、男と女に分けられないで、粉々に細断しても、その細片のいずれもが一致夫婦の断片である。”

といえる〝一致〟の世界へとより一層の探究心をかき立てられる思いがする。
吉本幻想論に倣うならば、自己幻想(自己愛)同士の個体と個体を寄せただけの潤いのない造花の世界に住んでいるようなものだ。
なかでも作家・島尾敏雄の作品『死の棘』から夫婦愛の深淵について触れられている箇所で、自らの夫婦愛についてもサラリと省みられてはいるが、本当は作品『死の棘』に圧倒されるだけでなく、反面教師としてむしろそこで演じられた〈性〉の三角関係の修羅場を軽々と飛び出して解消されていく中にこそ、誰もが求める愛情世界が見出されるのではなかろうか? 実は本稿はそこを目指して書き綴っているのだが……。
確かに一人ひとりが〈依存しないで〉〈自力をつける〉という〈個〉であることが社会の安定には絶対に欠かせない要素ではあるのだが……。
そう言えば、

“結婚は社会契約。「つがい」は繁殖期の行動。夫婦は子育ての戦友だ。”(『ひとりの午後に』)

と発言してはばからない「おひとりさま」の社会学者・上野千鶴子さんの考え方にも重なるようだ。
今の社会風潮なのだろうか?
本来〝二人で一つ〟の対関係が、個人と個人の夫婦関係として何の疑いもなく語られるところに今の対立社会の病根を如実に物語っているように思えて仕方ない。

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わが一体の家族考(128)

幻想領域の関連図から

吉本さんの〝共同幻想論〟をうまく視覚的なイメージで表現できないものだろうかと考え込んでいた矢先、「与論島クオリア」を展開されている喜山荘一さんのサイトに出会った。
そこで、吉本隆明が設定した人間の観念領域、「個人幻想」、「対幻想」、「共同幻想」の三つはどう図にできるか、その試案です。として次のような関連図が示されていた。
喜山荘一 吉本幻想論の構造試案

なるほどなぁと感心した。
一つは「共同幻想」と「個人幻想」は〝逆立〟する関係にある。
例えば気の合う仲間同士で毎週集まろうといった〝決まり事〟を全員オール納得でつくる。しかし、そのうちに一人がある都合で出席できなくなる場合がある。すると、欠席する人には〝決まり事〟が重荷や抑圧や縛りに変わってくる。その辺りを〝逆立〟というのだろうか。
もちろん〝決まり事〟(共同幻想)なんて、個人の意志によっていくらでも原則変えられるはずなのだが、宗教・法制度・国家へと進展していく社会の共同幻想となると権利・義務などの様々な縛りが複雑怪奇な形相に変貌して介入してくる。中身は仲間同士の〝決まり事〟と原則同じだとはとても見なせなくなる!?
また男女の問題や家族の問題を含む「対幻想」の位置は、「共同幻想」や「個人幻想」とも異なり、たんに〝幻想〟としてのみ片づけられない〝永遠性〟を繋ぐ価値を内包しているはずだ。
そうした意味で、「共同幻想」と「個人幻想」の間に位置するのがふさわしい。「対幻想」の人間愛を基調とする本質が「個人幻想」に関わって〝芸術〟が、「共同幻想」に関わって〝母系制で同致〟の世界が現出するのだろうか。
先に吉本さんが、「ヤマギシ会という共同体の一体理念」が深まれば深まるほど、却って〝男女の結びつきが圧迫される〟という懸念」を抱かれていた発言は、ヤマギシ会は共同体の理想の原型として〝男女間と共同体との水準の同一化〟、つまり〝母系制で同致〟の歴史段階を想定されていたのではなかろうか?
もっといえば、対幻想が個人幻想や共同幻想に対して無矛盾の状態に一つの理想を描くことも可能だと考えられていたのではなかろうか。
喜山荘一さんの試案図から、〝母系制で同致〟という概念が〝未知の未来に向かって〟とても興味深い新鮮な発言として蘇ってくるようだ。

“人間がある最古の時代に、集団を組んで生活しながら、男・女としてそれぞれ〈性〉的にも組んでいたとするならば、このふたつの場面で人間はどうじぶんを使いわけているのか。そしてその使いわけにはどんな関連が存在するのかということであった。”(『共同幻想論』吉本隆明)

こうした発言から、家族は本来的にどうあったらよいのか?、が『共同幻想論』の一番のモチーフであったのではないかと推察される。
ともあれここでも自分らがやりたいのは、部分的ではない本質的な意味での〝性を発見する〟ことにあるとしたら、こうした対幻想の位置する独自性の追求の中に見出されてくるのかもしれない。

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わが一体の家族考(127)

自ずと湧いて来る人の情

ここで先の吉本さんの〝性の問題〟は人間にとって部分的なものだと一貫して見なす吉本幻想論について今少し触れてみる。
もちろん一人の人間だから、自己のなかに三つの観念が合わさって混合してあるのだが、
吉本幻想論

“皆さんがこれから生活していくときに、「個人としての個人」と「社会的な個人」をきちんと分けるようにしたほうがよいという話をしましたが、もうひとつ、人間には「家族の一員としての個人」とでもいうべき側面があります。(略)
「家族の一員としての個人」は、この二つの、いわば中間にある概念です。
家族とは、「個人としての個人」同士が、性的に結びつくことによってつくられるものです。どんなに大人数の家族も、もとをただせば一人の男と一人の女の関係から生まれます。
男と女が、性的な関わり――肉体的な関わりと精神的な関わりの両方を意味します――を根幹として一つの単位を構成し、そこから子どもができ、孫ができ、親戚が増え……というようにして広がっていくのが家族なのです。(略)
「個人としての個人」(自己幻想―引用者注)
「社会的な個人」(共同幻想―引用者注)
「家族の一員としての個人」(対幻想―引用者注)
この三つは次元が違いますから、何か問題が起こったときの解決の仕方も違います。ごちゃまぜにしないで、それぞれ別個に考えることが必要です。”(『13歳は二度あるか』2005.9大和書房)

そうすれば、三つの次元をごちゃ混ぜに受けとめて不用意に傷ついたり、自分が分裂して悩まなくてもよいのだと諭される。

こうした吉本さんからの助言に、〝そうだったのか!〟と随分励まされ救われた思いがしたこともある。
例えば現状の社会を少しでもより良い社会にしていくにはどうしたらよいのだろうかと四六時中まじめに(?)心の中で考えていると、日常生活の中で〝そうしなければならない〟といった不自由感、拘束感、自己欺瞞性に強く囚われる心理状態に陥ってくる!?
そして他人のちゃらちゃらした言動が気にかかってくる。
「あそこの奥さんはいつもパーマかけている。美容院に行く金どこから入るのだろう?」
「あそこはいつも砂糖をもらいに来る。そんなにたくさん何するのかいな?」
「あの人は夕方五時にはもう風呂に入っている。仕事をサボっているようだ」等々。
普通の家庭だったら、なんでもないありふれた隣近所のうわさ話ですむところが、同じ目標で集まった集団であるから始末が悪い。
典型的な誰もが陥るにちがいない〝理念と宗教〟の混線、混入ぶりである。随分振り回されたものだ。
あれだけ繰り返し口喧しく、

“信じないで、絶対正しいとしないで、やってみたらよいわね。”

と〝理念と宗教〟の区別を研鑽してきたつもり、言われてきたにも関わらず……。

だがしかし確かにそのようにも分けられるかもしれないが、それで〝矛盾〟が解消するわけではない。
なかでも〈性〉や家族といった〝私的〟な世界に関わるテーマほど矛盾に晒されやすい。
吉本さんはこうした個人から出発した三つの次元の一部分として〝人間の性愛〟世界を捉えようとされている。
例えば次のような場面がある。

“世で鬼のように云われる冷血漢でも、家庭ではよき夫であったり、やさしい父として心中に涙することもあります。”(『ヤマギシズム社会の実態』山岸巳代蔵)

この場面は吉本さんから見たら、

“〈性〉としての人間、いいかえれば男または女としての人間という範疇は、人間としての人間、いいかえれば〈自由〉な個人としての人間という範疇とも、共同社会の成員としての人間という範疇とも矛盾している”

と見なして、つまり次元が違うということを認識した上で、それぞれの次元についての考えをすすめたらよいとされる。

ここのところをヒックリ返して〝人間の性愛〟世界から出発できないものだろうか? 
〝家庭ではよき夫であったり、やさしい父として心中に涙することもあ〟るという、自ずと湧いて来る人の情から出発できないものだろうか?
言い換えると〝先ず自分が〟と突っ張りたくなる〝自分や自己や個人〟の考えから出発しないで、〝自ずと湧いて来る人の情〟に立脚しようというのである。
ここでの〝先ず自分が〟と、〝自分や自己や個人〟を省みることのないみずからの元の心に巣食う「所有」観念こそ真っ先に問われてくるのかもしれない。

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わが一体の家族考(126)

吉本幻想論の拡張

こうした古代ギリシアまで遡るフーコーの性の探求に対して、『対話 都市とエロス』(吉本隆明+出口裕弘 1986.11深夜叢書社)の中で出口裕弘は、フーコーはホモセクシャルな思想家、文学者で古代ギリシアでは少年愛が公認されていたから仕事の場をそちらへ移したのではないかといったうがちすぎた解釈をしている。

対して吉本さんの方は、「そこは全部翻訳されて、きちっと読まないと何とも言えないと思いますが、われわれの考え方からすると、たいへん珍しい、興味深いことになっているんじゃないでしょうか」といたって慎重だ。
そして、なぜ性がここで問題になるのか〝よくわからない〟として次のように語る。
吉本隆明

“フーコーがいうセクシュアリティの歴史みたいなものには、真理の問題、メタフィジィカルな意味の権力の問題など全部入ってしまうと思うんです。性あるいは性の歴史の問題のなかにそれを全部入れてしまう、そんな着想をしたのは、どうしてでしょうか。
われわれの感覚で言えば、性の問題は性の風俗、習慣の問題で、それ以上のことはない。その次元ではさまざまな問題があるけれども、それは社会制度の問題にもならないし、政治の問題にもならないし、権力の問題にもならないということになっていくんですが、全部そこに入れ込めるのはどういうことなんでしょうか。”

ここで吉本さんは、
“性の問題は性の風俗、習慣の問題で、それ以上のことはない。”

と〝性の問題〟は人間にとって部分的なものだと一貫して見なす自身の吉本幻想論に立って〝よくわからない〟と疑問を投げかけている。
そうか、そうだったんだ!
こうした観点から、この間何度か紹介してきたように思想家・吉本隆明さんの「ヤマギシ会という共同体の一体理念」が深まれば深まるほど、却って〝男女の結びつきが圧迫される〟という懸念を抱かれていたのだ! 引用してみる。

“「その『一体』というところでかんがえていちばん問題なのは、男女の結びつきの次元というのが共同体の次元と同一化してしまうことです。そこがものすごくきついんじゃないでしょうか。
かりにそういう男女がいるとすると、かれらは絶えず共同体の水準におかれようとする力を『一体』という観念から受けているから、男女のあいだに、ささやきとか、声にしなくてもわかるとか、そういう意味の微妙さがなくなっちゃうんじゃないでしょうか。ふたりでいるんだけれども、絶えず脅かされているといいますか、全部公開されているみたいな、そういう心理状態に絶えずさらされていることになる。
もし人間の性愛のなかに、色とか、味とか、匂いとかの比喩でいうべき問題があるとすれば、それが全部、無味・無臭・無色というふうになってしまうような気がするんです。
ほんとにそうなることはたぶんありえないから、絶えず解体にさらされるか、または、もし男女の結びつきがひじょうに親密になってくれば、共同体から出ちゃうという衝動をいつでも感じざるをえないみたいな、なにかそういうところでいちばん矛盾にさらされるような気がするんです」”(吉本隆明『対幻想 n個の性をめぐって』1985.1春秋社)

いったい〝われわれ〟って誰のこと?
こうした〝われわれの感覚〟こそ今本当にそうかどうかが問われているのだ。自分らがやりたいのは、個と集団の矛盾や対立や背反を抱擁(つつ)み込んで解消、乗り越えていくような道筋の開拓なのだ。

それはむしろ〈性〉を媒介にした〈一体理念〉を基盤というか〝主体〟に、自己の生き方そのものを配慮し陶冶(怒りを取り去る実践等々―引用者注)していくことで、真理に即応しようとする思想でもあるのだ! 

“真理主義、真理即応主義、合真理主義”(「ヤマギシズムについて」山岸巳代蔵)

“現代社会では、技芸(アート)はもっぱら物体(オブジェ)にしか関与しない何かになってしまい、個人にも人生にも関係しないという事実に私は驚いています。技芸が芸術家という専門家だけがつくる一つの専門領域になっているということにも驚きます。しかし個人の人生は一個の芸術作品になりえないのでしょうか。なぜ一つのランプとか一軒の家が芸術の対象であって、私たちの人生がそうではないのでしょうか。”(『倫理の系譜学について』フーコー)

それは吉本幻想論の拡張、即ち幻想論に先だってある〈性〉=〈ヤマギシズム恋愛結婚観〉から出発することを意味するはずだ。
これで少しは恩返しができるかもしれない。

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わが一体の家族考(125)

フーコーの中での〝転換〟

否、世界は広い。もう一人あのフランスの思想家ミシェル・フーコー(1926-1984)がいた。
ミシェル・フーコー

そう言えば本稿のタイトル「自己への配慮」も、近・現代では自己中心主義とか引きこもりを意味するものになっている〝自己への配慮〟という概念をヒックリ返して、むしろ肯定的な価値を持つものとして新たな命を吹きこんだフーコーの講義録から採ったものだった。
晩年の山岸巳代蔵が無固定の〝愛情問題〟に没入したように、かのフーコーも真理に即応する自己は、自己主張するなど自分という己にはなく、〝自己自身への配慮という愛情〟(「倫理の系譜学について」)それ自体にあるのではないかとキリスト教以前の古代ギリシア・ローマまでさかのぼっていく。
亡くなる三ヶ月前の最後の講義のための草稿の締め括りに次のような言葉を遺している。

“最後に私が強調しておきたいのは以下のことである。すなわち、真理が創設される際には必ず他性の本質的な措定があるということだ。真理、それは決して、同じものではない。真理は、他界および別の生の形式においてしかありえないのだ。”(『真理の勇気』)

ここでの〝措定〟の意味を、欠かせないものとして定めること、それ無しではあり得ないと定めることをいうなら、〝必ず他性の本質的な措定〟とは、山岸会会旨=「われ、ひとと共に繁栄せん」の精神に重なるにちがいない。主体はわれにも、ひとにもなく、「共に」にあるのだから……。
山岸養鶏でいう〝鶏を飼う場合の鶏や、社会との繋がりを知る精神であって、自分一人よくなろうとの精神では、養鶏も絶対に成功しないとの原理精神のことです。〟
の〝繋がりを知る精神〟にも重なるにちがいない。

第一巻『知への意志』の刊行から八年が過ぎ去っていた。こうしたフーコーの沈黙に、「彼はもうおしまいだ」「行き詰まっている」といった数々の噂が流れたという。
それが死の直前に刊行された第二巻『快楽の活用』、第三巻『自己への配慮』の中で、真っ向から〝性〟と〝倫理〟と〝真理〟の問題に向かい合うのだ。
いったいフーコーの中でどんな〝転換〟があったのだろうか。
晩年のインタビューで次のように語る。

“うまくいかないと気づいたのは、その仕事(『知への意志』)をしながらでした。重要な問題が残っていたのです。
すなわちなぜわれわれが性から道徳的な経験を作り上げたかということです。そこでわたしは十七世紀についての仕事ここからを放棄し、閉じこもって時を遡り始めました。
キリスト教の初期の経験を調べるためにまず五世紀に、それからその直前の古代の末期に。最後に三年間に、紀元前四世紀と五世紀の性についての研究で締めくくりました。”

そこから近代のキリスト教の道徳とは対照的なギリシャ・ローマにおける性道徳の形成を見出す。それは、

“性行動はギリシア人の思索のなかでは、愛欲の営みという形式、つまり統御しがたい力の闘争の場に属する快楽行為という形式のもと、道徳的な実践の領域として組立てられている。”

そしてそこからさらに、近代的な主体概念とは全く異質な主体概念を発掘する。
それは自己との関係はまさに性において創出され、実現されるという新しい生き方、新しい道徳がそこに展開されているのを見たのだ!
この性の道徳では、文字通りの〝快楽〟の活用やコントロールなどの様々な実践と鍛錬を通して、自分が道徳的な主体であることを確認し、自分の生き方そのものを〝生の一つの美学〟として顕現することにあった!
ここから欲望をもつ人間が〝性〟を通して真理にまで結び付く道筋を辿っていくのだ。
要は真理とか自己は認識したり描いたり解釈するものに留まらず、実践する・生きるべき・顕す・もたらされるものへと転回させたのだ。

それは人間の恋愛・結婚観の底に流れる〈性〉の問題は、快感、快楽、習慣、家族制度、風俗、禁忌と侵犯の問題にとどまらず〝真理の問題〟に入っていくものだという発見だった。

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わが一体の家族考(124)

他はもう枝葉末端の問題

またこんなこともあった。
昭和三三(1958)年夏、三重県阿山郡春日村(現在の三重県伊賀市)の春日神社の裏山の松林を切りひらき、「山岸会式百万羽科学工業養鶏」構想に命ぐるみ、財産ぐるみ投げ出して理想顕現に賭ける熱願行為湧き上がる中で、同時に〝愛情研鑚会〟なるものが開催されたのであった。
当時そうした事態の推移を見守る参画者や会員の〝混沌たる動揺〟の気持ちに以前触れたことがあった。

“山岸巳代蔵全集所収の年譜には、1958(昭和三十三)年 57歳
八月十二日 起工式を挙行。この頃、春日村の元村長中林宅の離れに柔和子と共に移る。その一方で頼子のいる四日市のアパートへも通う。
と記されている。
そしてそこから春日山に出向いては、養鶏の飼料設計や消毒方法や鶏どうしの尻つつきや羽食いなどを防ぐ手立てについての飼育係からの相談に乗ったりはしていたが、実際のところ愛情問題の解明にほとんど占められていた。
柔和子とは第三九回特講(京都、三鈷寺)で出会った福里柔和子(当時38歳)のことであり、頼子とは第四回特講(京都、三鈷寺)で出会った井上頼子(当時19歳)のことである。
その頃山岸巳代蔵は、京都向島に住む妻・志津子とは別居して、昭和三十一年秋頃から三重、四日市市の会員井上与男宅で井上頼子と住んでいて、昭和三十三年三月末には福里柔和子との婚約発表をすませている。
これには四日市支部の会員も動揺したらしい。そうした山岸巳代蔵の行動が四日市支部の研鑽会でも話題になったが、本人は一切弁解をしなかったので並みいる人々は二の句がつけなかったという。
かくして、三重県菰野の見性寺に関係者(頼子や柔和子らも参加)が一堂に集まって持たれたのが、暮れも間近い十一月の末から十二月の初めにかけての愛情徹底研鑽会だった。
菰野の見性寺

山岸巳代蔵にとっては、愛情に関する問題は、非常に大きな課題であり、一体世界における、無固定の結婚はどうあったらよいのか、これの究明・解明・実証こそ、その本願とする全人幸福への最大不可欠の課題とみなしていたようである。
一方、『百万羽』構想や会活動を現に進めている当事者らにとってみたら、またとない山岸巳代蔵の真意を問いただす場でもあった。
その一部がテープに収められて保存されている。引用してみる。

奥村和雄(『百万羽』参画者) まあしかし、この、愛情問題ちゅうか、これはもう、みなが非常に関心持ち、また、今の社会には受け入れられないと、二百年後の社会であればいざしらず、これが山岸会の進展に大きなマイナスになっておると、今としても『百万羽』の進展に非常に影響しているということも事実。また参画しておる人も、これがために非常に不安な気持になっている。本当の腹の底から力が入らないということ、これはまあ事実、私みたいなものでもそうなんですけどね。”

岡本善衛(会員・三重県県会議員) またあの、おそらくねえ、そりゃあ、あなたのような心境になったらどうか知らんけどね、しかし現実社会に生きる人間がね、そういうことなんかあり得ない。わしゃあ一番困るのはね、東京で、
「山岸さんっていうのはそういう状態で、山岸会はそういう問題、非常にルーズらしい。どういう考え方だ?」
と、こう訊かれる、わしゃあ、当然困る。
でね、「そりゃね、恋愛の我々の旧道徳というものよりも、もう少し高い所でね、見てると。だから恋愛の問題だけはね、たまたま旧道徳を超える場合があると思うんだ」と。
「しかし、山岸さんの現実の問題は僕は知らんのや」と、こう言うて逃げとるんですがね、しかし、これは私は一ぺんはあなたに訊きたいと。”

奥村和雄  エー、親父さんのその気持、よく分かっておるんですわ、それで根本的なものを解決せずして仕事が出来ないとね、これもごもっともなんですがね、それはもう別に言う必要ないんですし、春日や『百万羽』の事情を別に一応言う必要もないんだけれどもですね、やはり、この二七日からのこの研鑽会が非常に大きく響いておるということ、周囲に大きな反響を及ぼしておる、この解決を皆ですね、首を伸ばして嘆願しておるような形で待っておると、
「今にまだそれが解決せないのか」という、皆のですね、気持ですね、非常に混沌たるものが流れておるようです。
「それがあるから解決せよ」と言うんではないけれども、これをですね、最も効果的に焦点を絞ってね、一時も早く解決しなかったらね、まあそりゃ一歩一歩前進しておるとはいうものの、ね、堂々巡りばかりやっておっちゃね、これで、エー、に終始してしまってね、エー、ま、これも一つの仕事の内だと言えば、それは当然のことでもありますけどね、そこを銘々しっかり銘記して、真剣にこれを推し進めていってもらいたいと思いますな。”

『百万羽』という偉大な事業を進めるにあたって、それに先立って私的な個人的なプライベートに属しているはずの〝愛情問題〟の真の解決がなぜ求められるのか?”(わが一体の家族考72)

関係者は皆、戦々恐々として研鑚会の行方を見守っていたにちがいない。
本稿「わが一体の家族考」を始めた動機の一つに、じつはこうしたある意味狂ったような山岸巳代蔵の〝愛情問題〟への取り組みの真意を探るためでもあった。
この〝愛情問題〟こそ、幸福への根本問題で、他はもう枝葉末端の問題だという。
こんなこと公言する人は、自分の知る限り山岸巳代蔵と千石剛賢さんの二人だけだ。
ここで自分らがやりたいのは、「なぜ〝愛情問題〟こそ幸福への根本問題で、他はもう枝葉末端の問題にすぎない」とハッキリ言い切れるその糸口をしっかりと掴むことにある。
ここが〝なかなか容易ではない〟などとつい弱音を吐きそうになると、それは〝自己革命が為されていない〟からだといった笑い声がどこからか聞こえてくる。

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わが一体の家族考(123)

何しにこの世へ出て来たものか

それにしても〝二人一人格〟のイメージが今一つリアルに膨らんでこない。
そこには根強い頑固観念の中にどっぷり浸かって暮らしてきた自分らがいる。
〝恋愛〟といい〝結婚〟といい〝夫婦〟という世界は、人生のある一時期直面する人間社会生活のホンの一部にすぎないという頑固観念だ。何しろ他に社会、政治、法律、産業、経済、教育、宗教等々の分野で取り組むことはたくさんあるのだから、いつまでもたわいもない〝真の幸福結婚〟などにかかずらっているわけにはいかないのであると。
以前にも紹介した「イエスの方舟」の千石剛賢さんは、そんな現状の結婚を

“結婚ってなんだ、良心を麻痺させる淫行の場ではないのか。”

と言い切って、

“男は女を愛することを、大げさでなく、人生最大の意義、ただ一つの価値というふうに分かっとらないかん。”
“夫と妻の素晴らしさは、一体の人格を発見するところにある”(『隠されていた聖書』)
千石剛賢

と強調する。随分こうした飾らない千石剛賢さんの語りに刺激された。
山岸巳代蔵もいう。

“人生最大の意義は「結婚の華」と「よりよき創造の実」の歓びであろう。”
“一体でない結婚など、
夫婦の真字・ふさい

(ふさい)などあり得るものだろうか。
何も出来なくとも、先ず我執をなくして一体に。
知恵、知識、能力、容姿に先んずるもの。”

他はみな真の結婚の何たるかさえもわきまえないニセモノなのだという。だから、

“五十歳、七十歳になった人も、今からでもやり直して、決して遅くはないと思う。
他を責め、批難している自分自らの結婚が偽物だったり、不徹底・不完全なものだったでは、ひと事をかまってるヒマもなかろうし、ただ一日でも真の結婚の妙境に浸ってから逝かないと、何しにこの世へ出て来たものか、人生の意義も覚らず、うとましい限りではある。”

として、諦めないで、

“人間社会を幸福の花園に飾る一番大切なことだけに、五十、六十、七十歳に歳をとろうとも、資格の揃うまでは結婚を焦らないことだと思う。”

と、〝真の結婚の妙境に浸って〟から逝けという!?
自分らは根本的な大思い違いをしているのかもしれない。ヤマギシズムの出発点に未だ立っていないのかもしれない。
共に真面目に考えてみよう。

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