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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

鈍愚考(10)

〝性としての人間〟像
レーニンの演説1920年5月5日

1960年頃、ソ連の社会主義革命の行き詰まりをみて山岸巳代蔵は言う。

“月の世界へ何ぼ行けても、やっぱり解決できないものがある。問題を解決していったらよいのに、自分達で手掛けているもので解決していこうとするので出来ない。”(「第1回理念研鑽会記録」1960.7)

未解決で残されている一番肝心な部分とは何か?
1960年4月ソ連大使館員が春日山を視察しているが、そこで「おかゆを食べていても楽しい」という実顕地メンバーの発言に、大使館員の「それは観念論だ」と応えた記録が残っている。何の根拠もないやせ我慢として聞いたのだろうか。やがて物心豊満な豊かな明るい世界が来ることが見えての発言だったのだが……。
いまふり返ると、こんな一挿話からでも失敗の原因の一つが覗かれるようでじつに興味ぶかい。唯物論(マルクス・レーニン主義)も「物が豊富になれば人間は礼節を知り、世の中がよくなり幸福になる」と考える一つの観念論的な考え方にすぎないのだから……。
しかし同じ考え方の一つならば、物に満足すれば心の糧を求め、それにも満ち足りた世界を指向するのが本来の人間の考え方ではないのか?
ここに人間革命を並行しない社会革命の限界を自分らはみている。
このあたりを指して森崎さんは

“『資本論』は商品の分析から始まっていますが、分析の対象である商品が貨幣という共同幻想に支えられていることをマルクスさんは考慮しませんでした。『資本論』の最大の誤算がここにあります。”
“最大の謎である貨幣の共同主観的現実には一切手をつけていません。”
“『資本論』は貨幣という共同幻想の分析を通じて商品が交換から贈与へと転換するしかけとしくみこそ書かれるべきだったのです。”(「歩く浄土200:親鸞・マルクスとの架空座談」)

とふり返りつつ自分らの進むべき新たな道しるべを創ろうとされている。
そう言えば吉本隆明(1924-2012)さんも最晩年になって次のように発言されていた。

“一人一人の男と女が好きあって家族ができることの重要さは大変なものだという考えを持ってきました。それをなんとか理論化できないかと思い、対幻想の領域とした。
家族がそのまま親族や集団、社会に拡張して発展すると考えることはせずに、むしろ閉じていきながら、逆に人間を支えるものであることをしきりに考えました。
自分の人生にそれをどこまで当てはめることができるのか、自分ではよく分かりませんが、そういう思想を支えにしてきたことは確かですね。”
“個人より狭い「固有の個人」を意識しなければうまく解けないことがあり、そこが問題だという気がします。(略)それはとても大事なものですが、僕には明瞭に分からないもので、絶えず悩まされるものです。”(「江藤さんについて」『江藤淳1960』2011.10)

そしてそこから〝固有値としての自分〟という言葉を編みだされる。
この間の自分らの文脈に引き寄せれば
人は、人と人によって生まれ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能だ。しかも遠い離れた人との結合ほど良縁で、優秀な子孫が産まれる事実は、幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟・親子の間柄あることを示している。つまり人と人との社会連繋の切ることの出来ない真理性は、そこに人の情が自ずと湧いてくる〝性としての人間〟像としてあらわれるところにあるのではなかろうか。
そこに「わが一体の家族」をみてきた。
吉本さんのいう〝固有値としての自分〟とは、〝性としての人間〟像と重ならないだろうか。生涯にわたって吉本さんが考えあぐんだ〝自己幻想と共同幻想の矛盾・対立・背反〟とその解き方は、〝性としての人間〟像を自らの出発点にすることで自ずと解消されるのではなかろうかと。
先の吉本さんの発言にあった

“家族がそのまま親族や集団、社会に拡張して発展すると考えることはせずに、むしろ閉じていきながら、逆に人間を支えるものであることをしきりに考えました。”

とされるその〝拡張〟の方向についてである。
今もっとも解明していきたい主題はかつての「天声人語」子の発言、
「▼”私はあなた、あなたは私”という怪しげな論法で、男女関係などにも不審な点があるようで」(鈍愚考1)
からの”私はあなた、あなたは私”という怪しげな論法の〝拡張〟についてである。

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鈍愚考(9)

自己欺瞞的な矛盾の解消
ある愛の詩

森崎さんの発言
“わたしが「イェニーさん問題」と呼んできたところのものをそれ自体としてつかみださずに、性の世界を社会への媒介とみなしたからです。”
にあった〝性の世界を社会への媒介とみなした〟の一節にもう少し踏み込んでみる。

人間社会を組織する原則としての自由・平等のテーマは、古くて新しい今現在も続く実践テーマである。例えば一体生活(ヤマギシズム生活実顕地)発足時(1961年)当初から「一体生活をやっていると窮屈、自由がない」といった意見がよく出るが、どのように研鑽していったらよいのかと話題にされてきた。
それくらいまず一番先に出てくるのが、財布一つの一体生活をやっていこうとするとどうしても遠慮せんならんものが出てくるといった〝自由〟のテーマがリアルに迫ってくるのだ。皆と〝共にやる〟ことの楽しみ願望が一転して不自由きわまりない苦しみ現実に反転してしまうのだ!? 
なんで?

〝一体の家族〟を目指すものの結局は従来からの格家族単位に舞い戻ってしまう。理念やあり方は分かっていても、それが生活習慣となって自分の身につくまでの段階で寄った人の我執がそれを崩してきたというのだろうか?
吉本隆明さんが以前体験的にこのあたりを解明してくれたことがある。

“その「一体」(ヤマギシ会の理念―佐川注)というところでかんがえていちばん問題なのは、男女の結びつきの次元というのが共同体の次元と同一化してしまうことです。そこがものすごくきついんじゃないでしょうか。かりにそういう男女がいるとすると、かれらは絶えず共同体の水準におかれようとする力を「一体」という観念から受けているから、男女のあいだに、ささやきとか、声にしなくてもわかるとか、そういう意味の微妙さがなくなっちゃうんじゃないでしょうか。ふたりでいるんだけれども、絶えず脅かされているといいますか、全部公開されているみたいな、そういう心理状態に絶えずさらされていることになる。
もし人間の性愛のなかに、色とか、味とか、匂いとかの比喩でいうべき問題があるとすれば、それが全部、無味・無臭・無色というふうになってしまうような気がするんです。ほんとにそうなることはたぶんありえないから、絶えず解体にさらされるか、または、もし男女の結びつきがひじょうに親密になってくれば、共同体から出ちゃうという衝動をいつでも感じざるをえないみたいな、なにかそういうところでいちばん矛盾にさらされるような気がするんです。”(吉本隆明『対幻想 n個の性をめぐって』1985.1春秋社)

さすが思想家・吉本隆明だなあ、的確に分析されているなあと感心していた時期が自分の中で長く続いた。たしかにそのように考えるとそのような現象が現れ出た。人間は単独では絶対に生きられない社会動物・人間なのだから、個別観的な観方でなく〝共同体の次元〟つまり社会人間からの観方こそ欠かせないとしっかり考えていたのだから。
ところが現象は多くの同志・相棒が血縁の〝家族をやりたい〟といったやむにやまれぬ切迫感にかられてこの間実顕地を去っていった。
今の常識からかけ離れた「一体」理念で日常生活を律すること自体が無謀で間違った行為なのだろうか? 社会人間から〝一体の家族〟へと拡張されていくには、未だ究明されていないどんな要素が自己革命が求められているというのだろう? 
こうした自己欺瞞的な矛盾を解消するにはどうあったらよいのか? 自己問答をくり返した。  
そんなこんなから先(鈍愚考7)で引用された「わが一体の家族考(88)」での一節、

“たしか吉本さんは、例えば「一体」とか「全人真の幸福」といった誰もがそうだと認める理念を前にして〝息苦しさ〟のようなものが伴ってくるとしたら、次元の違うものとしてある集団と個の観念世界をごちゃまぜにして個の〈倫理〉として受け取ってしまうからだと考察された。そしてそこから「個人としての個人」「家族の一員としての個人」「社会的な個人」と分けて考えることで、自己欺瞞に陥りがちな三つが混同される観念の矛盾から解放されるはずだという独自の見解を自分らに托された。こうした吉本さんからの贈り物にこの間ずいぶん救われ励まされてもきた。
しかしここで吉本さんは、〈性〉に関わる家族の次元の領域を人間の観念世界が生み出す三つの次元の一つと見なされている。ところが実際そう見なすだけでは、集団と個の問題が心底解消されたという実感が湧いてこないのだ。ある意味人間の〈性〉の世界を社会の共同性への媒介と見なすだけでは、“無味乾燥・器物の世界に等しく、潤いのない造花の社会”(『ヤマギシズム社会の実態』)が現れてくるだけだ。一般社会の共同性の中へ〈性〉の世界が取り込まれて位置づけられてしまうだけのことへの危惧というか異和だ。
〈性〉の世界という一番肝心な部分が、未解決で残されている。そんな未知で未経験な事柄にいどみ、そこに何か新しいものを刻んだという事実を発見しかつ味わいたいのだ。”

といった文節に続いていったのだ。
みずからの「個別観的な観方でなく〝共同体の次元〟つまり社会人間からの観方こそ欠かせない」とか「三つの次元に分けて考える」としているところに異和感を覚えてきたのだ。
幸いにも二つの心当たりがあった。
一つはこの間ずっと不可解だった〝山岸会事件〟前後の山岸巳代蔵の〝愛情研鑽会〟での言動を「ヤマギシズム恋愛・結婚観」として普遍的にたどってみる試みである。そこから自分なりの実感が伴う〝一体〟の世界が鮮明に現れてこないだろうか。
もう一つは、じぶん自身のヤマギシ会との出会いは本当のところ何であったのかを〝ある愛の詩〟の世界を通して確認していく試みだった。

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鈍愚考(8)

「イェニーさん問題」とは
イェニー・マルクス

〝イェニーさん〟とは古典的名著『資本論』の著者カール・マルクス(1818-1883)の妻イェニー・マルクス1814-1881)のことだ。
森崎さんは次のように言う。

“マルクスが『経済学・哲学草稿』のなかで熱く語ったイェニーさん問題をそれ自体として取りだし、貨幣論ではなく『贈与論』を書いていたらマルクス主義という人類史の厄災は回避できたと思う。”

そこで二十代の若きマルクスが『経済学・哲学草稿』(1844)のなかで熱く語ったイェニーさん問題と呼ばれる箇所を、森崎さんのブログ「歩く浄土200:親鸞・マルクスとの架空座談」(2017.9.28)から引用してみる。

“男性の女性にたいする関係は、人間の人間にたいするもっとも自然的な関係である。だから、どの程度まで人間の自然的態度が人間的となったか、あるいはどの程度まで人間的本質が人間にとって自然的本質となったか、どの程度まで人間の人間的自然が人間にとって自然となったかは、男性の女性にたいする関係のなかに示されている。”(『経済学・哲学草稿』岩波文庫129~130p)

ここでの〝男性の女性に対する関係のなかに人間の人間にたいするもっとも直接的で本質的な関係が現われる〟と述べるマルクスの直感を指して「イェニーさん問題」と呼ぶ。
森崎さんは続ける。

“『経済学・哲学草稿』のなかでもっとも音色のいい言葉はここです。イェニーさんのことを思い浮かべながらマルクスさんはこの箇所を書かれています。”
そして次のように指摘される。
“それにもかかわらずこの大いなる気づきをマルクスさんは部分化し外延化してしまいました。男性の女性にたいする関係、あるいは女性の男性にたいするる関係と、人間の人間に対する関係はまったくちがいます。ちがうにもかかわらわず、マルクスさんは性の関係を社会関係に外延しています。そしてその外延関係を人間と自然の関係までさらに外延しています。”

つまりせっかく大切なことに気づきながら、一番肝心な部分をそらしてしまったのだと。そこに現れた〝私のただ一人のいとしいイェニー〟(マルクスから父への手紙1837.11.10―佐川注)との〝心情〟の部分に踏みとどまらないで、社会(共同体)の考察へと向かってしまったのだという。

たしかに20世紀最大の〝社会主義革命〟の社会実験の悲劇も、あの偉大なマルクスが「イェニーさん問題」から大きくそれていったところにその真因を象徴的に見てとることができるかもしれない。

“わたしが「イェニーさん問題」と呼んできたところのものをそれ自体としてつかみださずに、性の世界を社会への媒介とみなしたからです。”

ハッとした。
社会主義はなぜ人類史的な厄災を招いたのか? 全人幸福親愛社会を目指すヤマギシ会の試みがなぜ大きな壁にぶつかったのか? そしてヤマギシの村に住み始めてから今日までのじぶんをたどってみた手記『ある愛の詩』(1977.1)での

“朝寝坊の得意なぼくは、時として朝一番の水やりやエサ見を怠った。そんな時は必ず奥さんが代ってやってくれていた。そして遅れてやってきたぼくの顔を見て恥しそうに、『フフフッ』と微笑むだけだ。ちっとも非難がましいことは言ってくれない。これはかなりぼくの胸にひびいたことの一つだ。”
“それからしばらくして、ぼくはYさん夫妻の娘さんと結婚することになった。ある日その旨を報告しに部屋へ行くと奥さんが居て、少し顔を赤らめて「そうけえ」と一言いったきりだった。”

等々といった世界をマイナーで口にするのもはばかられるものとしてなぜ自ら封印してしまったのだろうか?
ともあれ自らどん底まで落ち込むなかで、ふっと甦ってきたのがなぜか胸が熱くなる「ある愛の詩」の世界だったのだ。本当に苦しいときに生きる力を与えてくれた!
あの、溢れ出る琴線に触れる感じはいったい何なんだろうか?
ひょっとしたら今まで退けてきたじぶん自身が触れた世界、先の島田裕巳さんの一週間の「特講」で触れた世界、『納棺夫日記』の著者・青木新門さんの触れた世界から現れてくるものを基調とすれば、理想実現への解決の鍵が発見されるかもしれない。
森崎さんに言われてますます「イェニーさん問題」から展開されるものに託していこうと考えるようになった。

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鈍愚考(7)

くめども尽きぬ源泉
吉本幻想論

先の島田裕巳さんの一週間の「特講」で触れた世界
“体の奥から何か暖かいものがこみ上げてくるようにさえ感じられたのである。私は解放感を味わっていた。”

また『納棺夫日記』の著者・青木新門さんの触れた世界
“澄んだ大きな眼一杯に涙を溜めた彼女であった。作業が終わるまで横に座って、私の顔の汗を拭いていた。”

そして手記「ある愛の詩」でじぶん自身が触れた世界
“朝寝坊の得意なぼくは、時として朝一番の水やりやエサ見を怠った。そんな時は必ず奥さんが代ってやってくれていた。そして遅れてやってきたぼくの顔を見て恥しそうに、『フフフッ』と微笑むだけだ。ちっとも非難がましいことは言ってくれない。これはかなりぼくの胸にひびいたことの一つだ。”

これら三者三様の思いがけない体験から溢れ出てくるものがある。なぜか自分の身体感覚に同調してくるような心地よい自分が自分を表現するくめども尽きぬ源泉を見つけた思いがするのだ。
これらの何となく共通的な似ている〝感じ〟をそのまま素直に感受・感知して、そこからもう一歩踏み出すことではないのか?
そんな思いをベースにブログを綴っていたら、ある時九州熊本在の森崎茂さんから励ましのコメントを頂戴したことがある。以前にも紹介したことがあるが、再度森崎茂公式サイト「GUAN」(http://guan.jp/)からコピーして貼り付けてみる。

『贈り合いの経済』を書いた佐川清和さんの「自己への配慮」というブログをいつもどきどきしながら読んでいる。まだ一度もお会いしたことはない。昨年8月に公式サイトを開設したとき佐川さんから励ましのメールをいただいた。偶然に見つけて読んでいますと書かれていて、とてもうれしかった。読みにくい文章なので読んでくれる人がいるとは思っていなかった。なにかやむにやまれぬものを抱え、半世紀のあいだ同一の主題を追いかけている表現者だと思う。その佐川さんが「自己への配慮」の「わが一体の家族考(88)」で次のように書いている。

“たしか吉本さんは、例えば「一体」とか「全人真の幸福」といった誰もがそうだと認める理念を前にして〝息苦しさ〟のようなものが伴ってくるとしたら、次元の違うものとしてある集団と個の観念世界をごちゃまぜにして個の〈倫理〉として受け取ってしまうからだと考察された。そしてそこから「個人としての個人」「家族の一員としての個人」「社会的な個人」と分けて考えることで、自己欺瞞に陥りがちな三つが混同される観念の矛盾から解放されるはずだという独自の見解を自分らに托された。こうした吉本さんからの贈り物にこの間ずいぶん救われ励まされてもきた。
しかしここで吉本さんは、〈性〉に関わる家族の次元の領域を人間の観念世界が生み出す三つの次元の一つと見なされている。ところが実際そう見なすだけでは、集団と個の問題が心底解消されたという実感が湧いてこないのだ。ある意味人間の〈性〉の世界を社会の共同性への媒介と見なすだけでは、“無味乾燥・器物の世界に等しく、潤いのない造花の社会”(『ヤマギシズム社会の実態』)が現れてくるだけだ。一般社会の共同性の中へ〈性〉の世界が取り込まれて位置づけられてしまうだけのことへの危惧というか異和だ。
〈性〉の世界という一番肝心な部分が、未解決で残されている。そんな未知で未経験な事柄にいどみ、そこに何か新しいものを刻んだという事実を発見しかつ味わいたいのだ。”

引用のブログに先立って佐川さんは「わが一体の家族考(84)」で、ある気づきを述べている。

“社会学者・真木悠介(見田宗介)さんの著書『自我の起源』の中の「補論2 性現象と宗教現象」で次のような事例が紹介されている。

1980年代後半ヴェトナムからの難民船の幾つかが日本にも漂着したことがあり、偶然そのうちの一つを見たことがある。小さな木の船に、考えられないくらい大勢の人が乗っている。しかも漂流の月日の中で、いちばんはじめに死んでいったのは、小さい子供をもつ若い母親たちだったという。
つまり母親たちは乏しい食料を幼い子供たちに与え、自分たちは飢えて死んでいったのだと想像することができる。こうした難民船での出来事に心を動かされた真木悠介さんは次のように考察する。

“人間の個が、じぶんに固有の衝動に動かされながら、じぶんじしんを亡ぼしてゆき,類を再生産してしまう”
つまりこういうことだ。“わたしたちの欲望の中心に性の欲望があるということは、個としてのわたしたちの欲望の中心部分が、あらかじめ個をこえたものの力によって先取りされてしまっているということだ。性とは、個という存在の核の部分にはじめから仕掛けられている自己解体の爆薬である。個体は個体の固有の〈欲望〉の導火線にみちびかれながら自分を否定する”

性とは、自己解体の爆薬? どういうこと?
“自我がじぶんの欲望を透明に追い求めてゆくと、その極限のところで必ず、自己を裂開してしまうという背理を内包している”からだ。そのことはまた、“産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力”が人間にも貫通しているからだともいう。

以上のような難破船の話を知ったのは、森崎茂さんのブログ『日々愚案』の中の「歩く浄土182」からであった。そこで森崎さんは次のようにコメントされている。

“真木悠介はとてもいいことに気づいていながら、自己を裂開する背理をそれ自体として取りだすことができていないから、鋭利な気づきは外延論の背理として記述されるほかなかった。”

たしかに真木悠介さんはこの書の〝あとがき〟で、この仕事の中で問おうとしたことは、“どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることができるか、他者やあらゆるものたちと歓びを共振して生きることができるか”というとても単純な問題だと記されていた。だとしたら、先の真木悠介さんの〝じぶんの欲望を透明に追い求めてゆく〟とか森崎さんのいう〝自己を裂開する背理をそれ自体として取りだす〟とは、どんな内実を伴うことなんだろうか?

何かすごく大切なことがいわれている気がするのだ。
“産卵死する鮭の個体をつきうごかすものと同じ力”のようなものが、自分の中にも流れているのではないかというのだ。そんな〝あらかじめ個をこえたものの力〟を内包している実態を、〝透明に〟〝それ自体として〟求め取りだすことができると、そこにはじめて〈性〉があらわれるというのだ!?
〈性〉は自我を裂開する力を内包している!”

佐川さんの気づきを「イェニーさん問題」(「歩く浄土200」)と呼んでみる。(「歩く浄土201」2017.10.8)

そうか、自分がこの間やみくもにかかずらってきたテーマって、「イェニーさん問題」(?)だったのか!という驚きだった。

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鈍愚考(6)

移動祝祭日(下) 
島田裕巳・青木新門

〝移動祝祭日〟とは、例えば若き日のそこでの様々な出会いや経験は、生涯にわたってその後の人生に消えることなく大きな影響を与え続けてやまない非日常性を意味するハレの要素を含み持つ日々を暗示しているはずだ。
そこが自分らにはヤマギシの〝特講〟であったり、その後の常識はずれの〝暮らし〟であった。
以前その証として、「自分はヤマギシ会の体験があったからこそ、宗教学者に成れた」とか「自分の人生の出発点は特講だった」と公言する宗教学者・島田裕巳さんの一週間の特別講習研鑽会(特講)体験記を会員集会の場で紹介したことがある。
こんな風に特講の〝怒り研〟でのじぶんの心の動きを言葉でうまく表現できるのかと思って我がことのように嬉しかったからである。

“私はしだいに、答えることばを失っていった。それは他の参加者の場合も同じだった。だれの答えも係を満足させず、即座に切り返された。参加者の発言が少なくなっていくにつれて、係の問い詰め方はきついものになっていった。会場の空気は重苦しいものに変わり、沈黙が続くことが多くなった。すでに時刻は真夜中になっていた。
おそらく他の参加者も同じように考えていたことだろうが、私は自分がなぜこんな目にあわなければならないのか理解に苦しんでいた。こんなことになるのなら、やはり参加しない方がよかったのではないか。一刻も早く、この状態から逃れたかった。しかし脱出のための糸口は、なかなか見えてこなかったのである。
ところが参加者のなかに、自力で脱出口を見い出した人間がいた。それは早稲田大学に通っている、私と同じ学生の女子学生だった。彼女は、「いま自分が腹を立てたときのことを考えてみると、腹が立たないような気がする。今度、そういうことがあっても腹は立たない」という発言をしたのだった。
この発言は意表をつくものであったが、私には納得することができた。彼女の発言を聞いて、体の奥から何か暖かいものがこみ上げてくるようにさえ感じられたのである。私は解放感を味わっていた。係の発する「なんで腹が立つのか」ということばも、怒りの原因を尋ねているのではなく、「腹を立てることなどないではないか」という反語的な表現として聞こえてくるようになった。その瞬間から、私にとって特講は苦しいものではなく、楽しいものに変わっていったのだった。”(『イニシエーションとしての宗教学』1993.1)

ここでの〝私には納得することができた。彼女の発言を聞いて、体の奥から何か暖かいものがこみ上げてくるようにさえ感じられたのである。私は解放感を味わっていた。〟といった心の動きに深く共感するものがあった。
二人で話す機会があった時、そのことを本人の前で話したら「自分にはあんな素直な文章はもう書けないよ」と喜んでくれた。

また映画「おくりびと」の原作になったとされる『納棺夫日記』の著者・青木新門さんの前で、あなたの書かれたここのところに自分も深く共感したと伝えられた時も読者冥利につきる思いがしたことがある。
納棺の仕事で行った先が元恋人の家で、意を決して中に入り作業に熱中していたらいつの間にか横に座って額の汗を拭いてくれる彼女がいた!

“澄んだ大きな眼一杯に涙を溜めた彼女であった。作業が終わるまで横に座って、私の顔の汗を拭いていた。”(『納棺夫日記』)

その時青木さんの眼に映ったものが行動を一変させる。翌日から白衣の服装に整え、言葉遣いも礼儀・礼節にも心がけ、真摯に堂々と納棺をするようになった。そんな一挿話が以来自分の心に鮮やかに焼き付いている。
妻や親戚や友人、そして地域社会からも白い目で見られていた自分にとって、丸ごと認めてくれたような恋人の瞳は救いだったという。
青木さんはそこに〝軽蔑や哀れみや同情など微塵もない、男と女の関係をも超えた、何かを感じた〟と言う。自分もそうした同じ経験もないのに同じように感じるのだ。この〝感じ〟っていったい何なんだろう? 

しかも興味深いことに、十年ぐらい前に話題になった島田さんの著書『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)に〝死の本質がわかっていない学者の本〟だとして真っ先に批判されたのが青木さんだ。
そうかもしれない。しかしそれでも私が変われば世界が変わる。島田さんの中にも青木さんの中にも、そして誰の中にも同じように流れ、響くものがあるのではなかろうか。

もちろんヤマギシの村に住み始めてから今日までのじぶんをたどってみた手記『ある愛の詩』(1977.1)とも重なってくるのだ。
そのことのみに的を絞って飽かずに日々確かめることがいつしか自分の天職にも感じられてきた。

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鈍愚考(5)

移動祝祭日(上)
移動祝祭日

〈もし君が幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、君が残りの人生をどこで過そうともパリは君についてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ〉(アーネスト・ヘミングウェイ1950年)

職場での日々の編集作業や「特講」写真の撮影・フィルム現像から焼き増し等の仕事はだいたい午前中に片付けて、午後はきまって夕方Oさんと二人で飲む焼酎のアテもかねての魚釣りや山菜採りに多くの時間を費やした。多分Oさんは自分の性格を見抜いてか何かと外へと連れ出してくれたのだ。人生における遊びの要素の大事さを身をもって伝えてくれていたのだと思う。
また意見があったらその場で言ったらよいのに後でウジウジ繰り言をくり返すそんなじぶんの性根を叩き直してくれた。

ヤマギシズム運動誌『ボロと水』の編集では、鶴見俊輔(哲学者、評論家)さんや「特講」に参加されたばかりの見田宗介(社会学者)さんに登場してもらっていた。そこで次回は、当時若者に人気があり自身もファンの一人だった詩人、評論家の吉本隆明さんに登場してもらおうと依頼の手紙をOさんにも推敲してもらって出したことがある。
その時は梨のつぶてであった。ところが3~4年してからご家族の方が実顕地にお見えになって一緒に伊賀島ヶ原の石仏探しに田んぼのあぜ道を歩いたり、お土産に採りたての栗を持ち帰ってもらったりした思い出がある。
晩年まで吉本さんには〝ヤマギシ会〟の試みが傍目にも危なっかしくて見ちゃいられなかったらしくよく話題にされていた。例えば、
山岸会式管理方式に象徴される〝疑似ユートピア〟を乗り越えるためのたった一つの指針となる原則として、

“すべての管理システムをもっている国家、社会、部分社会は管理される者の利害、健康、自由を最優先すること。これに反する管理システムは破棄されるか、または修正されること。”(『中学生のための社会科』2005.3)

だと人間が描きうる可能性の世界について言及されていたり、
また国税局による税務調査で申告漏れが指摘されたり、脱会者が次々と告発本を出したことも大きく影響したのか、生産している食品が売れなくなるという事態にも直面した時は、
「おやっ、これはいかんぜ。ヤマギシ会は社会に対して閉じている。もっと開かないと……」と最後まで心配をかけどおしだった。
そこには吉本さんからの熱いメッセージや励ましや温かい思い遣りが感じとれた。そうか、そうかもしれないと半分は同意し、半分はいや、ちがう。大事なものが未だ未然のまま残されているはずだと、その半分のところから催促してくるものが今も書き継ぐ源泉になっている。

またこの時期、『ボロと水』4号、5号で
○「前渉行程論(1)―〈養鶏法〉の位置と方向について」1972.9
○「前渉行程論(2)―ヤマギシズムの〈仕組み〉の特異な展開」1974.1
続けて会の機関紙『けんさん』で
○「インタビュー適正規模実顕地構想」1975.11
の三部作を編集した。
これは先述の実顕地造成機関の世話係だった杉本利治さんにその時のじぶん自身にとって一番の切実な問いかけを往復書簡の形でぶつけたものだ。
今ふり返ってみても、まさにぶつけたという表現がピッタシの感がする。そこには求めるものと応じるものとの全面一致の至福があった。よく真正面から受けとめてもらえたものだなあ、という感慨がどっとこみ上げてくる。

その頃(1975年の夏)現在宗教学者の島田裕巳さんは、大学四年生のゼミの潜り込み調査でコミューン(共同体)への関心から対象にヤマギシ会を選んだ。ところが一週間の特講で、本人の弁を借りれば回心してしまった。秋には関東の実顕地に参画してしまったのである。その彼も研鑽資料として当時熱心に読んだのが先の三部作だったと後で聞いた。
かくして1970年代は毎日が〝移動祝祭日〟のようにすぎていった。

そのことをもっとも象徴するのが会の機関紙に投稿した一文『ある愛の詩』(1977.1)だ。
何かやむにやまれぬ思いでヤマギシの村に住み始めてから今日までのじぶんをたどってみたものだ。書き終えて得も言われぬ解放感があった。しかし同時にいつまでこんなマイナーなことにかかずらっているのかと自己批判する自分もいた。
個と組織、自由のテーマが切実に迫ってくる前段階の日々でもあった。

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鈍愚考(4)

〝もう一つある〟?
合奏

先の金鶴泳の小説『凍える口』の一節に

“ぼくは吃音に囚われているのだった。”

とあるが、囚われが高じてくるとホント真剣になって一生話さなくても暮らせる生き方はないものかといった妄想がふくらんでくる。社会から逃げるばかりの神経症的なほとんどビョーキの世界へと入っていく。
では囚われから脱け出すにはどうしたらよいのか? そんなことばかり思っていた。そんな自分の切実でマイナーな問題と研鑽資料にあった〝二つの逆の考え方〟という言葉が重なって、なぜかここに長年の悩みを解く鍵があると直覚したのだった。ふり返ってみてあの時の〝もう一つある〟という発見にも似た新鮮な驚きはいったい何だったんだろう。
一週間の「特講」体験は人間の本来の姿への復帰そのものを実証する場であるとして山岸巳代蔵はその一例に吃音を取り上げている。

“どもりは劣等感からくるもので、どんな強度のどもりの人でも、恥ずかしがりでも、一週間の特講で劣等感が無くなり、今まで以上にわざわざ意識しないのに、演壇に立ってしゃべれるようになる。どもりの人はぜひ参加されよ。
事実かどうか疑われる人は、どもりの人を連れて参加し、すでに四日、五日目頃にどもりが治って、人の中で自分も気づかずに話している事実を見られることであろう。”

以前よく町中の電柱なんかに〝どもり・赤面、治します〟などと貼ってあった広告を連想しがちだが、藁にもすがる思いだったからかここでの〝事実を見られる〟という表現に強く惹きつけられた。先の〝事実その中で生きていく強い自分を見出している〟という一節とも重なり、自分を今日まで支え続けてくれる言葉になっている。
ここでの〝事実〟とは何なんだろうか? しかも見られるとは?と自問自答をくり返しているとなぜか〝やってみよう〟とする勇気が湧いてくるのだ。
人と人との繋がり(あいだ)の病理を説いている精神医学者の木村敏さんはいう。

“この「あいだ」というのは、個人と個人が出会ってはじめて両者の間に開かれるような関係のことではない。むしろ、それがあってはじめて個人が個人として成立するような、個人の自己に構造的に先行しているような、だから一人ひとりの個人の存在の基底に深く根をはっているような、そんな「あいだ」のことである。あるいは西田幾多郎をもじってこう言ってよいかもしれない。―個人あって「あいだ」あるにあらず、「あいだ」あって個人あるのである。
「あいだ」を個人の生命活動の源泉にある生命的自発性が立ち現れる場として見定めたことによって、わたしはその後、そのような「あいだ」によって媒介された個別主体性と集団主体性との関係を、統合失調症という、個人と社会との関係の病理を理解するキーコンセプトとして常用するようになった”(『あいだ』ちくま学芸文庫)

かつて吃音という囚われから脱け出すことばかり思い詰め〝ほとんどビョーキ〟の世界を彷徨っていたからか、ここで何が言われているのかすぐにピンときた。次のような発言もある。

“「自分が自分であること」の根拠が「人と人とのあいだ」にあるという事実”

“音楽の場合にも、音と音との「あいだ」は単なる中断や休止ではなくて、そこにおいてはじめて、その両側にある音が全体のなかでの位置づけと意味とをあたえられ、音楽を構成する楽音として析出してくる場所であり、この析出のはたらきが「ま」とよばれることになる。”(『自分ということ』ちくま学芸文庫)

要は〝囚われから脱け出すにはどうしたらよいのか?〟などと思いわずらう考え方の延長線上にはもう一つある〝考え方〟は見出せないときっと言われているのだ。
言いかえれば〝もう一つある〟のもう一つの気づきとの出会いは、代替えとか二者択一を意味する〝オルタナティヴ〟や対抗文化を意味する〝カウンターカルチャー〟から大きく飛び出した世界を暗示しているようだった。

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鈍愚考(3)

スリリングな実践
自動券売機

ヤマギシの村に住み始めてしばらくして、職場配置が養鶏部からヤマギシズム出版社に変わった。後に出版社の先輩であるOさんから、その頃発行されたヤマギシズム運動誌『ボロと水』第二号に掲載された作家・島尾敏雄に触れた文章を読んで感じるところがあったのだと聞かされた。というのも、あんな昼行灯な人間に出版活動が勤まるのかという反対意見を押し退けての選出であったらしい。

仕事の一つに、薄暗い倉庫に積まれた山岸巳代蔵に関する資料の整理があった。その中に「ヤマギシズム生活実顕地について―六川(むつがわ)での一体研鑽会記録から」というほこりをかぶったガリ版刷りの冊子があった。
現在の六川実顕地(和歌山県)が誕生する直前の研鑽会記録だ。
何気なしにぱらぱらとページをめくっているうちに、次のような一節に釘付けとなった。

“投機やバクチまでやった人はちょっとおもしろい。肚が出来てるというか……。誰でも底にあるから、そういう体験――そこから気づいていけるものだが――それのある人は話が通じる。早い。破産して立ち上がった人は強い、絶対線を持っている。まず心が出来てからは強い、安心。安心から出るものは軌道に乗っていく。よし失敗しても、それを体験として生かしていける。(略)
暗く見る人と、事実その中で生きていく強い自分を見出している人と、二つの逆の考え方がある。暗く見える人はそればかり見える。心の解決できた人は、やがてそれが明るい豊かな世界が来ることが見えている。”

ここでの〝事実その中で生きていく強い自分を見出〟すといった表現に惹きつけられた。そう、そう、こんな感じ。ああ、こんな風にうまく言い当てることができるんだ、と飛び上がるほど嬉しかった。あたかも自分が自分に出会えたような喜びに包まれた。

というのも学生時代からの自分の一番の悩みは、吃音にあった。思うことを思うとおりに気楽に話すことができないくらい辛いことはなかった。自分の無力さに打ちのめされてきた。
そんな風に感じていたからか、ずっと自分の心を慰めてくれるものを求めていた。例えばその頃文芸誌で見つけた一編の小説を我がことのようにくり返し読んだ。

“切符を買うにも声が詰まり、レストランや喫茶店で注文するのにも声が詰まり、ちょっとした会話でも吃り吃りでなければ話せず、電話に恐怖し戦慄し、さようならを言うのにも難儀する人間にとって、吃音以外のことがどうして問題となりうるだろう?”(金鶴泳『凍える口』)

今でこそ自動券売機で気軽に切符が買えるが、当時は窓口で行き先を告げなければならなかった。これが難儀なのだ。とりわけ山手線の〝高田馬場(タカダノババ)〟という駅名が言いづらかった。そこでいつも十円高くても比較的発語しやすい一つ先の駅名(目白) を告げて切符を買っていた。
そんな馬鹿げたことをやっている自分にほとほと愛想が尽き果てていた。ふと気づいたことがあった。切符を買うには、やっぱり駅名をはっきりと告げなけねばならない。ルールに従ってタ・カ・ダ・ノ・バ・バと。
誰もがやっている当たり前のこと。やってみるしかないのだ!
前もってコントロールできないのだから、なおのこと上手くいくか吃ってしまうか実際やってみないと分からない。そのことが不安で不安でたまらない。でも畳の上の水練で、やってみないと分からない。
自分のなかでは〝あっ、そういうことか!〟と何か吹っ切れたような気がしたのだ。

それにしても自分という人間が〝事実の中〟にあり、そこでの〝強い自分〟をそのつど見出してはヤッターと快哉を叫ぶような、そんな観方・考え方は何ともこっけいでもあり不思議でならない。
最近になってフランスの哲学者エマニュエル・レヴィナス(1906-1995)の弟子を自称する内田樹さんが自身のブログで次のように語っていたのを知った。

“例えば、私は中学生の頃、とつぜん「た」行で始まる単語を言おうとすると吃音になるという時期があった。
「たかだのばば」と言おうとすると単語が出てこないのである。
駅の窓口で「う・・・」とうめいたきり立ち尽くすということが何度もあった(当時は自動販売機がなく、窓口で行く先を告げて切符を購入したのである・・・というようなことを説明しないといけない時代が来ようとは)。
しかたがなく、高田馬場へ行くときは「目白」とか「池袋」といって切符を購入した。
このような言語活動上の「偏り」は主体的決断でどうこうできるものではない。(略)
それについて「正しい」とか「間違っている」とかいう判断は誰にもできない。「あ、そう」という他ない。”(「エクリチュ―ルについて」2010.11.5)

ホント、〝このような言語活動上の「偏り」は主体的決断でどうこうできるものではない。〟のだ。つくづく同じような考えに至る人がいるものだなあと親しみを覚える。

二つの逆の考え方があるという。そのもう一つは〝事実と思いの分離〟といった自分よりの頭の理解とは異質の、いわば〝ポンと飛び込む〟スリリングな実践を迫ってくるような真逆の考え方であるらしい。

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鈍愚考(2)

思いがけなくも
自然の生態系

昨年秋のことだったか、かれこれ50年近くぶりに兵庫県の北条実顕地を訪れた。わずかに古びた二軒の家屋に当時の面影が残っているだけだった。
ところが思いがけないことに皆の歓待を受けた夜半ふと目覚めたとき、かつてこの地で開催された二週間の「ヤマギシズム実顕地用養鶏法研鑽会」での一場面が鮮明に思い出されてきたのだ。
それはたしか次のような一節、

“山岸養鶏では(技術20+ 経営30)× 精神50と、精神面を強調するのは、鶏を飼う場合の鶏や、社会との繋がりを知る精神であって、自分一人よくなろうとの精神では、養鶏も絶対に成功しないとの原理精神のことです。
何も修身や修養や道徳を云っているものでなく、寡欲高潔ないわゆる人格者でないと鶏が育たぬとか、卵を産まないというのではなく、また社会奉仕をせよと強いるものでもなく、この場合の精神とは、大いに儲けて、永久に養鶏を栄えさすために、必要で欠くことの出来ない、一番先に知らねばならぬ根本精神のことで、他の養鶏法はともかく、山岸養鶏はこの精神が欠けては、絶対に成功出来ない仕組みになってあります。”(『山岸会養鶏法』)

を読んで、ここでの〝繋がりを知る精神〟とは何だろうかと皆で意見を出し合った時だ。
参加者の一人で、その頃個人生活から慣れない実顕地生活に入るための産婆さんのような役を務めていた実顕地造成機関の杉本利治さんから、「人と人とのあいだが大事」なんだという意味の発言が何度かあった。
その場面が不意に甦ってきたのだ。
そしてそこから実顕地に住み始めて間もない自分らに向けて「なーんだ、最初から一番肝心なことを言っていたのだなあ」と杉本さんからの一言から何か新しい気づきを得たようなうれしい感慨が湧いてきたのだった。
もちろん研鑽会では、何を言わんとしていたのか自分の中で未消化のまま宿題として残ったのだが……。

多分ここでの〝あいだ〟とは、相互の間柄というかコミュニケーションの大事さを指しているわけではないはずだ。社交や取引や利害関係での関係面を有利な方向にもっていくために気やものを使い合うことを意味しているわけではないはずだ。親子・夫婦・人間間問題を良くするために努力し妥協しあるいは共通の目的の必要性を問うているわけでもないはずだ。
それぐらいは理解はできたし、〝繋がり〟も自然界の生態系としての教科書的な説明は理解できそうだ。
しかし次のような表現で〝繋がり〟が解説されるとどうだろうか。

“人には一人の敵もなく、みな身内です。そうではありませんか、両親を辿っていけば……子孫の行く末の、末の結合を考えれば……どうして一家一門の間で争ってなどいられましょう。
しかも遠く離れた人との結合ほど良縁で、優秀な子孫が産まれる事実は、幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟・親子の間柄にあるもので、その繋がりさえ分かれば、どんなことがあっても憎み合えたものではありません。”(「山岸養鶏の真髄―6求むれば得らる」1956.3)

ここでの〝その繋がりさえ分かれば、どんなことがあっても憎み合えたものではありません〟という箇所である。
繋がりさえ分かれば、家庭の不和はもちろん社会の紛争・戦争が無くなるのだという!? 論理が飛躍しすぎてはいないか? いや、ここで言われている考えをそのまま受け取ったらどんな世界が展開するのだろうか。

そしていつしか自分は、〝あいだ〟のことを〝繋がり〟の意味と解して、そこに大事なものが潜んでいるはずだとして自問自答する日々を重ねてきた。
なぜか〝繋がりを知る精神〟とか〝その繋がりさえ分かれば〟の真意の一端に触れることが日々の喜びに直結するそんな生き方を切実に欲求している自分をどこかで感じていたからである。

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鈍愚考(1)

怪しげな論法・説法?
1959年7月7日第86回特講受講生下山

1959(昭和34)年7月10日、三重県伊賀市春日山にある山岸会は一週間の特講受講者を軟禁した疑いで上野署の捜索を受け、幹部と見なされた七人が逮捕された。
12日付けの朝日新聞一面コラム『天声人語』は次のように記している。

「”百万羽養鶏法”と”世界急進Z革命”の二枚看板をかかげている山岸会が警察の手入れを受けて、幹部ら数人が不法監禁や脅迫の疑いで検挙または指名手配となった。荒木又右衛門や忍術の講談で名高い伊賀上野でのこと▼山岸会の農場には約百五十家族、五百人くらいの老若男女が住みこんで”別世界”を形作っている。その多くが郷里の家、田畑、山林などを売払って山岸会に献納し、中には一千万円もの財産をまき上げられそうになった人もいる▼それらの家族から保護願いが出て、ナゾの組織が社会の明るみにさらされた。受講者が帰宅しようとしても”Xマン”という青年行動隊につかまって監禁されたり、家を焼き払うと脅されたりしたと訴えている▼”百万羽養鶏”という多収穫農法のような看板につられて入ると”人鶏一体”とか”飼う人間を造り変えれば鶏も自然によくなる”などといって妙な思想教育をおしつけられる。その講習は”人間改造の大手術”だと一種の”洗脳”をやるらしい▼”私はあなた、あなたは私”という怪しげな論法で、男女関係などにも不審な点があるようで、我欲を捨て生命財産にも無関心になるように思想教育するのが山岸イズムだという。そんな説法に酔っている人が何百人もあるところが、何とも不思議である▼やはり”邪教”との印象はまぬがれない。山岸という人物の経歴も正体もまだ分からない。西日本を中心に数万人の会員があるそうだから、どこか人をひきつける教祖的なものはもっているのだろう。”百万羽養鶏法”などと初めに経済的利益で人をつり、次ぎに財産の献納をすすめて丸裸にするところなどは、まさにインチキ新興宗教の定石である▼なぜこんな怪しげな団体に、多くの人が家財を売り家を捨てて入るのかである。それは現代の不安であり、既成宗教が生ける悩みをしっかりと受けとめてくれないからでもある。お盆や葬式だけの宗教では現代人はあきたりない。その盲点に、怪しげな新興宗教がはびこる余地があるのだろう▼それにしても”一卵革命”だの”人鶏一体”だのとわけの分からぬニセ教義で、世界革命だなどとは、とんでもないキチガイざたである。」

この日の「天声人語」子の一言一句の影響力は大きくほぼ世論の動向を決定づけたのではなかろうか。巷間伝えられた山岸巳代蔵ならぬ〝山岸愛欲氏〟の火の元はこうしたゲスの勘ぐりからであった。
その中に次のような一節がある。

「▼”私はあなた、あなたは私”という怪しげな論法で、男女関係などにも不審な点があるようで、」

ここでの”私はあなた、あなたは私”という一節は、きっと当時バイブルのように会員間で読み込まれていた『山岸会養鶏法』の中の次のような文言と重なる。

“山岸会の目ざす理想社会は、一人の不幸もあってはならぬ社会でありますから、その根本に自他一体観の、きびしい原理が自得出来ていなければならぬ筈で、この会旨を別なもっときびしい言葉で表しますと、
「私はあなた、あなたは私」
の体認に出発せねばならぬとするのであります。
人を見れば、自分と思える境地に立つことを条件とした言葉で、例えば人の子を見て、私の子同様に思えるかということです。自分の子の優秀や、栄進や進学、結婚を喜ぶに止って、他の人の子の、劣悪、失職、落第、墮落、破鏡を平気で見過し、時には内心さげすみ、あざ笑い、これに比較して我が子を誇るといった心が、微塵でもあったとしたら、如何に口で〝われ、ひとと共に〟と叫んでも、空念仏以外の何ものでもないことになります。誰でも言うこの言葉に、高い理想性ときびしい自己反省と、行動の規制の含まれていることを知らねばならぬのであります。(1955.6.16)”

ここのどこが〝怪しげな論法〟なのだろう。男女間の月並みな〝口説き文句〟の一つにすぎないものだろうか?
この間のヤマギシズムの恋愛・結婚観の文脈を内包しつつ、もう一歩じぶん自身が納得できるような考察が進められたらと念いつつも、逍遙自在、何はともあれ気のむくまま行きつ戻りつしてみる。

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