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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

書評 佐川清和『贈り合いの経済』 図書新聞

ヤマギシ会と一般社会との距離の昨今
島田裕巳 

 ヤマギシ会(山岸会)という名前を聞いて、人によって受ける印象はかなり違ったものになってくるだろう。
 1959年に起こった「山岸会事件」のことを思い出す人は、今では少ないかもしれない。学生運動の世代なら、「Z革命」を掲げて多くの若者を集めた時期のヤマギシ会のことに思い至る人は少なくないはずだ。1990年代後半には、ヤマギシ会が「カルト」の一種として社会から糾弾されたこともあった。
 最近では、村上春樹のベストセラー小説『1Q84』に、ヤマギシ会をモデルにしたとおぼしき宗教団体が登場し、改めてこの集団に対して注目が集まった。
 あるいは、ヤマギシ会はとっくに消滅してしまったのではないかと考える人もいるかもしれないが、「実顕地」と呼ばれる共同体で暮らすメンバーの数は、国内外で1300人にも達している。

 ヤマギシ会は、養鶏から出発し、現在では、鶏だけではなく牛や豚を飼い、米や野菜を育て、加工食品も生産する巨大な農業共同体に発展している。農事組合法人の形態をとるが、農事組合法人としては実質的に日本で一番規模が大きい。農業の共同化、大規模化の必要性が説かれながら、日本の農業界がなかなかその方向に向かわないなか、ヤマギシ会は貴重な成功例ともなっている。

 著者は、そのヤマギシ会に1970年に「参画」している。参画は、ヤマギシ会に特有のことばで、全財産をすべて供出して実顕地に参加することを意味する。参画すれば、衣食住はすべて保証されるものの、賃金は支払われず、休みも定まっていない。そもそも、ヤマギシ会には一般的な規則というものがなく、すべての事柄は「研鑽会」という話し合いの場で決められる。
 そのように説明すると、給料もなければ働かない人間も出てくるのではないかとか、欲しいものがあったときどうするのかといった疑問が出てくるかもしれない。だが、ヤマギシ会の実顕地を一つの家族として考えれば、それがどのように運用されているのか、推測も可能だろう。
 ヤマギシ会では、そうした実顕地のあり方を「金の要らない仲良い楽しい村」と表現する。しかも、自分たちの生活する場を、それに近づけようとするだけではなく、社会全体にその思想や組織原理を拡大しようとしている。その点で、ヤマギシ会は、理想社会、ユートピアの実現をめざす運動体なのである。

 著者は、ヤマギシ会での45年近い生活体験をもとに、経済がどうあるべきかからはじめて、個人と組織との難しい関係について考察を進め、そのなかで、なぜ自分がヤマギシ会に参画することになったのか、そこに何を求めたのかを語っていく。

 本のタイトルにもなった「贈り合いの経済」については、経済のグローバル化が進み、高度資本主義社会の矛盾がさまざまな形で露呈するなかで、同様の主張を展開する論者も増えている。だが、著者の強みは、机上の空論を展開するのではなく、ヤマギシ会が創立されてから60年の実績を踏まえて贈与経済について語っていることにある。
 かといって著者は、ヤマギシ会の実顕地を理想社会が実現された場所としてはとらえていない。むしろ、その途上にあって数々の試行錯誤がくり返されてきたことを認め、その過程で自らがどういった体験を経てきたかを説明していく。

 そのなかで興味深いのは、思想家の「吉本隆明氏との対話」の箇所である。晩年の吉本氏が、ヤマギシ会についてくり返し言及していた。著者は1989年に吉本氏の自宅を訪れて会話を交わし、その一部が吉本氏の著作『中学生のための社会科』の最後におさめられた「山岸会との対話」に採録されている。
 吉本氏は、ヤマギシ会のあり方を評価しているわけではなく、むしろそれを批判的に乗り越える必要性を説いている。著者は、それに対して反批判を展開するのではなく、吉本氏のヤマギシ会観を素材として、実顕地の外側、つまりは一般の社会に生活する人々に、いかにヤマギシ会の理念を伝えていくか、その方策を必死に見出そうとしている。

 評者も、1975年から76年にかけてヤマギシ会に参画していた。その期間はわずか7カ月で、その経験からだけでは、ヤマギシ会の実顕地のあり方に対して評価することも、批判することも難しい。

 ただ、一つ感じたのは、ヤマギシ会と一般の社会との距離が、私が参画していたときよりも、はるかに近づいているのではないかということである。ヤマギシ会の根本には、物資を豊富に生産することで、物心ともに豊かな社会を実現するという目標があった。現在の日本社会は、間違いなく物資を豊富に生産している。となれば、残るのは心の領域である。今私たちは、ヤマギシ会から学ぶべき時期に至っているのではないだろうか。(宗教学者) 図書新聞2014.11.1

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17 山岸巳代蔵の眼に映ったもの

「一日、或る人家の軒下を流れとどまる下水溝に、黒く細長い、蛭(ひる)にも蚯蚓(みみず)にも、八ツ目うなぎにさえも持たない、熾烈な悪寒を覚える醜体の、一匹の虫のうごめきを見ました。青年時、庭先でこれによく似た、頭部が銀杏の葉のような形に拡がった、黒い虫を初めて見た時、慄然とした印象が今なお蘇りますが、こういうものを見ると逃げ出したくなり、目につかねばよかったのに、また何故あんな虫がこの世に置いてあるのか、そして何を楽しみに生きているのかと、時々思い出して暫(しば)し耽(ふけ)ることがあり、何時水気がなくなり干乾しになるか、どんな劇薬や苦いもの、酸いもの、辛いもの等が流れて来るか、熱湯をかけられるか、不安の日夜をのたうって、三日がかりで漸(ようや)くにして遡上したものを、一夜の水にどこまで流されるやら、あなたまかせの生活史です。今日はうどんの煮汁か米とぎ水か、魚の臓物の饗宴にありつけるかと、あわれうたかたに望みをつなぐ生涯でしょう。しかし、また案外数少ないであろう彼等にも、配偶者に会う仕組みは、うまく与えられてあるのか、種の絶滅もなきまま、こうして産み付けられた吾が身の不運をかこっているかどうか、詮索したくなります。人間の誰かと引き較べて」(山岸巳代蔵)

以下のような挿話も残っている。

「先生とあちらこちら廻っていた頃、大阪のどこかのうどん屋に入って、そこを出がけにうどん屋の裏手に熱い湯が流れている溝に二匹のけったいな虫を見つけて、『ほれ見なさい。あんなやで。あんなやろ。あんな中にいても二人で居る。そういうものや』と言わはった」(奥村きみゑ談)

「ゲジゲジみたいな虫を見た時、『何で、こんな虫が生きているのか?』『成るべくして、そう成っているのだな』『そこから全てが解けて、ショックのあまり倒れるほどだった』」(渡辺操談 山岸巳代蔵エピソード集より)

たまたま目にしたありふれた光景の、ここのどこがスゴイのか?
きっと山岸巳代蔵は生涯幾度となく、「そういうものや」と見る眼から自ずと立ち現れてくるものに琴線を揺るがしたにちがいない。

いったいなにが眼に映ったのだろうか。

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16 無言の催促・力づけ

「例えば“心配する”という言葉を取りあげてみると、“子供の病気を心配する”とか“入学を心配する”とかといった“気にする”場合に使われたり“人に心配してもらって”というように“気を配って世話”する場合や両方の混じった意味にとれることもある。
子供の病気を心配する場合に“どうなるだろう”“ひょっとしたら助からないかも”とか“死ぬようなことになったら”と云った憂慮する事が多いが、一方積極的に対策を考え手当を講じるように配慮することこそ本当に心配することではなかろうか。
案ずるということも気にするばかりでなくそれこそ名案を考えるのが本当の案じ方ではなかろうか。こうした一寸したことに気づくだけでも、見方、考え方がコロッと変わることも多い」(山岸巳代蔵)

何かに思い悩んでいた自分が、研鑽会で皆の発言を聞いているうちにパッと開けて、見方、考え方がコロッと変わることがよくある。

以前ある研鑽会でK君の「運動会に参加したくなかったけど、やってみたら楽しかった」という発言から、やりたくない自分と、その隣にもう一人の自分がいて、「心の繋がる繋がりそのものの自己」というのは、みんなと繋がってやっていきたいと思っている自分のことではないのかと盛り上がったことがある。

ふだんの何でもない一場面での自分を、研鑽会という場に置くことで「もう一人の自分」がくっきりと浮かびあがってくるのだ。

研鑽会という参加者がすべて同一の平面で、人と人との繋がりの一環の人情の輪から醸しだされるものがある。
それは「共に」の精神からを願っていながらも、心ならずも心足りない一面を足さねば次へ進めないことを、繋がりの方から無言の催促され、力づけをしてくれるのだ。

思いもしないところから、そっと心の手が差し延べられる。
そんな「共に」の世界から語りかけてくるものを、「繋がりそのものの自己」でもっと感じとりたい。

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15 「研鑽会」という場所

(承前)「人を見れば、自分と思える境地に立つことを条件とした言葉で、例えば人の子を見て、私の子同様に思えるかということです。自分の子の優秀や、栄進や進学、結婚を喜ぶに止って、他の人の子の、劣悪、失職、落第、墮落、破鏡を平気で見過し、時には内心さげすみ、あざ笑い、これに比較して我が子を誇るといった心が、微塵でもあったとしたら、如何に口で〝われ、ひとと共に〟と叫んでも、空念仏以外の何ものでもないことになります」(山岸巳代蔵)

この間ずっと『知的革命 私案(一)』の一節、「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく」に想いを巡らしてきた。

人は、「人と人によって生れ」から「人と人との繋がり」の場へ出て行くことの出来る出発点を探しあぐねているのだ。

人は漫然と自分の思い考えの延長線上に「人と人との繋がり」の世界を結びつける勘違いをしてはばからない。

それ故必然そうした「勘違い」からくる矛盾を倫理的に過剰に受けとめ自己と他者を追い詰める息苦しい思いをくり返している。

そこでいったん全く次元が異なるものとして識別・放して、あらためて結び直すための紐帯を見出す必要に迫られているのだ。

それを可能にするのが「研鑽会」という場所への跳躍なのだ。

そこで例えば芝居の登場人物を、客席から観る態度で眺め、楽しむのだ。

人は「研鑽会」という場に立つと、「繋がりそのものの自己(強いやさしい母)」から思わず湧いてくるもので、「人(男)と人(女)によって生れ」た自己が温かく抱擁(つつ)まれている、そんな自分自身への絶え間のない気遣いの親愛感に満たされるのだ!

「繋がり」の中に秘められてあるものが「あなた」と共に立ち現れてくる、そんな「研鑽会」という場所がある。

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14 「あなた」の立ち現れ

「山岸会の目ざす理想社会は、一人の不幸もあってはならぬ社会でありますから、その根本に自他一体観の、きびしい原理が自得出来ていなければならぬ筈で、この会旨を別なもっときびしい言葉で表しますと、
〝私はあなた、あなたは私〟
の体認に出発せねばならぬとするのであります」(山岸巳代蔵)

ここでの「あなた」について想いを巡らしてみたいのだ。

またここでいう会旨とは、もちろん山岸会会旨「われ、ひとと共に繁栄せん」のことだ。
それは「と」に立つ精神、「繋がりを知る精神」 から見ると、主体はわれにも、ひとにもなく、「共に」にあるとして、自分の行動の基準を「共に」の観点に照らし合わせて判断することを意味している。

とすると今までの文脈に沿えば「あなた」とは、「共に」の場所に位置する「繋がりそのものの自己」を指すことになる?

それは身近な人に、未知の人に、路傍で見かけた丈の間柄にある「もの」を指す。
その辺りの気づきを、「きびしい原理」と表現されているのだろうか。
「その繋りさえ分かれば」
「自得、体認」からの出発。

いやこの間私たちは、原風景等に象徴される「あなた」に向き合い想いを巡らすことで、「温かいもの」が自ずと湧きあがり満たされ、それを自らの幸福の糧にしてきたのではなかったのか。
この時「あなた」に向き合い想いを巡らしている私は、事実その中で生きているもう一人の自分の中の「自分」を二重に見ているのだ!

自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)=二つの心として現れる (1「と」からの出発に際して)
ここから「あなた」が立ち現れる。

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13 稲の心・鶏の心

「稲と鶏(一)
『稲の稔りは土中にかくれた根にあり』
『鶏の産卵は腹中の消化器にあり、肉眼に見えぬ染色体にあります』 (略)
私の稲作は、五年目の実に浅い経験より持っておりませんから、おそらく将来改変しなければならぬことばかりでありましょうが、農業を始めて気付きましたことの一つに、多くの作物、特に稲には、根に肥料を与えるよりも、肥料分のある所へ根を伸ばす仕組み、地力相応の窒素質を先ず土に貯え、稲に成長・稔実計画を樹てさすことで、無理に吸わして餌持ちにならぬよう。鶏雛に無理に喰わして胃持ちにせないのと同じ筆法を採っています」(山岸巳代蔵)

はじめてこの一文に触れた時、稲に成長・稔実計画を樹てさすなんて、面白いこというなぁと感じた。

養鶏面でも、一年鶏から二年鶏への過程で若返りをねらって「強制換羽」をかける。二週間近い断食から復食開始、その間羽根が抜けて、新しく生えて、肉がついて、産卵までの約二ヶ月間。
飼育者としては、この間よく食べるという習性、原理に適った餌を選んで、胃袋を大きくして粗飼料に馴れさし悪条件に負けない体質改造をはかるのだ。
それにしてもその間の鶏の餌への貪欲さにはいつも驚かされる。それも長期間続いた後なんだから、人間の空腹感とは比べものにならないすさまじさに圧倒される。

ことわざに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という秋の稲の実りもそうだ。稲は一生元気で暮らして良い子孫を残したいと願っているようだ。

そんな稲や鶏の姿をじっと見つめていると、人間(自分自身)とちっとも変わらないなぁと心安らぐ思いが膨らんでいく。
擬人化しているだけだろうか。

いや、「無感無識界」のところで繋がっている稲の心・鶏の心を観ているのだ。

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12 永遠に大きく生きん

「春日山でも、もともとなかったのが、〝ある〟やわね」(山岸巳代蔵)

世界中の人がみんな仲よく仕合せになるようにと願って、家財産はおろか生命までもつぎ込んで出発したイズム運動の先人達は、何を糧にこの実顕地なるものを築いてこられたのだろう。
きっと、形なきものにその真価を見出し、自らの幸福の糧にしてきたに違いない。
物象面、金より前に、一つあるもの。それが形なきもの〝ない〟の気づきだった!

「だが、あれは、〝ない〟やわね」(山岸巳代蔵)

ここでの〝ない〟と〝ある〟を一つに繋ぐ「と」なる場所とは?
常時健康体である人は、健康体である間は健康である自覚に乏しい。病身になってはじめて健康であることの良さに気づく。
だとしたら、病身にならないでも健康体であることの真価はどうしたら気づけるのだろうか?
それは〝ある〟の中に〝ない〟を、〝ない〟の中に〝ある〟を見ることを意味する。

「日常茶飯事にも永遠に大きく生きん事を心するものであります」(山岸巳代蔵)

どういうこと?
物象面、金より前に一つあるものを、見るのだ。形よりも実質を見ていくのだ。
しかしそれも「そのように見える眼」に入れ換えないと見えないものらしい。
そこではじめて「永遠」のイメージが自分の内部に呼び醒まされるのだ。

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11 研鑚学校Ⅲが始まる

今日から二週間の研鑚学校Ⅲが始まる。今回で七年目、31回を数える。
そういえば以前次のように言う人がいた。

「ケンサン学校を斬る
竹本さんが、あるヤマギシの村人への感想を寄せてくれました。
『自分の中でぐっと来るものに焦点をあてて、その奥のものを探る手法は宗教的。
感覚的なものや実感を事実だとする進め方はまさに宗教。
現実感を事実にする根拠は、「係りが “事実ではないか” と言ったから・・・」では外のものに振り回されているだけ。
それでは宗教そのものからの感人種が出来るだけかな。
〈研鑽学校3〉の中に研鑽の実在が見当たらない。
〈研鑽学校〉に研鑽が無い、そんな思いを強くした。 
研鑽が無い〈研鑽学校〉に参加希望が多いのは?
係りも参加者も、やっぱり本質・本来を知らない、理解の浅さなるが故なのかな!』
秀逸な分析だな、と思った。
心を深く探るのは良いが、人間の考えであるとの自覚がない人が、心の奥に出会ったり、霊的な体験をすると、教祖か信者になってしまう。
ヤマギシ・心の啓発系・他の新興宗教、だいたいそんな感じかなと思う。
ヤマギシでは出会いや感動を〈研鑽〉と思っているみたいで、タチが悪い」(2009.10.01サイエンズ研究所 杉江優滋)

たしかに自分の思い込み、主観、実感ほどアテにならないものはない。「感覚的なものや実感を事実だとする進め方はまさに宗教」だと言われれば、まさにその通りかもしれない。

そのアテにならない誤りうる実感を頼りに足場にして、例えばこれからの季節、山の木々に見る紅葉をあらためてきれいだなぁと心の奥底から湧きあがってくるものに「心の琴線に触れるものがある。それはどういうものか」と美しさの正体に想いをはせるなかで、自然の一部である人間にも流れているものに気づかされ、その心から自然・永遠・事実・普遍・真理に相渉ろうというのである。

宗教と科学を分ける「と」の垣根を取り払うことで、宗教も科学となる繋がりの場所を見出そうというのである。

自然と人間は一体のもので、人間は自然から産まれたものであることを、みずからの生きた事実実証で表してみようというのである。

たかだか百年にも満たない時間を生きる人間の主観でもって、自然・永遠・事実・普遍・真理を掴むことはできない。
しかしそうした「事実その中で生きている」繋がりそのものの自己を見出すという「自己への配慮」という知恵でもってしたならば、真理即応の人間性(心)にまでひょっとしたら到達できるかもしれない!

ハッとする心躍りがあった。






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