FC2ブログ

自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

12 永遠に大きく生きん

「春日山でも、もともとなかったのが、〝ある〟やわね」(山岸巳代蔵)

世界中の人がみんな仲よく仕合せになるようにと願って、家財産はおろか生命までもつぎ込んで出発したイズム運動の先人達は、何を糧にこの実顕地なるものを築いてこられたのだろう。
きっと、形なきものにその真価を見出し、自らの幸福の糧にしてきたに違いない。
物象面、金より前に、一つあるもの。それが形なきもの〝ない〟の気づきだった!

「だが、あれは、〝ない〟やわね」(山岸巳代蔵)

ここでの〝ない〟と〝ある〟を一つに繋ぐ「と」なる場所とは?
常時健康体である人は、健康体である間は健康である自覚に乏しい。病身になってはじめて健康であることの良さに気づく。
だとしたら、病身にならないでも健康体であることの真価はどうしたら気づけるのだろうか?
それは〝ある〟の中に〝ない〟を、〝ない〟の中に〝ある〟を見ることを意味する。

「日常茶飯事にも永遠に大きく生きん事を心するものであります」(山岸巳代蔵)

どういうこと?
物象面、金より前に一つあるものを、見るのだ。形よりも実質を見ていくのだ。
しかしそれも「そのように見える眼」に入れ換えないと見えないものらしい。
そこではじめて「永遠」のイメージが自分の内部に呼び醒まされるのだ。

スポンサーサイト



PageTop