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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

14 「あなた」の立ち現れ

「山岸会の目ざす理想社会は、一人の不幸もあってはならぬ社会でありますから、その根本に自他一体観の、きびしい原理が自得出来ていなければならぬ筈で、この会旨を別なもっときびしい言葉で表しますと、
〝私はあなた、あなたは私〟
の体認に出発せねばならぬとするのであります」(山岸巳代蔵)

ここでの「あなた」について想いを巡らしてみたいのだ。

またここでいう会旨とは、もちろん山岸会会旨「われ、ひとと共に繁栄せん」のことだ。
それは「と」に立つ精神、「繋がりを知る精神」 から見ると、主体はわれにも、ひとにもなく、「共に」にあるとして、自分の行動の基準を「共に」の観点に照らし合わせて判断することを意味している。

とすると今までの文脈に沿えば「あなた」とは、「共に」の場所に位置する「繋がりそのものの自己」を指すことになる?

それは身近な人に、未知の人に、路傍で見かけた丈の間柄にある「もの」を指す。
その辺りの気づきを、「きびしい原理」と表現されているのだろうか。
「その繋りさえ分かれば」
「自得、体認」からの出発。

いやこの間私たちは、原風景等に象徴される「あなた」に向き合い想いを巡らすことで、「温かいもの」が自ずと湧きあがり満たされ、それを自らの幸福の糧にしてきたのではなかったのか。
この時「あなた」に向き合い想いを巡らしている私は、事実その中で生きているもう一人の自分の中の「自分」を二重に見ているのだ!

自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)=二つの心として現れる (1「と」からの出発に際して)
ここから「あなた」が立ち現れる。

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