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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

23 囚われからの脱出

「楽しみ、歓びばかりの結婚、恋愛、人生が本当で、それが必ず実現できると思う。ところが今日なおそうならないのはなぜだろう。それには原因がある。そしてその原因から解決しよう。
これは真面目に考えてみることで、それを願いながら、そうならないと云うことは、願うばかりで、実はそうなるようにせないからで、なるようにすれば、必ずなる。むしろ、ならないようにし、かえって逆の結果になるようにしているからである。
成るように願い、なる方法だと思っていても、成らない方法を、なる方法だと思い違いをしている」(山岸巳代蔵)

この一節に触れると、きまって自分自身の吃音体験が思いおこされる。

「僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」(ポール・ニザン『アデン・アラビア』)

その頃、ある文芸雑誌で小説『凍える口』(金 鶴泳) に出会った。まるで自分のことが書かれているようでむさぼり読んだ。

「ぼくは、思うことを思うとおりに、すらすら話すことができない」
「吃り易い言葉とそうでない言葉とがあり、ぼくはできるだけいい易い言葉を選択しておかなければならないのだ」
「ただ、吃ることによって受ける精神的神経的衝撃、その屈辱を、ぼくは何よりも恐れていた」
「〈ああ、吃りでさえなかったら――〉」
「いわば、吃るべくして吃っているのである。それは、当人にもわかっているのである。わかっているのだが、そのような状態になってしまう自分を、自分ではどうすることもできない。そうなるまいと気をつけていても、いざとなると、やはりそうなってしまう」
「ぼくは、吃音に囚われているのだった」

そうか、自分は「吃るべくして吃っているのか」! 

「窮すれば通ず」とはこのことだった!
囚われからの脱出は、あっけないほど易しかった。
〈出発点〉はまさに〈実践〉だったのだ。
はじまりと「そう成る方法」は一本コースなのだ。その道を通る以外には到達できないのだ。
吃らないようにと、そう思う、思わないにかかわらず、出発点に立ち一歩踏み出すこと、じっさいに言葉を現実的に最後までツナイでみせる以外に方法はないのだ! 誰もが日頃当たり前にやっていること。

そしてそこでこそ、人の中で自分も気づかずに話している事実を見られるのだ!

この発見にも似た事実・実態と思い・考えとの次元の異いを思い知らされたことだった。

要は、「成るように願い、なる方法だと思っていても、成らない方法を、なる方法だと思い違いをしている」ならば、「成らない方法」を捨てて、「そう成る方法」に乗り換えるしかないのだ。

こうした自分の思い(意志)どおりにならない「事実」に何度も直面して挫折感に打ちのめされつつも、じつはそのさきに展開する「事実の世界」の発見と同時に、そこから齎される歓びに重なるかのように自分のヤマギシズム探求ははじまる。


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パネルフォーラム「私のなかのヤマギシ会」

進行 先日の島田裕巳さんとの出版記念対談の感想から
佐川 先月末、島田裕巳さんと出版記念対談をしてその後何人かの人から「もっと話を聴きたい」と言われ、僕の話を聴きたいなんて滅多にないことでそらそうだなぁと思って、自分が日頃考えていること、感じていることをもう一歩踏み込んで話できたらいいなぁと思って、今日この場に来ました。島田裕巳さんは宗教学者で、ずっと一貫して「自分はヤマギシ会の体験があったからこそ、宗教学者に成れた」とか「自分の人生の出発点は特講だった」と云う風に公言されている方なんです。もう100冊以上、毎月の様に本を出版されて今もっとも学者として旬の人です。どういう風に記念対談できるかなとこの間も大分一所懸命考えて、やっぱり僕が日頃実顕地の中で考えていること感じていることとか、ずっと一貫して追求しているテーマと島田さんの世界がどこかで重なるところがあったらいいなぁと思って、島田さんのどこで、僕の一貫して考えているテーマと重なるんだろうかなぁと思っていたら、やっぱり島田さんの特講体験がすごく僕の中では印象が深くて、特に特講の怒り研の体験が25年位前に書かれた文章にあるのですが、僕らはなんか暗黙のうちに特講の1週間の内容と云うのはあんまりしゃべったらあかんとか、表現したらあかんという感じが固定観念のようにあったけど、島田さんはそれを1週間の特講のプロセスとか世話係の問いかけとかそれに対する自分の心境とかをきっちり、何回か書かれている。その中で特講は2つの型があると島田さんは分析されていて、「解説型の特講」と「発見型の特講」島田さんは当時、日光で特講を受けられたけど自分は発見型の特講だったという感じをされていて、へぇそうか、発見型か、そんな風に特講の怒り研の体験を書かれているんだなぁと思った。その島田さんの怒り研の体験を読んだ時、えぇここまで表現できるのか、ここまで言葉できっちり特講の中身を表現できるのかと思って嬉しかったことがあって、この世界と自分が実顕地でやっている世界とが重なるんだなぁと思って、それを当日島田さんの前で僕読ませて頂いたのです。そしたら後でそのことをすごく喜んでくれて「自分はあんな素直な文章はもう書けないよ」って、ここで重なった、一つに成れたと自分自身嬉しかった体験がありました。

進行 「イニシエーションとしての宗教学」という本の中から島田さんの文章を紹介します。

「私は次第に答える言葉を失っていった。それは他の参加者の場合も同じだった。誰の答えも係りを満足させず、即座に切り替えされた。参加者の発言が少なくなるにつれて、係りの問い詰め方はキツイものになって行った。会場の空気は重苦しいものに代わり、沈黙が続くことが多くなった。すでに時刻は真夜中になっていた。おそらく他の参加者も同じように考えていたことだろうが、私は自分がなぜこんな目に合わねばならないのか理解に苦しんでいた。こんな事になるのならやはり参加しない方が良かったのではないだろうか、一刻も早くこの状態から逃れたかった。しかし脱出のための糸口はなかなか見えて来なかったのである。ところが参加者の中に自力で脱出口を見出した人間がいた。それは早稲田大学に通っている私と同じ学生の女子学生だった。彼女は「今自分が腹を立てた時のことを考えてみると、腹が立たないような気がする。今度そういうことがあっても腹は立たない」という発言をしたのだった。この発言は意表を突くものであったが私には納得することができた。彼女の発言を聞いて体の奥から何かあたたかいものが込み上げてくるようにさえ感じられたのである。私は解放感を味わっていた。係りの発する何で腹が立つのかという言葉も怒りの原因を尋ねているのではなく、腹を立てる事など無いではないかと反語的な表現として聞こえてくるようになった。その瞬間から私にとって特講は苦しいものではなく楽しいものに変わって行ったのだった。」

佐川 自分自身が今日まで追求してきたというか求めてきた自分のテーマを紹介して、今回贈り合いの経済という本を出した辺りのきっかけを紹介してみたい
自分は1970年に春日山に参画した。76年位に豊里実顕地を訪れた時に、11号の宿舎の辺りが当時は小高いミカン畑になっていたところを、亡くなられた佐久間さんらがブルで地ならしを毎日のようにやられていた。豊里実顕地の新しい展開が始まるのかなぁと感じて、それを実顕地造成の世話係をやっていた杉本さんに「実顕地はこれからどんな風に展開していくのですか?」ということを往復書簡の形で作成した適正規模実顕地構想として編集して当時のけんさん紙に出した。その当時は、多摩で供給活動も始まっていた頃で供給所通信が出ていてその通信の中で配送の人たちの感想文が書かれていた。その中の一節を杉本さんが引用されていて「配送に行くとちょっとたまご屋さんと声かけられる。配送の人は自分はたまご屋さんじゃないんだけどなぁと心の中で思っていた」と。杉本さんの方からは「大切なことは表現され理解されることもなく終わるかもしれない秘められた実態の把握ではないか」とそういう一節を書かれていた。「表現され理解されることもなく終わるかもしれない秘められた実態の把握」、なんかすごくその一節に僕はしびれたというか、大切なことがあって、それが表現され理解されることもなく終わってもよしというか、なおかつそれが把握できたらもっとよい、そういう含みのある表現というか言葉で、自分も「秘められた実態それを把握したいなぁ」というのが動機だったんです。それ以来ことあるごとに秘められた実態の把握ってあんなことかなぁこんなことかなぁと自分の中で問い続けて、今日まで来たのかなぁと思っています。それを実際にもっと確かめようと思って、研鑽学校Ⅲを設けてもらって2週間の合宿生活の中でも秘められた実態の把握をメインテーマにしてずっと30回以上になりますけどやっています。

進行 第2の特講といわれていますが
佐川 毎回なんですけど研鑽学校Ⅲを終わった人の感想がまるで、第2の特講のようだと感想をもらされるんですね。ああそうか、特講なんか。自分がもう一人の自分に出会う感じだから、そういう意味では特講なんかなぁと云う位にしかその時は認識していなかったけど、2年位前から実顕地メンバーだけでなく、会員の人たちにも特講さえ受講した方なら誰でも研鑽学校Ⅲに入れるようになるという感じで門戸を広げた。ある時、山形から小関さんという50歳ぐらいの方が参加された。ずっと以前に子供を幼年部に送って、その時に特講を受けられた。それでしばらくヤマギシとの関係はなく、勤めていた会社を辞めて実家に帰って新しく第2の人生を歩む変わり目の時に研鑽学校に初めてきた。研鑽学校Ⅲの13日目位かな? 急に小関さんが自分の特講のことを語り始めた。残れますかの研鑽で自分は絶対に残れるはずはないと思っていたのが、突然研鑽の中で座布団から1メートル飛び上がったような感じではっとした。涙があふれて自分はそこで生まれ変わったという体験をされたという。研学Ⅲの13日目で、そういうところでみんなが第2の特講とみなさん言われるんだなぁと、それ以降、何人かが怒り研の事で終盤に語られる方がいたりして、あぁそうか、怒り研でさっきの島田さんの感想のあったかいものが込み上げてきたとか、涙が出て止まらなかった小関さんのそれと、自分がずっと問い続けてきた秘められた実態の把握というのが重なって、自分の中で昨今、ますますこんなことかなという感じでいます。

進行 研学Ⅲで映画「おくりびと」を取り上げた動機は?
佐川 8年前の6月に研学Ⅲを始めて、2回目を10月にやって2回目が終わった頃に、映画おくりびとを見た人が「面白いよ」と言われて、封切されていたがらがらの映画館で見た。鮭が遡上してくるシーンで、主人公が見ていて通りかかったおじさんに「むなしいですね、死にに帰るなんて」と言ったらおじさんが「帰りたいんでしょう、故郷に」という会話をしますよね。これは研学Ⅲでやる鮭の遡上の姿を研鑽するのと同じことを言っているじゃないかと思って、3回目の研鑽学校から研鑽資料で使おうと単純な動機で始めた。毎回みんなで観て研鑽するのをずっとやっていたら、ある時期、関東の方から参加された会員で、映画の見方がするどいというか深い人がいて、全く違う場面のことでずっと語ってくれた。それを聞いて僕はこれって、こういう場面でこんな風に読めるというか見れるのかと感動して次の回から今日までその場面で研鑽しています。

進行 おくりびとの原作者である青木新門さんのことは?
佐川 僕は原作になった「納棺夫日記」を、私と同じ郷里富山の人が書いていると近しい感じがして、文庫本で10何年前から読んでいた。中でも自分の中で鮮明に浮かび上がるシーンがあって、青木新門さんも1000回以上やった講演の中で毎回その体験を語られると聞いてなるほどなぁと思った。感動したシーンの一つに納棺夫になられて、ある程度仕事に慣れてきた時にある家に行った途端、ここって昔別れた彼女の家だとびっくりしたそうです。かなわんなぁ、今日はこれで帰ろうと思った位吃驚したけどそんな訳にもいかず、別れた彼女は横浜の方で結婚していて、彼女に会うのつらいなぁとの思いで思い切って入ったら彼女の姿が見えなくてほっとして、亡くなったお父さんの湯灌の仕事をしていたら、ものすごく汗が出てきて、その時隣に座っていた彼女がすっと額の汗を拭いてくれたそうで、その時青木さんビックリされて、その頃まだ青木さん納棺の仕事に劣等感というかいい仕事じゃないと思っていたけど、そういう自分を全部丸ごと受け止めて認めてくれるような感じで彼女がずっと傍で最後まで寄り添ってくれていたそうです。そのことが青木さん嬉しくて、次の日からガラッと行動を変えて、行くときはちゃんと白衣を着てきちんとした服装で納棺の仕事をどうどうと一つの仕事としてやれるようになったという体験をされている。もう一つ、こういうことはよくあるなぁ、自分の中でもあるなぁと思ったのは、そういう仕事をしているから親族の方からお前のやっている仕事は親族の恥さらしだ位に言われていて、特におじさんが急先鋒で一貫して自分の事を罵っていた、そのおじさんが病気になって、青木さんとしては見舞いに行く気はさらさらなかったけど、おじさんの奥さんから青木さんのお母さんに「会いたいと言っているから会いに行ってよ」と連絡が入って、青木さんとしてもしぶしぶ、いやいや行ったそうです。おじさんはにっこりとして「ありがとう、よく来てくれた」と言ってくれたそうです。青木さんはその時思わずおじさんの手を握り土下座をしたそうです。本当に一瞬のうちに自分の中からおじさんへの憎しみが吹っ飛び消えたという話をされているんです。僕なんかそんなの聞いていて青木さんの体験の話の中身も、自分らの特講の怒り研とか残れますかの気持ちとか自分が一貫して考えている秘められた実態の把握とか全部一つに重なってくるように思えてきた。

進行 研学Ⅲは自分が自分に出会う2週間と言われていますが
佐川 今日来た本題というか、一番僕が今思っていることに入っていくのですが、自分自身一番ずっとこの間考えてきたことの一つに、皆さんも殆んど体験されていると思うのですが、例の実顕地運動とかヤマギシ会の活動の中での2000年前後のマスコミバッシングとか、そういう中での実顕地の中でのいろんな心の動揺とかその辺の原因がどこにあったのか、そこを乗り越えたい思いがずっとありました。特講のテキストにも書いてありますが「今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・人と人とが離れ、相反目している」ところにあると言われている。別にこれは今の社会というより、自分の心の中があの当時を振り返ってみたら自分の心の中がそうだった。すごく人と人が自分が離れていてお互いが相反目しているような状態。そんな心境で自分だったなぁと思うんです。この先ヤマギシ会の運動はどんな風になるのか実顕地はどうなるんだろうか、すごく自分自身不安な日々があって、どう乗り越えて行ったらいいのだろうかと大分考えました。そういう中で答えというかヒントというかは、実践の書・特講のテキスト青本の中に、絶対あるはずだという気もして一生懸命青本を読んで、その中で自分の中でこの辺かなとみつかった一節がテキストの中にある人情社会組織に改造の一節「人は、人と人によって生まれ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に繋ぎ、永遠に生きることは絶対不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく」、真理に相違なくとまで言っているこの一節をどう自分たちがどう理解するか、この一節の中に乗り越えるヒントが込められている気がして、これってどういうことかなぁと一生懸命考えた時期があります。当時不安の一番の原因、実顕地の運営の仕方が、私意尊重公意行でやっていたら自分の私意がなんか尊重されていない、こういう一体生活という組織の中で公意行だけが優先して自分が置き去りになっているような、不安感というか不満感みたいのが当時自分だけでなくいろんな人にもあったのじゃないかなと思います。例えば研鑽学校のボード、無我執研鑽の中で、真理・真実・事実実態と自分の思い考えとは次元が違うとボードで研鑽したことがあるのですが、上の段と下の段があって、それが違う、それの異いというのを大分研鑽したことがあるのですが、その辺の所の自分の中での考えの思い違いが、混乱の原因というかあったんじゃないかと思えて来て、人は人と人によって生まれたという世界の世界と、人と人との繋がりの世界をいっしょくたにしているところがあって、その混同その辺に自分らが混乱したもとがあるのではと思ってきて、自分の思い考えの延長で人と人の繋がりの世界を見てしまう。そこのところで混乱しているのではと思えて来て、じゃぁその関連を知るなればとか人と人との繋がりというのはどういうことなのかな?それって自分ら養鶏書でも繋がりを知る精神が一番元で、この精神から出発するんだという風に何度も何度も研鑽した覚えがあって、繋がりを知る精神とかその関連を知るという、知るというのはどういうことか、頭では簡単に理解できる、自然全人全部繋がっているという感じでの知る知り方というのは出来るんですが、なんぼでもそれで知ったとしても、なんか人情社会組織というかうるおいが自分の中から湧いて来ないというか・・親兄弟全部繋がっている、自然全人、人類皆兄弟なんて当たり前じゃないかと云う位の理解の仕方でしか自分自身も無かったし、それでどうなの、どうしたのって感じで、それがどうして人情社会組織になって行くのか変わって行くのか、全く自分自身その時点でもピンとこないというか、繋がりを知る精神、その辺のそこの実感が欲しいというか、大分そこで迷った時期が続きました。その文章で、山岸巳代蔵さんも、だからこそ精神革命を必要とする所以ですとも書かれてあるのですけど、精神革命、どうすることが知的革命になるのか、そこで何か革命、知的に変わらないとその繋がりを知る精神が関連を知ることで、人情社会組織に変わって行くそのターニングポイント変わり目がまだそこが自分の中で見えて来ない、来なかった、どういう精神革命が必要とされるのかが分からなくて、その辺思い悩んだ時期がありました。その時すごくヒントになったのが、島田さんとの座談会でチラッと出したフランスの思想家のミシェル・フーコという「自己への配慮」という概念だったのです。なんでここで横文字のフーコという人を出すのかというと、フーコという人は20世紀の世界の知性を代表する人の一人と言われている思想家だそうです。僕の中には一流というか世界的な人の中には必ずヤマギシズムと一致する知恵の鉱脈が絶対あるはずだという思いがあって、だったらフーコさんのどこに自分らの考えと一致するところがあるのかなぁという興味があって、ずっとミシェル・フーコさんの書いた本を読んで、沢山あの人書かれているのですけど、2、3ページ読むともうその先読めない、難解というか全然解らない、ところが1981年位にその人の講義録、1984年に亡くなっているのですが、晩年、コレージュ・ド・フランスという場で講義された、週に1回90分が2単位、3か月間、パリ市民が誰でも参加できる講義で、講堂がいっぱいになって入れ切れない人がいっぱいいたという3か月間の講義録が翻訳されている。厚さが4センチぐらいある分厚い本なんですけど、その本だけはなぜか知らないけど、最初から終わりまですらすらとまるで、実顕地で普段生活していて考えていることが、そのまま文章になったような、すごく不思議なことで、その中でフーコさんは、自己への配慮とはどういうことかっていうことを1冊の本で、それだけで語っているんですね。だからそんなに簡単には説明できないのですけど、単純に端折って紹介しますと、自己への配慮という概念がこれは紀元前の話でギリシャ時代の話で、自己への配慮という概念の考え方があったそうです。でもこの2000年間で自己への配慮という自分が自分を配慮するという見方考え方は消えてしまった。みんなが良く知るソクラテスの汝自身を知れとか、そういう言葉はずっと残っていて、2000年人間の一つの知的な考え方知的行為の対象として、自分というものを対象にしてしらべるという考え方とか、紀元始まってすぐに西洋の方ではキリストなんかが広がって、自分自身の罪を告白するそういう形で自分というものを見る捉える歴史が続いたけど、自己への配慮はこの2000年間やられていない。それでもう一度フーコさんはギリシャ時代の自己への配慮ということを延々とこういうことじゃないだろうかということを、ずっと1冊の本で述べられているんですね。

進行 ギリシャ時代のセネカという人の文章「人生の短さについて」があるので紹介したいと思います。

「誰ひとり自分自身を耕すものはない。
いつ自分を自由に使うことができたか。
いつ心が泰然自若としていたか。
あなた自身のものが、いかに僅かしかご自身に残っていないか。
心が雑事に追われている。
ふと、自分は今まで墓碑銘のために苦労してきたのか、という惨めな思いに襲われた。
自己に対する不満。
このような心は自己のうちに慰めをもつことが少ないのである。
結局その心は自己嫌悪に陥り、不愉快になる。
いつも自分自身から逃げようとする。
第一に吟味すべきは自分自身である。
とにかく、心はあらゆる外的なことから、再び自己に呼び戻されねばならない。
たびたび自己のうちにも戻らねばならぬ。
真剣な絶え間のない気遣いをもって動揺する心を包んでやらねばならぬ。」

佐川 こういう感じでフーコさんは自己への配慮を解説してくれていて、セネカという人ギリシャ時代の哲学者だと思うのですけど、「真剣な絶え間のない気遣いをもって動揺する心を包んでやらねばならぬ」という、心を包んでやるというのは面白い表現だなぁと思って、これってどんなことかなって思った時に、先ほどの繋がりを知る精神とか人と人との繋がりの世界、その関連を知るなれば、その辺となんか自分の中で結び付いて来て、なんか、その繋がりを知る精神、その繋がりの中にいる生きているそこにいる自分がもう一人の自分をあたたかく包んでやる、そういうイメージがしてきて、そんなことが自分の中でヒントになって、繋がりの中にいる自分がもう一人の自分に配慮するというか気遣ってやるっていう自分の中に二人の自分というか、二つの心があって、ひとつの繋がりの関連の中の自分がもう一人の自分、喜怒哀楽とかいろんなことで動揺したり、思い考えたりする自分をいつもあったかく包み込んでやる、そういうイメージと人情社会組織が重なってきて、秘められた実態の把握、秘められた実態というのは自分の中にあるというよりも、人と人の繋がりの中にあるというか、それも自分というか、繋がりの中にいる自分を見たような気がしたんです。その時自分の中にあったかいものが湧いてきた、実感があって、人と人との繋がり、繋がりの方に、そこから出発する生き方、社会というのが見えてくる。自分の私意と公意がひとつに重なるような、矛盾がない、そういう世界が、繋がりの方からもう一人の自分を配慮する、見ていく、そういう観方考え方はなんか知的革命、そこで転換できた時に全く新しい世界というか人情社会組織がみえてきたような気がしたんです。1年ぐらい前かな春日でそういう話をみんなで研鑽していた時、川村優君という若い子がいて、彼がそんな話聞いていたら、こんなことかなと言ってくれたことがあるんです。昨年の今頃春日山村人総出で運動会やったんですね。優君が言うには「運動会なんて出るの、一緒にやるのは嫌だなぁ」と、すごく思ったそうです。まぁ総出なんだからみんな参加するから出てみたら、最初は嫌な気持ちだったけど、実際運動会に参加したら、そこでそこの運動会を楽しんでいる自分を見たと、言うんですよね。あっこの感覚っていうか、こんなん誰でもが普段体験していて、そんな事は当たり前みたいな感じで案外素通りしているんだけど、なんか嫌だなぁって思っている自分がいて、それでもみんなと一緒に運動会参加していたら楽しんでいる自分がいたという発見、それはすごい発見というか、人と人との繋がりの中で楽しくやれている自分を発見できた、そこから次が拓けるような、わかりやすい具体例だなぁと思って聞いた覚えがあるんですよね。その辺を自分の中に、真目的とか、真の幸福とか、真理とか、自分の中に見出したとか、自分のモノにしてそこから色んなことを見たり考えたり行動していけるような、逆転、ひっくり返してみるというか、繋がりの中に自分を見出す、そこからやると色んなことが全部ひとつに繋がってきて、矛盾とか色んなことで思い悩むことは解消されるような気がしています。その辺を一番僕としては言いたくて今日は来ました。
2014.11.15 「会員の集い」豊里村人涵養所(村人ロビー)に於いて

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22  真理と人間の考えと現象

「人はみな、それぞれに個性なり、我がある。自然はうまく仕組まれて、親子でも兄弟でもみなどこか、何かが異う。一人一人にいろいろな考え方や、異った特色があってこそ、人生に妙味がある。そして一人一人に頭や手足や口を具えて、各々自分自分で呼吸し、食を消化し、一応はそれぞれに個人個人の形で生きている。
したがって、一人一人、考え方も行為も異う部分が相当あるだろうし、自我観、私心、個人意志、それぞれの生活行動等、自我を立てた一つの単位をなしている。
これを個人とか、自己・我・私などと呼んでいるが、その個人個人が自分を護って最も巧妙に生きようとしている。
そして、自分の観念や設計や形体が出来ると、愛着を覚え、手放したくないようになる。なんとかして、それを持ち続け、育てて大きく伸ばしたいものがある。頑としてかばい、正当づけようとし、崩れることを怖れ、嫌い、惜しむ。ますます頑丈堅固に防壁を築き、安全を期する。それは生物の自己保全、拡大、繁栄の自然欲求として、当然だと思う。
しかし、ここに問題がある。
その当然の理、自己繁栄を希求しながら、案外それに逆行しているのが現状で、個人の生活が決して健全安康を保っていないことである。
人間は、他の動植物に比べると抜きん出て高い能らきを具え、霊妙歓喜で暮らせる筈にかかわらず、病気になったり、病身になり、精神的に、肉体的に、苦悩・不安・不健康な人が多い。
禽獣、虫、魚、草木よりも、悩み多い。同族相食む抗争が後を断たず、拙劣な生活を今なお続けている」(山岸巳代蔵)

ここでは「万象悉く流れ、移りゆく」ものがなぜ現在までの人間社会だけにスムーズに流れていないのかの問題提起がなされている。
何が流れを堰き止めているのだろうか?

たとえば、水は液体だという考え方がある。それで何ら日常的には困らないが、正確には液体の状態の時は水だといえる。つまり受けたものがあって、水になったり、氷になったり、水蒸気に変わったりする。だとしたら、水の本体は何か? 

人間の本体を検べる場合でも、「あの人は悪い人」と見る観方がある。「物」を商品と見なすお金の要る社会がある。働かなければ食べられない、食べるために働くという観念の人もいる。他にも、

「金、物欲、知識欲、名誉欲に取り憑かれている人。
山の頂上を目指して、道を求め、生涯トボトボと山すそを横歩みするカニのような人。
堅い約束さえしておけば大丈夫、安心と、結納や神前の誓いの要る人。
それは結構な理想ではあるが、現実はどうですか、何も無くなったらどうします? という人」(山岸巳代蔵)

元々そうでない、本体と周囲環境、いろいろなものから受けたものによって「作られたもの」がある。

つまりその人自体、そのもの本体と何かから受けたものでキメつけられた人(もの)とは関係無いのだ!
単純に分離分析して正しく見ようとする「研鑚力」が必要とされるゆえんだ。

たとえそれが現実(現象)とか事実であっても、はたして真理に合った事実であるのか否か?
バイ菌が着くべくして病気になったとしても、つまり原因があって結果こうなったとしても、だから医者が要るとはキメつけられるだろうかというのだ!?
医者が要るという現象がはたして本当の生き方からのものなのかと。

見えなくさせられ、格下げ、抹消され、排除、闇の中に消えてしまった「秘められた実態」=事実がある!

手段が目的にすり替わってしまうという逆転現象の中で、本当の世界にはあり得ないものに振りまわされているだけかもしれない。
ほとんどすべての人間生活を観念で片づけて、不合理な生き方をしていることを知らされる。

しかしまた一方、何を話し合っても受けつけない頑固な人でも、死んでも行かないよ、と云い切っている頑固な人でも、一通の急信によって、どんな忙しい中でも、遠隔の地からでも、取るものも取りあえず、頑張っていた頑固さをサッと抜いて、自分ではそれを意識しないで、兄弟・近親の元へ馳せつけてくる。

ここでも如何様にも変わり易い人間観念の特質を思い知らされる。

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21 律動(リズム)の「こころ」

「仲良くということは、人と人だけでなしに、自分の心身の中にも夫々が仲良う、仲良い状態が本当で、また人間以外の他のものとも、仲良う調和のとれた繋がりが大切だ。それには心が原因であったり社会環境や物の物象やね。それが原因する場合もあるから、どちらを軽しとは出来ないが物象、環境等は最低線の上に立った上での心の如何を熟慮、考察する時、心の状態を最も重要視することである。

その精神の根本的なものは、やはり本当の社会を打ち出す――その精神と一緒なんです。
自分独り立ちが出来ないという、自然、それから全部の人間との、繋がりなんです。それの理解のいった、分かった人の精神でやれば、必ず成功するんです」(山岸巳代蔵)

映画「おくりびと」に、主人公らが橋の上から二匹の必死に川を遡る鮭を見つめているシーンがあった。そこにまた新たに一匹、上流から命を使い果たした鮭が流れてくる。そこで次のような会話が交わされる。

「何か切ないですね死ぬために遡(さかのぼ)るなんて、どうせ死ぬなら、何もあんなに苦労しなくても」
「戻りたいんでしょう、生まれ故郷に……」

永永とくり返される鮭の母川回帰も、生物の吸収生長の期と後の世への生命の繁栄を劃然と区分する象徴的な交替の律動(リズム)現象の一つだ。
そんな鮭と自然との「仲良う調和のとれた繋がり」に思わず心を奪われる。
そんな姿に私たちは、なぜか名状し難い興奮を覚えるのだ。体の奥からなにか暖かいものがこみ上げてくるようにさえ感じられる。

互いに相手なくしては生きてゆけないという陰陽の一つ「男、女、花、太陽(極同士の接触)(愛の表現、極致)」(山岸巳代蔵)に分かれてあるように、不調和を調和さす働きによって保ち合っているのだろう。それ故さきの「引いては満ち」る波の動きや音にも惹きつけられるのだろうか。

「あなたまかせの生活史です。今日はうどんの煮汁か米とぎ水か、魚の臓物の饗宴にありつけるかと、あわれうたかたに望みをつなぐ生涯でしょう。しかし、また案外数少ないであろう彼等にも、配偶者に会う仕組みは、うまく与えられてあるのか、種の絶滅もなきまま、こうして産み付けられた吾が身」(山岸巳代蔵)

に重ね見てしまうのだ。
「何や知らん生きてるの、それ本当や」(山岸巳代蔵)

そんな不断の律動(リズム)を生きる自分がいる! 
「成るべくして成る」事実その中で生きていくそんな自分から、崇高なる気持ちの必然が生まれてくるようなのだ。

律動(リズム)とは、さきの自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)=二つの心として現れる自個から自然全人に繋がる「こころ」でもあるのだろうか。

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20 無停頓の律動(リズム)

「一生涯新しきに臨む、実験・考案、考案・実験ばかりの前進一路、無停頓の律動が本当の人生ではなかろうか」(山岸巳代蔵)

ここでの「無停頓の律動」とは何だろうか。

きっとさきの「そういうものや」「変わるべくして変わった」「成るべくして成った」といった表現で伝えたいものに関連しているにちがいない。

だから無停頓とは「宇宙自然も、人間そのものも、人為的な業績も、一日として後返ってはいない」前進のみの事実をいうのだろう。

しかも宇宙自然界の現象は、一瞬も固定していなく、正しく律動している。この不安定状態の中で安定状態であるものがある。

また律動(=リズム)とは、さき(7〝ない〟ものが見える)の「万象悉く流れ、移りゆく」という一節での「流れ」に譬えられるだろうか。
太陽、地球、月等の星の運行や四季の変遷のリズム、波の運動や生物の吸収生長の期と整理と後の世への生命の繁栄を劃然と区分する交替のリズム、人間自らの各種身体運動のリズム等々、自然界に見られる様々な周期的な反復運動の現象が知られている。

こうした宇宙自然界に息づく律動的な現象の一環として、「そういうものや」「変わるべくして変わった」「成るべくして成った」という調和・保ち合い・活かし合いの生物本来の姿があるのだろう。
一瞬も固定していないのに不調和を調和さす働き、だがその調和を満たしたとき、前向きにまた次の調和を目指して律動している。

あたかも幼児の弄(もてあそ)び的に、建てては壊し、積んでは崩し、組み変えて試(み)るようにして流れ、交替する律動を、人間を含むすべての生物から無生物までがめいめい奏でている。

以前テレビ番組で、女優・羽田美智子さんが幼少の頃から何度も通った大洗磯前神社の鳥居から見える海を眺めながら、「引いては満ちて、引いては満ちて、それを見ているだけで、自分の中の柔軟性が戻ってきて、なんか波が心を洗ってくれる」と語っていた。

これなど母なる自然の律動と共振することで、あらためて「万象悉く流れ」ているものが自分の中にも呼び醒まされ映し出されてきてなぜか心が安らいだ実例だ。
無停頓の律動に触れる、そんな「こころ」で感じる場所を自分の中に見出せたことの歓びが伝わってくる。

あの自然全人密接不離の相関関連を紐帯する「繋がりを知る精神」にまで思いをはせてしまう。

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19 人間進化の最後の革命

「原因があってこうなる。成るべくして成る。知恵を使っても使わんでも、意識のないというかね。生まれた子供が乳を口に入れられたら何かなしに吸っていくもの。生まれたものが何かなしに呼吸していくもの。そういうことをあんた方は言ってるのやろ。どうしていくかはまだこれからや。生かされてるという言葉はいらん。生きてる事実でいいわね。
(略)
本能とか知恵とか考えないで、そうかも、そうでないかも分からんが、生きてる事実については、それはやっぱり知恵で判断するのやろ。ありのまま見るというのは、やはり感応で見るのやろ。耳鼻舌身等、知覚神経で見るのやろ。生きてるというのを見るのは、理で認めると言わずに、やはり知恵で認めるのやろ。だからそれは真理だと言っても知恵で認めても、それは真理かどうか分からんと知恵の限界を言うのやろ。
(略)
知恵を使っていようがいまいが、生きてるのは知恵で生きてるのでなく、それを認めるのは知恵で、それを納得するのは知恵であるといったところか。
(略)
『何や知らん生きてるの、それ本当や』くらいでよいのや」(山岸巳代蔵)

ここから出発しようというのである。

ところが今西錦司は、「事実がそうなんやから仕方がないやないか」「わからぬのが本当でないか」とそこで居直ってしまうのだ。
そして人間社会も
「一人一人の人間が、こういう社会では息苦しいとか、味気ないとかいう気持ちになってきますと、自然に変わっていくのじゃないですか」
「働く時間をなるべく減らして、あとの時間をそれぞれの人が、遊芸でも釣りでも、なんでもよいから、もっとそれぞれに自由を味わえるような方向にもっていけたら、それでやや動物の世界や原始人の世界に近寄ることができるのやないか」と主張するだけだ。

人間復帰への「考え方の革命」がスッポリ抜け落ちている!?

あの鶏でさえ、孵化する過程で、四日から五日目にかけて卵は必ず死にかかるほど弱まるという。ちょっとでも動かすと死んでしまう。母鶏も、この僅かな時間は決して動かすことをしないという。四日目を境に鶏胚は魚であることをやめ、両生類になり始めるのだ。

そんな難儀な体験を共に乗りこえるのだ。

そう、人類から真人類への孵化こそ、私たちが求めてやまない人類の総意ではないだろうか。

鶏たちが息絶え絶えになりながらも海から上陸したように、私たちも、大換羽(毛変え)して新しい心身に孵(かえ)したい。

そうした自己革命の機会として、一週間のヤマギシズム特別講習研鑽会の登場を挙げることは、いささか手前味噌に過ぎるだろうか。

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18 繋がりの中の「意志」

「一本の植物に例えてみると、根あり、幹あり、枝あり、葉あり、そしてそれは、そのいずれもが、根のものでもなく、幹のものでもなく、枝葉のものでもない。各部が生かし合って、生きて伸び栄えるもの。葉は梢について梢と葉が生かし合い、葉と根とは、間接的ではあるが幹や枝に繁がって、共に生かし合っている。誰のものでもない。空気や水・太陽・光熱・肥料成分等とも生かし合っている。外なるものが内にも生かされて、体内・体外のこれと似たようなものであるそれらがお互いに正常に生かし合って、いずれもが繁栄していくことが健康であり、幸福なあり方とも云えるものではないだろうか」(山岸巳代蔵)

生涯一貫して、自然とは何かという問題を問い続けて「自然学には直観の世界も、無意識の世界も、取りこまれなければならない」とする自然学者・今西錦司に、戦前遺書にするつもりで書き記したという『生物の世界』という名著がある。

宇宙自然界を、ダーウィンの進化論に代表される生存闘争に打ち勝つといった個体から出発する進化の考え方でなくて、お互いが繋がり合う種社会としてもとは一つのものから分化発展した共生物としてその都度調和をはかりながら「変わるべくして変わってきた」のだと見なした。

この宇宙自然界にあるものは、敵対・害し合うものでなく適材適所を得れば共にあるバランスを保ちながら存在している事実からの、「棲み分け理論」の確立だった。

突然変異など「個体の好き放題に任せない」で、「瓜の蔓には茄子はならない」とするこの世界の理念というか自己完結性、いわば繋がりの中の「意志」のようなものに触れたのだ!

「生物が食物をとるのも、敵を避けるのも、配偶を求めるのも、みな生きるための必然がしからしめるところではあろうが、食物も適も配偶もみなこれ一種の環境である。だからこのようなものを認めるということは環境全体の中からとくにこのようなものを生物が選んだのである」
「環境に対して働きかけ、また環境によって働きかけられることによって生きてきた」
「身体の延長が環境であり、環境の延長が身体であると考えるならば」
「主体の環境化が環境の主体化であるという生物の生活」
生物の世界全体にも、よりよく生きようとする何か方向づけるものがある。

さきの山岸巳代蔵の「そういうものや」と重なり合ってくる。

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