自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

26 スタートの中にゴールを観る

「如何に物質が豊かに充たされても、それのみでは絶対に実現せず、精神面のみを説いても真の社会は生まれず、私は永遠不変の理想社会を実現さすための決定的方法を知っています。総てに具体的であらねばなりません。(略)私は今まで世界で主張されていない、或いは行われていない方法で、総てをいとも簡単に割り切り、争いのない理想社会を実現さす法のあることを重ねて断言するものです」(山岸巳代蔵) 

今年は念願だった研鑽会記録集をまとめた『贈り合いの経済』の書を、ロゴスの村岡到氏のご好意により刊行することができた。ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。そのうちにと思っているだけではいつ実現するかわからなかった。しかもそのことが区切りとなって、一気に実顕地一つからの新しいイズム運動の展開へと踏み出せそうだ。

「個人と組織との難しい関係について考察を進め、そのなかで、なぜ自分がヤマギシ会に参画することになったのか、そこに何を求めたのかを語っていく」(書評 『贈り合いの経済』島田裕巳)過程を経ることで、物も体験も世間体・メンツ・褒貶も放しきった中に、見出されてきたものがあった。そういうものが引き出され、磨きあげられ、光り輝く場所があった。

「金より手足の四本(資本)はたいしたものや」。「実顕地資本主義」からの出発となる所以だ。
そこはどこかホッとする気風に満ちた場所でもある。

そんな場所から先の、真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟というその方法について想いをはせている。自分の中では、今の実顕地一つからの前進一路の現段階と「方法によって」が一つに重なってくるからだ。『月界への通路』での「通路」の具体的な実感についてである。

ここでの決定的方法とは? 今まで世界で主張されていない、或いは行われていない方法とは? そこまで断言できるものとは?

つまりこういうことだ。以前この欄で、研鑚は研究・学問と異う。研鑽会は研究会・講習会と異うとして、その理由を真なるものを究明し、それに即応(立つ)しようとしているか否かにみた。方法についても、単なる方法・手段と今の実顕地一つからの具現方式の異いについて知らされるからだ。

要は真目的を実現するには、自分の中にある真目的から出発すべきなのだ! それが理論を現実に具体化し得る方法なのだと。方法それ自体を生きる(実践)ことで、真目的の実現と成すのだ! スタートの中にゴールを観る生きざまなのだ。

ヤマギシズム用語でいう、「合真理主義」即ち「真実、それに自己を生かす」即ち「なった先でなく、ならない先のもの」即ち「僕の目には今日の形でなく、カレンダーを数枚めくった日本晴れの明るい世界が展開していますね」云々の意味するところ、「日本晴れ」の今あるままでの幸せ、快適さ、容易さ等々に想いを巡らしている。

別の言葉でいえば、もっとも不自由・みじめに映る世界が即もっとも理想的に映る世界についてである。

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『それからの納棺夫日記』(青木新門著)を読む

文庫本の『納棺夫日記』を読んだのは15年ぐらい前だ。なぜこの書を手にしたのか忘れてしまったが、納棺の仕事で行った先が元恋人の家で、意を決して中に入り作業に熱中していたらいつの間にか横に座って額の汗を拭いてくれる彼女がいた! その時筆者の眼に映ったものが筆者の行動を一変させる。翌日から服装を整え、礼儀礼節にも心がけ、自信を持って堂々と納棺をするようになった。そんな一挿話が以来自分の心になぜか鮮やかに焼き付いている。

今度の新しい著書でも「恋人の瞳」という一節で、それまで周囲から白い目で見られていた自分にとって丸ごと認めてくれたような恋人の瞳は救いだったと、その嬉しさの源泉に再度触れられていた。

他にも「親族の恥」と罵られ憎しみだけがあった叔父さんが亡くなる時に柔和な顔で「ありがとう」といったこと。癌の転移を告知された井村医師のみんな耀いて見えたという不思議な光景について。自身の蛆が光って見えた体験等々の真意がくり返しくり返し尋ねられていく。この間二千回を超える講演や思索は、青木さんが見出された真理の、再検討のために、必至の試みでもあるのだろう。

そういえば自分らの二週間の合宿研鑽会で「私の原風景」を発表し合う機会があるが、原風景なるものの真意の一端を亡くなる数日前まで綴られたYさんの日記を通して知らされたことがある。その日記の最後の頁は「ありがとう」の言葉に続けて「塩のかおりや しおの風がきもちいい」で筆が置かれていた。

あっ、これって彼女の原風景だ! その一年ほど前に研鑽会で共に聞いた瀬戸内のミカンの花咲く小さな島で育った彼女の原風景が自分らの中にも甦ってきたのだった。

ふと「死んでからの極楽よりも、死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします」(山岸巳代蔵)ってこんな感じなのかなぁと、腑に落ちるものがあった。

青木さんはみずからの死者の柔和な顔に接しつづける体験を通して、現代の生と死を分けて考え、生にのみ価値を置いて死を忌み嫌う観方やそこからの社会に異を唱える。そして死の実相は生と死が交差する生死一如(しょうじいちにょ)の瞬間にしかその真実は顕れないのではと確信される。

そうした体験を踏まえた『納棺夫日記』が、映画「おくりびと」誕生のきっかけになった。しかし青木さんはきっぱりと、原作者であることを辞退される。映画は「石文」という寓話で終わり、そこには近代ヨーロッパ思想の人間愛しか描かれてないと否定される。いのちのバトンタッチにはならないのだという。

じつは先の二週間の合宿研鑽会では、六年前から毎回映画「おくりびと」を研鑚資料として活用している。

映画は脚本・小山薫堂さんの自作の小説「フィルム」での、母と僕を捨てた「あの人」の死を知り、偶然(=必然)が僕を「あの人」の過ごした地にみちびき、そこで「あの人」が「お父さん」に変わる物語をベースに展開する。青木さんはその場面を、石文を通して父も自分のことを思ってくれていたのだという親子の情愛のような次元で終わっていると、死の実相に向き合ってこだわり抜かれる。

たしかにどんな場面を見ても何やる場合にでも、見る眼が狂っていては、結局誤解、曲解、逆解に終ることは明らかであろう。

「ヤマギシズム実践哲学」では映画の一場面からでも、僕がお父さんになることでお父さんの心になることでそんな一体になろうとするものから、汲めども尽きぬ源泉をくみとる恩恵に浴している。一体とは無我執であるのだ。そこには正しく見られる心が出来た「見る眼」にさえ入れ換えれば、青木さんの真に意図されるものがそのまま映し出されてくるように思えて仕方ないのだ。

私たちは本来「繋がりを知る精神」、つまり「と」という場所に立って見られる世界を生きている。「生と死」も、生の延長線上に死があるように思い込まれているが、自分自身が「と」という繋がりそのものになることで、それまでの生に価値を置く思い込みの姿が手に取るように照らし出されてきて、全てが解けていく安心を得られるのではなかろうか。

また青木さんは自身のホームページに、ジョー・オダネルの「焼き場に立つ少年」と題した写真を掲載され、そこに「私が満州で終戦を迎えたのは八歳であった。母とはぐれ、死んだ妹の亡骸を難民収容所の仮の火葬場に置いてきた自分の体験と重なり、涙が止めどなく流れた」と添え書きされている。

自分にも心に焼き付いた写真がある。ずっと以前、新聞の日曜版だったかで見た段抜きの大きなカラー写真だ。東京・上野アメ横の雑踏の中で子供を抱いた夫を妻が寄り添うように見上げている家族の光景だ。なにかしら心の琴線に触れるものを押さえられない。なんでもないごくありふれたその光景を「見る眼」で見られるならば、誰の心にも繋がる真実の人生を見届けることを意味するはずなのだから。

「薔薇が咲き 日が差し それが見えてゐる そんなことさへ ただごとなのか」(明石海人) 
「よくみれば薺(なずな)花さく垣根かな」(松尾芭蕉)
「凍る池 藻は青鯉の泳ぎ居り」(鬼面子)

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25 自分がよくなるためからの出発

「私は一九歳の時、或る壁にぶつかり、苦悩の内に一生かけての仕事を始めたのです。そして人生の理想について探究し、真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟という信念を固め、只今ではその方法を『月界への通路』と題しまして記述し続けております」(山岸巳代蔵)

かつて「理念」はいつも「現実」の前で虚しく裏切られた。理想を描き、その理想実現に生きがいを感じて明け暮れる高揚する日夜が、一転互いを傷つけ合う修羅葛藤の場に変わる。

そもそも理念とは、現実とは何か?
理念と現実との乖離はどうしたら埋められるのだろうか?

そんな時ふと、自分が「ヤマギシズム理念」そのものになったらよい、という思いがわいた。しかし、瞬間的にそんなバカな、とすぐに取り消した。だって自分は我執の固まりなのだ。でもそれだったら、お先真っ暗だなぁとなかばあきらめかけていた。

そういえば、山岸会の会旨は「われ、ひとと共に繁栄せん」であり、私の社会倫理は「自己より発し、自己に返る」として、「われ」とは「自己」とは、とずいぶん研鑽を重ねたことがある。ここでの「自己」とはどんな自分なのだろう?

「全研(※昭和三十三年頃)の場で『あんた方ここに何しに来たんですか』と問われた時、全人幸福運動、戦争のない社会、不幸な人が一人もない、愛児に楽園を、理想社会を創りに、と応える人が多かった。その時『私が幸せになりたいからとちがいますか。その幸せがひいては全人の幸福につながる』といわれた」(川口和子談)

「自己」の歓びや快楽などを追求することは「自己中心主義」に受けとられるという遠慮や自己規制に縛られ観念が、根こそぎにされたような衝撃をうけた。「ああ、そうか」と腹に落ちてくるものがあった。

結局自分がよくなるためからすべて出発している。屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝など一切無い。自己より発して自己に返るだけ。自己の楽しむ場を広めていくためで、決して人のためでないということ。そういう「自己」がやっていく副産物として理想社会ができていくというような……。

それは事実その中で生きているもう一人の自分の中の「自分」を知らされたきっかけだった。

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24 「事実」の正体

「ちょっとした一点が欠けていたために全部が駄目になることがある。しかもその一点を究明しないで、他の条件を、その原因であるかの如く決めつけてしまう非科学的な、軽薄な態度に気づくことである。(略)
『食べない』、『食べ残す』、『すっかりやせて倒れていく』、『モミガラは栄養価がない』、『繊維は不消化だ』などといわれるが、それに対して、モミガラに限らず他の繊維類も含めて、或いは他の飼料に対しても、こうした考え方で観ていくことで、人間の食糧についても、また食物栄養関係だけでなく、すべての物事に対しても、こういう考え方で観察していくことである。
先づモミガラは食べ残す、食べないという事実に対して、よく食べる、食べ残さない、という事実もある。その間に栄養が有る無しに拘らず、それは使用する大きな目的・効果が他にもある。
食べ残すようにするには、食べ残すようなやり方で。食べ残さないという事実は、やはり食べ残さないようにするから、食べ残さないものである」
「食べたいから食べるのと、食べなくともよいが食べるのと、何でも二つある」(山岸巳代蔵)

モミガラ等粗飼料を鶏・豚・牛等家畜に美味しく大量に食べさして体質改造をはかることで、その個々のもてる能力一杯に営めるような境地を得せしめることこそ飼育者冥利に尽きるというものだ。
自分も一飼育者として「こんなものは食べない」「この鶏は駄目なトリ」「こういう飼い方はイケない」等早のみこみで軽率に判断してしまう自分を嫌という程思い知らされてきた。そして「事実」の正体は何なのかと考えさせられた。
そうした日々のとり組みから、「二つの事実」という概念をあみ出して自らの生き方の指針としてきた。

また「何でも二つある」の研鑚を通して、ふだんの何気ない「腹空いた」事実と「食べたい」という思い・欲求は、まったく別のことであることを知って驚愕したことがある。
何かキメつけ観念を持っての「食べたい」世界とことわざ「武士は食わねど高楊枝」を彷彿とさせる「食べなくともよい」という放して食べる世界のあることを知らされた。

だとするならば、「食べなくともよい」の場所が「と」に立つということだろうか。事実はあれば食べる、無ければ食べれないのだから……。

ちょっとした一点が欠けていたために全部が駄目になることがある。ほとんどは使いこなせていない自分の考え方に原因があるのだが。しかもその一点を究明しないで、他の条件を、その原因であるかの如く決めつけてしまう非科学的な、軽薄な態度から顕れる「食べ残す、食べない事実」
鶏一生、粗食の中から栄養を充分に取り、長期健康で長期生産性を高める生物(自然)の生理的作用等をもっともっと究明・活用することで顕れる「よく食べる、食べ残さない事実」

その部分のみを見て判断する浅い考え方を放すという観念作業だけで、トタンにヒックリかえる「事実」。

「現実」も変えることができないと固く信じ込まれているが、すべての物事に対しても二つの事実という考え方で観察していけるのではないか。

「と」に立つということは、一体観に立つということ。

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