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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

「と」に立つ実践哲叢 (3)

稲と鶏(下)
農業養鶏から一体養鶏へ

こうして山岸式養鶏法の急速な普及にともない各地方支部などが続々結成され、そこから代表で送り出されたメンバーでの「本部研鑽会」や「五五会」が盛り上がる中で、昭和三十一年一月には一週間の「特別講習研鑽会」(略称、特講)開催に至る。

その前年十二月の幸福研鑽会の席上で山岸さんは、今も特講で使用される『ヤマギシズム社会の実態』の書の原稿の一部をみずから読みあげて、山岸会が目指すものとは何か、鶏は手段でみんなの幸福が目的であること、鶏を通じて人間社会が良くなる道筋などを噛んで含めるように説明したのであった。

またその年の秋には京都府向日町で、第一回の支部養鶏係の特別講習研鑽会が一週間開催されて、養鶏書の輪読研鑚と共に山岸会式標準二連式鶏舎を実地に建てたのだった。このように農業と養鶏を一体に結びつけた形態に改組した「農業養鶏」は、特講受講者による本当の仲良しで心を一つにした「一体養鶏」に発展していった。「一体養鶏」をやることが理想社会実現への第一歩として位置づけられたのだ。

たとえば古くからの有田ミカンの産地、和歌山県金屋支部では、ミカン園は荒廃し、それを復旧するための化学質肥料や有機質肥料の多量の施肥、その作業に従事する重労働などの現状の中で、「私たちは、少しでも良い、安い、美味しいミカンを多量に生産することが有田農民の仕事ではないか。そのために『一体養鶏』をやることで解決し得るのではないか」との研鑚から「一体養鶏」を皆で始めることになったという。
もっとも当時は一体養鶏といっても何か理念や方法があったわけでなく、ただ特講を受けた時の「楽しく暮らそう」「仲良くやろう」という気持ちからの実行だった。なかでも部落の過半数が特講に参加していた下六川地区では、いよいよやると腹を決めた八戸の総家族五十名の気持ちには悲壮なものがあった。

まずは仕事の遅れている家へ手伝いに行く者、農機具のない家へ農機具持参で作業に行く人、自家産野菜や珍しい物を分け合って喜ぶなどの助け合いの気風から始まり、稲刈りからは農作業のできる者は全員出動し、刈取り脱殻と一体作業が活発化していった。もろん従来の共同作業とは違って、各戸何人づつ、何時間働かねばならない規則もない。また鶏卵肉がふんだんに食べられるようにと十一連の一体鶏舎も皆で建てた。
すると我利我欲の観念もどこかへ飛んでいって、作業の報酬や、収穫物に対する期待もなく、休暇時にはよもやまの話が飛び出し、個人作業をしていた時の苦労話、特講を受けるまでの腹立ったこと、大酒飲んであばれたこと、夫婦げんか等々尽きぬ話題に大笑い。以前は水げんかしたことのある田んぼの畦で、まったく驚くべき変り方だった。

形はまだまだ個々別々の中途半端ながら、自分を丸ごと一体の中へ入れる実践がつづく。

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