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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

40「われ、ひとと共に」(中)

「人でも、何物でも、無いと決めれば、いつでも、いつまでも無くて悲しまない、気にしない。死に切った道夫がいつか番田を訪れる日があるなれば、それは安子が死に切った後のことで、道夫がいついつまでも出ていて、アテにしない安子に成った時でしょう。妻子、眷族、故郷に、自分に、とらわれそうになる自分の殻から脱け出し、物心の貧乏から抜け出し合いましょう。愛児のために、自分のために。自分を幸せにするのは自分以外にない。しかも本当に自分が幸せになるには、全人の幸せを願う私から出たものでなかったら幸せにはなれない。(略)
頭でわかって口で言っている間はなんにもわかっていなかった。家を飛び出し、ゆくえ定めぬ旅路の宿で、もやが晴れつつある今の私。
地虫が地殻を破って地上にはい出し、せみは飛び立つ。〝死は生〟だ。実行! 実行! まず実行」(山岸巳代蔵)

さきのM・ブーバーの『我と汝』が発表されてから十年後の1932年、日本の哲学者西田幾多郎(1870~1945)は「私と汝」というじつに興味深い論文を発表している。自分の中では、M・ブーバーの『我と汝』と地続きのテーマとして読めた。というか、〈われ―なんじ〉が立ち現れてくる誰にとっても決定的な「出遇い」への道筋をいま一歩踏み込んで明らかにしていく、実践的行為をうながす論文として読んだ。例えば、次のような一節である。

「私と汝とは絶対に他なるものである。私と汝とを包摂する何らの一般者もない。しかし私は汝を認めることによって私であり、汝は私を認めることによって汝である、私の底に汝があり、汝の底に私がある、私は私の底を通じて汝へ、汝は汝の底を通じて私へ結合するのである、絶対に他なるが故に内的に結合するのである」(『西田幾多郎哲学論集Ⅰ』岩波文庫)

ずっと理念とか真目的とか理想とかいわれるものを身近な自分のこととして生きる生き方を切実に欲求してきた。しかしこの間借りもの受けもの知識を振りまわしては自他を縛り合う悲喜劇にも巻き込まれてきた。だからなおのこと外に求める理念や知識や体験の蓄積や高い能力や激しい荒修行等に依らないでも、こんな不器用な自分でも温もりに包まれた場所に居続けながらなせる、そんな良いこと尽くめの生き方を探し求めてきた。

つまりM・ブーバーのいう〈われ―それ〉といった外在的・対象化して見る認識行為よりも、自分なりのリアルな実感そのものとして内在的に理念観念を掴みたかった。しかしそんなものは主観的な思い込みにしかすぎない。これだっ!と深く感じる実感ぐらい、アテにならずその時代環境からそう感じさせられているにすぎないもの、といった考えも根強くある。そうかもしれない。迷妄かもしれない。

しかし事態は展望を見いだせず盲目状態に陥っていた。そこでの日々は自分にとってもせっぱ詰まる心持ちだった。そんな中で、なぜか「心の琴線にふれる」温かい実感像が幾度となく甦ってくるのだ。そんな癒やされるような温もりに包まれた場所でしばし自足している自分自身がいた。

フトこんなところで自足する自分とはどんな自分なんだろうと思い返してみた。現実から逃避しているだけだろうか? それにしてはこの心地よさはなんだろうか? 「心の琴線にふれる」この「触感」とはなんなのかと、そうした実感に思いを馳せてはくり返し浸りきった。そうするとそこの部分がしだいに底光りしてきて、いつしかそこに「じぶん」の姿が映し出されてきたのだ! 思いもよらない成り行きだった。

生きた存在はなによりもまず自分自身に配慮するといった「自己への配慮」(セネカ)からはじまるという。ひょつとしたら「心の琴線にふれるもの」の大海へ飛び込んでいくことで、自分なりの実感にかなうその先にあるものにたどりつけるかもしれない。いや、誰の心にもある真実にまで……、と次々と膨らんでくる予感に心が躍った。

ふりかえると こうした自分が自分(繋がりそのものの自己)に出遇う実践を通して、さきの西田幾多郎の「私の底に汝があり、汝の底に私がある、私は私の底を通じて汝へ、汝は汝の底を通じて私へ結合するのである」といった文言がリアルに響いてくるのだ。かの文豪夏目漱石の講演「私の個人主義」にあった、「自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたような」といった本質にふれた歓びにも通底するはずだ。

このような「底を通じて」(「私と汝」)、つまり底板を踏み抜く実践から立ち現れる世界があったのだ!
こう見てくると、山岸巳代蔵の「〝死は生〟だ。実行! 実行! まず実行」との叫びのような心底は、「私と汝」の「と」そのものに西田幾多郎が見た「絶対無の場所」とも深く通底しているようにみえてきて興味は尽きない。

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