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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

イズム実顕地づくり考 (4)

1961年1月に兵庫県にヤマギシズム生活北条実顕地が誕生以来数年で、日本全国及び韓国などに数十ヶ所の実顕地が誕生した。しかし弱小実顕地の初期的維持は余りにも厳しく、一部実顕地は痕跡を残して分解し、あるいは構成家族の減少など、形に見えた事象は多難に見えた。そんな折1969年4月、当時の三重県安芸群豊里村にヤマギシズム生活豊里実顕地として、三十家族、百名の適正規模実顕地造成が始まった。

二つ目は、その頃当時の実顕地誕生への産婆役を務めていた実顕地造成機関で描かれた「金の要らない仲良い楽しい村」の場所像である。それはこの村の特色として次のように記されている。

〈仲が良い〉
この村の合言葉は「まず仲良し」で、何をさておいてもまず仲良くなることをすべての出発点としている。人間同志は言うにおよばず、諸事・諸物とも仲良くしていくことで、自然科学の研究も、産業経済の発展も、みんな仲良くなってからのもの。相手が良くなれば私も仲良くするでは、世界平和も永久にこないであろう。
〈金が要らない〉
人と人との間に金やチケットが要るということは、それは相手を他人と見ているからだ。「私はあなた、あなたは私」のこの一体の村には、何ら取引や貸借の金銭受け渡しを必要としない。
〈財布一つで給料や分配がない〉
この村は何人何家族集まっても、それは仲良し一家の集まりだから、経済は一つで、よく働いても、働かなくても、給料も罰則もなく、分配して狭く囲うのでなく、公の広場で、その人がその時の必要に応じて適量使っていく仕掛けであり、ちょうど空気の使い方のようなもの。
〈規則、監視がない〉
この一体社会には人が人を監視する必要もない。それはまた人としてすることではなく、人からあるいは法規・条文によって規制される他動的なものでなく自らの内なるもので自分を正し、自分を自分で律していく自発的自由な方式である。各自の能力と持ち味に応じた楽しむ仕事には、監視がいらない。
〈階級や長がなく、無報酬〉
この村での運営は、寡頭独裁や多くの力で少数を押し切る多数決を排し、何事も同列横の全員が納得のいくまで研鑚した一致点によって運営される。何年働いても、どのくらい実績を上げても階級が上がるようなこともないし、待遇がよくなるようなこともない。タダ働きである。唯一の喜びは、そこに自己が活かされ、人生を全うすることであり、ここに真の生き甲斐がある。
〈固定がない――無定住〉
人生は、考え方も行為も固定しないで流動的に送ることが自然の真理にかなっている。この村には固定がなく、住む場所や家にしても、各実顕地間の交流により、その時の自分に適した環境に住み替えることが自分次第で可能で、やがて国中、世界中そうなれば、家替え村替え自由自在である。
〈物資豊満・自由使用〉
この村には、権力欲も支配欲も征服欲も所有欲もなく、財産を個々に貯え守る必要がない。あるのは、全世界の頭脳・技術を持ち寄って衣食住・生活必要物資を空気や水のように豊富に生産し、そのものを偏在させないで、使用の機会を万人に均一に与えることとする。
〈生活の終生保証〉
実顕地の中に生活調正機関を設け、そこに私の身体を含む一切の有形無形財を委ねる。一旦そうした以上、その家族の子々孫々までの生活が保証され、万人の愛に包まれて愛児が生長していく楽園たらんとしている。
〈現状そのままでスタートできる〉
この村を造るには、現状のままで、政治体制も社会機構も家族も家も財産も、破壊も撤去もする必要がなく、周囲環境はそのままで、その気その考え方になるなれば、今すぐ実現できる簡単容易な方式である。
〈全人幸福運動の一環として〉
ヤマギシズム生活実顕地は、未来永劫栄えて限りない確信のもとに、今日もその村づくりにいそしんでいる。なぜか――。それは、自分だけの幸せを願っても、それは終局において成り立たないとするヤマギシズム社会原理に基づいて、その実顕地だけよくしようとするのでなく、全人幸福運動の一環として進めているからである。
〈要約〉
何も持たない裸の人達の群れ、それが真の自由人。持つことが唯一の安定の道だと思う人達が身に余る多くの荷物を持ち過ぎて、その重荷の苦しさに耐えかねている、今の世相である。その道を進めば安定の社会になっていくだろうか。個人の幸福が得られるだろうか。今の経済成長がどれほど個人の幸福に役立っているだろうか。プラス、マイナス差し引きどうだろうか。
もっと楽な、楽しい、害のない、よいことずくめの本当の人生があるはずだ。
軒端にさえずる雀さえ、花に飛びかう蝶の群れとて、自分の家も財産も持たないのに、持たないからか、あの気楽さよ、楽しさよ。
蝶になりたい、花になりたい。裸で生まれて裸で死ぬ生身の途中の人生を――。

こうした世界が紹介されたのは、1971年8月に発刊された『Z革命集団山岸会』(ルック社・山岸会文化科編集) に於いてだった。当時実顕地に住みはじめて間もない頃だった自分には、一読しての感想は「ああそういうものか」以上のものはなかった。むしろ、蝶や花と自らの生き方が重ねられていることへの距たりの遠さに腑に落ちないものが残った。

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