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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

イズム実顕地づくり考(11)

先日5月19日付の朝日新聞朝刊「オピニオン」ページに、社会学者の見田宗介さんのインタビュー記事『歴史の巨大な曲がり角』が載っていた。冒頭のリード文では、次のように見田さんの論点が紹介されている。

「深刻な環境問題を抱えつつも、経済成長を求め続ける─―。私たちの文明が直面する根本的なジレンマに対して、日本を代表する社会学者・見田宗介さんは「ならば成長をやめればよい」と明快に答える。しかも、そうすれば今よりもずっと幸福な社会が訪れる、とも。一体、どういうことだろうか」

見田さんと自分らヤマギシストとの関わりは古い。1972年にイズム運動誌『ボロと水』では鼎談「牆壁なき世界に向けて」に出席してもらったり、最近では著書『自我の起源』からの一節「インドのバナナの少年」の話を研鑚学校Ⅲでの研鑚資料として活用させてもらっている。

見田さんの未来の社会構想、(交響するコミューン・の・自由な連合)の可能性を探る理論創造への仕事は、一貫してブレていない。つまり現代社会をたんに否定するでなく、そのさきの、矛盾と限界とその可能性としての「転回」していく必然を指し示してくれるところに理念創造の生命が流れている。そこが魅力なのだ。

「近代は時間や空間や価値の、無限という病に憑かれた時代」であり、「有限であることを正視するところから近代を超える思想の問いははじまる」という。

例えば『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来―』(1996年刊・岩波書店)では、幸福な社会への道筋は、情報化と消費化の力によってだとする。なぜ? 消費化は本来、生産至上主義からの解放であるし、情報化は本来、脱・物質化であるからだという。

その一例として、「消費社会」とは豊かになったあとのあるべく社会という意味だとして、現代社会での必要労働は週に10時間で充分だとするフランスの社会学者の説を紹介して

「ある共同体の話で、そこでは労働が強制されない。農業や牧畜、本の出版もしていますが、働きたい人だけが働く、ということで成り立っています。それを聞いたある人が、そんなうまい話があるものかといって、入会し、みんなが仕事をしているのを尻目に、好きな釣りばかりしていたそうです。十六日間釣り三昧の生活を送ったところで結局退屈になってしまい、仕事をしたくなったらしい。……ほとんどの仕事は、やりたい人がやると埋まるんです」(『二千年紀の社会と思想 2012年刊』)と、働かなくても食べられる社会を指し示す。

イズム運動の先人Tさんの面影が浮かんでくる。

それでは見田さんの「ならば成長をやめればよい」と明答する根拠は何か?

それを最近1000年間の地球上のエネルギー消費量の変化や生物学の「ロジスティックス曲線」からの考察を加えて説明する。一般に生物は、環境に適応したことで個体数が増え、続いて爆発的な増加を遂げたあと、環境の限界に直面して横ばいの安定期に入る。地球という有限な環境化での人間も同じことではないかと。
そして、成長に依存するシステムと心の習慣から私たちは脱していないところが問題なのだという。

「今、私たちは、人間の生きる世界が地球という有限な空間と時間に限られているという真実に、再び直面しています。この現実を直視し、人間の歴史の第二の曲がり角をのりきるため、生きる価値観と社会のシステムを確立するという……わくわくする宿題」なのだともいう。

こうした見田さんの「有限なものを無限なものであるように幻想することをとおして有限に終わるシステムでなく、有限なものを有限なものとして明視することをとおして無限に開かれたシステムの方へ、それは転回する革命であるはずである」(『社会学入門』2006年刊・岩波新書)といった「有限性」についての言説が急にリアルに感じ始められてきたのは、2011年の3.11東日本大震災後である。

潮目が変わってきた。価値観の問い直しが無意識にはじまってきている。 
これまでの環境、公害、資源、人口問題といった自然からの警告現象を「なった先で」で対処する考え方から、そうした現象を生みだす成長依存的な社会構造なり、有限の地球資源を食いつぶし合う個々別々の対立した考え方があぶり出されてきたのだ!
 「なった先で」の技術革新や高度化や大規模化などの“対症療法”も、もはや「限界」を迎えているのだと。

そこで空間・水域までも画線を設けたがる征服欲や支配欲、優越感情、祖先幾代からか刻まれた所有欲など際限なき(=無限性)心の欲望に代わって、それ以上の使っても使っても実質減っていかない「無限の豊かさ」に乗り換えていく道筋がいま切実に求められて来だしたのだ。
さきの『現代社会の理論』からくり返し見田さんは成長しない社会での明るい可能性を語る。

「自由と贅沢な消費とを何よりも愛した思想家バタイユは、至高の贅沢として『奇跡のように街の光景を一変させる、朝の太陽の燦然たる輝き』の体験を語っています。生きる歓びは、必ずしも大量の自然破壊も他者からの収奪も必要としない。禁欲ではなく、感受性の解放という方向です」

「ならない先のもの」の場所とは、「範囲」とか「限界」とか「調正」という理念概念が真に生きる場所であるとした。そこはまた、物心共に満ち足りた、かつ必要以外に物を欲しがらない「必要限界」が滲み出る場所でもあるにちがいない。

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イズム実顕地づくり考(10)

また「ならない先のもの」とは、はかりしれない深さで営まれている自然界の創られている保ち合い、活かし合いの循環原理の範囲内での「出来事」であるのだろう。

以前次のように記したことがある。
「民俗学の柳田国男の著作『豆の葉と太陽』に次のようなことが書かれている。
村々を歩くと、火の見やぐらが一本の杉の木で作られており、いいぐあいに二股になっているところに鉄棒を通して足がかりとしていることに気づく。最初は、よくまあ都合のいい木が見つかるものだと感心していたが、そのうち、それはわざわざ初めから計画してそう作るのだということがわかった。そこで柳田は考察する。

〝村の長老等は木の未来とともに、村の未来を予測すること、我々が明日の米を支度するごとく、三十年後の隣村の火事を発見して半鐘を打ち、かつ見舞いに行くべく、今からこの杉の木を栽えるのである”

ここには不思議な時間が流れている。初めから未来を含んだ完了形になっている。未然完了体とでもいえようか。
普通一般には死児の齢を数えるように地位や学歴や今までの立場に固執する過去完了形とか現在形、つまり今日の姿を見て一喜一憂する時間を暮らしているからか、奇異にさえ感じるのだ。しかし、いつまでも心に残るのはなぜなのだろう。
ひとつは、村全体の未来の繁栄が初めに意図されていて、その実現のために今の暮らしを用意するという着眼点の新しさにある。単に観念的理想論にとどまらず、目先のものに拘泥して手段と目的を取り違えることのないあり方を、この一挿話が語る実践から触発されるのだ。
こうした観点に立つ時、三十年先の隣村の火事を発見するために今から用意することがかつてあったように、百年後、千年後のために、今ただちに着手しなければならぬことがあるとの考え方が一気に現実味を帯びてくる」(『贈り合いの経済』所収)

ここでの「不思議な時間」とか「村全体の未来の繁栄が初めに意図されていて、その実現のために今の暮らしを用意する」とは何のことをいっているのだろうか?

以前イズム養鶏法研鑽会で、山岸巳代蔵が秋に来る台風に備えて、夏頃から鶏舎の跳ね上げ戸を時折バタン、バタンと上げ下げして、鶏たちを少しづつ異音に慣れさせていたという話を聞いた。鶏は暴風の物音に驚いて産卵を止めてしまいがちだから、そうした細やかな気遣いに感じ入ったものだ。

それにしても例えば次のような一節。はッと心の底から湧きあがってくるこの感動はいったい何なんだろうか?
「三〇年後の隣村の火事を発見して半鐘を打ち、かつ見舞いに行くべく、今からこの杉の木を栽えるのである」

ここには自分を自分から放して、例えば芝居の登場人物を客席から観る態度で見られるように、客席から観る自分と芝居上の自分がくっきりと捉まえられている。それゆえか今やることが鮮明に浮かんできて、その時その場で最高に活かされ、それ自体が歓びであるような世界が顕れてくる!

客席から観る態度で、今の自分を思いおこしてみるのも面白い。
過ぎし日吃りで悩んでいた時は「不幸だ」「不幸だ」と思い込んでいた。ある時いつも逃げ腰になっている自分を、思い切って実際の場に何度も押し出してみた。つまり吃らないようにと自分の考えを意識するのではなく、実際に言葉をツナグ行為をやってみようとしたのだ。すると時には人の中で自分も気づかずに吃らないで話している自分が見られた! ヤッターと叫んだ。何でこんなことに気づかなかったのだろう?
「事実その中で生きていく強い自分を見出す」ってこんな感じなのかなあ。「不幸だ、不幸だ」と思っていたことが起こったから、こんな強い自分を見出せたんだ、と。そんな「強い自分」に思いをはせると、よし失敗してもみな起こるべくして起こった体験として生かしていけるのだ。「ああ、これは面白いことだナ」と。

「ならない先のもの」とは、三十年後の隣村の火事をすでに「起きてしまったこと」として振り返ることで、「今からこの杉の木を栽える」を今やることとして見えてくる、そんな物事が全面的に見わたせる場所のことでもあるのだろうか。

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イズム実顕地づくり考 (9)

何とか「ならない先のもの」の扉をこじ開けてみたいのだ。
しかもそこは、「人間同士に限らず、ネズミやゴキブリやバイ菌その他森羅万象すべての現象にあてはまる」場所でもある。

さきのネズミの例でも、ネズミにしてみたら食物があるから繁殖して子を産んで嫌われてよい迷惑かも知れない。人間が住みついて鶏飼ったり餌を積んだりしたので、ネズミが繁殖したのだった。それを「なった先」の人間よりの一方的な観方・考え方で毒なんか盛って殺していくのは不自然なやり方なのだ!? そんなに繁殖して悪いものであれば、そういうものが繁殖しないように、産まれる前に、調和・調正するように人為を講ずるのが、人間でできる、またしなければならないことの一つではないのか?

ここに「その限界を定めて、お互いにその線を越えない」とか「他を侵すことの浅ましさ、愚かさを気付くこと」(『世界革命実践の書』)などの方法実践概念が生まれ出る必然がある。

養鶏場のネズミの場合だったら、ネズミの住む場とそこに住める範囲を定めて、その範囲以外には住めないように鶏舎構造や倉庫構造を考える環境づくりが人間に求められる。

自然界の共生・共活実態は、そこまで「自然と人為の調和」をはかるという人間だけしかできない排他的でない「調和・調正」という知能の用い方を迫っているのかもしれない。
つまりネズミの観点からとらえれば、人間の繁殖もはたして地球上に生きる資格があって生まれてきているのかと「人種改良と体質改造」にまで繋がるテーマとして問われているやにもしれないからだ。

ともあれ、人間を含むすべての生物から無生物まで、適材適所というか活かされる場所に生きて調和している状態が根底にあるような気がする。
「ならない先のもの」の場所とは、こうした適材適所という仕組みで成り立っているにちがいない。そこはまたすべてを委任する委し委される仲というか保ち合いで成り立っているかのようだ。そうであるからこそ、「範囲」とか「限界」とか「調正」という理念概念が真に生きる場所であるのであろうか。

要は、ネズミにはネズミの住む場、人間には人間の在り場所があり、ネズミが人間の在り場所に来なくてもいけるもの。こうした調和が保たれた状態・姿のことを、すべてのものの幸せとか活かされるとか相合うものとイメージされてくる。

こうしたイメージが織り込まれた場所でこそ、宇宙自然に繋がっている自分に最適の位置が見出せるはずで、その場にはまったら最も自分を活かすことができる。そこには他のものを侵すこともないし、仕事が嫌だと思うこともない。その組み合わせや調和をどこまで研鑚によってはかれるかをやっていこうとするのだ。

またここでいう「イメージ」とは、人間よりの勝手なイメージというよりも、自然科学的な真理観に基づく共生の世界の気づきをいう。凡てのものの生きる力のもと太陽エネルギーにはじまり、太陽、空気、水と土、そこに生存する動植物の循環によって営まれている自然界。この自然界の循環原理の「範囲内」でこそ、人間もまた良く生きられるはずである、といったイメージだ。

「範囲」とか「限界」とか「調正」という理念概念が真に生きる場所、ここが場所設定の最大のミソとなる個所なのだ!

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イズム実顕地づくり考 (8)

さきにも見たように、例えば好き嫌いや仲良くなったり仲悪くなったりするテーマでも、何も道徳観念や善意の解釈でなしに、その根本がポンと出ると、後は嫌いな部分や仲悪い相容れない部分を「外し」「取り除く」だけで解消されるのだ。

それはかの「ハエタタキ法律書」でも、好ましくないものは出来てから無くすのではなく、起ってこないようにもっていく方式だ。
養鶏だったら鶏の腹にわく回虫でも、回虫を無くしようというのではなくて、回虫による被害を無くしていこうとする観方・考え方である。
このことは人間同士に限らず、ネズミやゴキブリやバイ菌その他森羅万象すべての現象にあてはまる。
餅でも、大好きという人がたくさん食べたら、もう見るのも嫌いに変わる。だからといって嫌いかどうかと検べると嫌いではない。やっぱり餅米を作ってる。今要らない状態。糞尿でも一役果して今必要としないだけのこと。吐く息でもそんなものらしい。

宇宙自然界にあるものは、害し合うのでなく、適所を得ればバランスを保ちながら、共に生きていける性質のものではないか。そうだとしたら、こうした事実・実態に合う観方・考え方が求められているのだが、如何せん今迄の個々別々に離れた対立社会での敵視、排他する観方・考え方からではまったく歯が立たずお手上げなのだ。

こうした問いかけ自体が今迄隠されていたのである!? 自然界の生態系の事実が、人間自らのものとしてこれまで明らかにされて来なかったように思える。

本当は日々自然科学的な真理を追究する科学者こそ、いちばん生態系の共生の事実を身近に実感しているはず。ところが如何せん科学者は客観的な対象物としての相互関連性を次々と発見・実証していくのだが、そのことが自らの敵視、排他する観方・考え方をヒックリ返す自分の価値観や生き方にまでは繋げていこうとはしない。それゆえかイズムでいう「自然全人一体観」に「立つ」という実践は、以前として未開・未知の分野として見すごされたままであるのだ。

「人は皆それぞれに忙しく営んでいますから、しかも直に目に見えない、或いは直接腹の太らない事には寄り難いものです。利害が直接影響することは、小さい事でも、重大関心を以て目を光らせて臨みますが、間接的なことや、無形的なこととなると、何倍か大きな酬いのあることでも、案外他人事のように自分に不親切で、誰かがやって呉れる位に冷淡で、欲の無い事、浅い事、そしてつまらん、忙しいと、一日を惜しみます」

これが科学者に限らず今の社会普通人の考えであるのだろう。
「案外他人事のように自分に不親切」とあるが、そういえば本ブログのタイトル『自己への配慮』もこの事実の気づきから生まれたものだった。

本当の正常健康な世界にはあり得ないものが現象界に溢れ出ている。曰く警察、戦争、病気……。しかもそうした現象を当たり前にしてはばからない人間自体の我執頑固観念。それが取り除かれたら何も起こりえないのに……。頑固観念を身に着せられたばかりに真の人間になり損ね、その素晴らしい妙味も会得しないまま死出の旅路を急ぐことになる。

そもそも聞き慣れない抜本塞源方式とか「その根本がポンと出ると後が楽なのや」とか敵視、排他する観方・考え方でなく「原因を無くする」・「邪魔しているものを取り除く、塞ぐ」・「起こってこない」・「被害を無くする」観方・考え方とは何なのだろうか?

本当の仲良しになりたいばかりに、そのためにも「なった先でなく、ならない先のもの」にこそ研鑚の光があてられるべきなのだ。それもふだんの暮らしの中で実感的に享受できるところまで……。

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「と」に立つ実践哲叢(5)

「と」からの展開(中)
 一人だけ解ればいい

たとえばその間の通じ合わなさを第一回「特講」開催(昭和三十一年) 半年前頃に「難解な私の言動」と題して次のように記している。

「私の云うこと、書いたもの、行いの殆どが、殆どの人に、不可解に終ることを知っています。御忠告も頂きますし、反省もし、また結果については特に注意深く神経を針にして感じ取っているつもりです。文章に、対話に、講習、講演会等に、対者の大部分が、否、全部の人が解らないとおっしゃいます」

「田や持ち物は加速度的に失くなりますし、借財と不義理(既成社会で云う)が重さみ、身動きも出来ない現状です。儲かる鶏を、自分で飼わずに貧乏しているから一見、狂態に見えるでしょう。
この事実を見て解りますか。解らないでしょう。こんな、目に見えることさえ解らないのですから、無形の、しかも下手な話が解らないのは当然です。これが正解出来る頭の持ち主が、そうザラにあってはたまりませんよ。こちらより上等頭でないと解けない筈です。それならそんなムダ話は止せよと叱られます」

「九九九人が解らなくとも、一人の人に解ろうとする端緒を掴んで貰えば、それで大成功と思って初めからそれ以上を期待しません。物を求める人に、かえって心の世界に主力を傾けて述べるのですから、大分喰い違いが出来るのです」

そしてモドカシさのあまりその年の十月に兵庫県明石市で開催された山岸会第二回全国大会で、「どうすれば私の言うことが分かって頂けるのでしょう」と題した賞金一万円の懸賞問題を出題するに至る。
どうしても出題項目について深く正しく知ってから実行しなければ、如何に努力しても絶対に成り立たないからだという念いからの真情吐露だった。損をさせては申し訳ないとの気持ちからだ。そして必ず大儲けして頂けるようにと「特講」開催にまで踏み切るのだった。

一般的にもいえることだが、理想と現実が相矛盾する原因はほとんど「手段を目的のように取り違えている」ところにみられる。だとしたら、みんなの幸せ(=目的)のための手段(=養鶏)をやっている、そこのどこが取り違えになるのか?
そもそも「目的をはっきり知る」とは? 「養鶏は手段である」としてやるとは? つまり何を「やる」ことなのか? この問いは、金や名こそ最大のものと思う人には今なお難解な言動であり続ける。

多分ここでの真意は「チャラにしよう」という提案だ。いったいなにを? 意味は、帳消しにする・清算する・水に流す・なかったことにする・元の状態に戻す・リセットする・白紙に戻す云々なんだろうが……。

そしてなんとか養鶏で儲けたいとする人を前に「卵を産まぬのが幸福ですわ」とニンマリ笑う。一方では「一日に二、三個の卵を産ますことができると言われても、これを不可能事と一笑に付さず、一つの実現できる夢として見る若さが欲しい」ともいうのだ。    

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イズム実顕地づくり考 (7)

こうした今日までちっともブレないグランドデザインの組み立ての根源となり、一貫した基盤となる場所に思いを馳せると、改めて気づかされることがある。
山岸巳代蔵の考え方は、現代社会の不合理の原因を根本から取り除くことで、永久に幸福な理想社会が実現されるとする。人間の知能の用い方に明暗二道への岐路をみている。例えば―

「かような仕組みは、根本的に間違っているもので、悪を矯め直そうとしても、今の社会に戻せば二度三度、悪が重なり、大きくなり、又次々と新しく発生します。蛆虫が生くようにしておいて、蝿を追うようなもので、次の世界では悪の起る原因を無くし、権利・義務のみで、凡てを片付けるハエタタキ法律書は空文になります」(法で縛らぬ社会)

つまり抜本塞源方式により解決し得るのだという。未来を含んだ完了形から出発しようというのだ!? そんな結論先出しというか理念を根底として、そこからいろいろ考えていくのだという。「その根本がポンと出ると後が楽なのや」と。

それは数百年前も数百年後も絶対変わらないはずのもの!? 古代だ近代だ現代だ資本主義の段階だ進歩だといった歴史や時代変遷の枠を超えて永遠のものたらしめんとするのだ。
ここで提案されているくっきりとした青写真のもとでの「世界急進Z革命」と命名された場所像は、好きとか嫌いとか、良いとか悪いとか、いわば既成の人間観念界の喜怒哀楽・幸福感のはかなさを超えたところに顕れ出るのだ。この辺り物のみを求めてきた頭をもってしては、解りにくい。物が豊富になれば礼節を知り、世の中が良くなり幸福になる、といった平板な考え方ではないからだ。

こういうことだろうか。
例えば日々の実顕地づくりの中で、誰とでも仲良しでやっていきたいと思いながらも、実際は、「この人とならやれるが、この人とはやれん」という気持ちが出てくる場合がある。そして好きになったり嫌いになったり、仲良くなったり仲悪くなったりする。しかもその分自分が寂しいというかスッキリしない後味の悪いものが残る。
誰とでも仲良くやっていきたいのに、なぜ崩れるのだろう? なぜ好き嫌いの状態が変わるんだろう? 
ここでどんなことがあっても仲良いと、これは変わらないもの。そこから出発するとどうなる? 
あいつ嫌いやという場合、行為と人を切り離してみる。人となるとその人らしい個性美ばかりが浮き立ち、それには好き嫌いはないように思える。またあいつのやること嫌いやというが、それはその人がするのでなく、「そうしたら良い」とする考え方がするのだから。だとしたらあとは相容れない考え方や行為の部分を取り除いていける!
こう考えてみるとパッと開けること多い。ひょっとしたら相手でなく反対に自分の心の状態に……。やはり自分の物差しで測っていたからか。そうか好みに固定したものがなければ、その人嫌うということない。
だから「あいつ嫌いや」も、ホントは好きやから嫌いな部分を取り除いてくれたらと願う気持ちのサインなのだ。
どっちかに間違いがあるのだから取り除くことだ。まず自分は引っかからないとしても、間違った行為は一日も早く取り除いていこうとするもので、それがある間は寂しくなってくる。
本当は仲良くなりたいのに、どうも相容れないものがくると、仲良くなりたい願いが激しくなる。そして寂しくなってくる。それをあいつ嫌いやと思い違いする。それはその人と相容れない状態が寂しくて嫌いなのだ。相手が嫌いではなかったのだ!

それゆえ我執のない自信のない考え方の自分らが、本当の仲良い姿になる場所・方法が必要とされてくる。我執を無くしたら仲良しになるというよりも、「まず仲良し」から始めて、そこで仕組みを考えて、「本当に仲良く」ならないとどうにもならないという方法を以てすれば、本来の姿に還ってやれる! この後先き、つまりまず仲良くなることが先。そこが今迄本末転倒していたのだった!

これこそ山岸巳代蔵の生涯かけての行蹟というか自分らの実践に托してくれた本物の「贈り物」なのだ。
いったいどこが画期的で、今迄がどのように本末転倒していて、なぜこの仕組み・場所像が本物の贈り物といえるのだろうか?

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チューリヒ美術館展

5月10日まで神戸市立博物館で開催されていたチューリヒ美術館展にようやく間に合った。
お目当ては、モネが晩年に手掛けた幅6メートルの大作「睡蓮の池、夕暮れ」と
睡蓮の池、夕暮れ

「陽のあたる積み藁」、
日のあたる積み藁

カンディンスキーの「黒い斑点」。
黒い色班


そのカンディンスキーに、若き日モネの「積み藁」を見た最初の衝撃を語る一文がある。

「私は、私の全生涯に一つの印を押し、当時私の心底を揺さぶった、二つの事件を体験した。それは、モスクワでのフランス印象派展――第一にクロード・モネの〈積み藁〉……であった。……
私は、積み藁であることが識別できなかった。この識別できぬという点、私は困った。……私は漠然と、この絵の中には対象が欠けている、と感じた。……
これらのことがすべてどうして起こるのか私には判然とせず、したがってこの体験から生ずる簡単な結論すら描き出すことができなかった。それでも徹底的に明らかになったこと――それは、私のありとあらゆる夢を超えていく、以前は私に隠されていた、予想だにしないパレットの力であった。絵画は童話的な力と華麗さを獲得したのだ。他面、知らず知らずに対象も、絵の不可欠な要素としての信用を失ってしまっていたのだ」(『回想録』)

ここでの対象(客観的なもの)が欠けている、とか対象(客観的なもの)が信用(価値)を失う、とかはどんな状態のことをいうのだろう?
この間「イズム実顕地づくり考」を書き継ぐなかで、真なるものは「資本主義的影響を受けた発想の一切の削除」からしか立ち現れてこないのではなかろうかと思いあぐねていたからか、対象(客観的なもの)を全面的に除去して抽象絵画にたどりつくカンディンスキーの生涯かけての行蹟が今じつに興味深い。

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イズム実顕地づくり考 (6)

ヤマギシズム理念の顕現体としての実顕地という場所が生まれたのは1960年代であった。初期の実顕地運動は日本の各地に実顕地を点在さしてその拠点確保に向けられた。その後1970年代は個々の実顕地の適正規模構想への拡大が進められた。
1980年代以降は、実顕地ならではの卵や牛乳や肉や野菜など実顕地生産物の生産とそれの活用者への供給活動が軌道に乗っていった。
そんな中で必然、農業を基盤とした農業実顕地の性格が確立されていく。そして単なる生活の場、生産の場として優れているだけでなく、そこに含まれる数々の要素が今の社会でのどうにもならない難問題を事も無げに既に解決してなお深めつつあるそんな場所の存在に気づかされてきた。

そこから、「金の要らない仲良い楽しい村」で受け入れる「子供楽園村」が誕生した。実顕地生産物での豊かな食事などで村の暮らしを味わい、家庭や学校などの縛りから子供たちを開放、自由な学育の場でもあったのだ!
また毎年5月のヤマギシズムタダの祭りは、不特定の10万人といえども瞬時にその人の中にある本質的なものが引き出されて、先陣争いや物の争奪もなしに一日を楽しむことができる、そんな世紀の大実験の場にも化していったのだ!

三つ目は、そうした実顕地の存在価値や実顕地の存在を活かしていく各種行事に実際ふれることで、改めてヤマギシズム生活実顕地とは何する場ぞ、といった問いと共に本来内包されている場所像が浮かび上がってくるのだった。例えば――

楽園そのもの 学育的要素 公園的性格 生産的要素 太陽的存在 健康的基盤 家的存在 村的要素 社会そのもの 先達的役割 ふる里的存在 革命的要素 モデル要素 広場要素 研究の場 公益要素 共栄要素 循環基点 調和そのもの 社会福祉 心物豊満 自然全人一体 解放的存在 人育ち土壌 凡人の群れ 芸術的要素 参観場等々

こうしたイズム的要素を一つ一つ皆で「そういえば」とか「こんな感じかなあ」とふと浮かんだ思い考えを出し合うだけで、自分らの普だん着がじつはハレ着だった!という発見にも似た歓びに包まれた。

こうした自分の暮らす場所が多面的・多重的に伸び拡がるという僥倖に恵まれるのも、場所と個人とかは本来離れたものでなく、個人即場所であるという「一体」のものから齎されるものであるのだろう。しかし反面、自分ら生まれ落ちたその時から個々人主義・個別観での損得・利害の関係社会の中で育ってきているものにとっては、深刻な「矛盾」にさらされる場所にも暗転するにちがいない。本稿を書き継ぐ動機もこの辺りの場所の持つ魔力(?)の解明にあるのだが……。

またその頃ヤマギシの高級有精卵など実顕地生産物の真価を自分自身に問う研鑚を盛んにやったことがある。というのも卵の黄身が白っぽかったりしての苦情が活用者から寄せられて、気持ちが不安に揺れ動くことがあったのである。

◯実質価値が同一の場合でもそれを評価する人の観方、考え方によって価値観が変り、それを受ける人に影響していく
◯真価は変りないがそれの評価が崩れる場合のいろいろ
 △商品価値からしか見てない場合
 △活用者等の評判によって左右される場合
 △需給バランスによる過不足によって価値観を上下して見てしまう場合
 △腐っても鯛というような見方が出来ない時
◯真価を誤解ささないための方策
 △計画生産により多く作り過ぎないようにする
 △包装流通その他扱い方も実顕地生産物らしさを顕す研究開発
 △実質品質面も一流銘柄品として恥じない生産品質管理を行う
 △破卵も実顕地生産物であり、そのような扱い方

何をもってというか何を創り上げることで真に「腐っても鯛」と実質いえるのだろうか? 今なお問われ続けている。また「破卵も実顕地生産物であり、そのような扱い方」が必ずあるはずだとの研鑚から、その後の実顕地生産物「卵油」開発にも繋がった。まさに研鑚のたまものである。

ここでもさきの「この間自分らがイズム実顕地づくりの中で絶えずぶつかっている一番の『モンダイ』は、一般社会常識や価値観からの混同・混線・混入で過ぎた考えに陥る事態である」に翻弄されつつも、そこから皆と共に一山越えるように跳んできた一例を見る思いがする。

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イズム実顕地づくり考 (5)

しかしなぜ雨後のタケノコのように名乗りをあげた各地の実顕地が、しばらくして次々とその看板を下ろしたのだろうか? そのことを実顕地造成機関の係に尋ねてみたら、当事者に直接尋ねてみたらどうかという。

そこで1975年頃か、筆者らはそうした分解した実顕地の実態を探るために、北から南まで訪ね歩いた。聞いてみたのは、
1 実顕地に踏み切った動機は何か。
2 実際やってみてどうだったか。
3 どうして実顕地の看板を下ろしたのか。
だった。
実顕地が成り立つ条件の一つが欠けたために分解したのだから、その欠けた条件を探してみることが目的であった。またそこで元種になった人にも触れてみたかったからだ。
どこへ行っても、久しぶりにヤマギシの人が来てくれたといって大歓迎を受け、当時のことを洗いざらい話してもらえたと思う。
例えば、財布一つから給料制の協業体に切り換えた元A実顕地のSさんは語る。

「今の世の中、ちょっと出て行って一日稼いだら二日寝て食っていけるくらいの賃金もらえるんだもんね。女の連中も白いエプロンかけて化粧して、庭先までマイクロバスで迎えに来てもらってスーッと行くんだ。ところが山岸会の連中のどれ見たって、パーマにも行かれないし、色は真っ黒になって、鶏の糞だらけになって、何が理想社会だと、こうなるわな。
それでも結局入ってくる連中は、巨万の富というのが魅力あるわけだ。理想社会というのはやっぱり幸せ、幸せは満ち足りた生活だもんな。
食料品、雑貨、呉服、ガソリンスタンドと全部帳面は大いばりで実顕地だ。月末になったら実顕地に全部廻ってくる。十家族といったら大変なもんですよ。
結局悪い方面に堕落していく。俺一人ぐらい遊んでても何とか食えるんだと。寄っかかってくる。
まあ、とにかく誰も悪くないの。自分たちが巨万の富を目指してだなあ、入って来た結果、こんなんじゃなかったという気持ちが出る。とにかく蜂蜜のような甘いことばかり考えたというわけ」

事を成し遂げる場合、幾つかの条件が揃っていなければならない。が、一つの条件が欠けていてうまくいかない時、すべてダメであるように見てしまうことがある。
また理念やあり方は解っていても、それが生活習慣となって自分の身につくまでの段階で、寄った人の我執で崩してしまうこともある。

今振り返れば、ここでもさきの「イズム実顕地づくり考(2)」でも触れた
「この間自分らがイズム実顕地づくりの中で絶えずぶつかっている一番の『モンダイ』は、一般社会常識や価値観からの混同・混線・混入で過ぎた考えに陥る事態である」
の典型例であるように思う。このテーマは今後もくり返しいろんな事例で見ていくことになるだろう。一般社会常識や価値観と同じ土俵で何を考えようとしているのか?

さきの元A実顕地のSさんは、実顕地の看板を下ろした理由を自らの
「とにかく蜂蜜のような甘いことばかり考えた」からだとしている。

そうだろうか? この間の自分らの文脈にそっていえば、逆というかそれはちがう。なぜもっともっと「蜂蜜のような甘いことばかり考え」ていい目に遇い・いい思いを重ねようとしなかったのだろうか? 省みてそう確言できる。もしそうした良いことばかりのその先にひらけてくる人間復帰への道筋が見いだされなかったら、それこそお手上げ・降参の方のバンザイなのだから……。くり返しそこへの道筋開拓に挑んでみたい。

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