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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

イズム実顕地づくり考(13)

また先の見田さんの発言にもあった思想家バタイユの「普遍経済学」は、太陽エネルギーから地球の生命が生まれ、そこで植物や動物が誕生し、植物を食べて動物が育ち、動物が植物の肥料となり、炭酸ガスと酸素の循環などの相乗作用と反復回転で運営・繁栄している、自然界のまさにその過程を経済学的にとらえようとしたものだ。
だから現行の資本主義的貨幣交換経済とはまったく次元を異にする。むしろ自分らの目指して探る「タダの経済」とか「贈り合いの経済」とか「活用循環経済」に通底するものを感じる。

バタイユのいう普遍経済の「普遍」とは、宇宙エネルギーの流通(=無限の自然の恵み)の過剰=自然の奢侈の事実を指し、それと対照的に欠乏期を予想して貯えたり乏しいが故に奪わんとする個別観からくる人間の偏狭な惨めったらしい精神との、その滑稽な不釣り合いをきわだたせる。
そして「即座に、一切が解決され、一切が豊かになる、宇宙の尺度に合致した、精神の自由のかたちをとる行き方」(『呪われた部分』)といった驚天動地の企てを世に問うのだ。
数百年前も数百年後にもあてはまる無限の豊かさを内包する固まり、この地球自然界でその時その場での最も相合う生かし合い(バタイユの表現では戦争なしに使い尽くす「消尽=贈与」)が論じられる。

たしか2011年3.11東日本大震災後の連日の緊迫する重大ニュースにさらされつつ自分の中で事態の把握がよく掴めないさなか、3月27日付の日経新聞文化欄に載った洋画家「池口史子“夜明け”」の絵がふと目にとまった。
池口文子「夜明け」

見田さんも引用されていたバタイユの至高の贅沢としての体験――
「奇跡のように街の光景を一変させる、朝の太陽の燦然たる輝き」を重ね見る思いがしたのだ。そして思わずその部分を切り抜いていた。きっとこの絵に多くの人が心を揺さぶられたにちがいない。

至高の贅沢(=生)は、われわれの心をうっとりとさせる要素は、陽光(=豊かさ)というかたちで姿を現わすのだとバタイユはいう。

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