自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

イズム実顕地づくり考(30)

当時そう、そう、こんな感じ。ああ、こんな風にうまく言い当てることができるんだ、と飛び上がるほど嬉しく、あたかも自分が自分に出会えたような喜びにひたれた一節とは、

「事実その中で生きていく強い自分を見出している人」
だった。思い当たる節があったのである。

学生時代、自分自身吃りで深刻に悩んでいた。必要なときに必要なことが言えない。こんなにつらいことはない。話す前に、深呼吸して落ちついてゆっくり、とをどれほど意識して備えても、結果は無惨にも打ち砕かれた。かといって吃らないでスラスラ話せるときもある。だからいつもびくびくおびえ身構えている。自分で自分をかるくコントロールできない無能な自分を日々思いしらされることの苦痛、屈辱感。

一九歳の頃、文芸誌で吃音(きつおん)の苦しみを描いた小説『凍える口』(金鶴泳)をあたかも自分のことのようにして読んだ体験がある。

「ぼくはできるだけいい易い言葉を選択しておかなければならないのだ」
「〈ああ、吃りでさえなかったら――〉」
「いわば、吃るべくして吃っているのである。それは、当人にもわかっている。わかっているのだが、そのような状態になってしまう自分を、自分ではどうすることもできない」
「切符を買うのにも声に詰り、レストランや喫茶店で注文するのにも声に詰り、ちょっとした会話でも吃り吃りでなければ話せず、電話に恐怖し、戦慄し、さよならをいうのにも難儀する人間にとって、吃音以外のことがどうして問題になり得るだろう?」
「ぼくは、吃音に囚われているのだった」

そうなのだ。吃音者とは吃る者というよりは、吃ることを苦にする観念を持つ者の謂いにほかならない。
だとしたら、「苦にする」観念から解放されるにはどうしたらよいのだろうか?

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養鶏サミット開催

8月23日から25日まで春日山実顕地で、ブラジル、オーストラリア、スイス、タイ、韓国、日本と全実顕地が一堂に会しての養鶏サミットが開催された。
ヤマギシズム養鶏が誕生して60年近く経ち、その過程に於いて培ってきた技術や精神を寄って出し合い、ヤマギシズム養鶏の本質を見極めていく中で、次世代の養鶏、実顕地を共に描く機会にしていこうとする趣旨からだ。

参加者は、農業養鶏の時代に直接山岸巳代蔵から指導を受けた世代、養鶏法研鑽を通して社会式養鶏を実施してきた世代、直接養鶏には接していない世代など多岐にわたった。
まさに時と、空間と、熱意の相乗積に満たされた画期的な研鑚会だった。

「餌袋が重くてしんどいから、自動給餌にできないものか?」「否、それはヤマギシ養鶏ではない」として、そこでとどまるのではなく、自分の思っているヤマギシ養鶏にとらわれる事なく、具体的にも学理的にもそれを研鑽できる場がここに誕生したのだ!

しかも今、ブラジル、オーストラリア、韓国等の諸国では、ヤマギシの平飼い卵が広く求められている動きを直に知らされた。
世界の養鶏産業の流れは動物愛護などの観点から、ケージ飼いは禁止、弱い鶏のお尻をつつく「尻つつき」を防ぐためのデビーク(くちばし先端のカット)や強制換羽の禁止の方向へ動いている。必然鶏の品種改良も、デビークしなくても良いおとなしい鶏つくりに向かっているという。

こうした流れの中で、今こそヤマギシ養鶏の出番、チャンス到来だと当初から関わってこられた中西喜一さんや杉本健三さんが熱く語ってくれた。
中西喜一さんは、雛の育て方、飼い方しだいで健康正常な鶏つくりが可能なことを世界に打ち出したい、と。
杉本健三さんは、皆が求めている安くて美味しい質の良い卵を評価してもらえる「一卵革命」こそ実践したい、と。

『山岸会養鶏法』の一節に
「如何に天才でも、自分がその境地におらないと、現実、目のあたり草茫々の破れ世帯を見てからでは、観察が曇るらしいです」

とある。ホント、日本に居て日々目のあたりに空の鶏舎群を見てからでは観察が曇るらしい、とはこのことだった。そんな愉快な発見もあった。

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イズム実顕地づくり考(29)

参画してすぐに養鶏部に配置されたが、二年ぐらいしてヤマギシズム出版社に変わった。後に出版社の先輩である奥村明義さんから聞いた話では、筆者を出版社にと提案したら皆から「あんな昼行灯みたいなものに勤まるはずがない」と強く反対されたのだという。でも当時ヤマギシズム運動誌『ボロと水』が創刊された頃で、その第二号には筆者が学生時代に入れ込んでいた作家・島尾敏雄についての一文が掲載されていた。それを読んだ明義さんが「これは使える」と判断して押し通したのだという。

日々の編集作業や「特講」写真の撮影・フィルム現像から焼き増し等の仕事はだいたい午前中に片付けて、午後はきまって夕方二人で飲む焼酎のアテもかねての魚釣りや山菜採りに多くの時間を費やした。多分明義さんは筆者の消極的な性格を見抜いてか何かと外へと筆者を連れ出した。人生における遊びの要素の大事さを身をもって伝えてくれていたのだと思う。

そんなある時資料庫を整理していたら、昭和34年7月、「Xマン」「Z革命」などの新流行語と共に一躍全国に名をとどろかしめた所謂「山岸会事件」後の山岸巳代蔵の発言記録集を探し出したことがある。そこでその中の次の一節に釘付けになった。

「投機やバクチまでやった人はちょっとおもしろい。肚が出来てるというか……。誰でも底にあるから、そういう体験――そこから気づいていけるものだが――それのある人は話が通じる。早い。破産して立ち上がった人は強い、絶対線を持っている。まず心が出来てからは強い、安心。安心から出るものは軌道に乗っていく。よし失敗しても、それを体験として生かしていける。
近頃、『一体やと思ってやったけど、うまいこといかんし、方向変えようか』と言ってきてるのもある。現象界に見せんことには分からん人が多いから、その一端が春日で、しかも事件になって、ああいうことも予想の上だから、動揺しないで、生かしてきてると思う。あれ無しに立派な工場が出来て喜んでいたら、温床育ちの中共、三尾川のと変わらんものになってると思う。
あの山(春日山)の嵐が、おまけに天からの嵐もあって、試練受けて、『やっぱりこれだったな』と、心の世界の体験してる人もたくさんある。
ちっとも心の動揺きたさん、むしろ自分自身の心を見直す場になった人もたくさんある。それで動揺せず、ますます強くなっている人がある。あれなかったら、こんなことも気づかず、ここまでもやれなんだし、なお試練を受けて強くなった。あれが一つの参考資料と言えるだろう。暗く見る人と、事実その中で生きていく強い自分を見出している人と、二つの逆の考え方がある。暗く見える人はそればかり見える。心の解決できた人は、やがてそれが明るい豊かな世界が来ることが見えている。暗い思いでやる人は、やることなすこと、みなマイナスになっている。そういう人は、身体は一緒でも、心は離れて一体でない」

そう、そう、こんな感じ。ああ、こんな風にうまく言い当てることができるんだ、と飛び上がるほど嬉しかった! あたかも自分が自分に出会えたような喜びにひたれた。

今からふり返れば、「こんな感じ」を必死に自分なりのイメージに置き換えて生きてきたような、そんな感慨がどっとあふれてくる。

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イズム実顕地づくり考(28)

○「イズム生活調正機関」に「参画」することによって顕れた「実顕地」という舞台
○「放してこそ豊か」の実践力に於いてこそ、人間が真に生きられる「場所」
○イズムに出遭い真の人間らしく成りたくて、成りかけた人間の成りきれるのに最適な「研鑚会」で構成される実顕地という「場所」
○すべての生活・経済・生産活動その他が目標と直結した「一体生活」という場所
○我、ひとと共に繁栄・生きる場所

そんな場所としての実顕地づくりは、現行社会との関連の中でどのように位置づけられるのだろうか。次元の異う世界の出来事との関連のことである。ここのところでの明確なイメージを求めて思いあぐねている。

いわゆる「資本制社会の中に理想的な社会を創る」という課題についてだ。別の言い方をすれば、「金のいる社会の中に金の要らない社会を創る」となる、ある意味で矛盾した試みについてである。
もちろん一般社会と隔絶した集団であり続けることはできない。しかも一般的・現実的傾向として、目標(理想)そのものによる感化よりも日常行動や一般社会常識・価値観から来る感化の方が影響が大きい。知らず知らずのうちに、心ならずも便宜的手段として行っていることの影響で、手段が目標にすり替わってしまう逆転現象に日々直面するのだ!
目標そのものが観念的理想論に終わってしまい、その理想論すらいつの間にか忘れ去ってしまう例は枚挙にいとまがない。
さりとて「資本主義的影響を受けた発想の一切の削除」というあり方は、今ひとつどこか実態がともなわない。我がこととする実感がないのだ。
ではどうしたら「新しき酒は新しき革袋に盛れ」るのか?

歴史の趨勢は、一人で持つ(資本主義国家)かみんなで持つ(共産主義国家)かの持つもの同士の共存態勢へと進んだ。だとしたら次に来る持つ世界と持たない世界 この二大分野での片方、ヤマギシ無所有世界の位置づけについてである。イメージすることができれば……。

方向性としては、実顕地というイズム生活の場である無所有域に根ざして、対所有社会の浄化に前進することにあるのだろうが、今はそこを突き動かす原動力そのものにふれたいのだ。
真の人間性とそれに即した社会のあり方の縮図をくずさずに、また一般社会常識・価値観に堕すことなく、この間のせめぎ合う二つの異なるかつての山岸会養鶏法の原点「稲と鶏」に象徴される「と」という場所に立つ実践観から見出していきたいものがあるのだ。

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イズム実顕地づくり考(27)

参画して間もない頃のある研鑽会で、
「みんな何故この運動に参画して来たのかと問われたら、何と応える?」と問われたことがある。
すかさず「全人幸福」とか「愛児に楽園を」とかの言葉が思い浮かんだ。多分同席していた皆もそうだったのではないか。すると問いを発した人が

「僕だったら、他にやることがないからとしか言いようがないなぁ」という。

エッと、ものの見事に肩すかしを食った思いがした。目からうろこだった。
先に記した『「人間が真に自由に平等に暮せる環境としてのヤマギシズム実顕地」は本来別の世界の出来事』だと見なす観方と現行社会との分離と関連を考える時、今でも鮮やかにあのハッとした場面が浮かぶ。

きっと自分の中に潜在する何か良いことをやっているといった思い上がりの気持ちを逆撫でされたのだ。

後年足かけ八年にわたる『山岸巳代蔵全集』刊行の最後に、別冊で私家版のような小冊子『山岸巳代蔵 年譜』を作成したことがある。先頃亡くなられた刊行委員の奥村通哉さんや川口和子さん等イズム運動の先人たちから伺ったたくさんの回想を基に「ヤマギシストの自画像」なるものを編んでみようとしたのだ。自分にとっても愛着のある仕事だった。しかも山岸巳代蔵一家とその親族の写真まで載せることができた。(左から二人目が三男・巳代蔵28歳)
山岸巳代蔵一家とその親族

その中の一九五八(昭和三三)年 五七歳時、現在の春日山実顕地が誕生した頃、山岸巳代蔵の次のような発言が回想されている。

「全研の場で『あんた方ここに何しに来たんですか』と問われた時、全人幸福運動、戦争のない社会、不幸な人が一人もない、愛児に楽園を、理想社会を創りに、と応える人が多かった。その時『私が幸せになりたいからと違いますか。その幸せがひいては全人の幸福につながる』と言われた」(川口和子談)

ここでも皆のハッとした顔が思い浮かぶようだ。こうして引き継がれていくものがたしかにあるのだ。

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イズム実顕地づくり考(26)

かつてのソ連や中共の革命に象徴される「自由かつ平等な社会」を実現しようとした世紀の大実験の試みが今なお検討や分析に値するとしたら、それはどんな要素なんだろうか。

以前次のような問いを、実顕地造成の世話係に投げかけてみたことがあった。
「実顕地が発展していく遇程で、実顕地のメンバー間でも対社会的にも暫定的に問われることとして、各人の自由意志が100%出され、それが100%自分をも含めたみんなの考えでもある行動、それがどこまで達成できているか? そしてそのことが実顕地成熟のバロメーターにもなっています。
例えば現行の資本主義経済は、別名自由主義経済ともいわれ、その経済体制を現在支持している思想は、かなりの点まで各自の自由を認めています。つまり、まんざらでもないわけです。が究極には一人の人間の自由が他の人問の自由を圧迫、踏みにじる原理で成立してはいますが……。だとしても、ひとつの実顕地が現在の社会で許容されている〈自由〉のレベルより下回ってはいけないと思います。
今までの集団の成り立つ基盤、つまり共同体は常識の〈自由〉のレベルを全部受け入れるか、閉鎖的に思想統一的に自らの集団独自の〈自由〉を守るか、どちらかでした。そのどちらでもない実顕地の、イズムを通じての人間や周囲の環境のつながりの構想を、〈自由〉〈平等〉〈分配〉等の具体例の中から浮き彫りにして欲しい」(『前涉行程論Ⅱ』1973年)

すると以下のような応えがあった。
「このことは、自由とは平等とは何か、ということから始めなければならないが、ここでは簡単な一例をあげることとします。
ある人がある日曜日、朝寝たいだけ眠って目覚めたのは十時頃でした。さあ今日一日の休日をどう過ごそうかと考えました。いろいろと思い迷いましたが、これといったやる事も浮かんでこないので結局、一日中寝問で過しました。この人はこの時自由な時間って良いものだなあと思ったでしょうか、おそらく退屈な一日だったなぁとアクビをしたことでしょう。たいていの人は自由を外に求めがちですが自由な環境というだけでは真の自由には到達し得ないことがしばしばあります。やはりその人が真の自由人にならねば自由が満喫出来ないようです。
人間が真に自由に平等に暮せる環境として、ヤマギシズムの実顕地があります。しかしまだまだ真の自由人にはなりきれず、自縄自縛の不自由さから脱却出来切っていません。
ある実顕地はこんな方法をとっています。アルコールの飲みたい人のために、食堂に行けばビール、洋酒、日本酒、焼酎何でも揃っています。誰もが飲みたい時に飲みたいだけ飲みたいものを飲めるようにして、一切制限していないのです。自由に飲める機会が構成員全員に与えられています。このことは他の消費物資の何にでもあてはめられますし、消費生活での自由と平等を解決し、報酬と分配の要らない仕組みになっています。しかしこのような仕掛けの中ででも実顕地生活の初期には、そのような自由平等観に憤れないためか、一人当りどのくらいと分配した方が平等で、その方が気兼ねなしで気楽だと言う人もいました。
理念やあり方がわかっていても、それが生活習慣となって自分の身につくまでの段階でしょう。実顕地に参画するまでの生活習憤もありいろいろの考え方の人もありますが、それらの人達を含め抱擁し自由にやっていけるのが実顕地ですし、大方の人は随分気楽に自由にやっていられるようです。その証拠に年令に比較し随分若く見えますし、明るい笑顔が常にたえないですね。
めざましい日本経済の成長は、私達戦争当時の物資欠乏時代に育った者にとってはまるで夢のようですが、人問の身体的物欲を満足さす物量はそう多く要らないことを教えてくれました。人間の所有欲と流通経済を正せば、今の物量だけでもみんな満足する量があるのでないでしょうか。
働かなければ食べられない、食べるために働くという観念が相当根強く巣食っていますが、働かなくても食べられる社会をつくれば相当解放され自由になれる人がたくさんあると思います。
実顕地生活をしている人は、食べるためという観念に縛られないで楽な気持で働いているようですし、仕事の方も興味的趣味的スポーツ的に、または自分や人や物を活かす楽しみに、あるいは実顕地養鶏法の顕現を演出しているようです。
自由の問題はこんなことだけでは解決つきませんし、生き生きと生きる生きがい意欲の湧き立つ中で、その意欲が自由に発揮できる社会や人となるために他の重要要素がありますが、又の機会に」

今ふり返ってみると、現行の資本主義経済下での価値観からは実顕地生活の自由・平等の世界は推し量ることも満喫もできない。むしろそこを混同することでの自縄自縛の不自由さからいつまでも脱却できないゆえんを見てとれる。
その辺りを「理念やあり方がわかっていても、それが生活習慣となって自分の身につくまでの段階でしょう」と優しく包みこんではくれているが、ほとんど皆ここのところで躓くのだった!

やはり何度もこの間くり返し確認しているように、「人間が真に自由に平等に暮せる環境としてのヤマギシズム実顕地」は本来別の世界の出来事であり、むしろ「もっとも不自由だと思っていた中に、真の自由があった!」といった自ら受動的に齎されるぎりぎりの体験的事実にふれない限り、そうした世界に住むことは不可能だと思われて仕方がないのだ。

いわば「ある一線」を越えるための多少多めの負担を自らに課すことも必要らしく、その過程をくぐり抜ける味わいに惹かれる。
どういうこと?

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イズム実顕地づくり考(25)

衣生活に限らず食生活も、豊里実顕地に1980年正月百人規模の「一体食堂愛和館」の新築を機に「ヤマギシズム食事法の原則や方法と一体食堂〝愛和館〟での暮らし方」という資料が出されて皆での研鑽が始まった。ちなみに自分の住む春日山実顕地では1985年6月に「愛和館」を新築して、今日に至っている。

これも驚きだった! たかが飯を食らうにも原則やあり方が問われる!? 窮屈以外のなにものでもないではないか?

つい先日6月8日の夕食メニュー鰹のたたきで、途中で鰹がなくなってしまった出来事があって話題になった。
「昨日鰹切れたんだってね」「あの出し方(一人一人にさしみ皿へ盛付けずに大皿に盛り付けた)ならそうなるよ」「昨日の鰹美味しかったよね」「私おかわりしちゃった」「鰹が切れたって、食の人が気にすることじゃない」「食べれなかった人に次の日用意する?(しなくていいのでは)」・・・

個人生活では思いもよらない研鑽テーマが次々浮上してきて「村ネット」でも紹介されていた。
それがきっかけでかつての「オンボロ食堂」時代(1970年代前半)に研鑽したことがある資料を改めて読み返す機会があった。

「春日山の入口の表看板に『ヤマギシズム世界実顕中央試験場』と示されています。この春日は、ヤマギシズム生活の試験場であることは春日に参画している人ならだれもが知っているはずです。しかし、ヤマギシズムの試験場とは何か、どんな試験をどんな方法でやっていく所か、ということについてはあまり知られていないようです。
鶏や豚の飼い方を試験しているらしいということは聞いているが、試験場の機構表にある人間理・社会理・産業理等、それらの試験は、どこで、どのような内容でやられているのか、また自分がその試験を希望する時、どのようにやったらよいのかわからない人もあるかと思います。そこで、試験場とは何か、どんな事をするのかということについて、初歩的な解説をしてみたいと思います。今、私たちがここに生きているという事実から先ず出発したいと思います。
今までどのように生きて来たかという事は別として、これからどのように生きたいかと尋ねつめると、残りの人生をと考える人、あるいはこれからの人生をと考える人、など、人それぞれいろいろの生き方への希望があると思いますが、せんじつめると、人間らしい本当の生き方がしたい、真の幸福に生きたいと念うのでないでしょうか。
人間らしい生き方とか、真の幸福とかいう目標でみながそう思ったとしても、それでは人間らしい生き方とはどんな生き方か、真の幸福とはどんな状態かとなってくると、いろいろの観方、考え方、生き方があって、おそらくその表現においても、あるいは生き方の行動面においても、一致する事が難しいと思います。

しかし私達は『真理は一つであり理想は必ず実現する』という考え方をもっています。この考え方のもとに、ヤマギシズム運動をやっているのですが、そこに方法が必要なわけです。理想は必ず『方法』によって実現する、この方法について、どのような方法が一番すぐれているのだろうか、正しいのだろうかとしていろいろの方法を試す場が試験場なのです。

鶏や豚をどのような飼い方をすれば健康で良く育ち、良く働くかという方法を実験しているのと同じく、人間生活にもどのような考え方で考え、どのような生き方の方法をとれば幸福に生きられるか、どのような社会機構や運営のあり方が、人間が人間らしく住むのにふさわしいのか等
 人間理 (人間自身の問題として考えねばならない事柄)
 社会理 (社会環境面として取り上げるべき事柄)
 産業理 (物資の生産関係)
等に試験課目を大別して、実際の生活面を通して試験しながら、その本当のあり方を探っていこうとしているのです。

ただやみくもに何が正しいのか探るのでなく、一定の方程式にしたがって試験するのです。即ち『理念と方法が一応成り立ったとして、実施した結果がそれにともなわない時は、その理念か方法に間違いがある』として原因を探るのです。ヤマギシズム理念ではっきりしている事の中にも、未だ方法面が確立出来てない事柄が沢山ありますし、理念そのものも正しいかどうか検べねばなりませんから、理念方法共に何回も反復試験して、確実な方法で世界に普及していこうとしているのが試験場の趣旨なのです。

このような実験は、やろうとして仕組まなくても、実は私達毎日の日常生活でやっている事なのです。人生は一回限りの連続で、過ぎた毎日は取りかえすことも、やり直すことも出来ない貴重な実験なのです。この貴重な実験生活をしかもヤマギシズムの仕組みの中で、実はやっていながら、その人の足あととしてしか残らないようでは、又次の人が同じような実験生活をくり返すようでは惜しいと思います。そこで、それらを試験的にみてとりまとめ、こんな場合はこうなる、あんな場合はああなる等、各人各様、様々の中から、共通点や相違点を発見し、万人共通でいけるのはこの線だ、この部分は各人各様でよいのだとか、一貫した生き方への方式を組んでいく参考にしようとするのです。

現在も、心ある異質的な試験場員がその気になって、その人の内面でいろいろの試験をしたり、また、周囲の出来事を試験的に観ていられるのですが、この際機構にものせて、また、それ等に関心のなかった人も関心を持つようにして、最も初歩的な試験場活動をやっていったらどうだろうか。今後、試験場は、人間社会のあり方や生き方について、いろいろと試験を仕組んでいくだろうが、差し当たり、初歩的な試験活動として、調正機関参画者の夫々の生活について、試験的に観察するという事から始めてみてはどうだろうか。

例えば、食事についての試験課題で研鑽会を開きます。
一,食の目的 一,食経済について 一,食と人間心理関係 一,栄養関係 一,食と健康の関係 一,食の回数 一,味覚について 一,食堂や食器の環境面 一,食習慣について 一,料理法 一,料理人やサービス係のあり方 一,材料について 一,好みの個人差 一,その他

このテーマで研鑽するだけでも、そこにいろいろの考え方や方法の違いのある事がわかると思います。そして、こんな大切なことが習慣的になってしまっている点や腹がへるから食べにいく、みなが食べに来るから食事を作るという、受け身からでなく、積極的姿勢で正常なあり方を見出すための研究や試験が始まると思います。
そしたら、単なる飯炊き係やサービス係から、研究のための、試験のための係に発展することになり、仕事に対する意義、やり甲斐が増してきて、全人幸福につながる正しい食生活のあり方がここから産まれる源泉の場に、オンボロ食堂が生まれ変わるでしょう。
流行はパリから正しい食生活は春日の食堂から、というように、試験の場としての食堂には、『炊事係は女』という考えもなくなり、直接炊事係以外の大勢の研究員が取りまくことにもなり、そうした意味で全員食事係であり、毎日毎食が試食会であり、それこそこの食問題について、試験対象にならない人は生きている人では一人もなさそうです。

こんなことを書きたてると、きりのないことでどこの職場でもあてはまる事で、育児・学育についても、結婚・出産についても、衣料や住宅についても、機構や運営や各種社会環境についても、限りなく拡がる青写真と、その一角からでも実験する楽しさが充ちあふれる時、やりたいけれど材料がないから、人が少ないから出来ないという貧乏神が春日に住む人のだれの中からも霧散してしまうでしょう。
そして研鑽とは、自分を正すという事以外の一切の間違いを正し、低いものは高く、狭いものは広く、少ないものは多く、不味いものは美味しく、きたないものは美しくと、消極的内向性から『はたらきかけ』が活発となり、人生が運動的・活動的となって、その活気・熱気が春日山の外へあふれ出ていく時、それがヤマギシズム拡大であり、ヤマギシズム運動でないでしょうか?」(2015年6月25日村ネットより転載)

当時参画して間もない頃だった。田舎の百姓出がこんなこと考えるのか!? としんから吃驚した。また「流行はパリから正しい食生活は春日の食堂から」という不釣り合いな(?)例えに皆で笑い転げた。と同時に、「今、私たちがここに生きているという事実から先ず出発したいと思います」という一節から毅然とした並々ならぬ覚悟のようなものを感じた。「オンボロ食堂」のその先にあるものに一瞬にして魅了されたのである。
そしてここに盛られた一句一節の真意を自分のものにしたいと切に念った。

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イズム実顕地づくり考(24)

先に「一体生活」という場所を造りだし、すべての生活・学育・経済・生産活動その他が目標と直結した一体生活体とするところから始まる、と記した。なかでも衣・食・住、健康、衛生、娯楽等々の日常の具体的な現象生活面をイズムに則って如何にして向上できるか、理想的な生活様式を各専門的に究明して、それの実現方法や過度的な現状段階での措置等といった待ったなしの研鑽課題に直面するのだ。

「イズム生活調正機関」に参画、つまり身を委したらそれで良しというわけにはいかないのだ。理想的な生活様式を各専門的に究明していくためには、各人が研鑽できる状態へ自己を調正することが欠かせない。今までの自分の好み、慣習、自論等を棚上げしてかからないと真に目指すものを探りあてることは不可能だからだ。

例えば1984年3月の村づくりのテーマに
○全衣類 イズム衣生活の方向へ放す
○放してみてはじめてわかる 身軽さ 豊かさ

とあった。無所有・共用・共活といったイズムの衣生活のあり方を皆で研鑽したことがある。
当時各人の部屋にタンス、押入に衣類ビッシリの生活から、衣類の分類整理や活かし合いとかの研鑽を三ヶ月連続で探ろうとしてみたのだ。そうしてそこからA実顕地のSさんの例が研鑽され、各人の部屋に衣類を置かない動きにまで発展して、その後の衣生活館開館に至る経緯がある。

「三月のテーマが出て衣類を部屋から出してしまうことで『放す』実践を是非やりたいと思ったけど、自分の実顕地では厚生室も狭いし、放してもどのように使われるか分からないしと思った。
その時参画した当時の心境が思い出されてきた。今のように実顕地として目に見える形は何もなく、只本当の生き方がしたい、仲良しの社会を造るのに志を同じくする人達と共に寄ろうとの時に、『行っても寝場所があるだろうか』『田畑・家などを整理したが大事に使ってくれるだろうか』などと考えたか。只一点、ヤマギシズム運動に打ち込みたい一心で故郷を巣立ったことを考えたら、今の全衣類を放すということも、条件が整うまで待つというテーマじゃないと気づき、放すのは私ですということで、部屋中の衣類一切合財を厚生室に持って行き、ついでにタンスも厚生室の人がアラ、アラと言っている間に持ち込んだのです。
結局それがきっかけで、全員が今『放す』を味あうにはということで、やりくりしてでも全員の全衣類を置く場所を作りだし、タンスはとりあえず廊下に並べたそうです」(「愛和館仲良し研資料」より)

Sさんの確かに何かを放し切った身軽さを感じてか、次々と「私も明日、全衣類を放します」と言い出す人が続出したのだった。
ここに「研鑽会」を仲立ちにして「放してこそ豊か」という理念と実践とが結びついていく実例を見る。こんなたかが(?)衣類を通してからも、一体生活なるものが豊かにふくらむのだった。

反面こうした日々の自分らの取り組みを、らっきょうの皮を、むいて、むいて、むいていく行為になぞらえられるかもしれない。家・財産を放して参画してきて、ホッとする間もなく参画後も日々「放す」実践が試され・くり返されるのだから……。
何事に対しても、消極的で・躊躇しがちな・億劫がる自分のような引きこもり人間にとっては、ここが一番のハードルとなって立ちはだかってくるのだった。

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