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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

イズム実顕地づくり考(27)

参画して間もない頃のある研鑽会で、
「みんな何故この運動に参画して来たのかと問われたら、何と応える?」と問われたことがある。
すかさず「全人幸福」とか「愛児に楽園を」とかの言葉が思い浮かんだ。多分同席していた皆もそうだったのではないか。すると問いを発した人が

「僕だったら、他にやることがないからとしか言いようがないなぁ」という。

エッと、ものの見事に肩すかしを食った思いがした。目からうろこだった。
先に記した『「人間が真に自由に平等に暮せる環境としてのヤマギシズム実顕地」は本来別の世界の出来事』だと見なす観方と現行社会との分離と関連を考える時、今でも鮮やかにあのハッとした場面が浮かぶ。

きっと自分の中に潜在する何か良いことをやっているといった思い上がりの気持ちを逆撫でされたのだ。

後年足かけ八年にわたる『山岸巳代蔵全集』刊行の最後に、別冊で私家版のような小冊子『山岸巳代蔵 年譜』を作成したことがある。先頃亡くなられた刊行委員の奥村通哉さんや川口和子さん等イズム運動の先人たちから伺ったたくさんの回想を基に「ヤマギシストの自画像」なるものを編んでみようとしたのだ。自分にとっても愛着のある仕事だった。しかも山岸巳代蔵一家とその親族の写真まで載せることができた。(左から二人目が三男・巳代蔵28歳)
山岸巳代蔵一家とその親族

その中の一九五八(昭和三三)年 五七歳時、現在の春日山実顕地が誕生した頃、山岸巳代蔵の次のような発言が回想されている。

「全研の場で『あんた方ここに何しに来たんですか』と問われた時、全人幸福運動、戦争のない社会、不幸な人が一人もない、愛児に楽園を、理想社会を創りに、と応える人が多かった。その時『私が幸せになりたいからと違いますか。その幸せがひいては全人の幸福につながる』と言われた」(川口和子談)

ここでも皆のハッとした顔が思い浮かぶようだ。こうして引き継がれていくものがたしかにあるのだ。

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