FC2ブログ

自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

イズム実顕地づくり考(38)

この間見てきたように、何ものにも束縛されない「観念界の自由」即ち如何なる状態の中に於いても自分の意志を自在に沿わせていける自由とは? 皆自分の意志でそうしていく自由意志について触れてきた。そしてそこから「地獄の八丁目、即極楽の八丁目」に転じる如く、「この世界の不思議な謎のからくり」について想いをはせてきた。

こうした摩訶不可思議な転換のテーマに取り憑かれてしまったが最後、少しづつでもくり返し解きほぐしてゆかざるを得ない羽目に陥ってしまったかのようだ。
要は自分がやりたいのは、「ヤマギシズム」をもっと自分にとって面白く捉えたいだけなのだが。どんなふうにして?

ふり返ってみて確か一九九〇年代初めイズム運動が興隆期にあった頃、個人の主観性が極端に排斥される気運にあった。それは我執の一変態にすぎない。「ヤマギシズム」は真の科学だ。真の科学の前には、個人意志の主観性といった一時の惑いなど除外すべき我執そのものにすぎない、と。真の科学=研鑽=ヤマギシズムとの描きに向き合うと、自分も何となくそれはそうだなぁと妙に納得してしまうのだった。

革命体としての運動面が強調されて、その体質づくりの一環として恒例の5月の春祭りの前4月25日には、「オールメンバーの誓い」なる行事も企画された。しかしなぜか個人的には憂鬱だった。その日が早く過ぎ去ってくれることのみただただひたすら願ったものだ。「真実の世界は現実のもの」と唱えるだけではこの自分自身がちっとも面白くないのだ。

たしかに運動は急膨張期にあった。ヤマギシの生産物デパートフェアが一ヶ月で全国33カ所開催されたり、実顕地への参画者が年間で三百名を超えていた。なにもかも思い通りにうまく事が運んでいたかのように見えた。
実に悦ばしいことであった。でも心の片隅では皆の堂々とした「オールメンバーの誓い」立てる姿に気圧されてか面白くなかった。その潔さに劣等感さえ覚えた。

そのうちに全身全霊この運動に身をささげると誓った「オールメンバーの誓い」なる行事を率先して主導したメンバーが、次々現状実顕地を否定的に見捨てていくという〝どんでん返し〟を食らった。思いもよらない展開だった。なぜ〝どんでん返し〟現象が起きたのか? 自分らのイズム運動に対する情況認識のどこに早とちりやツメの甘さがあったのか? そこではじめて個人の主観性の問題について本気に考えるようになった。

「ちっとも面白くないよ」といったその時の自分の実感を払拭すべき我執としてアッサリ見捨てたくはなかったのだ。というか、この期に及んで唯一残されてあるのは自分のグズグズした気持ちだけだった。これって何なのか? するとあの高揚期「ちっとも面白くないよ」と言えないで嫌々ながら皆が向かう方向へついていく自己欺瞞のウソつきの自分が浮かびあがってきた。
 
だとしたら、「ちっとも面白くないよ」というその奥底にその先にどんなウソつきでない自分が秘められてあるのだろうか? その過程を綴ったものが著書『贈り合いの経済―私のなかのヤマギシ会』だ。必死だった。

では個人の主観性の場所は、実顕地という場所の中で本来どのように位置づけられてくるのだろうか。

スポンサーサイト

PageTop

イズム実顕地づくり考(37)

もっとも不自由な状態だと思える中に、真の自由があった! 考えを通せば絶対に分からない。実顕地生活を既にやってきているからこそか、なるほどなぁと納得されてくるものがある。

先の自由についての『「一体生活をしていると自由がなく窮屈」という考え方がある』というテーマは、現在も実顕地という場への参画を思いとどまらせる要因の一つになっている。集団で生活している窮屈なイメージがどうしても付いて回るのだ。そこでつい、いや一般社会は実顕地よりも自由でなく窮屈だと例を挙げたり、実顕地でもこんなに楽しく自由にやれると言ったりするのは、同じ土俵に立った自由観で対応しているにすぎない。

ヤマギシズムでいう自由とはどんなものか。自由は何処にあるのか。自由観の次元の異いを知るところからはじまる。
そういう意味では、日々の実顕地生活そのものの中から「この世界の不思議な謎のからくり」というか不可思議な転換を身をもって受けとめ、その真意を問い続ける以外に手立てはないのかもしれない。

結論先出しになるが、ヤマギシズムでは
○一体社会における真の自由は、公意行の中にある。
○一体社会において、一人の考えで行動するということはありえない。
○一体社会で調正された意見で、自由に行動する。

としている。これこそまさに自由の国アメリカ的自由観から見たら、あの絶対服従の十字架上のキリストの磔(はりつけ)そのものではないのか!?
そうなのだ。ヤマギシズムでは「世はまさに逆手なり」として、「平和のために戦争し、神に祈って爆弾を恵む」一般常識社会に無いものを発見していくのだから。

「真の自由は、公意行の中にある」と一応の段階的なものとして結論を見出して自分らの行動の尺度としている。公意行なるものが何なのかチンプンカンプンでも、実顕地という場で理に合っているかどうか研鑚材料にしていけばよいのだから。
こうした次元の異う世界に踏み込んでいこうとする場合、例えば「仲良し」一つとっても、どんなことがあっても仲が良いと、これは変わらないものとして、そこから出発するというか結論先出しの考え方の大切さを思い知らされる。

PageTop

イズム実顕地づくり考(36)

手元の山岸巳代蔵全集・別冊『山岸巳代蔵 年譜』に次のような一節が記されている。

一九五九(昭和三四)年
一月十七日 柔和子が山岸の顔に熱湯をかけ、近くの山中病院に入院。
火傷した時、「痛いわ、痛いわ、面白いほど痛いわ」「よくやった。その実行力が事を成すのだ」と柔和子に、頼子には「中林さん方に火をつけに行け」と言う。

イズム運動史で語り継がれる「熱湯事件」の記載である。今少しその背景となるいきさつを『山岸巳代蔵伝』(山口昌彦著)からの引用でみてみる。

『百万羽』建設活動と同時併行で、山岸の愛情問題の探求がなされたが、後に、「私の愛情の混乱から起こる狂態」と述べている。それはどのようなものなのか経過を見ていく。
一九五八年四月に三重県菰野町見性寺で、第一回愛情研鑚会が開催される。七月には「百万羽」の創立総会があり、八月には春日山において地鎮祭・起工式がとり行われ、仮宿舎・育雛舎建設が始まるに伴って、山岸と柔和子も春日村の元村長・中林保男宅の離れに移った。そこで無我執一体の夫婦となるための厳しい「研鑽」の日々が続いていた。一方山岸は、頼子のいる四日市のアパートへ相変わらず通っていた。
この年の愛情研鑚会は四月、七月、九月、十月にもたれ、次の十一月末から十二月の初めにかけては、関係者が一堂に会して愛情徹底研鑚会が行われた。この研鑚会期間中にひと騒動あり、山岸が柔和子を抱えて見性寺の椽から庭へ飛び降りるということがあった。
翌一九五九年一月に、山岸と柔和子が四日市の頼子のアパートに行き、そこでひと悶着があり、山岸が先に帰った後、柔和子が頼子に対して、「私とあなたと奥さんを交替しましょう」と持ち掛けたところ、頼子も「そうしていいわ」と了解した。
春日の中林宅へ帰った柔和子がその話をし出すと、山岸が無理難題をふっかけて、「剛我抜き」をはじめることになる。更に大声で怒鳴ったり、大変な血相で迫って来たりする山岸の姿を見て、完全に気が狂っていると思った柔和子は、沸騰しているヤカンの湯を、オーバーのまま寝ている山岸の顔にかけたのである。顔が真っ白に焼け爛れた山岸は、すぐに病院へと運ばれた。幸いにして火傷は左耳の鼓膜が破れたぐらいですんだ。

ここではテーマの焦点を、「痛いわ、痛いわ、面白いほど痛いわ」に絞りたいと思う。そして先のキリストの十字架上での「パラダイス」の発言にダブらせてみたいのだ。
「観念界の自由」からキリストの磔(はりつけ)へ免疫学者・多田富雄さんのニコデモへのキリストの説教へ、そして山岸さんの熱湯事件へとダブらせつつ、ひそかに我が吃音体験をも紛れ込ませてみたい気持ちを禁じえない。
そこに共通して流れるのは、深浅の差はあるにしろ「悩み、苦しみ、もうどうにもならなくなった途端、絶望のドン底から途が開け始める」というこの世界の不思議な謎のからくりである。

この年の七月には世にいう「山岸会事件」があたかも必然であるかのように仕掛けられて、山岸巳代蔵は全国指名手配(翌十月に起訴猶予処分)となる。そんな逃亡先から、近況を「第二信 柔和子に寄せて」という書簡で伝えている一文の文末は、次のように記されている。

一九五九・一〇・一〇
月界への通路、開設着工
地獄の八丁目、即極楽の八丁目
きわまる所 必ず展ける。 
            霊人より

そんなふうに見られる「見る眼」に入れ替えることができれば、すべてのことを自分のこととして為し、自分の生き方として生きるヤマギシズムならではの「自由」が展開されてくるようなのだ。

PageTop

イズム実顕地づくり考(35)

もちろん杉本さんは、ここでいう「観念界の自由」とキリストの磔(はりつけ)との関連についてはそれ以上何も語ってくれなかった。もう20年以上前のことだ。
「そうやすやすとわかってもらっては困る」からだ。
ふと本ブログで紹介した免疫学者・多田富雄さんに触れた文章が思い出される。

著者の晩年の作品に、「ニコデモ新生」(『残務整理―昭和の青春』所収)がある。
大学の医学部に入って郷里の医者の家を継ぐつもりだった。しかしそのまま田舎の開業医になるのも何だからと、自分をモノトリアムな状態にしたいと思って大学院の病理学の教室に入った。そこで毎日岡林先生の指示で、二十羽の兎の鼻に開けた穴に卵の白身を1㏄ずつ注入していった。異物である卵白に対しての免疫反応の実験だった。実験といってもそれだけで、あとは暇だから昼寝したり小説を読んだりしていた。
そんな風変わりな実験を始めてから一年以上たって、一匹の兎に自己免疫疾患の典型が現れた。実験は成功に帰した。
先生は、こんな無謀な実験に没入することができたのも筆者がほんの腰掛けのつもりだからで、知恵がないからできたんだと褒めたような貶したような評価を下した。
ところが次の成功例が現れない。筆者は思い余って、先生にあの実験に再現性がないと告げると、先生から聖書のニコデモのキリストとの問答(ヨハネ福音書三章)を読むことを勧められた。
キリストがニコデモに向かっていう、
「肉から生れるものは肉であり、霊から生れるものは霊である」 
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」
そこでニコデモが「どうして、そんなことがあり得ましょうか」と疑いを抱くのに対して、
「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。
わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか」
と諭す場面だ。
先生がどうしてこれを言ったのか、そのときには分からなかった。それに気づいたのは、先生が亡くなってからのことであった。
その後筆者は、胸腺の細胞に免疫反応を抑える働きがあることを発見し、免疫学の世界的権威になっていく。
先生は私に何を伝えたかったのか?
「そうやすやすとわかってもらっては困る」
「いいか。何かを発見しようとするなら、文献なんか読むな。そんなものにはなにも書いてない。自分の目で見たことだけを信じろ。わしの言うことを、ゆめゆめ疑うことなかれ」
「科学論文だって、書いた者の個性が出るように、一言一句真剣に書かなければいけない」
こうした先生の一言が、ニコデモへのキリストの説教とダブって今でも私を鼓舞しているように感じられる。(29多田富雄の叡智2015/01/23)

あの時、何ものにも束縛されない「観念界の自由」即ち如何なる状態の中に於いても自分の意志を自在に沿わせていける自由とは? 皆自分の意志でそうしていく自由について想いをはせる時、杉本さんの脳裏に浮かんだのは例えば聖書の次のような一節だったのではなかろうか?

「十字架に懸けられたる惡人の一人、イエスを譏りて言ふ『なんぢはキリストならずや、己と我らとを救へ』
他の者これに答へ禁めて言ふ『なんぢ同じく罪に定められながら、神を畏れぬか。我らは爲しし事の報を受くるなれば當然なり。されど此の人は何の不善をも爲さざりき』
また言ふ『イエスよ、御國に入り給ふとき、我を憶えたまえ』
イエス言ひ給ふ『われ誠に汝に告ぐ、今日なんぢは我と偕にパラダイスに在るべし』(ルカ23章39~43節)」

ゴルゴダの丘でイエス・キリストを磔(はりつけ)にした十字架を真ん中にして左右に二人の強盗がともに十字架にかけられている。そんな絶対服従のもっとも不自由な状態でしかも両手両足には釘を打ち込まれている! 
そこでイエスは言う。『われ誠に汝に告ぐ、今日なんぢは我と偕(とも)にパラダイス(天国。非常に楽しい世界。楽園。)に在るべし』と。

なんで? なんでそこが「パラダイス」といえるのだろう?

PageTop

イズム実顕地づくり考(34)

ある日の研鑚会のテーマは、「自由」についてであった。

自由について
○「一体生活をしていると自由がなく窮屈」という考え方がある。
○一つの行動についても、考え方によって、自由にもなり、不自由にもなる。(人により)
○「してはならない」と考えていることが出来なくても、不自由と感じないだろう。
○考え方が変ることにより、不自由が自由になる。観念によって、自由とも不自由ともなる。
○現象界にも、不自由な現象がある。
○現象界の本当のあり方には、不自由がない。
○本当の自由がある。
○不自由と感ずるのは、不自由な環境があるのか、観念が間違っているかの、どちらかである。
自由の定義
○個人の意志・考えを曲げないで、意志通りに行動できる状態をいう。
○観念を変えずに努力しているうちは、えらい。
○偽の自由で暮らすか、本当の自由で暮らしていくか。

と続いて、「自由の定義」でいう「意志通りに行動できる状態」とは、と研鑽が進み、では、何ものにも束縛されない「観念界の自由」即ち如何なる状態の中に於いても自分の意志を自在に沿わせていける自由とは? 皆自分の意志でそうしていく自由について、と広がっていった。

ところが、不自由感については幾らでも具体的な例が出るのだが、「観念界の自由」と問われてもとんとイメージが実感的にも湧かないのだ!?
まさに
「口に自由・平等・人類の幸福を唱え乍ら、現状を肯定又は看過し、これを行ないに現わさねば、云わざるに如かずです」(『ヤマギシズム社会の実態』)
とは、このことだった!

すると杉本さんが、キリストの十字架上の磔(はりつけ)刑の例を出してくれた。

PageTop

「と」に立つ実践哲叢(8)

目的と手段(中)
その汽車にはその鉄路を

先にイズム運動史をふり返りながら、農業養鶏から実顕地(社会式)養鶏への進展というか次元の「転換」にふれた。それは理想と現実が相矛盾する原因は、ほとんど「手段を目的のように取り違えている」ところにあるとして、まず農業養鶏の普及がさそい水になった。そこで寄ってきた人たちが「特講」などを通して、「なるほど、目的は鶏でない」との気づきが生まれた。次にそこで見いだされた「気持ち」の高まりが醸成されてきた上での実顕地(社会式)養鶏の発表だった。しかも今度の実顕地(社会式)養鶏とは、実顕地を造るためのものではなく、実顕地を造ってからのものだった! 実顕地という場が造成されて、その場の中でこそ活かされる養鶏法であった! 必然それまでの実顕地に誘うためにあった農業養鶏は、会の運動方針として国内普及停止とされた。

当時(昭和37年頃)今ひとつ実顕地づくりへと踏み切れないでいた多くの農業養鶏をやられていた会員さんは、梯子を外されたような状態になり、「実顕地養鶏に移行するまでの段階として、農業養鶏試験舎は必要ではないか」といった提案もなされたと聞く。
以前筆者も、そうした二者択一的な、あたかも「踏み絵」の如く実顕地づくりへと誘う運動方針から、多くの会員さんが離れていったことに疑問を感じ、実顕地造成の世話係に尋ねてみたことがある。(『前渉行程論2』1973年) そこで諭されたのは―

「養鶏法を取捨選択しているのではなく、真目的への最短コースとして現時点で何に力を入れるかということです。ともすれば養鶏で道草を食って目的の方へ行けないかも知れない。またそういう実績が多かった実状から、農業養鶏という名の個人養鶏を普及することは停止しているのたど思います」

それ以来「真目的への最短コース」という考えが事あるごとによみがえってくる。自分や相手の現状を考慮するあまり段階的にやろうとしたことがその段階でとどまってしまう結果になって、次の段階へ入れず足踏みしている状態が今なお見られるからだ。

今まで理想社会が出来なかった原因が手段を目的のように取り違えるところにあるとするならば、それまでの旧態依然とした手段と目的概念を一変して、手段=目的とする革命だった! その人が目的をはっきり知り、そういう気持ちになって、そういう目的へ急速に近づいていける方法を実行できる人が現れてくるのが絶対の必要条件とされるのだ。

それは「その汽車にはその鉄路を」と鉄道経営にも譬えられる。偉大な運搬力を持った汽車を走らすには、鉄路が敷設され、安全な保線が大勢の人達によって確保され、またヤマギシズムの方向へと運転できる操縦士にかかっているからである。
「実顕地を造るためのもの」と「実顕地を造ってからのもの」との次元の〈転換〉を、混同することがないような研鑚力が問われるところだ。

PageTop

イズム実顕地づくり考(33)

あの吃音体験、「話す前に、深呼吸して落ちついてゆっくり、とをどれほど意識して備えても、結果は無惨にも打ち砕かれ」もうどないもこないもならんと進退窮まるときに、ふとそんなみじめな「ピエロの自分」を突き抜けてじつは「事実その中で生きていく強い自分」である体験的真実に思い至るのだ。
一瞬にして「即」みじめさが歓びに変わるのだ!

「二つの逆の考え方がある。暗く見える人はそればかり見える。心の解決できた人は、やがてそれが明るい豊かな世界が来ることが見えている」(イズム実顕地づくり考29)

現在も多くの人々は、暗く見える考え方一つしか知らない。そんな自分を自分と思い込んで後生大事にしがみついている。そんな姿が手に取るように明らかだ。
もう一つ明るい豊かな「事実その中で生きていく強い自分を」見られる観方・考え方があったのだ!

これはどういうことなのか?
自分がどこにいて見るのか。自分が作った線から見るのか、自分の物指しを持たないところから見るのか、といった自分で見る「一線」の問題が浮上してくるのだ。
ここでいわれている「明るい豊かな世界」とか「事実その中」という、その実態とは何なんだろうか?

以前、民俗学の柳田国男の『豆の葉と太陽』にある一挿話に刺激を受けて、次のように記したことがある。
「(柳田国男が:筆者注)村々を歩くと、火の見やぐらが一本の杉の木で作られており、いいぐあいに二股になっているところに鉄棒を通して足がかりとしていることに気づく。最初は、よくまあ都合のいい木が見つかるものだと感心していたが、そのうち、それはわざわざ初めから計画してそう作るのだということがわかった。そこで柳田は考察する。
〝村の長老等は木の未来とともに、村の未来を予測すること、我々が明日の米を支度するごとく、三十年後の隣村の火事を発見して半鐘を打ち、かつ見舞いに行くべく、今からこの杉の木を栽えるのである〟
ここには不思議な時間が流れている。初めから未来を含んだ完了形になっている。未然完了体とでもいえようか。
普通一般には死児の齢を数えるように地位や学歴や今までの立場に固執する過去完了形とか現在形、つまり今日の姿を見て一喜一憂する時間を暮らしているからか、奇異にさえ感じるのだ。しかし、いつまでも心に残るのはなぜなのだろう。
ひとつは、村全体の未来の繁栄が初めに意図されていて、その実現のために今の暮らしを用意するという着眼点の新しさにある。単に観念的理想論にとどまらず、目先のものに拘泥して手段と目的を取り違えることのないあり方を、この一挿話が語る実践から触発されるのだ。
こうした観点に立つ時、三十年先の隣村の火事を発見するために今から用意することがかつてあったように、百年後、千年後のために、今ただちに着手しなければならぬことがあるとの考え方が一気に現実味を帯びてくる」(イズム実顕地づくり考10)

そんな物事が全面的に見わたせる場所のことでもあるのだろうか。

PageTop

イズム実顕地づくり考(32)

こうした自分にとっていちばんの切実な問題に解決のメドが立ったときの「ああ、そうだったのか」という心底からの味わいは、「事実」というものの確かな手触り感から齎されてくる解放感ともいえた。しかもこの 「事実」を実感させられると、何時でも何処でも「我のない姿そのまま」の自分に戻れそうな気がするのだ。そんなありのままの自分がどれだけ自分を励ましてくれるだろうか。事実の世界にそのつど飛び込むことで、事実の方から心ならずも心足りない一面に手を差しのべ力づけをしてくれるようなのだ。

先に「『もっとも不自由だと思っていた中に、真の自由があった!』といった自ら受動的に齎されるぎりぎりの体験的事実にふれない限り、そうした世界に住むことは不可能だと思われて仕方がないのだ」(イズム実顕地づくり考26)と記した時、自分自身の吃音体験に引き寄せてくり返しイメージしていたのだった。

それはこういうことである。
自分にとってのもっとも切実な悩み、人と人との繋がり中で思うことを思うとおりに伝えられないという恐れや苦痛。しかもそこにはピエロの自分しかいないという滑稽さ。
それが一転して、「事実その中で生きていく強い自分を見出」す歓びに変わったのだ!
この「転換」の事実って、いったい何なのだろう? 

「投機やバクチまでやった人はちょっとおもしろい。肚が出来てるというか……。誰でも底にあるから、そういう体験――そこから気づいていけるものだが――それのある人は話が通じる。早い。破産して立ち上がった人は強い、絶対線を持っている。まず心が出来てからは強い、安心。安心から出るものは軌道に乗っていく。よし失敗しても、それを体験として生かしていける」(イズム実顕地づくり考29)

投機やバクチですって、破産して、スッテンテンになって、金や物が無くなった真っ直中で物象面・金より前にあるもの(「誰でも底にある」「絶対線」「安心」)が、立ち現れてくるようなのだ!?
こんな不可思議な「転換」の事実に、それ以来強く魅せられてしまった。

PageTop

イズム実顕地づくり考(31)

吃りの苦痛を避けるには黙っていることが一番だ。それでも日々どうしても避けられないのは山手線の切符の購入だ。当時は切符の自動券売機などなかったから、どうしても窓口で行き先を告げなければならない。行き先は「高田馬場」駅なのだが、自分にはタ行、ラ行が言いづらいのだ。そこで十円高いのを承知で、その先の言い易い「目白」駅までの切符をいつも購入していた。

こうした行為をくり返していると、いつしか馬鹿げた滑稽なピエロの自分が浮き彫りになってきた。俺は現実から逃げているな。いつまでこんな事を続けるつもり? いったい自分に何が欠けているのか? そんな自問自答がくり返しおそってきた。

そうか、高田馬場までの切符を購入するには、「た・か・だ・の・ば・ば」と言葉をじっさいに一つ一つ最後まで発する行為をたどっていく以外に手立てはないのだ!
発見だった! まさにコロンブスの卵だった。
自分の思い考え理解の中でそうしたいとかしたくないとかに関わらず、全く別に異なる世界が横たわっているのではないかといった予感。
自分の慣れ親しんだ想い世界とは別に、「人と人との繋がり」での共通ルールに合わせながら未知で未経験な事柄に立ち向かっていく世界があることに気づかされてくるのだ。
だったら実際にめんどうでも煩わしくてもそれをやってみるに如くはないのだ。

そしてある時、自分自身気づかずにうまく「た・か・だ・の・ば・ば」と言葉を発している場面を見て、ヤッターと内心叫んだことがある。
それ自体は普通に皆が当たり前にやっている事柄に過ぎない。泳げなかった人が、結果的に泳げるようになったに過ぎない。
でもそこには、自分の意志力とかコントロールの圏外にあるものの実在をリアルに実感させるものだった。
そんな何の変哲もない事柄が新鮮に映った。一般に当たり前のことと見なされている中に新鮮な事実が秘められているようにさえ感じられた。

そうした経緯を経ていたからか、先の「事実その中で生きていく強い自分を見出している人」といった一節が一瞬にして繋がったのだ! 「事実」その中へ飛び込んだ強い自分を見いだしたかのようで感きわまる思いがしたのだった。

先の小説にもあった「〈ああ、吃りでさえなかったら――〉」と吃らないようにと様々な意図的働きかけやもがきとは別に、人の中で自分も気付かずに話している事実を見られることで、つまりそうした実動行為をやってみようとすることで、事実を創ることで、吃りを「苦にする」観念から解放されるあり方があったのだ!

「事実を見られる」ことで解消されるものがある。その「事実」とは何だろうか?

PageTop