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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

イズム実顕地づくり考(50)

以前私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」について、次のような具体例で研鑽したことがある。

蔬菜部のAさんは、大きくなった学園の畑のナスを見てよ、早く採ったらよいと思いました。ナスが収穫適期なので早く採って下さい、と学園にファックスしました。翌日見るとまだ採ってありません。またすぐファックスを入れ、次の日も採ってなかったので、もし採れなかったら連絡下さい、とまで言ったが連絡なく、もう仕方ないと思い、自分が収穫しました。しかしナスはもう成熟しすぎて割れていました。そのときAさんは、「学園が採らなかったから割れてしまった」と思いました。

さてここで「割れたナスは自分が採らなかったからそうなったのではないか?」と問われたのだ。

エッ? ナスを担当している学園じゃないの?! 学園のメンバーが採るべきナスじゃないの? ナスが割れてしまった責任は学園の側にあるんじゃないの? 

「でも、気づいたのは私ではないか。連絡しても採ってないナスを見た私が、採らなかったのではないか? 早くナスを採りたいという私の思いがあるにもかかわらず、ここは学園の担当している畑、だから学園が採るべきだという常識観念が入ってしまったから、ナスが割れてしまったのでは……」

何だか狐につままれたような気分がした。

「何かことが起こった時、『知らなかった』『気づかなかった』と普段何気なくいうが、それは理由でなく、自分から見た時それは原因ではないだろうか?」
「知らなくてやれていない、知らないから出来なかった、思い至らなかったのではないか? 自己より発していなかったから、還ることがなかったのではないか」

そういえば人に何かを委して、それがやれてなかったときに、自分がやらなかっただけなのに、半ば当然のように他人のせいにしているなぁ。

「世界中に起きる全てのことは、自己より発し、自己に還って来るという観方、地球上の全てのことは、自分から発しているという観方はどうだろうか?」 

そんなぁ、無茶苦茶や。

「いや、全てが自分に関係すること、他人事は何一つないのだ。全ては自分のやること、またはやったことなのだ。他を責めるということもない。事が成っていかないときも、自分がそうしていること。そのようにさせている自分に気づいて、後は自分がやるだけの世界が拡がるだけじゃないの?」

恐るべし、私の社会倫理「自己より発し、自己に返る(還る)」。

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