FC2ブログ

自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

「と」に立つ実践哲叢(10)

専業と分業(上)
似て非なるものの区別

かくして昭和36(1961)年、ヤマギシズム実顕地構想やそうした実顕地という場でこそ活かされる実顕地(社会式)養鶏法が発表される。「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」という例えにも通じるだろうか。
そしてヤマギシズム実顕地とは「完全専門分業社会実顕地」のことで、この養鶏法の特色も次のように表現された。

「普通の養鶏法は一家族でもやれないこともないようだが、この『実顕地養鶏』は、多数のそれぞれの特徴のある専門の人達で組み立てる完全分業一体で初めて、その素晴しい成果が上げられるものである。
農業養鶏でも、一つの組織がないと本当には成り立たないが、この『実顕地養鶏』は、大勢が寄って心一つにして、それぞれが専門の配置につく一体経営で、専門細分化してやらなければ出来ない養鶏法で、これによってこそ誰も真似られない成績が上がり、しかもそれにふさわしい養鶏法である」

相共に各々のそれぞれ違う持ち味を、専門の持ち場に活かして、完全分業の精髄・精華を顕現しようというのである。
「その汽車にはその鉄路を。
少数の人では鉄道経営は成り立たない。多数の人が渾然一体となってやるところに、初めて汽車は大変な偉力を発揮することが出来る」とも例えられた。

さて、ここで自分らがしっかりと真っ先に向き合いたいのは「完全専門分業社会実顕地」のことだ。「専業」ではない「分業」についてのことだ。
先の「『実顕地を造るためのもの』と『実顕地を造ってからのもの』との次元の〈転換〉を混同する」テーマと同じように、ここでも「専業」ではない「分業」であるとの似て非なるものの区別から出発していくのだ。
分業が成り立つためにはどうあったら良いかが、いちばんの研鑽のしどころになる。

ある日の研鑚会で、ヤマギシズム社会構成員の資格として、もっと偏った欠陥人間の育成が挙げられた。エッ!、すると世の中専門バカと揶揄される威張る人ばかりになると思っていたから吃驚した。いや歯車が凹凸で噛み合うように、必要に迫られて他の人の力に頼ったり、借りなければならないから、自ずとそこから謙虚さも醸しだされてくるのだという!?
そして「出来ないことの良さ、出来なかったためにうまくいったところ」などを研鑽した。するとそういえば……と、ほとほと困り果てていた時の「差し延べられた手」が鮮やかに思い出されてきて、なぜか熱くなってくるのだった。そうか、「自力をつける」とは他に頼りきれない部分のことをいうのだと思い知らされた。 

たんに仕事の委務範囲として分担してやることでも、その他大勢とみなして人を平均的に配置していくことでもない。区別すべきは「専業の人」と「分業の人」の色分けだ。

スポンサーサイト



PageTop