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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(2)

一体食堂での暮らし

実顕地での研鑽資料「一体食堂『愛和館』での暮らし方」の中に次のような一節がある。

「愛和館では、十人一組一家族のテーブルになってあります。
その場に座る人で一家族を形成し一家団欒します。
その調和の美が一体食堂の華です。
毎日変華進華します」
愛和館

たまたま食卓のテーブルについた者同士で一家族を形成するという!? 
しかも「この食堂は食べる場所としてだけでは」なく、「食生活の幸福が得られるばかりでなく、幸福人に成りきることも出来る」のだという!?
ホントかね? たかが飯を食らうだけで、そのつど新しく家族が生まれたり、幸福が得られたり、幸福人にも成りきれるのだという!
こんな奇想天外な一般の逆を言うから、世間の噂も悪いのだろうか。
ただ自分の食べたいもの美味いものがいつでも食べられれば、文句なしではないのか。
そこを「その場に座る人で一家族を形成し一家団欒します」なんて、まるでままごと遊びのようだ。

「子供子供して遊ボーヨ。天真爛漫で遊ボーヨ。それだけが願い」(山岸巳代蔵)

いったい何を言おうとしているのだろう。どういうこと何だろう?
どうもヤマギシズムには一般社会通念では推し量れない、常識外れで意外なものが秘められてあるようなのだ。
それを見いだしていくのだ。

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わが一体の家族考(1)

はじまりの一節

一週間の第一回「特講」終了後に山岸巳代蔵がその参加者全員に送ったメッセージの冒頭に掲げられた一節がたまらなく好きだ。

「第一回特別講習研鑽を共にした、
わが一体の家族、なつかしの兄姉弟妹よ、
わが父・母・妻・子よ」

なぜか「わが」につづく「一体の家族」に惹かれるのだ。
「わが」と「一体の家族」の間に実感のこもらない溝を感じているからだろうか、なおさら憧れる。
実際に普段の自分らの「実顕地」という暮らしそのものが、何人何家族集まってもそれは「仲良し一家」の集まりとして仕組まれてはいる。
それにもかかわらず狭い範囲での夫婦・親子の血縁家族に、より心情のウエイトが傾きがちなのはなぜなのか? 
より自然だからか? それとも「仲良し一家」なんて空念仏以外の何ものでもないのか……。
はたして「仲良し一家」は不自然な形態なのだろうか。「わが」と「一体の家族」が溶けあい結びつく世界があるのだろうか。
そもそもわが父とは誰か、母とは誰か、妻とは誰か、子とは誰か。

まずは何からでも行きつ戻りつしながら、家族に象徴される〈性愛〉としての人の本質にまで辿りつけたらと願っている。
そしてその過程で、なぜ今〈性〉なのかが浮かび上がってきたら本望だ。

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イズム実顕地づくり考(67)

ちなみにM・フーコーの著作は、1976年に『知への意志 性の歴史Ⅰ』の刊行以来亡くなる直前1984年6月の『快楽の活用 性の歴史Ⅱ』ならびに『自己への配慮 性の歴史Ⅲ』の2巻の刊行との間に、八年の時間が過ぎていた。
口さがない人々はうわさする。彼はもうおしまいだ、もう何も言うことがないのだ、行きづまっている……と。(『ミシェル・フーコー伝』D・エリボン)
コレージュ・ド・フランス講義「主体の解釈学」はその間の1981-1982年度に位置する。
いったいフーコーのなかに何が起こったのだろうか? なぜギリシア・ローマの文献を読みながら、古代の性道徳とともに「自己への配慮」に関心を持つようになったのか?

あらためて「自己への配慮」とはそもそも何なのだと想いを馳せてみる。
「自己への配慮」とは、現代社会の社会通念や人生観を肯定のままでイメージされる自己閉塞やエゴイズムに繋がるものでなく、また世界から自己を切り離すことでもなかった。
むしろひとが自己陶冶という自己の実践を通して自己自身へと戻ることではじめて、「人と人との繋がり」の中での自己の場所が鮮やかに見いだされてくることにある。
それは自分が自分に出会う発見でもある!
配慮において発見される主体は、孤立した個人とはまったく反対のものである!?
この間の自分らの文脈でいう、

『知的革命 私案(一)』の一節
「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく」
にみる繋がりの、切ることの出来ない「と」のことである。
しかも「と」に立つとは「その関連を知るなれば」とあるように、知ることと実践とが結びつく「繋がりそのものの自己」に出会うことでもある。(「と」からの出発に際して)

そんな誰の心にもある「繋がりそのものの自己」に出会うことでもあるからだ。そのことは自分にとっての慰めとなり、勇気づけにもなるからだ!
心の手をさしのべれば、必ず心の手で固く握り返してくる、そんな心の豊かな人々に巡り会える実感がうれしいのだ。
目に見えるこの手は一歩の差で相離れるが、心の手は、この身が幾千里離れても、死んで幾百年経っても、決して相離れるものではないからである。

自分らの「個で充実し 個で安定する 依存のない生き方」が可能なのも「繋がりそのものの自己」が占めている結び目の一点に立ち得てこそであろう。
それは「人が自分自身にいだく快楽の体験でもある」(フーコー)との発言にも通底する。
また山岸巳代蔵に次のような一節があった。

「死んでからの極楽よりも、死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします」

そういえばフーコーの「講義要旨」の末尾も以下のような文章で閉じられている。

「死の省察という訓練の価値を高めているのは、臆見がこの上ない不幸だと思いがちなことを先取りするだけのことではないし、また、死が悪ではないことを納得させることだけでもない。
それは人生に対し、いわば先取り的に回顧的な視線を投げかける可能性を提供するのだ。自分自身を死につつあるものと見なすことで、おこないつつあるひとつひとつの行為を、その固有な価値において判断することができる。
エビクテトスは言う。死は耕している農夫や航海している船漕ぎを襲う。『では君はいったい何をしているときに襲われたいのか』
こうしてセネカは、死の瞬間とはいわば自分自身の裁判官となることができ、最後の日までに果たすだろう道徳的進歩を評定させてくれるような瞬間であると考えるのだ。
書簡第二六で彼は言う。『僕がどれほどの進歩を遂げたか、その決定を僕は死に任せることにしよう。(……)その日には僕は見栄も外聞も捨てて自分について判断することになるでしょう――つまり僕は勇気のあることを口先だけで言っているのか、それとも実際にそれを感じているのか』」

真の人間になる場として、またそうなった人間の思う存分の遊び場や働き場として、そして「一つの芸術作品としての人生」(フーコー)踊りの踊り場としてあるイズム実顕地の存在価値と活用するために、その観点からもっと見直してみたいものだ。  (この項終わり)

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「と」に立つ実践哲叢(12)

専業と分業(下)
 本質的に仲良う楽しく

先のお役所の人もそれぞれ専門分業の場についている自分らも、簡単なことができないでいる!?
どんなに高い目的(夢)を掲げていても、いざ何かせねばならない時や余力を尽くすべき場合に、もっと条件を整えて先ず足下を固めてからと尻込みをし消極的になりがちだ。目的を自己の生活に日常化しない限り、自分の「先ず自分が食えて、安定してから」の殻から抜け出さない限り、カタがつかない。
そんな場面に直面するにつけ何度も思い浮かべる一節がある。

「何やる場合にでも、百姓するのでも、商売するのでも、教育でも、子供を育てる場合でも、どんな場合にでも、寝る場合にも、また食べる場合にも、或いは映画を見る場合にでも、散歩する時でも、やはり、すべてが、みんなが一つになって仲良う楽しく繁栄していく、と、この目的のために、またそういうあり方で進むこと以外にないと思うの、道はね。
ところが、これは自分ひとりでない―みんなそれだと思うんですが―ややもすると、この目先のいろいろのものに拘泥して、案外、方向が違っていって、手段を目的のように取り違えるのが、ほとんどの、現在の、現在までの世界の人達の、どうにもそういう社会が出来なかった原因だと思う。また、そういう目的に気づきながらも、また方法を知らないために、いつまででも堂々めぐりで、おんなじようなことをして、ちょっともその目的の方へ行っていないと、まあ、こういうのが実状だったと思うんですが」(ヤマギシズム社会式養鶏法について1961.4)

省みてここでの「みんなが一つになって仲良う楽しく繁栄していく」みたいな発言をどこかで小馬鹿というか他人事にしている。それより他人の穴探しの方に目がいきがちだ。
理想社会にしようと願うならば、いったいどこから手をつけたらよいのだろうか。もちろん「みんなが一つになって仲良う楽しく繁栄していく」という気持ちになっての一歩の踏み出し(実践)からはじまる。ところがその次の、そうした気持ちの「深まり」といった過程が見落とされがちなのだ!?

例えばこんなことだろうか。
先日も新聞のコラム欄に、平行棒を掴んで行き帰りするなかで脚力を回復させようとする療法士に、リハビリ中の女性は「しつこい男じゃねえ」と言いながら「帰らすくらいならいかさにゃええじゃない」と口走ったと紹介されていた。

そうなのだ。別に療法士さんはいじわるで行ったり帰ったりの無意味な行為を押しつけているわけではない。先のお役所の人と同様、正しいとされている定められたマニュアルや職務に熱心に従っているだけだ。
正しいことをしていて、どこが問題なの?

「専業の人」では深まっていかないものがある。肝心要のその人らしい気持ちの「深まり」といった味が滲み出ないのだ。だとしたら「分業の人」ってどんな人なんだろうか。 

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イズム実顕地づくり考(66)

フーコーはいう。

「現在から出発して未来をシミュレートするのではなく、未来全体を自分に与えて、それを現在としてシミュレートするのです」

「やがての備え」を実践するとは、「未来全体を自分に与え」ることなんだと!?
思わずニヤリとしてしまう箇所だ。
ふだん自分らが災いの原因になるものを、徹底的に取り除く「抜本塞源方式」とか「未来を含んだ完了形」とか「養鶏が目的ではない」とか「根本を究めて、そこから究明していくと早い」とか「真実の人生を見届けたら、訳なく解明出来るのです」等々と禅問答のような逆手表現で語ってきた辺りに相通じるようだ。

出来事を不可避で必然的なものとして百パーセント受けとめ・現在化するということは、全部自分の思い通りに為していくという究極の自由の世界だ!

ヤマギシ養鶏法に引きつけると
自分の思い通りに鶏を飼うことは、同時に鶏の思い通りになる「産卵自由調整法」のことだろうか。
鶏が自分の手足のように動くことをいうのだろうが、「まあ、しゃもじを持ったくらいにはなった」との山岸巳代蔵の発言もある。
以前イズム養鶏法研鑽会で、山岸巳代蔵が秋に来る台風に備えて、夏頃から鶏舎の跳ね上げ戸を時折バタン、バタンと上げ下げして、鶏たちを少しづつ異音に慣れさせていたという話を聞いた。鶏は暴風の物音に驚いて産卵を止めてしまいがちだから、そうした細やかな気遣いに感じ入ったものだ。
以前次のように記したこともある。

「民俗学の柳田国男の著作『豆の葉と太陽』に次のようなことが書かれている。
村々を歩くと、火の見やぐらが一本の杉の木で作られており、いいぐあいに二股になっているところに鉄棒を通して足がかりとしていることに気づく。最初は、よくまあ都合のいい木が見つかるものだと感心していたが、そのうち、それはわざわざ初めから計画してそう作るのだということがわかった。そこで柳田は考察する。
〝村の長老等は木の未来とともに、村の未来を予測すること、我々が明日の米を支度するごとく、三十年後の隣村の火事を発見して半鐘を打ち、かつ見舞いに行くべく、今からこの杉の木を栽えるのである”
ここには不思議な時間が流れている。初めから未来を含んだ完了形になっている。未然完了体とでもいえようか。
普通一般には死児の齢を数えるように地位や学歴や今までの立場に固執する過去完了形とか現在形、つまり今日の姿を見て一喜一憂する時間を暮らしているからか、奇異にさえ感じるのだ。しかし、いつまでも心に残るのはなぜなのだろう。
ひとつは、村全体の未来の繁栄が初めに意図されていて、その実現のために今の暮らしを用意するという着眼点の新しさにある。単に観念的理想論にとどまらず、目先のものに拘泥して手段と目的を取り違えることのないあり方を、この一挿話が語る実践から触発されるのだ。
こうした観点に立つ時、三十年先の隣村の火事を発見するために今から用意することがかつてあったように、百年後、千年後のために、今ただちに着手しなければならぬことがあるとの考え方が一気に現実味を帯びてくる」(『贈り合いの経済』所収)

こうした様々な錬成・試練などを通して、真実の認識の主体ではない正しい行動の主体であるような、そんな配慮において発見される倫理的主体としての「自己自身」が立ち現れてくるのだ!

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イズム実顕地づくり考(65)

また先のセネカが『道徳書簡集』で説く「やがての備え」についてフーコーは解読する。
前述したストア派の「修練的なもの」、
1 節制
2 省察
3 死の省察の訓練
4 未来の最悪の予期の訓練
5 良心の吟味
での「死の省察の訓練」や「未来の最悪の予期の訓練」に当てはまるだろうか。
フーコーは語る。

「ある出来事に急に襲われた人は、驚きがあまりに強く、この出来事に対する備えができていないと、無力な状態に陥ってしまう恐れがある」と。だから
「起こりうることはすべて起こるはずだと考えなくてはならない」
「必然的に起きるはずのものとして、起こりうることを自分に与えることだ」という。

どういうこと?
そういえば自分らも二十歳代の頃、研鑚会で「若い時分にこそ老蘇(老いて蘇る)の生き方をはっきり描いておくように」と諭されたことを思い出す。
その時の「そんな先のことわかるかい」と他人事にして聞き流していたツケが、今になって回ってきているようで悔やまれる。
参考までに当時の研鑽資料を紹介してみる。

若雌は老鶏の如く
『老鶏は若雌のような、若雌は老鶏の如きタイプを常に保たすこと』。これは山岸会養鶏法の増補改訂版、農業養鶏編「鶏の外観による判定について」の中の一節である。
山岸養鶏が(技術20+経営30)×精神50と、精神面を強調している意味を理解納得して、養鶏を行なっている人には、前記の一節の理が解されるであろう。そしてまた、その現われとして優れた養鶏実績を上げ、かつ家庭生活・社会生活のすべてにわたり、快適な人生を送っているはずである。
このような見方は、飛躍または牽強附会ととられるかもしれない。だが、山岸養鶏法そのものが、理想社会の縮図であることを知り、また、全体経済面の一小部分に過ぎず、社会構成の上からも一般の関心が薄く、いわば顧みられない一隅とも言える養鶏を通じてでも、社会全体を動かす始動力となろうとして行なってこそ、山岸養鶏は成功する仕組みになっていることを理解されるなれば、さきに述べたことについて得心がいくはずである。
特別講習研鑽会を受講した人や、研鑽学校に入学した人には、前述したような事柄は周知のことであろう。
だが、知った・理解しただけにとどまって、それを自分の生き方として実践に移さなければ、理念の死蔵であり、その人の人生の意義も稀薄なものになってしまうだろう。これはヤマギシズムに触れられた人すべてが、厳しく省察しなければならない点である。
見える若さだけでは
養鶏法そのものが理想社会の縮図であるなれば、養鶏法として挙げられている一つ一つのことがらを、人間及び人間社会のあり方の研鑽資料として検べ究めることが至当と思われる。この観点から『老鶏は若雌のような、若雌は老鶏の如き……』の鶏を人に当てはめ、人間のあり方として検べると、どのようなことが言えるだろうか。
『今時の若い者は』ということは、いつの時代にも言われていたらしい。また『最近の青年には若さがない』というのも、しばしば耳にすることである。特に後の例の場合は、青年が無気力・沈滞の状態にあると見え、頼りなさを感じる人が口にする言葉である。
こういう人は、青年たちが集まって話し合ったり、レクリエーションを楽しんだり、あるいは一団となって額に汗して何かの労働をしている様子を見ると『若者らしい、頼もしい』と満悦しがちである。だが、若さというものを現象面だけで判定すると、大きな誤りを犯す場合が少なくない。
ほんとうの若さとは
若さそのものは、積極的・陽的であり、自由活動的で向上進歩に繋がるものであろう。
ただこれらは心のあり方であって、言動など現象面に現われたものが積極的・活動的に見えるからといって、それが即ち若さだとするのは早計のようである。つまり、言動のもとになっているのが自己顕示欲であったり、自分さえよければよいとするような心、即ち私心、あるいは反抗心であったりするなれば、その行為行動がいかに積極的であるように見えても、それを若さの現われと見ることはできないわけである。また、仮に自己顕示・私心・反抗心等がないとしても、特定個人や固定不動の条理に従っての行動も、盲信・盲従である点において、最も若さに欠けたものといわざるを得ない。
若さを、積極的・陽的・自由活動的・向上進歩的な心のあり方と考えると、『老鶏は若雌のような、若雌は老鶏の如く……』に例えた人間の実際のあり方は、次のようなものになってくるであろう。
即ち人は生物的年令が重なってくると、とかく定着的、保守的な傾向になりやすい。だから常にそれからの脱皮に心して、いつでも、どこへでも赴き、何でもできる人であること。また、若いうちは、とかく心が動きやすく、新しいところへ行き、新しいことをやってみたいという気持ちにかられがちである。その心を自ら制御し、現象的には鈍重、保守的と見られても、自分の意志を出さないだけでなく、無我意のあり方で実践にうちこみ、自らを練成していく。
ただし、こういったあり方は一体生活・公意行のあり方によらなければ、実現不可能であることもまた事実である」(1978.12)

それでは「やがての備え」を実践するとは、どんなことなんだろう。

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