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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

イズム実顕地づくり考(67)

ちなみにM・フーコーの著作は、1976年に『知への意志 性の歴史Ⅰ』の刊行以来亡くなる直前1984年6月の『快楽の活用 性の歴史Ⅱ』ならびに『自己への配慮 性の歴史Ⅲ』の2巻の刊行との間に、八年の時間が過ぎていた。
口さがない人々はうわさする。彼はもうおしまいだ、もう何も言うことがないのだ、行きづまっている……と。(『ミシェル・フーコー伝』D・エリボン)
コレージュ・ド・フランス講義「主体の解釈学」はその間の1981-1982年度に位置する。
いったいフーコーのなかに何が起こったのだろうか? なぜギリシア・ローマの文献を読みながら、古代の性道徳とともに「自己への配慮」に関心を持つようになったのか?

あらためて「自己への配慮」とはそもそも何なのだと想いを馳せてみる。
「自己への配慮」とは、現代社会の社会通念や人生観を肯定のままでイメージされる自己閉塞やエゴイズムに繋がるものでなく、また世界から自己を切り離すことでもなかった。
むしろひとが自己陶冶という自己の実践を通して自己自身へと戻ることではじめて、「人と人との繋がり」の中での自己の場所が鮮やかに見いだされてくることにある。
それは自分が自分に出会う発見でもある!
配慮において発見される主体は、孤立した個人とはまったく反対のものである!?
この間の自分らの文脈でいう、

『知的革命 私案(一)』の一節
「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく」
にみる繋がりの、切ることの出来ない「と」のことである。
しかも「と」に立つとは「その関連を知るなれば」とあるように、知ることと実践とが結びつく「繋がりそのものの自己」に出会うことでもある。(「と」からの出発に際して)

そんな誰の心にもある「繋がりそのものの自己」に出会うことでもあるからだ。そのことは自分にとっての慰めとなり、勇気づけにもなるからだ!
心の手をさしのべれば、必ず心の手で固く握り返してくる、そんな心の豊かな人々に巡り会える実感がうれしいのだ。
目に見えるこの手は一歩の差で相離れるが、心の手は、この身が幾千里離れても、死んで幾百年経っても、決して相離れるものではないからである。

自分らの「個で充実し 個で安定する 依存のない生き方」が可能なのも「繋がりそのものの自己」が占めている結び目の一点に立ち得てこそであろう。
それは「人が自分自身にいだく快楽の体験でもある」(フーコー)との発言にも通底する。
また山岸巳代蔵に次のような一節があった。

「死んでからの極楽よりも、死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします」

そういえばフーコーの「講義要旨」の末尾も以下のような文章で閉じられている。

「死の省察という訓練の価値を高めているのは、臆見がこの上ない不幸だと思いがちなことを先取りするだけのことではないし、また、死が悪ではないことを納得させることだけでもない。
それは人生に対し、いわば先取り的に回顧的な視線を投げかける可能性を提供するのだ。自分自身を死につつあるものと見なすことで、おこないつつあるひとつひとつの行為を、その固有な価値において判断することができる。
エビクテトスは言う。死は耕している農夫や航海している船漕ぎを襲う。『では君はいったい何をしているときに襲われたいのか』
こうしてセネカは、死の瞬間とはいわば自分自身の裁判官となることができ、最後の日までに果たすだろう道徳的進歩を評定させてくれるような瞬間であると考えるのだ。
書簡第二六で彼は言う。『僕がどれほどの進歩を遂げたか、その決定を僕は死に任せることにしよう。(……)その日には僕は見栄も外聞も捨てて自分について判断することになるでしょう――つまり僕は勇気のあることを口先だけで言っているのか、それとも実際にそれを感じているのか』」

真の人間になる場として、またそうなった人間の思う存分の遊び場や働き場として、そして「一つの芸術作品としての人生」(フーコー)踊りの踊り場としてあるイズム実顕地の存在価値と活用するために、その観点からもっと見直してみたいものだ。  (この項終わり)

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