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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(6)

一体食堂「愛和館」と「中雛寝枠」

「一体食堂『愛和館』」の暮らしとか存在価値を養鶏の「中雛寝枠」の設置にまで拡張してみるなんて、乱暴なこじつけだろうか。
はじめに「わが」と「一体の家族」や食生活の幸福との間には埋めがたい溝があると記した。そうなったらいいなぁと憧れはするのだが実感的に結びつかない。
そうした「埋めがたい溝」を自ずと埋めてくれるような仕組みとしての、「一体食堂『愛和館』」や「中雛寝枠」の設置をイメージしてしまうのだ。

当時の、他の養鶏法による人々の多くは、この中雛期の就寝時における密集による被害防除に窮して、小さい区画を設けて小群育とする「バタリー」に移したという。
しかしこの時期の盛んな運動などによる鶏体の鍛錬は、一生のはたらきを支配するものでバタリー飼育ではよい結果を望めない。
「中雛寝枠への追い込み方」の中の一節に、

「日没前に屑米をまいてやりますと、(略)やがて夕闇に米粒も見えずなり、拾い疲れてその場に寝付く様は丁度童子が遊びつかれて、無心に眠る様に似ています」(『山岸会養鶏法』)

とある。
今も雛の無心に眠るあざやかな情景がほのぼのと蘇ってくる。あの雛たちの全身を投げ出してバタンと死んだように眠る姿に、なぜか自分自身をも重ねてしまう共感を呼び起こされる。それはいったい何なんだろうと、くり返しやってくる問いだ。

山岸巳代蔵は自ら考案した「中雛寝枠」を、「一見粗野に見えるこの中雛寝枠の真価の偉大なのには、驚かずにはいられない」
と記しているが、これを人間社会相に当てはめてみたらどうだろうか?
何度もくり返す一節、

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり、……」(知的革命私案)

だとするならば、
「人」と「人と人との繋がり」の中間に位置する「人と人によって生れ」の場所にこそもっと想いをめぐらしてみたい。
「人と人によって生れ」た「人」と「人と人との繋がり」に理想社会に繋がる橋をかけたいのだ。
いわば「個人」と「社会」の中間にある本稿のテーマに繋がる「家族」という問題についてだ。
そこは

「『十人のテーブル』の方から無言の催促され、力づけをしてくれたのだ! 温かく抱擁(つつ)まれているような……」
「温もりの愛和館」でもある。

鶏は「中雛寝枠」で過ごす時期をもつことで、人は「温もりの愛和館」で暮らす時をもつことでこそ、「一体の社会性」とか「食事する資格」に合適する「人と人との繋がり」の正常健康な世界で生きられる!
手前味噌で身勝手な屁理屈だろうか?

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わが一体の家族考(5)

温もりの愛和館

そうした愛和館の暮らしでの、社会性とか資格を身につけるといった観念から受ける煩わしさや窮屈さの思いとは別に、救われたなぁと実感する体験もある。
ある時、孤独で鬱屈した気分のまま一体食堂「愛和館」へ普段よりも早めの時間帯に行ったことがある。
その時愛和館の光景が一斉に自分の心の中へ飛び込んできたのだ。子供たちから老蘇さんまでのみんなが耀いて見えた。
あれはいったい何だったのだろうかと何度も思い返してみる。すると、こんな所世界中にないぜ、世界遺産もんだなぁと興奮してくるのだ。
「十人のテーブル」の方から無言の催促され、力づけをしてくれたのだ! あたたかく抱擁(つつ)まれているような……。
こんな時だ。「十人のテーブル」の不思議で愉快な仕掛けに気づかされるのは。
ふと、山岸会養鶏法での「中雛寝枠」が思い浮かんでくる。勝手なこじつけだろうか。

種卵を孵卵器で孵化させた雛を、堆肥熱などの育雛設備で育てて、餌付後四十日前後で育雛枠を解放し、今度は「中雛寝枠」を備えつける。すると寝枠に寝ていても、そのうちの発育の早いものはやがて、既に設けてあった「棲架(止まり木)」に止まって寝るようになる。そして全部の鶏が止まって寝るようになった時に、寝枠を除去してやる。
ここでの「中雛寝枠」の特異性について山岸巳代蔵は次のように記している。

○山岸式中雛寝枠の評判
これは約三十年前から、私の鶏舎で専業用として使用し、改良もせずにそのまま続けてきましたもので、今日老練な養鶏専門家の人々が、これを見て、また実施して、その性能に今さらのように驚歎されていますが、私はまたそれ等を見て、今日まで一般にこれが知られなかったことに驚歎しているような次第です。何故これほどのものが行われなかったかについての一つとして、余りにも単純簡易な装置であるため、見ても気付かなかったことでしょう。
○中雛失敗の原因
三、四○日までは、どうにかうまく育ったが、中雛で失敗したという人が相当あります。夕暮時の二、三十分に、元気な中雛を二、三十羽も圧死させたという人もあります。夏になって痩鶏が続出する原因の一つは、ここにもあることに気付かぬ人もあります。
一定の時が来たら一斉に起し、また時間が来れば同床へ追い込むような悪平等は未だしの社会です。私達の雛には、乗降出入口で混み合う人間共を見習わせたくありません。
雛の中にはこんなのもいますし、中には早く寝て、真夜中に暗い、寒い所へ散歩かたがた水を呑みに行くものもおります。そして朝寝坊の雛は、朝仕事から帰ってくる雛の万年床を冷えないように体温で暖めておきます。
これが自由の世界です。雛の肉付き、顔色を見てやって下さい。不平の無い満足そうな顔を。
○中雛寝枠の作り方
先ず三寸角くらいの木片を、長さ五、六寸に四本揃えて、四隅の足として立て、二寸五分巾の五分板を横から方形に釘付けします。
その板の下部へ四方とものれんを地上五分まで下げます。
四〇日雛七十五羽に対し三尺平方一個、百五十羽には二個寄せれば充分で、その上へ堆肥熱育雛用に使ったモミガラ蓋を置き、雛はのれんを潜ってそのモミガラ蓋の下へ入ります。鶏舎の中央よりやや奥で、壁から離して周囲が廻れるように、雛の大きさによって四隅の足の下へ煉瓦等を置いて高さを調節します。
雛が頭を下げねば入れぬ、坐れば頭が上げられる高さが適当で、ここで昼寝をしますし、自由に入ってまた自由に出て行き、日暮れは一旦入っても暖まると殆ど外で寝ますし、その方が丈夫に育ちます。

じつは「中雛寝枠」の設置は、山岸巳代蔵の独創なのだ。育雛設備と止まり木の間に「中雛寝枠」を設置したことが、画期的なのだ!
そしてこの時期に鶏たちも、先述した自分らの愛和館での暮らしでの「一体の社会性」とか「食事する資格」を培うのだ!?

そんな心を解決するような仕掛け・仕組み・制度があることに、みなの知恵によって可能なのだということに驚愕する。
何も自らひたすら内面性を掘り下げることで心の解決を行なわんとしなくても、いやむしろそうしない方がよいのである。

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「と」に立つ実践哲叢(13)

そもそも「と」に立つとは

ここまで書きついできて、「と」に立つ実践哲学について軽くふり返ってみる。
そもそも「と」に立つとは、山岸会養鶏法が「農業養鶏」として広く世に受け入れられた経緯を説明した一文の題名「稲と鶏」(『山岸式養鶏会会報・創刊号』1954.4.1)からヒントを得たものだ。
その趣意は、今までも農家の米作りに鶏糞を施すことの良いことは知られてはいたが一般普遍化しなかった。そこで個々別々に相互関係としてあった稲作と養鶏を、一体に結びつけた形態に新しく改組したのが「農業養鶏」だった。
良いことがわかっていても、いろんなやれない理由を言って放置されていることが多々ある。なかでも稲作の立場に立っての副業養鶏の導入などは、長続きしない最たるものであろう。忙しくなって田畑に雑草が生え、かえって減収する始末だった。

そこで山岸巳代蔵が為したのは、そうした相互関係を一体に結びつけた形態に改組するという「実践」だった。
それは稲の立場や鶏の立場を通さずに、両方の立場を離れて、放した、未だ手つかずの「と」という場所に立つことで見えてくる観方からの実践だった。
それは鶏を飼って忙しくならない、しかも技術・経験のいらない方法に改めることを意味していた。それが一世を風靡した「鶏卵肉は田畑から」の画期的な一貫生産機構を整えた「農業養鶏」と名づけられた産物だった。
そんな「稲と鶏」に象徴される「と」という場所に立って、例えばそれまで田畑に肥料として施されていた魚粕や大豆粕など鶏の飼料となるものは鶏に給与し、鶏の腹中で配合された生産鶏糞を田畑に施して土壌の肥沃化を図った。購入肥料代が飼料代に化けたのだ!

ところがこの間「専業と分業」のテーマを進めているうちに、素人の対句としての専業の人より「分業の人」へといった意味あいに思い至った。当初の「稲と鶏」での相対する「と」の位置と異なることに気づいた。
昭和三一年一月第一回「特講」開催の前年三月に発行された研鑽資料『二つの幸福 真の幸福と幸福感』がある。そこでの「真の幸福と幸福感」と「専業と分業」での「と」の位置が重なってくる。

こういうことだろうか。
「ここに云う幸福の意味は、不幸に対しての対句ではなく、人生は快適であり、幸福一色であるべきを、真の人生のあり方とする、私共の人生観」
と研鑽資料にもあるように、幸福と云う言葉は二つの場合に使われ、その区別が解らないからか、幸福感のその延長上に真の幸福があると「感違い」している場合がすこぶる多いことに気づかされる。
「稲と鶏」での「と」に立つ実践から別次元の「農業養鶏」なる形態が生まれたように、不幸に対しての対句ではない別次元に真の幸福なる実態が生まれ出るのである!

高度専門化は時代の趨勢だ。そのことは必然各人をタコツボ化の「専業の人」に変えてしまう。
だとしたら別次元に立つ「分業の人」ってあらためてどんな人なんだろうか。

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書評『サイロ・エフェクト』

先日新聞の広告欄で、フィナンシャル・タイムズ紙アメリカ版編集長 ジリアン・テッド著『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』(文藝春秋刊)を知った。
0001ジリアン・テッド

サイロって、あの北海道の酪農地帯に点在するタワー型の穀物サイロのことか? エフェクトは効果とか結果という意味だ。ということは、自分らが今ヤマギシ会の機関紙に連載中の『「と」に立つ実践哲叢』での「専業の人より分業の人へ」の内容と符合するなぁと直感した。
一読して、まさに自分らのことだと思いあたることばかりだった! 

現代社会が高度情報化で単一のシステムとして結びつきを強める一方、高度に複雑に細分化、孤立化した社会に対応するためには一人ひとりが精神的・肉体的にその道の専門家として自力をつけていかざるを得ない。実際真面目に打ち込んでいくと誰もが自ずと自力がついてくるものである。
養鶏に例えるならば、何十年も養鶏に専念していると、そこから影響されるもので体力・知力・実績もついてきて自信や誇りたい自惚れ欲もなぜかついてくる。
自他共に認める「養鶏人間」の誕生である。いつしか養鶏の立場や実績からモノを考え、判断するようになる。
養鶏は人生の目的でなく、手段だ。人間生活全体の一部にすぎない。それなのに養鶏のみが目的となる縦割りされた小さな狭いサイロの生き方にひっくり返る。
その結果新しい変化に対応できないパラドックスが「サイロ・エフェクト」だ。

本書は「なぜ現代の組織で働く人々はときとして、愚かとしか言いようのない集団行動をとるのか」
「なぜ本来利口なはずの人たちが、あとになってみれば自明すぎるほどのリスクやチャンスを見落とすのか」
といった根本的な疑問に答えようとする試みだ。
しかも人類学者という特異な経歴を持つ英国の経済紙の筆者は、ジャーナリストならではの直接当事者に好奇心の赴くまま「なぜ」と質問できるなかで、サイロに支配されてしまった世界各地の個人と組織のエピソードから今の社会的欠陥の最大なる共通原因をうきぼりにしていく。
読者をして身につまされるリアル感を覚えるゆえんだ。

「ソニーのたこつぼ」の事例。
1999年一世を風靡した「ウォークマン」の次世代商品は、二つの部門がそれぞれ開発した二つの商品で、しかも互換性はなかった。その後アップルのiPodに独走を許すことになる瞬間だった。
誰も気づいていなかった。コンピュータを開発する部門が音楽を扱う部門と別であることは当然だと思い込んでいた。
独立採算制を強調することで責任の明確化が計れるという発想だった。もちろん他部門への移動も、身を守るために避けた。
部門同士が協力しなくなった。部門間の壁がますます強固になった。売り上げが浸食されることを恐れたからだ。

「スイスの巨大銀行USB」の事例。
あの保守的な石橋を叩いて渡る銀行が、2008年のサブプライム危機でゴミ屑同然となったサブプライムローンをごっそり抱えて破綻寸前に追い込まれた。
リスク担当者も細分化されていて、グループ間の交流はあまりなく、情報交換もしなかった。しかも何とリスクの高低の分類システムがまるで逆さまだった!
経営トップには全体像がまったく見えていなかった。

もちろん経済学者たちも、間違えた。専門家ですら、(むしろ専門家ほど)自らをとりまく世界を堅牢なサイロによって秩序づけるあまり、何も見えなくなる。みな同じサイロの中にいた。

こうしたサイロの弊害に苦しんでいる企業は多い。サイロに囚われない方法はあるのか? その呪縛から逃れる方法は?
そうしたサイロの悪弊を逃れようとした巨大医療機関の事例は興味深い。

「病院の専門を廃止する」の事例。
アメリカ有数の規模を誇る医療機関クリーブランド・クリニックでは、患者が自らの病気を語る内容に耳を傾けたところ、身体の部位や漠然とした病名を口にすることが多かった。
医者の見方と患者の見方は違う。医者ではなく患者の側から医療を定義してみたらどうなるだろう。
そこから外科と内科を廃止したり、垣根を越えて各専門をクロスオーバーさせる試みによって革新を生んだ。

これらの事例はみな、自分らにも身に覚えがあることばかりだ。
例えば数年前に、それまでの実顕地で別棟に分けられていた「生活窓口」と「法人窓口」を廃止して、窓口を一箇所にしてみた。窓口一箇所で実顕地に住む人の要望を受けて、窓口の側で生活と法人に仕分ける業務を受けもったのである。するとどこかのお役所のようなたらい回しがなくなった! 

そして筆者は、「なぜサイロが形成されるのか」「サイロにコントロールされるのではなく、われわれ自身がサイロをコントロールするすべはあるのか」に答えようとする。 

「終章 点と点をつなげる」
専門化は不可欠だ。サイロを専門家集団と定義すれば、その存在は必然である。
だからサイロをコントロールするという戦いに終わりはない。常に進行中の作業だという。
1 交わる機会を増やす 
2 協調重視の報酬制度
3 情報の翻訳家の必要性
4 分類法の定期的な見直し
等々とサイロに囚われないための幾つかの教訓を並べる。
しかし筆者の真骨頂は、教訓を垂れるだけでお茶を濁して終わらないところにある。

それはフランスの人類学者兼社会学者であるピエール・ブルデューの研究成果を援用して一章を割いているところにみられる。
「人類学はサイロをあぶり出す」
巻末の「謝辞」で筆者自身が、本書は
「私自身がこれまでの人生で経験してきた、さまざまな『サイロ破壊の旅』の産物」
だと語っているように、かつて彼女自身がタジキスタンの小さな村に三年暮らし、生活を共にしながら結婚慣習を観察している。そこは常識観念がひっくり返る世界だ。常に「なぜそうなのか?」と疑問が湧いてくる。それは人類学の研究手法であると共に筆者自身の生き方にもなっている。そこに親しみを感じた。

しかもピエール・ブルデューといえば、本ブログでこの間ふれてきたM・フーコーの盟友だった。
こんな挿話が本書にも紹介されている。
農家の息子として生まれ育ち久しぶりに故郷のクリスマスのダンスホールで、学者になりたての頃ブルデューが見た光景があった。
ホールに集まった人たちは、どういうわけか自分たちを二つの陣営、踊る者と踊らない者に分類していた。なぜそんな区別が生じるのか、その手がかりをブルデューは数日前に、かつての級友から聞いていた。踊らない者を「結婚できないやつら」と呼んでいた。
強制力のあるルールも踊りの輪に飛び込むことを禁じる法律もないのに、なぜさっさと踊りの輪に加わらなかったのか、また女性達は男性の半分を無視していることに気づかなかったのか。そんな痛ましい光景に愛おしさすら感じたという。
そもそも人はなぜ、環境から受け継いだ分類法をそのまま受け入れるのか。
村のダンスホールの踊らない者に象徴される「社会的沈黙」によって隠されていた部分に光を当てることにこだわっていく。
人は必ずしも自らが受け継いだメンタルマップにとらわれる必要がないというのが、彼の知的探究心の出発点でもあった。

自分が日々、無意識のうちに身のまわりの世界をどのように区切っているのか、思いをめぐらしてみる。
これこそ「インサイダー兼アウトサイダー」でどこまでもあり続けたいとする本書に深みを与えている視点なのだ。
そういえば自分らも、「インサイダー兼アウトサイダー」の全体的視点に立つ独自の価値観に基づく文化を刻んできて半世紀を超える。しかしここ十年は、まさに「サイロ破壊の日々」である。
たんに「囚われない」「キメつけない」といった主観を捨てての一言で済まされないものに日々直面するからである。

そもそも「ヤマギシズム実顕地」とは、自然と人為の調和を基調としたヤマギシズム理念を顕現する場を指す。
提案創設者山岸巳代蔵の
「今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり」(知的革命私案)
とする観方に同調共鳴した有志が数家族以上集まって、垣根や壁や囲いなど隔てるもののない理念に基づいて編み出された完全専門分業での生活様式の一つである。始まりは1961年だった。
その意味では、サイロの引き起こす「愚行」あるいは視野の狭まりを防ぐ手立ては、すでに用意されている。とっくに解決済みの案件なのだ!? 

先に筆者も記していた。
「サイロを専門家集団と定義すれば、その存在は必然である。
だからサイロをコントロールするという戦いに終わりはない。常に進行中の作業だ」

そうだと思う。しかもサイロを無くする根本は、断じて一技術や方法の末にあるものではないことを銘記しておきたい。
人間成人してからも、経験なり実績が上がっていく程たまってくる、この垢ともいうべき固定観念。こうした観念のトリコから解放されて、無心の子供心に還りたい。「万年素人の初々しさ」の世界へ。

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わが一体の家族考(4)

「十人のテーブル」

それにつけても「十人のテーブル」って不思議で愉快な仕掛けだなぁとつくづく感じる。
座る人の組み合わせや時間帯や座る場所によっても自ずとどこに座ろうかと毎回考えてしまうところだ。
唯漫然と腹空いたから食べたいから食べると、居直ってばかりは居られない仕掛けになっている。テーブルから醸しだされるものに強く影響されているなあと実感するのだ。
たしか研鑽資料にも、

◯食事時の行儀や礼儀作法のような型にはまったものはありませんが、食事する目的に最も適った立居振舞としてのあるべき姿があるはずです。
各自子どもの頃から、あるいは途中からでも、それを見出し身につけていきます。
それは一体の社会性を培うことにもなります。

とか

◯食事する資格
食事する権利もそのための義務もない、誰一人とがめる人もない社会での食生活として唯漫然と、腹さえふくれさしたらよいのだろうか。
自然全人一体社会の一員としての資格が、真理の世界から或いは米や野菜から問われているように思えてなりません。
その資格条件を揃えていこうとすることも、食生活の幸福条件として欠かすことの出来ない要素です。

ともある。
ここでの「一体の社会性」とか「食事する資格」という文言に突然出会うと、その結びつきがわからなくなる。
いったい「十人のテーブル」が醸しだされ問いかけるものって、何なんだ?
お前には、生きる資格があるか、飯食える資格があるか、それをやる資格があるかと問いただされているようなものだ。
これではままごと遊びというよりも、堅苦しい冷や汗が流れるテーブルではないのか?

そうだろうか。
どんなに素晴らしい理想や夢を描いても、それだけでは日常の雑事や規範・慣習にかき消され押し流されてしまうのがオチだ。なぜなら理想や夢からの感化よりも、普段の日常生活に深く織り込まれているものから来る感化の方に影響されるからだ。
自分らの描く実顕地という生活体を夢物語にしないためには、実はそれを今日とは遠くかけ離れた先のことや方向性としてのみ置かないで、日常化する必要があるのだ。

そんな願いが織り込まれた「十人のテーブル」のようにも見えてくる。

理想はその方法によって必ず実現できる。しかもその方法とは、一体食堂「愛和館」で普段どおりに食事するという何の変哲もない行為それ自体を指しているのだ?
当人は一向に気がつかないでやっているが、「十人のテーブル」から日々感化されるものがある。あたかもキリストの「十字架」のように……。

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わが一体の家族考(3)

「常夜灯」としての一体食堂

こうした「愛和館」の暮らしを1980年代初めからやり始めたのだが、2000年代初頭に「週に一度ぐらいは各家庭でも食事ができるように、愛和館休館日を設けたい」といった提案が運営研鑚会で研鑽されたことがあった。

その当時、親がもっと子育てに係わった方が良いのではないかといった気運や「血縁での家族をもっとやりこみたい」という気持ちが台頭していた時期でもあった。(その背景については後述する)
研鑚会ではもちろん各家庭での食事云々はとがめる何ものもないのだが、それと共に「常夜灯」としての一体食堂「愛和館」の存在価値について皆で研鑽できたことが今も心に焼き付いている。

というのも実顕地生活そのものが、あまりにも今の常識からかけ離れているために、常識観念そのままでは推し量れないという事態に、当の自分らが真っ先に直面してしまいがちなのだ。だとしたら、特定の人でしかできないのだろうか?
イズム生活へ入るための訓練として、ある一線を越えるように試されているのだろうか。その過程を経ないと実顕地に住めないのだろうか。

こうした過度期のとまどいの中で、いつも身近に感じられて自分らの歩む道を照らしてくれるような道しるべとしての「常夜灯」についてだ。
常に光を放っていて、そのためか普段はあたり前すぎてあんまり恩恵感じないけれど、無くなってはじめてその値打ちがわかるようなもの……。
皆と共に研鑽するなかで、そんな「常夜灯」のイメージがふくらんできて年中無休の「一体食堂愛和館」とがなぜか重なってきたのだった。
「共にやっていこう」とする灯種が互いのなかに燃えているのを確認しあったような、何かほのぼのとした温かいものに包まれた。

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