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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(8)

理想のイメージの中身

ちなみに自分らの 「一般社会に囲まれたユートピア=実顕地(理想社会づくり)」は次のように描かれるだろうか。
実顕地は、その地域の中での小社会を形成して、ヤマギシズムの方向に任意、運営される。
今の社会と遊離するように思う人もあるかもしれないが、そこに囲いが生じるならば、それはイズムの実顕地ではない。
事業面は現法下での法人組織とし、現法制に即しながらヤマギシズム生活を営み、税金を含む社会義務にはそれぞれ協力し、親戚、近所つき合いや、官公庁、その他いずれとの交際や義務行為も心から行う。
現社会の恩恵を受けて生きている関連をよく知って協調しながら、理想社会に発展させていこうとするものだ。
要は「相手が間違っていても、正しく生きるということは自分にできることだ」として、それぞれの持ち場持ち場で自分を活かすことを楽しむ。
誰も傷つき侵されない。その人、その時の段階で無理なく、みんな深まって理想社会につながっていく。

とても口先の当たりがよく描かれている?

「今の社会と囲いがない? だとしたら、自分や自分らだけがよくなろうとする個々人主義の醜悪社会の延長にすぎないではないか? というか知らず知らずして今の社会に染まってしまうだけだ」
「そうなのだ。形のみつくっても考え方が正されない限り、たんなる共同生活体と何ら異なるところがないよ」
「いや、今の時代のレベルに合わして、一般に融け込んでいった方がかえって早い。研鑽と言わずに研究と言い、山岸会の名も使わない方がいい。
いつもいつも非常識で行き過ぎたり、踏み外して、人に迷惑ばっかりかける。自分らだけいい気になって、のぼせあがっていると、かえって世間の人は寄りつかなくなるからネ」
「趣旨はいいが、現実はなかなかそうはいきませんからネ」
こんなやり取りがくり返し続けられる。

ヤマギシズム実顕地は、現状そのままの状態で出発し、その後状勢の展開につれて、合理化し、内容を充実して、だんだんとイズムの実顕地らしい実顕地へ移行進化していくものだ。
とするならば、実顕地らしい実顕地へ移行進化していくいちばんの要素は何なのか?

そこそこの自由気ままに振る舞える一般社会の中で、なぜ理想を追い求めるような独自の道を進もうとするのか? 実顕地造成が始まった1960年代から今日まで綿々と続いている問いだ。
時流・大勢に逆らって、なぜ困難で徒労に終わるかも知れない試みに立ち向かうのだろうか。

自分らの 「一般社会に囲まれたユートピア=実顕地(理想社会づくり)」の理想形態のイメージの中身が問われてくるのだ。要はそこそこ気ままに振る舞える一般社会より魅力的でかつ人間ならではの欲望を満たす社会実態でなければならない。
「理念」と「現実」があって、そこでの自分らの実顕地づくりという「実践」はどのように位置づけられるものだろうか。

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