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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(13)

『ある愛の詩』

先に紹介した宗教学者の島田裕巳さんのコラム記事にあるように、2000年前後自分らは内外からのバッシングにさらされた。

「ところが、急激な拡大はひずみも生む。ヤマギシ会の共同体のなかで、子どもに対する体罰が行われているなどとして日弁連などによる調査が行われ、その事実が明らかになることで、ヤマギシ会は社会から激しいバッシングを受けることとなった。それは、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こってから、それほど経っていない段階でのことで、ヤマギシ会はオウム真理教と同様に危険なカルトであると見なされたことも大きかった。
国税局による税務調査で申告漏れが指摘されたり、脱会者が次々と告発本を出したことも大きく影響した。それによって、ヤマギシ会は大打撃を受け、生産している食品が売れなくなるという事態に直面した」

これはまさしく吉本さんが以前から懸念されていた事態でもあった。
「おやっ、これはいかんぜ。ヤマギシ会は社会に対して閉じている。もっと開かないと……」

茫然自失とした状態が続いた。この先のイズム運動が全く描けなくなってほとほと困った。しかも誰に相談しようにも、見回したら誰もいないような状況に気づいて唖然とした。
そうした不安な気持ちが続く中で、ふと気づいたらいつもよみがえるひとつの光景があった。
それはヤマギシ会に参画して直後の出来事で、数年後に手記としても書きとめていた光景だった。

「朝寝坊の得意なぼくは、時として朝一番の水やりやエサ見を怠った。そんな時は必ず奥さんが代ってやってくれていた。
そして遅れてやってきたぼくの顔を見て恥しそうに、『フフフッ』と微笑むだけだ。ちっとも非難がましいことは言ってくれない。
これはかなりぼくの胸にひびいたことの一つだ。休憩時のおやつ作りの時もそうだ。どうしてあんなに素早く用意できるのか、ぼくたち若い飼育係にとっては毎日驚異のマトであった。自分が作って自分で食べるよりも、みんなが『おいしい、おいしい』と言って食べるのを眺めているさまが、その場での奥さんにとっては最も似つかわしかった。
山岸会とはアナキズムの流れを汲むものではないか、などと当時つまらぬことばかり考え、そうした複合観念に悩まされていたぼくの心に、Yさん夫妻のそうした笑顔や立居振舞はものすごく新鮮なものとして飛び込んできた」(『ある愛の詩』1977年1月)

自分は厳しい現実から逃げようとしているのだろうか? いや、そうではあるまい。
そこに触れた時の、何かほのぼのとした温かいものに癒やされ、ある温かい感情が流れ、何だか元気が湧いてくる中にこそ何か大切なものが秘められているように感じられたからだ。
だとしたら、こうした琴線に触れるような体験の先に自分らの「ヤマギシズム」が立ちあらわれてくるならばどんなにか素晴らしいことだろうか、とあまりに虫がよすぎることを空想し始めた。

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