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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(14)

普遍に繋がる道筋へ

ふと気づくと、いつも自分はその光景の中にいた。
そこはあたかも例えば『白痴』(ドストエフスキー)での無垢の心の持ち主であるムイシュキン公爵に不意に現れでるなじみの場所であり、「そのまま千年だって過ごすことが」できる原風景ともいうべきものであった。

「時おり彼は、どこかへ行ってしまいたい、ここからすっかり姿を消してしまいたいという気持ちに駆られた。ただ自分の思いだけを抱いて一人きりになり、誰にも自分の居場所を知られたくないような場所に行けるなら、たとえそれが物寂しい、砂漠のような場所でも大歓迎という気持だった。(略)
時おり、彼の脳裏に山々の姿が浮かび、そしてその山中の、まさになじみのある地点のことが浮かんだ。それは彼がいつも好んで思い出す地点であり、まだスイスに住んでいた頃、好んでそこまで散歩に行っては、その地点から眼下の村を、下のほうにわずかにほの見える真っ白な滝の白糸を、白い雲を、打ち捨てられた古い城を、眺めたものであった。ああ、いま彼があの場所にいて、そしてひとつのことだけを考えていられたら、どんなにかいいことだろう。そう、一生そのことばかりを考え続けて、そのまま千年だって過ごすことができただろう!」(望月哲男 訳)

まるで自分の心境がそのまま映し出されているかのようでビックリした。
ある普遍に繋がる道筋へのかすかな明かりを見いだしたかった。いろんな書を読みながら、自分を奮い立たせる一節に遭遇しては快哉を叫んだ。
マイナーであまりにも個人的・主観的な実感や人生体験の一コマにすぎないものかも知れない。それをただの通りすがりの体験にしないで、他の人々にも響いていくような次元にまで煮詰めていきたかった。
そうした行きつ戻りつの試みの日々が続いた。

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