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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

「と」に立つ実践哲叢(15)

間違っているかもしれない

しかも本書『サイロ・エフェクト』の真骨頂は、サイロに陥らないための教訓を垂れるだけで終わらないところにある。
先に「私自身がこれまでの人生で経験してきた、さまざまな『サイロ破壊の旅』の産物」と語るように、かつて筆者自身がタジキスタンの小さな村に三年暮らし、そこで常識観念がひっくり返る世界を味わっているからだ。
それはフランスの人類学者兼社会学者であるピエール・ブルデューの研究成果を援用して「人類学はサイロをあぶり出す」という一章を割いているところにみられる。
こんな挿話が本書にも紹介されている。

農家の息子として生まれ育ち久しぶりに故郷のクリスマスのダンスホールで、学者になりたての頃ブルデューが見た光景があった。
ホールに集まった人たちは、どういうわけか自分たちを二つの陣営、踊る者と踊らない者に分類していた。なぜそんな区別が生じるのか、その手がかりをブルデューは数日前に、かつての級友から聞いていた。踊らない者を「結婚できないやつら」と呼んでいた。強制力のあるルールも踊りの輪に飛び込むことを禁じる法律もないのに、なぜさっさと踊りの輪に加わらなかったのか、また女性達は男性の半分を無視していることに気づかなかったのか。

そもそも人はなぜ、環境から受け継いだ分類法をそのまま受け入れるのか。村のダンスホールの踊らない者に象徴される「社会的沈黙」によって隠されていた部分に光が当てられていく。そして人は必ずしも自らが受け継いだメンタルマップに囚われる必要がないというのが、ブルデューの知的探究心の出発点でもあった。
自分が日々、無意識のうちに身のまわりの世界をどのように区切っているのか、思いをめぐらしてみる。これこそ「インサイダー兼アウトサイダー」の「自分の考えが間違っているかもしれない」とする視点なのだ。

そういえば自分らも「インサイダー兼アウトサイダー」の全体的視点に立つ独自の価値観に基づくヤマギシ文化を刻んできて半世紀を超える。しかしここ十年は、まさに「サイロ破壊の日々」である。たんに「囚われない」「キメつけない」といった主観を捨てての一言で済まされないものに日々直面するからだ。
サイロ・エフェクトは既成の価値観を固定して疑わない社会の人々はもちろん、理想社会を志向する自分らも等しく陥る罠ではないのか!? 衝撃だった。

そもそも「ヤマギシズム実顕地」とは、垣根や壁や囲いなど隔てるもののない理念に基づいて編み出された完全専門分業での生活様式の一つである。その意味では、サイロの引き起こす「愚行」あるいは視野の狭まりを防ぐ手立てはすでに用意されていて、解決済みの案件なのだ!
それが何時しか「これが良いこと・正しいからやる」ことに反転していく!? だったらやらない方がマシ。何で、何でそこでまたひっくり返さなければならないのだろうか。

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