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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(17)

「ヤマギシズム七不思議」

その当時から自分勝手に「ヤマギシズム七不思議」と名づける気になることばの一節を呪文のように唱えていた。
それらはヤマギシズム理念の提案者、山岸巳代蔵の著書や発言にあるもので、強く心を惹きつけられながらも今ひとつ腑に落ちないでいることばだ。
ある意味謎のようなことばでもあり、自分自身を今日まで釘付けにしている不思議なことばだ。
その真意を一日も早く解り合いたい欲求が、実のところ自分自身の生きる源にもなっているかのようだ。
例えば、前後の文脈を切り離して並べてみると次のようなことばになるだろうか。

○「万象悉(ことごと)く流れ、移り行く」
○「死は生だ」
○「繋がりを知る精神」
○「真実は立て替え」
○「死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします」
○「男は男として生き、女は女に適した生き方こそ、幸福な人生です」
○「私はあなた、あなたは私」
○「無停頓の律動」
○「本物を本当にのせておかないと、本物にならない」
○その他

ことわざに現実的な意味や価値のない絵空事のことを「絵に描いた餅」という。また言うばかりで実行の伴わないことを「口頭禅」ともいう。
「云う人はあっても、行なう人は稀で、云う人が如何に多くても、行なえる人が多くならねば、画餅・口頭禅に終ります」
だとしたら、画餅・口頭禅に終らない「行なう人」とは誰のことか? 
自分らがやりたいのは、理念と自分との間に橋を架けることだ。
一つの理念を紋切り型に唱えているだけでは、すぐにメッキがはがれ、自己欺瞞に陥る。これこそ自分らがかつて2000年前後に内外からのバッシングにさらされた際に刻み込んだ教訓だ。

では理念と自分との間にどんな橋を架けるのか?
今までの自分と理念との間では自己欺瞞に陥るだけだ。しかし自分らがやりたいのは、理念と自分との間に橋を架けることだ。
「これが問題の条件である。ここがロドスだ、ここで跳べ!」(『資本論』)

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