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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(33)

真実の愛の実践?!

ヤマギシズムが世に出たのは、養鶏を通してであった。山岸巳代蔵の思想に理解同調した少数の養鶏家によって山岸式養鶏普及会が結成され、会としての運動は始められた。その当時は、月に一度の徹夜研鑚会などを通して参加者にこの思想の理解を図っていた。しかしこれではどうしても思想の一端の理解にしか過ぎず、従ってどうしても活動が養鶏中心に進められていかざるを得なかった。
しかし「山岸会・山岸式養鶏会会報」三号に「ヤマギシズム社会の実態」が発表されて、山岸会の概略が明らかになるに及び、これを本当に理解するには、どうしても一定期間共に生活しながら徹底的に研鑽してゆかなければならないことがわかり、1956(昭和31)年1月、第一回特別講習研鑽会が開かれた。
これから山岸会の、社会変革の運動団体としての性格が明瞭になり、会員の対象も養鶏家からあらゆる職業の人達に拡がってゆくようになった。
二回三回と特講回数が重ねられ、同調者の数は増加し、しだいに純粋な社会変革運動団体としての性格を名実共に有するようになった。関西一円の各地方に村或は町単位にそれぞれ十名二十名と会員が出来てゆくうちにこれら会員の結集によって、支部結成が始められた。京都・大阪・和歌山・兵庫・岡山と支部結成の波は拡大され、徳島、香川から四国にも及んだ。
続いてそうした組織性を帯びた活動から、ヤマギシズムの一体の考え方での養鶏、「一体養鶏」を自分らの地域でやろうとの気運が盛りあがってきた。
当時和歌山県の金屋町下六川地区では、みかん作業を数家族で作業を一つにした「一体作業」の動きが「一体経営」のモデルとして大きな注目を浴び、各地に広がった。
一方1958(昭和33)年には、そうした情勢の高まりの中で「百万羽養鶏構想」の発表があり、多くの会員が家財産を売り払い、家族を連れて百万羽へと参集し、ヤマギシズム運動が本格的な実践運動に発展する大きな転機となった。現在の三重県伊賀市の春日山実顕地の前身である。
こうした刻一刻とめまぐるしく移り変わる運動展開の中に、イズム運動の未来に繫がる重要な基盤づくりの布石が打たれていた。
そのことは1957年に入り従来の「農工産業新聞」(山岸式養鶏会当時より継続)とは別に、純粋に社会活動体として発行された「快適新聞」紙上から、理想実現への意気込みの一端を今あらためて読みとることができる。
快適新聞

例えば1958(昭和33)年5月15日発行の会の研鑽部からのお知らせ記事広告に

「ヤマギシズム(社会愛主義)社会の革命実践はまず愛の徹底研鑽から」との見出しを掲げて、
今年に入って各地で一体経営実践の段階に入ると共に、百万羽科学工業養鶏実現への飛躍的な運動展開の時を迎えた。
しかもこの運動の成功するか否かは、会員各自の真実の愛の実践なくしては絶対達成されない。
先般(4月17日)から5日間にわたって第一回愛情徹底研鑚会がもたれ、今日まで解明されなかった、真実の愛情に充たされた社会の実態が打ち出された!
そこで次の日程で連続開催される予定であるから参加されたい云々……」

とある。
「真実の愛の実践」?!
全財産を整理して参画した百家族余の人たちが結集して、自分たちの考える理想郷建設に着手し始めたその矢先のことである。
よりによって画期的なストライキも社長もない「百万羽」事業経営にまさに集中しなければならない激務の最中に、なぜまた夫婦間の愛情徹底研鑚会の立ち上げなのか?
愛情問題というもっとも個人的なもので今までの慣習に従ってほとんど顧みることもせず、実のところ何故か触れたくない、腫れ物に触るように棚上げしていた感があるようなものに研鑽の光を当ててみようというのだ?!
そこにどんな山岸巳代蔵の意図があったのだろうか?

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