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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(108)

〝仲良くほのぼのの気分〟で

先述の、ふとした機縁から気付いて、心が転換して、あの我が抜けた時の何とも言えん気持ちに立ち返って、そこから出発することで

“こんなにも仲良く、親しく、溶け合えるもの、好き合えるもの”

の歓びが展開する、そんな我を超えた〝Ecstasy〟の世界に住みたいと思う。それは自分らの切実に欲求する〝真の幸福〟それ自体を体現することでもある。
人生のスタートであり、人生の最大目標であると思える〝恋愛・結婚〟は、現在最も深刻な問題とされ、ほとんどの人を修羅地獄に落としてきた。ずいぶん不合理的なものを結婚などと思い違い等をして、正しい結婚をする条件が揃ってないのに結婚していると思う間違いが、日常の生活面や、精神的な面に現れて、何か物足りないものや不都合な事態を引き起こしている現今世情である。
決め手が発見出来ないでいた。
山岸巳代蔵もまたこの間、自分自らをまな板に乗せる〝血みどろ〟の愛情結婚劇の渦中に立たされて逃げ出さずよく演じてみせた。それはひとえに全人苦悩する人の一人もなくなることを願ってのことだった。
そしてついにそこから〝だれでもたやすく真の結婚の楽園へ入れる〟鍵を見つけた発見の歓びがもたらされた。
それでは、真の結婚とはどんなものか?
それは至極簡単である。

――結婚、恋愛は楽しいのが本当――
――頑固者は真の幸福結婚が出来ない――

それがそうも行かないのは、
○固い殻着てては、一体になれないから。
○夫婦は先ず心の一致から…
といった以上の数行ですべてが言い尽くされる。

三重県警から全国指名手配された山岸巳代蔵は各地の会員宅などを転々としつつあった頃、福里柔和子宛てに次のように書いた。はじめにこの間の

“随分むごい我抜き、剛研鑽実践やら、私の愛情の混乱から起こる狂態等で、柔和が繰り返して云う如く、夫婦として楽しかったのは東京帰りの数時間だけだったのは本当ね。次から次と責めせっかんで、一日たりとも心から楽しい日が恵まれなかったね。すまないことをしたね。”

と詫びつつ、

“本当の僕になりきって聞いて欲しい、知って欲しい。特に今の僕を知って欲しい。傍らから見ていると、何とはがゆく、解りの悪い、勝手な、信用の出来ぬ、くだらん男に見えるだろうが、その解りの悪い、くだらん男になりきって、最後まで、こんなに云うのには、何かがあるのじゃなかろうか、聞いてやろうじゃなくて、僕になりきった自分の心の声を、僕が得心のゆくまで、一度だけでも聞いて欲しいのです。そうでなかったら、研鑽を基調とするヤマギシズムもなく、柔和の絶叫した真の一体研鑽もないと思う。僕も柔和になりきって聞くから、もうこれで云う事ないと得心のいくまで聞くからね。顔も姿も心も体も、年令、性別も凡て、全く愚かさも、幼稚さも、僕そのままになって聞いて欲しいよ。淋しがりやで、自制心のない僕になりきってね。
私の性格など、きめつけないで、一日も早くお互いになり変わって、そしてどちらかの一体になり合って、話しかつ聞きたい。代わり番こになってね。”(柔和子に寄せる)

と、同じ二人が一つになれてはじめて醸しだされる〝仲良くほのぼのの気分〟で、〝何とはがゆく、解りの悪い、勝手な、信用の出来ぬ、くだらん男〟をそのまま包み込み溶かしてしまおうと呼びかけている。
どういうこと?

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わが一体の家族考(107)

〝地獄の八丁目、即極楽の八丁目〟

1959(昭和34)年7月24日三重県警から全国指名手配された山岸巳代蔵は、各地の会員宅などを転々としながらも、9月中旬から自意出頭する翌年四月十二日まで滋賀県堅田の地に住んだ。この間疲れ切った身体の回復に努めると共に情勢がある程度進展するまで出頭を見送りたいとの心境行動からであった。
そして書簡という形式をとって、この間の経緯を振り返りつつ近況を会員に向けて伝えていた。
なかでも第二信は、山岸巳代蔵から福里柔和子に宛てた書簡という形式で寄せられた。その文末は、次のように記されている。
特講絵図

“月界への通路、開設着工”
地獄の八丁目、即極楽の八丁目
 きわまる所 必ず展ける。
 霊人より”

ここでの〝月界への通路〟とは、次のような意味であろう。

“私は一九歳の時、或る壁にぶつかり、苦悩の内に一生かけての仕事を始めたのです。そして人生の理想について探究し、真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟という信念を固め、只今ではその方法を「月界への通路」と題しまして記述し続けております。”(山岸会養鶏法)

結婚資格のなかった自分が、絶望のドン底におちいり数々の煉獄の試練・死よりもつらい数々の責め手、受難史をくぐり抜け、ようやくにして真の結婚の出来る資格がついて、誰でも容易く真の結婚の楽園へ入れる鍵を見つけた発見の歓びに満たされている、といったことだろうか。
あの『ヨブ記』からの一節――
「神は兄弟をわたしから遠ざけ
 知人を引き離した。
 親族もわたしを見捨て
 友だちもわたしを忘れた。
 わたしの家に身を寄せている男や女すら
 わたしをよそ者と見なし、敵視する。
 僕を呼んでも答えず
 わたしが彼に憐れみを乞わなければならない。
 息は妻に嫌われ
 子供にも憎まれる。
 幼子もわたしを拒み
 わたしが立ち上がると背を向ける。
 親友のすべてに忌み嫌われ
 愛していた人々にも背かれてしまった。」
 (ヨブ記19章13-19節)
のように、

“常識世界は冷たく酷だった。”

という実践の場に立たされてはじめてヒニクにも、
窮まる所、開ける救いの手。宇宙・自然界の愛護を受けて、ようやくにして解放されようとしている! 途が開け始めたのだ!
〝地獄の八丁目、即極楽の八丁目〟なのだという!?
なぜ地獄=極楽の〝即〟なのだろう? 〝即〟の中身がサッパリ分からない。地獄の八丁目から極楽の八丁目へ至る、そんな通路があるというのだろうか? いったい何処でどんな機縁で地獄から極楽へとヒックリ変わるのだろうか。
こうした自己問答を日々くり返す中でフト思い至る。
あれっ、たしかに地獄から極楽の世界を目指している訳だけれども、地獄の世界に住んでいて果たして極楽の世界へ辿り着けるものだろうか? すると次のような一節が浮かんだ。

“明日の幸福は、今日の歓びの中から生まれ出るもの。
もし、今日只今が正常・健康でないなれば、速やかにそれの原因を検究して、その間違いの部分を発見し、即刻それの解消を図ることである。
悲しい今日の中から楽しい明日は生まれない。”(研究家・実行家に贈る言葉)

早とちりしがちな軽率な自分を恥じる。地獄から極楽への通路は、〝それには出発に先だって〟解明しておくところから開設着工されるのだ。肝腎の〝先立ってあるもの〟をまるで他人事のように見過ごされている!
要は極楽の世界へは極楽の境地からしか辿り着け得ないのだから。

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わが一体の家族考(106)

頑固・我利・我執抹殺

そうした〝我抜き〟研鑽の実際をもう少し見てみよう。〝我抜き〟なるものは自分らの暮らしのなかでも、例えば

“一通の急信によって、どんな忙しい中でも、遠隔の地からでも、取るものも取りあえず、頑張っていた頑固さをサッと抜いて自分ではそれを意識しないで兄弟近親の元へ馳せつけてくる”(『山岸会事件雑観』)

ように、自覚の有無は別として日常的に事実やられていることだ。だからここでのテーマは、自分の〝頑固さをサッと抜く〟ことの効用というか事実の中に秘められている値打ちを知ることにあるのだろうか。
ところが実際に「太平洋の怒涛へ断崖から飛び込め」とか「千貫匁(3750㎏)の石を動かせ」と本気になって迫られた時に、僕はいったいどうしたらいいんだろうか?
「そんなこと出来るはずがない」と頭が真っ白になってしまうのがオチだ。
こんな話を聞いた。
「ある時の〝剛我抜き〟研鑽で、どう考えても我執と思えないことを我執だとキメツケてやるわけ。たまりかねて先生(山岸巳代蔵)に言うたら、我抜きについては何もいわない。我抜きは否定しない。
我のない人に、幾ら我抜きをやっても無害だから。やはり、いくらやってもよいと言う。」
そのことは次のような水と布の例えでも語られる。

“まあ、コンクリートの川みたいなもの作って、鉄条網を杭打っておいてみたら、衣みたいなものを流してみたらよい。相手がなんぼ引っかかるものを持っていても、水みたいな、こっちに引っかかるものがなければよく分かる。私の考えはいろいろあっても、引っかかる時は帯や着物があったら引っかかるが、水やったら引っかからへん。
研鑽学校へ行って試験してみたら分かる。引っかかってる者が、それだけ損よ。勝手に引っかかってるのやから。うっとうしい目をせんならん。”

そこまでも打ち込んでやるほど値打ちあるものだということだ!
また「私は我はありません、あなたの言うことよく分かりますわ」も怪しいという。
指にトゲが刺さった時、こっち向けに撫でてたら痛くないが、ちょっと逆向きに撫でたら痛いというのを抜くようなものだと〝我抜き〟をトゲ抜きにも例えている。
トゲが刺さる

とにかく抜かんことには何も始まらない。自分の意に沿う調子よい時は「良いな、良いな」と言って、ちょっと逆撫でされると「あっ痛っ」と言うのが大方の姿なのだから……。

いったいこうした〝我抜き〟の先にどんな世界が展開しているのだろうか?
だがしかし、自分らはもちろん宗教や修養会でもその克服が重要な課題とされる我執について、他にもっとやることがあるからだろうか、そんなに〝無我執体得〟に魅力(?)を感じない。どうも寒夜に滝に打たれる荒修行をイメージしてしまいがちでつい腰が引けてしまうのだろうか。確かに戦争や争いの元になっている我執はないほうが良いのは理解できる。だからといってどうしても自分の我が頭をもたげてくるのを抑えられない今の処仕方ないのではないか、というのが大方の率直な意見ではないだろうか。
ただやみくもに〝無我執体得〟を唱えるだけでは、広大無辺の〝ただ愛のみ〟の我の表現の起らない世界から来るものがちっとも湧いてこないのだ。
何故なんだろうか? 

“自分の我執はむろん、世界の我執をなくすることを、総てのものの始めとしよう”(1961.3.15 山岸巳代蔵 口述)

自分はもちろん他の人のまで抹殺する〝我抜き〟こそ、自分の生き甲斐・命というか全人幸福への一番の近道に見えているのに、どこか修身・修養・道徳的な寡欲高潔な人格像に遮られて今日では死語となりつつある。

ふとした機縁から気付いて、心が転換して、あの我が抜けた時の何とも言えん気持ちに立ち返って、そこから出発することで

“こんなにも仲良く、親しく、溶け合えるもの、好き合えるもの”

の歓びが展開する、そんな我を超えた〝Ecstasy〟を誰もが求めているにも関わらず……。

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 「と」に立つ実践哲叢(32)

 老いることは幸せ?

今年が運転免許証の更新時にあたるため、先日近くの自動車学校で高齢者講習なるものを受けた。
自動車学校

受講前にどうも実車による指導があるらしいと聞いていたから、安全確認やS字クランク走行や車庫入れ等うまくやれるかなぁと急に心配になってきた。
しかし当日は〝案ずるより産むがやすし〟で、助手席の講師の指導宜しきを得て「慎重な安全運転ですね」と一言添えられて無事何ごともなく済んだ。
ホッとした。そしてまた普段だれもが当りまえにやっていることを、自分もまたその通り身体の一部のようにやれていることに何だか嬉しい気持も湧いてきた。だって当りまえにやっている〝かもしれない運転〟でなく自分流にキメつけがちな〝だろう運転〟だったら、即事故につながりかねない。
これって普段の〝研鑚生活〟にもあてはまらないだろうか。研鑽のできる研鑽態度が身につくヒントが得られないだろうか。
例えば先回次のように記した。

“先の日馬富士の問題でも、対立・反目・確執・暴力等あり得ないのが本当なのに、「それは絵空事にすぎない。現にあるではないか」と〝混線〟しているところに間違いをみる”

いったい何と何とを〝混線〟しているのだろう。今まで食べたことのない新しいものだったら、先に味わった味を〝混入〟しないで素直に味わってみることに限る。考えられない頭で、二つの課題を同時に考えてしまう考え方に無理があるようなのだ。
今業として営んでいる農業でも、世間では「きつい・汚い・臭い・かっこ悪い・稼げない・結婚できない」の6K産業だと暗いイメージでずっと語られてきた。しかしやり方しだいでは、自分ら素人百姓でも高い経済性をあげているし、空気や水や草や塵芥が卵や肉や牛乳に変わる自然の根本妙手に感動しつつ老若男女みんなしてやる楽しい作業を満喫している実態がある。そこから本来の農業を見てとれないだろうか。
超・少子高齢社会が進展するなかで、先の安全運転もさることながら、経験や知識や身体的にくるもの等成人する程固くなっていく老化現象を防ぎ、時代の先端を行く若さを回復する機会が切実に求められている。

以前〝老いることは幸せ〟という言葉に出会って、ウソー!年を重ねて耄碌することのどこが幸せ? とビックリしたことがある。しかも現実、身近な周囲からも老いの嘆き節を日々聞かされると、自分がその境地に居らないとつい同調してしまいがちだ。
そう、ここでも本来の姿と常識・固定観念とを〝混線〟している。本来の姿と常識・固定観念の区別が解らないからなのだろう。常識・固定観念を本当の姿なりと感違いしているからではないだろうか。

じつは〝老いることは幸せ〟の出発点に立つことが容易ではないのだ。出発点は描くだけでなく、当りまえと為す〝実践〟だからだ。

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わが一体の家族考(104)

〝熱湯事件〟と〝イエス・キリストの磔〟
イエス・キリストの十字架上の磔

こうした一連の山岸巳代蔵が愛情研鑽の現場で真摯に取り組んだ〝我抜き研鑽〟、我執とか頑固とか我(エゴ)という殻のある観念を無くしてこそ、本当の幸せはそこから来るし、どんなことがあっても仲良くなる基本だった。それゆえ自分はもちろん他の人のまで抹殺する〝我抜き〟こそ、自分の生き甲斐・命というか、全人幸福への一番の近道に見えていた。
〝我抜きこそ、飯より好きな仕事や〟とうそぶく(?)のだった。
しかしそれは傍から見れば〝犬も食わぬ〟ありきたりな色恋沙汰の修羅場にすぎなかったのかも知れないが。

ともあれ山岸巳代蔵と頼子と柔和子との真なるものを求めての〝愛情研鑽現場〟を象徴する一例として〝熱湯事件〟なるものが伝わっている。
世にいう〝山岸会事件〟として知られる半年程前の1959(昭和34)年一月十七日の出来事だった。山岸巳代蔵全集・別冊に収録されている年譜には次のように記されている。

“柔和子が山岸の顔に熱湯をかけ、近くの山中病院に入院。
火傷した時、「痛いわ、痛いわ、面白いほど痛いわ」「よくやった。その実行力が事を成すのだ」と柔和子に、頼子には「中林さん方に火をつけに行け」と言う。”

後に山岸巳代蔵も振り返っているように、事件の背景になっている事柄がなんであれ、〝随分むごい我抜き、剛研鑽実践やら、私の愛情の混乱から起こる狂態等〟の真っ直中にあった。通じ合わせないものが我執・頑固であるならば、無理難題をふっかけては、我執を無くするために生きていたい熱願だけだった。もちろん正気の山岸巳代蔵は、

“いったい神あるなれば、なぜ”
“ああもうこの辺で手をゆるめてやって頂けないものだろうかと思わず祈りを捧げている愚かさです”

と弱気の心細い自分を暴露しつつ恥じるのだが、同時に〝自分の力ではどうにもならない、もう天命を待つ、というような心理だったな。自分のいる場所がない、我と我に責められたものの心理だったね。〟と、不可思議な世界の実在を浮かび上がらせるのだ!?
特講の場での、世話係と受講者の間での真剣な「割り切り研鑽」とか「自由研鑽」が浮かんでくる。
ここでは『ヨブ記』にも重なる〝死よりもつらい数々の責め手、受難史〟として顕れている。

“やりたくないですよ。しかし精一杯よ。一体なればこそ、あそこまでいけたと思うの。我執があったかもしれないが……。その境地に立つと、生も死もないということ。ただ愛のみ。あの湯をかぶった時は憎しみは全然なく、ただ可愛いばかりでした。目立たないもの(我執)はいくらあるか分からないの。「もういかれている」と批難はずいぶんあったけど、ちょっと違うのね。あらゆる手段のうちに、あの形のものが出たということね。
それから、ああいう結婚形態を打ち立てようとしたのでなく、あんな中にあった時どうするかと思ってのこと。”

〝ただ愛のみ〟の絶対愛に立っての世界に触れての発言だったのだ?
ふと以前、何ものにも束縛されない観念界の自由の象徴例として〝イエス・キリストの十字架上の磔(はりつけ)〟についてを皆で研鑽したことが思い出される。
イエスは自らの意志で十字架につけられる。しかも自らの意志を自在に沿わせていける苦しみや痛みのない喜びに満ちた自由の中で言う。

“あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる”(ルカ23章43節)

両手のひら、両足の甲に五寸釘のようなものを打ち込まれて、ホントに痛くないの!?
研鑽を通して、もっとも不自由だと思っていた中に、じつは真の自由があった! としか言いようのない世界を思い知らされた。以来自分の思い考えの延長上には存在しない〝ヤマギシズム〟の汲めども尽きぬ源泉に強く引きつけられるキッカケになった。

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