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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

 「と」に立つ実践哲叢(40)

万年素人の初々しさ

さきの「あの崇高な〝人生踊り〟が特別人間のことでなく、自分のこととして実感されてきた」のなら、実際のところどんな状態を指して〝人生踊り〟というのだろう? 
じつは『養鶏書』(山岸巳代蔵著)には他に次のような一文もあった。

“人間の生活は一生を通じて、遊戯であり、私は自分を自分から離して、例えば芝居の登場人物を、客席から観る態度で、眺め、楽しんでいますから、喜怒・哀楽・不遇・得意の感情に冷淡な訳で、儲かってもそれほど嬉しくないし、損しても他所事のようです。”

“養鶏を職業とした時代でも、弄び的で、飼養法にしても、鶏種にしても、いろいろ建てては壊し、積んでは崩し、組み変えて試る癖が抜けなかったのです。”

人間の生活は一生を通じて、〝遊び戯(たわむ)れる〟ことであり〝弄(もてあそ)び的〟であり〝なぐさ(慰)み〟であり、それじたいが楽しい一つの踊りなのだという!?
そう言えばたった一人で〝おつかい〟に挑戦する子供たちの奮闘ぶりを、ドキュメントタッチで描くテレビ番組『はじめてのおつかい』がある。
はじめてのおつかい

親から買い物や用事などのおつかいを頼まれた3~5歳くらいの子供が、道を間違えたり、言い間違えたり、お金が足りなかったりしながらも必死に実行しようとする姿に毎回ハラハラドキドキ。そんな子供たちのけなげな姿にグッとくる。

あの、子が親からものを言いつけられた時の聴き方って、どんな聴き方なんだろうかと思いめぐらしてみる。きっと抗弁する態度でなく、ただ、じっくり聴いている。
その昔〝万年素人の初々しさ〟といったテーマで研鑽したことがある。それまでは経験や知識を豊富に積んだプロフェッショナルな生き方にどこか憧れていた。ところが〝玄人・完熟・固定〟になぞらえる自信人間ほど「来世に望みを持ち越すしかないなあ」と研鑽されて、みんなで大笑いした。
では〝プロであって素人〟であるってどんな世界?
生まれることも素人、死ぬこともはじめてのこと。恋愛も結婚も子供を産むことも育てることも仕事も、凡て経験のないことをはじめてやっていること。幾百回経験したといっても同じ経験は一度もない。

番組では、はじめてのおつかいを両親やお店の人はもちろん街中の人までがその子の一挙手一投足を我が子のように見守っている!
そんな姿を客席から観る態度で眺めると、凡てが楽しい一つの遊びにも慰みにも映り、客席の自分の心までほのぼのとしてくる。
人間は、人間の心の上には、その人なりの子供子供して遊んだはじめての光景が切ないほどはっきりと焼きつけられている。そうしてそこから、ある得体の知れない朗らかな気持ちが湧き上がってくるのを意識する。

だとしたら自分の鶴嘴(ツルハシ)をがちりと〝遊戯や弄びや慰みの状態が汲めども尽きぬ源泉〟に掘り当てることだ。そしてこの源泉を四六時中くみとるのだ。

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