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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(149)

空気とタイヤと自転車?

山岸巳代蔵は自分にとって柔和子の、頼子の存在を11月29日の愛情研では次のように語っている。
空気とタイヤと自転車

山岸 ……私はね、ようなんかに例えるけど、例えって、まあそんなに的確に言えない、またとる人によって違うけどね、私はまあ、自転車で言うたらタイヤみたいものやて、ゴムのね。ね、タイヤチューブっていうかね、完全か不完全か、まあそりゃ知らんけど、まあそんなもの。頼子はまあ空気みたいなもんや、ね。それでタイヤっていうものは使えるわけやね。空気の抜けたタイヤっていうものは、そりゃあ、おおよそもう、自転車に取り付けたところで荷厄介になる。それを無理に押したら、バラバラになってタイヤも破れてしまう、こういうこと。私はそういう、まあ、考え方やね、何かしらん、ここが言えるような気がするから、そういうタイヤがやね、柔和子という車体なりね、ハンドルのついたものにやね、組み込んでこそ、こういう仕事が出来る”

そしてまた12月7日の愛情研では柔和子に次のように語りかける。

山岸 俺を生かした方がいいだろう。お前と頼子の放射能によって、この、まさに消えんとする命を、生気を、取り戻すことと思う。
(略)
山岸 全人幸福への分かれ道だ。
(略)
山岸 うん。ウソでもええのよ。ウソでもええのよ。俺に放射能をくれ。生きる力をくれ。”

続けて12月9日の愛情研では、山岸巳代蔵にとって柔和子の、頼子の存在を〝数字〟の例えであらわす発言が見られる。

“柔和子はこれだけで五なら五のものがある”
“それで、三は、三は柔和子と同じもので、二は柔和子にないものやね。”
“そういうものによって五になって、伯仲した力とも言える。これの(パンと手をたたく)きつい結び付きによってね、この愛情実践の世界に及ぶですよ”
“さっき言ったね、「これも五つのうちの、まあ、柔和子が五つ」と、それで、「頼子と僕で五つ」と、こういうことは。「三は柔和子と同じような、こう、能力、そのかわりに柔和子にない二つの能力が僕にはある」と、”
“この僕には五、寄せての五がある、柔和子にないもの二寄せて頼子と同じもの三が、あの、柔和子に……ややこしいね、今の。あの柔和子に三ね、柔和子と同じ三と、柔和子にない二寄せて五として、ここに頼子が入ることによって全部これが生きるということね、ね。ここや、ここんとこね。頼子が二でないの、頼子が二でないわけよ、頼子は全部に生きるわけよ。この三だけも、この三の柔和子と同じ三もやね、頼子が入らなかったらやね、三も生かされない。むろんこの二もやね、働かないと、こういうものを僕は感じるの。そういうものを感じる。”

こうした数字に例えて分かりやすく言おうとするのだけれど、聞いている方はますますややこしくなってくる? 前後の山岸巳代蔵の発言を拾いながら自分なりに整理してみる。
要するに柔和子は、〝五〟ともいえるこの間の〝百万羽〟構想を実現していく力を備えている女性。一方頼子は、ただ愛一筋、愛だけでもう生きているような女性。そうした異いが次のような発言からもうかがえる

“頼子と二人っきりだった当時を思うと、省みるとね、頼子によってね、この生きる力やね、生かされていたと思うの。やっぱり米とか空気とか水とかいろいろのものでこう、人間生かされているわね。周囲の愛情とかこういうもので生かされておるけどね、それはね、頼子によってね、生かされていると。”
“あの、どんな場合にでもよ、僕が頼子に愛しておられると思っておるなればよ、そして愛しているという頼子を感じておる場合にやね、そういう場合にはこの、非常にこの、生きる喜びっていうかね、なんか知らんが、まあ生きる力もらっている。”
“もう頼子を知ってからっていうものはね、もう他には要らないの。ニコニコ、話がふわーっと明るい、こういう感じやね。そうすると、生き生きした仕事が出来るの。”
“私の考える働きを持つところへやね、ちょうどエンジンがあってやね、そこへこの、あれが送られるというかね、ガソリンが送られると、まあこう考えてもええと思うね、”
“頼子と一緒にいるっていうことは、自分が生かされるのやと、頼子と僕と結び付いて、そういうことになるのやと、こう思うね。これは、こんなのこじつけやないと思います。何回考えても、そういうふうに思われます。”
“私は頼子によってよ、そういう若い働き(19,20、21、22、23、24、25のその時分の考え―引用者注)があるので、その働きを生かすものが柔和子やったと、ね、実、具現化していくものね、実現していくものは柔和子やと思う。”
“柔和子一人では仕事にならないものがね。”
“頼子と僕と二人寄ってよ、ね、の力と、柔和子の一人の力とね、同じやと言えると思うの。頼子を取った僕はもう全然ダメやと。ね、頼子と僕とね、こう結び付いたものやね、それがもう今度はまた柔和子と結び付くことによってやけど、これ、こうやと思うわ。”

うーん、〝ここや、ここんとこね〟とか〝これ、こうやと思うわ〟と納得できる〝ここ〟とか〝これ〟がピンと来ない。しかも二とか三とか五という数字で例えられるとますますこんがらかってくる。やはりたんなる遊冶郎(放蕩者)のその場しのぎの屁理屈にすぎないのだろうか。
否むしろここを避けてはヤマギシズム恋愛・結婚観が立ち現れてこないのではないかという気がしてならないのだ。

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わが一体の家族考(148)

無神論者が神を拝む?

さきの愛情研鑚会で、柔和子から〝先生に対する愛情が消えた〟と言われてすっかり落ち込んでしまった山岸巳代蔵は、
“この危機を救ってくれ。ウソでもいい、同情でもいい、何でもいい。”
と哀願するのだった。
それが関係者の必死の働きかけで、12月9日に引き続き研鑚会を持つことができた。その間の山岸巳代蔵の心の動きを研鑚会記録からたどってみることにする。

“そのね、まあ、――「愛情がもう、フッと消えた」って、「なくなった」って言われたらね、それまではたくさんに思っていたんよ。たくさんに思うてましたわ、柔和子を。もう絶対大丈夫と思うてたんやね。「そんなもん、二人の仲崩れるか」と思ってね、思って安心して、たくさんにしてたんやけどね。「たくさんに」っていう言葉、粗末に扱うかね、そんな有り難さ知らなんだや。さあ、これが、「なくなった」と言われたら、もう、そりゃ、立っても居てもいられんのよ、もう。それはその間際まで知らなんだんやで。ええ調子になって、ええ気になってたんや、「こりゃええなあ」と思ってたんや。
側にいると、それほど有り難さが分からんと。
「愛情がフッと消えた」って言うの。そーりゃ、そうしたらもうまっ暗よ。
死にたい衝動やったんや。もうこの汽車の窓から飛び出したろかと思ったんや。”

そんな〝もう生きていたいことない〟気持ちにかられていた時、周りから〝脈がまだちょっとある〟(実際はウソ話―引用者注)と聞かされたけで〝ホンマかいな〟と嬉しくなる山岸巳代蔵がいた。〝春日山〟の裏手に位置する春日神社へ五円お賽銭あげて一生懸命拝んだ。そんな藁をも掴む気持ちだった。
春日神社

“本当にこんなに変わるもんやね、人の心って、ね。悲惨の思いで和雄さん頼んで、嘆願して連れてきてもろうて、それでそこで、もう絶望になって、それで今度は嬉しいなって、そしてあの、あれどこやら、春日へ行って、ね、それで夕べ遅う来てから、ね、あの、ようやくにして頼子ここへ来てくれるようになったんやね。それでここで喜んだけども、そりゃ喜んだり、もう気が抜けたりね、こんなに変わるもんやね、人の心っていうのはこんなもんやね。で、愛情があるの、ないのっていうようなことはね、「あったなあ」と、「あの時こうだったなあ」ということは言えるけど、これから先のことは分からへん。”

と振りかえる。研鑚会でも次のようなやりとりが興味深い。

戎井 僕は今、愛情がね、「本当の愛情がぶっつり切れた」ということに対して、「いや、切れたと思わない」という観方と、二つに別れておるわけですな。「そりゃ、本人が一番よく分かるんじゃないか」というような発言したんですけども、よく考えてみると、本人が、「ない」と、「もうぶっつりと切れた」と思い込んでいる場合もなきにしもあらずだから、問題がこの、少し僕の考え方が単純すぎるかも分からんですけども、福里柔和さんに、愛情が本当にないのか、ないと思い込んでおるのか、全然……、そこを検べるのが、一番の眼目じゃないですか。
山岸 それをね、検べてもね、検べられないと僕は思うのよ。検べられないと思うの。だいたいね、この絶対愛というものは、もうこれは不動のものやと思うがね、夫婦愛情というものはね、起ったり消えたりするものやと思う。(中略)
で、本人が、「ああ、今、なんか知らんが夫婦愛情がない」と、これは思っているのよ、そやけど自分で検べてもそれは分からん。後から、「あっ、あの時はないと思っておったが、やっぱりなんか残っていたんだな」とか、「あの時は本当に消えたけど、また起ったんだな」とか、こういうことは後になって、まあそういう判断するだけで、それも本当のことをキャッチ出来るかどうか、僕は、これさえも分からんと思うの。「あの時消えてしまったんだと思っておるのが、消えておらなかったんだ」ということも、言えるか言えないか分からん。
まあ、後になって振り返ってみて、ずうっと終生続いたら、これがまあ終生の夫婦愛情で、そして一時的のものであれば、一時的の夫婦愛情と。それから濃淡もあると思う。濃いものもあれば薄いものもある、いろいろやと思うね。”

そしてそこから柔和子と結婚に踏み切った時の心境を振り返る。

“何でもない時よ。ただもう、「好きや、好きや」で、まさか結婚するとは思ってませんわね、その当時。ところがね、「川瀬さん(山岸会員、警察官―引用者注)によろめこうか」っていうような言葉が出るには、その元があるのよ、ね、何かあったんや。そんなこと聞いた時にね、川瀬さんに対しての嫉妬ではなかった、「川瀬さん、むしろ、あ、そらいいことやな」って言うたんや、。「それもよかろう」と、こう言ったんです、。本当にそう思っていたけどね、非常にさびしいもの感じたんかね、もう自分の気持がイライラして慌て出すのやね、騒ぎ立つのやね。”

と、もうたまらなく気分が落ち着かない失恋状態になって始めて無意識のうちに柔和子を愛していることを発見したという。ところが、

“そうするとね、楽しいはずでありながら、柔和子の所にいると、いつもいつもいつもいるから、それほども楽しさが、もう常識になって感じられないと、有り難さが分からんと、ね。そこへこっちの方へその、そんな状態の時に行けないという、その、堪らないものね。それで、「なんとかして頼子のとこへ行きたいなあ」って、また会いたい会いたい、とっても会いたい時があるのよ。”

といった発言から、しだいに研鑽は柔和子のところにいつもいると有り難みが分からなくなるし、愛情一筋で生きている、それだけを頼りに生きている頼子がさびしいがゆえにか〝もう私は要らないものだ〟とする危ない場面を実演するし、一方自分には柔和子に対してなんか縛られるような気がして堪らないといったアンビバレンツな心境を洗いざらいぶちまける。
いったいここで山岸巳代蔵は何を言いたいのだろうか。遊冶郎(放蕩者)の身勝手な言い分にすぎないのだろうか。
11月29日の愛情研では、宇宙自然界の保ち合いの理に合う人間同士の結婚形態について言及している。そこでは〝間違いない性生活〟のあらわれを、

“それは自由でいいと思う。また自由以外にないと思う。自由に任した、任したものでいいと思う。任すより他ないと思う。”

として本当の自由の世界を、一体の生き方を、愛情世界の〝自由〟に重ねているのだ。
ムチャクチャ飛躍している!?
ともあれ山岸巳代蔵にとって柔和子の、頼子の存在とは何なのか、愛情の複数形態とは……、と研鑽は佳境にさしかかってくる。

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わが一体の家族考(147)

ウソの定義?

1958年11月27日の三重県菰野町見性寺の研鑚会では自然に、それでは〝ウソ偽りのない〟の〝ウソ〟って何だろうといった話題に入っていく。
見性寺・本堂

先日の三重県伊勢市で開催された山岸会の全国大会でも、今度の山岸巳代蔵の〝百万羽構想〟など詭弁でハッタリの固まりだと多くの会員達からの非難が集中したばかりだった。
そもそも何をウソと言うのだろう? ウソの定義とは?
いろんなウソの形が出される。こういうものもウソと言うかと、ウソの部類に入るのだろうかと…。

“法律ではあの、ウソは認められているね、道徳でも認められていますな。例えば、「貧ゆえの盗みは盗みにあらず」とかね。「花盗人は盗人にあらず」とかね。”

“事実ないものを「ある」って言うのやから、ね、ウソや。ウソやけどもやね、しかしそう言うてるうちに、本当になる。
栃木で人を送る時(一週間の特別講習研鑚会へ―引用者注)に、こっちの方へ行っては、「この人とこの人と行きますから、あんたも行きませんか」と言う。こっちの人には、「この人、この人行く、こんな絶好の機会ないから行きませんか」と、こっちはまた同じ。三人ともそいでパッと、三人とも特講へ送ったわね。こりゃあウソや、こりゃウソよ、ウソで固めたっていうようなウソよ。”

だったら相手のことを考えて言ったことはウソではないのだろうか?
ここから俄然、井上頼子の発言が増えてくる。

“私の場合は、またそれがまあ、それの連続と言ってええほどっていうんか。またか、もうそれで堪らん、堪らない、堪らないの連続で今まで来たんです、
例えば、「何日に来ます」という、もうそれより一週間くらい割引して聞いてて、それででも、まだウソになるっていうんか、そんなことの連続と言うていいくらい。”

と、もう追求したってしようがないと愛想を尽かしている。そしてこんな生活たまらない、死んだ方が楽、と切実なのだ。
これに対して山岸巳代蔵の弁明(?)が興味深い。

“一八日に行けるのを一九日と言うた、これはウソやわね、「行けるんやけども、まあ、ヤマかけて一九日と言うとこ」というのは、これはまあ一つのウソやわね。”

と、言う方ではウソつくつもりでないのだけれどもと、一九日と言う時の気持ちをもっと忖度してほしいといった口ぶりなのだ。
こういうものもウソというのだろうか? そうだとしたら、

“ウソの連続や。ウソの累積と言うていい。(……)みんなウソつきや、みんなちゅうたらいかんか、まあ、ウソはたくさん……”

その後研鑽は〝ウソ〟続きで愛情問題の核心にふれていく。当時話題になっていた井上頼子の発言、「私は、その、ママさん(福里柔和子)が先生(山岸巳代蔵)と結婚なさるのなら、私は交替します」について、言った言わん、どう言うたということまでの研鑽に発展していく。
ウソから愛情問題へ入っていき、そしてやっぱりそれがウソに戻ってくるという、三人の複数結婚の〝もつれ〟の様相を見せてくるのだ。ここでハッとする興味深い問答が交わされる。

安井 根本やらんとすぐ事実に入っていくから、混乱が起っているのや、僕に言わしたらな。根本理論から入っていかなかったら、この問題は解決せんやろう。事実、いろいろの方法が慌てて出だしたやろう。
山岸 研鑽してから愛情が起るもんと違うやろ。”

つまり混乱状態が起きるからには、言うた方の気持ちと聞いた方の気持ちとに明らかな食い違いが事実あるということだ。
ウソと聞いたと。ウソやと思うと。だが本当にウソだったかどうか、そうでなかったからウソだったとキメつけられるか?
この間の経緯を一言で言えば、山岸巳代蔵と井上頼子、山岸巳代蔵と福里柔和子との間には切っても切れない深い愛情が流れているにも関わらず、福里柔和子は自分は器が小さいのでそんな世界には絶対住めないとハッキリ言う。そしてしばらくここから離れて静養したいとさえ言うのだ。先生への愛情がフツッと消えたというのだ。三人でやるのなら、私は下ります、頼子さんと二人でやってくださいと暗に突き放したのだ。
それに対して山岸巳代蔵は、

“この危機を救ってくれ。ウソでもいい、同情でもいい、何でもいい。”

と哀願する。

柔和子 私がどうあればよろしいのか。
山岸 俺を生かした方がいいだろう。お前と頼子の放射能によって、この、まさに消えんとする命を、生気を、取り戻すことと思う。死なしてもええよ、俺を。それはええよ。俺はええのよ。俺はええのよ、それでいいのであればね。命乞いなんかしてないのよ。”

ここでの〝お前と頼子の放射能〟って何のことだろうか? 
1958年の十一月末から十二月初めにかけての見性寺での愛情研鑚会を今少したどってみることで、〝お前と頼子の放射能〟なるものの内実を明らかにしていければと思う。

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わが一体の家族考(146)

妥協がなかった頑是無い子どもの頃

「愛情徹底研鑚会」では、思いが言葉や何かで通じない時の立っても居てもいられん状態の「何とも言えんもどかしいもの」から来る〝発作状態〟を、〝だがあの時は、こうやったんや〟とていねいに辿っていく。
研鑚会で井上頼子が、こんなことは自分と福里柔和子との複数の愛情問題になるまでもあったのかと尋ねると、山岸巳代蔵は次のように語る。

“もっと子どもの時にね、自分のね、自分の正しいと思っていることがね、通じないとね、もう、居てもいられんもんやね。子どもの時からやっぱり何かちょっとあるね。性格かもと思い、困ったで。”

と親から受けたものとも言えんやろな、何でやろと、子どもの頃の妥協のなかった自身の姿と重ねる。それは自分の正しいと思っていることを通そうとする自我の現れというよりは、自分に対していい加減に済ましておけない、通じさせない自分がもどかしく耐えられないのだ。自分が自分に対して〝もどかしい〟のだ。
ことわざに〝泣く子と地頭には勝てぬ〟とあるが、頑是無い(幼くてまだ物事の是非・善悪がわからない)子ども、聞き分けのない子どもの姿に、簡単にごまかさない成長段階の一つとして見ているのだろうか。
この研鑚会から一ヶ月余りすぎた11月29日の見性寺での愛情研鑚会の記録には、自分らのこうした結婚形態へ向けての煉獄の試練をおたまじゃくしが蛙に変態する〝成長への脱皮〟の例えで振り返る。
おたまじゃくしからカエル

そして頑是無い、聞き分けのない振舞いを、

“手足がない時にはやはり泳ぐ水が要った、その水だったと言ってもええと思う。ウソのものでないと思う。頑是無い幼少の頃には、そういうものも必要だつたと思う。”

とも見なしている。
たしかにそういう心境、環境が生じない場合には、そんな発作は起こらない。いや、あの時にこういう環境であり、心境であれば、やらんで済んだであろうことは分かる。だがあの時は、こうやったんや、と自分を別の立場で批判していく研鑽が眠たい顔している参加者もいる中で続いていく。

“通じないものに対してやね、妥協ででもその場を糊塗しておこうと、糊塗しておけば、それでいいわけや、自分にな、ね。”
“修養が足らんのかいな、性格かなあ、こういうものが人間の本質であるのか、どっちでもええわ”
“まあ、何回でも出る現状ですわ。まだほんで、出ないということは、よう保証しません。”
“その焦点をそらして、ね、「もういい」と、発作状態になる前にそらしていくと、まあそういうようなこと穏やかに見えてるわけやね。そやけど、実はその、発作状態にならないから、ね、発作が起らないから、それでその、もう発作が起らない人間になったかと言うと、そうやないの。”
“発作する状態が起って、それをその、いわゆる妥協でよ、そらしておくというのが、これは一応自分にも、ね、まあ何とか膏薬張りか、ごまかしかしらんけど、それで収まったもんではないわね。”

というように、〝発作状態〟の意義づけ、勿体つけているのと違うと断りながら、このことは複数の愛情問題にかぎらず、〝真の人間性〟につながるテーマであると山岸巳代蔵は言いたげな様子なのだ。

“本当にね、もう、ちょっとでもウソ偽りはない、もう真理、本当の純の極致やね、そういう時の、なんにもない……、誠意の誠意の通じない時やね、それでこれはね、誠意の通じないということは、通じない……、だいたい通じないのが当然やと思う場合あったし、通じるはずのものが通じない時やね、こういう時にもう、もうもう、こんなこんな妥協や偽りで生きておられない、何も出来ない状態やね、純粋の純っていうか、本当の純粋っていうか、そういう状態……”
“妥協できないと思います。純粋に生きようと、純粋に生きようということは、もう、それはもう妥協の世界に生きておらないということ。おらない、おられないということになる。”

とも言うのだ。何となくウソ、偽りや瞞着(ごまかすこと。だますこと。)のない世界に生きる肌触りのようなものが感じられてくる。

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わが一体の家族考(145)

だがあの時は、こうやったんや、と振り返る

1958(昭和33)年夏、『百万羽』の建設地「ヤマギシズム生活実践場春日実験地」が発足した年に並行して「愛情徹底研鑚会」も開かれていた。その研鑽に懸ける並々ならぬ山岸巳代蔵の意気込みがうかがえる。

“私にしてみるとまた、生きるか死ぬかの問題やと思っているの。愛情問題ね。”
“やはりこの問題解決しなかったら、私はね、生きた仕事が出来ないと思うんです。”
“本当の自由の世界は、そこからでなかったら生まれてこないと思うんですね。”
“ひとつの観念が入るとね、それが入っている間は絶対に本当の答が出ない。
その観念を外してやね、数理究明的に究明してこそ、本当のものが出てくると思う。”
“今日はもう本当に土壇場まできて、本当に全生命懸けてやるつもり”

といったように、恋愛結婚問題の根本解決によって嫉妬・憎しみ・葛藤・混乱など起こらない本当の社会を山岸巳代蔵が観ているからだ。
すでにこの時点ではっきりと、この間〝検べに検べ続けて変わらないヤマギシズム結婚論理と社会紊乱の浄化・安定とが相一致するようだ〟という確信があった。
そのことは「愛情徹底研鑚会」での次のような発言からでも明らかである。
アンドロメダ銀河

“必ず、正しい、間違いのない、この、この世の営み、自然界の営みによって、ちょうど、拠り所のない月や星や地球が、どこにも紐帯を持たない、足場を持たない中に、間違いなしに律動しておる状態、どこへ飛んで行ってもいいこの宇宙界を、やはり一つの目に見えない軌条に乗って、間違いなしに動いておる状態。人間同士の結婚に於ても、そういうものがあると思う。
道徳学者達が非常に不安に思われるような、こういう混乱状態の、その場その場、その時限りのような、行きずりの結合でなしに、やはり本当の異性間の愛情を基盤として、間違いない性生活が行なわれていくのが本当だと思う。そうなると思う。
自分の過去の幾多の体験から、いよいよそういうことが、だんだんと明るくなって、解明していくような気がする、自信がますます持てるような気がする、本当に。無軌道・不安定のように見える中にこそ、本当の安定があると思う。”(1958.11.29三重県三重郡菰野町見性寺に於いて)

宇宙自然に繋がっている〝人間同士の結婚に於ても〟自然の真理だといえるような、相合うというか調和した姿に本当のものを見ようとしていたのだった。
そうした真理を基準にした〝愛情研鑚会〟にしていくために覚悟のようなものを自身はもちろん参加者にも呼びかけている。
それは〝本当のものが出てくる〟ためにも、いい加減なところで妥協しない。妥協で焦点を逸らさない。うそ偽りはないといった極致を目指した。
そして自身のこの間の理性の働かない状態、思いが通じない時の「何とも言えんもどかしいもの」からの発作状態についての体験を振り返る。
例えばビール瓶を投げたり、扇風機を鏡に投げつけたり、火鉢をひっくり返したり、東荘(四日市)の二階から飛び降りようとしたり、頼子の住むアパートの石油の臭いがする台所で何度もマッチを擦って投げたり……。 
フッともう一時の感情でもう立っても居てもいられなくなって〝やらんでもええことをやって〟しまうから、力尽くでもいいから止めてください。研鑽の余裕ないからね。みんなでね、縛りつけてもかまへんわ。そこらの縄で。と、そのくらいの気力でかかってくださいと、自分自身に参加者にも願うのだった。

ある日の研鑚会でどんな話の流れでか忘れてしまったが、Sさんが次のように語ってくれた今も心に残る話は、こうした愛情研鑚会にまつわる内容からだったのだ。

“自分を批判するということ山岸さんはよくやった。だからこういうことを僕に言わしたらいかんとか、僕にこういうことさしたらいかんやないかと言うわけ。
普通なら、僕らのその時点での考え方ではそういうことは、そう思ったら、自分が言うたらいかんと思ったら、やめたらいいし、やらん方がええと思ったらやらなんだらええのやろと思っていた。
そやけど、そういう場に立たされて、そう仕向けられたら、そう言わざるを、せざるを得んというかな、別の立場で批判しているわけ。
そんなことさしたらアカン言うて、誰か止めないかんとこや言うて。”

人間の持つ奥深い一面がしみじみと迫ってきたその夜の研鑚会だった。
それにしても思いが言葉や何かで通じない時の立っても居てもいられん状態の「何とも言えんもどかしいもの」とはなんだろうか? いや、すでにそこに生きる山岸巳代蔵がいた。

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