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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(153)

〝剛我〟観念の抹殺

そしてその年の12月頃には、山岸巳代蔵は四日市市赤堀の柔和子の家に頻繁に訪れるようになる。柔和子が語った回想である。
山岸巳代蔵は真夜中に家に忍び込んで愛を告白しに来た。ある日には、ザラ紙に鉛筆でしたためた恋文が畳と布団の間に差し入れてあったという。次のように書かれてあった。
刀鍛冶と名刀

“「なるもよし、ならざるもよし、ならざれば、永久に春みぬわれ知る真恋」といった歌とか「私は本当の真の妻に巡り会えた。求め求めてきた真の妻に巡り会えた」とか「私は鍛冶屋、あなたは名刀」とか、「あなたは名刀、私は使い手、名刀と名剣士が相まって一つのものになる。どのような名刀も名剣士の使い手なくしては鈍刀に等しい」”(『評伝 山岸巳代蔵』玉川信明)

山岸巳代蔵には〝最も相合うお互いを生かし合う世界〟というヤマギシズム結婚観を求めに求めての妻恋行脚で、ボルト・能力・気質の最も同じ、本当の夫婦にようやく巡り会えたのである。
名人同士、何万ボルトか分からぬが、同じ電圧の、両極の最も相合うまたとない異性としての愛する心が募ってきたのである!
しかしそのことはまた、山岸巳代蔵と何でも理知で割り切らねば承知しないといった福里柔和子とは何れも同位の高い電圧ゆえの波乱は必至であった!?
そう言えばさきの12月9日の愛情研鑚会(見性寺)の終い部分は、未だ終わらない〝煉獄の試練〟を暗示させる二人の発言で次へと持ち越されていく。

山岸 いやこれをね、いやあのね、ここやで。いやちょっ黙れ黙れ、黙れ、ちょっと黙れ。あのね、向こうへ行って話しててもね、あの顔やね、これを感じてね、ここに感じてよ、行ってからそんなに変わっとってもやね、それを感じてやってる仕事はね、生き生きすんのよ。ね、暗い、くしゃーんとしてるやつを感じてね、春日へ行って、菰野へ行って、どれほど一緒にいてもね、どうしても芯が、心からパアーッと日本晴れにならないのよ。日本晴れになってやらなんだらね。曇りがかかってやる仕事なんか、やらん方がましや、やらん方がましやって。本当やで、本当やで。
柔和子 こっちもそうよ。私も言えるのよ、そこはね。
山岸 そうや、そうや、そやそや。
柔和子 いっくら仕事と一緒に取り組んでてもねえ、
山岸 そう、そうよ。
柔和子 そんなその、いっつも頼ちゃんが心にかかって……
山岸 そうそうそうそう。
柔和子 クシャーンとしてこうなっている人とね、なんでついていかんならんのやって、こうやね。
山岸 そう、そうやがな、そうやがな。
柔和子 本当に。
○○ (聞きとれない)
柔和子 うん、本当やよ。そんなものねえ、これねえ、あの、「ママさんさえ割り切ったら」ということを、よく言われたけどね、相対的なもんでしょう。私一人がいっくら割り切ってたってねえ、真の人間でない以上はねえ。やはりそういうもので、相対的なもの。「そんな阿呆らしもない、なんで私そんな、あんたついてきて、そんなせんならんのや」っていうところやね、結局。そこですわ。”

依然として柔和子さんらしい(?)丁々発止のやりとりは健在である。
ヤマギシズム結婚観は理論的には成り立つようでも、実証的には相一致するものが現れなかった。なぜなのか?
理念と現実とのジレンマ(板ばさみ)で苦しみ、苦しめ、常軌を逸する狂乱状態を幾度となくくぐり抜けてきた。しかしここにある亀裂はどうやれば埋まるのだろうか? ここを一気に乗り越え突き抜けることがいちばんの切実な欲求だった。

山岸巳代蔵にとって能力の高さゆえの柔和子らしさ(?)を象徴する、どこまでも〝理知で割り切らねば承知しない〟といった自己意識や自我や主観や主体といった〝剛我〟観念の抹殺ほど取り組み甲斐のあるものはなかった。そうした意味でまさに柔和子は相手にとって不足はなかったのである。

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わが一体の家族考(152)

偶然か、必然か

山岸巳代蔵(当時56歳)と福里柔和子(当時38歳)との出会いは、1957年8月第39回の特講(京都、三鈷寺)であった。
運命の赤い糸

柔和子は宮崎県の生れで、少女時代には満州に新国家建設を夢見て馬賊の頭目になることを志願していたという、男勝りの女性であった。柔和子はその実現を目指して、台湾に密航したが二年後、医学徒の福里俊雄と知り合い結婚、しかし一男一女をもうけた後、俊雄と死別、その後長男も病気で亡くしていた。
縁あって九州から四日市へ移ってきて宝石商を始めていた柔和子は県会副議長の岡本善衛の知遇を得て、「涼しい避暑地があるから」と言われて特講会場へ連れてこられたのだった。
最初に感じたインスピレーションを山岸巳代蔵は愛情研鑚会の場で振り返る。
特講が始まって四日目に、「手に合わん女があるから、出てもらいたい」と言われて、進行係に入った。自己紹介の時も山岸でなく、大村公才(キミオ)だった。

“どうせ、もう鼻の高い、まあ、いわゆるああいう、その、代議士なんかに出るような議員型の、っていうかね、もう中性化したような、そういう未亡人ぐらいに思ってましたわね。そらあ、そんなの、なんの興味もなかったですわ、私。”

そしてしばらくして、向こうの方から声が出た。

“「そこにいる大村とかいう名前の人は、なんとか言うたなあ、真実の社会、世界になったら、みんなそんなになりますんか」って、そこで、あの、そんな、あの、髭ぼうぼうと生やした痩せこけた、まあ色男でもないっていうか、醜男と言うたかね。「そんな社会になるのやったら私は嫌いです、人生カサカサですなあ」ってやられる。”
“ところがねえ、それからねえ、おかしいんですわ。それからねえ、私はねえ、無意識ですわ、無意識にねえ、”

彼女の近くに接近していたり、昼の食事時には意識しないのにそこに彼女がいたという。
その辺り本人の口から今少し語ってもらう。

“それで接近して、もう肩に四尺くらいのとこまで接近してたんですよ。そこでねえ、ハッと気が付いて、それからまた、ちょっとやっぱり照れくさいものありましたなあ。照れくさい感じしました。それから離れて、また、それからまた偶然っていうか、必然っていうか分からんですけどねえ、あっそうそう、それからお昼やったな、お昼ご飯食べてねえ――夕飯ではなかったやろ、夕ご飯やったか、どっちか忘れたですけども――あの三鈷寺の台所で私達食べてました、席がないもんですから。そしたら、この、女の席がそこにあったんかどうか分からんですけどねえ、ねえ、意識しないのにそこに柔和子がいましてねえ、”

もしこうした振り返りがなされていなかったら、無固定のヤマギシズム恋愛・結婚観なんてただの平板な遊冶郎(放蕩者)の屁理屈で退けられていただろう。あらためて研鑚会の価値を知らされる思いがする。
ここで山岸巳代蔵と柔和子は〝運命の赤い糸〟を辿るようにして〝人間の力(考え)の及ばないもの〟〝そうせざるを得ないもの、おられないもの〟を直で触っているのだ!

それは好きになろうなんて少しも思わなかったのに、「意識しないのにそこに柔和子がいましてねえ」からはじまる「偶然っていうか、必然っていうか分からん」愛情世界の実践の場に自ずから立たされて、あたかも必然のように能動的に受けとめていく、未だかつてない〝創造の歓び〟への第一歩を踏み出したことを意味した。

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わが一体の家族考(151)

生きる喜び、力の源泉

1956年1月一週間の第一回「山岸会特別講習研鑽会」が参加者一五〇余名で開催された。前日まで準備研などで風呂へも行けず散髪もする事が出来ないほど心身共に山岸巳代蔵は疲れていた。息子の純が書き上げた絵図も夜明けまでかかった。というのも、女の人が浮かんでいる絵が思うように描けなし、とうとうそこだけ自ら描いてやっと間に合ったという。
特講絵図一部

当日特講会場へ向かう際の状態を研鑚会で振り返っている。

“私はもう本当にもう、向島を出て、観月橋を越したらコトッていくんじゃなと思って、もうハイヤーに乗って横にグターとなって、「もう、もうダメやな、家へ帰ろかな」と思っても帰る気力もなかった。「ああ、観月橋を越したところで、コトッていくわな、ああ、そいでもまあいいわな」と思って出掛けた。 ”

講習期間中も、食事も喉を通らない山岸巳代蔵に、四国・松山から参加した大森敏恵の昼夜を分かたぬ看護があった。本人も死を覚悟したものか、ザラ紙に2Bの鉛筆で「ボロと水でタダ働きの出来る士は来たれ」との遺言状を書いた。それが大森敏恵の手当(指圧のようなもの―引用者注)を通して生気を取り戻した。生き返ったのである!

第一回特講終了後、妻・志津子は娘の映と東北方面へ拡大へ出かけたその留守、大森敏恵は山岸宅で身辺の世話をしている。
大森敏恵とは1955年4月松山市で開催された山岸会四国大会で出会った。彼女には子どもが二人あったが、当時夫とは離婚していた。山岸巳代蔵がどんな話をしても「ほう、そんな素晴らしいことが出来るのですか」と言って決して「そんなことしたら大変なことになるでしょう」とは言わない女性であったという。結局この恋は親の反対などで結ばれなかった。

そんな矢先である。
山岸巳代蔵(当時55歳)が井上頼子(当時19歳)に出会ったのは、1956年7月第4回の特講(京都、三鈷寺)であった。両親が特講を受講している山岸会員であったこともあり、同年9月頃から頼子の実家である三重県四日市市の井上与男宅で暮らすことになった。その頃を次のように振り返る。

“まあ頼ちゃんとこれでいけるな、いけるなって、こう思ってたんよ。そして、あっこれでもなんとかなるもんやな、年が違うということは、割合にないもんやなと、こう思ってたし。まあその当時の、あの観方、考え方、感じ、こういうもの出来たね。まあ、与男さんも、そしてあの、親としては何もその、言わないと。「あの娘さえ承知やったら自由や」と。「うちは自由や」と。こういうこと言っておられるし、それをまあ認めてもらっていたわけで。”

その頃の『快適新聞(山岸会機関紙)』に、三重県菰野町の見性寺で開催された高度研鑽会に四日市支部の会員が裏方で活躍する様子が報じられ、山岸巳代蔵も頼子と一緒に六十余人分の食事の献立や材料の買い出しを手伝っている様子が記されている。
きっと山岸巳代蔵にとって頼子という女性は、後にアンケートに自ら答えているような女性像として映っていたのかもしれない。それは女性から見たら一方的な世の男どもの身勝手なキメつけだと断じられるにちがいないのだが……。

“妻の条件として、ボサーと抜けているくらいの人がいい。何事も「どうでしょう」とやられると、かなわない。ハイハイと言われると、わが家に帰ったようでうれしい。明るく、ほがらかで、無邪気で。”(『快適新聞』〝ひとことずつ〟より1959.3.10)

愛情研の中でも山岸巳代蔵は頼子について次のように語る。

“そういう頭の働きを、或いはこの、若さを保つためにかね、そういう功利的な意味で頼子と結び付いておるわけでなしに、もう頼子なしって、もうどうにも生きる気力がないね、今でも。(略)例えばよ、あの、どんな場合にでもよ、僕が頼子に愛しておられると思っておるなればよ、そして愛しているという頼子を感じておる場合にやね、そういう場合にはこの、非常にこの、生きる喜びっていうかね、なんか知らんが、まあ生きる力もらっている。”

と〝頼子によって生かされている〟自分自身を、自転車でいったらタイヤの空気の例えに、先の大森敏恵にみられる女性像にも重ねているように思える。
それは妻・志津子にも後に出会う柔和子にもないものだったという。
こうした、そうしようと思わないのになってきたものの中に愛情の〝複数形態〟の萌芽を見てとれるかもしれない。

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わが一体の家族考(150)

愛情世界の解読

そんな折ふと柿谷さんの「遺言」が思い浮かんだ。たしかヤマギシズム恋愛・結婚観に触れられていたなあと思い出したのである。
柿谷喜一郎

2007年の正月、和歌山県のヤマギシズム生活紀南実顕地の柿谷喜一郎(1929~2016)さんから突然大部の印刷物が送られてきた。数年前から正解ヤマギシズムの探求に取り組む思いが高まり、「遺言」と称してその都度気づいたり考えたことや自分ら夫婦の実践記録などが書き綴られていた。
当時自分はイズム探求以前の課題で悪戦苦闘していた時期で自らしっかり受けとめ吟味する余裕などなかった。
取りあえず一読して次のような感想を記してお礼の手紙としたことがある。

“拝啓 寒気ことのほか厳しい折、お変わりもなくお過ごしのことと存じます。 さて、このたびは「遺言」と称される大部のイズム究明の書を贈呈してもらい有り難うございました。ほんとは何度も読み返し吟味してからの読後感想をとも思いましたが、とりいそぎ一読しての、的はずれになるかもしれませんがざっと感じたままを順不同で記させていただきます。
 昨年の夏頃、やはり柿谷さんと同様のイズムの大先輩であられた、山本作治郞さんの『深奥を探ねて』の著書を読む機会がありました。それまでもお顔は以前から存じ上げていましたが、結局一度もお話しする機会はありませんでした。しかし書かれたものを通して、さすが山作さんだなぁとそのイズムへの究明心を知らされて驚きました。
 なかでも山岸先生の第3輯「恋愛と結婚」のまえがきに書かれてある「宇宙自然の愛護」についての山作さんの深い探求は生涯を通して続けられたようです。私も一生の課題にしたく、感銘を受けました。
 言葉というものは、受け取り方はそれぞれまちまちで全くの誤解に向かう場合もしばしばですが、そこのところを割り切った上で、心を通わせたいとする際には便利で有り難いものだと思ったしだいです。
 今回も柿谷さんの書を読ませてもらって、へぇー柿谷さんはこんなふうに考えているんだぁ、と蒙をひらかれる思いがしました。ふだんの立ち話程度では分からないものだなとつくづく感じたしだいです。

 ○「私意尊重」の究明を軽視してきたことを反省します。
 ○生かし合うには一体以外にない。
 ○無を有にするボロと水の心
 ○何があって、何が無いとはっきりしているか。これが大問題だ、と数字を示して語っているのが愛研。
 ○「夫の行為は妻の一体によってなるもの」 先生の発見であろうが、自然界のことで、世の男、女の実態を数字で顕したもの。
 ○「理想社会」が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時、感激だったであろうと想像できる。

 こうした世界を綴られる柿谷さんの世界も、勇躍歓喜の心境で満たされているであろうと推察されます。この世界はまた私自身の目指す世界だと知らされます。
 ただこうした世界と現状の実顕地を直に重ね合わせて、そこから柿谷さんの老婆心のようなものが時々文面から感じられてくる個所があります。お叱りを受けるかもしれませんが、もう少し距離を置いて眺められた方がよいのではないか、と私自身は私なりに自戒しています。さきに「私意尊重」の究明といった文言がありましたが、私自身もこの間の実顕地づくりの中で一番遅れていたのは、私意尊重というか自分で自分を尊重する、配慮するというもっとも人間にとって大切なことの研鑽が軽視されていたところにあったのではないかと反省しています。
「自己より発し自己に還る」といいながら、「真実、それに自己を生かす」とも唱えながら肝心の「自己への配慮 尊重」についての究明は未だしの感があります。現在の私の最大の取り組みどころ、課題です。そうした意味からでも、どうか柿谷さんにももっともっと真の意味でのご自愛を願うものです。
 以上思いつきを二三並べましたが、柿谷さんの力強いイズム究明に賭ける熱意に同調、励まされて勝手なことを言ったかもしれませんが、お許し下さい。
 まずはお礼まで申し上げます。
平成19年1月21日 ”

今度改めてその後も亡くなられる前まで不定期に送られてきた「遺言」集を読み直してみた。そして、そうか今自分が取り組んでいる課題は、山本作治郞(1912~2004)さんや柿谷喜一郎さんなど先人達の流れに位置するのだなあと思い知らされた。
ちなみに夫婦の真字に理想社会の縮図を見る柿谷さんの語録を幾つか並べてみる。
夫婦の真字・ふさい

○夫婦はもちろん,男と女はお互いに無いものを持って生まれてきている。何があって、何が無いとハッキリしているか。
○今までは、男の目で女を見、女の目で男を見るという、常に二つのテーマで混線して語ることをしてきた。
○〝全てを生かす〟というほどのものが、女性に存在しているということはすごいことだ。
○〝美しきもの〟を、ヤマギシでは「生かす」というのかと思う。
○夫婦の一体は、理想社会の縮図として最小単位の理想実現の絶好の舞台であると思う。
○女性は宝物を持って生まれているにも関わらず、自らが宝物を捨てる方向になっている悲劇。越路吹雪が歌う「一寸おたずねします」の歌詞に〝19の時に落とした愛を探して…〟がある。
○当時(1958年)四日市の頼子さんのアパートで先生(山岸巳代蔵)と頼子さんが夜明けまで研鑽していた時、今夜は危険だからといって春日山から四日市まで八人で飛ぶようにして行ってアパートのまわりを寒空の下で夜明けまで夜番しました。心の芯まで凍るようでした。死んでも忘却し得ないほど寒い夜でした。

こうしたイズムの大先達に導かれて、さきの数字に秘められた愛情世界の解読を、〝「理想社会」が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時、感激だったであろうと想像できる〟世界を行きつ戻りつしながらも探求し続けていこうと思う。

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今世界で起きていること

新年にあたって       
今世界で起きていること

10年ほど前に書かれた小説『ハーモニー』(伊藤計劃著)では、〝大災禍〟で核兵器が使用され世界中に放射能が撒き散らされた後、世界は消費社会から健康を第一に気遣う医療福祉社会へ移行した近未来を舞台に、最先端の科学技術を基盤に個人と社会が完全にハーモニーをみる理想社会をさもありなんと刺激的な表現で生き生きと描かれる。
ハーモニー

生命主義の健康社会では、病気というものの大半を消し去るために人々はWatchMeと呼ばれる恒常的体内監視システムを身体に入れている。そこから外れるものがあれば即座に排除される仕組み。もちろん酒タバコなどの〝不健康な〟嗜好品をたしなむとすぐバレる。WatchMeは健康コンサルタントのサーバーにも繋がってモニターされているのだから。

全てがコントロールされた社会。どこまでも親切で、どこまでも思いやりと共同体意識にあふれたセカイ。公園のジャングルジムから落ちても金属は柔らかく子供を受けとめ決して怪我をすることはない。
そんな優しさに息詰まる世界はまっぴらごめん、と反発する語り手の〝わたし〟トァンとミァハとキアン三人の女子高生の会話から物語は展開していく。

ミァハの自信たっぷりのつぶやき。「このからだも、このおっぱいも、このおしりも、この子宮も、ぜんぶわたし自身のもの。そうじゃない?」 だったら、このカラダは自分ひとりのものと宣言するためにとミァハみずから自殺を選択する……。
エーッ!〝身体髪膚これ父母に受く…〟と孔子の時代から言われているように自分の考えで勝手に自殺するって、全人幸福を願う心と真逆の私心ではないのか、とビックリ。 

そんな自分らヤマギシストにとって逆説的に聞こえる数々の臨場感たっぷりのストーリーは、我がこととして感じられてくる。
例えばその後、WatchMeを使って身体の管理を分業化して〝外注〟に出した結果、人は外部のシステムなくしてはその身体を維持することすらかなわず、そのシステムが自殺しろと命じれば、人は何の脈略もなく自分の頭を打ち抜いてしまう事件が勃発し始めたのだ。
完全専門分業社会のワナ!? 専業ではなく分業と呼べる一体の生き方とは似て非なるもの。最も取り組みがいがある課題だ。

物語ではいつしか科学技術は、人の意志を制御する研究へ、完璧な調和した社会実現のために人間の魂をいじる方向へと向かっていたのだ。調和とか完璧な人間という存在を追い求めたら、自我や自意識、自己を消し去ることによって、はじめて個人と社会との利害が一致する理想社会に達したのだ!

これって、〝無我執〟のこと? 半分重なり半分はちがうなあと、じつに興味深い。
内なる心は知らぬ間に外なる科学技術に侵されつつある。まさに今世界で起きていることだ。
すでに自分の健康状態の把握や認知能力は人工知能にはかなわない。次は内なる心の豊かさ、広さ、徳性も、心を持たないアルゴリズムに置き換えられるのだろうか。
このSF小説は問いかける。誰の心にもある〝いつになっても変わらないもの〟を消し去ることが、人類の幸福なのだろうかと。

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