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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(165)

ポンと夫婦の本質の中へ

もちろん山岸巳代蔵をして〝最も知性的で、「何でも理智で割り切らねば承知せん」といった女性〟と言わしめる柔和子は、おとなしく納得しては引き下がらない。なにせ二人のレベルは最も相合うという観点からも拮抗しているのだ。
たしかに大乗的観方からすれば、そういう具合に言ったらそう言えるとして、

柔和子 違うの。「もういい」と、「アーア」と言われると同時に、こちらも言いたいのよ、同時に。(略)私の場合恐怖心が入ってくる。ここを違うと言いたいのよ。(略)
そこで本当の恐怖心取り除けた私なら、あなたが「アーア」と言う時、私も「アーア」と言って、そらどっちがどっちとも言えへんやろと思うわ。”

と、過去に山岸巳代蔵から受けた気違いじみた無理難題・剛我抜きの数々を〝恐怖心〟として浮かび上がらせる。
どこまでも、〝恐怖心〟が湧いた時の〝そうなれなかった場合〟を問題にする。
こうした硬直状態から脱け出すことが可能になる時の上昇点はどこに?

山岸 だからよ、だから、そやないわな。その段階でなしに、も一つあんたがどうしたらどうかとか、いたわり合うとか、自分で整理しようとか、そういうものの要らない段階へ飛び込んでしまいたいのよね。そうしたら割合楽なと思うの、これは。
柔和子 私もそうなりたいわ。
山岸 それが本当の夫婦のあり方やと思う。そやと思うのよ。私が整理せんならんとか、あんたがどやとか、そういうものの問答無用のね。問答無用やと思うわ、そういうものの起らない状態にね、本当の夫婦の状態に入り込んでしまえる、そのとこへきたように思うけどね。飛び込むだけのことやと思う。すると、もう問題ないわねー。”

一気に視界が広がる。
しかし柔和子にはそこのところが今なお納得いかない。

“そういう場合に、「ここになったらもうこれでいいんじゃないか」、「ここまできたらこんなにして飛び込んだらいいんじゃないか」、それを「まだこんなことして」と、こう言わないで、「ああそうか、あんなふうに努力していても、まだこんな段階にいるのかな、早く来たらいいと思うがな、だがそんなもんかな」と、こういう緩みというか、これが私は欲しいなと思うの。”

“和気藹々と進みたいの。その時に「飛び込んだらいいやないか」と、この言葉は、私はね、どこから出る言葉かと考える。「飛び込んだらいいやないか」と考える人よ、思う人が、どこを指して言ってるのかという気がする。「飛び込んだらいいのに、なぜ飛び込まんのか、飛び込まんのか」と、その人が苦しむものね。この人自体は自分を見て言っているのか、相手を見て言っているのか、そこに私が「相手に求めないで」という言葉が出るのはね、相手を見て言っている。相手に、「ここに飛び込め」と言うものよ。或いは求める、そういうものを感じるね、私は、その場合に……。”

今一つ噛み合わない。食い違っている。底なしの井戸を掘っているようなものだ。どこでこの堂々巡りが吹っ切れるのか?

山岸 あのね、ちょっと聞いてほしいのよ。それがね、それを聞いて、自分が整理したり、修養したり、納得したりと、そういうもんでなしに、解明してでなしにね、その前にね、夫婦というものはこんな苦しいもんじゃないな、二人の中にあることで、或いは周囲に関係のあることならなおさらね。そうなれば、そんなもんに取り組んで苦しい状態でやらんならんのは、「こらあやしいぞ」と、「そんなもんやないな」、「楽しいはずやな」、夫婦は一つのものやから、一つになって解決することやし、楽しい状態で解決するのが本当や、「不愉快やな」、「苦しいな」と思ったら、サッと、ここだと思うの。それが先だと思うの。理屈はこれ抜きよ、本当の理屈やと思うの、それやと思うの
柔和子 分かるよ、それだと。
山岸 これは夫婦の間が基本で、その次はね、誰とでもやと思うの。
柔和子 そらもう、それだと思う。
山岸 それが、そしてあの、やはり本当の研鑽の基本だと思う。本当の姿、それやと思う。話し合いが、そういうやりとりは後にして、ちょっとでも不愉快やったら、「あっ、こんなはずない、夫婦仲良いはずや」と、「楽しいはずや」と、和気藹々のうちに話が進められるようにもっていく、そこへポンと。お互いにどっちがどうあろうともよ、筋はどうあろうとも、相手が騙そうが悪かろうが、騙されようがどうあろうが、或いは人が騙したと言われようがどうあろうが、そこへポンと入るのが、それではじめからずっといくのが本当やと思うの。僕は本当の夫婦のあり方やと思う、入るというより、それでいくのが本当やと思う。
柔和子 その通りやと思います。
山岸 それやろうやないか、そうしましょう。”

ここでの山岸巳代蔵の発言、〝それを聞いて、自分が整理したり、修養したり、納得したり、解明したり〟する普段自分だと思っている自分の〝前に〟ある〝本当の姿〟へまず飛び込んで、そしてそこから楽しい状態で夫婦共に〝やろうやないか〟というのだ! 
そこをまず〝先に〟二人して生きようというのだ! 個人として、社会人としてはその次でよいのだと……。
いきなりヤマギシズム恋愛・結婚観の核心に触れた感がする。

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