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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

 「と」に立つ実践哲叢(46)

喜び、喜ばし合いの世界
伊勢エビ

実顕地というとき、その外形や建物を実顕地と考えたり、集団で生活しているのを実顕地と思ったりしがちだ。いやそうではなく、一人ひとりがイズム生活をしている実態が実顕地といえるはずだといわれて久しい。
もう十年以上も前のこと、〝伊勢エビ〟の話題で盛りあがったことがある。

ある日伊勢エビ五匹が頂き物で食生活部に届いた。困ってしまった。皆で200人いるのだから、どうやって分けたらよいのか?
研鑚会に出してみたら、「なんで困るの? この人にどうぞと丸ごと一匹出してみたら」「えっ、食べれない人が多くなる」「それでいいんじゃないの」
そこでやってみることにした。夕食に色鮮やかに焼き上がった伊勢エビが四匹並び、そこに四組の名前が書かれていた。

その日食卓で食べた人は、抽選に当たったのかなあと気楽に食べた人、私は70歳以上だから貰えたと思った人、皆の目が気になってさっさと食べて片づけよう、殻なんか付いてなかったらよいのにと思った人、とても美味しく食べさせて貰えたという人等々。
食べなかった人は、どうして俺にはないんだ? どういう人が選ばれたのかな? 誰が四組を選んだのか? 食べている人を見て嬉しく思えた等々。 
残りの一匹は、やっぱり出すからには味見をしなきゃね、と食生活の人で美味しく食べたとのこと。

この〝伊勢エビ〟の話がいろんな場で話題になった。各実顕地から寄ってくる研鑚会では、「うちは考えている中に腐っちゃう」「うちはえびせんにして皆に出すかなあ」「うちは老蘇さんにあげる」「この前、和菓子を四個貰ったんだけど、20人でどう分けたらいいの? 一つを五等分に切るか?」等々と大笑いしたことがある。

今から振り返ると、この頃から実顕地の日々の暮らしが研鑽に軽く出されるようになってきたのではないだろうか。
もちろんヤマギシズムでの研鑽はそれをいくら上手に解説できても何の効果も出ないことぐらいは誰もが知っている。ではどうしたらけんさん理念が暮らしの端々にまで浸透していけるのだろうか。ずっと普段着としてのけんさんを着こなしたいと夢見てきた。
そういえば実顕地構想の中身を実践する研鑽資料に次のような一節があった。

「今度提案しようと思ったが、酒瓶を中央に置いて、みんなが喜んで、飲む人で飲んで、喜べるようにやってみたらと思ってる。菓子でもよいし。子供に食べさして嬉しい、おじいさん、おばあさんに飲まして嬉しい状態。みんなが喜びの中で、こんなもんいけると思うの」

あれっ〝あなたを喜ばして私も嬉しい〟って、普段の暮らしそのものでは!? 
そうか、〝ヤマギシズム理念を生きる〟ってこんな感じなのだろうか。〝美味しい〟〝嬉しい〟という感覚が湧き出る源泉に触れた思いがした。

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