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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

鈍愚考(11)

粕の世界
重慶大厦

同世代のノンフィクション作家・沢木耕太郎さんの作品をよく読んだ。数年前にはミーハーな気持ちから作品『深夜特急』の起点にもなった安宿〝重慶大厦〟を覗きに香港まで行ったこともある。
その彼の初期の作品に、新聞紙やダンボールや鉄くずなどを次に活かせるモノとそうでないモノに仕切る東京・江戸川区の集荷場で働かせてもらった体験記「屑の世界」がある。

初日、ぼくはいったい何をしたらいいのかサッパリ分からない。訊くと、親方からまるでぼくの「労働」に何も期待しない素っ気なさで〝ダンボールでも積みなよ〟と言われる。でもそのフォーク・リフトが使えない。〝しようがねえな、じゃ俺がやるから、ダンボールを梱包してくれよ〟。しかし、これが少しもやさしくないのだ。〝新聞の方がやさしいから〟。しかしどうしてもうまく結(ゆ)わけない。腹が立ってきた。もちろん何ひとつ満足に出来ない自分に、だ。
そんなこんなでこの日はなにひとつ満足にできたものはなかった。しかし、それは決して不快なことではなかった。
忙しかった。疲れ切った。しかし、そのうちに、いろんなことが出来る喜びのようなものを覚えてきた。

ある夜、やっと一段落、と思いきや、ダンプが二台やってきた。ガックリきた。真冬の寒い風の中を、親方とおかみさんとぼくの三人は口数も少なくなって、片付け出した。何時間かして、あれほど絶望的に散乱していた屑がきれいに片付いてしまった。
くたくたになって地ベタに座っていると、親方から〝一杯やるかい〟と声かけられて三人で呑みながら火にあたっていた時、親方がぼくに聞かせるというわけでもなく呟く。

“五年前、初めて此処に移ってきた日、やっぱり荷物が片付かなくて、いいや明日にと思ったが……翌朝までかかって片づけた。”
あの時、この仕事をやり抜く根性が座ったのだ、と。

今でもこの場面が一番好きだ。自分にも同じようなことあったなあ。いや、誰もが皆こうした過程をくぐり抜けてきているにちがいないと。
また仕切場に自転車やリアカーで屑を持ち込んでくる曳子(ひきこ)の生き様が個性豊かに描かれる。まるで自分らの住む実顕地の誰彼と比べたくなるほどそっくりなのだ。
例えばこの仕切場にはいつも口の開いた一升瓶が置いてある。出入りの商人や曳子が立寄るたびに、親方が一杯呑んでいかせるのだ。なかには用もないのにウロウロしたり、時には仕事を手伝ったりしながら親方からの〝誘い〟を待つ。〝どうだい、やってくかい、一杯?〟と。
値動きの激しいこの業界の中で相場には関係なく、なんとか一族郎党が生き延びれるようにと配慮する親方の心意気が痛いほど伝わってくる場面だ。ここでも自分らの実顕地づくりの心情と重なり合うところだ。

こうしたノンフィクション8編を所収した作品集『人の砂漠』(1977年)が刊行された以降の1980年代、ヤマギシ会の卵や肉や野菜など実顕地生産物供給は高度経済成長路線に合わせるかのように爆発的に増大した。
それまでの例えば卵一個は一個だという考えで一円でも安い方がという世相から、食品公害に対する認識から卵でも質にみんなが関心を持ち出したことが大きいのだろう。
その頃自分は主に増羽増頭する鶏や豚など家畜のエサの仕入れ、引き取り、自家配合、配合設計、自給飼料と未利用資源の活用、給餌にみんなして取り組んでいた。目の前の事柄の対処で精一杯で他を顧みる余裕などないほど没頭した。まさに沢木さんの〝屑の世界〟ならぬ〝粕の世界〟に生きていた。

農産加工や食品製造の廃棄物・副産物の再生利用・有効活用が大きな社会問題になりつつあった。
モミガラ・魚アラ・メイズ粕・デンプン粕・豆腐粕・焼酎粕・醤油粕・酒粕・ウイスキー粕・酵素粕・パン菓子屑・ラーメン屑・ビール粕・アメ粕・アン粕・馬鈴薯屑・残飯・保税倉庫の変質飼料・発酵飼料等々。
全て活かせるはずだとして、『飼料分析表』や『食品分析表』と首っ引きでその〝組み合わせと比率〟を試行錯誤する日々だった。

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 「と」に立つ実践哲叢(52)

〝連れもて行こら〟
つれもて いこら

和歌山県の方言で〝つれもていこら〟という言葉がある。〝つれもて〟は連れて・一緒に、〝いこら〟は行きましょう・行こうというような意味だろうか。
以前恒例のヤマギシズム春まつり(5月3日)が三重県の春日山で開催されていた頃、和歌山県有田郡の金屋町一帯から大型観光バス二十数台で春日山に登ってくる一団があった。その時強く印象づけられたのが〝連れもて行こら〟という言葉だった。
ヤマギシ会の歴史をふり返ると、第51回特講(昭和33年3月)には金屋町の町会議員全員が送り出され、出迎えには町長をはじめ多数の人が駅に集まったと会の機関紙『快適新聞』が報じている。こうした〝連れもて行こら〟と誰彼かまわず誘いかける気風は、この地方の精神風土に由来するのであろうか。
他にも和歌山の県道や国道に掲げられている交通標語に「つれもてしよらシートベルト」とあると聞くが、そのほのぼのとした紀州弁のヒビキに魅せられているのは筆者一人ではないだろう。いつしか〝つれもていこら〟と呟いていると不思議と勇気が湧いてくるお守り言葉になっている。
先日の研鑽会は新型コロナウイルス感染爆発によって世界中の人々が先行きが見えない不安な毎日を過ごすことを余儀なくされている話題で持ちきりだった。なかでも参加者の一人から、コロナウイルスも何か条件があって生まれるべくして活動しているはずだから〝コロナウイルスとも友達〟!? という観点から見たらどうなるのだろうかといった発言があったりして大いに刺激された。
たしかに宇宙自然界に在るものは、害し合うのでなく適所を得ればバランスを保ちながら共に生きていける性質のものであるはず。
そうした〝万物万象は共生だ〟として眺めると、現状でやれることとしての徹底した隔離と消毒の予防法と同時に、一方的に人間の方から敵視・排他してウイルスをなくそうとするのではなく被害が起こってこないようにもっていくいちばん肝心な〝人間問題〟が未解決で残されていることに気づかされる。
先日のニュースでも、ウイルスを撒き散らした人への中傷・非難に対して「悪いのはウイルスであって、人ではない」との反論がなされていた。
自分らの合い言葉は〝まず仲良し〟だ。何をさておいてもまず仲良くなることをすべての出発点としている。もちろん人間どうしは言うに及ばず、諸事・諸物ともの仲良しだ。
しかし〝仲良し〟といった簡単な言葉に秘められた実態を自分らははなから小バカにしているのか本気に知ろうとはしない。
このたびの出来事は自然からの人類に対する一つの大きな警告かもしれない。現象に現れてこないとなかなか気づけない。根本原因が問われる事態になってきた。今こそ大洋をたたえる大らかさとみんなの知恵と力を合わせて、むしろ正常健康な明日を画策・施行していく置くことの賢明さを想う。

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鈍愚考(10)

〝性としての人間〟像
レーニンの演説1920年5月5日

1960年頃、ソ連の社会主義革命の行き詰まりをみて山岸巳代蔵は言う。

“月の世界へ何ぼ行けても、やっぱり解決できないものがある。問題を解決していったらよいのに、自分達で手掛けているもので解決していこうとするので出来ない。”(「第1回理念研鑽会記録」1960.7)

未解決で残されている一番肝心な部分とは何か?
1960年4月ソ連大使館員が春日山を視察しているが、そこで「おかゆを食べていても楽しい」という実顕地メンバーの発言に、大使館員の「それは観念論だ」と応えた記録が残っている。何の根拠もないやせ我慢として聞いたのだろうか。やがて物心豊満な豊かな明るい世界が来ることが見えての発言だったのだが……。
いまふり返ると、こんな一挿話からでも失敗の原因の一つが覗かれるようでじつに興味ぶかい。唯物論(マルクス・レーニン主義)も「物が豊富になれば人間は礼節を知り、世の中がよくなり幸福になる」と考える一つの観念論的な考え方にすぎないのだから……。
しかし同じ考え方の一つならば、物に満足すれば心の糧を求め、それにも満ち足りた世界を指向するのが本来の人間の考え方ではないのか?
ここに人間革命を並行しない社会革命の限界を自分らはみている。
このあたりを指して森崎さんは

“『資本論』は商品の分析から始まっていますが、分析の対象である商品が貨幣という共同幻想に支えられていることをマルクスさんは考慮しませんでした。『資本論』の最大の誤算がここにあります。”
“最大の謎である貨幣の共同主観的現実には一切手をつけていません。”
“『資本論』は貨幣という共同幻想の分析を通じて商品が交換から贈与へと転換するしかけとしくみこそ書かれるべきだったのです。”(「歩く浄土200:親鸞・マルクスとの架空座談」)

とふり返りつつ自分らの進むべき新たな道しるべを創ろうとされている。
そう言えば吉本隆明(1924-2012)さんも最晩年になって次のように発言されていた。

“一人一人の男と女が好きあって家族ができることの重要さは大変なものだという考えを持ってきました。それをなんとか理論化できないかと思い、対幻想の領域とした。
家族がそのまま親族や集団、社会に拡張して発展すると考えることはせずに、むしろ閉じていきながら、逆に人間を支えるものであることをしきりに考えました。
自分の人生にそれをどこまで当てはめることができるのか、自分ではよく分かりませんが、そういう思想を支えにしてきたことは確かですね。”
“個人より狭い「固有の個人」を意識しなければうまく解けないことがあり、そこが問題だという気がします。(略)それはとても大事なものですが、僕には明瞭に分からないもので、絶えず悩まされるものです。”(「江藤さんについて」『江藤淳1960』2011.10)

そしてそこから〝固有値としての自分〟という言葉を編みだされる。
この間の自分らの文脈に引き寄せれば
人は、人と人によって生まれ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能だ。しかも遠い離れた人との結合ほど良縁で、優秀な子孫が産まれる事実は、幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟・親子の間柄あることを示している。つまり人と人との社会連繋の切ることの出来ない真理性は、そこに人の情が自ずと湧いてくる〝性としての人間〟像としてあらわれるところにあるのではなかろうか。
そこに「わが一体の家族」をみてきた。
吉本さんのいう〝固有値としての自分〟とは、〝性としての人間〟像と重ならないだろうか。生涯にわたって吉本さんが考えあぐんだ〝自己幻想と共同幻想の矛盾・対立・背反〟とその解き方は、〝性としての人間〟像を自らの出発点にすることで自ずと解消されるのではなかろうかと。
先の吉本さんの発言にあった

“家族がそのまま親族や集団、社会に拡張して発展すると考えることはせずに、むしろ閉じていきながら、逆に人間を支えるものであることをしきりに考えました。”

とされるその〝拡張〟の方向についてである。
今もっとも解明していきたい主題はかつての「天声人語」子の発言、
「▼”私はあなた、あなたは私”という怪しげな論法で、男女関係などにも不審な点があるようで」(鈍愚考1)
からの”私はあなた、あなたは私”という怪しげな論法の〝拡張〟についてである。

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