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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

鈍愚考(14)

二つの事実
飼料配合基準表

何度もふり返る失敗談がある。もちろん失敗の責任を他にせいにしたがる軽率なじぶん自身に向けてだ。
ある日の飼料専門研鑽会で「エサ代が安いほど鶏が健康に育つ」と聞いたのだ。その時は、原因と結果を逆さまにしたような表現にオカシミを感じつつ、何はともあれ、単純にそうか安ければよいのかとソロバン勘定丸出しで、ある時単価の安い豆腐粕など粗飼料を一度に多く給餌してみたのだ。もちろん次のような粗飼料による飼養法についての説明も後押しになった。

“また、高い餌を多く与えたところで多産するものでなく、特別経済飼料に切り変えれば、安い餌代でかえってよく産むことも知らねばなりません。
人間でも、心に不満・不安があれば、いかに贅沢と思われる珍味も口に不味く、栄養が摂れない如く、鶏にも快適な管理と環境を与え、美味しく食べさすなれば、粗食でもよく食べ、健康でよく産むものです。”(「山岸養鶏の真髄」)

ところが案の定と言うべきか「獣性より真の人間性へ」に書かれてある逸話のように風船鶏や飛行機鶏の続出で、皆の顰蹙をかってしまった。まさに〝こんな主人に飼われた鶏も多分不足顔でハンストしたのでしょう。〟(「獣性より真の人間性へ1」)の再現だった。
その時いったんは打ちのめされたが、また本気になる人生上の一大転機にもなったとふり返って思う。
それにしても、〝エサ代を安くしたら、利益が上がる〟とそこまでしか考えていなかった自分が恥ずかしい。何のために粗飼料を多給するのだろう? いったい自分の何が間違っていたのか? しかしまたそんな体験を通して、〝安い餌代でかえってよく産むことも知らねばなりません〟の安い餌代だからこそ〝かえって〟といえるものの一端に触れたい、知りたい意欲をもかきたてられた。

寝ても覚めても考え続けた。そしてそこから二つのキーワードが浮かんできた。
○粗飼料を用いるにはそれに合う飼養法によらねばなりません
○美味しく食べさすなれば
何を言わんとしているのだろう?

例えばモミガラ一つとっても、こんな栄養もなく消化しにくい硝子繊維の固まりが餌になるとはとても思えない。事実食べ残しの餌を捨てる餌箱掃除で忙しくなり、しかも下痢便の鶏が続出したりでモミガラは厄介者にしか見えなかった。
反面また確かによくよく見れば、ウイスキーを製造する際の液体粕とモミガラを組み合わせて給与してやると、なぜか鶏が喜んで食べつくす事実も見られた。
モミガラは食べ残す、食べないという事実に対して、良く食べる、食べ残さないという事実もある。
こんなモミガラを食べさすというどっちでもよいのかもしれない小さな一事に、二つの事実がある? それって、どういうこと? とても不思議なことに思えた。人生上超難問題に取り憑かれた気分がつづいた。
そう言えば先の資料(獣性より真の人間性へ1)には次のようにも記されてあった。

“粗飼料を与えて鶏の飼養出来ない技術者は、経済環境適性試験にパス出来ないでしょう。”

そうかあ、モミガラがダメじゃないんだ。モミガラを食べ残すには、食べ残すようなやり方をこの自分がやっているからだ。食べ残さないという事実は、やはり食べ残さないようにするから食べ残さないのだ。
そこにどんな方法と理念が秘められてあるのだろう?
そして次のようなじぶん自身に言い聞かせるようにエサ給餌についての〈律〉を取りあえずはつくってみた。

“6月の梅雨時、7月8月の夏バテに耐え、秋の高産卵に備え、冬の高卵価を迎えるために、4月5月は緑餌、モミガラなど粗飼料を一気に食い込ませ胃腸を強くさせ、それに平行して増していく環境適応性の強い鶏にすなわち感度の高い与えられた栄養分を100%よく吸収して品質のよい卵を産む鶏の消化器づくりを目標とします。
そのためには前回のエサがえさ箱の隅に白くカビて残らないよう、よく食べるようにとエサの食べさし方与え方のさじ加減に気を配ります。
餌を短時間に食べ切らせば、餌も傷まないしえさ箱も乾き、普段からちょっと足りなめに与えて、エサをパクつく観念習性を植え付けるようにこの時期をねらいます。
エサを残す事実とエサをよく食べる事実を見て、残すには残すやり方でやっているからとみる観方を、エサ給餌の原則とします。”

……とまあ、ここまでは自覚的に言えた。で、その先は……?
いったい何を試されているのだろう。
たしか芭蕉の句に〝よく見ればなずな花咲く垣根かな〟とある。事実をありのままによく見ることの大切さと共に、二つの事実を目前にして自分は何を基準にして生きるのかを問われているようにも感じた。

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鈍愚考(13)

天然自然無限飼料モミガラ
モミガラ

餌屋さんの売り出す完全配合飼料を極力使わず粕の世界の中での自家配合でのエサづくりぐらい面白みに満ちた日々はない。そのことに心身共に打ち込んだ日々を今も追憶することがある。

エサの仕入れ交渉でも、必ず相見積もりをとって一口商いで気に入ったところから入れるように心がけた。「もう少し安くして」と値切るようなことはなるべく避けた。雛や産卵しはじめの一年鶏に与えたい輸入魚粕(フィッシュミール)や大豆粕は先物予約だから適切な相場観が求められた。
底値が何時か分からないから、ちょっと上がり目になった時買うように心がけた。とりわけ春の仕入れは梅雨時の変質、価値減を織り込んだ。もちろん倉庫の償却代もいつも頭にあった。
配合設計も、献立を決めてからスーパーへ買い物に行くよりも、スーパーでお値打ちのものを見つけて夕飯の料理をつくる主婦感覚で今在庫にあるものに設計を合わせるように心がけた。

とはいいながら実際は、醤油粕が目の前に山と積まれてあっても塩を入れた配合カードのままにしているうっかりミスは常だった。
そんな中でのいちばんのやり甲斐は、鶏が健康になり、その卵肉を食べる人間が健康になるといった関連するすべての正常健康を考えての養鶏にあった。それの具現化である。
次のような一節が指標となる。

“自然はよく出来ておりまして、堅いのを与えるとそれに対して、また養分の少ないものを与えると、量を多く摂って栄養の均衡を図り、丈夫な、容量の大きな消化器となります。
採卵鶏の経済的要素の一半は、夏負けしない、餌負けしない、病、換羽負けしない、産み労れを知らぬ消化器の鶏体を造るにあります。
粗悪飼料にも勝ち越す、バタリーに入れても、働きが違う消化器を造る第一歩は実に最初の餌付けにあり、雛に点灯したり、微粉末や、水浸、煮沸餌を与えるのは、今日の姿を見て喜ぶ、育雛競技会向きの仕事で、根の弱い倒伏型の稲を作るに等しいです。
私は、明日に生きたいと念願する人間ですが、雛もまた二年先の別れの日を予想して、今日手を打っておくのです。”(『山岸会養鶏法』)

そうした〝夏負けしない、餌負けしない、病、換羽負けしない、産み労れを知らぬ〟〝丈夫な、容量の大きな消化器〟の〝鶏体を造る〟ポイントは、各種粕に象徴される粗飼料にあったのだ。
なかでもその代表に秋の稲の収穫後に大量に発生するモミガラがあった。
収穫された米はモミ殻をかぶっており,モミ摺りして玄米を取り出した残りがモミガラ。その成分はケイ酸(ガラス質)や食物繊維が多いために発酵・分解されにくい。地域によっては焼却されたり水はけをよくする土壌改良材として多く活用されている。
今現在なおその処理に困って厄介もの扱いされがちなモミガラを積極的に活用してきたのが、じつは山岸巳代蔵が考案した独特の山岸養鶏法であった。

ということはつまり、ヤマギシズム理念を基本にして理想社会のあり方を養鶏の実際に応用したのが養鶏法だから、逆に例えばモミガラの活かし方から理想社会のあり方を引き出すことが出来るはずである!? 
毎年秋になるとモミガラの引き取りにタオルで頭と口を巻いてライスセンターと配合所をダンプ車で往復したり、日々中古の麻袋やクロス袋に詰め替えて配合機に投入したり、粗飼料で膨れたエサを抱きかかえて給餌したり、一度に出る糞の大きな固まりに驚いたり、フォークやスコップを使った鶏糞出しを黙々とくり返しながら、いったい理想社会の何が引き出せたと言えるのだろうか。
ここでも自分らは、理想と現実の一致・一直線についての課題に直面していたのだとも言えよう。
そのことの実証に山岸巳代蔵は寝食する間も惜しく取り組んだという。天職と趣味職業が一致し一事に没頭できる人は能率も上がり仕合わせだと思いますと後に自著『山岸会養鶏法』で回想している。
当時(1954)頃日本は1000万石の米不足にあった。そこで米の収量を上げるために魚粕や大豆粕類をそのまま田畑に施して田畑の土壌づくりをはかっていた。
山岸巳代蔵はそこに不合理単純農業を見て肥料問題は

“〝鶏卵肉は田畑から〟の一貫生産機構を備える”

ことによって解決すると提案した。
つまり、こういうことだ。家畜飼料として好適の魚粕や大豆粕類やモミガラなどは家禽畜類に給与して、鶏などの腹中で配合してやれば完全配合肥料も化成肥料も遠く及ばぬ〝有効肥料〟が加工費を加えずして生産されるではないのかというのだ!?
ということは、その分稲作の購入肥料代を養鶏のエサ代に転用することができる。つまりその分現金支出が減る。しかもモミガラを食い込ませたその鶏糞で、有機性肥料とすぐには消化しきらない腐植質で地力の貯蓄にも繋がる一挙両得の策であった。そこには
〝空気や水や草や塵芥が卵や肉や牛乳に変るという自然界の根本妙手〟を知って驚きかつそこに人の世の至宝も永遠の幸いも見てしまった山岸巳代蔵がいた。

鶏の消化器鍛錬の決め手、現在栄養学説でマイナスだと云われる繊維類を多く含むモミガラを食い込ませることで鶏の健康をはかり、かつ腐植の給源となる繊維質を多量に含むモミガラが耕地を肥沃化していく。ここにお金をかけないで米不足を解決する秘策があった!
しかもモミガラでかさ増ししたエサで腹一杯になるからか尻つつきなどの悪癖もなくなり、だからといって太りすぎず、モミガラに含まれるマンガンの成分が卵殻にケイ素が羽のツヤに影響していくという万事いいことずくめだった。
いったいこうした現象の元になにが秘められてあるというのだろうか?

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鈍愚考(12)

私の飼料栄養論
醤油粕

例えば醤油は、大豆と小麦と食塩を溶かし込んだ水を材料にして発酵・醸成されたものだ。その製造過程のうち、もろみを絞る際に生じる副産物が醤油粕(しょうゆかす)だ。約八十センチぐらいに板状に圧搾された四角形の板状の醤油粕を毎日小一時間ほど粉砕器に投入してはエサとして活用した。
食物繊維と塩分がほとんどの栄養価に見られがちだが、事実は大豆や小麦成分の発酵・醸成からの微量要素の働きも加わってか鶏の嗜好をそそった。

また毎日伊賀から伊勢志摩の港まで4トン車での魚のアラの引き取りがあった。引き取った魚のアラは乾燥機である程度まで水分を飛ばしてから粉砕、自家魚粉として高価な輸入魚粉の代替えとして活用した。
そのうちアラの中のカツオの部分だけ別の鉄コンテナに仕分けしてもらって、煮沸してから桜の木で燻煙・乾燥・粉砕・だしパックにした〝カツオだし〟の製造、供給を始めた。
これがまた上品な香りがすると好評で、社員として手伝ってもらう近所のおばさんたちの朝夕の送迎で忙しかった。

また養鶏では高水分の大麦残さを含むウイスキー粕を積極的に活用した。
濃厚飼料や完全配合飼料と違って自家配合での水分の多い重いエサ袋での給餌は労力もかさみ、加えてえさ箱に白いカビを生やす原因ともなった。たんにエサ代を安くしたいがためなのだろうか?
なぜ粕=粗飼料でかさ増しのエサを食べさすことにこんなにも力を入れるのだろうか? 毎日が終生〝卒業〟のない学校でもあった。
理想と現実の一致・一直線についての課題に直面していた。いや、そもそもヤマギシ会運動の始まり自体がこうした課題の解決・超越にあった。山岸巳代蔵は言う。

“私は飼料欠乏時代に京都専業養鶏組合の責任者としてその鶏を維持するために、麦糠・粟・稗糠・焼酎粕のような牛も好まぬ粗飼料を多量入荷して分配しました。
組合員の多くはそれを鶏に与えて鶏を痩せさせました。卵を産まなくなったと不足を云って来ました。人が鶏舎へ近づくと、餌を求めて一斉に鳩のように飛んで来るそうで、餌が足りないかと給餌器を見ると殆ど食べずに残ってあり、風船鶏や飛行機鶏が続出で、冥土とやらへ毎日飛んでいくそうで、散々迷惑を相掛けました。給飼係の先走りとして一人の従業員が給餌器の残餌を捨てて回り、無理して手に入れた餌を捨てるために人手が要り、忙しそうでした。
強硬派は私の鶏舎へ押しかけます。私の鶏舎へ案内しますと鶏は静かなものです。皆満腹し、落ちついてよく肥っています。恥ずかしいのか真っ赤な顔して、満足そうに卵を普通に産んでいるのです。秋には特に大卵を産んでいるのです。同一の鶏で卵量が変わるのです。産み細る傾向の時には先ず小卵となります。大卵を産むことは産卵数の上昇をも意味します。
そこで責任上粗飼料による飼養法について説明しますと、一応納得して帰ります。後に結果を聞くと自分の鶏はどうしても食わぬから餌は他へ譲って鶏も売ったとの報告で不足顔です。こんな主人に飼われた鶏も多分不足顔でハンストしたのでしょう。(略)
而して鶏や他の動物を通じて真の人間を発見してみましょう。人間社会のあり方に関しても。1954.3.16”(「獣性より真の人間性へ1」)

はじめから想定内の出来事であった。真の人間や人間社会のあり方を発見する方便であったのだという?
ヤマギシ会が発足して一年目(昭和29年)ばかりの、まだ海の物とも山の物ともつかぬ時期から山岸巳代蔵にははっきりした飼料栄養論が確立されてあった。
例えばここでの〝そこで責任上粗飼料による飼養法について説明しますと、一応納得して帰ります〟とあり、結果は主人と鶏双方に〝不足顔〟しか残さなかったとある。後年、これと同じ事態(後述)に当のじぶん自身が立たされるとは……。
しかしまた、そうした実際の経験を伴わずに〝鶏や他の動物を通じて真の人間を発見〟する機会はなかったとも言えよう。というのも、先の一文に続けて次のような謎めいた文言が続いているからだ。

〝粗飼料を用いるにはそれに合う飼養法によらねばなりません〟
そのためには従来からの栄養学・生物学や人間の欲望に際限なしと云う〝欲求本能学説〟からの経済学などの原則は通用しない。
むしろ
自然の整正作用に託したり“観念習性の扶植”に依るとか〝武士は食わねど高楊枝〟といった古武士の心理状態などから人間社会のあり方を引き出してみるべきだというのだ?
いったい何を言おうとしていたのだろうか。

そして今、世界同時多発的な新型コロナウイルスパニックに直面するに及んで今ひとつ腑に落ちなかった〝謎めいた文言〟の一端を解読するヒントを与えてくれる。
当時も現在も大いばりで科学科学と云っては、部分現象だけ切り取ってデータ、データとそれしか見ていない専門家・科学者きどりとまたこれに盲信し他にも伝えて波紋のごとく盲信患者を生み出している状況に自分らは陥っている。
たしかに科学という考え方は対象を何でも分けて限定することで、誰がやっても間違いのない方法・技術を次々編みだし目覚ましい物質文明をもたらした。しかしそれだけで人は心の底から落ち着いて本質的に楽しく暮らせているのだろうか? 
ここに見られる跛(びっこ)の世界にこそ山岸巳代蔵は警鐘を鳴らしていたのだった。

今日でも科学とは、人の心理状態や考え方を扱う哲学的分野を除いた自然(数理)科学を指すことが多い。そんな自然科学から見ると、そうでない分野は「観念だ、精神論だ」として科学でないように見なされがちだ。
そうした時の流れの中で、自然科学と心理学的分野の一つをはかる〝綜合哲学〟から生まれたもので出発しようというのだった。

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