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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

8 心に感じる世界

「これは一体の一つのもので生まれたもので、酸素・炭素・水素とで、或いは水素と酸素で水が出来るようなもので、私がなんぼ理念を言っても、その理念に立ってやらんと実現できない。一体のものはそこから出来てくるもの。どっちを重しとも、軽しともせん、不可欠のもの。そういう一体となって、いよいよ具現方式によってやっていこうという案で、そういう理念に立ってやっていくものでないと、本当のものでない。理念も実も一つのものやからね」(山岸巳代蔵)

目に見える世界は、全部目に見えない世界の現れだ。
この世の中には見えない感じない世界があり、それがもとになって心に感じる世界があり、心に感じる世界がもとになって目に見える現象界がある。

ここでの心に感じる世界とは、「心の琴線に触れる」実感のことではないだろうか。

「私の眼前に広がるこの瑞々しく美しくも豊かな世界が、主観と客観を隔てる意識のスクリーンに投影された像のようなもの、現実世界の不完全なコピーなどであるはずがない。
私は事実そのものと直接ふれあいながら現実世界のただ中で生きている。
事実の世界=客観、思いの世界=主観。
世界を二つに切り分けた時から、私の心は事実に直接ふれる道を閉ざされていた」(『実顕地研鑽会記録集』より)

自分の思い・考えで「事実の世界」と「思いの世界」を二つに切り分けようとするから閉ざされるのだ。

主観と客観での「と」に立つことではじめて、事実そのものと直接ふれあいながら現実世界のただ中で生きている「自分」を見出すのだ。
「理念に立ってやっていくもの」とは、「心の琴線に触れるもの」がもとになって、それが「繋がりそのものの自己」の実感となり、そこからの実動行為が目に見える現象界として現れ出るといった後先。
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