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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

9 研鑽会の醍醐味、特質

「『人間、腹立つのが当り前』と思ってる間は、怒りすら取れなんだ。本当に真なるものが見える立場から見たら、『絶対に腹立たん立場に立てる』というところからきての究明で、怒りは取れるし、我のあった人が我が取れて楽になれる。そういう目標に立って究明せんと」(山岸巳代蔵)

山岸会の体験は私の人生の出発点であったという宗教学者・島田裕巳さんは、何冊かの自著で一週間の『特講』とりわけ「怒り研鑚」会の醍醐味の一端に触れている。

「私はしだいに、答えることばを失っていった。(略)会場の空気は重苦しいものに変わり、沈黙が続くことが多くなった。(略)
私は自分がなぜこんな目にあわなければならないのか理解に苦しんでいた。(略)しかし脱出のための糸口は、なかなか見えてこなかったのである。(略)
ところが参加者のなかに、自力で脱出口を見い出した人間がいた。(略)
彼女の発言を聞いて、体の奥からなにか暖かいものがこみ上げてくるようにさえ感じられたのである。私は解放感を味わっていた」(『イニシエーションとしての宗教学』)

「あって当り前」の自分の作った一線が外れた一瞬を見過ごさないで捉えられている。すると「なにか暖かいもの」がおのずとこみ上げてくるのだ。
そういう目標に立っての究明、即ち「と」に立つところからの理解を、というわかり方。

研鑚は研究・学問と異う。研鑽会は研究会・講習会と異う。
自分の作った「あって当り前」の一線を持たないで、真なるものを究明し、それに即応(立つ)しようとして、そこからの現象を皆で創り上げるという、この一点で。
そこから湧いて来るものがある。
その心底の底ついた事実にもっと想いをはせたい。


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コメント


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研鑽学校Ⅰで。一体観に立つとはどんな感じですか?の問いかけ。

さっき愛和館でたらふく食べた「おはぎ」。あ~おはぎが私になっていく~と叫んでしまった。おはぎが私、私はおはぎ!
スカッと晴れて、何かホッとするような、ジワっと湧いてくる感じ。
前に何度か聞いていたのだが。何言ってんだか、そんな感覚的な曖昧なことと聞き流してきたなあ。でも、事実!

そこにある花瓶「と」私の見ている花瓶のテーマをじっくりやった後だった。

sachiko | URL | 2014-10-13(Mon)17:44 [編集]


こういうブログが出来て有難い!
村にいて表現欲求不満が嵩じていましたので。

| URL | 2014-09-24(Wed)10:50 [編集]


ブログの開設おめでとうございます。
先日韓国を訪問した際に、地域の青年会員から、「研鑽についてどのように思っているか」と訊かれ、「以前はより良いものを見出していくためのものと思っていたが、今は自分の中にある決め付けをはずしていくことかな?」と答えた。
そして帰ってきて2週間あまり。この間の酪農のことも、養護部のことも、まさに決め付けを外したところからひろがる世界がみえて来ます。それもみんなが外さなくても、一人の人が外せることからはじまっていく。
以前佐川さんは本当にいい研鑽会は年にどれだけあるか、と言われていましたが、そこまでいけなくても、この日々のなかに用意されてある諸種の研鑽会を、もっともっと活かしていける私達になりあうことや、この研鑽会があったからこそ、今があるみたいなおもしろさに楽しみを見出していけたらなと思ったりしています。せっかくの研鑽機会、そんなところに「もっとしつこく」かな!?
では、これからも楽しみに読ませてもらいます、時々遊びに来ますね。

nanase | URL | 2014-09-24(Wed)05:29 [編集]