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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(7)

わかりづらい箇所

ここで先述の、わが一体の家族考(3)での一節、
「こうした『愛和館』の暮らしを1980年代初めからやり始めたのだが、2000年代初頭に『週に一度ぐらいは各家庭でも食事ができるように、愛和館休館日を設けたい』といった提案が運営研鑚会で研鑽されたことがあった。
その当時、親がもっと子育てに係わった方が良いのではないかといった気運や『血縁での家族をもっとやりこみたい』という気持ちが台頭していた時期でもあった。(その背景については後述する) 」についてふれてみる。

このあたりの背景については、宗教学者の島田裕巳さんのコラム記事から一部を引用してみる。

ヤマギシ会は、日本で最大のコミューン、共同体であり、理想社会の実現をその組織の目的としてきた。創立は1953年のことで、ちょうど今年で60年になる。
私は、大学時代にヤマギシ会に関心をもち、宗教学のゼミでの調査をきっかけに、近づき、その運動に共鳴して、メンバーになったことがあった。今から40年近く前のことである。ヤマギシ会の共同体で生活していた期間は7カ月と短かったものの、その後も、ヤマギシ会を出てきた人間たちが中心になった、共同体つくりの運動に参加し、そのあいだはヤマギシ会ともかかわりをもった。
当時のヤマギシ会には、学生運動に参加した経験をもつ若い人間が多かった。ヤマギシ会は、1959年に「ヤマギシ会事件」を起こし、世間の注目を集めたが、それによって危険な団体とも見なされ、一時、運動は停滞した。ところが、学生運動崩れが多数参加することで、60年代の終わりから70年代のはじめにかけて、ユニークな運動体として注目を集めたのだった。
とくに、日本がバブル経済に突入した80年代半ばから、農業産業としてヤマギシ会は大きく発展し、その勢いはバブルが弾けても衰えなかった。もっとも拡大した1998年の時点では、全国に39箇所の「実顕地」と呼ばれる共同体をもち、メンバーの数は4400人にも達した。毎年5月には、生産した食品をただで来場者に食べさせる「春まつり(名称は年によって散財まつり、タダのまつりなどに変わった)」を行い、そこには10万人もの人が訪れた。
日本でも、農業の協同化の必要性が説かれ、それによって経済効率を高めていくことが不可欠だと言われてきたが、なかなかそれが実現しなかった。ヤマギシ会は、「無所有一体」という理念を掲げ、私的所有を否定して、メンバーに給与を与えない仕組みを作り上げることで、その課題に一つの答えを与えた。拡大の続いていた時代には、社会的に多くの注目を集め、マスメディアでもさかんに取り上げられた。
ところが、急激な拡大はひずみも生む。ヤマギシ会の共同体のなかで、子どもに対する体罰が行われているなどとして日弁連などによる調査が行われ、その事実が明らかになることで、ヤマギシ会は社会から激しいバッシングを受けることとなった。それは、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こってから、それほど経っていない段階でのことで、ヤマギシ会はオウム真理教と同様に危険なカルトであると見なされたことも大きかった。
国税局による税務調査で申告漏れが指摘されたり、脱会者が次々と告発本を出したことも大きく影響した。それによって、ヤマギシ会は大打撃を受け、生産している食品が売れなくなるという事態に直面した。こうしたヤマギシ会の盛衰について、私は『無欲のすすめ』(角川oneテーマ21)という本に書いたこともある。 (ヤマギシ会はまだやっていた 2013年2月17日アゴラ言論)

島田さんも指摘されるように、
「ヤマギシ会はユニークな運動体であり、時には危険な団体ともカルトであるとも見なされる。しかもその内実は口先でとどまらず『無所有一体』という理念を掲げ、私的所有を否定して、メンバーに給与を与えない仕組みを実際に作り上げている生活や生産の場でもある」

多分ここのところが、外から見ても内から見ても不透明なわかりづらい箇所なのだ。
「一般社会に囲まれたユートピア(理想社会づくり)」は本来どのような姿であるのが本質的なのだろうか? 
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