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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(9)

共同と一体の異い

実顕地発足以来今日まで綿々と続けられている研鑽に、「共同と一体の異い」研鑽がある。
ここでいう共同とは、作業手段としての協業体や、経営合理化目標の協同経営、生活手段としての協同生活など、自己の経営や生活を良くするための共同利用や協力などをいう。
そして研鑽が深まるにつれ自ずと、「共同」と「一体」とはハッキリ異うという発見にも似た驚きが自分らの世界観を一変させる!
どうも「共同」とは、従来からの常識観念の延長に生活の知恵とでもいうか、御都合主義でわれよからんことが基本に「そうならなかったら」との条件がどこまでもついてくる世界だ。
これでは必ずその中での利害関係で、あるいは人間関係で崩壊すること必至である。心のこもらない力の協力では協力にならず、成り立つはずがない。

自由・平等は、人間社会を組織する原則として間違いないとするものだ。
しかし従来の「共同」観からでは、個々別々の自由というか勝手なふるまいが重なり・侵し合うところでの矛盾が生じる似而非(えせ)自由や或る人々に得られ、他の人に同じ機会を得られない優劣といった差別が生じる不平等をどうしても解消できない。
お隣の豪邸を誰もオカシイと感じない。自由競争の当然の報いだと信じて疑わない。

ここに社会に生きる人間の生き方として、本当を追求する哲学をベースにした自分らの描く「実顕地生活」という理想社会づくりの存在意義が見いだせるだろうか。
かといって、誰もが同じ大きさの家に住み、同じ衣服をまとい、同じ物を同じ量食べて、同じ作業をし、又は同一の考え方を押し付けたりする悪平等を押しつけられる社会ではたまったもんじゃない。
だとしたら、何が「無味乾燥・器物の世界に等しく、潤いのない造花の社会」を超える基本となるのだろうか?
「共同と一体の異い」研鑽が今日も続けられているゆえんだ。
なんとなれば自分ら実顕地構成員自身に、形のみ作っても考え方や心のあり方が正されない限り、単なる共同体と何ら異なるところがないテーマとして迫ってくるからだ。

今の社会は逆方向へ猛進しているから、いつか、行詰まりは必至だ。その極限手前で自壊するから、今のうちに対照区を造ってそのあとを引受けようとしているのだが……。
ここでの対象区とは、現状を踏まえての部分的な改良にとどまらない、新しい社会形態を意味する。しかもそれは未知のものである!
理想社会づくりとは、人づくり、生活の物づくり、運営のための機構づくりをいう。しかも今すぐには役立たないような水田にも適さない場所、今の社会には役立たんような「変わり者」によって始まる。未利用資源開発からの前進無固定の文字通りの創造生活というわけだ。
自分には気づかれないもの、経験外の、知識外のものがある。他をアテにしないで、そこから見いだされた知恵から始まっていく。
今はっきりこれだといえない何かがある。そこに向かっていく。はっきりとわからないが明るい。こんな頼りない感じかなあ。
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コメント


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落とし穴?に嵌ってる

愛和館で向いのひとのブラウスが春らしく、似合っているので「きれいだね」と声をかけた。ら、隣のひとが「まさか、それも展示場って言うわけ?」と。
すると、向いの人は苦笑していた。
察するに、ブラウスの人はいつも「これ展示場にあったんだよ」と言うらしい。
「タダのものだよ、お金は使ってないよ」という暗黙の了解?

展示場は物を活かす、最たる仕組みだと思うのだが・・・

かく云う私も「お金は使わないの方がイイ」と思い込んでいるな~

こんな日常の一コマを理想社会実現への手がかりに。

麻野幸子 | URL | 2016-04-24(Sun)05:04 [編集]


Re: タイトルなし

> 理想社会とは、そして理想社会実現への最短コ-ス(1本道)、以前に述べていた手段=目的とは・・・そんなところを深めていけたらばとそんな事を思います。

先日の実顕地づくり研鑚会でも、エプロンのポケットや宅配の代引きの話(村ネットに掲載)が出ていました。そんな身近な話題と真目的が結びつく辺りが研鑽で浮き彫りになってきたのが、面白いです。
佐川

佐川清和 | URL | 2016-04-16(Sat)07:06 [編集]


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| | 2016-04-15(Fri)20:19 [編集]