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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(10)

落とし穴にはまり込む

先述したように、今のうちに対照区を造ってそのあとを引受けようとしているこの種の運動に携わるものの宿命だろうか、予想だにしなかった落とし穴にはまってしまいがちなのだ。
どんな落とし穴なのか?

例えば先の「共同と一体の異い」研鑽を通して発見にも似た驚きの世界観から、真の人間性とそれに即した社会のあり方の縮図が描かれてくる。
そして自ずと現実の個々人主義の醜悪社会を超えようとする意欲が湧いてくる。
そこから実顕地づくりの第一歩が始まる。
すると同時にそこから「共同」でなく「一体」理念に合うとされる「立ち振る舞い」を良いとする価値観が発生してくる。当然だ!
なぜならそれこそが「一般社会に囲まれたユートピア=実顕地(理想社会づくり)」が成り立つ根拠と考えられるからである。
しかしその根拠の成り立つ
「自分たちは良いことをやっているんだ」
「自分たちは少しでも良い社会をつくりたいと心から願っているのだ」
と固く固執することで、そうした理念実態に即応しようとする熱い意欲が湧いてくる場所はなぜか一転していわゆる自分の内なる観念を信じる「盲信」が発生してくる場所にも転化するのだ?

自らをその場に置いてみると、他を責め裁き導こうとする自己欺瞞的な重苦しい体験がよみがえってくる。
「いったい彼(彼女)は全人幸福という革命運動の場を何と心得ているのか?」
「あそこの奥さんは何時もパーマかけている。美容院にいく金どこから入るのだろう?」
「あそこは何時も砂糖をもらいに来る。そんなにたくさん何するのかいな?」
「あの人は夕方五時にはもう風呂に入っている。仕事をサボっているようだ」
普通の一般家庭だったら、ありふれた隣近所の井戸端話ですむところが、同じ目標で集まった思想集団であるから始末が悪い。
まあボチボチと悠長に構えては居られない「ねばならない」「そうすべき」「そうあるべき」という切迫感にかられる。どうしても余分な力が入ってしまうのだ。そしてその果てに……。

この時自分らはどんな落とし穴にはまり込んでいるのだろうか?
現実社会を少しでもより良くしたいと願うがゆえに、革命的な理念を立てることで自ずとはまり込む落とし穴がある!?
だとしたらその落とし穴を今少し覗いてみようではないか。
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