FC2ブログ

自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(15)

千石イエスのコトバ

そのようなある日、かつて1980年に世間から中傷と非難を浴びた、いわゆるイエスの方舟事件の当事者、千石イエスこと千石剛賢さんの発言に自分の心が鷲づかみにされた。
千石イエス

若き日、千石さんに聖書の指導をしてくれていた「聖書研究会」の主宰者がある時投げ出すように言うた言葉があった。
「あなた方はね、生きてないんじゃがね、死んどるんじゃがね」
「先生、それはむちゃくちゃや。死んどるんじゃがねって、そんなに気安く言われたら困る。わし、まだ仏さんになっとらへんがな、さっき飯食ってきたとこや」
と納得がいかないので食い下がった。
結局この言葉に引っかかって、どこぞで詳しい説明あるのかいな、と聖書に入り、
「その人の言うとおりや、俺、やっぱり死んでんだ」と五十年近くその一つだけでやってきたという。

例えば聖書に「汝の隣人を汝自身の如く愛すべし」とある。
だからその言葉だけを聞いてやりすごさないで、しっかり真意をつかもうとするなら生活の端々にまでそれをやらなあかんと、トイレも風呂も一つでいいとするような自分というのをぶっ壊すための生活様式を通して「他人のない生活」を仲間達とやってきたという。
なんだか自分らの過ぎし日の実顕地生活と重ねながら、次のような文言にも目がひらかれた。

「人間という存在の現実は男と女です」
「真の家族の原点は、男が女を一体として愛するという愛の行為にある」
「夫と妻の素晴らしさは、一体の人格を発見するところにある」
「男の伝えることを受けとめる人格が女。男は女を愛し、女はその愛を受けとめる」
「男にとって女は自分」
「他者の中に自己を見る」
「自分だけ幸せになろうとすると、絶対になれない仕掛けがしてある」
「信ずる、信じない、ゴチャゴチャ言ってないで、まずイエスの生活を真似するんです。そうすれば、古き自分というものがどんどんなくなっていきます」
「現実があって、それを人間が思い込むようになったんじゃないんです。思い込んでしもたばっかりにね、現実化してしもた」
「ほんとに実感せねばだめだ」
「楽して、ええめにあうこっちゃ」
「こういう生活を経験させられると、立て前的な人間関係、幻想的な親と子の関係、兄弟姉妹の関係、そういう家庭というか家族の交わりというか、そういうものが完全に二の次になっちゃうんですね」
「イエスを信じるということは、当然、これは観念的に受けとめるということではないはずです。イエスを当然、自己の存在の実感として受け入れないかんことになるんです。ということは、イエスを真似するというか生活せねばならないはずです。当然、行為がいるんです」

そうか、そうかもしれないなあと、我がことのように千石さんのものやわらかい関西弁のコトバが飛び込んできた。
今何に焦点を絞って考えたらよいかのヒントを得た思いがして、目の前が明るくなった。
関連記事
スポンサーサイト



PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する