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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(18)

「万象悉く流れ、移り行く」

それにしても彷彿と浮かぶあの恥ずかしそうな笑顔から一瞬のうちによみがえり、こみ上げてくる心の琴線に触れるものの正体は、いったい何なんだろうか?
そんなくり返しくり返し自ずと湧いてくる温かなものの心触りの感触を確かめていると、これだけはゆずれないといった確信めいたものがふくらんできた。

それは、もし心の琴線に触れ何かほのぼのとした温かいものに癒やされ、いいようのない感情がこみ上げてくる中で「ヤマギシズム」が立ちあらわれて来なかったら、自分は「ヤマギシズム」を見捨てる、といったのっぴきならぬ一つの考えだった。

するとそんなある日、さきの例えば「ヤマギシズム七不思議」の一つ
○「万象悉く流れ、移り行く」
に込められた“流れ”に例えられるものが、身近な自分の実感をともなって、一つの共鳴・共感する生命を感じさせるものとして目に映ってきたのだ! しかもそれが万象悉くに満ち溢れている!
流れているものの実態にじかに触れた感がしたのである!

それまではかの『平家物語』が説くように
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」
という一節から、諸行無常のうら寂しさ、はかなく消え去り流れ去っていく、ものの哀れを詠嘆しているとばかり思い込んでいた。

それがナント真逆に、温かい計り知れない豊かなものが滔々と流れる「今、ここ」として感受されてきたのだ。
そんな固定観念、観念のトリコから解放された歓びを以前次のように記したことがある。

しかし年表などに見られるように、鶏舎や簡易宿舎などが建設されて「さあ、これからだ」という矢先の山岸会事件、山岸巳代蔵の死、手元不如意、なかでも先の見通しが描けないことの不安な気持ちなど、謂わば理想と現実との矛盾に直面する日々のそれははじまりでもありました。
ある意味では、悪条件に耐え得る人生のあり方を身をもって体得してきたといえるかもしれません。
また一面、ヤマギシならではの提案と調正、部屋替え、半年に一度の自動解任、交流、子供楽園村や祭りなどを通して毎日の暮らしそのものから、お菓子や酒瓶を真ん中に置いて皆が喜んで子供に食べさして嬉しい、年寄りに飲まして嬉しいまるでおとぎの国のような状態を醸しだしてきました。
山岸会が発足してすぐの山岸巳代蔵の著作『獣性より真の人間性へ』は「万象悉く流れ、移り行く」という一節からはじまります。
これは栄枯盛衰のはかなさやむなしさを表現したものでしょうか。
いや、それは逆で自然界の風物はもちろん人間の身心、思い考え方もまたじつは前進一路・無停頓の律動に乗って変華・進華する自然全人一体の姿を言いあてた表現ではなかろうかと推察するものです。(『春日山50年の歩み』 平成二十(2008)年秋)

○琴線に触れるものがある
○今、ここの豊かさ
○誰の心にもある真実
○「その人の心になる」の心……
といったキーワードと自らの実感とが重なり合い呼応し合いしだいに醸成されていくものがあった。
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