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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

『もう親を捨てるしかない』 島田裕巳著

島田さんの新著『もう親を捨てるしかない 介護・葬式・遺産は、要らない』(幻冬舎新書)が衝撃的なタイトルとともに週刊誌などで話題になっている。
もう親を捨てるしかない

冒頭に、昨年末の「利根川心中」と名づけられた事件が紹介されている。
47歳の娘(三女)さんが両親を乗せた軽自動車を運転し、車ごと利根川に突っ込み、心中をはかっり、娘さんだけが生き残った。
娘さんは容疑を認め、「認知症の母の介護で疲れた。貯金も年金もなくなった。病気になり、働けなくなった父から『一緒に死のう』と言われ、一家心中しようとした」と供述した。

なんともやりきれない悲惨な出来事である。暗澹たる気持にもなってくる。
「親孝行が親殺しに結びついたことになる」と島田さんは言う。
では、どうすればよかったのか? 
「親を捨てればよかったのである」と。
そして子供が親を捨てるのなら、“捨てられる側の”親は、どうすべきなのか。
「とっとと死ぬしかない」と島田さんは言い放つ。

急速に高齢化社会に突入した今の世の中での、誰もが直面する親子間の介護については、「親を捨てることしか解決策はないのではないか」と島田さんはキッパリと言うのだ。
こうした島田さんの問題提起に対して、アマゾンに寄せられるカスタマーレビューが興味深い。幾つか紹介してみる。

○しかし、肝心の「親捨て」の方法が書かれていない。これは問題である。
○結局、合法的に世間体も良く親を「捨て」られるのは、経済的にかなり余裕のある家庭の高齢者が高級老人ホームに入居できるだけ、という、当たり前のオチなのでしょうか。
○この本の内容ではまだまだ親を「断捨離」できる境地にはたどり着けないと思います。
○あくまで自分は富裕層として安全地帯に身を置いての発言である。
捨てる方法を著者にご教授願いたいというレビューがあるが、蓋し名言。
○結局親捨て法は、楢山参り(姥捨)のように介護施設へ連れて行くことのようでしか解釈できない本音のみを述べただけで向き合うための術、具象的提示が残念ながら致命的に欠ける内容。
○素直に共感しました。惜しむらくはじゃあどうやって親を捨てるのか、と言う具体論が殆ど無い事ですが…。
○島田さんの主張するように、親、家、墓、故郷、等をすべて捨て去れば、同時に日本人としての特質、良心?も捨ててしまうのではないかと思うのです。
○当然のことながら、子から見た具体策となると、なかなか困難な問題であり、著者も、それらの解決を読者にゆだねている。
○今まさに「できるものなら親を捨てたい!」と思い悩んでいる方が藁にもすがる思いで本書を読んだら、おそらく拍子抜けされることと思います。

ここに共通するのは皆切実に、もっと具体的な方法を求めているところにある!
きっと島田さんは苦笑いしているのではないか? 週刊誌での島田さんの発言からもそれは覗える。

「『本当は介護しなくてもよい』『しなければならない絶対的な理由はない』と気づくだけでも、かなり精神的な負担から解放されるはずです」

正直なところここまでしか言えない。方法を聞いてからの人でなく……。
だって理想的な家族のかたちは、一技術や方法の末にあるものではないからである。
どういうこと?
やはりそれより先に「場づくり」が肝心なのだ。
例えば本書にも触れられている国が提言している介護の将来像
「住まい・医療・介護・生活支援が一体的に提供される地域包括システムの実現」もその一つであろう。
しかしそうした今誰もが切実に求めるシステムに命がかよいホントに活用されるには、どうしても質的な「飛躍と転換」が自分ら一人ひとりの基本になってくるのだ!?
それでこそ「我が田へ水を導き入れて増収しようとする人を、百里先の水源地工事に誘おうという」(山岸巳代蔵)皆と共にやる具体的な方法を実行できる人にまずなることでもあるからだ。
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