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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

 「と」に立つ実践哲叢(16)

脱皮をくり返すための生活

ことわざに朝決めた事を夕方には変えてしまう、不安定で当てにならないことを「朝令暮改」という。だから以前研鑽資料で「朝変暮改」の一節に出会ってビックリした。

「わたくしの過ごしてきた五十年余を振り返ってみる時、その観方、考え方が一貫して変わらないものも多いが、これとていつ変わるかもわからなく、また一面、見損いや、間違いや、未熟・不合理な観方をしていたこともずいぶん多い。
朝変暮改というよりなお甚だしく、今先考えたこと、云ったことでも、すぐアトで思い直し、考え方が変わり、自分の見解を自分で打ち破るようなことを繰り返しています」(正解ヤマギシズム刊行に当たりて)

先にも記した「まさに『サイロ破壊の日々』」であってこそ当たり前なのかも知れない。
実顕地とは、垣根や壁や囲いなど隔てるもののない理念に基づいて編み出された完全専門分業での生活様式の一つである。それはまた自分ら経験なり実績が上がっていく程たまってくる、この垢ともいうべき固定観念のトリコになっている自分からの脱皮をくり返すための生活様式にも見えてくる。
そのままにしておけば、人間生活は常に保守的傾向になりやすい。古今既成の人間社会集団につきものの支配欲・征服欲・各種権力などの発生もこの辺りに原因がありそうだ。

例えば数年前に、それまでの別棟に分けられていた村人用の「生活窓口」と「法人窓口」を止めて、窓口を一箇所にしてみたことがある。
窓口一箇所で実顕地に住む人の要望を受けて、窓口の側で用途別に仕分ける業務を受けもったのである。するとお役所のようなたらい回しがなくなった!
もちろんそれまでの窓口が別棟に分けられていたのには、それなりの深いワケがあった。

この間の実顕地づくりをふり返ってみても初期の頃は何もかもゴッチャ混ぜの日々で、作業服と長靴での食事も当たり前。ようやく一段落した頃に皆で取り組んだテーマの一つに、
「整理分類は研鑚生活の一つ」があった。
分類という視点から探っていこうというのだ。
分けて考えることによって、それまで他の観念などを混線・混入して複雑に考えすぎてよく観えなかったものが、はっきり観えてきた! 目からうろこだった。
自分の考え方や親と子、男と女の分類から始まり、実際的にも分けていくことで暮らし全般の純粋化をもはかろうとしたのだ。
ところがそこから「お役所のようなたらい回し」現象が生まれてきた!?

知らず知らずに分けてある立場からの「立場の人間」になってしまうのか、つい威張りたくなる!?
とりわけ窓口業務は、お金も扱い、情報が集約されたり、いろんな事情も見える位置にある。
病院に例えれば、患者はいつもお医者さんよりは弱い立場だ。そこを患者の側から、
つまり自分が窓口を使って実顕地づくりをすすめる一環として、「窓口業務」をひっくり返して元に戻してみたのであった。
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