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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(32)

象形文字が映し出すもの

以前にも江戸中期の思想家・安藤昌益(1703―1762)について触れてみたことがあった。
寺尾五郎(安藤昌益研究会)氏によれば、日本において対象的世界を「自然」と呼んだのは、安藤昌益が初めてであるという。それまでの「自然」の語は、すべて「自(おのずか)ラ然(しか)リ」の意であり、自然界のことではなかった。
昌益は「自然」の語を、「自(ひと)リ然(す)ル」と訓(よ)ませ、人も含んだ全自然は永遠の自己運動の過程にあるという哲学思想を独創的に編みだしたのだという。

そんな昌益が独自に編み出す概念には、ヤマギシズム理念「自然全人一体」に通底する前進一路・無停頓の律動のような営み・動きが内包されていて実に興味深いのだ。
例えば昌益の手造り漢和辞典『私制辞書』によれば「人」は、
「人は天地のあいだに生まれ、天地に通じる存在であるとして、天地に股がり足を張ったさまを字としたもの」とされる。
山岸会の趣旨での、
「自然と人為、即ち天・地・人の調和をはかり、……」に重なり合う個所だが、
「調和をはかり」のイメージが「天地に股がり足を張った」という常識外れのしかし動的で身近なイメージとして湧き上がるところが痛快だ。

しかも昌益は「男女」と書いてヒトと読ませる。
「転定(天地のこと―引用者注)一体、男女一人ニシテ、……」
男と女がいてはじめて一人の人間であり、互性の関係にあるという。
ここでの「互性」も、独創の『私制辞書』によれば、「互」という字を九十度倒して横から眺められた姿をイメージして、

「二人が左右に、仲良く一つになって横になるさまに象る。横になるとは寝ることであり、夫婦が睦み合って寝るさま。また二人が心一つに安んじて横に寝て、互いに信じ合うさま」だとされる。
天と地、男と女も、本質的には同一だが現れ方が違い、お互いがお互いを活かし合って存在している始めもなく終わりもない「自(ひと)リ然(す)ル」自然真営道が明らかにされる。

ナルホドナー、面白いな-、とても愉快な気分につつまれてくる。
あらためてここでの安藤昌益の互性のはたらきを内包した「男女(ヒト)」と
安藤昌益

山岸巳代蔵の「夫婦の真字」を並べてみる。
夫婦の真字

はたして何が見えてくるのだろうか? 
従来からの個々人主義の相離れた男(夫)や女(妻)の立場からでは、ぜったいに浮かび上がってこないにちがいない。だとしたらいったい何が現れ出てくるのだろうか?
それは男(夫)でもないし女(妻)でもないもの……。
そこを見出して、そんな場所からかつてない「仲良い楽しい」世界を創り上げていこうとするものだ。 
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