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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

 「と」に立つ実践哲叢(18)

自分がいる実顕地づくり(中)

毎日の「連絡研鑚会」(昼間30分)で時折80代のNさんのことが話題に上る。
「○○に帰る」と執拗に言って外を歩き回るのだという。ふだんは付き添って歩くのだが、気づかない時もあり、迷子になったり事故に遭遇しないように「知っておいて下さいね」とのお知らせだ。

ある時どうもNさんの○○とは、Nさんの生まれ故郷らしいと思い至った。すると「そうか、そういうことか!」と、それまでの困惑気味な気持が解けてしまった。

そしてふと映画「おくりびと」の、主人公らが橋の上から二匹の必死に川を遡(さかのぼ)る鮭や上流から命を使い果たした鮭が流れてくるのを見つめているシーンを思い出した。そこで次のような会話が交わされる。

「何か切ないですね死ぬために遡るなんて、どうせ死ぬなら、何もあんなに苦労しなくても」
「戻りたいんでしょう、生まれ故郷に……」

ふだんテーマに掲げている「老いて蘇(よみがえ)る」の一端に触れた感じがしたのだ。
たしかに老いゆえの身体的不調や自分が自分であることが崩れていくような不自由・不安・絶望感は、外からは窺い知れない。
でもこの間自分らは「と」に立つ実践を通して、「繋がりを知る精神」から出発した人と人との繋がりの中にいる自個で、もう一人の喜怒哀楽やいろんなことで動揺したり思い悩んだりする自己が、いつも温かいものに包まれているような実感をも味わってきた。
いうなれば、自分とは今までの自我や自己主張するなどの自己からなっているだけでなく、繋がりの結び目としての個としての自個からなっているのでは……。

そんな観方・考え方を次のような式でイメージしている。
自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)

以前このことを皆で研鑽していたら、K君が「こんなことかな」と話してくれたことがある。
村人総出での運動会があった。その時「運動会なんて出るの、一緒にやるのは嫌だなあ」とすごく思った。でも、皆参加するからと嫌な気持ちだったけれど参加してやっていたら「運動会を楽しんでいる自分を見た」という。

この感じっていうか、こんな誰でもがふだん体験していて、そんな事ありふれたことだと見なして顧みない、「嫌だと思っている自分がいて、それでも事実皆と一緒に楽しんでいる自分もいた」という気づき。これはすごい発見というか、人と人との繋がりの中で楽しくやれている自分を見出して、そんな自分をもしっかり掴んでいく。分かりやすい具体例だなあと今でも心に焼き付いている。

さきのNさんの振舞いもよくよく見れば、一般社会常識上の自己が消えていく中で故郷に帰りたいとする自個が蘇っているのだ?!
だとしたらそんなNさんの自個に合う心身の安らぐ場づくりから新しい自分に出会えるかもしれない。
「自分がいる実顕地づくり」の自分とは、そんな自分をも指している。
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